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パパゴリラ! @ Re:大阪ミナミの変貌(05/14) 大坂に飲兵衛仲間の親友がいるので、昔は…
Jan 12, 2020
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カテゴリ: カテゴリ未分類
1978年(昭和53年)7月30日がどれほど特別な日だったか、これは当日、沖縄に居た人しか分かりません。

日本本土とは逆のと云う状況は、1972年の本土復帰後も継続されていました。
しかし道路交通に関する国際条約(ジュネーブ道路交通条約)では「一国一交通制度」、つまりひとつの国はひとつの交通方法でなければならないと云う条約に則り、ついに沖縄も本土と同じく左側通行への切替を実施することが決まったのです。
その自動車は"右側通行"から"左側通行"への切り替え日が1978年7月30日、俗に「730」と呼ばれる一大作業だったのです。
交通ルールを真逆に変えると云う作業は、「ハイ、今日から左側通行ね~」と云うほど簡単なものではありません。
標識や信号、車線レーンの道路標示など県内の道路インフラ全てを7月29日22時~翌30日の6時までの「8時間」で完全に入れ替えねばなりません。
まさに一大事業です。

作業に伴う交通整理など沖縄県警だけではとても対処しきれないので、警視庁をはじめ全国各県警の警察官約3,000人が応援に駆けつけ、沖縄県警の警官約1,400人と合わせて、8月下旬まで交通整理にあたりました。

「730」当日までに実施しておかねばならない工事も多々あります。
交通の妨げにならないためのバス停用の窪みも、交差点付近のバス停は、交差点を過ぎたところになくてはならないので、そのまま継続して使えないものも多数でてきます。
交差点はさらに大変で、車線が反対になることで、角を削ったりと、いろいろな工事を行わなくてはならなかったのです。
ガードレールは、車が接触した場合に車体をえぐり取らないよう、繋ぎ目の引っかかる部分を進行方向とは反対に向くように組まれていますが、この繋ぎ目も逆にしなくてはなりません。
そのため左側通行に併せて重ね直したりしました。
実施前から準備段階として、幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識や信号を設置した上で、それらをカバーで覆い隠しておき、変更作業時にその覆いを外して右側通行用の標識にかぶせ直す方法が用いられました。

また、車線のレーン、右左折表示などの道路標示も、左側通行用の標示をあらかじめ描いた上で黒のカバーテープで覆い、変更作業時にバーナーによってテープを除去するという方法が取られました。

これら覆いやカバーテープを用いた方法は世界初であり、「カバーアンドテープ方式」や発案者の名を取って「久高方式」と呼ばれ、短時間で効率よく作業を行うことを可能にしたのです。




7月29日の午後10時。
サイレンが鳴らされます。


折しも接近した台風8号の影響で風雨の激しい夜でした。
変更作業に際して約800人の作業員と約300台の車両が動員され、約19億円が投資されました。
その間、新標識から旧標識へ目隠しの移動、新白線を隠していたテープの除去などが行われたのです。




明けて30日4時18分、沖縄県全ての道路で切り替え工事が終了。
5時50分、全ての車が停車したのち右車線から左車線に移動。


730施行によりバス停の行き先も逆になったのですが、切り替え当初は従来のバス停から乗車し、反対の方向へ連れて行かれた乗客。
運転席側の右側の窓をたたき乗車させてくれと訴える乗客が多くいました。
「沖縄730交通」の秘話
この沖縄の730を遡ること11年前に、北欧スウェーデンでまったく同じことが行われていました。
ヨーロッパ諸国の多くでは、自動車は道路の右側を走る交通ルールが取り入れられていますが、1967年夏までのスウェーデンでは左側通行が取り入れられていました。
隣国のノルウェーやフィンランドと陸続きであるスウェーデンにとってこの違いは少なからず問題となっており、特に国境付近では左側通行であることが原因で交通事故がたびたび発生していたのです。
このような安全上の問題や、北欧諸国やヨーロッパ諸国の一員としての存在感を示すために、スウェーデン政府は道路交通ルールを180度入れ替えて左側通行から右側通行へと完全にシフトすることを決定しました。

新しい交通ルールが始まるのは1967年9月3日と定められ、この日はスウェーデン語で「右側通行への変更」を意味する「Hogertrafikomlaggningen」またはシンプルに「Hデー」と呼ばれることになりました。
多くの国民が活動している日中にルールが変化すると混乱をきたすことになるため、新ルールは午前5時に一斉に適用されることになりました。
また、これにあわせて一部の車両を除く全ての車両は、当日朝1時から6時まで走行を禁止されました。

沖縄のケースと同じで、国中の道路に設置されている道路標識や道路上に描かれている矢印などの道路標示、一方通行路の再設定などを全て右側通行ルールに合致するように入れ替える必要があります。
沖縄は県単位ですが、こっちは国単位での入れ替えです。
スウェーデン政府はこの一大事業を成し遂げるために、国を挙げた取り組みを行うこととなりました。

まだ自動車が充分行き渡ってなかった時代ですが、それでも国内にある約36万個の道路標識を更新する必要がありました。
もちろんHデーにあわせての変更です。
そのために、地方政府の職員や軍隊が動員されて国中で作業が行われました。
この事業に投じられた予算は、6億2,800万スウェーデンクローナ(現在の価値で26億クローナ、約333億円)。
36万ヵ所の道路標識が更新され、公共交通機関である9,000台のバスで、出入口を車体の左右両方に取り付ける改造が行われました。

事業を成功させるためにキャンペーングッズまでもが作られ、人々に対する周知が進められました。
当時のスウェーデンはテレビ、ラジオともにチャンネルが1つしかなく、他にメディアと呼べるものは新聞や雑誌ぐらいだったため、現代とは比べものにならないくらい容易に多くの人にアプローチする事ができたそうです。

しかし、気になるのは自動車のハンドル位置がそのままで、道路の走る側だけを入れ替えると大混乱が起こりそうなわけですが、そこではスウェーデン特有の自動車環境が大きく後押しになったとのこと。

当時、国内で登録されている車の多くは外国から輸入された車が多く、そのほとんどが右側通行に適した「左ハンドル」の車だったのですね。
また、スウェーデンの自動車メーカー「ボルボ」はヨーロッパ諸国向け仕様と同じ左ハンドル車をスウェーデン国内で多く販売していたそうです。
そのおかげでスウェーデン国民の多くは左ハンドルの自動車を運転することに慣れていました。

と、云っても、Hデー直後の混乱は下の画像の通りです。




余談ですが、近年のスウェーデンの交通行政は、特に交通事故による犠牲者を減らすことに主眼が置かれており、1997年からは交通による死者をゼロにする「Vision Zero」という取り組みが進められています。
そのかいあって、スウェーデンは世界で最も交通事故死者数の割合が低い国で、2016年の死者は国内あわせてわずか260人です。
これまでは自動車が道路の主役でしたが、これを歩行者や自転車を優先した交通の仕組みづくりも進められているそうです。

自動車メーカーのボルボは3点式のシートベルトを発明しましたが、スウェーデン政府の取り組みを受けて、このシートベルト技術を世界中の車が採用できるように特許を無償で公開しています。
ボルボの対応によって、あらゆる自動車メーカーが3点式シートベルトを採用することになり、世界中で多くの人の命を救うことに成功してるのです。





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Last updated  Jan 12, 2020 05:39:53 AM
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