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はあ~。昨年の夏から書き始めた論文を、ようやく書き上げましたわ。ページ数にしたら50頁くらいの長いものになってしまいましたが。 論文のアイディアを書きつけたアイディア・メモはA4でたった1枚。たった1枚だよ! その1枚分のアイディアを論文にしたら50頁になったって、一体どういうことだよ! 普通はアイディア・メモをフローチャートに直してから書き始めるのだけど、話の中身があまりにも複雑で、フローチャートにできなかったんだよね。で、仕方なくフローチャートなしで、出たとこ勝負で書き始めたんだけど、予想通り、難航につぐ難航。苦労したわ・・・。 で、半年くらい掛かってようやく書き上げた次第。 しかも同時進行で別な論文も今日書き上げたっていう。こちらもページ数に直したら30頁かな。そこそこ長い。 で、この別々に書いた論文、テーマもまったく異なるんだけど、両方読むと双方に対する理解が深まるように書いてあるの。こんな書き方、私のような天才じゃなきゃ書けないわ~。 ま、両方まとめて本にするから、そういうことを計算に入れて書いているんだけれども。 とはいえ、書き上げたのは本文だけで、まだ註をつけてないの。これからつけなきゃ。これがまたね、一苦労なのよ。だけど、本文が書きあがっていれば、完成までの見通しがあるからね。気分的には楽。 ということで、執筆期間が長かった分、辛かった論文作成にめどがついて、今日はちょっと気分が楽になったワタクシなのであります。
January 31, 2021
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またまた文科省が愚かなことをし始めましたよ・・・。コロナにかかった大学生に、その報告をさせろ、というお達しが大学に届いたんですと。 そんな報告、いちいち学生にさせて、それ本当に読むの? 形式的に報告させるだけでしょ? しかも、一方では「対面授業やれやれ」って。対面授業をやるプレッシャーかけておきながら、コロナにかかった学生が出たら報告させろって・・・。どういうことなんだろうね・・・。 結局、ワクチンが出回るのがコロナ対策の決め手なんだから、国としてはまずワクチン接種を滞りなく実施して、大学の対面授業復活はそれからでしょ。それが終わらないうち、つまり渦中の只中でいちいち報告なんかさせてどうすんだよ・・・。 本当に頓珍漢なお役所だよね、文科省って。
January 30, 2021
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今日はいよいよ家内の新愛車、ポロが来る日・・・なんですが、そう簡単には行きません。なにしろ、陸運局に行って、持ち主が変わる手続きをしなければならないので。 新車にしろ、中古車にしろ、ディーラーで買うのだったら苦労しないんですけど、今回は義兄からクルマをもらうのですから、個人で陸運局に行って手続きをしなくてはならないわけ。で、そういうお役所の書類を書くのが大の苦手のワタクシにとって、この種の手続きは拷問に近い・・・。 で、実際に拷問でした。 こういう書類書くの、わけない人も居るのでしょうけれども、私にとっては完璧にチンプンカンプン。そのために、色々書類に不備があったりして、まあ、あちこちの窓口に行かされて。結局、無事に新しいナンバープレートと車検証を取るのに4時間もかかったという。 はあ~。こういうの、二度とやりたくない~! でも、まあ、そんなこんなで、一応、真紅のポロちゃんが我が家にやってきたと。昨日まで緑色のデミオが居た駐車場に、今日は赤いポロちゃんが入ったのを見ると、ちょっとホッとします。 とはいえ、このクルマ、近々車検も取らなくてはならないんだよな・・・。はあ~・・・。 でもまあ、とにかく、人生で一度は乗っておきたいと思っていたフォルクスワーゲンのクルマに乗れるんだから、そのくらい、我慢しなくちゃ。 ということで、これからしばらく、ポロちゃんが我が家のセカンド・カー。せいぜい、可愛がることにいたしましょうかね。
January 29, 2021
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義兄からフォルクスワーゲン・ポロをもらい受けることになったもので、家内の愛車、マツダ・デミオを売ることになりまして。 で、中古車買い取り業者を何軒か回ったのですが、「クルマを売るなら〇ッ〇モーター」とか、そういうところではもう「お話しになりません。はい、査定ゼロ」と門前払いみたいな感じでしたけど、「アップル」では、同じく査定ゼロではあったものの、「可能な限り勉強します」と言って1万5千円の提示をしてくれまして。 業者的には査定ゼロなんだろうけど、こちらとしてはまだまだ走れる愛車を手放すわけだからねえ。そこはそういうオーナーの気持ちを汲んでくれるところに売りたいじゃない? だから、我々はもちろん、アップルで売ることにしました。 ネットで調べると、中古車買い取り業者の中でもアップルの評判は1位ですが、確かに分かるね、それ。私も声を大にして言おう。クルマを売るなら、断然「アップル」だ! とまあ、そんなわけで、5年間乗ったデミオとお別れしてきたんですけど、今回のポロへのスイッチは、別にデミオに咎があったわけではないので、なんとなく申し訳ないような気がしちゃってね。あちこち壊れるようになって、「そろそろ替え時かな・・・」という感じだったのなら、アレなんですけど、今回はそういうわけじゃないからね。 だから、何となく不憫で。「ドナドナ、ドーナー、ドーナー――」ですよ。あー、行っちゃった・・・みたいな。 まあ、デミオちゃんは、日本市場は無理かもしれないけど、ロシアか中東か東南アジアか、どこか遠い外国で次の人生を生きることになるのかも知れません。そうだったら、いいな。またどこかで人の役にたっておくれ・・・。達者でなぁ・・・・。
January 28, 2021
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這えば立て、立てば歩めの親心とはよく言ったもので。その気持ちはわかるなあ~。 それと同じで、英語教則本を書けば早く出版されないかな~と思い、出版されれば早く書店に並ばないかな~と思い、書店に並べば早く誰か書評してくれないかな~と思い・・・と、思いは先へ先へと足早に進みます。 で、私の場合、とりあえず出版されたし、アマゾンなどでの販売も始まったので、さて、そろそろ一般書店にも並ばないかなと。 で、今日、大学からの帰りに某書店に寄ってみたのですが・・・うーん残念! まだ配架されておりませんでした。気が早すぎたか・・・。 しかし。 結構大きい書店の「語学書コーナー」に行ってみたところ、あるわあるわ、色々な種類の英語教則本がずらりと並んでいる。それも、いかにも「この本読めば英語ペラペラになれそう」なタイトルが並んでいるのよ。 はあ~・・・。ライバル大杉栄。 もちろん、これらのどれと比べても私の書いたものがひときわ優れているのは私にはよく分かっているんですが、一般の人には分からないもんね! そこにある語学書のどれをとっても客の気を惹くような魅力的なタイトルばかりなんだもん。これじゃ、新規参入したって埋もれてしまう・・・。 その刹那、私の脳裏にサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」っていう曲が流れました。 この曲の中で、ある若者が一攫千金を狙って田舎からグレーハウンド・バスに乗って大都会ニューヨークを目指すのですが、いよいよバスがマンハッタンに入る手前、ニュージャージー・ターンパイクのところで、その若者が絶望するのね。 なぜなら、片側何車線という広い高速道路にわんさかクルマが走っていて、そのクルマ一台一台に、自分と同じように一旗揚げようとニューヨークを目指す若者たちが乗っていたから。こんなに沢山ライバルがいる中で、自分に一頭地抜くだけの力があるだろうか・・・と、絶望するわけ。 その若者の気分。 今まさに私の本は、一般書店の書棚の一歩手前のニュージャージー・タンパイクらへんだと思いますが、その本に明るい未来がありますよう、類書に埋もれませんよう、親としてただ祈るしかないですね・・・。これ・・・がその本だとは言ってませんけれども・・・ ↓基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 / 尾崎俊介 【本】
