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息子が2月いっぱいで「アルバイトを辞める」と決めたらしいです。店長さんに先日 話したと、電話した時に言ってました。 初めてのバイトを始めたのが、8月下旬、それから約半年間、1,2回の遅刻はあった みたいですが、週に3回から5回のバイトは休まずに行けたみたいです。 学校は休んでも~やはり、お金をいただくという目的があったからだと思います。 辞める理由は「学校の方も段々と忙しくなってくるから」と言っていました。 他にも理由があるかもしれませんが、言わないので、あえては聞きませんでした。 でも欲しい物は色々とあるみたいなので、「バイトはしたい」と言っていました。 理想は、週に1回、休みの日だけのバイトだそうですが、大体そういうところは、 高校生不可の所が多いみたいで、「なかなか見つからない」と言っていました。 今のバイトを始めた時に「辞める時に惜しまれるぐらいになりたい」と言っていました これを聞いた時、本当に子どもって、自分がよくなりたいって、いつも思っているのだ なあって思いました(やる気になるかどうかは別にして・・・) 惜しまれたかどうかは分かりません(笑) でも、自分の気持ちをおさえて回りにあわせる、時間通りに行く、指示されたことを、 こなすという意味では、学校ではなかなか学べないような色々な経験をしたのではと 勝手に思っています。 バイト先の人の忠告で、自分では気づかないような欠点に気づいたこともあったみたい バイトを始めた当初は、注意されても「俺は悪くない」と言ってよく憤慨して電話して きていました。グチもいっぱい聞きましたが、最近はそんな電話も段々と減ってきて、 私も「できたら、もう少し続けたらいいのに。。。」なんて勝手な考えをしていました でも息子が自分で決めたことなので、「そう」とだけ言いました。 バイトを辞めたら、また色々と思い悩むかもしれないなあ、という余計な心配はやめて というか、こういう心配って、結局自分が作り出しているんだなあ、あれこれ想像して と、改めて思ったのでした。 娘といい、息子といい、最近辞める続きだわ~~私もそのうち辞めるものができるかも (何を?)人の気持ちって、一つのところにはとどまらない、次々と移り変わっていく ものなのですね。
2012.01.31
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昨日、地元の交響楽団のクラシックのコンサートに行ってきました。 クラシックを生の演奏で聴くのは、久しぶりでした。 昔、仕事をしていた時、同僚と第九のコンサートに行って、それから後は知り合いの方 の、ピアノや声楽のリサイタルで聴いたぐらいです。 今回、チケットを知り合いの方にいただいたので、行くことができました。 テーマは「音楽で聴くラブストーリー」ということで、 「ロミオとジュリエット」や「白鳥の湖」等、私でも聴いたことのある曲目が演奏され ました。 クラシックには、全く詳しくないのですが、「の〇めカンタービレ♪」は大好きで、 コミックも全巻読んで(ブックオフで購入)、テレビアニメもテレビドラマも映画も 全部観ました。そのおかげで、クラシックが少し身近に感じられるようになったかな 息子も、不登校中、コミックも読んでDVDも観ていました。 音楽療法もあるぐらいだから、いい音楽を聴くことは、心をゆさぶるのでしょうね。 それにしても、昨日は寒かったです~1日家でこもりたかったけど、いい音楽にふれる ことができて、よかったです。のだめで初めて知った、「ファゴット」という楽器の 音色を聴くことができました。クラリネットと似ているけど、もっと素朴で優しい音色 でした。
2012.01.30
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息子が完全不登校になり、家で過ごしていた時、どのようにしていたのか・・・思いだし てみると、期間は、中学校の3年7月からの半年間と、高校の10月ぐらいからの4カ月 だったように思います。 自分をより責めていたのは、中学校の時で、最初の方は、私も落ち着いて見守ることが、 出来ませんでした。 生活は、基本的に昼夜逆転、朝方寝て昼の2時3時ぐらいに起きてくることが、多かった ように思います。私も段々慣れてくると、昼間適当に食べるものだけ並べておいて、買い 物に出かけたりしていました(登下校の学生に会わないタイミングで・・・) 段々と起きる時間がずれてきて、朝起きて、夜に寝るという生活に、一時的に戻るのです が、またいつのまにか、昼夜逆転にもどっているという繰り返しでした。 そのうち、昼ごはんは、自分で食べたいものを、適当に作ったりしている時もありました 息子の場合は、完全不登校中、外に出るということが、ほとんどありませんでした。 たまに、体をきたえたいと、夜に走ったりすることもありましたが、本屋やコンビニも めったに行きませんでした。どうしても欲しい本やCDやゲーム等は(あまりなかった) ネットで注文していました。(頼まれて私が・・・) 夜起きている時は、パソコンをしたり、ゲームをしたり、音楽を聴いたりしていたと思い ます。 中3の春位から「エレキギターがしたい」と言いだして、(だんだんと部活に行けなくな ってきていたので、それに代わるものとして、いっていたのかも)そのギターの部品や、 教本、楽譜等を買うのに、ギターショップへ行ってその店の人と話すのが、唯一の外との 接点だった時もあります。体験レッスンも1回受けましたが、習いには行きませんでした その時も、自分では行けず、私が車で送り迎えしていました。 「昼間、外へ出てほしい」と思っていました。(言いませんでしたが)せめて、庭にでも 出て、日にあたってほしいって。自分の我欲であることは、分かっていました。 「学校へ行けない」ことを自分で責めている息子が、皆が活動している昼間に外に出られ ないことは、よく分かっているのに、本当に本当に頭ではよく分かっているのに。。。 私は外から帰って来て、玄関にある息子の靴が1ミリも動いていないのを見ると、とても がっかりしてしまっていたのでした。人間は昼間、外で活動しなければならないという、 それまでに自分にすりこまれた、固定観念だったような気がします。 でも、そうやって家にこもることによって、息子の心は段々と元気になっていきました。 起きていられる時間も長くなり(それまで、1日に15,6時間寝ていました)、起きて いる時は、家族とも会話するようになりました。食欲も増してきたように思います。 表情も明るく穏やかになってきました。犬とも兄弟みたいで(笑) そして、目には見えないけど、自分の内面を見つめることで、精神的には大きく成長して いったように感じます。
2012.01.29
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家人が寝静まった後に、私の時間があります。 本を読んだり、ネットをしたり、アルコールを飲んだり、録画していたドラマをみたり DVDを観たり。昼間もそんな時間がとれればいいのですが、たいがいは家の用事や仕事 で、細切れの時間しかとれないので、落ち着いてこれらのことをする時間はありません。 娘は最近、段々と夜遅く寝るようになってきたので、娘が録画したテレビをみている横で 私が自分の好きなことをしている時もあります。 夫は週末以外は私より早く寝て、義母は1階、私たちは2階で主に生活をしています。 多少睡眠時間を削っても、この時間をなくすことは今のところ考えられません。 この自分の時間があるので、自分を保っていられるという所もあります。 息子が完全不登校中は、たいがい昼夜逆転していることが多かったので、そして夜起きて いる時は、リビングでパソコンに向かっていることが多かったので、私も早く寝ていたよ うに思います。息子が明け方寝た後、息子が起きてくるまでの間が自分の時間でした。 睡眠時間が短くなっても、昼間多少眠たくなっても、この時間を大事にしたいと思います ちょっと凹んだことがあっても、自分で自分を癒してあげられる。「~しなばならない」 ということにしばられずにいられる。 自分の自由になる時間が取れることに感謝です。
