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最近は京都でいろいろ問題があったけれど、知事選で勝った西脇知事が多文化共生推進の新部署を作るそうで、これもまた問題になりかねない。ヨーロッパでは既に多文化共生に失敗してキリスト教の教会に放火されたりして文化が破壊されているのに、なぜ日本の伝統文化の担い手である京都で多文化共生を推進するのか、ヨーロッパでできなかった社会統合をどうやったら日本でできるのか疑問である。というわけで徒然なるままに移民の社会統合について考えることにした。●悪人とは共生できない悪人とは共生できないという点では多くの人が同意できるのじゃないかと思う。しかし何を悪と見なすのかは人によって意見が違うだろうし、国によって法律が違っていて違法とみなされる行為も異なる。例えば胎児については日本では胎児が母体外において生命を保続することのできない時期を22週未満と定めていて、22週未満なら中絶できて22週以降は中絶を禁止しているけれど、アメリカのキリスト教保守派は胎児の時期に関わらず中絶を殺人と見なしていて、堕胎手術をする医師を悪人として非難している。文化や宗教によって悪の定義が異なることが社会統合の上で問題になるし、悪人を社会から排除する方法も問題になる。自然界なら天敵の動物同士は共存できないとはっきりしているけれど、人間同士だと誰が敵なのかはっきりしないのがやっかいである。・悪人を社会から排除する方法の是非悪人と共生できないとはいえ、悪人を排除する際にどこまで人権に配慮するかが問題になる。エルサルバドルはギャングの抗争に市民が巻き込まれて大量に殺害されたのでブケレ大統領が2022年に非常事態宣言を出して、4万人収容可能なテロリスト監禁センター(CECOT、セコット)を作って令状なしでギャングを収容して、常に照明をつけて監視して食べて排泄して寝る事以外は雑談さえもさせない環境に隔離して二度と社会に復帰できないようにして犯罪率を劇的に改善させた。死刑になったほうがましかもしれないくらいのひどい環境である。フィリピンでは2016年にドゥテルテ大統領が違法薬物の撲滅のために国民に犯罪容疑者や麻薬中毒者を殺害するよう促して警察官にも麻薬密売人を射殺するように命令して、人権団体からは超法規的殺人を批判されて、ドゥテルテは国際刑事裁判所に人道に対する罪で逮捕された。悪人を排除するためなら悪人の人権を侵害してよいのかというと、よくないだろう。というのも何を悪とみなすのかは主観によるので、イランみたいにイスラム教に反するものが悪だとみなす国ではほとんどの非イスラム教徒は悪人として処刑されてしまうことになりかねない。それに冤罪の可能性もあるので、令状や裁判なしで投獄や射殺をするのは問題である。しかし悪人を全く罰しないのもよくなくて、悪人を罰しないとそれが犯罪のインセンティブになって悪人だらけになる。スペインだと不法占拠(オクパ)が多発していて、家族旅行中にモロッコ人の不法移民とかに家を乗っ取られても不法侵入後の48時間以内に通報しないと警察が逮捕しなくて、不法占拠者に居住権が発生して家の所有者は裁判をしないと家を取り戻せなくて苦労しているようである。本来は福祉でホームレスや不法移民に対処するべきなのに個人に対処をゆだねているので不法占拠された被害者の負担が大きくなっている。スウェーデンでは少年法の不備で未成年が犯罪をしてもたいした罰がないのでギャングが未成年に金を渡して銃撃や爆破とかの実行役をやらせるようになって、15歳未満による殺人が100件以上起きている。イギリスだとパキスタン人とかのイスラム教徒が女児をレイプしても犯罪だと知らなかったと言い訳してリベラル裁判官がイスラム教に配慮して微罪にするので性犯罪が急増していて、それをSNSで批判するとイスラモフォビアとして逮捕されるというどうしようもない状態になっている。アメリカでもリベラル判事が犯罪者に甘くてすぐに釈放する一方で更生や生活の支援がないので、窃盗や強盗を繰り返すようになって26州で三振法があっても犯罪が減らない。悪人をいきなり処刑するのでもなく、かといってたいして罰を与えずに野放しにするのでもなく、社会から隔離して刑罰を与えたうえで倫理観の矯正や社会復帰支援とかが必要だろう。不法占拠に甘いスペインで不法占拠が多発して、少年犯罪に甘いスウェーデンで少年犯罪が多発しているように、それぞれの国で法の不備がある部分の犯罪が増えているので、ちゃんと罰を与えて犯罪のインセンティブをなくすことが重要である。・そもそも悪人を入国させなければ移民による犯罪は起きない大抵の国でビザや在留資格の基準が厳しいのは当然で、前科がある人は悪行為をする可能性が高いのでビザが許可されなくて入国できないし、生産手段を持たない人が在留しても生計を立てられなくて犯罪をする可能性があるし福祉の負担が増えるので観光客は長期滞在できないようになっている。その抜け穴になっているのが観光ビザで入国してから難民申請して不法滞在する偽装難民で、言語を理解しなくて生産手段を持たないうえに善悪の基準が異なって悪行為を平然と行うので、偽装難民を受け入れることは治安の悪化や福祉のひっ迫につながる。2025年12月末時点で日本に不法に残留して退去強制命令を拒否した3103人の外国人のうち994人は有罪判決を受けていたそうで、懲役刑になった後に難民申請して居座ろうとする偽装難民は日本にとって害にしかならない。有害な移民は玉つきのように世界各国を転々としていて、どこかの国で難民申請を却下されたり犯罪をしたりして追放されても別の国に居座ろうとして、イギリスで前科があるパキスタン人が書類を偽造してスペインに押し寄せているのが問題になっているそうな。ヨーロッパではアフリカや中東から来たイスラム教徒の移民と社会統合できなくて移民政策が失敗していて、フランスでは外国人が長期滞在するには市民試験の合格を必須にしたりして移民の受け入れ基準を厳格化しているけれど、日本は外国の失敗から学ばずに自民党や経団連が発展途上国から大量の移民を入れようとしているので移民政策の見直しが必要だろう。●善悪の判断基準日本は高信頼社会で、無宗教の人が多くて信仰心がなくても世界で有数の治安の良さを保てている。宗教的な価値観に頼らずに善悪を判断するにはどうすればよいかというと、群れを作る動物は群れの利益になる行動をするように進化して、自分と群れとの関係性の中でもやって良い事と悪いことの基準ができあがるので、これが善悪の基準になりうる。人間に比べて知能が劣る犬や猫でも子供が悪いことをしたら親が叱ってやってはいけないことを教えている。人間では言っていることよりもやっていることがその人の本性だと言われているように、発言よりも行為が善か悪として判断されうる。というわけで利益と損害の有無で行為を単純化したパターンを考えてみる。1.自分に利益があって他人にも利益がある行為これは所属する集団の文明を発展させる善行為と言える。例えば美味しい料理を作れる料理人が適正価格で料理を提供すると、客は幸せになれるし料理人は収入を得ることができるし、調理技術や食材とかの文化水準も上がって文明が発展する。科学技術や学術研究や芸術とかの特殊な技能を持った外国人は社会を発展させるので移民として歓迎される。2.自分に利益があって他人には利益がない行為例えば美味しい料理を作って一人で食べたり、筋トレして贅肉を落として健康になるのは自分には利益があるけれど、他人にはどうでもよいことである。レシピや筋トレのやり方を他人に教えるとかして他人にも利益があるようにしないと善行為とは言えないだろう。自己中心的で知識や技術が社会に還元されないと社会の発展に寄与しない。3.自分に利益があって他人には損害がある行為これは利己的な悪行為と言える。例えば窃盗や強盗や詐欺とかの他人を害して利益を得る行為は生産者を害して生産力を低下させて文明を衰退させるので、たいていの国では違法である。軽犯罪の場合は刑期を終えた後に社会復帰できるけれど、強盗殺人とかの利己的な重犯罪を犯した極悪人は死刑や終身刑や無期懲役とかで社会から恒久的に排除される。外国だと被害者がいないのは犯罪じゃないという考え方をする人がいて、ごみを道端や川に不法投棄してごみ処理費用を浮かせようとするけれど、土地の所有者や自治体が土壌汚染や清掃費用の被害を受けているので悪行為と言える。働けるにもかかわらず生産活動をせずに福祉に依存してもっと金をよこせと際限なく支援を要求するのも悪行為である。4.自分に利益がなくて他人には利益がある行為利他主義的な行為がこれにあたる。例えばボランティアで清掃活動をしたり小学生の登下校の見守りをしたりして他人の役に立つ行動は善行為と言える。5.自分に利益がなくて他人にも利益がない行為これは誰の役にも立たない不毛な行為である。例えば暇を持て余してトー横でだべって無為に過ごしている若者たちは誰かの邪魔になっているわけでもないので善でも悪でもないけれど、勉強や仕事とかの何か生産的な活動をするほうがよいだろう。6.自分に利益がなくて他人には損害がある行為これは誰も利益を得ない悪行為である。例えば道に迷った人に道を聞かれてからかってやろうと思ってわざと違う道を教えるのは悪行為と言えるし、むしゃくしゃして飲食店の立て看板に八つ当たりして蹴る器物破損も悪行為である。子供の誕生日のお祝いに寿司を作ったら子供が食中毒で死んでしまった場合、他人を害する意図がなくても物事をうまく行えないせいで被害を出したのならそれも悪行為と言えるので、頭が悪かったり不器用だったりして他人に損害をもたらす可能性が高い場合はその行為をやらないほうがよい。ヨーロッパの環境活動家が道路に座り込んで車を止めて交通を妨げたりするのも生産活動を妨げる悪行為で、車による環境負荷を減らしたいならクリーンエネルギーの研究とかをするのが本筋である。道端に倒れている人がいるときに自分が救急車を呼べば十分助けられるけれど、自分には利益がないし関係がないからと見殺しにするのは、善を成しうるときに意図的に善を選択せずに損害を生み出す悪行為と言える。しかし中国だと助けられる側が悪人だった場合に助け方が悪かったせいで後遺症が残ったといちゃもんをつけて損害賠償請求したりするので、行き倒れた人を助けるのを躊躇するようになった。この場合は自分に損害がある可能性が高いので、助けるのをためらっても悪行為とはいえないだろう。7.自分に損害があって他人には利益がある行為自己犠牲と呼ばれる行為はこれにあたる。例えば火事が起きている家にまだ人が取り残されていたときに通りすがりの人がわざわざ危険を冒して他人を助けるメリットはないけれど、それでも損得を考えずに他人のために行動出来る人は英雄視されて名誉を得る。これは善行為だけれど、自分に損害を出さないで済むならそのほうがよい。8.自分に損害があって他人には利益がない行為これは6と逆のパターンの誰も利益を得ない悪行為である。例えばリストカットや過食嘔吐はやらないに越したことはなくて、自分を害する異常行動をする人には精神的な治療が必要である。9.自分に損害があって他人にも損害がある行為これは明確な悪行為と言える。例えば無理心中で家族を殺して自殺したり、ビルから飛び降り自殺をして無関係な人を巻き込んだり、自爆テロで大勢を道連れにしたりするのは社会の破壊や人間性の否定である。文明人ならやってはいけない。ざっくりとまとめると、他人に利益がある行為はだいたい善で、自分や他人に損害をもたらす行為はだいたい悪で、1が一番良いと言えるし、9が一番悪いと言える。善は強制するものではないし各宗教で善の基準が違っても大きな問題は起きないけれど、悪行為はしないように強制しないと社会が維持できなくなる。社会全体の損害や不幸を最小化するために法律を制定するのが国家の存在意義だろう。この善悪の度合いで移民の社会統合の難易度が変わってくる。1や4の善人はコミュニティへの寄与が大きいので社会統合しやすいだろうし、3や6や9の悪人は国籍や人種や宗教に関わらず入国や滞在を拒否するべきで、そうしないと悪人に国が破壊される。エジプトはパレスチナを支持しつつも国境を閉ざしてパレスチナ難民の受け入れを拒否しているけれど、これはパレスチナ人がいままで悪行をしてきた自業自得で、ハマスのテロを支持したり移住先で犯罪をしたりして受け入れ側の負担が大きいので歓迎されない。デンマークの統計だと1992年に321人のパレスチナ難民を受け入れて30年追跡したら64%の204人が有罪判決を受けていたそうで、イスラエルに虐殺されたパレスチナ人には同情する部分もあるけれど、だからといってDQNを難民として受け入れて一緒に仲良く暮らせるわけではない。ドイツ連邦捜査局(BKA)は移民の国籍別の犯罪統計(PKS 2025 Bund T62)を出していて、このデータを分析したSmirkleyというXのユーザーによるとドイツ人の犯罪率(10万人あたり1770件)を基準にした場合に日本人の犯罪は最低で0.19倍、その一方でアルジェリア人は最高で18.4倍だそうで、殺人、レイプ、スリ、万引きとかのあらゆる犯罪でアルジェリア人の犯罪率が高い。わざわざドイツに行く日本人はドイツ語がわかるくらい高学歴の留学生や音楽家とかの日本人の中でも上澄みの人しかいないだろうからドイツにいる日本人の犯罪率がドイツ人全体よりも低いのはある意味当然だけれど、アルジェリア人はわざわざドイツまで犯罪しに行っているのかという話になる。このデータを基に判断するならどの国籍の外国人が日本に来ても日本人よりも犯罪率が高くなって治安が悪くなることになるし、移民に日本人並みの倫理観を求めるとヨーロッパ以上に社会統合が難しくなる。日本のスペイン大使館のXアカウントが「注意:「重要でない」ように見える「無断で何か持ち去る」行為も、日本では重大な犯罪です。窃盗は非常に厳しく罰せられ、重大な法的問題を引き起こす可能性があります。日本への旅行を楽しみましょう、でも常に敬意と責任を持って」(grokの自動翻訳)と注意喚起したように、国によって窃盗への倫理観も違う。ヨーロッパではスリや置き引きや押し売りやぼったくりが横行しているけれど、そういう倫理観が低い人が大勢移民として来たとき、財布やスマホを落としてもちゃんと落し物として保管されて返却されるような日本の高信頼社会が崩れていくだろう。だもんで社会統合のためには移民がただ日本語を理解して仕事に就くだけでなくて、日本の儒教や仏教由来の道徳観を理解するための倫理教育も必要だと思う。・法律の重要性古代の国では優れた王がいても代替わりしたら悪政をして内乱が起きて国が亡びるパターンが多かった。しかし法律があれば誰が指導者になってもある程度の規範は維持できるので、内政のための法律が発達してきた。中世までは宗教の戒律が法律の代わりをしていたのでキリスト教の教皇は王以上の権威を持つようになったけれど、宗教を取り締まる法律がないので権威化したカトリック教会が腐敗して影響力を失っていって、近代的な議会制民主主義の国家では政教分離して選挙で選ばれた議員が議会で議論して法律を制定しているし、宗教的行為でも法律に違反したら罰せられる。日本では憲法で国民主権が定められていて、民主的手続きを経て作られた法律があることこそが国民主権の体現だし、日本国民の善悪の価値観を表しているので、法律は外国政府や外国人によって勝手に変えられるものではない。法律を守ることが社会統合の絶対的な条件で、ここが崩れて善悪の基準があいまいになって悪が罰せられなくなると国家が崩壊する。法律は制定から時間が経って時代遅れになったりして問題があれば改定や廃止ができるけれど、宗教の経典は改定できないし批判したら宗教戦争になるのが問題で、だからこそ政教分離する必要がある。基本的人権に信教の自由があるのでどんな宗教でも信仰するのは自由だけれど、法律を侵害する自由はない。イスラム教徒が法律を無視して勝手に土葬したら死体遺棄として検挙するべきだし、公道で礼拝して人や車の往来を妨げたら道路交通法違反で検挙するべきだし、それはイスラモフォビアでも外国人差別でもない。法治国家では法律に従う必要があるということが理解できずに違法行為をする外国人とは共生できないので国外追放するしかないだろう。イスラム教徒に配慮するべきだと言う人もいるけれど、イスラム法を理由に外国人が日本の法律を変えようとするのは主権の侵害である。●善が社会を発展させて悪が社会を荒廃させる人類は学問によって知識を蓄積して科学を発展させてきたけれど、必ずしも知識や科学が社会を発展させるとは限らなくて、悪人が知識や科学を手にしたら侵略や詐欺や強盗とかの悪行為に使う。だもんで社会を発展させるには善人を増やして悪人を減らすのが重要である。悪人が少ないほど警察や刑務所や裁判所とかの行政コストも少なくなるし、善良な人々が生産活動に専念できる。何を善行為とみなすのかは国家が強制する必要はなくて各人や各宗教で違っていてよいし、仏教は人格修養をすればよいしキリスト教はチャリティーをすればよいけれど、悪の認識が宗教によって異なるのでは統治ができないので法律で罰を強制する必要がある。法治国家では法律を無視してイスラム法を優先するイスラム原理主義者とは社会統合できないので、移民として受け入れるべきではない。イスラム原理主義者はコーランが絶対正しいという前提で物事を認知するので、イスラム教以外は間違っているものとして上から目線でイスラム法を押し付けようとするし、学校給食にハラール食品を強制しようとするし、ラマダン中に異教徒が食事していると文句を言うし、異教の寺や神社を破壊するし、肌の露出が多い女性はビッチだからレイプしてもいいと考える。イタリアではしばしばイスラム教のイマーム(宗教指導者)を国外追放していて、モロッコ出身のブーリキ・ブチュタがビンラディンを賞賛したことで国外追放して、パキスタン出身のズルフィカール・カーンが異教徒と戦うべきだと説教したことで国外追放して、パキスタン出身のアリ・カシフが初潮を迎えた9歳少女が結婚可能だと主張したことで国外追放した。テロを礼賛したり児童と結婚したりしたいイスラム教徒はその行為が悪として違法になっている先進国に行かずにイスラム教徒だらけの母国で野蛮な中世の価値観のまま中世の様式で暮らせばいい。・劣等感による窃盗と破壊ヨーロッパやニューヨークに移住したイスラム教徒が「この国は俺たちの物だ」と我が物顔で騒いでXに自慢げに投稿しているし、侍の起源は黒人だという妄言をXに投稿する黒人もいて、発展途上国の知能が低い人たちは先進国のインフラや文化を盗んで自分の物にできると思っているようである。白人がいなくなった後のジンバブエや南アフリカが荒廃したように、自分たちで立派な文明を築けなかった人が他の文明を盗んだところで発展させるどころか維持することさえできない。生産することの苦労やインフラの重要性を理解しない人を移民として受け入れるのは危険である。昔の韓国は日本の文化は韓国が起源だと主張していたけれど、インターネットが普及してすぐに嘘がばれるようになったし、反日教育に洗脳されなくなった賢い若い世代に知日派も増えたし、経済成長してサムスンとかのブランドができてKPOPや韓国ドラマが世界進出して自信をつけたおかげか最近は起源説を言わなくなった。起源を主張して文化を自分のものにしょうとするのは劣等感が根底にあるのだろう。劣等感がある人が権威を破壊することで自分がより優れた存在になろうとするパターンもある。世界中の左翼活動家が国旗を燃やしているのが典型的で、良いものを作れなくて自己実現できない人でも他人が作ったものを壊すことはできるので、既にある文化や伝統を破壊することで何かすごいことをした気分になっている。これは新しいものを作るための創造的破壊ではなくて単なる破壊である。発展途上国のイスラム教徒は教育水準が低くて文字が読めなくて生産技術もなくて誇れるものが何もないので、劣等感を打ち消すために信仰心が高いことを唯一の誇りにしようとして神は偉大なりと言って異教徒を殺害するテロを起こす。まず自分自身を誇れるように努力すればいいのに、イスラム教は金持ちが貧民に施しをするのが当たり前だという考え方なのでプロ乞食になって勉強も仕事もしない。ドイツで難民申請したアフガニスタン人が働かずに福祉に頼って生活しているくせに自分の生活を支えているドイツ人に感謝するどころかマンハイムで警察官をナイフで刺したりミュンヘンでデモ隊に車で突っ込んだりしたのが典型的である。キリスト教では告解で許しを得て罪悪感を軽減するし、仏教では住職が法話会で人生相談に乗るけれど、イスラム教は個別カウンセリングの仕組みがないので悶々とした人が宗教的助言を得られずに極端な思想に陥りやすくて、テロ組織に所属しているわけでもないのに突発的にテロを起こす構造になっている。フェミニストがフィクションや広告から美女を無くそうとするキャンセルカルチャーも嫉妬が根底にあると思う。最近はカプコンの『プラグマタ』というゲームのアンドロイドの白人金髪美少女のディアナが小児性愛的だとwokeな人たちが批判しているけれど、美少女を好ましい存在として表現して何が悪いのか。父親の子育て体験ゲームなので性的な要素はないし、仮にロリコンが喜ぶコンテンツだとしても日本よりも性犯罪が多い国の人に言われる筋合いはない。●フィクションの役割フィクションはただの娯楽ではなくて善悪の価値観を教育したり共有したりする役割がある。昔話が典型的で、正直で親切で勇敢な善人が報われて、嘘つきでずるくて意地悪な悪人が報いを受ける勧善懲悪の物語が多い。移民が移住先の国を尊重できるようになるには国民性を理解することが必要だろうし、そのためにフィクションの鑑賞が役立ちうる。最近は星新一賞の一般部門受賞作4作品のうち3作品がAIを利用して執筆されたそうで、アイデア頼みのショートショートでは無限にブレーンストーミングができてネタ切れしないAIに対して人間は敵わなくなっている。しかし人間や社会はどうあるべきかという思想や人類の未来像を書くことは人間にしかできないので、AIが発達しても人力でのフィクション製作がなくなるわけではないだろう。・海賊版はよくない最近はXで外国人が日本の漫画やアニメの海賊版を見ていることについて議論があったけれど、外国人は海賊版は物を盗んでいるわけではないと正当化していた。日本のクリエイターは主に日本市場で生計をたてているので外国で海賊版が流通して収入が減っても廃業までには至らないけれど、海賊版が流通している国では独自のコンテンツが生まれないことが大きな問題で、海賊版を擁護する外国人自身がその問題に気付いていない。例えば日本の人気漫画作品をファンが勝手に翻訳して公開した海賊版が無料で読める国で新人漫画家が未熟な作品を販売して生計を立てられるかというと無理だろう。新人が出てこない環境では優れたクリエイターは生まれないし、自国から優れたクリエイターが生まれないということは自国の善悪の価値観を共有できないということである。だからこそコンテンツを生み出せていない発展途上国ほど海賊版を許容してはいけない。日本の漫画家はもともと絵がうまいわけではなくて、昭和の漫画家は現代の基準で言うと下手な絵だけれど、それでも漫画家にお金が入ってアシスタントを雇って次代の漫画家を育成する仕組みを作ってきたことで徐々に絵もストーリーも質が上がっていった。昭和はインターネットがなかった時代だったので日本の文化が保護されて発展したといえるし、インターネットがある現代は海賊版の問題を自覚して自国のクリエイターを保護しないといけない。外国で日本の作品が公式に発売されないからファンが勝手に翻訳して海賊版を見るのでなくて、まず自国でコンテンツを作るのが先で、外国のコンテンツに依存するのをやめるべきである。日本の漫画やアニメに黒人が出てこないと文句を言う暇があったら自分で黒人が活躍するコンテンツを作ればよい。なろう小説なんて素人が書いたリアリティやオリジナリティがない下手な小説だし、その程度のコンテンツさえ自国で作れないことに危機感を持つべきで、黒人が異世界のナーフリカで凄腕の黒魔術師になって無双する物語やヒスパニックが異世界のナーンベイでデグーに転生して柔術で無双する物語やアラブ人が異世界のナーラブで石油魔法で無双する物語を自分で書けばよい。Xの投稿で父親がいなくて母親に虐待されて育ったからドラゴンボールやナルトに男らしさを学んだというようなことを言っていたロシア人がいたけれど、外国のコンテンツに善悪の価値観を安易に感化されるのは文化の継承という点で危険で、なるべく自国のコンテンツで価値観の教育や共有ができるようにするべきである。例えば『鬼滅の刃』は昔話の桃太郎の鬼退治の勧善懲悪の価値観の延長線上にある物語で、日本人は子供のころからこの種の勧善懲悪の価値観を刷り込まれている。外国人が『鬼滅の刃』のコスプレをするのは別に悪い事ではないけれど、アニメを通して日本を知ろうとしても浅い理解にしかならないし、まずはそれぞれの国の歴史や文化を反映した価値観を継承するほうがよい。イギリスには義賊のロビンフッドの伝承があるし、ジョージアには竜退治の聖ゲオルギウスの伝承があるし、どこの国にも偉人や英雄はいるだろうからそれぞれの国の英雄からコンテンツを発展させて善悪の価値観を表現すればよい。世界各国が独自のコンテンツを作って価値観を表明すると、各国の文化の共通点や相違点が明らかになって相互理解につながっていくだろう。移住先の国のフィクションに共感できず、相手の国の価値観に合わせて自分のアイデンティティを変えるつもりがない人は社会統合できないだろうから、他の国に行かずに自分の国で暮らせばよい。
2026.04.30
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最近は京都の南丹市で小学生が行方不明になって、別々の離れた場所で靴やかばんや遺体が発見されたので、家出でなくて事件性があると思われる(追記:父親が逮捕された)。音信不通の際の安否確認の方法という記事でも似たようなことを考えたけれど、今後は在日外国人が増えていくにつれて誘拐とかが増えるリスクもあるので、行方不明について考えることにした。●行方不明の原因・家出未成年の行方不明はたいていは親子喧嘩とかの家出が原因で、友人や知人の家に泊っていたりして、短期間で所在が判明する。インターネットとかで知り合った大人が家出した未成年を泊めさせる場合もある。・道がわからない幼児や認知症の高齢者などは来た道がわからなくて家に帰れなくなって見知らぬ道に進んで行ってしまうので、行動範囲が広くなるぶん捜索が難航して行方不明になった地点から数キロ離れたところで発見されたりする。・アウトドアでの事故や自然災害川遊び中におぼれて川の下流に流されたり釣りをしていて高波にさらわれたりすると、捜索範囲が広すぎて発見しにくくなって行方不明になって、死後数日経って死体が腐敗してガスが溜まって浮いてきたところで発見される。冬だと死体が腐敗しにくかったり雪に埋もれたりして発見までさらに時間がかかって、新潟県長岡市で1月26日に女子中学生が行方不明になって4月9日に信濃川で遺体が発見されていて、何らかの理由で信濃川に転落したとみられている。登山だと単独登山中に遭難して行方不明になる人がいるし、スキーシーズンになるとバックカントリースキー中に遭難したり雪崩に巻き込まれたりして行方不明になる人がいる。大雨での河川の氾濫や土石流や地震によるビルの倒壊や津波とかの大規模な自然災害に巻き込まれた場合も死体の発見が困難になって行方不明扱いになる。・誘拐日本では身代金目的の誘拐は成功率の低さからほとんど行われないけれど、性犯罪目的で誘拐されて行方不明(殺害されて遺棄)になる事件はしばしば起きている。1990年の新潟少女監禁事件では佐藤宣行が9歳の女児を誘拐して9年間監禁したのちに犯行が発覚して被害者が保護された。2013年の新発田市女性連続殺人事件では沖縄出身の喜納尚吾が2003年に連続レイプ事件を起こして8年服役して、出所後に移住先の新発田市で5人の女性を襲って2人が殺害された。2014年には倉敷市で藤原武が下校途中の小学5年生の女児にカッターナイフを突きつけて車に乗せて自宅に誘拐して5日間監禁した。2015年の寝屋川市中1男女殺害事件では山田浩二が夜にコンビニに買い物に行った中学生二人を車で誘拐して殺害した。実子誘拐のパターンもあって、例えば親権がない元配偶者が子供を連れ去って、DVをでっちあげてシェルターとかでかくまってもらったりして居場所が特定できなくなる場合がある。国際結婚だと元配偶者が子供を母国に連れ帰ってそのまま戻ってこない場合がある。外国では誘拐は頻繁に起きていて、中国のマフィアはカンボジアやミャンマーとかの法の支配が不十分な地域に詐欺団地と呼ばれる拠点を作って外国人を拉致監禁して拷問して詐欺電話をかけさせている。中国では人身売買目的の誘拐が行われていて、ショッピングモールとかで親が子供から目を離した隙に子供を誘拐して農村での労働力や結婚相手として売っている。アメリカでは子供が誘拐されてレイプや猟奇殺人の被害に遭っているので、7歳くらいまでは幼児だけで留守番させたりお使いさせたり公園で遊ばせたり買い物の間に車の中で待たせていたりすると児童虐待とみなされる。・事件の隠蔽子供が行方不明になって憔悴している親を疑うのはひどいという人もいるけれど、親が犯人のケースもあるので警察は親も取り調べる。2006年の秋田県の連続児童殺人事件では母親の畠山鈴香が犯人で、行方不明の子供を捜索するふりをしていたけれど犯行がばれて9歳の娘の殺人容疑と7歳の息子の死体遺棄容疑で逮捕された。交通事故を隠蔽するために加害者が被害者を事故現場から連れ去って人目につかないところに遺棄するケースもある。2023年には長野県佐久市で佐藤英伸が男性を車で跳ねたのちにまだ被害者が生きているのに救助せずに別の車に乗せて山中に遺棄したことで被害者が死亡して、救命の可能性放棄で殺人罪が成立して懲役12年の実刑判決になった。・自殺自殺する人の中には遺書を残さずに山や海とかの人目につかないところで自殺して、遺族から見たら生きているのか死んでいるのかわからなくて行方不明になる場合がある。・熊の被害熊が出没する地域だと熊に襲われて山の中に引きずられてそのまま行方不明になる場合がある。・逐電借金がある人は支払から逃げるために夜逃げをする場合があるし、犯罪をした人も逮捕を逃れるために行方をくらまして外国に潜伏する場合がある。●行方不明を防いだり発見を早めたりする方法・単独行動を避ける危険が伴うアウトドアでは単独行動はなるべく避けるべきである。もしグループの誰かが遭難しても同行者がいると通報が早くなるので救助しやすくなるし、もしハイキング中に熊に遭遇しても大勢いたら熊が警戒して襲ってこない可能性もある。2020年には函館市の恵山に家族で登山した高校生が一人で下山している最中に行方不明になったけれど、崖崩れに巻き込まれたとかの事故の可能性がある。思春期だと家族と一緒に行動するのを恥ずかしがったりするけれど、危険を伴うアウトドアでは恥ずかしさよりも安全性を優先するほうがよい。1992年には福岡県飯塚市で登校中の小学1年生の女児2人が久間三千年に誘拐されて行方不明になって死体で発見された飯塚事件が起きたけれど、集団で登下校をしたり見守りのボランティアが登下校ルートにいたりしたら誘拐を防げた可能性がある。・GPSや紛失防止タグを使う幼児や認知症の老人とかの道に迷いやすい人に対してはスマートタグやスマートトラッカーと呼ばれるスマホと連動する小型のGPSをつけておくと行方不明になったときに発見しやすくなる。靴を履かずに外出する人はほとんどいないので、靴にGPSをつけるのが有効だろう。小学生にはGPS内臓の防犯ブザーをランドセルにつけるとよい。Appleの紛失防止タグのAirTagはGPSは内蔵していなくて通信できない環境だと位置情報が更新されないけれど、一定距離以上離れると通知する機能や音を鳴らす機能があるので、子供の持ち物にAirTagをつけておくと観光地やショッピングモールとかの人混みで子供が迷子になったり誘拐されたりするのを防ぎやすくなる。2019年には山梨県のキャンプ場で7歳の女児が行方不明になって1700人で捜索しても見つからなくて、2022年にボランティアによって人骨が発見されて死亡が確定した。こういう捜索範囲が広すぎて見つからないケースだとGPSがあればおおよその位置を絞り込みやすくなって早く発見できたと思われる。・監視カメラを使う自宅に監視カメラをつけたり車に動体検知機能付きのドライブレコーダーをつけたりすると、行方不明になる前の足取りがわかりやすくなる。例えば何時にどっち方面に向かったかがわかるだけでも捜索の範囲を絞ることができて発見しやすくなる。・カラフルな服を着る行方不明になった人が特徴が分かりやすい服を着ていると情報提供が集まりやすくなる。例えば茶色の服を着た老人が散歩から帰ってこなくて行方不明になったときに役所がスピーカーでアナウンスしても似たような服装の老人がわんさかいて誰が捜索されているのかよくわからないけれど、ショッキングピンクの服を着た老人が行方不明になったら遠くからでもわかりやすいので目撃情報を集めやすくなる。保育園で外出時に蛍光色の黄色や緑やピンクとかのカラフルな帽子をつけているのも一目で園児を見つけやすくするための工夫だろう。救命胴衣や登山用のジャケットもオレンジとかの派手な色のほうが遭難の際に見つけやすくなるので、アウトドアではおしゃれさよりも実用性を重視して派手な服を着るほうがよい。・子供に音が鳴るものを身に付けさせる子供は防犯ブザーを身に付けていると誘拐とかの犯罪の被害にあったときに音を出して周囲の注目を集めて犯人に犯行を諦めさせたり周囲の大人に救助されやすくなったりする。小型のホイッスルをキーホルダーにつけておくのも便利で、SOSのモールス信号のピピピ、ピーピーピー、ピピピというパターンを繰り返すと助けてーと叫ぶよりも遠くまで音が届くし声を枯らさずに長時間音を出し続けることができるので、登山中に遭難したり地震で瓦礫に埋もれたりした時に見つけやすくなって生存確率が上がる。幼児には歩くとピコピコ音が鳴る靴を履かせると親元を離れそうになったときに気付きやすくなる。・名札を付ける認知症の老人が行方不明になって住んでいる自治体とは違う自治体で保護されると身元の判明に時間がかかるので、自分の名前や住所を言えないような幼児や認知症の老人の服に名札をつけて名前と連絡先を書いておくと、もし道に迷って保護された場合に連絡が取りやすくなる。・SOSのハンドサインを覚える手のひらを相手に向けて親指を曲げてから残りの指4本で親指を包むのがシグナル・フォー・ヘルプという国際的に使われているハンドサインで、例えば誰かに付きまとわれたり脅迫されてどこかに連れていかれていたりして身の危険を感じているときに、犯人に気づかれないように声を出さずに他者に助けを求めるときに犯人の死角からハンドサインを送ると助けてもらいやすくなる。男女が揉めているときは第三者から見たら恋人同士の痴話げんかなのか性犯罪目的の危ない人に付きまとわれているのかよくわからないので、はっきりと助けを求めるのが大事である。・発展途上国に行かないカンボジアでオンライン詐欺をしていたプリンスグループの会長の陳志が逮捕されて中国に移送されたけれど、これで終わりではなくて東南アジアで詐欺は相変わらず行われている。世間知らずな癖に行動力がある若者が高額の出稼ぎの偽求人に騙されやすくて、「月収80万円の“夢”が地獄の入り口に 消息不明者も?? カンボジア特殊詐欺の闇に迫る」という記事によると日本政府は外国で行方不明になった人の統計を出していないようだけれど、福岡県警によると福岡県で約10人の男性がカンボジアに入国後に行方不明になったそうで、日本人も少なくない人数が誘拐・監禁されたと思われる。高度技能や語学力がない若者が単身で外国に行って楽に高級を稼げる仕事なんかないし、そもそも発展途上国に行かなければ反社会的勢力に拉致されて行方不明になることもない。・子供と話をする近年は子供の自殺が増えていて新学期が始まる頃に自殺が多いようだけれど、親が子供の悩みを聞いて相談に乗ると自殺を防ぎやすくなる。親が子供の交友関係やよく行く場所を把握していると、家出した時に居場所を見つけやすくなる。子供に恋人ができる年齢になったら家出して恋人の家にいることもあるので、親に紹介できないような奴とは付き合うなとか言って恋人の連絡先も聞いておくほうがよい。子供でなく親に原因がある場合もあって、親が育児放棄をしていると子供が家に居場所がなくて家に帰らなくなって盛り場にたむろするようになるし、逆に親が過干渉だと子供のストレスになって家出の原因になるので、子供にちゃんと向き合うのがよい。親は成人した子供とも定期的に連絡をとるべきで、子供が発展途上国に出稼ぎに行くつもりだと話していたら親がそれは詐欺だと言って全力で止めれば誘拐・監禁されるのを防げる。・不審者情報や危険な場所の情報を共有する近所で起きた犯罪や不審者の情報をチェックして、街灯が少なくて暗くて危ない場所や不良のたまり場とかを警戒しておくと犯罪の被害に遭いにくくなる。深夜に外出しないとか知らない人の車に乗らないとかの基本的な防犯意識も子供に教えておくべきである。熊が出る地域は熊が目撃された付近の藪とかに近づかないようにしたり、熊スプレーを携帯したりするとよい。
2026.04.15
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最近は国会議事堂付近で反戦デモが起きたり、アメリカではトランプのイラン攻撃を批判するNO KINGSデモが起きたりしているので、徒然なるままに戦争反対について考えることにした。●戦争とは何か戦争(war)とは政治的目的のために主権国家間で武力を行使し合う状態である。冷戦ではアメリカとソ連は直接は戦争しなかったものの、朝鮮戦争やベトナム戦争のように共産主義陣営と自由主義陣営の代理戦争が行われたので、冷戦も戦争といえる。紛争(conflict)は戦争よりも広義の闘争状態で、無政府状態での勢力争いや民族の独立を掲げる反政府勢力との戦争とかの非国家間の戦闘は紛争と呼ばれる。日本では宣戦布告をしていないものは紛争扱いしているけれど、フォークランド紛争が国によっては戦争として扱われているように、国によって戦争と紛争の認識が異なる。・戦争に関する国際法19世紀まで戦争は国際的に禁止されていなくて戦争をやりまくりで、これじゃいかんということで1864年にジュネーヴ条約が締結されて傷病者や捕虜を人道的に扱って戦闘員と民間人を区別することにして、1899年にハーグ陸戦条約(ハーグ法)が締結されて戦争の開始前に宣戦布告を義務付けたり化学兵器を禁止したりするルールを作って、国際的に人道的な基準を守って正々堂々と戦争をやることにした。ところがどっこい第一次世界大戦が勃発してドイツがハーグ法で禁止されている塩素ガスやホスゲンやイペリットを使ったり民間人が爆撃されたりしてヨーロッパ中に甚大な被害を出した。これじゃいかんということで1925年にジュネーヴ議定書で改めて毒ガスや細菌などの化学兵器の使用を禁止して、1928年にパリ不戦条約ができて国際紛争を解決する手段として戦争を放棄して平和的手段で解決することを規定して63か国が批准して戦争を違法化する流れになった。ところがどっこい不戦条約でヨーロッパが束の間の平和でのんびりしている間にドイツが軍備を整えて1939年にポーランドに侵攻して第二次世界大戦が起きて世界中に甚大な被害をだして、アメリカは日本に毒よりも凶悪な核兵器を使って民間人を虐殺した。これじゃいかんということで1945年に国際連合が設立されて、国連憲章2条4項で武力不行使原則が定められて慣習国際法として確立された。ところがどっこいロシアがウクライナに侵攻して捕虜や民間人を拷問したり虐殺したりするし、アメリカがイランに核を持たせたくないと宣戦布告をせずに奇襲攻撃で最高指導者を殺害するし、国連安保理常任理事国の軍事大国が国際法を守らない事態になっている。これじゃいかんのだけれど、核兵器を持っている軍事大国を制御できる国がなくて国連が機能していないのでどうしようもない事態になっている。●なぜ戦争をしたいのか・儲けるため古代の戦争では勝った側は負けた側の処遇を好きに決めることができて、奴隷の労働力が増えたり美女を妻にしたり財産を略奪したりして豊かになるので、犠牲を出してでも戦争をすることにメリットがあった。古代ギリシアも古代ローマも戦争で奴隷を獲得することで畑仕事とかの肉体労働をせずに生活できる哲学者や芸術家とかの職業が成立して文明を発展させてきた。大型船の建造技術ができて外洋に出るようになると他の大陸を侵略するようになって、帝国主義時代にはアフリカやアジアや南米がヨーロッパ各国の植民地になって、現地人はプランテーションの労働力として搾取された。近代はロシア帝国が貿易のための不凍港を求めて南下して満州と朝鮮を支配したい大日本帝国と対立して日露戦争が起きたり、イラクが石油資源を狙ってクウェートに侵攻してアメリカが主体の多国籍軍を派遣して湾岸戦争が起きた。現代では侵略して領土を直接奪ったり敵国の国民を奴隷にしたりすると国際的に批判されるし、民主制の国だと大義がない戦争で自国の兵士が死ぬと政権の支持率が落ちるので、傀儡政権を作って資源の利権を得るとか、派兵せずに武器を売って儲けるとか、インサイダー取引で攻撃前や停戦前に先物や為替に注文を仕込むとかで間接的に利益を出すやり方で戦争をしている。・領土を奪われたくない庶民でさえ隣の家との境界線で争うのだから、国家も領土や国境や領海をめぐって揉めている。お互いの国境の主張が食い違って交渉で解決しない場合は実力行使で占領しようとしたり反撃したりして戦争が起きる。アゼルバイジャンとアルメニアはナゴルノ・カラバフ自治州がどちらの国に帰属するかで長年揉めていて、1988年にナゴルノ・カラバフ戦争が起きて、1991年のソ連崩壊後にナゴルノ・カラバフはアルツァフ共和国として独立したものの、2023年にアゼルバイジャンがアルツァフ共和国を攻撃してアゼルバイジャン領になった。・脅威を取り除いて防衛力を高めるためロシアのウクライナ侵攻はNATOが拡大しないという約束が破られてウクライナがNATOに加盟しようとしたのが原因となって、ウクライナのロシア系住民を守るという名目でロシアは正当防衛を主張している。ロシアはNATOがロシアを敵視していずれ攻撃してくるとみなして身構えていて、ロシアの目論見では短期決戦で降伏させてベラルーシみたいな親露政権を作って西側との緩衝地帯にするつもりだったようだけれど、予想外にウクライナが粘って戦争が長期化して目論見が外れている。アメリカは2001年にアルカイダによる同時多発テロが起きたことをうけてアフガニスタンを攻撃してビン・ラディンを殺害して、アメリカでさらなるテロが起きないように組織ごと壊滅させた。アメリカがイラクやイランを攻撃するのもアメリカを敵視する国に核兵器を持たせないことで自国の安全性を高めるためである。敵が勢力を拡大する前に潰すという考え方は軍事的な戦略としては効率が良いやり方だけれど他国の同意は得にくくて、ヨーロッパ諸国はアメリカとイスラエルのイラン攻撃には批判的で、戦闘が終わらなければホルムズ海峡の安全の確保のための派兵はしない方針で、スペインはアメリカを国際法違反だと批判してスペイン国内のアメリカ軍基地の出撃使用を拒否して、イタリアは中東に向かうアメリカの爆撃機のイタリア軍基地への着陸を求められたもののイタリア側に事前の許可申請がなかったため拒否した。・指導者の名誉のため封建主義の時代は強いことは凄いことで、領土を拡大して部下に領地を与える王が尊敬されたので、近隣に戦争を仕掛けた。マケドニアのアレクサンドロス3世は連戦連勝でインド付近まで進軍したけれど、そこまでやるメリットはあまりなくて、後世にアレクサンドロス3世の名前は残ったけれどマケドニア自体は滅亡した。モンゴルは気温が低下して遊牧で生活できなくなったので生き残るためにチンギス・ハンが南下して他の国を攻め滅ぼしたけれど、モンゴル民族が生き残るという目標を達成した後の領土拡大はやる必要はなかったし、侵略で得た領土は結局はほとんど失われている。習近平が台湾の併合を狙うのは実利のためというより中華民族を統一して領土を拡大した実績を残したいようである。・宗教的使命を果たすため宗教を理由にした戦争は度々起きていて、11-14世紀にイスラム教国からの聖地エルサレムの奪還を目的に十字軍を派兵したり、イスラエルはエルサレムは旧約聖書でユダヤ人に与えられた土地だからという理由でイスラム教徒を追い出そうとしてパレスチナを攻撃したりしている。アメリカがイスラエルを支持するのはキリスト教福音派がハルマゲドン(最終戦争)とキリストの再臨に備えて約束の地であるイスラエルの敵を滅ぼしたいからだそうで、この考え方はキリスト教シオニズムと呼ばれている。イスラム教は国として戦争するというよりも原理主義者がイスラム勢力を拡大するために911とかのテロを起こしているし、イランもレバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派とかのテロリストを支援することで間接的にイスラエルに攻撃を仕掛けている。基本的人権には信教の自由があるし、他人の宗教を強制的に変えさせたり経典を改変したりすることができないので宗教に起因する戦争は解決しにくい。狂信者が数千万人いる国を滅ぼして宗教ごと滅亡させるのは不可能なので、何世紀か時間をかけて国際的に批判し続けて孤立させて自発的に変わるように仕向けて世代交代で徐々に世俗化するのを待つくらいしか解決策がなさそうである。ヨーロッパはカトリックからプロテスタントに分派して労働による富の蓄積を認めて商売に励むようになって工業と科学を発展させて聖書の間違いに気付いて世俗化するまで数百年かかった。トルコが宗教よりも実利を取って1924年の建国時に西洋化・近代化してイスラム法を廃止して世俗化して経済を発展させて、サウジアラビアも実利を取って欧米と交流して徐々に世俗化しつつあるように、世俗化して幸せになる国が増えていけばいつかは宗教戦争はなくなるかもしれない。・懲罰のためカンボジア・ベトナム戦争でベトナムがカンボジアに侵攻して、中国が支援していたクメール・ルージュ政権が崩壊したことから中国が懲罰のためにベトナムに侵攻して1979年に中越戦争が起きた。中国はわずか1ヶ月で懲罰完了宣言をして撤退して、鄧小平の権力基盤の強化に戦争が利用された。●なぜ戦争反対が批判されるのか大抵の人は戦争が起きると被害に遭う側なので戦争は嫌である。敵をぶっ殺したくてたまらないという戦闘狂の人はジハードを肯定するイスラム教原理主義者以外はほとんどいないだろうし、正当防衛のためでも殺人をためらう人が多いだろう。しかし戦争に反対する人の中には批判される人もいるし、批判されるのには相応の理由がある。・何も考えていない人がいる「戦争反対」と言うだけで何か良いことを言った気になって、どうすれば戦争を回避できるかを考えていない人がいる。戦争反対といっても侵略に反対するのと自衛のための交戦に反対するのは全く違うし、中立の立場を取るにしても武装中立と非武装中立では全く違うのだから、考えてから意見を言えというツッコミは当然来るし、その先の議論に繋がらないうわべだけの戦争反対を言ったところで意味がない。「虫歯反対」とか「世界中から虫歯がなくなりますように」とか「子供を虫歯にするために産んだわけじゃない」とか言ったところで虫歯がなくなるわけではなくて予防や治療が必要なように、お気持ちの表明は何の役にも立たないから防止策や解決策を考えろという話である。太田光代は「どうして、#戦争反対 と至極当たり前のことを言うことが駄目になったの? それって誰が扇動してるの?」とXに投稿したけれど、戦争反対と言うことが駄目になったわけでもないし、誰かが扇動しているわけでもなくて、発言の中身がないのが駄目なのである。個々の戦争は起きた原因も違うし停戦のための交渉の仕方も違うのだから、漠然と戦争反対と言ったところで聞くに値する意見になっていない。小学生の平和啓発ポスターじゃないのだから戦争反対のスローガンを言うだけで終わるのでなくて、なぜ戦争が起きているのかを分析して、どうしたら戦争を止められるのかを考えるべきである。・侵略を肯定する人がいる日本がアメリカの戦争に加担せずに中立でいるにしても、スイスのように武装中立なのと、バチカンのように非武装中立なのではまったく意味が異なる。自国が侵略されたときに抵抗すれば戦争になるし、抵抗しないで降伏すれば占領されたり不利な条約を結ばされたり傀儡政権を作られて不正選挙が行われて選挙が機能しなくなったりする。スイスは永世中立国だから戦争をしない平和な国なのだと誤解している人が多いけれど、国民全員で国防を担う意識が強い国民皆兵制度の武装中立国で、第二次世界大戦中は領空侵犯したドイツ軍機を撃墜しているように防衛のための攻撃はするし、徴兵制度で21万人の予備役がいて、冷戦下の1969年に「民間防衛」というハンドブックを配っていて、銃の所持率も高くて、家屋には銃眼があって壁は銃弾や大砲の破片が貫通しないように作られていて、他国に侵略された場合の準備は万全にしている。非武装中立だと侵略に抵抗する手段がないので、バチカンのように友好的な国に囲まれた小国とかの特殊な条件でないと非武装では国を守れない。パプアニューギニアは経済力が乏しいので4000人程度しか軍人がいないけれど、オーストラリアと安全保障協定を締結してアメリカとも防衛協力協定を締結して外国に防衛を依存しているように、小さな国でさえなんとか国を守ろうとしているし、同盟国の防衛力に頼れば中立であることは難しくなる。日本はアメリカの同盟国としてアメリカの核の傘に依存している以上はある程度アメリカと協調する必要があるし、非武装中立は非現実的である。日本では左翼が非武装中立論を言っていて、1950年代の日本社会党の政策として自衛隊と日米安全保障条約に反対してきて、1994年に村山富市が「『非武装中立』は政治的役割を終えた」と表明したけれど、どっこいどっこい社民党の福島瑞穂がまた非武装中立論を復活させた。日本の全共闘世代の左翼の反戦運動はこの非武装中立論なので、戦争の抑止力として軍事力を拡大することにも反対して、侵略されたら抵抗せずに降伏すればいいという考え方である。ロシアがウクライナに侵攻した時に橋下徹は戦争が続くと死者が増えるだけだからウクライナは早く降伏しろというような主張して批判されていたけれど、これも同じような考え方である。そもそも国際法を無視して侵略戦争をする国が敵国の人権を守るはずがなくて、降伏したらそれ以上は危害を加えられずに指導者が変わるだけで今までと同じ生活ができるのだと思っている人は平和ボケしている。私は侵略されないようにするには抑止力となる軍事力を持つしかないと思っているので非武装中立には反対である。国連だって平和維持軍がないと紛争地帯で住民の保護ができないのだから、非武装で平和になるなんていうことはありえない。自然界で戦う手段や逃げる手段を持たない弱い生物が淘汰されて絶滅するように、自衛できない国は亡びるだろう。・中立は必ずしも良い事とは限らない中立国は自国が他国に侵略戦争を仕掛けることは防ぐことができるので、日本はスイスみたいに永世中立国になるべきだという人もいる。しかし近隣諸国で戦争が起きて人道上見過ごすことができない虐殺が行われているとき、自分の国は中立だから何もしないでいるのは果たして良い事と言えるのか疑問である。義を見てせざるは勇無きなりと論語で言うように、大義があるならば戦争に加担して早期終結させるほうがよい状況もありうる。それに中立であるからといって侵攻されないわけではないし、中立なら戦争に巻き込まれないと楽観的になって対処が遅れることが防衛面でも弱点になりうる。第二次世界大戦が始まった時にオランダはドイツに好意的で中立だったものの、ドイツが中立のノルウェーとデンマークに侵攻して、オランダは自国に被害が及ぶのが避けられない状況になってから防衛策を考え始めたものの手遅れで、ドイツはオランダをイギリス侵攻の足掛かりにしようとして1940年にロッテルダムを空爆してオランダを占領して、オランダはイギリスで亡命政府を作る羽目になった。中立の条約もあてにならない。1941年に大日本帝国とソ連が日ソ中立条約を締結して相互不可侵を義務付けたものの、1945年にソ連が条約を破棄して日本に宣戦布告したように、中立の約束が破られたら意味がないので中立であることは戦争抑止にならない。武器や弾薬や燃料を調達したり諜報活動をしたりするのも自国だけでやるよりも同盟国と連携する方が効率が良くなるし、NATOのように集団防衛をするほうが侵略への抑止になる。・二重基準で矛盾している左翼は日本が国防予算を増やすと批判するけれど、中国が国防予算を増やして日本やフィリピンの領海を侵犯しても批判しない。日本の国防予算は25年度で8.7兆円で、それに対して中国の2026年度の国防予算は1兆9095億元(約43兆円)で、力の均衡を取るためには日本は国防予算を増やさざるを得ないだろうに、左翼は日本だけを批判して中国が大幅に国防予算を増やして台湾併合の準備を進めても批判しない。日本の左翼は日本を良くするために活動しているのでなくて日本を破壊するために活動している反日左翼なので、左翼が戦争反対と言ったところで中国が日本を侵略しやすくしようとする工作活動としか思えない。BOØWYのドラマーの高橋まことが「日本が射程2000キロのミサイル持ったら相手も同等の軍備をするだろう!?」とXに投稿して批判されたのが典型的で、その理屈だと中国やロシアとかの日本の周辺国は既に日本以上の軍備をしているのだから日本が軍備をしても問題ないことになるだろうに、認知がゆがんでいてデータを無視して矛盾している発言をしている自覚がない。・反戦を政権批判に利用する人がいる3月28日の東京の反戦デモでは「高市やめろ」コールがあったそうだけれど、なんでトランプやネタニヤフやプーチンの批判でなくて高市批判なのか意味が分からない。高市が辞めたところでアメリカの戦争が止まるわけではないし、誰が日本の総理大臣になったところでアメリカの戦争を止める力はないし、もし高市が辞めたとしても次の自民党総裁に高市よりさらにアメリカ寄りの小泉進次郎になったらアメリカの軍事作戦に協力する可能性がある。左翼は政権批判ために反戦をこじつけているように見える。オバマは「核兵器のない世界」の実現への姿勢が評価されて2009年にノーベル平和賞を受賞したけれど、オバマが本当に平和を導いたと言えるのか疑問である。三井物産戦略研究所の「3つの「戦い」を始めたオバマ大統領」という記事だと、オバマ政権は対露協調よりNATOの東方拡大を優先したことがクリミア侵攻を招いたと分析している。その逆でトランプはロシア寄りの交渉で停戦を持ちかけたり、複数の戦争を止めたと主張してノーベル平和賞を欲しがる一方で、イランには核兵器を持たせないように奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカはどこかの政権が火種を撒いて別の政権が火消しに走るというマッチポンプのようなことを長年やっていて、どこかの政権の反戦姿勢を評価したり別の政権が始めた戦争を批判したりしても結局は戦争をやるので意味がなくて、大統領に権限が集中しているアメリカの体制自体を変える必要がある。例えば戦争を始めるにしても国民投票で過半数の支持を得ないと他国を攻撃できないようにするとかして、大統領の独断(あるいは大統領を操る巨大資本家の指令)での奇襲先制攻撃をさせないようにして世論を形成してから宣戦布告する制度にしないとアメリカの国際法違反の暴走を止められないだろう。・反戦デモをオルグに利用する人がいる東京の「オタクによる反戦デモ」に参加した人がスターダストプロモーション所属のM!LKというアイドルグループをジャニーズと勘違いしていたりして、オタクじゃない人がオタクのふりをして反戦デモをしているのがばれて批判されている。フェミニストは今までアニメ絵が好きなオタクをキモイだの女性の性的搾取と言って表現を規制しようとしていたくせに、「オタクによる反戦デモ」ではオタクに擦り寄ってハンドリングして左翼に取り込もうとしていて、過去のXの投稿と発言が矛盾していることが左翼ウォッチャーにばらされている。いままでオタクをヘイトしていた人たちがノーヘイトだの平和だのと言ったところでオタクの賛同者は増えないだろう。・他人の創作物を反戦に利用する人がいる「オタクによる反戦デモ」では仮面ライダーとかの他人の著作物を使ったことが批判されている。オタクが個人として反戦デモをするのは好きにすればいいけれど、自分が著作権を持っていないキャラクターを利用して注目を集めようとするのは著作権の侵害になりうる。ウルトラマンの怪獣に戦争反対のメッセージを持たせたりしてキャラクターに政治的意見を代弁させるのは作品を壊す行為なので、作者がやっても嫌われるし、作者でないオタクならなおさらやってはいけない。
2026.04.02
