東方見雲録

東方見雲録

2026.05.25
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   2000年5月15日
意匠図案説明  重文・円融寺釈迦堂、サクラを描く
開設場所    〒152-0003 東京都目黒区碑文谷2-5-8
引用サイト: こちら

碑衾 地名
「碑衾(ひぶすま)」というのは東京府荏原郡にあった自治体名で、1889年(明治22)~1927年(昭和2)まで碑衾村、町制施行して1927年~1932年(昭和7)まで碑衾町。1932年に東京市(当時)に編入され、目黒区の一部となり消滅しています。

「碑衾」とは、明治以前からあった「碑文谷(ひもんや)村」と「衾(ふすま)村」から一字ずつとった合成地名です。合成地名なので奇妙な字面なのは仕方ないですが、元となった「碑文谷」も「衾」も相当に変わった地名です。


「碑文谷」は現在も目黒区内の町名として現役なので読める人も多い地名です。
町名の由来には諸説ありますが、一番有力な説は、現在碑文谷八幡宮に保存されている「碑文石(ひもんせき)」からきているというものです。碑文石は高さ75cm、幅45cmほどの石碑で、表面に梵字(ぼんじ、古代インドのサンスクリット文字)が刻まれています。
この説は、この石碑が元は村内の鎌倉街道の傍らに建っていましたが、室町期に祟りのため土中に埋めたと「新編武蔵風土記稿」「江戸名所図会」に記載されていることから有力視されています。



一方の「衾(ふすま)」は難読で漢字自体も難しいため町名としてはとうの昔に消えています。現在の「八雲」エリアに相当します。
普通名詞の「ふすま(衾)」とは建具の「襖」のことではなく、寝具の一つで、現在の掛け布団に相当します。同じふすまを共にするということで、男女が床を共にすることを「同衾(どうきん)」といったりしますが、この熟語以外では現在ではほぼ使われることのない漢字です。

この変わった地名の由来は諸説あり、代表的なものだけでも
①この地に古くからあった民間信仰の神「塞坐大神(ふせぎますおおみかみ)」の「フセギマス」が転訛した
②この地が古くから馬の飼料「麩(ふすま)」の産地として知られていたため
③湿地に馬が足を踏み入れたところから「伏馬(ふしま)」と呼ばれた
④地形上、呑川の本支流の谷間(はざま)が多いところから
⑤幾つかの丘陵が並ぶこの土地の起伏の様子が「衾」(掛け布団)に似ていた
…とあって、決定的に有力なものはありません。


なお「自由が丘」の地名は、教育者・手塚岸衛が1930年(昭和5)に碑衾町に創設した「自由ヶ丘学園」に由来します。
学校開設とほぼ同時期に東横電鉄(現東急東横線)の九品仏駅が「自由が丘」駅に改称(九品仏の駅名はのち開通した現大井町線の駅名として復活)、1932年には碑衾町内の町名として「自由が丘」が正式に誕生します。


引用サイト: こちら


引用サイト: こちら


引用サイト: こちら



重文・円融寺釈迦堂
南に向いて建つ本堂(釈迦堂)は、桁行三間(けたゆきさんけん)、梁間四間(はりまよんけん)、単層入母屋造(たんそういりもやづくり)で、23区内では最も古い木造建築物です。

この堂は、大棟(おおむね)が高く勾配が急な茅葺(かやぶき)屋根で、正面は蔀戸(しとみど)(しとみど)となっていて、両側面は正面に近いところに引き戸の出入り口があり他は羽目板で、後面も板壁となっていました。



引用サイト:目黒区   こちら

円融寺(えんゆうじ)  目黒区   こちら

関連日記:2026.05.14の日記  碑文谷   こちら





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Last updated  2026.05.25 00:00:09
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