2012.01.28
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私は日記を思い出したときに書くので、過去の事は時間の順番がバラバラです。 何かのきっかけで、記憶のふたが開くので、なかなか順序立てて思い出せないのです。 今回、いつ頃から、息子が自主的に勉強しなくなったのかなと思って考えてみると、 (自主的に勉強し出すということは、回復のめやすになると言われているので、その 逆の考え方で)五月雨登校になった中2の冬の大分前、中2の春位から、学校には 行って(遅刻は時々していましたが)、部活もしていましたが、家で全く勉強しなくな ったということを思いだしました。 息子は結構真面目な性格だったので、小学校から中1までは、宿題や提出物をしないと いうことはありませんでした。学校を休むことも、ほとんどなかったと思います。 自宅でしていた通信教材も毎月ずっと提出していたし、中学に入ってからは塾も行って ました。勉強で困ることはないようにみえました。 ところが、中2の始めから、家で全く勉強する姿を見なくなったのです。宿題や提出物 は、学校でなんとかしていたみたいですが、テスト前も携帯ばかりいじって勉強しない し、夏休みの宿題等もギリギリになって答えを写していました。塾も辞めました。 それでも、中2の秋ぐらいまでは、それまでのたくわえがあったのか、そこそこの成績 をとっていましたが、中2の冬に五月雨登校に入り、授業にあまり出られなくなってか らは、ますます勉強への意欲は減退していったと思います。 何がきっかけだったのかは、よく分かりません。 友達関係のことでも、悩んでいるようにも見え、いらいらはしていたけど、あまり話し てはきませんでした。聞いてもらえないと思っていたのかもしれません。 朝なかなか起きられなかったり、体調不良もありました。 そして、比較されることをきらいました。テストの順位付けのことで、先生や親に何か 言われたりすると「何でテストでいい番数とらないといけないのか。何か意味はあるの のか?」ということを言ったりしました。(決してそんなに番数が悪かったわけではな かったのですが・・・) さすがに中3の冬休みぐらいから、家でも少し勉強するようになって、自分から個別に 教えてもらえる所に行きたいと言って、受験まで行ったりしていましたが、他の子ども さんと比べても、中2の春から、圧倒的に自宅学習の時間は少なかったと思います。 そして、高校に入学する前の春休みの課題は、なんとかこなしていましたが、入学して からは、授業や部活等で忙しくなると、家では、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る 以外はできなくなっていきました。睡眠障害もありましたし。 勉強嫌いになったのかな?とも思いましたが、おしつけられる勉強が嫌だったのかな。 そしてやはり、エネルギーが不足していたのだと思います。いっぱいいっぱいだったと 頭の中では、ぐるぐると色々なことを考えていた(将来への不安、友達関係のこと)み たいですが、勉強に回るエネルギーがなかったというか、その時の息子の中では勉強は 自分の優先順位の中では、下のほうだったのかもしれません。 勉強しなくなっただけではなく、夜いつまでも寝ない、親の言うことにことごとく反対 するようにもなったので、スクールカウンセラーさんの所に相談に行き始めたのも、こ の頃です。本来の自分を出し始めたのかもしれません。 そう考えてくると、息子の不登校のきざしは、その頃からみえていたのでしょうか。
2012.01.27
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息子は不登校中、何回か「家出」をしたことがあります。 家出といっても、何日も出て行ったとか、遠くへ行ったとかではなく、家に居られなく なって、行き先を告げず、衝動的に出て行ったというものです。 中学校の五月雨登校の初期の頃だったと思います。「学校へ行く」と言いながら、制服 に着替えても、携帯をいじって、いつまでも行かない息子を、夫と無理やりに家から、 出したことがあります。 息子は学校へ行かずに、かといって家にも帰れず、どこに行っていたのか分かりません が、昼過ぎに帰って来て、自分の部屋にこもりました。かわいそうなことをしたなと 反省しています。 家にも居場所がなく、かといって学校にも行けず、ふらふらと彷徨うしかなかったんだ と思います。すぐ近所のあまり人目につかない所に隠れていたみたいです・・・ 夜、夫と喧嘩して家を出たこともあります。ドアを蹴ったり、物を投げたりした後に、 携帯電話も、お金も持たずに、外へ飛び出して行きました。 「そのうちに帰ってくるからほうっておけ。」と夫が言う言葉を振り切って、自転車で 息子が行きそうな場所を捜し回りました。 行きそうな友達の家(中には入らず、外から様子を覗う)、近所にあるインターネット カフェ、コンビニ、公園等捜しましたが見つからず、(見つかった所で、家に帰るよう に説得する自信もなかったのですが・・・)あきらめて家に帰りました。 一晩中帰らなかったので、その夜は心配で一睡もできませんでした。 明るくなってから、庭に出てみると、自宅の車庫で、古い毛布にくるまって寝ているの を発見しました。息子の頭が見えました。なんか安心して、そのまま声もかけずに家に 戻りました。息子は、夫が出勤した後、知らないうちに家に帰っていました。 後で聞くと、近所にあるコインランドリーで、一夜を明かしたと言っていました。 完全不登校に入った頃、部活にも行けなくなって、自虐していた息子が「死にたい」と 言って、外へ飛び出して行ったこともありました。 近くにある9階建てのマンションの最上階に駆け上がって行ったので、必死で後を追い かけましたが、逃げ回るので、連れて帰ることはできませんでした。自分の気持ちが、 落ちついたのか、しばらくして帰ってきたので、とてもほっとしたのを覚えています。 この頃、あんまり頻繁に「死にたい」と言っていたので、万が一のことが心配で、家中 の刃物や、ハサミ等を、息子の目の届かない所に隠していました。 息子が寝ている時、そっと部屋に入って行って、寝息を聞いて「生きている」ことを、 確認したりもしていました。まさにはれもの扱いをしていました。 私も自分の神経がくたくたで、何か回りの景色が全く目に入らず、毎日モノクロの世界 の中で過ごしていたように思います。夢か現実か分からないような不思議な感覚でした いらいらして物にもよくあたったりしていたので、息子とどうしても距離をおきたくて 実家で泊まったり、車の中で過ごしたりしたのも、この頃です。 私や夫が、黙るようになって、息子のすることに一切口を出さなくなってから、息子は ようやく少しずつ、自分の家で安心して休めるようになったと思います。
2012.01.25
