東方見雲録

東方見雲録

2026.06.17
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カテゴリ: 政経



「高市首相は自分と考えの違う人から質問されるのがイヤで、排除する。記者会見はやりたくないから短時間で打ち切り、質問も制限する。こんなやり方を問題と思わないのは、常駐記者が特権的扱いを受けているからです」

こう西村記者は憤る。

内閣記者会はどう考えているのか。幹事社(6月から読売新聞)に聞こうと官邸に電話したが、官邸報道室が間に入り、幹事社と直接のやりとりはできない。こちらの番号を聞かれ、「読売新聞から電話がいきます」ということだった。電話がかかってこないので、質問を6項目にまとめ、文書で尋ねると回答が来た。

質問1:会見の設定・形式については、記者クラブと内閣官房(あるいは広報)とどのように打ち合わせ、最終的に誰が決めているのでしょうか。

回答1:記者会見や「ぶらさがり取材」の設定・形式については、首相官邸と内閣記者会が都度、協議して決めております。内閣記者会はこれまでも必要に応じて、首相の記者会見やぶらさがりなどの取材機会を確保するよう申し入れてきました。

質問2:「会見」「ぶら下がり」の主催者は、官邸ですか、記者クラブですか。その根拠になる「合意書」「規則」はあるのですか。

回答2:内閣記者会の規約では「クラブは、取材上の便宜のため、記者会見などを主催する」と定めています。

質問3:記者会見のやり方について、官房長官は「歴史的な経緯がある」というように説明したようですが、記者クラブも同じ認識でしょうか。官房長官は「記者会で話し合った上、こちらに伝えて欲しい」と言っています。内閣記者会でどのように話し合っているのでしょうか?

質問4:記者クラブは国民に代わって政権を監視し説明責任を求める組織と認識しています。フリージャーナリストや外国特派員の「取材機会」が大手新聞などと平等ではありません。どのような事情でそうなっているのでしょうか? 改善に向けての動きはあるのでしょうか?取材される側(内閣官房)は、どのようなスタンスなのでしょうか?



質問6:首相はSNSなどで独自の発信を強めていますが、これだと記者クラブを通さない発信が増えます。「言いたいことだけをいう」ということになり「聞きたいことを聞く」という記者クラブの「国民代替機能」が弱まると思いますが、現状をどう考えていますか?

回答3〜6:内閣記者会としての統一的な見解はありません。

主要な質問に対する答えは「統一的な見解はありません」。では内部ではどんな議論になっているのだろう。事情を知る記者に聞くと「外国人記者やフリー記者の要望を取り上げることにはならないでしょう」という。

記者の連帯がいつの間にか「既得権益」に
外国特派員やフリーの記者にとって記者会見は政権に直接問いかける貴重な機会だ。だが常駐記者は「会見」以外に「懇談」「レクチャー」「囲み取材」など取材の機会はいくらでもある。記者会見で聞くより、裏の取材で本音を聞けばいい、という記者は少なくない。高市首相になって記者会見は減った。「きちんと会見をしてもらおう」と主張する社はあるが、記者クラブの総意として、まとまりそうになく、官邸側に申し入れすることはないだろう、という。

「官邸取材が許されるのは内閣記者会だけ、これが官邸の基本方針。首相会見や金曜日の官房長官会見は『外にも開いている』という世間向けのポーズにすぎず、事実上、自由な取材は認めていない、というのが実態だ」
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経済記者の大先輩だった故・内橋克人さんから、「記者クラブは大事だ」という話を聞いたことがある。「記者クラブの罪悪」が語られ始めた頃だ。

「記者一人では権力に敵わない。団結して対峙することで国民の知る権利に応えることができる。記者クラブはそのためにあったはずだ」と言っていた。

取材拠点の記者室の活動を保証する記者証、権力者を問い詰める記者会見、どれも「国民の知る権利」を支える手立てとして得たものだ。時が経つにつれ既得権になってしまった。
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この傲慢さと、高市首相の身勝手は、官邸による「メディア支配」の実態を国民の目に晒すことになるだろう。説明責任を求められるのは権力者だけではない。

