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早起きできた。今日、10時から20時10時間勤務するかな…21時から整体院。働けて嬉しいな
2023年06月11日
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つまり、私が、ずーっと言いたかった事は、 顔の良し悪しで、人の幸不幸が影響されるなんて事は、あっちゃならんのだ。 あってたまるか。 外見の良し悪しは、生まれつきだったり、年とともに、はげたり、太ったり、顔にやけどを追ったり、 産まれた時代や国籍と同じように または、身体に奇形を持って産まれてくるのと同じように それによって、差別されたり、いじめられたりされてはいけないのだ。 例えば絶対絶命のピンチに追い込まれた時、 美男美女には、駆けつけて、一生懸命になってくれる人がいて、特別に扱われるなんて事は、みんな、許しちゃダメだ。 だから、美男美女は、そういう時に、特権にあぐらをかいて、相手に感謝なんかするな。自分の外見が周囲の人にどう影響してるのか、よく自覚しなさい! 外見によって、周囲の扱いがかわるなんて事を許したら、 国籍や傷害への差別を許す事になる。 この課題は、外見にコンプレックスを持ってる人達には、責任はなく、 美男美女に与えられた、責任です。
2017年04月13日
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私、脳の機能が弱ってしまって、文を作る能力が落ちてしまって、文字で表現するのが難しくなっているんだけど、裕太くんが発達障害なのは、裕太くんが芸能人になる前から私は感じてた。お母さんの話の内容から、発達障害だろうと思ってた。 芸能人になった後の事はよくしらない。私、あまりテレビみてなかった。 それで、私はこのブログは、一人でも沢山の人に、母親免許制度に賛同してもらいたくて、書いていたんだけど、息子が で逮捕される、という事態に陥って高畑淳子さんが、人の子の親として百点満点のママ。素晴らしいお母さん。つらいけど、頑張って。踏ん張って。素晴らしいお母さんだよ。
2016年08月26日
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早く、死刑も無期懲役も無くして、日本でも終身刑を導入して欲しい。 なんせ死刑は怖い。万が一にも万が一にも、冤罪の可能性が誰にだってあるから。 そして、凶悪犯だって、好きで勝手にそうなったんじゃない。誰だって幸せな人生を送りたかったはずだよ。 だから、巨大な壁に囲まれた広い刑務所をこしらえて、広大な畑と田んぼをつくって、できる限り自給自足を目指して、刑務所の職員が営業して仕事をもっと沢山もらってきて、国費に頼らず、みんな生活できるように出来ないものだろうか? 刑務所の中で、守られて誘惑もなく、知恵をだしあって仕事にやりがいを持てれば、自分が傷つけた人達の気持ちを感じられるようになるかもしれない。そしたら、人生を全うできるね。
2015年05月22日
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その後、ケセランパサランは再び妖怪ちむぽによって発見され捕獲してうちに連れてくるように指示を出したら彼はうやうやしく、紙箱に入れて持ってきてくれた。 あたりまえだが、そのケセランパサランには接着剤の跡が残っていて、何かの装飾品からポロっと取れたものであろうと思われた。疑問なのは、そのたぐいのケセランパサランが、なぜ、妖怪ちむぽの実家で発見されたのかという事だ。 最近、冬になると、ピアス・チョーカー・帽子・靴に至るまで、この類のケセランパサランのついた、女子の装飾品が出回るが、妖怪ちんぽの家にいるのは、男3人に、60歳前後と80歳前後の女子だけだ。おばあさんが、ボンボリのついた靴下でも履いていたのかもしれないが。 うちにやってきたケセランパサランは、即座に黒猫のおもちゃになり、その日のうちにどっか行ってしまった。
2013年01月09日
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衆議院選挙が行われた今日私は野生爆弾について考えていた。関東で野生爆弾をよくみかけるようになってから彼らはビートたけしのように日本はもとより、世界規模で評価されるコメディー芸術家になるだろうと思っていた。世界はまだ、野生爆弾をみつけてないようだよ。彼らは、楽曲を作れる。楽器演奏ができる。絵画の才能がある。小道具作品を創れる。映像作品も創れる。言葉のセンスときたらもう!野生爆弾は、グロテスクでふざけてて、大好きだ。
2012年12月16日
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統合失調症の診断しか下されてなかった私のダーリンが、実は自閉症スペクトラムを持っていた。それから私は少し自閉症スペクトラムの勉強をした。 ADHD・アスペルガー症候群・広汎性発達障害とは、自閉症スペクトラムの現われ方の一種であり、いちいち分類する必要は無いのを知った。 発達障害という言葉はほんとうは難読症とか知的障害も含めたものを指すのだけど、今は発達障害と言うと、自閉症スペクトラムの事を言うらしい。 そして、やっぱり自閉症スペクトラムとは「個性」「才能」の1種であり、障害ではない事も確信した。それとこの個性は、第7染色体の7q22-7q35という遺伝子部位が関係しているのも解明されつつあるらしい。 そして神田橋條治というお医者の本に出会った。神田橋條治というお医者の事は、臨床心理士に話しても精神科医に話しても、産業カウンセラー、発達障害支援センターの職員に話しても、みーんな知ってる沢山本を出してる超有名なお医者なのに、私は知らなかった。 このお医者は、自分自身も発達障害を自認していて、この人のトコには、発達障害の上に精神病を発病してさらに精神科医達の間違ってる診断と過剰な投薬によって薬漬けにされ、もうめちゃくちゃになっちゃった患者さんたちが沢山やってくるのだと。この人の対談本を読んだ感じでは、パワフルさと衝動的な発言からADHD寄りの人なんだとおもう。そしてこの神田橋條治先生の本に「ある時期から発達障害の患者さんが増えてきた」と書いてあった。高齢のお医者さんなので、ある時期とは何十年前の事なのかはわからないが。要因について「環境ホルモンが影響しているかもしれない」と述べている。 この事について、インターネットで調べたり、自閉症スペクトラムの子供を持つお母さんと話し合ったりすると「昔はそういう子供達は「親の育て方が悪いんだ」とされたけど、今は小児科医・精神科医が自閉症スペクトラムを診断できるようになったから、診断された人が増えただけで、実際は増えていない」という考え方が主流のようなのだ。だけど、何十年も精神科医をしているお医者が「ある年代から急にそういう患者さんが増えてきた」と言っていて実際、私も増えてきてると感じてるのだ。 私はずっとこの事について考えていて、さっき考えがまとまったので今から説明します。私が実際知っている限りでは親が定型発達(自閉症スペクトラムじゃない人)で子供だけが突然、自閉症スペクトラムとして産まれたというケースがない。100%、両親のどちらかが、アスペルガーだったり、広汎性発達障害だったり、注意欠陥多動障害(ADHD)だったりする。これは、親の側に自覚があっても、自覚がなくて「私はなんの障害も持っていない」と思っていてもだ。 あ、カナータイプの自閉症という、一生誰かに養育してもらわなきゃいけないくらいの、本当の自閉症の人は、遺伝ではない。遺伝病じゃない。私が言ってるのは、普通学級に通い、仕事もして結婚してるような、遺伝率80%の自閉症スペクトラムについてだけなのだ。じゃあ、自閉症スペクトラムと定型発達のカップルが子供を作ると自閉症スペクトラムの子が産まれる確立は、半分づつの50%、二分の一の確立でいいはずなのに、どうして80%なのだろうとダーリンと話していたら、バカのダーリンがものすごい説得力のある事を言った。「白人と日本人のハーフだったら、日本人にも見えるし白人にも見えるけど、黒人と日本人のハーフの子は、黒人にしか見えないでしょ」とたぶん、この考えが正解なのだ。自閉症スペクトラムの遺伝子は強く出るのだ。(バカのダーリンは時々こういう天才的な能力を発揮する) 繰り返すようだけど、定型発達の夫婦から突然、自閉症スペクトラムの子供が産まれたりはしない。両親とも定型発達っぽいとしたら、それは「歳を重ねるにつれて発達したので、自閉症には見えない」という事なんだと思う。知的障害の人が年齢と共にどんどん賢くなっていくのと同じで自閉症スペクトラムは個人差はあっても本人の努力や、たんに歳をとるだけでも自閉症の部分は軽減されていくものだから両親ともに定型発達に見えてもなんら不思議ではないんだ。 では、どうして自閉症スペクトラムの人が増えているのかこれはやっぱりお見合い結婚が主流だった時代から自由な恋愛結婚にかわったからだと思う。私は6年、自閉症スペクトラムのダーリンに寄り添ってきて「この人とやっていくのは無理かもしれない」と思う時がある。それは私が弱っているとき。怪我、病気、疲労、神経痛、喘息の時。自閉症スペクトラムの「他者の痛みを共感できない」という特性が私を追い詰める。カレは、私が弱っている事を察していたわるという事ができないし言葉ではっきり伝えてもカレは何も困らない。猫はいちおう寄ってきて心配してくれるけど、カレは関心を持たない。「ああ、うさぎと同じだ」と思う。一番助けて欲しい人、一番近くて、頼らざるを得ない相手は、うさぎ。私は「いたわって欲しい」と怒りまじりに泣いて要求し、カレはどうしていいのかわからず、疲れてしまう。 定型発達の人と自閉症スペクトラムの人が結婚するというのは、お互いに本当に難しい大変な事で、カレは私と別れて自閉症スペクトラムの女性と結婚した方が、彼にとって幸せなんじゃないかと思う事がある。 カレの母親がADHDで、父親が軽度の知的障害&自閉症スペクトラムというのは、納得できる夫婦なのだ。この妻にしてこの夫あり。 お見合い結婚が主流だった頃は、いくら自閉症スペクトラムの遺伝力が強いとは言っても、自閉症の程度は軽く産まれていて、本人の努力や親の努力や、年と共に障害の部分は薄らいでいくので、結果「少し変わってる人」みたいな感じで存在していたんだと思う。 そして戦後、自由恋愛結婚になってから、その少し変わってる男と女は出会い、恋に落ち、子供が産まれる。その子達が大人になり、また少し変わってて波長の合うパートナーとめぐり合い、恋をして、子供が産まれる。 この子達が、保育園、学校、社会の中で傷ついて傷ついて、心が壊れてしまって、神田橋先生の元にたどり着く。神田橋先生が「ある時期から急に増えてきた」というのは、この世代が成人した頃なのではないのかと思う。 自閉症スペクトラムの人が増えてきているというのは本当の事だと思うし、どうやって増えたのかはこういう事だと思う。 この考えをいつか神田橋條治先生に話してみたいものだ。 あとがき世界中どこでも、統合失調になるのは100人に1人と言われているのに、自閉症スペクトラムの人が統合失調を発症する確立はこの何十倍も高い。これは、自閉症スペクトラムが原因なんじゃない。原因は世の中にある。学校や親の勉強不足と無理解。世の中全体のサポートの不備が悪いのだ。自閉症スペクトラムは、障害でも病気でもない。個性だ。でも統合失調は病気だ。とても恐ろしい幻覚・幻聴・妄想に苦しんで苦しんで、あまりの恐怖に、自殺してしまう人が沢山いる。 無垢なうさぎ達が世の中を元気に飛びまわれるような世の中は、定型発達にとっても、生きる価値のある国になる。みんなで力をあわせて世の中を変えよう。ジョニ夫とウニは抱き合うのだ
2012年04月28日
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さて、彼の母親はADHDの特徴を備えており、私の知り合いに「広汎性発達障害はアスペルガー症候群の事だ」という人もいる。 私は、これらの違いは何なのか、インターネットで調べてみたり、「ADHDと自閉症の違いがわかる本」というのを買って読んだり、がむばった。そして、とりあえず、ADHDと自閉症の区別はわからなかった。「わかる本」というのを読んでわからなかった。え~と、わからなかったというか、それらの症状の類似性に気がついた研究者が、それぞれ違うのだ。という事はわかった。アスペルガーという名前のお医者さんが、研究していたという事はわかった。で、私の自分なりの理解としては、ADHD・アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム・広汎性発達障害は、同じ自閉症の現れ方の違いなのだろうと思う。みんな、情緒・共感・コミュミケーションの発達がスムーズに行かなかったという事だ。 ただの知的障害の人はとても温かい。優しい。でも、自閉系の人たちは、爬虫類に似ている。イメージとしては、冷たい、青い血が流れている感じだ。これは、私の個人的な偏見や、差別ではなく、私の実体験と、自閉系の人と結婚した人たちの手記に共通する感想だ。 共感やおもいやりや想像力に、遅れがある人達のうち、騒々しさ・衝動性が強く出てる人達がADHDIQが高い自閉症の人ががアスペルガー共感部分の障害の他に何がしかの障害(例えば難読症とか)がある人達が広汎性発達障害単に、共感能力に障害がある人が自閉症スペクトラムという事になるのだろうと、思う。みんなも調べてみて下さい。そして教えてください。 私は、これら4つの診断をわける必要はないと思う。これら4つのお名前は、自閉症のスペクトラムとして統合してしまえばいいと思う。わざわざ仕分けする事でいらん弊害を産むんじゃないかと思う。 サッコン、発達障害の子供が増えているという。自身も発達障害を自認している精神科医が言うところではお外で野山を駆け巡って、友達と全身を使って遊ぶチャンスが奪われているのが一因であると思われると著書にあるが、私は、実体験から、こういう仮説というか、確信がある。と、いうのは、戦前までは、親がきめたお見合い結婚が当たり前で、自閉系のある人も、定型発達の人と結婚して、まんべんなくなっていたんだと思う。で、戦後は、恋愛結婚が主流になった。そうなると、ある程度同棲してから子供を作るかどうか(避妊するかどうか)男も女も選べるようになった。そうなってくると、定型発達の人と自閉系の人が子供を作るという所まで、関係が続かないと思うんだ。結果、似たもの同士で、つまり、自閉系の人は自閉系の人と子供を作る。そういう風に自然になってくると思うんだ。 長年精神科医をやってきた人が「自閉系の発達障害の人が増えてきてる」と言うのだから、増えてきてるのは、本当なんだと思う。だから私は、増えてきてる原因は、簡単に言えば、80%の遺伝率の上に、少子化の上に。自由恋愛結婚。これが自閉系の人が多くなってる要因だと思う。私が‘自閉系’とわざわざ書くのは、発達障害の中でも、自閉系じゃない人達もいるからなんだ。 で、私は、今度どうしたらいいのかと言うと、彼との子供を育てる自信は、はっきり言って無い、自閉系の子供を、自信を持って育てられるのは、自閉系の母親しか無いと思う。自閉系の障害を持った人と暮らすというのは、キレイゴトでは済まない、とてつもない大変さがある。 一つ例に挙げると、彼はお互い小さい頃から可愛がっていた犬が死んだ日、友達とカラオケに行っていた。 私が彼の母親にすさまじいパワーゲームを受けていた場面も何も感じなかったのだそうだ。 私が指をザックリ切ってしまって、縫ってもらったんだけど、いっきに麻酔が切れて、あまりの痛さにうなっていたら、「うるさいから、布団かぶってやって」と、淡々と言い放ち、微笑みながら「じゃあね」と言って帰っていった。私は痛みに耐えるのに、99%精神力を使いながら、「この状況ってありえないよな。現実じゃないみたいだな」と思ってた。 私達ホモサピエンスが、ひ弱な猿から食物連鎖の頂点に立った要因は、同種に対する共感能力によるものだという。我々は、他者の痛みを自分の痛みと感じ、他者の喜びを自分の喜びと感じる事によって、繁栄して来たのだ。そして、現代は、人種や肌の色を超え、分かち合おうと社会整備を進め、人によっては、植物以外の動物を殺して食べる事さえやめている人達が沢山いる。これは、他者の痛みを自分も感じるという共感能力なのだ。 自閉系のホモサピエンスは、この、ホモサピエンスが獲得した、かけがえのない共感という部分がうまく機能しない。これは、のこ能力が、何百万年か前に出現した、最近の流行の能力機能だからだろう。だって、爬虫類は、巣立ちしたら我が子だって食べる。そっちの方が本能的な当たり前の反応かもしれない。 が、私は、私の痛みを同じように感じてくれる人、相手が人間じゃなくても、痛みとして共感する私に、共感してくれる人、そういう人と子供を作り育てたい。 これは差別だろうか?これは、私の経験に基づく感想だ。私は、そもそも不感症だし、子宮内膜症だし、SEX繁殖行動はできない女だが、彼の発達の遅れを、より良く発達させるにはどうしたらいいかはわかる。 彼は犬が死んでから3年くらいして、犬の死を悼み、寂しさと後悔の手記をノートに書いた。自閉系の人も、何年も経って、そういう気持ちになるのだ。発達障害は、良い方向に発達し良い方向に成長する。私は、そのお手伝いはしようと思う。
