東方見雲録

東方見雲録

2026.05.30
XML
カテゴリ: 建築





旧古井家住宅は、姫路市北西部の安富町皆河にあり、山間部を南流する林田川西側の高台に建
つ民家。15 世紀(室町時代中後期)に建設された、我が国現存最古級の古民家で、顕著な古式を
示しており、我が国の中世民家史を考える上で欠くことができない重要な遺構である。中世の上
層民家の生活を紐解くうえで貴重であり、中世の景観を伝える民家建築として深い文化史的意義
を有する。箱木家住宅(兵庫県神戸市北区山田町)とともに、民家として初の国宝となる。
・・・・
旧古井家住宅は、南を正面として建つ入母屋造り、茅葺きの民家建築で、大壁造りの外壁は開
口が小さく、閉鎖的な外観をみせる。内部は、向かって右手側(東側)をニワ(土間)、左手側
(西側)を居室部とし、ニワの南東隅にウマヤを設ける。居室部は正面側に1室(オモテ)、背

示す平面の祖型の一つとされる。明快な寸法計画のもと、一間毎に柱を立てる整然とした柱配置
で、省略がないため室内等に独立柱が現れる。断面が不整形な柱は室内から見えやすい面のみ丁
寧に仕上げ、上屋梁は扁平な角形で細く、貫は分厚く造り、架構は古式を示す。
中世に遡る極めて稀少な現存最古級の民家で、中世民家史を考える上で不可欠な遺構である。
建設以来、悠久の時を経てなお変わらぬ場所と環境で維持されてきた点も特筆される。我が国中
世の上層民の生活を紐解く上で極めて貴重な遺構であり、中世の景観を伝える民家建築として極
めて深い文化史的意義を有している。

引用サイト:姫路市   こちら


姫路市教育委員会などによると、古井家は「荘園領地で農林業を営み、商業交易活動にも関与した上層農家」とみられる。住宅は高台に建っており「(周辺の)監視に適した位置。土一揆などの略奪から集落を防衛するために構えた」とされる。

正面側の1室には、「亀石」と呼ばれる大きな石がまつられる。この部屋は、「鶴石」がある近隣の伊和神社(宍粟市)の主神・大己貴命(オオナムチノミコト)(大国主命(オオクニヌシノミコト))に対する信仰に関する宗教儀礼の場だったとの見方もある。


正面側の1室にまつられた「亀石」(姫路市教委提供)

引用サイト: こちら

伊和神社(宍粟市)
伊和神社の主祭神は、出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)と同一視される大己貴神(オオナムチノカミ) 。しかし、この神社の信仰の源流をたどると、『播磨国風土記』に登場する土着の英雄「伊和大神」に行き着きます 。

風土記によれば、伊和大神は出雲からやって来て、この播磨の地を切り開き、産業を興し、医薬の法を定めた偉大な国造りの神 。その姿は、単なる農耕神に留まらず、人々を導く統治者、さらには製鉄技術をもたらした神としての側面も指摘されています 。

伊和神社は、この播磨独自のローカルヒーローを祀るための中心地でした。大和朝廷の支配が確立する以前、この地には伊和大神を頂点とする強力な文化圏・政治圏が存在した…そう考えると、歴史のロマンが掻き立てられませんか?

引用サイト: こちら

伊和神社(宍粟市)鶴石




 安政2年(1855年)の同神社の境内絵図には「鶴石」のことが「やうがふ石」=影向石(ようごういし)=と記されている。また、明治28年(1895年)当局の許可として〝「鶴石」を「降臨石」と改称する″とあり、「鶴石」のことは「影向石」「降臨石」ともいわれ、神様の天下り給うた石として崇(あが)められてきた。
 「鶴石」の前に立つ石灯寵は元禄10年(1697年)に建立されている。その銘文には〝宍粟郡中の人たちが力を合わせて造った。長く灯をともして神様が来現されたみあとを照らせ″という意味のことが漢文で刻み込まれている。大正13年(1924年)には「鶴石」の周囲が玉垣で囲われ、昭和59年(1984年)改築されている。

 同神社のご祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)=大国主命・伊和大神=。命は播磨の国を巡歴され国土を開発し、産業をすすめて生活の道を開き、医薬の法を定めて治病の術を教えるなど地域の人たちの幸福と世の平和をはかる国造りをされた。その国造りの事業が終わったのち、伊和の里にこられ、〝わが事業は終わった(おわ=於和)″といわれてお鎮まりになった。そこで地域の人たちが、その神徳をしたって社殿
を営んだのがはじまり。
 一説に成務天皇甲申歳二月十一日丁卯(144年)。あるいは欽明天皇二十五年甲申歳(564年)の創祀と伝えられている。
 また、同神社にかかわる伝説として玉岡松一郎さん著による「播磨の伝説」のなかに〝播磨国総社と伊和大神″と題して次のような伝説が掲載されている。

 姫路から宍粟の神戸(かんべ)へ神様を迎えに行くと伊和の大神には三人の息子があり三人とも姫路へ行くことを望んだ。そこで「お前達の中で一番鶏が鳴かぬ間に一番早く姫路へ着いた者に姫路へ行くことを許してやろう」ということになり、兄弟たちはそれぞれ思案したがその中で二番目の息子が家の下男に頼んで鶏の口をくくらせておいて姫路へ真っ先に着いた。それで二番目の息子が伊和から姫路へ来ることが決まり、そんなわけで伊和神社の鶏は時を告げないという。

ニワ(土間) 語源
単語 「庭」
主な意味
広い場所や行動をする空間
家の前やその中の土の空地
観賞のための場所(庭園)
海の平らな面
穏やかな天気
家の出入り口や土間
家庭そのもの

語源に関する説
「土間(はにわ)」の略称や変化
「土間(にま)」の派生
「土場(には)」の起源
「な」(滑らか、平ら)と「は」(広がる場所)の組み合わせ

確定的な答えの有無
なし

背景
「庭」の役割や意味の変遷が日本の歴史や文化の中での背景として存在
引用サイト:語源辞典   こちら

・・・・





引用サイト:民家の屋敷地とニワ   こちら


・・・・
町屋
通り庭・通り土間
建物の面(店先)から裏まで続く土間で、京都では通り庭と呼ばれます。土間なので、庭とよばれますが屋根の下です。

公に面する「ハレ」の空間である表側(店先)は店庭、台所の流しがある部分はプライベートな「ケ」の空間で走り庭と呼ばれます。

この通り庭は京都以外では通り土間と呼ばれます。
引用サイト:古民家探訪   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.05.30 07:00:05
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: