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ちょっと嬉しいことがありまして、そのお祝いに今日は家内を連れて某・日本料理店に食事に行きました。 そのお店、長らくワタクシ達の贔屓のお店でありまして、記念日的な時によく利用する京懐石のお店。上品で奥の深い味といい、さりげなくも華やかな演出といい、ほんとにステキなお店なのですが・・・。 あら? あれれ・・・? 今日はどうしたものか、いつもの冴えがないですなあ。 料理の内容にしても、「無菌豚の蒸し物」だなんて、田舎旅館の夕食の一品みたいなものまで出てきたぞ。ま、もちろんまずくはなかったですけど、京懐石の一品としてはどうなんでしょうか? それに、最後のデザートにしても、いつもであれば「○○柿のブランデー漬け」とか、ちょっと他ではないような手の込んだものが出てくるのに、今日はミカンにイチゴにメロン、それに安物のホイップクリームの盛り合わせ? なんか陳腐だなあ。 しかも、演出もイマイチ。いつもであれば、見た目からして楽しめるような華やかな盛りつけがあるのですけど、何だか社員食堂みたいな盛りつけだったし。 いや~。ひょっとして、このお店、料理長が変わったんじゃないですかね。せっかくお祝いに来たのに、ちょっとガッカリ。 でもワタクシの場合、こういうことがよくあるんですよね。あるお店が気に入って、何度も通いつめるうちに、ある時、「あれ? 何だか味が落ちたな・・・。気のせいか・・・」なんて思う瞬間がある。で、その次の次くらいに行ってみると、お店がつぶれて別な店になっていたりするんだ、これが。 というわけで、どうも私が贔屓にするお店というのは、早晩、味が落ち、つぶれるというジンクスがあるんですけど、まさかまさか、このお店にもその徴候が顕れたとか? ま、そういうことにならないことを祈りますが、ちょっとこのお店とはしばらく距離を置こうかしら、と思っているのでありました、とさ。
January 30, 2009
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今週は期末試験ウィークとなりました。 で、期末試験ともなると、単位がとれるかとれないかがかかってきますから学生たちも真剣です。普段の授業中は寝てたりする奴もいるというのに、そういう連中も必死で解答にこれ努めることになる。 でね、試験監督をしながら、学生たちが必死にかりかり、こつこつと筆音を立てて解答している後ろ姿を、教室の後ろから見ていると、とてもいい気分になります。やっぱり、若い子らが一生懸命机に向かっている姿というのは、いいものなんですよ。普段の授業中、前から見ている学生たちはあんまり可愛いとも思いませんが、試験中、後ろから見ている学生たちは全員可愛いね。一心に答えている彼ら・彼女らの頭を一人一人イイコ、イイコしてあげたくなります。 実際にやったら、セクハラで大学追放されますけどね。 しかーし! その後が悪いんだなあ・・・。 試験を終えて、学生たちの解答を携えて研究室に戻るでしょ。するとね、5分程遅れて何人かの学生が研究室のドアをノックするわけ。 もう分かっているんだ、彼らの言いたいことは。「さっきの試験、全然出来なかったんですけど・・・」というわけですわ。ワタクシ: そうですか、それは残念でしたね。学生たち: で、どうしましょう?ワタクシ: どうしようって、もう終わったんだからどうしようもないよね。学生たち: ・・・そこをなんとか。ワタクシ: なんとかってなんですか。学生たち: ・・・・ワタクシ: ・・・・学生たち: 僕ら、再履修なんで。ワタクシ: そうですか。学生たち: これ落とすと後がないんで。ワタクシ: それはワタクシのせいではないですから。学生たち: 課題とか出していただけませんか?ワタクシ: 下らんこと言ってないで、ほら、帰った、帰った! ま、こんな調子ですわ。 なんかね、最近、増えましたね、この種の輩が。で、大抵こういうのは男の学生なんだ。男のくせに女々しいというのか、なんというのか。自分の怠慢で試験を落としそうになっているのに、よくもまあ厚かましくも陳情に来られるもんだ。ワタクシ、こういうのが一番嫌い。卑怯ものめ! ほんと、期末試験をやると、いいなと思うことがあったり、いやだなと思うことがあったりでございます。ヤレヤレ。
January 29, 2009
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なんか最近、勤務先大学に誤解が蔓延しているようなんですけど、今日もとある同僚の先生に「この間、釈迦楽さんの奥さん見ちゃった~」と言われてしまいました。え? なんで? で、話を聞いてみると、どうもワタクシと同姓の非常勤講師の先生がいるらしく、これがまたワタクシの奥さんといっていいくらいの年回りなんだそうで。ま、「釈迦楽」なんて変な名字の人間がそう沢山いるとは思えないので、どなた様もその先生のことを私の奥さんだろうと思うらしいんですな。 実際、専任の先生の奥さんが非常勤で同じ大学に教えに来るというケースは無くはないんです。英語科にもそういう人がいますから。で、そういうケースがちらほらあるので、なおさら誤解が生じるんでしょうな。 しかし、ゴキブリを一匹見かけたら、千匹くらいはいるものと思え、なんて言われるように、一人の先生がそのように誤解しているとすると、他にもそう思っている先生方が沢山いるんだろうな・・・。 いやいや、同僚ならまだしも、学生でもそう思っているのが沢山いたりして。それはかなわんなあ! 「英語、どの先生のクラス?」「釈迦楽先生。って言っても奥さんの方」なんて会話がなされているのだとしたら、ヒェ~って感じだなあ。 もっとも、ワタクシ以上にその非常勤講師の先生が私の奥さんと思われて迷惑がっていたりして。 ・・・おう? なんで迷惑? 一体ワシのどこが悪いんじゃ! って、そういうハナシじゃないですよね。 ちなみにワタクシ自身はその先生のことをお見かけしたことはないのですが、一体どんな先生が私の奥さんという誤解を受けているのか、ちょっと興味がありますね。今度、見に行っちゃおうかな。(ウソ、ウソ。) とにかく、ワタクシの本当の奥さんはお家に居て、私の帰りをニコニコ待っているんだよう! と声を大にして言いたいワタクシなのでありました、とさ。
January 28, 2009
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昨年末、人間ドックで色々検査をし、その結果も出ていたのですけど、卒論指導などの忙しさにかまけて放っておいたら、大学の健康管理センターに詰めておられる産業医の先生から呼び出しをくってしまいました。 で、やっぱり心臓のデータがあんまりよくないと。ま、それは分かっているんですが。 で、これがひどくなると、いよいよ動脈から心臓目掛けてカテーテルをぶち込んで、狭窄が起こっているところを見つけ、そこを広げるような大手術となるわけですが、そこまでやる一つ前の段階として、カテーテルを入れないでもどこで狭窄が起こっているかどうかを調べる方法があるらしく、それをやってみたらどうかと勧められてしまいました。たとえて言えば、「胃カメラを飲む前段階として、バリウムを飲む検査があるぞ」、みたいな感じでしょうか。 で、それが出来る大病院として、藤田保健衛生大学への紹介状を書いてもらうことになったのですけど、ひゃー、大ごとになってきたなあ・・・。ワタクシ、死んじゃうのかしら。 というわけで、大学が春休みに突入したら、そういう検査もせにゃいかんのかな、という情勢になってしまったのでありました、とさ。 それにしても、以前は人間ドックの結果がどうであれ、学内の産業医から呼び出されるなんてことはなかったですけど、最近はそういうのがあるんですな。ま、コトが大げさになって大変は大変ですけど、自分自身の健康のことですからね。わざわざ呼び出しをかけるという「攻めの姿勢」で被雇用者の健康を雇用者が守ろうとするのは、いいことではありますな。ありがたいと思って、いずれ近いうちに藤田保健衛生大学の門を叩くとしますか。
January 27, 2009
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とある事情により、最近、仕事の合間を見ては株式投資の勉強をしているのですけど、バフェットとかグレアムとか、投資の神様と呼ばれているような人々のことを読んだりすると、色々勉強になることが多いですね。いや、そのこともさることながら、株のことを学ぶと社会の動きが本当によく分かります。 でね、思うのですけど、こういうことこそ、中学・高校で教えりゃいいのにって。 逆に中学・高校の「社会」の授業で学んだことって何だったんだろう? ほとんどすっかり忘れましたけど、忘れるくらいですから、大したこと学んでないんでしょう。 多分、原理的なことを学んだのでしょう。昔アダム・スミスって人が『資本論』っていう本を書きまして・・・みたいな。だけどそんなこと教わっても、中学生や高校生には何のことか分からないだろうし、大学生だって分からないでしょう。つまり教わっても役に立たないわけだ。 だけど、たとえば中学生に株式市場のことを教え、企業の財務諸表の読み方や『会社四季報』の読み方を教えた上で、バーチャル・シミュレーションでもいいから実際に株を買ったり売ったりさせてみたら、随分いい勉強になると思うんですよね。ひょっとして投資家としての隠れた才能を発揮させる子も出てくるかも知れないし。 で、その後で、「そもそも株の仕組みってのは、東インド会社が生まれた時に出来上がったんですよ」とか教えれば、ようやく東インド会社ってものが理解できるようになるってものじゃないでしょうか。つまり実際から入って、あとから歴史や原理を教えるという方法ですな。これなら、歴史や原理も身につくことでしょう。 ほんと、小学校・中学校・高校レベルでもっと実のあること、身につくことを教えてもらいたいですよね。 で、それを言ったら、小学校・中学・高校の「体育」もまったく役に立ってないですな。小学校の時にさんざん鉄棒で逆上がりの練習をさせられましたが、あれは一体何だったんだ? 跳び箱とか、雲梯とか、それが出来たからといって、その後の人生が豊かになったわけでもなし。あと、ワタクシ、中学校の3年間ずっとバスケットボール部でしたけど、その時の経験は今、何の役にも立ってないですもんね。第一、今バスケやろうったって、メンバー10人集められませんって。 どうせ体育を教えるんんだったら、あとで役に立つことを教えてもらいたかったですわ。 たとえばテニスとかだったら、バスケットボールと違って年をとっても夫婦単位で出来るから、小学校の時から全員に教えてもいいですよね。同じくピンポンもいいでしょう。一人で出来るジョギングもいい。逆に、50メートル全力疾走なんて、やらせなくていいんじゃないでしょうか。 あと、大きくなってから必要なのは、「ダイエット体操」じゃないですかね。あと、女性のための「護身術」なんてのも小学校から教えてもいい。健康のための「太極拳」も子供の時に教えてもらってたらいいと思いますねえ。 ほんと、苦手な器械体操なんかで苦労させられるくらいなら、太極拳習いたかったなあ。 それから学校時代の音楽の時間も、楽器演奏の仕方を教えることにもっと力を入れてほしかった。小学校で縦笛とかやらされましたけど、卒業後、縦笛吹いたことある人います? そんな役にも立たない縦笛なんか吹かせている間に、トランペットとか、フルートとか、サックスとか、トロンボーンとか、あるいはエレキギターとか、ま、なんでもいいですけど、本物の楽器に触れさせてもらいたかったですよ。ダサい縦笛とかじゃなくて。 目を海外に向けると、イギリスの小学校なんて大抵そうですよ。子供たちに各自習いたい(本物の)楽器を選ばせて、それぞれその楽器の演奏法を教えるクラスに入れ、小さい時から楽器の演奏を教えています。映画『小さな恋のメロディー』でそういう場面があったでしょ? ああいう楽器演奏教育、どうして日本では出来ないのでしょうか。 ま、社会にしろ、体育にしろ、音楽にしろ、みーんな役にも立たないこと教えて、反省がないもんな。そのくせ英語だけは「全然役に立たない」とか、非難するし。役に立たないっていったら、ほぼ全教科役に立ってないんだよぅ! とにかく、「高校英語はすべて英語で教える」なんて実現不可能かつ馬鹿なことを言っている間に、小学校・中学校・高校とも、もっと「大人になってからも続けられるもの、実際に役立つものを教える」、という方向にシフトしないといかんのじゃないかしら。そうじゃなきゃ、結局時間の無駄よ。と、思っている、今日のワタクシなのでありました、とさ。
