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すむ所変われば、また変わったものを見つけるモンでござんす。(お~っと宮部様の「日暮し」を読んでいたので、つい岡っ引き言葉になってしまった。おもしろいよ!)そこで、今日はおもろいもの、見つけたり~~スト!オーソドックスなところから★オースチンのタクシー 知ってはいたけれど、中がどうなっているか知っていましたぁ?後ろの扉を開けると中は向かい合わせの座席で5人まで座れます。子供が乗るとベルトをするまで出発しません!仲良しで乗ると結構盛り上がれるよ。★2人乗り自転車 これはねー写真を撮って載せたいんだけど、大人に自転車の後ろにもう一つ子供用に車輪を取り付けて子供が乗っているという代物。なんだか優雅でいい感じです。日本でこれ売るとヤンママに受けそうだけど駐輪場に泊めるとお尻がドンとはみ出してしまうからおばさんにひんしゅくを買います。★ゴミ箱 週に一度ゴミの日には、そろいのモスグリーンのゴミ箱がずらーと各家の前に並びます。収集車は後ろのハッチにそのゴミ箱を引っかけられるようになっていて、自動的にぐーんと持ち上げてひっくり返してゴミを空けるようになっています。(なかなか、合理的)だから日本のようにビニール袋の山がなくて見た目にも美しい!ゴミのおじさんも楽!た・だ・し・ここにはゴミに分別がない!!なんで?!(はじめの頃は感じていた罪の意識もこの頃薄れつつある。薄れていくことがこわ~~~~い)★高速道路標識 先日のこと高速道路を走行中(もちろん100キロくらいで)路肩に標識が。よく鹿の絵がでていたりするのですが、どう見てもその絵は「おばあさんの手を引くおじいさん」でした。え~ここ、わたるの~?★スコットランドはパブで有名。ドアの前には「サッカーのユニフォームは禁止!サッカーの話題も禁止!」と言う張り紙を多く見かけます。あらーベッカム様の話題は禁句?日本のギャル様お気をつけて。★冬は陽が低いので、車に乗っていると何ともまぶしいのです。とてもサングラスでは持ちません。・・・そこで通販で見つけた優れもの。車のサンシェード(・・というのですか?)に取り付けられる「もっとサンシェード」(命名Rika)サンシェードの下に薄茶のガラスのサンシェード、そこに更にピンポイントでサングラス色の可動式ガラス版がついている。想像できました?今日はここまで。また見つけ次第アップデートします。ふっふお楽しみにぃ!(^^)!
2005.01.31
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今年ももれなくやってきた♪逃げても逃げても追ってくる♪楽しい私の誕生日♪・・ということで26日に嫌もおうもなく48才になりました。離れて暮らす3人の息子達からは3人3様のおめでとーメールをもらいました。一緒に来ている娘はこっそりとプレゼントを用意してくれて素敵な手紙と一緒にくれました。末の5歳児からは「おかあさんはいつもきれいだよ」なんて、涙ぐましい手紙をもらいました。みんなありがとうねー。5人のうち成人した2人に「年は聞かないことにします」と気配りをされて、オーもうそんな大人になったのね、と自分の年を忘れて感動してしまいました。いいのよ~年なんていつでも教えてあげるわよ。こう言えるようになったのも40才すぎてからかな。私の場合は40歳を過ぎてから、何だかすごく気分が楽になりましたね。気張りが消えたというか、開き直ったとも言うのでしょうか。年々増える白髪や皺に無駄な抵抗はやめました。そのかわり磨けばまだ輝けるところを磨こうと思っております。本を読むもしかり、趣味を持つもしかり、脳細胞への挑戦は、ある意味無駄な抵抗の一つかも知れませんが、これはあきらめずに英語も続けようと頑張っています。私は早生まれなので、同級生の方が先に40代に突入したんだけど、友人の一人が40才の記念に童話を書いたと言う話を聞いたのです。よし、じゃ私も何かしようっと、と思うところが私らしいね。色々考えた結果、生まれて初めての英検を受けました。高校生、大学生に交じっての受験です。試験日には入り口で「付き添いの方はあちらです」と言われちゃうし、面接では部屋に入ったとたん、面接官の目が点になり「いったいぜんたい、なぜ受験したんですか?」なんて聞かれちゃうし。