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★
19869年6月国名変更ビルマ→
仏教の国ミャンマーがクーデター
(仏: coup d'État)で揺れている。
資料が古くなったので更新したい。
アウン・サン・スーチー氏が大統領になれない
制度的設定とは、
「ミャンマー以外の国籍を持つ子供が居る人は
大統領になれない」
彼女は、英国人の夫との間に二人の子供が居る。
旧日本軍が英国軍と対立し、ビルマ人の
仏教徒を支援し、英国軍がムスリム(ロヒンギャ)
を支援した経緯があり、そのしこりが尾を
引いている。
英領のビルマ(現在のミャンマーとインド北東部)
で旧日本軍はインパール作戦で機先を制せんとしたが、
へいたん ずさん
日本軍の兵站を無視し、精神論で杜撰に戦った
「ウ号作戦」
はことごとく失敗に終わり、
その撤退路は 白 骨
街 道
と呼ばれた。
「史上最 悪
の作戦」
の別名があり、
ビルマの地での
旧
日本軍将兵の死は16万人に及ぶ。
**********
(以下はWIKIPEDIAからの引用が大半である。)
ミャンマー西の国境(バングラデシュ東端)のロヒンギャ居住地区
上記で見られるパゴダ、パトー(仏塔)群は
一般信者・在家信者が寄進、運営する。
出家の僧侶(和尚・ポンジーや見習い僧・コーイン)
が修行をおこなう寺院(ポンジーチャウン)・僧院
は別物である。
めんでん
ビルマは中国では漢字で緬甸と書かれた。
略称は日本でも「緬」が用いられた。
たいめん
泰緬鉄道=タイとビルマを結ぶ鉄道、
えいめん
英緬戦争=英国とビルマの戦争など。
背景
イギリスは1600年に東インド会社を設立した。
以降、継続的にインド、特に東部のベンガル地方
を植民地化。
東インド会社は19世紀初めまでにインドの大半を
支配下に置き、インドの盟主ムガル帝国の衰退は
著しかった。
ビルマは、1752年にアラウンパヤーが建てた
コンバウン王朝が興って以降、領土拡張を目指
して隣国シャムや清の雲南に侵攻を繰り返し、
西隣のインドをイギリスが駆逐する様子を見て、
これに乗じて領土を西方へ伸張を試みた。
1818年にビルマ王はベンガル地方の東半分の
割譲を要求、イギリスは応じなかったことから、
1822年にビルマ軍はベンガルに侵入。
しかし、これは産業革命によって領土を一層欲す
イギリスを刺激する非常に無謀な行為だった。
第一次英緬戦争
1824年にイギリスがビルマ攻撃を開始、1826年
ヤンダボ条約を結び、ビルマはベンガルを諦め、
自国の最南部アラカンとテナセリムをイギリスに
占領された(第一次英緬戦争)。
イギリスの貿易政策・拡張政策はさらに進み、
アヘン戦争(1840年 - 1842年)勝利で中国(清)
を開国、シク戦争 *
(1845年から1846年第一次、
1848年から1849年の第二次)の勝利でインドの
ほぼ全域を掌握し、イギリスの目は再び隣国ビルマ
に及ぶことになる。(雲南問題)
<
*
イギリス東インド会社と北西インドを支配して
いたシク王国(シク教徒)との間に起った二次に
わたる戦争。>
第二次英緬戦争
1852年、イギリスは再びビルマに侵攻ペグー占領、
海に面す下ビルマを自国領に併合(第二次英緬戦争、
Second Burmese War)。
イギリスはビルマ南部を手に、一層東アジア進出を
し、アロー戦争(1856年~1860年)でフランス
と共に清をさらに圧迫、有利な交易を展開した。
1857年インドのセポイの反乱を鎮圧しムガル帝国
を滅亡させ、1858年に東インド会社を解散させて
植民地経営と東方交易をイギリス政府の直轄とし、
1867年マライ海峡植民地を直轄領し制海権を手に、
フランスも同時期にベトナムへの侵略をはじめ、
清仏戦争(1884年~1885年)でインドシナの支配
権を確立。オランダはジャワ島からスマトラ島を
攻略して一大植民地を建設した。
第三次英緬戦争
1885年11月、イギリスはビルマ完全支配を目指し
三度目の侵攻を開始、翌1886年にはビルマ王が
イギリスに降伏し、上ビルマもイギリス領に併合、
イギリス領インドに組み込まれた。
一部の将兵がイギリスの占領に反攻戦闘を続けたが、
1890年完全に鎮圧、戦争が終結(第三次英緬戦争、
Third Burmese War)。
ビルマ王朝は滅亡し、1886年イギリス領インドに
併合されてその1州となる。
ビルマ国王夫妻はイギリス領インドのボンベイ流刑、
その地で死亡。王子は処刑、王女はイギリス軍士官
の従卒に与えられた。
そして1886年7月、イギリスは北京にて清朝と
「ビルマとチベットに関する条約」を締結。
本条約では、
ビルマについては清朝はイギリスのビルマ併合を
認めビルマへの宗主権を主張しない、
清朝とビルマ間の朝貢貿易は引き続き行われる
ことを取り決めた。
同時に、清朝側のビルマに絡むこれらの譲歩の
(
しふうじょうやく、チーフー条約、英語:Chefoo Convention、中国語:烟台条约)
代わりに 芝罘条約