January 26, 2009
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またまた家の近くにおいしいパン屋さんを発見しました。名古屋郊外・日進市竹の山にある「石窯パン工房 アヴァンセ」です。 竹の山というのは、近くに愛知淑徳大学とか椙山女学園大学、あるいは愛知学院大学や名古屋外国語大学などがひしめく大学町で、このところ宅地開発が急速に進んでいるエリアなんですけど、昨年の秋頃でしたかね、ここに忽然と大きなパン屋さんが出現しまして。ま、駐車場がやたらに広いのはいいのですが、見た目、さほど洒落ている感じはなく(失礼!)、いま一つ食指が伸びなかったんですけど、今回、ものは試しとトライしてみたわけ。 で、実際パンを買うつもりで行ってみると、これがまたやけに流行っているお店でありまして、駐車場はほぼ満杯、店内もほとんど「押し合いへし合い」的な混雑具合。いくら新しいお店とはいえ、もうそれなりに時間は経っているのですから、それでもこれだけお客が入るということは、ひょっとしておいしいのかしら? ということで、今回はとりあえずバゲットを一本、それに「いちおし」のポップがついていた「カレーパン」、それに「紅茶のブリオッシュ」と、あともう一つ栗系の菓子パンをゲット。で、それらをティータイムと夕食の時に食べてみた、と。すると・・・ うん、おいしいじゃん! カレーパンは、宣伝文句の通り、牛肉が結構たっぷりと入っていますし、紅茶のブリオッシュや栗の菓子パンもなかなかいいお味。もちろんバゲットも夕食のクリームシチューによく合いましたし。小手調べで買ってみたけど、リピートはありかも。 で、このお店、嬉しいことにパンを買った人はコーヒー・サーバーから無料でコーヒーが飲めるんですよね。また店の片隅には若干ながら席もあるので、今度はお昼に来て、コーヒーを飲みながら買ったパンを食べようかしら。平日、時間をはずせば、いくらなんでも週末のような混雑にはならないでしょうからね。 いや、なるのかな・・・。主婦連とかの恰好の憩いの場になっていたりして・・・。 それにしても、これだけ不景気の時代であれ、値段、味、サービス、駐車場などなど、条件が揃えば客の入るお店というのはあるわけでありまして、そこは勉強しないといけないですな。不振の自動車業界だって、クルマが売れないのは本当に不景気のせいだけなのか。その辺、一慨には決められないかも知れませんよ~。 ま、とにかく、先日発見した「パリパリ」にせよ、今回の「アヴァンセ」にせよ、家の近くにおいしいパン屋さんがいくつもあるというのは嬉しいことでございますな。やっぱりこじんまりとした都会たる名古屋っていいよね。東京じゃ、こうは行きません。いいお店があっても、都心に固まっているばかりで、ちょっと郊外に行くといいお店なんてそうはないですからね!
January 25, 2009
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今朝、何の気なくテレビをつけていたら、最近、小学校で児童自身にトイレ掃除をやらせることが復活した、というような話題を取り上げていました。 そういえば、そんなことが一時話題になったことがありましたね。あれ、結局、実現したんだ・・・。 で、まあ、そういうテレビ番組ですから、コメンテーターというのが数人いて、それぞれあーだ、こーだ、とコメントするわけですけど、その中で漫画家のやくみつるさんがおっしゃっていたことが印象に残りまして。 やくさん曰く、「世界中色々回って思うに、日本人ほど掃除する民族はない。掃除してこそ日本人、と言っても過言ではないくらい。だから学校のトイレを児童に掃除させることもいいことなのではないか」と。 ほ、ほう! そうか。そういえば、確かにそうだ。 言われてみれば、働き者のお母さんが頬被りしてハタキをパタパタ、箒でサッサ、雑巾掛けでピーカピカ、大晦日にはお父さんや子供も総動員で窓ガラスを拭き拭き、なんて感じで日本人がいそいそと掃除している姿というのは容易に想像できるけれど、それと同じことをたとえばアメリカ人やドイツ人やベトナム人がやっているところを想像できない・・・。実際、アメリカ人男性が風呂場の掃除をしているところなんか想像できないじゃないですか。芝くらいは刈るだろうけど、芝刈りは「掃除」のカテゴリーには入らんしなあ。 そう考えると、確かに日本人ってのは「掃除する民族」なんだ! 掃除をしてこそ日本人なんだ! なるほどね~。さすがやくみつる先輩、いいこと言うねぇ。(←事実、やくみつる氏は私の高校の先輩にあたる) それに、小学生にトイレ掃除させるなんて、昔はどこでもやってましたよ。少なくとも私の通っていた小学校はやってました。 そうそう、それで思い出しましたけど、私の通っていた小学校では、トイレ掃除は結構人気がありましてね。 何故かというと、「サ○ポール戦争」という遊びが出来たからです。 今もあるのかどうか知りませんが、当時トイレ掃除のための洗剤として「サ○ポール」というクレンザー的なものがあって、プラスチックの容器に粉状になって入っている。でね、このサ○ポールの入った容器にちょっと水を入れて蓋をするわけ。すると・・・ サ○ポールには何か発泡剤的なものが入っているらしく、それが水と化合して容器の中で膨張し、限界を越えると、爆発的に蓋を吹っ飛ばすんです。「ボンッ!」ってね。これを我らは「サ○ポール砲」と呼んでおりまして、トイレ掃除班が敵味方二手に分かれて互いにぶっ放すわけですよ。これが面白いんだ! 子供ってのは、こういう危ない遊びが好きですからね! あ、現代の子供の皆さんは、こういうことを絶対にしないように。こういうことをすると、釈迦楽先生みたいな、しょーもない大人になっちゃいますからね! ということで、そんな下らないことも思い出しましたけれど、とにかくやくみつる先輩のおっしゃる通り、掃除は日本人の美徳。子供たち自身でトイレ掃除、大いに結構! と思っている今日の私なのでありました、とさ。
January 24, 2009
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うちの大学、1年生に半ば強制的にTOEICテストを年に2度、7月と12月に受験させ、客観評価による実力把握をすると同時に、成績優良者には教養英語の受講を免除するなどの便宜を図っておりますが、その受験実績が数年に亙ったということで、今日はTOEIC委員会の方が来学され、本学の受験生の成績分布などについて分析してくれました。 で、私も興味があったのでその説明会に参加してきたのですけど、まあビックリですわ。 何がビックリって、成績があんまりひどいもので。え、こんな低レベル? ってなもんです。 ま、これは何もうちの大学だけに限らず、日本全国の大学も同じようなものなんですけど、TOEICを受験する大学生1年生の平均点って、国立大系426点、公立大系で410点、私立大系で383点なんですって。 TOEICの満点って990点ですよ。半分行ってないじゃん! 文部科学省が目標値とする730点なんて、遠い遠い夢の世界ですな。 でね、「これは大学1年生のスコアなので、2年、3年、4年と進学するにつれて成績は上がるんだろう」と思われるかも知れませんが、さにあらず。全体的傾向としては大学1年生の4月の受験生をピークに、スコアは右肩下がりになります。うちの大学の1年生だけで見ても、7月に受験した時と、12月に受験した時を比べると、明らかに前者の方がスコアの平均値が高い。 つまりね、大学受験時が日本の若者の知力のピークってことですな。ただし、就職活動を念頭に置いて大学3年生とか4年生でTOEICを受験する学生は、もともとモチベーションが高いので、そういう学生だけをピックアップして集計すると、TOEICのスコアもそれなりに上がります。でも全体としては、受験が終われば勉強もしなくなる、というのが真実のようで。前から言われていることですけど、TOEICスコアの統計から見ても、そのことは立証されます。 ちなみに、TOEICテストには「リスニング・セクション」と「リーディング・セクション」があるのですけど、大学センター入試の英語のテストにリスニングが導入された後も、リスニング・セクションのスコアが劇的に伸びたということはない、ということも、今回の集計・分析でよく分かりました。世上、入試にリスニングを導入すれば、必然的にリスニング力がアップする、なんて言われていたようですが、そんなことない、ない! それにしても、うちの大学を含め、日本の大学生の英語力、ちょっと不安だよね~。 文部科学省は、数年後から高校の英語の授業を全部英語でやる、などという無謀なことを言っているようですけど、そんなことやる前に、もっと基礎的なことをしっかり詰め込まないとだめなんじゃないでしょうか。 でも、今日見せてもらったうちの学生のスコア・データ、学長には見せられないよな・・・。見せたら、「英語科は何を教育してるんじゃ!」とか、大目玉喰らいそうです。「勉強よりもバイト」という溶岩流のような学生の趨勢を、わずか十数名の英語科教員で押しとどめることなど出来はしないということを、どうやって学長に納得させるか、頭を悩ませるところ。TOEICテストの導入なんて、軽々しく引き受けちゃったけど、貧乏籤を引いてしまったようです。ヤレヤレ・・・。
January 23, 2009
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はぁ~、ようやく終わった~! 何がって、講義ですよ講義。今期の、ということは今年度の講義が今日で終了~! ま、この先まだ期末試験もあるし、大学院の演習も少し残ってはいますが、それでも心の負担の大きい学部の授業が全部終わってしまうと、ぐっと楽になります。 で、この瞬間はね、色々と思うわけですよ。来年度の授業はこうしよう、ああしよう、あそこを改善しようとか。一応は、ね。しかし、実際に来年度になると、これがなかなか。時間的な余裕がなくて、100%新しい講義というのは難しいのですが。 しかし、来年度後期の「アメリカ文学史」は、ちょっとスタイルを変えようかな・・・。文学史ってのは、一番スタイルの変え難い授業題目でありまして、それに甘えてあまり代わりばえのしない講義が続いていたのですが、もうそろそろ、ね。 それにしても、一年の最後の講義を終えただけで感慨があるのですから、これが本当の最後の講義、つまり定年前の最終講義とかだったら、どんな感慨があるのでありましょうや。 実際、大学で2月くらいからぽちぽちと「○○先生最終講義」的なものがそれぞれの学科で開催されるのでありまして、私もできる限りそういうのには参加するのですが、真面目に専門についての講義をする人あり、大学に就職してからの様々な思い出を語る人ありで、先生方の個性が出て面白いものなんですよ。 そういうのを聞きながら、私だったらどんな最終講義をするだろう、なんて思うこともあります。もちろん、爆笑をとるような講義にするつもりですが。 さてさて、それはともかく、これからしばらく入試業務を中心とする雑務の日々が続きますが、その中でなるべく時間を作って自分の研究を進めたいと思います。頑張るぞ~!
