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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Nov 2, 2023
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カテゴリ: 土佐の高知

​​​​​​​​​​​​​​​​​



https://www.shimantogawa-joryu.com/


https://hmmmhmmm.com/5585.html
四万十川の上流の天然鰻はお腹が金色で小ぶりである。


子供の錯覚か土佐の不可思議か❓

 ​小生は今でも窪川(高岡郡四万十町)から

四万十川は
下流の中村(幡多郡四万十市中村)に

流れないと
勘違いしている。

 下流から上流に流れることがあるのか~

不可思議であった。

 しかし、家地川(いえち”かわ)付近には

高さ8m
ダム(というより正確には魚道付き堤防のようなもの)

が並行して走り、全く違う新水系として

太平洋の土佐佐賀駅付近へと落ちている。

 窪川(高岡郡四万十町)の下水が汚くて四万十川を

汚さないのもこの堰堤のお陰であると聞いた。

 四万十川の下流には沈下橋が多く、また、ダムがない

から、淀んだ水はない~と人は言う。

 小生の住んだ上流の仁井田(高岡郡四万十町仁井田)

(長宗我部氏の時代には一帯が仁井田郷という開墾地)

付近には
田んぼや堰やあるが、

並行して流れる松葉川には
​上流に小規模ダムがあり、

中土佐町久礼
ここからも 直接・太平洋 に​
久礼付近で流れ落ちている。

稲田へ引き込む
​ 小生の嘗て住んだ仁井田川には用水用の堰があるので、

泥鰌、鰻 や鯉、鮒、鯰、鮠、虎魚、鈍甲など沢山​
​いるが、

清流を好む 松葉川 まで行かないと見られない。​


​​​ 坂本龍馬が辿ったという高岡郡梼原村には、

下記の最短ルートでなく、佐川→梼原→韮ヶ崎→内子と、

横へ横へと行っているが・・・


https://gcy.jp/kkd/matsutosa.html


https://tabi-mag.jp/ko0137/
梼原村 維新の門


********
​​​坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、
翌3月25日に檮原に到着。
その夜、檮原村の勤王の志士で
ある那須俊平(土佐一の槍の達人)・信吾父子の家に宿泊。

3月26日に那須俊平・信吾の道案内で宮野々番所を抜け、
四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土国境(愛媛・
高知県境)の韮ヶ峠に至り、盟友・沢村惣之丞とともに
土佐藩を脱藩。
檮原からも文久2年〜3年に吉村虎太郎、
中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に
身を投じています。
案内役の那須信吾は、韮ヶ峠より引き
返しましたが、那須俊平は脱藩後も同行し、小屋村(現・
西予市)、水ヶ峠(大洲市)を経て26日は泉ヶ峠(内子町)
に宿泊。
3月27日、宿間村(内子町)に到着。 那須俊平は
ここで見送り、坂本龍馬、沢村惣之丞は船便にて長浜
(大洲市長浜)に至っています。
3月27日夜は長浜の冨屋
金兵衛宅に宿泊。
翌3月28日に長浜から船で2日を要して
三田尻(現・山口県防府市)へと瀬戸内海を渡っています。

**********

梼原川という 水量の多い川 があり、高岡郡 梼原村 には


高さ45.5m
都賀ダムがあり、これも四万十川に流れ込んでいる。

 この梼原川が四万十川に流れ込むのは家地川より

下流の四万十町田野々であり、ここは水流が多い。

 仁井田川や松葉川などの水量の約半分は

家地川の堰堤で別れ、発電に使用されるべく、

近くの土佐佐賀(別水系の伊与木川)に
落ちる。

 小生の誤った流れの方向感覚は~もしかして、窪川側の

水量が落ちた時に、水量の多い梼原川から逆流している

時期があるかもしれないと~思う次第。

(逆流性胃腸炎のような現象か~)

