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ベルギーというと・・・
「シャルルマーニュ&マホメット」を著したベルギーの世界的歴史家
を思い出す。
彼の名はアンリ・ピレンヌ(1862.12.23~1935.10.24)であり、
その業績は、ヨーロッパ世界の誕生が、「ゲルマン民族大移動」よりも
「イスラム教国」の席巻により暗黒化した地中海世界からの
立ち直りで生まれたという「アンチ・テーゼ」である。
ピレンヌ自身はベルギー東部で生まれ、
大学はベルギー、フランス、ドイツに学び、その後、
ベルギーのヘント大学の中世史教授(1889年~1930年)で一生を終えている。
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ベルギーは、立憲君主制であるが、
北部はオランダ語圏、南部は仏語圏として
文化が異なっている。
このために、2010年には正式な政権の不在期間が
541日間も続く政治的空白が起きている。
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現在は、北部のフランデレン地域は工業・サービス業が発達し、
南部のワロン地域は石炭・鉄鋼業が衰退して、
両地区の失業率には2倍以上の差がある。
また、使用言語の障壁もあって南北の格差が激しい。
首都ブリュッセルはEUの首都として機能しているが、
移民が多く、低技能労働者が多いことで失業率も高い。
この貧富の南北格差は、建国時とは真逆の動きとなっている。
国内経済は賃金面でも競争力が失われており、
中道右派政府がとる年金の政府負担軽減策、
賃金抑制策などに反対するデモ、ゼネストが多発している。
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貿易に依存した経済 であり(CIA World Factbookでみると、
GDP:5,347億ドル、輸出3,234億ドル、輸入3,402億ドル)、
国内の 移民人口比率 (OECD国際移民Outlook2015)は 相対的に高く
(外国生まれの人口比率:ルクセンブルグ43.7%,スイス28.3%,スロベニア16.1%,
スウェーデン16.0%, ベルギー15.5% ,ノルウェー13.9%,スペイン13.4%,独12.8%,
英12.3%,仏11.9%,蘭11.6%,アイスランド11.5%,エストニア10.1%など)、
出身地は旧ベルギー植民地(キリスト教圏)だけでなく、
モロッコ、トルコ、イラン、パキスタン、南アなどからの
労働者が増え、特に 近年はイスラム系が非常な勢い を見せている。
「イスラム国」へ参加する割合も飛び抜けて高くなっており、
EU内で多発するイスラム国がらみの事件には
ベルギーの移民出身者が多く関わっている。
今回の仏同時多発テロ事件はベルギー出身者が蜂起したものであった。
欧州刑事警察機構統計では、2014年の テロ事件 での
人口1百万人当たり逮捕者はベルギー6.3人 、仏2.8人、
スペイン0.7人、独およびデンマーク0.2人 と傑出 している。
武器 も旧ソ連・東欧、バルカン半島、リビアなどから
闇のルートで流入 しているという。
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首都ブリュッセルでは、人口116万人の過半は移民が占めるという。
モレンベーク地区 の人口は約9万人である。
同地区では、 イスラム教徒が8~9割を占め 、
失業者は約1/4(若者は約4割) という。
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国は政治的文化的にも南北に別れて連邦制を敷いており、
人の移動は自由で、移民の比率も高く、闇の武器市場もあり、
警察の監視も儘ならず、テロリスト潜伏が容易なために
「欧州過激派の温床」とも揶揄されている。
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アンリ・ピレンヌの生きた時代 はベルギーはどのような状態であっただろうか。
19C後半~20C前半というと、ベルギーが1830年にネーデルランド国から独立し、
その直前から大陸で産業革命が始まり、重工業化がすすみ、製鉄・機械工業が
発達した。
工業化に伴い労働運動が台頭、普通選挙を求め、唯一公用語であった仏語に
対してオランダ語の地位向上の「フランドレン運動」が起こった時期である。
第一次世界大戦(1914~1918年) には、この国の中立を無視した独軍に
全土を占領され、戦後は独の脅威に対抗すべく仏と軍事協定を結ぶが、
1936年にはこれを破棄して中立政策に復帰している。
(第二次世界大戦1939~1945には独に再び占領されていた。)
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ベルギーの植民地としては、1885年に国王個人の所有地として
コンゴ自由国を獲るが、残忍な統治で徹底的な搾取が行われ
人口は25百万人から15百万人に激減し、国際的な非難を呼び、
1908年国有化され、1960年までベルギー領コンゴとして存続する。
1919年に独帝国の植民地であった現在のルワンダ、ブルンジを獲得。
(1960年コンゴ民主共和国が独立したが、ベルギー政府の稚拙な対応から、
コンゴ動乱、モブツ体制などの不安定化をもたらしている。ルワンダについても
1994年のルワンダ虐殺=「ルワンダの涙」) に見るように部族間の融和を
図ることが出来ず近隣国を含めた第一次、第二次コンゴ戦争に発展している。)
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ピレンヌの時代には異常な植民地政策で世界から非難を浴びていたが、
これらの国はキリスト教圏でイスラム比率は低い。
ベルギーがイスラムからの圧力を感じるようになったのは、
ピレンヌが生きた時代ではないようだ。
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むしろ、 フランク族 はローマ帝國に迫り、イスラムのウマイヤ朝をトゥール・ポワティエで破り
ランゴバルド王国を討伐してローマ教皇に寄進することでその後ろ盾を得た。
カール大帝の時代には独・仏・伊の領域を統一し西ローマ帝國の戴冠を受ける。
ピレンヌが著書で取り扱ったのは イスラム勢力により暗黒の地中海世界となった状態から、
フランク族が盛り返して、「ギリシャ・ローマ的要素」、「キリスト教的要素」、
「ゲルマン的要素」 が融合した
新しい文化圏:中世ヨーロッパ世界が誕生したスパン なのである。
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「イスラム国」自体は、かつてローマ帝國を脅かした
「暗黒のイスラム教地中海世界」
の再現を夢見ているようである。
「暴力集団」なのか「国家」なのか、不明の団体であり、
住民を国民と認識しているか、
奴隷や人質としているのかが曖昧な集団である。
ややこしくしているから世界にとって不気味なのであろう。
これらを明確に出来る国際的哲人が現れて欲しいものである。
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「歴史は繰り返す」というが、ヨーロッパの混乱を惹起する「 イスラム国 」、
東・南シナ海やシルクロードを制覇しようとする 中国 なども、
「 イスラム帝国 」、「 モンゴル帝国=元朝 」などの再来を夢見ているようだ。
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