January 22, 2009
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不景気や派遣切りの報道に接し、またこの寒空に路頭に迷っている人たちが沢山いることを知るにつけ、いつも思うことなんですが、国内にこれだけ問題がある状況で、それでも暢気に対外的な援助金的なものを出し続けるのって、少しおかしくないですかね。 たとえば国連の分担金。国連の運営費は年間三十数億ドルとかいう規模らしいですが、このうち日本の分担は16%超。22%を拠出するアメリカに次いで2番目の額というではないですか。 常任理事国でもないのに、ですよ。 ちなみにイギリス・フランスの分担率は6%台、ドイツで8%台、大国ロシアは1%台でしょ。どうして日本が16%なの。 国連への分担金だけではなく、日本が対外的に使っている各種援助金、全部合わせたら一体いくらになるのか。想像もつきません。 他人を助けるお金は、自分の家が足りてから支払うべきではないのかしら? 自分の家の中に飢えた人がいるのに、よそ様を助けている暇なんかないんじゃないの? まず家の中から始めよ! 私が総理大臣になったら、とりあえず国連分担金や対外援助金はすべてカット! そして逆に国連に援助金を申請しますな。首都東京・日比谷公園の派遣村を見よ、と。 で、それでは困ると言われたら、条件を出しましょう。日本に金を要求するのなら、見返りを提示しろと。外交をやろうじゃないか、と。 金を出せと言われて無条件で出すのは、「外交」じゃないです。「カツアゲされた」っていうんです。 なんかね、最近オバマ・ネタで、色々評論家が出てきてはブッシュ時代はどうだった、オバマになったらどうなる、などと言っていますが、目の前の矛盾についてどうして何にも言わないんだって。 ほんと、オバマは日本の大統領じゃないんだから、日本人がオバマに期待してどうするんだって、いいたいですなあ。
January 21, 2009
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1月20日は大寒だったそうですが・・・。 暦というのは、いつも私を悩ませるのですが、今年の1月20日が大寒だ、というのは本当なんでしょうかね? 大寒だの何だのってのは、旧暦をもとにしているのではないの? 旧暦だと、今はまだ去年の暮れ(12月25日)、ということになるわけでしょ? 旧暦と新暦の、この一月弱のズレ。これを踏まえた上で大寒だの何だのって言っているのか、それとも、そのズレをほったらかしにしたまま、そのまま新暦の日付に当てはめているのか・・・。 たとえば2月3日が「節分」で、4日が「立春」だとかって言いますけど、新暦の2月4日は寒いよ! 旧暦の2月4日は、新暦だと、今年の場合2月28日にあたるようですけど、2月の終わりともなれば、「ああ、これから春だな」ってな気にもなりますが・・・。どうなんでしょう、その辺? ま、それはともかく、このウソっぽい大寒の朝、私の身に恐ろしいことが。 明け方の夢で、私、なにかを飲んでいたんです。ごっくん、ごっくんと。ところが飲んでも飲んでも飲みきれない。あれ、おかしいな、どうしてだろうと思いつつ、それでもごっくん、ごっくん飲み続けて・・・ ふと目を覚ましたら、口一杯に液体を含んでいた、と。 え! 何? と思って飛び起き、洗面所に駆け込んで口の中の液体を吐き出してみると・・・洗面台が真っ赤に染まるほどの血! すわ、吐血? じゃなくて、実は唇を変な風に切って、血管が剥き出しになっていたのでした。それにしてもすごい量の血でしたが、それ以前に夢の中で飲んでいたのも実際には自分の血なんでしょうから、一体どの位失血したのか・・・。 というわけで、もう今日は一日、貧血でどんよりとしていたのでした、とさ。この唇の傷、病院行かないといかんかな・・・。
January 20, 2009
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所有する某一流メーカーのDVDレコーダーが何度目かの故障をしてから幾星霜。これ、買った時は最新型で10万円以上したのですが、やたらに壊れるので、その都度修理に出すのも面倒臭く、また近い将来に地上デジタルの時代になることを見越せば、それに対応したテレビに買い換える時に一緒にブルーレイのレコーダー/プレーヤーを新たに買った方が得策かとも思い、故障したままだらだらとそのままになっているという・・・。 そんな折も折、私が「伯父貴」と慕う同僚のO先生から興味深いお話しを伺いました。 O先生、最近DVDプレーヤーを買ったそうで、それがまた何と3000円ポッキリ。で、それを最近使っているのだそうですが、この使用感が抜群にいいと。 何しろDVDを入れてプレイ・ボタンを押すだけのシンプル操作。もう、ほとんどオーブン・トースターにパンを入れて焼くほどの単純作業にして、それで十分、納得の性能だというのですから、文句のつけようがないと。 で、そんな話を伺って、ワタクシも俄然、3000円プレーヤーに興味が出てきましたわさ。 いや~、他人のことは知らず、機械音痴のワタクシに言わせていただければ、一般にこの種の機器の操作ってのは難し過ぎ! そんな様々な機能、要りません。借りてきたレンタルDVDがちゃんと映りさえすればいいの。 私も、壊れた一流メーカーのプレーヤーを修理に出すより、あっさり3000円出して、聞いたこともないようなメーカーのシンプル・プレーヤーを買っちゃおうかな?! やっぱりね、シンプルが一番よ、シンプルが。 そういや、実家でも嘆いていましたよ。最近ケーブル・テレビのシステムが代わって、それに対応した機器を買ったのだけど、今度のは「地上デジタル」「BS」「CS」の3つを切り換えながら観たいチャンネルを探さなければならなくなって、面倒臭くなったと。 年取ってから生活を複雑にしなきゃならんのって、我々若い者が想像する以上にしんどいと思うんですよね。 だから、シンプル。家電製品の目指すところは、ひとえにこのシンプルさであって欲しいと思うのであります。 というわけで、このオーブン・トースター並みの簡単さという3000円DVDプレーヤーに興味津々なワタクシなのでありました、とさ。 まじ、買っちゃおうかな!
January 19, 2009
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今日はセンター入試の二日目。理科系5科目の試験がありましたが、受験生も大変だねえ・・・。 さて、それはともかく、試験監督の合間の休憩時間を縫うように『高橋是清自伝』(上下 中公文庫)を読んでいたのですが、これに面白いことが書いてありまして。 高橋さんの父親違いの妹さんというのが、若くして肺の病気で亡くなる時、娘さんをこの世に残して死ななければならないというのが心残りで非常に生に執着し、高橋さんの手を握りながら「も一篇達者な体になりたいが兄さんどうかならないでしょうか」と縋ったんですって。 で、高橋さんとしては可哀相で仕方がなかったんですが、もうどうにもならんということも分かっていたので、「そんなに気を落とすものではない、お前は番町で俺と一しょに仏教の研究をしたじゃないか、あの時のことを思い出したらよい」と言い聞かせたと。すると、妹さん、ハッとしたように高橋さんに縋っていた手を離し、両手を胸の上に組んで合掌したかと思うと、死相の出ていた顔にみるみる顔に赤みが差し、生き生きとした荘厳な表情になって、すっかり安心したように息を引き取った。 で、この時高橋さんが思い出したのは、彼のお祖母さんが、そのまた叔母さんを看取った時、やはり同じように生に執着を見せたので、お祖母さんが「叔母さま、かねての信心をお忘れなさるなよ」と声をかけると、初めて安心したような笑顔を見せ、「南無・・・」といった切りそのまま息を引き取った、という話。で、このことから「人というものはいよいよ死ぬる際になると、ともすれば安心が出来ぬ、迷いが起る。その時は、はたから注意してやらねばならぬ」と、高橋さんはお祖母さんから常日頃、教え諭されていたんですな。で、そのお祖母さんの教えが正しかったことが、妹さんの死に際して分かった、と。 ところが、今度はこのお祖母さんが87才の高齢で亡くなる少し前から、長い間の習慣であったお経を読むのを止めてしまったんですな。ま、少しボケも入っていたらしいのですけど、どうも彼女の床を仏壇の近くから別のもっと暖かい部屋に移したのが直接の原因らしい。そこで高橋さんが「お祖母さま、いつものことお忘れあるな」というと、このお祖母さん、急に元気を起こし、着物を着替えさせてくれ、と言うんですって。で、高橋さんが着替えさせてあげると、「アァいい気持ちになった」といい、なにかしら口の中でお経を口ずさみながら、合掌して、そのまま往生した・・・。 ・・・往生三連発。 ま、そんなこんなで高橋さん曰く、「死ぬる間際は、よほどの英傑でも、ややともすれば気が飢えて、心がうつろになるから、その時には、はたにいるものが、ちょっと気をつけてやらねばならぬ」(上巻・139頁)。 うーん、良い事を聞きました。 ワタクシもね、サムライ・スピリットを持つ者として、自分が死ぬ時は見苦しくないようにしたいと常々考えておりまして。だってどうせ死ぬんだもん。じたばたしたって、すっきり死んだって同じでしょ。だったらすっきり死ぬ方を選びたいじゃないですか。 で、このことに関して思うのは、数年前に亡くなった英文学の先達、高橋康也さんのこと。高橋康也さんはクリスチャンであったこともあるかもしれませんが、亡くなる時、その最後の言葉は「ああ、美しい!」だったと伺っています。 すごいよね、そんな言葉が最期に言えたら。残されるものだって、その最期の言葉によって心穏やかになれるというものでしょう。 ということで、ワタクシとしても、自分が死ぬ時は家内の顔を見て、ニッコリ笑って、「楽しかった!」と言って死ぬつもりなんです。 だけど、そううまく行くかな?! なんか、「コワイよ~! 死ぬのイヤだよ~!」とか言って、じたばたしそうな気がするんだよね~! 高橋是清さんの用語を使えば、「気が飢えて、心がうつろに」なりそう。だから、これから死ぬまで、それが20年後なのか、30年後なのか、はたまた40年後なのか分かりませんが、修行を重ねて少しずつ覚悟を決め、カッコよく死のうと思っているんです。 だけど、それでも修行が足らず、見苦しく生に執着しそうな時は、ぜひ家内から「日頃の覚悟を思い出し、往生なさいませ」と言ってもらおうっと! そしたら、きっとワタクシもみるみる神々しい顔になって、お手々のシワとシワを合わせて「南無~・・・」とか言いながら死ねそうです。 さて、それはともかくね、この『高橋是清自伝』、めちゃくちゃ面白いよ。短くは紹介しきれないぐらい面白いので、お読みでない方は是非! 教授のおすすめ!です。これこれ! ↓高橋是清自伝(上巻)高橋是清自伝(下巻)
January 18, 2009
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今日はセンター入試の初日。例によって英語のリスニングで、機器の故障による再テスト(専門用語では「再テスト」じゃなくて、「再開テスト」って言うんだよ~)が続出したみたいですけど、幸い、うちの試験会場ではそういうのはなかったみたい。ラッキー! ちなみに私、試験監督しながら英語の筆記とリスニング、両方やってみたのですけど、軽く満点取れたね。当たり前か。取れない方が問題か。 でも、リスニングはともかくとして、筆記試験の方はね~、ちょっとアレなんじゃないでしょうか。 つまり・・・「読後感」ならぬ「受験後感」が良くないといいますか、味わいがないっつーのか。要するに、いかにも浅薄なものを読まされた~って感じがするんですよね。深みがなーんもないの。 試験問題とはいえ、昔はもう少し読んだ後「なるほど」と思わせるような内容のエッセイとかね、そういうのがあったもんですが、最近はもう問題作成者の意図がみえみえみたいな問題ばっか。石川五右衛門じゃないけど、「またつまらぬものを切ってしまった・・・」とでも言いたくなりますね。 この浅はかさは、ものすごく厳密にやっているであろう単語制限が原因だね、多分。 だって、全問を通して骨のある単語が一つも使ってないんですもん。いかにも「教科書でやりましたよね」的な単語ばかり。全国の高校で使っている教科書に共通して載っているような単語だけをつなげて無理やりストーリーを捻出しているものだから、その結果たるや見るも無残よ。ウソだと思ったら、明日、全国の新聞に掲載されるであろう問題を見てみて下さいな。 こういうのを悪しき平等主義っていうんじゃないですかね。 いくらセンター試験だからって、もう少し、単語制限の枠をはみ出してでも、達成感のある問題作りなさいって。 さてさて、いつまで続くぬかるみぞ。このテスト、まだ明日も続きます。全国の受験生諸君、頑張り給えよ!