2011年11月12日
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私の5年くらいになるパートナー、妖怪ちむぽは、自閉症スペクトラムだった事がはっきりした。その診断が下された時、私、驚きはしなかった。彼に軽度の知的障害がある事は、確信していたが、それでは説明つかない事が沢山あった。そして、時折「今の、この会話ってアスペルガーっぽくね?」って私が言う場面があった。ただ、統合失調症の陰性症状には、色んな障害が出るので、自閉症ぽいとは思っていても、自閉症だと思う所までは行かなかった。 だから、自閉症スペクトラムと言われたとき、「あ~そうか。なるほどやっぱり」と思い、そして今まで謎だった事が解決した。謎とは、統合失調は遺伝病ではないはずなのに、彼の両親がオカシイ事・なんか変である事。自閉系の障害は、80%の確立で遺伝するのだという。彼の母親は、明らかに、あきらかにADHDの特徴があり、ADHDと自閉症はとても近い障害であるらしい。私は彼の母親と3回目に会った時くらいに、彼の母親に直接「おかあさんは、ADHDのケがあるかもしれないですね」と伝えている。そして異常に騒々しく攻撃的で衝動的な女性と結婚した彼の父親もまた、何かどこか、異様であった。彼の母親から伝え聞く特徴からすると、自閉症スペクトラムだ。そして、当然彼の弟も、あきらかに普通じゃなかった。私との会話の最中になにごとかをブツブツつぶやいていた。そういう時の彼の表情は、「イッチャッテル」という表現がまさにぴったりというもので、正直、不気味で、私は恐怖で心拍数が上がった。後日、「私と話してる最中に何かつぶやいてるよね?あれ、何なの?」と直接弟に聞いたら、自分では何を言っているのか全くわからないそうだ。 さて、ここで、自閉症スペクトラム・ADHD・アスペルガー症候群・広汎性発達障害がどう違うのか、この4つの診断名の違いは何なのか、私なりに調べた結果、診断基準に基づいて、手間と時間と費用をかけて、ガッチリした検査を受ければ、区別されるらしいが、小児科の医者以外、大人の‘なんか変な人’にわざわざ検査をする医者はめったにいないのだそうだ。そういうわけで、精神科医は、コミュニケーション・共感に、異常がある人が外来で来た時、そのお医者さん各々が馴染んでいる診断名をテキトーに下すのだって。 とある精神科医で自分自身も発達障害を自負している人が、「今、統合失調と診断されている人の中で本当は発達障害だったって人が今後ザクザクあぶりだされて来る事だろう」と著書に記していた。彼は、自閉症スペクトラムだけど、統合失調になったって事は確かだと思う。なんでかっつうと、統合失調になる人の言う事は、みんな大体似たり寄ったりだ。「みんなが自分の悪口を言っている」「誰かに見張られている」「闇の組織に付け狙われている」「闇の組織にGPSのマイクロチップを埋め込まれている」「電磁波で攻撃されている」とにかく、自分は、ひとびとに、注意を向けられているというような事だ。 彼も、陽性症状の時は「黒ずくめの男達に全国指名手配をされていて、ヘリで監視されている」と言っていたらしいので、統合失調になった事は間違いないのだろう。しかし、その症状の裏に自閉症スペクトラムがあった事は誰も気がつかなかった。 では、ADHD・自閉症スペクトラム・広汎性発達障害の違いは何なのか、私なりに調べ、考えた。つづく
2011年11月12日
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こんばんみ みなさんわ、ケセランパサランとゆうものを知ってますか?ケセランパサランというのは東北弁で「なんだかさっぱりわからない物」という意味の言葉で、20年くらい前に流行した都市伝説です。白くて丸くてふわふわしていて、おしろいを振りかけて飼育すると幸せになれるという、なんともメルヘンチックな生き物・妖怪です。 この世の生き物は、DNA鑑定をしたらなんだってわかるようになりました。植物なのか、動物なのか、近い仲間の生き物は何にあたるのか。ちなみに私がこの世で最もかわいいと思う生命体、レッサーパンダは他に仲間のいない、レッサーパンダ科レッサーパンダ目レッサーパンダだそうです。レッサーパンダが欲しい。レッサーパンダと暮らしたい。レッサーパンダを抱っこして寝たい。これは全人類共通の夢でしょう。 え~と、なんだっけ?あ、そうだ。ケセランパサランだ。とにかく調べればなんだってわかってしまうのに、今でも白くてふわふわした物に、おしろいをふりかけてる人たちがいるというのは、なんともかわいらしくて、ばかばかしくて、楽しい話でわありませんか。そういうわけで、私はなんとなくケセランパサランの事を調べていました。インターネットで検索すればケセランパサランの画像ががふわふわと意外とたくさん表示されるものです。世の中にはケセランパサランを飼ってる人がけっこういるようです。 私がニヤニヤしてケセランパサランの画像をみていたら、私のダーリンである「ばかの妖怪ちむぽ」がめずらしく興奮して食いついてきました。「これ、なに?これ、こないだ俺んちにあったんだよ」と。なんというタイミング、なんというおもしろい話。 彼は数日前、自分の部屋のTVの近くでそれを見つけて、生き物なのか、無生物なのか、さわっていいものなのかヤバイものなのか、とにかく恐かったので、息でふ~っとTVの裏に吹き飛ばして、無かった事にしたのだって。彼の無知とびびりーと行動のバカっぽさ、ケセランパサランという存在のかわいらしさと、いったいなんだったのかという謎。それらの全てが絶妙におもしろおかしくて、私は笑いころげてましたが、彼はバカだから私がどうしてそんなに笑っているのかわからないし、私が笑っているという事に興味もありません。でも「ケセランパサランをもう一度探し出して、捕まえてきてほしい」とお願いしたら、彼は、帰ってすぐ、探してくれました。が、見つかりませんでした。「ケセランパサラン逃げちゃったみたい」だって。 彼は今年の夏、栄養失調と怪我で弱ってさまよっている子猫を保護し、病院へ通い、薬を飲ませ、蘇生させた。鼻の下にチョビヒゲ模様があるその猫を私は「ジョニ男」と名づけたが、彼は、ジョニ男じゃ可愛くないからって「チョコチ」と呼んでいる。チョコチは、灰色のブチ模様が入った基本白猫なので、彼いわく「ケセランパサランはたぶんチョコチが排出したものだよ」だそうです。 私は今までに5匹猫を飼った事があるけど、猫から丸くてふわふわしたものが出た事など一度もありません。 にんげん、生きていると、メルヘンチックな出来事があるようです。
2011年10月31日
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去年の夏、猫のみぢめに妹ができました。まっくろな猫。その名も‘うに’抱き合ってるねことねこの間にもふっと顔をうずめてごらん。しあわせになれるよ。
2011年10月13日
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今週末、鹿児島県に行かなきゃならない。未だに支援から取り残されてる人たちがいるってのに、飛行機にのって被災地と反対方向になんか行きたくないが、ずっと前から決まってた事だし、観光旅行なんかじゃない大事な用事なので行かなきゃならない。それで帰ってきたらすぐ、救援に入りたい。一番救援が届いてない、宮城や福島の海側に入れれるといいのだが。ガレキの撤去作業や運搬やなんか、やれる事はなんでもするよ。遺体が出てきても、泣いたり怖がったりしないよ。ガレキの中で生きてる人はもういないだろう。家ごと海に流されて、漂流しながら生きてる人ももういないだろう。スマトラ島沖大津波の時は2週間漂流していて助かった人もいるらしいが、それは南国だからだろう。おとついの新聞に「1日千人くらいの遺体が回収される見込み」とあった。こんな痛ましい事が日本で起こるなんて・・・偶然灯油が手に入った。ここがこんだけ寒いのに被災地がどんだけ寒いことか・・・ストーブをつけるのに、申し訳ないです。
2011年03月24日
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昨日はちょっと大きい病院に行く機会があったので、ついでに放射線技師さんと話させてもらいました。政府や報道で安全といわれてるのは、急性症状が出る被曝じゃない、ってだけで一般の人が1年間に浴びても大丈夫な量はぜんぜん考慮されてないって話をした。 放射線技師さんは、年配の女性で学校で勉強してたのははるか昔で私に言われるまでこの事に気がつかなかったらしい。そして「改めて今から勉強してみて、できる事はしたい」と言ってくれた。私は「家族にブログやツイッターをやってる人がいたら放射線技師として報道で安全と言われてる事は正しくないと、インターネットをやる人たちに広く知らせてもらって欲しい」と提案してみた。そしたら受け入れてくれた。それと、とても詳しい人に、ブログに書いた内容を確認してもらった。内部被曝(食べ物や飲み物から被曝する事)や空間線量は、瞬間的に飛びぬけて高くなったり時間や雨の影響で下がったり、そういうのは考慮に入ってないけど、私が書いた事は間違ってはいないらしい。難しい事をわかりやすく説明するのは骨の折れる仕事だ。日本中の、放射線技師さんや放射線系のお医者さんが一斉に声をあげてくれれば、報道も変わるはずなのに。
2011年03月24日
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地震以降、食べる事に申し訳ないと感じたり目の前の食べ物をどうにかして被災地におくってあげたいと思ったり食事がのどを通らない人がけっこういると聞きました。私もです。これは、人間が食べ物を分け合おうとする本能が働いてるようです。そういう人は感性が健全であるという証拠です。取り除いた方がいい苦痛では決して無い。自分がマトモである事に安心していい。チャンスとルートがある人はモリモリ食べて救援に向かって下さい。食料や救援物資を運んで下さい。救援に行けない人だって目の前の食べ物は送る事は出来ないのです。だったらきっちり食べて被災地のために出来ることを一心不乱にやればいいのです。私は、おかゆを作って食べてます。灯油が手に入らないから寒さに耐えるためにもできるかぎり食べようと思う。
2011年03月22日
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地震以降、私もやれるかぎりの事をしてる。今日までの12日間、食料も水も無いまま、家族や友人の亡骸をどうする事もできない状態で、凍えている人たちは、今も16000人いると言われてる。日本中の人たちがやれる限りの事をしてるから。助かるまで頑張って。頑張って。みなさんの住んでいる場所の、今日の放射能汚染の数値は何シーベルトですか?市区町村でちゃんと計ってホームページやなんかで公表してくれてるはずです。3号機と4号機で水素爆発が起こったあたりから、うちのトコは放射線の数値が、普段の10倍まで行きました。各地でも、飛びぬけて高い放射能汚染が検出されました。TVではしきりに「ただちに健康被害のでる数値ではないので落ち着いて冷静に行動して下さい」というセリフが繰り返されました。その後雨が降って、うちトコの数値は一気に下がりました。日本人は、ほとんどの人が子供の頃、学校や児童館で「はだしのゲン」を観てると思います。ゲンはどこもケガしてないのに、病気でもないのに、被爆後しばらくして、おしりから血が出ましたね。まわりの人はそうなってから死んでいきました。だからゲンも、自分も死んでしまうと思ったのです。「ただちに健康被害が出る数値」とは、そういう数値です。あまり長く生きられない可能性があるという事です。第一原発で復旧作業にあたってる人のうち何人か被爆しましたね。その記者会見で上司が、「守ってやれなかった」と言って泣きましたね。それは、つまりそういう量を食らったという事なのです。東北・北関東の人たちが心配してる事、「ただちに健康被害が出るんでなければいずれ健康被害が出るの?」これはまったくソノトオリなのです。うちのトコで放射能汚染が10倍になった日の数値でそのまま暮らしたとしたら、安全基準を超えてしまうのは2ヶ月と22日でした。被曝には安全基準があります。 人間には1年間で‘食らってもまあ、大丈夫だろう’という限度がある。それが、1000マイクロシーベルト。1年に1回もらえるお給料として考えるといいです。人は普通に生きてるだけでも、ある程度、被爆を食らってるので貯金は徐々に減っていくのだ。1年以内に、貯金が0になった時、癌の時限爆弾のスイッチが入る。これが安全基準の考え方なのです。 最近よく「この数値は、CTスキャン1回分なので安全です」というセリフを耳にしたけど、CTスキャン1回分は1万マイクロシーベルトで、安全な量の10倍だ。癌の時限爆弾のスイッチは完全に入る。それはそもそも病気だから、被爆のリスクを背負ってでも、検査した方がいい場合なのだ。この安全基準はどういう風に決められたのかというと、12万人の広島長崎の被爆者、チェルノブイリの被曝者、CTスキャンやなんかの医療被曝の患者さんらを何十年にもわたって追跡調査して得た疫学的データを元に作られたのだ。 じゃあ、福島原発から60キロも離れてて、非難指示も屋内退避の指示も出ていない福島市の安全基準の計算をしてみます。福島市の昨日の夜の数値は 1時間4.5マイクロシーベルト。ここに1日いると、108マイクロシーベルト。10日間いると、1080マイクロシーベルトになってしまう。たった10日で安全基準を上回ってしまう。1ヶ月そこにいたら3294マイクロシーベルト・・・放射線医学総合研究所でエライ立場にあったお医者さんが「国は、福島市の人たちも速やかに非難させてあげて欲しい」と言ってる。私ができる事なら全員ここに連れてきたい。 この安全基準を超えると、どうなるのか?何年後に何%の確立で癌になるのか?5年後に死んでしまう被曝量は何シーベルトなのか?これを、私は今一生懸命調べてるのだが、使えるデータにたどり着けてない。だから、書けない。ただわかってる事は、年齢が小さい程、早く発ガンするし、被曝量が多いほど、早く、重く発ガンする。年齢が高いほど遅く発ガンして、癌もゆっくり進行する。だから、私は今、各年齢ごとの、被曝量と発ガンのグラフが欲しいと思ってる。恐怖心と不信感から、パニックが起こったら最悪だ。だから、「正確な情報が欲しい。信用できる情報が欲しい」東北・北関東の住人は、今、そう思ってるはずだ。日本の総力を結集して救援に向かわなければいけない今、各々が自分の年齢によって、安全な被曝量を計算できる資料が、どうしても欲しい。絶対に必要だ。正しい情報、冷静な判断、そして勇気。 地震と津波から生き残った人は、全員助かるべきだ。
2011年03月22日
