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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Oct 21, 2020
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​​​​​​​​​​​ 宇治見氏の特別寄稿(翻訳): ​​


補論「III」(その2) 

Třešť (発音はチェシュチュ) における​

産業革命とシュンペーター家について







を嫌がること(当時の社会では普通の考え方であったが)

は、しかし、F.X.Schumpeterの考え方とは、

まったく異なっ
ていた。

 彼は、毛織物産業では現実的な政策 (これは現代で

言えば新しい感覚による政策)
を採用し、

資本主義的 な生産方式を採用した。

 個々人の生産量を制限するといった ギルド のやり方は

もう陳腐化していたのである。

 Schumpeterの現代感覚は自分の事業の繁栄を目指した。

 織物業とはいったいどういうものなのか?

 織物工
(織り手)は普通、家族全員から助けを借りる。

 女房や子供は糸を紡いだり、糸を巻いたりする。

 金持ちの織物工は職人や、紡績工や手伝いを余計に雇う

ことができた。

 18世紀の間、ギルド の掟はゆるやかになったとは言え、

彼らは、規約を根拠に、新たな加入者の参入を拒んだ。

 この規約に少しでも違反すると、親方といえども、

その身分を剥奪された。

 18世紀後半、厳しい規制の大部分は地方当局によって

取り除かれ、新しい労働者が参入できるようになった。

 織物業は多くの紡績工、染色工、羊毛を取り扱う商人、

大工、鍵前屋(この職業でさまざまな工具をつくる)

を養ってきた。

 織物業者の最も忙しい季節は冬であるが、何百人の人々

に、織物業は四季を通じて仕事を提供してきた。

 18世紀の末、この地域の織物業の生産活動の大部分は、

ギルド内での生産であった。

 ギルド会員の織物業者は、公式には独立した業者である。

 つまり、種々の顧客(たとえば商人)のため、自分の

スクで生産をし市場で販売するということになっていた。

 しかし、実際はそういった独立して活動できる業者は

極めて少なかった。

 多くは商人から羊毛を仕入れたが、金融の借り入れなし

には活動できなかった。

 当時は、通常、織物業者は繊維の粗い織物(=Coarse 

Cloth)のみを生産し、その後の加工および販売は商人に

より行われた。

 19世紀、産業革命および新しい時代の流れが追い風と

なって、Schumpeter の商売は拡大を遂げた。

 そのことは、町の研究家である Franz Jaburek によっ

て記録されている。

、1832年と1833年、この町の住人で鉄鉱石販売業者、​

N0.176の住人、ギルド親方 Josef Schumpeter 

(No.176、177の住人で塩および布地の商人である

F.X. Schumpeter の息子)は、ユダヤ人街の裏手に隣接

する自宅敷地内に、工場を建設した。

 彼は初め馬力を後には蒸気機関を使った。

「毛織物の折り目を密にする」工場、染色用大桶を備えた

染色工場を建てた。

 最初工場は "Josef  Schumpeter & Son"

(息子とは 
Karel のこと)と命名された。

 しかし Karel の死後、Karel の未亡人から Josef  

Schumpeter は工場を買いとった。

 Josef Schumpeter は新機械設備を導入し、工場の経営

効率を高め、さらに土地も購入した。

 彼は工場を "Alois Schumpeter & Son" と命名した。

、19世紀までには、Schumpeter一族は苗字をドイツ語​

表記に変えていた、

 即ちSchumpeterと。彼らの工場は、Třešťで 唯一、

キリスト教信者の家族によって経営されていた工場である。

 他の工場はすべてユダヤ人による経営だった。

 第1次大戦後、Schumpeter 一族は工場をユダヤ人経営者

に売却しTřešť を去った。

 キリスト教への信仰は、その当時、当家の家訓であった。

 これは、君主制を擁護する立場であり、皇帝と法王との

協調関係(現在では批判されるが)を尊重する立場から

来たものである。

 毎週金曜日、工場の全従業員は仕事を止め、キリストの

死(イースターの金曜日)の記憶を忘れないため、礼拝に

行かなければならなかった。

 前にも触れたが、チェコにおける少数民族として、

Schumpeter 家が、どこから来たのかは不確かである。

 一族の名前は15世紀の初め、記録に登場する。

 表記はチェコ語の綴りである。

 一族は元々ドイツ出身だったが、当時はチェコの時代で

あり、綴りはチェコ語風にしたのではないかということが

考えられる。

 あるいは錯誤だったかも知れない。

 即ち、ドイツ語が出来ない書記が名前を音声の発音

どお
りに記述したのかも知れない。

 (そんなことはありえないと思われるが)。

 あるいは、元々はチェコ人だったが、周囲の事情により、

実利的理由からドイツ人になったとも考えられる。

、Schumpeter 家が Třešť に、はじめて織物機械を導入

し​
た一族ではないとする考え方もある。

 Václav  Prosinger だとする説である。

 Třešťの繁栄は、オーストリア帝国全体を潤したが、

過去
の数世紀を見るに何もTřešťだけの珍しい現象ではない。

 むしろ、いろいろの地域で、さまざまな産業が起こり、

それらの町の富が、帝国の財政に大きく寄与したことも

事実である。

 しかし不幸なことに、ウイーンの政治家は、この資金の

使い方に関し、資金を作った人々の思惑とは別の目的に使

った。

 たとえば、帝国の南の国境を警備する費用は18世紀初頭、

6百万 Florins だった。

(この時、陸軍の軍服は Třešť の織物で提供された。)

 この金額の3分の2はボヘミアの国々で賄われた。

 国境線沿いのすべての兵士に対する給料、駐屯地の維持

費である。

 しかし100年後、チェコはこの重要な部分に関し、憲法

改正を要求、帝国からの従来の上記の要請を断った。

 ハプスブルグ家は反チェコ体制をとってきた。

 これは純粋に帝国の利益追求を優先するためだ。

 そして、これは1620年、チェコがハプスブルグ家に

敗れたあと、チェコを抑圧してきた200年の歴史でも

ある。

 帝国内で、チェコの動きに賛意を示すことは、正式な

政治の場ではあまり見られなかった。

、19世紀、Schumpeter家はチェコの政治上の民族​

意識高揚に対し、あまり歓迎する態度ではなかった。

 Schumpeter家が、この問題で、非難される局面も

出てきた。

 しかし、J.A. Schumpeter個人はチェコに対し非常な

親近感と同情心を持っていた。

 これは、Schumpeter家の考え方とは違っている。

 後に、パリのベルサイユ平和会議において、

彼は、チェコの利益を、全面的に擁護した

(当時彼はオーストリアの大蔵大臣であった)。








                                                  以上



​​ ​​ ​​★

​<追加情報>​

1. 世界の新型コロナウイルス感染情報

日本時間 2020/10/21 19:59





2. チェコ共和国の感染状況

チェコ共和国の略称→ ​「Czechia」チェキア​

正式の英語名は「Czech Republic」

チェコ語では Česká republika


https://www.worldometers.info/coronavirus/

​​​​​★​​​





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Last updated  Oct 21, 2020 08:40:13 PM
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