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やっぱり有難い存在というか、必要だなあと感じました。私には今何人か、そういう方が身近に居ます。それはとても幸せなことです。それが家族ならばベストなんでしょうけど、残念ながらそうじゃありません。身内や家族はどうしても「よかれと思って」や「あなたのためよ」が前提にありますしね。私も自分が子どもにとってそういう存在になれてるかと言うとやはり疑問なんですよね。どうしても感情移入してしまうし。かと言って自分の足りないところや、欠点ばかりを指摘されるとやはり嫌。それがまだ自分の修行が足りてないところかな(笑)「あなたはそう感じるのね」と素直に思えないというか。「自分と同じように感じる人はこの世に1人も居ないんです」と言われても、心の底から腑に落ちていないからかしら?今、2,3か月に1度ですがカウンセリングを受けている先生もその1人です。そんなにオーバーな感じではなくて淡々としているけど、きちんと聴いてそれを少し言葉を変えて返してくれるので、自分の考えが整理されるように思います。もう1人は親の会でご縁のあった方。この方は感情表現が豊かな方です。結構私の内面まで切り込んでくれるというか。だから自分でも思わぬような感情がわいてくる時もあります。きっと普段は蓋をしている部分なんでしょうね。昨日親友のKちゃんともう1人の友達と久々にランチして、とっても楽しかった。色んな話をしたけれど気兼ねなく言いたいことを言い合えて、一緒に笑える友達が居て、本当に良かったなって感じました。3時間以上色んなお話で盛り上がり。私が今勉強してることのお話を、2人にもきいてもらったりもしたんです。私が「でもね自分が違和感を感じるとこはスルーしようと思うんだ。自分に合うとこだけ取り入れようと思う」って言うとKちゃんが「うん。そうだよね~それみんな信じたらなんか怖いよね。それでいいんだよ~」って共感してくれました。お勉強では決して「こうしなさい」と、強制されたりはしないんですけどね。Kちゃんは私と似てるところが多いけど、私とはやっぱり違う人間なんですよね。長い付き合いで私の色んな面もよくわかってる。「のめり込むとこがあるからね」って言われたりね・・・うんそうかもね~冷静になれない時とかあるよね・・・Kちゃんこれからも気が付いたことがあったら教えてね、と感じたのでした。そしてもう1人のお友達が、なんとずっとズンバをしてることが判明。「ズンバはいいよ~感情が解放されるよ」って言ってました。3人とも自分の母親との色んな問題を持っていて、でもそれをつきつめて考えることも出来ず。段々と弱ってくる親の心配やお世話をしてる状態なんです。「私たちっていい子過ぎたね」なんて言いながらご飯を食べたのでした。で今日は母と用事で半日お付き合い。疲れた~でも私結構母に自分の気持ちを言えたかもしれません。「そんなふうに言われるのは私は嫌なの」って。進歩したかな? なんか癒された雪だるま
2014.01.30
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この前の旅行で飛行機から見た雄大な景色です。上は白山連峰の雪山、下は雲海の上の夕焼けです。自然って本当に美しいものを作りだすなあって感じますね写真のアップだけでもいいのですが、今朝洗濯物をベランダで干してたら(最近このパターンが多いです)ふと頭に浮かんだのは「渦中なのは私じゃないのよね」と言う言葉。そうそう当たり前ですが親が子どものことをいろいろと心配してるとつい陥りがちなことですよね。それとも私だけかしら?どうしたいかどうするか決めるのは子ども。親にできることは子どもがゆっくりと考えられる場所と時間を整えることだけ。改めて「境界線」を意識しました。と言うことでこれまで以上に、子どものことから離れようと考えています。今からちょっと仕事頑張ります。これ以上延ばせないとこまできてしまったから(涙)
2014.01.27