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最近は同志社国際高校の高校生が沖縄で辺野古基地に反対する左翼活動家の船に乗って、船が転覆して船長と高校生が死亡した事故が起きて批判されているので、この事故や抗議の仕方について考えることにした。●事故の概要京都にあるキリスト教系の私立同志社国際高校の高校2年生が平和学習として3月14日から17日まで3泊4日の研修旅行をしていて、いくつかコースがある中で「辺野古をボートに乗り海から見るコース」で辺野古基地に反対する「ヘリ基地反対協議会」の船2隻に生徒18人を含む21人が乗船(「平和丸」に12人と「不屈」に9人)したところ、午前10時10分ごろに4メートルほどの波のうねりが来て「不屈」が転覆して、救助に向かった「平和丸」も2分後に転覆して全員が海に投げ出されて、30分ほど船体にしがみついて救助を待って、活動家の船を監視していた海上保安庁の船11隻に10-40分後に救助されて、11時に港に戻ったら生徒が一人足りないことが発覚して、他の生徒が救助されてから30分後(事故発生から70分後)に「平和丸」に救命胴衣がひっかかって船内に取り残された生徒が救助された。この事故で「不屈」の船長の金井創牧師(日本基督教団佐敷教会所属)と船内に取り残された女子高校生が死亡して、他の生徒も骨折したり歯が抜けたりして負傷者が出た。事故後の記者会見では学校と左翼活動家のずさんな対応が明らかになった。人を乗せる際には運輸局への船舶登録が必要だけれど、船長はボランティアで人を乗せるから船舶登録は必要ないと思っていたようで船舶登録をしていなかった。学校側は船員3名に5000円づつ計15000円支払っていて、相手に任せっぱなしで船舶登録や保険を確認していなかった。当日は波浪注意報が発表されていたものの船長の判断で出港して、教員が同乗していないことも判明した。学校は保護者には抗議船とは伝えずに「基地反対を唱えている方々が普段乗っている船」として伝えて、保護者からの同意を得ていなかった。●問題点・学校側の問題生徒の安全に配慮していないことが最大の問題である。学校が事前に船や救命具の安全性を確認して船に一度に乗る人数を減らしたり、天候を見て予定を変えて船に乗るのをやめたり、教員が船に同乗して転覆したときに適切に点呼を取れば生徒が全員いないことに早く気づいて死ぬ確率を減らせただろうに、船の安全確認をせずに天候の判断も船長に任せたうえに教員が船に乗らなかったことで、悪条件がいくつも重なって事故が起こるべくして起きたと言える。学校が保護者の同意を得ていないことも問題である。小型船は波の影響を受けやすいうえに片側に重心が傾くと転覆するので素人を大勢乗せるのには向いていないし、海は波が高いと息継ぎするだけでも大変なのでライフジャケットがあっても泳げない人にとってリスクが高い。京都の人は普段あまり船に乗らないだろうから学校が旅行で手配する船として椅子や手すりがついた安全な中型の遊覧船みたいなのを想像するだろうし、「基地反対を唱えている方々が普段乗っている船」が転覆する危険がある小型船だと事前に知っていたらこのコースに反対する親もいたかもしれない。それにもし左翼系の新聞とかに反基地活動を取り上げられて身元が割れてデジタルタトゥーとしてインターネットに残る可能性もあるし、反基地活動のために制限区域に接近すると逮捕されて前科がつく可能性もあるし、大学の推薦入試や就職に影響するリスクもある。リスクがある行為については保護者の同意を得る必要があるだろうし、保護者が知らされていないリスクが原因で子供が被害に遭うのでは納得できないだろう。学校がヘリ基地反対協議会の事業登録を確認していないのも問題である。未登録の違法な事業者と契約するのは法人としてガバナンスができていない。契約書があるのか口約束なのか不明だけれど、事業登録を確認していないくらいだからまともな契約書がない可能性があるし、事故の際の免責事項とかの取り決めができていない可能性がある。学校が事態を正確に説明していないのも問題である。報道部への配布資料だと引率した教職員も海に投げ出されたと書いてあるそうだけれど、記者に指摘されて校長は教員は船に乗っていなかったと訂正した。教員が船に乗っていたか否かなんて普通なら教員や生徒に聞けばすぐわかるので間違えようがないだろうに、単純な事実さえ間違っていると不信感が増して隠蔽しようとする意図があるのじゃないかと勘繰られることになる。平和学習の内容も問題である。同志社国際高校は開校以来毎年3月に高校2年生が沖縄に研修旅行に行ってガマの状況の追体験をしたりひめゆり学徒隊の証言を聞いたりしていたそうで、そのコースは平和学習としてわかるけれど、反基地左翼活動家の船に乗って危険を冒してまで辺野古の制限区域に行くコースは一般的な平和学習の域を超えていて平和学習に何の関係があるのかわからないし、平和について学習しているというより左翼団体の構成員を増やすためにオルグしているように見える。ホテルに宿泊せずに左翼活動家の民宿に宿泊するのもオルグしているように見える。同志社が共産党の同志を育成する学校だと理解したうえで入学して保護者がその学習内容で同意してエリート左翼活動家を育成するつもりなら別にいいけれど、保護者が同意していない辺野古基地反対の政治活動に未成年を参加させるのはよくない。宗教二世が未成年のうちから親の宗教を強制されて虐待されるように、未成年に偏向した政治観を植え付けて左翼活動家のインターンみたいな政治活動を体験させるのも虐待じゃないかと思う。文部科学省が修学旅行などの特別活動の在り方で多角的視点が確保されているかの検証を始めたけれど、もし共産党員の辺野古の抗議船に乗ることや共産党員の民宿に泊まることが共産党を支持するための政治活動とみなされれば教育基本法第14条の「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」に違反するし、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法の「特定の政党を支持させる等の教育の教唆及びせん動の禁止」にも違反する。・ヘリ基地反対協議会側の問題船長が事業登録をしていないことが問題である。2022年の知床半島の沈没事故で海上運送法が改正されて登録制になって、他人の要望に応じて人を運ぶ場合は小型の非旅客船でも内航一般不定期航路事業に該当して、国への登録と旅客1人当たり5000万円以上の保険加入が義務付けられているけれど、船長はボランティアだから事業登録しなくてもよいと思っていたようである。事業登録をせずに15000円をもらって高校生を乗せるのは違法な業務として見なされる可能性があるし、事業収入として確定申告していなければ脱税と見なされる可能性もある。「不屈」が転覆した後の「平和丸」の対応も問題である。「不屈」の最大搭載人員は10人、「平和丸」の最大搭載人員は13人で、最大搭載人員のぎりぎりの人数で乗っていたのでそもそも「平和丸」に「不屈」の乗員を助ける余力がなくて、海に投げ出された人を船に引き上げることができたとしても最大搭載人員の二倍近い人数を乗せたら沈没するリスクが増す。「平和丸」の乗組員が「引き返すべきだった。すごく後悔しています。今だったら、気持ちをこらえて、すぐに海上保安庁の方に助けを呼びに行く選択をすると思う」と語っているように、判断ミスで生徒が死亡している。2隻に最大搭載人員のぎりぎりの21人が乗るのでなく、例えば3隻に7人づつ乗るやり方なら船のバランスがとりやすくなったり、もし1隻が転覆しても救助しやすくなったりしたかもしれないし、そういうリスクヘッジができていない。・保険や賠償の問題誰が事故の責任をとって被害者に補償するのかも問題である。旅行代理店の東武トップツアーズはホテルから港の送迎までを担当しただけで、直接関与していないので補償の対象外だとしている。となると船長と学校のどちらかまたは両方が責任を取ることになりそうである。・辺野古基地の問題そもそも辺野古基地移転は妥当なのか、反対運動は妥当なのかという問題がある。1945年にアメリカに沖縄が占領されると本土決戦に備えて土地が強制摂取されて宜野湾市の普天間に米軍の滑走路が建設されて、終戦後も朝鮮戦争が勃発して沖縄の戦略的価値が高い事から基地の恒久化を目的とした建設が続いてきて、普天間飛行場が市街地にあるのに飛行機墜落事故が度々起きて危険なうえに米兵による犯罪も起きていたので沖縄県民が普天間飛行場の返還を求めてきて、移設を前提にして1996年に日米で普天間飛行場の返還に合意(SACO合意)して、代替地として既にキャンプ・シュワブがある名護市の辺野古沿岸部を埋め立てて滑走路を建設することになって、2013年に沖縄県の仲井真知事が埋め立て申請を承認した。しかし軟弱な地盤があることやジュゴンの生息域や珊瑚の環境破壊が問題視されて抗議活動が行われている。私は危険な普天間飛行場を返還して他の場所に飛行場を移設することは妥当だと思うし、現在の憲法では自衛隊が違憲で核兵器もなくてアメリカの軍事力や核の傘に防衛を依存しているのでアメリカにとって戦略的価値がある沖縄に米軍基地があるのも妥当だと思う。辺野古基地建設に反対する人はどうなれば納得するのか。普天間も嫌じゃ、辺野古も嫌じゃ、憲法改正で自衛隊を合憲にするのも嫌じゃ、自衛隊の防衛予算が増えるのも嫌じゃ、日本が核兵器を持つのも嫌じゃ、という感じで左翼の人たちは嫌じゃ嫌じゃと言うばかりでどうやって日本を防衛するつもりなのかわからないので、私は辺野古の抗議活動を支持しない。「辺野古基金」は総額8億円の寄付金を集めて年間1500-2500万円くらいの費用を使って辺野古基地反対の活動をしていて、「ヘリ基地反対協議会」も寄付金で運営しているようで、関西生コンのロゴが入ったボートが活動家に提供されていたように地元住民だけでなく日本中の左翼が辺野古の抗議活動を支援している。まだ議論の段階なら反対運動をするのはわかるけれど、既に沖縄県が埋め立てを承認した後で海に出て埋め立てを妨害する活動をして作業を数十分遅らせたりしたところで政策が変わるわけではないだろうし、暇な年寄り(いわゆるプロ市民)が手当を目当てに無駄な活動をしているように見える。●効果的な抗議のやり方この世界が自分の思い通りになるなんてことは独裁者でもありえないし、自分と意見が違う人が大勢いて自分が支持しない政策が行われている中で誰でも何かしらの不満を持ちながら生活をしている。どんな政策もやる必要があると政治家が判断したから予算をかけて執行されているけれど、だからといってやりっぱなしではだめで、政治家が判断を間違ったり腐敗して私服を肥やしていることもあるので検証や批判も必要である。不満が大きくて放っておけないほどの問題に対してはわざわざ時間を割いて抗議活動をするけれど、抗議活動をするにしても誰に何をどうやって伝えるのかが大事である。「誰に」の部分では、状況を変える権限がある責任者に対して抗議しないと効果がない。左翼はしばしば自衛隊員や辺野古の工事現場で仕事をしている人に対して抗議活動をしているけれど、権限を持たない人に抗議したところで現場担当者は上司の指示に従って作業するだけなので抗議の成果が出ないし、地域住民への支持が広がらないので選挙で政策が変わることもない。地元の政治家に陳情して議会で質問してもらったり、上場企業の株主総会に出席して経営陣に直接意見を言ったりして、責任者に意見を届けることが不満の改善につながる。「何を」の部分では、理性的に納得できて感情的に共感できるような、理性と感情の両方に訴えかける内容を抗議しないと他人を説得できないし賛同者が増えない。左翼はしばしば「〇〇反対」「〇〇やめろ」と感情的なシュプレヒコールを上げるだけで主張のロジックがないので、とりあえず左翼の話も聞いてみようという人がいてもロジックに納得できないので支持が広がらない。どこを抗議の焦点にするかも大事で、例えば100点満点のテストで80点を取った人に対して、20点も間違っているなんて馬鹿だと欠点だけを見て白黒思考で感情的に敵視して全否定するのはフェアではなくて、その抗議はおかしいんじゃないの、ごく一部のおセンシティブな方々が騒いでるだけなんじゃないの、と思われてしまうと支持が広がらない。瑕疵があるにしても、故意や怠慢での失敗なのか、不可抗力での失敗なのかでも評価が変わってくるし、20点の重大な失敗が1個あるのか、1点の些細な失敗が20個あるのかでも評価が変わってくる。辺野古の埋め立てに反対なら漠然と反対するのでなくて、どこに問題があるから反対なのかという焦点を定めないと議論が深まらないし他人の意見や政策を変えることはできない。「どうやって」の部分では、責任者に直接抗議を伝えるやり方や、なるべく大勢の人に興味を持ってもらうやり方が効果的である。例えば大勢の署名を集めて首長に届けると、何万人の市民が政策に反対しているという状況を可視化することができて、相手が署名の受け取り拒否をしたらそれはそれで責める理由ができてさらなる抗議活動につなげることができる。例えば福岡県朝倉市では入居者の8割が外国人(中国人と台湾人)のマンションの建設が計画されたものの、反対する5万人の署名が集まって結局計画が白紙になった。朝倉市の人口は47677人なので市外の署名もあるのだろうけれど反対意見が可視化されて、朝倉市長選でも反対を明言した新人市長が現職を破って当選したように、署名で大勢の民意が明確になると政治家も市民が求めているボトムアップの政策をやりやすくなる。デモは首都とかの人が多い所で数千人を動員できればニュースで報道されて他の人の目にとまって興味をもってもらいやすくなって、例えば2025年9月のロンドンで10万人以上が参加した不法入国した難民申請者に反対するデモは世界的なニュースになった。左翼はしばしば基地の周辺で少人数でデモや座り込みをしているけれど、田舎で少人数でデモをしてもその場に居合わせた人にしか伝わらないし、他の地域に住んでいる人は興味を持たなくて支持が広がらないので抗議活動の効果が薄い。それに辺野古の抗議活動でダンプの前に飛び出た女性を止めようとして警備員が死亡した事故が起きたように、業務妨害のようなやり方で強行に相手の活動を止めようとするのは違法だし、誰かに迷惑をかけるやり方では一時的な注目を集めることはできても反感を持たれて支持者が増えない。ヨーロッパの環境保護活動家が美術館で絵画にペンキをかけたり道路に座り込んで車を止めたりしているけれど、その抗議で政策が変わることはなくて理想のために抗議するヒロイックな自分像に酔っているにすぎない。左翼の衰退について考えるという記事でも考えたけれど、左翼の抗議のやり方では建設的な議論にならないので支持者が増えないし、そのことを左翼自身が自覚していない。ひろゆきが座り込み抗議を揶揄していたように、効果がない抗議活動を惰性で長く続けたところで政策が変わるわけではないので、効果的に抗議ができるようにやり方を変える方がよい。グレアムの反論のヒエラルキーが良く出来ているのでそのまま使うと、左翼の抗議活動はたいてい罵倒レベルである。高市早苗をバカ市と呼んだり、容姿や病気を揶揄したり、高市欝とかの造語を作ったりするのが典型的で、幼稚で感情的な罵詈雑言を言うだけで政策論を言わないので、政策のアンチテーゼになっていなくて折衷案のジンテーゼに導くこともできなくて、やかましいだけで中身がない負け犬の遠吠えになっている。言語能力が低い幼児がお前なんか嫌いだバーカ死ねと言うのは仕方がないけれど、大人がそのレベルの罵詈雑言を言うのは自分は分別がない幼稚な馬鹿だと自己紹介しているようなもので、下品な発言すればするほど蔑まれてこの人の話はまともに聞く価値がないとみなされるので黙っているほうがましである。ところが左翼はエコーチェンバーを起こして罵詈雑言に乗っかる人だらけで、諫める人がいても敵視して先鋭化して、まともな人は愛想をつかして去っていくので、ますそこから改めるべきである。感情的に嫌いだから反対するという単純否定以下のレベルの抗議は言うだけ無駄なので、反論提示以上のレベルに論旨をまとめて論理武装してから抗議活動をするべきである。論理的に反論できないからといって違法に政策を妨害したり政治家に危害を加えたり誹謗中傷したりするのは民主制の法治国家では容認できない。・フィクションとしての抗議フィクションこそ最高の抗議の形だと私は思う。物語形式にすることで問題点がわかりやすくなって、見た人が登場人物に感情移入することで作者の論点に賛同しやすくなって、コンテンツとして流通することで長期間価値を保って口コミで伝播しやすくて、小説なら個人で創作できてあまり経費がかからないうえに利益がでるので活動を持続できる。大きな問題に対しては個人が直接政治家や経営者とかに訴えて相手の政策や計画を変えようとしても無視されがちだけれど、フィクションにして抽象度を上げて賛同者を増やすことで責任者に意見が届きやすくなる。例えば小説家のバルビュスは第一次世界大戦に志願して従軍して、小説『クラルテ』を発表して国際的な反戦平和運動の「クラルテ」を結成して、小林多喜二も同人雑誌『クラルテ』を創刊して日本の反戦運動にも影響を与えた。『脳外科医竹田くん』は赤穂市民病院で起きた手術ミスをフィクションの体裁で無料のウェブ漫画形式にすることで大勢の人に興味を持ってもらって問題点を共有することができて、下手な外科医をかばう赤穂市民病院が批判されることになった。フィクションの影響力が大きいからこそ全体主義国家では検閲して表現の自由を規制しようとしたり、プロパガンダのための戦意高揚映画を作ったりするわけで、表現の自由がある国でフィクションを使わない手はない。フィクションの創作には技術や才能が必要なので誰でもできるわけではないけれど、良いフィクションができた場合のメリットが大きいので、社会を良くするためにクリエイターの育成や支援をやるべきである。
2026.03.21
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最近はイスラエルとアメリカがイランを攻撃して原油価格が乱高下して大変なので、イランについて考えることにした。●イランはどんな国なのか・イランの歴史紀元前3000年ごろに原エラム時代に歴史が始まって、紀元前550年にキュロス大王がメディア王国を滅ぼしてペルシアを征服してペルシア帝国を建設して、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がダキアからインドまで領土を拡大して王の道と呼ばれる道路網や駅伝制を整備して統治基盤を整えて発展したものの、紀元前330年にアレクサンドロス大王率いるギリシャ遠征軍によって滅ぼされる。紀元前247年にハカーマニシュ朝のペルシア帝国を受け継ぐパルティアが成立するものの王位継承を巡る内乱で224年に滅亡して、226年に新たに勃興したサーサーン朝に取って代わられた。東ローマ帝国との紛争で国力が低下する中でアラビア半島のイスラム勢力との闘いに敗北して651年に最後の皇帝ヤズデギルド3世が死去して滅亡してイスラム化する。1220年にモンゴル帝国に征服されて、モンゴル帝国がイスラム化したフレグ・ウルス(イル・ハン国)が1353年に滅亡した後はティムール朝の支配下に置かれる。1501年にサファヴィー教団の教主であったイスマーイール1世がサファヴィー朝を開いて、第5代皇帝アッバース1世のときに最盛期になって東インド会社と貿易協定を結んで軍備を近代化するもののアッバース1世の死後に弱体化して1736年に滅亡する。1796年にテュルク系ガージャール族のアーガー・モハンマドが樹立したガージャール朝の時代にはイギリスやロシアの草刈り場になって、ロシア・ペルシア戦争で敗北して領地を割譲して不平等条約が締結されて、第一次世界大戦後にはイギリスが英国・イラン協定でイランを保護国化しようとしたらイラン国民がガーシャール朝に反発して、1926年にレザー・ハーンが皇帝レザー・パフラヴィーに即位してパフラヴィー朝が成立した。1951年にモサッデグ首相がイギリス系の石油会社を国有化しようとしたらアメリカとイギリスが国有化がソビエトに利するものとして警戒して反体制派のクーデターを支援して1953年に首相を追放したので、パフラヴィー朝のシャー(皇帝)のパフラヴィー2世がアメリカの傀儡政権として復権して白色革命で西洋化して経済成長するものの、格差の拡大と政治的腐敗で反政府デモが起きるようになってホメイニ師が台頭した。1979年にイラン・イスラム革命が起きるとパフラヴィー朝の帝政が終わって反米の宗教国家になって、ホメイニ師が最高指導者になって反イスラエルのヒズボラやハマスと協力するようになる。1989年にホメイニ師が死去すると大統領だったハメネイ師が最高指導者になって47年間最高指導者を続けたものの、2026年にアメリカとイスラエルの攻撃で殺害された。・イランの人口イランは2024年に人口が9156万人いて、1950年の人口が1651万人だったのが1979年の革命後に急激に人口が増加して70年で6倍くらいになって、革命後に生まれた世代が人口の過半数を占めている。オーストラリアの2018年の「DFAT COUNTRY INFORMATION REPORT IRAN」を法務省入国管理局が翻訳した「DFAT 国別情報報告書」に詳しいことが書いてあるけれど、2018年時点では8200万人の人口のうちペルシャ人が人口の60%で、アゼリー人(北西部のアゼルバイジャン側の地域、民族的にはアゼルバイジャン人と同じだけれどアゼルバイジャンの人口より多い)、イラン系クルド人、イラク系クルド人(Faili)、ロル族(Lurs、南西部の山地の遊牧民)、アラブ人(南西部のフーゼスターン州)、バルーチ人(パキスタン、アフガニスタン側のスィースターン・バルーチェスターン州の遊牧民)がいて、アフガニスタン難民も300万人ほどいて、多民族多言語の国家である。民族の多様性が政情不安にもつながっていて、公安調査庁の地域別テロ情勢によるとアラブ人武装組織のアフワーズ解放機構(ALO)が資源関連のインフラ施設にテロを起こして、クルド人は分離独立主義の傾向があってクルド人武装組織のペジャーク(PJAK)がイラン治安当局にテロを起こして、スンニ派のバルーチ人武装組織ジュンダラ、ハラカト・アンサール・イラン(HAI)やジャイシュ・アル・アドル(JAA)がイスラム革命防衛隊やシーア派を標的にしたテロを起こしている。・イランの宗教憲法第13条はイランで公認されている非イスラム教徒の信仰はゾロアスター教、ユダヤ教及びキリスト教のみであると定めていて、イスラム教シーア派が大多数だけれど、スンニ派のアラブ人やバルーチ人もいるし、ヤルサン教やバハイ教などのマイナーな宗教の信徒もいる。スンニ派はイスラム教の教義を理解した人を預言者ムハンマドの後継者と認める考え方で、シーア派はムハンマドの血族を後継者と考えて血統を重視する考え方である。ヤルサン教(Yarsanism)は14世紀にできた宗教でスーフィズムの影響を受けているシーア派イスラム教の一種で、タンブールという弦楽器を神聖視していて集団で楽器を演奏していて、男性は髭を聖なる象徴としていて生涯髭を剃らないで伸ばすので外見で見分けやすくて差別されているようである。バハイ教は1844年にバハオラによって創始された新興宗教で、モーセ、アブラハム、釈迦、クリシュナ、イエス・キリスト、ムハンマドなどが同じ神から遣わされた顕示者であるととらえて「世界は一つの国であり、人類はその市民である」という考え方をして、イランでは背教として弾圧されていて、1991に文化革命最高評議会がバハイ教はイスラムの教義と相反していると結論付ける決定書を発行したことで、バハイ教徒は公的部門の職を解雇されて、銀行口座が凍結されて、大学に進学できない。ゾロアスター教はペルシャ帝国時代に支配的だったものの、アラブ系イスラム教徒がペルシャを征服した後に衰退して多数のゾロアスター教徒がイスラム教に改宗するかインドに向かったそうで、イランでは多神教崇拝をからかわれるので信仰を隠している人が多いそうである。イランではイラン人にキリスト教の説教をしないように監視されていて、秘密裏に活動する未公認のキリスト教のハウス・チャーチ(家の教会)があってイランから逃亡したインターネット牧師がオンラインで説教していて、イラン当局はシオニスト宣伝機関として取り締まっている。刑罰もシャリーア原則に沿っているので名誉殺人(婚外性交、見合い結婚の拒絶、家族の承認を得ずに自らの配偶者を選択する行為、強カンの被害者となること、同性愛行為に対する家族による殺人)が犯罪でなくて、処罰を受けないか短期間の刑で済むようになっている。同性愛行為は鞭打ち刑や死刑になって、レズよりもホモのほうが刑が重い。憲法第144条は、軍はイスラム的でなければならず、イスラムの理想に全身全霊を傾けなければならず、イスラム革命の目標の達成に身を投じる者を募集しなければならない、と規定しているので、少数派の非イスラム教徒がイスラム教徒を監督する権限を持てないようになっている。・イランの経済Global Noteの「世界の名目GDP 国別ランキング・推移(IMF)」によると2024年の名目GDPはドルベースで416676百万ドルで世界39位で、香港やコロンビアや南アフリカと同程度で、フィリピンやベトナムやバングラディシュやマレーシアとかの東南アジアの国よりは少ない。イランは中東の大国というイメージだったけれど、経済規模でみると東南アジア程度であまり豊かではない。貧富の差も大きくて、イランにおける労働力のおよそ半分は非正規雇用の状態なので搾取されやすくて、イラン人のおよそ40パーセントが世界銀行の定義する中程度の貧困ライン(1日当たりUS$3.10未満)を下回って生活しているようである。外務省のイラン基礎データによると、主要産業は石油関連産業で、主な輸出品目は原油、天然ガス、石油などで、主な輸入品目は飼料用トウモロコシ、精米、小麦、大豆などで、農業はあまり盛んでないようである。物価上昇率は2023年に42.50%で、急激な物価高になっている。・イランの文化や芸術イランの憲法は表現、結社、言論、集会及び信教の自由を定めているものの、自由はイスラムや公民権を含む複数の原則に違反してはならないと明記していて、その原則が法律で定義されていなくて当局の裁量次第で何が違法かを恣意的に決められるし、書籍、映画、音楽は公開前に検閲されるので、実質的に自由がないようなものである。日常会話やSNSで政府の批判はできるけれど、何がレッドラインに該当して起訴されるか不明でSNSも頻繁にブロックされるので、規制回避のためにVPNが一般的に使われているようである。衛星装置の利用は違法なので見つかると没収されるけれど、イラン国内には衛星放送受信アンテナが800万本あって最大で総人口の85パーセントが衛星チャンネルにアクセスできるそうで、マジョリティのシーア派イスラム教徒も国営放送だけでは満足できないので違法に外国のコンテンツを視聴するのだろう。レッドラインを超えたジャーナリストは「最高指導者を侮辱した嫌疑」や「イスラムで最も聖なるものを侮辱した嫌疑」などで長期懲役刑になる可能性があって、政権に不都合な事実を言うだけでも侮辱扱いになってまともに裁判が行われずに有罪になる危険があって、NHKのテヘラン支局長も拘束された。表現や言論に規制があるとはいえイランは歴史がある国なので伝統工芸品は優れていて、豪華なペルシャ絨毯は日本への主な輸出品目になっている。西洋音楽は1979年以降は禁止されていて特に女性の歌手や演奏家を呼び物にするコンサートは中止させられるけれどレストランやタクシーや自宅での演奏は行われているようで、伝統音楽は規制がないようで高度に洗練された演奏技術がある。私はイランの音楽がYouTubeのアルゴリズムでおすすめに出てくるのでときどき聞いているけれど、クルド人の音楽一家のKamkarsはバイブスがあってよいし、タンブールを高速フィンガーピッキングするPouriya Raisiは技巧があって面白いと思う。女性に厳しい社会だからこそ女性が自立する必要があって、日本みたいに理系の女子枠を優遇しなくても理系の学問で身を立てる女性もいて、2014年にはマリアム・ミルザハニが数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を女性初受賞している。・イランの政治イランはイスラム法学者が最終的な決定を下す「ベラーヤエ・ファギーフ(法学者による統治)」の原則に基づいて樹立された神政共和国で、イスラム法学者が国家主席でもあって軍最高司令官でもあって、普通直接選挙で選出された86人の聖職者による専門家会議で最高指導者を選出している。大統領は最高指導者に従属していて限定的な権限が与えられていて、「イラン・イスラーム共和国における選挙制度と政党」によると、大統領と国会議員は選挙で選ばれているようである。2016年に内務省は250を超える登録政党がイランに存在すると報告したけれど、他の国と違って政党が政権を掌握することが不可能なので政権掌握を目標に活動していない。女性の活動範囲も限られていて、監督者評議会は2017年大統領選挙の候補者から女性を除外して、2017年の市町村議会の候補者のうち女性は6.3%だったようで、女性は政治的地位を得にくい環境にある。イランの国軍とイスラム革命防衛隊(IRGC)は指揮系統が別で、革命防衛隊は最高指導者の直属でクーデター防止やイスラム体制の維持のための市民の取り締まりをしたりする。民族的少数派もイラン社会に統合されていて政治に参加できるものの、より大きな権利を求める活動がイスラム共和国への脅威になると当局が認識した場合は活動家を逮捕して身体的虐待をしたり、不正な裁判をしたりしている。政治的腐敗や縁故主義も蔓延していて、トランスペアレンシー・インターナショナルが2017年に発表したCorruption Perceptions Indexでは176か国中131位で、サービスや許可を得るために非正規の支払いや賄賂が要求されるそうで、アフマディネジャード前大統領もイラン石油会社から財務省へ13億米ドルを違法に移転したとして2017年に有罪判決を受けている。2009年の大統領選挙で保守派のアフマディネジャードに敗北した野党の改革派のムサビ元首相とカルビ元国会議長は不正選挙を訴えてデモを呼びかけてアラブの春を支持したら裁判なしで数年間自宅軟禁されたように、大統領選挙がちゃんと行われているかどうかも怪しい。●イスラエルとアメリカのイラン攻撃の是非世界中に非人道的な独裁国家は多数あるけれど、それでも主権国家の国内で起きたことに対して武力による現状変更を正当化できない。しかしアメリカは正当化できれば攻撃してもよいと考えたようである。国連は2024年に国際連合安全保障理事会決議2722でイランが支援するイエメンのフーシ派(シーア派の分派であるザイド派イスラム主義を掲げるイエメンの親イラン反政府武装集団)が紅海の商船を攻撃するのをやめるように要求していた。そのうえ2026年1月の反政府デモ隊の市民を虐殺したことで国際的に批判されることになった。The Guardianの「Disappeared bodies, mass burials and ‘30,000 dead’: what is the truth of Iran’s death toll?」という記事によると、死者数はイラン政府の公式発表だと3000人、アメリカの人権団体HRANAの調査だと6000人の死亡が確認されて17000人が調査中で、イラン国外の医者は33000人を見積もっているそうな。アメリカとしては国際法を無視しても批判を軽減できる大義名分ができたので、テロリスト政権による核兵器開発は認めないと言って攻撃を始めた。アメリカは2025年6月にもイランの核施設を空爆したけれど、それだと不十分だと思ってハメネイを殺害して反米政権ごと潰すつもりなのかもしれないけれど、さらに過激な政権ができてしまうと意味がない。イランも報復にアメリカとイギリスの石油タンカー3隻をミサイルで攻撃して機雷を設置して、他の国の石油タンカーもロイズの保険がかけられなくなってもし船が大破したら大損するのでホルムズ海峡を通れなくなった。このイランの反撃はホルムズ海峡の安全確保のためのアメリカの攻撃継続を正当化させることになる悪手で、反撃するにしても軍事関連だけにして民間の商船は攻撃するべきではなかった。ホルムズ海峡が事実上の封鎖になったことで石油価格が上昇して、特にイランから石油を買っている中国への打撃になるので、アメリカは間接的に中国を経済的に攻撃しているといえる。イランが使っている中国製の防空システムもアメリカ相手に役に立たないと判明して、中国は踏んだり蹴ったりである。アメリカはイランを悪として攻撃したけれど、ヤクザが対立する組のヤクザをぶっ殺しても正義の味方とは呼べないようなもので、私はアメリカやイスラエルが正義だとは全く思わない。しかし世界のテロと人権侵害の元凶になっているイスラム主義勢力が縮小していくことは人類にとって良い事だと思う。1991年の悪魔の詩訳者殺人事件ではホメイニがこの本を反イスラム的であるとして死刑のファトワーを発令した後に筑波大学の五十嵐一助教授が殺害されたので犯人はイスラム教徒と見られていて日本人にもイランの被害がでているので、イスラム主義者が移民として日本に来ると日本への脅威にもなる。・武力による現状変更の是非アメリカは国際法に違反して批判されようがアメリカを罰することができる国や組織は存在しないので、軍隊を使ってベネズエラのマドゥロ大統領を逮捕したりイランのハメネイを空爆で殺害したりしてアメリカの利益のためにやりたい放題やっている。日本はロシアのウクライナ侵攻は武力による現状変更は認めないと経済制裁までしたのに、アメリカの武力による現状変更を認めるのでは態度が矛盾する。アメリカのような軍事大国の武力による現状変更を認めると、日本が武力で現状変更されることも認めることになってしまうし、それは日本にとって不利になる。偽旗作戦で人権侵害をでっち上げて侵略戦争を始めることもできてしまって、例えば中国人工作員が沖縄で左翼を殺害して、弾圧されている沖縄人(中国の主張だと日本人ではなく琉球王国が中国の属国という扱い)を保護するという名目で中国が日本に侵攻してくることも起こりうるし、ロシア人工作員が北海道でアイヌを殺害して、弾圧されているアイヌ(ロシアの主張だとロシアの原住民族)を保護するという名目でロシアが日本に侵攻してくることも起こりうる。だもんで日本としてはアメリカが同盟国だからといってイラン攻撃に協力せずに武力による現状変更を認めない立場をとるのが最善である。・イランの人権侵害の問題アメリカのイラン攻撃を批判する人に対してイランの人権はどうでもいいのかと批判する人がいるけれど、アメリカの目的はイランに核兵器を保有させないことなのでアメリカはイラン人の人権を守るつもりはない。核開発をしない穏健派の政権を作ることがアメリカの停戦の落としどころになるし、その政権が人権侵害をしても核兵器の脅威がなければアメリカは放っておくだろう。イスラエルのネタニヤフはパレスチナの非戦闘員を見境なく攻撃した戦争犯罪者として裁かれるべきだけれど、アメリカはそっちの人権侵害は放置してイスラエルと一緒にイランを攻撃することでネタニヤフ政権を延命させているように、アメリカは人権の擁護者ではない。人権侵害に対して他の国はどうするべきかというと、どこかの国で虐殺とかの人権侵害が起きた時は国際連合人権理事会が非難決議をして調査員を派遣して是正勧告をするけれど、人権理事会が中国とかの人権侵害の当事国に牛耳られて機能していないのでトランプ政権では人権理事会を脱退した。というわけで国連は監視や勧告はするけれど国を変えるほどの力はない。どの国も自国の兵士を危険にさらして膨大な戦費をつぎ込んでまで他国の国民を救ってやる義理はない。イランは政教分離していなくて宗教観に基づく人権侵害が起きているので、政治体制を変えて革命防衛隊を解体しないと人権侵害をなくせない。じゃあだれが政治体制を変えるのか。イランは主権国家であって議会がある以上はその国の問題は国民が政治家に投票して自分で解決するべきである。イラン国民の大多数が現状の神政共和国の体制を支持するならその結果として家族や友人を逮捕されたり処刑されたりして苦しもうが1979年の革命でその体制を作り上げたイラン国民の自己責任だし、その現状を変えたいならクーデターや内戦や独立運動をするなりして自分で国を変えればよい。50代以下の若い世代は成人前に革命が起きていてハメネイの独裁に対する責任はないので、命がけで国を変えるほどの愛国心がないなら外国に逃げればよい。400万人以上がイラン国外に住んでいて、サヘル・ローズみたいに日本で活動する人もいる。イランの憲法の第4条は全ての法令がイスラム原則に基づかなければならないと定めているので、ハメネイを殺害しただけでは神政共和国の体制を変えられなくて別の最高指導者が出てきてまたイスラム法の下で女性や異教徒を弾圧するだけなので、イランに自由をもたらすには政教分離の新しい憲法を掲げる新政府を樹立して国軍を掌握してイスラム革命防衛隊を解体して戒律違反の取り締まりをなくすところまでやらないといけない。だもんでイスラエル・アメリカ対イランの戦争だけでなくて、イランの現体制対反体制派の内戦の可能性もあって、CIAがイランのクルド人勢力への武器供与を検討しているというニュースが出てきたように反体制派に武器を供給して内戦になったら戦争は長引くと思う。神政共和国の体制が嫌な国民はクーデターや内戦で違う政権を樹立するしかないのだけれど、反体制派が処刑されてきたのでリーダーとして主導するカリスマがいない状況になっていて、内戦で政権を変えるのも難しそうな感じである。しかしイラン人自身が国を変えるために立ち上がらないのであれば、外国が内政干渉する筋合いはないだろう。人権侵害を改善するために内政干渉するとなると、体制派と反体制派のどっち側につくのかという問題も出てくる。政情不安がある国では体制派にとっては武装した反体制派は国家転覆を目論むテロリストという扱いになるけれど、いくら独裁に問題があるとはいえ反体制派と協力するとテロリストと協力することにもなる。アメリカみたいに工作活動ができる国なら直接戦争をしなくても反体制派に武器を提供して内戦を促して傀儡政権を作って利益誘導するやり方もあるけれど、日本はそのやり方はできないのであまり関わらないのが賢明である。政情不安や内戦はその国の国内の問題なので、内政干渉せずにどちら側の味方もせず、難民キャンプへの人道的支援や戦後復興の支援に留めるのが日本が取りうるスタンスだろう。●自由がない国は衰退するイランの窮状は自由がない社会は発展せずに衰退していくことの証明だと思う。全体主義には6つの特徴があって、全体主義イデオロギー、独裁者が率いる唯一の政党、最大限に発達した秘密警察、マスコミの独占的管理、軍用兵器の独占的管理、経済組織などすべての組織の独占的管理に当てはまるのが全体主義である。イランは保守派と改革派の複数の政党があって経済は民間企業があるので全体主義とはいえないまでも、宗教的カリスマがイスラム法を強制するイデオロギーがあって、秘密警察のように革命防衛隊が取り締まりをしていて、イランでは憲法で民間放送を禁止していて国営のイラン・イスラム共和国放送がテレビとラジオを独占して情報統制していて、全体主義に近い特徴があってだいぶ自由が制限されている。国民の自由を制限する基準が社会主義だろうが宗教だろうが、自分で物事を考える能力がない大衆を制御するのには都合が良くても、本来は国を発展させることができる優秀な人材に自由を与えないと大衆の中に埋没させたり、国を見限って外国に逃げたりする。自由がない体制が長引くほど非合理的な部分がボトルネックになって技術革新とかの状況の変化に対応できなくなって他の自由主義国に比べて産業の発展が遅れて、自由主義国と対立して外資から投資を敬遠されて技術力や生産力の乏しさから物価高になって、政権を維持するために軍事力を増強して国民を弾圧するので物価高が加速して、生活苦に陥った国民が反政府デモやテロを起こしたり少数民族が自治権を求めて独立運動を起こしたりして政情不安になっていく道をたどる。民主制の国なら反体制派が多数派になると選挙で政権が変わって民意が政策に反映されるけれど、全体主義国家や独裁国家だと反体制派を投獄したり処刑したり情報統制したりして問題をなかったことにして、上層部は生活に困っていないので体制を変えようとしなくて独裁が長期化して、生活苦の根本原因が解決されないままになって家族や友人を逮捕されたり殺されたりした人の不満が強まって反体制派が勢力を拡大していく。そんで軍が政治家に不満を持ってクーデターを起こしたり、外国の武器商人が政情不安に付け込んで介入して反体制派に武器を売るようになって内戦が起きたりして体制の転覆が起きる。体制派と反体制派のどっち側が政権をとっても国家は存続できるけれど、内戦が起きるとインフラが破壊されるし、優秀な人材が死ぬし、国民同士で殺し合ったことでわだかまりができるし、外国から戦費を借りたら返済が大変になって国力が落ちるので、内戦はしないで済むならそのほうがよい。合理的に考えれば国民の不満が高まったら自発的に民主化して全体主義や独裁をやめるのが最適解だけれど、権力者は自分の権力を手放したくないので合理的な選択ができずに国民と敵対して悪として殺されることになる。ソビエト連邦は1922年に成立して1988年のペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)で民主化にテコ入れしようとしたもののクーデターが起きて1991年に崩壊したように、70年くらいが近代の全体主義体制の寿命である。ロシアの社会主義化はツァーリの専制政治から近代化に移行するにあたって必然性があって起きたものだろうけれど、当事者世代は満足しても状況が変わった後に生まれた世代はツァーリの専制政治時代を知らないので社会主義体制への不満しかなくて支持しなくなる。イランでも1979年のイラン・イスラム革命は当時のアメリカの傀儡政権の腐敗への不満から起きるべくして起きたのだろうけれど、47年経って革命前の時代を知らない世代が多数派になったのでそろそろ体制が変わる頃合いである。ハメネイが15兆円規模の資産を築いたあげくに次男のモジタバ・ハメネイが最高指導者を世襲したのは正当化できなくて、結局は一族で権力を私物化して腐敗していて革命の意味がなくなって本末転倒である。イスラム教が本当に良い宗教なら他人に強制しなくても自発的に改宗する人が増えるだろうけれど、実態はモテない男性を優位にさせるために女性の抑圧(家内奴隷化)や女児との結婚(人身売買)を正当化するヤリサーのようなシステムで、幸福や真善美とは程遠いし、ハメネイは立派な宗教者として尊敬されるどころかイラン国民に死を喜ばれるような悪の権化になった。神の名のもとに蛮行を正当化する過激派イスラム教徒自身が世界で一番神を冒涜していて、世俗化したイスラム教徒のほうが環境の変化に適応して平和に幸福に生きている。過去に数多の生物が絶滅したように、環境の変化に適応できず生き方を変えられない者には滅亡する未来しかない。中世の戦乱期には女性を囲い込んで子供をわんさか産ませて布教して仲間を増やす仕組みが生存に有利に働いたのだろうけれど、現代では女性と異教徒に不幸をもたらして他国と不要な対立を生む元凶になっている。若い世代は自由主義で発展した外国を見て自由の価値を知っているのでもはや理不尽な全体主義に従おうとしないし、死刑を覚悟でヒジャブを外して禁止された音楽を聴いて踊る女性たちや国歌斉唱を拒否した女子サッカー代表の選手は勇敢である。人間はいつかは死ぬのだと理解した人には死刑は脅しにはならないし、抑圧されて不自由に生きるよりも自由に死ぬことを選んだ人たちを押しとどめることはできない。彼女たちのような勇敢な人たちこそイランの未来を切り開く国の宝だろうに、イラン政府は自ら国の宝を殺してイスラエルやアメリカと際限のない宗教戦争の道を辿ろうとしていて愚かである。日本だと「板垣死すとも自由は死せず」という名言があるように、明治時代の自由民権運動から太平洋戦争の敗戦を経て徐々に女性の権利が改善されて自由主義の国になって豊かになっていった。イランの国民もすぐに自由を得ることはないにしても、いつかイスラム教の呪縛から逃れてもっと良い国になってほしいものである。*「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。」とエラーがでて投稿できなかったので、この場で楽天の言葉狩りに抗議する。強カンの被害者になることのどこが公序良俗に反するのか。三木谷はイスラム教と同様に強カンの被害者を迫害するつもりなのか。これだから楽天はいつまでも3流IT企業なんだよ。
2026.03.13
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最近は小学館のマンガワンという漫画サイトで犯罪を犯した漫画家がペンネームを変えてこっそり連載していたことが発覚して批判されているので、これについて考えることにした。●批判の背景マンガワンで連載していた『堕天作戦』の作者の山本章一(本名栗田和明)は2016年に北海道芸術高等学校札幌でデッサン講師をして16歳の生徒に3年間わいせつ行為をしたり排泄物を食べさせたりして被害者がPTSDや解離性同一性障害を発症して2020年に逮捕されて、わいせつ行為については不同意性交罪導入前で成立要件が厳しいため不起訴となったものの、女性の裸の写真を撮影した件で児童ポルノ法により略式起訴されて30万円の罰金刑を受けて連載休止になった。しかし2022年に一路一にペンネームを変えて『常人仮面』の原作者として連載を始めて、被害者が新連載の中止を希望したものの小学館の編集者が示談交渉に加わって150万円で口止めしようとして、被害者が山本と学校法人に対して1980万円の損害賠償を求めた民事訴訟を起こして2026年2月に判決が出て、被告が和解を主張しても原告が最終的な契約書に署名や押印をしていないことから和解契約は成立していないとみなされて山本に1100万円の賠償命令がされて、判決が報道されたことで事件が明るみになった。弁護士ドットコムニュースの記事によると山本から被害者への謝罪はなかったようである。未成年の未熟さに付け込んで尊厳を踏みにじった山本の行為は批判されて当然だけれど、示談交渉に参加した小学館の編集者の成田卓哉の対応も批判されている。3月5日の週刊文春の「【小学館マンガワン問題】被害女性が全告白「私は“性加害漫画家”と小学館を許せない」《漫画家を直撃すると…》」によると、被害者が「小学館は隠蔽ばかりで本当に許せません」と言っていて、山本だけでなく小学館への怒りも強いようである。しかし3月8日の東京共同法律事務所の「札幌地裁判決について」で被害者は小学館の取締役からの謝罪を受けて「連載を再開する際には読者の方々の為にも体調不良や療養など虚偽の理由を述べずに休載期間について事実に基づいた説明をしてもらいたい」「小学館に対して強い怒りや恨みを持っているわけではないこと、特に、漫画家さんの作品を小学館から引き揚げて欲しいとも思っていないし、多くの漫画家さんの活躍の場であるマンガワンをなくして貰いたいとも思っていない」とコメントしたように、被害者が怒っているのは休載の理由を隠蔽した部分であって、マンガワンをなくすことは望んでいない。●批判の是非・示談交渉の是非有名人の犯罪の口止めのために示談交渉すること自体は問題ないだろう。しかし示談交渉というのは負い目がある側が相手が納得するほどの高い金額を出す代わりに要求を呑んでもらうもので、1100万円の賠償命令が出たのに比べたら交渉金額の150万円は少なすぎる。PTSDの慰謝料は入通院慰謝料と後遺障害慰謝料の合計金額になるそうで、この事件の被害者の後遺障害の詳細は私は知らないけれど、Xだと重度のPTSDと解離性同一性障害でトイレに介助が必要だという情報を見かけたし、1100万円の賠償命令が出たことからして相当深刻な被害があると言える。記憶障害などの高次脳機能障害が起きて介護が必要な場合は後遺障害等級第2級で慰謝料は998万円以上、介護は必要ないけれど家事ができないレベルは後遺障害等級第3級で慰謝料は861万円以上が慰謝料の相場になるだろうし、そこに入通院慰謝料と口止め料を上乗せするのなら1500-2000万円くらいで示談交渉して平身低頭して許しを請うのが妥当じゃなかろうか。児童ポルノ法の罰金を払っただけではまだ被害者にPDSDを負わせたことに対して法的な決着がついていなくて、まず被害者への慰謝料を含めた示談交渉をして、連載しないと慰謝料を払えないから連載させてくれと頼んで和解してから新連載を始めるのが筋だろうに、新連載を始めた後で口止めの交渉をするところに誠意がないし、謝罪せずに作者の年収にも及ばないであろう小銭で卑劣な行為を口止めしようとするのは批判されて当然だろう。漫画家は若いうちにデビューする人が多くて企業での就労経験がなくて法的な対処とかの一般常識がない場合があるので、担当編集者が漫画家の私生活の問題のサポートにまわって創作に集中できるようにするのは分かる。しかし山本の担当編集者の成田が示談金の150万円が安すぎると気づかないのではサポートになっていない。・前科者の作品の掲載の是非前科者の作品を掲載すること自体は違法でないし、マンガワンや小学館というブランドの毀損のリスクを負ってでも作品を掲載したいなら掲載すればよいと思う。例えば山本が小学館にすごい利益をもたらす才能があるので前科があっても連載させるべきだという経営上の判断もありうる。前科者なら一生作品を発表してはいけないのかというとそんなことはないわけで、凶悪な死刑囚にも表現の自由はあるし、基本的人権として保障されるべきものである。被害者が掲載中止を訴えるのはわかるけれど、事件の当事者でない人がしゃしゃり出てきて掲載中止の圧力をかけるのは言論弾圧で、掲載されても読まないというのが第三者として取りうるべき態度である。例えば和月伸宏は2017年に児童買春・ポルノ禁止法違反(単純所持)容疑で書類送検されたことでジャンプスクエアの『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の連載を休止して、2018年に略式起訴されて罰金を払った後に連載を再開させたけれど、読みたくない人は読まなければいい。しかし前科がある作者の作品を掲載するならば読者に対して事情を明らかにしたうえで批判を覚悟で掲載するべきで、山本章一のペンネームを変えて犯罪がばれないようにしてこっそり掲載するのは被害者に対しても読者に対しても不誠実で、そこは担当編集者の成田の対応が批判されて当然だし、小学館がどこまで事情を把握していたのか不明だけれど知っていてこのやり方を許可したのなら会社のコンプライアンスも批判されて当然である。小学館への抗議としてマンガワンへの掲載を停止する漫画家も数人いるけれど、それは事件とは直接関係がないし、読者が他の漫画家たちにも圧力をかけて掲載をやめさせようとしたり、マンガワンの味方をするのかと批判するのは筋が違うだろう。・既存の作品の出荷停止・配信停止の是非山本の問題が明らかになったことで『常人仮面』の配信と単行本出荷が停止された。出版社の対応としては事態が沈静化するまで作品をなかったことにするのが安全策なのだろうけれど、作者がどんな犯罪をしようが作品自体に問題があるわけではないので、出荷停止することにも批判がある。映画だと俳優が薬物とかで逮捕されたときに公開停止する場合とそのまま公開する場合があるように、必ずしも非公開にする必要はないので意見が分かれる。例えば配信を続ける代わりに原作者に渡る分の収益を被害者への寄付に充てるというやり方もありうる。漫画の原作と作画が分かれているときに、片方の問題でもう片方が収入を失うのも問題である。世間の人は漫画の原作者と作画担当が『バクマン。』みたいな親しい間柄でコンビを組んでいると誤解している人がいるけれど、実際はほとんど会わない。音楽の演奏家が楽譜だけ見て演奏して作曲者と会う必要がないようなものである。『常人仮面』の作画を担当する鶴吉繪理は「山本氏の件につきまして、私は事前に何も知らされておらず、今回報道やSNSを通じて初めて知りました」「山本氏とは一度マンガワンの会合でお会いしたのみで、やり取りは全て担当の成田氏を通じて行っていました。名義変更での活動についても、何か事情があるものと受け止め、深く踏み込むことはしておりませんでした。そのため、過去の件については全く存じ上げておらず、私自身にとって全てが突然の出来事でした」とコメントしていて、とばっちりで収入を失った形になる。『常人仮面』と似たようなケースでは週刊少年ジャンプに掲載されていた『アクタージュ act-age』は原作のマツキタツヤが強制わいせつの疑いで逮捕されて連載終了して、既刊のコミックスが出荷停止になって電子版も配信停止になって、作画担当の宇佐崎しろには何の責任もないのに収入を失っている。赤松健がXで「今回問題になっているのは原作者の方であり、作画担当の漫画家さんは全く関係ない。まさに降って湧いたような災難であり、もはやある程度の(例えば機会的な)補償がなされるべきではないか。」とコメントしているのに私は同意で、出版社の判断で出荷停止や配信停止をするのであればその分の補償をするのが筋だと思う。連載中止自体は仕方がないけれど、既刊分の増刷がかからなくなったりウェブ配信の広告収入がなくなった分は出版社が〇年分を〇割補償するとか、問題を起こした側に補償させる契約をするとか、別の原作を優先的に割り当てて仕事の機会を増やすとかの何らかの基準があるほうが収入が不安定な漫画家の保護になってよいと思う。成田が山本が犯罪を犯したことを作画担当に告げていないのも不誠実で、仕事上のリスクになることは契約前に告知するように改めるべきだろう。・編集者の是非雑誌の編集者は普通のサラリーマンと働き方が違うので社会人としての一般常識がない人がいるし、漫画雑誌の編集者にはせっかく一流大学を卒業して大手出版社に就職したのに低学歴な漫画家の相手をしたくないと不満を持っている人もいるそうな。出版社の中でも小学館は過去に編集者がいろいろ問題を起こしていて評判が悪くて、マンガワンが小学館のウェブサイトだということが批判を加速させているようで、「週刊少年サンデー」の編集者の武居俊樹がバーで一条ゆかりに酒をかけて笑いものにした事件が蒸し返されたり、漫画家が編集者に失礼な態度を取られたエピソードがわんさか投稿されている。しかし小学館の編集者といっても大勢いて担当する雑誌や編集長が違えば部署の雰囲気や編集者の権限も違うだろうし、小学館全体のガバナンスの問題とマンガワンの編集部・編集者の問題は別個に考えるべきである。小学館は「マンガワンにおける原作者起用について」で「弁護士を加えた調査委員会を立ち上げ、連載開始の経緯、編集者の和解協議を含む関わり方など、事実関係及び原因を迅速に解明して参ります。」と言っていて、成田やその上司がどこまで示談交渉やペンネーム変更に関与して責任があるのかはこれから解明されることになるだろう。森川ジョージや赤松健とかに対応を迫る人がいるけれど、日本漫画協会が「報道により、漫画家による性加害およびその対応を巡り、出版社の関与が指摘されております。この事案について、事実関係はいまだ十分に明らかになっていないと受け止めております」と声明を出したように、詳細が不明な段階ではどこが悪くてどうすべきだったのかをあまり批判しようがないだろう。・部外者の是非山本の事件に対して読者は部外者にすぎなくて、どうこう言う立場にない。成田卓哉が元マツモトキヨシの社長の成田一夫の息子だからマツモトキヨシを不買すると言っている人をXで見かけたけれど、それは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というようなナンセンスな白黒思考で、成田への批判を通り越して無関係なものに憎悪を向けている。こういう人はモンスタークレーマーみたいなもので批判できる対象があれば誰でもよくて、被害者に同情して憤っているのではなくて自分のストレス発散のために被害者を利用しているクズである。小学館と無関係な講談社と契約している森川ジョージに絡んで対応を迫っている人とかが典型的で、俺は怒っているんだぞ、この怒りをどうしてくれるんだ、誠意を見せろ、と誰かを屈服させて満足したいのだろう。部外者が山本や成田を批判してスッキリしたところで事件の被害者が報われるわけでもないし、キャンセルカルチャーで漫画業界から山本を締め出して働く場所がなくなれば山本の資産額によっては慰謝料の支払いが遅れたり払われなくなったりする可能性があるので、本当に被害者に同情して救済したいのなら加害者に怒りを向けるのではなく被害者に慈悲を向けて寄付のためのクラウドファンディングでもやればいい。*「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。」とエラーが出て弁護士ドットコムニュースの記事のタイトルの「〇行為」を記述できなかったので、楽天の言葉狩りに抗議する。このくだらない仕様を直さないから楽天はいつまでも三流IT企業なんだよ。
2026.03.02
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最近はモスバーガーがベトナム人を店長にする計画だということでXで不買運動が起きて炎上しているので、これについて考えることにした。●炎上の背景と不買の是非Yahoo!ニュースの「日本の飲食店で店長を目指す──。「特定技能2号」でキャリアアップ目指すベトナム人青年 支援する企業の狙いとは」という記事によると、モスフードサービスは特定技能制度ができた2019年にベトナム国立ダナン短期大学と連携して「ベトナムカゾク」のプログラムを作って、まず特定技能1号で店舗勤務からはじめて経験を積んで2号を取得して店長を目指していく方針だそうで、直営店の従業員の全体の2割の79人がベトナム人で、2号は10人いるそうな。これに反発した人がXで不買を表明して炎上しているようである。本来は特定技能制度は国内人材を確保することが困難な状況にある産業分野で一定の専門性や技能を有する外国人を受け入れて即戦力にすることを目的にした制度である。特定技能外国人を受け入れる16の特定産業分野には外食業もあるけれど、モスバーガーみたいなファストフードの調理や接客に専門性や高度の技能は必要ない。それに給料を上げれば国内人材の確保は別に難しくなくて、モスフードサービスは東証プライムに上場しているので零細飲食店と違って賃上げの資金がないわけではないし、日本人を79人雇えなくて仕方なく外国人を雇うほどの事情があるとは考えにくい。つまりは特定技能制度があることで日本人の賃金上昇を妨げて、本来日本に呼ぶ必要がない外国人を呼んでいることが問題である。モスフードサービス以外の飲食店では店長が外国人でも別に批判されていない。例えば池袋や横浜の中華料理店の店長が中国人でも誰も気にしないだろう。本来は調理師として「技能」の在留資格を得るにはタイ料理は5年以上の実務経験、他の料理は10年以上の実務経験が必要で、正規ルートで在留資格を得るのは厳しいし、だからこそ日本で外国人が調理するエスニック料理は経験豊富なベテランだらけで質が高くて、日本人の調理師には作れないような本場の味を提供している。しかしモスフードサービスの場合はベトナム料理とは関係ないハンバーガーチェーンで、「技能」の在留資格でなくて「特定技能」の在留資格で高度な調理技術を持たないベトナム人を日本に入国させて、2号で家族を呼んで無期限に日本に住まわせるのはどうなのという話になる。高度な調理技能があるエスニック料理の調理師よりもファストフードの店員のほうが在留資格の基準がゆるいのはおかしいし、本部の取締役クラスの責任者ならまだしもメニューを変える権限すらないファストフードチェーンの店長クラスで家族を呼んで無期限に日本に滞在できるのは外国人を優遇しすぎじゃないかと思う。そもそもファストフードは生活必需品ではないし、近所にあったら選択肢として便利かもしれないけれどなくても構わない程度の商品やサービスにすぎない。特定技能1号の日本語レベルはN4以上で、N4は5段階のうちの下から2番目でゆっくり話したら理解できる程度でしかなくて、日本語がカタコトの外国人が接客するようになってサービスの質が落ちたら行かなくなる人もいるだろう。ちなみに私は近所のスーパーマーケットの中国人っぽいレジ係に「袋は?」と聞かれて「いらないです」と答えると「イチマイ?」と聞き返されるのが若干面倒くさくて、だからといって行かないというほどでもないけれど日本人店員やセルフレジのほうが会計がスムーズでよい。というわけで私はモスバーガーを不買する人がいるのも理解できるし、外国人差別として単純化するような問題ではないと思う。●日本で頑張る外国人の是非私は外国人が日本で働いてキャリアアップの踏み台にするのは良いと思う。日本の文化が好きで後継者不足の伝統工芸の職人になったりクリエイターになったりする外国人も文化の伝承や発展に大きな貢献をしている。漫画だと『Dr.STONE』の作画担当のBoichiは韓国人だけれど日本で活動して日本の漫画の発展に寄与しているし、囲碁には台湾出身の張栩や韓国出身の趙治勲とかの日本で活動する外国人棋士がいて日本の囲碁の発展に寄与しているし、プロレスだとイングランド出身のウィル・オスプレイが新日本プロレスに加入してプロレスを盛り上げた。外国人が個人として日本で頑張ってキャリアアップしていくのはよいけれど、モスフードサービスのような上場企業が特定技能制度で組織的に大量に外国人を雇うのは話が違う。モスバーガーで働いているベトナム人は頑張っているのだろうし、そこを否定するつもりはないけれど、食材が中国産で店員の2割が外国人でメニューもありきたりで外国人の味覚や調理技術がないと作れないものではないのではモスフードサービスは日本にあまり貢献しているとはいえない。外国産の食材を買うのも外国人従業員に賃金を払うのも円安要因になるし、食材も従業員もなるべく国内で調達できる方がよい。特定技能の外国人の賃金は日本人と同等以上を支払う必要があるけれど、月収の平均は211200円だそうで、特定技能の外国人と同じ職種の日本人もその程度しかもらえていないということになる。indeedのモスフードサービスの平均時給は1100円程度で東京なら最低賃金レベルで、仕事量が多くて割にあわないという口コミがある。時給1100円で1日8時間月に25日働いても月収22万円、年収264万円である。最低賃金レベルの低賃金で頑張ることは美談にしてはいけない。ある程度の外国人は母国よりも給料がもらえるから頑張って働くだろうけれど、頑張っても割にあわないと思った一部の外国人は職場から逃げて不法滞在してしまうし、不法滞在だとまともな就職ができないので金目当ての窃盗や強盗とかの犯罪をするようになる。2025年の佐賀県伊万里市の強盗殺人事件の犯人が技能実習生のベトナム人だったように、低賃金で外国人を雇うしわ寄せは雇った企業でなくて他のところに来る。低賃金の外国人を大量に雇わないと事業を継続できないような会社は事業を縮小するか廃業して、そのぶん日本人を雇って賃上げする他の企業がシェアを取る方がましだと思う。●結論モスフードサービスは中途半端にベトナムカゾクをやっているので批判されて当然である。取締役をベトナム人に変えて、ハンバーガーを売るのをやめてモスバインミーに店名を変えてバインミー専門店になって、アオザイを着て接客して、店舗のBGMにベトナム語の歌謡曲を流して、本物のベトナムカゾクになればよい。そしたら不買運動どころか日本とベトナムとの友好を象徴する企業として高評価されるかもしれない。
2026.02.25
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こないだ衆議院選挙が終わって、いろいろな人が選挙の分析をしていたけれど、その中には国民が馬鹿なのだというような言説を見かけた。とあるXのポストでリベラル政党は偏差値60以上に向けて発信しているから国民に届かないと言っていて、それに対して内田樹は底辺は理解できないとリプライして批判されていた。日本保守党の百田も国民が馬鹿だというようなことを言って党員から窘められていた。左翼も右翼も国民は馬鹿だから支持が増えないと考えているのは面白いと思ったので、これについて考えることにした。●日本人は馬鹿なのか日本人は世界各国と比較すると識字率が高くて教育水準が高いものの、賢いとも言えなくて、統計的に3割程度は境界知能と考えるとけっこう馬鹿が多くて非科学的なスピリチュアルや占いにはまっている人も多いし、世界の中で日本人が馬鹿というよりは程度の差こそあれ人類は皆馬鹿だと私は思う。しかし馬鹿だからといって責めるようなことではなくて、生物学的な脳の機能の限界があって記憶量や思考能力は限られているし、個人が生涯に体験して学習できる情報量も時間的に限られているし、知能には遺伝の影響もあって努力ではどうにもならない部分もあるので、馬鹿なのは仕方がない事だと思う。一般的に高学歴で認知能力が高くて頭が良いと言われる医者でも経済学は知らないし、経済学者でも物理学は知らないし、物理学者でも法律は知らないし、弁護士でも歴史は知らないし、たいていの人は自分の職業にしている専門分野以外の事はあまり知らないもので、偏差値が高くて相対的に賢い人はいても全知全能の人はいない。だもんで国家の最上級のエリートを集めたはずの官僚でも間違うし、ロボトミー手術が奇跡の治療としてノーベル医学賞を受賞しても後になって人権侵害として否定されて学会の権威でも判断を間違うし、アスベストが奇跡の鉱物と呼ばれて工業製品に広く使われた後で肺がんや中皮腫のリスクが判明して使われなくなったように科学者も医学的リスクに気づかなくて判断を間違うし、どの国も何かしらの問題があって理想郷のような国はない。自分は正しいのに他人は馬鹿だから理解できないと考えるのは自分の無知に無自覚で傲慢である。特に学者や政治家に「無知の知」の認識がないと危険で、自分が無知ゆえに間違った意見を言ったり科学的に間違った政策を実行したりする可能性があるという自覚がないと、批判や指摘を受け入れられなくて間違えたときに保身や自己正当化をするようになって被害が拡大してしまう。共産主義者は人間の知性を過信してゼロから理想の国家を設計しようとしても計画通りに物事が進まなくて、批判する人は粛清したので間違いを正せなくて、旧ソ連や毛沢東時代の中国とかの共産主義の国は国民に自由がなくて貧困にあえぐディストピアになった。独裁国家でなくても間違いを認めない人が権力を持つと危険で、例えば新型コロナワクチンは最初は感染予防効果があるから2回摂取すると集団免疫ができて収束すると言っていたのに感染拡大が収まらなくて重症化予防効果があると当初とは違うことを言い出して、本来想定した効果と違うのであれば間違いを認めていったん政策を止めて効果を検証するのが筋なのに接種を推進し続けた。ワクチンの全責任を取ると言っていた河野太郎はただの運び屋だと責任逃れをして、ワクチンの副反応で死亡したり障害で生活に支障が出たりする人がいてもワクチンの効果を検証してこなくて、薬害の被害認定されないままだったりする。未知のウイルスに対して正しい対処がわからない中で政府や医者が何かしらの行動を起こさないといけなかったので対処を間違うのは仕方がないにしても、間違いを認めないことは正当化できない。誰でもある面では無知なので間違うことがあるし、多数決で科学的な正しさが決まるわけでもなくて、ガリレオの地動説やメンデルの遺伝の法則やセンメルヴェイスの手洗いのように異端視されて当時の権威に否定された学説が後から正しいと証明されることもあるので、人類の発展のために思想の自由や言論の自由を規制してはいけない。地球平面説とかの科学的に間違いが証明されていることを主張する自由もあるし、カルト宗教を信仰して布教する自由もあるし、言論の自由を認めたうえで間違いを指摘すればよい。しかし馬鹿な人が詐欺師のカモにならないように霊感商法とかを違法行為として規定して保護する必要はあるし、認知症とかで正常な判断力がない人には後見人をつけて高額な壺を買おうとしても契約を無効にしたりして権利を制限することで保護する必要がある。相対的に賢い人が自分よりも馬鹿な人を助ける意識を持たないと、馬鹿が搾取され放題になって社会が荒廃するので、お互いに無知な部分を補いつつ馬鹿な人でも幸福になれる社会を政治的に作る必要がある。新自由主義の自己責任論と小さな政府は資本家が大勢の馬鹿から搾取する一方で政府に税を納めないで済んで資本家に超絶都合がいいシステムで、帝国主義が終わって植民地から搾取できなくなった資本家の代替システムとなっていて、権力者は大量の移民を呼び込んで搾取しようとするし、新自由主義グローバリズムに反対するナショナリズムを排斥しようとするし、馬鹿が搾取に気付かないようにインターネットを検閲したりSNSを規制したりして情報統制をしようとする。例えばイギリスは移民の流入に寛容でパキスタン系移民が少女をレイプしても政治家が隠蔽したり文化的背景が違うからと微罪で済む一方でSNSに移民に反対する投稿をした人が逮捕されて、文化や伝統が壊れつつある。欧米はいったんリベラルにかぶれて正規移民だけでなく偽装難民や不法移民を大量に受け入れて、働かない移民の福祉費用が増えて犯罪も増えて国が壊れ始めてようやく危機感を感じてナショナリズムに転向する人が増えたけれど、気づくのが遅すぎる。保守とリベラルの分断は知能での分断とも言えて、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とビスマルクが言ったように、政策が理論上間違っていることが理解できない人は実際に試してみて失敗して身をもって被害を受けないと意見が変わらないけれど、移民政策でイスラム教徒を受け入れると避妊しないでぽんぽこ子供を産んで人口構成が変わって元の国には戻れなくて、失敗に気づいたときにはもう手遅れである。メルケルは移民受け入れを推進した当事者として多文化共生は失敗だったと認めたけれど、日本の左翼が欧米の失敗から何も学ばずに未だに多文化共生を政策に掲げて不法滞在の偽装難民を支援しているのは馬鹿すぎる。政治家は選挙に負けても国民は馬鹿だと批判して自分が正しいかのように振舞うのでなく、自分も馬鹿だという自覚を持って間違いを反省するべきだけれど、社会的地位を得た人ほど自分が馬鹿で間違っていたとは認めようとしないものである。中道改革連合の野田が「穏健な政治勢力として中道のかたまりを作るという方向性は決して間違っていなかった」と自身のホームページに書いたけれど、参議院に中道のかたまりを作らずに中途半端に立憲民主党という逃げ場所を残している時点で言動が矛盾している。選挙で大敗してもなお自分は間違っていないと正当化して反省しないところが政治家として決定的にだめで、現実を直視せず、間違いを認めず、他責思考で自省せず、状況の変化に対応できない人には未知の未来を切り開く能力はない。40代以下に立憲民主党や中道改革連合の支持者がほとんどいないのも当然である。●馬鹿と選挙民主制では金持ちでも貧乏人でも老人でも若者でも1人が1票だけしかない。個人の権利を尊重していると言えるけれど、だからといって素晴らしい制度とも言えない。まず国民が馬鹿だと政策が理解できないし、馬鹿な政治家は議会で論理的な議論ができないので民主制が成り立たない。発展途上国は識字率が低くて高等教育を受けていない人が多いので、民主制が根付かなくて独裁国家が多い。特に高等教育を受けていないイスラム原理主義者はすべて神の思し召しという他人任せの思考だったり、ジハードでイスラム教徒以外から富を奪えばいいという思考なので、自分で議員や政策を選んで法律で自分の権利や生活を守るという意識がなくて、アメリカがアフガニスタンを民主化しようとしても失敗してタリバンが女子の教育を禁止する宗教国家に戻ってしまって、タリバンの幹部は馬鹿な国民から搾取する一方で自分の子供にだけは高等教育を受けさせている。独裁国家で意図的に国民の教育が制限されて外国の情報を遮断されて無知な状態に留められると、国民は人権を侵害されているという自覚さえなくなって、クーデターや内戦で独裁政権を打倒しようとさえしなくなる。それに馬鹿は自分で物事を考えてもよくわからないので、誰かにわかりやすい答えを求める。そこに付け込むのが宗教で、お経を唱えると極楽浄土に行けるよとかジハードで死ぬと天国で処女を抱けるよとかの答えを示して馬鹿の不安を解消して希望を与えるので、宗教が馬鹿の依存先になって宗教団体が政治力を持つようになる。信教の自由は人権として保障されている以上は宗教と政治は切り離せないので、キリスト教保守派が堕胎を認めないとかの宗教的価値観がそのまま政治的な問題になって宗教的保守と無宗教のリベラルが対立して、民主制だと少数派の主張は認められないままなので国民に不満が募って分断して、インドからパキスタンが独立したように宗教の違いから内戦が起きて別の国になったりする。宗教以外にも馬鹿を選挙に利用する人がいて、政治系ショート動画は文脈を無視した切り抜きやフェイクニュースで馬鹿を釣ってインプレッションを増やして金を稼ごうとするし、NHK党の立花孝志が「馬鹿な人たちをどうやって上手く利用するか。犬とか猫と一緒」と言ってYouTubeで扇動して参院選でガーシーを当選させたように馬鹿を票田にする人もいる。馬鹿を政治利用するにしても、公明党みたいに創価学会員を選挙活動の運動員として扱うならまだしも、しばき隊みたいに自分の意見を言うと論戦ができなくて大声で威嚇して選挙妨害したりするくらいしかできなくて馬鹿丸出しなので、馬鹿が活動すればするほど支持者を減らす無能な働き者になる。馬鹿に選挙権を与えるなと言う人もいるけれど、知識や判断力がない未成年には選挙権はないし、知的障害や認知症の人に選挙権はあっても候補者や政党の名前をちゃんと書けなくて結局は無効票になる。選挙ドットコムによるとだいたい150-200万票、投票のうちの2-3%程度が無効票になっている。