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Jul 7, 2014
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カテゴリ: 物語り

隼人の編 (475年)

  宋に救援を求めに向かった百済の昆支君父子一行は嵐で難破し、

30杯の漂流船に乗った一行が東に漂着した日本列島は、倭国ではなく、

同じ言葉を話せる商人を抱えた、隼人梟師(たける)の国であった。

なぜ、百済王の次子昆支君が漂流したかというと話は長くなる。

/////

 百済は、それまで 南朝の宋 に朝献していたが、

北魏に使者を送り高句麗を 糾弾、北魏に高句麗攻撃軍の派遣を求めたことが

高句麗の怒りを買い、475年に 高句麗王の侵略を受けた。

<注: *魏晋南北朝時代の宋(420~479)

百済の嫡子が救援を請うため新羅に赴いている間に、首都を包囲され、

百済王は逃亡中に殺害された。

嫡子・文周王は新羅軍の救援の元で、高句麗軍を追い払うことができた。

高句麗軍と対立するために、倭国と宋へ使者を送ったが、宋への使者が

王の弟である希代の英邁・昆支君であった。

 木浦港から順調な船出であったが、寧波港の直前で、暴風雨に襲われて

東に漂流し、嘗て知った列島の倭国ではない、薩摩半島に漂着した。

/////

 隼人の国は北の倭国を信用せず、騎馬軍を育成し、隼人梟師(はやとたける)を

総大将とする軍事組織を持つ。邑人1千人の邑が一つの単位として、多数の邑々

が存在する。土地が瘠せているためにもっぱら、海に出て、黒潮を辿り東に東に

今の霞ヶ浦辺りまで邑が細長く連なっている。

西都原を倭の国への前線基地とし対峙し、騎馬軍の食糧は邑々から供出される。

//////

 隼人梟師が流浪の昆支君に知らせたことは、

1.文周王が遣宋使として昆支君を送ったのは有能な弟を暗殺する計画であった、

2.将来であるが、昆支君が連れてきた 幼い 三男・蘇我高麗と、隼人梟師の

幼い娘・此花姫を 婚姻させ 姻戚友好関係を結びたい、




昆支君一行の高い技術を大和の国に導入させて、倭国に対抗する強大な国造り

を行いたい、というものであった。

///

 昆支君が本国の状況を偵察させている間に、本国では高句麗軍が

大挙して百済を襲撃し、都・漢城は高句麗軍の手に落ちた。

 ここに漢城の高句麗軍と、百済からの救援要請に応じて南伽那に進軍した

倭王武の軍勢とが対峙する構図となった。



 百済が悲惨な状態になっているときだが、百済人を薩摩に亡命させる

好機が訪れたことにもなるので、昆支君は迎えの船を半島に送った。

その一方で、大和側の受け入れ態勢を確認する必要があった。

 昆支君と隼人梟師は船で黒潮に乗り、薩摩半島から紀伊半島に向かい、

熊野川、十津川を上り、騎馬に乗りかえて、吉野川上流に達し、

大和盆地の大和朝廷・雄略天皇に対面した。

 そして、百済人の才伎千人、百姓二千人の亡命と移住地の確保を

快諾して貰った。

(写経は続く・・内容は勝手ながら、 時々、 訂正させてもらいます) 






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Last updated  Apr 29, 2020 05:57:39 PM
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