りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2023.04.23
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カテゴリ: 人生ケセラセラ
今、国立医大9浪母親殺人事件の件がTVで報道されている。

あ、これって、私の母にそっくり。
医大ではないけど、東大か早稲田・慶応までと子供の頃から言われ続けていた。
でもそれは、中学当時旺文社等の全国模試で常に上位100名の(数学などは何度か1位で)名簿に名前が載っていた私には多分それほど難しい事ではなかったはずだ。

母の望みはそれ程無理難題ではなかったし、
肉体的な虐待は無かった。

しかし、言葉の暴力は小学生の頃から浪人が決定して家を出る時までずっと続いた。

それが虐待と、この事件で本人は裁判官に言われるまで気付かなかったというし、
親自身もそうだったんだろう。


私一人のみでないと、ダメじゃないかと言われる。(じゃ、どうすれば?)

98点なら、何故2点間違ったのかと、ぐだぐだ最低1週間は繰り返し繰り返し文句を言われる。

92点なら、1ヶ月は続く。
80点台なら、死ね!ブス!おまえなんか生まれ無かったらよかったと。

テストなどしょっちゅうあるのだから、
結局一年中毎日毎日私は言葉の暴力を受け続けていた。

漢字テスト、最初余り点数が良くなくて、
その後練習して得意になったら、
「私が煩く漢字練習をするように言ってやったおかげ」と何度も恩を売る。


良い事は全て、母のおかげで
悪い事は全て私がダメだから。


認められることは全くない日々が、ずっとずっと続き。

基本勉強は面白くて好きだったけど、
段々嫌いになって、そして高校で脱落してしまった。

大学に行きたくなかったが、それも許されず、
やむを得ず勝手に家を出て、費用は親がかりで図々しくも私は東京の寮付きの予備校に申し込んでしまった。


気持ちも塞ぐし、やる気もつぶされ、集中もできない。

母は、私が理科に夢中になれば、理科を勉強するのを禁止し、
その科目をこっそり勉強していれば取り上げられてしまう。
苦手な科目のみしか勉強させてくれない人だった。

好きになる教科、成果が出て興味を持った教科はもう、勉強できなくなるシステム。
母と暮らしている限り・・・無理だと思った。

一浪しての東京での予備校生活にほっとしたけど、
母のいない心から安らげる日々に、ついつい気が緩み、
早稲田・慶応等に落ちて、運良くその次位の偏差値の大学に幾つか受かったが・・・
母はもう一浪しなさいと私に言った。

とんでもない!と、なんとか学費を出してもらい、私は自分が受かった大学に通い始めることができたけど、
本当に本当に、人生で最も幸せだと思った一人暮らし。
母と一緒に居ないだけで、毎日罵倒されなくてもいい、
何もかも否定されなくても、大丈夫。

世の中では、親に大学など無駄と言われる女子が多かった時代、
恵まれていたのかもしれない。
だけど、私は普通の学生生活の毎日を、
時には叱られ、時には一緒に喜んでもらえたら。
それで幸せだったと思う。

母の居ない大学生活が幸せで仕方が無かった。

私はこの事件の女性ほど、母に従順ではなく、
いつも大声で反抗しまくっていたし・・・
母は近所に恥ずかしいと、私を責めたけど、
でも、多分それでよかったのだ。

ただ、母の事を他人に言うことは、やはり難しかった。
誰かに相談できる事ではなかった。
時代にしても、親を批判するなど余り許されなかった気がする・・・
もし教師に相談しても、お母さんはあなたの事を思って厳しくされているのだとか何とか、言われてオシマイだったのではないだろうか。

そして、もしそんなことを私が教師に相談したことが知れたなら、
もっともっと本格的な虐待に移っていった気がする・・・


最終的には、自分の背丈に合う場所を自分でみつけだし、譲らない。
誰かの言うがままになろう、となど思ってはいけない。

それは本当に大切な事なのだろう。





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最終更新日  2023.04.23 23:16:37
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