東方見雲録

東方見雲録

2025.05.18
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カテゴリ: ランドスケープ


意匠図案説明 上溝祭り
開設場所   〒252-0243 神奈川県相模原市中央区上溝5-12-2
引用サイト: こちら


江戸時代から続く上溝の夏祭り。提灯が灯った山車と神輿が商店街を練り歩く。
引用サイト: こちら


現在の相模原市の中心部が位置する「相模原台地」は、「相模川」の形成した扇状地が隆起したもので、上から「相模原面」「田名原面」「陽原(みなばら)面」と呼ばれる3段の河岸段丘に分かれており、地元では「上段」「中段」「下段」と呼んでいる。それぞれの面の境には「ハケ」と呼ばれる段丘崖(がい)があり、傾斜地で開発が難しいことから自然も多く残る。古くからの集落は「上段」では「境川」沿いに、「中段」「下段」では「ハケ」下の湧水がある場所に見られる。市内の地名・坂名・通り名には「峡(はけ)の原」「はけ坂」「はけ通り」「下九沢字八ケ」「八景の棚(はけのたな)」など、「ハケ」に関連すると思われるものも見られる。



上溝は「相模川」の河岸段丘の「中段」、「田名原面」に位置する。八王子、橋本から上溝を経て大山へ向かう「大山道」沿いの町で、古くから人々が行き交う地であった。1870(明治3)年には生糸や繭の取引きを目的とする「上溝市場」が開設された。「溝市」とも呼ばれた毎月6回、3と7の付く日に開かれた市で、各地から多数の露店商が集まり、大変な賑わいを見せたという。大正時代には150軒ほどの商店が立ち並び、この地域の中心的商業地となった。1941(昭和16)年、2町6村の合併で相模原町が誕生するが、上溝町はその2つの町のうちの一つ(もう一つが座間町)で、「相模原町役場」も上溝に置かれるなど、合併後も町の中心地であった。 写真は国鉄(現・JR)相模線「上溝駅」へ向かう道路。奥の道路に架かる橋が相模線の線路。
MAP 8(相模原町役場跡)




台地の地下には「宙水」(ちゅうすい・ちゅうみず)と呼ばれる浅い地下水が溜まっている所があり、その上の地表面は窪地となり「〇〇クボ」「〇〇ヌマ」という地名が見られる。写真は1964(昭和39)年の「鹿沼」で、東岸から北西方面を撮影したもの。右上にある平屋の建物が「大野北分室」(現「大野北まちづくりセンター」)。
【画像は1964(昭和39)年】

「鹿沼」は公園化のため一部が埋め立てられ、1973(昭和48)年に「鹿沼公園」が全面開園した。この一帯に多く見られる窪地が巨人の足跡のようであることから、「でいらぼっち」の伝説が伝えられている。現在はほとんどの窪地・沼地が埋め立てられた。


江戸時代の1818(文政元)年、「淵野辺新田」が開拓され、鎮守として「新田稲荷神社」が建立された。その境内にある「呼ばわり山」は、人探しに御利益のある「今熊野権現社」(現「今熊神社」)が勧請されたもので、新田開発以前からの信仰の地であった(上写真)。2005(平成17)年に通信が途絶え消息を絶った小惑星探査機「はやぶさ」は、その後通信が復活し2010(平成22)年帰還を果たしたが、当時プロジェクトマネージャであった「宇宙航空研究開発機構(JAXA)相模原キャンパス」の川口教授は「はやぶさ」が行方不明だった時、発見を祈願して毎夜のように訪れていたという。
引用サイト: こちら

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Last updated  2025.05.18 07:00:07
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