ひらがなを書けないレベルの人が選挙に大きな影響を与えることはないし、政治や経済がよくわからない人はあまり投票しないので、知能で選挙権を制限する必要はないと思う。しかし被選挙権がある人が仕事をこなせないほど馬鹿だと公費の無駄になるので問題で、投票する人よりも立候補する人のほうが責任が大きいのだから年齢だけで区切るのでは不十分で、政治資金規正法や公職選挙法とかの筆記試験に合格しないと出馬できないようにするなりして、芸能人やYouTuberとかの知名度があるだけで法律の知識がまったくなくて選挙を広告代わりに使う馬鹿な目立ちたがり屋の金持ちが政治家にならないように足切りの仕組みは必要だと思う。国民民主党から立候補した入江伸子が本来無給で活動するはずの運動員に現金を渡して公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕されたみたいに選挙が終わったとたんに逮捕されるような人はそもそも立候補させるべきでない。●馬鹿と権力世襲制の国ではしばしば物事の道理がわからない馬鹿が親の地位を継いで権力者になることがあって、いくら周りの官僚が優秀でも国を滅亡に導いたり、愛想をつかされてクーデターが起きたりする。タイでは政治不信から19回もクーデターが起きていて、プミポン国王の死去の後に即位したワチラロンコン国王もタトゥーがあったり3回離婚したりしていろいろ問題がある。社会変革を訴える前進党が若者世代の支持を受けて第1党に躍進しても不敬罪の改正を公約に掲げたのは違憲だとして憲法裁判所に解散を命じられたそうで、選挙しても意味がなくて民主制が機能していないので、国民に不満がたまってクーデターが何度も起きるのも理解できる。ちなみにタイの不敬罪は有罪率がほぼ100%で1件につき最長15年の禁錮刑だそうでかなり刑が重くて、敬うに値しない人物を素直に評したら相手が王族だというだけで有罪になるのは納得がいかないだろう。イギリスではアンドリュー王子がエプスタインに未成年の女性を斡旋されて称号を剥奪されて、機密情報を漏らした疑いで逮捕された。エプスタイン事件では子供の拷問や人肉食なども問題になって世界中の富豪や政治家が醜態を晒して辞職しているけれど、古代ギリシアや古代中国と同様の残虐性を現代でも見られるのは道徳の退化と言える。善悪の判断ができない馬鹿は自らの欲を満たすために他人を傷つけるし、権力を使って隠蔽しようとするし、知人を悪の道に引きずり込んで堕落させるので、一番権力を持たせてはいけないタイプである。馬鹿が権力を持って政治をやるとどうなるかは歴史上にいろいろな失敗があるけれど、最近はニューヨークのマムダニ市長が現在進行形で体現している。彼は彼なりに社会を良くしようと思って社会主義的な政策を掲げたのだろうけれど、どんな理想を掲げようが実現できなければ無意味で、彼は無料バスとかの公約を何も達成していない一方で、街にごみをあふれさせて、冬季にホームレスをシェルターに強制収容せずに本人の意思に任せて野外に放置して凍死させて、政策の財源として固定資産税を上げようとしているけれどそのぶん大家が家賃に転嫁するだろうから家賃凍結の公約と逆の結果になりかねない。いまのところマムダニは前任者よりもニューヨーク市民の生活を悪化させているけれど、マムダニに投票した人たちは生活が苦しくなっても自業自得で、絵に描いた餅でも眺めて空腹を紛らわせればよい。権力者でなくても社会的地位が高いセレブと呼ばれるような人もしばしば政治を知らないくせに政治的コメントをしたがる。グラミー賞授賞式でビリー・アイリッシュが「盗まれた土地に不法は存在しない」とICEを批判したけれど、この発言はおかしくて、盗まれた土地だから先住民に返すべきだという主張ならまだわかるけれど、盗まれた土地だから誰が入国しても不法でないという主張になっているので先住民迫害と土地の強盗を肯定していることになる。彼女みたいにセレブがリベラルにかぶれて不法移民を支持する行為は「贅沢品としての信念」(luxury belief)と呼ばれている。セレブはセキュリティ万全の豪邸に住んでボディーガードを引き連れているので不法移民が増えようが犯罪被害にあわないので自分の評判を上げるために不法移民を社会的弱者と見なして寄り添う姿勢を見せるけれど、庶民は不法移民の強盗やレイプの危険にさらされていて、セレブが不法移民の犯罪被害にあったかわいそうな人たちには寄り添わずに無視するのは道徳観が矛盾していて、結局は知らないことに首を突っ込む馬鹿な偽善者だと見なされて評判を落とすことになる。若者は反権力がかっこいいと思いがちだけれど、結婚して子供ができたりして守る家族ができると、警察や軍隊がないと治安を維持できないという現実に直面して結局は意見を変えざるを得なくなる。●馬鹿と暴力最近はしばき隊のひょうきんなおっさんと名乗る人物がオレンジの色の帽子をかぶっている人を参政党支持者と決めつけて暴行して肋骨を折る重傷を負わせて警察に捜査されているようで、いままでしばき隊を共産党の宣伝に使ってきた連中がSNSでしばき隊関連の投稿を削除したそうな。「〇〇を差別するな」→「××はレイシストだ」→「××を倒すと差別がない社会が実現する」というロジックで暴力を正当化している。〇〇や××にはどんな概念でも恣意的に当てはめることができるので、自分の意見と異なる人は誰でもポリコレ棒で攻撃して良いと正当化するご都合主義的なロジックができあがる。自分は正しいことをやっているというバイアスができあがると反省しなくなって、共産党内にしばき隊を諫める人がいても「こんな連中」と敵視して行動を改めなくなるので、先鋭化してさらに暴力的になっていく。せっかく共産党が暴力的な極左のイメージを払拭しようと努めてきたのに、田村智子がしばき隊を容認したことで無駄になった。そもそも何か差別的な行為の事実があるなら警察に被害届を出すなり裁判をするなりして法的に解決すればよいし、暴力が正当化される理由にはならない。ましてや何の差別の事実もないところで当事者でもない人がしゃしゃり出てきて正義マンを気取って暴力を振るうのは人助けの行為でなく自己陶酔のための行為で、ただの犯罪者である。人間には思想の自由があるので、あいつムカつくからぶっ殺してーなと頭の中で思うこと自体は自由である。しかしそれを言葉にしたら脅迫罪になるし、行動に移したら暴行罪や殺人罪になる。前頭葉の理性が働く人は善悪や損得の判断がつくので、イラっとしても理性でブレーキをかけてぶっ殺すのはよくないよと考え直して、感情に流されて法を犯して自分が損をするような言動はしないし、何か被害を受けたら刑事告訴するなり民事訴訟するなりして法に則って合法的に報復する。しかし前頭葉が発達していない人や酒やドラッグとかで脳が委縮した人は感情の制御ができないので、自分の意にそぐわないと激高して攻撃的になって他人を大声で威嚇したり危害を加えたりするようになる。「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」とゲーテが言ったように、馬鹿がどんな活動をしようがうまくいかないし他人に危害を及ぼすので何もしない方がましである。フランスでは左派政党の議員に抗議する集会で、集会を支援していた学生のカンタン・ドゥランクが反ファシズム武闘派の左翼にリンチされて殺害されたように、左翼の行きつく先は暴力による言論封殺で、左翼は他者の人権を守るつもりがない。逮捕者の中には左翼政党の「不服従のフランス」(LFI)の議員の秘書のジャック=エリー・ファヴロもいたそうで、政党の関係者が言論弾圧に関与するのは論外である。「安倍死ね」を連呼して安倍晋三が暗殺されると歓喜していた日本の左翼連中も、チャーリー・カークの暗殺を喜んでいたアメリカのリベラル連中も、殺人による言論封殺を肯定する人間の屑である。意見が異なる人を殴ったところで相手の意見が変わるわけではないし、馬鹿な人を殴ったところで相手が賢くなるわけではないのに、馬鹿な左翼はそんな簡単な事さえ理解できないで暴力に頼る。平和を願うなら相手の不満や問題を解決して幸福に導いてやればよいし、左翼が慈愛に満ちて知的で問題解決能力がある聖人君子だらけならみんな左翼に憧れるだろうけれど、殺人さえ肯定する凶悪な左翼を見て誰が左翼を支持するというのか。嫌いな奴をぶっ殺してスカッとしたい屑の巣窟になっているではないか。●馬鹿をなくすにはどうすればいいのかこの世界から馬鹿をなくすには、人類を絶滅させるか、人類を教育をするしかない。右翼のファシズムも、左翼の全体主義も、宗教の原理主義も、〇〇人至上主義も、優生思想も、自分たちを優れた集団だと権威付けて特定の集団に劣等というレッテルを貼ってジェノサイドを正当化してきたけれど、その行為自体が人類の愚かさの証明になってしまっている。馬鹿をぶっ殺せば馬鹿がいなくなって理想の社会ができあがるという考え方は際限のない戦争と文明の破壊と復讐の連鎖と道徳的退廃を引き起こす人類の破滅の道である。だもんで馬鹿をなくすには国民を一生懸命教育して知的水準を上げて、モラルを高めて意見が異なる人を短絡的にぶっ殺さないで議論や法律で問題を解決するようにするしかないだろう。宗教的価値観や認知バイアスができあがった大人の認知を変えるのは難しいけれど、子供なら教育次第でましになる。現代人はパレスチナでのジェノサイドやイランの反体制派の虐殺を止めることができなかったけれど、少なくとも後世に教訓を残すことはできるし、世代を超えて知識を継承して間違いを反省すれば多少は賢くなれるし、いつかは戦争や虐殺を止められるようになっているかもしれない。我々は程度の差こそあれ馬鹿なので間違うことは仕方がないし、間違いを認めて反省する人は許して、自分よりも馬鹿な人がいたら助けてあげて、間違いを忘れずに後世でも同じ間違いを繰り返さないことがよりよい未来につながる。すぐに人類が賢くなることはできないにしても、現代は中世よりは教育水準が上がって庶民でも頑張ればそこそこ幸福になれる社会になっているし、これからAIが発展したら人類の知能を底上げできるかもしれないし、数万年後に人類の脳が進化して前頭葉が発達して原始的な攻撃性を理性で完璧に制御できるようになっているかもしれない。AIとかのテクノロジーが知識を補うようになると、いずれ頭が良くて知識が多いことよりも善人で他人の権利を侵害しないことのほうが価値があるような社会になるかもしれないし、人類の愚かさに絶望せずに希望を持ちたいものである。
2026.02.20
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高市早苗が自分への信任を問いかけて衆議院を解散して総選挙をした結果、自民党が2/3以上の352議席を得て比例候補不足で14議席を他党に譲るくらい圧勝して、中道改革連合は大敗して167議席から49議席に減って、参政党は参院選に続いて好調で2議席から15議席に増加、共産党やれいわ新選組とかの左翼政党は議席を減らして新興勢力のチームみらいが11議席を得て目だって議席を増やしたような結果になった。自民党の衰退について考えるという記事でも考えたけれど、岸田政権と石破政権で自民党の支持率が低下して単独過半数割れした中での歴史的大逆転劇で、数十年後には高市政権で日本が良くなったとか悪くなったとかいろいろ言われるような転換点だと思うので、これについて考えることにした。●各政党への感想・自民党前回の総裁選で石破と高市の二択になったとき、自民党員は高市だと裏金問題で選挙で勝てないということで石破を支持して総裁にしたものの、保守層が離れて選挙でぼろ負けして、結局は総裁選で高市総理になったら保守層が戻って大勝した。自民党にとっては石破政権は無駄な一年間で、最初から高市を総裁にしとけばよかったのだけれど、日本保守党や参政党とかの保守の選択肢ができた点では石破政権にも存在意義があった。高市個人が人気があるというより、今までの自民党政権の緊縮財政への不満と、積極財政で現状を変えてほしいという期待が両方あったのだろう。反日左翼マスコミの偏向報道もかえって自民党の支持につながったと思う。NHKのダッチアングルで画面を傾けて不安を煽る印象操作や、時事通信の「支持率下げてやる」発言とかは、頑張って働こうとしている高市をいじめている構図になるけれど、日本人の気質として頑張っているのに不当にいじめられている人を応援したくなるものである。政権を批判するにしても堂々と政策を批判して政策論争をすればいいのに、姑息な手段で印象操作をしようとするからマスコミの信用がなくなって、若者はもはや新聞もテレビも見ないのでマスコミの印象操作は通用しないし、かえって反日左翼マスコミの逆が正しいものに映る。しかし自民党が勝って政権基盤が安定したからといって必ずしも良いとはいえなくて、私は小泉政権のときのように自民党が勝ちすぎるとろくなことにならないと思う。自民党が過半数を取れない間はちゃんと野党の政策も検討して折衝するようになったのに、2/3の議席を取って参議院で否決された法案を衆議院で再可決できるようになって、また増長して野党を無視して好き勝手に強行採決をやりかねない。高市が何をするかだけでなくて自民党総裁選が3年に1回行われていて高市総裁の任期が2027年9月までなので高市が続投するとは限らなくて高市の次の自民党総裁が2/3の議席をどう使ってくるのかも重要で、最悪のシナリオは高市が病気や暗殺とかで早期退陣して次に自民党左派が総理になって高市チルドレンの新人議員が財務省のレクチャーを受けて緊縮財政派になるパターンで、移民受け入れ拡大や増税や緊縮財政とかがゴリ押しされかねない。特に経済政策は信用できなくて、経団連や経済同友会が労働力としての移民受け入れや消費税増税や緊縮財政を要求しているのでいずれ増税すると思う。2年限定の食料品の消費税減税をやるかどうかもわからないし、やるとしても「減税をやってみたけど景気が良くならないしインフレが加速したからやっぱり増税するしかないね。貧乏人には給付付き税額控除やるからもう消費税を増税してもいいよね」と中途半端な減税がかえって増税の踏み台に使われる可能性もある。政策を理解しないで人気投票みたいな感じで自民党に投票したB層の人たちがずっと支持し続けてくれるわけでもなくて、高市政権の高圧経済は投資で需要を創出して財政支出を増やすかわりに税収も増やすやり方なのでインフレを伴うけれど、それを理解せずに生活が苦しいのに物価高をどうするんだと国債発行額が増えているのはどうするんだと一面だけ見て文句を言う人たちも出てくると思うし、時間がたつほどB層の熱が冷めていって支持率は落ちていくと思う。今回の高市政権が自民党が主要政策を通す最後のチャンスで、野党第一党だった立憲民主党が弱体化した今では総裁選で石破を支持していた自民党左派が一番邪魔な勢力になる。早速岩屋が新グループを立ち上げて高市が間違った方向にいったらブレーキをかけるつもりだという報道が出ている。政策を実現するために信任を問いかけて強引に解散して国民はその政策を支持したのだから、また石破や岩屋や村上誠一郎とかの自民党左派が高市を妨害して憲法改正やスパイ防止法とかの重要な政策が実行できないようなら期待が大きい分だけ失望も大きくなって、安倍でも高市でもだめなら誰が総理になろうが自民党である限りもう改憲は無理だと保守層が自民党を見限って日本保守党や参政党とかに分散して多党化政治に向かうだろう。・中道改革連合中道改革連合は旧公明党の議員は比例の上位で当選する一方で、旧立憲民主党の議員は大敗して小沢や安住や枝野や岡田とかのベテランも落選した。旧立憲民主党の議員たちが選挙で当選することを目的にして真逆の政策に転換して公明党の傘下に入るのはどう考えても愚策で、旧立憲民主党の支持者が離れるうえに創価学会を嫌う無党派層も離れて支持が増える理由がどこにもないのに、野田は前回の衆院選で共産党と選挙協力したことで支持者が離れたことを理解していないので同じような間違いを繰り返すのだろう。立憲民主党基本政策は2021年3月から更新されていなくて、「原子力発電所の新設・増設は行わず、すべての原子力発電所の速やかな停止と廃炉決定をめざします。」と明記してある。旧立憲民主党系の中道改革連合の議員は衆議院では原発再稼働を主張して、参議院の立憲民主党の議員は原発廃止を主張するのは筋が通らない。衆議院と参議院の両方で中道改革連合に統一するならまだしも、中途半端にしたら結局何をしたいのかわからなくなる。今回落選した旧立憲民主党の議員は支持者を裏切る不義理な政策転換をしたうえで負けたのは大きくて、もし参議院でも中道改革連合に一体化したら2028年の参院選選挙で衆議院と同様に議席を減らすだろうし、あるいは一体化せずに立憲民主党から出馬してやっぱり原発に反対すると主張を変えてもどうせ議席がほしいだけでまた主張を変えると思われて信用されないだろうし、再起が難しいだろう。選挙の戦い方もダメで、高市の存立危機事態発言で中国が怒った、高市の身勝手解散だ、高市がNHKの討論から逃げた、高市を支持すると戦争になる、と高市が主語になっていて、自分を主語にして自分が何をしたいのか、日本はどうするべきかを語っていない。政権批判をするなら評論家でも週刊誌の記者でも無職のおっさんでも誰でもできるし、衆議院議員は立法するのが仕事なのだから高市個人への批判でなく政策を焦点にしないと支持者が増えようがないので、国民感情をコントロールする法案とか足を組んでクリームパンを食べる動画の拡散を禁止する法案とかを掲げて政策で勝負するべきである。野党の他責思考が染みついている自覚がなくて、高市政権を潰すのを目的にして国民を見ていないのだから口先だけで生活者ファーストと言ったところで支持されなくて当然で、中道改革連合の旧立憲民主党系の議員は負けるべくして負けたと言える。落選した議員は無職のおっさんとして好きなだけ高市批判をすればよい。新代表の小川淳也にしても記者に政策を聞かれても何をしたいのか具体的に言えない有様で、自分たちでさえ理解していないことを有権者が支持しようがない。公明党が自民党との連立を解消したのもかえって自民党のアシストになって、創価学会を嫌う人たちが自民党に投票しやすくなった。旧公明党自体は旧立憲民主党に入るはずだった比例票をもらって議席を増やしたので損はしていないけれど、自民党は創価学会員の選挙協力がなくても自力で小選挙区で勝てることを証明してしまったのでもう公明党と自民党との連立の可能性はなくなった。斎藤代表は中道改革連合が大勝したら高市に責任を取らせて退陣させてまた自民党の左派と連立政権を組んでやってもいいよという上から目線の皮算用をしていたようだけれど、反日マスコミの中道寄りの偏向報道を見て勝てると誤解したのだろうか。私は立憲民主党も公明党も親中派なので嫌いだけれど、公明党が立憲民主党を誘い込んで潰したのはグッジョブだと思う。・日本維新の会維新は34議席から36議席に微増した。大阪の自民党が腐敗して大阪府民が自民党を支持しなくなって維新に取って代わったという地域特有の事情があるので、大阪での選挙は強い半面で、相変わらず大阪以外には勢力が拡大しない。自民党との連立で影響力が増したとはいえ、目立った変化がない結果になった。・国民民主党国民民主党は連合の組織票で安定していて27議席から28議席に微増して、旧立憲民主党の議員が惨敗している中で議席を維持できたのは健闘したし、「対決より解決」を目指して国会での政策提言をちゃんとやってきたことが評価されたと言える。しかし玉木が日本労働組合総連合御用達の町中華の店主で満足してしまって宰相の器でなくて、連合の芳野会長の言いなりになって中道改革連合寄りの姿勢を見せたのはよくない。立憲民主党を見限った人が政策が似ている国民民主党に投票せずに自民党に投票してしまって無党派層の受け皿になれていなくて、いい政策を主張しても玉木がぶれてしばしば二択を間違ってそっちじゃねーだろという方向に行ってしまうのが無党派層の支持が増えにくい原因だと思う。・参政党参政党は結党当初のメンバーが神谷と反目して離散して不安定だったものの、地方議会にも議員を送り込んで着実に支持者を増やしていていて小選挙区では候補者の知名度がなくて勝てなくても比例票で参院選と同規模の15議席を獲得していて、高市人気で保守派の票が奪われる中でも支持基盤ができて安定してきた。陰謀論だのスピリチュアルだのマルチ商法だのとさんざん批判されながらも議席を増やしてきたので、神谷が信用を失うほどの大失敗をしない限りは今後も衆議院でも参議院でも10-20議席程度は取り続けると思う。参政党に政治の素人が多いのは良し悪しがあって、既得権益とのしがらみがなくて庶民目線で問題点を指摘できるのは良いけれど、まともな政策が提案できるかは不安がある。これから議員経験者が増えて議員や秘書の質が高まれば支持者も増えて小選挙区でも勝てるようになると思うし、今はまだ党としての力をつけるための準備期間という感じ。・日本保守党保守党は岸田・石破政権中に自民党から離れた保守派の受け皿ということもあって保守派の高市が人気の間は逆風が吹いて1議席から0議席に減った。参院選は全国比例なので北村晴夫みたいな全国的に知名度が高い人が票を集めて当選しやすいけれど、衆院選の比例は11ブロックに分かれていてブロックごとの定数があるので比例で当選しにくくて苦戦している。参政党と似たような減税や反移民の政策を掲げていて党員が熱心に活動していても参政党ほど議席が取れないのは党の運営に問題があって、百田が攻撃的で敵を作りやすくて飯山あかりや河村たかしと内紛したりして政策が似ている人とも連携できないので、井川意高みたいに百田を見限って離れる支持者が多いので党が大きくなりにくい。百田のカリスマのおかげでできた党だけれど百田の私心が強すぎるせいで伸びない党でもあって、国会で意見を言えれば政策が実現できなくても満足というスタンスなら今のやり方でもいいけれど、党の運営の仕方や選挙戦略を変えないと知名度がある候補者に頼って参院選の全国比例でしか議席を取れない小政党止まりだと思う。・減税日本・ゆうこく連合立憲民主党と公明党の合体に反発した原口一博が河村たかしと合流して国政政党として選挙を戦ったけれど、減税日本は河村たかしの地元の愛知県の地域政党なので全国的な知名度はないし、愛知県の人は河村たかしの政治家としての実績を知っていても全国の政治に詳しくない人から見たら金メダルをかじって炎上した人というイメージだし、減税を政策にする党が他にもある中であまり存在感がなくて、5議席から1議席に減って河村たかしだけが当選したけれど政党要件を失った。原口は政策を曲げずに筋を通したので中道改革連合に移った他の立憲民主党の議員よりも政治姿勢としてはましだと思うけれど、原口も河村も癖が強くて好き嫌いが分かれやすいし、選挙の準備期間が短い中で小さい政党では支持者を増やすまでには至らなかった。立憲民主党の議員で原口と一緒にゆうこく連合に参加する人がもっといたらもう少し議席を取れたんじゃないかと思う。・チームみらいチームみらいは党員が2000人程度しかいなくて小選挙区の支持基盤もなくて比例が中心なのにいきなり11議席を得たのは意外な結果である。街頭演説が盛り上がるわけでもなくてSNSの動画もほとんど再生されていないので政策を理解して投票したコアな支持者による得票数とは思えないし、立憲民主党とかの左翼政党を消極的に支持していた層が愛想をつかしてチームみらいに浮動票が流れたのかもしれないし、野党が消費税減税を主張する中でチームみらいが消費税減税に反対したので緊縮財政派の受け皿になったのかもしれないし、高齢の政治家が多い中で若いチームみらいがデータとエビデンスに基づいてすごいAIを駆使してなんかやってくれそうというふわっとした期待があるのかもしれない。2025年に参議院で1議席を得たばかりで何の実績もない新興政党なのに支持者の姿が見えない形で大量に当選したので納得がいかない人が多いようで、Xだと不正選挙を疑う人や組織票を疑う人を何人か見かけた。政治家には高齢者が多いせいか慣例を重視して合理化が不十分で、国会でタブレットを使うと品位が下がるから禁止とか、情報開示請求したら全部黒塗りで何の情報も開示されていなくて意味がないうえに紙の無駄とかの不合理がいろいろあるので、若い議員が多いチームみらいには手続きの合理化や政治資金の透明化や効果が乏しい政策の予算削減とかを提言してほしいところである。しかし政党としてはできたばかりなので党の運営能力や信用度は未知数で、候補者の山本剛義が粉飾決算事件を起こしたオルツと過去に雇用契約があったことが判明して急に出馬を辞退したりして金回りがきな臭くて、AI絡みの役所への設備投資や補助金で儲けたい人が議員や後援者として入り込むと公金で儲けようとするレントシーカーになる危険性もある。安野の出身の東大の松尾研究所と中国との関連も強くて周囲に中国人や中国系の帰化人も多いだろうし、裏方のエンジニアが急に表舞台でちやほやされてハニートラップに引っかかりかねないし、スパイ対策ができているのか心配である。エプスタイン事件と関連している伊藤穰一界隈とのつながりがあるのかも注意が必要である。政策マニフェスト2026で「将来世代のために、複雑化した税・社会保障制度をシンプルでなめらかにします」と言っているけれど、それなら消費税を廃止すれば軽減税率やインボイスがなくなってシンプルな税制になるだろうに消費税廃止を主張しないで現状の複雑な消費税を肯定するのも矛盾していて、チームみらいが税制を理解しているのか疑問である。行政の手続きの合理化よりも消費税のほうが大きな問題なので、私は消費税を肯定するチームみらいを支持することはない。左右のイデオロギーから距離を置いて他党を批判しない高学歴集団のチームみらいはノンポリ層には品行方正で知的で良さげに映るかもしれないけれど、別の言い方をすると国家観がないので、エンジニアやコンサルタントの域を出なくて安全保障や外交の判断ができるとは思わないし、法務大臣として死刑執行命令を出したりするような政治家として国民の生死の判断を下す覚悟があるように見えないし、私は政治的な手続きの合理化以外ではチームみらいには期待していない。政党の選択肢が増えたことは良いけれど、この党が大きくなってもあまり意味がないし、権力の監視と批判という点では他の野党が議席を取る方がましだと思う。・共産党、れいわ新選組、社民党左翼の衰退について考えるという記事でも考えたけれど、左翼は支持者が高齢化していく中で若者の支持を増やす要素がないので、左翼政党は軒並み議席を減らしている。共産党はしばき隊の蛮行が知れ渡ったせいか8議席から4議席に減って、れいわ新選組は山本太郎が病気になって政治活動を控えたり候補が高市のリウマチを揶揄したりしたせいか8議席から1議席に減って、どっこいどっこい社民党は衆議院議員の新垣邦男が党勢を見限って離党したことで0議席になって選挙後もどっこいどっこい0議席のままだった。ヨーロッパで移民政策が大失敗して性犯罪が急増してアメリカでソマリア系移民の巨額の給付金詐欺が露見しているように、発展途上国から来たモラルがない移民が犯罪を起こしているので、まともな知能がある政治家なら欧米と同じ失敗をしないように対策するだろう。しかし日本の左翼は欧米での失敗を踏襲しようとしていて、外国人の不法滞在を擁護して、外国人犯罪者を左翼弁護団で手厚く弁護して、外国人犯罪の被害に遭った日本人を蔑ろにするのだから、外国人犯罪や不法滞在の取り締まり強化の姿勢を見せた高市が支持されて左翼政党が支持されないのは当然である。「ママ戦争止めてくるわ」とかで戦争反対を主張していた左翼支持者もいたようだけれど、抑止の手段が問題で、具体的な方法論に言及する左翼がいない。中国やロシアや北朝鮮が軍事力を増強して日本に核ミサイルを向けている中で、自衛隊が違憲なままで軍備増強せずにどうやって抑止力を持てるのか。国民民主党の玉木代表が「『防衛力の強化=戦争』という旧来の左派・リベラルの考え方は少し変えないといけないのではないか。避けなければいけないのは戦争であって、防衛力の強化ではない。戦争を避けるため防衛力を強化しないといけない」と言った通りで、リアリズムで政治をとらえると防衛力を強化する以外に現実的な手段がないのに、共産党は軍拡に反対してかえって戦争を誘発しようとしている。戦争反対をSNSやプラカードで表明すれば戦争が起きないと思っているなら物事を考えていない幼稚な馬鹿である。子供を徴兵されたくないと左翼支持を表明した女性がいたけれど、子供が徴兵されなくても敵に子供が凌辱されるのはかまわないのなら想像力がない阿呆である。対話で戦争を止められると思っているなら話が通じない相手と会ったことがない世間知らずの無知で、そんな素敵な対話能力があるなら今すぐプーチンと話してウクライナの戦争を止めてノーベル平和賞をもらえばいい。戦争しないために軍備を減らして敵国の言いなりになって権利や土地や財産を差し出せばいいというのなら売国奴である。高市に対して戦争反対と言う一方で習近平に対して台湾に侵攻するな日本の領海を侵犯するなと言えないダブルスタンダードの人は中国共産党のスパイである。共産主義革命を起こして暴力で政権転覆して中国の属国になれば戦争が起きないと思っている人はテロリストである。馬鹿と阿呆と無知と売国奴とスパイとテロリストの巣窟の左翼の支持が増える道理はない。●まとめ高市総理が国民に高市か野田かという二択を迫って衆議院を解散して、雪が降る中での投票にもかかわらず投票率が前回より上がって、自民党が大勝して、旧立憲民主党が大敗して、国民が減税や積極財政を支持してリベラルを拒否している傾向がはっきりした選挙結果になった。しかし選挙で自民党が勝って終わりでなくて、政策がちゃんと実行されて国民が豊かで幸福にならなければ意味がない。中国との緊張が増して反日マスコミの政権批判も一層増えるだろうけれど、高市政権には失われた30年をこれ以上長引かせないように頑張ってほしいものである。
2026.02.12
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最近はボンボンドロップシールというものが子供の間で流行しているようなので、徒然なるままにシールについて考えることにした。●シールとは何かシールとは裏面に粘着剤がついた紙やプラスチックフィルムなどのシートのことで、文字や柄があるシールを何かに貼る用途で使われている。シールは屋内用なのでたいてい水に濡らすとはがれたり破れたりするけれど、シールの中でも耐候性があって長時間使用できる野外用のものはステッカーとして区別されている。食品の成分表示や値札とかの実用のシールとは別に装飾用のシールもあって、今までに何度かシールのブームがあった。江戸時代中期には神社仏閣を参拝した記念に千社札という自分の名前や住所を書いた紙を貼るのが流行して、近年には千社札がシール状になっていて、許可をもらえれば貼ってもよい神社もある。自己主張の形としてのシールである。1977-85年にはビックリマンチョコのおまけのシールが流行して、プリズム加工されたキラキラした背景に特別感があってかっこよかったので男児が集めたがって、金持ちの子供が箱買いしてシールだけ抜いてチョコを捨てるのが社会問題になって、本来はチョコのおまけであるはずのシールがチョコ以上の価値を持つ逆転現象が起きた。シールを台紙から剥がして何かに貼ると剥がしにくくて再利用できないので実際にシールとして何かに貼って使う子供はたぶん少数派で、シールをはがさないままコレクションする子供が多数派ではないかと思う。毎月1000万個以上、偽物のロッチのシールも1000万枚発行されたものの、発行元のコスモスはロッテから訴訟を起こされて解散した。2000年代はゲームセンターのプリントシール機(プリント倶楽部、プリクラ)が女子中高生に流行した。これは普通の写真と違って目を大きく加工したり文字を書いたりできるのがウケて、友達と写真を撮ってシール化してプリクラ帳に貼って従来の写真のアルバムのように思い出を集積して持ち運ぶようになった。当時はまだガラケーが主流で携帯電話にカメラがついていなかったり、デジカメの記憶容量が少なくて多くの写真を撮り貯めできなかったので、写真を印刷したものに需要があった。最近話題のボンボンドロップシールは樹脂で膨らませたぷっくりした立体的なシールになっている。サンリオやちいかわとかのキャラクターのシールを集めてシールシートに好きなように貼ってシール帳にコレクションしたり友達と交換したりするのが子供の間で流行っていて、平成女児ブームで大人でもハマる人がいるようで、発売から1年半で1300万枚以上が出荷されていて、入荷すると即売り切れるそうな。クーリアが販売しているのがボンボンドロップシールで、カミオジャパンが販売している似たようなジュエルプチドロップステッカーはプチドロと呼ばれている。ボンドロは人気がありすぎて転売ヤーが店の開店前に並んで品出し待ちをしたり何度も入荷の問い合わせをしたりするのが店舗の負担になっているようで、渋谷ロフトはボンドロの取り扱いをやめて、Xに販売員の愚痴がいろいろ投稿されていてボンドロブームの早期終焉を願っている人もいる。●シールを集めることの是非子供はしばしばみんなが持っているから仲間外れにされたくないという理由でゲームやおもちゃを欲しがるので、子供の間で一気に人気になったりする。コレクションをたくさん持っているとすごいと賞賛されて興味を持たれるので、子供が仲良くなるきっかけにはなるだろう。しかし集めたところで生涯大事にするような資産ではないし、シールとして何かに貼って装飾するために使われず、コレクションとして保管されてシールとして意味をなさない自己疎外が起きているのは本末転倒だと思う。ましてや転売で小銭を稼ぐために大人が子供向けの商品を買い占めるのはみっともない。ボンボンドロップシール自体は値段の割には良く出来たものだと思うし、コレクションを目的にするのでなくてスマホケースに貼ったりしてちゃんと装飾に使うべきである。親も子供が欲しがるからと言って店舗を回ってシール探しをせずに、近くの店舗で売ってないなら違う遊びを提案するなりすればよい。誰でも消費者になるけれど誰でも創作者になれるわけではないのだから、時間が豊富にある子供のうちは消費で満足せずに時間がかかる創作をやるほうがよい。100円ショップで手芸やDIYの道具が安く買えるし、プラモデルをカスタム塗装するとか、レジンでアクセサリーを作るとか、何かをうまく作るためには物理や化学を知る必要があるのでただ商品を買う以上の学びがある。消費の満足は短期間で消えるけれど、知識や技術は長期間残るし自力で物事を解決できるようになると自己効力感も高まるので、子供の将来を考えるのなら商品を集めるのでなく知識や技術を集める習慣をつけるべきである。欲や不満を解消する手段として商品を買う行為に耽って、自分で何かを作るという選択肢がないと、大人になった時に手に入らないものが多くて不満が多い人生になると思うし、欲しいものが手に入らないストレスが大きすぎるとアノミー的自殺にもつながるのでよくない。●あったら便利かもしれないシールシールについて考えようと思ったもののあまり考えることがなかったので、頭の体操としてあったら便利かもしれないシールを考えることにした。私はシールに詳しいわけではないので、もう実用化されているものもあるかもしれない。・カスタムアクセサリーシールシンプルなプラスチックの指輪やイヤリングやネックレスに宝石シールやキャラクターシールとかを貼ってカスタムするようにすれば子供でも安価におしゃれを楽しめるかもしれないし、ボンドロ用アクセサリーパーツを売ると儲かるかもしれない。・サングラスシール度付きサングラスは高いし、頻繁に使うものでもない。海水浴に行く時だけ一時的にメガネに透明な色付きシールを貼ってサングラス仕様にできれば便利かもしれない。・味付きシールでんぷんとかで粘着性を持たせた食用のシールをコップの縁に張り付けて飲み物の味を変えたり、塩分が濃い料理が食べられない病人に味がついていると錯覚させたり、苦みがあるシールを貼って幼児やペットが危険なものを舐めるのを防止したりできれば便利かもしれない。・匂い付きシール香水は揮発性が高くて早めに匂いが消えるけれど、ゲル状のシールにして揮発性を抑えて長時間匂いが持続するようにすればいろいろ用途があるかもしれない。汗くさい人が襟の裏にさわやかな匂いのシールを貼ったり、燻製の匂いのシールを弁当箱に貼って食欲を促したりするような使い方があるかもしれない。・生体シール家畜は焼き印を押したり耳にタグをつけたりして個体を識別して管理しているけれど、動物への害がないシールを貼って個体識別ができるようになると便利かもしれない。カブトムシとかの昆虫を飼っている人には昆虫の羽に貼るシールがあると個体識別しやすくて便利かもしれないし、カラフルなシールを貼ってデコレーションする愛で方もあるかもしれない。・忍術シール何かの物質をしみこませた忍術札シールと別の物質をしみこませた忍術札シールを貼り合わせると化学反応が起きて熱や煙が出るようにすれば手軽に忍者になれて便利かもしれない。山で遭難した時に煙幕の術を使ってのろしを上げると救助しやすくなるかもしれない。・本人確認シール本人確認情報をQRコード化してシールにして持ち物に貼れば、物を落としたり盗まれたりしたときに自分の物だと証明しやすくなって便利かもしれない。親指の爪に本人確認用QRシールを貼っておけば、イベントとかの入場管理がしやすくなるかもしれないし、身分証を無くしたりするリスクも減るかもしれないし、病院で意思疎通ができない患者の取り違えが起きにくくなるかもしれない。・唇保護シール冬になると乾燥して唇が割れるけれど、私はおっさんなのでリップクリームをつける気にならないので、唇にシールを貼って保湿できれば便利かもしれない。・補強シール空気に触れると硬化するような薬剤をしみこませたシールがあれば、釘を使えない素材の結合や補強とかのDIYに便利かもしれない。・球技チートシール卓球の玉にボンドロみたいなでこぼこしたシールを貼ったら、玉のバウンドの方向が急に変わって楽しいかもしれない。
2026.02.07
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最近は中国が高市総理の台湾有事に言及してから反日姿勢を強めていて、そのうえ衆議院が解散して公明党と立憲民主党が合体して中道改革連合になって外国人参政権とかの外国人ファーストの政策をやろうと画策している。中国のリスクが大きくなっているので、これについて考えることにした。●中国はどんな国なのか飲食業界では食材が良い地域は調理技術が発展しないと言われていて、例えば北海道で良い魚が取れると下ごしらえにあまり手間をかけなくても美味しい寿司ができるし、いくらやウニを山盛りにすればたいていの客は喜ぶので、北海道に凄腕の寿司職人が集まっているわけではない。これは逆に言えば素材が悪いと調理技術が発展するわけで、中国の内陸部では腐りやすい肉を保存して調理するために大量の香辛料を使ったり油で揚げて殺菌したりする調理技術が発展した。それと同様に人間性が悪いと道徳も発展するもので、古代中国では倫理観がない為政者が多くて暴君が周辺諸国を蹂躙して民を弾圧して酒池肉林にふけって反乱で王朝が滅びるのを繰り返していたので、倫理を説く儒教や道教や仏教が発展して日本にも伝播した。『立命館産業社会論集』の「中国のことばと文化・社会(五)―《治家格言》《古今賢文》の啓蒙教育と儒教文化の伝承 ―」に明時代の儒教の格言がいろいろ載っていて、なかなか良い事を言っている。悪人を裁くために法律も発展して、文字の読み書きができる教養がある人が官僚を目指したので科挙とかの官僚制度が発達して、詩人や歴史家とかの優れた文化人も現れた。アフリカや中南米はいったん独裁者の統治能力や倫理観の低さがボトルネックになってそれ以上は発展しなくなって道徳や教育や文化とかの文明のレベルが低いままだけれど、中国は悪い部分が多くても国土が広くて人口が多いので稀に傑出した天才やカリスマがある指導者が出現して発展するという両面性がある面白い国で、決して悪い部分だけ見て侮ってはいけない。・中国の政治中国は最高指導者次第で政策が大きく変わるのも特徴的である。中国共産党全国代表大会>全国人民代表大会という権力関係になっていて人民の代表よりも中国共産党の権力のほうが強くて、中国共産党中央委員会総書記が中国のトップの地位のようだけれど、鄧小平のように最高指導者なのに総書記にならなかった人もいる。中国は1949年に国共内戦中に毛沢東によって建国宣言された。毛沢東(統治期間1949-1976)はカリスマ性が高かったけれど政策はでたらめで、大躍進政策で多くの運動を展開したものの、大製鉄・製鋼運動で鉄の増産計画を立てて農具を徴収して素人に鉄を作らせたら粗悪な屑鉄しか作れなかったものの計画通りに増産して資源を無駄にしたうえに大量の木材が伐採されて洪水が起きて農地が荒れて、四害駆除運動で雀を穀物を食べる害鳥として駆除したら虫が大繁殖して蝗害が起きて米の収穫量が減って飢饉を引き起こして1959-1961年には飢餓で1500-5500万人が死亡した。毛沢東は大失敗していったんは国家主席の地位を劉少奇に譲ったものの、復権しようとして1966年から文化大革命を起こして紅衛兵を扇動して政敵を批判させて失脚させようとしたら紅衛兵が制御不能になって中国各地で殺戮をするようになって、宗教が否定されてチベット人やウイグル人が弾圧されて、批林批孔運動で儒教は革命に対する反動であるとして儒教が弾圧されて、知識人は権威打破の対象になって反革命派として批判されて教師や学者が殺害されて学術研究が停滞して、文化大革命の死者は1000-2000万人、被害者は1億人と言われている。1972年に田中角栄が訪中して日中国交正常化をしたばかりで、中国の実態は日本人には十分に伝わっていなかった。鄧小平(1978-1989)は毛沢東の社会主義建設路線から転換して改革開放政策で経済特区を作って資本主義を取り入れて中国が近代化し始めたものの、先富論は富裕層と貧困層の格差拡大の原因になる。天安門事件での学生デモの武力弾圧は世界的な批判を受けた。日本に対しては南京虐殺記念館を作って愛国主義教育を推進して、南京事件の死者数が誇張されて政治問題として尾を引くようになる。この頃の中国人は地味な人民服を着て自転車に乗ってブルース・リーやジャッキー・チェンがカンフーをしている感じの生活レベルで、日本人にはまだ中国に対する警戒感が乏しくて、中曽根康弘と鄧小平が会談して対中直接投資が本格化した。江沢民(1989-2002)は鄧小平の改革開放政策を継承してWTOに加盟して外資を受け入れて世界の工場として輸出国家になる基礎を作って、香港やマカオを返還させて中国を統一して、法輪功を弾圧して臓器狩りをして国際的に批判された。2000年代には日本でもインターネットが普及し始めて中国の工業化による虹色の川とかの公害の実態が伝わり始めて、2000年に国防科学技術大学が「先行者」という二足歩行ロボットを発表したものの21エモンのゴンスケみたいな見るからにポンコツな外見なので日本では嘲笑のネタになって、まだ中国の技術力は軽視されていた。胡錦涛(2002-2012)は和諧社会をスローガンにして平和と国際協調を重視して穏健な外交をして、2008年に北京オリンピックを開催して中国の国際的な地位を築いたものの、国内では反分裂国家法を制定して台湾独立派を弾圧した。この頃にiPhoneの工場として中国製の工業製品が世界に輸出されて、日本企業も人件費を抑えるために中国に工場を移転して、日本人の技術者が引き抜かれて技術流出が加速して、外資の下請けをしているうちに中国人技術者が育って2003年にBYDが設立されて2010年にシャオミが設立されて真似してばかりだった中国から世界的な知名度がある独自ブランドが出るようになって、もはや中国は発展途上国として侮れない技術力や生産力を身に付けて、2010年にはGDPが世界2位になって日本を追い抜いた。習近平(2012-)はアメリカの国力の衰えを察知して世界の覇権を狙っていて、一帯一路やAIIBとかの他国を巻き込んだ経済体制を作ろうとして発展途上国の政治家を賄賂で抱き込んで返済不可能な融資をして担保として港とかのインフラをぶんどる債務の罠を仕掛けてラオスやスリランカやパキスタンとかの発展途上国を支配下に置いて搾取する収奪的な外交をして、短期的には中国は利益を得ても搾取に対して反中感情が高まってアフリカの中国の工場が放火されたりパキスタン南西部のバルチスタンで中国人労働者を狙ったテロが起きたりして一帯一路が失敗している。国内では香港の民主化運動を潰して言論の自由を無くしたので香港から外資が逃げて空洞化して、人民を無知で操りやすい労働者に留めておくために学習塾や英語教育に制限をかけて知識人の出現を抑えて、国中を監視カメラだらけにして信用スコアで道徳を数値化していてある程度のモラル向上の効果があったようだけれどいったん信用スコアが落ちた人の回復手段がなくて詰んで無差別殺人を起こす人が出現している。そんで日本のバブルを研究したと言ったくせに経済に疎い習近平が政策のボトルネックになって不動産バブルが崩壊して恒大集団が約49兆円の負債を負って、高層ビルやマンションやショッピングモールが建設途中で放棄されて廃墟になって失業者もあふれた。中国がある程度発展して人件費が高くなってくると外資はより人件費が安い東南アジア諸国に工場を移転するようになって、中国の少子化高齢化が深刻化していくにつれて安くて豊富な労働力を売りにした世界の工場というモデルにほころびが出始めて経済が衰退しつつある。●中国人のダメなところ・品質管理ができない日本人の「できない」と中国人の「できる」は信用するなとしばしば言われているように、中国人は技術的にできないことでも安請け合いしてごまかして仕様と違うものを納品するので中国製品は故障が多いし、工事では事故が多い。一帯一路の鉄道事業のインドネシアの高速鉄道は脱線で2人が死亡したうえに問題だらけで工事費が大幅に増えて政治家の汚職が捜査されたし、セルビアのノビサド駅の改修工事をしたら屋根が崩落して15人が死亡して反政府デモが起きて首相の辞任につながったし、タイのナコーンラーチャシーマー県では中国が支援する高速鉄道プロジェクトの工事現場でクレーンが倒壊して走行中の列車が衝突して31人が死亡していて、中国とインフラ工事の契約をした国は安物買いの銭失いになった。大阪万博で使われた中国製のEVバスも不具合が多発して運用できずに無駄に保管料がかかっているようで、死者が出なかっただけましだけれどそもそも中国製を買うなという話である。・衛生管理ができない中国では痰をすぐ出すべきだという医学的な伝統があるようで、やたらと道路で唾を吐く。それに子供の頃にトイレトレーニングをせずに尻割れズボンを履いて催したらその場でうんこをさせるので、大人になっても路上やマンションの通路や電車の中とかで大小便をする人がいる。中国人が多い池袋だと全国に先駆けてマンションの共用部分で大小便をする人が問題になった。飲食店では料理をきれいに食べずにテーブルや床を汚すし、ホテルでも部屋をゴミだらけにして汚していくし、「きれい」という概念自体がないのかもしれない。・食品が危険中国ではしばしば段ボール肉まんや偽卵とかのうわべだけ似せた偽物の食品が作られていて、金儲けのためなら客に健康被害が出ようが気にしない。2005年には中国産のうなぎから日本では食品に含有してはいけない合成抗菌剤マラカイトグリーンが検出されて問題になった。2008年には中国の天洋食品の従業員が職場への不満から冷凍餃子にメタミドホスを混入させて日本で被害者が出た。甘粛省の幼稚園ではコスト削減のために蒸しパンの着色に食用の着色料を使わずに絵具を入れて、233人の園児から異常な量の鉛が検出された。中国の葱を洗うと水が緑色になる動画がXのポストで流れてきたりして、中国人でさえ中国の食品を信用していない。・強欲共産主義には宗教的な道徳が伴わないし、中国みたいに中途半端に市場を解放して資本主義を取り入れると拝金主義になりやすくて欲望に歯止めをかける仕組みがない。キリスト教やイスラム教なら弱者救済のためのチャリティーや喜捨とかで金持ちが社会に還元するし、仏教は欲への執着を戒めるけれど、中国の拝金主義者は傲慢で嫌な奴になって愛人を何人も囲ったりスポーツカーで暴走して跳ね飛ばしたりしている。金持ちだけでなくて貧民も強欲である。2019年に中国でコストコがオープンした時には開店と同時にシャッターの隙間から店内に客がなだれ込んで商品を奪い合っていて、ゾンビ映画みたいな混乱が起きて一時的に閉店した。ビュッフェでも我先に料理に群がって他の人が食べる分を残さずに皿に山盛りにして結局食べ残すのでサービスが崩壊する。人口が多くて競争が激しい環境で生き残るには他人に構わずに強欲になる方が有利なのだろうけれど、文明人の振る舞いではない。・倫理観がない強欲でも法律を守るならまだましだけれど、金のために他人の生命や財産を侵害して倫理観がない人が多いのが問題である。中国人は交通事故を起こしたら被害者に障害が残ると賠償金を払わないといけなくなるので二度轢きして止めを刺そうとしたり、怪我人や病人を助けると責任を負わされかねないので放っておく。少数民族を不当逮捕して死刑にして死体から臓器を移植する臓器狩りも行われているし、子供の誘拐事件も多発しているし、病院でまだ生きている子供が死亡扱いされて親の同意もなしに連れ去られたりして、そうした子供たちは臓器移植に使われると思われる。犯罪をするときも残忍な犯行になりがちで、2002年に大分で中国人留学生の面倒を見ていた夫婦が別府大学の中国人留学生たちに強盗されて夫が殺害されて妻が重傷を負った。ゲームでも金儲けのためにチートツールを開発して販売して、技術を社会貢献のために使わないで自分が儲けるために使って社会の秩序を壊そうとする。・汚職や賄賂が横行する「人無横財不富、馬無野草不肥」(不正をしないと財産が溜まらないよ、草を食べないと馬は太らないよ)ということわざが明代にあるように、中国は昔から汚職や賄賂が多い。特に官僚は民間企業と違って頑張って働いても収入が増えないので、自分の権限を濫用して蓄財しようとする。習近平は反腐敗運動で汚職を取り締まっていて、最高刑が死刑だけれどそれでも儲かるので汚職が絶えない。2025年には前農業農村相の唐仁健が56億円余りの賄賂を受け取った収賄の罪で執行猶予付き死刑判決を受けた。中国国防省の台湾担当司令官の林向陽も汚職で共産党籍を剥奪されていて、どうせミサイルを撃たないからと燃料を横流しして代わりに水を入れていたそうな。・うわべを取り繕って中身がない中国では店の前にごみを撒いて散らかして片付ける暇もないくらい繁盛しているのだとアピールをしたり、サクラを雇って店の中をぐるぐる歩き回らせて賑わっているように見せかけたりしているけれど、SNSで動画を撮られて手口がばれている。中国流のマーケティングなのだろうけれど、客の利益につながるやり方でない。環境問題への取り組みもうわべだけで、緑化のために木を植えずに岩を緑のペンキで塗ったりして緑化になっていない。中国の建物はおから工事(豆腐渣工程)と言われていて、コンクリートっぽく見える壁が手でちぎれるウレタンだったり、木製っぽく見えるドアが段ボール製だったりして、うわべはちゃんとしているように見えても建物の強度がない。カンニングも多くて、消しゴム型のモニタとか超小型カメラ付きのメガネとかのスパイみたいなハイテク装置を駆使して試験問題を録画して外部に送信して答えを受信して問題を解いたりしている。知的好奇心が乏しくて試験さえ通れば答えがわからなくても構わないという考え方が根底にあるので学問もあまり発展しなくて、理系の論文数は多いけれど最先端の分野で金儲けをやりたがってコピペとかで水増しして基礎研究を蔑ろにしてじっくり一つの問題を突き詰めて考えないので、ノーベル賞を取るような画期的な研究が出てこない。・法律やルールを無視する中国人は法律違反しても捕まらなければ犯罪でないとでも思っているのか、ごみの分別をせずに捨てたり、道路使用許可を取らずに勝手に道端に露店を開いて商売をしたり、マンションの一室で違法に風俗や民泊を営業したりするので頻繁に近隣住民とトラブルを起こしている。東京都荒川区では条例で土日しか民泊を営業できないのに平日の違法民泊で騒音やごみの不法投棄による110番通報が相次いで民泊運営会社のK-Carve Lifeと中国籍のCEOが書類送検された。大阪府鶴見区では30年以上前から続く「中国朝市」の違法露店が問題になって一斉取り締まりされた。・統計をごまかす中国では好景気に見せかけるためにGDPを盛っていて政府の公式発表が信用できないので、景気や投資の判断が難しくなる。夜間光データで中国の実質経済成長率を測定しようとする研究者もいる。人口統計も信用されていなくて、人口が約14億人いるけれど国家統計局の発表と2020年の国勢調査の人口に矛盾があって、14歳以下の人口が1400万人水増しされて少子化を隠蔽しようとしているようである。・我慢や自制ができなくて急に暴れる中国では政策で人口抑制したので一人っ子が多くて、子供のころから両親や祖父母に甘やかされてわがままに振舞うので小皇帝と呼ばれていて、自制心を育てないまま大人になるので自分の思い通りにならないと激高して怒鳴ったり暴力を振るったりして力づくで相手を従わせようとする。2006年に新宿の京王百貨店で中国人がいきなり傘で販売員の目を突いて眼球破裂させた事件が起きたように、中国人相手の接客業は暴力を振るわれるリスクがある。2014年には池袋のサクラホテル内のカフェで中国人が妻とみられる女性と口論していきなり拳銃で射殺する事件が起きた。・急に爆発する中国ではあまりにも爆発が多いのチャイナボカンと呼ばれている。しばしば子供がいたずらでマンホールの穴に爆竹を落として下水管に充満したガスに引火して爆発して吹っ飛んでいる。EVやスマホやモバイルバッテリーも爆発する。Xを見ていたら中国のどこかの店の店主が役人に賄賂を要求されたと告発した後で自分の店を爆破して農薬を飲んで自殺した自撮り動画が流れてきた。川口市のマンションでは中国人が自殺しようとして部屋にガスを充満させて爆発させた。自殺するにしてもひっそりと自殺せずに派手に爆発して周囲に迷惑をかけるあたりに国民性が出ている。・急に取引停止になる中国では取引が契約通りに行くとは限らなくて、原発の処理水がどうのこうのとかの筋が通らないイチャモンをつけられて輸出入の貨物が港で止められたり、輸出入の許可が下りなくなったりする。WTOに加盟したのにWTOのルールを守らなくて、日本へのレアメタルの輸出を停止したり、オーストラリアからの石炭の輸入を停止したりした。日本人のTikTokerも急に一斉に収益が剥奪されている。中国との取引に仕入れや収入を頼るのはリスクが高い。・急に法律が変わる最近は中国から日本への食品の輸出の際に追加の書類の提出を要求しだして通関が長引いているようで、中国共産党の意向を汲んで官僚が嫌がらせをしてくる。当然ながら中国では公平な裁判は受けられなくて中国に進出した外資系企業や外国人の権利は守られないので、中国と取引したり中国に進出したりする企業にとっては大きなリスクになる。・急に失脚するアリババの創業者のような大富豪や有名な芸能人とかの社会的な地位がある人でさえ脱税とかの罪をでっちあげられて数カ月間音信不通になったりするし、官僚や軍人も失脚する。中央日報によると中国軍部ナンバー2の張又侠中央軍事委員会副主席と劉振立統合参謀部参謀長が深刻な規律違反と不法行為を犯した容疑で調査を受けていると中国国防部が24日に発表したそうで、具体的な理由は公表されていなくて不明だけれどクーデター未遂の噂があって、個人の不祥事というよりは習近平と軍の権力闘争があったようである。・急に転職する中国人労働者は企業への帰属意識がないので、給料が高い企業を見つけるとすぐに転職する。そんで企業には採用や教育のコストが余分にかかるしノウハウが蓄積されない。日経新聞の記事で中国進出した日本企業の失敗談が載っていて、現地の営業マンに販売数でのインセンティブをつけたら勝手に値下げして商品を売りさばいてインセンティブをもらったら辞めて、商品はさばけても企業は利益が出ないしいったん商品を買った客はすぐには同じ商品を買わないので客も減ったそうで、日本人と同じ感覚で中国人を雇うと失敗する。・偽物が多い中国では基本的人権が尊重されないので、著作権や特許なども保護されずに侵害される。ブランドバッグやスニーカーは精巧な偽物が作られている一方で、なぜかキャラクターグッズは精巧に作れないようで顔のパーツのバランスがおかしい変な海賊版グッズが作られている。たぶん精巧な金型を作る技術がないか、あるいはキャラクターに愛着がない人が作っているので似ていないことに無頓着なのかもしれない。ラブブは中国発のキャラクターとして珍しく世界的な人気が出たのに、中国人が粗悪な偽物を大量に作って希少性がなくなるにつれて人気もなくなってラブブを販売するポップマートの株価が急落した。人気のものに群がって金儲けしようとして偽物で焦土化して自滅するやり方はまるで蝗害のようである。通貨も偽造していて、ATMから偽札が出てきて銀行さえも信用できないのでQRコード決済が普及した。日本でもレン・ダーユー容疑者が昭和天皇在位60年記念1万円銀貨を偽造して福岡市の金融機関で両替して逮捕されて、東京でもシュエ・ジーウェイ容疑者が逮捕された。金や銀のインゴットでさえ偽の鑑定書をつけた偽物が売られていて、鑑定書が信用できないので鑑定書がついている意味がない。・なりすます中国人は外国で悪事をするときは日本人のふりをして日本の悪評を広めようとするけれど、世界各地に元技能実習生や元留学生とかの日本語がわかる人が少なからずいるのでなりすましがばれて逆効果になることも多い。中国人としてのメンツを守るために日本人のふりをするようだけれど、逆に中国人の評判を落としている。フィリピンだと中国人のアリス・グオが国籍偽装して違法に市長になっていて、違法賭博や投資詐欺の疑いで捜査されて外国に逃亡したのちに強制送還されて人身売買に関与した罪で終身刑になった。中国から日本に帰化した人でも帰化歴を隠して先祖代々日本人かのようにごまかして選挙に立候補して中国人のための政治をやろうとする人がいるので、私は議員に立候補する人には帰化歴の開示を義務付けるべきだと思うし、戸籍を遡ると帰化したことがわかるので戸籍制度を残すべきだと思う。・縁故主義中国は血縁を重視して、一族の中で成功しそうな優秀な人がいたら親戚中から金を集めて投資して事業に協力するので起業しやすくて、成功するときは一気に成功するし、金を出した親族を優遇するのもある意味では当然である。しかし親子の事業承継でさえリスクがあるのに、実力がない親族が大勢要職につくと事業が傾くリスクがさらに高くなる。中国人同士でも同朋意識はあまり強くなくて血縁以外には冷たくて、日本で金を稼いだ在日中国人はしばしば他の中国人から狙われて中国共産党を名乗る電話がかかってきて詐欺の被害にあったり、強盗の被害にあったりしている。在日中国人が香港に送金しようとしている途中に上野で4.2億円が強盗されて、羽田でも1.9億円の強盗未遂があって、表に出せない金だと被害者が警察に事情を言えないので中国人が中国人に狙われる構図になっている。・公害が深刻中国は石炭で発電したり、農村部ではまだ炭で調理したり暖を取ったりしているので、大気汚染がひどくて中国に駐在する大使や外交官はしばしば肺を病んでいる。成長ホルモンを投与して成長を早めて育てられた動物を食べた子供の初潮が早くなったり、工場の排水で川がカラフルに汚染されて魚が死んで、ヨウスコウカワイルカもほぼ絶滅した。・フェミサイド中国は男性優位の社会で、もともと自然界だと男性のほうが多く生まれるのに一人っ子政策のときに意図的に女児を殺したので極端に男性が多くなって未婚のまま余っている。・個人の意見がない人が多い中国には言論の自由がなくて個人の思想や個性がないし、高所得者以外はろくな教育を受けていないので、安易に全体主義に流されて中国共産党のラジコンとして中国共産党に指示されるがままに行動するだけの人生になる。2024年5月に在日中国人の徐謙(21)はXに「どんな刃物で子供を殺したらいいかな?」と投稿した後、新小岩幼稚園の写真に「子供はみんな親が迎えに来ていて、Saしにくい」などと投稿して幼稚園児の殺害をほのめかして威力業務妨害の疑いで逮捕された。この人と幼稚園児に何の接点も因縁もないし何のメリットもないだろうに、子供のころから日本人を憎むように教育されてそのまま行動して、自分で物事を考えていない。日本には在日中国人向けに中国語の本を専門に扱う本屋があるのだから日本にいる間に中国で出版できない本でも読んで自分で物事を考え始めればいいのに、反日思想に洗脳されてマインドセットが固定されてしまっている。個性がないので自己実現のための目標がなくて、自分自身に誇るものが何もないので、中国と自分を同一視して富士山に中国国旗を立てたり日本国旗を燃やしたりして中国はすごいんだと中華思想を誇示するのが生きがいになってしまう。・メンツにこだわるしばしば中国共産党は玻璃心(ガラスのハート)やメンヘラと揶揄されているけれど、行動パターンが自己愛性パーソナリティー障害に似ている。自分の間違いを認めるとメンツが潰れるので間違いを認めず、他人のせいにして責めたてて謝らせてメンツを保とうとする。薛剣駐大阪総領事が朝日新聞の誤報を引用して「勝手に突っ込んできたその汚い首は、一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」とXに投稿して明らかに領事として不適切な言動で、後で投稿を削除したけれど中国共産党のほうが引っ込みがつかなくなって日本は危険だからと渡航自粛要請を出して、メンツを保つためなら損することもいとわない。素直に謝ったほうが楽だろうに、墓穴を深く掘って地球の裏側まで突き抜けて生還しようと悪あがきする行動力には感心する。外交だけでなくて国内でもメンツにこだわっていて、胡錦濤前主席は2022年の中国共産党第20回全国代表大会で腕を掴まれて強制退場させられて、表向きは体調不良ということになっているけれどメンツを潰す形で権力闘争のアピールをしていて、功労者への敬意がない。・工作活動をする中国は国内外で工作活動をしていて、日本人でも賄賂やハニートラップで親中派になる人が少なからずいる。原子力規制庁の職員が2025年11月に私用で訪問した中国で業務用のスマートフォンを紛失して、3日後に紛失に気付いたもののスマホは発見されていなくて、そのスマホには核セキュリティー担当部署の職員名や連絡先が登録されていたそうで、情報漏洩した可能性が高い。私用の旅行で業務用の情報が入っているスマホを持ち歩くことがまず不自然だし、3日間紛失に気付かないのも不自然だし、意図的に情報を流出させたものと疑って口座の入金履歴や交際関係を調べて懲戒解雇するべきの重大事件である。イスラエル国防相は中国の自動車メーカーのBYDの車両に組み込まれた通信システムやセンサーがスパイに使われる可能性があると警告しているし、アメリカが政府機関でファーウェイの製品の使用を禁止しているように、通信機能がある中国製品は情報漏洩のリスクがある。スパイ活動だけでなくてメディア工作もしていて、Xの製造責任者のNikita Bierによると中国政府は500-1000万のXアカウントを作っていて、政情不安があったときにXにポルノを大量に投稿してリアルタイムの情報を見られないように検索妨害をしているそうな。・協調が苦手中国人は一人っ子が多くて自己中心的なせいか、一歩引いて相手に譲ったりサポート役に回ったりして協調することができないようである。スポーツだと顕著で、体操や卓球のような個人競技は強いけれど、サッカーのように瞬時に大勢で協調する必要がある団体競技は極端に弱い。中国の男子のスポーツの世界ランキングはこの記事を書いている時点で野球は17位、バレーボールは28位、バスケットボールは27位、サッカーは93位で、いずれも日本よりランクが低い。中国には身長が高い人が多いしフィジカル自体が弱いわけではないので、文化的な理由で大勢での協調が必要なスポーツでは弱いと言える。・うるさい私は池袋周辺に住んでいるので中国人をよく見かけるのだけれど、電話の話し声がやたらと大声でうるさい。携帯電話の電波が悪いのか夜中にマンションの窓から身を乗り出して大声で中国語で電話しているおっさんがいたり、夏になるとスーパーマーケットのベンチに座ってエアコンで涼みながら大声で中国語で延々と電話しているおっさんがいたりする。中国語を知らない私からしたら喧嘩でもしてるのかと思うような口調なので近所の人は迷惑だろうと思う。●中国人をあまり信用しないほうがよい中国には人口が14億人もいて民族も知性も性格も収入も教育水準も多種多様なので、中国人はこんなやつだというステレオタイプでは考えないほうがよい。文化大革命以前の教育を受けた老人は儒教的な価値観があって仁義を大事にする人もいるし、返還前の香港でイギリス式の教育を受けた教養がある人もいるし、外国で教育を受けて中華思想に染まっていない華僑もいるし、中国の反日教育を鵜呑みにした攻撃的な中華思想の人もいるし、中国の内陸部でろくに教育を受けずに育って道路でウンコしたり列に割り込んだりするモラルがない人もいるし、蛇頭のようなマフィアもいるし、民主化運動をして獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波のような立派な人もいる。上にいろいろダメなところを書いたけれど、中国人全員が危険な人というわけではなくて、人口が多い分だけ日本にはあまりいないようなとんでもない悪人もいるので、付き合って大丈夫な相手なのか見極める必要がある。令和6年の統計だと日本にいる外国人358万人のうち84万人は中国人で、外国人の中で中国人が一番多くて自分は付き合いたくなくても中国人が隣人になる可能性もあるので、在日中国人の問題を他人事と思わないほうがよい。これはイスラム教徒と似たようなもので、イスラム教の多数派は穏健で無害でも一部には異教徒の殺害を呼びかける原理主義の宗教指導者がいるしその指示に従ってテロを起こす狂信者がいるように、大勢の中国人は無害でも反日思想を持って日本人を狙って強盗殺人をしたり産業スパイをしたりする中国人が実際にいる以上は無警戒なまま付き合わないほうがよい。それに中国共産党は人権侵害を何とも思わずに自国民のウイグル人やチベット人でさえ虐殺する倫理観が欠如した組織で、中国には有事の際に軍事動員する国防動員法と平時でも中国政府の情報工作活動への協力を義務づける国家情報法があって海外在住の中国人も対象で、性格が良い親日派の中国人でも国家の命令には逆らえなくてスパイ活動をする可能性があるのであまり信用しないほうがよい。有事の際には在日中国人が買っている日本の山や無人島とかが中国軍の拠点になる可能性もあるし、名古屋からアメリカにフェンタニルが密輸されていたけれど日本が攻撃対象になったら日本にも危険な薬物が蔓延する可能性があるし、中国産の「リアルギミックミニリボルバー」というおもちゃに見えて実弾が撃てて殺傷能力がある拳銃もクレーンゲームの景品として輸入されて1万5800丁が出回っていて回収が進んでいなくて、もし在日中国人が拳銃を持っていたら有事の際に軍人として指令を受けて便衣兵になりうる。信用できるか確かめようとして中国人に本音を聞こうとしても密告を恐れて政治的意見は言わないし、日本で活動する中国人エコノミストの柯隆みたいに頭が良い人は言質を取られないように言葉を選んでいるし、本音で中国共産党を批判する中国人は中国に帰ると逮捕されるので外国に亡命したり帰化したりして参議院議員の石平みたいに中国に入国禁止になる。国家同士での外交では対等の外交はそもそも期待しないほうがよい。中国が収奪的な体質で発展途上国で恨みを買っているように中国は信頼関係を築くつもりがないので、利用できるところは利用するという打算で付き合って隙に付け込まれないように常に警戒するべきである。中国の資源や労働力や観光客に依存すると中国はそれを弱みととらえて外交カードとして資源の輸出禁止や日本への渡航を禁止にして脅してくるので、それにいちいち慌てるのはアホである。エストニアやラトビアは中国との関係よりも台湾の関係を強化する方向を明確にしたし、日本が先進国として人権と自由と民主主義を守るつもりなら中国よりも台湾との外交を重視するほうがよいだろう。●日本の選挙も中国と無関係ではない自民党と公明党が連立政権だった頃は親中派の公明党が外国人政策を緩和して中国人留学生に生活費が支給されたり経営者ビザを取りやすくして中国人がペーパーカンパニーを乱立させたりして日本の制度を食い物にするでたらめな政治をしてきた。しかし公明党が連立政権を離脱して、高市早苗が自民党総裁になって中国に媚びない外交をするようになって、日本保守党や参政党とかの保守系の政党も躍進して、政治の潮流が変わってきた。環境大臣のときにはポンコツだった小泉進次郎が防衛大臣になって割とまともなことを言うようになったのは台湾有事の可能性が高くてふざけている暇がなくなって高市の次の総理として有事への対応を準備しているのかもしれないし、公明党と立憲民主党は原発や沖縄の米軍基地に対して政策が違って敵視していたのに無理やり合体して中道改革連合になったのは高市内閣を潰せと中国共産党から指令があったのかもしれない。アメリカもトランプ大統領がアメリカファーストの政策をやるようになって台湾有事に干渉するか放置するか不透明で、台湾有事の際に日本の対応が一層難しくなってもはやアメリカの軍事力に頼って言いなりになればいいというわけにもいかなくて日本は自立して身の振り方を考える段階に入っている。今回の衆院選でどの政治家を選ぶかで日本の対中外交姿勢が大きく変わってきて、中国や台湾在住の日本人が戦火に巻き込まれる可能性もあるし、その場合は北朝鮮の拉致被害者の全員の救出ができなかった日本政府が日本人を救出できるとは思えないし、台湾有事への対応を間違えるとその次は尖閣や沖縄も危なくなるので、中国やアメリカとどう付き合うのか、日本の防衛をどうするのかも考えて投票するべきである。投票に行かない人が多いと創価学会の組織票で中道改革連合のうちの旧公明党の候補者が当選して親中政策がとられるようになるし、うっかり中道改革連合が与党になると多文化共生を進めていずれ外国人に参政権が与えられる流れになるので、中国を警戒する人は投票に行って中道改革連合以外のところに投票するとよいよ。
