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小説の構成のやり方についての動画をアップロードしました。創作の初心者と熟練者のテクニックの違いは構成に顕著に出るので、創作をする人や文学賞に応募する人は構成について知っておくほうがよいです。凝った構成にしたからといって必ずしも面白くなるわけではないですが、話に脱線がなくて伏線をきちんと回収するような完成度が高い小説に仕上げやすくなります。物語をより面白く演出するために構成を考えたり、あるいは構成から物語を考えるという創作の仕方もできるようになるので、構成を工夫すると創作が面白くなると思います。
2020.08.30
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経済学者のハイエクの生涯と思想を説明した本。●面白かったところのまとめ・新古典派理論現在の経済学のコアである新古典派理論は19世紀後半にジェヴォンズ、ワルラス、メンガーによって創始された限界革命に始まる。古典派経済学が商品の価値を労働時間に求めたのに対して、新古典派は人々が得る効用に求めた。・ケインズ主義批判第一次大戦後に社会主義革命が起きて人々が市場経済に疑問を持ち始めた時に「自由放任の終焉」を宣告したケインズが支持を得た。ケインズは『貨幣論』で不況の原因は過少消費なので金利を引き下げれば貯蓄が減り、消費が増えるので不況から脱却できると考えたが、ハイエクは不況の原因は過少消費でなくて金融政策で是正することもできないと批判した。アメリカのルーズベルト大統領のニューディール政策はケインズ政策に基づく公共事業で雇用を増やして景気を回復させたようにみえたので、ケインズの理論が大きな影響を持つようになって、ハイエクとの論争はケインズが勝った。・不確実性の思想ケインズの理論にはミクロ的基礎がなく、なぜそうなるのかは合理的個人の行動から説明がつかないと「新しい古典派」という学派がケインズを批判した。ハイエクは「新しい古典派」と根本的に違って、個人が合理的に行動することも完全に情報を持つこともないと考えて、不完全な知識しか持たないがゆえに不確実性を伴う個人の行動をコーディーネートする仕組みとして市場をとらえて、この点ではケインズと意見が一致していた。ケインズが不確実性を政府によって除去しようとしたのに対して、ハイエクは市場によって長期的に調整されると考えた。・社会主義経済の不可能性を証明ミーゼスが1920年に計画経済の欠陥を明らかにした論文を書いて、ハイエクはその論文の英訳を中心に『集権的経済計画』という論文集を1935年に刊行して、社会主義計算論争と呼ばれる経済論争が始まった。・反合理主義ハイエクは1960年の『自由の条件』で計画主義が危険だという確信と、人間の無知から社会を考える懐疑主義に基づいて合理主義に反対した。個人の自由は将来の完全な予測を不可能にするので、自由は予測できない未知の可能性を開くために必要だと考えた。合理主義的な革命家が伝統的な価値を一挙に変革しようとするのに対して、ハイエクは自然発生的にできた制度を維持して、起源や根拠のはっきりしないルールを守り、伝統や習慣を尊重するように論じた。・部族社会の感情ハイエクは正しい分配を算出することが不可能なので正しい所得分配はありえないと論じる。しかし平等な分配や格差是正を求める社会的な要求は強く、ハイエクはこれを「部族社会の感情」とした。利己的な行動を「合理的行動」と称して肯定し、独占欲に「財産権」という名前をつけて中核に置く資本主義の基礎は脆い。ハイエクやシュンペーターは資本主義が崩壊するとすれば、その原因はこうした倫理的な弱さだと考えた。・インターネットハイエクは1945年の論文でインターネットの自律分散の設計思想を最も早い時期に提唱して、『法と立法と自由』で実定法的なテシスよりも習慣法のようなノモスとして法秩序を構成して、問題があれば徐々に改めればよいとした。・知的財産権ハイエクは自由な社会の法秩序のコアにある権利として財産権を重視したが、特許や著作権は独占を助長していて競争が機能するには抜本的な改革が必要だと考えた。●感想政治家になるわけでもない庶民が経済学や経済学者について知ったところで知識を応用する機会があるわけでもないし、誰の理論が正しいのか間違っているのかもよくわからないので経済学の勉強は後回しにしていたのだけれど、ハイエクという名前はときどき聞くのでどんな人か知っておこうと思ってこの本を読んだのだった。この本は頭がいい著者が頭がいい読者に向けて書いたようで、ノモスとかテシスとか知らない言葉が何の説明もなしに出てくるので頭が悪い私にはいまいちわからないところがあった。先進国と発展途上国の格差はあまり問題視されないけれど、国内での格差が問題視されるのは部族社会の感情が原因だろう。倫理的な弱さで資本主義が崩壊するという点では現代社会に崩壊の端緒が見えている。人・物・金のうちの金だけを刷ったところで人がいなくなれば需要や労働力が減って物の生産も減るし、格差の拡大を放置していると長期的に人口減少が進んで国家が資本主義に耐えられなくなる。