January 27, 2021
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いやあ、日本国民にとって明治維新以来、待ちに待った日がやって参りました。画期的な英語教則本が今日から発売されることになりました! いや~、めでたい! やんや、やんや! わかちこ! わかちこ!これこれ! ↓基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ] 著者のことは私はまったく存じ上げないんですけど、英語教則本として、まあ、よく出来た本で。表紙の忍者もカワイイし! 従来の英語教則本なんて、いくら易しく書いてあると言っても、その易しさは、いわば雲をつかむような易しさであって、結局、何をどう勉強すればいいかなんてわからないものばっかりじゃないですか。 ところが、この本には、ちゃんと方法論が書いてある。こうして、こうして、こうしなさいってところまでちゃんと書いてあるからね。具体的にね。 例えば、数学に「公式」ってあるじゃないですか。公式にぶち込めば、とりあえず解が出るっていう。 この本は、まさに、英語に「公式」を持ち込んだようなもんですよ。誰であれ、その公式通りにやれば英語が出てくるっていう。 その意味で、実に実に、画期的な本ですよ。 英語習得に挫折してきた人には、まさにうってつけの本。この本読んで、それでも英語の何たるかが分からなかったら、もう英語と縁を切った方がいい。そのくらい、よく書けた本よ~。 っつーことで、楽天だろうとアマゾンだろうとブック1st だろうと、どこでもいいですけど、はい、買う! さっさと買う! 後悔はさせませんぞ~。はい、ポチってね。 いや、別に、皆さんが買ったからって、私の得になるとか、そんなことは・・・ねえ。私は著者のことなんか全然知らないし。これこれ! ↓【28日1:59まで1000円OFFクーポン有】基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 〈動詞〉発想から〈名詞〉発想に頭を切り替える目からウロコの学習法/尾崎俊介/小泉直【3000円以上送料無料】
January 26, 2021
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このところずっと論文書きに集中していたもので、少し気分晴らしがしたいなと思い、たまたま年休をとっていた今日、家からクルマで小一時間のところにある豊田スタジアムの駐車場で開催されていた「全国大陶器市」に行ってみました。これこれ! ↓全国大陶器市 日本全国の陶器の産地から出店している大規模な陶器市で、焼き物好きな我ら夫婦としては、ウハウハもののイベントでございます。 で、3列の長いテントの中に展示された全国各地の陶器を見ていくと、それぞれの窯の特長があって非常に面白い。例えば金沢の九谷焼は多色の色使いといい模様といい独特だし、織部の緑も目に鮮やか。波佐見焼というのは割とモダンで、有田焼は昭和の匂いのする瀬戸物っぽい。 で、一旦全部の出店を見て回ってから、もう一度気になる店に戻って吟味し、結局、手書きで可愛い唐辛子が描かれている長楕円の長皿1枚、同じく手書きの模様が描かれた菓子皿3枚、それにマットな青の小ぶりな器(家内に言わせると「もずくを入れたらいいのではない?」とのこと)を2つ、それに銀箔の模様がついた箸を2膳、併せて1万円分くらい買っちゃった。ま、店のおっちゃんに可愛いレモンの絵が描かれた器を一つ、おまけにつけてもらったのもご愛敬で。 ということで、気に入った器を手に入れられたこともさることながら、しばしパソコンの前から離れられたことも、いい収穫になりました。それに、もうすぐお別れすることになるマツダ・デミオの、いわばラスト・ドライブでもあったものでね。いい記念になりました。 このイベント、今月末までやっているようですから、お近くの方は是非!
January 25, 2021
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毎年この時期、ゼミ生の卒論の面倒を見終わった段階で、自分自身の論文の面倒を見ております。 で、今年は2本の論文を書いているんですけど、1本は昨年の夏に書き始めてまだ書き終わらないという奴。分量的にも大分長くなってしまって、ページ数で言っても50頁くらいになってしまうのではないかと。今のところ8割5分くらい完成している感じ。 もう1本は12月くらいに書き始めた奴で、これはほぼ9割5分完成したところ。 っつーことで、今はこの9割5分の方をとにかく終わらせちまおうってことで、一日ずっと取り組んでおりました。 私の場合、パソコン上で書き終わった段階で、今度は「読み上げ」っていう作業に入ります。一旦、論文を紙に打ち出して、それを声に出して読むのね。そうすると、文字面ではいいように見えても、音声として読むとダメ、という箇所が必ず出てくる。出てくるどころじゃなくて、そんな箇所ばっかり。それを片端から直していくという感じになります。この作業が、やっぱり4~5日かかるかな。これが終わってようやく完成。 で、こちらの方はそろそろ読み上げ段階に入れそうなので、ちょっと一安心。1月末までには終わるでしょう。 で、それが終わったら、今度は夏から書いている奴を書き上げる作業に入ります。2月はこれで終わるな。 でも、まあ、一年で2本の論文ってのは、私としてはまあ上出来ですよ。今年度はこの他に、英語教則本を出版まで持って行ったからね。 そうそう、その英語教則本の発売日も大分近づいてきました。28日だったかな? これはこれで楽しみなんだよね! 市場の評判がすごく気になる。もし評判が良ければ、第二段、第三段のお呼びがかかるかもしれないし。 ということで、まだまだ当分は自分の仕事に追いまくられそうなワタクシなのでございます。
January 24, 2021
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ガル・ガドット主演の『ワンダーウーマン1984』を観てきましたので、心覚えをつけておきましょう。以下、ネタバレ注意です。 2017年に公開された前作は、第1次世界大戦時の話であったわけですけれども、本作はその時から60年以上後の話。 60年以上経ったとはいえ、ワンダーウーマンことダイアナは女神さまの末裔ですから全然歳をとらず、相変わらずお美しいまま、今はアメリカのスミソニアン博物館に勤務しつつ、スパイダーマン的な立場で身の回りで起こる事件の解決に勤しんでいるわけ。しかし前作で恋人スティーブを失って以後、他に愛する人も出来ず、ひっそりと寂しい生活をしているんですな。 そんな時、スミソニアン博物館にやばいブツが持ち込まれます。それはある種の石なんですが、それに触れながら何事かを願うと、瞬時にそれが叶ってしまうというパワーを秘めた石なわけ。ただ願いは一回しか叶えられず、しかも、どうやら願いが叶うのと同時に、自分が既に持っていた重要な力を一つ失うという副作用もあるらしい。 で、その石を狙っているのが、マックス・ロードという実業家。マックスは一応、苦労人の石油会社のオーナー社長なんですが、頼みにしていた油田開発がうまく行かず破産寸前。で、このパワーストーンの力を借りて、一発逆転を狙っていると。 で、マックスは首尾よく石を手に入れます。 しかし、ここがマックスの賢いところなんですが、その石に向かって「油田を掘り当てさせてくれ」とか、そういう月並みな願はかけないんですな。そうではなくて、「私はお前(石)になりたい」と願うわけ。つまり、彼自身が、触れる者の願いを叶える力をもった人間になろうとしたわけ。 つまり、自分で石に願をかけたら、一度しか通用しませんが、自分自身が石のパワーを身につければ、他人の願を叶える力を持てる。