それでもかろうじて合格した日には10代に戻ったように「うっひゃー」を繰り返し飛び跳ねてしまったものでした。さーて後2年で50代。今度は何をしようかな。今のお若い方を見ていると時々可哀想になることがあります。その気持ちを上手く表現できなかったのですけど、この前私のだ~~~いすきな宮部みゆき様の本の中に見つけました。宮部みゆき編「贈る物語Terror」の中のエッセイですがちょっと引用させてくださいね。宮部様勝手にすいません。「少女って結構しんどい。ずいぶん昔に一応「少女」だったことのあるワタクシはそんなふうにも思うんですよ。もはや「少女」でも「娘さん」でもなくたってみたら「ああ、何て楽なんだろう」と感じたことも事実ですしね。(Rika注、まったく同感)どうして少女はしんどいのか。それはたぶん、頭の中に長い人生のうちで一番厳しい物差しがあって、それで自分自身や他者を計らずにはいられないー。(中略)少女の物差しはことのほか目盛りが細かいので、そのぶんストレスがたまりやすいのかな、と今では思ったりするのです。現在進行形の少女の皆さん、くたびれることも多いでしょうが頑張って乗り切ってくださいね。疲れたときには本を読みましょう。本を読むと頭の中の物差しが増えます。そうするとあまりにしんどいときには、一番目が粗くて自分に優しい物差しを選んで使えるようになりますからね」ちょっと長い引用になってしまいましたが、こんなに私の思いを表現してくださった文はありません。偉大なる宮部様に感謝!最近は30代の「少女」にも良く出会います。皆さん、思い切って自分のことを「おばさんはね・・」と言ってみませんか?おばさんはいいぞー怖いものないし。物差しはほとんど目がすり減っちゃって、自分にあったものしか使わないし。そして思いっきり前を向いて自分の道を歩いていきましょう!きっとそんな私は美しいのだと思います。きゃっ!
2005.01.28
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今日1月25日はロバート・バーンズの誕生日です!!前回に引き続きロバートバーンズ特集、いきま~す!!スコットランドにはストーリー・テラーと言う職業があります。日本で言うと「語りべ」となるのでしょう。今夜ロバートバーンズ・サパーに招待してくださったのがディビット・キャンベルさんというストーリーテラーです。彼は年の頃は50代半ば(?)長く伸びた白髪を一つに束ねいつも渋いキルトを着ています。今夜はロイヤルマイルにあるこぢんまりとしたパブが舞台。初めてのバーンズサパーに心躍らせ、ダンナさんと到着。まずワインをカウンターで買って着席します。ハーモニカとともに始まり始まり!語るのはディビットさんと他女性1人、男性一人。バーンズの生涯を語りつつ彼の詩を謳っていきます。バーンズの詩はその多くが曲がつきスコットランドの人々に歌い継がれてきました。折々に入る歌は哀愁と懐かしさが入り交じり、心癒される旋律となって響きます。そして、いわゆるさびの部分になるとみんなが一緒に歌い出すんです。彼の詩はスコットランドの原語ケルト語が混じっているので、ただでさえ英語に難ありの私はますます何が何だか分からないのですが、まあストーリーテラーさんの見事な表現力!思わず引き込まれな~んとなく分かったような気になっちゃうから不思議です。語りの合間にスープ(コックリーキー・スープというスコットランド特有のスープ。鶏肉や野菜、お米が入っています)そして、・・・待ってましたとばかりハギスの登場です。ハギスとともにバーンズのハギスを「プディングの王様!」と称える詩が謳われおぅ~っとばかりにハギスを食べます。最後にはバーンズの有名な物語の詩「タム オ・シャンター」が詠まれます。これは酒飲みのタムが酔っぱらって愛馬メグにのって帰る途中とある教会から飲めや歌えの騒ぎが聞こえてきて、思わずのぞくと中では魔女や妖怪が大宴会。中でも短い下着姿で踊る魔女に思わず喜んで「カティーサーク!」(短い下着!)と叫ぶと、場は一転まっ暗になり、そのカティーサークがメグのしっぽに捕まって追いかけてくるというこわ~いお話。結局人の世と魔界の境目の橋にたどり着くが、カティーサークはしっぽに捕まったまま人の世に入り危機一髪!ようやくメグのしっぽが切れてタムは逃げ切ったとさ。いやはや、ストーリーを知らなければ本当に何を語っているのかさっぱり分からないのですが、何とも引き込まれてしまいました。