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私は、”死刑制度反対”論はご意見の一つとしてはあっても良いと思います。ただ、”欧米(先進国)が死刑廃止の方向だから、死刑制度がある我が国は間違っている”等と言う押し付けに説得力はありません。いつも、思います。「無知の涙」の作者は、自分の著書を根拠に数多の凶悪殺人犯達が一律死刑を免れる未来を心から望んだでしょうか。私には、そうは思えません。彼は、死刑制度があったからこそ自分自身の大罪と向き合いその過程を残しただけです。無知ではあっても、「人殺しは、いけない」これ位は理解すべきだったと心から悔やんだのです。自分の後ろを、犯罪者達の無知を後悔し懺悔するどころか開き直って無罪を望む弁護士達がぞろぞろと着いて来るなんて。
2010年11月27日
俳優の夫人が、悲しい最期を選択して世を去りました。彼は、葬儀等の日程を調整し元々あった地方での職務を優先させました。この行動に付いて、ある映画監督が批判しました。「自分なら、妻の傍にいる」と。一見、格好良いもの言いです。でも。俳優は、”妻の傍にいたくないから、仕事に出掛けた”訳では無いのです。他人である映画監督の100倍も1000倍も、亡き伴侶と残された子の傍にいたいのです。身内の不慮の事態と、先に契約されていた大多数の観客達が待つ職場。”仕事”とは”約束”とは、そんなにも大切なものなのだと全うしました。100人の夫がいれば、100通りの夫婦愛があります。でも、家人に寄せる人間同士の”愛情”にはそれ程の違い等ありはしません。言わずもがな、言葉にせずとも同性・異性を問わず万人が理解する心情です。そんな胸中を堪えて、舞台に立った人間に後ろ指を差しました。この映画監督も、楽屋裏で”私見”として喋る分には害はりません。でも、公的に口にするのは。俳優が、悲運の渦中にいる只中。自分自身は愛妻家だと、世間に印象付け様とする道具に使うなんて。何故、同じ男性としてこの俳優の苦悩を理解しないのでしょうか。こんな風に、無神経に同性を非難し異性のご機嫌を取ろうとするのは浅ましく見苦しいです。昨今、こんな幼稚な男女が年齢ばかり重ねて”大人”としてしたり顔の発言をします。それを、”有識者”等と崇める貧困さが感性を貧しくしております。
2010年11月23日
先日、ある番組を視聴しておりました。 タレントの上原美優さんが、故郷のお芋を混ぜ込んだハンバーグを商品化しようとする内容でした。 張り切って出品したものの、審査員達は良い顔をしません。見た目が小ぶりで、お味の特徴もはっきりしない様子でした。 不評の予感を感じたのか、焦った表情の彼女は言いました。 「(お客様の)お腹を一杯に出来て、安く上がるんですよ?(自作の料理の利点が、審査員達に)判りますか?」 この言葉で、皆の顔色が変わりました。 美食家の女性は、「(彼女は)何も、判っていない!!お客様に、一番失礼な話です!!」と席を立ってしまいました。 他の人々も、「(上原さんの主張の意味が)理解出来ない」とこの企画は終わりました。 azareaも、母とお出掛けするのは楽しみです。 外食は、一番のクライマックスです。一般庶民には、お店で食べるご馳走は、夢そのものなのです。もし、お店側が「お前等の腹を、一杯にしてやる。但し、こっちは損をしないやり方でな」と考えていたら。 うーん。
2010年11月16日
一般的な懲罰意識を無視して、自分達の権力拡大に”死刑制度廃止”を利用しようとする向きにはこう考えております。 1「死刑は、国家による殺人だ!!」 これは、典型的な“論理のすり替え”です。 死刑とは、国民全般を代表した審判(裁判官)による“良心”を基にした司法による処罰なのです。 つまり、個人の動機により発生する“殺人”とは全く質が異なるものです。 国家による殺人とは、著しく誤った国策によって国民が災いを蒙った場合にのみ当て嵌まる筈です。 (戦争・人災・公害) 例えば、イラク派遣の自衛隊員やイラク問題によってお亡くなりになった“人質”はこれに該当します。彼等は、何故この様な言葉を吐き始めたのでしょう。其処に、彼等の底意があるのです。死刑に処せられるべき凶悪犯罪者と、国家を”同列”に並べて我が国全体を貶めています。 2「死刑が、犯罪の抑止力になるとは言えない」 それなら、逆に“死刑が廃止されたら、犯罪(殺人事件)の抑止になる”と100%断言出来るのかしら。 