そうやっておいて、他人にマックス自身に都合のいい願をかけるよう誘導すれば、何度でも自分の望みが叶えられると、そう計算したんですな。 で、まんまと石のパワーを我が物としたマックスは、欲望の命ずるままにどんどん願いを叶え、アメリカ大統領まで自分の意のままに操るほどになってしまう。しかも、全世界の人々の願いもどんどん叶えてしまうようになり、世界は人間の欲望のるつぼとなってしまうんですな。 さて、世界中の人間が、好き勝手に自分の願望を実現していく、そんな欲望ワンダーランドとなってしまった世界を、果たしてワンダーウーマンは救えるのか? どうやって?? …というようなお話し。前作と比べたら・・・ワタクシは前作の方が好きですが、今回の作品も150分の長丁場を感じさせないほど、楽しむことができました。 だーけーど。 話はここからだよ! この作品のキモは、「人間が願うことがすべて実現してしまう世界の悪夢」を描いているところにあるわけですが、これって、つまり、引き寄せ系自己啓発思想に対する強烈な批判になっているわけですよ。引き寄せ系自己啓発思想というのは、「人間が強く願うことはすべて実現する」という思想なんですから。 となると、自己啓発思想研究をしているワタクシ的には、聞き捨てならんわけね。 アメリカってのは、とにかく自由の国、チャンスの国で、無一物の出自から始めても、己の才覚とチャンス一つで成り上がり、おお金持ちになれる国というのが売りだったんですな。それがアメリカン・ドリーム・オブ・サクセスという奴で。 ただし、成功の可能性があれば、失敗の可能性もある。アメリカン・ドリームを夢見てアメリカにやってきても、結局成功できずに社会の底辺を蠢くことになる奴もいる。しかし、そういう失敗者のことはとりあえず無視して、ひたすら成功した連中のことを讃え、「ああなりたい」と人々に思わせて移民を惹きつける――これがアメリカのパワーの源であったわけですよ。 だから、「アメリカでは、成功しようと強く願いさえすれば、その願いは叶えられる」というのが、いわばアメリカの国是であったんですな。だからこそ、この国から「自己啓発思想」というものが生まれるのであって。 だけど、今回の『ワンダーウーマン1984』は、そういうアメリカ的価値観を否定したわけよ。そういうやり方だと、世界は混乱するよと。誰もが皆、好き勝手に自己実現なんかしてたら、世界はとんでもないところになっちまうよと。 別な言い方をするならば、「共和党のやり方じゃダメだよ、民主党のやり方で調整しないと」ってことなわけですよ。 あ! ・・・そういうことね。大統領が共和党から民主党に代わるタイミングでこの映画を出す意味ってのは、そういうことね。 だけどさあ・・・。 皮相だね! 自己啓発思想を批判するのはいいけど、批判の仕方が皮相的過ぎる。自己啓発思想ってのは、人間の欲望をフリーに発揮するのを容認する、というような単純なものじゃないよ。 ま、単純に解釈して、単純に答えを出すのがハリウッドだ、と言われたら、それはそうかも知れないけれども。 っつーことで、本作を楽しみながら、アメリカ社会が今、アメリカ本来の価値観を否定する方向に舵を切りつつあるなということを(若干の不安と共に)肌身で感じていたワタクシなのでございます。
January 23, 2021
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なんとなく心ソソル表紙と、夏葉社が出版元だということに惹かれて『ブックオフ大学ぶらぶら学部』なる本を読んでしまいましたので、若干の感想を。これこれ! ↓ブックオフ大学ぶらぶら学部 本書はいずれもブックオフに思い入れのあるライターたちが分担執筆しているんですけど、その顔ぶれはというと、武田砂鉄さん、山下賢二さん、小国貴司さん、Zさん、佐藤晋さん、馬場幸治さん、島田潤一郎さん、大石トロンボさんの8名。この8名がそれぞれの立場からブックオフの魅力を語るというのが本書の趣向。 私の好みから言うと、佐藤晋さんのパートは、なんだか本書の趣旨に沿ってない感じがしましたけど、まあ、軽く読めて面白かったです。特にZさんのパートは、ブックオフという業界の異端児の登場・発展の経緯を「せどらー」の立場から分かりやすく分析してあって、これを読むとブックオフの何が新しく、何が批判され、何が評価されたのか、といったことがよくわかる。 まあね、ブックオフというのは、古本界の・・・っていうか、広く書店界の鬼子みたいなところがありましてね。新刊書店からも古書店からも毛嫌いされているようなところがある。しかし、個々の本の、本としての価値のあるなしには目もくれず、ただ外見がきれいであることだけを条件に定価の半額とか、それこそ100円とかで販売するブックオフのやり方は、本の販売方法としてはきわめて斬新であったわけですな。 で、ブックオフが成功したということは、要するに新刊書が高すぎるということの裏返しであるわけですよ。本が売れない売れないといいながら、もしそれが半額だったら、あるいは100円だったら、やっぱり人は本を買うのであって。 一方、従来の古書店は、「価値ある本は、いくら古いモノであれ、また見た目が汚いモノであれ、高い値付けで流通させる意味がある」と主張し、そのように商売してきたわけですけれども、ブックオフはそういう価値観も完全に無視した。そのために、古参の古書店からブックオフは「本の価値も分からない連中」と罵られることにはなりました。しかし、従来の古書店に行けば確かに価値のある本は置いてあるけれども、値段もそれに見合って高い。しかしブックオフに行けば、価値のある本がそれこそバカみたいな値段で売っている可能性があるのですから、古書マニアからすればむしろブックオフの方が面白味があるということにもなる。古書店は古本の価値ということに重きを置きすぎて、ブックオフに顧客を取られてしまったわけですな。 とまあ、ブックオフは本の販売業に革命を起こし、その分、嫌われることになったわけですけれども、しかし、本を買う側はそんなこと関係ないですから、単純にブックオフは楽しい遊び場だ、ということになる。 で、本書は、そんな「ブックオフは俺たちの遊び場だ」と思っている連中が、業界への忖度もへったくれもなく、ブックオフを称揚している本であると。 従来のブックオフに関する本が、ブックオフに対して批判的であったのと比べると、本書のブックオフびいきぶりは特筆もの。そういう意味でも、面白い本ではあります。 とはいえ、それほど深いブックオフ文化論がそこにあるわけではないので、あくまでもお気楽に楽しめばいい本ですな。 でも、これを読んでいたら、またブックオフに行きたくなってきちゃった。ただでさえ本で埋まっている我が家としては、これ以上本を買っても仕方がないんですけどね!
January 22, 2021
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最近、学生から送られてくるメールの冒頭に「お疲れ様です」と書いてあることが多くなりまして。 それ、私としてはかーなーりー違和感があるんだよね! なんでワタクシが学生から「お疲れ様」って言われなきゃいかんの? ワシ、そんなに疲れているように見えるのかな? いやいや、そういう話ではなくて。 とにかく、同じ大学に勤める同僚に言われるのなら分かるけど、学生に「お疲れ様です」って言われたくないよね。 で、なんで「お疲れ様」なのか、考えたんだけど、ひょっとしてアレじゃない? 大学教授のことを、バイト先の店長かなんかだと思っているんじゃないかしら? 学生からしたら、敬語を使わなくてはならない唯一の身近な大人って、バイト先の店長なんじゃね? それで店長さんに「お疲れ様です」というのが口癖みたいになっていて、私に対してもそう言うんじゃないかと。 ま、バイトの立場からすれば、店長は同僚だから、「お疲れ様」もいいよ。だけど、仮にも教えを乞う相手に対して「お疲れ様」はないよね。 そういう言葉遣いって、教わらないのかね。っていうか、親は教えないのかね。親も教えるチャンスないのか。 かつて「聖職」と呼ばれた教師稼業も、教え子から「お疲れ様」って言われるようになっちゃ、もうおしまいだね。