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カイロ用ポッケ付きスパッツ みなさん、年とって、ひざこぞうが冷えてつろおございませんか?私は、足先と腰はもちろん冷えますが、今年の冬はヒザが冷えて冷えて、痛みます。 そんな時、カイロ用のポケットが付いてるヒザサポーターとカイロのセットなんか見つけた日には、買わずにおれませんでした。 使い捨て消費社会に乗っかれば、本主義の操り人形になっちまうってのに、買っちまいました。 それは‘ひざホットン’という商品で、開けてみたらちょっとがっかりでした。サポーターは薄くて、白い、おじいさんのパッチ的なもんです。で、カイロの1個あたりもいい値段するのです。ヒザに密着するので、低温やけどにならないように作られたカイロなわけです。最近見つけた一番安いカイロで8個いり105円がありましたわ。105÷8=13円。こんなのくっつけた日にはやけどします。 これ専用のカイロ使ったって、コタツに入ると、低温やけどどころか普通にやけどするくらい高温になってしまってそのたびにズボン脱いで、ももひき脱いで、サポーターからカイロ取り出して、発熱を止めるタメに、食品パックに入れて空気を抜いて。使うときは、食品パックから出してズボン脱いでタイツ脱いでと、クソめんどくさかった。しかもカイロ代が惜しかった。 なんで、酢酸ナトリウムカイロをサポーターに無理やりねじ込んで使ってみるんだが(少しやぶけた)カイロの重みでサポーターがずり落ちてしまうのだった。 なんで、サポーターをガーターベルトで吊ってみた。セクシーアイテムと、お年寄りアイテムとのおもしろいコラボレーションだったけど、忙しく動き回ってると、カイロの重みでガーターベルトが、パンツをみちずれにズリ落ちてくるのだった。 なんで、ズレないようにがっちりヒザをガードできて、カイロ用ポケットが付いてるサポーターが売ってないもんか、探してみたけど、そういうものは無かったし、サポーターって高いね。だいたい1000以上はする。 なんで、私がたどりついた答えは、ヒザ上くらいまでのスパッツの、ちょうどヒザに当たるトコに、いらない布でポッケを縫い付けるって方法。これをももひきの上から履けば、ずり落ちないし、汚れないから当分洗濯しなくていいし、ちょうとヒザにカイロがとどまってくれるよ。 もし、私に商売の才能があったら、カイロポケットがついたスパッツと、ポッケもついててズリ落ちなくて手ごろな値段のヒザサポーターを作って売るのにな。そういうのをカイロ売り場に一緒に陳列したら売れると思うんだけどな。 ちなみに、私のももひきは、遠赤外線だのヒートナントカだの、発熱するインナーとされるものだけど、生地が発熱したためしなんか一度だってない。 カイロスパッツの作り方なんだけど、スパッツはよく伸びる素材なので、私はうまくミシンがけができなかったから、手縫いでポッケをつけた。それでも30分くらいで作れた。もっと簡単に作ろうと思ったら、布用の両面テープで貼り付けたっていいんだよね。みなさんも作ってみて下さい。キモチイよ。お年寄りに作ってあげてもいいと思う。ももひきの上から履くようにすれば、低温やけどにもなりにくいと思うんだよ。 おひざが温まると、安心するし、元気が出るよ。
2011年01月10日
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繰り返し使えるカイロの、人体やペットへの安全性 みなさんひさしぶり。あけましておめでとうございます。それで、酢酸ナトリウム三水和物カイロという、繰り返し使えるカイロを知っていますか?透明な袋に、赤や青の液体と金属片が入ってて、金属片をペチンとすると、急速冷凍みたいに中の液体がみるみるシャーベット状になってホカホカしてくるよ。ただし、発熱は1時間しかもたないし、元にもどすには5~10分煮て、シャーベットを溶かすのだ。だから、常にお湯が沸いてる暮らしで、暇でマメな人でないと使いこなせないモノ。 年のせいか、ヒザ・腰・足先・ケツが冷えて冷えて常にあちこち痛い私は、使い捨てじゃないカイロを探していた。 その昔(15年くらい前)付き合ってた元山岳部の彼氏が、ベンジンを少しづつ燃やして暖める、金属でできた小さいカイロを持っていて、それがジッポーやアメリカンバイクみたいにカッコよくて、私も欲しかった。 森の中、焚き火の前でギターを弾き、おもむろにポッケから銀色に光るカイロを取り出し、冷たくなった手を温めてみたかった。あれから15年、売ってるトコを見たことない。たぶん、登山の専門店とかに行かなきゃ買えないんだろ。 それはさておき、カインズホームで、その酢酸ナトリウム三水和物カイロをみつけた。1個98円。いいね~安いね~。しかも、私、なぜか、そういうカイロがあるのを知っていた。いつ、どこで見たのか思い出せないが、知ってた。だが使ったことは無いと思う。なぜなら、金属片をペチンとして、みるみる中身が結晶化しだした時、たまげたし、何かゾーっと気持ち悪くなったからだった。「これ、大丈夫なんかいな?」と思った。その後、しばらくショックと吐き気でぐったりした。何か、恐ろしくケミカルな、毒々しいものなんじゃなかろうか?もし、猫がこれをかじって、なかみを口にしてしまったら?実際‘ゆたぽん’という、レンジでチンして8時間くらい持続する湯たんぽを、2つ食い破られてるのだった。 その時はすぐ‘ゆたぽん’のなかみの安全性をネットで調べた。幸運な事に、ゆたぽんに関してはセーフだったが、同じ、プニプニした保冷剤やカイロや湯たんぽには、エチレングリコールという毒が入っていて、そしてそれは甘いらしい。遊んでて食い破ったわんちゃんが「あまいなあまいな」ってはむはむしてるうちに、中毒を起こす。動物病院に行っても、量が多かったり処置が遅れたりすると、助からないんだって。しかも、もがき苦しんで死ぬらしい。 もし、あの湯たんぽが、エチレングリコール入りだったら、彼女はもがき苦しんで死んでいたかもしれない。あ~こわっ。 小さい子供がいる家やペットのいる家には、なかみのよくわからないものを買ってくるもんじゃないな。 そういうわけで今回は、酢酸ナトリウム三水和物カイロについて調べました。このカイロについては情報が少なく、調べるのに手こずったぜ。なんで、みなさんには簡単に教えてあげる。 結論から言えば、食品や、子供の実験にも使われるもんなので安全。ただし、目に入ったり、ペットが大量に飲み込んでしまったりした場合には危険らしい。 安いし、そこそこ安全だけど、ヒマな人にしか使いこなせないと、結論付けましょう。アナタ、1時間ゴトニ、ニレマスカ? いつか、そう遠くないうちに、8時間くらいの発熱時間があって、何度でも使えるけど手間もかからないカイロが開発されると思う。だってそういうのを開発できたら、絶対儲かるもん。世界中で売れるでしょ。 おしまいに、酢酸ナトリウム三水和物カイロの原理について、私なりの理解をまとめておきます。お水は0度で凍るけど、容器に入れてそーっとしとくと、0度以下でも凍らない。その容器を振るとみるみる凍っていく。酢酸ナトリウム三水和物は、凍る温度が高いので、常温だとホントだったら凍ってるはずなんだけど、一度熱湯で溶かして袋の中でそーとしとけば、液のままなのだ。けど、中の金属片をパチンすると、はっと我に返って急いで凍るわけ。発熱するのは凝固熱というものらしい。凝固熱というものについては、なんだかよくわからなかった。でも私は決してバカじゃないと思う。 それではみなさんごきげんよう。
2011年01月09日
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見つかったよ。みぢめちゃん、見つかった。今日のお昼に。カリガリにやせて。9日目にして、生きて再開する事ができた。あんな雪の中、お外に出た事もほとんどない猫がどうやって9日間も生き延びたのか。プロパンガスの配達の車に入ってきたんだって。それで、私の配ったチラシを憶えてくれていて、車に乗せたままにして、電話をくれたのだった。夢みたいだ。いないあいだも、悪夢をみてるのかな?と思ったし、今も、現実感がない。夢だったらどうしよう。チラシを配ったおかげだ。もし、私がチラシとか作る能力がない個性だったら、彼女と再開する事はかなわなかったかもしれない。探してる間「うちも、猫が行方不明になった事あるのよ」という人が何人もいた。1ヶ月程して、帰ってきた猫あり、もう10年も経ってるけどまだ帰ってきてない猫あり。私は、とてもラッキーだったのだ。執念と、運と、行動力。どんなに大切にしてても愛してても、二度と会えない事もある。人間でも何十年も行方不明の子供もいる。みぢめちゃんは、みつかってからずっと甘えんぼさんになってる。のどゴロゴロして、両手でモイモイしてる。猫が信頼してる相手に甘える時のモイモイ。一時たりとも離れたくないようだよ。どんなに心細くて怖かったことだろう。私はラッキーだった。みにめもラッキーだった。だから、今、猫の帰りを待ってる世界中のすべての人へご主人様と生き別れたすべての猫へ、祈ろうと思う。私達だけ助かってもうしわけない。これからの人生、出来る限りの事をしよう
2010年03月13日
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もう、一昼夜雪がふっています。3月なのに。今日もミヂがいなくなった町に探しにいったけど雪がどんどんどんどんふってきて、この雪の中に一人ぼっちでミヂがいると思うと、気が狂いそうだった。雪は、ミヂにもふるんだろうか?あったかくてやわらかい彼女の体に、冷たい雪が、ふるんだろうか?神様はそんなむごい事、するんだろうか?きっと丸くなってぶるぶるふるえてるんだろう。怖い時や、寒いとき、彼女はいつもぶるぶるしてた。屋根のある場所を見つけられただろうか?暖かい場所にいられてるだろうか?何か食べてるだろうか?もう、死んでるんだろうか?もしかして、今、死にそうになってやしないだろうか?最後に見た彼女は、店に、買い物に入ろうとする私に向かって「行かないで、置いてかないで」って必死になって叫んでた。彼女は一人になれない子だった。お風呂にもトイレにもついてきて。今、どんな怖いだろう。どんなに寒いだろう。どこにいってしまったんだろ。誰か、見かけたら、教えてください
2010年03月09日
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私の猫のミヂが、ここから5キロ程離れた場所で、いなくなってしまいました。車で、一緒にお買い物に行ってて、リードをつけてくくってたんだけど、私が買い物してる間に、ハーネスごと脱いで、いなくなってしまいました。3月4日(木)の夜の8時の事でした。いなくなった日は、8時にいない事に気がついてから、朝の10時まで夜通し探しました。それから2時間だけ休んで、また夜まで探しました。そんな感じで、寝て、食べて探しに行ってを繰り返して4日経ちました。何がなんでも見つけ出すつもりだったので、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、体力が落ちないようにがんばってたけど、泣いて、大声で呼んで、歩いて、泣いての繰り返して、今日、とうとう16時間も眠りこけてしまいました。目が覚めてからまた探しに行ったけど、5時間くらい探して帰ってきてしまいました。24時間探し続けられない自分が、許せないし、食事を取ってる自分も布団で寝てる自分も憎いです。だって、ミヂは何も食べてないかもしれないし、知らない場所で、寒くて、ずっと怖い思いをしてるのに。チラシも100枚くらい配ったし、人が集まるお店とか学校とかには、貼ってもらうように頼んだし、保健所にも警察にも届出をした。いなくなった周辺の住人は、本気で探してくれてる人もいます。目撃情報をくれた人もいました。日本に住んでいる人々は、圧倒的多数の人間が善良です。普通に地域社会で生活してる人っているのは、ほとんどの人が良心的な人格なのだとわかりました。「猫は嫌い」とか言ってつっかかってきたり、話も聞かずに追い返す人は、5人くらいしかいませんでした。彼女がいなくなったのは、国道沿いだから、お願いだから、車に轢かれないで頂戴。猫は外が見えないようにして遠くへ連れて行っても帰巣本能で、帰ってこれるってきいたけど、あの場所からここまでの間には、大きな川があって、大きな橋が1本かかっていて、猫は、橋は渡らないし、車がいっぱいで危ないから、こっちには帰ってこないでほしい。自分自身が、殺されるかもしれないとかそういう目にあった事は何度かあるけど、こんなに怖い目にあったのははじめてだ。あの子が、今、どこにいるのか、どうしてるのか、生きてるのか、死んでるのか、いつまで、探すのか、いつまで待つのか、見つからないあいだずっと、何年もこの恐ろしい思いを抱えて暮らすのか。もし、人間の子供だったら、もっと沢山の人が協力してくれて、警察だって捜してくれるだろうに。本当に、私が悪い。油断してた。お留守番させようとすると、「行かないで、置いてかないで、一人にしないで」って、必死だったから、いつもいつも一緒にいたかったから。どこでも連れて行ってた。外出先で逃げ出したら、二度と会えないかもしれないってもっと、いつも、気をつけてればよかった。ミヂが見つからなかったら、お母さん、おもしろい事があっても心から笑えないよ。おいしいものを食べても、心から味わえないよ。自分が幸せになる事全部許せないよ。お願い。出てきて。おかあさんのトコに帰ってきて。神様、もう許して。
2010年03月08日
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たまに、数カ月おきに、深夜もしくは明け方にかけて、ドン・ドン・ドンドンドンという、七拍子無しの三三七拍子の太鼓の音が聞こえる。太鼓の拍子に合わせて、中高生男子・もしくは声の低い女性がけたたましく何事かを叫んでいる。数年前から気がついていたが、怖すぎて、見てみるのもできなかったのだが、さっき、電気を消して窓をほんの少し開けて、音が近づいてくるのを待った。パトカーのような黄色い回転ランプをつけた軽トラが徐行でゆっくりとやってくる。暗くてよくみえないが、荷台に、中高生のような男子4人くらいが、和太鼓を両側から叩いている。運転してる人物もよくみえない。耳をそばだてていると、なんやらかんやら「ヨガアケル~」と叫んでいるように聞こえるが、それ以外は、聞き取れない。一団はその大騒ぎをしながら、民家の駐車場に入りUターンして来た道を帰っていったが、うっすらと聞こえているのでこの界隈を練り歩いているのは間違いない。めちゃめちゃこわいんですけど。なにがしかの宗教が、信仰を持たない哀れな人々のタメ・もしくは邪教にとりつかれてる哀れな人々のタメに、神の名前とか呪文とか念仏とか神のお言葉やなんかを人々が眠っている間にとどろかせ、ご加護を振りまき邪気を追っ払ってくれてるつもりなんだろうか?ボランティアで。だとしたら、この上も無いほど大きなお世話なんだけど。明日にでも、近所の人々にあの騒ぎを聞いたか聞き込み調査してみようと思う。誰かこの奇怪な集団について知っている人がいれば、教えてちょうだい。追伸ねこのみぢめが不治の病なのかもしれない。まだ1歳にもなってないのに。下痢と嘔吐が治らない。この事については、またそのうちブログします。
2010年01月11日
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前にも同じ事を書いたかもしれないけど自殺を悪い行いだと主張する人々がいる。キリスト教を信じている人にとっては、どうしたって、自殺は悪なので、キリスト教以外の人について、私はどうしても納得して欲しい事がある。自殺は、悪い行いでは、ない。自殺を悪い事とする主張は一見まっとうな意見のようでいて、冷静に考えると、いつも意味不明なものだ。ただ、怒りは伝わってくる。「私をないがしろにされた」という、怒りだ。身近な人に自殺されるという事は、ほんっきで、永遠に縁切りをされるという事だ。傷つけられたから、相手に怒りの感情を抱く。そして、こう言う。「残された人の気持ちを考えない、卑劣な行為」と。誰が最初に編み出した表現かはわからないが、判でおしたようにこれと同じような事を言う。だけど、これは自殺の時だけ使われる表現で、そういう主張をする人だって、私だって、人の気持ちをいつもいつも感じているだろうか?人の気持ちを、正確に、頻繁に、強く感じる人と、感じられない人・努力して察しようとしても、的外れだったり、何も察することができない人もいる。人の気持ちを正確に感じる事ができる感受性は、とんでもなく個人差がある感受性で、個人の努力では、あまりどうにもできない能力らしい。さらに、自殺率の高い、統合失調症・うつ病・躁鬱病は人の気持ちや考えてる事が、わからなくなってしまう病気だ。心配してお見舞いに来てくれてる人に対して、「この人、なんで来るんだ・・・」って思うくらい、人の気持ちを感じる機能が低下する病気だ。そういう個人差の激しい能力を持ち出して、「人の気持ちを考えないのは、卑劣」などと思うって事は、うつ病の人に、怠け者!って言うのと、同じくらい、ヒトデナシな事なのだぞ!「あなたは、死にたいくらいしんどい時に、残される人の気持ちを正確に感じられるのか?」と、言い返されてしまうぞ!そしたらどうする?「あううぅっ」て言うしかないぞ!しかも、自殺する人は本当に、残された人の気持ちを考えないのかというと、そうじゃない。私は、恨みをはらすために自殺した(と、私は思っている)女性を知っている。「お前のせいで自殺するんだ。一生、苦しめ」と。生きてるより、死んだほうがマシな人に、「死ぬのは悪行だ」などと、言っても、思ってもいけない。そう思いたい時は、ただ、怖いだけなのだ。自殺されるのは、暴力を受けるのと同じ、自分が傷つけられる事だから。私は、「死にたい」と告白した弟に、「死にたいって言うやつほど、ほんとに死ぬ勇気なんかない」って影口たたいてたら、本当に自殺されてしまった人を知ってる。その人は、弟が自殺したのを母親のせいにしていたが、私には、自殺に追いやったのは自分だと、うっすらと自覚してるように、聞こえた。罪悪感に耐えられなくて、人のせいにしたいのだ。そして、私にも、同じような経験がある。それも、1度じゃなくて、何度も。腹の中で「こいつ、死ねばいいのに」とおもってた相手で、本当に死んでしまった人が、3人いる。それと、私の言動のせいで、精神のバランスを崩してしまって、壊れてしまった人も、2人いる。彼らは、その後どうなったかわからないけど、もしかしたら自殺してるかもしれない。そういう話をすると、「まりちゃんのせいじゃないよ」「そういう人は、まりちゃんが何もしてなくても死んでたよ」と、なぐさめてくれる人は多いが、私は、そのなぐさめには乗れない。だって、人は、人のせいで自殺するもの。それは、本当の事だもの。だから、私が一番楽な方法は、その罪悪感を背負って、生きていく事だ。死ぬかもしれない人のタメにはできる限りの事はして、立場の弱い人を追い詰めるようなやつらを、できる限り、やっつける。そういう風に思っていれば、死を選んだ、悲しい人生を送った人に対して、自殺を責めるようなヒトデナシな気持ちを抱いていなくても済むんじゃないかと思う。
