狂躁的非日常と日常

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2006年09月12日
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テーマ: ニュース(99953)
カテゴリ: 極個人的なお話
ワタシの敬愛する歴史家、 ヤン・ウェンリー は自らの被保護者 ユリアン・ミンツ 「テロでは歴史は変わらない」 と言いました。けれど、彼は地球教徒のテロに倒れ、結果としてはテロによって歴史が変わってしまいました。(田中芳樹の「銀河英雄伝説」ネタです)

テロリズムというのは純粋な政治活動です。もともとは無政府主義(アナキズム)から来ています。無政府主義は共産主義からの分派的なラインで発生しています。ロシア革命によってソヴィエト連邦ができましたが、貴族階級という名の特権階級はなくなったものの、今度は官僚が人民を支配するという図式に変換されただけでした。その反省(?)からくる政治活動です。結局、人が人を治めようと思う段階で権力が生まれて、人が人を支配するという図式ができてしまいます。人民から選ばれたという肩書きが、「世襲制」であった貴族階級よりも建前があるだけに打倒がしにくいという弊害も生まれました。

そこで、無政府主義は階級が生まれてしまう政府という政治的権力自体を否定して個人の本当に平等な世界を作ることを夢見ました。たぶんに夢見がちな思想ですが、それほどに共産革命への幻想と現実のギャップがあったということでしょうね。

けれど、いくら無政府状態にしたいといっても、権力の好きな人はいっぱいいまして、いくらでもなり手がいるというのが現実です。じゃあ、自分が権力を握ってそんな輩を排除しようと思うと、自己の存在意義が否定されるわけです。政府や権力を否定している自分が、結果として権力者になってしまうわけです。

そこで、いくら権力者になるなー!って言ってもなるやつがいるなら、それを殺しちゃえっていう風に考えました。一人くらい死んでも権力者になりたいやつはいるでしょうが、2人・3人・10人・20人と進んでいくうちに、最後は権力者になりたがるやつはいなくなるだろうというのが「テロリズム」な方の主張です。ある意味正しいような気もしますが、あまりに自分のことを考えない(当然弾圧されるじゃん)&自分勝手な理想論です。したがって弾圧されました。日本では無政府主義者の大杉栄が関東大震災のときに(これも9月でしたね)甘粕憲兵大尉に伊藤野枝とともに惨殺され、純粋なテロリズムが流行りましたが弾圧され衰退しました。

さて、テロで歴史が変わるかという問いは、あの小説を読んでから問い続けている問題ですが、やっぱしテロでは変わらないと思っています。テロで一人の人間が死んだくらいで歴史が改変されるほど、人間一人の力は強くありません。テロで人が死んだという事象よりも、それをどうやって利用したかというほうが歴史の改変には役立っているはずです。

政治的思想 でしたが、現在は単なる 政治的手段 でしかありません。交渉ごとのためのカードでしかないわけです。現在のテロ自体に思想はありません。それがいいか悪いかわかりませんが、昔のテロリズムを信奉していた人にとっては「それは単なる 暴力主義 だ!」って怒っているような気がしてなりません。

政治っていうのは国や利害が異なる団体の会話みたいなものです。会話っていうのは、おたがいの共通言語によるキャッチボールです。そのキャッチボールの手段が対北朝鮮の六ヶ国協議であったり、国連安保理だったり、北朝鮮やイランの核兵器開発だったり、アルカイダ(実在するんだか…)のテロ行為だったり、イスラエルの報復攻撃だったり、イラン戦争だったりするわけです。だから、どんな行いにも政治的な思惑があります。思惑が無かったらテロなんて単なる犯罪行為でしかないですしね。

なんかそう考えると、第二次大戦の日本って戦争と言うカードに頼り切ったよなー。合衆国にとっては戦争もいろいろあるカードの一枚でしかなかったですが、日本にはそれしかなかったということか…。そういうカードを引かざるを得ないようにさせた合衆国の政治手法がえらいのか。戦前の日本も外交的な努力もされてましたが、日本の外交能力の低さは今もそうですが、(結果として)当時も低かったってことです。まあ、それに懲りて戦後は自分では動かないで合衆国にお任せしちゃったんですけどね。それが今の対米追従批判につながっていくわけです。外交的に成功できたのって日露戦争のときの日英同盟くらいなもんだなー。あんときは大日本帝国の存亡の危機だったから普段ない力が出たのか…。って外交に「普段ない力」なんてもんが通用するわけないけど…。その日露戦争の勝利が驕りを生んだんだから因果応報ってことか。何事にも原因があるから結果があるんです。

また、離れた!戻して戻して。
結果としてみてテロによって戦争が起こったということは、テロという政治的カードが切られたときに、切られた側(合衆国ね)がそれに戦争というカード応えたということです。テロを戦争にした原因は合衆国にあるといって問題ありません。テロを政治的手段として捉えなければ、犯罪として断罪すればよかっただけです。合衆国はテロを政治的に利用するために相手のテーブルにあえて乗ったといえます。

とはいうものの、こんなことは昔からあったことで、第一次大戦はサラエボでオーストリア・ハンガリー帝国皇太子が暗殺されたことに端を発します。このサラエボ事件はセルビア人青年が引き起こしましたが、これを戦争にしたのはオーストリア・ハンガリー帝国とドイツ帝国であり、それを世界大戦に持って行ったのは大英帝国とフランスでした。

したがって、テロ自体の事象を見るよりも、テロが起こるだけの下地とそれを受けて戦争に持っていこうという政治的な判断をしたのが誰かというほうが問題ではと思います。それは第一次大戦ではオーストリア・ハンガリー帝国&ドイツと大英帝国・フランスだったわけですし、今回は合衆国でした。

合衆国はテロという政治的劇薬を受けて応えてしまったのです。劇薬は一時的には効きますが、そのうち効果は薄れていって最後は自らを蝕むことでしょう。テロを利用した枢軸国は結果的に負けてオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、ドイツ帝国も共和制に移行されます。合衆国はどうなんでしょうか?それもそうなるための必然を作っていってテロリストさんとキャッチボールをしてしまった合衆国に責任はあると思います。

イタリアの歴史家・哲学者「 ベネデット・クローチェ

それ以上に、昨日9.11の主役の一人でもあった 手嶋龍一 元NHKワシントン支局長の 名誉毀損裁判でてっしー側が勝訴 したってことのほうが狙ってて面白かったです。


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最終更新日  2006年09月12日 08時34分21秒コメント(0) | コメントを書く
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