記者会見を巡ってメディアの連帯と分断を考えさせられた記事に「デモ放送差し替え 正面から答えないNHK会長」(5月30日朝日新聞)がある。
引用サイト: こちら

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関連サイト:自民議員が“本題”から逃げるワケ こちら
6月22日に開かれた衆参両院の予算委員会。どちらの委員会でも、高市早苗首相(65)をめぐる「中傷動画疑惑」や「SANAE TOKEN(サナエトークン)問題」について、野党から厳しい追及が続いていた。ところが、そんな緊迫した空気を一変させる場面があった。

参院予算委で、質問に立った自民党の江島潔参院議員(69)は、「私は外遊などで海外へ行くと、すぐに日本食が恋しくなる。帰国したら蕎麦屋に駆け込むこともある」と、まず自身の海外出張の話を始めた。ここまではまだよかった。しかし、その直後、江島議員は高市首相に向かってこう尋ねたのである。

「魚を3枚におろしたりするようなご経験はありますか?」

これを聞いた高市首相は、“ズッコケ”るような仕草を見せて立ち上がり、「(出身の)奈良県は海なし県ですが」と笑いを誘うと、「(3枚に)おろすことはできない。しかし、焼くことはできます」と述べた。
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「与党側は質問時間を持て余しているんですよ。以前は与党と野党の質問時間がおおむね2対8でしたが、安倍政権以降は議席数に応じた配分となりました。参議院は過半数割れですが、それでも議席数は最大です。多数を占める自民党は質問時間を確保できる一方、党内で意見集約ができていないテーマについては深い議論がしづらい。結果として、こうした質問が飛び出すこともあるのです」

関連サイト:「論壇を見ていても、もはや論争とは呼べない」日本社会から“理想”が失われ「動物的対応」に成り下がったワケ こちら
戦前から戦後、そして高度成長期まで、日本の言論空間は激しい論争に支えられてきました。冷戦構造の崩壊以降、その風景は一変。イデオロギーの対立が後退し、「共生」が叫ばれる時代に何が失われたのでしょうか。論争なき社会の現在地を、慶應義塾大学法学部教授・片山杜秀氏と気鋭の政治学者・田中駿介氏が語り合った・・
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地球環境問題は全体だけれど。冷戦の終結が人類全体の運命を考える習慣を広く失わせて、国や地域の勝手な論理を再興させ、平和的な共生の論理も広がってゆくようになった。それはけっこうな面も大きいけれど、あらゆる次元で内向きになってくる。外向きの顔と内向きの顔も乖離してくる。昭和の終わった89年に奇しくも起こった冷戦の終結のあとが結局今日の起点なのでしょう。90年代以降が問題です。

田中 90年代には知識人の役割が少し変わったと思います。やはり湾岸戦争が大きかったのではないでしょうか。左は、たとえば柄谷(行人)氏で、湾岸戦争反対を論じた。右は、たとえば坂本多加雄氏で、その逆の論陣を張りました。ただしそれは、反核論争とか転向論争といった論争の時代背景以上に、それこそ現実の政治に極端に対応した議論でした。冷戦の崩壊と湾岸戦争を境にそういう時代になっていったと感じます。

片山 日本が二大政党制を目指したのもそのタイミングでしょう。観念を優先させるのではなく現実に対応して政策論争をする二つの非革新の大政党があればよいと。以来、理想や大局観、いや、もっとシンプルにこだわりでもいいですが、そういうものが失われて、ついに目の前の現実に動物的対応をするところまで成り下がってきたように、日本の政治を長期的に振り返ると感ずるのですが。

関連サイト:「私は反省なんかしておりません」高市早苗が過去に語っていた戦後世代の歴史観と、石破茂が突きつけた“意外すぎる保守論”とは こちら
4月29日、政府主催で開かれた昭和100年記念式典には天皇皇后両陛下も臨席された。だが、そこで不思議なことが起きた。天皇陛下のおことばがなかったのである。