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不登校にもそれぞれ段階があり、タイプがあると思います。って、昨日の朝洗濯物を干しながらそう感じました。初歩の初歩かもしれないけど(笑)忘れないうちに書いておきます。先日は親の会で話を聴いてもらったり、学校の先生とお話したり、ここ最近娘のことで考えたり話したりすることが多かったのです。皆さんに進学に関する娘の希望や、私の思いなどが話せてスッキリしました。本当に聴いてもらうと気持ちが落ち着きますね。自分の気持ちも確認できますし。お話を聴いてもらいながら、フト頭をよぎったのは題に書いてる言葉。私がよくやってしまいがちなのは、息子と娘を比べてしまうことです。比べて安心したり、逆に不安になったり。もちろん共通することもあるけれど、やはり息子と娘では違います。違う人間ですから当たり前なんですけどね。それぞれ違う人格を持った人間なので、それによって親の対応も違ってしかるべきなんです。「信じて任せる」と言うスタンスは同じでも。それは他の不登校のお子さんにも皆共通することでもあると思います。だからこの子にはそうしても、この子にはそうしない方がということもあるかと思います。私も手さぐり状態なんです。息子の時と比べて、私も夫も比較的落ち着いていられるから、その分娘の気持ちは楽だと思います。家の雰囲気もゆるやかです。娘が今どの段階に居るのかはよくわからないんですが、私が見たとこでは混乱期を少し過ぎたあたりかな?エネルギーはためつつあるけれど、まだ体調もよくないし。明るくはなってきましたが気持ちの波もあり、不安も大きいように感じています。お休みし出してからそろそろ8か月ですが。この前、家庭教師の先生が来たときも、結構部屋から笑い声が聞こえてきていました。私が親の会で途中まで外出していたから、おやつやお茶も自分で用意していました。たまには私に自分の気持ちをボツボツ話す時もあります。食欲もあります。睡眠は過睡眠ですね。よく寝ています。相変わらずコミックを読んで、テレビでバラエティーやドラマを観て、勉強はほとんどせずに過ごしてます。外出は塾と美容院と病院くらいかな?元気度をはかるのはなかなか難しいのですが、少しずつ元気になってるかなあと言ったところですね。私はあまり娘のペースを気にせず自分の予定で動いています。だから娘が何してるか分からないことも多いです。ここ最近に聞いたお話で印象に残っていることは、「家族って何かはなさなくてもただ傍に居るだけでもいいんだよね」というのと「何か声をかけるよりも気持ちを聴く方が大事だよね」と言うことの2つ。改めてそうだよなあと感じました。 旅行先で、久しぶりにつららをみました
2014.01.24
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日記の内容とは関係ないのですが、年始の旅行で夫が写真をたくさん撮っていて最近それを整理しながら眺めていると、清々しい気持ちになります。だから少しずつアップしようかと思います。よかったらお付き合いください。少しの間ブログを書くことから遠ざかっていました。何か書こうかな~と頭には浮かんでくるのですが、日々のことにかまけているうちに忘れてしまい、また浮かんできては、また消えていくということを繰り返していたように感じます。少し書いてみたくなって時間も出来たので、書いてみることにします。私の心の中にはいつも2つの気持ちがあります。それは「子どもは今のままでも大丈夫」という気持ちと、「いや、大丈夫じゃないかも」という気持ちと。そしてその2つの気持ちは入れ代わり立ち代わり、色んな大きさで私の心をぐるぐると占めていくのです。仮にこの2つの気持ちをAとBとすると、自分のその時の気持ちの持ち方や体調で明るいAが大きい時と、不安なBが大きい時とがあるのです。そんな時は誰でもあるのかもしれないですが、やはり自分のあまり経験したことが無いことは人間不安なものですよね。前はBの方の気持ちが出てくると、それをすぐに無かったものにしようとしていました。「みんな何とかなってるから」「だから大丈夫だよ」って。自分にもそう言いきかせていたのかな~子どもにそう言うようにね。実際長い目でみればそうなんでしょうけどね。