2009年12月27日
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とうとう新型インフルエンザが日本上陸だね。関西で、誰かから誰かに感染してるね。今回の新型インフルエンザは、次に必ず来る致死率の高いH5N1のリハーサルになって本当に良かった。このリハーサルによって世界中で、本番に対する具体的な問題点やなんかがあぶりだされただろうで、自然が人類に味方したみたいに思う。私は、兵庫県北部の但馬地方に住んでいた事がある。兵庫県民以外はピンと来ないと思うが、兵庫県というのは、神戸や姫路というような都会からは、山脈を隔てた、別の世界がある。文化も言語も太平洋側とは異なった、但馬という別の兵庫県が存在する。なにをかくそう、私は、その但馬地方で、その年最初のインフルエンザ感染者になった事がある。なにしろ、その年、兵庫県でまだ6人しかインフルエンザは確認されていなかった。ましてや、山脈を隔てた但馬地方になど、入ってくるのはもっと全国的に感染が拡大した後だと、お医者さんも思っている時期だった。私は、体温計なんか持ってなかったし、水商売をしてた頃なんかあの閉鎖空間で、私以外のホステスがみんな風邪ひいてた時私だけは風邪ひかなかったので、アルコール依存症の病識がなかった私は、アルコール消毒が効いてるから私にはうつらないんだと、意味不明な自信を持っていた。そんな私でも「この風邪のしんどさは、尋常じゃない」と、直感した。だもんで、かかりつけの診療所で、インフルエンザの検査をお願いした。私はその数日前に、神戸に出張で、電車に乗っていた。医師は「兵庫県でまだ6人しか確認されてないから、インフルエンザではないと思うよ」とは言っても、しつこく頼んだんで検査してくれた。結果はすぐに出て、「ホントにインフルエンザでした」と。私は、その時、感染源になるという恐ろしい経験をした。私がその時一番心配したのは、その診療所で働いていた、医師と看護士さん達だった。率直にその懸念を伝えたら、「そんな事、いちいち怖がってたら、この仕事してらんない」っつってた。でも、赤ちゃんや、お年寄りや、病気で弱ってる人がインフルエンザで死んだとしたら、私からめぐりめぐって、感染したってワケでしょ?。 悪意が無くても誰かの命を奪うっつ事が人生にはありえるのだと。誰でも初の感染者になりうるのだど、おののいた。私はよ、そういうヤバイ経験してるから、誰でも「え?私が?」っていう立場になりうるっていうのを、啓蒙する資格と義務がある。今後必ず来る、H5H1型は、全世界で数千万人が死ぬと言われている。ヨーロッパのちょっとした国なら全滅するくらいの規模やで。正直、私は今回の豚での対応で、日本の検疫能力に信頼を置いてる。日本は1億人以上いる大国なのに隅々まで監視が行き届いていて、しかも私みたいな自由な個人の発言自由もあって、成熟した人格を持った国家だと、思う。だから、日本で数千万人が死ぬっつう事は、無いと思う。けど、私の身内と友達がみんな死ぬっつう事はありえると思う。接触が高いし、みんな職業上のプロ意識が高いから・・・。私個人はどうかっつうと、臆病で用心深いから、今でも外出時にはマスクして外出から帰ってきたら石鹸で手を洗うけど、それでも目とか粘膜からの空気感染はまぬかれない。H5H1型ウィルスは、免疫過剰反応で、健康な若い元気な人ほど死ぬから私とカレシは死ぬ可能性が高い。と、すると、うちの娘、猫のミヂメはどうなっちまうのか?餓死する可能性が高い。みぢめを守るためには、私はなんだってする!!しゃかいというのは、みんなで構成しているのだから、みんなでなんとかするしかない。国立感染症センターが訴えているとおり、うつさない・うつらない・動かない人ごみに行かない。大規模感染中は家の中に2週間は篭城する。国民みんなで一致団決して、それを守るしかない。私は、但馬地域で初の感染者になった経験から、新型インフルエンザは全く持って身につまされる問題だ。つまり誰だって、感染源になる可能性はある。これを読んだ一人でも、私のブログを信じてくれて、今年の冬のH5N1上陸にそなえてほしい。ぜんっぜん、ヒトゴトじゃないんだぜ。国立感染症センターの発信に耳を澄ました方がいいと思う。大切な人がいる人は、その人のために。大切な人が誰もいないという人は、大切な何かのタメに。大切な何かなんか無いって人は、自分のタメに。自分もどうだっていいという人はアナタを伝えていく可能性がある全ての人のタメに
2009年05月16日
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かわい~ね~。かわいいの?あかちゃんだから、ねてばっかりなの?左の目の下に黒いブチがあるからみぢめなの。きょうだい猫はけっこうかわいかったの。白猫とか、きれいなトラ模様。かわいかったの。みじめは左右の模様もちがうし、ブチとトラの混ざったへんな毛色なの。お顔の模様がアンバランスなの。だから人間がもらってくれなかったの。ふきょーだから、ペットがいっぱいほけんじょにつれてかれるの。どうぶつじっけんとかで殺されるの。ふきょーだから、ペットはお金がかかるから。養ってもらえないの。お外で産まれた猫は、だいたい病気持ってるってお医者さんに、言われたね。猫エイズとか、猫白血病とか、もしかしたら人間にウツル病気ももってるかもしれないから、ペットショップでカネで買ってくる方が安全なんだって言われたね。ペットの介護は大変だって。治療費もかかるし、つきっきりの介護になるって。だから、病気が発覚した時点で、保健所で殺してもらうんだって。知ってたもん。のら猫の赤ちゃんは、病気持ってるって。それも覚悟して、うちの子にしたんだもん。だって、お顔がぶさいくだったから。不憫で惨めだったから。みぢめは、私の事がだいすきなのね?私のお顔、ジョリジョリなめるのね。ベロはタワシみたいにジョリジョリ痛いね。かわいいからがまんできるよ。みぢめは私の体に登るのすきね。まりちゃん登り上手だね。そんでブラジャーとおっぱいにはさがってねんねんするね。ブラジャーの中でねんねしてる間にローソン行くね、スーパーも行くね。いつも一緒ねー。早く死んじゃっても、介護が長引いても、みぢめが苦しまないのが一番いい。今、元気でご機嫌だから、できるだけ毎日、みぢめが元気でご機嫌で怒られたり、拒絶されたりしない毎日をできるだけ長く、感じさせてあげるんだ。嫌な事があると私に逃げ込んでくるから、優しく包み込んであげるんだ。いつだって、いつまでも、そうしてあげるんだ。かわいいから。私の事を信頼してるから。ふわふわしてて、かわい~ねー。
2009年04月26日
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みぢめちゃーんあたしのあかちゃんみぢめちゃーん。ちっちゃいねこちゃんみぢめちゃん。おめめくりくりかわいいね。おみみがぴょーんてうさぎさん。まるくてちちゃくて、ふわふわしてて、おまんじゅうみたいみぢめちゃん。あかちゃんなんか?みぢめちゃん。なめくりまわしてやりたいな。こうにしてやるみぢめちゃん。みぢめちゃ~んみぢめちゃ~んみぢめちゃ~んみぢめちゃん。おもちゃであそぶよみぢめちゃん。もふもふ大好きみぢめちゃん。女の子なのみぢめちゃん。お鼻にちゅーしてみじぢちゃん。そんなとこクンクンしないでね。もうすぐおちゅうしゃなんですよ。予防接種するですよ。だっこだっこしててやるからね。ず~っと一緒。みぢめちゃん。長生き猫に、なるんだよ。うんちも上手、おしっこ上手、カリカリごはんも食べれるね。天才ねこちゃんみじめちゃん。みぢめちゃ~ん。みぢめちゃ~ん。みぢめちゃ~ん。みぢめちゃ~ん。みぢめちゃ~ん。みぢめちゃ~んみぢめちゃ~んみぢめちゃ
2009年04月23日
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やはり、カレと別れる事になったのだった。今月いっぱいで。つきあってちょうど2年。キリがいいから。2ヶ月前からその決心は伝えてあった。2ヶ月の間に、家を出て、親と戸籍を分離して、携帯の番号を変えてくれなければ。つまり、カレの家族と縁切りをしないのであれば、すっぱり別れようと。カレは「考えておくよ」と言っていたが、病気のせいなのか記憶が弱いのでこの話を忘れていたようだった。これ以上、カレとつきあってても、先がないのだった。もし、このまま結婚したら、カレの両親と少なからず関わらなければならなくなる。家族と縁切りしてくれたとしても、カレの子供を産むのなら、私の子供に、カレの母親と父親の遺伝子が受け継がれる。もし、私の子が、カレの母親のようなマシンガンシャベリをはじめたら・・・カレの父親のように、読書を一切しない子になってしまったら・・・カレの家族全員に共通する、‘物事をあまり考えない’という個性を持って産まれてきたら・・・そうなったら私は、自分の子をかわいいと感じられないのではないかと、思う。そんな将来、誰も幸せになれない。私は、結婚はどうでもいいが、子供は何人か欲しいのだ。いつか、薬を飲まなくてもよくなったら、妊娠していいのだ。私は、基本的に、我が子がどんな障害を持って産まれてきてもウェルカムだ。子供本人が痛かったり、苦しかったり、そういう病気や障害だったら自分も痛いが、それもまた、かけがえの無い人生なのだから、痛みも苦しみも大事に経験できればいいと思う。だけど、一度嫌悪感を持ってしまった個性はどうしても受け入れられない。私の母は、自分のダンナの事が嫌いだ。そして、そのダンナによく似てる私の言動に、嫌悪を抱いている。母親から嫌悪されるという事は、自分を愛する気持ちや、生きる手ごたえや、生きてていいという安心感が、はぐくまれないまま大人になる。自分の子供には、絶対そういう育ち方はさせないぜ。カレは本当に私を愛してくれた。今でも、愛してくれてるらしい。人からこんなに愛されたのははじめてだった。だからとても残念だ。私は、まだカレの母親の事を考える。カレの母親は「チョウダイ」の多さがふつうじゃなかった。やっといてちょうだい。行ってきてちょうだい。持ってきてちょうだい。これちょうだい。来てちょうだい。お願いね!私は、人に頼られるのが好きだ。人にたのまれたり、たよられたりすると、がぜんやる気が出る。そして、相手が喜んでくれたり、苦境から立ち直ったりすると、自分も同じ気持ちを感じるので、こりゃやめられない。カレの母親のチョウダイは、そういう喜びの無いチョウダイだった。何が違うのかと言うと、敬意があるか無いかなのだと思う。敬意の無いチョウダイとは、つまり、人を利用し動かし、自分の要求を満たすという事だ。一度など、私は買い物に行かされた事があった。私となんっも関係の無い買い物に。お金とお買い物リストを渡されて、カレの父親の運転で。自分の亭主も行くのに、なぜ私に金とリストを渡したのか不明。私は、彼らのながれに流されて、あれよいう間にショッピングセンターで、ワタワタと買い物をしているのだった。その時「ここまでしてやってんだから、見返りを求めてもいいだろう」という気が起こったのだった。そして、雑貨を買ってもらった。好きで人のタメにワタワタしてる時、見返りを要求する気持ちはまず起こらない。私は思う。彼女は、そうやって、人を利用し、人に不快感を与えてしまい、それによって人からも見返りを要求されて、人間不信の悪循環を繰り返してるのではないかと。だとしたら、心のありようまでは、変えられないまでも、せめて、言葉のチョイスだけでも変えられれば、人間関係が良好になって行くんじゃないかと。たとえば「チョウダイ」が口から出そうになった時、「やってほしんだけど、どう?」とたずねる風にすればそれでいいんだと思う。人の陰口が出そうになったら、その人との間に起こったトラブルと、自分の気持ちをそのまま話せばいいんだと思う。どちらにしろ、人が陰口をたたく時っていうのは、本当は「私は傷ついた」という事が言いたいってことなのだから。私は、いつか、カレの母親がこれを読んでくれるかもしれないと思って、書いてる。カレは、母親にこういった話をすると「また、ごちゃごちゃ言われるから・・・俺には無理」という。たぶん、カレの母親は、自分を非難されたと感じると、怒りが沸いてきてしまうのだと思う。たとえば「余計なお世話なんだけど」みたいに。でもカレはお母さんの事をかわいそうだとは思っている。子供の頃、友人から「おまえんちのお母さん苦手だ」と言われて傷ついたって。そうやって、人から嫌われて、避けられて。ある人から怒鳴られたり、息子の友人から殴りこみかけられそうになった事もある。そして、今度は息子の彼女を精神的にまいらせてしまった。そういう、様々な人との感情的なトラブルの多いお母さんに、息子は心を痛めている。どうか、二人とも幸せになってほしい。
2009年03月28日
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なんか、ヘンな夢見た。私は宴席でホステスしてるのだ。したら、ベロンベロンに酔っ払った太田光代さんにベットに誘われるのだった。私は、生活費に困っていて、光代さんの会社で働かせてもらえるなら、愛人になってもいいかも、と思うのだった。したら、光代さんは、私のその考えのさらに奥にある願望を透かし見て、「あなた、うちのダンナ(太田光)の事好きなんでしょ。私のベットに寝てたら、そのうちうちのダンナとも一緒に寝られるわよ」って。私は「ああ、それいいわ。素敵だ」と思う。そういう夢。ちなみに私は両性愛の傾向が無いんだ。でも、両性愛の人が正しくて、異性しか性的に愛せないっつうのは、常識に洗脳されてる、偏屈なまちがった人種という感覚がある。頭を丸めてから、バイセクシャルの女の子から異常に愛されるようになった。そのたびに「つきあってみようかな」などと思うのだが、そういうつきあい方は、相手を深く傷つけるので、そういう事にならなくて本当に良かったと思う。同性愛になるか、両性愛になるか、異性愛者になるかは産まれつきのものらしいので、間違いとか正しいとか関係ないはずなんだけどな。自分には何にも関係ない人の夢で妙な登場させられて、有名人は気の毒だ。太田光代さんに申し訳ない。そういや、こないだTVで、「アルコールの影響で、幻覚が出る」と言っていたが本当だろうか?アルコール症の治療受けなくていいのだろうか?大丈夫なんかな・・・
2009年03月27日