 1968年の「明治100年記念式典」では、昭和天皇がおことばを述べている。ところが今回はなかった。政府は「総合的に勘案した」と説明した。

 高市首相が式辞で「戦争」という言葉を使ったのは、「戦争、終戦、復興、高度経済成長」と昭和をまとめた一度だけだったことに朝日新聞は注目していた。日本国憲法への言及もなかった。一方で、衆参両院の議長は戦争の犠牲や荒廃について触れていた。何を語り、何を語らないか。そこにはその人の歴史観が表れる。

 記事でも取り上げられていたが、高市氏は1995年、戦後50年の国会決議をめぐり、

「私自身は当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」

 と発言したことがある。今回の式辞を見ていると、その延長線上にあるようにも感じる。


 保守とは何かについても様々な考え方がある。今日より明日を少しでもアップデートしていこうとする。「永遠の微調整」とは、そんな意味だろう。だからこそ「高市氏は何を守ろうとしているのか」という最初の問いに戻ってしまう。

 そんな「昭和100年記念式典」だったが、異変はこちらにもあった。会場では昭和を彩る歌謡曲が演奏された。高市首相はTM NETWORKの『Get Wild』が流れると、手拍子をしながら歌詞を口ずさみ、満面の笑みを見せていたという。
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先日、ラジオ番組で筆者は石破氏にこんな質問をした(『プチ鹿島 赤坂タイムス』6月6日)。

「石破さんが最近『左』と言われることをどう思いますか」

 石破氏はこう答えた。

「昔は極右と言われたが、今は左だと言われる。言っていることはずっと変わっていない。座標軸が動いただけです」

 さらに「保守とは何ですか」と尋ねると、

「保守とはリベラルです」

 と答えた。

 石破氏は保守とはイデオロギーではなく「態度」だとも述べている。保守の本質は寛容だとも語る。他者の意見に耳を傾け、自分とは異なる考えの存在を認めること。

 もっとも、石破氏自身が、その理想をどこまで実践できたのかといえば話は別だ。首相時代を振り返れば、理想と現実の距離は決して小さくなかった。それでも興味深いのは、高市氏が語る保守と石破氏が語る保守が、ずいぶん違って見えることだ。

関連サイト:「戦争やめろ」の叫びに高市首相「今、日本は戦争をやっておりません」 こちら
各社が配信した、式典後の高市氏のぶらさがり会見の動画によると、終了間際に記者が式典中の「たくさんの市民の声」への所感を質問。高市氏は次のように応じた。

「私自身が喋っているので、その声自体がはっきりと何をおっしゃっているのか聞こえたわけではないが、もしも今、望月さん(編注:質問したのは東京新聞の望月衣塑子記者)がおっしゃったように、『戦争反対』ですか?『戦争やめろ』?(望月記者からの答えを受ける形で)『憲法守れ』。もちろん私たちは閣僚も内閣総理大臣も国会議議員も憲法順守義務を負っている。それから『戦争をやめろ』って、今、日本は戦争をやっておりません。平和国家としての歩みを戦後ずっと続けてきたというのが日本国の誇りだ。その上で、平和を守るために、国民の皆様の命を守るために、防衛力はしっかりと自主的に強化したいと考えている」

関連サイト:国民・玉木代表「国会でうそをついているかどうかが問題」「陳述書はよくない」高市首相対応に こちら
高市首相は22日の衆参両院の予算委員会集中審議で、中道改革連合や立憲民主党にこの問題の細かい内容を質問された際、「総理としての業務時間も確保できなくなってきている」「この土曜も日曜もたくさんの資料を持ち帰って読み、本当に金曜日の夜から今朝まで、ほとんど睡眠もとっていません」などと持論を展開。「陳述書」を国会に提出することで答弁に代えることを「心からお願いします」と述べ、国会での「答弁拒否」とも取れる異例の対応に出た。暗号資産「サナエトークン」についても同様に、相手企業からの提案書を提出すると訴えたが、野党側は反発。与党が過半数を持たない参議院での今後の審議への影響が、懸念され始めている。