January 17, 2009
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明日からセンター入試が始まります。今日は大学も準備のためにお休み。ということで、家内が借りていた本を返す用事もあって、午後から二人で近くの市民図書館に行きました。昨年秋に新装なったばかりの出来立ての図書館です。 で、本を返したり、新たに本を借りたりするだけではつまらないので、ちょっと雑誌でも読んでいこうということになり、図書館内のそこここにある座り心地のいい椅子に腰掛けて、家内はファッション誌を、私は経済誌・クルマの雑誌・パソコンの雑誌・建築の雑誌などをむさぼり読むこと小一時間。特にネットブック・パソコンの購入をちょっと考えていた私としては、機種選定のための情報をバッチリゲットしちゃったよ。 そんな風に図書館でさんざん楽しんだ後、ついでに新刊書店でもちょいと立ち読み。 そして、その帰りに今度は大型家電量販店に向かいます。 で、まずはケータイ売り場へ。ふーん、最近は機種変更も高いんだなあ。昔みたいに1円、なんてのはもうないんだ。こんなに高くちゃ、今のケータイ、替えられないよ。別にこまっているわけでもないし、ま、いいか・・・。 お次は冷蔵庫コーナー。うーん、最近の冷蔵庫はよくできているねえ。外寸変わらず中は広々。しかもドアポケットが分厚くて、なんでも入りそう。ほ、ほう、昔はドアポケットにあるのが定番だった卵置き場は、最近は庫内のこのあたりが定位置になったのか・・・。なるほど、なるほど。 そして今度はオーブントースター売り場へ。なんか最近のトースターはデザインが良くなったね! カクカクしていて、プロっぽい。へえ、こんなにカッコよくて3000円しないのか・・・。安いなあ。それから、お隣のコーヒーメーカーも色々なのがあるね。 あー、見てるだけです。いや、新婚じゃないです。 家内と冷蔵庫やらオーブントースターなんか見てたら、店員さんに新婚と間違われたよ。 次はオーディオです。あれ、デノンが新しいミニコンポ出したんだ。ブラックでカッコいいなあ。あ、ヤマハの小型コンポもある。こんなの見たことないぞ。最近のは、どれもiPod対応だねえ。 次はパソコン・・・と思ったけど、向こうにいる店員さんがこっち見てるぞ。あんまり長居すると、寄って来そうだからここはそそくさと流すか・・・。 じゃ、最後はデジカメだ。ひゃー、最近のは小さくて軽いね。その割に画面は大きいし。へえ、これで2万円しないのか。安くなったなあ。これ、欲しいけど、ここに売ってないリコーのモデルを見てからにするか・・・。 ・・・というわけで、しばし家電の新製品をブラウズして大いに楽しんだものの、結局、電球一つ、乾電池一つ買わずに出てきちゃった。 っていうか、今日はまだ一銭も使ってないじゃん! 一銭も使ってなくても、結構、楽しめるもんだなあ・・・。今日はさながら、貧しい夫婦の貧乏デートですね。 というわけで、お金は使わなかったけど、結構楽しい午後のデートを楽しみ、家に帰ってから買ってあった甘酒を飲んで、午後のお茶代わりにした我らだったのでした。明日からはセンター入試業務ですが、今日はノンビリ。英気を養ったのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
January 16, 2009
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今日のブログは長いよ! 覚悟してね! 『英語青年』という、英語学・言語学・英米文学・英語教育など、英語関係の学問をひっくるめて扱っている雑誌がありまして。「青年」という名前ではありますが、実は明治31年の創刊、総号1920号、110年もの歴史と伝統のある雑誌で、相当な「老年」ではあります。 ちなみに、この雑誌、我が釈迦楽家では祖父の時代から何十年にも亙って講読し続けており、それをすべて私が引き継いでいるので、実家の私の書棚のかなりの部分はこの雑誌を製本したもので占められております。私にとってはそれほど大事な雑誌、ということになりましょう。 で、その伝統ある雑誌が、来月に刊行される2009年3月号をもって休刊になる、と。ま、出版元は「今後はWeb雑誌として継続する」と言っていますが、110年もの間、紙媒体の雑誌として刊行され続けていたものが無くなるとなれば、それは休刊というより、事実上の廃刊でしょう。 110年の伝統を持つ雑誌が廃刊になる。100年を越す伝統を持つ雑誌など、この国には幾つもないと言うのに。 で、実際、先月末に朝日新聞にこの雑誌の休刊が報じられた時、私も相当ショックを受けまして、すぐに所属学会の恩師や先輩、同僚、友人たちにメールを出し、何か休刊阻止のための行動を起こせないかと思ったのですが、意外なことに、私が相談したどの方も、この件に関して割とクールな受け止め方をされていることが分かった。 つまり、この雑誌の休刊は起こるべくして起こったことであって、それが時代の流れであり、また出版元が既に休刊を決めている以上、外部の人間が干渉できるものではない。と、まあ、そういうご意見の方がほとんどだったんですな。 うーん・・・。そ・う・で・す・か・・・。みんな、案外冷たいねえ。皆さん、この雑誌と共に、この雑誌と並走しながら、英語関係の先生になってきたんじゃなかったの? ま、この雑誌の恩恵を受けてきたはずの英語関係研究者の皆さんが、「あれはもうダメ」と思っているのであれば、もうダメなんでしょうな。 で、そうこうしている間に、つい先日、この雑誌の「2月号」が出版された、と。これはつまり最後から2番目の号でありまして、そこには来月号すなわち最終号の予告が書いてある。 で、それを見ていささかガッカリ。そこには何も書いてなかったんです。つまり、来月号が110年の歴史の幕を閉じる特別な号であることを伺わせるような特集っぽいものが何もなかった・・・。 ひゃー! 研究者だけではなく、出版元自体、この雑誌に対してやけに冷たいですな・・・。平然と、何ごとでもないかのように、幕を閉じるというわけか・・・。 いや~。私としては、緊急特集でもいいから、何かやって欲しかったなあ。英語関係の主だった研究者たちにインタヴューするなど、『英語青年』110年の歴史を跡づけることをして欲しかった。「『英語青年』とわたし」的な緊急大特集でも組んで、せめてこの偉大なる雑誌の最後を華々しくして欲しかった。 だって、110年続いた雑誌が今、終わろうとしているんですよ! 巨木が倒れるんですよ! 110年の歴史を持つ雑誌をこれから作ろうとしたら、この先110年間かかるんですよ! 大体、本当にこの雑誌、休刊(=廃刊)を避けられなかったのかしら。そこが、私としてはいま一つ、納得できないんだよなあ。 現状『英語青年』はB5版で本文64ページ。これに12ページほどの広告がつきますが、それでも76ページ。薄い雑誌ではあります。で、その薄い雑誌にして「1200円」という値段は、果たして適正なものといえるのか。私の周囲でも、「『英語青年』、薄い割に高いよね・・・」という声は随分前から聞こえていました。 もちろんもう少し安くすれば売り上げが劇的にアップするだろう、などと短絡的なことを言うつもりはありません。ありませんが、しかし、たとえば雑誌の紙質を2段階か3段階ほど下げ、製本方法を今より簡略化し、表紙も2色擦りにするとか、さらに論文や記事の筆者に対する原稿料をぐっと下げるなどして雑誌の製造コストを下げると同時に、もう少し沢山の(異業種も含めた)広告をとってきて雑誌の値段を1000円未満に、できれば700円台くらいに下げることはできなかったのか。 で、その一方、雑誌の内容ももう少し考える、と。 もともと『英語青年』という雑誌は、ジャパン・タイムズが創刊に関わっていたことからも分かるように、英語を勉強したい人のための雑誌だったんですな。その伝統はその後もずっと残り、後に英米文学の研究や紹介のための雑誌に変わっていく中でも、たとえば「英文和訳」や「和文英訳」のコツなどを伝授するコーナーが引き継がれたりしていた。私も大学院を受験する時には、山田和男さんという和文英訳の鬼みたいな人が担当していた時代のこのコーナーを使って英作文の修行をしましたもん。 で、だからこそ、この雑誌は日本中の中学・高校の英語の先生も購入したんですな。そういう先生たちにとって参考になることが書いてありましたからね。 しかし、その後1980年代くらいからかなあ、この雑誌がどんどん専門性を高めて行ったのは。1990年代になったら、もう中学・高校の先生が読むところはほとんど無くなってしまって、大学の英語関係研究者プロパーの雑誌になってしまった。つまり、読者が急激に狭まって行ったんです。 でも、1980年代の頃はまだよかった。というのは、この雑誌に執筆していた方たちのほとんどが、いわゆる「大御所」だったから。大先生のお書きになったものが読めるということで、他大学の先生方や、院生レベルまでこの雑誌を買って、斯界の大物の声に耳を傾けたんですな。 が、その後この雑誌は、善きにつけ悪しきにつけ、どんどん若向きになっていった。執筆者の顔ぶれも、かつての大御所連ではなく、30代、40代の新鋭・中堅どころに変わっていった。 もちろん、この現象をもって「若い人のパワーで雑誌を活性化した」と見ることもできます。しかし、若い人は自分の研究の発表で精一杯ですからね。勉強したての難しいことを書く。で、それを見て奮起した他の若手が、これまたさらに難しいことを書く。で、それを見た他の若手がさらに難しいことを書く・・・。 そうやってこの雑誌は、ただでさえ狭くなっていた読者層をますます狭めてしまった、と。 大体、1980年代くらいまで、この雑誌で誰か特定の作家の特集を組むとしたら、たとえば「シェイクスピア」とか「ディケンズ」とか、そういう作家の特集でしたよ。