2026.01.30
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こないだABEMAで30年医師(精神科医)を目指している49歳の男性を特集していたのだけれど、いろいろ批判があるようである。どんな夢を持つかは本人の自由とはいえ、適性がない夢を追い続けるのはいかがなものかと思う。というわけで夢の期限について考えることにした。●職業に適性や実力がない人は夢を諦めさせるほうがよい資格が必要な仕事はそうする必然性があるから厳しい資格がある。例えばどんなに車が好きだろうが運転が下手で何度も運転免許の実技試験に落ちる人は事故を起こす可能性が高いので運転しないほうがよいし、安全に関わる分野で適性や実力がなくて試験に落ち続ける人は自身と社会のために夢をあきらめるほうがよいだろう。医師の場合は無知や技術の未熟さや判断ミスや倫理観の欠如が患者の被害につながるし、群馬大病院の腹腔鏡手術で8人死なせた医師や『脳外科医 竹田くん』のモデルになった手術ミスを繰り返す医師がいるけれど、こういう手術が下手で医師への適性がない人でもいったん医師になると行政処分がされるまではなかなか医師免許が取り消されないのでまず適性がない人が医師になれないように医師国家試験の基準を厳しくするべきで、国家試験を受けられるのは最大5回までみたいな縛りをつけて何十年も試験を受け続ける人ははじくほうがよいと思う。禁忌肢問題という患者の死亡や不可逆的な臓器の機能廃絶に直結する事項についての問題で10問中で4つ以上間違った回答をしたら他の問題の点数に関わらず不合格になるけれど、医師国家試験の過去の試験の記録を残して通算で〇問禁忌肢問題を間違えたら国家試験の受験資格をなくすくらい厳しくしてもよいと思う。医師国家試験の合格率は新卒で95%で、大多数がストレートに合格できる試験に何度も落ち続ける人は明らかに適性がない。医学部を卒業したら医師にならなくても研究職やMRや医療ジャーナリストや精神保健福祉士や公認心理士師とかの医療関連業界で何らかの仕事をすれば社会貢献できるだろうに、適性がない医師を目指し続けて医学部で学んだことが社会に還元されないままなのは社会にとって損失である。将棋や囲碁は実力主義だし高齢になるほど集中力や判断力が落ちてくるので奨励会や院生に年齢制限があって、一定の年齢までに一定の成績になっていないとプロ棋士になれずに退会させられる。将棋や囲碁が好きな人は大勢いるからこそプロ棋士がビジネスとして成立するけれど、どんなに将棋や囲碁が好きで奨励会員や院生になるくらいの適性があっても弱い人はプロになれないようにきっちり引導を渡して夢を諦めさせている。将棋や囲碁は生活必需品ではないし就職で潰しが効かないので、いろいろな可能性がある若者にだらだらと叶わない夢を追わせないで早めに諦めさせるのも大人の責任である。フィクションでは華々しく成功する天才を描きがちだけれど実際は夢をあきらめる人のほうが多いし、『夢なし先生の進路指導』という漫画で将棋の棋士を目指してもプロになれなかった人のエピソードがあるように夢が叶わなかったときのセカンドプランも考えて人生設計するほうがよい。適性や実力が伴わない人が運よく希望の職業に就けたところで、周りが自分よりも優秀な人だらけでいずれ競争に負けて居場所がなくなるのだから、それまでに費やした時間や費用はサンクコストとして割り切って別の進路に変える方がよいだろう。●金の切れ目が夢の切れ目未成年は親に生活の面倒を見てもらえるので、生活費の心配をせずに夢に挑戦するには絶好の期間である。全力で挑戦して失敗する経験もその後の人生の糧になるので、何かやってみたいことがあるなら資金繰りを親に頼ってやってみるほうがよい。しかし大人は自分や家族の生活に責任を追わないといけないので、無責任なやり方で夢を追うのはよくない。チャレンジについて考えるという記事でも考えたけれど、夢追い人はしばしば成功する自己像だけ追いかけて、失敗した時のリスクを過小評価するのが問題である。Xで離島に数千万円の立派なコワーキングスペースを作ったもののほとんど客が来なくて借金の返済に追われている人のポストが流れてきたけれど、こういう失敗をする人は珍しくない。FXのデモトレードで勝てたので脱サラしてFX戦士になるとか定年退職の退職金で蕎麦屋を経営するとかの極端な行動をとる人はたいてい中長期的な資金繰りができなくなって長続きしなくて失敗するし、借金が多いと失敗した時の再挑戦も難しくなる。スルガ銀行のかぼちゃの馬車の不正融資事件のように、金を貸す側は相手の事業が成功しようが失敗しようが負債を追わせて取り立てれば儲かるので、悪魔のように夢を見る人をそそのかして金を貸したがる。客観的にマーケティングをして客数や利益予想とかをちゃんと調査していたら事業計画書を作る段階で事業の将来性に気づくだろうに、当事者になると主観的な希望的観測に頼って視野が狭くなって、リスクを忠告する人をドリームキラーだと敵視してかえって失敗に向かって邁進するようになる。どんな期待や希望を持とうがその希望通りに都合よく現実が変わるなんてことはなくて、現実は刻々と状況が変化するのだから現実に合わせて自分が変わっていかないとビジネスは続かないし、「ステーキけん」のロードサイド居抜き戦略や「いきなりステーキ」の立ち食い戦略とかの一度成功したビジネスモデルでさえ状況の変化に対応できなくて廃れるのだから、現実を観察して分析する能力がなくてただ自分がやりたいことをやるだけの人は失敗して当然である。無計画なまま起業してたまたま成功した人もいるだろうけれど、そういう人を美談として取り上げるべきではない。個人で起業したりフリーランスになったりするなら融資に頼らずに自己資金を元手にして小さく産んで大きく育てるやり方をすれば、失敗しても再起不能になるほどのダメージは追わずに何度も挑戦できる。食品業界だと新商品は千個のうち三つくらいしかヒットしないので千三つと呼ばれるくらい失敗率が高いし、初手で成功することを目指して全ツッパするのでなく失敗のサンクコストを織り込んでおいてチャンスに備えて資金に余力を残しておくべきである。資金が途切れたときは無謀な借金をせずに夢の期限だとみなして諦めて、いったん他の仕事をして貯金してから再挑戦するとよいだろう。●生き方に期限はないクリエイターやアーティストやエンターテイナー系はプロになるために資格は必要ないので何十年も夢を追う貧乏人だらけで、無名のミュージシャンやダンサーや舞台俳優やお笑い芸人は活動時間を捻出するために正規雇用につかずに時間に融通がきくアルバイトを掛け持ちしている。パパ活とかで活動費用を捻出する人もいる。生きるためにはある程度の金は必要だけれど、金を稼ぐために生きているわけではないのだから、芸でたいして金を稼げなくてもその生き方で本人が幸福なら他人がとやかく言うことではない。しばしば逆境の中から力のある芸術が生まれるもので、作者本人に生きる気力を奮い起こすような作品だからこそ他人にも大きな感動を残すものである。夢を追うことで幸福になれる人は好きにすればよいけれど、夢を追うことで不幸になる人は夢を諦めるほうがよい。内発的動機づけで創作行為を楽しんで良い作品を作ることを目的にする人がクリエイターを目指すと幸福になるけれど、金や地位や名誉という外発的な動機づけで創作を目的でなく手段にしてしまう人がクリエイターを目指すと不幸になりがちで、成功しないことへのストレスで精神を病んだり、自分よりも才能がある人への嫉妬から誹謗中傷をして訴訟されたり、やけになって自殺したりする。方針転換するのは別に悪い事でも恥ずかしい事でもないので、不幸になって自殺するくらいなら夢への執着を捨てて方針転換して幸福になれる生き方をすればよい。音大や芸大を卒業した芸術系のエリートでも芸術とは関係ない仕事に就職したり、才能ある人をサポートする側の仕事をしたり、趣味で細々と創作活動を続けたり、同世代の天才を目の当たりにして自分の実力と将来性を悟って創作活動を辞めたりしている。〇〇で成功しないと自分は生きる価値はないのだ、という視野の狭い考え方では自らの可能性を狭めてかえって成功から遠ざかるので、夢を追うのが苦しくなった人は自分の幸福とは何かという原点に戻って進路を考え直すのがよいだろう。
2026.01.22
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7つの短編集。1995年に文藝春秋から単行本で出版されたのが2011年に河出文庫になった。「家族写真」は娘が就職した記念に家族写真を撮ったら、写真館が家族写真を拡大して店に飾る話。三人称。現実と写真の対比を軸にして視点人物を父から娘に変えてテクニカルに展開する純文学らしい構成。オチの方向性の予想はつくけれど、短編ながら登場人物だけの話に留まらずに小さな村の人たちがわざわざ他人の家族写真を見に行くような集落の雰囲気も描いているのはよい。「悪魔」は純文学的な仕掛けとしては機能するけれど、宗教の概念が唐突に出てきて浮いている感じ。キリスト教だと悪魔は神に敵対して人間を誘惑して堕落させる存在で、仏教だと悪魔(マーラ)は仏道修行を邪魔する存在で、宗教によって悪魔の解釈が違う。この小説の文脈だとたぶんキリスト教の悪魔なのだろうけれど、キリスト教徒の一家というわけでもなさそうなので、その辺は不自然な気がする。「わが胸のマハトマ」はガンディーが断食で死にかけているときに父を嫌う息子のハリラールが看病する話。三人称。焦点人物をガンディーからハリラールに移行して意識の流れで内面を掘り下げつつ、死んだとされるハリラールが実は生きていたということにして父と子の関係性を逆転させるという純文学らしい力技が炸裂している。史実にフィクションを混ぜるやり方はこの作者の得意とする手法だけれど、フィクションとしてのオチの面白さを優先したせいか、そのぶんリアリティーはなくなってしまうので、オチを面白いと思うかどうかは読者によって判断が分かれるかもしれない。「谷間」は男二人が農薬を飲んで心中した事件のノンフィクションを書こうとしたら、取材テープに知らない女性の声が入っていた話。三人称。心中事件の謎が解決しないうちに別の謎をかぶせて物語の軸をずらして作者の弟の話題に誘導して結局謎は謎のままというポストモダン的怪談のような荒業。弟が実在するのか架空なのか知らないけれど、作者の身内ネタは何度も使えないので珍しい。「光線の感じ」は暗算が得意な銀行員の女が虫歯の治療中に不倫相手の自動車教習所の二輪車の指導員の男のことを想像する話。三人称。現実と空想をシームレスに行き来して対比する展開。そろばんが昭和に育った人の時代感を出していてよい。歯医者で口に指を突っ込まれるのはHの暗示なのだろうか、と解釈の余地もあるのもよい。「緑色の経験」は担当編集者が柿内君から女性に代わって、大雪山のSOS木文字遭難事件の真相を考える話。僕の一人称で日記に書く形式。謎に謎を重ねて別の展開を導いていくミステリ的展開で、純文学というよりはどんでん返し系の小ぶりなエンタメ小説。現代では賞味期限切れのネタかもしれない。「塩山再訪」は印刷会社の社長が未亡人の有子と故郷の塩山を旅行したらバーテンダーが同級生だった話。私(社長)の一人称。なぜ語るのかという動機が不明でナラトロジー的な始末ができていないので、三人称で書く方がよい。社長の傲慢な人格や郷愁はよく書けていて、ただの懐古趣味にならずにオチがあるのもよい。物語と関係ない部分で作者のファンにしかわからない小ネタもある。ちなみに山梨県塩山市は2005年に合併して甲州市になったようで、今は存在しない塩山の名前が小説の中に残っていて記憶が引き継がれていくのはよい。「松籟」はコスメ化粧品の管理職15人が鷺沼海岸駅の民宿で変な研修を受ける話。三人称で、主人公らしい人物がおらず、ページに文章がみっちり詰まった文体。文体と内容が合っていて、あえて特定の人物に焦点を当てずに人物像を曖昧にすることで幻想的な怪談っぽさが増していてよい。この小説ならではの技法と言える。全体の感想としては、芥川賞受賞後の短編ということで気合が入っているのか、いかにも純文学というような前衛的な工夫を凝らしていて各短編で趣向が違っていて飽きずに面白く読めた。★★★★☆家族写真 (河出文庫) [ 辻原 登 ]価格:814円(税込、送料無料) (2026/1/10時点)楽天で購入
2026.01.10
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あけました。それはさておき、そういえばクリスマスについて考えていなかったような気がするので、徒然なるままにいまさらクリスマスについて考えることにした。●クリスマスとは何かクリスマスとは12月25日にイエス・キリストの降誕を記念する祭りで、なぜかキリスト本人に焦点が当たらずに赤い服を着て白髭を生やしたサンタクロースがトナカイのそりに乗って子供にプレゼントを贈る行事になっている。Wikipediaによると学問の守護聖人の聖ニコラオスはオランダ語だとシンタクラースで、オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日をシンタクラース祭として祝う慣習があって、17世紀アメリカに植民したオランダ人がサンタクロースと伝えたのがサンタクロースの語源になったそうな。そんで第二次世界大戦後にアメリカが覇権を取ったのでアメリカ流のサンタクロース像がディズニーアニメや映画などを通じて非キリスト教圏にも伝播したと思われる。宗教的な行事としてはクリスマス・キャロル(キリスト降誕に関する歌)を歌ったり、キリスト降誕劇をしたりする。アメリカだとクリスマスに七面鳥の丸焼きを食べるけれど、これはイギリス人がアメリカ大陸に移住した際に先住民から七面鳥をごちそうされたのが起源のようで、日本だと七面鳥がいないのでフライドチキンやローストチキンで代用している。クリスマスツリーの飾り付けも行われていて、アメリカではホームセンターでモミの木を買ってピックアップトラックに積んで家まで運んで飾っているし、ショッピングモールではクリスマスツリーにLEDライトを取り付けてイルミネーションイベントをして集客したりする。欧米では19世紀ごろからおばあちゃんの手編みのダサいセーターが子供に贈られていたようで、今ではアグリー・クリスマス・セーターとしてあえてダサさを競ってパーティーを盛り上げるために着られていて、子供だけでなく大人も楽しむ行事になっている。●日本人のクリスマスほとんどキリスト教徒がいない日本でもクリスマスが行事として広く受け入れられている。1552年にイエズス会の宣教師のコスメ・デ・トレースが山口県で降誕祭をしたのが最初のクリスマスのようで、1900年頃に明治屋が銀座に進出してクリスマスの飾り付けをしたら他の店も真似してクリスマス商戦が始まって、1926年の12月25日に大正天皇が崩御して1927年から1947年まで大正天皇祭が行われるようになってクリスマスと休日が重なったのでクリスマスが日本に定着したようである。キリスト教に関連した日はクリスマス以外にもいろいろあって、カトリックだと11月1日が「諸聖人の日」としてすべての聖人と殉教者を記念する祝日だし、コーカサス地方では守護聖人の聖ゲオルギオスが殉教した4月23日が「ゲオルギオスの日」になっている。日本では他の聖人の日を祝う人はほとんどいないことから見ても、日本人はキリスト教の宗教的行事としてクリスマスを祝っているわけではないだろう。これはハロウィンも同じで、単に子供向けの行事として宗教とは関係なく外国の行事が表層的に受け入れられているようである。たぶん子供がプレゼントが欲しいと言い出して、良い子にしているとプレゼントをもらえるという仕組みが子供の躾に都合がよかったので、親も「うちはキリスト教徒じゃないからサンタクロースは来ないよ」と突き放さずに非キリスト教徒の家庭でもクリスマスを採用したのだろう。初詣や七夕で願掛けする日本の行事とも類似点があるので、サンタクロースに欲しいものをお願いしたら親から買ってもらえるという構図も受け入れやすいと思われる。七夕で願い事をしても叶うことはないけれど、クリスマスだと子供がケーキを食べてプレゼントをもらって喜んでいる姿を見られるという点で家庭の幸せを実感しやすいので、願掛けするだけのあっさりした日本の行事よりもクリスマスのほうが盛り上がる。冬は空が曇りがちになって灰色で、雪国では白一色になったりするけれど、そこに赤と緑のクリスマスカラーがあったりクリスマスツリーに飾り付けがされていると映えるので、年末の季節感を感じられる行事として定着したようである。クリスマスシーズンには街並みが華やかになるのでデートに向いていて、バブル期にはクリスマスイブは恋人と過ごすという文化があったようで、1992年の稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」や1994年のマライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」みたいなラブソングがヒットして、赤坂プリンスはカップルでにぎわったそうな。●クリスマス商戦ビジネス面からみたらクリスマスは儲かるのでやらないよりもやるメリットの方が多いので、いろいろな業種がクリスマス商戦に参入している。おもちゃ、お菓子、ケーキ、ディナー用の普段よりも豪華な食事や酒、恋人に贈るアクセサリー等がクリスマスに売れるようで、年末の休暇が近づいて浮足立つ感じにつられて金払いも良くなるようである。しかし最近は不景気なせいかあまり魅力がない商品は売れないようで、長靴にいろいろなお菓子が入ったクリスマスのお菓子セットがスーパーマーケットで売られているけれど、中身が普通のお菓子なのに割高なせいか2月頃まで値引き品コーナーに売れ残っていたりする。クリスマスはケーキ屋の稼ぎ時だけれど、ケーキは日持ちしないうえに注文が殺到するのでトラブルが起きやすい。2023年には高島屋の冷凍ケーキがいちご入荷遅延による凍結時間短縮の影響で配送中に溶けたようで崩れた状態で客に届いた。2025年は霧果310という店のクリスマスケーキが写真と実物が違うと炎上していて、本来はグラサージュという砂糖とゼラチンとココアパウダーで作ったソースやガナッシュというチョコと生クリームを混ぜたソースをかけるところをチョコレートをそのままかけたのかカチカチに固まってケーキが切れなくなっていて、見本の写真通りに作れていないのでパティシエが辞めたのではないかと言われている。イチゴも季節外れなのでハウス栽培の割高なものの需要が増えてさらに値段が高くなるし、ケーキ屋も納期に追われて仕事が雑になるので、キリスト教徒でないなら割高で質が落ちるクリスマスケーキをわざわざ食べる理由はないと私は思う。クリスマスに洋菓子を食べたいなら日持ちするシュトレンを早めに買ってケーキ屋の混雑を避けるのでもいいし、市販のロールケーキに紙カップのチョコレートクリームを塗って300円くらいでブッシュドノエルもどきを自作したっていいし、別にホールケーキでなくてもよいのだから、よく考えずにみんなやっていることを真似して慣習にするのはやめるほうがよい。●クリスマスの迫害最近はキリスト教徒の代表的な行事ともいえるクリスマスが左翼や異教徒の新規移民によって迫害されていて、挨拶が「メリークリスマス」でなく「ハッピーホリデー」に変えられたり、ショッピングモールでクリスマスツリーの飾り付けをやめたり、イスラム教徒の移民がクリスマスツリーを破壊したり、クリスマスの飾り付けの雪だるまを偶像崇拝として破壊しているようである。2024年にはドイツ東部のマグデブルクでクリスマスマーケットに車が猛スピードで突っ込んで5人死亡、200人以上が負傷するテロが起きて、犯人のタレブ・アル・アブドルモーセンはサウジアラビア生まれの50歳の精神科医で、2006年にドイツに到着して2016年に難民認定されたそうな。白人キリスト教徒が数百年続けてきた伝統行事であるクリスマスが迫害されているのが多文化共生の失敗を象徴しているし、欧米の白人の未来を暗示している。一昔前はクリスマスを楽しむリア充に対してクリぼっちが「クリスマス終了のお知らせ」をネタとして言っていたけれど、ヨーロッパでクリスマスがテロの標的になってもはや冗談として茶化せないレベルでクリスマスが終わりつつある。家庭でクリスマスを祝う人はいてもイスラム教徒の比率が高まるにつれて公共の場でクリスマスを祝わなくなる流れになるようで、いずれ日本でもイスラム教徒が増えていくにつれて異教徒に配慮しろという声が大きくなって商業施設とかは事なかれ主義に流されてクリスマスが終わると思う。●クリスマスのフィクションキリスト教徒が多い欧米だとクリスマスをテーマにした小説や映画が多い。ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』はケチンボが改心する道徳的な話で、映画『ホーム・アローン』はクリスマスに子供が家に取り残されて留守番中に泥棒を撃退する話で、映画『グレムリン』はクリスマスプレゼントの変なペットが怪物になって暴れる話で、映画『ジングル・オール・ザ・ウェイ』はシュワルツェネッガーが息子のプレゼントを買おうと奔走する話である。クリスマスに特別なプレゼントを贈ることが物語の導入部やクライマックスに使えるし、あるいはクリスマスに奇跡が起きたというご都合主義な展開で物語のオチをつけやすいので作品数も多くなるのだろう。宗教行事が大々的にフィクションに取り入れられているのは他の宗教だとあまりないと思う。キリストの降誕を祝うクリスマスと対照的なのは仏教で釈迦の誕生日の4月8日の灌仏会(花まつり)だけれど、日本だと仏教徒が多いわりにクリスマスに比べて灌仏会を祝う人がいないし、フィクションで灌仏会を取り入れたケースを私は知らない。神道の初詣は日本のフィクションではよくあるけれど、ラブコメとかのエピソードの舞台として使われる程度で願掛けそのものはあまり焦点にはならない。ユダヤ教はクリスマスと同じ時期にエルサレム神殿を奪還したことを記念するハヌカーという行事が行われるけれど、あまり知名度がないしフィクションでも見かけない。イスラム教の行事はラマダンが有名だけれど、偶像崇拝を禁止するのでそもそもフィクションがない。たぶんクリスマスはそりで空を飛ぶサンタクロースというおとぎ話のような存在がいることで宗教色が薄れて子供向けのフィクションになりやすいのだと思う。他の宗教だとそういうファンタジーっぽい存在がいなくて、宗教行事をテーマにすると価値観を押し付けて布教している感じが出てしまって一般受けが悪いのでフィクションに採用されにくいのだろう。
2026.01.01
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最近は月額最高39万円もかかる自称「会員制高級プライベートサウナ」のSAUNATIGERで客の若い夫婦が閉じ込められて死亡する事故が起きて、ドアノブが外れて閉じ込めらる設計自体がおかしかったり、非常ボタンの受電盤の電源が入っていなくて何年も機能しないまま放置されていたり、当時受電盤がある事務室には誰も従業員がいなかったりして、いろいろずさんな管理体制が指摘されている。これのどこが高級なのかと思ったので、高級について考えることにした。●高級とは何か高級とは階級や地位、程度や品質が高くすぐれていることを意味する。誰でも買えるわけではないようなものやサービスで、商品を持っていたり会員になったりすることが社会的地位があるとみなされる場合に高級なものと見なされる。ただ値段が高いからといって高級なわけではない。例えばニューヨークは地価が高くて家賃が高いので、飲食店は利益を出すために商品の値段を上げざるを得なくてラーメン1杯が2-3千円するけれど、それは高級ラーメンとは言わない。ありふれた料理人がありふれた材料で作ったありふれたラーメンの値段が高いだけである。その一方で、銀座の寿司屋みたいに予約が必要だけれど数カ月先まで予約が埋まっていて、スマガツオや鮭児とかの数が少ない貴重な食材を厳選して、熟練の寿司職人が職人技を凝らして調理するようなのは値段相応の付加価値があって誰でも食べられるわけではない高級寿司と言える。高級なものやサービスは細部まで高品質で瑕疵がないものである。高級ホテルではコンシェルジュがいて客の細かい要望に応えるし、従業員の教育に十分なコストをかけているので従業員が客の部屋に侵入して窃盗やレイプをすることはない。高級レストランではフロアスタッフが客の食事の様子を見ていて会話の邪魔をせずに給仕できるようにタイミングを見計らうし、客に見えない厨房でも衛生管理ができていて食中毒やバイトテロは起きない。高級ブランドのバッグは検品がしっかりしていて縫い糸が飛び出したり接着剤がはみ出したりしないし、高品質で長く使えるからこそ中古市場でも高値が付く。歴史と伝統も金では買えないので、長年ちゃんと品質管理して皇室御用達とかの信用を積み重ねてきた会社やブランドは地位が高くて高級と言える。一流の人の生活の一部として好まれるようになった商品やサービスは十分な利益を上乗せできてよほどのことがない限り会社が潰れないので、たいていの高級店は相応の歴史がある。百貨店は1900年代に呉服店から珍しい舶来品を扱う豪華なデパートに変化して高級感を出して富裕層を顧客に抱えて、今は富裕層向けの外商の売り上げが全体の2-3割で、伊勢丹新宿本店や松坂屋名古屋店は売り上げの5割が外商によるものだそうで、庶民が貧困化して百貨店離れしても富裕層が離れない限り商売を継続できる。ルイ・ヴィトンは1854年に設立されて万博で評判になってから王侯貴族に重用されて世界的な高級ブランドの地位を確立したし、高級な飲食店は老舗で修業した人が暖簾分けしたり独立したりして味や客層や品格を受け継いでいって政財界の要人の会食に使われるけれど、芸能人とかの成金がオーナーになって作ったファッションブランドや飲食店は歴史や伝統がないので高級とは言えない。●高級のワナ最近はプレミアムを自称して高級感を煽る商売が流行っているけれど、本当に高級なのかは疑問である。セブンプレミアムはサンドイッチにハムの切れ端がちょびっと入っているような詐欺的なコンビニ商品よりは若干ましという程度でしかないし、有難がってわざわざ買うものではない。YouTubeプレミアムは広告を表示しないみかじめ料みたいなものなのに何がプレミアムなんだと思う。いくつかあるグレードを比較して上位のものをプレミアムと言えなくもないけれど、プレミアムという言葉が安易に使われてもはやプレミア感がなくなっている。高級やプレミアムを名乗るための客観的な認定基準がないからこそ、高級だとされるものを鵜呑みにせずに自分で物の良し悪しを判断する審美眼が必要になる。しばしば審美眼がない人が骨董品店のカモになって価値がない骨董品をお勧めされて高値で買うように、高級感につられてたいしたことがない物やサービスを割高で購入するのでは人生を豊かにしているとはいえない。高級なものやサービスをどしどし購入してSNSで金持ちぶりをアピールする人がいるけれど、それは高級品が似合わない下品な振る舞いだし、他人の評価や価値観を基準にして他人の賞賛を得られないと満足できないのでは豊かな人生とは言えない。それに金持ちの金を目当てに悪人も寄ってくるし、金持ちの個人情報は詐欺や強盗に悪用されかねないので、高級を自称するビジネスには注意が必要である。富裕層を対象に営業している野村証券でも顧客を睡眠薬で眠らせて現金を奪って家に放火した強盗殺人未遂事件が起きたように、人を見る目がないと悪人の接近を許してしまって生命や財産の危険がある。上記の自称「会員制高級プライベートサウナ」のTIGERSAUNAみたいに命にかかわるようなサービスを提供しているような場合は経営者の評判も調査してから使うべきで、オーナーの栗原修はKUROFUNE&Coという別の会社でクーリングオフの告知をせずに強引に貴金属の訪問購入(いわゆる押し買い)をして9カ月の業務停止命令の行政処分をされていて、誠実な事業をやる人とは思えない。事故にあった夫婦は若いせいか安全性の不備や経営者の人格を見抜く目がなかったので高い代償を払うことになった。高級腕時計をレンタルする「トケマッチ」というビジネスを運営していたネオリバース社の元代表の小湊敬済は預かった時計を勝手に質に入れて換金してUAEに逃亡して逮捕されていて被害総額28億円相当だそうで、レンタル代の小銭稼ぎのために悪人に高級腕時計を差し出すような脇が甘い小金持ちがカモになった。安全性のコストを削ったり違法行為をしたりすれば金持ちになるのは難しくないけれど、人を見る目を持たないと高級ブランドを身に付けている金持ちの悪人を地位が高い立派な人だと錯覚してカモにされてしまうこともある。投資家の「牛飼」名乗っていた斎藤大器はSNSでセレブアピールをしていたけれど、屋根の点検商法をして早急に工事しないと雨漏りすると不安を煽ってクーリングオフの説明をせずに契約させたとして特定商取引法違反の疑いで逮捕されて、実態はトクリュウの中心人物とみられる反社会的勢力だった。インフルエンサーの中には見せ金の札束を見せびらかして儲かったように見せかけて情報弱者を釣って高額の情報商材を売りつける連中もいる。高級な物にはやたら維持費がかかるものがあるので、庶民が高級な物に憧れても結局維持できないこともある。輸入高級車は故障したらパーツの取り寄せで修理が高額になるし、高級ブランドの服は洗濯に対応していない場合があるので庶民がクリーニングして何年も大事に着るのには向いていない。高級な物やサービスがなくても生きていけるし、値段が十倍の物を買ったら十倍幸せになるわけでもないし、平凡な人はむやみに高級な物に憧れずに平凡な物を買って平凡な人同士で付き合って身の丈に合った生活をするのが無難である。高級な物を買うにしても、本当にQOLが上がるものを吟味して奮発するのがよいだろう。●高級な芸術音楽ではクラシック音楽は同じ曲を演奏するにしても演奏家の技術やコンサートホール次第で音が変わって、数億円の希少なバイオリンを使っていたり、客側もドレスコードや鑑賞マナーや教養を要求されたり、コンサートホールの席数が限られていて席によって値段が違う点では高級な音楽といえるだろう。ポップスとかの他のジャンルの音楽は歌や演奏が下手でもスピーカーが音割れしてても客が楽しめれば十分な大衆向けの娯楽なので高級とは言えない。小説は大量に印刷されて誰でも定価で買えたり電子書籍でどこでもダウンロードできたりするので、高級な小説は基本的にない。単行本は装丁や紙の質が文庫本やペーパーバックよりは上質だけれど、所詮は紙にすぎないので高級というほどでもない。もし作者が羊皮紙に手書きで文章を書いてカバーを宝石で装飾した1点物の豪華な小説があるなら物理的に希少で高級な小説と言えるかもしれないけれど、小説は発表媒体よりも内容が重要なので、そんなものを作る小説家はいないだろう。絵画はゴッホの絵が生前はほとんど買い手がいなかったのに死後に徐々に価値が高まっていったように、時勢次第で価値が大幅に変動するし、鑑賞する人によっても価値が異なる。それに美術館に展示されている絵画は数千円払えば誰でも鑑賞できるので、高額な絵画はあっても高級な絵画はないだろう。映画は制作費に何十億円もかけていても内容が良いとも限らないし、基本的に大衆向けの娯楽なので映画館やストリーミングで誰でも安価に見れるので、高級な映画はない。しかし椅子の快適さにこだわった高級な映画館はありうる。こうして考えてみると、コンテンツビジネスに関しては作品の内容が高級かどうかというより、作品を鑑賞する環境が高級かどうかのほうが高級感に影響があると思われる。日常の読書や映画鑑賞とかでも快適な環境で鑑賞すれば贅沢なひと時の高級感が出て満足度が増すのかもしれない。
2025.12.23
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19世紀のイギリスの諜報員が屍兵を調査する話。●あらすじ・プロローグわたし(ジョン・ワトソン)はロンドン大学医学部の講義でヴァン・ヘルシング教授が死体に疑似霊素をインストールして「フランケン」を作る様子を観察して、ヴァン・ヘルシング教授とセワード教授に連れられて貿易会社を装った政府機関を訪ねてMを紹介される。・第一部1878年、わたしは3カ月かけてQ部門から貸与されたフライデーというクリーチャーを調整して翻訳機能をつけてわたしの行動記録をつけさせて、ボンベイに行って副王のリットンに会って、心臓に杭を打たれた女のクリーチャーが『屍者の帝国』の構成員だと紹介される。バーナビー大尉と会ってインダス川を遡って、ロシア帝国の協力者のクラソートキンと会ってアレクセイ・カラマーゾフが100体の屍兵を盗んでアフガニスタンに逃げたと聞いて、アフガニスタン国境のカイバル峠でイギリス軍とアフガニスタン軍の戦闘を見物して相手の動きを先読みする青色の屍兵「完璧な人形」を眺める。アフガニスタンに入国してカラマーゾフ兄弟と会うと、兄のドミートリイは新型の屍者になっていた。アレクセイはフランケンシュタインが最初に作った怪物「ザ・ワン」の痕跡を追っていたが、阿片を吸って死ぬ。・第二部1879年、わたしとフライデーとバーナビーはロシア帝国の新型屍兵の技術要件が日本に流出した可能性があるのでフランケンシュタイン査察団(リットン調査団)として日本に行って、ザ・ワンの秘密が記されているというヴィクターの手記を探しに大里化学を訪ねると、既に屍兵に襲撃されて職員が殺されていて、バーナビーが新型屍兵を倒す。大里化学から持ち出したヴィクターの手記のパンチカードをフライデーに読み込ませていると、わたしは屍兵からコレラに感染して倒れる。コレラから回復するとカイバル峠で会ったハダリーがいて、ハダリーは前アメリカ大統領のグラントのお供をして各国の屍者事情を調査していると言うのでグラントに合うと、グラントが自身と日本皇帝が囮になってテロ組織をおびき出して一網打尽にする計画を立てたら屍兵が暴走する。わたしはハダリーが屍者を暴走させる方法を知っていてわたしをグラント暗殺犯に仕立てようとしたのだと推測して、バトラーはハダリーの暗殺計画からグラントを守ってきたと言って、ハダリーと取引して屍者暴走事件の原因は不明と公表する。・第三部わたしはサンフランシスコでミリリオン社を設立したバロウズとオペレーターとして配置された最新の屍者を見物して、大陸横断鉄道に乗ってフライデー、ハダリー、バトラー、バーナビーたちとザ・ワンを追っていると、Mの指令で襲撃をうけるもののバーナビーが撃退する。教会でピンカートンの手下から襲撃されるもののハダリーが屍者を操って倒して、教会の中で屍者を操るザ・ワン(チャールズ・ダーウィン)と戦闘になって降伏する。フライデーを通じてMに情報が筒抜けで、わたしが拘束されて潜水艦ノーチラス号でイギリスに行く途中、バーナビーが潜水艦を制圧して、ザ・ワンは屍者化を受け入れている拡大波をなんとかしないと生者も上書きされた屍者になるという。潜水艦でロンドン塔に突っ込んで礼拝堂に行くとヴァン・ヘルシングが現れてザ・ワンと対決して、ザ・ワンは花嫁を復元して行方不明になる。・エピローグわたしが経歴を偽装して旧友と会った後、ハダリーが口封じに来たので取引して、自分を屍者化してフライデーに隠していた十字架を自分に埋め込むことにする。●感想わたし(ワトソン)の一人称だけれど、いつの時点で誰に対してなぜ語っているのか不明で、一人称なのに現在進行形で書いているありえない語りの構図になっていて、ナラトロジー的な語りの体裁が整っていない。152ページに「国家によるフランケンシュタイン三原則違反。そんなものなど、公式ルートで発表することも、非公式ルートで伝達することもできはしない」と書いてあるけれど、諜報員がそんな機密をわざわざ小説として書いて読者に公表しているのはおかしい。もともとリアリティがない世界設定だけれど、語りの設定が不自然なのでますますリアリティがなくなる。フライデーが行動記録をしていることになっているけれど、フライデー自身が見聞きしたワトソンの言動を記録しているのか、ワトソンの認知や思考をテレパシーかなんかで読み取って記録しているのか、ワトソンが記録しろと指示したことだけ記録しているのか、フライデーの仕組みが不明なのもよくない。フライデーを通してワトソンの行動がMに筒抜けだという設定なのに、エピローグでフライデーの傷の中に大事な十字架を隠していたことがMにばれていなくてMに十字架を回収されなかったのはプロットが矛盾していると思う。私が需要な箇所を読み落として誤読しているのかもしれないけれど、つまらないし面倒くさいので読み返して確認する気も起きないし、読書に慣れた私でさえ誤読するのであればそんなわかりにくい書き方をするほうが悪い。構成としては、プロローグは大学の講義という体裁で世界設定を読者に説明していて、長編なら地の文で説明するよりもエピソード形式にするほうが読者が物語世界に入り込みやすくてよい。しかしその後の展開がだめで、医学部生のワトソンがなんでいきなり政府機関で働くようになったのか目的や動機が不明で、ワトソンの人物像を掘り下げないまま登場人物が増えていってワトソンが主人公というよりただ視点を提供する傍観者的な存在になっていてつまらない。一人称の小説は読者が語り手に共感しやすいところにメリットがあるのに、ワトソンの感情や思考をあまり書かないので共感できないし、一人称にする必然性がないので三人称で書く方がましである。戦闘シーンで活躍するのはほとんどバーナビーで、バーナビーが主人公を勝利に導くご都合主義的な存在になっている一方で、ワトソンに主人公らしい見所がない。第一部は誰かと会って会話して移動して、別の誰かと会って会話して移動して、別の誰かと会って会話して移動する繰り返しで、ワトソンが主人公として主体的に行動する場面がないし、400ページのうち160ページ読んでも面白い箇所がないので読書をやめたくなった。外国が舞台でカタカナの固有名詞が頻出して登場人物を覚えにくいのに加えて、外面描写もほとんどなくて人物像が想像できなくて印象に残らないし、そのうえ人物一覧表もないのでいったん退場した人物が再登場してもこいつ誰だっけとなってページを遡って人物像を把握しなおさないといけなくて面倒くさい。説明はやたら衒学的で情報量が多いけれど、重要でない枝葉末節の無駄な情報が多くて重要な情報がわかりにくくて物語の面白さにつながっていなくて作者の自己満足になっているし、場面が断片的で読者が知りたいことを書いていない。第二部でグラントを「暗殺」と言っているので死んだのかと思ったら第三部で普通に生きていたりして話がわかりにくい。帯に「早逝の天才・伊藤計劃の未完の絶筆が、盟友・円城塔に引き継がれ遂に完成」と煽り文句が書いてあったのでどんなもんじゃろうと思って読んでみたら期待外れで、伊藤計劃が天才でないか、円城塔が下手なのか、どっちかまたは両方なのだろう。円城が未完の作品に勝手に大幅に手を入れるわけにもいかなくて完成度が低いのは仕方がないとはいえ、小説の基礎的な技術を理解していなまま衒学的にうわべを取り繕ってごまかしたような書き方で、技術的な未熟さがそのまま物語のつまらなさになっている。ストーリーを楽しむ小説というよりはカラマーゾフの兄弟やフランケンシュタインとかの小説上の存在が登場する二次創作的な偽19世紀のスチームパンクゴシックホラースパイ風の蘊蓄まみれの雰囲気を楽しむ感じで、このジャンルに興味がない人はわざわざ読むほどの作品ではない。★★☆☆☆屍者の帝国 (河出文庫) [ 伊藤 計劃 ]価格:858円(税込、送料無料) (2025/12/9時点)楽天で購入
2025.12.09
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最近はスパイ防止法について議論されているので、徒然なるままにスパイについて考えることにした。●スパイとは何かスパイは政府に雇われて諜報活動をする諜報員で、敵の諜報員はスパイと呼ばれて、味方の諜報員はエージェントと呼ばれる。スパイと工作員は活動内容が違っていて、スパイは情報収集をするのに対して、工作員は違法な荒事をやる。今はインターネットで外国の情報収集ができるけれど、昔は現地で情報収集しないといけなかったので、第二次世界大戦時には世界中にスパイがいて、グレアム・グリーンやサマセット・モームとかの小説家もMI6の工作員として諜報活動をしていたし、日本でも陸軍中野学校でエージェントを養成していた。日本国内にも外国に協力するスパイがいて、旧ソ連はシベリア抑留した日本人の中から陸軍の志位正二とかの利用価値がある人を選んでエージェントにしていたし、読売新聞の正力松太郎はCIAのエージェントとして工作活動をしていたことがアメリカの公文書の公開で判明した。スパイ防止法については現行法で対処できるから必要ないという意見もあるけれど、対処できていないからこそ北朝鮮の工作員による拉致事件が起きて日本はスパイ天国と呼ばれる状況になっている。現行法では国家公務員とかと接触して重要情報を探す行為については罰則化されていないそうで、外国人のための政治をすると公言する左翼政治家が情報を漏洩しないように罰則が必要だろう。G7諸国でスパイ防止法がないのは日本だけで、日本のスパイ対策が不十分だと同盟国から危険視されて有事の際に重要な情報がもらえないこともありうるので、最低限国際的な基準と同程度までは対策するべきだろう。●スパイと工作員の活動・情報収集スパイはターゲットの交友関係とかのプライベートな部分まで調べて、同じ趣味を装ったり、恋仲になろうとしたり、隣に引っ越してきたりして友好を装って接近してくる。そんで家に出入りする人を見張ったり、車や鞄にGPSをつけて行動を監視したり、留守中に盗聴器を仕掛けて言動を記録したり、パソコンの暗証番号を破ってハッキングしたり、アプリにキーロガーとかのスパイウェアを仕込んだり、ルーターとかの通信機器にバックドアを仕込んだりして情報を抜いたりする。国家公務員が仕事帰りに酒を飲んで前後不覚になって書類を紛失するのもスパイが関与している可能性があって、行きつけの店や好みのタイプを把握されて睡眠薬を盛られることも考えられる。ターゲットが男性の場合はハニートラップとかで弱みを握って協力者に仕立て上げたり、警察官や自衛隊員と結婚して機密情報を聞き出したりもする。産業スパイは企業の従業員に金を払って協力者にして個人情報や設計図とかの内部情報を持ち出させる場合もあるし、自身が企業に雇われて出世して重要な情報にアクセスできるようになってから情報を持ち出す場合もある。・破壊工作工作員はパソコンをハッキングして機密情報を書き換えたり、削除したり、アクセスできないようにしたりするだけでなくて、敵国の重要施設を破壊したりもする。インフラが破壊されると生産や輸送ができなくなるので、戦争が起きると発電所や空港とかのインフラが狙われる。2022年にはロシアからドイツに天然ガスを送る海底パイプのノルドストリームが爆破されてウクライナ国籍のダイバーが逮捕されたけれど、犯行グループはウクライナ政府が雇った工作員なのだろう。中国がフェンタニルの製造に補助金を出してアメリカに密輸して中毒者を増やしているけれど、これは密輸で利益を得るためというよりアメリカを内部から破壊する工作だろう。ターゲットのネガティブな噂を流したり浮気させたりして人間関係も破壊する。・影響力工作最近はXがアカウントの所在地を表示する機能を実装したことで、沖縄独立を主張するアカウントが中国から発信されていることが判明した。中国は金盾(きんじゅん)というネット検閲システムがあって、一般の中国人は欧米のSNSへのアクセスが遮断されてXに直接接続できないので、中国が発信元になっているXアカウントは五毛党と呼ばれる中国共産党のネット工作部隊が運用して世論誘導していると思われる。将来中国が沖縄に侵攻したときに偽旗作戦で沖縄独立派が殺害される動画をでっち上げて、迫害されていた沖縄独立派を救出したと大義名分を掲げるための下地作りをしているのだろう。他にもXで日本の男は最低だと主張している反日アカウントやフェミニストの所在地が韓国だったのがばれたけれど、これも未婚者を増やして少子化を促進して国力を落とす工作の可能性がある。ロシアのウクライナ侵攻の際には敵の兵士が民間人を蛮行している動画を作って自国に大義があるのだと国際社会に向けて宣伝したりして、偽情報を拡散して攪乱する。習近平やプーチンが死亡したとか重病で危篤だとかの偽情報がたまに流布されるけれど、それで他国がどう反応するのかを観察するために意図的にやっていて、批判的な人が食いつきやすい餌をぶら下げて監視対象を絞り込んでいるわけである。工作員は民間人を装って歴史の改ざんや捏造をしたりして自国に有利な状況を作ろうとする。アイリス・チャンが『ザ・レイプ・オブ・南京』を発表して精神病で自殺したけれど、これは中国共産党のプロパガンダに利用されて用済みになったので余計なことを話さないように口封じに殺された可能性もある。アメリカのANTIFAは中国共産党を支持する一方で反共和党のデモをしているけれど、ここにチャイナマネーが流れているようで、トランプは2025年9月に大統領令でテロ組織に指定した。・暗殺、脅迫、拉致しばしば言論の自由がない国から欧米に移住して反政府活動をしたり、母国で命を狙われて亡命したりする場合があるけれど、外国だからといって安全なわけではなくて政府が工作員を派遣して殺害している。カナダでは2023年にシーク教徒の独立運動をしていたハルディープ・シン・ニジャールがインド政府職員に雇われたインド人の暗殺者3人に殺害されて、アメリカでもシーク教徒を殺害しようとしたインド人のニキル・グプタが逮捕された。2022年には天安門事件の学生リーダーのひとりだった李進進がニューヨークで弁護士として活動していたらアメリカに来たばかりの中国人女性の張暁寧に殺害されている。イギリスでは2018年にロシアの軍参謀本部情報総局(GRU)の工作員がイギリスに亡命していた元情報機関員のセルゲイ・スクリパルを神経剤のノビチョクで暗殺しようとして、イギリス人女性が使用後の小瓶を拾って中毒になって死亡している。2017年にはマレーシアで北朝鮮の工作員が神経剤のVXで金正男を暗殺した。暗殺まで行かなくても、反政府的な主張をする学者や文化人に付きまとって相手をいつでも始末できるぞと仄めかしてノイローゼにしたり、セクハラや不倫とかの不祥事に巻き込んで失脚させたりする。北朝鮮の工作員は日本人を拉致して日本語講師にして、朝鮮人に日本語を覚えさせて背乗りして日本人になりすまして工作活動をしていて、ラジオで乱数放送をして在日工作員に指示を出していた。●スパイへの対策・重要な施設に不審者を入れない2024年に中国人が奈良県大和郡山市議会、山形県新庄市議会、宮城県塩釜市議会に無断侵入して動画を撮影してSNSに投稿した事件が起きて、2025年1月に女性が衆議院赤坂議員宿舎の岩屋毅の部屋に不法侵入した事件が起きた。最悪の場合は議員宿舎に爆発物を仕掛けられてテロを起こされるかもしれないので、まずは重要な施設に不審な人物を物理的に侵入させないことがスパイ対策になる。セキュリティゲートを設置して、身分確認を徹底して、訪問者の滞在時間を記録に残しておくとかが必要だろう。・サイバー攻撃に備える2017年には内閣府や防衛省の職員を装ったウイルス添付メールが防衛省OBや海洋政策関係者に送られていて、APT10と呼ばれる中国政府の支援を受けたハッカー集団のサイバー攻撃だと判明した。政府機関の個々の職員のITリテラシーを高めるのは重要だけれど、全員が最新のサイバー攻撃に詳しくなるのは無理なので、ウイルス対策ソフトやメーラーとかのソフト側で対処するほうがよいだろう。政府自体はサイバー攻撃に十分な対策をしているので直接政府が狙われるわけではなくて、政府の取引先の〇〇重工の子会社の取引先の下請けの〇〇製作所とかの資金力が乏しくて高度IT人材を雇えなくてセキュリティ対策が不十分な所が狙われて政府に納入する機器の仕様が漏れたりするので、政府関連の仕事をするところには政府が無償でセキュリティ対策を支援するほうがよいかもしれない。・国産の機器を使うレバノンでヒズボラが使っていたポケベルが一斉に爆発したけれど、このポケベルを製造した会社はイスラエルのフロント企業で、イスラエルによる破壊工作だと言われている。アメリカはIT機器のバックドアを警戒してファーウェイとかの中国製品を排除した。ノルウェーが中国製EVバスの安全性のテストをしたら外部から遠隔操作してバスをストップできるセキュリティーリスクが判明して、これが悪用されたら戦争時に橋やトンネルや踏切でバスを強制停止させて交通を麻痺させて軍事車両の通行や住民の避難を妨げることが起こりうる。発展途上国だと製造業の技術がないので全部国産にすることができないけれど、先進国なら割高になっても国産にするか、あるいは信用できる同盟国から買うのがよい。外国人に食べ物以外の贈り物をもらったときも盗聴器を警戒して、時計とかの電力を使う物をそのまま部屋に飾らないほうがよい。・本人確認を厳格にするスパイは身分証明書を偽造して身分を使い分けたり、整形手術をして顔を変えたりして、スパイだとばれないように出入国する。2024年12月に中国籍の女性がマイナンバーカードを偽造した容疑で逮捕されたように、身分証明書は偽造できるので本人確認の手段としてはあまり信用できない。指紋や目の虹彩や声のパターンとかの整形手術や身分証明書の偽造ではごまかしにくいところを基準にして認証するなら背乗りでのなりすましを排除できるだろう。あるいはもっと技術が進歩したら血液や髪の毛とかの遺伝子情報を瞬時に解析して本人確認できるようになるのかもしれない。・重要な話は対面でやる電話やメールとかの機器を仲介する通信だと、通信機器にセキュリティーホールがあると通信内容を傍受されてしまう。最近はAIで本物そっくりの顔と声を合成できるのでビデオ通話でもなりすましの可能性があるし、特にメディアへの露出が多い経営者や政治家はAIの素材が多くなってなりすまししやすくなってしまう。安倍とトランプが一緒にゴルフして仲良くなったけれど、これは単に趣味を楽しんでいるのでなくて、広くて不審者が近づけなくて盗聴されにくい環境で重要な話をしている。あるいは自社ビルの会議室での対談なら会議室内に盗聴器がないかどうか事前にチェックできるし、会議室内への電子機器の持ち込みを制限したり会議中のwifiをオフにしたりして盗聴対策できるので、情報が洩れる危険が少なくなる。・外国人を要職につけない韓国の大手通販サイトのCoupangで3370万人分の個人情報が流出したけれど、IT担当やマネージャーに中国人が多くて中国籍の元社員が関与したと疑われている。個人情報は詐欺に使われるだけでなくて、薬の購入履歴で持病が把握されたり、推し活グッズの購入履歴で好みのタイプが把握されたりして、暗殺やハニートラップとかにも個人情報が利用されてしまう。サイトのアクセス権限を厳重にしたところで責任者がスパイだと意味がないので、経歴が怪しい外国人は要職につけないほうがよい。・性欲を抑える政治家や経営者や学者や技術者に美男美女が寄ってきた場合はモテ期が到来したわけではなくて、スパイが「べんごし」や「こうほうの女」とかの好みのタイプを調べたうえでハニートラップを仕掛けている可能性が高いので、海外出張で接待されても隠しカメラで撮影されているものだと思って羽目を外してはいけない。政財界でトップに行く人はたいてい金銭欲や出世欲や名誉欲や性欲が強くて、特に若いうちに勉強漬けでモテなかったぶさいくな人が歳をとって地位を得ると接待でちやほやされるとうれしくなって性欲の歯止めが効かなくなることがあるけれど、そこが敵国にとって付け入る隙になる。安倍晋三が訪中したときに中国の美女の接待を断ったら男色だと勘違いされてイケメンが接待したというエピソードもあるし、新人議員にすぎない杉村太蔵でさえ会食をセッティングされて3人のタイプが違う美女の接待を受けたそうなので、あの手この手でハメて弱みを握ろうとする相手の前で隙を見せてはいけない。●スパイだと疑われないための対策・立ち入り禁止のところに行かないDQN釣り人は魚がスレていないところで釣りをしたがって立ち入り禁止の場所に行こうとするけれど、テロ防止のためにSOLAS条約で指定された湾港関連施設は関係者以外立ち入り禁止になっていてフェンスで覆われていたりして、違反すると1年以下の懲役又は50万円以下の罰金が科される。港湾は密輸や密入国を防ぐための重要な施設なので、フェンスを壊したり侵入したりしてはいけない。不法侵入しないとしても重要な施設の周辺をうろつくだけでも怪しいので、用事がないなら近づかないほうがよい。・外国でむやみに写真や動画を撮らない2024年12月にベラルーシで高架橋を撮影した日本人男性がスパイ容疑で拘束されて、アメリカのケロッグ特使がルカシェンコ大統領と会談したおかげで恩赦されている。中国や北朝鮮とかの基本的人権が尊重されない国だと公平な裁判も受けられなくて、罪を認めずに有罪になるか、罪を認めて減刑されて有罪になるかの二択で、疑われた時点で有罪になる可能性が高い。日本なら鉄オタやダムオタやミリオタとかの趣味に理解があっても、外国だとなんでそんなものの写真を撮るんだと怪しまれるので、日本では見たことがないような珍しい施設や特殊車両を見かけてもむやみに写真や動画を撮らないようにして、仕事や観光以外の目的を疑われるような行動は避ける必要がある。・怪しい組織に所属しないテロを起こす可能性がある政治団体やカルト宗教は公安調査庁の監視対象になる。特に外国が母体になっている団体に所属するとスパイと交遊がある人物としてマークされて取り調べを受ける可能性がある。例えば中核派の拠点はハングルだらけで、北朝鮮のスパイが活動をしていると思われる。世間知らずの大学生はしばしばオルグのターゲットになって、大学で国際交流サークルだと言われて美男美女の外国人だらけのリア充サークルに参加したら親しくなってから別の怪しい組織に勧誘されることもありうるので、何かサークル活動をするにしても参加する前に親や友人の意見を聞くとかして慎重になるほうがよい。・外国人と親しくなりすぎない日本人は親切な人が多いので困っている外国人にも親切にしようとするけれど、その親切心がスパイに利用されかねない。ある程度親しくなった後で留守中の荷物の受け取りや発送を頼まれたり資料集めを頼まれたりする場合は無自覚なままスパイ活動に加担させられる可能性があるので注意が必要である。貧乏な学者や映画監督とかに外国人のスポンサーがついて、金銭的支援の代わりにプロパガンダの拡散とかの影響力工作に協力させられることもありうる。・敵対する国家に行かないロシアは日本の対ロシア制裁への対抗措置として日本人30人を入国禁止にした。イスラエルでもエジプトやヨルダンとかの周辺の対立する国家の出入国スタンプがある外国人の入国を拒否する可能性がある。入国を禁止されていない人でも敵対する国家間を行き来しているとスパイの疑いをかけられかねないので、外国でビジネスをする人は担当する国を分けるほうがよいだろう。・外国の政治に意見を言わない在日外国人が母国の政治について意見を言うのはよいとしても、日本人が外国の政治を賞賛して批判すべきところを批判しないと、こいつおかしいぞと疑われる。最近は某元知事がやたらと中国を賞賛していて、ハニートラップにかかったと言われている。日本人が外国に滞在しているときは政治の話題を避けるほうがよい。特に中国のような言論の自由がない国だとアウトとセーフの線引きが不明瞭だし、個人が独裁国家に目を付けられたら無実だろうが対抗しようがないので何も言わないほうがよい。日中青年交流協会の元理事長の鈴木英司氏は30年友好のために活動したのに2016年にスパイ容疑で拘束されて6年の実刑判決を受けたくらいだから、一般人は仕事や観光とかで中国に滞在するにしても友好の夢を見てはいけない。日中友好が中国共産党の意に反するのなら日中友好のための活動は人民を反体制に扇動する工作活動とみなされる。●フィクションのスパイ・エージェントスパイやエージェントをテーマにしたフィクションで一番有名なのはジェームズ・ボンド(007)シリーズで、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアとかのダンディーな俳優が美人のヒロインをはべらせて格好いいスパイ像を確立して世界的に人気のシリーズになった。『ミッション・インポッシブル』シリーズはトム・クルーズが体を張ったアクションをして人気になった。コメディとしては子供が主人公の『スパイキッズ』がある。日本でスパイをテーマにしたフィクションは漫画の『SPY×FAMILY』が人気で、西洋的な国が舞台だけれど主人公のアーニャに思考を読む超能力があったり、偽装結婚したフォージャー夫婦のラブコメ展開になったりするあたりが日本っぽい工夫と言える。日本のドラマや映画は洋画に比べてスパイものが少なくて、名作というようなものが思い当たらない。ドラマの『VIVANT』の主人公は別班の特殊工作員という設定だったけれど、1話1億円かけたのを売りにした割にはアクションシーンがいまいちだった。映画だとカーチェイスしたりヘリコプターから飛び降りたりするアクションに金がかかるし、『踊る大捜査線』や『相棒』とかがヒットしたように刑事もののほうが人気で撮影スタッフも作り慣れていて、日本人は泣き落としや勧善懲悪とかの人情ものの展開を好んで冷酷に任務を遂行するスパイには感情移入しにくいので、わざわざ金をかけてスパイものをやる理由がなくて作品数が少ないのだろう。時代劇の忍者もスパイと言えるけれど、忍者をテーマにすると派手な忍術を使って戦うような忍ばない展開になりがちで、地味な諜報活動に焦点を当てたフィクションは探せばあるのかもしれないけれど私は見たことがない。スパイもののストーリーとしては、美男美女のスタイリッシュなスパイが外国の犯罪組織の陰謀を暴いて颯爽と悪党を倒す感じの似たような展開になりがちで、プロット自体は特に面白味がないので私はジェームズ・ボンドシリーズもミッション・インポッシブルシリーズも別に好きでもない。娯楽作品は派手な展開のほうが好まれるし、現役のスパイの活動内容を取材しようとしても誰がスパイなのかは国防上明かされないので、スパイの地味な諜報活動に焦点が当たらずにリアリティがなくなる方向の展開になるのは仕方がないのだろう。
2025.12.02