最後の最後は手をつないで[Auld Lang Syne蛍の光」をうたって終わりました・・・のはずが、ディビッドさん、「今日は日本の友人が来ています。是非なにか、うたってちょーだい」と言うではありませんか。おいおい・・困った。ダンナさんと目を合わせ、もうこれしかない。「では日本人なら知らない人はいない蛍の光を」ということで、恥もかなぐり捨てて蛍の光を歌ってきました。スコットランドの蛍の光が重なり、何だか素敵なバーンズ・サパーでした。え?魔女のカティーサークがその後どうなったかって?人の世に入ったカティーサーク、どうやらその後ハロウィーンの元となったそうな。短い下着姿の魔女が[trick or Treat?」と訪ねてきたら、ひょっとしたらカティーサークかも知れませんよ。くわばら、くわばら。
2005.01.26
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日本人なら誰でも一度は卒業式で歌ったことのある「蛍の光」は実はスコットランド民謡です。ロバート・バーンズというスコットランドを代表する詩人の作った詩に、誰かが曲を付けたもので、私もこちらに来てから何度も蛍の光・・「 Auld Lang Syne 」を聞きました。このバーンズさん、スコットランドの心とも言われる方で、明日1月25日の彼の誕生日はBurns Supperといってみんなで集まって、お酒飲んで、バーンズの好きだった「ハギスを食べよう」という日になっているくらいです。このハギス、う~日本の納豆、東南アジアのドリアンか!と比較されるくらいガイジンには馴染みにくい名物で、一言で言うと「羊の肉だけではなくて食べられる所ぜーんぶをオーツと一緒に羊の胃袋に入れてゆでた」もの、とても一言では言い表せない食感です、はい。でもバーンズを忍ぶのですもの。明日はたべるわん。 と、そこで、じっとしていることの嫌いなうちのダンナさん、先週末にバーンズを訪ねる旅に出ました。エディンバラからおよそ2時間、彼の生まれたAllowayへ。1759年に彼が生まれた小さな茅葺き屋根の家は今も残り、博物館となっています。飼っていた家畜も一緒に住んでいたと言うから、決して豊かな生活ではなかったけれど、このお母さんがすごい。子供達に昔から伝わる妖精の話、お化けや魔女の話などなど毎日聞かせていたそうな。その中から彼の泉のようなイマジネーションが育っていったそうで、またまた「もう遅いよ・・」と残念がるうちの子供達でありました。彼はロマンティストだったのでしょう、芸術家のご多分に漏れず恋の盛んな青年だったそうで、おまけに飲んだくれ。いつも2日酔いの状態だったとか。それでもこれだけスコットランド人から愛されるのは、その詩のなかに「俺達のことよくわかっているよな~」といったスコットランドの心があるからなのでしょう。恋のすったもんだの末に一緒になった奥方との間には11人の子があったそうな。その中の一人のこの手を引いた妻の像が、彼の亡くなった地Dumfriesの町にありました。彼はここで1796年まだ37才の若さでリューマチでなくなったのだそうで、詩は認められつつも生活が大変だった様子がうかがわれる足跡がいくつか残っていました。最後にお墓に詣でてきましたが、この聖ミッシェル教会の墓地、なんとも背筋が薄ら寒くなるような雰囲気をたたえた墓地で、ふと墓石の後ろからおじいさんが現れた時には娘と私は思わず「ぎゃ~!」と叫んでおりました。おじいさんは「ふっふバーンズが化けて出てきたと思ったかい」なんて素敵なセリフを残して去っていきましたが。ここにはバーンズ家族のみならずたくさんのお友達も眠っているそうです。さて、明日はバーンズサパー。蛍の光は手を前でクロスさせ隣の人とつないで歌います。日本で歌うよりもちょっとアップテンポですが、古き友との再会を喜び酒を酌み交わそうという友情の歌を懐かしいあなたの顔を思い浮かべながら、私も歌ってくることにしましょう。
2005.01.24