January 21, 2021
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昨年からツボ押しの勉強をしているんですけど、そう言えば家のどこかに昔買った「足つぼボード」があったよなと思い出しまして。 で、そいつを引っ張り出してきて、勉強の合間に踏んでいるんですけど、これがね、結構いいのよ。 もちろん相当痛いのですけれども、それを我慢して1分弱くらいかな、うひょーーとか言いながらその上に立つと、その後、なんだか足からじんわりと温かくなってくる。足から血行が良くなってくる感じ。だから最近は、一日に1回と言わず、2回、3回と足つぼボードを踏んでおります。 でまた、特に疲れている時とか、その痛みの刺激とじんわりした温かみによって、疲れが改善するんですよ。これ、マジで。 私が持っているのは、100均で買った安い奴なんですけど、それで十分よ。両足だと200円か。でも、200円でこれだけの効果があるなら、御の字だよね! 足には、様々な臓器に連なるツボがあるって言うじゃない? それを自分自身の体重で刺激することで健康になれるなら、試してみない手はない。教授の熱烈おすすめ!です。こういう感じの奴。100均とかで売ってます! ↓代謝改善 血行促進 健康足つぼボード シニア コロコロ リラク つぼ
January 20, 2021
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先日行われた大学入学共通テストで、マスクから鼻を出していた廉でお縄頂戴となった「鼻出しマスク男」、各方面をざわつかせております。 一つは茂木健一郎氏による「マスク男擁護論」ね。第一報で擁護して、詳細が明らかになった後にもう一回擁護して、世間に叩かれているという。 これに関しては、私が思うに、茂木健一郎氏の方が分が悪いね。いくら「その人の自由」と言っても、迷惑ユーチューバーのごとき振る舞いが容認されるとも思えず。しかも、そのために迷惑をこうむるのは、このテストに一生を賭けている他の受験生たちだからね。 前にこのブログで茂木健一郎氏のご著書の読後感を述べた時に、その著書から伺える茂木氏の異様な幼稚さを指摘したことがありますが、今回の氏の擁護論を見ていると、ああ、やっぱり幼稚な人だなという感を受けますな。 ま、でも、そんな幼稚な擁護論はどうでもいいんだよ! それとはまったく別な観点で、私は今回の「事件」に感銘を受けておるのでございます。私は、っていうか、日本のアメリカ文学者なら、おそらく同じ思いを抱いたのではないかと。 どう言うことかっつーと、この「鼻出しマスク男」、アメリカ文学を代表するある作家の、非常に有名な短編を思い出させるところがあるのよ。 それはですね、『白鯨』を書いたことで知られる19世紀アメリカ文学の巨人、ハーマン・メルヴィルの「バートルビー」という短編でございます。 バートルビーはね、元々得体の知れない人として登場し、さる法律事務所に就職し、筆耕を勤めることになるんですな。で、最初はそれなりに仕事するんですけど、ある時からパタッと仕事をしなくなる。で、所長さんから「仕事してよ」と言われるんですけど、「ボク、そうしない方がいいんですが」と言って断るわけ。 で、困った所長さんは、「仕事してもらわないと、ここにはいられないよ」とか言うのですけど、バートルビーは「ボクはここから追い出されない方がいいんですが」とかって言って、あくまでも所長の提案を拒絶する。 で、その拒絶するバートルビーの口癖が「I would prefer not to.」なんですね。「ボク、できればそうしない方がいいんです」という。 この断わり方がすごくて、「絶対やりたくない」と明確に断っているのではなく、かといって仕事を引き受けるのでもなく、ただ「どちらかというと、そうしない方がいい」と言っているわけ。 つまり、前にも進まない、後ろにも進まないっていう。どちらも拒否するのだけど、しかし断固として拒否しているわけでもない。妙な断り方なのよ。 で、結局、バートルビーは官憲によって逮捕され、牢屋に入れられるのですが、そこでも「そうしない方がいい」と言い続けて、最終的には死んでしまう。 死後、バートルビーが法律事務所に来る前、郵便局の「デッド・レター」係を勤めていたが判明するのね。デッド・レターというのは、配達不能かつ差し戻し不能の、宙ぶらりんになってしまった手紙のこと。バートルビーは、来る日も来る日も、この配達不能手紙を処分していたわけ。処分した手紙の中には、死刑の差し止めを命じた命令書とか、求婚の手紙とか、そういうのもあって、それが宙ぶらりんになったために、人の一生を左右してしまったかもしれないものも数多く含まれていた。そういうものに日々接しながらバートルビーは暮らしていたんですな。そしてその仕事に絶望したのか、ついに自分自身が配達不能になってしまったと。 さて、この「バートルビー」を踏まえて、今回の鼻出し男の言動を見るに、彼は「その指示には従いたくない」と繰り返し言い続け、マスクの正しい着用を拒み、別室で受験することを拒み、失格処分を受けることを拒み、さらに立てこもったトイレから出ることを拒み、最終的には官憲によって逮捕されたと。 は、はーーーん。なるほど、そうか。この鼻出し男は「バートルビー」を演じていたんだ! ワタクシにはピーンと来ましたね。 21世紀の日本に、ついにバートルビー登場! だからこの事件はね、非常にアメリカ文学的なのよ~。ちょっと感銘を受けるでしょ? え、受けない? 感銘は受けた方がいいんですが・・・。これこれ! ↓書記バートルビー/漂流船 (光文社古典新訳文庫) [ ハーマン・メルヴィル ]
January 19, 2021
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今、ミスドで「ピエール・マルコリーニ監修」のドーナツ売ってるじゃん? あれ、買いたいんだけど、買えないねえ・・・。お昼ごろ、ミスドに行ってみたのだけど、既に売り切れておりました。 同僚にミスド仲間がいて、いつもミスドの新作が出ると、「アレ食べた?」っていう話題になるのですが、先日聞いたら、その人もまだ買えていないのだとか。 やっぱりアレかね。ドーナツなんてのは、むしろテイクアウトが似合うものなのであって、今のこの状況からすると、余計に人が集まって、売れ筋のものはすぐ売り切れちゃうのかね。 ちなみに昨年はピエール・エルメ監修のミスドが出たけど・・・ワタクシ的にはイマイチだったかな。むしろ鎧塚監修モノの方が良かったような。 っていうか、総合力から言うと、ミスド・オリジナルが一番、飽きないんじゃないかっつー話になるんですけれども。 しかし、やっぱりそこは日本人というか、私も新しモノ好きなところがありまして。とりあえず新作は試してみたい派なのよ。 さて、マルコリーニ・ミスドが食べられるのは、いつの日になることやら。ま、折を見て、また狙ってみましょうかね。
January 18, 2021
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何が、とは言いませんが、年一の二日に亘って大勢の若者が参加するイベントが終わった~! もうね、年々しんどくなる。新年始まって、この仕事が終わるまではなーーんとなく気が重くてね。だから、「これが終わったら、〇〇しよう」という計画ばかり練って、辛さを紛らわせていたの。 で、今日、それが終わったから、これでようやく、楽しみにしていた計画を次々と実行に移せる~! よーし、静岡県までドライブして、「さわやか」でハンバーグ食おうっと! ・・・ええっ! 非常事態宣言で他県への移動はご法度??!! そ、そうか・・・。 じゃあ、『ワンダーウーマン』でも観に行こうっと! ・・・ええっ! 家の近くにある3つの映画館のうち、2つは午前中の早い時間で現実味がなく、残る1つは夕方からだけど、夜に終わる頃にはレストラン街が閉まるの??!! うっそーーん。楽しみにしてたことが、全然実行できないじゃーーん。 ひょえーーー。せっかく辛いイベントを終えたのに・・・。 コロナの野郎っ!!
