東方見雲録

東方見雲録

2024.10.31
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カテゴリ: 文化


ポスト・モダン的な論者が「そんな主体とか自我とかいうものは、ペテンでまやかしで、本当にはない」と主張したとしても、それをまともに受け取る訳にはいかない。人間の経験や社会を成り立たせるためには、そういう次元の精神活動も必要なのだ。そもそも、近代社会を成り立たせる基本的人権、民主主義、資本主義などは、そういう「主体」「個人」を前提にできている制度なのである。


「とにかく、痛感することは、「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」

もちろん、日本以外の世界を見れば、民主主義や資本主義などが危機にあることは明らかだろう。そこで、ポスト・モダン的な思索が重要なのも理解できる。しかし日本はそれだけではやっていけないと思う。モダンの考え方で、日本の前近代的な部分を近代化させていくという課題にも、同時に立ち向かっていかねばならないのだ。


引用サイト:熟慮や中庸といった精神的な姿勢の価値が回復されねばならない   こちら

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