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私、とんでもないことにフタをしてた事に気がついた。カレとつきあってまだ間もない頃、カレ、不意に笑い出して、「おっとう、おれを抱きしめて、オ○ニーしてんのん」つった。この話の、事の重大さに、今日、気がついた。これは性虐待以外のなんでもない。話を聞いてから1年以上も、あまりの重たさに、私は考えないようにしてたのだ。この出来事が、何歳頃の事なのかわからないが、なにしろ小さい頃だと言っていた。息子をレイプする父親がいる事は知っている。男性は、性的な魅力を感じないものにでも姦する事ができる。犬とか、ヤギとか、イルカとか、オナホールとか掃除機とか。我が子とか。カレが受けたのは、これとは違う。カレは性欲の対象にされている。カレは、実の父親から性虐待を受けてたのだ。今日、この話をしてみた。カレは最初の時と同じ。笑い出した。それで、「ま~りちゃん、笑わせないでよ」って。本気で笑っていた。思い出したとき、泣いたり、怒ったりできる傷などは、まだましな傷なのかもしれない。悲しみや怒りなんかではフタしきれない。‘おもしろおかしい’という、真逆かつアグレッシブな感情でしか抑えきれない。そうするしかしょうがないような、おぞましい経験を、カレは背負ってた。この経験は、カレの統合失調症と無関係だとは思えない。つい最近、カレは凶悪犯のニュースを見ると、「おっとうは、こういう人よりマシダ」と思うんだと言った。なんということだよ。こんな悲しい話があるか。カレは、そうやって自分に言い聞かせて、父親と家族付き合いを続けている。なぜ?そこまでしてなぜ親子関係を続ける必要があるの?たしかに、他人にとって、あなたのお父さんは、無差別殺人犯よりは、大量殺人犯よりは、詐欺師よりは、テトリストよりはマシかもしれない。たしかに、あなたの言うとおり、評判のいい人なのだろう。物分りのいい、優しいおじさんなのだろう。恐ろしい世界だ。すぐ近くにあるおぞましい人間関係。この世は恐ろしい。女性が、信用できない男性と家庭を築くと、子供は虐げられる。信用できない男と暮らすのは、寂しいからなのか?自分に愛される資格が無いと思ってるからなのか?生活費のためなのか?なんであろうが、子供たちは被害を食らう。世の中には、信用してはいけない男も沢山いるが、信頼関係を築ける男だって、沢山いるんだよ。もう、こんなおぞましい話、耐えられないよ。神様、どうか、母親免許が日本で、世界中で制度化されますように。
2009年03月25日
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あなたは、自分の家族の問題について「言えない」「言っても無駄だから」「自分がちゃんとしてれば言えるんだけど」と言うけど、「チャントしてなきゃ言えない」ってとても悲しいことなんだよ。あなたの母親は、人の悪口陰口が止まらないし、父親は、障害者やホームレスをさげずんでいて、セケンの人々ってのは人の不幸は蜜の味なんだと言う。弟は、父親をコピーしてしまっている。そういう家族に対して、自分がチャントしてなきゃ、「悪口陰口やめて」って言えないの?チャントしてなきゃ「自分の差別意識をセケンのせいにしないで」って言っちゃいけないの?おやこなのに。家族なのに。人は、どんな人でも、チャントしなきゃいけないなんて事はない。確かに、チャントした人ってのは、尊敬されたり、うらやましがられたりする。でも、それと幸せとは関係ない。何事も折り目正しくキチンとしていても、チャントしてないと自分を許せないとか、不安だからとかそういう人だっているし、色んな事がごちゃごちゃしてても幸せな人もいる。人生でしなきゃいけない事っていうのはまぎれもなく、チャントする事ではなく幸せでいることだ。それで、幸せっていうのは自分が努力してがんばってなるようなもんではなく、世の中との関係のことのようなのだ。自分が自分と良好な関係であること。自分がしゃかいと良好であること。自分の身近な人と良好であること。逆に言えば、自分の事が嫌いだったり、自分への愛情が条件付だったり、世の中に不信感や絶望感をもっていたり、身近な人と信頼関係がなかったり、そういうのを不幸というんだ。ついでに言えば、貧しさも病気も障害も、不幸の要素にはなるけども、これそのものは別に不幸でもなんでもない。それで、親兄弟が不幸だったら、自分も幸せじゃない。だから、親兄弟に働きかけるのは自分の幸せのタメなのだ。だって、彼らが一生あのままって悲しくないの?まったく信頼関係のない家族同士のままでいいの?確かに、あなたの気持ちもよくわかる。あなたの母親は「そんなに考えないよ」がくちぐせだし、両親とも読書の習慣が無いし、薄い対人関係しか持ってないから、自分や人の、心やなんかの事を考えられないんだろう。だから、彼らとまじめに向き合おうとするとこっちがひたすら疲れる。神経をやられる。そうなんだ。わたしだって、その辺はよくわかる。だったら、もう、無理だと感じるなら、離れるしかないのだ。自分にとって虐待的な関係は、たとえ実の親であろうと、離れなきゃいかんのだ。これはタバコや共依存や覚醒剤やなんかのアディクションと同じで、意思と努力と根性で、何が何でも断たなきゃなんない親子関係もあるのだ。何のタメに切らなきゃいけないかっつうと、自分の命と人生のタメなのだ。そして、もしかすると、家族に何かを感じさせ、考えさえるきっかけになるかもしれない、自分の家族のタメでもあるのだ。どちらにしろあなたが、その家族関係を続けるという事は、お父さんとお母さんと弟の不幸を見て見ぬふりしてるわけで、そういうあなたを見ているのは私の不幸なのです。
2009年02月14日
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カレの父親も母親も、私には無理だったが、息子なら、あの強固な人間不信を治してあげる事ができるかもしれないと思ってきた。最近になってわかった事だが、嫌がってる私を、無理やり実家に連れて行ったのは、「まりちゃんが話してくれれば俺も親と話せると思ったから」らしい。親とまともに話しが出来ないのは、まともに話をしようとすると、私と同じ目にあうのを察しているようなのだ。私と同じ様に、後遺症に苦しむくらい傷つけられる。だからカレは、両親と信頼関係を作る事などあきらめているのだ。だけど、セケンも怖いから、実家を出る事もできない。もう別居して1ヶ月近く経つが、私のほうは、グングンと良くなってきている。カレの母親の記憶が出てくる頻度は、1時間に2回から、1日に1回程度にまで減ってきている。少しずつ薬も減らしてもらおうと思っている。カレとは毎日1時間くらい電話で話しをする。カレは最近、本当に信頼できる相手はまりちゃんしかいないので、親とは縁切りしてもいいと言っていたな。でもたぶん、カレが親兄弟と戸籍を分離して、電話番号も住所も教えないで、完全に縁を切ったとしても、カレとの子供は作りたくないのだ。だって、私の子供が、あの夫婦の血を引くわけだから、嫌悪感を抱かないでいる自信はない。だから、本当に一番いいのは、縁切りではなく、カレの両親に変化してもらう事なのだ。自分がどういう人間なのかを、客観的に見れる人になってもらう事なのだ。あと2ヶ月、何の変化もなかったら、カレとは別れようと考えている。私は、カレと暮らしながらカレの両親の事だけ忘れるなどという器用な事はできそうもない。カレがとてもとてもかわいそうだが、そのうち、カレの両親を受け入れられる女性と出会えるかもしれないし、「もし次に彼女ができたら、両親には引き合わせないよ」と言っていたから、年に数回、儀礼的に会う程度なら、私のようにはならないだろう。私自信はどうなっちゃうのかわからないが、30過ぎてシングルの女性は、結婚して出産している女性より、かわいそうな立場であるという価値観はキモイしヤバイので、いままでどおり生きていこうと思う。私は、一度カレシと別れると、次がなかなかできない。境界性人格障害の女性は、切れ目無く男性をゲットする特徴があるなどと、ものの本で読んだが、境界性人格障害も人それぞれだ。私が、本気でカレシを作ろうとしないからかもしれない。不感症で、性交痛もひどいので、性的な関係を作るのが難しいんだ。男性の友達は数人いるが、一度友人になってしまうと、その相手とは、恋愛関係に発展しない。最初から、恋愛感情全開でアタックしてくる男性に出会わないかぎり、カレシはできないだろう。つか、生活が大変なのでカレシどころではない。カレが、この、社会心理学の話、両親にしてくれないだろうか?そして、何かを感じさせる事はできないだろうか?人を信用しない人間は、人を見る目が無いんだって。
2009年01月24日
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カレの父親に、人間不信や、精神障害者を差別しているのがセケンではなく、自分である事を自覚してもらうっつう話し合いは、だいたい、カレの母親にうながされて始まる。カレの母親は「まりちゃん、なんとかしてちょうだい」状態だった。私の倍近い人生を生きてきた一人の男に、このような事を自覚させるってのは、並大抵の事ではないんだよ。人の心の芯に触れる事なので、とても怖い事なんだよ。長い時間と信頼関係が必要なんだよ。そういう大仕事を、私にさせるんだよね。私は、ガッチガチに力が入った状態で、でも全力でリラックスしている芝居をしながら、様々な角度から、切り込んで行くのだが、父親は、表面的に答えているだけで、何も考えてなかったし、私が何のためにそういう話をしているのかも、全く理解してなかった。会話をすればする程、腹が立つ相手だった。さて、おとつい、私はTVに向かって、「よっしゃあ、それみたことか」つったんですわ。人を信用しない人は人を見抜く目が低く人を信用する人ほど人を見る目がある事が明らかになったという北大の社会心理学者の研究。被験者は、人をどれだけ信用するかを詳細に調べられていてその信用の度合いが高いほど、裏切り者を当てる的中率が高くなるのだった。なぜそうなるのか、社会心理学者は仮説として、「人を信用しない人は、どういう人が信用できて、どういう人がヤバイのか、学習する機会が無いからだろう」と言っていた。逆に言えば、人を信用する人は、嫌な思いを沢山しつつも、世の中には信用できない人もいれば、信用できる人もいるという体験を通して、セケンとはどうなっているのかを、学んでいくわけだ。どうだ、T明、私の勝ちだ。私は、とりあえずはどんな人とでもやっていこうとするので、人を信用する方なのだ。そしてさらに、裏切ったり、陰口をたたいたり、騙したり、人を利用したりする、そのヤバイ人達っていうのは好きでそうなったわけじゃなくて、本人達もやっぱりそういう目にあっていて、そういう人達は人間不信で、心の中は一人ぼっちで、誰とも信頼関係を作れないでいる、ある種の弱者なのだと学習した。さらにさらに、そういう信用しちゃいけないヤバイ人達でも、真剣にぶつかって行けば、心に愛を取り戻す事があるのだと学習した。たまに「神でなきゃ人を変える事はできない」とか、「人を変える事はできないけど、自分を変える事はできる」的な話を耳にするが、そういう事を言う人って言うのは、傷ついて傷ついて、人をあきらめちゃったのか、ただかっこつけて、わかった風な事を言いたかっただけかのどちらかだと思う。私は、人との関わりを通して学習した部分もあるけど、自分自身が、人を裏切ったり、陰口をたたいたり、人を騙したり、利用した経験からそのような事を学習した。それと、どうも人は似たもの同士でつるむ事も学習した。つまり、人を信用する者同士は信頼関係で結ばれ、人を信用しない者の周りには、人間不信の人が多い。だから、人間不信の世界観はさらに強化されるのである。身近にいる人が信用できない人ばっかりなのだから。下編につづく
2009年01月23日
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人を信用しない人は人を見る目がないんだって。私のカレシの父親は、「統合失調になった事は、絶対に誰にも言うな」と、カレに口止めしていた。つい最近も、カレが友人に統合失調の事を話していた所を弟が父親に告げ口し、「セケンてのは人の不幸は蜜の味って言ってな」つって怒り出したらしい。カレの父親は、数人が集まる席ではしゃべり続けている。トーク番組の司会者のように、沈黙や重い話が出てこないように、一生懸命になる。同席した私は、いたたまれなくて精神安定剤を飲んだくらいだ。私はヨメさんに「あれ、なんだと思う?なんでああなっちゃうんだと思う?」と聞かれて、「対人恐怖だね」と答えたら、ヨメさんは「やっぱりそうよね」と、確信を深めていた。カレの父親は、私たちが付き合いだした当初、「どうせすぐ別れるさ。金がねんだから」とイラついてたらしい。私のカレの父親は、ずばり人間不信である。そして、自分が人間不信だという自覚が全く無い。だから人は皆、人の不幸は蜜の味なんだと、確信している。人を簡単に信用したら痛い目に会うと、信じている。人は、面と向かってはいい顔をしてるけど、腹の中では相手を裁いていると、疑わない。女なんかみんな金目当てだと思い込んでいる。人はみな、障害者を差別していると恐れている。そして、自分の子供たちに、そのように教えている。人を信用してないから、家庭では人の陰口がでてしまう。その結果、カレの弟は、親からのお小遣いでエロ漫画とTVゲームとタバコとゲーセンに興じ、携帯電話すら持っていない。誰にも、何にも興味がない。親戚には、働いてると平気でウソをつく。子供からしてみれば、そんなに恐ろしいセケンに出て行く気にはなれない。誰も信用するなと教えられているので、ウソをつく事は平気だ。私のカレは、何も考えない・何も感じないという形で自分を守った。私とは、初対面で統合失調である事を話してるし、友達もいる。ウソは嫌い。陰口も嫌い。父親が人間不信なのも知っている。でも、基本的には人を怖がっているし、私以外の人とは、信頼関係をつくる努力をしない。親として、あまりにも無責任な事をしでかしてくれたなと、思う。人間不信の人は、決してしゃかいのタメに働かない。お給料のタメに働く。しゃかいに関心が無い。貧しい人達や、虐げられている人々に関心がいかない。共感もしない。自分さえよければそれでいい。そういう人を世に送り出してしまうと、世の中がどうなってしまうか、なぜわからないのだろう。我が子に「産まれてきて良かった」とそう感じてもらうのが、親の仕事なのに。だから「こりゃいかん。なんとかしなきゃ」と、何度か、カレの父親との話し合いに挑んだ。中編へつづく
2009年01月22日
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そして、最後に、私がカレの家族から逃げられなかった最も大きな理由は、私が、カレを愛していたって事だ。愛する人の家族を悪く思いたくなかった。悪く思うくらいなら、正面からぶつかって、解決していこうと思った。人の悪口陰口を解決。自分や他人の外見を話題にする事を解決。3メートル遠くの人に話すの解決。自分の気分で突然話題を変えるの解決。目の前にいる人をバカにして笑いものにするクセ解決。相手の状況をかんがみないで、押しかけたり、しゃべり続けたりするクセ解決。人はカネがなきゃどうせっつう価値観、解決。あれして頂戴これしといて頂戴、言わない。自分でやる。突然カチンときて、相手を負かしてやろうとする病気、解決。「私はすごく他人にどう見られてるか気にしちゃって、すごく気を使っちゃう性質なの」という現実と激しく乖離した、自己イメージも解決。キチガイという表現やなんかを使う野蛮な話し方、解決。人の話をちゃんと聞かないで迷惑かけて、自分は気が済むまで人にしゃべり続ける病気、解決。私は、その全ての解決を願った。これ以上、やられたら、私、生きてられないほど、精神と神経を削り取られてしまっていたから。薬の量はどんどん増え、外では好戦的な他人と、怒鳴り合いの大喧嘩を繰り返し、生活に必要な事はほとんど手につかず、インターネットゲームだけやり続けた。何日も何時間も、ずーっと。ゲームしている時だけは、何も感じないでいられた。首も肩も、凝り固まって、少し動かすだけでも激痛が走った。それでも、ゲームをやりつづけた。そんな時、ドクターストップがかかった。ゲームじゃなくて、カレの家族との交流ストップ。そしたら、ゲームは止まった。その後、1年、私は後遺症に苦しみ続けるのだが、早い話が、カレと別れちまえばいいわけだ。カレにさえ会わなければ、そのうち、彼等の事も忘れられるに決まってるんだ。今までのように、出来事は憶えてるけど、感情は、よみがえってこないって感じで。それは、わかってるし、今までも、何度もそれを理由に別れようとしたんだけど、まだ、別れられないんだな。なぜなら、カレは、私が生涯添い遂げたいと思った初めての男だし、カレは、今でも「愛してるよ」とメールしてくる。フランス人が言うならともかく、日本男児でこういうメールができる彼を、私は、大好きだ。私が、カレとまた付き合えるには、カレが、精神的に親離れする事が絶対条件だろう。そうでなければ、戸籍を分離して縁を切ろうと、家を出て、経済的に自立しようと、カレを信頼する事はできないと、私は思う。だから、カレがどうしても「いい家族」という幻想を手放さないのなら、あたしゃ、もう、いいわ。通算2年弱も、彼等に精神やられて、もったいなかったわ。自殺までしそうになって、あぶねえ危ねえ。障害者年金も打ち切られ、親とも縁を切り、彼氏と別れた私は、サーがむばって生きていくぞ。