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最近はスーパー戦隊シリーズがグッズの販売不振とかが理由で終了するようなので、徒然なるままにスーパー戦隊ついて考えることにした。●スーパー戦隊とは何ジャースーパー戦隊は東映が制作してテレビ朝日系列で放送された特撮テレビドラマで、カラフルなヒーローが自由や平和を守るために活躍するシリーズで、たいてい5人組で、レッドやブルーやグリーンやブラックは男性で、ピンクやイエローは女性で、作品の連続性はなくて作品ごとに違う世界設定になっている。1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」から始まって50年続いた人気シリーズとなっていて、1980-90年代は〇〇マン、2000年代以降は〇〇ジャーのタイトルになっていることが多い。●スーパー戦隊のメリットジャー・勧善懲悪ジャー普通に重火器で武装した特殊部隊が戦って敵のテロリストを銃殺するとリアリティがありすぎて子供のトラウマになったりして教育上よろしくないので、変身したり巨大ロボットに乗ったりしてあえてリアリティをなくす方向に特徴づけて勧善懲悪の情操教育をしているといえる。リアリティがない勧善懲悪がテーマだとシナリオ考案のための取材コストとかがかからなくなってストーリーが作りやすくなる。・変身ジャー子供向けのテレビ番組はたいていおもちゃを売るために作られているので、武器やベルトとかの小道具が多いほど良い。ヒーローに変身したら強くなるという設定にすることで、子供が変身グッズを買ってヒーローになりきることができるし、スーパー戦隊は顔が覆われているのも子供がヒーローになりきるのにちょうどよい。変身すると中の人をスーツアクターに交代できるのも機能的で、アクションができなけど顔がいい若手俳優を起用できる。変身後も全身タイツで顔の黒い部分は透過しているので動きやすいだろう。物語の展開上でも変化をつけることができて、ずっとコスチュームを着ているわけではなくてまずは俳優が話を進めて、怪人が出てきて変身して戦いのフェーズに入るという展開なので、話の展開がわかりやすくなる。・色分けジャー子供はカラフルなわかりやすい色を好むし、色分けされていることでキャラの外見がわかりやすくなって幼児でも大勢のキャラの見分けがつくし、戦闘シーンとかで敵のモブに囲まれたりしても目立って見栄えがよくなる。マーベル系の単独ヒーローが多いアメリカでもパワーレンジャーが人気なので、国や人種に関わらずカラフルに色分けされた戦隊は幼児にウケる要素と言えるだろう。主人公グループを色分けするやり方はスーパー戦隊が元祖かどうかは知らないけれど、セーラームーンやアイドルグループのメンバーカラーとかにも受け継がれて広く使われている。・興行ジャーデパートで客寄せにやっているヒーローショーとかは仮面で顔を隠せるのがメリットになって、スーツアクターの中の人が誰であれ子供を騙して盛り上げることができる。決めポーズもあるので、子供と一緒に写真を撮るのにも向いている。着ぐるみでの興行だと空気がこもって中の人に熱中症のリスクがあるけれど、スーパー戦隊の全身タイツなら野外ステージの興行でも熱中症のリスクは低いだろう。・地域おこしジャーテレビ番組のスーパー戦隊以外にもスーパー戦隊風のローカルヒーローがいて、地域ごとの特色をつけてイベントに動員して話題作りをしている。●スーパー戦隊のデメリットジャー・はまる期間が短いんジャースーパー戦隊は幼児から小学校低学年の男児向けの内容で、思春期になると自己同一性が形成されてヒーローになりきるごっこ遊びをやらなくなって、青少年向けのコンテンツに移行したり、部活をやるようになってちょっと年上のメンターに憧れたりして、幼稚な子供向けのコンテンツが恥ずかしくなって離れていく。私は幼児の頃に何かのスーパー戦隊を見たはずだけれど、ほとんど記憶に残っていない。私が6歳の時に祖父が入院したので見舞いに行ったら何か買ってくれるというけれど、病院の売店で欲しいものが特になくて幼児向けの雑誌を買ってもらって、その表紙に赤いなんちゃらマンかなんちゃらジャーが大きく載っていたのだけれど、私はこういう子供っぽい雑誌は別に欲しくないやと幼児ながらに思っていたのは覚えている。・シリーズに連続性がないんジャーガンダムとかはナンチャラ戦争から〇年後の世界みたいに物語に連続性があって、いったんはまった人は同じシリーズを長年追うようになる。その一方でスーパー戦隊は毎年違うテーマの戦隊が出てきて連続性がないし、列車だの恐竜だののギミックは違っても正義のヒーローが悪を倒すようなありきたりな内容でシナリオに深みがないので、いったん飽きたらそれ以上シリーズを追わなくなる。シリーズに連続性がないのは新しいギミックを試しやすいので、すぐに飽きて目移りする幼児を楽しませるには十分だけれど、そのぶんコンテンツの寿命が短くなる。・主人公の魅力が乏しいんジャースーパーせんたいフレンズのせんたいヒストリーのページにスーパー戦隊の一覧があるけれど、主役はたいていレッドで、たいてい目のところが黒くなっていて、デザインに個性があまりない。作品ごとにガジェットで差別化しているものの、主人公自体に突出した外見や内面の魅力があるわけではない。・製作費がかかるんジャー戦闘シーンはたいてい野外ロケで、山まで移動して爆発物を仕込まないとといけないし、天気が悪いと撮影できないし、悪役の特殊メイクや小道具とかにも費用がかかる。50年前はアニメがまだ未発展なので特撮に金をかけて爆発とかの派手な演出をする価値があったけれど、現代ならアニメのほうが費用をかけずに派手な演出ができるようになって、特撮は製作費がかかる割に演出が見劣りしている。・敵が大変ジャー戦隊側はアクションシーンの動きやすさを重視しているのか基本的に全身タイツとヘルメットであまり変わらないのに対して、敵は宇宙から来たとかの設定でイカみたいな触手を生やしたり顔が異形だったりいかつい鎧を着たりして個性的で、幼児にもわかりやすいように外見で悪さを表現していて敵の造詣のほうが凝っている。敵側のおもちゃは人気がなくて売れないだろうに、敵に凝らないと差別化できないのは大変である。・ビジネスモデルの変化に対応できないんジャー20世紀は大量生産大量消費のモノの時代だったので子供がプラモデルとかのおもちゃの実物を欲しがったけれど、21世紀はデジタルコンテンツの時代になって、デジタルネイティブ世代の子供はスマホや携帯ゲーム機で遊んでアバターやガチャとかのデジタルコンテンツにお金を使うようになって、昔ほどおもちゃを買わなくなった。そのうえ少子化で子供の数が少なくなっておもちゃの販売数が減るし、年が近い兄弟がいたらスーパー戦隊ごっこができるだろうけれど一人っ子だとスーパー戦隊ごっこ遊びはやりにくいし、テレビがない家庭も増えている。バンダイナムコホールディングスによると仮面ライダーの関連商品の売上が307億円、プリキュアが79億円、スーパー戦隊が64億円で、正義のヒーローが悪を倒すという似たようなストーリーでもグッズの売り上げに大幅な違いがある。たぶん大きいお友達がグッズを買うかどうかでも売り上げが変わって、大人はフィギュアとかのコレクション用のグッズに大金をかけるけれど、幼児用のおもちゃはたいていぶん投げたりして壊れたりするのであまり高いものは買わない。バンダイが東映にいくらキャラクター使用料を払っているのか知らないけれど、仮に売り上げの5%として、3.2億円以内で番組を制作しないとおもちゃから利益が出ない。スーパー戦隊は1シーズンで48-50話あるので、ざっくり計算して1話あたり6000万円以内で制作する必要がある。地上波の1時間のドラマの制作費は1話当たり3000万円くらいだそうだけれど、スーパー戦隊は30分番組とはいえ特撮に費用がかかると思われるので、あまり利益が出なさそうである。コンテンツだけを見たら子供にとってはまだ魅力的でも、ビジネスとして見たらおもちゃがあまり売れなくておもちゃの販売を見込んでコンテンツ作りするやり方ができなくなった。たぶんアニメやスマホゲームとかの低コストのコンテンツを展開したら多少は利益が出せると思うけれど、ストーリーが浅くて爆発的なヒットは期待できなくて伸びしろがない。●スーパー戦隊の可能性ジャースーパー戦隊はいろいろな可能性を秘めたコンテンツだと思うので、頭の体操としてスーパー戦隊のアイデアを考えてみる。・根菜戦隊ホウサクジャー農家たちが変身して人参ミサイルやかぼちゃ爆弾やだいこんソードを駆使して畑を荒らすイノシシ怪人と戦う。子供に食育ができて、家庭菜園キットを売って農業に興味を持つ子供を増やすことができる。・ふんどし戦隊オマツリジャー日本の文化を学びに来た留学生の宇宙人たちがカラフルなふんどしと法被を着たヒーローに変身して太鼓のばちで邪神と戦って、巨大神輿ロボを担いで敵に突撃して粉砕する。子供に祭りの文化を教えることができる。・プロレス戦隊トウコンジャー正統派レスラーがスーパー覆面レスラーに変身して、大気圏からのムーンサルトプレスで邪道レスラーを退治する。子供に闘魂を教えることができる。・ポリコレ戦隊ジンケンジャーホワイトレンジャー、ブラックレンジャー、イエローレンジャー、レインボーレンジャーがポリコレ棒を装備して悪の独裁者を倒して人権侵害を解消していく。子供に人権を教えることができる。・借金戦隊ハサンジャー正義の銀行員が変身してクレジットカードで高い武器を買って、悪の高利貸し星人と戦って破産しそうな人を助けていく。子供に金融教育ができる。・謝罪戦隊ゼンカモンジャー前科がある俳優たちが償いのために正義のヒーローに変身して街に出没する変質者をこらしめて反省させる。子供に謝って済んだら警察はいらないことを教えることができる。・清潔戦隊オオソウジャー清潔好きのヒーローたちがかっこいいハイパー掃除機やハイパーモップを使って地球をゴミだらけにしようとする敵を退治する。掃除ができるおもちゃを売って子供に掃除を手伝わせることができる。・伝統戦隊ノウメンジャー伝統芸能の演者たちが能面をかぶって変身して、合体して巨大獅子舞になって悪のヒップホッパーを倒す。子供に伝統芸能を教えることができる。・論破戦隊ゲンロンジャー言論人たちが変身して地球制服をたくらむ敵と対話して論破したり殴ったりして改心させる。子供にディベートを教えることができる。・恋愛戦隊セイシュンジャー男女の混成グループがどろどろの恋愛をして、生理で機嫌が悪くて合体技に失敗して喧嘩したり他の相手とくっついたりしながら人の恋路を邪魔する悪のナンパ星人を退治する。ませた子供に大人の世界を教えることができる。・共産戦隊カクメイジャー共産主義者たちが全員レッドに変身してかっこいい鎌と槌を使って悪の資本主義者たちを粛清していく。子供を革命戦士にすることができる。・匿名戦隊ダレジャー身バレしたくない人たちが変装してプライバシーを暴こうとする悪のパパラッチを退治して正体をごまかす。子供にプライバシー保護を教えることができる。・推理戦隊ハンニンハオマエジャー天才高校生探偵たちがヒーローに変身して推理グッズを駆使して難事件を解決していく。子供に論理的思考を教えることができる。・爆煙戦隊ガンジャーレゲエ歌手がグリーン多めの戦隊に変身して、何かの草をいぶした煙を浴びせて敵をぽやーんとさせて退治する。子供にピースでポジティブな愛のバイブスを教えることができる。
2025.11.24
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前に熊について考えるという記事で熊の危険性について考えたけれど、最近は熊の頭数が増えているようで目撃情報も増えて、秋田県や岩手県とかで熊による死者も出ているし、外国人旅行者に注意喚起もされている。しかし熊以外にも危険なものはあるので、いろなものの危険について考えることにした。●危険とは何か生物にとって危険なものや状況は生死に直結するので偏桃体で本能的に危険を判断していて、たいていの動物は蛇をみたらその種に毒があろうがなかろうが警戒して瞬時に攻撃するか逃げるかの判断をするし、本能的に餌として食べるものを分別して飢えているときに派手な色の蛙や食べたことがない木の実とかを見かけても毒を警戒して食べようとしない。不安について考えるという記事でも考えたけれど、不安は恐怖と心配に区別されて、恐怖は具体的な刺激で、心配は具体的でないものである。これは安全と安心が違うと言われているのとも似たようなもので、恐怖が取り除かれれば安全だといえるし、心配が取り除かれれば安心だと言える。●様々な危険・無知による危険動物は本能で危険に対処するけれど、人間は知識によって危険に対処する。例えば植物図鑑を見れば毒があって食べられない野草や木の実やキノコがわかるし、家電の取扱説明書には正しい使い方をしないと感電や発火の危険があると書いてあるので危険を回避できる。逆に言えば、危険について学ぼうとしないこと自体が危険な状態である。例えばフィッシング詐欺や振り込み詐欺とかは巧妙な手口で行われて初見だと詐欺だと見抜きにくいので、自分には関係ないと思わずにまず手口を知ることが詐欺防止になる。・無防備による危険夏になるとライフジャケットや浮き輪とかを使わずに川で泳いで溺れて死ぬ人がしばしばいるけれど、数千円の装備があれば死なない確率が高くなるのだからちゃんと準備をするべきである。DQNはしばしばヘルメットをかぶらずにバイクでスピードを出したりウイリー走行したりして運転ミスで事故を起こして死んだりするけれど、危険なことをするのが格好いいと思っている人は早死にする。・散漫による危険新しい文明の利器が発明されると、それに伴って新しい危険も生まれる。スマホが発売されてから「ながら運転」の事故が起きて自動車や自転車の運転中のスマホの操作は規制されて罰金を取られるようになったけれど、歩きスマホはまだ規制されていなくて、イヤホンをつけてスマホを見ながら歩いて事故に遭う人が少なからずいる。揚げ物とかの料理を作っている最中に他の用事を済まそうとして台所を離れて火事を起こす人もいる。こういう事故は一つ一つの動作にちゃんと注意を払っていれば防げたはずで、機械を操作したり火や薬品を使ったりするときは他の事に注意をそらすべきではない。・バイアスによる危険人間は認知にバイアスがかかることで、進んで危険な状況に突っ込んでしまうことがある。例えば電車に白人男性が座っていて隣の席が空いているけれど、入れ墨だらけで目が薬中みたいにうつろでぶつぶつ独り言を言っている場合、普通に危機管理する人ならこいつヤベーやんけと思って隣に座るのを避ける。しかし一部の人は自分は外国人を差別しないんだと態度で示そうとして、他に空いている席があってもあえて危険な席に座ろうとする。国籍や人種に関わらず危険な人は危険だろうに、バイアスがかかることで正常な判断ができずにかえって自ら危険な選択をするようになってしまうわけである。スウェーデンで難民を支援していたElin Krantzという女性が2010年にエチオピア人に殺害されたように、かわいそうな人を助けて善行をしているというバイアスがかかったせいでわざわざ危険な悪人を国に招き入れて自業自得な死に方をしていて、その後もスウェーデンは難民や移民を入れ続けてヨーロッパ随一の犯罪多発国になっていて、愚者は経験に学ぶというビスマルクの格言を体現するような間抜けなことをしている。・目に見えない危険ウイルスや細菌や薬品の細胞への作用とかは肉眼で直接見る事ができなくて、研究者が電子顕微鏡とかで調べないと危険性がわからないし、一般人にはなおさら危険性がわかりにくいので対処が難しい。2022年と2023年には約13万人の超過死亡者が出て2021年の約2万人に比べて10万人以上急増したけれど、Wellness Daily Newsの「厚労相、超過死亡と原因不明死を説明 死亡増加の要因分析は「専門家と検討」」という記事によると「コロナワクチンが死亡に与えた影響に関する分析は行われていない」そうで、未だに超過死亡や原因不明死の原因がよくわかっていなくてこれから検討するようである。よくわからない理由で予測よりも10万人以上多く死んでいるのは熊とか原因がわかっているものよりも恐ろしい。ステイホームで運動不足になって健康状態が悪化して死者が増えたとかの何かしらの理由があるなら納得できるけれど、ワクチンの様々な副反応が原因で死者が急増したなら薬害として補償が必要になる問題なので、ちゃんと調査してほしいものである。・時間がかかる危険ビーバーがダムを作って川の水をせき止めて、ダムが決壊したら下流の生物は多大な被害を受けるけれど、下流の生物はダムが決壊するまではそれを危険とは感じない。動物は五感で感じる危険には反応するけれど、未来の危険を考えるほど頭が良くない。人間は動物と違って時間の概念があるので因果関係から未来に起こりうる危険を推測できるけれど、前提が間違っていると推測も間違うので、危険を予知するのは難しい。それに現在を生きるのが大変だと未来のことまで考える余裕がなくなる。それゆえに危険が顕在化するまで時間がかかる場合はその危険が見逃されてしまう恐れがある。例えばがんは早期発見できれば治療できるけれど、放置してがんが大きくなると転移したりして治療が難しくなって生存率も下がる。移民もがんに似ていて、価値観が異なる少人数が短期間滞在するだけならたいして問題は起きないけれど、大人数が長期間滞在すると外国語しか通じないコミュニティができて警察の捜査が不十分になってギャングが勢力を拡大して、問題が顕在化してから対処しようとしても手遅れで政治家が賄賂で抱き込まれて便宜を図ったりして解決が難しくなる。ヨーロッパだと中東やアフリカからのイスラム教徒の移民が増えて性犯罪やテロや教会や遺跡とかの文化財の破壊が問題視されて右派政権に交代して反移民政策が取られるようになるまで10-20年かかるようである。ロンドンではパキスタン系イスラム教徒の移民2世のサディク・カーンが市長になって、スーツを着こなす英国紳士の街でなくなって黒ずくめのイスラム教徒が道路で集団で胸をペチペチして示威する街になった。ニューヨークではウガンダ出身のインド系の移民のイスラム教徒の民主社会主義者のゾーラン・マムダニが7歳の時にアメリカに移住して34歳で移民1世の市長になった。ロンドンやニューヨークのような大都市の新興移民たちは祖国のために先祖が戦争で血を流した経験がなくて先住者と同じ歴史を共有していないので、必然的に保守的な価値観が失われていってリベラル寄りになるけれど、愛国心や郷土愛がなく利己的に他の国や地域に移住する寄せ集めの移民たちが伝統的な社会よりも優れた社会を作れるとは思えない。左翼は犯罪行為をしても罪に問われないようにしようとするけれど、これも社会にとって危険である。マムダニは労働者階級が生存のために犯罪をしているのだとして軽犯罪での裁判前の拘留や保釈を廃止しようとしているけれど、犯罪に対して対処が甘くなると窃盗が増えて小売店が潰れて失業者が増えていくと思われる。日本の左翼は不法滞在は犯罪でないと言い張って偽装難民や不法就労を支援していて、外国人の窃盗や性犯罪や強盗殺人や無免許飲酒運転の事故とかが起きている。シンガポールやUAEみたいに移民の権利を制限して移民に政治的な実権を与えないようにしない限り移民による政治的混乱や文化侵略の危険は防げないだろう。移民政策は失敗したら取り返しがつかないので、一番厳しい基準から始めて問題がないかどうか様子見してから徐々に基準を緩めていくほうがよいし、既に日本で不法残留者が約7万8千人いてその対処さえできていないうちに移民受け入れを拡大するべきではない。・過剰反応による危険アメリカのブラウン大学の研究で、過激な政治討論の映像を見せたときの脳活動を調べたら、他人の視点や感情の理解司る脳の領域で極右と極左で似たような活動パターンを示したそうな(Politically Extreme Individuals Exhibit Similar NeuralProcessing Despite Ideological Differences)。私の高校の同級生が大人になったらネトウヨになってバーで酔って「朝鮮人をぶっ殺せ」とヘイトスピーチをしていて私はドン引きして今は交流がなくなったけれど、彼は高学歴で頭は悪くないけれど自己愛性人格障害をこじらせて躁うつ病になったようで、自分より劣る外国人像を作り上げて攻撃することで優越感に浸りたいのだろうと思う。自己愛性人格障害の植松聖が障碍者に生きる価値がないとみなして殺人したのと同じような思考パターンである。たぶん極右も極左も極端な人は何かしらの人格障害や精神障害で、極右は憎悪の対象が外国人で、極左は憎悪の対象が日本人で、ミソジニーは憎悪の対象が女性で、フェミニストやミサンドリーは憎悪の対象が男性で、宗教原理主義者は憎悪の対象が異教徒になる。扁桃体は不安に強く反応するので極論によって敵視したものに対する不安が増して、扁桃体が刺激されてドーパミンやノルアドレナリンが出て前頭前野の自己抑制力が停止して、敵視したものを攻撃することでストレスを発散して快感を得ることで報酬系が強化されて、脳がさらなる極論を好んでより独善的・攻撃的に偏っていくのだろう。高市早苗が総理になったばかりでまだ何の政策もやっていないにも関わらず左翼が発狂して中身は男性だの媚びを売っただの現地妻だのと喚いているのが典型的で、こうした主観的で感情的な意見にその人の本性や偏見が出る。本来は危険でないものまで過剰に敵視して対立を激化させるのは不毛だし、ましてや自作自演や偽旗作戦で存在しない危険をでっちあげてまで相手を貶めようとするのは社会にとって害悪だし、極右ファシズムにせよ極左共産主義にせよ行きつくところは暴力による言論弾圧や思想統制で、極端な政治体制は失敗すると歴史が証明しているので極端になるのはよくない。自由を擁護するべき左翼が言論弾圧して、女性を擁護すべきフェミニストが高市を女性扱いしない矛盾した状況になっていて、左翼は目の前の敵を攻撃することに夢中になって自らのイデオロギーさえ自己否定して支持を減らしている自覚がないのだろう。常人と狂人の明確な境目があるわけではないけれど、相手の話を聞いて科学的根拠に基づいて論理的な議論ができず、意見や属性が異なる人に対して嫌いになるレベルを超えて憎しみを向けて危害を加えるようになったら狂人の領域に入っていると思う。相手の意見が間違っていると思ったら間違いを指摘すればよいだけで、脅迫や暴行とかの違法行為で黙らせようとしてはいけない。政治や宗教の意見だけがその人を形作っているわけではないし、政治的意見が違っても好きな食べ物や趣味とかの何かの共通点があるかもしれないし、一部が嫌いだからといってその存在をすべて憎む必要はないはずである。それに馬鹿な人を攻撃したところでその人の頭が良くなるわけではなくて反撃しようとしてかえって攻撃性が増すので、法的な対処が必要なこと以外は放っておけばいい。基本的人権として思想の自由や言論の自由がある以上は馬鹿な人が間違った意見を言ったり荒唐無稽な陰謀論を言ったりカルト宗教に入信したりする自由もあるのだから、馬鹿な人が馬鹿な主張をして不毛な活動に生涯を費やして不幸になるのも本人の自由である。アレルギーは本来攻撃する必要がない物質に免疫が過剰反応して攻撃することでかえってかゆみや炎症とかの害がでるけれど、意見の対立も似たようなもので、白黒思考で善悪を極端に判断して自分と違う政治的・宗教的意見にアレルギー反応を起こしてなんでもかんでも危険視してワアワア攻撃してこてんぱんに退治しようとするのはよくなくて、なるべく穏やかな解決方法を優先するほうがよい。●危険の教育が必要かつてハンセン病が伝染力が弱い感染症であるにもかかわらず遺伝病と誤解されて去勢手術が行われたり、東日本大震災で福島から引っ越した子供が放射能がうつるといじめられたりしたように、差別は無知によって引き起こされるので、危険性を正しく判断して教育する必要がある。扁桃体で本能的に危険に反応しているときは前頭葉の知性がうまく働いていないので、デマや嘘に騙されやすくなったりパニックになったりするし、火事になってあわてて燃える油に水をかけるような科学的に誤った判断をしやすくなる。怒った時にアンガーマネジメントが必要なのと同様に、恐怖を克服するマネジメントをしてまず冷静さを取り戻すことが必要である。避難訓練で行動を予習すると災害の時にパニックにならずに済むし、車を運転する人はドライブシュミレーターやレースゲームをやると事故を起こしそうなときに瞬時に被害を少なくする最善の判断をする訓練になるだろうし、ホラーゲームはいきなり危機的な状況になっても冷静に判断する訓練になるかもしれないし、災害パニック映画はパニックになって非合理的な判断をして死んでしまう人を客観視する教材としてよい。●危険に備えるべきモーリシャス島のドードーは天敵がいなかったので、空を飛べずによたよた歩いて地上に巣を作る方向に進化したけれど、人間に島が発見されて天敵が出現したら敵から逃げることができなくて絶滅した。今が平和だからといっていつまでも平和が続くわけではないし、のんびり平和を享受せずに常に危険を想定して備えるべきである。危機管理に関してはミニマックス法で想定される最大の損害が最小になるような対策をするべきで、何の想定もしないまま被害を受けるのが一番危ない。人間にとって最大の被害は死ぬことで、次に大きい被害は障害を負うことで、仕事や財産は失っても健康であればある程度回復できるので、まずは健康を維持するのが大事である。アメリカはキリスト教の終末論の影響を受けているせいか、核戦争に備えて地下に核シェルターを作って武器や数年分の食料を備蓄しているプレッパーと呼ばれる人がいるけれど、起きる可能性が極めて低いことに対して備えたところで安心感は得られるだろうけれどあまり意味がない。1999年のノストラダムスの予言やたつき諒の夢に基づいた2025年7月5日の津波の予言のように、根拠がない予言に備えて旅行を控えたりするのも意味がない。現実的に起きうる危険に備えてこそ意味がある。ほとんどの人は事故や犯罪よりも病気のほうが危険である。日本人の死因上位を占める三大疾病のがん、心疾患、脳血管疾患は老化に伴って起きやすくなるので完全に防ぐことはできなくても、健康寿命をなるべく伸ばすように生活習慣に気を付けるに越したことはない。ストレスも睡眠の質が落ちて疲労がたまったり免疫力が落ちたり過食したり精神疾患になったりして様々な体調不良の原因になるので危険である。自殺者は年間2万人以上いるけれど、事件や事故や災害と違って自殺に至る原因は人それぞれで原因を特定しにくいので対策が不十分で、医療で対処療法をするだけでなくて哲学的な教養で生きがいを見つけて自殺を予防することも必要だろう。交通事故は毎年約30万件起きていて死者が3千人くらいいて、被害者だけでなく加害者にもなりうるし、自分に何の落ち度がなくても被害に合うこともあるので日々警戒する必要がある。地震や豪雨とかの天災は数年おきに起きて生命や財産が失われる可能性が高いし、被害が大きいときは避難所に食料や薬とかの行政の支援が行きわたるまで時間がかかって持病がある人は生命の危険があるので、個人で備蓄するなり防災グッズをそろえるなりして対策する必要がある。日本の殺人事件は年間1000件以下で顔見知りの犯行が多いので強盗殺人や通り魔とかの凶悪犯罪はあまり起きないけれど、起きた場合の被害が大きいので家の戸締りをしたり夜にスマホを見ながら歩かずに周りに注意を払ったりして防犯対策をちゃんとやる必要があるし、地元の不審者情報とかも見る方がよい。日本ではテロはあまり起きないし、地下鉄サリン事件みたいな組織的なテロを個人では防ぎようがないけれど、公共交通機関やイベントとかの人が集まる場所ではテロが起きうるのだと頭の片隅に入れておくだけでも異変に気付きやすくなって生存率が上がる。熊による負傷は年間100-200件くらい起きていて、田舎なら通り魔よりも熊のほうが怖くて人間が素手で熊を撃退するのはほぼ無理なので、熊除けスプレーをすぐ使えるようにするなりして備える必要がある。政治的な危険としては戦争があって、ウクライナ戦争でもイスラエルのパレスチナ攻撃でも戦時国際法を守らずに非戦闘員が殺されたり捕虜が拷問されたりしているし、国連にジェノサイドを止める力がないし、アメリカもトランプ政権になって世界の警察として軍事介入するのをやめようとしているし、島国の日本は海を封鎖されたら逃げ場がないので自衛できるだけの軍事力を持つ必要がある。軍隊をなくして国境をなくせばみんな仲良くできるんだという左翼のお花畑安全基準に合わせたら国が崩壊するので、日本に核兵器を向けている国にも対処できるように防備を固めるべきだろう。
2025.11.13
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表題作の「Yの木」が中編くらいで、他3作は短編が収録されている。「たそがれ」は中学生の静男が社会人の姉のおごりで念願のUSJに行く話。三人称。父親は事故で腕をなくして酔って暴れて、電車に乗っている他人が父親のことを知っているという田舎の息苦しい生活からの逃避先としてのUSJがあって、夢を見させてくれる姉にも事情があるという純文学的なオチになっていて、ストンとオチがつく構成がよい。すんなりとUSJにたどり着かずに老人に絡まれるくだりで遅延させてその間に家庭環境を掘り下げたりするあたりはベテラン作家らしいストーリー展開のテクニックで、現代を舞台にしたリアリズムの細かい描写とかの地味なところがうまい。「首飾り」はクラシック音楽が好きな作家と妻が大学教師のYとYの妻とローマにオペラを聞きに行って、Yに妻に内緒でネックレスを買ってほしいと頼まれる話。作家(彼)を焦点人物にした三人称。たぶん作者の実体験を基にして人物設定とかを若干変えたのだろうけれど、一人称のエッセイでなくて三人称のフィクションの体裁をとったのはどういう文学的な意図があるのかよくわからない。惚気の照れ隠しなのだろうか。「シンビン」は証券会社で働いていた女が秩父宮ラグビー場で母校の青山大学のラグビーの試合を見る話。三人称。タイトルがオチになっているオーソドックスな短編で、ラグビー用語のシンビンの意味が明かされた時点でオチも推測できてしまうのでオチの意外性はない。ラグビーのディティールの描写はよい。「Yの木」は妻を亡くして犬と暮らす作家が自殺した大瀬渉について考えたり半生を振り返ったりする話。作家(彼)を焦点人物にした三人称。「首飾り」と同様に作者自身の人物設定を若干変えたのだと思うけれど、自伝でないのにわざわざ作者に似せた登場人物にしたのは私小説というよりもたぶん作家という生き方を掘り下げようとしたのだろう。大瀬渉という実在の人物が出てくることでフィクションと現実が交錯していってリアルなフィクションになるという作者が得意とするパターンで、私はこのやり方が好きである。家の鍵をかけて父親を締め出して怒らせたエピソードは他の短編にも書いていたような気がするけれど、そのエピソードも再度フィクション化するところはユニークである。しかしカミュの『ペスト』とかの前提知識がないとカミュと大瀬渉を比較するくだりがわかりにくいだろうし、人生にはフィクションのようなはっきりした筋書きがないので完全なフィクションに比べたら見どころがわかりにくい。辻原登ファンの玄人向けの小説という感じ。全体的に辻原登のファン向けの内容で、すごい傑作というほどでもないけれどベテランらしい小説の妙味があって面白く読めた。★★★☆☆Yの木【電子書籍】[ 辻原 登 ]価格:1,120円 (2025/11/5時点)楽天で購入
2025.11.05
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頭文字G(あたまもじじい)──。それは、貧乏なおっさんが一日20分ギターを練習してじじいになって頭が禿げる前に三流天才ギタリストになることを目指す極小プロジェクトである──。というわけで、3年かけて12/8拍子のギターの曲を適当に作曲して適当に演奏したのだった。録画して聞き直してみるとだいぶ演奏が下手だけれど、ダウンストロークで弦をはじいているので右肩への負担が大きくて、正確に音を出すのがなかなか難しいのである。●不完全であることの是非この演奏の完成度は8割くらいで下手なところが目立つけれど、ギターの12/8拍子でやろうとしたことの大まかな感じは十分伝わると思ったので、とりあえずこれでいいやと思って動画にすることにした。正しい猫はいないし正しい猫の夢もないし猫はジャンプに失敗したりするのだからどう演奏しようがコードを外れようが不協和音だろうが間違いではないというコンセプトの曲なので、完璧でなくてもよいのである。ニャ長調はそんなもんである。そんで残り2割の完成度を高めるために練習するよりも次の曲の作曲をしたくなったのである。そもそも芸事の発表では完璧である必要はないと思う。音楽のコンクールとかだと技術が評価対象になるので楽譜通りの完璧な演奏を求められるしそれが演奏家のキャリアになるし技術の向上にもつながる。しかし鑑賞する側は苦行の結晶のような緊張に満ちたものを見せられてもリラックスして楽しめないだろう。世界文化賞を受賞したピアニストのアンドラーシュ・シフが「コンクールは消えてしまえばいい」と言ったように、芸術はスポーツとは違うのだから難しい曲を早く正確に弾ければよいというものでもない。明治時代のピアニストの久野久は爪が割れるまで練習して鍵盤を血まみれにして演奏したそうだけれど、そういうのは演奏する側も聞く側も音を楽しめないので「音楽」ではないし、ストイックが必ずしも良いこととは限らない。兼好法師の『徒然草』の150段には芸事がうまくなるまで人に知られないようにする人は芸を身に付けられなくて、未熟な時に上手な人に交じって嘲られても練習を続けられる人が年を取って達人になるというようなことが書いてある。これは私も同意で、未熟で下手なのは恥ずかしい事ではなくて伸びしろがあると言えるし、江口寿史みたいに基礎練習をせずに歳をとっても手がうまく書けないままで写真をトレースして実力以上のクリエイティブを偽装するほうが恥ずかしい。江口寿史は未熟さに向き合わずにトレースに頼って成長が止まったことを作風の完成と勘違いして大御所ぶって傲慢になって晩年になって名声を失っていて、若い芸術家の反面教師になるだろう。全知全能の人などいないし何かの専門家でも他の分野では無知で未熟な素人なのだから、自分の未熟さを自覚して知らないことを謙虚に学んで間違いを正す姿勢を無くしたらだめである。人間国宝級と言われるレジェンド寿司職人の森田一夫は90代になっても現役で寿司を握りつつ弟子を育てていて、「いちばん大切なことは礼を尽くすこと。人にも食材にも謙虚であり続けること」と言っているけれど、江口寿史も人に対する謙虚さがあれば後輩に嫌われるような老人にならなかったかもしれない。オードリー・タンは京大AI特別講演の学生へのメッセージで「朽ちる前に公開せよ(publish before I perish)」が重要で、完璧なものを投稿したら他の人はいいねを押すだけで去っていくけれど、不完全なものを投稿したら他の人が直さなきゃと思うので友人が増えたというようなことを言ったそうな。この考え方は変化が激しい分野では重要で、ITは技術の進歩が速くてハードの規格が変わったりするので、ある程度形になったら無料ベータ版でテストユーザーを募ってテストしたり不完全なままリリースしたりして、ユーザーのフィードバックをもらいながらバグを直したり機能を付け足したりしていく開発の仕方が主流になっている。レオナルド・ダ・ヴィンチは未完成作が多くて、『モナ・リザ』は手放さずに何度も修正していたそうだけれど、どの段階で芸術作品を完成と見なすのかというと、大まかな形が出来上がって作家がそれ以上修正しなくなったときが完成と言えるだろう。クリエイターは納期までに作品を仕上げて売って収入を得ないと生活できないし、ITのサービスやオンラインゲームと違って作品を売った後で修正することができないので、修正点があるとしてもこの程度ならまあいいやと妥協して作品を売ったり公開したりしたときが一応の完成となる。作者が日々成長していたらその都度修正したいところが出てきていつまでも作品が完成しなくなるし、新しい作品に取り掛かることができなくなるし、何点か作品を展示しないと客の興味も惹けないので、コンクール用とかでないなら完璧でなくてもある程度仕上げたところで作品を発表してフィードバックをもらって、フィードバックを活かして新しい作品で別の挑戦をするほうがよいだろう。
2025.10.17
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最近はSora2でかなりリアルな動画を生成できるようになったり、江口寿史のトレパクが次々に発覚したりして、手仕事の器用さがなくてもITを使えばそれっぽい作品が手軽に作られるようになっている。というわけで徒然なるままに芸術の身体性について考えることにした。●芸術の分野によって身体への依存度が違うダンスでは表現を全部身体能力に依存していて、音楽に合わせて全身の筋肉を部位ごとに細かく正確に動かす必要があって、常人にはできないようなバレエの高いジャンプやヒップホップの力技とかが芸の見どころになる。音楽では歌なら声帯や舌の調整能力や肺活量、吹奏楽では肺活量、弦楽器は指先の器用さ、打楽器は筋力や持久力が必要になる。頭の中に理想の音楽があっても実際に演奏して具体化できなければ音が鳴らないので、複雑な曲ほど習熟が必要になって身体への依存度は高くなる。美術では絵具や木や布とかの素材の特性を理解して加工したり、加工のための道具を使いこなしたりする器用さが必要になる。現代美術だと作家自身の肉体を作品の一部として展示したりもする。コンセプトアートみたいに着想が一番重要で身体能力をあまり必要としないものもある。カメラマンは山に登ったり海に潜ったりして被写体がいるところまで出かけて行ってシャッターチャンスが来るまでじっと待つ体力が必要になる。肉眼で見えない部分をレンズやストロボの性能で補うという点ではカメラはメガネのような肉体の拡張機能ともいえるし、高性能のカメラだけあればいいわけではなくて撮る人の着眼点や構図とかのセンスも必要になる。演劇や映画だと俳優がセリフを言うだけでなくて身振りや表情などで細かい感情の機微を表現する必要があって、野外ロケの暑さや寒さに耐えながらアクションをしたり何度も撮り直したりする体力も必要になる。小説では筋力は必要なくて鉛筆やキーボードで文字を書ける人は誰でも書けるけれど、脳への負荷が高くてキャラクター設定やストーリーを全部覚えて矛盾がないように仕上げる記憶力が必要になる。音楽や絵画やダンスなら子供でも天才的な才能を発揮する人がいるけれど、小説は天性の身体能力でのゴリ押しがきかなくてコツコツ古典や文学理論の本を読んで思想や技術を理解しないと作品に反映できないし、作者の知性が登場人物の知性の上限になるので、子供の天才小説家はいない。・芸術と宗教と身体性古代ギリシアの神殿で悲劇を演じて神に捧げたり、神社で奉納舞をしたり、スーフィズムのイスラム教徒が歌やダンスの陶酔状態で神と一体化しようとするように、芸術は神事や宗教とも関連している。こないだ合理性について考えたけれど、芸術作品の創作は非合理と合理の境界を模索して具現化して、自らの身体を神が作った合理的な世界の秩序と一体化させる行為と言える。だもんで身体を伴わないやり方で、例えばAIが作曲した電子音楽に合わせて踊る3Dホログラムを投影したりしても、演奏する人や踊る人がいないのでは身体に神性(合理性)が宿らなくて神が降りてこないので、神への奉納の儀式にはならないのじゃないかと思う。●現代人には観察眼が欠けている芸術家にとっては目や耳とかの感覚器官が美をとらえるうえで重要だけれど、現代人には観察眼がなくなっているのじゃないかと思う。江口寿史のトレパクは観察眼がない典型じゃなかろうか。トレースについて考えるという記事で2022年の古塔つみのトレースについて考えたけれど、江口寿史のトレパクも同様のパターンのようで、トレースという手法の良し悪し以前に権利関係をクリアできていないのはプロの仕事としてだめだし、写真をなぞらないとうまく絵を描けないのは絵描きとしての能力が足りない。あとトレパクをして美人を描くような男性イラストレーターには創作の源泉になるようなミューズがいないのかもしれない。昔の画家は観察眼があって、竹久夢二や東郷青児は派手な女性遍歴があって女性をつぶさに観察したからこそ女性のしぐさや雰囲気やうなじの曲線とかに美を見出して独特な美人画を描けたのだろう。それに対して江口寿史のイラストは写真からトレースしているので輪郭はリアルだけれど、その作者でしか表現できないような美的感覚の表現がなくて、目や鼻だけデフォルメしたジェネリック二次元イラストという感じである。被写体にこだわりがないから誰の写真でもそのままトレースして、自分の眼で人物を観察していなくて人物の骨格や肉付きや光の反射や影の向きとかを理解していないので服装やポーズを変えてアレンジすることもできないのだろう。EDWINのコラボTシャツ用のイラストでリーバイスのジーンズを履いた女性をトレースするあたりも観察眼のなさが出ていて、履き古した色落ちなのかケミカルウォッシュなのかとかでジーンズの個性は多種多様だろうに、ジーンズの色やシルエットやリベットやステッチとかのブランドのこだわりが見えていないようである。503や505とかのモデルを特定できるくらいジーンズの特徴を描き分けできないのではコラボする意味がないのじゃなかろうか。小林秀雄が小説を見て小説を書くなということをどこかで言っていたけれど、これは慧眼で、テレビがない大正時代でも観察しないで創作することにダメ出しされていた。そのうえ戦後にテレビやカメラが普及してから観察眼の劣化に拍車がかかって記憶を写真に保存するようになって、平成にパソコンとインターネットが普及して記憶をストレージに保存するようになって、令和にはスマホが普及して自分の眼で物事を見ずに何でもスマホを向けて写真や動画を撮ってSNSで反応をもらおうとして観察眼が失われていったのだろう。赤ん坊は初めて見たものに興味を持って撫でまわしたり口に入れたりしてその存在を確かめるように、赤ん坊のほうがスマホに依存している大人よりもちゃんと世界を観察しようとしている。観察がないとその後の洞察もなくなって、洞察がないと定見が持てなくなって、絶えず変化する現実に圧倒されて翻弄されて焦点が定まらなくなって、他人の意見に流されるようになる。洞察がないまま創作した作品もうわべの体裁を整えたところで軽薄になる。江口寿史の絵は影がおかしかったりトレース元の写真から指が一本少なくなっていたりして、パッと見て人の姿はしているけれど人を描いていない軽薄な絵で、もし私が猩々だったら「人でも獣でもないもの連れてきた」と石を投げたくなるような絵である。●芸術作品へのAIの使用の是非人間が観察眼をなくしてリアリズムの作品を作れなくなって、読書量が減って読解力や長文を書く能力も落ちている一方で、AIは無数のデータから学習してリアルな映像や自然な長文を作りつつあるという逆転現象が起きつつある。じゃあAIを創作に使うほうがいいじゃんという話になる。AIが著作権の問題をクリアしたうえで、AIで直接完成作品を作るのでなくて作品に使う素材を作るのならよいと思う。村上隆は日本画をモチーフにした絵を作るときにAIで線を抽出していると言っていたけれど、そういう使い方なら問題ないと思う。私は以前blenderでYouTubeの動画用のパンダの3Dモデルを作ろうとしたけれど半日くらいいじってみて結局よくわからなくて面倒くさくなって諦めていて、Sora2とかで自作のイラストから簡単に3D化できるのならそっちのほうがよくて、微調整ができなくても簡易さのほうを優先したい。音楽はAIが作曲してAIが歌ってもあまり面白くなくて、人が歌ったり演奏したりするから面白いものである。なのでAIをメインにするのでなくてコーラスや合いの手とかの脇役に使ったり、人間だと喉を傷めるデスボイスをAIにやってもらったりすると音楽の表現の幅が広がるかもしれない。AIで俳優が要らなくなるとも言われているけれど、実在する美男美女の俳優を起用することは話題作りや集客の上で重要なので、俳優が必要なくなることはないだろう。ゾンビ映画の道端に転がっている腐乱死体役みたいなのは俳優を使ったところで演技力が鍛えられるわけでもないし俳優の実績にもならないし特殊メイクや衣装代とかの製作費もかさむので、セリフや動きがないモブ役はAIの合成でいいと思う。映画やアニメは制作期間が長くてそのぶん人件費とかの費用かかるのがネックだけれど、AIで経費を節約したぶん個人製作しやすい環境になれば短編映画や短編アニメとかで頭角を現す若手監督も出てくると思う。Sora2で量産されているショート動画みたいなAIを使って誰でも簡単に作れる程度の作品は価値がなくなって飽きられる一方で、AIを使っても作るのが難しいようなディレクションのアイデアが優れている作品は価値が残るだろう。●鑑賞する側は体があるいくらIT技術が進化してデジタルで作品が作れるようになっても、鑑賞する側は体があるので、その五感を満足させなければ作品の価値が出ないだろう。例えばVRやホログラムがいくらリアルになっても、触覚も人間の喜びになりうるので視覚だけで代替できるものではなくて、プラモデルやぬいぐるみとかの実物を触って動かしたいという需要がなくなることはない。読書は電子書籍で読むのではあまり記憶に残らないようで、本の重さや紙の質感やインクの匂いとかの本の個性を感じながら読むほうが読書を楽しめる。花火は動画で見てもあまり面白くなくて、びりびりする空気の振動や火薬の匂いや周囲の人のうきうきした雰囲気とかの五感で感じる夏の夜の稀有な体験が面白いのである。ITで何ができるかだけ追求して鑑賞する人を置いてけぼりにしてしまっては芸術作品の存在意義がなくなってしまうので、視覚や聴覚だけでなくて他の感覚に対しても人を喜ばせる作品であるほうがよいだろう。
2025.10.09
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最近は参政党の選挙の演説がしばき隊に妨害されたり、チャーリー・カークが暗殺されたりして、社会をよくするための建設的な議論が行われなくなって社会が非合理的な方向に向かいつつあるような気がするので、合理性について考えることにした。●合理性とは何か合理性とは道理にかなった性質、あるいはむだなく能率的に行われるような物事の性質を意味する。生物は無駄なエネルギーを節約しようとして捕食活動や生殖活動以外の時は巣穴に隠れて寝ていたりして合理的な行動が生存本能になっているし、人類が作る社会もエネルギーや労働力が無尽蔵に使えるわけではないのでどこに労力や資本を振り分けるかの合理性が必要で、合理的なものは発展するし、非合理的なものは競争に負けて衰退するものである。●文明の合理性・暴力の合理性あらゆる生物は他の物から栄養を取りこんでいるけれど、植物みたいに棲息環境が固定されていると環境が変わった時に栄養がとれなくなって成長効率が悪い。なのでヒレや足や羽を使ってあちこち移動しながら暴力的に他の生物を捕食する動物が繁栄して進化して、植物プランクトンを食べる動物プランクトンが生まれて、植物を食べる草食動物も生まれて、草食動物を食べる肉食動物も生まれた。人間も生存本能として暴力性を持っていて、敵からの攻撃に対して怒りが起きてアドレナリンが出て戦闘態勢に入るようになっている。強い動物が群れのリーダーになるように、原始時代の人間も暴力で他人を支配してきた。誰でも殺されたり傷つけられたりするのは嫌なので、自分より強い相手に脅されたら従うようになる。そして集団の構成員が増えると群れの戦闘力が上がって、他の集団よりも強くなってますます勢力を拡大できるようになる。暴力は合理的であるがゆえに、初期の文明は暴力によって敵を排除したり支配したりすることで作られてきた。しかし暴力は復讐を引き起こすし、力が衰えたときに別の勢力によって暴力で地位を奪われるので、短期的な支配の手段としては合理的でも長期的な統治の手段としては合理的でなくて、暴力によってできて恐怖で支配された国は長続きしない。例えばメディアの将軍ハルパゴスは息子をアステュアゲス王に殺されて食べさせられたことを恨んで、キュロスの反乱に協力してメディアを裏切って滅亡に導いた。古代の中国では何かの王朝ができても圧政に耐えかねた民衆の蜂起で滅ぼされることを繰り返してきて、倫理観がなければ安定して統治できないということで儒教が発展した。チンギス・ハンは命令に従わない人を連帯責任で処刑することで恐怖を植え付けて命令に服従する戦闘集団を作り上げて他国を征服して巨大なモンゴル帝国を築いたけれど、統治が優れていたわけではなかったのでチンギス・ハンの死後はなんちゃらハン国に分裂して消滅している。・宗教の合理性人類が文字を発明して歴史を継承するようになると、暗殺された暴君の逸話とかが山ほどあって暴力では国家の統治が安定しないと理解するようになって、暴力に変わる仕組みを考えるようになる。そんで識字率が低くて文官が少なくて法律が未発達だった時代には宗教の戒律で価値観を統一することは統治の上で合理的だったので、宗教が発展していった。王や貴族は宗教施設に寄進して福祉を担わせることで国民の不満が直接統治者に向かないようにできるので、反乱が起きにくくなる。それゆえに古代ローマは最初は弾圧していたキリスト教の布教を認めたし、日本でも飛鳥時代に聖徳太子が中国から伝播した仏教を普及させて江戸時代には朱子学や陽明学として儒教も取り入れた。中世は金持ちの貴族しか教育を受けられなくて庶民の識字率が低かったものの、教会での説教や寺子屋などが庶民の教育を担うことで庶民の教育水準が上がる効果もあった。しかし宗教指導者が神の代理人として王よりも権力を持つのも問題で、中世のキリスト教の教皇は腐敗してモラルがなくなっていった。それにある程度文化が発展してくると宗教的価値観がボトルネックになって、聖書に基づいて地動説や進化論を否定して異端審問で優秀な学者を処刑したりしてそれ以上学問が発展しなくなって非合理的になる。宗教を持たない人や無神論者にとっては非合理そのものである。宗教と利益が結びついたときも宗教は暴力の正当化に使われて、原始的な暴力以上の残虐性を発揮して非合理的な戦争や殺戮が行われる。アメリカ人はアメリカ大陸が神によってアメリカ人に与えられたものだと解釈して先住民を虐殺して居留地に追いやって排除したし、スペイン人はキリスト教の布教と称して南米の先住民を虐殺して奴隷にしたし、ユダヤ人はエルサレムが神によってユダヤ人に与えられるものだと解釈してパレスチナ人を虐殺して土地を奪おうとしてハマスの誘拐と直接関係ない周辺の国まで攻撃している。宗教戦争は長期的な復讐の連鎖を生むし、若者の労働力が軍事力に奪われて戦争で生産施設が破壊されるので合理的でない。・民主制の合理性民主制は独裁と違って議会で議論して少数派の野党でも問題提起して多数派の政策が間違っているときに法律や政策を変えられる余地がある点は合理的と言える。法律は信教の自由がある中で宗教的価値観の影響を受けて制定されて、法の執行のためには警察や軍隊とかの制圧のための暴力が使われるので、宗教や暴力といった原始的パラダイムも憲法の下に内包してコントロールしていて、その点でも合理性がある。しかし国民の教育水準が低くて多数派がアホだと民主制が機能しなかったり、政治家が腐敗してクーデターが起きて軍隊の暴力をコントロールできなくなったりする問題があって、例えばアメリカ主導のアフガニスタンの民主化が失敗したように識字率が低くて高等教育を受けていない人たちに今日から国民が政策を自分で判断して投票しろといったところで政策の良し悪しを判断できなくて、アメリカの傀儡政権が作られて国民に支持されないままでアメリカがアフガニスタンから撤退したら民主制を維持するために戦う国民もいなくてタリバンに暴力で支配される宗教的軍事独裁国家に戻った。それに資本主義だとピケティが言うように株の配当金をもらう資本家の資本がどんどん増えていって、資本家が政治家に政治資金を提供して金持ちに有利になる法律を作る一方で賃労働をする大多数の労働者は貧困化していくので、次第に中間層が没落して大学に行けない貧困層が増えて教育水準が下がっていって議会や裁判での議論の質も落ちていく。それに宗教的価値観は議論をしたからといって変わるようなものではなくて、例えばアメリカのキリスト教福音派が中絶を殺人扱いしてレイプでの望まない妊娠に対してさえ中絶を認めないような場合は議会での議論では決着がつかなくて、宗教的価値観が異なる少数派の不満がいつまでも解消されなくなる。これは福音派とリベラルのどちらかが正しくてどちらかが間違っているという問題ではなくて、価値観が全く違うのだから違う自治体や国に住んでそれぞれ違う生き方をする以外に根本的な解決方法がない。つまりは民主制にしたら必ず合理的になるわけではなくて、教育水準や価値観の違いがボトルネックとなって非合理になって発展が阻害される。独裁国家は価値観の違いを無視して政策を実行できるので正しい政策をすれば一気に発展するし、毛沢東のスズメ駆除みたいな間違った政策をすれば一気に衰退するので、長期的に見たら民主制のほうが大失敗するリスクを少なくできるけれど、短期的に見たら民主制では新しいテクノロジーの普及やシステムの採用に関しては保守派が反対するので非合理的になりうる。だからこそ国民の教育水準を保って教養がある中間層が多数派になって国民がなるべく文化的に近い価値観を持つことが民主制を維持するうえで重要なのだけれど、ヨーロッパはこれに逆行して教育水準が低い中東やアフリカのイスラム教徒の移民を大量に受け入れて自ら民主制を崩壊させる道筋をたどっている。原理主義に近いイスラム教徒の移民が増えて多数派になれば中世の宗教的パラダイムまで文明のレベルが逆行して絵画や音楽や女性のファッションとかの文化が衰退するし、暴力や暗殺やテロによる言論弾圧を肯定する宗教原理主義者や共産主義者が多数派になれば暴力で支配する古代の原始的パラダイムまで文明のレベルが逆行して、いったん言論の自由が失われてしまうと議会制民主主義が機能しなくなって対立する人を暴力で強制的に排除するようになって暴動や私刑や内戦が起きる。先日暗殺されたチャーリー・カークは国家とはpeople、principles(原理、主義)、placeの3Pで、3つのうち1つが欠けると消え始めて、3つが欠けると存在しなくて、グローバリストはこの3つをすべて排除しようとしているのだと言っていた。リベラル派にはカークの暗殺を喜んでSNSではしゃいで特定されて職場にチクられて解雇されている人が少なからずいるけれど、カークはprove me wrong(論破してみろ)を掲げて公開討論をするのを売りにしていたので、カークの意見が間違っていると思うなら論破しまくればいいだけの話である。民主制の法治国家では信教の自由や言論の自由がある国民の代表が議会で議論して法律を制定して、国民はその法律に反したら罰せられると言うのが統治の規律になっているけれど、あいつは思想が違うから殺してもいいという考え方は魔女狩りと同じでレッテル貼りした相手に対して法律を無視した私刑と言論弾圧の肯定で、アメリカのリベラルのprinciplesはセイラム魔女裁判レベルにまで低下している。非合理的だけれど一貫した宗教的モラルがある福音派と、宗教的モラルを破壊して無秩序に導いてテロを肯定する新自由主義グローバリズムのリベラルのどっちがましかというというとモラルがあるほうがまだましなので、トランプは大統領選挙で圧勝して左翼のANTIFAをテロ組織に指定したりチャーリー・カークの追悼式に出席して「アメリカに神を取り戻す」と言ったりしてアメリカを統治するうえで必要不可欠なprinciplesを取り戻そうとしている。principlesが異なっていて法律よりもイスラム法を優先するイスラム教徒の移民が大量にくるとどうなるかはヨーロッパがすでに実証している。ロンドンでは9月14日に「Unite the Kingdom」という反移民デモが行われて、メディアは10万人以上が参加したと報道しているけれどYouTubeのコメント欄では参加者は300万人だと言われていて、デモを矮小化しようとするメディアが批判されていて、実際の人数は不明だけれどそれだけ反移民感情が高まっているのだろう。イギリスは移民が増えすぎてEUを離脱したけれどいまさら反移民デモをしたところでもはや手遅れで新生児の名前でムハンマドが一番多くなっていて、トランプみたいな強硬手段を取らないといずれイスラム教徒が自治を求めて独立運動が起きてアイルランドみたいに紛争の火種になるだろうし、既にロンドンの人口の35%が移民なのでこのまま移民が増えれば50年後や100年後には独立してロンドスタン共和国になっているかもしれない。移民を入れたがるグローバリストと原理主義に近いイスラム教徒の移民というコンボが西側の民主制法治国家の崩壊の端緒となる。●経済の合理性資本主義が出現して以来、経済力が軍事力につながるので世界各国が経済的合理性を追求するようになって富国強兵して植民地や労働者とかから搾取して、利益を最大化するために人権や健康とかの他の重要な部分が犠牲になってきた。労働力目当てで発展途上国から大量の移民を入れるのもそうで、企業が儲かる代わりに規律や道徳とかが犠牲になっている。人間は経済的合理性のために生きているわけではなくて幸福になるために生きているし、アーミッシュみたいに伝統的な非効率なやり方で生きる自由もあるけれど、国としてはある程度の経済合理性がないと自国の産業やインフラや福祉を維持することが不可能になってQOLが低下して国民が幸福でなくなるので、どこで線引きするかが重要になる。経済は暴力性も内包していて、動物が自然界で弱肉強食で弱い生物を捕食して直接エネルギーの授受をしているのに対して、企業は貨幣の授受をして競合する弱い企業を淘汰してシェアを奪ったりして合理的に成長していく。淘汰された企業の従業員は失業して収入を失って犯罪をしたりすると治安維持のためのコストがかかって社会全体としては非合理的になるので、政府は単に市場原理に任せて企業のやりたい放題にするのでなくて最低賃金や失業保険や生活保護とかの社会保障もセットにして労働者を保護する必要があって、外貨を稼げる企業を育てる一方で失業者を再就職させて福祉に依存させないようにして企業の淘汰と労働力の供給の循環をさせる必要もある。発展途上国が発展しないのには相応の理由があって、政治家や官僚や警察や裁判官みたいに直接物を生産しない人のモラルが低くて賄賂が横行して事業の許認可に賄賂を要求してビジネスの効率が悪くなったり、国民が高等教育を受けていなくて単純労働しかできなくて生産性が上がらなかったり、インドで誘拐した子供の目を潰して乞食させたり南米で強盗殺人が多発したりするみたいに生産力を減らすやり方で金を得ようとしたり、電線や水道の金属部品とかの窃盗が多発してインフラの維持コストが高くなったりする。つまりは教育水準とモラルが経済成長のボトルネックになっているので、この逆をやって、高等教育を受けさせて、まじめにちゃんと働くと豊かになるというインセンティブを与えて労働意欲を高めて、信賞必罰で不正した人を罰してモラルを高めれば経済活動が合理的に行われて生産力が増えて経済成長していく。キリスト教ではカトリックは労働を神から与えられた罰ととらえて金貸しも禁止してユダヤ人を差別していたけれど、中世のプロテスタントは働いた対価を得るのは良いことだと解釈を変えて勤勉な労働者が生まれて、ユダヤ人に金を借りて株式企業に投資して資本効率を高めて合理的な経済活動をしたので欧米は他の国に先んじて工業化を進めて近代化して経済成長した。イスラム教の国でも世俗化して合理的になっている国は産業が育って経済成長している。例えばUAEは単にアブダビで石油が産出されるから儲かっているわけではなくて、ビジネスに有利な法律が整備されていて外国企業への優遇制度があって絶対君主制の元で契約が確実に履行されるのでドバイに非イスラム教徒の世界中の富裕層や実業家が集まってきて金融業が成長してイスラム教の国家の中でも例外的な発展を遂げている。UAEの隣のサウジアラビアは元々保守的だったものの、徐々にイスラム教を世俗化して女性が男性と同じ職場で働けるようにしたりしてオイルマネーでの投資に頼らない産業を育てて経済を成長させようとしている。世俗化したイスラム教は異教徒の信教の自由も認めていてイスラム教の価値観で相手を裁こうとしないし、サウジアラビアで偶像崇拝を禁止するどころか日本のアニメが人気なように外国との取引でもトラブルは起きにくい。イスラム教徒を労働力目的の移民として受け入れる場合は世俗化の度合いを考慮しないと失敗する。近代は宗教を否定してより合理的な科学に基づく政策をして、宗教の戒律が変えられないのと違って法治国家では状況に応じて法律を変えられるので、科学が引き起こす新しい問題も法律で規制したりして調整してきた。そうすると今度は宗教の戒律は変更できないので相対的に非合理的なものとなって否定されて廃れて無神論者が増えていく。ところが発展途上国のイスラム教徒が経典の非合理的な部分を否定するプロセスを経ずに先進国に移民してきた場合、宗教的な非合理性まで輸入することになって非効率になる。UAEみたいに外資を受け入れている国のイスラム教徒は異教徒には違う価値観があるのだと理解して宗教を相対化できるけれど、アフガニスタンやパキスタンとかの原理主義に近くて外資があまり進出しない国のイスラム教徒はイスラム教を絶対視して他のやり方を認めないので摩擦が起きて効率が悪くなる。毎日何度も礼拝するのでは工場の稼働率は落ちるし、礼拝の時間や場所の融通が利かなくて道路を占拠して礼拝を始めるのでは交通が妨げられるし、学校給食やレストランとかでハラル認証を要求されてイスラム教徒用に特別な食材管理や調理をしないといけないのでは調理の効率が悪いし、女性に教育を受けさせずに働かせないのでは高度人材も増えないし、避妊しないで子だくさんなので教育水準が低い子供だらけになって失業率も上がるし、イスラム教は豊かな人が貧しい人に喜捨する文化なのでプロ乞食として生計を立てて働こうとしない人もいて福祉の負担も増える。スペインは中世にイベリア半島をイスラム教に征服されてからレコンキスタで国土を取り返してキリスト教純化政策をしてユダヤ人を追放した歴史があるけれど、その割には保守的でなくて移民受け入れに前向きで、社会保障制度の維持や高齢化の負担の軽減のために25万人の外国人労働者が必要なので今後3年間で最大30万人の不法移民を合法化するつもりだそうな。ちゃんと働いて自立している不法移民を選別して合法化するならいいけれど、移民が働かないで福祉に依存する場合は狸の皮算用に終わってかえって社会保障制度の崩壊につながるので、シンガポールみたいに働けなくなった移民を強制帰国させることもセットでやらないと移民を労働力として合理的に運用できないだろう。そもそもビザを取らずに不法移民としてやってくる人は法律を守る意識がないので、法治国家に受け入れるのはかなりリスキーな政策である。経済合理性のためだけに移民を入れて、企業は儲かっても犯罪が多発して行政コストがかかって国民の幸福度が下がるのは非合理的である。移民を推進するグローバリストやリベラルは世界中の国を移民まみれにすることを目指さずに、どこかの島を買い取って国境も関税もない誰でも出入り自由で移住したら即選挙権がもらえる超リベラル国家を作って、そこで理想の国作りを試してみればいい。リベラルの主張通りに犯罪者の人権が尊重される国家ができたら犯罪者だらけになって大失敗すると思う。・感情の合理性弱肉強食の自然界では天敵に遭遇した時の一瞬の判断の遅れが生死を分けるので、戦うか逃げるかを瞬時に判断する感情が本能として残った。例えば暗い場所では不安を感じて身を縮めて敵に備えて、足元から蛇がにゅっと出てきたら恐怖を感じて瞬時に飛びのいたり、子供が蛇に襲われそうになったら怒りを感じて攻撃して追い払おうとしたり、苦いものを口に入れたら毒かどうかわからなくても嫌いだと判断してすぐに吐き出す。原始時代では感情で即座に判断するのが合理的だったけれど、文明が進歩して社会が複雑になってくるにつれて損得の計算とかが必要になって、感情的な判断が間違うことが多くて合理的でなくなってくる。例えば感情任せで欲しいものをカードローンで買うと一時的に楽しくても後で返済できなくなって自己破産するし、感情任せでやけ食いでストレスを発散しようとして塩分や糖分が多いものを食べすぎると後で生活習慣病になるし、感情任せで嫌いな人を誹謗中傷したり殴ったりすると一時的にすっきりしても後で刑事事件になる。感情は一時的なもので長続きしないので、進学や就職や引っ越しや投資や結婚とかは一時の感情で判断せずに長期的な計画を立ててよく考えて理性的に判断する必要がある。感情が害をもたらしうるとしても人間から感情をなくすことはできないので、仏教が感情に執着しないように説いたり、アンガーマネジメントで怒りを制御したりして、感情に振り回されないようにする後天的な思想や訓練が必要になる。政治的な判断も感情に基づくと非合理的になりうる。例えばヒトラーは大衆の理性ではなく感情に訴えかけて扇動してファシズム体制を築いたし、欧州難民危機は密航しようとして溺れたシリア人の子供がかわいそうだからという一時的な感情に流されて難民を短期間に大量に受け入れて犯罪が多発して大混乱を引き起こしている。政治家はいったん選ばれると任期が終わるまで数年間政治家で居続けるし、政策を変えるのにも法案を審議して実行するまで時間がかかるので、感情任せで政治家を選んだり政策を支持したりしてはいけない。●芸術の合理性 ヘーゲルが現実的なものはすべて合理的であるという命題を提示したけれど、逆に考えてみると、非現実的なものは何らかの理由で非合理的なので実現不可能だと言える。芸術は頭の中に着想があるだけだと芸術作品とはみなされないし空想にふけるだけでは何の生産性もないけれど、作品として現実世界に具現化できるのであれば何かしらの合理性や労力をかけて作品を作る必然性があるものと言える。どの国にも神話や民話や民謡や伝統芸能があるように、古代に生産活動と直結しない芸術的な活動をしていたのは統治者を権威付けしたり集団の結束を高めたりする合理性があったからだろう。キリスト教だと宗教画を通じて文字を読めない人にキリスト教を布教して聖歌で神を称えたりしたので絵や音楽が発展していって、芸術の価値を高めることで宗教の価値も高めて価値観の布教に利用した。仏教は仏像を崇拝の対象にすることで彫刻が発展していって価値観の布教に利用した。労働者は田植えや船漕ぎやタタラ製鉄とかで歌を歌うことでテンポを合わせて作業効率を高める合理性があった。指輪やネックレスや高級腕時計とかの宝飾品は平時は地位を誇示して周囲を従えやすくする合理性があったし、戦争が起きて避難するときに財産を持ち運びやすくする合理性があった。近代の芸術は他の作品と似ていて個性がないと価値がなくなるので、新しい芸術の創作が難しくなっている。一般的に工業製品は原料を大量に購入してコストを下げて製造工程を機械化して品質を均質化してなるべく生産効率を上げて大量生産するほうが儲かるけれど、芸術に関しては生産数が多くなるほど希少価値がなくなっていくので、合理的に効率よく生産すればよいといものではない。他の誰もやっていないことや他の人が真似できないことをやって芸術作品に付加価値をつけるには、時間をかけて超絶技巧を身に付けることに挑戦したり、採算を度外視して材料費をかけたり、偶然性に頼ったりして、非合理的になることが必要になる。芸術は役に立たないと言われることもあるけれど、芸術作品を鑑賞する人が実用性以外の感性のインスピレーションを得られるという点では社会にとって有用なものである。昆虫が遺伝子に組み込まれた本能に沿った合理的な行動しかしないのに対して、人間は意図的に非合理的な行動ができる点が人間の強みで、実用性がない芸術作品を作ることは短期的には非合理的に見えても人間の発展の可能性を模索することで長期的に見たら合理的な行動となる。例えば効率だけ重視して皆が同じ人民服を着て同じ間取りの公営住宅に住んで毎日同じ食事を配給されたら衣食住には困らなくてもそれで幸福になれるわけではなくて、芸術があるからこそデザイナーや建築家や料理人の美的感覚が育って、好みの服を着てライフスタイルに合う間取りの家に住んで記念日におしゃれな飲食店で豪奢な食事をして価値観が違う個々人の幸福を最大化できるようになる。女性のおしゃれなファッションは冬にへそを出して寒かったりヒールが高くて歩きにくかったり着け爪が長くて物を掴みにくかったりして実用面では非合理的でも、他の人と違う服装をして目立って配偶者を見つけやすくなると言う点では合理的である。街づくりだと交通の便や建設費だけ考えて合理的に画一的な街並みにすると魅力がなくなって人が来なくなるので、逆説的に短期的には非合理的でも建築家がこだわった変なデザインのビルや怪しい個人店が並ぶ小道とかのその街にしかない刺激やセレンディピティがあると長期的に見て魅力があって人が集まる合理的な街になる。文明のパラダイムはフィクションにも関連している。例えばアクション映画の主人公が敵を暴力で倒して問題解決するだけなら原始的レベルで、暴力で解決するのは良い事なのだろうかと善悪の価値観を考えて相手を説得するようになったら中世的道徳レベルに進歩して、主人公が壊した車やビルの損害賠償請求をされたり悪党の遺族に訴えられたりして弁護士を雇って法廷闘争するようになったら現代的理性レベルの物語になって、フィクションの中で個人や社会の在り方や問題解決の方法が模索されている。リオタールは「大きな物語」が失われてポストモダンになったと言ったけれど、いま世界で起きている問題は大きな物語である。プーチンがスラブ民族の独立を維持するためにNATO拡大を拒絶してウクライナに侵攻したり、イスラエルは世界中から批判されようがパレスチナを侵攻して確固たる宗教国家を作ろうとしたり、パレスチナが国家承認を求めて民族による自治を維持しようとしたり、トランプがリベラルを批判してアメリカに神を取り戻そうとしたりしている。宗教的・民族的伝統に回帰して新自由主義グローバリズムの欺瞞から救済されることが大きな物語としてポストモダンの終焉になりうるのじゃなかろうか。今は純文学は『推し、燃ゆ』や『コンビニ人間』みたいな多種多様な生きにくい個人の「小さな物語」を中心に書いているけれど、そこに社会批判が欠落していて主人公と属性が近い一部の読者には刺さっても普遍性がなくてその先の広がりがないので、個人の生きにくさの原因となっている社会にも目を向けるべきである。文学が読者の価値観や思想に影響を与えて社会を変える力を持つようになれば、合理的なものとして社会に受け入れられて発展していくだろう。●まとめ個人の権利と国家の統治は対立するもので、ある程度個人の権利が侵害されないと国家は統治できない。民主制がちゃんと機能しているうちに、社会的合理性のために個人の権利が侵害される場合にどこで折り合いをつけるのかをよく議論するべきだろう。「社会などというものはない」というサッチャーの言葉は新型コロナパンデミックで否定されて、個人主義で個々人がただ自分の権利を主張するのでなく、誰と一緒に生きてどういう社会をどういう手段で作るのかを考えるフェーズに入っている。特に移民への対処を間違うと国家を崩壊させうるので、アフリカのホームタウン問題みたいに地元の理解を得ずに一方的に政府が移民を推進するのでなくて、移民を推進するにしろ拒否するにしろ議論を尽くしたうえで決定するべきである。