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浅草から見た東京スカイツリー 私って無趣味だなって、時々思います。これといって、自分が熱中できるものがない せいぜい、本を読むぐらい。たまに映画を観るぐらい。 ピラティスは、週に1回自分に課した運動で、趣味とは言えない。 あっ、パソコンに向かうことも、趣味と言えるなら趣味なのかも~ 結婚してすぐの頃は、とにかく何かしていないとと、常に焦っていました。暇な時間は 罪悪のように思っていました。今とは大違い。(笑) それまで、あまりに仕事が忙しかったので、ずっと予定をこなすことに、一生懸命に なっていたからかもしれません。 子どもが生まれるまでや、子どもがある程度大きくなってからも、色々な習い事をして いました。洋裁、編み物、ヨガ、お菓子作り等の教室に通ったこともあります。 どれも中途半端で続かず、ものにはなりませんでした。 自分が興味を持って、コレと言えるものに、出会えなかったのかもしれません。 資格もとりました。家の仕事に役立つからという理由でしたが、自分が評価されたいと いう気持ちがあったのかも。家でいると自分が評価されることってあまりないから。 達成感を得たかったという気持ちもあったのかもしれません。 趣味は、これをしようと思って、意気込んで持つものではないのでしょうね。 自然に「好き」「していて楽しい」と思えるようなものが、「自分のしたいこと」であ り、「趣味」と言えるのでしょうね。 そう考えてみると、私はやはりまだ、自分の趣味に出会えていないのかもしれません。 でも、無理に持とうとは思わず、自然体でいたいと思います。 そのうち見つかるかな、自分の趣味。。。
2012.01.24
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これは、不登校になった当初、息子が当時通っていた、中学校の保健室の先生に言った 言葉です。 「俺だけが、あの家で違う。なんか違う。死んだじいちゃんも、ばあちゃんも、父さん も、母さんも、妹も みんな一緒なのに、俺だけなんか違う。」 「彼がこう言っていたよ」って、先生に言われた時、私はすぐに、その意味が分かりま せんでした。私は今まで、息子のことを分かっていなかったんだなということは、理解 できましたけど・・・ 私はそれまで、息子がこの家のことを、そんなふうに感じていたことに、気がつかなか ったのでした。息子の考えていることは、「こうであろう」と、自分の価値観で勝手に 推測して、それまで息子に接してきました。 でも、それは私のかん違いだったんだな。息子は家の中で、ずっと(いつからかは分か りませんが)、違和感と自分を分かってもらえないもどかしさを感じながら、過ごして 来たのかもしれないなって。 「皆真面目すぎる、おもしろみがない」確かになあ~という所はありました。ちょっと かたいよな~家の雰囲気。これは私も感じていました。 結婚した頃から、お正月とか親類が集まる時とか、何か気を遣いすぎて、くつろげない んです。私のその緊張が、もともと敏感で、感じやすい息子に伝わっていたのかもな~ 私がこの家に対して感じていたことと同じことを、息子も思っていたのかも。 それが、直接不登校の原因にはなっていなかったかもしれません。 でも、「ありのままの自分でいい」「ありのままの自分を認めてもらえる」 そんな 安心感をいつも家庭の中で感じていられるって、とても大事なことなのですよね。 心が安定するというか、自分は自分でいいんだという肯定感を持てるというか。 そんなふうに息子が過ごせる家、息子だけでなく家族皆がそう思える家。そういう家を つくっていくことが、自分のつとめなんだなあって、改めて感じています。
2012.01.23
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続きです 「幸福論」 山田太一 幸福感とは本来、物が語るものではなくて心が語るもの。 心の持ち方次第だと思うんです。周囲に全く流されず生きてゆけるほど人間は強くない しかし、自分の姿を大半見失ってしまったら、そこに幸福感があるはずはない。 どこか生きていく芯に「自分」がなんとかいるということが、今の社会の幸福の条件の ような気がします。 人間は決して平等ではありません。この世に生まれ落ちたときから、それぞれに運命 や宿命といったものを抱えています。 まずそれらをひっくるめた自分自身を、意識し、受けとめることが大切ではないかと 思っています。 どう頑張ってもできないこと、自分の抱えているマイナスの部分、それらをしっかりと 認めることです。それはマイナス思考ではないと私は思います。 「幸福論」 柳田邦男 人はどんなときに自分の境遇を不幸だと感じるのでしょうか。 一言で言ってしまえば、それは落差の中から生まれてくるのです。 全ての物を失っても耐えられる心、また出直せばいいと思える強さ。何事にも動じない 自分。そうした内面のしなやかさを持つことが、幸せな人生を歩む上での糧になると 私は思っています。 人間にとってかけがえのないものとは何か。その答えを探すにはとてもいい機会です。 落差を経験することによって、人は内面を見つめることができるのです。 人生は決して平穏な日々が続くことはない。大小さまざまな落差が待ち受けているもの です。その落差に絶望を感じるのではなく、内面を見つめるチャンスだととらえる。 そうすると、きっと昨日とは違う自分に気づくでしょう。 人間は基本的に不幸の中で生きている。私はそう考えています。 誰もが皆、不幸を感じながら生きているのです。 つまり幸福というものは、後になってからしか分からないものなのです。 今は不幸だと思っている状況でも、時が経てばそれが幸福だと思える。今を一生懸命 生きていれば必ず不幸は幸福へと姿を変える。 そういう意味で幸福と不幸は、表と裏ではないのです。不幸の中にこそ、きらっと光る 幸せの種が落ちている。 真の幸福とは不幸の中にこそあるもので、不幸というものを体験せずに、幸福になるこ となどないと私は思っています。 「幸福論」 小椋佳 幸福とは一言で言ってしまえば、欲求の充足ということになるでしょう。 食べたいものを食べる。やりたいことをやる。とても単純なものかもしれない。 ただしそれらはあくまでも自分の中から生まれてきたものでなくてはならない。 結局は自分に正直になるしかない。いまの自分が何を求めているのか、いま本当に やりたいことは何なのか。それを自らが考え抜くことです。 人は皆、思い惑いながら生きています。自分が何物か分からず、悩みながら生きている でも、その姿こそが有りのままの自分なのです。 在りもしないものを追いかけることは止めて、いま在る自分に目を向ける。 幸せを創り出すには、それが最も近道ではないでしょうか。 自分の幸福はどこにあるのか、それは1人1人が自分でみつめていくしかないので しょうね。大人も子どもも。 『幸福論』最後まで、あきずに読めました。色々な方の「幸福感」が知れておもしろか ったです。途中で挫折して、読み進められなくなる本もあるのですが~(笑)
2012.01.22