でもそうするとその「大丈夫じゃない」と感じたBの方の気持ちは押し込められたままになってしまうようです。その時の「今」をきちんと受け取ってあげてないからかしら。そして何かの拍子に余計に大きくなって、不安で一杯になってしまうのです。私の場合はね。もちろん人それぞれですぐに切り替えが出来る方もいらっしゃると思いますが・・・だから今はそのBの気持ちを、少し大事にしようかしらと思っています。それも自分に優しくすることにつながるかな?よくわかんないですけど。決して悪者や困ったものにしない。そしてそう感じてしまうことを以前は子どもに悪いように感じていたのですけど(そうかも知れないけど)、そういう気持ちも認めてあげようと思います。どれも大切な自分の感情だから。まだまだ「味わう」まではいかないのですけど、「そうなのね」「そう思うのね」「そこに居ていいよ」と認めてあげることが出来るようになりました。ちょっと怖い時もあるんですけどね。よりドロドロした気持ちに変わっていってしまうこともあります。より深く沈んでしまうというか・・・ことさらに、言葉に出して認識させることはしないようになりました。でもゆっくりと自分のネガティブな気持ちを見つめ付き合ってあげると、不思議と穏やかになってくるのです。無理していないからかな?なんか涙もろくはなりました。この前にお勉強の会で、講師の方に「それって無理してない?」「無理にそう思おうとしてることはない?」って言われたことがあって、「ああそうかも」と自分でも素直に感じたことがありました。その方が言われたことで印象に残っているのは「今日は大丈夫って思っても次の日には涙が出てしまうことってあるよね」という言葉。自分でも気がつかないうちに頑張る自分を鼓舞してるようなところがあったのかな。そうやってじっくりと自分の気持ちを見つめると、「ああ私はこんなことに傷つくのね」とか「こんなことが嫌と感じるのね」とわかるようになって、不安を子どもにぶつけずにすむようになりました。心が衝撃を受けただけなんだなあって。でもそう出来るようになるまでには、やはり時間が必要でした。手っ取り早く切り替えなくてよかったのかな?って今では思います。自分に共感してあげる、自分の味方になるって、簡単なようでいてなかなか難しい。自分の嫌なところはすぐ目につくのにね
2014.01.22
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年始の旅行先で初詣はしていたのですが、今日も行ってきました。昔よく行ってた山の上にある小さな神社です。石段が急で息がきれました。お願いしたことは前回と一緒です。家族の健康と自然な笑顔。なんか身の引きしまる思いがしました。年齢のせいか宗教的なものに触れると、落ち着くし清々しい気持ちになりますね。今年は神社やお寺に出来るだけ足を運びたいなあと思います。年末とある方のブログで「愛」について教えていただいてから、私の頭の中にずっとそのことが残っています。まだまだ整理出来ていないのですけど、書きながら考えてみたいなあと思って書いてみることにします。詳しく書くと長くなるから簡単に書きます。そこで教えていただいたのは「愛」には渇愛と慈愛の2種類があると言うことです。「渇愛」は主語が自分の愛。自己愛にも通じるもので、「もっと~してほしい」と相手に求める愛だそうです。「慈愛」は主語が自分じゃない愛で相手に何も求めない愛だそうです。「相手がよければそれでいいわ」と無理せず思えるというか。本当の親になるということは子どもに「慈愛」を自然に注げることなのかな?と感じました。自分のことは自分で自己受容しながら・・・もちろん親も自分の親や他の誰かに受容してもらえたら、それに越したことはないのでしょうけどね・・・息子が不登校になってから、私の頭にずっとあったのは「愛を注いで子育てしてきたはずなのになぜ?」という思いでした。でもその愛は「渇愛」であって「慈愛」では無かったのかしらね。それは「条件付きの愛」と「無条件の愛」にも通じると感じています。誰でも自分が可愛い。自分を守りたい思いがありますよね。それは悪いことじゃない。自己愛かな。でもそれをお相手に押し付けてはいけないのかしらね。「渇愛」を「慈愛」に変えていくことは可能だそうです。現実をよく見て原因を直視して反省し、「させていただく」という謙虚な心を持てば。なかなかたやすいことではないでしょうが・・・私の場合は、まず今のままの自分を受入れることかな。それ以上でもなくそれ以下でもなく。そして自己受容しながら、ぼつぼつとやっていけたらと今考えています。人間的にもっと成長したいなあとも思います ※渇愛を割愛と書いていたので訂正しました・・・早くも反省(笑)