January 17, 2021
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ハンドクリームって、塗ります? 私は子供の頃から冬になると手が荒れてね。もう恐竜の肌っていうか、ウロコみたいにガッサガサになるのよ。だけど、手がべとべとするのが嫌いなので、ハンドクリームを塗るのも嫌いなの。で、保湿しないからさらにガッサガサの悪循環。 ところが、先日、スーパーのレジ付近に置いてあって、つい家内が買ってしまった「アトリックス・ビューティーチャージ」というハンドクリームを借りて使ってみたら、まあ、ビックリよ。 何がビックリって、あーた、ひと塗りでウソのようにガッサガサが治り、若々しい20代のような手になるの! これ、マジだから。別にアトリックスから菓子折りとかもらってないから。 ほんとに、嘘のように一瞬で若返るのよ。こんなに効果のあるハンドクリームって見たことなかったわ~。 しかもね、私たちが買った奴は、匂いが「ピーチティー」なの! 超いい匂い!! しかもね、あんまりべたつかないから、私でもできる! ということで、いいことづくめのこのハンドクリーム、教授の激賞おすすめ!です。これこれ! ↓【花王】アトリックス ビューティーチャージ ピーチティーの香り 80g【4901301272102】
January 16, 2021
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義兄にクルマをもらうことになったので、今乗っているマツダのデミオちゃんを売ることにしたのですが、これがなかなか悲しいところでありまして。 登録10年、走行距離5万キロ、状態は絶好調!・・・なんですが、いざ売ろうと思って査定してもらうと、ゼロベースって言われちゃうのよね~。つまり一文にもならないと。 ふうむ。そうですか。まだまだバリバリ走れそうなヤーツーなんですけど、売るとなるとタダですか・・・。 ま、元々中古で買ったクルマではありますが、4年も乗れば情も移る。それを「価値がない」と言われると、悲しいものがありますなあ。 自動車評論家の徳大寺有恒さんが、「クルマは、売っても買っても損をする」と言ってましたけど、けだし名言ですな。 結局、どういうクルマの乗り方をすれば一番、得をするんだろうね。3年ごとに新車を乗り継ぐのがいいのか、それとも一旦買ったら、20年とか、20万キロとか、ホントに走れなくなるところまで乗りつぶすのがいいのか。 あるいはクラシック・ミニとかを買ったら、数年乗ってもあまり値段が下がらないとか、そういうのもあるのかな? ま、とりあえず今日は「価値無し」の判定を下されてしまいましたが、ダメ元でもう2軒くらい中古車買い取り業者を回って、1万でも2万でも値段をつけてくれたところに売ろうかな・・・。
January 15, 2021
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今日、出版社の方から連絡があり、近々発売予定の英語教則本が印刷所から届いたとのこと。で、その書影を送っていただいたのですが、なかなかカワイイ! で、明日、私のところに発送していただけるそうなので、それが私の手元に届くのは土曜日ということになります。 土曜日・・・共通試験の初日じゃないか・・・。 ま、辛い監督業務の日の、帰宅後のお楽しみとしますかね。家に帰れば新刊本が待っていると思えば、多少は気持ちも楽になるかも。 で、同時にメディア各社と、あと書評をしてくれそうな先生方にも発送するとのこと。一般の書店に並ぶのは、多分、今月30日になりそうです。 で、初版の部数を尋ねたら、予想していたのより少なめだったのですが、これは意図的なものなのだそうで、初版を一刻も早く売り切り、「たちまち重版!」などと再宣伝するためなのだとか。なるほど、そういう戦略もあるわけね。 ま、どのくらい売れるか分かりませんけれども、それでもね、やっぱり自分の書いたものが本になって書店に並ぶってのは、これはもう、たとえようもないほど嬉しいものでありまして。 あー、早く30日にならんかな。名古屋の大きな書店とか、覗きに行っちゃおうかな!
January 14, 2021
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今日、出勤の途中、そういえばまだ名古屋の自宅近くの神社に初詣に行ってなかったなと思い、ちらっと寄り道して、例によって少額のお賽銭にしては申し訳ないほどの大望を託してお祈りしてきました。 で、招き猫付きのおみくじを売っていたので、面白半分に買ったら、ピンク色の招き猫ちゃんを引き当てまして、何かと思ったら「結婚・良縁を招く」とある。 うーん、そんなこと言ったって、もう結婚しちゃってるしなあ・・・。 と、思ったら!! なんとなんと、結婚ではなく良縁の方で吉と出たのよ。 仕事を終えて、さあ帰ろうと、最後に大学のメールをチェックしたら、とある出版社からのメールが届いていて、なんと、私が提案していた原稿を商業出版してくれるとのこと。 ひょえーーーー! マジか! ラッキー!! その原稿ってのは、私の大学時代の恩師についての思い出の記でありまして、ただ、それがメインというわけではなく、むしろ先生ご自身が書かれたエッセイが中心で、私の文章はそれを補佐するような形のエッセイなわけ。そういう意味では、師匠と弟子による共著のエッセイ集って感じ。 実はその原稿自体はそれこそ3年くらい前には完成していて、あちこちの出版社に掛け合ってみたんだけど、どこからも断られちゃって。でも、あきらめずに、さらに色々なところに原稿を送り付けていたら、ついに一社、応じてくれるところが出てきたってわけ。 これを、良縁と言わずしてなんと言いましょうや。ピンクの招き猫ちゃん、ありがとう! ま、あきらめないってことが、重要なんだよね。って、ルパン三世も言ってたじゃない? っつーことで、あと1週間ほどで私の書いた英語教則本が出ることになっていますが、これに加えて今年はもう一冊、本が出ることになりそうです。うはは、忙しくなってきたじょ!
January 13, 2021
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うちの大学、14日が卒論の締切なもので、今、うちのゼミ生も必死です。半分はもう既に提出しましたが、まだ残り半分が格闘中。で、そいつらが格闘中ということは、それを指導しているワタクシも格闘中ということでありまして。 それにしても、毎年卒論指導していると、卒論って人柄が出るな、と思いますね。 いや、卒論のテーマが人それぞれ、というのもあるのですけど、それ以上に、卒論に取り組む態度というか、姿勢ね。 計画的に取り組む子もあれば、出来るだけ先延ばしして、もうどうにもならないところまで来てからやり始める子もある。 指導教員に直されたら直されたままの子もあれば、「こんなに直されるなんて、我が身が不甲斐ないので、もう一回、ゼロから書かせて下さい」と言ってくるガッツのある子もいる。 誤字脱字だらけで提出してくる子もいれば、完璧な子もいる。 色々ルーズなんだけど、書いた卒論自体はおどろくほどよく書けている子もいる。 まあ、人生いろいろ、卒論もいろいろですよ。 だけど、やっぱり一番驚かされるのは、出来のいい論文に出会うこと。これ、もうちょい訓練すればプロになれるじゃん、と思うような子がたまーーーにいる。そういうのに出くわすと、驚くと共に、嬉しくなりますな。 さてさて、泣いても笑ってもあと2日。なんとかうまく全員が締切までに提出できるよう、あと2日を乗り切ることにいたしましょう。
January 12, 2021
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コロッケ蕎麦って、お好きですか? あたたかい蕎麦にコロッケが乗ったものなんですけど、私はこれが割と好きでね。高校生の頃、よく食べたもんですわ。 高校生の頃って腹が減るもんですから、学校から帰って家で夕食を食べるまでとても持たない。そこで学校からの帰り道、小田急線相模大野駅のホーム内にある立ち食い蕎麦の「箱根蕎麦」で、友人Eとコロッケ蕎麦を食べたもんですわ。Eは小学校時代からの友人で、高校は別でしたが、よく帰りに同じ電車になったものですからね。 その頃の相模大野駅は、今とは違って大分鄙びた感じで、ホームの端っこなんて小汚い感じでしたけど、その小汚いところがまた、いかにも立ち食い蕎麦の雰囲気があって良かったのよ。 で、そんな思い出があるもんだから、今でも時々、コロッケ蕎麦が食べたくなる。で、今日のお昼も家で作ってもらって食べちゃった。旨し。 ところが、家内はこれが嫌いだというのですな。そこは珍しく意見が合わず。家内に言わせると、コロッケなんてものはカラッとあがってサクサク食べるのがいいので、蕎麦つゆの染みたコロッケなんて美味しくないと。ということで、今日も家内はコロッケではなく、竹輪天を乗せておりました。 で、さらに家内が言うには、名古屋にはそもそも「コロッケ蕎麦」なるものがないと。そんなものは見たことも聞いたこともないと。 え? そうなの? あれは・・・関東だけのもの? 好きか嫌いかはまあ好みの問題ですが、存在そのものがないとなると、それはちょっと問題じゃないですか。 ふうむ。どうなんざんしょ。東京・神奈川の腹の減った高校生には格別の思い出のあるコロッケ蕎麦。あれはこの地方のみのものだったのでしょうか。ケンミンショーかなんかで調べてくれないかしら?