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色々な方が、それぞれの思う「幸福」について書かれた、『幸福論』という本を読み ました。 「幸せ」の形って、本当に人それぞれで、100人いれば、100通りの「幸せ」が あるのでしょうが、私がこの本の中で、自分の心に響いた「幸福論」を紹介させて、 いただきます。 「幸福論」 黒柳徹子 子どもとは本来、希望であふれている。生きる希望にあふれて生まれてくるのです。 その夢や希望を温かく見守ってあげることが、大人としての役割ではないでしょうか 夢は1人ひとり違うものです。興味や才能もみんな違うものを持っている。それが 個性というものです。~中略~どうして皆が皆、いい学校を目指さなければならない のでしょうか。どうして「こうでなくてはいけない」と大人が勝手に決め付けるので しょうか。 子どもの幸せを考える時、私は与えるよりも奪わないことだと思うのです。どんな 子どもにも素晴らしい才能がある。そう信じることさえできれば、与えるものなど 何もない。子どもに与えてもらうことはあっても。 「幸福論」 夢枕 漠 親は子の幸せを願います。その気持ちから、つい生き方までも押しつけてしまうこと になる。冒険することを反対し、安全な道を望んでしまうことになる。しかしそれは 子どもにとって幸福なことではない。親が押しつける人生は、親にとっての幸福なん です。子どもにとっての幸福とは、自らの人生を歩くことでしか手に入らないものです 自分に何が1番合っているのか、そんなことは簡単に分かるはずはない。自分が1番 やりたいことは何か、そんなことが簡単にみつかるはずはない。 だから私はとりあえず決めてみることが大切だと思います。 とりあえず今はこれをやってみよう。とりあえず今は子どもたちにこう向き合ってい こう。それがやがて未来へとつながっていく。 人生とはそんなものでしょう。時代や社会に流されるのではなく、今の自分に流されて みる。その流れの先にこそ求めていた幸せがあるのかもしれません。 「幸福論」 水木 しげる 自分のすきなことをやる。そのために人は生まれてきたのだと私は思っています。 やりがいだとか、充実感といった言葉をよく耳にしますが、結局は自分が好きなこと しか、そういうものは見つからないような気がします。 でもそれはあくまでも自分自身で探さなくちゃダメ。 他人の評価や意見なんて関係ない。わがままであってもいい。 ただし好きだからといって成功するわけじゃない。いくら情熱を傾けて努力しても 報われない人はたくさんいます。努力は人を裏切るということも知っておくことです。 人生にはいろいろなことが起こって当たり前、それらに一喜一憂するのではなく、放っ ておくことです。 人生をへたにいじくり回したところで、何の解決にもなりません。起きてしまった 不幸はどうしようもない。ならば自然の流れに身を委ねてしまったほうがいい。 (続く)
2012.01.21
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息子が最初の高校から、今の高校に転入するにあたり、去年の1月中旬頃に息子が選ん だ3校の学校を見学しました。「この先どうなるんだろう」という先の不安で一杯の中 とりあえず、見に行ったという感じです。その頃息子は家からほとんど出られない状態で 私と2人で行ったのですが、当日まで、一緒に行けるかどうか分かりませんでした。 昼夜逆転していたので、徹夜して行ったと思います。 その頃は前の学校の留年は決定していましたが、まだ、休学も退学も手続きしていない 状況でした。担任の先生からは、「3月まで、ゆっくり考えて下さい。」という言葉を いただいていたので、気持ちの上では楽でした。学校に置いてある荷物もそのままだった と思います。 ただ、本人の中では、次年度にもう1度、同じ学校で1年生をやり直すという選択肢は ないようでした。それは、彼の口から、はっきりと聞きました。 1番大きい理由は、息子の場合ですが、同学年の友達が1つ上の学年に居るということが 耐えられないいうことで、そこが、どうしても譲れない所だったみたいです。 高認をとって、大学や専門学校へ進むという選択肢も、私の中にはあったのですが、息子 には、高校生活を送りたいという気持ちがあったので、家や予備校で、勉強するだけと いうのではなく、学校へ通いたいと言いました。 ただ通うと言っても、今のように睡眠が定まらない状態(昼夜逆転の繰り返し)が続いて いたので、全日制の学校は無理そうでした。 それに、全日制の場合は、この時期の転入は無理です。そしてそれは、定時制、通信制で あっても、公立は(場所によって違うのかもしれませんが)一家転住以外は、認められな いみたいでした。 そうなると、残されているのは、私立の通信制しかありません。 1月に入ってから、彼がネットで調べた何校から選んで、資料を取り寄せたり、電話や、 パソコンでやりとりしたりして、最終的に息子が決めた、3校の見学をすることになりま した。この時期、転入希望の方や、新しく入学される方も多いみたいで、たいていの学校 で、すぐに見学の対応をしてくれるみたいです。 2校通信制サポート校、1校は通信制高校でした。1校めに見学した学校は、勉強にも力 を入れ、進学率もよい学校でした。私が見た感じでは、1番前の高校に感じが似ていると いう印象を受けました。学校の規模も大きかったですし。ただ息子は、 「ここは、また通えなくなる気がする。最終的には比べられて、上から目線で見られるよ うな気がする」というようなことを言いました。 それで、後の2校の中で、学校の雰囲気や、カリキュラム、先生の話などを聞いて、息子 が、今の高校を選びました。見学後、息子の気持ちを確認し、前の高校に転出の手続きを お願いし、面接、作文提出を経て、2月に転入しました。 実際に入ってみると、友達との関係や、授業等で、自分が思っていたのと、違うことも 多いみたいですが、自分が決めた学校なので、今のところはそれなりに、折り合いをつけ て、やっているように思います。
2012.01.20
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辞めました。中学校に入っていてから、ある運動系の部活に入部していました。 そんなに、練習がきついということもなく、あまり運動の得意ではない娘も、続けられて いたのですが、先日、本人が「辞めたい」と言って、退部届けを提出しました。 原因は、「部活の人間関係」らしいです。 娘は、前からあまり、学校のことは言わず、私もこちらからは積極的に聞かないので、 詳しいことは分かりません。ただ、最近学校から帰って来た時の、表情が暗いなとは思っ ていました。部活で、娘が1番仲良くしていた友達が、2か月ぐらい前に辞め、(そちら も、人間関係が原因らしいです・・・)それからは、他の数人の仲良しの子たちと、一緒 に、続けていたのですが、別のグループの子に、陰口を言われたのがいやだったとか・・ はっきりとは言わないので、よく分かりませんが。 それ以外にも、自分の自由な時間があまりとれず、普段の帰りも遅く、土日や長期の休み も、ほとんど部活の練習があるため、「したいことが出来ない」と、よく言ってました。 仲良しの部活の友達が、家まで来てくれて、「辞めないように」説得してくれましたが、 娘の決心は変わりませんでした。 辞めたことで、すっきりしたみたいで、表面上は表情も明るくなったので、よかったのか なと思います。 娘が自分で決めたので、親が口を出すこともなかったですし、退部届けの理由を書く欄も 「自分で書いて出すからあけといて」と言うので、私は署名捺印しただけです。 息子も、部活の人間関係で、悩んでいました。不登校の原因の1つにもなりました。 息子の場合は、本人の「辞めたくない」という思いが強かったので(そこが娘と違う所 で)結局私も介入し、息子には気づかれないように、部活の顧問の先生にも相談したりも しました。