2009年01月21日
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私の2007年の4月2日のブログに書いた、「おまえ、その子の事が好きなのか、じゃ、結婚しろ」と、カレが父親に言われたという話、私、いい話だなと思ったので、日記にもブログにも書いた。ところが、そういった会話は無かったのだそうだ。当たり前なのだ。その頃、カレの父親は私たちの交際を快く思っていなかったのだから。じゃ、いったいどこからそんな話が出てきたのかと言うと、それが、カレからなのだ。そして、カレはその話をした事すら、忘れている。カレは、自分の家族はみんな優しいという幻想を持っているので、「俺に彼女ができた事を家族に祝福されている」と思い込んでいたのだろう。そういった家族への幻想の最中でのちょっとした会話のやりとりから、話を作ってしまったのかもしれない。カレは意図的に嘘がつけるような頭脳を持ち合わせていない。カレの母親からの情報も、事実と異なってる話が多かった。当初、私が聞いていたのは、ダンナと仲がいいという話、いずれ、看護士の資格を活かして、貧困国へボランティアに行きたいという話、「うちの母は、人の事あれこれ言わないし、やさし~人なの」てなおばあさんの話、じっさい、自分の身内をそういう風に褒めるというのは、本当に信頼関係があって仲がいい場合と、その間逆だから、他人には理想を話す場合とがあると思う。やがて、カレの母は、自分の身内を理想化した話と、身内の言動がストレスで嫌でしょうがないという話とを交互にするようになり、数ヵ月後には、話題の殆どが身内の悪口という具合に変わっていってしまった。私に、逃げるチャンスがあったとしたら、この頃だったのだ。さあ、ここにきてもなぜ、逃げられなかったのかというと、それは、カレのしつこさにあった。私はもう、直接カレの母親とのメールは避けるようになって、全てのやりとりはカレを通して行われるようになっていた。そうして、お食事とか、うちに何か手伝いにきて欲しいとかそういったお誘いに、一生懸命抵抗した。「行きたくない」「無理」「一人で行けばいいじゃん、自分の親なんだから」そうやって、粘るのだが、たいがい、カレのしつこさには勝てなかった。私が勝てる時は、半狂乱になってみせる時だけだった。カレの母親からのお誘いと頼みごとの頻度は激しく、最低、週に1度は必ずあった。そうして、私を呼び出して、ほんの些細な事でカチンとして、私に勝ち負けを挑んでくるのだった。カレの母がカチンとくる、そのスイッチは、何がきっかけなのか、予想もつかない。いつも突然だった。私は、そういう時、どうしてたかと言うと、「あなたが、私にカチンときているという事を、私は認識していませんよ」という態度を決め込んだ。それが、パワーゲームに乗らない・ケンカをしない・そしていじめられもしない、一番いい方法だ。簡単に言うと、スットボケルってやつだ。でも、私の内面は、心拍数がドンドン上がり、脳内でストレス物質がびゅるびゅる出ている状態だ。「いったいこの女性は、今までどうやって、人間関係を作ってこれたのだろう?」ケンカになったり殴られたり、されないワケがないように思えた。面と向かって、私をバカにして笑う事もしばしばだったから。こういう事を、私以外の人にやって、大喧嘩になったりしないのだろうか?それとも私にダケやってるのだろうか?その辺は今も不明のままだ。
2009年01月20日
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今、やってるHNKスペシャルの「男と女」シリーズ。この中で、私の後悔にスッポーンとはまる答えを見つけた。最新の脳科学によると、恋愛中、男女の脳の中では、批判的な考えを司る部分の機能が低下するらしい。恋愛ってそういうもんなんだね。つか、恋愛に関するトラブルってほとんどが、これのせいだな。でもこれは、人類が生き残るタメに獲得してきたシステムなので、しかたがない。ま、あとそれだけじゃないんだ。哺乳類は、親をコピーして成長する。これも、どうしても避けられない我々哺乳類のシステムなのだから、カレのお母さんも人の悪口陰口や、嘘や、パワーゲームの嫌いな、穏やかな人に違いないと、そういう私の確信があってね。‘例外ってもんがあんのよっ’て考慮すべきだったよう。マズかったね。それであっても、私は最初にカレの母親に会った時から何かしらヤバイ違和感を感じていたのだった。だもんで、そのつどカレに率直に、質問していたのだ。「お母さん、どうしてああいう事言うの?」とかね。そういう時、カレからの答えはいつも、前向きで明るくて、私が安心するものだった。どういう事かってえと、ついこの間、千葉でダウン症の若者が、女児殺害で逮捕されましたね。あちらこちらのTV局で、同じ様な事が言われましたね、「知的障害を持っている人は、質問されると相手が求めてるような事を答えてしまう。だから、自白があてにならない事があるので、警察はゆるぎない物証をつかんでるはずです」とかなんとか。つまり、カレも、何か質問されると、本当の事を答えるよりも、その場が良くなるような返答をしてしまう。その答えが後に、自分にとって不利になってしまうとしても。統合失調は、発病すると、知能は落ちてしまう。そのせいで、本当の事より、相手が喜ぶ答えを選んでしまうのか?とも思うが、どうやら、発病する前からその傾向はあったらしい。これは、父親のコピーであるのに間違い無いと思う。なんでかって、私、実際、カレのお父さんとの会話を経験しているから。カレのお父さんは、相手が何を言っているのかを、ほとんど考えない。どんな些細な現実的な事でもだ。たとえば、今、社会保険も国保も、家族一人一人が使えるカードタイプになっているよね。カレの家族は、つい最近まで紙の保険証を全員で使っていた。そのタメにトラブルと、面倒くささがつきまとった。だから‘お父さんの会社の事務に、カードに切り替えるよう頼むんでもらう’これをお父さんに伝えるのに、何ヶ月もかかった。その話をお父さんにするのを嫌がってヨメと息子が互いに押し付けあっていたからだ。「おっとうには話が通じないから、話したくない」と。ここまで通じない人と、結婚生活を続けていくのはどれほどのストレスだったか想像すると、私を苦しめた母親の言動も、理解できなくもない。でも、できる事なら、心に悪口が溜まる前に、離婚すべきだったんよね。話を元にもどすと、私のカレシも、これほどではないにしても、私と、まともな会話はしていなかったのだった。悪く言えば、嘘をつかれていたのだ。さらにつづく
2009年01月19日
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カレの家族との関わりにドクターストップがかかってから1年になる。この間、一切会っていないし、やりとりもない。この1年の私は、だいたい20分から30分おきに、彼らとの耐え難い記憶が感情をともなってよみがえり、心のメーターが振り切れそうになる所で、我に返る。それが、目が覚めてから眠るまでずっと続く。記憶の引き金はそこらじゅうにある。見るもの聞くもの、そして、カレの存在。寝ている時も、彼らに関係するような悪夢。それが毎日毎日、1年間続いた。カレには、家族と何でもちゃんと話し合える信頼関係を作るか、縁を切るか、どちらかにして欲しいと、何度も何度も懇願したが、カレは、何もできなかった。カレはほとんど何も憶えてないし、何も聞いてなかったから、私がなぜこんなに苦しんでいるのか、納得できないからなんだ。そうして二人とも1年苦しんで、何度も別居を繰り返し、とうとうカレは本当に実家に帰ってしまった。さて、以前から、私のブログを読んで下さっている方は、2年前まで、都会仙人として日々精進に励んでいた私が、なぜ、自分を持ち崩すまで難しい相手と関わってしまったのかなぜ、初期の段階で距離を持てなかったのかと、疑問に感じている事と思いますが、ここ7年の私を知っている方なら「ああ、まりちゃんまたやっちゃったんだな」という反応だと思います。私は、助けを求めてくる人には、なりふりかまわずなんとかしてあげたいと奮闘し、ズッタズタに傷ついて終わるというパターンを結構繰り返してきてるからですな。いや、うまく行くパターンもあるのです。相手が苦境から脱して、めでたしめでたしってパターンもそこそこあるのですがね。カレの家族だって、私が奮闘した事によって、良くなった部分もある。母親の方が「精神病を差別していたのは、セケンではなくて自分だった」と自覚できた事。これは、部分的めでたしめでたしである。その頃に、距離をおくべきだったのだが、できなかった。その理由の一つが最近わかった。つづく
2009年01月18日
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こうやって、ブログに書いてってみるとF江は私に勝ちたかったんだなと思う。私の矛盾を見つけては「でも、あの時は、あんたは、ああ言ったのよ」とか「あの時言った事と、実際やってる事が違うじゃない」とか、「違うのよ、違うのよ、今まで違ってたじゃない」などなど。そうやって、鬼の首を取ったように喜んでいた。いったい、私にどうして欲しかったのだろう?私はひたすら、すっとぼけていた。自然な笑顔で受け流していた。真顔になったらパワーゲームを察知してるのがバレちゃうもん。だって、そのパワーゲームを買って、得する人は誰もいない。ひたすら不毛な争いさ。具体的には、私が当初「同棲する気は無い、同棲は嫌だ」と言ってたのに、結局同棲してるじゃない。とかね。その時は、私が毎晩「帰ってくれ」と言っても、カレが帰ってくれなくて、根負けしていた状態だった。ま、だいたいそういった事だ。書き出したらキリがない。私、苦痛で苦痛で頭がおかしくなりそうだった。そういう時、私のカレは、いつも感受性をシャットアウトしていた。何も聞いてないし、何も感じてない。空っぽの状態。カレは、パワーゲームとか挑発とか言い争いとか嫌いなんだ。自分のお母さんが、自分の愛する人にそれをやっているという現実は、受け入れられないものだったのだろう。F江自身が、矛盾の嫌いな人間なのかと言えば、まったくそういう事はなく、息子に、「お父さんは再婚で、あんたには腹違いの兄貴がいるのよ」と口をすべらして、後に、カレがその話題を持ち出したら、「あんた、何言ってんの?そんな事言ってないわよ夢でもみたんじゃないの?」と、むちゃくちゃな転化をしたのだった。それでもカレは「俺は実際聞いた」と確信を持って私が同席してる時、もう一度、腹違いの兄弟がいるのか聞いてみたのだった。そん時の、彼女の言葉は一生忘れられない衝撃的なもんで「ふ~ん、あんたはキチガイだキチダイだと思ってたけど、意外とちゃんと聞いてんのね」だった。・・・つっこみ所が多すぎて・・・言葉を失うよ。ダンナが再婚で、子供もいたって事は、親戚中に黙っている、最高機密なんだって。なのに、口をすべらして、私は言ってないと転化して、最後は、「キチガイなのに聞いてたんだ」と。私は、精神病を持ってる人に向かって、キチガイと言った人をはじめて見た。そして、キチガイには何言ったってどうせ理解できないんだと、好き放題やる母親を、まのあたりにした。当のカレは、感受性をシャットアウトしていた。「おっかあは、優しくて、いつだって俺の味方なんだ」という幻想を守るタメに。ここまでくるともう‘矛盾した人’どころのレベルではない。とにかくかかわっちゃいけない、やばい人って感じだ。今年も彼女の記憶に苦しみ続けるのだろうか?私も苦しいが、カレがかわいそうだ。私のお母さんがああいう女性だったら、私だって、正気を失ってしまうだろう。ただ、ただ、カレがかわいそうだ。
2009年01月17日
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T明が、様々な情報の統合をうまく出来ない事は、私もよ~くわかった。とくに、言葉に関して失調がいちじるしい。そこで一つ、大きな疑問が浮かぶ。いったい、どうやって仕事をこなしているのだろうか?T明は営業職のサラリーマンである。会社からの指示・顧客からの要求・様々な書類それらを理解し、処理できるとはどうしても思えないのだ。その疑問を率直にF江に聞いてみた所、「実は、私も、その辺は、不思議なんよ」と。私、思うに、きっと、会社の人達がそっとサポートしてるに違いない。妖怪チムポのなんかおかしい部分や、苦手な事・できない事を統合失調の陰性症状だったのだと、考えると、じゃあ、カレの両親のあの様子も統合失調に何か関係しているとしか思えなくなった。そういうわけで、統合失調症を、長年多く診てきている、おばあさんの精神科医に、この事を聞いてみたのだった。以下がその答えのやりとりだ。「患者さんのご家族にそういう人はわりと多いんですよ」「先生、今、患者さんとおっしゃいましたけど、それは統合失調の患者さんって事ですか?」「そうです」「それは、先生の経験上、そう思うんですか?それとも医学的に研究されての上での事なんですか?」「こういうを研究してる人がいるかどうか・・・私は研究した事ないんですけどね、でも、こういう事は、みんな言ってます」「みんなって?お医者さんみんなって事ですか?」「精神科医ですね」「それじゃあ、やっぱり遺伝が強く影響するって考えられちゃいますよね」「ん~遺伝と、環境でしょうかね。研究論文があるかもしれませんから、インターネットとかで調べてみたらどうですか?」遺伝と環境って事なら、統合失調に限らずどんな病気だって、遺伝と環境だ。だからやっぱりそうなのだ。F江とT明はもともと情報の統合に失調をきたしたまま生きてきた。だから結婚したのかもしれない。似てるから。妖怪ちむぽは、家族とほとんど話さない。「言ってもしょうがないから」といつも言う。F江は私には「よそんちは、子供なんざ年頃になったら部屋に引っ込んじまうって言うけど、うちはいくつになっても居間で話してるんさね。私は、うるせえよ、部屋に行けっつうんだけどね」と言っていた。あれも、私へのパワーゲームがそうさせた‘つい’の嘘だったのだろう。カレは、家族と両親や弟と信頼関係を作る気は無い。家族の誰もそれを望まないし、信頼関係の意味も理解されないから。実は、カレは摂食障害をやっている。この2年、痩せているのにダイエットと、甘いもののバカ食いを繰り返している。そして、実家に帰ると、一日中デジタル体重計にとらわれている。F江は、いつも自分や、他人の、外見や、見てくれ、スタイルを話題にしていた。F江は太っていないのだが「痩せたい痩せたい」といい続ける。カレは、私の家にいると、体重計へのとらわれから開放されるし、カレ本人は、ミテクレで人や自分に点数をつけたりする価値観が嫌いだ。どんな人もみんな個性的で100点だと言う。という事は、やせてるのにダイエットと、体重計へのとらわれは、カレ本人の価値観とはかなりズレる。母親に影響されているのは明らかなのだ。カレは、母親に、何も言わない。摂食障害なのは、自分で勝手になった病気だと思っている。そう思っている方がマシなのだ。母親との関係に希望が無いから。物事を考えない、感じない、学ばないという個性は、たとえそれが生まれつきのものであっても、病気であっても、大変な弊害を起こす。少しずつでいいから、その人のできる範囲で、脳を開いていって欲しい。
2009年01月16日
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カレは、起きているほとんどの時間、思考していない。だから、周囲の動きに沿っている。物事を考える習慣は、発病するずっと前からなかったらしい。F江がこう言うのだそうだ「考えすぎはよくない」。おそらくそうやって育ててきたのだろう。F江は、考える事と悩む事の区別がついていないみたいなの。悩むってのは、想念に振り回されているだけで、別に思考はしていない。今、日本の社会がなんか恐ろしくなってきてるのは、一人一人が、よく考えればわかる事をホッタラカシにしてきたからでしょ。だらか、産まれてきた人がどんどん自殺する世の中になったわけでしょう?つまり‘考えナイ事はよくない事’でしょう?F江は、そういう事を考えたり理解する機能がうまく発達しなかったのだろう。そしてそのまま母親になってしまった。妖怪ちむぽは、本を一冊読みきった事もない。発病する前から、統合失調的な個性だったのだろう。そして、大事な事は、カレの父親であるT明もまた、全く本を読まないのだ。カレが産まれてこのかた、父親が読書している姿を一度も見た事がないのだそうだ。F江が何かを読んでる姿はごくたまに見かけるらしいが、彼等の家には本棚が無い。T明は我が子が精神病を患ってるのに、統合失調に関する本も全く読んでいない。「この病気は家族の理解が重要なんだから、読んでやってくれよ」とF江に頼まれても、「いいよ、そんなの」と怒るだけなのだと。だから、たぶん、子供が癌になっても癌の勉強もしない。どちらかと言えば、T明の方が統合失調の傾向は強い。ある日、私が、体中ブヨにさされて、あちこち真っ赤に腫上がってカレの実家に呼ばれた時、T明は「わー、それどうしたんだい。そこにある薬、塗ったらいいよ」と、床に転がっているチューブを差した。私が塗ろうとしたら、F江が台所から大慌てで「それ、ちがう~!」と叫んだ。その薬は水虫の薬だった・・・。私はギョッとして、T明の顔を見てみた。T明は、何の表情もしてなかった。申し訳ないという表情も、恥ずかしいという表情も。T明は、その騒ぎに何も感じてなかったし、何も考えていなかった。F江は準看護士なので、薬を誤って使用すると取り返しのつかない事になるのを知っていたのだろうし、T明の無責任さを、第三者に身を持って知ってもらえた事に、嬉しそうだった。「ほら!私の言う通りだったでしょ!こんな人、あんたも嫌でしょ!」という心の声が伝わって来るようだった。
