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固城の編(517年)
★
倭国が百済から五経博士を獲るために、伽那諸国のうち西の3国の
上哆唎(おこしたり)、下哆唎(おろしたり)、己汶(こもん)を
交換条件としている隙に、高句麗が南下して百済北方の2城を壊滅させた
事はお話しした。
倭国としては魅力のない北方地域である大伽那連合ではあったが、
その中で最北に位置する「伴跛(はば)」は百済が失った部分の
一部を高句麗から奪い返し自分のものとした。
さらに倭国が百済に与えた国の一つ己汶(こもん)に乱入し、
略奪を働いていた。
・・・・・・
百済からは、半島に駐屯していた倭国から任命された国司の一人、
帯沙(たさ)国司・物部至々(ちち)に「伴跛」を戒めるよう嘆願の使者があった。
国司「至々」は、壱岐物部の出身で、穀倉地帯、また漁労に適した「帯沙国」の
軍事・警察をここ10年何不自由なく掌握してきた。
本来は百済からの嘆願は本国に任すべきだが、国司として「伴跛国王」に書簡を
送ったことで、倭国は軽く見られたようだ。
「伴跛国」は、倭国が百済に委譲した己汶国の都・南原を落とし、
知らぬうちに帯沙国境近くに大軍を配置し、驚いて帯沙国が攻め込んだものの、
逆襲されて、帯沙国の都・河東は落城した。
帯沙国の国民は隣国・史笏(しこつ)に逃れ、倭軍は固城国へ船で脱出
再起を図ることになった。
★
物部至々の不手際が太宰府に届き、本部の作戦会議で、
「伴跛国」の戦線が細く長く延びすぎており、百済・倭国が協同作戦で
挟み打ちにすれば勝機は十二分にある、という結論が出た。
百済に使者を送ることになり、敗戦の責任者の国司「至々」に
否応なく白羽の矢は立った。
★
太宰府の司令官・宇佐五百手は、
昔、百済の優秀な司令官を友に持っていた。
彼は、気の病に冒された先王・東城王を毒殺し、
武寧王に継承させた後に、遁世して仏教に帰依して
食を断ち先王を追ったのだが、彼の子息は優秀で
百済で要職にあることを知っていた。名を徳率餘白という。
司令官・五百手は使節の物部至々に徳率餘白への書簡を持たせるなどの
智慧助けをしてやった。
そのお陰で武寧王に無事に国書を渡すことができた。
・・・・・・・・・
百済軍(州利即爾将軍)が西方から、
倭国軍(穂積臣押山将軍)が南方から、
それぞれ戦線の伸びた「伴跛軍」の先端を同時に攻めたから
「伴跛軍」は孤立無援で、ひとたまりもなく降伏した。
・・・
武寧王は外交を司る長官に徳率餘白を引き上げ、
病気の五経博士を交代させるために、
餘白と新しい五経博士・高安茂、百済の将軍などの一行を
倭国に使節団として派遣した。
もちろん、武寧王の計らいで帯沙の国司「至々」も同行している。
・・・
日本国王である磐井
は、次のように褒め称えた。
「 百済軍・日本軍の共同作戦で、戦線の伸びきった伴跛軍を打ち破り
再起不能にさせた。この功績は餘白と至々に帰する 」とし、
「 日本国軍により半島の帯沙派遣軍が勝利した
」として将軍たちを労った。
但し、として付け加えた。
「 大伽那連合軍の一国である伴跛国を壊滅させたので
日本国および百済は大伽那連合軍を完全に敵に回して
しまった。両国は連合国のみならず、新羅に対しても一体となって
当たらねばならない。
」と。
★・ 呆けのメモ
当時の国名・地域など
地域・国 |
説明 |
---|---|
中国大陸 |
|
北朝 |
北魏・考文帝・・・洛陽遷都、中華思想。三長制、均田制取り入れ →帝王「仰・こう」5才、摂政・胡太后の治世は分裂状態 |
南朝 |
(宋→斉→)梁・武帝(蕭衍・しょうえん)・・・生粋の文化人。経済発展、交易拡大 |
朝鮮半島 |
|
高句麗 |
王・高羅「雲」で文咨明王。長壽王の孫。廣開土大王の曾孫。 |
百済 |
東城王→武寧王。民政官による軍統制。大陸文化、制度受け入れ進展。 |
新羅 |
智証王→法興王。統一された軍事侵略国家。 |
伽那諸国 |
・ 南伽那諸国 のうち 南東部 の金官伽那・金海、漆吐、安羅、帯沙、固城、史笏では伽那人の国王がいて、 倭国から派遣された国守が軍事・警察権を掌握 する。倭人、韓人の上に少数の伽那人が支配する体制にある。治安を有利に治めるためには韓人を 西南部 の牟婁、上哆唎、下哆唎、己汶という、倭国から派遣された国守が飾り物にすぎない地域に移動させる方針。 ・ 北伽那諸国 (大伽那、伴跛、「 卓淳」 、古寧、多羅、散半下、「 比自火」、「卒麻」 、斯二岐、星山など)・・・倭人はいない。「 大文字 」は新羅が占領 ・ 百済へ割譲 (上哆唎・おこしたり、下哆唎・おろしたり、己汶・こもん)、自ら百済の支配下に申し出で・・・ 牟婁(自由貿易湊) |
日本列島 |
|
「倭国」 |
倭王・磐井。 日本国王 を称する。 国府太宰府。出雲~五島列島辺りまで支配。朝鮮半島の伽那諸国に国司を派遣。 |
「大和」 |
男大迹王・継体天皇。大和が中心。丹波~夷隅・古志あたりまで支配。水稲栽培が得意。 先住民と第一次~第三次の倭人などの渡来人の集団が和合。 |
吉備 |
大和の一員であったが、乱を起こし分離、分裂。倭国と大和の緩衝地帯の役割。 |
「隼人」 |
隼人梟師として統括者は前任者が選ぶ。漁労が得意で、捕鯨も行う。黒潮海流の沿岸支配。熊野以東を大和に委譲しようとしている。 百済王の弟が漂流しているところを助けて、大和に連れて行くと、その子孫が大和の家宰として全力を尽くす。 |
蝦夷 |
次第に東国へ追いやられる |
・ このほかにも、渡来人の秦氏という絹織物などの技術集団の存在がある。
・朝鮮半島が、鉄の生産に必須の木炭供給ができなくなる、
鉱物資源も枯渇などで寂れてゆく背景がある。
(メモに過ぎません。気がついたら修正します。)
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高句麗王朝の系図(理解を深めるための参考図、WEBより)
/// (WIKIPEDIA) ///
この王朝図を見ると、一番上の「 朱蒙 チュモン」は、韓国ドラマで一番好きな王様である。
そして、もっと好きなのは後妻となった、隊商の娘「ソソノ」の強い行動力、判断である。
最近、顔立ちがよく似た女優・サヘルをTVで見るが、もしかしたら、ペルシャ(イラン)人は
シルクロード を通じて移動してきたかもしれない。
秦氏だってモーゼ、月・弓月族などと変遷してきたかも・・・
要らぬお節介でした。
@@@ いま、土佐の「ごっくん馬路村」を飲んで一息ついている @@@
★
(呆けの写経は 間欠泉のように
続く)
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