結局、最後まで本人の口からは「辞める」という言葉は出ませんでした。 ずるずると行けなくなったという感じでした。 だから、部活に行けなくなった当初は、大荒れしました。自分で自分を否定して、 「生きている価値が無い」と自虐し、頭を打ち付けたり、壁に穴をあけたり、日に何回も 「死にたい」と言ったりしました。 娘は今の所、全く穏やかです。やはり、自分で納得して自分で決めるということが、1番 大事なのだと改めて分かりました。 でも、息子を見てきて思うことは、エネルギーが本当に枯渇している時は、「自己決定」 が、なかなか出来ないんですよね。色々なことに、自信を失っているからだと思います。 時間がかかると思います。だからこそ、その間は親は自分の気配を消して、そばに居るこ としか出来ないんだなあということが、よく分かりました。 たまたま電話してきた息子に、娘が部活を辞めた事の顛末を話すと、 「しっかりしとるなあ。俺は部活に行けんようになって、気が変になっとたけど。」と 言いながら、笑っていました。 息子の中でも、この経験は過去のことになりつつあるのかなあ、少し自分の中で、整理で きるようになったのかなあと感じました。
2012.01.19
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ということを、今まであまりしたことがありません。だから、どうなるか恐いです(笑) 子どもを持つ前は、「いい人に見られたい」という気持ちがいつもあり、子どもを持って からも、やはり「いい母親像」に縛られていました。 子どもを、ちゃんと1人前の人間に育てなくては、と気負っていました。 何故?自分が「いい母親」として、評価されたいという思いは確かにあったけど、 ただただ、無事に育ってほしい、子どもに幸せな人生を歩んでほしいという思いが、 いつもありました。 そして、結果的には子どもに自分の価値観をすりこんで、その通りに生きてほしい (自分の安心のために)と、コントロールしようとしていました。 自分を解放するということは、自分に自信がなければ出来ません。 ありのままの、自分を認める。自分は自分で、このままでいいと思える。 人との比較でなく、自分本来のよさを感じる。そんなことが出来れば、人は躊躇なく、 自分を解放できるように思います。 誰にどう言われようが、動じない自分を持てるって、幸せなことですね。 私は、まだまだ、自分の回りに壁を作ってしまいます。 そして、その壁に守られて、自分が傷つかないようにしてしまいます。 でも、傷つくことを、恐れていては、自分を解放することは、できないんでしょうね。 まずは、壁を取り払うことなのでしょうね。 ブログを書くことも、その1つかなと思います。 こんなことを、書いていると、段々と自分を解放できるような気持ちになってきました。 でも、明日になったら、また気持ちが、変わっているかもしれません(笑)
2012.01.17
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結婚してから、色々な親戚づき合いが始まりました。 結婚する前も、もちろん親戚づき合いはあったのですが、親を間に介していたので、そん なに、負担になることは、ありませんでした。 父親が長男ではなかったし、父方との親戚づき合いは、ほとんどありませんでした。 (父親は早くに男親を亡くし後を継いだ自分の兄とも、あまり仲良くなかったようです) たまに、父方の祖母が泊まりに来たりしていましたが、その祖母も私が小学校低学年の時 に亡くなって、後は、母方の親戚ばかりとの付き合いでした。 母親の生家は、商売をしていたので、人の出入りも多く、また、母親の兄嫁(私の伯母) が、大変話し好きの、おおらかな人だったので、(もう亡くなりましたが)私も夏休み 1人で泊まりに行ったりしていました。 そして、従兄と遊んだりして、気楽なものでした。 しかし、結婚してからの、親戚づき合いは違いました。 親戚は、頼ったり頼られたりするものではなく、つねに気を遣い、自分の弱みを見せては いけないものになったのです。私の生家とは違いました。 義父母の考え方だと思います。そして、義父母も又、自分の生まれた家や親から受け継い だ考え方だったと思います。 義父も義母も、本家(今でもこんな考え方があるかどうかは分かりませんが・・)の出身 です。親類の世話はするけど、自分たちは世話にはなりたくない、それが誇りであるとい う考え方があります。そしてそれが、家を継ぐ者のつとめであり、その代わりに先祖代々 の物を継承し、次の世代に残し、伝えていくという自負もあります。 義母はことのほか、世間体を気にするところもありますから、親戚になにかあれば、 (冠婚葬祭、入学、卒業、就職、誕生等)いち早く、お供え、お祝い等を届けなければと いつも言っています。そうしないと自分の気持ちが済まないのです。お返しもしかり。 もちろん、私も一緒の考えだと思われています。正直、息子の不登校中は、きつかったで す。行きたくないことも、多々ありました。 義母は、親戚の子どもと、息子の比較もします。そして、その不安を口にします。息子に 対する将来の不安を。聞きたくありません。自分の不安は、自分で解消してよねって思い ます。(言えないけど~)最近は「本人にまかせるしかないですからね~お義母さん」と 言って、すぐにその場を離れるようにしています。 親戚づき合いは悩ましいです。せっかく、何かの縁で、親戚になったのですから、もっと お互いに、気を遣わない、見栄をはらない、フラットな関係が築けたらいいなあと思いま すが、なかなか難しいところです。愚痴でした・・・
2012.01.16
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今日、娘と映画に行ってきました。「怪物くん 3D映画」に。 いつも一緒に映画に行く、お友達が今日は都合が悪く、「今日で最後だから、一緒に 見て欲しい」と、お願いされました。「1人で映画見るとか、あり得ん」らしいです~ 私は別に見たくないし~どうせなら違うの見たいし~と思いましたが、しつこく頼まれ たので、一緒に行きました。 3D映画は、ディズニーや、USJで見たことがあるのですが(あれは映画かな?) 映画館では初体験でした。普通の映画より、400円高いのですね(300円+めがね レンタル代100円) 最終日で、1日1回しか上映がないせいか、半分ぐらい埋まっていました。 映画は全部が3Dなわけではなく、ところどころで、映像が飛び出してくる感じでした ドラゴンが空を飛ぶシーンとか、岩が砕けて飛び散るシーンとか、怪物くんの手が伸び るシーンとかに使われていて、確かに迫力がありました。 私はこのTVは見ていなかったのですが、筋は分かりやすかったですし、楽しめました カレーがおいしそうでした。さすがに、カレーのにおいまではしませんでしたが(笑) 今日の晩御飯はカレーにしようと思いました。すぐに影響されるわ~~ 映画の中で怪物くんが言ったセリフで、こんな言葉がありました。 「我がままというのは、自分の信念を貫くこと。我がままを貫くには、強さと責任が いる。」 我がまま=われがまま なにか、奥の深い言葉ですね。「モンスター」もいい歌だなって改めて思いました。
2012.01.15