2009年01月16日
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は、「なりやすさ」という体質が遺伝するのは間違いない事実だが、統合失調と遺伝の関係はまだ明らかでないと、いうのが、世界レベルでの一致した見解のようですよ。それは、わかってた。知ってた。だけど、まだ明らかでない事でも、当事者の人々が感じている事はある。統合失調症は、幻覚・幻聴・妄想やなんかの、大変な症状が出る。そのあと、落ち着く。治ってるかのように見える。でも情報の統合は失調気味のまんまなのだ。人の言っている事がうまく理解できない。自分の置かれている状況がうまく把握できない。活字がとても苦手になってしまう。自分の考えている事や感じている事を言葉で表現しにくい、などなど人によってさまざまだが、自分の外側の情報と、内側の情報を整理する能力が低くなるのが、統合失調という病気だ。うつ病みたいになる人もいるらしい。それでだ。そういうのが、統合失調症の症状だと言う事になると、カレの両親も、統合失調症という事になってしまうのだ。(カレの両親を、彼・彼女という表現にすると、その他の登場人物や、私のカレシとごちゃごちゃになってしまうので、ここでは仮に、母親をF江。父親をT明とする)どんな風に失調しているのかと言うと、F江の方はこういう感じだ。「コタツのヒーターと貸して欲しい」と、何度言っても、「コタツのコード」としか頭に浮かばない。これは、言葉の情報がうまく処理できないって事だ。こんな事もあった。私が精神的にものすごく具合悪い時に食事に誘われたので、「私は具合が悪いって伝えて下さい」と言伝をして、カレに一人で行ってもらった。カレが待ち合わせ場所についた頃、F江から電話があって、「具合悪いの?」と「はい、すみません。今日はちょっと無理です」と私。そしたら、「ふーん、わかった」っと電話が切れて、その後、勝手にうちに来てしまった。私は、心の中でギャ~ッ!!!って叫んだ。そうして、4時間くらい自分の話したい事だけを話まくって、帰って言った。F江は常に、3メートル先にいる相手に話してるように話す。大量の空気を吐き出しながら、興奮状態で話す。笑いながら、誰かの事をいつまでもいつまでも話つづける。私が、なんとか解決を試みようと、その人との人間関係の整理や、F江本人が抱えている心の問題にせまろうとすると、なんの前置きもなく、突然話題が変わる。ワタシ、キガフレソウになる。これなども、自分の周りで起こっている状況を把握する能力の失調だ。そうして、私のカレも当然、状況を把握できないので、具合の悪い私の所に、F江を連れてきてしまう。つづく
2009年01月16日
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ヤバイ状態抜けた。この数日間、「ああもうやだ」が頭をよぎるたびに、なるたけ人々に迷惑かけない死に方の段取りを考えてたんだけど、今朝、リアルに「死ぬのは怖い」と思ったね。それで‘危機を脱したのだ’と感じた。バタバタと自死をしていったみんなは、きっと、これに至らなかったんだ。私の身近な所で死んでいった人に遺書を残した人はひとりもいないんだ。突然、いきなり自殺した。みんなそうだった。それは精神病関係で出会った人が多いってのもあるだろうし、だから、突発的な自死が多いのかもしれないし、偶然なのかもしれない。ただ、いつも感じていたのは、残された人の気持ちはどうでもいいわけ?!という、怒りだった。そういうわけで、私はキチンと死のうとそう思っていたのが幸運だったと、思う。そんで「誰かに話す事が重要なんだ」言い古されたことなんだけど、本当にそう思う。その人の生きている環境によっては、「話してよかった」ってなる相手があまりいない可能性もあるから、15人を目安にして話して、15人目でダメだったら、しかたがないかもしれない。生きているより死んだほうがましなんだっていう人に、ガンバッテイキナサイなんて思えないもん。みんな、限界までやってきたんだもん。私は願う。暖かい、穏やかな所に生まれ変わって欲しい。3チャンネルやなんかのマジメなテレビで、自殺防止シンポジウムやなんかの番組を散々っぱらやってるし、地元で開催されたシンポジウムに参加した事もあるけど、そういう私ですら、死ぬタメの段取りにとりかかろうとしてしまうのだから、人によっては、この世に生きるという事は、本当に過酷なものである。私がマジで死にたくなった引き金は障害者年金の打ち切りの通知だった。境界性人格障害は、産まれてからの環境が原因だから、給付条件に外れる。アルコール依存症は、自分でなった病気だから、給付条件に外れる。そういうわけ。でも、身体の障害だったら産まれてからの病気や事故のセイでも給付される。アルコールは私以上に飲んでも依存症にならない人もいる。境界性人格障害は、私だってなりたくてなったわけじゃない。産まれ、育つ環境は、誰だって選べない。私は、ものごっつい睡眠障害を抱えながら、酒と薬で自分をズタズタにしながらもがんばってがんばって働いてきたのに、中学の頃から新聞配達して、高校だって一人暮らししながら学費もはらって、入院してる時ですら、入院費を払うタメに外泊許可をもらってはヘルスで稼いできたのに・・・・・・つか、これは違う。働き者じゃない人だって、障害があれば年金を受ける権利がある。私、間違った。大金持ちでも、障害があれば年金を給付されるし(辞退ははできるらしいが)キチンとお勤めしてる人でも、障害があれば、年金が給付される。健常者でものんびり屋さんはいるし、障害者で働き者もいる。色んな事チャントしたいと思っててもできない人もいる。チャント生きる事はどうしても無理って人もいる。誰でも、金銭的に不利な障害(個性)を持った人は年金を受ける権利がある。当たり前の事だ。それは、年金は生活の保護のタメではなくて、障害に対する手当てだからだ。でも、私は、世の中に見捨てられたという感情を打ち消せなかった。アナタハイラナイソンザイそれであっても、いつもの私なら、「こんなルール作るやつら、中学の頃から稼いできたのかよどうせ親に扶養してもらって高校行ったんだろ?」つってがんばれるのだが、カレの父母の事で弱っているから、再審査請求だの、不服申し立てだの、国を相手の裁判だの、そこまでがんばれないから、死んじゃおうかな・・・ と思ってしまった。だがしかし、私は、社会福祉の向上にたずさわる仕事をしてた事もあるわけで、自分の気持ちばっかは置いといて、同じ苦境に立たされている人の役に立つためにやんなきゃいけない事がある。再審査の請求をしなきゃなんない。それと、世論の一端になんなきゃなんない。私と、セケンのみんなのタメに、イヤイヤ我慢してガムバッテ働いてる人達のタメにも何かしなきゃなんない。お給料のタメに人生を削っている人達に。なーんでかっていうと、好きで働いてる人は、年金受給者に批判的な気持ちを感じないから。人は皆、お給料のタメじゃなく、世の中のタメに嬉々として働かなくては社会全体の秩序や安全がぶっ壊れてしまうから。そういうわけなのです。産まれてきた誰もが、本心から産まれてきて良かったと思える社会であってほしいのです。厚生労働省で働いている、ひとりヒトリに、これを感じてほしいので
2008年12月14日
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彼の家と縁を切って、私は立ち直れると思ったんだけど、立ち直るどころか悪化していった。F江に怒鳴り散らしてる寝言で目が覚める。朝、目が覚めた瞬間から、フラッシュバック。それが日に何度も何度も。来る日も来る日も続く。1年もだ。もう耐えられない。私が、怒り狂っている時、苦しんでいる時、泣いているときカレは「俺がギューって抱きしめてやる。そうすれば治るよ」って、あやしてくれるが、おかしくないか?原因の半分はカレにあるのだ。悪気はなくてもね。そういうわけで、私はカレに対して話はじめる。お母さんはなんでああいう事するの?私にどうなって欲しいの?精神力で我慢して欲しいの?あの時、何を感じてたの?あなたの両親はあのままで、子供としてそれでいいの?嫌がってるのに、母親に引き合わせた事をどう思ってる?カレはこれが我慢できない。そして、荷物をまとめて出て行く。カレが、なぜこの会話を拒否するのかが、今日、わかった。カレは、自分の両親の現実の姿を認めたくないのだ。私が、苦しんでる事について、何か考えをめぐらせたりすると、両親の本当の姿を認める事になってしまう。カレは、私が最近「死にたい」と口にするのを、オドシだとは思っていないが、それでも、この問題に向き合うのは絶対に嫌なのだ。両親の現実の姿を認めるよりは、恋人が自殺する方がましなのだ。カレは「うちの家族はいい家族」の幻想を守っている。どうやって守っているかというと、思考停止だ。何も考えない、感じないという方法で。私は包囲網を張りながら話しを進めていくので、カレは思考停止に逃げられない。だから、うちを出て行く。私は、思う。両親のことをあきらめてるから、現実を受け入れられないんだろうと。「人から嫌われないお母さんになって欲しい」と思っていいのだ。「精神障害を差別しないお父さんになって欲しい」と思っていいのだ。両親を弁護する時の、カレの決まり文句は「世の中には色んな人がいるから」「あれがおっかあの個性だから」それと、「言っても無駄だから」というもの。カレは、物事を言語的に考える習慣が無いから、何か感じても、それを言葉にして相手に伝える事ができない。だから、カレはあきらめるしかなかったのだ。でも「いつかきっと良くなってくれる」って未来に希望が持てれば、今の両親の姿を、受け入れる事はできないにしても、幻想を手放す事はできるのではないかと思う。本当は、私がここまで、狂ってしまった、一番の原因は、やはりカレだと思う。ネグレクトだ。「俺の家族なんだから仲良くしてほしいんだよ」っつって私の苦痛を、無視し、拒否し続けた。2年弱、私はカレにマイルドにネグレクトされてきたのだった。それは、統合失調という病気によるものだろうし、生まれつきの鈍さや、自信の無さや、優しさによるものでもあろう。誰も責められたものではない。だが、私は、もう、生きる事に絶望する程、精神を持ち崩してしまった。
2008年12月13日
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この人達とつきあうのはもう本当に限界だと感じた日、あの日もいつものように、彼らの家にお呼ばれされて、T明は不在だった。そしてまたいつものように、F江はだんなの悪口を始めた。私はもう、当然こう言うしかないでしょ。「離婚しようと思った事はないの?」と。F江は指で銭のマークを作って「これにのっかってりゃ楽なんさね」と答えた。私は、絶句して頭を抱えて突っ伏した。これは格好つけてるわけではなく、本音だから。なんでかっつうと、その日からさかのぼること10ヶ月前、私がカレと付き合い始めた頃、「お父さんともお会いしたい」と希望してたんけど、なぜかずっと会わせてもらえなかった。少ししてから解かった事だが、T明は私らの交際をよく思ってなかったらしくて、その理由が「どうせすぐ終わるさ、金がねんだから」って事だったんだて。この言葉に含まれている事とはつまり、金が無い男は女に相手にされない。男と女ってのは金が一番重要な要素。男は金がなきゃ女にふられる。と、言っているわけで、つまり、自分は金を稼いでなきゃヨメに離婚されると言ってるわけで、つまりヨメの言っている事とピタリと一致するわけだ。F江はその時以外にも、カネの事をよく話題にしていた。私も直接言われた事がある「まりちゃんだって、私にカネがなけりゃ私とつきあってないでしょ?」って。カネがあるから付き合うという人間関係が、さも当然の事だとでもいうように。かと思えば、金をヒラヒラさせて「誰が私の介護をしてるれるんだい?」と言って死んでいった、親戚のお金持ちの老婆を、「お金でしか相手にしてもらえなかった、寂しい気の毒な人だった」と言ってみたりもする。聞いてるこっちは気がヘンになりそうだった。もう、脳みそバーンだ。ここまで話の中で、そういう両親に育てられた私の恋人が、どうして、善良な人だといえるのか?ってことになるんだけど、それは、彼が、統合失調症だからだと言えるかもしれない。統合失調症の人が時々、わけがわからなくなって、無差別に殺人を犯しちゃったりするけど(この場合無罪)統合失調症の人っていうのは、個人差はあれど、なぜか善良でマジメで素直、性格のいい人が多いらしい。あとは、カレが産まれ付き、物事を考えたり、感じたりする能力が低かったからじゃないかと思う。嫌なものは取り込まずに、優しさとか、自分に好ましい物だけを取り込んで成長した。彼はほとんどの事に傷つかない。気がつかない。考えない。これは、カレを守ってるカレの才能でもあるが、私には、最悪の作用を及ぼした。日記を調べていくと、カレと付き合ってから2ヶ月で、頭と体が重たくて動けなくなっていて、原因はカレの母親だと記されている。3ヶ月目には「限界だ、もう彼等とはやっていけない」と記してある。その頃から、「あっちの家に行きたくない。一人で行って来てほしい」と彼に懇願していたのだが、彼は、「頼むよ、一緒に行こうよ俺の家族なんだから」と譲らなかった。彼には、両親の抱えている問題も、私が追い詰められてる事も認知できないから。次回最終話
2008年12月12日
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F江は「精神障害者は、みっともなくて、危険で、人生終わってる人達」と、夫婦そろってそう思ってた事を認めた。自分がそうだったから、セケンの人はみんなそう思ってると、信じて疑わないのです。その事は、T明が私に直接言った事からも検証できます。「まりちゃんは、今まで出会ってきた人の中で、アルコール症である事で差別された事は一度も無いって言うけど、本当はみんな腹の中ではどう思ってるかわからないんだよ」この話、おもしろかったので、私、随分沢山の人に話してね、誰に話しても「本人が腹の中で差別してるんだね」との結論に達する。こんな事、セケンの人には見透かされてしまうのにね。T明は気がつかない。サベツについて私が話す時のくちぐせは、「だからそういう人とは関わらなきゃいいじゃん。ほっておけばいいじゃん」であって、私の恋人の父親っていうのは、まさにその関わらない方がいい人であった。なのに私は関わり続けてしまった。なんでかってゆーと、私の義理の父になる可能性のある人だったから。私の子供のおじいちゃんになるかもしれない人だったから。あきらめるわけにはいかなかったのです。きっと何か、原因があるに違いない。と。T明が、過去にセケンから差別を受けた事があるのか、そこ知る事はとても重要だった。もしかしたら、被差別部落出身者かもしれないし、在日コリアンなのかもしれない。だとしたら、セケンのサベツに怯えるのは、しかたがない事で、きっと原因を探し出して、‘自分の差別意識とセケンの関係’‘裏表が激しい性格と、人間不信の関係’が自覚できるはずだと思った。本来の私だったら、絶対関わりたくない相手に、私は、必死で関わったが、「俺は過去に差別を受けた事もないし、した事もない」でも、人の事を信用しちゃいけない。セケンの人ってのは人の不幸は蜜の味なんだよ」T明の思考はこの領域を出ず、その考えが、どれ程、家族や、世の中の精神障害者に苦痛を与えてるかなど、考える能力を持っていなかった。お父さんはいつも、私に対しては、穏やかで優しくて物分りが良かった。で、私が帰ると人格が豹変するんだって「お前ら、まりに洗脳されやがって。俺は認めねえ」ってさ。そういう母親からの報告メールが送られてくるのだった。外向きの顔と素の顔がガラリと豹変するという話は、T明とお会いする前から、聞いていた。ご近所さんが、ネギを沢山持ってきてくれたとき、「まあ、いつもいつもすみませんねえ、たすかります」と受け取っといて、ドアが閉まると「こんな硬くなったネギ、人にくれてよく恥ずかしくないもんだな」ってな調子。て、ここまでの話だと、サイテイな人なんだけど、この話はもうちょっとややこしくて、F江から伝え聞いたエピソードは、事実じゃないかもしれないのだった。まったくの作り話ではないにしても、結婚生活でつもりつもった怒りによって、より憎たらしい人物として少し作り変えている可能性があるのだ。なぜそれに気がついたかってーと、F江と二人きりの時、「T明にカタワか!って言われたって話なんだけど」と私が切り出した時、「なに?それ、カタワって何?」と、すっ呆けられた事があってね。もう、ぐちゃぐちゃ。私はぐっちゃぐちゃになってしまった。脳みそバーン!!!!其の六につづく