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情けないったらありゃしない。昨日から降り積もった雪に浮かれ、子供を学校に送った今朝のこと、学校の前で見事にスッテンコロリン、天を仰いでしまった。雪と行っても3cmくらいの絨毯雪。若いときは恥ずかしくて立てないこともあったが、今回は本当にいたくてすぐに立てなかった。家に帰って急いで湿布を貼ったものの、痛い。痛い。お尻が本当に痛い。ダンナさんは北海道の出身なので雪道の歩き方が上手だ。かっこは悪いが、足先をちょいっと開いた形でがに股で歩く。「何だ、何でこんな雪で転ぶんだ?あほか!」と、冷たい。自分が転んだことがないから弱者の気持ちが分からないんだ!悔しいから「痛くないもん!」と強がってしまった。でも痛い。尾てい骨にヒビでもいったかも。早くも骨粗鬆症かも。朝からニュースでは雪だ、雪だと騒いでいる。確かにエディンバラはあまり積もらないと聞いていたが、サハリンと同じくらいの緯度それはそれは寒いと覚悟をしてきたが、今のところ東京の方が寒いよ。平均気温は函館と同じだそうだから今年はちょっと暖冬なのかも知れない。・・・が、しかし雪に騒ぐ様は「東京に雪が降るぞ~」というときの感じと似ている。あちこちから中継をし雪に気をつけろ~とアナウンサーが叫んでいるのだ。日本なんて新潟では2mだぞ!と思わずテレビに語ってしまった。(テレビに語りかけるのが老化の第一歩だって知ってました?)暮れの旅行の前にダンナさんは念のため車をスノータイヤに変えようとエディンバラのタイヤやさんを訪ねたところ「それは何だ?」と言われた。少なくとも私たちが訪ねたタイヤやさん3軒とプロのドライバーさん2人は知らなかった。そのせいでしょうか・・駐車場で自然に動いてしまった車が時折り見られます(-_-;)エディンバラが雪の日は気をつけろ!スノータイヤは一台もないんだ、間違いない!
2005.01.18
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67才のご婦人が双子を出産し最高年齢出産記録を更新したそうな。こういうニュースが流れると決まって「あなたもまだまだいけるわよ」と言う人がいるから困る。そりゃ、私も42で産みました。しかも5番目。でもここに至るまでにはなが~い苦難の道があるのだ。なにも私は記録に挑戦しているわけではないのだ。そもそも結婚したとき、ダンナさんは「子供は5人ほしい~」と宣言していた。ご自分が6人兄弟の末っ子だったからだそうだが、何故か「6人」ではなく「5人」であった。私は一人っ子だったので、兄弟願望が強く、「よし!5人」ということになったのだが、いざ、結婚すると子供が出来ない。毎日体温を測り排卵日も調べているのに・・・・出来ない。え?どうして?あとから結婚する友達が「出来ちゃった♪」と言うのを卑屈に聞き流しかれこれ2年。いよいよ知り合いの産婦人科医に相談してみるとどうも私は子宮内膜症らしい。「できにくいんですよね」といわれすごく落ち込んだ。でも、そのころ私の周りには何故か、5年目にようやく授かったとか、12年目に出来たのよ、という素敵な友人がたくさんいて、本当に励まされました。今でも感謝しています!出来にくいと言われて肩の力が抜けたせいか、その2ヶ月後、めでたく妊娠。仕事を抜け出してきたダンナさんと一緒に病院に行ったことが懐かしい。夢にまで見た「おめでたですよ。」の一言が聞ける!とおもったら、その先生「出来てますね、どうしますか?」おいおい!妊娠をなんと心得る!「どうしますか?」はないだろう!!と思いつつも夢見ごちな私だった。あれから22年。出産で体質が変わったらしい。約束どおり5人の子の母となった。2人目の妊娠中、こんなに長男が可愛くて、2人目の子供が可愛がれるかどうか不安になった私に先輩の母が、「大丈夫!愛情は1人目、2人目と半分づつになるのではなく、2倍になるから!」といってくれたが、今では本当に5倍だな、とおもうよ。うちの子供らはまったく優等生でもないし、たくさん悩ませてくれるけど、育てていると言うより、育てられている私です。
2005.01.17