つまり少なくとも英語関係者なら誰でも知っている作家を取り上げていた。それが今ではどうでしょう。このところのこの雑誌の特集連載は「レイモンド・ウィリアムズ」ですからね。普通の人からしたら、「それ誰?」ってなもんじゃないですか。 これじゃ、読む人がいなくなるのも無理ないよね~。 ですからね、先程述べた「とりあえず販売価格を下げる」ということもそうですけど、内容的にも、もっと大きな読者層を狙うべきではないのかしら。若手研究者の先鋭な論文だけでなく、お年を召した大御所の先生の昔話を載せたっていいじゃないですか。そういう大御所の教え子というのは、少なくないんですから。 また、中学・高校(あるいは小学校)の英語の先生も興味を持てる記事を沢山掲載すべきだったんじゃないですかね。また、今でも結構「翻訳」に興味のある人は多いのですから、今はなき『翻訳の世界』という雑誌が担っていたようなジャンルも取り込むとか。あるいは、もう開き直ってこれも今はなき『蛍雪時代』的なところまで拾って大学受験を狙って英語を勉強する高校生でも読めるよう雑誌にするとか。もともとこの雑誌はそういう側面もあったんですから。 とにかくね、何でもいい、どんなスタイルをとってもいいから、私はこの『英語青年』という雑誌に生き残って欲しいんです。 何故なら、世のあらゆる雑誌にとって、究極の目標は「存続すること」だからです。 私は、この雑誌の出版元が、本当に最後の最後までこの雑誌の存続のための努力をしたか、ということを疑いますね。まだまだ存続させる手段はあったと、本気で思っています。 もし本気でこの雑誌を存続させるつもりがあったら、雑誌の中から呼びかけますよ、読者に。「この雑誌、赤字なんです。このままじゃ、110年続いたこの雑誌は廃刊です。それでいいんですか?!」と読者に呼びかける特集を組みます。とにかく買ってくれと。講読をやめた同僚がいたら、もう一度講読してくれるよう頼んでくれと、恥も外聞もなく昔からの読者に呼びかけますよ。 ところが、ところが、ところが! この雑誌の来月号(最終号)には、そんな最後のひと暴れすらもない! 嗚呼! 私がガッカリするのは、そこなんだよな! かくして、『英語青年』は来月号で事実上の廃刊になります。これから先、日本中の英語関係の研究者たちは、生まれて初めて「『英語青年』のない時代」を生きることになる。 この雑誌を愛してきた私は、とても悲しいです。
January 15, 2009
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昨日、昔のゼミ生から結婚の報告があった話を書きましたが、こういう話は続くもので、何と今日もまた別のゼミOGから入籍の報告がありました。しかもお相手はアメリカ人とのこと。4月からアメリカでの生活が始まるというのですから、羨ましい限り。 ところで、ここで目を芸能界に転じますと、結婚したかと思うと、あっと言う間に離婚するカップルが多いですなあ。最近もそういうのがありましたね。小柄な女優さんとお笑い芸人のカップル。その前にも、同じようなパターンで別れたのがありましたが。 しかし、何でそういうことになるんですかね。そんなに簡単に別れるくらいなら、そもそも結婚なんかしなけりゃいいのに。派手な披露宴で皆の前で誓いをたてて、その記憶も消えぬ間に別れるんじゃ、カッコつかないだろうと思うのですが。 ちなみに、ワタクシが予想するに、次に別れる芸能人カップルはあそこだな。それにあそことあそこも長くはもたないな。 逆に、あそこはもつだろうと思っているのは、お笑い系のF井さんのところ。それから同じくお笑い系のMンキッキーさんのところ。やっぱり、二人とも賢くて真面目でしっかりしているからね。 ま、それはともかく、これは一般論として思うのですけど、結婚する時には披露宴をしない、という風習を日本で作ったらどうでしょうね。「日本で披露宴ができるのは、結婚10年後を経たカップルに限る」という風に決めるわけ。 そこまでもてば、後は大抵もつだろうと。 いや、いやいやいや。記憶に新しい落語家と歌手のカップルの壮絶な離婚劇、あそこは結婚後10年以上経ってるか・・・。 でも、アレじゃないすか? 結婚して10年経って「披露宴をやるかやらないか」を考える時期になった時、その時点でもうお互いにうんざりしているカップルがいたとしたら、それこそ別れ時というもので、お互いの関係を見直すいい機会になるんじゃないでしょうか。落語家のところだって、10年目の時点で確認しあっていたら、あんなことにはならなかったかも知れませんよ~。 ちなみに我が家はもうすぐ結婚11年。ここで披露宴やるかって聞かれたら・・・やるよ! もちろん! ま、とにかく、結婚したワタクシのゼミ生たちには末永く幸せになってもらって、10年後もやっぱり今と同じような気持ちでいられるよう、祈っておりまするよ。
January 14, 2009
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今日は大学での授業再開の日。いきなり1限・2限と連続授業。だけど、それだけでは済まず、午後は委員会関連の肉体労働4時間。4時間ほぼぶっ続けですよ。 働かすよね~。(←はるな愛風に) 初っぱなで、まだ身体が慣れていないところへ持ってきてこんなですから、今日はもうクタクタ。 しかし、そんな中でも一つだけ嬉しいことが。大学の研究室宛てで、昔のゼミ生のY君から手紙が届いていたんです。 彼はもう6年くらい前の卒業生かな? 在学していた頃はちょっと頼りないところのある学生で、卒業単位が足りるのか、卒論が無事締め切りまでに書きあがるのかなど、私のみならず、学科の先生方を随分心配させたものでした。 そうそう、それで、あんまり我々を心配させた奴なので、卒業式の時くらい、少し奴を心配させてやろうということになりましてね。卒業証書授与の時に彼の卒業証書を別室に隠しちゃったんです。で、学科の卒業生たち一人一人に卒業証書を手渡していって、最後のY君の時に卒業証書がもうない、という芝居をうったわけ。何しろ教授陣全員が口裏を合わせていますから、もう迫真の芝居でして、自分の卒業証書がない、つまり自分は卒業できないんだと思ったY君はもう茫然自失。その様子があまりにも可哀相だったので、すぐに「ウソだよーーん!」と別室から彼の卒業証書を持ってきてあげましたけど、Y君は冷や汗をかいたり、ほっと安堵の熱い汗をかいたり、大変でした。 ま、あれはちょっと薬が効きすぎて、Y君には気の毒だったと少し反省しているんですけど、それでもうちの学科の伝説的エピソードとして、今に語り継がれているという。 ところで、そんな頼りないY君にも大きな取り柄がありまして、それは何かと言いますと、一つは写真への情熱、もう一つは筆が立つこと。彼の卒論は『決定的瞬間』で知られる写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンを論じたものでしたが、これがなかなか、イッパシ堂々たる写真論になっていた。 で、その後、Y君は写真で身を立てることを決意し、その意志を貫いて、現在も東京で写真家として頑張っているのですが、その彼が昨年結婚し、娘さんが生まれた、と。今回の便りは、その報告だったんですな。親子三人で撮った写真がついてましたけど、これがまた幸せそうな顔をしていて、見ているだけでも楽しくなってきます。 卒業式に眼を白黒させていたY君が、もう一家の大黒柱だもんなあ・・・。 というわけで、今日は仕事の上ではストレスの多い、疲れる一日だったのですが、Y君からの便りを見て、元気を取り戻したワタクシだったのでした。やっぱり卒業生からの手紙ってのは、教師にとってのビタミン剤ですな。Y君、お幸福に。そして、仕事頑張れよ!
January 13, 2009
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糸井重里さんのブログ「ほぼ日刊イトイ新聞」を読んでいたら、最近、日本人がお餅を食べなくなった、という話が出てきまして。 糸井さん曰く、昔は正月というと、飽きるほどお餅を食べた、と。しかし、最近、飽きるまでお餅を食う日本人って、どの位居るのか、と。 ま、糸井さんがおっしゃりたいのは必ずしもお餅のことではなくて、何だか日本人がみんなそこそこのところでセーブしちゃって、何かをとことんやり尽くすという気迫が無くなってしまったのではないかということなんですが、そのことはさておき、確かにお餅を食べる量、減りましたよね。私の実家でも今年あたりは随分余ってしまって、私も名古屋に戻る時に無理やり持たされましたもの。 私自身のことを考えても、三が日の朝、お雑煮として一個ずつ食べましたから、今年に入って食べたお餅の数は昨日現在で計3個。これでは、「食べ飽きる」というところまでは到底行きません。 ま、お餅の価値自体が、大分、減退しましたからね。昔はお正月にしか食べられないようなイメージがありましたけど、今はパック餅なら年中売ってますし、「正月だ! 餅食わなきゃ! 今食わなくてどうする!」っていう切迫感がなくなっちゃった。 でまた私の父なんかを見ても、歳をとるにつれて餅のように腹持ちのいいものよりも、むしろあっさりとしたパン食の方を好んでいるようですし。一家の中心からしてそんな調子ですから、家族全体として餅への執念が無くなってくるのも当然でしょう。 でも、そんなことを言われたら、何だかお餅が可哀相になってきたので、今日は午後のお茶の時に実家から持たされたお餅を一つずつ焼いて、アンコときな粉をつけて家内と食べました。 しみじみ食べたら、おいしかったですよ、お餅。 というわけで、俄然、判官贔屓でお餅好きになってきたワタクシ。まだ実家から持たされた餅はしこたまありますから、ここしばらくは朝食に餅一個、食べ飽きるまで食べようかな。とりあえず、明日の朝食は磯辺巻きじゃ!