・・・・追記 0711


いっぽう薄井氏は、高市氏をめぐる疑惑などは問題視していなかったといい、「本当に初女性総理ということだけで、もう私はそれだけでよかったんですよ。恐らく、この人だったら何かが変わるでしょうと思って」と振り返った。続けて「本当のリーダーだったら、ルール変えて欲しいなと思ったんですよ」と述べ、「でも結局、何にもルール変えてなくて、そのまま現状維持してるんですよね」とガッカリしたという。

それだけならまだ許容できたというが、「国会答弁で“私はもう寝る暇もない”とかね、そういうことを言っておきながら、ああいうジュエリーアワードに出るっていうのは、私はやっぱりそれはないなと思って」とバッサリ。国会が空転しているたこともあり、「リーダーのリスクマネジメントとしてはね、これも最悪だと思った」と批判していた。

高市氏が4日に都内で開催された「第37回 日本ジュエリー ベストドレッサー賞」表彰式に登壇したことは、他のゲストも快く感じていなかったようだ。

河崎氏は「ジュエリー賞出たのはめちゃくちゃ悪手でしたね」と述べ、あおちゃんぺも「あれを見て、この人は総理大臣になりたいんじゃなくて、芸能人になりたかった女なんじゃないかなっていう風に思いましたね」とバッサリ。

あおちゃんぺは「本当に政治をやって日本を変えたいって言うんだったら、あの当選した時の威勢はどうしたって感じだし」とも述べ、こう落胆していた。

「最初は結構批判とかあったけど、でも女性が初めて(首相に)なったんだから、何か変わるに違いないって思って。それが変わるのを見てから批判しようと思ったんですけど、ちょっと期待外れだなっていう感じですね」

するとここで、河崎氏が「これだけ女の人たちが失望してるにもかかわらず、決して支持率は下がらないっていうのは何なんですかね」と疑問視。

山崎は高市氏が国会などに出席する回数が少ないことなどを挙げて、「物議を醸すようなことがあって、うやむやにされてきたっていうことの重なりだとは思っているんです」と前置き。その上で、「シンシアさんみたいに『これは目をつむる、これは目をつむる』っていう風に何回もやってきた人たちが、『もう我慢できないよね』っていう風になってきたのが今の現状なのかなと思っていて」と、見解を述べていた。
引用サイト: こちら

関連サイト:「不愉快通り越して吐き気」 高市首相《2600万円ジュエリー装着》に批判殺到…満面の笑みに抱いた"期待違反"という感情  宮本 文幸 の意見
こちら
《国会で質問相手をにらみつけるような顔と、この表彰式や海外での満面の笑みと独特の視線は受け入れがたい。このような二面性を見せつけられ、その都度変わっていく発言を耳にすると、およそ我が国のリーダーとしての信頼感など持てない》

このコメントは、他の多くのコメントとは質的に異なっている。

「今このタイミングで出席したこと」ではなく、「国会での険しい表情」と「授賞式での満面の笑み」という、同一人物が状況ごとに使い分けている“2つの顔”そのものに焦点を当てているのだ。

他にも、高市首相が過去に「米連邦議会立法調査官」の肩書を使用していたことについての経歴詐称疑惑と結びつけて、「疑惑を晴らさないまま輝くべきではない」とする声も一定数見られた。

これらの書き込みから、国民が求めている顔ではない、「別の顔」を見せたこと、そして「表情の使い分け」をしていることへの違和感が批判を招いていることがわかる。以下、複数の理論を重ねながら、この現象を解き明かしていきたい。

「表情の使い分け」が強い不信感を生む理由
私たちは、他者の表情に対して無意識のうちに「一貫性」を期待している。人は社会的な状況ごとに、「見せてよい感情」と「隠すべき感情」についての暗黙のルール、いわゆる「表示規則」を学習し、他者にもそれを当てはめて評価しているという(※2)。