January 11, 2021
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松が取れる頃になっても、まだチラホラと年賀状が届きます。 ま、でも、遅れて届く年賀状ってのは、やっぱり、何て言うかこう、訳アリ的なところがある。 実は昨日受け取った年賀状に一つ、ショックなのがありましてね。 つまり、私が年賀状を出した相手の方が、既に(2年ほど前に)亡くなっていたことが判明したんですわ。 2年前ということは、つまり昨年は返事がなかったということでしょう。ま、しかし私も沢山の年賀状を出すなかで、どなたとどなたから返事をいただいてない、なんて勘定してませんから、今年も暢気に年賀状を出し続けてしまったんですな。 で、今年は、私が出した相手の方のご主人様から、「家内は2年前に亡くなりました。長年のご厚情に感謝!」という年賀状をいただいた次第。 はあ・・・。亡くなられたのか・・・。 亡くなられた方というのは、私がまだ独身の頃、ある女子大で非常勤をしていた時に、非常勤講師控室で講師の先生方にお茶などを出されていた方なんです。 上品なご婦人でね。あとで知ったことですが、その方のご主人というのは、誰もが知る某大学のトップを務められた方だそうで。 なにせその女子大は男子禁制で、当時の私のような若い男が教師を務められる場所ではなかったんですけど、私の場合は特別に許されていたわけ。ある事情があって。 で、そういう状況下でしたから、非常勤講師控室でも私は例外的な存在で、それでその方の目に留まったのかも知れません。で、色々よくしていただいて、私も感謝の気持ちから毎年年賀状を差し上げるようにしていたわけ。 だから、もう三十数年にわたって年賀状のやり取りがあった、ということですよね・・・。 私が名古屋の大学に赴任してからは一度もお目にかかっていないのですが、時折、その方は私の実家に電話を下さり、私の母と話をされたそうで。そしてそんな折にはいつでも、いかに私がその女子大でいい先生だったか、なんていうことを母に伝えていたのだとか。 そんな風に、かつて私を贔屓にしてくださっていた令夫人が、亡くなられたと聞いて、しかもそのことも知らずに2年も年賀状を差し上げてしまっていたと知って、私はいささか、ゲンナリしているのでございます。 さよならだけが人生だ、って、本当だよなあ・・・。
January 10, 2021
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私の小学校時代、音楽を教えていただいた小宮路敏先生が亡くなって数年経ちますが、先生のお嬢様が毎週メルマガで、小宮路先生の生前の忘備録から抜粋した色々な記事を紹介してくださっているんですな。で、今週の忘備録では、アルベルト・シュヴァイツァー博士の『わが幼年時代と少年時代』という本の中にある次のような言葉が紹介されておりまして。 『人と人との関係は、われわれが普通認めているものよりも、はるかに神秘に満ちたものではないだろうか。われわれはもし誰か一人の人と長年にわたって一緒に生活してきた仲であったとしても、その人を本当に知っていると言うことは出来ない。 われわれは一緒に暗闇の中を歩いて行くようなものである。その中で、誰も相手の顔かたちを見分けることは出来ない。ただ時々、さりげない一つの経験を通して、あるいはお互いの間に交わされた一つの言葉を通して、まるで電光に照らし出されたように、相手の姿が一瞬くっきりと浮かび上がることがある。その時相手が何者であるかを知るのである。 その後、われわれは再び、おそらく長い間、暗闇の中を並んで歩いて行く。そして、相手の顔かたちを心に描こうと試みても、出来ないのである。われわれはお互いに知り尽くせない秘密であるという事実を承認しなければならない。お互いに知り合うということは、お互いにすべてのことを知る尽くすことではなくて、お互いに愛と信頼を捧げ、相手を信ずることである。 ……人は他人の実体の中に押し入ろうと企ててはならない。他人を分析することは下品なことである。』 うーん・・・。これ・・・すごい言葉じゃない? シュヴァイツァー博士はこのようなことをおっしゃっているのか・・・。 ・・・っていうか、シュヴァイツァー博士がこの言葉をひねり出すまでに経験された様々なことを想像するだに、そらおそろしいような感じがしますな。 このシュヴァイツァー博士の言葉もすごいし、それを忘備録に書き抜いて、ご自身の戒めにされた小宮路先生もすごい。 私もね、確かに本を読むことが商売ですから、色々な本を、それも膨大な量、読みます。しかし、たまにふと振り返ってみて、果たして私は本当の意味で本を読んでいると言えるのか? と我が身に問うた時、自信を持って「しかり」と言えるかっつーと、・・・どうなのかなと。 それに引き換え、小宮路先生は、読むべき上質な本を選び読まれて、しかもそこで学んだことを翌日からご自身の日常の心がけとして活かそうとしていらっしゃる。本を読むことと生きることが完全にシンクロしている。 読む本の量から言ったら、私の方が遥かに上だと思います。が、本当の意味で本を読んでいるのは小宮路先生の方だということは、これはもう、どうしようもないほど明らか。 シュヴァイツァー博士の言葉、そしてそれを読まれて肝に銘じられた小宮路先生、その両方から、今日は学ばせていただきました。
January 9, 2021
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私が学生だった頃、ということは、もう今から三十数年前ということになりますが、その当時の大学の英文科の教授なんてのは、その大半が翻訳に携わっていた、という印象があります。っていうか、むしろ大学教授としてより翻訳家としての方が名が売れている先生すら、あちこちにいらした。 実際、私自身の師匠お二人も沢山の文学作品の翻訳を出されていた。それも、泣く子も黙る大手出版社から。 また、翻訳として出版するのではなく、たとえば大学生向けの教科書として、文学作品(たいていは英米の短編作品)に注を付けるお仕事をされている先生もたーくさんいらした。で、そういう先生方は、ご自身が所属している大学でも、また非常勤として出講している大学でも、ご自身が注を付けられたその種の教科書を指定されるので、それで印税を稼いでいらっしゃる先生もたーくさんいらした。 で、そういう状態がデフォルトだったので、私も将来、大学の先生になったら、大学で教える他に翻訳とかやったり、注を付けるだけの教科書とか作ったりして、そっちでも稼いだりするんだろうな、なんて夢見ていたわけよ。 で、実際に大学教授になってみたら・・・そんな話、一向に来ないっていう。何なの、一体? これが出版不況? 売れるのは鬼滅だけ? さて、今話題の『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』を読了しました。これを書いた宮崎伸治さんってのは、私とまったくの同い年。著書・訳書は60冊もありながら、今は警備員をされているとのこと。本書には、なぜ売れっ子の翻訳家が、翻訳という職業から離れざるを得なかったのか、その泣くに泣けない裏事情が綴られております。 宮崎さんってのは、翻訳家として非常に腕がいいわけですな。しかも文章も上手く、著書も相当ある。ならばなぜ天職ともいえる翻訳業から撤退せざるを得なかったかと言えば、ひとえに日本の出版社の在り方による。そして日本の出版社の翻訳家軽視の姿勢にある。 想像するだけで明らかなように、翻訳ってのはキツイ仕事なわけですよ。しかも高度な専門技術が必要で、それを会得するために何年もの苦しい修行がいる。しかし、それにもかかわらず、大変な仕事だと思われていないところがあるんですな。しかも、それに加えて日本の出版社には、契約の概念があまりない。口約束だけで物事が動いていく悪しき伝統がある。 だから、出版社から仕事を依頼されて、翻訳家がその仕事を一生懸命こなし、期日までにきっちり翻訳を届けても、それが最終的に出版されないこともある。あるいは、仮に出版されても、なんだかんだ理由をつけて、印税を値切られたりする。時には、翻訳者として自分の名前を出してもらえず、別な人の名前にされてしまうこともある。 翻訳家ってのは、出版業界から見たら、弱い立場なので、通常はそれで押し切られてしまうわけですよ。 だけど宮崎さんはそこで頑張った。自分がそこで泣き寝入りをしたら、他の翻訳家も同じ扱いを受け続けるに違いないと思い、翻訳家軽視の出版業界の在り方を少しでも変えようとしたわけ。 で、最初の約束通りに印税が支払われなかったり、せっかく訳した本が出なかったりした時、出版社に抗議をしたり、時には裁判沙汰にしたりせざるを得なかったんですな。 で、もちろん、宮崎さんの方に理があるわけですから、すべての裁判に勝ちます。勝ちますが、そのために裁判費用が回収費用を上回ったり、心労で参ってしまったりする。 で、その心労のあまり、宮崎さんはついに翻訳業そのもの、文筆業そのものを離れざるを得なかったと。 まあ、読んでいて、裁判には勝つんだから痛快ではあるのですが、そのために神経をすり減らしていく宮崎さんの様子をつぶさに見ていくわけだから、しんどくもある。確かに、こんなことやっていたのでは、仕事に熱中できないよね・・・。 結局、現時点での日本における出版社の在り方を変えるとすると、アメリカみたいに著述家の側にエージェントができて、本の出版にまつわるあれこれはすべてエージェントを通してやる、みたいにするしかないんじゃないかな。それはそれで、やっかいな感じになるかも知れないけれど。 というわけで、この本、多少なりとも出版経験のある身としては、非常に面白く・・・というのではないかも知れないけど、非常に興味深く読むことが出来たのでした。 これ、翻訳家を目指している人とか、必読だよね! 宮崎さんの二の轍を踏まないためにも。これこれ! ↓出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 [ 宮崎 伸治 ] と、いうわけで、まあね、私も翻訳家なんかにならなくて正解だったのかもね。 でも・・・そうは言っても、私も訳させたら相当上手いよ。窓口は開けておくんで、出版社のみなさーん、いつでもご用命を!!