日本で少子化が進行する一方で、合理的に移民を増やして需要を増やしたアメリカでは格差が犯罪や人種差別と結びついて暴動が起きていて、金持ち側からももっと金持ちから税金を取れという意見が出ている。刷りまくった金が余って株価が高騰して金持ちがますます資産を増やしているけれど、余った金が福祉にまわされないので99%の貧乏人の生活はいっこうによくならず、犯罪や自殺や薬物依存やテロという形で資本主義社会の破壊に向かっている。さて小説とリアリティについて経済学と絡めて考えてみることにする。近代までの小説は読者が自分の経験と物語世界を重ね合わせてリアルだと感じることが小説の面白さだったので、現実に基づいて小説が作られていた。騎士道物語や歴史小説は現実世界の過去の探求、SF小説は未来に起こりうる現実の探求、ミステリは現実世界の謎の探求、恋愛小説は現実世界の理想の恋の探求、ホラーやサスペンスは現実世界の恐怖の探求、純文学は現実世界の言葉や思想の探求、ファンタジーは現実から生まれた神話を探求した。その一方で現代のライトノベルはリアリティを探求していない。読者に現実世界を見せて感動させるつもりがなくて、むしろ現実から離れた異世界を舞台にして現実逃避を促している。純文学の存在感がなくなってライトノベルが流行っているのは作者の思想のなさや技術不足というだけでなくて、現実世界の希望や物語の舞台にするほどの魅力がなくなったのが原因ではないかと思う。国が通貨を発行して商取引に使うのに対して、作家は言葉を発行してリアリティを得ようとする。現実世界に希望があって読者が作品にリアリティを求めていてリアリティの価値が高いときは、作家はリアリティを得るために資料を調べて多くの言葉を費やして重厚な長編小説を書いていて、創作の限界費用が高かった。しかし現実世界に希望が無くなって読者がリアリティを求めなくなってリアリティの価値が低くなると、作家はリアリティを追及せずに少ない言葉で作品化するようになって、軽薄なライトノベルができあがる。ファストフードやファストファッションでデフレが起きたように、リアリティの価値が乏しくなったことで言葉がデフレして、少ない言葉でリアリティが乏しくても作品として成立して、それで読者が満足するようになった。なぜ読者がリアリティがない小説で満足できるのかというと、デジタル化で外出せずにネットやゲームで過ごす時間が長くなって、現実の世界への関心が薄くなっているのが原因かもしれない。デジタルネイティブ世代の子供の頃の遊び場は近所の公園でなくてマインクラフトとかのゲーム内のデジタル箱庭で、少子化で兄弟や同級生も少なくて喧嘩とかでの身体的接触も減って、思春期になると恋愛ゲームやアニメの二次元キャラクターに恋するようになって、そうして大人になった作者と読者の両方が現実を見る目をなくして、現実を見ずにフィクションを見てフィクションを作るようになった。ライトノベルによくある異世界転生小説は中世風ファンタジーを元にしたゲームを元にした小説なので、従来のフィクションよりもさらに現実から遠い世界といえる。ゲーム内の世界を舞台にした映画の『レディ・プレイヤー・ワン』のメッセージは現実が大事だというものだったけれど、フィクションで説教されても現実世界に希望がみつかるわけでもない。苦労して現実世界の理想を探求するよりも、異世界に現実逃避してチートやハーレムの非現実な理想で満足するほうが安あがりである。叶いそうにない理想をもったところで希望になるどころか苦痛になるし、いろいろなものを諦めないと生きていけなかった人がいったん捨てた希望を取り戻すことは難しいので、かつては価値があったリアリティの限界効用が低くなって、フィクションにリアリティが必要でなくなる。ライトノベルでも百万部売れる作品がたくさんあるように、リアリティがなくても面白いと思う人が大勢いるのでビジネスとしては成り立つけれど、小説の在り方はそれでいいのだろうか。私にとってはリアリティがなくなると小説がつまらなくなってしまう。あるいは私が探しているのはリアリティがある小説ではなくて、現実世界の希望や人間の価値を探しているのかもしれない。現代では人間の価値は概ね経済力で測られていて、日本が長期間停滞しているのは金だけで人間の価値を測って経済的合理性の枠組みに人間を押し込めたのが原因かもしれない。労働者に長時間労働させれば作業に熟練して短期的にみれば効率がよいけれど、長期的に見れば自由時間がなくなったぶん勉強や投資のような不確実な未来を開拓するための余力がなくなってしまう。小説家や芸術家が生涯かけて儲からない作品作りをするのは未来の可能性を切り開くためで、それがフィクションが本来持っている力だろう。現実逃避のフィクションや現状を追認するだけのフィクションでは未来を切り開けない。社会が停滞しているからといって芸術までそれに引きずられて停滞せずに、芸術が社会を変化させてほしいものである。★★★☆☆【中古】 ハイエク 知識社会の自由主義 PHP新書/池田信夫【著】 【中古】afb
2020.08.09
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