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移転することになりまして、後数日で、4月まで閉館するそうです。 そこで、あわてて、本を借りに行きたました。移転作業中は、返すこともできないので (外のポストに入れるのはOK)今借りると、4月まで借りられるそうです。 それで、上限目いっぱい借りてきました。読めるかな? 心なしか、いつもより本の数が少なくなっていました。私と同じように、目いっぱい 借りる方が多いのでしょうか。 移転先は少し離れていますが、そんなに遠くはありません。(よかった~) ここは、家から1番近い図書館で、自転車でも気軽に行けるので、子どもが小さい頃から 絵本などを借りによく行っていました。 私が学生の頃は、もう1つもっと大きい図書館が近くにあったのですが、子どもができた 頃には、郊外に移転してしまって、車で行かないと行けなくなってしまいました。 その分、建物はきれいで、立派になったのですが・・・ 気軽に行ける図書館が近くにあるのはよかったです。パソコンからリクエストできるよう になってからは、それもよく利用していました。新刊や人気のあるものは何十人待ちです 息子が不登校になってからは、不登校関係の本や、思春期関係の本、精神関係の本、 親子関係の本等をよく借りて読みました。 何か書きとめておけばよかったのですが、その時はそんな余裕もなく、今は何を読んだか すら、忘れています。最近はちょっと気になった本は、題名や文を、書くようにしていま すが、後から読んでみると、?と読めないことも多いです。字が・・・ 今回は、若いころに、憧れていて、よく読んでいた、千葉敦子さんや西村玲子さんの本も 懐かしくなって借りてきました。後、おとねさんお勧めの、ばななちゃんや、今、私の 切実な問題になっている、ダイエットの本(春までになんとかしたい 笑)や、前から 気になっていた、宮部みゆきさんのミステリーや、カンボジアで国連ボランティアをして いて亡くなった、中田厚仁さんのお父さんが書いた本等々、普段あまり読まないような本 も借りててきました。 ぼつぼつと、読んでいきたいと思っています。本を読むのは、私の楽しいことの1つです
2012.01.14
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子どもが生まれてから、1歳過ぎ位まで、成長のスピードは普通だったのですが、何故か 標準通りに育つことに、神経をくだいていました。寝がえりをうつ。おすわりをする。 ハイハイをする。歩く。言葉をしゃべる。 息子は予定より、1か月も早く、小さく生まれたのですが、その後急速に成長し、1歳で は、標準においついていました。多少、成長が早かろうと、遅かろうと、何の支障もない のに、いつも気にしていました。 義父母に「まだ、歩かないの」と言われると、まるで自分が、母親失格とまで(大げさ) 言われたかのように感じていました。 幼稚園から小学校までは、勉強もみんなに遅れずにやれているかと共に、友達と仲良く 遊べているかや、あいさつや礼儀等(義父母に言われたこともありますが)がきちんと 出来ていることは、親のしつけがよいことだみたいな固定観念にとらわれていました。 特に息子にはかわいそうなことをしました。祖父母の家や、親類の家に行った時は、まず 最初に、挨拶するように、しつこく言ってました。 (娘はすごく、引っ込み思案だったので、させられませんでしたけど) とにかく、その年齢なりに、私が身につけておかなければならないと思うこと(それまで に自分にすりこまれていたもの)を、子どもに強要していました。 そして、それは何も悪いことではない。かえって子どものためになる(それが、あたって いることも、あるとは思うのですが・・・)という、おごった考えをしていました。 そして、子どもが、けなげにそれに答えてくれていることを、あたりまえのように思って いました。「子どものため」という大義名分を掲げて。 中学校2年で、息子が不登校になって立ち止るまでは、自分の思い描いた通りの、成長の スピードで、育ってきていたように感じていました。 でも、そうではなかったんだなって気づきました。これはこの子の持って生まれた、スピ -ドではなかったんだな。私が無理にそうさせていたんだ。自分が安心したいために。 回りにあわさせるために。こういうふうに、育ちなさいって、無理に押し付けていたんだ なあって。 いま、息子は自分本来の成長のスピードで、成長していっているように思います。それが 親から見てゆっくりでも、不器用でも、「それでいいんだよ」って思えるようになって、 本当によかったなと思います。 子どもにとって、成長のスピードは、1人1人違うと、頭では理解していても、自分の 子どもには、あてはめていなかったんだなと、気づかされました。
2012.01.13
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芋ようかんとあんこ玉 (注:写真と文は関係ありません) 自分の感情を吐き出すことは、とても大切なことだと思います。 それが出来ないと、心の中に澱のようなものが、溜まっていくから・・・ だから、溜めこまないうちに、それを外へ出すことで、軽くなります。 そうしないと、段々心が病んでいってしまうから。 息子の吐き出しを私はよく聞きました。(今も時々ききますが) でも、それを私の心の中に受け取らないようにしてきました。 最初はそれがうまくできなかったのです。どうしても、受け取ったものを、自分の 心の中に、溜めこんでしまいました。(どうして、こんなことを、言ったのだろうか と、考えたりもしました。)それで、よけいに、辛くなった。 でも、私が、受け取っても、流しても、吐き出した人からすれば、どちらも変わりが ない。そう思えるようになってから、段々と流せるようになってきました。 ただ、聞いてほしいだけ、出したいだけ、答えを望んでいるわけじゃない、何かして ほしいわけじゃない、と思えるようになったからだと思います。 ただ、息子の場合、答えを言うように迫ってきた時もあったので、そんな時は、 「私はこう思うけど、それは私の考えだから、自分で決めてね。」と言ったことも、 ありました・・・ 娘も、夫も、たまにですが、吐き出してきます。それも私はただ、淡々と聞くだけ。 自分の中には、溜めこまないようにしています。 そして、私も吐き出したい時があります。何もかもいやになる時が。理由はないのです (後で考えると、自分の時間があまりとれなかった時に多いのですが)それは、突然 おそってくる感情です。「何もかもいや」っていう負の感情が。 それも、溜めこんではいけません。溜めこむと、つい家族にあたってしまいそうになる から。カウンセリングで吐き出します。でも、それは3カ月に1回ぐらいしかない・・ 心を許せる友達に吐き出します。お互い様なので。 どうしても、吐き出せない時は、自分の好きなことをするようにしています。 相手が吐き出さずに、ただ、不機嫌そうにしている時もあります。特に夫や義母。 それも、自分のせいで、機嫌が悪いわけじゃない(そうかもしれないけど~笑 )と 思うようにしています。 そして、そうできるのも、家族だからしょうがないよね、とも思います。自分もそう なる時が、ありますし~~ 吐き出すことって、結構エネルギーがいるけど、吐き出す前と、吐き出した後で、変化 する、自分がいるのも感じます。 私の場合は上向くことが多いけど、たまに自己嫌悪になって、落ち込むこともあります でも、それも、あまりひきずらないようにしなくてはと、思っています。 吐き出しはやはり必要です。大人も子どもも。
2012.01.12