2025.09.25
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最近は経済産業省の若手官僚が100ページくらいあるデジタル経済レポートを書いていて、広義のデジタル赤字は2035年までに最大45兆円に達する可能性があるそうな。あとGoogle検索も超絶劣化していて情報が探しにくくなっていて、あまり役に立たないのに他に代替になる国産検索エンジンがなくてデジタル赤字につながるのはよくない。このゆゆしき問題を放置するとさらに大きなゆゆゆゆししきき問問題題になりかねないので、これについて素人なりに考えることにした。●Google検索の超絶劣化とAIの問題「〇〇とは」みたいなビッグワードでの検索はSEOが機能しているのかそれなりに役に立つ検索結果を表示することもあるけれど、「〇〇が△△のときの□□」みたいに細部の情報を探しているときは完全一致検索(検索ワードを""で囲む)や検索除外(-をつける)をしないと関係ない結果ばかり表示するし、完全一致検索や検索除外をしても関係ない結果が紛れ込むことがある。例えば高次脳機能について調べようと思って[高次脳機能とは]というクエリで検索すると高次脳機能障害についての情報ばかり表示するし、[高次脳機能とは -障害]で検索すると今度は「高次脳機能障がい」の情報を表示して検索アルゴリズムがユーザーの検索意図を理解していなくて、["高次脳機能とは"]の完全一致検索でようやく目当ての検索結果が出てくる。広告収入を目的にしていない学術研究とかはSEOをやらないので、ますます見つけにくくなる。新しい情報も表示しなくなっていて、Fortniteのアップデートで実装された技能自販機について検索したら、検索結果のトップにGameWithの2023年の古い記事を表示して、検索結果の2番目に表示された生成AIは技能自販機はないと断言した。YouTube内を検索したら普通に技能自販機の動画が出てきたのでそれを検索結果に出せばいいだろうに、Google検索が同じGoogleのサービスであるYouTubeとさえ連動していなくて使い物にならない。ちなみにBingで完全一位検索しても技能自販機の情報が出てこなかった。サーバー上に膨大な有益な情報があったとしても検索できなければ存在しないようなものだし、特定の情報を見つけるために何度も検索ワードを変えて検索しないといけないのでは時間がかかって効率も悪い。Google検索の劣化はGoogleも認めているようで、アメリカ司法省(DOJ)との裁判でGoogleの弁護団から提出された文書に「事実として、今日、オープンwebはすでに急速に衰退しており、原告(DOJ)の事業分割案は、その衰退を加速させるだけだろう。そして現在、オープンWebのディスプレイ広告収入に依存しているパブリッシャー(Webサイト運営者)に損害を与えることになる」と書いてあったそうな。GIGAZINEの記事によるとGoogle検索が超絶劣化したのは責任者が変わったのが原因なようで、黎明期から「ユーザーに最適な情報を届ける」という理念でパンダアップデートやペンギンアップデートなどをやってきたベン・ゴームズ氏が2020年に解任されて、後任のプラバカール・ラガヴァン氏が広告収入の成長を最優先する方針になったのが原因のようである。そんでただでさえタイパ重視の若者が劣化したGoogle検索を使わなくなってSNS内で検索するようになって検索のシェアも若干落ちているそうな。さらにGoogleはAIが直接検索に答える仕組みにシフトしようとしているので、これからGoogle検索のアルゴリズムが改善する見込みがない。一般ユーザーは検索でもAIでも答えがわかればいいじゃんと思うだろうけれど、学術研究とかで引用するにはいつの誰による情報なのかソースなのか確認して一言一句正確に引用するのが重要なので、ソースを表示しないタイプのAIでは検索の代替手段にならない。生成AIはハルシネーション(嘘を事実のように提示する応答)を起こすので、ソースを表示するタイプのAIでも勝手に言い換えて間違った情報を広める可能性もあるし、ソースがAIの応答と全然関係ない内容の場合もある。なのでAIがあれば検索がいらなくなるわけではない。TBS CROSS DIGのYouTubeの動画だと「グーグル検索の60%がクリックされない」そうで、AIが直接検索に対する答えを表示するとユーザーがページを訪問しなくなって広告収入はなくなるし、SEOが無駄になりつつある。それだけでなくてジャーナリストやフリーランスライターとかが苦労して取材した記事を勝手に使われて掲載元のサイトには広告収入が入らないこともありうるので、AIによる情報の窃盗にも対処する必要がある。・コンテンツビジネスへの影響クリエイターにとっては良い作品を作るかどうかよりも、まず検索結果に表示されるかどうかのほうが収益への影響が大きい。凝ったコンテンツをSNS上にアップロードしても検索結果に表示されなくてほとんど認知されない場合もある一方で、平凡なコンテンツでもなんかのきっかけで検索のアルゴリズムに適応してバズって有名になることもある。それゆえに自営業者たるクリエイターは広告の手段としてSEOの知識も持つに越したことはないけれど、Google検索自体が劣化すると一生懸命SEO対策しても無駄になる。Googleはまとめサイトとかのコピペ中心のコンテンツやAIの自動生成コンテンツは一応排除する方針のようだけれど、方針通りにアルゴリズムが機能していない。生成AIで手軽に文章や画像や動画を生成できるようになったことでAIスロップと呼ばれる低品質なコンテンツがあふれるようになって、GoogleがTikTokのショート動画とかのAIで生成されたコンテンツを検索結果の上位に出してくるので、結局はAIでコンテンツを大量生産して視聴数を増やすのが今の状況に適応したコンテンツビジネスのやり方になっていて、悪貨が良貨を駆逐する状態になっている。●日本はアメリカのサービスに依存するのをやめるべきデジタル経済リポートによるとデジタル関連収支は著作権等使用料、通信サービス、コンピュータサービス、情報サービス、経営・コンサルティングサービスの5項目を指していて、2024年の支払いは10.8兆円、受け取りは3.95兆円で、6.85兆円の赤字になっている。そんで悲観シナリオだと2035年にはモノを含めたソフトウェア・データ市場の赤字が45兆円まで拡大する可能性がある。例えば経営・コンサルティングサービスの収支赤字はインターネット広告関連の支払額とほとんど同じ変動をしていて、日本企業がGoogle広告やFacebbokを使って広告を出稿するとデジタル赤字になる。著作権等使用料にはWindows、Android、iOSとかのOSの使用料がかかっていて、国産のパソコンやスマホを買ってもデジタル赤字につながる。関税について考えるという記事でも考えたけれど、コンテンツやサービスのようなモノとしての形がないものには関税がかからないので、関税では外資系IT企業の影響力をコントロールできないし、かといって中国みたいな独裁国家でないとアクセス遮断とかの措置も取りにくい。ドイツはGoogleとかのオンラインプラットフォームが利益が大きいわりに税金を払わなくて投資も少なくて社会に還元しないということで10%の課税を検討しているそうだけれど、こういう外資狙い撃ちの課税は正当化しにくい。ネパールはフェイクニュース、ヘイトスピーチ、オンライン詐欺に対処するという名目でYouTubeやFacebookとかのソーシャルメディア禁止措置をとったけれど、これはソーシャルメディア上で政治家の汚職疑惑を告発するキャンペーンがされていた最中での禁止措置だったので単なる娯楽の規制でなくて言論弾圧の一種で、反発した若者が暴徒化して19死者が出て放火されたりしてオリ首相が禁止を撤回して辞任する事態になっている。詐欺を防ぐにしても全面的な規制でなくて技術的に対応するべきである。外資系ITを規制でどうにかしようとするのでなくて、まず自国でITインフラを整備するのが筋だろう。Google検索が超絶劣化していることは日本のIT企業にはチャンスになりうる。アメリカだとAIの発達でエンジニアが不要になって解雇されたり新卒が就職に苦労したりしているそうだし、トランプがハーバード大学の留学生を追い出そうとしたりしているけれど、これもIT後進国の日本にとっては優秀なエンジニアを雇うチャンスである。デジタル経済レポートの46ページに「日本企業が実行すべきソフトウェアチョーキング戦略は、汎用OSとしてドミナントデザインが築かれ、かつ初期投資が膨大に必要なOS領域ではなく、新規参集も比較的容易で、開発コストと収穫逓増のバランスが取れたミドルウェアの領域であるといえる。」と書いてあるけれど、国産OSの開発は無理にしてもLinuxを中心にするのじゃだめなのだろうか。パソコンのOSのサポート期限が切れてもLinuxやLibreOfficeを入れたらブラウジングや書類作成程度しかしないライトユーザー向けなら十分使えるし、リユースの推進という点でもLinuxの普及は公益にかなうものである。ETAXのダウンロード版ソフトがWindowsにしか対応していないので私は仕方なくWindowsを使っているけれど、政府がデジタル赤字を解消するつもりならLinuxにも対応してほしい。ブラウザも広告を一切表示しない国産ブラウザを開発して、変な広告を表示したらまずいような教育用タブレットや役所用の標準ブラウザに指定すればよいと思う。そんでロボット型検索エンジンからディレクトリ型検索エンジンに回帰して信用できるサイトだけ表示するようにすれば広告収入がなくてもディレクトリの登録料とかでブラウザの利益は出せるのじゃなかろうか。Googleのロボット型検索エンジンはフィッシング詐欺サイトを検索結果の上部に表示することがしばしばあって、これからAIを悪用したフィッシング詐欺サイトや投資詐欺広告の乱造が予想される一方でGoogle検索が劣化していって詐欺の脅威が増していくと思われるので、詐欺防止の観点からいまこそディレクトリ型検索エンジンをやる理由になると思う。Yahooのディレクトリ型検索はAIが出てくる以前の2018年に終了したけれど、今はAIが使えるのでAIチャットボットを併用してディレクトリ型検索に登録してある信頼性が高いデータベースの中から情報を抽出したり商品やサービスを提案したりするとかの今の技術だからこそやれるアップグレード版のディレクトリ型検索が作れると思うし、そしたらロボット型検索エンジンが有象無象の低品質なコンテンツをクロールして取り込んで生成AIがハルシネーションを起こすのと違ってディレクトリ型検索だからこそより精度が高い情報を検索できるだろうし、Googleが取りこぼしているITに疎くてサイトの信頼性を自分で判断できない日本人の高齢者層や若年層の検索シェアを取れると思う。あとFacebookが2016年のアメリカの大統領選挙の時にタイムラインで情報操作していたようなことが日本でも行われる可能性があるので、選挙に外資系のSNSを使うのもあまりよくない。ブログ系はテキストや写真が中心でデータ量が少なくてあまりサーバー代がかからないので楽天やAmebaとかいろいろな日本のIT企業がブログサービスを提供しているけれど、動画はデータ量が多くてサーバー代がかかるせいかニコニコ動画くらいしか国産のサービスがないし、ニコニコ動画にしてもサーバー増強に投資せずにニコニコ超会議で浪費したりエンジニアの給料をけちってランサムウェアの被害にあったりして運営がよくないのでもうちょっとましになってほしい。通販だとVISAとMastercardの規制が理由で駿河屋がアダルト商品の取り扱いをやめるそうで、こうした外国資本による規制が間接的に日本の二次創作文化やクリエイターの収入にも影響するので、国産の決済手段も普及させるほうがよい。日本のITはどこの会社の支払いサービスも機能にたいして違いがないのに自社で囲い込もうとして規格を統一しなくて、〇〇ペイが乱立したり、交通系ICカードが乱立したりして、効率化するのがITの意義なのに全体としてシステムが複雑になって非効率になる本末転倒なことをやっている。もうマイナンバーカードを作って銀行口座と紐づけているのだから最大限に活用して、例えばマイナペイやマイナタッチ決済とかを開発してそれで支払いをして決済データを会計ソフトと連動させて確定申告に使えるようにするとか、公共交通機関はマイナ系支払方法を義務付けるとか、国が介入して全国で統一の規格を作る方が効率が良くなると思う。というわけで日本のIT企業にはがんばってGoogleに変わるサービスを作ってほしいものである。
2025.09.11
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最近は石破総理がインドから「5年で50万人以上の相互の人材交流」や「インド人の5万人以上の受け入れ」の目標を検討している。自民党政権が続く限り移民が増えていくことは間違いないけれど、移民に対して十分な対応ができているか疑問である。知日派を増やして外国と協力関係を強化していくこと自体は重要だけれど、日本での受け入れ態勢や送り出し国の選別基準に問題があるとかえって信頼を損なうことにもなりかねない。移民を搾取の対象にしてはいけないし、医療や法的なサポートも必要である。日本人と移民の双方が幸福になる移民政策なら良いけれど、片方か両方が不幸になる移民政策ならやるべきでない。というわけでこれについて考えることにした。●移民とは何か国連によると、「国際移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています。3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です。」と言っている。つまり定住しないでホテルを転々として短期間で帰る観光客は移民でなくて、短期的であれ住居を定めて移住して生活基盤を持つ人は移民に当たるわけで、日本で技能実習生や留学生と呼ばれている人も長期的移住をする移民である。日本の4市がアフリカのホームタウンに指定されて特別なビザが出るとBBCやナイジェリア政府に報じられたことで役所に問い合わせが殺到して、林官房長官は「JICA研修事業等を通じたインターン生の受け入れを想定している。この研修は期限付きで、研修終了後は研修生の出身国への帰国を前提としていて、移民の受け入れ促進ではない」と否定しているけれど、経済同友会が後援して国際移住機関とJICAが開催しているTICAD9のシンポジウムは2040年に今の2倍の688万人の外国人労働者が必要になるという推計を背景にしているし、JICAの「コンサルタント等契約(業務実施)(2025年1月15日)」という資料の11ページには「【目的】タンザニア及び山形県長井市における産業人材に係る情報収集及び分析を行い、外国人材受入れ体制及び持続的運営にかかるボトルネックとなる課題を調査する。ガーナ及び新潟県三条市においては、今後の民間連携・将来的な持続的交流を見据え調査し、初期段階にあたる関係構築(含むパイロット事業)を実施する。併せて、パイロット派遣を実施する中で、JICAとしての、または自治体による外国人材受入れにかかる効果的な支援策を検討する。」と書いてあるのだから、アフリカからの移民推進でないという解釈のほうがおかしくて、中長期的にアフリカからの移民を増やすつもりだろう。市民の理解を得る前に勝手に移民のパイロット派遣用の検証地に指定されたなら市民から批判があって当然である。インド人についても林官房長官は「インド国籍者に対して入国要件や基準を緩和したり、特別な枠を設定したりすることは想定しておらず、指摘の懸念はあたらない」と否定した。たぶん林官房長官は恒久移住ではないという意味で移民の受け入れ促進ではないと否定したのだろうけれど、恒久移住でなくても短期の移住でも移民だし、移民の定義をはっきりさせないと政府が移民ではないと言いつつ国際的に見たら移民に該当する人を受け入れて国民を騙していることになる。日本は奈良時代に鑑真から仏教を学んだり、江戸時代に朝鮮人の陶芸家から陶芸を学んだり、明治時代にヨーロッパの学者や芸術家を招聘して西洋の技術や芸術を学んだりして、高度な知識や技能を持つ移民から恩恵を得て発展してきた。日本からも移民を送り出していて、明治時代の貧しかった頃は新天地に食い扶持を求めた人が移民となって、ハワイのサトウキビ畑で働く契約移民になってそのまま定住したり、ペルーのサトウキビ畑に働きに行ったら過酷な労働条件で死者が出て離農してブラジル、ボリビア、チリ、アルゼンチンへ移動して定住したりした。満州事変後は日本軍が清の最後の皇帝の溥儀を皇帝に据えた満州国を作って日本人が出稼ぎに行って、人口4300万人のうち約82万人が日本人だった。かつて日本人は移民として世界中に出稼ぎに行っていたのに、なぜ現代の日本人は外国人が日本に出稼ぎにくることに拒否感があるのかというと、外国人差別というよりももともと同調圧力が強い田舎に余所者が来るのが嫌なのだろう。田舎と違って都会は近所との付き合いも薄くて同調圧力がないし、外国人観光客も多くて移民と観光客の区別がつかないし、隣に住む人の国籍や人種がなんであれ騒音やゴミ捨てとかのトラブルを起こさない限り気にしないので、都会だと移民への拒否感はあまりない。社会実情データ図録というサイトによると、1950-70年代は特別永住者が60万人程度いるだけで他の移民があまりいなかったけれど、1990年代から中国系移民が増え始めて2024年には約94万人いて、2010年代からベトナム系移民が増え始めて2024年には約63万人いる。他にはフィリピンとかの地理的に近いアジアの移民や、日系人が多いブラジルとかの南米の移民が多いようである。意外なことにアメリカには日系アメリカ人が少なからずいるわりにアメリカ人移民はほぼ横ばいで約6万人しかいなくて、給料が高いアメリカからわざわざ日本に出稼ぎに来たり何かを学んだりするほどの魅力がないので移民が少ないのだろう。世界中から様々な背景を持つ移民が日本に来て文化交流が促される一方で文化の違いから問題も起きるし、共生するには問題解決に取り組む必要がある。●移民が引き起こす問題・脱税しやすいしばしば在日中国人が空港で違法白タクで稼いでいるけれど、ニュース番組の取材班が直撃取材すると友人を送迎しただけとか言い逃れしている。他にもマンションの規則を無視して民泊を経営したり、マンションで違法に風俗店を経営したり、売春したり、無許可で道路を占有して露店を出したり、違法な金利で金を貸したり、旅行客が免税店で買ったブランド品を買い取って転売したりして、違法に稼いだ金は当然確定申告していないので所得税や住民税の脱税になる。日本の銀行を通さずに地下銀行や外国の支払いアプリとかを経由して母国の銀行に送金されると国税庁も証拠を追えない。そんで脱税した金で事業規模を拡大していくので、徐々に外国人が経営する企業に侵食されていってしまう。例えば8月27日に神戸市で無届けで美容室を営業してベトナム人理容師2人を不法就労させたとしてベトナム人の経営者ら3人が逮捕されたけれど、月に200万の売上があったそうで、その分は周辺のまともな美容室の売り上げが減るわけである。美容室や飲食店みたいな刃物を扱って衛生管理が必要な仕事は少人数で開業しやすいうえに客が怪我したり病気になったりする可能性もあるので、発展途上国の衛生基準で無許可で経営されると危ない。・教育が不十分になる留学生は基本的に日本語を覚えるので日本に長期滞在して結婚して子供を作っても子供が日本語を話せるようになるけれど、一家で難民申請した外国人や中国残留孤児とかは両親も子供も日本語がわからなくて、一応学校に通っても子供が授業についていけなかったり同級生と意思疎通できなくて仲間外れにされたりしてドロップアウトして、学歴がないとろくに就職もできないので不良化して犯罪で生計を立てるようになる。・行政コストがかかるビザの種類によっては日本語を勉強しない状態で来日する外国人がいる。そうなると役所、病院、警察、裁判所とかのあらゆる機関で通訳が必要になって、そのぶんコストがかかる。警察は48時間以内に取り調べして起訴するかどうか決めないといけないけれど、通訳が足りないとかで十分な取り調べができない場合は犯罪行為をしていても不起訴になりかねなくて、警察の事情聴取や裁判といった統治のための機能が十分に働かなることが問題である。・性犯罪が起きるイスラム原理主義勢力が影響力を持っているような女性蔑視の国から来た人はそもそも女性の権利を守る意識がないので性犯罪が起きやすくなる。イギリスだとパキスタン系移民の性犯罪が問題になっていて、イーロン・マスクがスターマー首相の検察時代のパキスタン系のグルーミング・ギャングの集団レイプ事件への対応を批判していた。statistaの「Number of police recorded rape offences in England and Wales from 2002/03 to 2024/25」によると、イギリスとウェールズのレイプは2000年代は1万3千件程度だったのが、欧州難民危機が起きた2015年頃から増え始めて2025年には7万件になっている。イギリス人が急に性欲に目覚めて5倍レイプするようになったとは思えないので、移民による性犯罪が増えたのだろう。対照的にポーランドはウクライナから200万人の避難民を受け入れる一方でイスラム教徒の不法移民を一切受け入れておらず、statiaの「Number of rapes in Poland from 1999 to 2023」を見るとレイプの件数が右肩下がりになっていて、ポーランドの首相はレイシストと批判されようが国民を性犯罪から守っている。日本だと2025年8月6日に松戸市の路線バス内で面識がない女子大学生にわいせつな行為をしたバングラディシュ人の無職の男(29)が逮捕されて、「やったことに間違いないが、彼女が同意してくれていると思っていた」と供述したけれど、常識的に考えて初対面でデートもせずにわいせつに同意しないだろうに、そういう異性に対する常識がない。そもそも無職なのに何のビザで日本に滞在しているのか疑問である。2024年9月11日にはJR中央線で女子高生にわいせつをしてバッグを奪って登山道脇の茂みに連れ込んで性的暴行をしたパキスタン人が逮捕されている。・窃盗や強盗や麻薬の密売が起きる酔っ払いとかの粗暴犯なら犯人が日本人でも外国人でも最寄りの交番から来た高卒の警察官が対応できるけれど、不良移民が集まって犯罪組織になった場合は外国語がわかる警察官でないと踏み込んだ捜査ができないので犯人の逮捕が難しくなって犯罪が深刻化する。関東でベトナム人グループが家畜や農作物を盗んでSNSを使って売りさばいたり、カンボジア人グループが銅線を窃盗して売りさばいたり、六本木でナイジェリア人グループがぼったくりをしたり麻薬を密売したりしていて、redditの日本観光スレッドだと夜遊びする場合に六本木は避けるように警告されているくらい外国人観光客にもナイジェリア人の素行の悪さは知れ渡っている。金持ちの中国人を狙った中国人同士の犯罪も起きていて、中国大使館や中国公安局を騙って詐欺をしたり、中国人経営者から強盗したりしている。特に麻薬は日本に製造拠点がなくて主に外国から密輸されるので、移民ギャングの資金源になりやすい。名古屋の中国系企業のFIRSKY株式会社が中国産フェンタニルのアメリカへの不正輸出の拠点になっていたことが判明したけれど、警察は単に粗暴犯を捕まえるみたいに通報があってから出動して対処するのではだめで、外国に拠点を持つ国際的な犯罪組織の犯罪を未然に防ぐための捜査網が必要になる。・交通事故が起きる日本は左側通行で右ハンドルだけれど世界では少数派で、カーネクストの「世界の右ハンドルと左ハンドルの比率」という記事によると左側通行と右側通行の比率は34:66だそうな。右側通行で左ハンドルの車の運転をしてきた外国人が日本で車を運転すると、疲れているときとかにうっかり逆走しかねないし、標識をちゃんと理解できるのかという問題もある。2023年には大阪で飲酒・無免許運転のナイジェリア人が逆走して正面衝突して対向車の運転手が死亡している。海外の運転免許証を保有する外国人が簡単な筆記試験で日本の免許証を取得できる外免切り替えが批判されて、警視庁は10月1日から住民票の写しの提出を義務化して外国人観光客の切り替えを認めないようにして試験も10問から50問にして正解率も70%から90%に引き上げるそうだけれど、最初からそうすればいいのに今まで試験を簡単にしていた意味が分からない。アメリカだと商用トラック運転手に対する就労ビザの発給を即時停止するそうで、トランプは「米国の道路で大型トレーラーを運転する外国人運転手が増えており、米国人の生命を危険にさらし、米国人トラック運転手の生計を脅かしている」と言っている。Xを見ていたら不法移民のインド人のトレーラーの運転手が旋回禁止のところで旋回して道路をふさいで荷台に後続車が突っ込む死亡事故の動画が流れてきたけれど、運転手が逮捕された後に英語のテストをしたらほとんど英語がわからなくて4つの標識のうち1つしか読めなかったそうな。アメリカで免許を取るのは簡単なようで英語がわからない人でも免許が取れるので、事故が起きる原因になっているのだろう。本来なら就労ビザの停止でなくて運転免許取得の条件を厳しくするべきだけれど、免許関連は各州が独自の基準で発行していて大統領が直接いじれないので、大統領の権限でどうにかできるビザの方を規制して対応するということなのかもしれない。・外国に逃げる移民が民事訴訟を起こされたり、交通事故や刑事事件を起こしたりして、日本に留まるメリットよりデメリットの方が多くなると責任をとらずにさっさと外国に逃げてしまって被害者はやられ損になる。日本が犯罪人引き渡し条約を締結しているのは韓国とアメリカだけなので、それ以外の国に逃げられたら日本で裁判して罪に問うことさえできなくなる。・不動産関係の問題が起きる移民が急に増えても不動産は急に増えないので、移民が増えるほど住宅の需要と供給のバランスが崩れて、特にインフラが整っている都市部に金持ちが住みたがって不動産価格が高騰する。オーストラリアは国自体は大きくても居住可能地域は狭くて沿岸部に集中していて、そこに金持ちの中国人移民が来るので家賃が高騰して現地人が家賃を払えなくなってホームレスになったりして、もともと白豪主義だったのにさらにアジア系移民への反感が高まっていて、8月31日には「オーストラリアのための行進」という大規模な反移民デモが行われた。韓国だとソウル一極集中だったところに中国人やアメリカ人が高層マンションを買うのでソウルの住宅価格はニューヨークやロンドンを抜いて世界4位まで上がったそうで、対照的に第二の都市の釜山は寂れているそうな。日本だと首都圏のタワマンが投資の対象になって高騰していて1億円を超えてサラリーマンが買えない値段になっていて、円安が進行するほど輸入資材価格が高騰して日本人には買いにくくなって、外国人は割安な為替レートのおかげで買いやすくなる悪循環になる。外国人が投資目的で買ったマンションが空室なのも問題で、ホテルなら利用者が名簿に残るので警察が捜査しやすいけれど、外国人所有のマンションは不法滞在者やテロリストの潜伏先として使われかねない。数十年後には相続の問題も起きる。日本人でも不動産の所有者が死んでも相続登記がされなくて所有者不明のまま不動産が放置されている場合があるけれど、不動産の所有者が外国人だと相続する人が外国在住で日本の法律を知らなくて相続登記をしなかったり、登記の手続きを面倒くさがって放置したり、固定資産税を滞納して競売にかけられた後で勝手に財産を処分されたから賠償しろとごねたりして、日本人以上に問題が起きるだろう。外国人が日本の不動産を積極的に買うようになったのは最近の事なので相続の問題が出るのは数十年後だろうけれど、問題が起きることを見越して早めに対処する必要がある。・介護や福祉の問題が起きる日本人と結婚して日本国籍を得た人の中には日本語が話せない人もいるし、あるいは日本語を覚えて日本に永住権を持つ外国人でも歳をとって認知症になると日本語を忘れて母語に戻る場合があって、介護施設や病院に外国語が話せる人がいるとは限らないので介護が不十分になる。短期的に見たらうまく日本に同化したように見えても歳を取ってから離婚して配偶者ビザが失効したり、病気や失職とかで生活能力がなくなったりして在留資格を失って問題が顕在化する場合もある。2022年にはイタリア人のホームレスが入管に収容されて自殺したけれど、彼はグラフィックデザイナーとして働いて日本人と結婚したものの妄想性パーソナリティー障害になって妻もいなくなって在留資格を失ったという経緯だった。彼は悪気があって在留資格をなくした訳ではないし、入管も法に則って在留資格がない人の収容を執行していて対応に問題があったわけではない。しかし長年日本で暮らして母国に生活基盤がない病気の高齢の外国人の在留資格がなくなったときに収容したり送還したりするにしても人道的であるに越したことはなくて、ただ送還して後は知ったこっちゃないというのでなくて送還先の国の福祉サービスと連携するとかもやるべきかもしれない。●どうすれば移民と共存できるのか・難民と移民は分けて考えるべき難民支援は政治的に迫害されている人を助ける政策で、日本は難民条約に基づいて審査をして難民だと認定した場合は保護する義務がある。一方で移民政策は自国にとって有益な人を受け入れる政策で、移民を受け入れるか否か、どういう基準で受け入れるかは国会で判断してビザの要件は日本独自に決める。観光ビザで日本に来て期限が切れたら彼氏にDVされるとか借金取りに脅されているとかの政治的迫害と関係ない理由で難民申請するような偽装難民は難民ではないし、正規の就労ビザを取れるほどの技能がない人は日本にとって有益でもないので、嘘をついて難民申請して滞在期間を延ばそうとする人は不法移民として速やかに強制送還して再入国禁止にするべきである。左翼はしばしば日本の難民認定率が低いことを問題にするけれど、迫害を立証できないほうに問題があって、難民だという根拠が乏しいのなら難民認定されなくて当然である。難民審査中の仮放免者は離島に隔離したりして偽装難民の不法就労や犯罪を防ぐ方法もあるだろうし、仮放免中に一切仕事をさせないのでなくて刑務所みたいに政府が管轄して監視できる作業所を作って特定の仕事なら収入も得てもいいようにも制度を変えられるだろう。難民の生命の保護をするのが日本である必然性もないので、デンマークが難民をルワンダに移送することを検討したり、オーストラリアが難民申請が不認定になって在留資格がなくなって本国に送還するのも難しい人をナウルに受け入れてもらったりするみたいに、難民申請者や難民不認定者を他の安全な国に移送することも検討するほうがよい。例えば2007年に脱北者の木造船が青森県に漂着して一時保護した後に韓国に移送されたように、日本に難民が来たからといって生涯日本で保護しなければならないわけではないし、文化が近い国のほうが難民も生活しやすいだろう。難民は外国の事情で発生するので日本側ではコントロールできないし難民に該当する人は保護する必要があるけれど、移民政策は政府の裁量で自由にできるので、移民を受け入れるにしろ追い出すにしろいろいろやりようがある。政府が10月に経営・管理ビザの要件を厳格化する予定で、資本金を500万以上から3000万以上に引き上げて、経営者の経歴として3年以上の経営・管理経験と経営・管理に関する修士相当以上の学位の要件も設けてペーパーカンパニーを作って日本に滞在する人を排除しようとしているように、ビザの要件を変えればビザを悪用する人を日本に滞在させないようにできる。あと日本で移民というと技能実習生やエスニック料理の調理師や大学教授や外資系企業の駐在員とかの就業ビザで働く労働者のイメージがあるけれど、他の国だと移民は必ずしも労働者である必要はなくて、例えばタイやインドネシアとかの東南アジアにはリタイアメントビザと呼ばれる50-55歳以上の一定額以上の預金と収入がある金持ちの外国人が働かずに投資の配当金を得ながら5-10年くらいのんびり滞在できるビザもあって、金持ちは高級コンドミニアムの家賃を長期間払ったり現地で車を買ったり家政婦を雇ったりして短期滞在の観光客以上に金を落としてくれて経済に貢献するので優遇している。日本も移民を労働力の補完とだけ考えずに、長期滞在する消費者として富裕層の移民をいれるというやり方も考えるほうがよい。日本の医療ビザは90日、入院する場合は1年までの短期滞在用だけれど、外国人の富裕層向けにリハビリや湯治やホスピスで過ごすための滞在期間を延ばしたり家族の滞在を許可したりする富裕層用の長期療養ビザみたいなのを作って、保険適用外の高額治療で医療費をがしがし徴収して病院の収益に充てるみたいなやり方もあるかもしれない。病気で療養している富裕層なら不法就労や強盗殺人や麻薬の密輸とかの金目当ての犯罪はやらないだろうし、日本にとって有益かつ無害な移民になりうる。・保証人の責任を強化する技能実習生の送り出し機関は人材の質に関わらず大量に送り出すほど儲かるし、技能実習生を受け入れる企業も儲かるけれど、DQN外国人が引き起こす問題は地域住民が負担することになって、受益者と負担者が一致していない。伊万里市で起きたベトナム人技能実習生による強盗殺人事件はそもそも送り出し機関がちゃんと人柄を見て選別していれば防げたはずで、送り出し機関の責任も問われるべきである。例えば複数人の連帯保証人や保証金を必須にして、外国人が事故や犯罪の損害賠償とかを払えないときや帰国の旅費を払えないときには連帯保証人に払わせたり保証金を使ったりするようにすればよいし、外国人が逃亡して連絡が取れなくなった場合は見つかるまで毎年捜査費用を100万円くらい保証人に払わせればよいし、問題なくビザの期間内に帰国する場合には保証金を返却すればよい。難民申請者の身元保証人も問題で、出入国管理庁の「現行入管法上の問題点」という令和3年の資料によると弁護士Aは約280人中80人を逃亡させているそうで、身元保証人としての責任を果たしていない。保証人の責任が強化されたら左翼が難民申請中の人に対して誰彼構わず保証人になって仮放免中の外国人が逃亡したり犯罪をしても誰も責任を取らないような現状を改善できるだろう。私が前に勤めていた零細企業には一度も出社したことがなくて勤務実態がない中国人の部長が在籍していることになっていたけれど、たぶん社長はその中国人が就労ビザを得る便宜を図る代わりに何かの見返りをもらっていたんじゃないかと思う。こういう名目上の保証人になって実質的な責任は取らないケースがなくなるようにするほうがよい。・保険を分ける日本は皆保険制度があるとはいえ職業や年齢で保険が分かれていて、無職か自営業者は国民健康保険、会社員は全国健康保険協会か健康保険組合の健康保険、公務員は共済組合の保険、75歳以上の高齢者は後期高齢者医療制度を使っている。日本人の高齢者は若い頃に週休一日で頑張って仕事をして長年保険料を納めてきたので年を取ってから体にがたがきて病院の世話になって高額の医療費がかかって現役世代の負担が増えるのも仕方がないし同じ国民同士で助け合うべきだと思えるけれど、いままで保険料を納めてこなかった高齢の外国人が経営・管理ビザで500万でペーパーカンパニーを作って日本に3か月滞在して国民健康保険に加入してすぐ高額の治療をして保険で賄うのは納得がいかない。オマキザルにぶどうときゅうりをあげる実験できゅうりしかもらえなかった個体が怒ってきゅうりを投げ捨てたように、動物は群れとして暮らすうえで不公平感があると怒りを感じるようになっていて本能に近い感情として強く働くので、日本人と移民で不公平感があると移民に敵意が向かう。だったら最初から日本人向けの制度と外国人向けの制度を分けてしまえばいい。例えば外国人専用の保険の中から病気や一時的な失業に対する生活支援とかをすればよいし、全額外国人の負担なら日本人からの批判は出なくなるだろう。・日本語を覚えさせるだけでなく常識を身に着けさせる外国人の犯罪によくあるのが「知らなかった」と言って罪を軽くしようとするパターンで、例えば8月26日に仙台市でスリランカ人が職務質問されて乾燥大麻が見つかって「日本でマリファナが違法ということは知らなかった」と容疑を一部否認しているそうな。知らないなら調べてから行動しろっちゅう話で、特に大麻はタバコと違って薬局でさえ販売されていないのだから常識的に考えて違法だとわかるはずである。人材育成機構の「「技能実習制度」が「育成就労制度」に変わります」という記事によると2027年には技能実習制度が育成就労制度に変わって、日本語能力要件が強化されるようである。それ自体は良いけれど、日本語は話せても常識がなくて犯罪をするのでは意味がないので、大麻や飲酒運転みたいに国によって合法か違法かが分かれるようなものに対する社会常識研修みたいなものも徹底してほしい。高度な技術を持つ特定技能2号だと家族帯同の無期限就労が可能になるけれど、家族に対する日本語教育とかの同化政策も必要だろう。・人数に上限を設けるヨーロッパの移民政策は短期間に狭い地域に大勢の移民を入れたことで移民が言語を覚えようとしなくて同化が不十分になって失敗した。川口のクルド人問題も同じ構図で、クルド人は在日外国人の中では比較的少人数にもかかわらず川口に集中したことで同化せずに軋轢が起きて全国的に注目されることになった。その反省を活かすなら、特定の国の出身者が短期間に一か所に集まりすぎないようにするとか、一定数の人口の割合を超えないようにするとか、国籍別の犯罪率が高い国の移民を制限するとか、国ごとに1年に帰化できる人数の上限を制限するとかすればよい。スパイやテロリストへの対策としても公安の監視能力を超える人数が一挙に来日するのは問題で、日本を敵視している国やテロリストが活動中の国からの移民にも制限が必要だろう。鈴木法相は8月29日の記者会見でこれから出入国管理庁にプロジェクトチームを作って上限を設ける必要の是非などを検討することを明らかにしていて、対応が遅くて本来は欧州難民危機が起きた安倍政権の頃からやっておくべきだったけれど、検討すること自体はよい。上限を設けるとオーバーツーリズムへの対策にもなる。例えばGWやお盆や年末年始の旅行シーズンに外国人観光客の入国可能人数に上限を設けたり、入国税を高くして日本旅行を他の時期に移すように誘導すれば、外国人が減る分だけ日本人が公共交通機関やホテルを使いやすくなるだろう。・不起訴の理由を明らかにする外国人の犯罪はしばしば不起訴になるけれど理由が明かされない。例えばドラゴンボールの初版本の偽物を販売した中国人が8月27日に不起訴処分になったけれど、静岡地検は「諸般の事情に鑑みて」と詳細を明らかにしていない。麻薬取締法違反(営利目的輸入)の疑いで逮捕されたスリランカ人が8月27日に不起訴になったけれど、さいたま地検川越支部は詳しい理由を明らかにしていない。不起訴の理由を言わないと外国人犯罪の捜査が面倒くさいから仕事をさぼっているのじゃないかと検察への不信感や無罪放免になった外国人への嫌悪や偏見につながっていく。誰もが納得するような公正な捜査をしているなら不起訴にした理由も言えるはずである。もし言葉が通じなくて捜査が不十分で不起訴になっているのなら問題で、暴力団や半グレが外国人を実行犯として利用する犯罪が増えかねないし、外国のギャングに日本は取り締まりがゆるい国だと知れ渡ったら狩場にされかねないし、外国人犯罪が多発して警察官の人手が足りなくて捜査が不十分で不起訴になって犯罪者が野放しになってまた犯罪する負のループになったら治安が崩壊する。ヨーロッパで移民や難民を大勢受け入れて犯罪が多発して右傾化したように、治安が悪くなったら反移民感情が高まって良い移民も悪い移民も一緒くたにされて移民排斥の流れになって移民との共生は失敗する。警察や検察は日本人の犯罪も外国人の犯罪も公平に捜査して治安を維持する姿勢を示す必要がある。●まとめ世界中の人がなるべく幸福であるに越したことはないけれど、それは日本人の犠牲や我慢の上で成り立たせるものではない。まず日本人が独力で幸福になって、日本人みたいに幸福になりたいなと思う外国人はビザを取って日本語を覚えて日本の文化に同化して自立して生計を立てて幸福になればよい。日本の文化や歴史や法律を尊重せずにインフラや福祉にフリーライドする自分勝手な外国人とは隣人として共に生きることはできないので、そういう人は日本に来ずに母国や他の国で幸福になることを目指せばよい。
2025.08.30
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こないだの参院選は参政党や日本保守党とかの新興の保守派が議席を増やした一方で、左翼は熱心に政治活動をしているのに国民民主党以外は支持者は増えていない。支持者が増えないのには相応の理由があると思うので、これについて考えることにした。●日本の左翼政党のおおまかな流れ19世紀の資本家は労働者から搾取して工場の稼働率を上げるために長時間勤務させたりしていて、資本主義への批判から労働者の待遇改善を求める社会主義や共産主義を標榜する人が増えていって、日本社会党や共産党とかの左翼政党ができた。かつては日本社会党は55年体制で野党第一党で、1996年に社会民主党(社民党)に改称して自民党・社民党・新党さきがけの自社さ連立政権で村山富市が総理になったこともあったけれど、北朝鮮の拉致問題を否定したことから支持を失って、社民党は議席を減らし続けてもはや与党になる可能性はない。村山総理を見限って社民党から分離した議員が新党さきがけと合流して1996年に民主党ができて、アメリカみたいな二大政党制を目指して2009-2012年には民主党が念願の与党になったものの、小沢一郎が陸山会事件で告発されたり円高を注視して放置したりマニフェストを無視したりして問題だらけで短期政権で終わって、政権担当能力がないとみなされて二大政党制の幻想がなくなって、また自民党政権に戻って安倍晋三に「悪夢の民主党政権」とまで呼ばれた。民主党に維新の党が合流して2016年に民進党になって、前原誠司が代表の民進党が小池百合子の希望の党に合流する際に左派が排除されたのでその受け皿として2017年に枝野幸男が代表の立憲民主党ができて野党第一党になって、2018年に民進党と国民党が合流して国民民主党ができた。日本共産党は旧社会党系の政党とは違って分離や合流をせずにそのままで、党員数は25万人いて地方議員も多くて支持基盤はしっかりしているものの、支持者が高齢化して死亡していくにつれて議席を減らしているし、資金源にしている赤旗の発行部数も減っている。新興の左翼政党としては2019年に元俳優の山本太郎が党首のれいわ新選組ができて、ロスジェネ世代や官製ワーキングプアや障碍者とかの弱者支援を中心とした政策を掲げている。そんでソ連の崩壊で社会主義の失敗が明白になって、中国も実質的に資本主義国家になって、21世紀の左翼は社会主義国家の実現を目指すというよりも個人の権利や自由を追求するリベラルになって、女性の権利、LGBTの権利、夫婦別姓の権利、労働者の権利、外国人の参政権、福祉、環境保護、反戦、反原発とかを政策にするようになった。●なぜ左翼の支持者が増えないのか・建設的な議論にならない参院選で左翼が参政党の選挙妨害をしていたのが典型的で、藁人形論法とかの詭弁を使ったり、大声で恫喝したり、煙を炊いたりして、建設的な議論にならない。左翼は自分が正しいという傲慢な思い上がりがあるようで、意見が違う人を差別主義者だの陰謀論者だのなんだのと人格否定して、相手の話を聞かなくて理解しようとしない。これは左翼の致命的な欠点で、議席数が少ない日本の左翼政党が支持者を増やすには意見が異なる人を説得することが必要なのに、正義の戦士を気取って他者を糾弾して自己満足するやり方では対立と分断が深まるだけで左翼に共感する人は増えない。他党を批判するにしても人格否定でなくて政策について批判して議論するべきで、民主主義国家で議論を拒否するのは支持されない。あと左翼が保守政党や保守派の政治家を批判するのはいいけれど、保守支持者を馬鹿だの低学歴だのとレッテル貼りで批判したらもう敵だと宣言しているようなもので、その馬鹿な人たちの不満に向き合って幸福になれる政策を訴えないと説得して左翼の支持に転向させることは不可能になる。アメリカの大統領選挙の時に左翼はトランプ支持者を低学歴の馬鹿だと批判して結局トランプ政権が誕生したけれど、日本でも左翼が同じことを繰り返して参政党支持者は馬鹿だの若者は政治リテラシーがないだのと批判してかえって参政党の支持を強固にして失敗している。・言動が矛盾している左翼は多様性を主張する癖に保守を多様性のうちの一つとして認めず、自由や権利を守るどころか言論弾圧していて、理念と行動が矛盾している。例えば『トランスジェンダーになりたい少女たち』という本がキャンセルカルチャーでいったん出版を取りやめる事態になって、問題提起することさえ邪魔している。バイデン政権下でLGBTとかのリベラル政策を推し進めて問題が起きても批判も検証も許さないという姿勢では社会はよくならない。民主主義国家で言論弾圧をするのは支持されない。・公金に集る体質1970年代には被差別部落の環境改善のための巨額の予算が利権の温床になって、関西で部落解放同盟による横領や恐喝などが行わて、公官庁を糾弾して不当な要求をするえせ同和行為が行われて、差別を盾にして左翼の人権屋が擁護するので問題解決が長引いた。学術会議は政府に干渉されたくないというくせに民間団体として活動するのは嫌がって金をほしがる。左翼のNPO団体も政府に補助金をもらいつつ政治活動をしていて、colaboの仁藤夢乃が共産党のYouTube動画で「比例は共産党に入れます」と言っていて共産党支持者なのは明白で、参院選で参政党の選挙活動の邪魔をしていたら三橋貴明にぶつかって転んで「参政党支持者から暴力受けた」と主張して転び公妨のようなことをしている。どんな大義名分を掲げようが結局自分の組織に公金を引っ張ってくるのを目当てにして私利私欲で政治的な活動をしていると思われたら支持されなくなる。・攻撃性が高い最近ミツカンが冷やし中華はつゆだけでもおいしい旨をXに投稿したら、主婦がそうめんを作るのは重労働か否かを論争していたフェミニストたちが女性蔑視だと批判してミツカンが謝罪する事態になった。冷やし中華をどう作ろうがどうでもいいだろうに、これを女性蔑視に結びつけて批判するのが意味不明すぎる。赤いきつねのCMが性的かどうかの問題も同様に少数の人たちが過剰反応していた。些細なことを女性蔑視に結びつけるフェミニストの攻撃性の高さは異常で、もしかしたら統合失調症かなんかの病気で自分が差別されているという被害妄想に取りつかれているのかもしれない。しかもその批判の基準も個人の主観でしかなくて解決できるような問題でもないので、議論するのも不毛である。主観を根拠にして表現を規制しようとするのは支持されない。あと日本で普通に生活していたら中指を立てる人にはあまり会わないだろうけれど、左翼活動家は中指を立てて威嚇する習慣があるようである。香山リカが中指を立てている姿を見た人は百年の恋も冷めてしまうだろう。ロックミュージシャンじゃないのだから反体制派だからといって過激なパフォーマンスをする必要はないし、敵意むき出しの言動は知性を感じられないので支持されない。保守にも日本第一党(旧在特会)みたいなヘイトスピーチをする過激派がいるけれど、だからといって左翼も同レベルに堕ちてやり返す必要はないはずで、誰かを批判するにしても中指を上品に折りたたんで教養ある文明人にふさわしい批判をするべきである。・いつも同じ顔ぶれ左翼政党は労働組合とかの支持基盤があって、党の役職についているようなベテラン議員はたいてい当選確実で入れ替わりがないので新鮮味がない。石丸伸二が都知事選で具体的な政策がないにもかかわらずある程度の票を得たのは何かやってくれそうという期待があったからだろうし、参院選で支持基盤がないチームみらいが議席を得たのも若くてITに精通した安野貴博が何かやってくれそうという期待があったからだろうけれど、左翼政党にはそういう話題性と勢いがある新人がいないので特に期待や関心が持てない。・マイノリティー重視でマジョリティー軽視自民党が裏金問題で支持率を落としていて政権交代の絶好のチャンスのときに立憲民主党は夫婦別姓を選挙の主な政策に掲げたけれど、ごく少数の人しか要求していない夫婦別姓を争点にしても多数派の支持が得られなくて当然で、野党第一党なのに政権交代をする気がないんじゃないかというくらい民意を掴めていない。マイノリティーの権利も大事には違いないけれど、女性の権利とLGBTの権利が対立する場合とかでも左翼は過剰にマイノリティー側に立つので、マジョリティー側の支持を得られないのも当然である。・若者へのアピールが足りない国民民主党や参政党とかの新しい政党がSNSを使って若者の支持を増やしたのに対して、古くからある政党の議員や支持者は高齢者が多いのでSNSを使いこなせていない。選挙期間中に選挙特番で数分だけ各党首の主張を聞くのと、SNSで普段から定期的に十数分の党首の動画を見るのとでは政策の理解度も違ってくる。それにプラカードを掲げてデモ行進するようなアナログな政治活動は暇な年寄りは参加しやすいのかもしれないけれど忙しい若者は参加しにくいし、SNSで動画を投稿する方が若者に関心を持たれやすい。左翼が参政党の選挙妨害していたのも若者へは逆効果で、若者が初めての投票で徒党を組んで選挙妨害している左翼を直接見たりSNSで見たりしたらそれ以降は左翼政党には投票しなくなるだろうし、政策云々以前にまず人として恥ずかしい行動はやるべきでない。SNSを使わない高齢者は議員も支持者も知識のアップデートをしないのも問題である。若者はテレビや新聞を見ない人が多いのでマスコミの偏向報道に誘導されにくいし、SNSでいろいろな情報を取捨選択しているので財政破綻論が間違っていると理解している人が多いし、増税の時には値札を変えるのが大変だとは言わないくせに減税の時だけ値札を言い訳にするような詭弁で減税を拒もうとする増税派の矛盾にも気づいている。立憲民主党も国民民主党は元は同じ民主党系の政党なので選択的夫婦別姓に賛成したりして政策は似ている部分があるけれど、立憲民主党は食料品の消費税率を一時的にゼロにする公約を掲げていたものの枝野が消費税減税に反対しているしそもそも野田が総理の時に消費税を上げたのがその後の不況の原因なので支持が増えなくて議席が横ばいで、国民民主党は実質賃金が持続的にプラスになるまで消費税は一律5%にするという減税を掲げて比例票では立憲民主党を若干上回って議席を大幅に増やして、明暗がはっきり分かれた。若者は知識と経験が乏しくても馬鹿ではないし、やらない言い訳ばかりして行動しない中高年の欺瞞が嫌いである。そこで減税をポピュリズムだと批判してきた枝野と減税をやると言ってYouTubeのたまきチャンネルで発信を続けてきた玉木の違いが際立って、若者の票に顕著な違いがでた。毎年160万人くらいが死亡している一方で、100万人くらいが18歳になって選挙権を持つようになってそのぶんの票の入れ替わりが起きるので、若者を取り込めないと高齢者が死亡していくにつれて票が減ってジリ貧になっていく。・反日私は支持政党がないのでどの政党であれ日本を発展させて日本人を幸福にする政策をするのなら支持するけれど、日本を破壊して日本人を不幸にすることを目的に活動している反日左翼は支持しようがない。共産党には良い質疑応答をする国会議員もいるし赤旗の自民党の裏金問題とかのスクープは頑張っているけれど、共産党の支持者が暴力革命を主張したり国旗にバツ印をつけて日本解体を主張したり他党の街頭演説を妨害して言論弾圧をしたりしていて、共産党が党員に他党の妨害を指示しているかどうかは知らないけれど党として支持者の暴走を止めようとしないのだから、共産党は民主主義や思想の自由を脅かす危険な政党と見なすしかない。●左翼の無能さが世界の右傾化を招いた多様性と移民について考えるという記事でも考えたけれど、ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンはそれぞれは大事な概念で、私も多様性は大事だと思うし、いろいろな人がいる方がよいと思う。しかし具体的にどうやって言語や宗教が違う人が共生できる社会を実現するのかが問題で、一緒にいたら自然に仲良くなるというようなものではなくて言語や習慣とかの同化政策が必要になる。同化できずに軋轢を招いて害のほうが大きいのならインクルージョンするべきではないのに、ヨーロッパの左翼は害を無視して移民政策を推し進めて失敗して、ヨーロッパ各国が右傾化している。もしスウェーデンが中東系やアフリカ系の移民を大勢受け入れてヘレニズムみたいな文化や技術の融合が起きて経済や文化が発展して多文化共生に大成功したのなら世界中が真似をして左翼政党が躍進しただろうけれど、実際は識字率が低くて職歴がない人や犯罪者を無選別に受け入れたところで働かずに福祉に依存したりギャング化して犯罪が激増したりして反面教師になっている。ヨーロッパ各国は貧しい発展途上国の人たちがかわいそうだからと受け入れるだけで満足して、様々な国から来た移民の思想や生活習慣を理解せず、共生するための効果的なプランがなくて、軋轢や犯罪が起きても寛容になって我慢することを強要して対策しなかったので失敗するべくして失敗したといえる。キリスト教圏で言語や価値観が似ているEU内の移民を受け入れるのと、言語や宗教が違う中東やアフリカの移民を受け入れるのでは勝手が違うわけである。特にイスラム教徒は原理主義に近いほど法治国家とは相いれなくて、男性が女性をレイプしても肌を見せて誘惑した女性が悪いという考え方だし現地の法律よりもシャリア(イスラム法)や宗教指導者に従うので、先進国の男女平等の人権感覚や法律を順守する道徳観とは相反する。イギリスで1997-2013年に起きたロザラム児童性的搾取事件では1400人以上の児童がパキスタン系住民に性的虐待されていたことが判明したけれど、パキスタン系地方議員が人種差別を招くとして問題の解決を遅らせていたそうで、そのせいで被害者が増えたようである。法律違反した人を法に則って裁いたところで差別でも何でもないだろうに、左翼は移民の犯罪を取り締まることさえ差別扱いして、移民の犯罪者の人権を守るために犯罪被害者の人権を蔑ろにしている。だからこそ移民の犯罪を何とかしろという声が大きくなって移民の増加に反対する保守政党が台頭するようになる。日本では左翼が参政党の日本人ファーストのスローガンに反発して差別主義者のレッテルを貼って街頭演説を妨害していたけれど、逆に言えば外国人が引き起こす問題に苦しむ国民がいても左翼は対処する気がないと言っているようなもので、それで無党派層が左翼政党を支持するわけがない。日本の左翼に世界中の外国人と共生するための素晴らしい政策があるならそれを主張すれば無党派層の支持者が増えたかもしれないのに、「差別するな」と大声で叫ぶだけでみんなが仲良く暮らせる理想の社会を実現できると思っているのなら幼稚である。ヨーロッパの移民政策は移民を受け入れる側に寛容であることを押し付けるやり方をとって既に失敗しているのに左翼はその失敗から何も学んでいなくて、ヨーロッパの失敗を分析して日本はどうすれば移民との軋轢を減らして社会統合できるのか具体的な政策を言う左翼がいない。そんで左翼が熱心に参政党の選挙妨害をしたり偏向報道したりするほどかえって参政党の支持が増えて当初の予想より議席を増やす結果になって、左翼活動家は無能な働き者を体現している。左翼が自分の政策を言わずに他党を批判するやり方の政治活動を続けるなら、左翼の主張もとりあえず聞いてから投票先を判断しようという無党派層からも無視されるようになるだろう。政治団体のつばさの党が選挙妨害で存在感を示そうとして幹部が公職選挙法違反の疑いで逮捕されたように、左翼も他党の選挙妨害を改める気がないならいずれ「熊を殺すな」と抗議して役所の業務を妨害する人みたいに常識がなくて話が通じない人たちと思われて、どんな主張をしようが真摯に話を聞いてもらえなくなる。他党の街頭演説を妨害したところでプロレスのヒール役みたいなものでかえってSNSのショート動画のバズネタを提供して相手を目立たせる結果になるのでやめたほうがいいのに、左翼は中高年が多くてSNSを使いこなせていないのでその程度のSNSの基本さえ理解できずに無能ムーブを繰り返すのだろう。●まとめ左翼は保守政党を批判するけれど、保守政党にいろいろ問題があるにしてもだからといって左翼政党を支持しようという投票行動にはならなくて、参院選では左翼政党は国民民主党以外は議席が増えなかった。左翼は保守政党の批判ばかりするのでなく、日本を発展させて日本人を幸福にする政策を掲げて、選挙妨害や偏向報道や詭弁やレッテル貼りとかの姑息な手段を使わずに真摯に政策の議論をするべきである。それをやった国民民主党は議席を増やした一方で、それができない他の左翼政党は若者の支持が増えなくて衰退するべくして衰退しているのだろう。
2025.08.18