2008年12月11日
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F江に2度目に会ったのは、「息子さんとおつきあいする事になりました」っつ、報告に行った、うどん屋での席だった。彼女はそこでも前回と同じ人の同じ非難を始めた。始まった時、彼が「じゃ、そろそろ帰る」と切り出してくれた。帰り道「お母さんは、あんたが悪口陰口嫌いな事知ってるの?」と聞いたら、カレは「知ってるよ」って。・ ・・つい最近わかった事なんだが、カレはこの時もあれを悪口陰口だとは感じていなかった。ただおなかいっぱいになって退屈したんで、帰りたかっただけ。母親が何を言っているのか一切聞き取っていなかった。それ以降F江は頻繁に我が家に来るようになり、私は頻繁に彼女の家によばれた。会って、何をするのかというと、ほとんどの時間が、おしゃべりだった。そしてその話題のほとんどが、彼女の身内への怒りにまつわるものだった。私は、黙って聞いていたかっつうとそれはしなかった。彼女の人生が様々な場面で、身内によって傷つけられてきたものであり、彼女の中は怒りでいっぱいなのだから、ひとつ、ひとつ、解決できるように、私は全力でその問題について考え、彼女に話した。傷つけられてきた人は、怒りを否定されると、憎悪が悪化するのだから決して、彼女の怒りを否定しなかった。彼女が頻繁に話題にあげるのは、だんなの事だった。つまり私のカレシの父親だ。(ここでは仮にT明とする)長い結婚生活の中で、つもりつもった怒り。T明がいかに、最低の男であるかというエピソード。その内容たるや、ものすごかった。たとえば、カレが統合失調を発症して、保護室に入れられる時、一人でパニックを起こして、F江に怒鳴り散らしてたという話。彼女が信頼できる友人に息子の病状を告げて、助けてもらった事についても、「ヒトサマに、ヨケイナコトイイヤガッテ」とカレが退院してからは「障害者手帳なんかもらったら承知しねえから」「息子は精神病なんかじゃない。医者が勝手にレッテルをはっただけだ」「息子が精神病だなんて絶対に誰にもバレてはいけない」 こればっかり。統合失調の回復には家族の理解が不可欠だ。彼女がどんなに、患者の家族向けの本を読んで欲しいと言っても「あいつは統合失調ナンカじゃねえよ」で、読まない。こういう夫だもんで、彼女は心労のあまりガリガリにやせ細ったらしい。T明は、セケンに対して不信感を持っているのか?それとも、自分自身が障害者を差別しているのか?これについては、例えば、身体に障害を持った人がTVに出ていた時、彼はこういう事を言うんだと「かわいそうにあんなになっちまったら生きてて良い事なんかなんにもない。お前は五体満足でよかったな」と・・・どうです?この見事なまでの障害者差別。こんなもんじゃないですぜ。ヨメにSEXを拒否された時の一言「テメエはカタワか!」・・・みなさん、ご存知ですか?カタワという忌まわしい言葉。障害を抱えている人をバカにする時に使う差別語。そして、身体に障害を抱えている女性には性欲がないというヤバイ発想。其の五につづく
2008年12月10日
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実は、カレの母親とは、初めて会った時から、私のセンサーは危険信号を出していたのだった。カレの母親(ここでは仮にF江とする)と初めて会ったのはまだ彼と付き合う前だった。私はカレの家に夕食を食べさせてもらいに行った。その時、F江は私と共通の知り合いの悪口を始めた。具体的にどんな事をされたのかではなく、ただ「あの人はああでこうで」って。私は知ってる。本人のいない所であれこれ言う人はそのうち私の事もヨソであれこれ言い出すっていうのを。彼の家からの帰り、パニック障害のような症状が起こっていた。頭がキーンと白くなっていて、呼吸が吸っても吸ってもすえない感じ、そして、顔がほてっていて、目がショボショボする。彼女の話し方は、マシンガンという表現がぴったりだった。相手の目をしっかりと見ながら、3メートル離れた相手に話しかけるようなパワーで長時間話続ける。その時、カレはおだやかな表情で、ずっと黙っていて、そして何も感じていないし、何も考えていなかった。後になってわかる事なのだが、それは統合失調という障害の個性なのだ。まわりで起きている出来事を統合して認知する事が困難なのだった。彼のこの個性によって、私はその後10ヶ月、彼女の砲弾の嵐の中に置き去りにされ、誰も助け出てくれなかった。カレは人の悪口陰口を聞くのが嫌いなんだ。付き合いはじめの頃、カレが共通の知り合いの物まねを始めた。声だけ聞いたら、区別がつかないほど似てた。その知り合いは、当時、私にとって気持ちが悪くて怖くて、なるべく関わりを避けていた相手だったもんで、「やめてくれよ」「キモチが悪くなってくるよ」とかなんとか言ってキャッキャしてたら、「もうやめなよ。人の事、悪く言うの。まりちゃんのおかぶが下がるよ」突然、穏やかにカレは言った。少しの緊張感もなく。誰かの悪口をいさめようとするとき、多少なりとも勇気がいる。なぜなら、人が悪口陰口を言う時っていうのは、悪口陰口の形をとっていないものだから。誰だって悪口陰口は恥ずべき事だとわかっているんだから。だから、ただ自分が傷ついた出来事を話している風だったり、相手を心配してやってる風だったり、ユーモアとしてだったり・・・。そこに、「陰口はやめなよ」と口をはさむってのは、よほどの勇気か、もしくは信頼関係がなければ言えたもんではないのに、カレはサラリと穏やかに言ってのけた。あれは、カレの心が美しいからに違い無いのだ。なのに、なぜ、彼は、自分のお母さんが、自分の恋人に、悪口を言っている状況が平気だったのか・・・?これが、難しい複雑な話につながって来るのだが、簡単に言えば、人は、自分のお母さんだけは、悪く思いたくない。という事と、統合失調の特徴である、声は聞こえてるけど何を言っているのか理解しにくい。という個性が絡んでくる。其の四につづく
2008年12月09日
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田口ランディという作家のお兄さんも、イジメが原因で、学校を辞めてから死ぬまでの何十年もの間ずっと半狂乱だったらしい。精神病ってわけでもないから、まっとうな治療も受けられなかった。そして、そのまま死んでしまった。今だったら、PTSDって病名がついただろう。運がよければ、精神分析や、認知行動療法やなんかが受けられたかもしれない。でも、彼はそれまで生きてはいられなかった。私たちに対して周囲の人はこう感じるだろう。「もう、イジメにあってるわけじゃないんだから、いい加減忘れて、前向きに生きていけばいいのに」「いつまでも過去の事を引きずって、恨みがましいんじゃないか」「済んだ事にいつまでもとらわれてても、人生がもったいないじゃないか」でもね、それは本人も十分わかってる事で、大変な物を抱えて必死で生きてるんだよね。私も、この苦しみを解決すべく、随分色んな事を試みた。まず、原因になっている人と縁を切った。その後の1年は・ 信頼できる人に原因になってる出来事を話した・ 許せますように、って毎朝毎晩お祈りと瞑想をした・ 忘れろ、忘れろと強く念じた・ 処方薬の投薬を再開してもらった・ 記憶が出てくるたびに、体のどこかをぶって、痛みで打ち消した・ 原因になってる相手を呪い殺す計画を立ててみた・ 主治医に、「意思の力で何が何でも感情を押さえ込みます」と決意表明したで、どれも効果は無かった。そして1年かけてひにひに悪化していった。私は、私を輪姦した男の子達を許してきた。身体検査と称して入院間もない私を脱がせて、体を触った精神科医も許してきた。えと、彼らがしたことは絶対許しちゃいけない事だし、忘れはしない。だけど、悲しみとか憎悪とかみじめさとか、そういう感情は済ませてきた。だって、それこそ済んだ事でいつまでも恨みを引きずってても何にもなんないもん。でも、きっと、これらの事で乗り越えられたのは、相手との関係が自由だったからだ。嫌だと思ったら、関わらなきゃよかったからだ。が、今度の相手は、簡単に関係を切れる相手ではなかった。いずれ家族になる人なのだから、嫌なところもある程度は受け入れて、時間をかけて信頼関係を作っていこうって、私は、最初からそう決めていたのだった。だってカレを育てた人なのだから、きっと私も家族になれるだろうって。そうして、自分が壊れるまで真剣にぶつかり、我慢し、努力した。その実際の付き合いは10ヶ月程だった。ちょうど去年の1月に、ドクターストップを食らった「もう、カレシのご家族との付き合いをやめてください」と。そして、受信拒否着信拒否をして、カレに「ドクターストップがかかったのでしばらく距離をおきます」旨、伝えるよう頼んだ。それまでの私は、「疲れた」を連発し外に出れば、好戦的な他人と怒鳴りあいのケンカを繰り返し、暴れて手が血だらけになった事もあった。家では朝から晩までパソコンのカードゲームをやっていた。風呂も入らず飯もまともに食わず、顔も洗わない着替えもしない、誰とも会いたくない、何にも考えられない。そういう状態でも、彼の母親から電話が来る「今、近くの家電量販店に来てるから、カーディガンを持ってきてちょうだい」・・・地獄だった。其の参につづく
2008年12月08日
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ここ数ヶ月、どうしてもブログ書く気になれなかったんだよ。非常にしんどかった。何度も酒のんだし、何度も半狂乱になったしね。私がブログをはじめたのは、リハビリのようなものだった。主治医や、友人等からの勧めがあったからだ。だから、自分が壊れる前に、心の内にあるものを言語化し、人に伝える事によって感情から引き離す作業をするべきだったんだなぁ。それがわかっていてできなかった。あまりにも強烈で、理性的に向き合う事ができなかったし、原因になっているのが、恋人の肉親だったからインターネットにサラスってのは、どうしてもする気になれなかったんだなぁ。でも、もう限界だ。これを抱えたまま生きるのは、あと1ヶ月もたない。ここ3日間、とくにやばくなってきている。死にたいんだよね。これ以上、彼らの記憶に耐える事はもうできないみたいだ。だから、死ぬ前に、やれる事は全てやっておこうと思う。デンパチって知ってるか?頭に電気を流す、電気ショック治療。私は、あれで記憶が無くなる事によって、危機を乗り越えた人を何人も知ってる。私の彼氏も、複数回デンパチくらってるんだ。本人はまったく覚えていないんけどね。だから、私は今、デンパチに賭けてる。今の主治医に紹介状を書いてもらって、デンパチが受けられる病院まで行く。もし、デンパチ施してもらえないようだったら、その時死ねばいいと思う。できるだけ、準備をしっかりして。私は、数え切れないくらい沢山の知り合いに自殺された。伯父にも自殺された。そのたびに自殺が、親しい人々に与える精神的ダメージの深さを思い知った。身近な人に自殺された傷というのは、ものすごいものだ。自殺しちゃうときって、みんな心の中が他者不在の自分ばっかりになってしまっていて、「ああ、もういいや」みたいな感じで突然決行して、そして本当に死んじゃう。私は、だからちゃとしてから決行しようと思う。伊丹十三みたいに。数人には、お手紙を送っておこうと思う。それから、私の死体で迷惑かけないように、警察も病院にも手間をとらせないようなやりかたをちゃんと考えて。この家の中の物はリサイクルショップに引き取ってもらって、植物も誰かに引き取ってもらって。そう、だから、最後はちゃんとそうすればいいんだから、限界まで、乗り越える方に善処を尽くそうと思う。私は、最後まで生きてみたいわけだから。そういうわけで、一番効果が期待できるのが電気ショック治療なわけ。ある、部分の記憶が無くなればいいわけ。そのためには、他の記憶も犠牲になってかまわないわけ。さて、今、私がいったいどういう風に苦しんでいるのかと言うと、たぶん、これはイジメの被害者と同じ状態なのだと思う。学校や職場という逃げ場の無い囲いの中で、繰り返し繰り返し、精神的な暴力を受け、今はもう、その場所から離れていて、もう2度と加害者と会わなくていい状態になっているのに、ずっと苦しんでる状態。意識的にも無意識のレベルでも。其の二につづく
2008年12月07日
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今夜は花火大会でした。私のうちのベランダは花火見物の特等席なのです。でも何も今日でなくていいのに。長崎に原爆が投下された、8月9日でなくてもいいのに。この町は、毎年、8月第二土曜日が開催日なのだろう。今年は第二土曜日がたまたま9日になってしまったのだろう。だけど私は被爆者が、花火大会をどれ程恐れるか知っている。フラッシュバックが起こらないように、起こらないように、強烈な緊張状態で耐えるのだろう。旅行に逃げる人もいるかもしれない。それでも旅先でも花火が揚がったら・・・もう、みんな日本に原爆が落ちた事など忘れてしまったのだろうか?この町には被爆者が一人も住んでいないとでも思っているのだろうか?この日に花火を揚げるやつら、素直に花火を楽しんでるやつらに、イラつきと、悲しさを感じる私。花火の美しさにみとれながら。無神経。みんな、無神経だ。妖怪ちんぽは、「花火みながらおちんちんさわるん」っつっておちんちんをくにょくにょいじりだした。「私は贅沢だねえ」っつっといた。彼はいつだって平和だ。戦争で、人が平気で人を殺せるのも、無神経状態であるからだ。平和であれ。人は、もっと繊細であれ。
2008年08月09日
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今、サザンオールスターズだけの、ミュージックステーションを妖怪ちむぽと観たのだ。私はサザンのCDは持っていないし、コンサートにも行ったこと無い。音楽好きの人たち特有の、サザンに関するうんちくも持ってない。桑田佳祐が楽譜を書けないって事くらい。それもうそかほんとかわかったもんじゃない。でも私はずっと、サザンが好きなのだ。私は言語的な人間だと自分でも思う。さまざまなトラブルや試練を、言語的な思考と、しゃべくりのうまさで乗り越えてきたのだ。対してサザンの歌は、文章としてはめっちゃくちゃである。「なんかこういう感じ」と、楽器の一つとしての語感。だからとくに意味は無い。なのにサザンの歌は、私の言語のマインドを突破して心にスポンと入ってくるわけで、愉快だったり、キューンとなったり、泣きそうになったりする。私はどうしたって言語の人間だから、丁寧に職人的に言葉や文章を重ねていく、ストーリーソングもちゃんと好きだ。でも、こういう事ができるのが、天才音楽家という事なのだと思う。サザンの歌・パフォーマンスにはうっとうしいものがない。かっこいいと思われたいとか、尊敬リスペクトされたいとか、もっと売れたいとか、そういう、私の神経に障るものを何も発していない。ただただ音楽を楽しんでいる。そして、人々に音楽を味わってもらいたい。純粋なのだ。純粋ゆえ女性性器やSEXへの希求も正直に表現される。それがサザン。番組最後の演奏のあと、私は「はー、純粋だったー」とつぶやいた。そしたら妖怪ちむぽも、「俺もそう思った。言おうと思った」と。私は、だから、サザンとかジョーンスペンサーとか好きだ。
2008年08月08日
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