りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2023.11.08
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カテゴリ: 人生ケセラセラ




高校さえも、夜間高校がどんどん無くなっていった経緯があったのに、
今は不登校経験者の増加とともに、夜間中学がふえてきているそうですね。

とはいえ、やはり教員不足が問題だそうです。

家庭の事情で転々とした子供時代を過ごし、又いじめの経験などで
足し算引き算や漢字がわからないまま、
世の中になんとなく不透明な恐怖を感じて生きてきた人たち。

わかる。
一回つまづいたところで、一気に何もかもわからないままになってしまい、

私は勉強が割合得意だったのに、ニ三日学校を休んだだけで、
四捨五入がさっぱりわからなくなり、その後しばらく理解できず不安だった。

それが、様々な科目や分野で起るわけだものね。

今の教育では、自分の努力だけで取り戻すことは難しいように思う。

昭和40年代は、放課後先生が見てくれたこともあった。
娘の不登校の時は、本当にありがたいことに、担当の先生が仕事帰りに我が家により、その日の教科を教えて下さって、お陰様で随分とわからない部分が減ったと思う。

本当になんという負担だったことでしょう。
感謝してもしきれないことです。

夜間中学でクラスメイトと学校生活を経験し、
勉強のおかげで出来る事、わかる事が自然と増えていく経験で、
世間への恐怖が消え、見える世界も色鮮やかに変わってきたという。


皆が当たり前に知っていること、身に着けていることを自分だけが知らないという不安が、生活全般に与える影響は大きくって、なかなか自信を持つことができにくいに違いない。


昭和の時代から比較して、段々と学校は、
できうる限り合理的に従順で均一な人を育てて送り出すシステム、
に変わってきた部分があるように思う。


だから、不登校経験者も増えてしまうのだろう。




均一であるより、違いがある方が生物は生き残れる可能性が大きいんじゃなかったっけ?

誰もが、挫折してもそ先の生き方を見つけることができる助けになるのが、
学校ってものであってほしい。


学校教育は、
教師の仕事がハード過ぎる為に、仕事内容や生徒自身を均一化することで何とか機能している危うい環境なのかも。

大昔、寺子屋とか西洋の学校ができた時位にさかのぼって、
先生の仕事は勉強や思いやり、マナーを教えるだけにシンプルにすればいいのになあ。

もちろん、運動会や音楽会で頑張った経験、遠足や修学旅行、キャンプなど楽しい経験も記憶にある。

だけども、今ほどぎゅうぎゅうに詰まっている必要はないと思う。

毎年でなく、二年に一度とかでもいいはずだし、
全員が同じ経験を体験する必要もない。

皆が同じだから、一回はみ出すともう元に戻ることがむずかしくなるのだろうし。

部活も、ほどほどで。
もっとやりたい人は、親が責任を持ってクラブに属するようにしたほうが良い。

先生が土日も部活に出ずっぱりとか、おかしいよね。

特別やりたい先生もおられるだろうけど、それは学校ではなく、ボランティアとかでクラブコーチとかすればいいと思うわあ。





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最終更新日  2023.11.08 23:53:06
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