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紫陽花 コサージュ年一本ずつのペースではありますが、紫陽花もだんだん増えてきてます。。 カンパニュラ フェイジョア 夏に強い、Lady Emma Hamilton 甘酢に漬け込んだ新生姜の、だんだんのってきたピンクと同じ色だなんて思う。。 梅雨明け早々、うだるような暑さでまいりますね。また中三の甥っ子からの情報ですが今週号の少年ジャンプ掲載 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」薔薇プリンスの巻!になってます。ドーム球場で開かれる薔薇の祭典、薔薇界のカリスマ貴公子(爆)などなど作者、今回もかなり勉強してるのがうかがえ、笑えました。まあ、コテコテのオチでしたが(笑)コンビニででも、良かったら立ち読みかけてみて。いつぞや、歯医者の待合室で手にとって以来、この漫画で文学シリーズ↓けっこうはまりまして、もう今生、読むことは無いだろって名作は、こちらで一読することにしました。以外に、漫画でもそこそこ感動できたりして(笑)時の首相をばかにできるものではありませんね?? 海外で使った、カードの引き落としもこれから。今年の夏は、家でおとなしく、漫画でも読んで過ごすかねん?酷暑の季節いよいよ始まりますが、御身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
July 16, 2009
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パリ市立ロマン派美術館。ピガール街、モンマルトルの丘のふもとのこの街は、古くから、多くの芸術家が住んだ地域である。地下鉄ピガール駅周辺は、現在かなり治安の悪い場所になっており、昼間でもちょっと物騒な感じがしたが、ほんの五分も歩くと、時空を超えたような、古い美しい住宅街になった。 この建物は、画家のアリイ・シュフェールが住んだ家とアトリエで、かつてこの家のサロンに、ショパン、リスト、ドラクロワなど、多くの芸術家が頻繁に訪れていたという。現在、その家の一角にジョルジュ・サンドのサロンが復元され、実際使っていた家具や装飾品が、展示されている。 ショパンとサンドの、手の石膏像。 室内にはショパンの曲が静かに流れており、途中、バルカローレに変わった。万感の思いがこみあげた。マリアへの遠い思慕、サンドへの感謝、芸術への情熱と、生への諦観と。相反するものすべてを受け入れ、ひとり去った彼の深い、透明な優しさのようなものを、直に感じた気がして。。 薔薇が、今まさに満開の季節。庭は喫茶コーナーになっており、お茶とケーキがいただけた。優しさに満ちたような、空気感。。1800年代前半に生まれ、早々にこの世を去っていった繊細な天才たち、ショパン、メンデルスゾーン、シューマンなど。。彼らの音楽がまさにふさわしいような、美しい場所であった。 ヴァンドーム広場。現在は高級宝石店ショーメになっている、この建物の二階が、ショパンが最後の日々をすごした場所。彼がこの家で息を引き取った、というプレートが外壁にあった。 彼の葬儀が行われたマドレーヌ寺院。ヴァンドーム広場からは、歩いて五分ほどの距離にある。フォーレも、この教会の専属オルガニストだった。こちらのマリア様は、とりわけ美しかった。 ショパンの遺言は三つ。心臓は、死後ワルシャワに運ぶこと。葬儀には、モーツアルトのレクイエムを演奏すること。そして、未完の作品はすべて焼却すること、だったそうである。この日の帰り道、偶然撮った、不思議な夕暮れ。パリのマジックアワー。。なにかむこうから、気難しい顔をしたショパンが、俯きがちに、足早に歩いてくるような気もして。。? 音楽は、混沌とした私の中の、一筋の光、です。音楽家たちが、どんな場所に暮らし、何を見て、何を思いながらこの曲を作ったのだろう?この素朴な疑問が、今回、私を旅に駆り立てた最大の動機かもしれません。(もちろん、短期間のパリやオペラ座見学くらいで わかる事は微々たるものでしょうが。)ただ、「確かに、彼らはここにいた。」そう実感できるだけの、十分な佇まいを、この街、パリは今も持っていた気がします。かつて、この街に生きた、多くの芸術家たちのスピリットに、深い敬意を覚えつつ、これからもずっと、彼らの作品を愛し続けていこう。遠い、東洋のかたすみで、ね。。さようなら、PARIS!今回のパリ旅行記、これで終わりです。ラストは少々センチメンタルにまとめました☆ 長いこと、おつきあいありがとうございました。
July 7, 2009