January 8, 2021
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なんか、コロナ感染がトンデモナイことになってない? 東京は2500人近く、愛知県も400人越えだとか。 東京は非常事態ですけど、愛知県は優柔不断な知事が様子見とか言っているし。このまま後手後手でますます大変なことになるのは目に見えていると。 そんな渦中で、共通テストやるの~? やめなーい? うちの大学、会場として3000人の受験生を引き受けているんだけど、絶対、いるじゃんね、保菌者が。少なからず。無症状だとしても。 で、そういうのと2日間、朝から晩まで密に接するわけだよね? 当然、うつるわけだよね? 受験生は抵抗力の強い若者でも、監督者の方はそこそこ高齢者なんだよね? 高齢者がコロナ罹ると、死ぬんだよね? 死ぬの、イヤなんだよね? じゃ、共通テストはやめた方がいいんだよね? って、普通は考えるんだよね? 文科省にもそういう風に普通に考えてほしいんだよね。 共通テストの頃って、年末・年始から二週間ちょい。ちょうど爆発的に出てくる頃じゃん! やめてほしいわ~。
January 7, 2021
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正月から降ってわいた「フォルクスワーゲンのポロを義兄からもらうか否か」問題ですが、あれ、結局、もらうことにしました。 現在家内が愛用しているマツダ・デミオとお別れして、新たにポロをもらい受けるということですけど、客観的に言ってデミオとポロでは価格も性能もポロの方がはるかに上、年式もポロが新しく、走行距離もポロの方が少ない。そしてポロのボディ色は家内の好きな赤色・・・となれば、そりゃ、そうなりますわなあ・・・。 しかし、40年近い車歴の中で、友人から「譲り受けた」というのは一度あるけれども、「タダでもらった」ということは初めて。 で、そうなると、名義書き換えとか、もちろん保険の書き換えとか色々ありまして。デミオの処分ということもありますし。しかし、それを乗り越えれば、ポロちゃんが我が家に来るということですからね。そこはかなり楽しみ! あと、デミオと別れるとなると、別れの儀式も必要です。私は自分の車を手ばなす場合、必ず直前にドライブに行って、最後の逢瀬を楽しむのよ。だから、そのラスト・ドライブの計画も立てなきゃいかんし。 っつーことで、ただいま卒論指導の絶賛ラストスパート中ですが、そんなことがチラチラと頭をよぎる今日この頃なのでございます。
January 6, 2021
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昨夜、実家から名古屋の自宅に戻り、今頃になっていただいた年賀状を読んだりしております。 で、ちょっと面白かったのは、懐かしい卒業生からいただいた年賀状の中に、学生時代、私のシェイクスピアの授業が非常に面白かったと書いてあるものがあったこと。 へー、そうなんだ・・・。 実は前にも同趣旨のお便りを別な卒業生からいただいたことがあり、ほう、あの授業はそんなに評判が良かったのか、と、若干意外な感に打たれております。 シェイクスピアの授業と言っても、別に大層なことをするわけでもなく、ただシェイクスピアの作品を一つ選び、毎回、せいぜい1頁とか、そのくらいの分量を輪読する、というもの。もちろん、ちょっと古い英語で書かれているので、福田恒存の訳は参照していいことにして、しかし、英語の一文一文をしっかり把握することだけはゆるがせにしないつもりで読んでいったわけ。 当然、半年の授業では読み終わらないのですが、それでも、あのシェイクスピアに原文で挑んだ、というのが、学生たちにしたら良い思い出になったのかも知れません。 結局、教育ってのは、思い出作りだからね。 で、そんな嬉しいことを言ってくれている年賀状を読みながら、もう一度、シェイクスピアを原文で読むような授業を再開してみようかな、なんてことを考えたりして。 さて、事程左様に、自分では「それほどでも・・・」と思っていることを褒められると、妙に嬉しいものですが、最近、もう一つ、同じようなことがありまして。 正月、実家に戻っていた際、何かの話の中で、かつて私が書いた「卒論の書き方指南」みたいな本のことを姉が褒めてくれたんですな。「あなたの書いた本の中では、あれが一番面白かった。まったくの素人の私でも、なんだかアメリカ文化についての卒論が書けそうな気がした」と。 へーー、そうなんだ・・・。 まあ、私としては、やっぱり一番最近出した本とかを褒めてもらいたいわけではありますが、ちょっと前に出した、それも私自身の論文ではなく、所属大学の出版会から出した「論文の書き方」みたいな本を褒められると、虚を突かれるというか、あ・・そうなんだ・・・みたいな感じになる。でも、意外なだけに、意外に嬉しいという。 ふーーん。そうか・・・。 ま、もうすぐ出る英語教則本も、元々は大学出版会から出したものを、別の一般出版社から増補再刊するものなんですが、姉がそれほどいいというなら、あの本もどこかの出版社から、新書版とかで出してくれないかしら? ま、それはともかく、意外なところを褒められることが続いて、なんだかこそばゆいような思いをしている今日のワタクシなのでありました、とさ。
January 5, 2021
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ひゃー、実家で過ごした年末年始も今日でおしまい。今日は名古屋に戻って参りました。 で、今回は急ぐ旅でもなかったので、新東名ではなく、久しぶりに東名を走ってきたというね。久しぶりに走ると、これが楽しいんだ! 新東名は無味乾燥だけど、東名はもっとずっと人の住むところの近くを通るので、走りながら土地土地の街並みがチラ見できるし、道そのものもアップダウンあり、カーブありで、いかにも運転しているという実感がある。 で、旧東名は海のそばを走るので、夕食には魚が食べたいな、なんて思いまして、日本坂PAに寄ってカツオのタタキ丼を食べちゃった! 旨し! ま、それはいいのですが、問題はコーヒー休憩で立ち寄った浜名湖SAですよ。 浜名湖SAと言えば、東名西側で最大のサービスエリア。浜名湖のすぐ脇にあるだけに、売り物は何といっても鰻。サービスエリアにもどーんとレストランがあり、そこで鰻がお値打ちに食べられたものでございます。 昔、両親を連れてここに立ち寄った際、ここのレストランで鰻を食べたのですが、ウェイターさんに席に案内されるのと、注文した鰻が到着するのがほぼ同時という、驚くべき手際の良さで鰻丼が食べられたものでございます。値段だって、たしか1500円とか、1700円とか、確かそのくらいだったのではなかったかと。 ところが・・・。 今日、その場所に行ってみたら、かつてのレストランはなく、フードコートになっていたのでした。そして、そのわきに小さな鰻屋さんが別にあって、鰻が食べたければそこで食べろと。 で、その値段がすごくて、一番安いのが3500円。でもそれは気休め程度にふた切れの鰻が、まるで封筒に貼った切手のように載っているだけなので、普通の鰻が食べたければ4500円か5500円のものをたべなければならないという・・・。 えーーーー! サービスエリアで4500円も出して鰻食べるのーーーー?! ま、フードコートの脇に、テイクアウトの鰻が1800円くらいで売っていたので、4500円とか5500円を出す気がない客がそこで鰻弁当を買え、ということなんでしょうが、うーーん、昔の、あのレストランで食べた浜名湖の鰻の方が良かったわ~・・・。 昭和のサービスエリア然とした昔の浜名湖サービスエリアと、そこで食べたレストランでの鰻。あーあれはもうないのか、と思ったら、寂しくなりました。 旧東名のサービスエリアも、段々、トイレの改修などが進み、近代化が進んでいますが、それと引き換えに昔の良さが失われていくのは、まあ、時代の流れなのでしょうけど、ちょっと寂しいもんですなあ・・・。