で取り決められたチベットへの
使節派遣特権及び通商権をイギリスが放棄する
ことを取り決めた。
ビルマは1937年にイギリス領インドから分離し
自治領となったが、完全な自主独立の回復は
1948年1月4日にイギリス連邦を離脱してから。
インパール作戦:WIKIPEDIA
ミャンマー付近の地図
インパール付近(インド北東部マニプル州都)
**********
讀賣新聞7~8面から
2021/2/5
ヤンゴン=旧名称「ラングーン」
以上、讀賣新聞2021/2/5朝刊国際面、経済面
★
讀賣新聞 2021/2/09 05:00
ミャンマーの中国へのパイプラインは
1.米軍によるマラッカ海峡封鎖の場合に
中東方面からの原油を供給(2017年から)
2.同じく、ミャンマー沿岸で採掘した天然ガス
を送るパイプが並走(2013年から)・・
そのほかにも、中国がミャンマー西岸の深海港
を対インド戦略で利用、経済回廊建設、中国製
対潜ミサイル・戦闘機などの供給先として中国は
ミャンマーが重要な友好国なのであり、
ミャンマーの軍事政権、スーチー政権の両面を
支援せざるを得ない。
★
ミャンマー連邦共和国の基本情報(2020年)
<外務省、新聞社>
国名
|
ミャンマー連邦共和国 |
日本国外務大臣談話 |
本日(2021年2月1日)、ミャンマーに 日本政府は、これまで、ミャンマーにおけ 在ミャンマー日本大使館を通じ、在留邦人 |
略史 |
諸部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初 1962年 クーデターで発足
の社会主義経済政策のネ・ウイン政権
は、閉鎖的経済政策失敗などで、 更に、スーチー氏の拘束が米国、ECなどの
経済制裁措置の強化を招き、国内産業の打撃と
なった。 |
通貨 |
チャット(Kyat) 1ドル=1320.9チャット |
国花 |
サラノキ、カリン(マメ科)、 「沙羅双樹の花」
が |
国旗 |
上から黄色、緑、赤に塗られた三色旗の上 |
面積:平方キロ |
680,000平方km 日本の1.8倍 |
人口 |
5,141万人
2014年9月 |
人口密度:/平方キロ |
75.6人 |
首都 |
ネーピドー(ネーピードー) 2005年11月首都をヤンゴン 東京からの大気圏距離: 時差:JST-2時間半 サマータイムなし |
民族 |
ビルマ族(約70%)
, |
言語 |
ミャンマー語 、シャン語、カレン語、英語 |
宗教 |
仏教(90%)、キリスト教、イスラム教等 |
政体 |
大統領制,共和制 |
元首= 大統領 |
テイン・セイン →ティン・チョー(NLD) <アウン・サン・スーチー党首の側近> →ウィン・ミン大統領 (2018.3.30就任)
|
議会 |
二院制 上院(民族代表院) 定数224(選挙議席168、軍人代表議席56) 下院(国民代表院) 定数440 (選挙議席 330、軍人代表議席110) <軍人が議員の1/4を制度上保有> |
政権 |
<クーデター直前> 国家最高顧問、外相 アウン・サン・スー・チー 副大統領 ミン・スエ 副大統領 ヘンリー・ヴァン・ティオ 下院議長 ティ・クン・ミャ 上院議長 マン・ウィン・カイン・タン (2) 1990年には総選挙が実施され,
アウ 2008年5月10日,新憲法草案採択のための 2010年11月7日,総選挙が実施されたが, (3)ティン・セイン政権による、少数民族との対話 (4)2015年11月の総選挙でNLDが上下両 |
軍事 |
(1)予算 23.5億ドル(2019/20) (2)兵力 40.6万人 |
主要産業 |
農業、天然ガス、製造業 |
GDP |
約772億ドル(2020/21年度、IMF推計) |
一人当たりGDP |
1,441ドル(2020/21年度、IMF推計) |
実質GDP成長率 |
5.7%(2020/21年度、IMF推計) |
物価上昇率 |
6.2%(2020/21年度、IMF推計) |
失業率 |
約4.0%(2020/21年度、IMF推計) |
輸出 |
約171億ドル
|
輸入 |
約181億ドル |
輸出 品目 |
天然ガス、衣類、米、豆類、鉱物 |
輸入 品目 |
機械類、精油、製造品、化学品、食品 |
輸出 相手国 |
中国、タイ、日本、米国、インド、
|
輸入 相手国 |
中国、シンガポール、タイ、
|
対日輸出
|
14.2億ドル |
内訳 |
衣類、魚介類、農産品 |
対日輸入 |
4.8億ドル |
内訳 |
自動車、機械類 |
二国間関係 |
歴史的な友好関係を基に、二国間関係を包 |
日本からの直接投資
(ティラワ経済特区経由 |
768百万ドル(2019/20年度)
ミャンマー中央統計局 日系進出企業:436社
|
在留邦人 |
3,505人
(2020年12月現在) |
在日ミャンマー人数 |
32,049人· (2019年 |
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