普段はこの規則を意識することはない。しかし、同じ人物が「国会での険しい表情」と「授賞式での満面の笑み」という、あまりに振れ幅の大きい2つの顔を、短い期間のうちに見せると話は変わってくる。

私たちの脳は、その落差を「規則にのっとった自然な切り替え」ではなく、「本音を隠すための使い分け」として処理してしまう。表情そのものは、どちらも嘘ではないかもしれない。しかし「切り替えの速さ・落差の大きさ」自体が、見る側には“作為の証拠”として映るのだ。
・・・・
「期待違反理論」によれば、人は他者に対して、無意識のうちに「その人が置かれている状況にふさわしい振る舞い・見た目」を期待している(※3)。

国会審議が空転し、疑惑への説明責任が問われている最中の首相には、私たちは知らぬ間に「神妙さ」「地味さ」「緊張感」を期待してしまう。そこにきらびやかな受賞シーンが差し込まれると、期待と現実のギャップそのものが不快感・不信感として立ち上がる。

「表情の使い分け」という現象は、この「状況と見た目の不一致」という、より広い法則の中の、最も生々しい一例なのである。

なぜこの“ズレ”はこれほど強く記憶に残り、拡散されるのか。

「ネガティビティ効果」によると、人は日常の一貫した行動よりも、期待から逸脱した情報に対して強く注意を向け、記憶にとどめる性質を持つ(※4)。

国会での変わり映えしないスーツ姿の首相は記事にならないが、「疑惑対応中のきらびやかな1枚」は、そのギャップの大きさゆえに一気にニュースとして拡散する。皮肉なことに、望んでいなかったはずのこの構図が、結果として最も人の目を引く“絵”になってしまう。
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「認知的不協和」という考え方によれば、人は自分の中に矛盾する認知(例えば「今は疑惑対応で神妙にすべきだ」という自覚と、「受賞式に出たい」という欲求)を同時に抱えると、強い不快感を覚え、それを解消するための説明を無意識に作り出す(※5)。

今回の「ジュエリーの輝きのように、日本の未来は明るい」という発言も、見方によっては、この矛盾を埋めるための高市首相なりの意味づけだったのかもしれない。

こうした「状況と見た目・表情の一致が信頼を左右する」という原則は、政治家に限った話ではない。危機の最中にある人物にとって、表情や装いの選択は、確かに個人の自由ではあるが、「信頼」という資産そのものを左右するリスク管理の一部なのである。

企業の危機管理コミュニケーションの研究でも、不祥事対応中の企業トップが、事態の深刻さと不釣り合いに明るい表情だったり、華美な場に姿を現したりすると、対応の中身の適切さとは無関係に、それだけで世間の不信感が増幅することが指摘されている(※6)。

実際、製品の大規模な回収や謝罪会見が続くさなかに、経営陣が懇親会やゴルフ場で笑顔を見せる様子がSNSに流出し、かえって批判の火に油を注ぐという構図は、国内外の企業不祥事で繰り返し観察されてきたパターンでもある。

誠実に向き合っているかどうかが、無意識のうちににじみ出てしまう
もちろん、今回の受賞の是非や、一連の政治的な経緯そのものの是非を論じることは、本稿の目的ではない。ここで確認したいのは、あくまで「同じ人物の異なる顔を目撃したときや、状況と見た目が一致しないとき、人はなぜここまで強く反応してしまうのか」ということを科学的に分析したまでである。

表情や見た目は、私たちが思う以上に、状況を語る言葉なのである。だからこそ、どんな顔を、どの場面で見せるかという選択には、想像以上に重い意味が宿る。

それは取り繕う技術の話ではなく、自分が置かれている状況と誠実に向き合っているかどうかが、無意識のうちににじみ出てしまう、という話なのだ。





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Last updated  2026.07.11 07:58:27
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