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英語をここ10年勉強し続けていますが、いっこうに上手くなりません。上手くなるのは分かった振りだけ(ダンナさん談)本来おしゃべりな(本人は自覚していませんが!!)私。しゃべりたいことがしゃべれないのは大変なストレスです。この頃は「エーイ、間違っててもいいわい!」と開き直り、身振り手振りで頑張っております。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。お若い皆さん、どうか英語頑張ってください。さてうちの子供達・・こちらに連れてきている下の2人ですがいわゆる現地校、公立校に通っています。(ダンナさんの職場から補助がないもので・・・)娘の方はもうインター歴5年なので英語については(羨ましいことに)あまり心配がないのですが、5才のマースケはほとんど初めて英語だらけの世界に飛び込んだ訳です。初日にとりあえずトイレの場所を教え、「いきたくなったら先生にトイレっていって自分で行くんだよ」とそれだけいいました。死活問題だモンね。しかして4ヶ月・・・いまでは「ほわっちゃゆどぅーいんぐ?」(What are you doing???)だの、「ぎぶみー、1ぱうんどぅ」(Give me 1pound!?)だの覚えてきてよくしゃべります。教科書もちゃんと読める!・・・日本語もまだまともに読めないのに・・・。これは何も息子自慢をしているわけではないのだ。教え方が実にうまいのです。英語の発音を私たちはABC・・・「エービーシー」と習うでしょ。でも彼らは「ア、ブ、ク・・」とならう。フォニックスっていうのかな、音でならうわけです。これは娘が最初に習ったインターでも一緒で、私が「エービーシー」というと「お母さん違う!」とよく起こられたものです。これで習うと何が良いって、なが~い見たこともない単語も読めちゃうんです。で、薄い絵本を子供達に与えて、それを教材に毎日音読といくつかの新しい単語を練習する宿題が出る。学校ではそれを勉強すると同時に別枠で一つ一つのアルファベットの発音の勉強をするのです。たとえばSなら手で大きく蛇をイメージさせてsを描かせてスゥ~っと発音させる・・・これで良くならないはずがない!何故日本の英語教育はこういう教え方をしないのでしょう。本場の英語の教え方を研究して小学校から取り入れたら「ジャングリッシュ・コンプレックス」もなくなるのにねえ。日本の英語の先生様、是非ご検討を!!週一回で良いから1年生から英語を始めよう!!受験のための勉強じゃなくて、いろんな国の人と会話が出来る楽しさ、世界中に友達を作る喜びを子供達に教えてあげてください!m(_ _)m私がそこに気づいたときは時すでに遅し・・・英語がチャッチャと上達する年齢は終わっていました。先日も、とあるところで「このボタンを押してはいけません」と言われたのに、「イエ~ス!」と元気に返事をしてボタンを押してしまった私でした(T_T)
2005.01.15
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昨夜からスコットランドは大荒れです。風速100から150mの風が吹き荒れ、雨がたたきつけるように振り、「これは日本では台風と呼びます」状態が今も続いています。子供らは朝から「絶対日本なら休み!学校なんかいけないよ!」と大騒ぎ。しょうがなく学校に電話すると「もちろん学校はありま~す」とのこと。あえなくお父さんの車に乗り込み子供達は出頭しました。しかし・・・台風のような風が吹くのに何故タイフーンとかハリケーンとか言わないのかしらん。天気図を見ると、素人目にも指紋のように渦巻きになっているのに・・。ひょっとして熱帯低気圧じゃないからかな、夫は言います。子供に「それ何?」と聞かれて「暑くないから」ふ~ん。なんかちょっと違うような気もするけど、子供達は納得しておりました。香港は台風銀座です。夏場は特に良く台風が来ました。香港では台風や風雨の強い日はテレビで警報を出します。雲のマークが片隅に出て白、黄色は注意。赤になると警報で黒が一番強い警報です。(台風の時はこれに番号がつきます。確か8になると警報だったと思う)赤雲以上は学校、会社、交通機関、商店、デパート・・・とにかく全部が閉まります。要するに「外に出るな~」と政府が言ってくれるわけです。だから香港には「台風の時に背広を着て壊れた傘を無理無理にさして、出勤するサラリーマン」風景は全く見られません。こういうシステムって良いと思いません?いちいち学校単位で電話連絡網も流さなくて良いし(ちなみに電話連絡網って日本だけじゃないかな)危険を冒して仕事に行かなくても良いし、お得意先とのアポが・・なんて、お得意先も休みになるわけだから心配ないわけです。日本もスコットランドも香港型式の天気予報システムとってほしいな~。