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衆院選に続いて参院選でも自民党が単独過半数の議席を取れなくて、自民党の衰退が明確になった。比較第一党として依然として多数の国民の支持を受けているには違いないけれど、言い換えれば過半数の国民は自民党を支持していないわけで、自民党内からも石破降ろしと自民党総裁選の動きがある。長年与党だった自民党がなぜ支持されなくなって衰退しているのか考えることにした。●大まかな自由民主党の流れ自由民主党は最初から自由民主党だったわけではなくて、複数の保守系の政党が分離したり合流したりしてできた政党である。戦後は保守系の諸政党、非共産主義で労働者主体の合法的な社会主義を目指す社会主義系の諸政党、共産革命と天皇制の廃止を目指す日本共産党があって、保守系の諸政党に共通する目的は社会主義の台頭を阻んで天皇制を維持することだった。鳩山一郎が中心の日本自由党が民主クラブと合流して1948年に民主自由党になって、鳩山一郎がGHQに目をつけられて公職追放されて吉田茂を後継者に指名して1950年に吉田茂が首相になって日本民主党の合流支持派と合流して自由党になって、1950年の朝鮮戦争勃発でGHQの対日政策が転換してレッドパージして公職追放指定者が処分解除になって保守派が力を増して、鳩山一郎が復帰しても吉田茂が総理の座を譲る気がないので対立して、吉田茂が改正警察法案を強行採決したら支持率が落ちて1955年の首班指名で吉田茂が日本民主党の鳩山一郎に敗れて、自由党が日本民主党と合流して自由民主党(略して自民党)になった。社会主義系の諸政党はサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約への賛否で右派と左派に分かれていたものの合同して日本社会党になって野党第一党になって、自民党と日本社会党の比率が2:1の55年体制が出来上がって、しばらくはこの体制が続いた。自民党内に政策が違ういろいろな保守政党を取り込んできたので党内で対立があって、各派閥に大臣のポストを約束する代わりに協力を取り付ける形で権力闘争をしつつ政権を維持して、CIAが日本を社会主義国にしないために自民党に資金援助して岸信介が総理になって日米安全保障条約に調印して、安保闘争を乗り切った後は共産主義者が過激化してあさま山荘事件や日本赤軍のテロとかを起こして共産党が支持を失って、日本社会党は土井たか子が日本初の女性党首になってブームになったもののソ連が崩壊して冷戦が終わって社会主義の失敗は決定的になって支持を失った。自民党はロッキード事件や東京佐川急便事件とかのいろいろな不祥事がありながらも社会主義や共産主義を標榜する野党の衰退によって長期間政権を担った。1999年の小渕恵三内閣からは公明党と連立政権を構成するようになって自公連立政権がしばらく続いて、2009年に麻生太郎政権でリーマンショックに対する無策から支持を失って、国民が自民党にお灸をすえていっぺん民主党にやらせてみようというムードになって民主党が与党になって自民党が下野して、民主党が円高を放置して製造業が打撃を受けてやっぱり民主党ではだめだということでまた自公連立政権に戻った。安倍晋三内閣は保守派に支持されて長期政権になったものの病気で辞任して、岸田文雄内閣で検討ばかりして支持率が下がって、岸田では選挙で戦えないということで自民党総裁選で石破茂が総裁になったものの、2024年の衆議院の解散総選挙で自民党が大敗して、2025年の参議院選挙でも自民党が大敗して、7月22日放送のクローズアップ現代によると「自民党を中心とした政権が衆参両院で過半数を割り込むのは1955年の結党以来初めてのことだ」そうで、自民党政権は公明党とだけ協力すればよいというわけにもいかなくなった。●自民党はもはや保守政党でない上で書いたように元々の自民党の目的は社会主義の台頭を阻んで天皇制を維持することだったけれど、社会党、共産党が議席数を減らして日本が社会主義国家になる可能性はなくなって、戦前からあったイデオロギーの対立軸が消滅して保守の目的も失われてしまった。現在の野党第一党の立憲民主党でさえ自民党と政策が似ていて自由主義、民主主義、資本主義の体制を変えるつもりはないし、女性天皇、女系天皇を認めるか否かという問題はあっても天皇をすぐに廃位するつもりはない。そうなると政治の焦点は国防、外交、経済政策などに移る。国防のためにアメリカや中国と対立するかしないかで自民党内で勢力が分かれていて、日米安全保障条約を支持してアメリカに追従すればおのずと反中になるし、中国に追従すればおのずと反米になる。小泉純一郎や安倍晋三や岸田文雄みたいな親米派は新自由主義グローバリズム政策にも追従して規制緩和して生命保険に外資を参入させたり移民の受け入れを推進したりする。二階俊博や茂木敏充や岩屋毅とかの親中派は中国企業に便宜を図ったり中国産の太陽光パネルを推進したり中国人の観光ビザを緩和したりしていて、秋元司元衆議院議員がIR参入を目指す中国企業から賄賂を受領して有罪になったように、見返りをもらったりハニートラップにひっかかったりしている。それで小泉純一郎が郵政民営化に反対した小林興起や城内実を選挙で公認せずに対立候補を立てて潰したり、岸田文雄が党議拘束でLGBT法案に賛成することを強要したり、自民党総裁選の党員投票で高市早苗が1位だったにも関わらず親中派の公明党と中国共産党の意向を汲んでタカ派の高市が総理になれないように石破を総理にしたり、中国に配慮して靖国神社に参拝しなかったりするのでは自民党はもはや保守政党とはいえなくて、国民を見ずに外国のご機嫌伺いをして国民の権利や財産を外国に献上するグローバリズム売国政党になっている。ヨーロッパで移民問題に端を発して政治が激変したように、政治の軸は自由主義か社会主義かでなくて、グローバリズムか反グローバリズムかが焦点になっている。グローバリストには外国人を搾取対象にして儲けようとするグローバル企業の株主や経営者と、貧乏な発展途上国の人がかわいそうだから自国に受け入れて助けてあげようと考えて不法滞在者や偽装難民を支援する平和ボケした人道主義リベラルがいて、グローバリストが必ずしも左翼というわけではなくて目的は違っても結果的に資本家と左翼の一部が移民を推進している。保守政党ならば反グローバリズム側で自国の文化や伝統を守るべきだろうに、自民党は経団連に要求されるままに移民を推進して文化や伝統を壊す側になっている。2025年1月1日時点の外国人は前年比で約35万増加して約367万人で、2040年には日本の総人口に占める外国人の比率が10%を超える見通しだそうで、国立社会保障・人口問題研究所の2023年の推計だと2070年代に10%を超える予想だったのが30年も前倒しになっているくらい急激に外国人が増えているし、このまま外国人の比率が増えていったらなし崩し的に在日外国人に参政権を与えようということになって、外国人は天皇に特に思い入れがなくて反日教育を受けてきた中国系や韓国系の移民はむしろ反感を持って天皇制を廃止する流れになるだろうし、日本語が母語でない人も増えて学校で英語や中国語で授業をするようになって古典の授業で歴代の天皇が詠んだ和歌を学ぶこともなくなって、いずれ日本語が国語でなくなって日本人の先祖が築き上げて継承してきた唯一無二の日本の文化も失われるだろう。外国人が少ないうちに同化や不法滞在への対策をしないと手遅れになるけれど、自民党は対策が不十分なまま移民を推進している。参院選で自民党から立候補して落選した中田フィッシュは「自民党であるだけで『愚かだ』というコメントをもらった。漠然と悪評が広まってしまっている」と記者団に語ったそうだけれど、政治家になろうとした人がこういうコメントしか言えないのではやはり愚かである。無党派層の票が他党に流れただけならまだしも、元々保守を標榜して結党した自民党を支えてきた保守層が離れたことの重大さを理解していないのじゃなかろうか。参政党は漠然とした悪評どころか明確に悪評を広められて排外主義だの差別だのデマだの陰謀論だのと言われながらも大幅に議席を増やしているのだから、漠然とした悪評が原因で自民党が票を減らしたのではない。今までは保守派の国民の期待に応えなくても野党よりはましという消極的支持で自民党が票をもらえただろうけれど、他に反グローバリズムの保守政党ができたらもはや消極的支持票が自民党に入らなくなったのである。保守派の議員の大きな役割のひとつは現在の日本の体制を変えようとする法案に反対票を投じて法案成立を阻止する事なので与党の議員でなくてもよいし新人議員でもよいし、保守派のふりをしてLGBT法案に賛成するような自民党のガス抜き議員はむしろ邪魔である。自民党が保守政党としてやるべきことをやらないのであれば次の選挙でも参政党や日本保守党に票が取られて自民党の保守派の議員は当選が危ぶまれるだろう。比例で最多の97万票を獲得した日本保守党の北村晴夫が文藝春秋PLUSのYouTube動画で自民党からの出馬は考えていなくて「特に石破さんが総裁をしている自民党から出る、ありえない」と言っていたように、今後は保守派の有力な候補者が自民党以外から出馬するようになるだろうし、そうなるとますます自民党は保守政党でなくなって保守層の支持を失っていくだろう。●有言不実行の政治家はいらない自民党から支持者が離れたのは有言不実行も大きな原因だと思う。かつての自民党の首相は有言実行で、池田勇人は1961年から10年間で毎年9%成長して国民総生産を26兆円に倍増させる所得倍増計画を掲げて、人口ボーナス期の団塊の世代の労働力を利用して工業化を主導してインフラを整備して高度経済成長を成し遂げた。高度経済成長に伴う自然破壊や公害とかの弊害もあったけれど、東海道新幹線が開通したり、三種の神器が普及したり、遊園地やデパートができたりして国民生活は見違えるほど豊かになった。新潟出身で土建屋だった田中角栄は「国土の均衡ある発展」をスローガンにして貧しい地方にも道路や鉄道のインフラを整備して発展させたし、33件の議員立法をして公営住宅法、道路法、水資源開発法、電源開発促進法、国土総合開発法、高速道路連絡促進法、新幹線建設促進法とかの建設に関わる法整備をして日本が先進国になる下地を作った。小泉純一郎は自民党をぶっ壊すと言って族議員を批判してぶっ壊したし、郵政民営化もやると言って選挙で勝って民営化した。私は郵政民営化はやらないほうがよかったと思うけれど、彼はやると言ったことが国民に支持されてやったのだから政治家としては筋は通している。ところが安倍晋三は長期政権だったにもかかわらず憲法改正をやると言ったのに結局やらなかったし、アベノミクスも中途半端にやって不景気の中で消費税を増税したせいで結局うまくいかなかったし、「日本を取り戻す」と言って逆に移民受け入れを拡大したし、北朝鮮の拉致問題にも進展がなかった。岸田文雄は自民党総裁選で新自由主義からの脱却と所得倍増を言ったのに、総理になったら金融所得倍増に変えて、新NISAでちょっと節税できるかもという程度で倍増とは程遠いし新NISAでオルカンやS&P500とかの外国のETFが買われて結局は新自由主義から脱却できていない。同じ宏池会でも池田勇人と違って成長プランがないまま総裁選で人気取りのためのでまかせを言っていたわけである。石破茂は自民党総裁選でアジア版NATOや地方創生をやると言ったのに、総理になったら何もやっていない。石破は今まで5回も総裁選に出たそうで、政治家としての長い経験の中で何か地方創生のアイデアを実行したいから総裁になりたいのかと思ったら、地方創生できたらいいなという希望を語るだけで具体的な政策がなくて、「当選させていただきました。そこにおいて掲げました政策が、当選をしたのだからこの通りにやるということにはなりません」と開き直って、何もやらないのに首相の地位にしがみついて衆院選と参院選で大敗した責任も取ろうとしない。石破は自分の言葉に責任を持たない恥知らずな嘘つきで、自分が所属する党にさえ責任を取らない総裁が国民に対して責任を持つはずもないし、首相の器ではない。トランプは大統領になったらすぐにUSAIDに手を入れたり不法移民を強制送還したり関税を上げたりして有言実行でトランプ支持者にアピールしたように、本来政治家は権力がないと実行できない政策を実行するために権力を手に入れるものである。その一方でここ数年の自民党は誰が総理になって何を公約にしたところで結局やらなくて権力を手に入れて私腹を肥やすことが目的になっているし、石破は日本の財政はギリシャより悪いと大嘘をつく一方でアメリカとの関税交渉で5500億ドル(80兆円)の投資を約束して、日本には投資せずに増税してインフラが老朽化してあちこちで水道管が破裂したり道路が陥没したり堤防が決壊して浸水したりして国民の生活が豊かになるどころかどんどん苦しくなっていくのだから、選挙のたびに期待を裏切られてきた支持者が離れるのも当然である。北朝鮮の拉致被害解決のために行動しなかった歴代総理がブルーリボンバッジをつけていること自体がおかしくて、もはや国民を救う気がない詐欺政治家の象徴みたいなものである。●アホな政治家はいらない政治家は政治団体で政治資金を管理していて、親が政治家の場合は子供がその地盤・看板・鞄を受け継げば贈与税なしに政治団体の政治資金を使えることになって選挙で有利である。それゆえに自民党は世襲の議員だらけで政治が家業になっている。別に世襲でも優秀なら良いけれど、問題は世襲議員にアホが多いことである。例えば小泉進次郎は私人としては明るくて良い奴なのかもしれないけれど、発言がことごとくアホ丸出しで、政治家として国民の生命や財産に影響を及ぼす決断を下すのには不適格である。明らかにアメリカのジャパンハンドラーの傀儡要員で、もし小泉純一郎の息子でなかったら国会議員になれるレベルではない。安倍晋三や麻生太郎も漢字を読み間違えていじられていた。世襲議員だけでなくて比例票を集める目的で芸能人や元スポーツ選手が自民党から出馬することもあるけれど、あまり頭が良いとは言えなくて政治家として目立った活躍をする人がいない。本来は政治家は官僚を使う側なのに、政治家がアホだと官僚の嘘や矛盾に気づかなくて官僚の言いなりになるのが問題で、その最たるものが財務省の言いなりになって増税や緊縮財政をやることである。世襲政治家はコネでちょろっと民間企業で働いてもビジネスマンとして出世する気がないのでビジネスマンなら当然知っている貸借対照表や信用創造を知らないまま、負債は資産だということを理解できずに国債の発行額が増えると財政破綻すると勘違いして緊縮財政をやるようになる。戦後の政治家はインフラが壊滅した状態から日本を立て直す必要があったので、投資をして生産力を高めれば経済成長をすると理解していたし、実際に経済成長させた。ところが豊かになった中産階級や土地成金とかが生産力を高めない財テクで資産を増やそうとして株や不動産やゴルフ会員権のバブルが起きて、バブル崩壊後は羹に懲りて膾を吹く状態になって必要以上にインフレを警戒してデフレを招いて、やる必要がない貸しはがしをして黒字の企業を潰したり、消費税を増税して資本力が乏しい中小企業や個人事業主を潰したりして生産力を棄損する本末転倒なことをして、世界各国がリーマンショックや新型コロナを経てもなお経済成長をしている中で日本だけ経済成長せずに30年停滞し続けていた。豊かになるということは貨幣が増えることではなくて貨幣で交換できる物やサービスが増えることで、例えば米不足で米が高騰して庶民が困っていたら政府がやるべきことは米を買うための給付金を配ることではなくて米を増産することだし、電力の需要がひっ迫して電気代が高騰していたら政府がやるべきことは給付金を配ることではなくて原発の再稼働とかで発電量を増やして電気代を下げることだろうに、自民党は選挙になると給付金を配って国民の不満をそらして問題の根本的解決をせずに先送りして、金融政策ばかりして目先の株価を上げて経団連のご機嫌取りをして、企業も非正規雇用で人件費を下げて内部留保を貯めつづけて生産力を上げるための設備投資や研究開発をせず、労働者は所得が増えなくて結婚できなくて少子化が深刻になっていく。この現状をおかしいと思わないアホが政治家になると失われた30年が40年や50年へと延びてますます日本は衰退していく。それに世襲議員は子供のころから豊かな生活をしていて自分で買い物しないので食料品の値上がりや社会保険料の増加による可処分所得の減少とかの庶民の生活苦の現状を知らなくて、国民の代表と呼べないくらい一般常識から乖離しているのが問題で、庶民感覚がないので少子化対策や経済政策が的外れで効果がないものになる。昭和の政治家はどぶ板選挙で田舎の過疎地にも行って庶民の不満を直接聞いて改善を約束して支持を取り付けたけれど、今の公職選挙法では戸別訪問を禁止しているし、自民党は経団連や医師会とかの業界団体や選挙区の企業が支持母体になっていて企業献金で政治活動をしているので庶民の声を聞く気がない。その一方で国民民主党は庶民目線で103万円の壁を焦点にして手取りを増やす政策を打ち出して、参政党は政治に参加することをコンセプトにした政党で党員の意見を聞いて地方議会でも地道に活動しているので、これらの庶民の不満を聞いて解決のために行動する政党の支持者が増えていくのも当然である。●まとめ高齢者の支持率が高い自民党は日本の高齢者の悪い所を詰め込んだ縮図のようなもので、貸借対照表や信用創造を理解せずに財政破綻論を唱えたり、USBを知らないままIT担当になったり、ハードディスクにドリルで穴を開けて証拠隠滅したり、縁故主義で身内の企業に利益誘導したり、派遣を規制緩和して就職氷河期世代を非正規雇用で搾取して少子化を促進したりしてでたらめな政治をやってきた。自民党が議席を減らして若者の支持率が高い政党が議席を増やしたことは日本にとっては世代交代が起きてシルバー民主主義から脱却する兆しで、自民党が過半数割れして強行採決ができなくなって野党の意見を聞かざるを得なくなったことは自民党以外の政党を支持する過半数の国民にとっては良い事である。
2025.08.12
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最近は佐賀県伊万里市で技能実習生のベトナム人による無慈悲な強盗殺人事件が起きたし、特殊詐欺の被害も増えている。金銭目当ての犯罪が起きない社会を作ることは人類の課題といえる。共産主義で労働者の格差をなくす試みは産業が育たなくて失敗したし、かといって資本主義では格差が拡大するにつれて犯罪が増える一方で、迷惑系YouTuberや転売屋みたいなアンモラルな行動をしようが儲けたもの勝ちになっている。少子化対策や労働力の確保にしても大量の移民を入れて治安が悪くなって幸福度が下がるのでは意味がない。私が思いついた善本位制が様々な問題の解決方法になるんじゃないかと思ったので、実現可能性は無視してSF小説の設定のようなものとしてとりあえず考えてみることにする。●善本位制の概要善本位制では企業の決算に使う通貨と個人の支払いに使う通貨を分ける。企業間の取引には今まで通りの通貨を使う。家賃や電気代や所得税や社会保険料とかの個人の支払いに使う通貨は仮に「善ポイント」と呼ぶ。国民全員に身分証と紐づいた善ポイント専用の口座があって、善ポイントを得るためには国営の交換所で現金を善ポイントに交換する必要があって、交換レートは個人によって変わる。そして企業は商品やサービスの代金として個人から受け取った善ポイントを交換所で現金に換えて、それをまた企業間決済や従業員の給与の支払いとかに使う。前科のない人の場合は基本交換レートは1:1で、この場合は現金を使う場合と違いはない。しかし前科が増えていくにつれて交換レートが不利になっていって、例えば交換レートが1:0.1になると10万円の現金があっても1万善ポイント分しか支払いに使えなくなる。強盗や詐欺とかの犯罪の収益を隠したまま捕まって、刑期を終えた後に隠しておいた金を使おうとしても善ポイントへの交換が不利になるので、金銭目的の犯罪のインセンティブがなくなるわけである。悪人の善ポイントの交換レートが不利になる一方で善人ほど交換レートは有利になる。一定時間ボランティア活動をしたり人命救助とかで政府に表彰されたりするごとに交換レートが有利になっていって、例えば善ポイントの交換レートが1:2の善人は10万円の収入しかなくても20万善ポイント分の買い物ができるようになる。犯罪をせずに善行をするほうが生活が豊かになるインセンティブになって、若い頃から善行を積んできた老人は年金が少なくても豊かに暮らせるようになる。犯罪を犯した人は裁判の時だけ反省したふりをしたところで意味がなくて、不利になった交換レートを元に戻すには地道に善行を積んでいって善人になるしかないので、悪人が生きにくくて善人が生きやすい社会になる。●善本位制の発展形・善マッチング善ポイントの交換レートが高い善人だけが使えるマッチングアプリがあると、品行方正な善人同士が収入以外の価値観でマッチングしやすくなるかもしれない。そんで子供を産むことを交換レートの評価対象にすると、若いうちに子供を生むほうが交換レートが有利になって生涯使える善ポイントが増えるのでお得だということになって晩婚化から早婚化に移行して少子化が改善するかもしれない。例えば子供を一人産むごとに交換レートに0.5加算すると三人子供を産んだら交換レートが1:2.5になって、育児の合間に手取り10万のパートの仕事をするだけでも25万善ポイントを使えて生活しやすくなって、キャリア志向で出世してばりばり稼ぎたい女性ものんびり子育てしたい女性も好きな生き方を選べるようになる。児童虐待をすると交換レートが悪くなって損をするので子供を大事にするようになって、善人の家族が増えていって、子供に万引きをさせるDQN家族は減っていく。・善投資NISAみたいな税制が有利な善ポイントでしか投資できないような投資枠を作って、環境保全活動とかをしている善企業を投資対象にして新株発行を優先的に買えるようにすると、善ポイントが多い善人ほど資産を多く持てるようになったり、善企業の資金が潤沢になったりして、環境汚染をしたり労働者から搾取したりするブラック企業が減っていくかもしれない。そしたらモラルそっちのけで株主の利益ばかり追求する新自由主義の是正につながる。・善エッセンシャルワーカー支援企業がエッセンシャルワーカーの賃金を上げられなくても、政府が交換レートの比率を変えることで公的にエッセンシャルワーカーの支援をやりやすくなる。例えば交換レート1:1の小売業で年収300万円をもらうより、交換レート1:1.5の介護職で年収300万円をもらうほうが使える善ポイントが1.5倍で得だとなれば介護職に就く人が増えるかもしれない。・善詐欺防止システム善ポイントは身分証と紐づいていて本人しか使えないし、善ポイントでの支払いを受け取る企業も法人番号と紐づいているので、偽のショッピングサイトとかで実在しない企業を騙って善ポイントを振り込ませるような詐欺はできなくなる。特殊詐欺とかで善ポイントでの支払いでなくて現金での支払いを要求してくる相手は詐欺だとわかりやすくなる。・善犯罪被害者救済現在は強盗殺人とかの犯罪被害者に賠償金が満額払われることはほとんどなくて被害者はやられ損になっているけれど、善本位制で賠償額分を交換レートに上乗せして、差額を自動的に被害者救済に充てるようにして賠償額分を払い終えるまで交換レートを改善できないようにすれば被害者救済になるし、犯人の逃げ得を許さなくなる。全国指名手配犯とかで犯人が特定できている場合は逮捕しなくても先に交換レートを変更することで逃亡中の生活が苦しくなって潜伏しにくくできる。・善採用システム高学歴で勉強や仕事ができても性格が悪い人は少なからずいるけれど、そういう人を採用すると他人の手柄を奪って出世したりパワハラしたりして組織が壊れてしまう。善ポイント交換レートを基準に採用すれば自己中心的な悪人を採用せずに済むし、大学も就職率を上げるために知識だけ教えるのでなくて人格形成に力を入れるようになる。・善国際交流善本位制を採用する国が複数ある場合、善ポイントの交換レートが高い善人に滞在可能な期間を延ばしたり就労ビザの要件を緩和したりすれば国際交流を促すことができる。・善選挙選挙の際に善ポイントの交換レートの公表を義務付けると、口先で良いことは言っても何もやっていない偽善者や、贈収賄事件とかで交換レートが悪くなっている政治家を見分けやすくなって、善人が当選しやすくなる。・善資格制限何か前科があって交換レートが一定値以下の人は資格を取れなくしたり、資格を取り消したりするようにすると、悪人が重要な仕事につくことを防ぐことができる。●善本位制の実現のための問題・犯罪と善行でどのくらい交換レートを変えれば適切なのか不明。善人だらけになって交換レートが高くなりすぎたら通貨量が増えて物価が上がるかもしれないし、悪人が普通に働いても生活できなくなるほど交換レートが悪くなったら労働意欲が失せて生活苦から刑務所に戻りたくなってかえって犯罪を誘発するかもしれない。衣食住の面倒を見る代わりに善行をさせて交換レートの改善を手伝う刑務所以外の更生施設が必要になるかもしれない。あるいはベーシック善ポイントを支給して最低限の衣食住には困らないようにする必要があるかもしれない。・何を善行とみなすのか、誰が判断するのかで揉めそう。宗教団体の活動を善行とみなした場合、ボランティア活動と称して信者に無給で強制的に活動させるカルト宗教が力をつける危険性もある。・悪人が他人に現金を渡して良い交換レートで善ポイントに交換して代理で買い物をするようなロンダリングの対策が必要になる。・交換レートが高い人が闇落ちして企業とグルになった場合に売り上げの水増しがされかねない。例えば交換レート1:2の人が1万善ポイント分の商品を買って5000円のキャッシュバックをもらってそれを1万善ポイントに交換してまた商品を買うというループで売り上げを水増しできてしまうので、給与以外の現金の授受を制限する必要があるかもしれない。・支払いを善ポイントに統一するために身分証に紐づいた善ポイントカードを発行する必要があるし、全部の小売店のレジの入れ替えやクレジットカードの決済システムの変更が必要になる。外国人観光客用の善ポイントカードや口座を作るのも手間がかかる。・善本位制を採用していない外国のオンラインショッピングサイトから買い物をする場合は現金で支払いができてしまうので、悪人の善ポイント交換レートが悪くなってもあまり犯罪抑止効果がないかもしれない。・これまでの経済学の理論が当てはまらなくなって経済政策がやりにくくなるかもしれない。・全国民の交換レートは政府で管理する必要があるけれど、担当者が意図的に知人の交換レートを変えたり、ハッキングされて交換レートが変えられたりするかもしれない。●まとめというわけでいろいろ考えてみたけれど、独裁者にならない限り現実世界では善本位制は実現しないので、機会があればSFかファンタジー世界で善本位制国家がどうなるのかシミュレーションしてみようと思う。品行方正な偽善者だらけで誰も本音の悪口を言わなくなるディストピアになったらそれはそれで面白そうである。SF映画に善本位制を採用したい映画監督がいたら私のアイデアを買うといいよ。
2025.08.02
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最近は国立青少年教育振興機構の国際調査で、社会に出たら理科は必要なくなると考えている高校生の割合が日本が45.9%、韓国が33.5%、アメリカが27.6%、中国が17.6%だったそうな。まだ社会に出ていない未成年に社会に出た後のことを聞いても間違った答えになるのは仕方がないにしても、必要ないものだという意識で勉強したところで興味を持てなくてつまらないだろう。日本だけ突出しているのは日本の高校生は社会とのかかわりが乏しくて視野が狭いのかもしれない。理科は必要だと思うので、これについて考えることにした。●理科とは何か理科とは物理、化学、生物、地学の自然科学の教科をまとめたものである。例えば物理では力の働き、光、音、電流などを学び、化学では化学変化や質量などを学び、生物では細胞や遺伝子などを学び、地学では地層や気象や天体などについて学ぶ。●理科を理解していないと危ない現代社会は科学文明で、ほとんどのものが工場で化学的プロセスで製造されていて、取扱説明書に使用上の注意が書いてあって、科学的リテラシーがないと事故につながる。アフリカだと道路が整備されていないのでタンクローリーがしばしば横転して、こぼれたガソリンを盗もうとして住民がバケツを持って集まってきて、気化したガソリンがタバコの火とかに引火して何十人も死ぬ事故が何度も起きている。教育水準が低いのでガソリンが常温で気化して引火するするという知識がなくて、タンクローリーからガソリンが漏れているのは危険だという認識がなくて逃げるどころか窃盗チャンスとばかりに集まるので死者が多くなる。2013年福知山花火大会露店爆発事故では3名が死亡して59名が重軽傷を負った大事故が起きたけれど、これも理科の知識が乏しいことが原因である。ベビーカステラの屋台の店主が発電機にガソリンを継ぎ足そうとしたところ、カップルが座る場所を確保するためにガソリンの携行缶を発電機のそばに移動させていて、ガソリンが発電機の排熱で高温になって気化して内圧が高まっていて、店主がエア調節をせずにキャップを開けたとたんガソリンが噴出して事故につながった。ガソリン携行缶の管理責任がある店主に直接の責任があるとはいえ、ガソリン携行缶を熱いところに移動させたカップルにも間接的な原因がある。アパマンショップでは消臭スプレーの在庫を処分するために閉め切った室内でスプレーを使い切っていたら爆発が起きた。京都の焼き肉屋ではグリルの火力を増すために消毒用のアルコールを継ぎ足して炎上して客と従業員が重いやけどを負った。これらの事故は理科のリテラシーがあれば防げたパターンで、理系の仕事でないからといって理科の知識が必要なくなるわけではない。零細企業の工場だとコンプレッサーをふざけて同僚の尻に向けて死亡させる事故もたまに起きている。どんなに便利な工具でも目的外の用途をすると事故につながるし、理科の常識がない馬鹿が人に工具を向けると殺人兵器となる。中国の甘粛省の幼稚園ではコスト削減のために蒸しパンの着色に食用の着色料を使わずに絵具を入れて、233人の園児から異常な量の鉛が検出されたそうな。コスト削減が目的ならそもそも何の着色料も使わなきゃいいのに、わざわざ食用でない有害なもので代用するあたりがチャイナクオリティである。スピリチュアル系の詐欺も理科を理解していない人がターゲットになる。カウンセリングだけなら合法だけれど、レイキヒーリングや波動とかの科学的根拠がない施術で健康効果があると称して医療行為としてやるのは違法だし、病院での治療が遅れて病気を悪化させかねない。理科を知らないと陰謀論にもつながる。例えば飛行機雲は飛行機の排気ガス中の水分が空気中で冷えることで雲になるけれど、陰謀論者は理科を理解していないので飛行機雲は人口削減のために毒を散布しているケムトレイルだと主張するようになる。釣りにも理科が関係していて、月の引力で満潮や干潮のサイクルがあるし、雲の流れから天候の変化を読めないと高波にさらわれたり足場が水没したりして水難事故につながる。●理科は生活に必須である掃除は理科の知識が役に立つ典型である。例えばシャワーヘッドについた水垢はアルカリ性の汚れで、そのままこすっても落ちにくいけれど、酸性のクエン酸を溶かした水につけておいたら軽くこすっただけで水垢がポロポロとれて、シャワーヘッドが新品みたいにピカピカになった。理科の知識がない人は力任せに汚れを削ろうとするけれど、化学反応を利用する方が簡単に掃除ができる。これは洗濯も同じで、力任せにこすって汚れを落とそうとすると生地が傷むけれど、洗剤を使って繊維に絡みついた汚れを分解すると生地を傷めずに洗濯できる。体調管理にも化学的知識が必要で、腎臓に結石を作らないためにカルシウムを多くとるとかの分子の結合について知っておかないと特定の栄養素を多くとりすぎたり不足したりして病気になる。柿を食べすぎると柿のタンニンと胃液が化学反応を起こして柿胃石ができることがあるけれど、コーラを飲むと柿胃石を溶かせるという知識も柿が好きな人は知っておくほうがよい。虫歯や歯石のできやすさも理科の知識が関連していて、口の中が酸性だと虫歯になりやすい一方で歯石はできにくくて、口の中がアルカリ性だと虫歯になりにくい一方で歯石ができて歯周病になりやすくて、これは歯磨きだけでなくて唾液の量とかの個人の体質にもよるそうな。私の高校の同級生は虫歯になりにくい体質で歯磨きをさぼっていたので、そういう人は歯垢が残って歯石ができやすいのだろう。●理科を理解していないと料理がまずくなる料理は化学と同じで、レシピと同じ工程で作れば誰でも同じ味を再現可能である。調理の工程にも化学的な理由があって、例えば調味料を使う順番の「さしすせそ」は分子の大きい砂糖から先に入れないと食材に味が染みないので順番を守る必要がある。肉を調味料に漬け込むと内部まで味がしみこんだり、魚を塩に漬けると水分が出てきて身が締まったりするのも細胞の浸透圧が作用している。液体窒素とかを使った分子ガストロノミーも変なことをしているわけではなくて化学的に合理的なことをやっている。レシピ通りに作ればおいしい料理が作れるはずなのに、まずい料理を作る人が少なからずいる。料理が下手で、手順に戸惑ったりもたもたしたりするだけならたいした問題ではない。しかしわざわざ美味しく作れるレシピをアレンジしてまずい料理を作る人は味覚がおかしいか、頭がおかしいかのどっちかである。例えば気分次第で分量を量らずに調味料をどばどば入れたりすると、適量をどのくらい超えているのかという分析や改善もしにくくなって失敗から得られるものも少ない。それゆえにまずい料理を作る人は気分次第で失敗のパターンを無数に増やしていくだけで、いつまでも料理がうまくならない。●理科は応用の範囲が広い理科の知識は他の分野に応用できることが多い。スポーツだと物理との関連が強くて、例えばボールにスピンをかけるとまっすぐ飛ばずに曲がるのはボールと空気で摩擦が起きるからで、野球、サッカー、テニス、ゴルフ、卓球とかのたいていの球技だとスピンが技術として必須になっている。格闘技だと相手の攻撃をガードしてもダメージをうけるので、力のベクトルをかわしたり受け流したりする技術が重要になってくる。音楽だと音響システムを組むときにスピーカーのインピーダンス(電流の流れにくさ)で音の大きさが変わってくるし、イコライザーで周波数を調整する必要があるし、部屋の広さによって音の反響の仕方やスピーカーのちょうどいい位置も変わってくるので波の干渉の理解が必要になる。美術だと光と色の関連が強いので、画家やイラストレーターは自分が意図したとおりの色を出すために照明やモニタの発色に気を付ける必要がある。筆先を自由に使うには力のベクトルや摩擦を把握する必要がある。自然の造形美もデザインに活かされる。文学だと言葉は母音と子音が組み合わさっているという点で化学式に似ていて、理科の発想も応用できる。例えばガートルード・スタインの詩にある"Rose is a rose is a rose is a rose"というフレーズはポリマー的な言葉の使い方といえる。芸術系はいろいろなアイデアを組み合わせるために引き出しが多い方が有利なので、一見無関係そうな理科も武器になりうる。マジシャンは磁力がある指輪をはめて磁石を埋め込んだマジック用の小道具を指の裏に隠したり、磁力の反発で物を浮かせたり移動させたりして、目に見えない力を使って観客を騙している。マーケティングにも理科が関連していて、不動産の価値を正当に評価するには地層の知識や夏や冬の日光が当たる角度の把握が必要になる。商店街はたいてい道路をはさんで両側に店があるけれど、パッと見て日当たりがよいほうが店の印象が良く見えるものの、日中に日陰になる側の店のほうが紫外線で商品が傷まなくて八百屋や服屋や本屋とかの店先に商品を並べて集客するタイプの小売りに向いているので、冬に出店する人は夏の日差しを計算に入れないと失敗する。●まとめそもそも世界の仕組みの原理原則を理解するのが高等教育で、実務的な知識を得ることや直接仕事に役立てることを目的にしていない。実務的な知識は新しい技術が発明されて代替されたときに役に立たなくなるけれど、高等教養で習う物事の原理原則は不変のものである。原子と原子がくっつくと性質が変わるよ、温度でも性質が変わるよ、という理科の原理原則を知っておけば、学校で教えられなかったことも理解しやすくなる。例えばポリエチレンやポリエステルやポリプロピレンの化学式を知らなくても、レジ袋を引っ張ったら割けにくくて薄く伸びてガサガサ音がするのはポリマーの分子が絡み合っているからだと理解できるし、プラスチック製品のポリなんちゃらはポリマーのことだと理解できる。どんな学問であれ〇〇は必要ないと言っている人は高等教育を受ける意味がないので、中卒で専門学校にでも行って仕事に必要な知識と技術だけ覚えて働けばよい。教養がなくて世界の仕組みについて知らなくても仕事さえできれば生きていくことはできる。ただし「自分にとって必要ない」というだけならまだしも、「社会にとって必要ない」と言うようになると教養がないのを通り越して馬鹿である。学校でわざわざ教科として教えるのには相応の理由があるので、よく考えずに必要ないものとみなしてはいけない。
2025.07.27
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最近は参議院選挙が近いせいか、ポピュリズムとかのよくわからない言葉がレッテル貼りに使われているので、これについて考えることにした。●レッテルとは何かレッテルはletterのオランダ語での発音のようで、もともと文字を意味する。商品名とかを書いた紙を商品に張り付けたことから、人物を断定的に評価したり物事内容を一面的に決めつけたりすることをレッテルという。例えば「あいつは〇〇だ」と一面だけをとらえて断定することがレッテルを貼る行為である。●ポピュリズムWikipediaによるとポピュリズムとは「政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す運動である」そうで、エリート主義の対義語となっていて、政治家、官僚、裁判官などの既成の権力を持っているエリートが批判の対象になる。日本だとポピュリズムが悪い事であるかのように使われるけれど、政治変革を目指すこと自体は別に悪いものではない。例えば減税に反対する政治家や経済学者が「減税ポピュリズム」という言葉を使って批判しているけれど、減税が政策として正しいかどうかとポピュリズムは別の問題で、正しい政策ならエリート主義だろうがポピュリズムだろうがやればいい。不景気の時は減税したり金利を下げたり財政出動をしたりして景気を刺激して、好景気の時は増税したり金利を上げたり財政出動を減らしたりしてバブルが起きないように景気を引き締めるのが経済政策の基本だろうに、減税を訴える政治家を大衆の人気取りをするポピュリストとして批判するのはおかしい。国民民主党の榛葉賀津也幹事長が自民党が0.8兆円のガソリン税の暫定税率の廃止の財源はないと言う癖に選挙前に1人2万円の給付金を配ることに対して「庶民を馬鹿にするな」と演説していたように、自民党は明らかに不合理な主張をしているのに、それを変革しようとする野党をポピュリズムとしてレッテル貼りするのは庶民を馬鹿にしている。日本維新の会の柳ケ瀬裕文議員が財務省の試算で毎年約10兆円も税収を少なく見積もっていて税収弾性値が間違っていることを指摘したように、財務省も明らかに間違っているのだから、財務省のレクチャーを受けた議員もまた間違った政策をするようになる。高齢者はほとんど中卒や高卒なのでエリート主義で官僚や政治家任せなのだろうけれど、若くなるほど大学進学率は増えていて20-40代は約半数が大卒で官僚や政治家の嘘や詭弁や間違いがわかる程度には頭がいいので、エリートへの批判が増えているのだと思う。首相にしたい人に小泉進次郎の名前が挙がるのが典型的で、高齢者はエリート主義なので自民党の世襲エリート政治家を支持するし、若い人はたいていの大卒なら小泉進次郎より頭がいいのであんなアホが首相候補とかありえないと批判する。与党が状況に応じて柔軟に政策を変更して正しい政策をとれるのなら政治変革を目指すポピュリズムは起きない。ところが自民党の森山幹事長が「消費税を守り抜く」と発言したように、与党の政治家は財務官僚に洗脳されて消費税増税路線を変更するつもりがない。出生数が70万人を割ったことに対して三原こども政策担当大臣は「重く受け止めている」と言って石破総理は「少子化に歯止めがかかっていない状況を重く受け止めなければならない」と言ったけれど、政策を変えるつもりがなくて、少子化は国の根幹に関わる重要課題にもかかわらず、日本人の人口を増やそうとせずに外国人移民の受け入れを拡大して対処しようとしている。与党が政策を変えないなら他の党に投票するしかないじゃんということで政治変革の機運が高まって、前回の衆議院選挙のように自民党の票が減った分だけ国民民主党、参政党、れいわ、保守党とかの新興政党の支持が増えているのだろう。エリートの官僚が間違った政策をしてきたからこそバブルが起きてバブルが崩壊して他の国が経済成長している中で日本だけ30年成長してこなくて度重なる増税で生活が苦しくなるのだから、大衆がエリートと逆の政策を求めるのは当然の流れで、だからこそ財務省解体デモが起きたし、野党が消費税減税や廃止を求めるようになった。ポピュリズムの政治変革が起きるのは政治家が大衆の声を聞いていて民主制が機能している証でもある。民主制が機能しないと行きつく先はフランス革命のような暴徒化した大衆による支配階級の追放や処刑で、スリランカでは経済政策に失敗して経済危機が起きて公邸がデモ隊に占拠されてラジャパクサ大統領が軍用機で国外逃亡した。日本の政治家や官僚も暴徒に殺されないうちに過去の政策の間違いを認めて陳謝して方針転換して、民主的に問題を解決するのが良いだろう。●差別主義左翼はしばしば保守に対して差別主義者というレッテル貼りをする。差別はわかるけれど、差別主義という主義はない。じゃあ差別主義という言葉は何を意味しているのかというと、左翼が主張する多文化共生とLGBTQの推進に反対する人を指すようで、あたかも左翼が正しくて他の人が間違っているかのような印象操作である。差別と区別は違うもので、性は法的にも生物学的にも区別されるものである。トランスジェンダーのトイレや銭湯の使用はどの段階で男性や女性見なすのかという区別の問題で、男性器がついている人が女装したところで生物学的には男性なので女性として区分されないのは当然である。リベラルの要求通りに区分しないと差別なのかというと違うだろう。差別は何かというと、例えばカトリック教徒が多い南米だとしばしば女装して歩いている男性が襲われて殺されたりするし、イスラム教徒が多い中東やアフリカだと同性愛者やトランスジェンダーが殺されたりする。これは差別主義という何かの主義者がいるのでなくて、神は男女を作ったのでそれ以外の性はないという一神教的な宗教の教義が原因となってLGBTQが差別されている。どの共同体であれ価値観が異なる人は差別されがちだけれど、差別主義だとレッテル貼りしたところで差別が解決されるわけではないし、宗教を否定しない限り性に関する根本的な差別はなくならない。racism(人種差別主義)という言葉はあるけれど言葉の使い方としては正しくなくて、白人至上主義やユダヤ人の選民思想はそれぞれ違う理由で人種を差別しているので分けて考えるべきものである。白人至上主義もユダヤ人の選民思想もどちらも宗教が理由なので、結局は差別をなくすには宗教を否定する必要がある。国籍も区別されるものである。糖尿病のガーナ人が生活保護の申請が却下されたのは不当だと訴えた裁判で外国人は生活保護法の対象外だと判決が出たように、外国籍の人の権利はその母国が保護するものであって、日本が外国人の保護をする責任があるわけではないし、外国籍の人に生活保護を与えないことも差別ではない。ラサール石井が「人間にファーストもセカンドもない」と言うのは個人の信条としては好きにすればいいけれど政府の対応としては間違っていて、例えばスーダンのように戦争が起きた国から法人を避難させるために日本政府が飛行機をチャーターするけれど、日本人を優先せずに誰でも先着順に乗せていたら日本政府が邦人を保護する責任を果たせなくなる。左翼は参政党を差別主義者だと批判して演説を妨害しているけれど、じゃあ国家ぐるみで反日教育をして日本人を差別している中国や韓国を差別主義国家や差別主義者として左翼が批判してきたかというとしていない。結局のところ左翼は日本を批判する名目があればなんでもよいわけで、差別に反対する人道主義者を気取ったところで日本国旗にバツ印をつけたりして日本人を差別して日本を破壊したいという思想が根底にあるのが丸見えなので、左翼が熱心に政治活動するほど化けの皮がはがれて支持者は減っていく。●排外主義参政党の「日本人ファースト」というスローガンにも左翼がヘイトスピーチだ差別だと噛みついていて、TBSは『報道特集』で参政党が排外主義であるかのように偏向報道をして炎上している。外国人の不法就労をきちんと取り締まったり、偽装難民を送還することは法治国家ならやって当然でやらない方が問題なのだけれど、「不法外国人の排除」を「外国人の排除」にすり替えて排外主義としてレッテル貼りする藁人形論法が左翼の批判手法になっている。そもそも左翼は今まで沖縄の在日米軍の犯罪を問題視して排除を訴えてきただろうに、それを排外主義と呼ばないのはダブルスタンダードである。大手マスコミに入社する人はそれなりに高学歴で頭が良いのだろうけれど、なぜ選挙期間中にアナウンサーが「自分の1票が身近な外国人を脅かすかも、想像力持って投票を」と参政党の落選運動ともとれる主張をするのかというと、根底に日本人の財産を外国に渡そうとする反日思想がある。韓国の統一教会が日本人信者を詐欺のターゲットにしたのと同じで、在日韓国人が朝鮮併合を恨んで日本を衰退させるために活動している。TBSは民主主義の根幹である選挙でさえ公平に報道する気がないのだから、その他のニュースも当然偏向しているだろうし、TBSのような極左からみたら外国人の犯罪の取り締まりを求める普通の日本人が排外主義に見えるようである。TBSは坂本弁護士一家殺人事件から体質が何も変わっていないし、TBSが身近な日本人を脅かすかもしれないので報道に関わるべきでない。MBSは外国人の犯罪で治安が悪化しているイメージはデータ上では誤りだとして、犯罪検挙人数を根拠にしている。これは数字は嘘をつかないけれど嘘つきは数字を使うパターンである。例えば川口市では警察が外国人絡みの苦情や事件を面倒くさがって対応しなくて被害者が泣き寝入りしているけれど、この場合は犯罪として認知されないし検挙もされないので犯罪としてカウントされない。外国人が運転する暴走車に追突されたりしても事故なので犯罪としてはカウントされない。警視庁は2025年1-6月の外国人運転手による死亡・重傷事故が昨年同期より19件多い258件で、全体に占める割合は2.1%で2016年の1.0%から倍増して過去最高だそうな。川口市では2024年9月29日に中国人の19歳の少年が飲酒運転で一方通行を時速約125キロで逆走して車と衝突して51歳の会社役員の男性が死亡する事故が起きたけれど、これは通り魔がうろついているようなもので誰でも被害にあう可能性があった。三重県でもペルー人が運転している車が高速道路を逆走して事故が起きた。暴走族がいる町は治安が悪いと思って当然だろうに、外国人が運転する暴走車が走り回っているのを治安が悪いと思ってもデータにないから「誤り」扱いされるのか。戸田市では河合ゆうすけが戸田市議選で埼玉県南部の外国人移民の犯罪の取り締まり強化を訴えて歴代最多得票数でトップ当選したし、市民は間違ったイメージに基づいて排外主義になったのではなくて、日々生活するうえでの実体験から当然の要求として治安を求めているに過ぎない。最近は難民申請を6回繰り返して20年間日本に滞在して解体業を経営してフェラーリやクルーザーを乗り回していたクルド人のリーダー格のユージェル・マヒルジャン(34)が強制送還されることになって「入管に爆弾を投げてほしい」と仲間に呼びかけたそうだけれど、テロの扇動するほど反社会的な外国人を20年も送還できなかったのは問題である。彼は「旅券を取り直し、近隣国を経由して日本に戻ってくる」と言っているように、自国に戻っても政治的理由で投獄されたり処刑されたりするわけでもないし、彼みたいに明らかに難民ではない偽装難民でも仮放免中に生活費が支給されているし、日本人が増税されてそのフリーライドの費用を負担している。その問題を解決するために不法滞在している外国人への対処を厳しくしたところで、合法的に日本に滞在している善良な外国人には何の問題もないだろうに、どこが排外主義なのか。2025年5月1日に成田市でブラジル人の言語学の修士号を持つ研究者の女性が「日本はとても安全な国。だから私はここに移住したい」とSNSに投稿した後にスリランカ人の男性に強盗されて放火されて一酸化炭素中毒で死亡したように、日本に移住したがっている善良な外国人にとっても民度が低い外国人が日本にいることがリスクになるのだから、外国人と共生したいのならなおさら治安は重視しないといけない。ヨーロッパが語学学習や就職支援プログラムとかを用意して中東やアフリカの貧しいかわいそうな移民を大歓迎したのに結局多文化共生に失敗して移民の受け入れを停止して右傾化したのは治安が悪化したのが大きな原因で、治安問題から目を背けたら共生は無理である。川口市を視察中にクルド人に追跡されて武南署で取り囲まれた高木功介県議らが刑事告訴して記者会見して「被害に遭っても黙殺され泣き寝入りしてきた住民の思いも込めて告訴した」と言ったり、会見に参加した市民が「クルド人の問題をこじらせているのは、あなたたちジャーナリストの皆さんです」と批判したりしたように、不法外国人の犯罪を取り締まることさえ排外主義扱いして外国人に肩入れして被害者の人権よりも加害者の人権を守ろうとするマスコミが外国人問題の解決を遅らせてこじらせている。もはやマスコミは市民の敵で、人権意識が高いエリートジャーナリストを気取っているマスコミも大衆によって否定されて、もう若者はテレビを見なくなったし新聞を読まなくなった。●まとめ選挙がその後の数年の政治の行方を左右するので、レッテル貼りによる印象操作に惑わされずに各政党の政策を多面的に見て、自分の生活や日本の将来を良くするにはどうすればよいのかをよく考えてから投票するべきである。選挙が終わったので追記。衆院選で自民党が負けたのにその後に何の実績もない石破総理のまま参院選をやったところで勝てる理由がなくて、予想通りの自民党が大敗して議席を減らす結果になった。山形、秋田、和歌山、愛媛、徳島、鹿児島、沖縄とかの地方では自民党の議員が2位で落選して無所属の議員が当選していて、自民党の組織力を動員しても無所属に勝てないのだからだいぶ支持者が離れたようである。杉田水脈や長尾敬とかの自民党の保守派議員も全国比例で落選したけれど、自民党内に保守派がいても党議拘束で結局リベラル法案に賛成するので最初から保守的な主張をする参政党や保守党に投票するほうがましだということなのだろうし、自民党に代わって保守の受け皿になった参政党は6議席が目標だったのが2倍以上の14議席を得て躍進した。しばき隊とかの参政党のアンチの左翼がレッテル貼りだけでは満足せずに日本国旗にバツ印をつけたり東京都選出のさや氏に殺害予告をしたりしてあからさまな反日活動や選挙妨害をしたことが逆効果になってかえって日本ファーストの必要性を高めて参政党の追い風になったようである。国民民主党は17議席を躍進していて、高齢者ほど自民党支持率が高くて、若者ほど国民民主党の支持率が高いようで、上で書いたように若者は半分が大卒で頭が良いので自民党の嘘が理解できるので自民党を支持しないのだろうし、国民民主党の政策を理解できるし所得控除の影響が大きいので玉木の不倫とかの問題があっても国民民主党を支持するのだろう。チームみらいの安野氏も当選したけれど、この人もたぶん若者の支持が多かったのだろうし、イデオロギーとは違う軸での政策には期待が持てる。高齢者が支持してきた古い政党は高齢者が死んでいくにつれて議席を減らしていって、今後は若者が支持する政党が力をつけていくのだろうし、ようやく日本の政治が変わる兆しが出てきたのは良いことである。
2025.07.15
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私はついさっきまでかわいい幼児だったのに、朝起きたらかわいくないおっさんになっていた。時間の流れは速いものだと思ったので、徒然なるままに流れについて考えることにした。●様々なものが流れている時間は概念として流れているともいえる。万物は流転して環境の変化から様々な生命が生まれてきたので、必然的に生命にも流れがある。人体は絶えず血液を循環させないと細胞に栄養や酸素が行きわたらなくて壊死してしまうので、意識しなくても寝ている間でも心臓と肺は動いている。細胞も流転して死んだ細胞が新しい細胞と入れ替わっていて、細胞のコピーが正常にできなくなると老化やがんで身体の機能が衰えて死に近づいていく。脳は神経細胞から電気信号やらなんやらが流れるので五感を感じる。人間が作った様々なものにも流れがある。インフラは電流、水流、物流が滞らないように整備されている。空気の流れも家や都市設計では重要で、一戸建ての屋根が風を受け流したり、オフィス街でビル風が強くならないようにデザインにしないと、台風のときに屋根が飛んだり看板が飛んだりして被害が大きくなってしまう。家の中の空気がよどんでいるとカビが生えやすくなるし、料理の煙やたばこの煙が室内に充満すると肺がんの原因になる。企業はいくら売掛金が多くても現金が足りなくなって支払いができないと帳簿上で黒字でも倒産するので、現金が不足しないように入出金のキャッシュフローを管理している。服や音楽とかの流行も流れるように伝播して移り変わるもので、特定のスタイルが他よりも優れているわけではなくて、なんとなく皆が真似することで時勢として勢いづいて、次第に飽きられて他の流行に取って代わられる。流れに乗れる人はITブームの時にプログラミングをしたり仮想通貨ブームの時に億り人になったりSNSブームの時にインフルエンサーになったりして稼ぐ一方で、生きづらい人は様々な流れに乗れていないのだろう。ただし流れに乗ることと、流されることは似ているようで違う。世間の流れが自分の主義と違うなら、安易に流されずに抗うほうがよい。新型コロナワクチン接種の同調圧力なんかが典型的で、テニスのトップ選手のジョコビッチはワクチン接種を強制されることに反発して大会出場を諦めてでも未接種を貫いた。結局は新型コロナワクチンは感染予防効果はなかったので感染防止目的で接種するのは無意味だし、専属のトレーナーをつけて体調管理に一般人以上に気を付けている若いトッププロのスポーツ選手は重症化予防の目的で接種するメリットもあまりないし、他人に強制されて接種するようなものではなかった。サッカー選手や野球選手はワクチン接種後に死亡したり心臓疾患で引退したりした選手がいるけれど、チームが逸失利益を補償するわけでないし、体が資本だからこそ安易に他人に決定をゆだねてはいけない。●理解の流れ物事には因果関係があるので、人間は何かを理解するときは何かの出来事に基づいて別の何かの出来事を説明付けようとする。例えば科学がない時代は雷が落ちて木が燃える現象を理解しようとして、雷や火を司る神の力だとかの原因をでっちあげて理解しようとした。そんで火が付くには条件があって、どうやら発火点や酸素や水分とかが関係しているらしいぞと実験でわかるようになって、じゃあ原子が他の原子とくっつけばいろいろな物質になるやんけ、AならばBやんけ、BならばCやんけ、CならばDやんけという流れで事実をもとに他の事実も芋づる式に理解できるようになる。いまでは科学的教育を受けた人は共通の理解を持てるようになった。我々が事実を科学的に理解すれば物事の認識が異なることはないはずだけれど、実際は世界中で認識の齟齬があって、様々な物事に対して理解が異なっている。数独(ナンプレ)は最初に用意された数字を基にして残りの数字を論理的に推測して埋めていくけれど、どこか一つの数字を間違うと他の数字もあちこち矛盾することになるように、理解のどこかの段階で間違いを含むと最終的に間違った認識が出来上がる。その認識の相違の根源を辿っていくと宗教が間違いの大きな原因になっていて、宗教の経典は科学が未発達な時代に書かれて間違いだらけなので必然的に現実の理解も間違うようになる。例えば一神教の宗教では全知全能の神がいるという概念をあらゆる思想の根源にして、神の教えを説いた経典を基にして世界の理解を発展させているので、そこから物事の認識が狂っていって、事実と矛盾するところが出てくる。神に祈れば苦しみがなくなるはずだと勝手に期待して、なぜこんなに祈っているのに神は助けてくれないのだと期待通りにいかないことを嘆いて、これは神が自分に課した試練なのだと勝手に解釈して納得して、神の教えを記した経典に従えば天国に行けるのだということを希望にして、宗教を広める目的のためならどんな手段でも正当化して、経典に異教徒を殺せと書いてある通りに異教徒を殺したり奴隷にして改修させたりするし、同性愛は男女を作った神に反するので異端として殺そうとする。神は正しい、経典は正しいということを前提に世界の理解が出来上がっているので、世俗化して宗教の影響から抜け出さない限り間違いが正されることはないし、倫理観が修正されることはない。自分と異なる宗教の人を殺したところで自分の正しさが証明されるわけではないことを理解していおらず、神の名を騙って蛮行を正当化する愚か者となる。一方で仏教はあらゆる生物はいずれ死ぬという生死一如の真理を基にして、苦しみをなくするにはどうすればよいのかと思想を発展させていったし、わからないことは断定せずにわからないという態度なので、仏教の教えは現実と矛盾するところはあまりない。ブッダが弟子にした筏のたとえ話があって、旅人が筏で川を渡って、筏が役に立ったからといって川を渡った後も筏を担いで歩くのは適切な行動かと弟子に尋ねて、仏教の教えも必要なら使って必要ないなら執着せずに捨てろと教えている。小乗仏教はブッダや経典に対する信仰ではないという点で宗教ではないし、同じ仏教でも仏を拝んだりお経を唱えたりすれば極楽浄土に行けると主張する大乗仏教と小乗仏教とは本質的に違うものである。欧米の意識が高い人には無宗教や無神論者の人やマインドフルネスとかの仏教の思想を取り入れたりする人がいるけれど、たぶん頭がいい人ほど一神教の欺瞞に気付くのだろう。神道では『古事記』や『日本書紀』は神典という扱いになっているけれど、昔話のようなもので教義があるわけではない。古代に天皇が実在したことを信じる人はいても、現代にイザナギやイザナミとかの神々が日本列島を作ったと信じる人はいない。仏教では幽霊という概念はないけれど、日本人に幽霊を信じる人が多いのは、子供のころから初詣とかをやってきて八百万の神々とかの超自然的なものや霊的なものを受け入れているからだろう。物事の因果関係を論理的に理解して説明できる人は理性があると言えるし、物事の抽象的な因果関係を直感的に理解できる人は悟性があると言える。例えば宮本武蔵は悟性があって、現実的な合理性を軸にして特定の武器や構えにこだわらない戦術を組み立てたので、非合理的な構えや小手先の技にこだわる人と戦ったときに有利になったのだろう。ただし人間にとって理解したように感じられるからといってそれが事実というわけではない。例えば統合失調症の人は関係ない物事を結び付けて理解したつもりになっているし、地球平面論者も本人はそれが正しいものだと理解したつもりで主張している。第三者が検証可能な形式にすることで自分の現実の理解が正しいかどうかがわかるので、理解することよりも検証することのほうが重要である。ITなら開発環境でテストしてエラーが起きないか検証してからシステムを実装するけれど、人間の場合は知識が正しいか間違っているかあやふやなままダイレクトに継ぎ足していって認識の体系を作るので、理解が間違っている場合に流れを遡って原因を突き止めて修正するのが難しい。宗教的な間違いを受け入れない人もいるし、学者とかでキャリアを気にして間違いを認めようとしない人もいる。●芸術と流れ宗教が物の認識に影響を与えることで、芸術観にも違いが生まれる。イギリスの美術評論家のジョン・ラスキンは神の創造物である自然に完全さを見出して、自然をありのままに再現すべきだという考え方をした。その一方で日本画は中国の絵の影響を受けていて風景を忠実に描こうとしなくて、尾形光琳の『白梅図屏風』は余計な背景をそぎ落として梅の枝ぶりのぐねった感じと川の流れのぐねった感じをドヤァと描いて主題を強調して、梅の木の周りのどうでもいい雑草とかの気が散るような細部はいちいち描かない。芸術には文脈の流れもあって、作者は自分が生きた時代の思想の影響を否応なく受けて、思想や技法の流れを継承したり、あるいは反発して別の流れを作ったりしてきた。だから明治時代の日本画の画家が文脈を外れていきなり精緻なリアリズムの西洋画を描けるようにはならなくて、ヨーロッパに留学して油絵の技術だけでなくて西洋思想自体を学ぶ必要があった。明治時代は西洋画が最先端の思想だということで、小説家志望の人でも絵を勉強させられたそうな。現実世界をどう理解するかという思想が独自性の根源になるし、既存の作品が作られた背景とかの文脈をどう理解するかが差異を作るので、芸術家は創作技術だけあればいいというわけではなくて歴史や哲学や他のジャンルの芸術の教養も必要になる。芸術は時間と関連していて、たいてい時間の流れを表現するか、あるいは一瞬の出来事を表現している。例えば横山大観の『生々流転』は山中の木の葉の霧の雫が渓流になって支流と合流して大河になって海に流れ込んで雲を呼ぶという水の一生を描いていて、絵としては一瞬の場面だけれど、概念としては移り行く時間の流れを表現している。音楽は時間の芸術で、初めから終わりまで連続した時間の流れを鑑賞する形式になっている。小説や漫画や映画は物語を必ずしも時系列順に展開する必要はなくて、回想シーンで過去に戻ったりすることもある。因果関係が物語の流れの中心になって、そこに感情の抑揚が加わる。例えば推理小説では誰かが殺されて犯人を推理して突き止める流れになるけれど、淡々と捜査して犯人を捕まえるだけでは読者は共感できないしたいして面白くないので、恐怖や憎悪や悲しみや驚きや安心や憐憫とかの登場人物の感情の変化が描かれる。登場人物の感情に共感してスッキリするだけなら娯楽作品だけれど、犯人が殺人に至った理由とかの登場人物の思想が読者にも理解できるように描かれれば読者の認知に影響を与えうる芸術作品になりうる。特に小説は言葉の意味が直接読者に伝わるので、作者が理解していないことをあやふやに書いても読者も理解できないし、作者や登場人物の物事の理解の仕方を読者が追体験できるような流れで書く必要がある。芸術家は自分が生きた時代を観察して作品を残して、良い作品は古典として歴史の流れの中に組み込まれて、未来の世界でも参照されるようになる。●文明の発展の流れ人間は食事をしないと死んでしまうので、まず食料を得るための道具が発展してきた。骨の釣り針や石の斧や黒曜石の槍とかで獲物を効率よくとれるようになって、そうすると調理器具や保管容器とかも必要になってかまどや土器が作られて、余った獣の皮で服が作られる。荷物が増えると移住しにくくなって、農業を始めて定住するようになると家の住み心地が良くなるように頑丈で雨漏りしなくて洪水とかの災害に強い家に発展して、家具や寝具が発展していく。大きな家に食料や財産を蓄えるようになるとそれを奪おうとする人が出てきてより強い武器を求めてかまどで金属を溶かして青銅器や鉄器が作られるようになって武器や防具が発展して、周辺の集落を征服すると大勢をまとめる必要がでてきて、身分や掟とかの社会制度が発展して、人間同士で殺し合うようになって苦しみが大きくなるとこの生き方でよいのだろうかと道徳や宗教が発展していく。集落の人数が増えると分業で効率よく作業できるようになって、手工業や兵士とかの専門職が発展していく。征服や交易の距離を広げるために馬を捕まえて乗るようになって、馬が荷物を引けるように荷車や馬車が作られたり、船が作られたりするようになって、乗り物が発展していく。乗り物は人力で動かしたり動物に引かせたりしていて動力不足がボトルネックになっていたものの、蒸気や電気で動く機械が発明されると生産効率が良くなって余った労働力は知的労働をするようになって学問が発展していく。大型船で外国と貿易をするようになると難破するリスクを分散させるために株式会社ができて、銀行ができて融資したり保険会社ができて損失を補填したりするようになって大規模な設備投資が可能になって経済が発展していく。起業家が出現して貧富の差ができると個人の幸福を追求するようになって、医療や福祉が発展していく。機械を動かすために木炭、石炭、石油が大量に使われて環境破壊や環境汚染が深刻化していくにつれて省エネ技術が発展して、乱獲や環境破壊で絶滅する種が出てくると植林・養殖技術や動物の生態研究が発展していく。先進国ではすでに衣食住やインフラや医療が充実していて、飢える人はあまりいなくてむしろ肥満が健康上の問題になっているし、生活を便利にする家電もいろいろあるし、モノはこれ以上いらなくなっていて省エネ効率を高めるくらいしか発展性がない。じゃあこれからは文明はどういう方向に発展していくのか。科学の発展という点では、スーパーコンピューターやAIの演算能力が増えることで科学的真理の発見や社会問題の解決とかにつながるかもしれない。製品開発の際には加速試験をして数カ月かけて劣化具合をチェックするけれど、もしコンピューター上で正確なシミュレーションができるようになれば製品開発のスピードが速くなって、不良品も出にくくなって、技術的理由による事故や損失が起きにくくて効率がよい社会に発展するかもしれない。個人の幸福の追求という点では、いくら生産効率を高めても消費者は限られていて経済成長には限界があるので、金やモノを増やすよりも面倒な作業を機械やAIに任せて労働時間を減らしてストレスを少なくして健康を追求したり、労働時間が減った分の余暇で芸術を鑑賞したりスポーツやゲームとかの娯楽をしたりして精神的充足を得てQOLを高める流れになると思う。今は仕事をしないと収入が得られないので仕事が人生の中心になっていて「アタシと仕事のどっちが大事なのよ」がベタなカップルの喧嘩のセリフになっているけれど、今後は何の仕事をして生きるかよりも、誰とどう生きるのかを追求して個人の幸福と他人との共感を発展させていくと思う。2010年代にSNSが発展して素人の絵師や歌い手やダンサーやなろう作家とかが金儲け目当てでない作品を投稿するようになったけれど、今後はさらに増えるだろう。SNSはインフルエンサーが派手な言動をして金儲けする個人主義的な使われ方をしていることが多いけれど、最近は政治系の動画が共有されているように、共同体を強化する方向に発展していくだろう。個人主義の価値観で一対一の勝負をしたら貧乏人はどうやってもスーパーリッチには勝てないけれど、年収200万円の人でも10万人集まればスーパーリッチと対抗しうる資本力を持てるし選挙でも有利になるので、放っておけば格差が拡大していく資本主義社会の中では共同体で結束することが庶民が自分の居場所を作って幸福になる効果的な手段になる。アメリカの大統領選挙がまさにその流れで、民主党のグローバリストの金持ちエリートに反発した貧乏人たちがトランプに投票して不法移民を共同体から追い出した。個人主義から共同体主義に移行して、原始時代と同様に獲物を仕留めたら皆で分けて、子供が生まれたら皆で子育てを手伝って、死者が出たら皆で葬儀を手伝って見送って、共同体に貢献しないで自分だけ得しようとするフリーライダーは排除するという生き方に回帰していくのではないかと思う。もともと人類はその生き方で原始時代を数万年生き延びてきたので生存方法としては安定していると言える。共産主義は個人の権利を抑圧したせいでアイデアが出てこなくなって発展が止まって失敗したし、資本主義はモラルがないサイコパスのスーパーリッチが力を持ちすぎて労働者から搾取して少子化に向かって失敗したけれど、共同体主義では個人の権利と共同体での義務を折衷する形でさらに社会制度や福祉が発展すると思う。そんで際限なく欲を持つと他人と利害が衝突したり搾取したりするようになるので、欲を制限する方向に発展すると思う。例えば皆が自宅にプールを作る必要なんかなくて共同体で公営プールを共有すれば十分で、物を私有して共同体に還元しない金持ちは強欲な奴として蔑まれるようになる。●政治の流れ政治の流れは歴史の流れともいえる。古代から世界各地で王国ができて権力や領土をめぐって争って、大航海時代に移動範囲が広がると文明の発展度合いに差がある南米やアフリカの王国を植民地として支配下に置いて勢力を拡大する帝国主義になって、第二次世界大戦がおきて帝国主義が終わって旧植民地が独立して武力による国境の変更が国際社会で認められなくなるとヨーロッパでグローバリズム新自由主義が始まって欧州共同体(EC)ができて欧州連合(EU)になって加盟国が増えて範囲を拡大して国境はそのままで人を移動させて移民の労働力で儲けるようになって、キリスト教圏のEU内の人の移動で満足せずにアフリカや中東からもイスラム教の移民を入れたら治安が悪化して多文化共生が失敗して、またナショナリズムが台頭して欧米で不法移民や偽装難民を排除する流れになっている。一方で中国やソ連とかの共産主義の計画経済は失敗して共産主義国家は自由貿易をするようになったもののまだ領土拡大の野心を持ったままで、NATOの拡大に反発したロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けてからは西側と東側が決裂してブロック経済に向かう流れになっている。じゃあこれからどうなるのかというと、AIの自動翻訳やリモートワーク環境の発達で生まれた国や言語や人種の違いはたいした問題ではなくなって、AIがいくら発達しても変わらない部分である宗教的価値観の違いが対立の原因になって、イスラエルとパレスチナやインドとパキスタンのように宗教の違いで争ったり、同じ宗教でも世俗派と保守派の違いで共同体が分かれたりする流れになると思う。どんなに文明が発展しようが戦争やテロで家屋や生産設備が破壊されてしまうのでは文明を発展させてきた意味がなくなるし、敵国を倒して得られる土地や資源とかの利益よりも失うもののほうが多いので、たぶん同盟国同士で連携を強めたり、敵対する国や共同体とは不干渉にしたりして平和を模索する流れになるだろう。イスラエルがイランの核施設を攻撃して反撃されてアイアンドームの弾が切れたらさっさと停戦したように、イランと戦争をして勝てるとしても核兵器で攻撃される可能性がなくなったことでイスラエルの目的は達成していてそれ以上攻撃を続けるメリットがないし、膨大な費用をかけて建設したインフラやビルが被害を受けないことのほうが重要なわけである。帝国主義時代は植民地でブロック経済圏を作ったけれど、今後は宗教がブロック分けの基準になるかもしれない。そうなると日本の存在意義が際立ってくる。バフェットが日本の商社の株を買ったのは、たぶん商社が世界各国で資源の権利を持っていて移民の移動が制限されようがブロック経済になろうが契約を守る法治国家が相手なら長期的に利益を出せるからかもしれない。LGBTQゴリ押しのGoogleとかのアメリカのグローバル企業と違って日本企業の経営陣は単なるビジネスマンで宗教観に抵触するようなイデオロギーがないし、日本の仏教や神道は他の宗教を否定するものではないのでキリスト教圏でもイスラム教圏でもヒンズー教圏でも反発を招かずに世界中で商売できるし、日本国内では宗教や人種を理由にしたヘイトクライムやテロがあまりないので無宗教や世俗派の外国人にとっては安全な移住先の選択肢になりうる。日本の政治家や経営者が単に宗教的に無関心なのでなく、世界中の宗教を理解したうえで距離を取ったり仲裁したりできるようになれば今後の日本の発展の可能性は十分あるだろう。日本が見返りを求めずにアゼルバイジャンを支援してアゼルバイジャンが親日国になったのが典型的で、中東の石油利権をほしがって干渉する欧米のキリスト教国家よりも礼儀をわきまえている日本のほうがうまく中東で外交ができると思う。中国も無宗教なので世界中に進出しやすいけれど、相手を騙したり賄賂を贈ったりして搾取しようとする魂胆が丸見えなので、長期的な信用を得られていなくて一帯一路やAIIBもうまくいっていないし、そこに日本がアジア系の比較対象として信用を得るチャンスがある。しかし日本には文系の教養や文系の大学に価値はないと主張する新自由主義グローバリストが未だに大きな影響力を持っているので、世界の流れが読めずに労働力目当ての移民を入れて周回遅れで多文化共生に失敗して自滅するパターンになる可能性も十分にある。今度の参院選が日本の未来の分岐点になると思うので、よく考えて投票してほしいものである。