2014.01.12
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昨年の今頃はブログに書きたい気持ちがいっぱいで、よくパソコンにも向かっていましたが、今年はなかなかそんな気持ちがわいてこず、かと言って胸の中にモヤモヤと溜まるという感じでもない。言いたいことはあるのだろうけど、それを人様にきいて欲しいとか伝えたいという気持ちに、今はならないのかな?自分の気持ちながら、そこらへんがよくわかりません。この年末年始も自分には珍しく、全く本も借りず自分でも買わずでした。こんなことは何年ぶりかしら?いつもいつも手元に読みかけの本があって、それがないと何か落ち着かないかのような気になっていたのでした。でも今はそれがない・・・かと言って、テレビを観る時間が長くなった訳でもないし。年末年始は日々のお買い物以外は、家に居ることが多かったのにね。ここ数年は「自分が変わらなくっちゃ」とか「よい親でいなくちゃ」とか「子どもをもっと受容しなくちゃ」とか・・・そんな思いがいつも頭のどこかにあって、でも今そんな拘りから抜けつつあるのかしらね~それはここ最近ずっと感じてはいたのですけどね。悔いのないように生きたいとは思ってます。あくまでも自分基準でね(笑)人様のブログを読ませていただいても「ああここのお家はそうなのね」「このお子さんはそう感じるのね」と思うだけというか~もちろん「ああおんなじだわ~」と感じる時もあり、その時々で違うのですけど。前なら自分の子どもや自分の家と比較する気持ちが、どっかにはあったけど、今はそういう気持ちが皆無になったとは言い切れませんが、人それぞれと思えるようにもなりました。自分のことも「私は今のまんまの私でいいんだ」と思えるようになってきましたね~「変わりたい」と思うのは自分の受け取り方や、気持ちの持ち方かしらね~それも少しずつは変わってきてると思います。そう言う意味では親がお勉強することも、無駄ではないと感じています。特に私のように、拘りから抜けるのに時間のかかる人間はね。ただ勉強した内容をどう咀嚼するかはその人次第だとも思っています。自分は今のままの自分で充分頑張っているものね~これ以上どうしろと言うの?と言った心境ですね~今はね。また変わるかも知れませんけど、ドカンと落ち込むこともあるかもしれませんけど、懲りない自分と思うかもしれませんけどね。本当のどん底ってこんなものじゃないのかもですが、これは開き直りかな?世の中にはいろんな方がいらして、皆それぞれに頑張っているのですものね。新しい年になってから、夫と2人で旅行に行ってきました。旅行先の神社で初詣も。その時お願いしたことは、家族の健康と笑顔です。今はそれ以外の望みはありません。皆さん同じかしらね?子供たちにどうしてほしいとか、義母や夫や自分の親に変わってほしいとかも無いです。そして出来れば自分も笑顔でいられる1年になればいいなと感じていますね。そんな日ばかりじゃないだろうから、出来るだけですが。そして更新が滞りがちのこんなブログに来ていただいてありがとうございます。皆様今年もどうぞよろしくお願いいたします。昨晩から書き始めたのですが、途中で眠たくなったので今日また続きを書き始めました。今年の目標を確認すると、自然に笑っていられる時間を増やすことです。自分が何をしたいか、どうありたいか、いつも確認しながらゆっくりと歩みたいと考えています。自分らしく 年初めの旅行先で夫が撮った写真です
2014.01.07
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