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息子が不登校になってから、私は「不安」の連続でした。 その「不安」を、息子にみせない努力はしていましたが、(隠しきれていない時もあった かも・・・)いつもいつも、片時も離れずに、色々な「不安」が私の頭を占めていました 「学校に行けなかったら、どうなるのだろう」「中学に通えなかったら、高校に行けるの だろうか」「高校に入学できなかったら、自分に絶望するかもしれない」 「高校に入学しても続けられるのだろうか」「高校を卒業できなかったらどうするのか」 「学校を出なければ、働けないのでは」「息子は幸せな人生を、送れないかもしれない」 「自分の人生に、何の希望も持てなくなって、生きるのがいやになるかもしれない」 「そうなったら、親が死んだ後、どうするのだろうか」 etc.etc よくも、こんなに次から次から、考えられるものだというぐらい、起こらないかもしれな いことを、先取りして、心の中は「不安」で一杯でした。 自分でも、何故そう思うのか、冷静に考えることができませんでした。 どうして、自分はこんなに「不安」になっていた(今でも時々おそってきますが)ので しょうか? それは、息子の不登校が、私にとって経験したことが無い、未知のことであり、どうなっ ていくか、予想がつかないものであったからだと思います。 じゃあ、同じように不登校になった方の経験を知れば、「不安」は「安心」に変わるので しょうか?「知る」ということで、ある程度の予想はつき、「不安」は軽減されるでしょ うが、100パーセントではない。1人1人その歩みは違っているし、人がそうなったか らと言って、そうなるとも言えない。(すご~く、疑り深くなっていたのだと思います) 少し前に読んだ本の中に、こんな一説がありました。 「結果に目が向いている限り、私たちは不安から逃れることはできない。なぜなら結果は 常に未来にあるからである。『未来の安心』というのは概念にすぎず、感情ではない。 安心を感じるのは現在においてしかあり得ない。現在自分の感情に触れ周りの人に肯定 してもらうというプロセスの中に安心はある。」と。そして、 「不安の中には、感じるしかない不安と、解決できる不安がある。感じるしかない不安と しては、未知のものに対するある程度の不安が挙げられる。」 『摂食障害の不安に向き合う』 水島弘子著より この本を読んで、感じたことは、私が今まで息子に対して感じていた「不安」は、少し先 の未来のことを、自分の中で推測し(こうなるであろうと)作り出した、自分勝手な思い 込みのことであり、いくら考えても、「安心」に変わるものではないのですね。 解決することのない、感じるしかない「不安」だったみたいです。 自分の「安心」をどうしても得たいのであれば、彼の、今の姿を見て、「それでいい」と 受容し、肯定していくことでしか、得られないものであるということが分かりました。 そして、このような「不安」を感じてしまうことこそが、彼のことを信用していないこと で、とても失礼なことであるということにも気づきました。 でも、それにもかかわらず、不安は時折り、何の前触れもなく、私をおそってきます。 最近は、「あ~また来た来た」と思って、通り過ぎるのを待つようにしています。
2012.01.10
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生きていたいな 人とかかわって生きることは、すてきなこと でも、人と自分は違う人間 相手の感じることとと、自分の感じることは違う それは、たとえ、家族でも 自分に正直に、自分の気持ちの、おもむくままに 生きるって難しい 社会の中でも 家庭の中でも でも、自分をいつわって 生きるのは もっと苦しい 自分が自分でなくなるから だから、せめて家の中だけでも、自分に正直に生きてみたい それができれば、とても幸せ 人に合わせるのではなく 自分だけの基準で、自分の幸せを求めていきたい それは、わがままではないと思う わがままは、人のことを 考えないこと 自分に正直に生きるって、ある意味、人のことも考えている 人の幸せは幸せで、尊重できる 相手におおいかぶさらないかわりに、自分も自分で立つ 自分は自分 あなたはあなた お互いに、ストレスはためないようにしよう 夫婦でも、親子でも、他人同士でも (今の正直な気持ちをつぶやいてみました)
2012.01.09
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東京スカイツリー 私は、ディズニーに行きたかったのですが、他の家族はあまり興味がないのです。人が 多すぎるのがいやみたいで。1人で行くのもわびしいので、今回は行きませんでした。 最後の日は、息子もすんなりと起き、朝食も一緒に食べることができました。 ホテルのバイキングだったのですが、息子の食欲はすごく、昨日食べ損ねたのを、とり 返すような勢いでした。 3日めは、息子以外の3人は、スカイツリーの見学と、浅草に初もうで、その後銀座へ。 息子は、欲しい物がいっぱいあるらしく、観光より、買い物がしたいと、1人でお店に。 色々と捜し回って、Gパンや、かばんなどを買っていました。昼は王将で食べたらしい。 スカイツリーは、外観は出来ているけれど、オープンは5月みたいで、外から眺めるだけ です。 よく見える、橋の上のポイントは、写真を撮る人でいっぱいで、地元のおじさまたちが、 ボランティアで交通整理兼ガイド役をされていました。 下町の方は親切ですね~自分が撮った写真までくださって、熱心に説明してくれました。 写真を撮るポイントはたくさんあるようです。場所によって、表情も変わるみたいです。 浅草寺の人混み 浅草で見たソフトバンク犬? 浅草は昨日の渋谷にも増してすごい人で、初もうでの場所に、やっとたどりついたという 感じでした。途中で、お店に入ろうと思っても、それもできないぐらい。 「おみくじ」をひいたら、「吉」でした。ここは、3割、「凶」が入っているとガイド ブックに書いてあったので、おそれていたのですが・・・「凶」でも、きちんとお参り して、おみくじを結び、精進すればOKらしいです~ 帰りに、「舟〇」で、「芋ようかんとあんこ玉」のセットを買って、浅草を後にしました その後、銀座で少し買い物をして、息子とホテルのロビーで合流しました。 息子は欲しいものが大体買えたみたいで、満足していました。お年玉、つぎこんだみたい 前なら、一緒に行動させようとしていたのでしょうが、彼も自分の「こうしたい」が、 はっきりと伝えられるようになってきたなあ、そして、それをすんなりと受け入れられる ようになった自分も、少し変わってきたのかなと思いました。 そして、お金の使い方についても、私は息子が小さい頃からかなり厳しく言ってきました 「無駄遣いしない」って。小学校の時は、小遣い帳までつけさせていたのです~~ 今、息子は自分の欲しい物は買っています。もちろんお金と相談しながらですが・・・ そうやって買ってみて、物の価値とか、自分にとって、何が必要で、何が必要でないか を勉強しているんだと思います。 不登校中「何も欲しい物がない」「どこにも行きたくない」と言っていた子なので、 「欲しいものがある」「買いに行きたい」今を、素直にうれしく感じています。 生きるエネルギーになっているのかなと思っています。一喜一憂かもしれませんが・・ お金のことは、私がすりこんだせいか、今でも気にしています。「また、バイトして、 お金ためて、欲しい物買うわ」と言っていました。 帰りは飛行機でまた大阪まで行き、車で息子を住居まで送った後、夜に家に到着しました てんでバラバラで、みんなが、自分の好きなことをした旅行でした。 あっ、私は、新春バーゲンで、ニットのワンピとカーディガンをゲットしました。 福袋が買えなかったのが、少し心残りでした~~(笑)