January 12, 2009
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やーれやれ! 今日、最後の添削を仕上げ、今年度の卒論指導が終わりました~。提出締め切りは明後日ですが、これでなんとかゼミ生全員、提出できそうな感じです。 ということで、今日は年末に切れなかった髪の毛を切りに床屋さんに行って来ました。 ところで、私の行きつけの床屋さんには、髪の毛を切る人が3人いるんですが、そのうちの一人はすごく腕がいい。仮にAさんとしますが、Aさんがやってくれる時は決して失敗がないので、こちらも安心して黙って座っているだけ。 ところがあとの二人となりますと、これがやや心配なところがあるんです。二人ともとても親切で、こちらの好みを色々聞いてくれるのですが、結果はとても残念なことになることが多くて・・・(涙)。 でもねー、美容院ならともかく、床屋さんで「Aさんご指名」というのもちょっと気が引けるし、他の二人の方が気を悪くすると嫌なので、運を天に任せるしかない、と。 で、今日の運は・・・。 残念! もう~、ちょっと長めにって言ったのに~。いかにも「切ってきました~」みたいにされちゃったよ、トホホ。昔、テレビのコマーシャルか何かで「髪の毛切ったら、顔が出た」というのがありましたけど、そんな気分。寒風に顔剥き出しで、風邪引きそうだよ。 そういや、アメリカで研究員やってた時も、髪の毛切るのでは苦労しましたなあ。アメリカの床屋さんって、どういうわけかギリシャ人が多いのですけど、こっちの英語もたどたどしいし、向こうの英語もたどたどしいので、とにかく話が通じないわけ。でもギリシャ系、やたら陽気で話好き。お構いなしでがんがん話しかけてくる。で、その床屋のおじさんが何言っているのかさっぱり分からないながらも適当に相槌うってると、私がさも面白いことを言ったかのように爆笑してくれるわけ。それがおかしくて、こちらも爆笑。 で、あっちも爆笑、こっちも爆笑で、ほとんどブラザー状態。双方、肩をバンバン叩き合いながら店を出て、家に着いて、鏡を見て、ひょえ~っ! となる、みたいな。 それと同じようなことが、我が母国でも起きるとは・・・。 ま、しかし、鏡開きの今日まで正月といいますからね。さっぱりした頭で、明後日からの授業再開に備えますか。へ、へ、ヘーーックショイ!
January 11, 2009
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ひゃ~、昨夜、夜遅く、東名をかっ飛ばして名古屋に戻って参りました~。最近、このパターンが多いのですけど、夜遅くに高速道路を走ると、割と空いていていいですよ。トラックは多いものの、最近、制限速度を守るトラックが多くなったので、暴走トラックに追い立てられて怖い思いをすることも少なくなりましたし。 で、道々暇なので、珍しくラジオを聴きながら走っていたのですが、たまたま某放送大学で女性准教授が授業しているところにチューニングしてしまった、と。で、ま、いいかと思ってその授業を臨時「聴講」したのですが・・・、 おーーーーーー! つ・ま・ら・なーーーーーーい! ええっ! 本当かよ?! という位、つまらない授業でございますた。あまりつまらな過ぎて、ひょっとしてこれは何かのギャグなのか? と思えてくるほど。いや~、某放送大学って、こんなつまらないことやってるの? その授業のテーマは「生活者のリスク・マネージメント」とかいうものだったのですが、このタイトルを見て、何を言わんとしているか、分かります? 分からないでしょ? でも、実は簡単なことなんです。「普通、人は危険だと思うことにどう対処しているか」ということですよ。「生活者」だなんて、何のことかと思えば、単に「一般人」ということじゃん。何でわざわざこなれない、難しげな言葉に置き換えるかねえ・・・。「生活者」って何だよ? 対立概念の「専門家」は生活してないのかよ? で、とにかくその准教授によれば、「生活者」と「専門家」では、リスクに対する見方が違うと。専門家がリスクを考える時、まず「エンド・ポイント」を設定する。たとえば「人の死」をエンド・ポイントに設定すると、リスクの相互比較が出来るようになる。飛行機事故で年間何人死ぬか、自動車事故で年間何人死ぬか、自然災害で年間何人死ぬかを比べれば、どれが最もリスクが高いかが分かる・・・。 何言ってんだろうね、この人は! 何が「エンド・ポイント」だよ? その程度のリスクの比較なら、別に専門家として「エンド・ポイント」とやらを設定しなくったって、普通、するだろうし、したからといってどうなるもんでもないでしょう! でまた、この人、飛行機事故のリスクについても「生活者」と「専門家」では見方が違い、往々にして生活者が危険だと思っていることでも、案外専門家は危険と見なさないことが多い、なんてことも言うんだよね・・・。 で、ごちゃごちゃ説明していたのですけど、たとえば飛行機が墜落して多数の死者が出るような事故が起こったとする。このような場合「生活者」は、「飛行機は危険だ」と判断し、「明後日の出張、新幹線にしよう」という行動に出たりする。ところが専門家は、飛行機墜落の原因が天候によるものか、パイロットの錯乱によるものか、飛行機自体の故障によるものかを突き止め、その原因が明後日の出張で乗る飛行機に影響を及ばさないと判断すれば、恐れずにその飛行機に乗る。つまり、生活者の方が専門家より過剰なリスク・マネージメントをした、ということになる、と。 そしてこのようなことから、生活者と専門家のリスク・マネージメントの差は、生活者が一般に限られた情報を元に判断する傾向があるのに対し、専門家は多用な情報源を活用し、総合判断できることにある、ということが分かる、と。 ・・・絶句。 なんか難しいこと言ってごまかしているけど、この人が小1時間かけて説明していたことを一言で言えば、「普通の人は愚かだ」ということじゃないの! だったら、最初からそう言えばいいのに! ワタクシだったら、こう言うな。「飛行機事故の確率と自動車事故の確率、飛行機事故の方がよっぽど低いのよ。友達が自動車事故を起こした、とかいう話は聞いたことがあるだろうけど、友達が飛行機事故にあった、という話なんか聞いたことないでしょ? そういうこと。だけど一般人って馬鹿だから、飛行機落ちた話聞くと縮み上がるわけ。飛行機コワイ!って。馬鹿だね~。そういう人がいたらね、おまえが運転するクルマに乗る方がよっぽどコワイわ!、って言ってあげてね。」 ワタクシの話、30秒で終わるよ。しかも、「生活者」も「エンド・ポイント」も「リスク・マネージメント」も出て来ないぜ! しかし、この講義、「第14回目」とか言ってたけど、こんなつまらん授業を過去13回もやってたんですかね?! ワタクシが受講生だったら、気が遠くなるね。 長年大学の先生やってても、他の先生がどんな講義をしているのかってことは、ほとんど知るチャンスがないんです。だから、今回、偶然某放送大学を聴講して、他の先生の講義を聞いてビックリしてしまったのですけど、それにしても、一般に大学の先生ってのは、みんなこんな感じで授業やっているのかしら? マジで「生活者が・・・」とか言っているんでしょうかね? これに比べたら、言っちゃ悪いけど、ワタクシの講義なんてどの位面白いか、分かったもんじゃないよ。 某放送大学のお偉いさんたちよ、一度、釈迦楽教授の講義でも聞きに来なって。金がとれる講義ってのがどういうもんか、見せてやるぜ!
January 10, 2009
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昨夜、天気予報で「関東平野部でも未明から雪」なんて言うから、朝起きたら一面の銀世界かと思って楽しみにしてたら、雪なんか全然降ってない。なーんだ、嘘八百のコンコンチキじゃん! とつぶやいてしまったんですけど、そう言えば最近誰も言いませんね、「嘘八百のコンコンチキ」って。 っていうか、「コンコンチキ」って何? それはさておき、ネットで入手した大原富枝著『彼もまた神の愛でし子か』(ウェッジ文庫)を読了しました。これ、『気まぐれ美術館』などの美術エッセイで名高い洲之内徹の評伝なんですけどね。 ま、私、実はさほど洲之内徹のことに詳しくないので、この本を読んで初めて知ったことも多いのですが、洲之内さんと言う人は、まあ、相当な火宅の人だったようで・・・。体格などは貧弱だけど、どこか独特の男性的魅力があった人のようで、女性にもてるけど、女性を幸せにはしないタイプの男だったみたいですね。 ・・・ワタクシとちょうど逆だな、などと言ってみたりして・・・。 でまた、女性に対してだけではなく、誰であれ嫌いな人に対してはとことん冷酷なところのある人だったそうで、そういう面でのエピソードには事欠かないみたい。 だけど、そんな風に色々と欠点のある人ではありながら、絵に対しては、あるいは美に対しては、これまたとことん愛情深く接した人だった、というところがまた、人間の面白いところでありまして。若き日に左翼運動にやぶれ、その後中国における日本軍の手先のようなこともし、引き揚げてからは作家にならんと奮闘し、その夢が破れた後、ひょんなことから画商となり、50代も半ばを過ぎてから「絵をめぐるエッセイスト」という独自の立場を見出したという数奇な人生を送った人なんですと。 さて、で、そういうことが書いてあるこの本、面白いのかと言いますと・・・ うーん、ビミョー! かな・・・。 ちなみにこの本は一応、名著ということになっておりまして、これを評価する人は多いらしいです。ですから、「さほど・・・でもないんじゃないの?」と思っているワタクシは、多分、どこかおかしいのかも知れません。ですから、私が何を言おうが、きっとこの本はいい本なんですよ。 でもね、はっきり言っちゃうと、大したことないよ! これは私の持論でもあるんですけど、やっぱりね、評伝ってのは、調べて書けるもんじゃないね。大原さんは、若い時から洲之内さんと「文学友達」だったそうですが、それはつまり「他人」ということでありまして、本当の意味で洲之内さんを知っていたことにはならない。ですから、この評伝を書くにあたって色々調べなきゃならなかったわけですが、調べた割に作中、洲之内さんが生き生きと描かれているかというと、そうでもない(と私は思う)んですよね~。 それに、も一つ難点を挙げますと、書き方がちょっと変というのか、凝り過ぎているというのか、地の文と引用文とを敢えて交錯させるものだから、ある文章を読んでいて、それが大原さんが書いている地の文なのか、洲之内さんの文章からの引用なのか、それとも洲之内さんの愛人が語っていることなのか、わからなくなってくることが多々ある。これは洲之内さんの内面をよく描いている文だなあ、と思ったら、本人の弁だったりしてね。その辺、妙にややこしや~、ややこしや、というところがある。そんなのちゃんと読めば区別がつくだろうと言われたら、その通りなんですが。 私が「これはすごい評伝だ」と思うのは、岡野弘彦著『折口信夫の晩年』、加藤守雄著『わが師 折口信夫』、ボズウェル著『サミュエル・ヂョンスン伝』の3つで、これらはいずれも、評伝の対象となる人物と、評伝を書いた人物が長い間一緒に暮らした経験があるものばかり。これにやや遅れて続くのがジョージ・プリンプトンの『イーディ』ですが、この場合、プリンプトンはイーディの親戚や親しかった人に徹底インタビューし、そのインタビューだけで評伝を構成しているので、実質、イーディを色々な形で直接知っていた人による評伝ということになる。やっぱ、評伝というのは、そうでなきゃ。で、これらを越すか、せめて並ぶくらいのものでないと、もはや感心できない身体なんです、ワタクシ。で、これらを10段階評価の10とか9としたら、『彼もまた・・・』は1点か、2点か、いずれにしてもそのくらいですな。 で、さらに思うのですが、もし洲之内徹について評伝を書くのであれば、ジョージ・プリンプトンがイーディについてやったように、生前の洲之内さんを知っていた人たちにできる限り沢山面会して、その人たちが洲之内さんのことを何と言っているか、その言葉だけをつないで、一つのポリフォニックな評伝にすればよかったのに。やたらに居た愛人たちが彼のことをどう言っているのか。彼の批評眼を愛した画家たちが彼のことをどう言っているのか。彼の妻や息子たちが、今彼のことをどう思っているのか。そういう、生身で洲之内さんと接してきた人たちの声だけで構成した評伝にすれば、相当面白いものができたと思うのですけどね。 題材が面白いものだけに、惜しい! そんなわけで、今回の洲之内徹伝、教授のおすすめ!・・・は無しよ、ということで。洲之内さん自身に興味が出てきたという方がいらっしゃれば、彼の『気まぐれ美術館』の方をお読みください。
