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2022/03/30
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たまたまネットで見つけて、気になったので行ってみた、というところです。

写真展の会場となった「旧日本銀行広島支店」は、いわゆる被爆建物です。
この写真は、広島市中心部、紙屋町から平和大通りに向かう途中の陸橋の上から撮った写真ですが、左側にある石作りの3階建ての建物がそれです。
原爆投下の際も残った希少な建物ですが、今はイベントや展示に利用されています。

「1976-1978 基町写真展」は、全日本学生写真連盟という大学生のグループが、「原爆スラム」撤去の直前に撮影した写真を展示したものです。
当時大学生の方々なので、今では70才くらいの皆さんだと思いますが、昔の写真を整理している中で「基町」の写真を見つけ、今回、広島で写真展をしようということになったようです。
会場には、その時実際に基町で撮影をした方も来ておられましたが、「全国学生連盟」なので、広島の方ではありません。

写真そのものは撮影不可なので、会場の様子を撮らせてもらいました。

「基町」と言っても、広島の方でないとピンとこないかもしれません。
あるいは、広島の人でも、若い人はピンとこないかもしれませんが、広島城に隣接する「原爆スラム」と言われたバラックの立ち並ぶエリアです。

原爆が投下され、町が破壊され、住む場所を失った人たちがバラックを立てて住み始めた場所が基町でした。
基町は陸軍第五師団の本部があり、広島城周辺は軍用地であったため、原爆投下後も、比較的すぐに住みやすい「空き地」であったことが不法占拠された理由です。
瓦礫を片付けなくても家をバラックを立てることができた、ということですね。
その広大な軍用地だった場所に、家を失った人たちが住み始めてできたのが「原爆スラム」です。

私が小学生であったころ、広島の中心部に電車で出かけると、電車の車窓から、川にはみ出さんばかりのバラックが並んでいたのが印象的でした。

原爆の投下と廃墟となった町。
そこに残された人の、生きる手段の一つが空き地にバラックを立てて住むという行為で、広島にとっては、戦争の傷跡ともいうべき場所が「原爆スラム」でした。
「戦後」をそのまま残した場所が、基町スラムであったともいえます。
そこに暮らしておられた方には「スラム」という呼び方は失礼かもしれません。


「仁義なき戦い 広島死闘編」では、北大路欣也扮するやくざが最後に逃げ込んだのが、基町のバラックでした。
「夕凪の街 桜の国」という映画があって、その中に出てくる川沿いの桜の風景があるんですが、それも確か、基町のバラックで、ヒロインが住んでいたのが基町です。
⇒​ 映画「夕凪の街 桜の国」を見ました。(2008年6月)

現在では、原爆スラムのあった場所に、高層アパートが立ち、大きな公園ができ、アリーナができたり、図書館ができたりして、まったくその面影はありません。


広島城と、基町高層アパート群。





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Last updated  2022/03/31 07:09:23 AM
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