本当のところ、こんなもんは”どっちも、抑止力にはならない”のです。 これは、“死刑廃止”を決断させる為の、国家(国民)への脅し文句に過ぎないのです。 3「冤罪の可能性があるから、死刑を廃止」 これも、彼等お得意の”論理の摩り替え”ですが遣り過ぎで”本末転倒”となっています。むしろ、”死刑の重みゆえに、冤罪は決してあってはならない”のです。だからこそ、”捜査員・検事・弁護士”法の番人として心を一つにて冤罪を阻止する義務”があるのです。勿論、状況証拠や科学的根拠に乏しい場合は肌理の細かい吟味が必要です。”再捜査&再審請求の簡素化”等、他に取り組む方向性があります。 長期に渡る地道な捜査が報われる様な、捜査員が疲弊しないシステムこそが望ましいと考えております。 ところが一部の人権派弁護士達が、全てを一律“無罪”にしようと無謀な暴走を図りました。執拗なまでに捜査の過程や科学的な鑑定結果さえも否定して回った事で現実には様々な部署で支障を来たしております。 司法は本来、一つなのです。手足を、「検察側」&「弁護側」が双璧として担います。その中央に、頭部として裁判官が存在していました。それなのに、一方の“手”である「弁護側」だけが強烈に頑固に法廷を撹乱しています。 刑事だって巡査だって科捜研だって、事件が解決するまでは寝食を忘れ奔走します。 それを、弁護士が判で押した様に「心神耗弱=無罪」に仕向ければ徒労感・無力感に苛まれて当然でしょう。 捜査機関だって、人間の集まりなのですから。 これでは、逆に冤罪の可能性が上昇する一方です。行き過ぎた“弁護活動”が司法を脅かすに至る程、弁護側のみが権力を持ち過ぎた結果です。 3「死刑は、悲惨だから廃止すべきだ!!」ええ。ええ。可哀相ですね。azareaは、”だからこそ、必要”に思うのです。殺人は、もっと陰惨で残酷で理不尽です。凶悪犯罪者を残酷さから守る為に、国家を否定し国民感情を弄るのが弁護の役割ですか。 他者の生命を情状酌量の余地も無い理由で奪ったものには、その対応として国家から“問答無用の死”が与えられるのです。その重要な意味は、人間の技量な感覚は超えたものなのです。”他者の生命の尊厳を認識しようとせず殺人を犯したものに、自らの“死”を持って生命の重さを知らしめその残像が他のものの殺人を抑止させる”連鎖を期待するからです。 人権弁派護士さん。 あなたが担当した若者が、死刑になったとしましょう。 さぞ、無念でしょう。「ああ、犯人(家族・関係者)も被害者もご遺族も“無念”だったんだな」と寒々しい空しさに襲われしかもそれは恐らく生涯重く続くに違いありません。 そう。その全てが、“死刑”のお仕事です。 あなたは、“死刑廃止”では無く“殺人廃止”そのものの為に生き取り組んで下さい。 殺人が無くなれば、あなたの望む通り“死刑制度”は有名無実となるのです。やがて、その存在は無きに等しくなるのです。それこそが、恒久的な“死刑廃止”への一番の近道です。
2010年11月02日
以前も触れましたが、我が国はエリートであればある程欧米を崇拝し欧米寄り一辺倒に思考する様に教育を受けます。実は、欧米も死刑制度や無期限懲役刑があるのですが我が国にのみ無闇に犯罪者に甘い方向性を導こうとしています。昨今は、”人権派”を名乗る人々が司法界で権勢を振るいそれが一般的な懲罰意識と著しい遊離を生み出しています。昨今、人権派は冤罪を恐れて捜査と裁判そのものを廃止しようと画策しています。冤罪を恐れるなら、審判自体を否定するのでは無く公正な捜査と裁判を目指すべきなのです。その為には、懲罰の頂点として死刑制度は必要です。裁判員制度は、表向きは”一般人に、裁判に参加させて司法制度の一角を担って貰う”との意義が位置付けられておりました。しかし、実際は裁判員が”死刑”を進めようとすると様々な圧力が掛かります。マス・メディアは、参加した人々が予想より厳罰傾向と見るや一斉に”死刑に賛成すれば、国家に拠る殺人に加担する事になる”だの”アメリカでは、死刑に賛成したものは社会的非難に晒されPTSDに掛かっている”と脅しとも取れる論調を押し付けて来ます。ある一定の意見しか認めない、これは”世論誘導”です。
2010年11月01日
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