ちなみに昨日は雨風の中、子供に付き合って「ロード・オブ・ザ・リング」を見てしまいました。初めて話題作を見たわけですが、思っていたよりおもしかったものの、最後の場面にちょっと不満が残りました。(これから見る人ごめんなさあい)う~ん。いざ指輪を渦巻く溶岩の中に捨てようと言うとき、迷うのはいい、でも迷った末に自分の中の悪の心にうち勝って、自分の手で投げ捨てて欲しかったなあ。あんな形で終わってしまっては、彼が自分に勝てたのか、それともやはり指輪に執着してゴランから取り戻そうとして落ちそうになったのか、わからないですよね。人間誰しも指輪がなくとも、自分の心には弱い自分、悪の自分があり、又同時に素晴らしい心、弱さにうち勝つ心もあるわけです。勝ったり、負けたりしながらも、毎日のなかで自分の心の勝ち点を少しでも増やしていけるか、そこに輝きがあるんじゃないのかな。誰も見ていない、自分しか分からない、そのなかで正直に生きていけると良いですね。ちなみにうちの娘は「私はサムみたいな人と結婚する!」と宣言しました。私もサムが本当の主役じゃないかと思うよ。
2005.01.12
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このところエディンバラはとてもエディンバラな毎日。特有の台風のような大風とたたきつける雨で歩道を歩いていてもか弱い私は思わずよろけてしまうこともあります。日本ならこれは「台風だろー」と思うのですが、スコットランドの皆さんはもう慣れたもの。飛ばないように、かぶる帽子は毛糸のキャップ。それにフード付きのジャケットを着て、突風何するものぞ、最後のバーゲンシーズンをエンジョイしておられます。その国なりの特技って言うのかな。風土や環境に合わせた生き方ってあるのよね。例えば香港。香港の地下鉄ってしっていますか?座席がアルミニウムで出来ていてツルツルなんです。それがベンチ状になっているので座っていると出発時と到着時にツルって滑るんです。私たち家族も地下鉄初体験の日、4人で座っていると次の駅に到着した瞬間2席分瞬間移動してしまいました。(あいにく空いていたので)それからというもの、おっ減速したぞ、と思うと足を踏ん張り顔を真っ赤にして踏ん張るのですが、無駄な抵抗はやめろーとばかりに隣の人にベチョっとくっついてしまうのです。だが!しかし!!香港人は動かないのだ!足を組んでいてもそのままスマートに動かない。香港人おそるべし!スリランカ人。何がすごいって、サリーを着たまま山にも登れるのです。スリランカにはアダムスピークという神聖な山があります。なんとてっぺんまで階段!しかも一段一段高さが違う!所々50センチ以上の段もありよじ登ると言う感じなのですが、ここもスリランカのたくましいお母ちゃんは子供を抱いて、サリーで上るのです。すごすぎる!(スリランカ!負けずに立ち上がれ!応援しているよ!!!)というわけで各地長年培われた特技があるのが面白いですね。我々日本人の特技ってなんでしょう。ちなみにうちの夫は雪道をこけずに歩く特技、そして雨道をはねをあげずに歩く特技をお持ちです。
2005.01.08
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私はいい年だが免許がない。私の友人は「免許ない」というとたいがい驚く。なんだか私は相当のスピード狂に見えるらしいのだ。(憤慨)何回か「ほしいなーとろうかなー」と血迷ったことはあるのだが、結局怠け者の私は踏み出すエネルギーも持たず今日まできてしまった。特に結婚してからは旦那さんが絶対「取るなー!」という。インドネシア駐在中、それでも 一度はチャンスがあった。かの地はすこぶる免許環境がよい。自分の車で練習をし(これはここでも同じ)簡単な実地試験がある。筆記の方はこれまた毎回同じ問題がでる。しかもAとかBとか選択するだけ。インドネシア語だが全く心配ない。10問ほどの試験の答えだけを[A,A,C,B,C・・・」ってな要領で覚えていけばよいのだ。何とも私向けの試験であった。しかし、やはり旦那さんの反対にあった。カレはなぜ反対するのでしょうか。・・・私を信頼できないという。私は「パニックになるとブレーキとアクセルを踏み間違えるタイプ」だそうだ。女は運転が下手だと未だに深く信じている困ったやつなのだ。というわけで47歳の今日まで私は免許がなくもっぱらママチャリライダーとして活躍しておりました。