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ヴェルサイユ宮殿の庭。天才造園家、ル・ノートルの設計。国王ルイ十四世が、心血を注いで造った広大なガーデン。ジャスト・シンメトリー、です。 国王の権力を象徴するような、広大な眺め。この両サイドの森の中に、さらにいくつもの仕掛け、噴水などが隠れています。庭園見学ツアー、散策というより遠足!という覚悟でないと回れない距離でした。。王侯貴族の遊び心、相当体力がないと、つきあえない感じ。。この日は到着翌日で、数日来の睡眠不足による体調不良、行き倒れるかと思いました。 それぞれ意趣を凝らし、華やかな噴水の数々。水不足で、現在は、夏場の週末しか噴水はやってないそうです。 ヘンデルの音楽など、スピーカーから流れてロココな雰囲気でした。 まさに、ベルサイユの薔薇☆見事なランブラーローズ。 次から次から、いろいろな広場があらわれます。(限界的な疲労で、途中から正直まだあんのかヨ。。状態だったのが、残念) 宮殿は、大混雑でした。有名な鏡の間。話はベルサイユとは全く関係ないのですが。旅行中、ちょっとギョッとする光景を見たことがあります。夜十一時半くらい、パリおのぼりさんツアーで有名な、ムーランルージュのショーを見た帰りです。場所はコンコルド広場。上から下まで、真っ白な衣装を着た(男はスーツ、女性はドレスなど)男女が、広場に集まって騒いでおられるんです。。その数や、数千人はいたと思います!!中には、白い布を振り回している人たちもいます。とにかく、白、白。白一色!ガイドさんにあれは何と聞いても、こんなの見た事がない、と眉をひそめる始末。。コンコルド広場、といえば、かつてギロチンが置かれ、多くの貴族が断頭台に消えた場所です。私は、その子孫の方たちが、追悼ミサでもやっておられるのか、あるいは、カルト集団の行事に出くわしたのか。。??とにかく、見てはいけない物を見てしまった気分で恐々その場を後にしたのですが。。。ひょんなところで、その光景の意味を知ることとなりました。元フジテレビアナウンサーの、中村江里子さん、今はフランス人と結婚なさってますね。彼女の、「パリでカフェ散歩」なるガイド本を、旅行前に購入したこともあり、彼女のブログをのぞいてみた時です。この記事を見つけました。↓***彼女も、あの中にいらっしゃったんですね。。。ホワイトディナーという、パーティなんだそうで。。事情を知らず、いきなり遭遇した旅の者には、正直なところ、震え上がるほど怖かったんですけど。(笑)これもまた、旅の思い出ですが。
July 4, 2009
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ピンク色の壁の母屋の前に広がる、広大な花の庭。母屋の中は撮影禁止でしたが、浮世絵が壁中に掛けてあり、凄いコレクションでした。日本ブームは本当だったんだ、と実感。 スタンダードローズの足元は、この時期はポピーが満開。あと数週間で、今度はユリにバトンタッチだそうです。フランスの六月は、まさに薔薇の季節。あ~、薔薇って本来、こんなのびのびとした植物なんだ。。(苦笑) 早朝五時から、ガーデナーの手入れが始まるそうで、観光客が到着する頃には、ごみひとつ無い整った表情で迎えてくれる庭です。 二ゲラ、芍薬、ビオラなど。。 この絵の舞台だそうです。遠足?のこどもたちで賑わっていました。 オルセー美術館で。 ジヴェルニーという、ノルマンディーの村自体、モネの家に限らず、実に美しいところでした。お店やレストラン、普通の一軒家でも、それぞれ花にあふれた庭があり、ため息がでました。観光客、年間50万人だそう。特にアメリカ、日本、が主流だそうです。いまや、ひとつのガーデナーの聖地、なのかもしれませんね。もう、ずいぶん昔、2DKの狭い社宅で子育てをしていた頃、一年、ジヴェルニー!のカレンダーを壁に貼っていたことがあります。よっぽど、羨ましかったんでしょうね。(笑)邸宅の間取り、キッチンの壁紙、しっかり記憶にあって、我ながらびっくりしました。次女は小児喘息、土地高騰で引っ越すのも困難で、私は不眠症で鬱気味できつい時代でした。当時切望した、広大な庭にも、それを眺められる美しい家にも結局は、縁の無いまま終わりそうですが、ひょんなことから、そのカレンダーの景色の中に現実に佇むことができ、それだけは、感謝しています。さて、現実に帰り。。何か、インスピレーションをうけてきた、というより、もう園芸から足洗おうか、と思うほどの(爆)狭い環境に今おりますが人生、夢を見続けることが大切、なんてね。それしかありません。
July 3, 2009
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画家クロード・モネが、四十三歳から、亡くなる八十六歳まで過ごした場所。 静かな川沿いの道を行くと、連作「睡蓮」で有名な、美しい池が現れる。 樺太と同じ緯度らしく、日本とは光の質が違うとのこと。同じ庭を東京で作っても、決して同じ景色にはならないらしいです。この日は薄曇り。ぼんやりした写真です。 印象派の、彩度。。? オランジュリー美術館 睡蓮 四方を、四枚のモネの巨大な睡蓮の絵が取り囲む部屋が、ふたつありました。(オバサンで大きさを測ってください。) 続きあり。また、実にいろいろな花が咲いている庭でした。
July 2, 2009
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