 四万十川にダムや堰はないというのは誤りであり、

また同川は日本三大清流のトップに挙げられるが、

土佐には
もっともっと青々とした清流・ 仁淀川 がある。

 地方の名家~名家というが、これも寄付金で決まる

話であり、
名家にはお金がいるものである。

 何を言いたいかであるが、四万十川は四国一の

本当の清流ではないのである。


 仁淀川は水が溜まらず大雨でもサッと下流まで

流してしまう(ただし、民は 伏流水 を利用する)。


​​ 土佐の酒蔵・司牡丹があるのはこの中流・

佐川 である(土佐の酒の石高は土佐鶴、司牡丹)。

**********
古い2010年の資料だがNHKの龍馬伝(福山雅治)
の放送があった
影響かもしれない
酒造石高で次の記録がある。
1位 白鶴  59,710kl
2位 月桂冠 50,329
3位 松竹梅 45,819 
4位 大関  35,176
<高知県>
25位 土佐鶴  3,240
55位 司牡丹  1,013
78位 酔鯨        493 
https://ameblo.jp/sake-hiroshi/entry-
     10834934119.html
**********

佐川町 は神奈川の酒匂川と同じく「酒蔵」に由来する。​​


​ 牧野富太郎博士の朝ドラですっかり有名になった。

本人は植物観察・研究に没頭し続け、酒の経営には無頓着
牧野富太郎博士の酒蔵・岸屋は司牡丹に吸収された。

興味のある方は、当ブログ「Apr3,2023」などを参照。


 伏流水を使用する土佐和紙の里・伊野町もその

下流にある。


 この文章は、小生の学友からの質問~

四万十川の流れがどうなっているか 」と

聞かされた時、
​​ふっと頭をよぎった空想である。

1.四万十川にダムが全くないというのは誤り。

2.四万十川が奇麗なのは 下流にダムがなく

  橋が沈下橋であるお陰は正しいのだが、

  その場合は上流~中流では、都賀ダム以外の

  ダムで堰き止めた汚い水は電源:別水系として

  高南台地から直接に太平洋に落下し流れる。

3.この2つのダムは上流の水を直接に、落差を

  利用するために別水系で 太平洋 に落下させて

  いる(松葉川ダム 中土佐町久礼:太平洋沿岸、

高岡郡 家地川堰堤​
→幡多郡黒潮町 佐賀

  太平洋沿岸
)。



四万十川の流れ  ​

 ・ 仁井田川      ~               
  ・松葉川 ダム(→土佐久礼→太平洋) ~松葉川~ 

                                         
​ダム​
   →窪川盆地(四万十町)~ 家地川 堰堤

1.土佐佐賀~発電~太平洋へ別水系

2.四万十川~

       (水量の半分以上を取水)
  四万十川は家地川を経て、

  流量の多い梼原川の流入(逆流の可能性❓)~

  下流の四万十市中村で太平洋に流れる


四万十川の語源>

四万十川は多くの川が合流しているためとか、
上流の十川や四万川の連称号であるとか、
アイヌ語の「シ・マムト」(=非常に美しい)、
「シマト」(=砂礫の多いところ)に語源がある。
渡川は4万石の材木を10回流し送るほど豊かな森が
上流にあるといわれ、また、
「三途の川」とも言われ、土佐では中州にある
中村より西の具同
や中筋方面に流刑する「渡川限り」の
罪名が明治初頭
まで続いた~などという。

​​

******
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​​​











注)梼原川と四万十川の合流点について:
(旧)大正町田野々はバス停名である。
現在の大正町は
十和村、窪川町と合併し、
四万十町となる。土佐大正駅が駅名。
土佐大正町は上山郷と呼ばれる地域でした。
この地域には熊野別当田辺の湛増父子が移住し、
その子孫である田那辺氏が開発を行いました。
町の中心集落である田野々には、田那辺氏に
よって勧請された熊野神社や菩提寺である
五松寺があります。




注)土佐大正駅の次の駅名は「土佐昭和」
つぎは「十川(とおかわ)」である。
土佐大正と土佐昭和の間に「リバーパーク轟」
という
激流が流れている区間がある。
















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Last updated  Nov 6, 2023 01:52:18 PM
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