しかし・・・ここにいたって、初めて免許の必要性が増してきた。子供の送り迎えが大変に手間がかかるのである。小学生の間は親に送迎の義務がある。共働きの家庭はナニー(子守のお手伝いさん)をやとう。今日も、息子の友達のお母さんだと思って下手な英語を絞り出して話していたら、ナニーさんだった。(おまけにその友達から「あんたも正城のナニー?」ときかれた!)まっともかく旦那さんもさすがに「これは大変」と思し召し、免許を取るかという結婚以来の画期的大事業が始まることとなった。これにはもう一つ欠かせない免許取得許可理由がある。ここは本当に安全運転の国なのだ。乗用車も大型車も滅多にスピードを出さない。ゆったりしている。そして・・・今では日本で滅多にみられない「お先にどうぞ、ありがとう」の国なのだ。渡ろうと待っているとまず車は止まって「どうぞ」。こんなことに感動してしまうほど、私はむなしい町にいたのだと逆に落ち込んでしまう。とういわけで、旦那さんもここなら私のような「間抜けドライバー」でもなんとか運転できるのかもしれないと寛大になったわけです。まずここで免許を取ろうとしたら、交通局のようなところに出向いて、仮免許の申し込みをしなくてはならない。私のような外国人は申込書と、パスポートサイズの写真、そしてパスポートがいる。パスポートは免許の発行まで取り上げられてしまう。これには旦那さんが相当抵抗したが、どうしてもホンチャンのパスポートでなくてはならないと言うことで、あきらめて提出することにした。提出にいくと長い列ができていた。しょうがなく並んで待っていると、遙か彼方のカウンターに何やらナンバーが見える。よく銀行でみるあの順番待ちの番号である。「番号札を取るの?」と聞くが周りもよくわかっていない。そのうち後ろの人がつかつかと建物の中に入り番号札を取ってきた。うっとあわてて取りに行く。後の人もなだれるように取りに行く。そばに行くと、誰も見えないところに「番号札を取って待ちなさい。」と書いてあった。「見えないところに張ったって意味ないじゃん」と旦那さんとひとしきりクレームをたれる。旦那さんはその後知らないで並ぶ人が来るたび、「番号札とりなさいよ~」と声をかけていた。いい人だ。いよいよ呼ばれた310番。おばさんは優しく外国人の私にわかりやすいようにゆっくりとしゃべってくれる。申込書の説明をし、仮免許が15日から20日くらいの間に 届くと教えてくれた。さ~てどうなりますやら。来てのお楽しみ~~。
2005.01.05
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あけましておめでとうございます! 2005年01月01日 日本より9時間遅れで年が明けましたぁ。皆様明けましておめでとうございます。エディンバラでは大晦日の夜には町に繰り出しHogmanayというお祭り騒ぎをします。一番の繁華街、プリンセスストリート周辺は入場券がないと入れなくなり、歩行者天国にしてコンサートありカウントダウンあり、花火ありのお祭りとなります。私たちも券を用意しそれはそれは楽しみにしてこの日を待ちました。朝10時半からは衛星放送の紅白歌合戦を生で見て、2時45分からは「行く年来る年」。よし!夜中まで頑張るために昼寝をしようと親子4人みんなで爆睡。さあ7時だ、出かける準備だ!!とおもいきや・・・何だかマースケの様子がおかしい。熱を計ると38度4分!!うぁ~だめだ~いくら何でもいけないわ。というのも通行規制のためバスが朝まで運行しているものの、最悪の場合は歩く覚悟をしていたので、とにかく条件は「みんな元気なこと」だったのです。券(シールになっていてリストバンドになるもの)を恨めしく眺めながら、マースケに座薬を入れて、寝かし12時を待ちました。ぐっすり寝て熱を下げ、すっかり元気になった頃、12時に。ドンドーン、の花火の音に親子で窓に張り付くと、エディンバラ城を筆頭に、市内の7つの丘から一斉に花火が上がります。窓からは何と7つのうちの5つが見えました!180度、5カ所からあがる花火の美しいこと。町にはでれなかったけれど、「たまや~」で迎えた新年でした。今年こそは世界中に幸が広がる一年となりますように。
2005.01.01
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