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moto,jc @ Re:パルスオキシメーター(06/13) New! おはようございます あたしも進められて…
ララキャット @ Re:パルスオキシメーター(06/13) New! そうですね ちゃんと認証されていないもの…
danmama313 @ Re:パルスオキシメーター(06/13) New! コロナ真っ只中の頃は確かに買えませんで…
marnon1104 @ Re:パルスオキシメーター(06/13) New! 私の家でもやはり必要だとネットで パルス…
パパゴリラ! @ Re:パルスオキシメーター(06/13) New! パルスオキシメーター、家にあったほうが…
Dec 22, 2019
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カテゴリ: カテゴリ未分類
世界遺産として有名なスペインの「サグラダ・ファミリア」を設計した"アントニオ・ガウディ"。

なんと云う天才なんでしょうね。


ガウディの名が日の目を見たのは建築士の資格を取得した1878年のことです。
ガウディはパリ万博に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインしました。

できあがった作品を見てガウディの才能を見初めたのが、コーデュロイ会社を経営する富豪グエイ伯エウゼビ・グエイです。
グエイは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援。
グエイ邸、コロニア・グエイ教会地下聖堂、グエイ公園などの設計を依頼しました。






ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごしました。

ところが親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまいます。
ついに1918年にはパトロンのエウゼビ・グエイが逝去してしまうのです。
この不幸の連続がガウディを変えたと云われています。
彼は取材を受けたり、写真を撮られるのを極端に嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになっていきました。
また、ガウディは若いころ出会ったマタロ協同組合の教師ペピタを好きになったのが初恋でしたが、女性恐怖症だったため一生独身でした。
そして...なんとも悲惨な死をとげます。

1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中でメガネを家に忘れてきたことに気づきました。
途中で取りに戻ろうとしたとき、段差につまづき転倒してしまうのです。
そのとき、たまたまそこを通った路面電車に轢かれてしまいました。

ところがガウディは普段から身なりに気をつかわなかったため、"浮浪者"と間違われて手当てが遅れてしまうのです。
結局、事故の3日後に息を引き取ります。

ガウディの遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されています。







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Last updated  Dec 22, 2019 06:33:20 AM
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