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Feb 16, 2026
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風呂敷で古いものは正倉院に宝物を包むための それらしきもの
古くは衣包(ころもつつみ)とか平包(ひらつつみ)と呼ばれてました。
風呂敷って日本が生んだ和文化の代表的グッズで、その便利さから若者でも愛用してる人もいますね。
なにより風呂敷の利便性の良さは、包むものが無いとき小さく畳んで持ち運べる。
これがバッグなんかだとそうはいかない。
しかし風呂敷に複数のものを包んで、途中で立ったまま一部を取り出して、また包み直すってのはムズいので、風呂敷ってのは点から点への移動に便利な包装と思います。


で、この「風呂敷」と云うネーミング、考えてみたらなんで「お風呂」?
諸説あるのですが、ひとつは奈良・平安時代のお風呂は今の「湯船に浸かる」スタイルではなく、蒸気を浴びる「蒸し風呂(風呂殿)」や、お湯を体にかける「湯浴み」が一般的でした。

ところが直接床に座ると、熱気で熱いのでを敷いてました。
この布が風呂に敷くから「風呂敷」の始まりで、そのまま名前になったと云うもの。
別の説では、室町時代の3代将軍 足利義満が京都の室町に「室町殿」と云う邸宅をつくりました。
この邸宅は、その美しさから「花の御所」と呼ばれたのですね。
そして花の御所には湯殿も併せてつくられました。。
このころから日本人は風呂に入るのがことのほか好きで、将軍は、各地の大名を招いて入浴と宴会でもてなしたのです。

このとき招かれた大名たちは、入浴するとき自分が脱いだ衣をほかの大名のと間違えないよう、家紋をつけた布を敷いて、その上で脱いだり着たり、脱いだ衣をこの布で包んでたのです。
この布も風呂に敷くから「風呂敷」と呼ばれるようになったとのこと。
このような入浴の習慣は江戸時代にも継承されていき、江戸時代初頭に銭湯が誕生しましたが、ここでも庶民が衣類や入浴用具を「平裹(平包)」に包み持って銭湯に出かけていったのですね。
風呂に敷く布で包むことから「平裹(平包)」に代わって「風呂敷包み」や「風呂敷」と広く呼ばれるようになりました。

江戸時代の庶民がどれほど風呂敷を用いたかは、寛保3年(1743年)江戸に店舗をかまえた呉服商「大丸」の風呂敷仕入高で知ることが出来ます。
寛延3年(1750年)には14,500枚だったのが、78年後の文政11年(1828年)には60,670枚と飛躍的に増加してます。
いたる処で風呂敷による人力運搬が見られ、かもじ売り、小間物売り、針売り、呉服屋、古着屋から古本屋や絵草紙屋、貸本屋、さらに猿廻し、角兵獅子など実に多くの行商人に風呂敷が利用されました。
江戸の町は火事の町でもありました。
関ヶ原の戦い翌年の慶長6年(1601年)から、大政奉還の行なわれた慶応3年(1867年)に至る267年間に、江戸では49回の大火が発生しました。


そこで商家に上がっている奉公人や、夜鷹(非公認の遊女)などは、火災に備えて五幅風呂敷(約170cm)の上に夜具を敷いて眠り、イザ火事が起こった際には布団に衣類や所持品を投げ込んで、布団ごと風呂敷で包んで避難していたそうです。
明治時代になって洋式カバンや瓶類が出廻り始め、明治末年には「三越」呉服店の包装紙が登場しました。
それでもなを殆どの日常運搬には風呂敷が用いられてました。
実用品、贈答品として幅広く使われる風呂敷の需要は、繊維工業が発達するにしたがい、短期間で大量に生産可能な工業的なものへと変化していったのですね。
ところで泥棒のイメージ、昔は 唐草模様 の風呂敷に盗品を包んで背負ってる姿でしたが、唐草模様ってのは元来 吉祥文様 であって、めでたいもののひとつなんですね。
唐草模様は、生命力が強くどこまでも伸びていく蔓草(つるくさ)を図案化したもので、「子孫繁栄」「長寿」などを意味する非常に縁起の良い吉祥文様です。
そのため、昭和後期まで一般家庭で広く普及しており、どこの家にもあった定番の風呂敷の柄でした。
それがTVや漫画などで、視聴者が一目で「泥棒」と認識できるよう、あえて最も普及していた唐草模様の風呂敷を小道具として使用した結果が「泥棒=唐草模様の風呂敷」ってイメージになったのですね。
風呂敷の柄って時代の変遷もあったでしょうが、今はいろんな美しい風呂敷が売られてますね。
京都には古くから風呂敷屋さんが数多くありますが、有名どころは「永楽屋」「京都掛札」「さんび堂」なんかでしょうかねぇ。
その中でも風呂敷と云って真っ先に思い浮かぶのは、なんと云っても「永楽屋」です。
屋号を織田信長から拝領したという創業400年の老舗です。
メインは手拭いですが、オリジナルのモダン柄風呂敷も揃ってます。







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Last updated  Feb 16, 2026 05:18:04 AM
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