January 9, 2009
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先日、相撲解説者の舞の海さんが、進退のかかった初場所を前にした朝青龍に「引退しないで下さいね!」と声をかけたところ、朝青龍は顔色を変えて「顔じゃねえ!」と怒鳴り、舞の海さんのことを罵倒したとか。「顔じゃねえ」とは、つまり「お前のような小者にあれこれ言われる筋合いはない」という意味ですが、朝青龍を励ますつもりで「引退しないで!」と声をかけた舞の海さんとしては、さぞ不本意だったことでありましょう。 ま、私がここで言いたいのは、「言葉というのは、概して、通じないものである」ということなのですが。 さて、話は変わりまして。 どの大新聞にも同種のものがあると思いますが、我が家がとっている新聞にも「歌壇」とか「俳壇」というものがあって、名のある歌人・俳人が選者となり、素人の投稿した歌や句を選んで載せるというページがある。で、私の母はそのページを毎週楽しみにしているんですな。 で、今日もそのページを読んでいた母が、ふふっと笑って「面白いのがあるよ」と、ある投稿歌を教えてくれたんです。それはどういうのかと言いますと、 「流感を恐るる妻は自らを除く家族の注射手配す」 というもの。なるほど、これは面白いと私もつい、あっはっは、と笑ってしまったのですが、そのまま読み続けていた母が、しばらくして「うーん・・・」とうなった。どうしたのかと思ったら、この歌を選んだ選者のこの歌に対する解釈が変だ、というのです。そこにはこう書いてあったんです。「評:自分のことを考える人は他者のことを考えない。他者のことを考える人は自分のことを考えない。妻また母親は往々にして後者。」 つまりこの選者は、この歌の「妻」なる人物のことを、「己のことまで気が回らないほど家族を大事にする良妻・賢母である」と見たわけですな。家族の流感予防のことは一生懸命気遣ったけど、肝心の自分のことまで気が回らなかったと。 そうですかね・・・? ちなみに母と私の解釈は、むしろ逆です。この「妻」は、流感に掛りたくない。だけど注射は痛いから嫌だと思っている。では、どうすればいいか・・・。そこで一計を案じた彼女は、自分を除いた家族全員に流感の予防注射を強制的に受けさせた。つまり、家族が流感にかからなければ自分も移されることはないだろう、ウッシッシ、という計算である。 ま、そういう風に解釈します。つまり、この「妻」は「自己献身的・利他的な良妻賢母」というのではなく、ちゃっかりしたお母さんである、と見たわけですね。だから笑ってしまったわけです。 同じ歌、同じ言葉を読んでいるにも関わらず、この「妻」を「頭の下がるほど利他的な人」と読む人もおり、一方、正反対に「利己的な人(利己と言ったって、悪い意味ではなく、むしろ愉快な種類のものですが・・・)」と読む人もいる。そういうことですな。 ね、言葉って、通じないもんでしょう? でもね、母も私も、自分たちの解釈に自信はあります。「自らを除く」というのは、意図的なものでしょう。私たちのように読まなければ、この歌はちっとも面白くない、と思うんです。選者の方は、この歌を誤解しているんじゃないすか? さてさて、この歌の解釈勝負、選者の勝ちか、それとも釈迦楽母子の勝ちか? 読者諸賢のご判定や如何に?
January 8, 2009
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太宰治が滞在して『富嶽百景』を書いたといわれる「峠の茶屋」から見た初富士を撮影したいという父の希望もあって、両親とともに河口湖まで小旅行してきました。 昨年のちょうど今頃、やはり河口湖へドライブしたことがあったので、そこは慣れたもの。わずか1時間半ほどのドライブで中央道河口湖インターに到着。早速、峠の茶屋へ。こんな感じ! ↓ 茶屋の建物自体は、太宰が滞在した時のもの、そのまんまではないようですが、なかなか趣があります。でまた、当時と同じく甘酒とかほうとうなど旅人に供してくれるのですが、この甘酒がね、抜群なんですわ。ま、はっきり言って「ワタクシ史上、最高の甘酒」の称号を与えてしまいましょう。甘酒というと、甘すぎたり、ぬるすぎたり、麹の香りが強すぎたり、酒粕の癖が強すぎたり、色々難点があるのが普通ですが、ここの甘酒は完璧。さらっとした上品な甘さで、舌を焼かないぎりぎりの高温。その青みがかった白さは、まるで5分粥ででもあるかのような佇まい。ここへ来たら、この甘酒を飲まない手はないんじゃないでしょうか。 さて、そして次にお見せするのが、その茶屋から見た富士の姿。例の「富士には月見草がよく似合ふ」という名言で名高い、その富士です。これこれ! ↓ なかなかなもんでしょ? で、太宰ゆかりの富士を堪能した我らは、その後、フレンチの名店「ブション リヨン」でおいしいランチをいただいた後、河口湖・西湖・精進湖とめぐり、1000円札の富士のモデルとなった「精進湖から見た富士」なんかも見たりしながら、その日は河口湖泊。 ちなみに、泊まったのは「ホテル レジーナ河口湖」というホテル。ここ、たぶん富士急ハイランドに遊びに来る人たち御用達のリーズナブルなホテルなんですが、そういうホテルだからどうせ期待はできないだろうと思ったら、さにあらず。すごく良かったです。何しろ泊まった部屋(4人まで収容可)は二部屋に分かれていて、広さも51平米もありますから、ちょっとしたマンションなみ。親子3人で泊まっても余裕綽綽。備品も納得。食事や大浴場(中浴場くらいかな・・・)も納得。従業員の皆さんの接客もとても感じがよく、この値段でこの内容なら大満足、という感じでした。 だけど、何にも増してこのホテルの好いところは、その圧倒的な富士の眺望です。朝起きて、カーテンを開け、どーんと目の前に姿を現した富士のスケールのでかさ! 手前に広がる樹海越しに見える富士の威容は、もう特筆もの。これこれ! ↓ 携帯のカメラじゃ限界がありますが、実物はもっともっとすごいですよ! かくしてレジーナ河口湖での宿泊を堪能した我ら親子は、もう一度河口湖畔での富士撮影を行ったのですが、これもなかなかの絶景でした。これこれ! ↓ そしてその後、河口湖を後にした我らは、ちょいと足を延ばして小淵沢を訪れ、「工房 月の手」でちょっと茶碗を買ったり、その近くにある「トラットリア タダリコ」でおいしいパスタを食べたり。あいにく「とりはた」さんが定休日かなにかでおいしいジャムを買うことはできませんでしたが、その代りリゾナーレ小淵沢の中にあるお店で白桃と洋ナシのジャムを買うことができたので、それに満足して一路東京に戻ってきた、と。 今回の旅は、デジカメに凝っている父のための富士撮影会がメインでしたが、やっぱり富士山というのは、神々しい山であるなあと改めて思いました。関東人にとって、富士山というのは、やはりアドレナリン増強元ですね。ということで、この富士のエネルギーを取り込んで、今年は頑張るぞ~! という意気込みのワタクシなのでありました、とさ。メデタシ、メデタシ。
January 7, 2009
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ちょいと事情がありまして、今日の夕食は家族で外食して鮨を食べたのですが、期待していなかった割に美味しかったですね。っていうか、基本的に鮨っていうのは、美味しい・・・ですよね? ・・・「ですよね?」って自信なさげなのは、どうもね、ワタクシ、鮨という食べ物がいま一つ分かってないというか、ま、そういうところがあるんです。 たとえばね、どこかデパートのレストラン街みたいなところへ行って、「とんかつ」もある、「蕎麦」もある、「中華」もある、「釜飯」もある、「お好み焼」もある、各種「洋食」もある、そして「鮨」もある、という状況で、まっ先に「お、鮨屋がある。鮨食おう!」という発想が浮かばないんですよね、ワタクシの場合。 じゃ、鮨が嫌いかというとそういうわけでもなく、むしろ食べれば旨いなと思うことも多い、と。 じゃ、なんで最初に「俺は鮨が好きなんだから、鮨食おう!」という発想が出てこないのか・・・。そこがね、我がことながら、今一つ分からないところなんですわ。 もっとも、たとえば漁港が近くにあるようなところに旅行した時に、「せっかくだから鮨でも食おうや」というような話になることはあります。ただ、私の経験から言いますと、漁港の近くの鮨屋ならどこでも旨いかというと、そうでもないような気がしますけどね。 ひょっとしてアレですかね。鮨というのは、基本メインだけ、つまり前後(=前菜、サラダ、スープ、デザート、コーヒーみたいなもの)がないものですから、何となく物足りない気になるのかしら・・・。 いずれにせよ、鮨屋というのは、私にとって、なかなか縁遠いところではあります。 ところが、これまた驚くことに、我が姉はそうではないんだなぁ。意外や意外、私とは違って我が姉は「はっきり意識した鮨好き」で、先ほど挙げたデパートのレストラン街のようなシチュエーションでも、積極的に鮨屋を選ぶというのですから、同じ姉弟なのに不思議なものです。もっとも、姉が鮨好きというのは私もつい最近知ったのですが・・・。 ま、それはともかく、今日、入ったお店は、なんだか妙に気合の抜けたお店でね。普通、鮨屋というと、ガラッと戸をあけて店に入ったら、威勢のいい声で「へい、らっしゃい!」の一言くらいありそうなもんじゃないですか。ところがこのお店、我々一行が店に入ってもその一声がないばかりか、案内役すら誰も出てこない。で、どうすりゃいいんだ? と思ってまごまごしていると、先に店に入っていた常連らしきオッサンたちが「おーい、お客さんだよー」と声をかけてくれ、それでようやくおかみらしい人が出てきたという・・・。 でまた、そのおかみさんが、まるでやる気のなさそうな人でね・・・。「いらっしゃいませー」の一言も物憂げというのか、投げやりというのか。 で、こいつぁダメだ、ダメな店なんだと私は判断したわけですが、実際にはそうでもなかった、と。出てきた鮨は旨かったし、「物憂げなおかみ」も実は見かけ以上に親切で、いいタイミングでお茶を替えてくれたりして。 でまた、常連さんたちと話をしているところを漏れ聞くと、鮨を握っている大将もどうやら凝り性な人らしいんです。たとえばこの人、鮎のなれ寿司を自分で作ったりするんですと。夏頃友人が釣ってきた鮎を一旦塩に漬け、その後ご飯と混ぜて3か月ほど熟成させ、それをまたうまいこと処理して新年早々鮨として握るらしいのですが、あまりにも手間がかかるので、自分と家人用にしか握らないとのこと。何だかそんな話を聞くと、常連さんたちではないですが、「それ、今度俺たちにも出してくれよ!」と言いたくなります。 というわけで、今日は意外や意外、外食で鮨を食べ、ダメな店と思ったら意外や意外、美味しかったりして、色々な意味で意外な夕食となったのでした。で、やっぱり鮨は旨いということを今日確認したのだから、また今度外食するときに「鮨屋に入ろう!」という選択が上位に来るかというと・・・やっぱり来ないと思うんですよね・・・。 どうも、この、鮨というのは、ワタクシには好きか嫌いかよく分からない、意外な食べ物なのでありました、とさ。