January 5, 2021
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義兄からフォルクスワーゲンのポロをもらえるかも知れないというので、今日は家内とポロに試乗してみることにしました。 かつて「ゴルフ7」を買いかけたこともあったくらいで、この世代のフォルクスワーゲン車の実力の高さはよく知っているのですが、あらためてポロに乗ってみると、やっぱりドライブ・トレーンはいいね! 1.2リッター・ターボエンジンは、パワー/トルクともに十分以上だし、7速のDSGの変速も滑らか過ぎて、いつ変速したかもわからないくらい。筐体もしっかりしたもので、家内の言を借りれば、固くしっかりした箱が滑らかに、滑るように走っていく、という感じ。 ただ、DSGの常として、クリープは弱いので、バックで駐車するときなどは、トルコン式オートマのデミオの方が楽かも。 スペースについて言うと、前席・後席・荷室とも広さではデミオの勝ち。意外にもデミオは、スペース効率がいいクルマだったんだなと改めて思った次第。 で、シートの座り心地は、デミオとはまったく異なるので、どちらがいいのかは、短距離乗っただけではわかりません。ポロのシートは小ぶりで、ちょっと窮屈な感じがするものの、作りががっしりしていて、明らかに硬め。このドイツ車的な硬さは、長距離乗っても疲れないと言いますが、果たしてどうなのか。 まあ、トータルで言うと、ポロってのは、まじめないいクルマだなと。その一言に尽きるかな。 ただし・・・そこが私が結局ゴルフ7を買わなかった理由でもあるのですが、フォルクスワーゲンのクルマは完璧すぎて面白くない、というところがなくもない。 やっぱりワタクシのようなクルマ好きってのは、欠点があってもいいから、どこか一つ、突出した美点に惹かれるものでありましてね。「文句の出ないクルマ」がいいと思っているわけではない、というところがあるんですよね~。 さてさて、デミオとお別れして、ポロをもらい受けるか、それともデミオのままで行くか。もうちょい悩んでみましょうかね・・・。
January 3, 2021
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元日の某新聞に、中国の千人計画に関する記事が載っていて、これに日本人研究者44人が参加していることが明らかになったとかいう話だったんですが・・・ 最初、えーなに、この売国奴、とか思っていたんですけど、記事を読み進めるほどに、なんだか怒りが別な方向に向いてきたっていう。 だって、この千人計画、外国の有名な研究者が定年になる頃を見計らって声をかけるらしいんですけど、まあ、厚遇するらしいんですな、研究者を。 給与自体ももちろんですが、研究費もべらぼーな額をふんだんに投入してくれると。そして生活環境は全部政府の方で持ってくれて、大きな家に家政婦つき。もちろん、研究所なり大学なりへの往復はクルマを手配してくれる。 そしてコンサートなどの文化イベントにも招かれ、それも最前列のいい席が用意されるとのこと。 ひゃーーーー! こんなに厚遇されるんだったら、日本でしょぼい定年後の生活をするのとは大違い。たとえ売国奴とののしられようと、ついその気になる人がいたって全然可笑しくないわ・・・。 それに比べて我が国の教育研究行政はどうよ。まず教育研究に投入する金額が隣国とはけた違いに少ない! で、さらにその少ないお金を「競争的資金」とかいって、研究者同士で取り合い・奪い合いをさせるというケチ臭さ。そのため、研究者たちは、研究自体よりも書類書きに追われるという始末。 また若手の育成にしたって、大学のポストが5年期限つきで、しかもしょぼい年俸制ってんじゃ、才能のある若者が、そもそも大学の研究者になろうという気にならんでしょう。 要するに、隣国は「学問・研究」を国の発展の基礎と考え、それに携わる研究者を優遇するのに対し、我が国は、後先のことも考えず、とりあえず研究者なんて金食い虫の趣味人か何かだと考えていて、なるべくそこに資金を投入するのを避けようとしていると。そういうことだよね。 学問・研究に対する国家の考え方として、どちらが正しいの? そんなの決まっているじゃん。 そう思ったら、隣国よりもむしろ自国に対して腹が立ってこないか? ・・・っていう話。 ま、私のようなアメリカ文学者が千人計画に呼ばれることはないけどね~。 ・・・いや? あるか? 隣国からしたらにっくき米国の文学・文化に詳しいとなれば、敵の情報を察知するのに必要だったりするか? はーい、45人目の売国奴、ここにいまーす!
January 2, 2021
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 さてさて、元日の釈迦楽家ですが、例年のようにお節・雑煮を食べ、夜は宅配ピザと。ま、そんな感じ。 例年ですと、年が改まった夜中から近所の神社に初もうでに行き、元日の昼間は近くの新百合ヶ丘まで初売りを楽しみに行くのですが、さすがに今年はどちらもパスしてステイ・ホーム。 で、私自身は、学生が送ってきた卒論の草稿を添削したり、自分の論文を書いたりってなことをダラダラやっておりました。 ま、普通の休みの日って感じでしたかね。 ところで、今日、家族でガヤガヤやっていた時の話題の一つがクルマの話でありまして。 どうも姉一家のところがクルマを買い替えるらしいんですな。で、義兄が今、盛んにあちこちのディーラーをまわって試乗をしていると。 クルマの運転が苦手な姉も運転するため、コンパクトなクルマであることが条件なんですが、例えば日本車だとヤリス、ヤリス・クロス、フィット、ノートあたりが視野に入ってくる。 ところが、これらに実際に乗ってみると、既に8年乗っているフォルクスワーゲンのポロに、乗り心地とか、運転の面白さではとても敵わないというわけ。 ふうむ。なるほどね。さもありなん。 だけど、ちょっと日本車、情けないよね! 8年落ちのドイツの大衆車に、最新の日本の大衆車は太刀打ちできないなんて。 でも、じゃあなんで敢えてポロから日本車に替えるかというと、アクセル・ブレーキの踏み間違え防止装置などの安全装備だと。その点では、さすがに日本車は良くできているようで。あと、ヤリスには自動駐車装置もついているらしいのですが、これがまた見事に自動駐車してくれるんですって。 ま、義兄もそろそろ、安全装備の充実したクルマが欲しくなったようで。 さて、それはいいのですけれども、問題はここからよ。 つまり、義兄が今乗っているポロをどうするかっていう。 で、義兄曰く、どうせ下取りに出しても大した額にはならないだろうから、あげようか? というわけ。私の家内は今、マツダ・デミオに乗っているんですけど、ポロに替えたらっていう・・・。 えーーーーー、マジすかーーーーー。 どーしよ、どーしよ。家内はデミオを気に入ってはいますが、ポロの走りや乗り心地がそんなにいいならねえ・・・。また話は変わってくるわけでありまして・・・。 というわけで、静かな元日が一転。煩悩噴出。 さてさて、デミオをポロに替えるという話は進展するのかどうか。降って湧いたような話ではありますが、正月早々、しばらく頭を悩ますことになりそうです。
January 1, 2021
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