2012.01.07
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ホテルから見た早朝の都内の風景 日テレ大時計 2日め、私と夫と娘は、娘が行きたがっていた、日テレと、渋谷へ行きました。 睡眠が定まらない息子は、起きてきません。それで、息子はホテルに残しておいて(笑) 3人で出かけました。 日テレは、お正月だったからか、中には入れず、外だけ見学して、ミタさんの鞄やグッズ 宮崎駿さんデザインの大時計等を見ました。 渋谷では、東〇ハンズで買い物した後、夫と別れ、(夫は車と電気製品を見るのが趣味な ので、池袋の車のショールームへ移動)娘と2人で、昼食をとりました。 ドラマ「流星の〇」でロケに使われたという、渋谷のスクランブル交差点の横にある、 「ロク〇タンカフェ」へ(娘は嵐のニノのファンです)ほとんど野菜中心のヘルシーな ランチ(写真参照)を食べ、「109」に参戦。 渋谷スクランブル交差点 冬野菜のマルシェのセット 2年半前の夏に「109」に行った時は、そんなに人は多くなかったのですが・・・ 1月3日はすごかった。まるで、電車の満員ラッシュのようでした。右回りにしか進め ない、おしあいへしあいの中、なんとか、買い物をしました。(バーゲンになっていたの 福袋は買いませんでした)娘は、ベージュのダッフルコートと、セーターと、ぼうしと、 タイツをお買いあげ。私に合うようなものは「109」にはなかった。手袋を買っただけ つけまつ毛バサバサのカリスマ店員さんを、近くで見れたのが収穫でした~~ その後も何軒か店をハシゴし(私はほとんど荷物持ち状態)、夕方ホテルに戻りました。 息子は昼ごろから行動し、下北沢の古着屋で、黒の革のジャケットと、靴をお買いあげ。 その後、銀座のア〇クロで、外人の店員さんが、踊るのを見てきたとか。 スマホで、電車の乗り継ぎや、地図が分かるので、迷わず行けたみたいです。 その日は、みんなお疲れなので、デパ地下で惣菜等を買い、部屋でテレビを見ながら食べ ました。それにしても、東京は人が多い~~ (つづく)
2012.01.06
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今年のお正月は、結婚以来毎年誰かは来ていた親類も、めずらしく帰らず、特に予定も なかったので、犬を義母に頼んで、4年半ぶりの家族旅行で、2日から4日まで東京へ 行きました。 息子も入れての家族旅行は、息子が中1の夏に、亡くなった義父も交えて6人で行った 旅行以来です。息子は不登校になる前の、中2の春ぐらいから、睡眠が変だったので、 旅行の計画は立てられませんでした。 実は、中3の夏休み、その少し前から完全不登校になった息子が、その頃ギターに熱中 していて、その当時自分の好きだったミュージシャンの生地、横須賀に行きたいと言っ たのです。 その頃の息子は、昼夜逆転、家からも出ず、食事もバラバラ、とてもエネルギーをおと した状態でした。その息子が「行きたい」と言ったので、私も夫もとてもうれしくて、 東京、横浜、横須賀の旅行を計画したのです。 でも、当日の朝、息子は起きてきませんでした。その頃は、「何故?」「あんなに前の 日まで、行きたいと言っていたのに」と思って、しつこく息子を起こしました。 まさに一喜一憂していました。修行不足でした。 今なら分かります。「行きたい」気持ちはあっても、そこまでエネルギーがたまって いなかったのです。人に合わせて、動けるだけの。 娘がとても楽しみにしていたので、結局息子をおいて、(息子の分だけ当日キャンセル して)3人で出かけましたが、息子のことが気になって、あまり楽しめませんでした。 今回も息子は、昼夜逆転ぎみ。出発の1時間ぐらい前から、居間のソフアーで爆睡中、 「また行けないのか?」と思いましたが、出発の20分ぐらい前に起き、淡々としたく をして家を出ました。荷物は夜中にしていたみたいです。 大阪までは車で移動して、そこから東京行きの飛行機に乗りました。2日からUタ-ン ラッシュが始まっているのか、高速も渋滞、飛行機も満席でしたが、なんとか夕方には 東京のホテルに到着することができました。 その日の夜は、ホテルの近くの居酒屋風の店で、みんなそれぞれ好きなものを注文して 食べ、なんか、何年ぶりかの、おだやかな、家族団らんの食事がとれました。 息子の様子を見ていると、電車で席を譲ろうとしたり、スマホで写真を撮ってと老夫婦 に頼まれて、気軽にシャターを押したり、夫とも普通に会話したり、大分気負いがなく なってきて、自然体になってきたなあと感じました。 (つづく)
2012.01.05
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今年の自分の目標です。 自己受容は他者受容に通じると言われますが、自分にやさしくなければ、人にも やさしくできない。 息子が不登校になってから、とにかく息子を受け入れようと、努力してきました。 (努力しないと、子供を受け入れられない親でした) 息子のすべてを、認めようとしていました。 「自分なんかどうせ」と、自己否定のかたまりになっているであろう息子を、とにかく 受け入れることで、彼が、自己肯定感を持てるようになるのではないかという気持ちも ありました。 (~したから~になる という考え方がよくないのは、わかっていますが・・・) 自分のことも、責めていました。自分が今までの子育ての中で、息子に対してしてきた ことの数々を思って。子供のためとか言って、実は自分の不安をなくすためだったんだ なあって。小さいころの、親を無条件に信じてくれた姿を思って・・・ でも、過去をいくら悔いてみたところで、変えられないということもわかりました。 他者受容のみをすると、反動がくるのです。私の場合。 「どうして自分ばっかり・・・」という、負の感情がわいてきます。もちろん、そういう 感情を持つ自分も悪くはないのですが・・なんかとても、しんどくなってくるのです。 自分のことを考えても、人が変化するには、とても長い時間がかかると思います。 息子が不登校になった当初に、中学校の保健室の先生に言われました。 「お母さん。5年、10年はあたりまえだよ。でも、あの子は本当にいい子だから、そこ を信じてあげてね。」って。正直その時は「そんなにかかるの~」って思いました。 でも、この言葉は、私の心のささえになってくれたように感じています。 そしてごく自然に、息子のことを認めて、受け入れるようになるには、まず自分自身を 認めてあげることかなということに、気づきました。 息子が不登校になるまでの自分は、自己受容ができていたのかな? それまでは、ずっと「~ねばならない」で生きてきたような気がします。 人の目を気にして、世間の価値観に縛られて・・・ どんな自分でもいいという考え方からは、かけはなれていたように思います。 まず、自分のしたいことから、始めようかなと、今考えています。 ということで、おそくなりましたが、 新年あけまして おめでとうございます 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます 2012年 元旦
2012.01.01
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