January 6, 2009
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昨夜遅く、永田寿康元民主党議員が自殺したというニュースを見て、ちょっとビックリしてしまいました。昨年11月にも未遂を起こしていたので、起こりかねないことではありましたが・・・。それにしても、例の「堀江メール」問題が、ここまで尾を引いたってことなんでしょうか。 人の噂も七十五日、今では「そういや、昔、そんなこともあったっけ」というような程度の扱いでしょう? 傍から見れば、そんなに思いつめなくてもいいだろうにと思いますけど、本人にとっては依然として深刻な汚点だったのでしょうかね。 それにしても、かつての民主党の同僚とか、彼の再起をお膳立てするようなアレはなかったのかしら? ま、ウィキペディアで見ると、在職中、何度も懲罰動議が出されるなど、色々と問題の多い人だったようなので、民主党としても敢えてトラブル・メーカーを再帰させるほどの意図は持てなかったのかも知れませんが。 ま、とにかく、まだ三十代の身空で、可哀そうなことになってしまいました。 ちなみにウィキペディアを見て知ったのですが、私と彼とはなかなか縁が深いようでして、互いに知らないまま、何度かすれ違っていたかも知れません。そういうこともあって、一層、可哀そうだなあ、という感じがするんですよね。ま、ご冥福をお祈りいたします。閑話休題 可哀そうと言えば、今日はもう一つ可哀そうなことが起きてしまいました。なんと私のゼミ生が車上狙いにあってしまいまして、車内に置いてあったパソコンを盗られてしまったと。 あと1週間ほどで卒論提出っていうこの時期にですよ! とりあえず、卒論の原稿データだけは私が添削したものがメール上に残っていますので、100%ゼロになったというわけではありませんが、それにしても手元に作業用のパソコンがない、というのは非常に辛いんじゃないでしょうか。「何とかします」ということでしたので、何とかなるメドは立っているようですけど、それにしても不運ですなあ。 今まで、卒論提出前日にプリンターが壊れたとか、その程度のトラブルを抱えたゼミ生はいましたけど、車上狙いにパソコンごと持ってかれた、という話は初めて。 先の永田氏の件にしても、東大→大蔵省→衆議院議員(当選3回)というところからあの転落でしょう? 私のゼミ生も、卒論完成間近にしてこの不運。人生、一寸先は闇ですね、ほんと。私も気をつけなきゃ。
January 4, 2009
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今日は用事があって町田の方に出ましたので、ついでに高原書店に立ち寄って今年最初の古本ハントをしました。年末の京王百貨店の古書市では収穫がなかったのですが、さすがは高原、今回はそれなりに収穫がありましたねえ。 で、まず買いましたのは池田満寿夫の『私のピカソ 私のゴッホ』。これ、文庫判のものは持っているのですが、今日見つけたのは中央公論社から出た単行本の初版(昭和58年)、しかも帯付き。やっぱり図版がカラーで載ってますからね、単行本はいいですよ。 そしてお次はヘンリー・ミラー著、村上香住子訳『ヘンリー・ミラー わが愛わが彷徨』(創林社 1979年、初版)。これはインタビュー集のようですね。 そしてもう一つおまけに池田満寿夫の『エーゲ海からの手紙』。これは満寿夫の詩と絵と写真で構成された画文集みたいなもので、発行はなんとワコールですよ。昭和54年刊、初版、函入り。 ま、このブログを長くお読みの方はご存じと思いますが、私の古書収集にはいくつかテーマがありまして、「池田満寿夫のエッセイを全部集める」「ヘンリー・ミラーのエッセイを全部集める」というのもその一つなんです。ですから、今日は大いに収穫あり、ですよ。 それにしても、池田満寿夫のエッセイ集はもう既に随分集めたつもりでしたが、まさか下着会社のワコールから出版されていたものがあったとは知りませんでした。こんな調子ですと、まだまだコレクションの完成には時間がかかりそうです。 ところで、今日買った3冊の本、これ全て昭和50年代の本ですなあ・・・。 私、思うのですが、私なんかがターゲットにするような古書に関して言えば、昭和50年代ってのは面白い本が多いですね。昭和40年代というと、まだ高度経済成長の頃で、ようやく少しずつゆとりが出始めた時期。この頃の本ってのは、今から振り返るとあまりにも「まとも」過ぎて、私なんかからするとあまり面白くないわけ。で、その次の10年たる昭和50年代は、40年代で築き上げられた経済的余裕の上に、ちょっと「イカレタ」文化が花開き始めた頃で、ここが面白いんだなあ。で、次の60年代はもう50年代の文化的盛り上がりが、若干シラケ始めた時代ということになるでしょうか。 ま、単に私的な思い込みかも知れませんが、何となくそんな気がします。 昭和50年代と言うと、私はまだローティーン。つまり、この頃の文化的爛熟を味わうには幼すぎる年代だったんですな。それゆえに、長じてから、この時代への憧憬の念が生じたのかもしれません。 つまり、古本探索を通じて、私は「参加できなかったゲーム」に参加しようとしているのでしょうな、多分。 それはともかく、今日は運良く、私の満寿夫・ミラー・コレクションに新たな3冊を加えることができ、本を撫でさすってはニヤニヤしているワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
January 3, 2009
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今日は正月二日。吉例によりまして、親友TとEと共に「男たちの新年会」を開催いたしました。もっとも今年は私の家内つきなので、正確には「男たちと女ひとりの新年会」なんですが。 で、いつものように小田急線相模大野駅で待ち合わせると、駅近くの居酒屋に落ち着き、まずは互いの無事を祝ってカンパーイ! 例年ですと、3人の中で唯一独り者のTは、あとの二人から「今年こそ身を固めろ」と説教を食らうのですが、昨年、鉄の馬(ハーレー・ダヴィッドソン)と結婚したTは、「お前らこそ大型バイクの免許取ってみろ、面白いぞ~」と反撃を見せる展開に。ま、仕事以外に趣味ができたというのは良いことでありまして、一生独り身でバイクを乗り回す人生というのもありなのかな~と。 一方、他の二人と違って堅実なサラリーマンの道を歩むEは、某大手コントラクターの東京本社に栄転とのこと。さすが「ザ・サラリーマン」、頑張るんだわ~。 で、私はと言いますと、そろそろ大学人としての生活におさらばし、ビジネス界にでも転じる夢を語る、語る。 で、バイクに乗った夢追い人であるTはこういう話には乗ってくるので、「だったら3人で会社興そう。とりあえず宝くじでも当てて資金を作り、全国で無駄に捨てられている各種食糧品を有効利用するビジネスを始めよう。とりあえず俺が社長になるから、経理はEに、釈迦楽には会社の宣伝文句とか、文章関係を任せる。まず、会社を興すにあたって社長用のヨットとキャンピングカーは必要だよな!」とノリノリ。私は私で「社名はどうする? 三人の名字の頭文字をとって『SETコーポレーション』とするか!」と、これまたノリノリ。 そんな我ら二人のはしゃぎぶりを見て、Eはあきれて一言:「お前ら、ほんと、地に足が付いてないな・・・」。 ひとりこういう真面目なのがいるので、我ら三人組はバランスがとれてまーす。 ということで、今年もまた楽しい新年会となったのでありました、とさ。 でも、マジで「SETコーポレーション」、やりたいな・・・。
January 2, 2009
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明けましておめでとうございます。新年も当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。 さて、今日はお元日。不思議なもので、年が変わると気分まで変わるのか、昨日までのせわしなさもふっと消え失せ、なんとなくのんびりした、むしろ手持無沙汰な感じさえしてくるものでございます。私も、しなければならない仕事が消えたわけではないのですが、「元日くらい休ませろ」的な意識が先に立つのか、今日は一日のんびりしてしまいました。 ところで、のんびりしたついでに、一つ前から気になっていたことを果たそうと、母を連れて近くの眼鏡屋さんに行き、母の眼鏡を新調してあげました。本を読むときの眼鏡がちょっと古くなっていたもので、ね。 で、連れて行ったのは「眼鏡市場」というお店。そう、ヨン様が宣伝している「店内のどのフレームにどのレンズを入れても一律価格」の眼鏡屋さんです。 だって、眼鏡って、考えてみれば「少量のガラスとメタル」でしょ? それにしてはちょっと値段が高すぎると思いません? 何となく「目は大切だから・・・」的な意識から、普段はついレンズだけで数万円、みたいなのを買ってしまいがちですが、母の場合、読書の時だけかける老眼鏡ですからね。そんなに高いものでなくてもいいかな、と。 で、元日から開いているそのお店に行ったわけですけど、さすがヨン様のお店、結構カッコいいフレームがずらりと並んでいるじゃないですか。で、遠慮する母に無理強いして、似合いそうなフレームを片っ端からかけさせ、母の好みと私の審美眼に叶うものを絞り込んでいった結果、最終的に縁なしのプラスチック・フレームに決定! 縁なしとはいえ、レンズとレンズをつなぐ部分、それからサイドの部分は淡い紫色をしていて、母によく似合います。 そもそも年配の方が古い(レンズ面の大きい)眼鏡をしていると、より一層年寄り臭く見えるじゃないですか。母の場合も、古い眼鏡から新しいレンズの小さな眼鏡に変えただけで、随分若返った感じがします。 で、このフレームに超薄型非球面レンズを合わせて、全部で18900円也。うーん安い! しかも今日のうちにレンズをフレームに入れてくれたので、もう新年第一日目から新しい眼鏡を使うことができます。ひゃー、言うことなし。今度私自身の眼鏡を替える時は、ヨン様のお店に行っちゃおうかしら。 ということで、今日は母に新しい眼鏡をプレゼントすることが出来て、母も一層若返って、いい元日になったのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
January 1, 2009
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