2025.07.04
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気候変動とかで価値が減少する化石燃料とかの資産のことを座礁資産というけれど、コンテンツも同様にいつまでも価値があるわけではなくて、価値がなくなるコンテンツは座礁コンテンツと言えるかもしれない。人気のコンテンツでもいつかはオワコンになるのは仕方がないにしても、コンテンツを作るのには時間や労力がかかるので、どうせ作るなら長期間鑑賞できるコンテンツであるに越したことはない。というわけで徒然なるままにコンテンツの鑑賞期限について考えることにした。●コンテンツの旬コンテンツを鑑賞して一番面白く感じられるのは発表直後である。というのも作者が何か現代の社会問題や生き方とかに対して主張したいことがあって作品を発表した場合は当事者として鑑賞するほうが共感しやすいし、発表直後は盛り上げようとしていろいろプロモーションをしていて賑やかだし、いろいろな人がああだこうだと感想を言い合っている中で自分の感想を言うのも楽しいものである。旬を過ぎても鑑賞自体はできるけれど、新しい作品が次々に発表されている中でいまさらこれを鑑賞するのはどうじゃろうという感じになって、あまり鑑賞したい気分でなくなる。面白さは主観的な感覚なので、気分が乗らないときに鑑賞しても面白く感じにくくなる。●コンテンツの鑑賞期限に影響する要素・流行の変化漫画やアニメとかは絵柄に流行があって、目を大きく書くような特定のスタイルが一時期は流行っても数年たって流行が終わると陳腐になって魅力がなくなってしまう。流行に便乗して作られたコンテンツほど内容も薄いので、時代遅れになるとなおさら鑑賞に堪えなくなる。・政治的変化政権にとって都合が悪い本が焚書されて存在を抹消されたり、アダルトコンテンツの判断基準が厳しくなって昔は合法だった少女のヌード写真が児童ポルノ扱いされて違法になったり、『はだしのゲン』の描写が過激だという理由で学校の図書館に置かれなくなったり、ドイツで戦後にヒトラーの『我が闘争』の研究が禁止されたり、政治的理由でコンテンツが閲覧不可や入手不可になることがある。・価値観の変化昔のコンテンツは今でいう差別用語を使っていたりするけれど、そういう言葉を使うのは良くないというように価値観が変わると、古い価値観を表しているコンテンツとして敬遠されるようになる。あるいは視聴者が年を取るにつれて価値観が変わることもあって、子供向けコンテンツは視聴者が青年期に入ると幼稚な子供っぽさが嫌われて鑑賞されなくなる。・言葉の変化古典扱いされているコンテンツは鑑賞期限が長いけれど、数百年経つと言葉遣いが変わって、専門家の解説や現代語訳がないと古典を読めなくなってしまう。青空文庫にある旧字体の小説やエッセイは時間をかければ理解できるとしても旧字体を調べながら読むのが面倒くさくて気軽に読む気にならないので、研究者とかの専門家しか読まなくなる。・時事ネタ時事ネタは主に同時代の人に向けた内容で、後世の人が鑑賞しても面白さが伝わらなくなる。例えば間抜けな発言をするイケメン世襲政治家を作品に登場させたら同時代の人にはあいつやんけと風刺として受け取られるけれど、後世の人が鑑賞した場合には前提となる知識がないので風刺として伝わらなくなってしまう。社会問題とかに問題提起する作品だと、何年も経って既に問題が解決されてから鑑賞しても当事者性がなくなってしまって面白さが減る。・上位互換の出現創作手法はしばしば技術革新が起きていて、特に映画では顕著である。数百億円の予算を使ってCGを使って現実では撮影できないような高い所から飛び降りたり大爆発が起きたり手足が吹っ飛んだりする派手なアクション映画が出現すると、昔の映画の拳銃をポンポコ撃ってぐわーっと大げさにのけぞって倒れる程度のアクションは相対的にあまり面白く感じなくなってしまって、わざわざ見るほどのものでもなくなる。・不祥事俳優の人気で視聴率が支えられているドラマは俳優が不祥事を起こして反感を持たれると視聴者が離れていく。小説や漫画とかだと作者が不祥事を起こすと作品も嫌われて売れなくなったり、連載途中で打ち切りになったりする。・希少性再版されない古書は時間が経つほど現存数が少なくなって徐々に値段が高くなっていって庶民には手に入りにくくなる。ノーベル文学賞を受賞したナギーブ・マフフーズの『渡り鳥と秋』はamazonで中古で28000円くらいで、良い内容だけれどわざわざ定価より何倍も高い値段を出してまで読むものでもない。絵画は元々一点しかないので希少で、外国の美術館に所蔵されている作品はなかなか鑑賞できない。・物理的限界白黒映画のフィルム、レコード、カセットテープ、CDとかの記録媒体は空気で酸化したりカビが生えたり紫外線で脆くなったりして経年劣化するし、レコードみたいに針と物理的な接触があるものは再生のたびに徐々に擦り減っていくのでいずれ再生不可能になる。ゲームは新しいハードが出てソフトの規格が変わったり、パソコンのOSが変わったりすると遊べなくなることがある。電子書籍はサポートが切れると読めなくなる。●コンテンツの延命手段・人気があるうちに終わる漫画やアメドラとかは物語の終わりを決めないまま登場人物を増やして新しいエピソードを継ぎ足してずるずると長期化するパターンがあるけれど、展開がだれてくると悪評のほうが目立つようになる。最初は面白いけど最後まで見る価値がないという評価がついてしまうと新規の読者や視聴者がつかなくなってかえってコンテンツの寿命が短くなるので、引き伸ばさずに面白さを凝縮して完結させて、やり残したことがあったら別の作品で仕切りなおす方が良い。・シリーズ化前にも奥野正寛『ミクロ経済学入門』という記事で考えたけれど、いちから登場人物や世界設定を考えるのは労力がかかるので、いったんヒット作が出たら限界費用逓減の法則や限界効用逓減の法則に則って飽きられるまで登場人物と世界設定を使いまわして続編を作るのが商業的には効率が良い。ガンダムやドラゴンボールやポケモンやコナンとかは個人的にはいつまでやってんだと思うし興味ないけれど、それでもファンは飽きないようでそれなりに人気がある。しかし作品として一番力があるのはたいてい新しいアイデアを試したりメッセージ性を持っていたりする第一作で、続編はアイデアに目新しさがなくなってメッセージ性が薄れて新しいファンを獲得するほどの力がなかったりする。・スピンオフ、外伝本編で人気があった脇役を主人公にして物語を掘り下げたり、パロディーや4コマとかの違うフォーマットにしたりして、コンテンツを有効活用できる。ただしたいてい本編より劣る内容になるので、本編に人気があるうちにやらないとあまりやる意味がないし、続編を出すまでのつなぎにはなるけれど延命効果は長続きしない。ドラゴンクエストはゲームの続編が出るまで漫画やアニメで興味を引いていたように、ゲームや漫画やアニメはどれも主に子供向けなのでメディアミックスの相乗効果が高い。・他のジャンルで作る漫画の『今日から俺は!!』が連載終了から何年も経ってからドラマ化されて、漫画版を読んだことがない小学生に人気になったように、他のメディアで作り直すと時間が経ったコンテンツでも新しい見どころを作って再利用できる。・リメイク最近は『らんま1/2』や『YAIBA』とかのセル画時代の古いアニメが最新のアニメ技法でブラッシュアップしてリメイクされている。新しい技術を取り入れてリメイクすることで原作を懐かしむ層だけでなくて新規の視聴者も増やすことにつながる。・謎を残す『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメ版は謎だらけだったけれど、それがかえって視聴者が考察する余地になって、疑問を解決するために何度も見返したりするようになる。人間は謎を解きたがるもので、最初の作品に謎が残っていると続編で謎が明らかになる期待が残って長い間興味を維持できるようになって、アニメの終了から10年経ってから劇場版が作られてもまだファンが残っていて人気が出た。・アレンジ音楽だと何かの曲をジャズやボサノバやレゲエとかの別のジャンルの曲としてアレンジして、メロディーは同じでも違うテイストにすることで目新しさを出している。・弟子をとる伝統芸能は〇〇派や〇〇一門として子孫や弟子に芸風や技術や思想を継承することで、何代にもわたって芸の価値を落とさずに鑑賞できるようにしている。ただし新しいことはやりにくくなって発展性は犠牲になるので、古典以外のジャンルではこのやり方は向かない。・マルチバースマーベルは単体作品のヒーローやヴィランが大勢いるので、今度はそのキャラクター同士をかけあわせてコンテンツを作るようになった。超能力があるヒーローとヴィランがなんか知らんけど戦ってどっちも強いから最終的な決着がつかないというような話を延々とやっていて、延命にはなったけれどファンに飽きられて、さすがのマーベルも反省したのか乱造をやめる方針のようである。『スーパーロボット大戦』もガンダムやマジンガーZとかのいろいろな作品のロボットが勢ぞろいするところがロボット好きの男子にウケたようで、マジンガーZやゲッターロボとかの単体だと古すぎて今更続編やリメイクを作っても人気がでないようなロボットでもマルチバースだと賑やかし要員として出番がある。・イベント遊戯王やポケモンが飽きられないのは、カードゲームとして実際に遊べて大会とかの大人が参加できるイベントがあるのが大きな理由だろう。ポケモンと似た感じの子供向けコンテンツの『デジタルモンスター』や『妖怪ウォッチ』はゲームやアニメや漫画とメディアミックスして一時期は人気になったけれど、個人で作品を鑑賞するのにとどまって対人イベントへの広がりがなくて子供向けコンテンツ止まりなので、子供が成長するにつれて飽きられていったのだと思う。・新しいことをやるこの手法は〇〇が発祥で、と言及されたり真似されたりするような新しい技術やテーマで作品を作ると、古典として度々参照されるようになる。例えばジョジョ立ちと呼ばれる気取ったようなポーズはしばしば真似されるので、ジョジョを知らない子供も興味を持つようになる。しかし新しいやり方はなかなか思いついたり技術的にできるものではないので、狙ってやるのは難しい。流行を追わずに作者が本当に表現したいことを追求していけば、おのずとアイコニックな個性がでてくるものである。
2025.06.23
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2024年に生まれた子供の数は68万6000人で、特殊合計出生率も過去最低を更新して1.15になったそうで、政府の想定よりも少子化が加速している。そもそも結婚する人を増やさないと子供が増えないのに、子ども家庭庁が子供がいる既婚者の支援ばかりしているのだから子供が増えないのも当然で、成果が出ていない政策を見直さずにそのままのんびり続けているのだから、政府は少子化がたいした問題だとは思っていないのか、あるいは日本の衰退と消滅のために邁進しているのかどっちかだろう。少子化については少子化と反出生主義について考えるという記事やロバート・マルサス『初版 人口の原理』という記事で考えたので、別の視点から考えることにする。20世紀は恋に対してロマンティックな幻想があって、それが結婚への憧れになっていたと思う。ロマンスがなくなったことが若者が結婚しなくなった一因ではないかと思うので、これについて考えることにした。●ロマンスとは何かロマンスとはもともとは中世ヨーロッパの騎士の恋愛や武勇などの空想的で伝奇的な物語で、現代では激しい恋愛や理想の相手との情事を指すようになった。日本ではロマンスという言葉がなくても恋の情事はあって、江戸時代には結婚できない恋人たちが川に身投げして心中したし、明治時代は高山樗牛が恋愛を礼賛して若者に支持されて、家父長制で親に結婚相手を決められて自由恋愛できなかった若者たちが自由恋愛するようになった。戦後はテレビや雑誌とかのメディアが若者向けのロマンスを取り上げてトレンディドラマを作ったりしたのでロマンスの追求が顕著になって、C-C-Bの『Romanticが止まらない』や広瀬香美の『ロマンスの神様』という曲も流行した。●ロマンスの喪失ロマンスの典型のシンデレラストーリーはたいてい平凡な女性が金持ちの男性に見初められて結婚をゴールにして幸せになりましたとさで終わって、結婚したら幸せになれるという一種の幻想をもたらしていた。それゆえに結婚式は人生の一大イベントして派手な行事をしていた。身分違いの恋をした女性が幸せになる物語はヒット作の定番のパターンで、例えば1988年の映画『星の王子 ニューヨークへ行く』はアフリカの大金持ちの王子がハンバーガー屋の娘と恋をする話で、1990年の映画『プリティー・ウーマン』は実業家と売春婦が出会って惹かれ合う話で、1997年のドラマ『ダーマ&グレッグ』はエリートWASP男とヒッピー女が一目ぼれしていきなり結婚して両家の家族といざこざがおきる物語である。こういう身分違いの恋は単に金持ちの男が美人の女に惚れて貧しい境遇から救ってやるという単純な話ではなくて、男が女に諭されたりして価値観が変わって内面が成長したり救われたりする話でもある。価値観の違いによるいざこざで喧嘩したり仲直りしたりして距離感が変わっていって、親の反対とかの障害を乗り越えて最終的に大団円になる様子がドラマになるわけで、パターンが確立されているのでエンタメとしてはストーリーを作りやすいと言える。しかし最近は現代を舞台にした作品でシンデレラストーリーをあまり見かけなくなった。私は少女漫画やテレビドラマには疎いので私が知らないだけかもしれないけれど、私みたいな疎い人でも名前だけは知ってるというようなヒット作がない。ウーマンリブ運動が起きて女性が自立して自分で稼いで自己実現するものだという価値観になると、高学歴高収入のエリートの似た価値観の男女同士が結婚してパワーカップルになって、独身の女性も収入が低い男性を負け組として蔑むようになって男性に頼らなくなって、価値観が違う身分違いの恋が成立しにくくなる。それに援助交際やパパ活と称した売春も行われるようになって、ポルノサイトも出てきて、面倒くさい恋愛を経なくても性欲を満たせるようになった。身分差がある結婚はキャリア志向でない大多数の女性のサクセスストーリーであると同時に女性を男性より下に位置付ける社会制度への反逆でもあったけれど、女性でも立身出世できるようになると反逆する相手が男社会のガラスの天井とかの別の社会問題に変わって、結婚することがサクセスストーリーにならなくなって結婚に焦点が当たらなくなったのだろう。2000年代は匿名掲示板やSNSが出現して既婚者の愚痴が共有されるようになって、現実から結婚の幻想がなくなるにつれて、フィクションでは『セックス・アンド・ザ・シティ』や『東京タラレバ娘』みたいに独身女性の恋愛の失敗談を描いたり、『よつばと』みたいに恋愛や結婚をすっとばして子育てを描くようになっていく。『クレヨンしんちゃん』はキャラクターが歳をとらない世界で何十年も延々と幼児の子育てをしている。シンデレラストーリーは現実世界を舞台にしなくなって過去をや異世界を舞台にするようになったようで、韓国の時代劇は王朝時代の政争に身分違いの恋の要素を入れて、史実よりもロマンチックなドラマ性を優先したフュージョン時代劇を作って人気になっている。女性向けのフィクションも『薬屋のひとりごと』とかあまり恋愛にがっついていない女子が地位が高いイケメンに気に入られてちやほやされる展開が多い。現実世界にロマンスがまったくないわけではないし、アイドルやVTuberに恋をする人もいるけれど、たいてい恋は成就しない。ホストクラブやコンカフェで大金を貢ぐ人もいるけれど、金で相手の時間を買っているだけで愛を買えるわけではない。あるいはロマンス詐欺で金持ちの外国人と結婚できると思ったら偽の投資アプリに誘導されて金を盗まれたという話ばかりである。女性の上方婚志向はずっと変わらないけれど、男性が低収入化して現実社会にロマンスが少なくなって、そのぶんフィクションの男女格差がある世界での上方婚のロマンスを求めているのかもしれない。●ロマンスと似て非なるものの台頭アイドルオタクや推し活は異性への関心はあるけれど、ロマンスとは性質が違うものである。オタクは相手を自分のものとして所有しようとする。知識やグッズを集めるのもコスプレしてキャラクターになりきるのも所有の形態で、何かすごいものと同化することで、自分もすごいものになろうとする。オタク的な恋愛はフィクションのキャラクター相手には通用しても、人格がある生身の人間には通用しなくて、大金を払ったのにアイドルが自分のものにならないからといって襲撃する人もいる。『転生したらスライムだった件』や『OVERLORD』とかの異世界で国作りする話も世界を自分のものにして自分と同化させようとするオタク的なコンテンツで、支配者には対等の相手がいないので恋愛をしない。愛は存在の投影であるという存在論的な見方でいうと、オタクの愛は一方的に自己を投影するだけで、相手が自分を愛するかどうかを考慮していない。アラブやインドとかの父権主義の社会では男性が女性を所有物として扱うので愛のない結婚も成立するけれど、日本はもう父権主義ではないので女性の意思を無視した結婚はできない。一方で推し活は誰かを応援して頑張っている姿を見ることで感情移入して満足するので、相手が恋愛対象である必要はない。それゆえにアイドルはアーティストとして完成している必要はなくて、育てがいがあるような未熟で世間知らずな若者がプロデュースされている。推し活は子育ての代替のような行為ともいえて、自分より優れた才能や容姿を持った人に対して自分が育てたのだと一種の優越感を持つことができるわけで、これも対等の恋愛とは違っている。あるいはリストカットして生きていることを実感したがる人のように自己犠牲を充足と勘違いして、無理をしてでも誰かを推すことで自分を肯定しようとしているのかもしれない。恋愛なら価値観の違いで拒絶されることはあっても、推し活で相手から拒絶されることはあまりないので、恋愛でないからこそ成立する関係性といえる。オタクや推し活が恋愛ではない趣味の活動と自覚して、それとは別にパートナーを見つけるための行動をしていれば問題ないのだけれど、自覚がない場合は実際に会ったことがないアイドルやVTuberとかに一方的に親しみを感じるパラソーシャル現象が起きて、のめり込んでいくほど実際に会って自分の事を知って理解してくれる他人が少なくなって、恋愛の成就や結婚からは遠ざかって少子化につながる。●AIの出会いへの影響出生率が低い東京都ではAIを使ったマッチングシステムで価値観が合う相手を紹介している。これ自体はそれなりに役に立つのだろうけれど、他の面ではAIは人との出会いを減らす要因になる。例えば昔は男性は女性に愚痴を聞いてもらって慰めてもらうためにクラブやスナックに行っていたけれど、最近は生成AIが話し相手になるようになって、AIに恋をして自殺する人まで現れるようになった。生成AIが出現する以前も二次元キャラクターに恋をして「俺の嫁」扱いするオタクがいたけれど、生成AIの登場によって理想の外見と中身の両方が揃うようになって、現実世界の女性に蔑まれている男性の女性離れを助長してしまう。オタクでない人にも悪影響を及ぼしかねない。大抵の人は中学や高校で最初に付き合った人とそのまま結婚するわけではなくて、いろいろな人との出会いや別れの中で自分と一緒に生きていけそうなパートナーを見つける。ところがみんながAIを相談相手にすると思考や価値観が生成AIの一般的で無難な応答に寄って行って長期的に見て個性がなくなって、AIの絵より不細工でAIの応答より気が利かなくて刺激がなくて魅力が乏しい人だらけになって、自分にとって特別な存在となるロマンスを感じるようなパートナーがいなくなっていく。誰と結婚してもたいして変わらないのであれば、相手がフリーなうちに一生懸命口説く必然性もなくなるので、結婚適齢期に婚活よりも仕事を優先したりして晩婚化や少子化につながりかねない。AIが出現する以前の人たちは人間は不完全な存在だと知っているけれど、これからAIと会話して育つAIネイティブ世代が不機嫌になったりわがままや悪口を言ったり嘘をついたり老いたりする人間の欠点も含めて誰かの存在を肯定してパートナーとして愛せるのかという問題になる。●生存か繁栄か生存は繁栄より優先するのが生物の真理で、いくら天敵がいない生物でも繁殖しまくって餌を狩りつくしたら食べるものがなくなって子孫を残せなくなって絶滅する。それゆえに食欲や性欲とかにブレーキがかかるように生物の脳が進化してきた。知能がないウイルスも宿主を全滅させてしまったら存在できなくなるので、いくら致死率が高いウイルスでも致死率100%ということはなくて、宿主を変えて増殖と変異を繰り返して存在が消えないようにしている。バクテリアは周囲の資源が乏しくなると代謝活動を低下させて増殖しなくなる。人類も生存のために行動している。特定のパートナーを持たずに性欲任せにとっかえひっかえしてやりまくるほうが子供の数自体は増えるけれど、人類は未熟な状態で子供が生まれるので、親がつきっきりで世話をしないと子供が死んでしまうし、子供が早死にするのでは子孫が残しにくくてエネルギー効率が悪い。それゆえに愛情ホルモンとかを分泌させて特定の相手に執着して守ろうとする仕組み(恋)が進化の過程で出来上がったのだろう。そんで3年くらいして乳児がある程度育ってくる頃に愛情が冷めてきて、また別の相手とくっつくようになる。狩猟採集生活をしていたころは周囲で手に入る食べ物の量に合わせて出生数を管理して、人口が増えすぎないように調節してきた。ところが農業をするようになって定住するようになって国家ができると、権力者が繁栄を求めるようになる。人手が多いほど土地を開拓できるので出生数が増えて、勢力を拡大していけばいずれ周辺の国と領土争いが起きて、戦争で土地を奪ったり、奴隷を労働力として使ったりするようになって、1万年の間に世界各地で国家の勃興と滅亡を繰り返してきた。現代はようやく武力による領土拡大や奴隷制度が禁止されたけれど、資本主義では資本家の繁栄のために労働者からの搾取を合法化したので、ある程度発展した国は少子化になる傾向があって、国家や民族の存続が脅かされつつある。これは際限なく利益を求める株主資本主義の問題と言えて、短期的な利益を追求した結果として長期的に見て国は少子化で衰退していくという矛盾した状態になっている。日本ではバブルの頃の若者はロマンスの全盛でモテるためにファッションや車に大金を使っていたのに、バブルが崩壊したら大企業の一時の繁栄のために就職氷河期世代を労働力としてこき使ったので、若者は低賃金で生きるだけで精一杯でロマンスどころでなくなった。自民党は根本的な原因である新自由主義を反省しないどころか推進してきたくせに、選挙前になっていまさら就職氷河期世代の支援を言い出すのは就職氷河期世代を馬鹿にしていると思う。手取りが増えなくて結婚できない根本原因を解決せずにちょこっと給付金を配るのも意味がない。バブル崩壊と不良債権処理だけならたいした問題ではなかったのに、なぜ30年もデフレ不況が続いたのかといえば、そもそも間違った財政破綻論に基づいた消費税の導入と単年度のPB黒字化を目指した緊縮財政が元凶である。石破が日本の財政はギリシャより悪いと発言したように、自民党の幹部議員はデフレが長引いた原因も実質賃金が増えない原因も少子化が深刻化している原因も何も理解していない。減税の財源を求めること自体が「減税」の意味を理解していなくてナンセンスで、減税したら信用がなくなると言うのは馬鹿かあるいは嘘をついて国民を騙そうとする悪人である。石破が言う地方創生も口先だけで具体的な政策が何もなくて、首都機能移転や地方への投資や開発をするわけでもないので地方は今までどおり若者が都会に出稼ぎに行って少子化が進んで行くだろう。馬鹿の頭を良くすることはできないし、政治的利権にまみれた悪人を善人に変えることはできないので、政策を変えたかったら選挙で与党の現職以外の候補者に投票して馬鹿と悪人を落選させるしかない。次の参院選でも自民党と公明党の議員が減らないなら更なる増税で少子化が加速するので、少子化を大きな問題だと思う人は自民党と公明党以外の候補者に投票すると良いよ。
2025.06.10
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私はあまり音楽の勉強はしていなかったのだけれど、エデュアルト・ハンスリックという19世紀末の音楽批評家がワグナーやリストのオペラとかの歌がついているロマン主義の標題音楽を否定して、器楽曲が純粋な音楽である主張して形式主義(フォルマリズム)を展開して、「音楽は鳴り響きつつ流動する形式である」と定義したというのを小耳にはさんだので、形式について考えることにした。●形式とは何か形式とは物事が存在するときに表に現れている形や、物事を行うときの一定のやり方を意味する。生物は遺伝子という設計図によって形が作られていて、植物の葉や花の形は一定の法則で成長して一定の形になるし、自由意思がない昆虫は光や温度とかの周囲の環境に反応して一定のやり方で行動する。自由意思がある人間が作る様々なものも形式があって、ハンマーやハサミとかの道具は何かの目的があって作られるので目的を達成するのに適した形式になる。工業製品はモデルごとに設計図が違っていて形が違う。家にも〇〇造りとかの形式があって、屋根の形式だけでも切妻屋根や片流れ屋根や方形屋根とかいろいろある。役所の手続きや裁判とかは法律で形式が定められて一定のやり方で行われる。スポーツやゲームはルールが形式になっていて、プレイヤーの裁量がある部分で身体能力や技術力や判断力を競って勝ち負けを決めていて、裁量部分が少なくて運の要素が大きいのはスポーツでなくギャンブルになる。食事の食べ方にはコース、アラカルト、ブッフェ、おまかせ、立ち食いとかの形式があるし、料理にも揚げ、焼き、蒸し、煮込み、鍋、生、ジュース、発酵、漬け、ムース、冷凍とかの調理方法の形式がある。良い形式は共通のマナーとされて、形式を外れると行儀が悪いと批判される。こうした様々なものの形式の違いが総合的な文化の違いになって、国ごとにいろいろな形式がある。●芸術の形式音楽、絵画、文学は相互に影響を与え合っていて、どこかでなんとか主義が出てくると他の分野も変化していくけれど、形式の考察に関しては音楽が先に発展したようである。西洋音楽にはソナタや舞曲や行進曲とかの目的に合わせた構成の形式があって、長調や短調や旋律や終止形とかのパターンがあった。それからジャズでアドリブでコードを展開するようになった。シンセサイザーやミキサーやサンプラーとかの電子楽器が作られたら同じリズムパターンを繰り返すハウスやテクノが作られた。リズムパターンに即興のラップを載せる形式のヒップホップが出てきて、高い楽器を買って長時間の練習をやらなくても済むようになったことで貧困層でも音楽を表現できるようになってラッパーが増えて、ポップミュージックにもラップの形式が取り入れられるようになった。EDMではビルドアップして盛り上げてからドロップするという形式をとっていて、ハウスよりもメリハリがあってドラマチックな展開がわかりやすいので人気になった。西洋絵画は宗教画を中心に発展してきたものの、カトリックが腐敗して人文主義やルネサンスが起きて徐々にキリスト教の影響力が衰えて風景画が描かれるようになって、近代になってリアリズムを否定する抽象画が出てきて絵が色や形に還元されていって、ダリがシュルレアリスムで物の形をぐにゃっと崩したり、ピカソがキュビズムで多面的な人を描いたり、マティスがフォービズムで描写を簡略化して人を抽象化した色と形で描いたりして、絵を構成するモチーフの形が変化していった。美術は二次元から三次元に発展して芸術作品が単に部屋を飾る装飾品でなくなって作家性が強くなって、インスタレーションで観客と相互作用する形で作品を展示したり、芸術家自身がライブペインティングで制作の様子を見せるパフォーマンスをしたりして、絵画とは違う形式で表現するようになった。漫画やアニメは初期はリアル寄りの劇画調だったのが、表情がわかりやすくてかわいく見えるように目が大きくて鼻が小さくデフォルメされた人間が標準的な表現形式になった。建築ではヨーロッパではレンガが中心で窓が小さい形式だったけれど、建材に鉄筋コンクリートが使われるようになってデザインの自由度が増したらドイツで建築の機能性に美術的な要素を取り入れたバウハウスが出てきて、壁がなくて窓が広くて開放感があるようなシンプルでモダンな感じの形の建物ができた。映画は初期の無声映画(活動写真)の時は活動弁士が映画の内容を説明する形式をとっていたけれど、音声がつくようになったら活動弁士が不要になって、CG合成ができるようになったらアクション映画で実際にセットを爆発させたり危険なスタントをさせたりする必要がなくなったりして、撮影機材や撮影技術の進歩とともに表現形式も変わっている。演劇だとスーパー歌舞伎が3S(スピード、スペクタクル、ストーリー)を重視して伝統的な歌舞伎よりも派手なストーリーや演出の形式をとってエンタメ性を強めて差別化している。●文学の形式文学では詩には形式があったけれど、その形式の良し悪しとかの美学の考察には発展していない。20世紀にシュルレアリスムのアンドレ・ブルトンが自動筆記とかの手法を試したけれど、意味が分からない言葉の羅列では読者は感動しようがないので、文学は標題的にならざるを得ないということで音楽や絵画とは違う道をたどる。そんで波乱万丈のロマン主義小説や格調高い古典の否定として出てきたのが自然主義小説で、人間を誇張したり美化したりせずに書くのが純粋な文学だということで自然主義小説が日本の純文学の主流になった。明治時代の初期の自然主義小説はまだドキュメンタリーみたいに当時の人の生き方や考え方を後世に残す意義があったし、言文一致したばかりの口語体での文章を普及させたという意義もあったけれど、大正時代の自然主義小説は現代でいうインフルエンサーみたいなことをやりだしてカフェやバーで遊びまわってネタ作りしてその様子を描くようになって、思想の深化や技術の洗練や独自性もなんもないので次第に自然主義小説は廃れていった。そんでポストモダン小説でSFやファンタジーっぽい変なことをやったりして迷走して、今では何が「純」なのかという本質が忘れ去られて純文学雑誌に掲載されたら純文学だという大雑把なくくりで芸術性が乏しいエンタメみたいなリアリティがないものも純文学扱いされる有様になってしまって純文学は表現形式の特徴を失って劣化してしまった。別にリアリズムだけが文学の評価基準というわけではないのでリアリティがないこと自体が悪いわけでもないけれど、シュールリアリズムやマジックリアリズムやアンチネオレアリスモとかのリアリズムに代替する形式がないままリアルでない小説を書くのでは単に下手なだけに見えるし、リアリズムの手法や面白さは確立されているのだから代替する形式がないなら素直にリアリズムで小説を書けばいいじゃんと思う。どういう表現形式をとるにせよ、作者が人間の実存を観察する姿勢が根底にないのでは読者も共感して感動できないのでたいして価値がある作品にならないし、美大生が遠近法や明暗法で物の形を正確にデッサンできるようになってから独自の表現を追求するように、実存を観察するにはまずリアリズムを基礎にするのがよい。文芸批評ではロシア・フォルマリズムや構造主義とかの文学理論が出てきたけれど、小説を細切れに分析して解体したところで人を感動させる小説を書けるようにはならないよということであまり創作手法には反映されていない。だからといってフォルマリズムに意味がないというわけではなくて、音楽一家出身のミラン・クンデラが小説に音楽的構成を取り入れて構成の美しさを目指したように、形式が創作の要点になりうる。文学理論は創作理論というよりたいてい批評理論で、直接創作に役に立つわけではないけれど、それでも理論を知らないよりは知っておく方がよい。停滞している純文学を再興するには、かつて音楽や絵画と相互に影響し合ったように、他の分野の形式に目を向けるやり方もあると思う。例えば協奏曲のカデンツァでソリストが即興で演奏するように小説で主人公が長めの自己主張をする場面を入れるとか、ミニマルミュージックで音のパターン反復するように同じフレーズや描写を何度も繰り返して強調するとかの構成の工夫もありうる。音楽のマッシュアップみたいに小説Aの登場人物と小説Bの舞台を組み合わせたセルフパロディーをしたらネタ切れしにくそうである。ビジュアル系純文学として美男美女のグループを主人公にして純文学的なテーマを書くようなやり方も外連味があって面白いかもしれない。スーパー歌舞伎に倣ってスーパー純文学として派手な比喩をわんさか使ってズンドコと畳みかけるように物語を展開したら従来の地味で暗くてもっさりした純文学と差別化できて面白いかもしれない。ライブ創作として掌編小説を書く様子を動画で撮影して公開するような美術的なプロモーション手法もできるだろうし、印象的なセリフを抜き出して詩的な動画にする音楽のMV的なプロモーション手法もできるだろう。文学作品の品質管理に製造業の品質コストの評価形式を取り入れて、出版社側が出版したら後は知らねという態度を取らずに、内部失敗コストとして出版前にフィードバックして一定の水準になるまで書き直させるとか、出版後に作者が聞きたくないような読者の不満や厳しい批評も外部失敗コストとして作者にフィードバックするとかして、出版ビジネス自体の改善をしたら作品の品質も上がるだろう。小説を書くときにカスケード制御のフィードバックループの形式を取り入れて、主人公(マスター)が破天荒な行動をしても脇役(スレーブ)が修正してストーリーの破綻を防ぐようなやり方もできるかもしれないし、そしたらロマン主義的な波乱万丈な展開を昔の作家よりもうまく書けるようになってシン・ロマン主義的な形式ができるかもしれない。というわけで、世界には様々な形式があるし、どの分野もいろいろ工夫の余地はあると思うので、様々な形式を観察していろいろな形式を試してみるとよいと思う。
2025.05.24
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最近は中国人観光客が日本で桜の枝によじ登って枝を揺らして折ったり、写真を撮るために枝を折ったりしているようである。というわけで花について考えることにした。●花とは何か花とは種子植物の生殖器官で、たいていおしべとめしべがあって、受粉すると実がなって種ができる仕組みになっている。花が咲くには温度とかの条件があって、春に咲く花は多いけれど冬に咲く花は少ない。花を咲かせるのには栄養がいるけれど、まず葉のほうに栄養が行くのでつぼみができてからすぐ花が咲くわけではなくてタイムラグがある。そんでたいていの植物は耐寒性がなくて冬に枯れたり、葉が落ちたり、日照が少なくなって光合成が減って冬眠モードに入って水やりがいらなくなったりするし、たいていの昆虫も越冬できなくて死んだり、冬は卵や幼虫の状態で越冬していたり、ミツバチは気温が下がると巣ごもりして受粉を手伝わなくなったりするので、冬は花が咲くのには向いていない。そんで冬が終わって温かくなってくると植物が活動モードになってつぼみに栄養が行って花が咲いて昆虫が花粉を集めたりして受粉して、花が散ったら新芽が出てきてまた葉のほうに栄養が行って、葉が大きくなって光合成して実に栄養が行って種ができて分布を広げるというサイクルになっているようである。サガリバナや月下美人のように夜に花が咲いて蛾やコウモリとかの夜行性の動物に受粉させて朝には花がしぼむ植物もある。バラとかの観賞用の花は咲き終わった花をそのままにしておくと綺麗に咲かなくなるので、剪定して花に十分な栄養がいくようにする必要があって、手間をかけて育てられている。●桜の枝を折ってはいけない梅と桜は似たような花が咲くけれど、梅は2月頃に咲くのに対して桜は3-4月頃の卒業式や入学式の節目に咲くので、桜のほうが日本を代表する花として人気があって、桜をテーマにした歌も多い。公園や街路樹の桜は自然に生えたものではなくて植樹されていて、病気や害虫に弱くても人が手入れしてきたからこそきれいな花を咲かせるわけで、いわば病弱だけど皆に応援されて頑張っている花界の清純派アイドルのようなものである。「徒然草」に「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の公衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ」とあるように、桜の花が散る様子をもののあわれとしてとらえるのが日本ならではの鑑賞の仕方である。野生の猿でさえむやみに桜の枝を折ったりしないのに、猿より知能があるはずの中国人が意図的に美しいものを壊して喜んでいるのだから、よけいに無教養な無粋さが際立つ。桜の花を派手に散らそうとして枝を揺さぶって折ったり花見で酔って騒いでごみを散らかしたりする人たちはそもそも美を理解していないので花見をしても時間の無駄である。そもそも中国人は同胞の中国人でさえ人間扱いしていなくて臓器移植のために児童を誘拐したり有害な偽食品を販売したりしている有様だから、桜を傷つけるなと注意したところで理解できないだろう。しかし華道で花を切ったり花束を作ったりする行為自体は日本人もやる。生け花で花を切るのはよくて中国人観光客が桜の枝を折るのはなぜだめなのか、どちらも植物を傷つけているのにどこに違いがあるのかと考えると、根底に植物の美しさへのリスペクトがあるかどうかが大きな違いといえる。華道は自然のままでも美しい花をより美しく見せるために配置を考えて飾り付けるけれど、中国人観光客は自分を飾るために美しい桜を利用する。共産主義の中国人は植物をただの物体として扱って自然への畏敬の念がないので、「花を愛でる」という感覚を持つ日本人からしたら花を雑に扱うことにイラっとするのだろう。●花と文化花は色も形も様々で、自然の中では色鮮やかなので、昔から人目を引いて栽培されて利用されてきた。花の鑑賞としてはガーデニングとして四季折々の花を楽しんだり、花畑を観光地にしたり、生け花とかで花を花瓶に入れて部屋に飾って観賞したりする。植物の派手な生殖器を鑑賞したり匂いを嗅いだりするのはとらえようによっては変な文化で、ポリコレが極まった未来の世界では植物虐待の変態行為として禁止されるのかもしれない。農業だとマリーゴールドとかの虫よけの効果がある植物がコンパニオンプランツとして畑に植えらている。紅花のような色の濃い花は染料として使えたので産業用としても利用されてきた。花柄は華やかな文様として家紋や衣類や壁紙や包み紙などにも取り入れられて、特に女性向けの衣類や小物ではよく使われている。ドレスのフリルも花びらを模したものだろうし、アクセサリーとしてコサージュやブートニアのような花飾りをつけたりもする。女子はシロツメクサとかで花冠を作ったりする。花粉症でマスクをする人が多いのも文化といえるかもしれない。花の匂いにはリラックス効果もあるので、ローズティーのように花を乾燥させてお茶にして飲んだり、花を蒸留して香油や香水や化粧水として使ったりもする。食用としては日本では黄色や紫の食用菊を刺身に添えたり小鉢に入れたりして彩を加えている。ブロッコリーも花のつぼみが食用になっている。エディブルフラワーは高級レストランの創作料理とかで使われたりしているようである。一般的に花を食べるよりも葉っぱを食べる方が収穫量が多くて農業の効率がよいので、視覚的な効果を気にしない人ならわざわざ花を食べるものでもない。人参の飾り切りやアイスで花を模したりするように、食材として花を使うよりも花の形だけを真似るほうが一般的である。花は贈り物としてもよく使われて、表彰式や送別会とかのセレモニーで花束を渡したり、母の日にカーネーションを贈ったり、店の開店祝いに花を贈ったりする。ハワイでは歓迎や祝福の時にレイという花の首飾りを贈る。演劇の舞台で客席を突っ切るような作りになっている通路を花道というけれど、そこで役者に祝儀の花束を渡したのが名前の由来だそうな。菊や牡丹や百合や蘭や薔薇は豪奢な花を咲かせるので贈答用だけでなくガーデニング用にも人気がある。故人を飾るのにも花が使われて、葬式を花で飾ったり棺桶に花を入れたり墓に花を添えたりする。神棚には榊以外の植物を飾らないのに墓には花を飾るのは何なのかと考えると、花の色で悲しみを紛らわせたり花の匂いで死臭をまぎらせたりする意図もあるのかもしれない。蓮は仏教を象徴する花になっていて、しばしば仏像は蓮の花の上に座っている形になっている。ブッダの誕生日の4月8日の灌仏会は「花まつり」とも呼ばれていて、ルンビニーの花園で生まれたこととか桜の季節だからとか由来には諸説あるそうな。女性の人名にも花の名前が使われることがあって、桜、梅、菊、百合、菫、葵、蘭とかの2-3文字の花が名前に使いやすいようである。茄子や葱や里芋とかの野菜も花を咲かせるけれど、野菜は花よりも葉や実とかの食べる部分の印象が強いせいか人名にはなりにくいようである。花は花びらの数や形が数学的に均整がとれていて、フィボナッチ数列やバラ曲線とかの数学的なテーマにもなる。小学校では夏休みに朝顔や鳳仙花を栽培させて観察する宿題が出たりするし、校庭にチューリップやヒマワリとかの子供が好きそうな植物が植えられていたりするし、押し花を作ったりするので、子供のころから花と親しむ環境がある。●花とビジネス日本は南北に長くて雨量が多いので、いろいろな気候条件で多品種の花を育てることができるのがビジネスとしての強みになっていて、令和3年の国内消費は1.1兆円(個人消費8813億円、業務用2491億円)で、令和4年の花き輸出額は91億円で植木や盆栽の74億円よりも多い。切り花は鑑賞期限が短いし、一年草は一年で枯れてしまうので、定期的に花を買うリピーターが多いのだろう。花き市場では輸出体制が整っていて、アジアへは3-5日、アメリカやヨーロッパへは5-7日で輸出できるようで、リーファーコンテナとかで花を冷やして品質保持をして輸出しているようである。日本固有の花が人気というわけでもなさそうで、ダリアとかの豪奢な外国の花を高品質で栽培できるので外国に需要があるようである。花屋は華やかなイメージと違って重い鉢を移動させたりする重労働が多くて手荒れもして、八百屋と違って鉢に水やりとかをしてこまめに商品の管理もしないといけなくて大変である。しかし冠婚葬祭での個人消費の需要があるし卒業式・入学式シーズンの花束需要やお盆用の仏花需要とかの繁盛期が毎年あるのでビジネスとしては安定しているようで、街角の小さい花屋が長く営業を続けていたりする。植物園や花畑を観光地にするのもビジネスといえるけれど、数百円の入園料を取ったところでたかがしれているし、無料の集客の手段にして他の商品やサービスで収益を上げるようなやり方のほうがよさそうである。花畑でのセルフィーで満足できない層に向けてプロのカメラマンが映える記念写真を撮るとか、花畑の借景がきれいなカフェを作るとか、何かしら花を有効活用したビジネスができそうな気がする。他に何か花をビジネスにできないかと考えてみると、最近はアイドルがメンバーカラーというのを設定してグループ内で特徴を差別化しているけれど、メンバーカラーの代わりにメンバーフラワーという花のイメージを決めれば物販で推しメンの花を売るビジネスができると思うので、採用するアイドルがいたら私にアイデア料を払うと良いよ。あとホストクラブが酒の代わりに花束を注文するシステムになって花束を抱えてフゥワフゥワするようになればもっと健全になって王子様っぽくなるかもしれない。採用するホストクラブがあったら私にアイデア料を払うと良いよ。●花と芸術華道やフローリストの表現手段として花が使われて、花の飾り方で芸術性の違いが出る。ニコライ・バーグマンが箱に花をぎっしり詰めた『フラワーボックス』は、花束が一般的だったフラワーギフト界に新しいフラワーギフトの形を提示して人気になったようである。花は詩のモチーフになりやすくて、花の名前は和歌の季語になっている。小説だと美しい人物の比喩としてしばしば花が使われるし、花が咲いたり散ったりする様子を人生の比喩として象徴主義的に使うこともあるし、「花を売る」が売春の比喩になったりもする。花言葉はあまり実用的な意味はないけれど、フィクションなら象徴や暗示として使える。絵画だとゴッホの『ひまわり』やモネの『睡蓮』のように絵の主題になることもある。少女漫画で登場人物の背景をゴージャスな感じにする演出にも花が使われるけれど、恋愛がテーマの場合は植物の生殖器で飾り立てて性的な雰囲気をむんむんさせるのは正しい演出の仕方と言えるのかもしれない。植物の派手な生殖器を装飾的演出に使うのが許容されるのなら、マンドリルの派手な尻を装飾的に使うのもよいような気がする。音楽では『チューリップ』のように童謡としてなじみがある。クラシックだとゲーテの詩にシューベルトが曲をつけた『野ばら』やリヒナーの『勿忘草』とかがある。ラトビアの民謡を基にした『百万本のバラ』も有名である。日本のポップスだと桜がテーマになりやすくて、森山直太朗の『さくら』みたいなしんみりした感じの卒業ソングも多いし、『千本桜』みたいなかっこいい感じの曲もある。せっかくいろいろな種類の花があるのだから、桜ばかりテーマにしないでもっといろいろな曲を作ればいいのにと思う。「百万本のショクダイオオコンニャクの花をーあなたにあなたにあなたにあーげーるー」とかだったらすごい嫌な歌になって面白そうである。アニメだと花が擬人化されて、花のところに顔がついて喋ったりする。しかし木の場合は幹に顔がついていることが多い。たぶん花の茎は細すぎて顔を書き込めないという技術的な理由なんだろうと思う。●花と私私の父は植木が好きで庭にいろいろな木や盆栽があるので、私は男子のわりには花に親しんできた。特に実家のアベリアの生垣が好きで、くまばちがぶんぶんと蜜を集めているのをよく見かけた。私は藤の花も好きで、上杉神社の藤みたいに和風の建物のそばに紫の藤の花があると風情があってよい。藤の花があるところに行くとくまばちがぶんぶんと蜜を集めているのをよく見かけた。私とくまばちは好みが合うようなので、私はくまばちも好きである。もしミニロトが当たったら田舎の中古の家を買ってアベリアと藤を植えてくまばちの楽園を作ろうと思う。
2025.05.09
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最近は高校授業料の無償化について石垣市議会が外国人学校も対象とする制度の見直しを要望して政府に意見書を提出したそうな。教育は国の維持や発展にかかわる重大な問題なので、これについて考えることにした。●無償化とは何か無料と支出について考えるという記事でも考えたけれど、無償化と言っても実質的に無料になるわけではない。教師の給料を払わずに強制労働させることはできないので、生徒(の親)が払っていた授業料を国民全員が負担することになる。無償化というより公費化と呼ぶ方が実態に合っている。高校の授業料の無償化では就学支援金の所得制限がなくなって一律11万8800円が支給されるけれど、その財源はどこからくるかというと、財政均衡主義で税を財源ととらえれば住民税の増加とかで直接負担することになるし、国債を財源ととらえればインフレ率の増加とかで間接的に負担することになる。これから子育てをする人の負担は減ることになるけれど、子供がいない人や既に子育てを終えた人に対して他人の子供の教育費を負担させることが正当化されうるのかが問題になる。図書館や公園は公費で整備して国民全員が費用を負担しているけれど子供から老人まで誰でも無条件で使えて費用の負担者と受益者が一致しているので公費で無償にすることを正当化できるけれど、義務教育以降の教育は誰でも受けられるわけではなくて無償化の費用負担者と受益者が一致しない。公立高校や国公立大学の費用は公費で賄っていて、高等教育の質を保つために教師を公務員として雇って公費で校舎を整備するのはわかるけれど、生徒の授業料は教育の質とは関係ないのに公費で負担するのはどうなのという話になる。それに無償化することでサービスの質が悪くなることもあるので、無償だから得するとも限らない。小学校の給食費の無償化は2026年度に実現して中学校へも拡充する予定だけれど、無償化の弊害がわかりやすく出ていて、弁当持参なら親が子供の体格や嗜好に合わせて量や味を調節できるけれど、給食費を無償化して公費で負担するようになったら議会で年間の予算が決まっているので材料費や光熱費が値上がりしても予算を増やせなくて、契約している給食業者は予算内に収めるために給食の量を減らしたり食材の質を下げたりして対応するしかなくなって、給食の量が少なすぎて食育云々以前に栄養がちゃんととれていないという本末転倒な状況になって、倒産する給食業者も出ていて児童も給食業者も不幸になっている。授業料の無償化で私立に進学しやすくなると、お洒落な制服があったり設備が整っていたりする私立のほうが人気になって公立が定員割れして公教育が非効率になるかもしれないし、その一方で営利目的の私立への入学を公金で補助するのは公金の使い方としてはおかしい。●高校の無償化の是非私は高校の無償化には反対である。公費として支出する以上は納得できる公平性が必要だけれど、義務教育の中学校までならまだしも高校への進学は義務ではないし、貧乏で結婚できなくて子供がいない人や既に子育てを終えた人が他人の子供の教育費を強制的に負担させられる筋合いはない。私は外国人や外国人学校を無償化の対象にするのにも反対である。授業料を無償化するにしても生徒がいずれ日本の発展に寄与するものとして日本人全員が費用を負担するのだから、日本に一時的に滞在しているだけでいずれ母国に帰る予定の外国人の教育費用を日本人が負担する筋合いはない。例えばインターナショナルスクールに通う外国人の授業料を無償化したら、インフレや通貨高で生活費が高い国から生活費が安い日本にやってきて卒業したらすぐ母国に帰るみたいな日本の発展に寄与しないフリーライドができてしまう。あるいは日本を仮想敵国として反日教育をしている国が運営するフリースクールの外国人生徒に対して日本人が教育費を出してやるのはナンセンスである。維新の会を中心にして高校の無償化をやりたがっているけれど、国を良くするための政策というより、無償だから得すると思って短絡的に賛成するような層から支持を得るための選挙目的の政策なんじゃないかと思う。●大学の無償化の是非本来は大学は学生を集めるために良い講師を集めてカリキュラムや設備を充実させる必要があるけれど、大学の授業料が無償化されると教育の質が悪くてもとにかく学生の数さえ集めてしまえば入学金で儲けることができるようになってしまう。例えば今後少子化で大学が定員割れするようになると、大量に外国人留学生を入学させて授業料を貰ったあとで学生が授業にでないまま退学しようが失踪しようが知ったこっちゃないというモラルハザードにつながる可能性がある。2001年には酒田短期大学が学生を集めるために定員以上の中国人留学生を入学させて留学生が不法就労していたのが発覚してその後に廃校したけれど、無償化したら同様のことが起きうるし、出稼ぎ目的の外国人が滞在資格を得るための踏み台にされかねない。あるいは生徒が学割目当てに無償でFラン大学に入学して授業に出ないで学割でお特に買い物するやり方の制度のハックもありうる。学生は大学に安くないお金を払うからこそ在籍中にちゃんと勉強しようというモチベーションになるし、卒業後の進路でどれだけリターンを得られるかという将来をちゃんと考えるようになる。単位が足りなくて1年留年したら学費が何十万も余計にかかるとなったら、損しないようにまじめに授業に出るようになる。もし留年しても無料で最長8年在籍できるとなったら単位を落とせないという緊張感がなくなって、勉強もおろそかになりかねない。それにMOOCや公開市民講座が既にあってある程度の無料の講義を受けられるし、知識を得るだけなら図書館で本を読んで学べるのだから、公金を使って大学を無償化する必然性はないと思うので、私は大学の無償化には反対である。全員の学費を無償化するのでなく、給付型奨学金の拡充とかで優秀な人の経済的負担を減らすのがよいだろう。あるいは自衛官か予備自衛官や警察官になることを条件にして防衛大学や国立大学を無償化するとかのほうが政策として効果的だと思う。●大学院の無償化の是非私は高度人材を育成するなら大学院こそ無償化するべきだと思う。大学の授業料を無償化してあまり頭が良くない大勢の人が定員割れして入学しやすくなった大学に行くようになっても研究者として頭角を現してイノベーションを起こしたりするわけではないので公金の使い方としては投資効率が悪いし、それよりは大学で好成績を収めて大学院に行く少数の優秀な人を集中して支援する方が投資効率が良いだろう。「「欧米の大学院で給料をもらっていない理系の学生は一人もいない」。日本で博士学生が減るのが当然な理由」という記事によると、アメリカやヨーロッパの大学院だと修士課程に入ると修士でも博士でも国から給料をもらえる場合が多いそうな。日本だとアルバイトして学費を払って無給で教授の研究の下働きをさせられていて、その後のポスドクの雇用も不安定で、金銭面がボトルネックになって研究に専念できない環境になっている。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授の研究チームの雇用でさえ不安定なのは問題で、優秀な教授だけいればいいというわけではなくて優秀な助手も含めて研究をサポートしないと、新しい発見や発明をしたところで後発の外国が大金をつぎ込んで人材を引き抜かれたら追い抜かれてしまいかねないし、それだと日本で頑張って研究したところで先行者メリットがなくなってしまう。基礎研究はすぐに新しい成果や利益につながる成果が出るわけではないので、そういう利益が出にくくて民間がやらない重要な研究こそ国費で支援することが長期的に国力を増やして豊かで幸福な国を作ることにつながると思う。
2025.04.28
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最近はアメリカのトランプ大統領が関税を上げまくって、メキシコとカナダ以外に10%の追加関税をかけたうえに一部の国に上乗せの関税をかけて、世界経済への悪影響が不安視されてダウも日経も大暴落したらトランプが報復をしなかった国への関税は90日停止すると言い出して株価がリバウンド大暴騰したりしているので、関税について考えることにした。●関税とは何か関税とは外国から貨物を輸入する人が納税する義務がある税金である。「関」という漢字が関所や出入口を意味するように、もともとは関所で人や物の出入りを調べて金を払わせていた。鎌倉時代の関所が関銭という通行料を取って寺や神社の建設費用に充てていたそうな。そんで外国と取引をするようになったら、武器や麻薬やテロリストへの援助物資や生態系を乱す動植物とかの輸入してはいけないものもあるし、市場原理に任せて安いものを無制限に輸入したら国内の産業を潰されてしまうので、日本は明治時代に開国したあとにイギリスやアメリカと通商航海条約を締結して関税自主権を回復して輸入貨物や宛先をチェックして関税を取るようになった。貿易の際にどのタイミングで貨物の所有権が輸出者から輸入者に移転するのかはFCAやCIPとかの契約の仕方によって違うけれど、いずれにせよ輸入した人が貨物の所有者なので、輸入した人が関税を払う必要があるわけである。例えばトランプが中国に対して関税率を上げても中国の輸出企業から金をもらえるわけではなくて、アメリカに輸入した企業や消費者がアメリカに対して関税を払うことになる。そうすると商品代金自体は安くても関税がかかるぶん消費者が払う金額は高くなるので、中国製品の価格優位性がなくなって中国製品の売り上げを減らすことができる。中国が台湾を国家として承認する国への嫌がらせで輸入を禁止したように、正当な理由なしに一方的に輸入を禁止すると世界貿易機関(WTO)に提訴されて制裁されることもあるけれど、関税は主権国家として自由に決められるので、好ましくない製品を流通しにくくさせるという点では関税をかけるのは効果的である。関税以外の政策で貿易を制限するものは非関税障壁と呼ばれる。例えば輸入割当制で国ごとの輸入量を規制したり、輸出に補助金を出して有利にしようとしたり、政府調達で安全保障上国産の製品やサービスしか使わないとかが非関税障壁になる。日本の消費税は名目上は社会保障費のために導入されたけれど実質的には輸出企業に輸出還付税をあげて輸出を促進するための税なので、トランプは非関税障壁とみなしているようである。●関税を上げることの問題・輸入した原料や部品のコストが増えるスマホとか服とかのそれ以上加工しない最終製品に関税をかける場合は国内産業の保護ができるけれど、原料や部品にまで関税をかける場合は国内の産業にも問題が起きる。例えば中国産の原料や部品の輸入に高い関税をかけると、アメリカ国内に工場があっても関税の分だけ原材料費が高くなって、コストがかかるぶんだけ商品価格も上がって輸出する際に不利になるし、国内で売るにしても値上がりしたら売上減少につながる。部品工場とかの大手企業の下請けが関税で原材料費が上がった分を価格転嫁できなければ国内の製造業の保護になるどころかかえって負担になって弱体化させることになりかねない。スウェーデンのボルボのアメリカ法人は製造コスト上昇と需要減を見越してトラックや部品を製造している工場の550-800人をリストラするそうな。・報復に関税を上げられるアメリカが中国への関税を34%に上げたことへの報復で中国もアメリカへの関税を34%に上げると言ったら、アメリカはさらに104%に関税を上げて、中国も50%追加して84%まで関税を上げて、アメリカはさら145%に上げて、中国も125%に上げるそうな。どこかの国からの輸入に対して関税を上げて国内産業の優位を得ようとしても、報復に関税を上げられるとその国への輸出が不利になるので、高い関税で国内産業を保護して輸出で自国だけ儲けようと思ってもうまくいかない。アメリカが1930年に世界恐慌への対策として国内産業を保護するためにスムート・ホーリー関税法で関税を上げたときには報復関税で輸出が半分以下に落ち込んで逆に世界恐慌を悪化させることになった。織田信長が関所を撤廃して楽市楽座で税をなくして安土城下に商人を集めて農民の税負担も軽くして領内を発展させたように、税が少ないほうが産業は活性化する。アメリカは安全保障にかかわる食料やエネルギーや武器を自給できるのでトランプは強気の姿勢がとれるのだろうし、中国との取引がなくなっても構わないのだろう。日本だとそもそも食料やエネルギーが自給出来ないので材料を全部国内で調達できる産業はほとんどなくて、自給自足のイメージがある農業でさえ種や肥料や農薬を輸入しているし、飲食店は外国産の安い食材を使っているし、さらに外国産の安い食品の輸入コストも上がったら食料品価格が全体的に値上がりして家計を圧迫することになる。日本だと貿易協定とかで関税を安くすることはあっても関税を上げるデメリットが大きいので報復関税はやらないだろう。・輸出入のリスクが増える輸出入の手続きは複雑である。原材料ごとに細かく税率が決まっているし、国によっても税率が違うし、リスト規制やキャッチオール規制とかで輸出入が禁止されているものもあって輸出入の申告書を税関に提出して許可を貰う必要があって、取引相手国の法律や税率を調べてから商談をしないといけない。取引先の外国企業の与信調査もしないといけないし、売買契約をして輸入代金を払うにしてもいきなり海外送金できないので銀行と相談してコルレス銀行経由で売り手の銀行口座に振り込む必要があるし、契約時から振込時までに為替が大きく変動したら為替差損のリスクもある。コンテナの荷揚げ・荷下ろしや船や飛行機での配送の手配や貨物への保険の手配もしないといけなくて、膨大な手間がかかっている。大手メーカーなら自社に輸出入や法務の部署があるけれど、中小企業が自社で輸出入の手続きをするのは手間がかかりすぎたり取引している銀行が海外送金に対応していなかったりするので、メーカーと買い手の商談を仲介する商社や通関手続きの代行をする通関業者がある。突然コロコロ関税を変えられたら売値や利益率も変わるので商談のやり直しになったり、書類を作り直したり、取引が中止されたりするし、そうなると輸出入を仲介している商社はキャッシュコンバージョンサイクルが長くなって資金繰りのリスクが増える。・密輸が増える関税を高くするほど合法的に輸入する企業が競争で不利になって、違法に密輸して関税を払わない企業が有利になるので、反社会的勢力が資金源を得やすくなって勢力を拡大してしまう。日本は島国のおかげで空港か港を経由しないと輸入できないので密輸しにくいけれど、アメリカは不法移民を介して麻薬を密輸できるし、さらに密輸の手段としてテクノロジーを駆使されてドローンや暗号資産を使われたら取り締まれないんじゃなかろうか。すでにクリップスやブラッズやフロレンシア13とかのストリートギャングが麻薬の売買をしていてフロリダ州でハリケーンの後に海岸に大量のコカインが漂着しているし、さらに移民のギャングもいてベネズエラのギャングのトレン・デ・アラグアが勢力を拡大していて、トランプが238人をCECOT(セコット)というエルサルバドルのテロリスト監禁センターに移送したけれどそれが全員ではないだろうし、すでに推定70万人のベネズエラ移民が不法入国したようなので不法移民の中にギャングも大勢いるだろう。アメリカは不法入国も麻薬も人身売買も取り締まりきれてなくて犯罪だらけなのに密輸を防げるとは思えないし、いくら関税を高くしたところで密輸を防げないのでは意味がないので、関税よりも不法移民やギャングの対策が先である。・産地を変更して関税を安くできてしまうイタリア産のトマトの缶詰として売られているものはたいてい原材料のトマトが中国産で、イタリアの工場で加工して輸出しているけれど、どの国で缶詰にしようが味が変わるわけではないので実質は中国産である。イタリア産の服も中国人移民がトスカーナ州プラートに縫製工場を買収して中国の安い生地を縫製工場に送って中国人移民が縫製しているので実質的に中国産のものがある。実質的に同じ商品でも国によって関税が違うので、外国で加工したほうが関税が安くなったりブランドイメージが良くなったりして競争力があると企業が判断したら直接輸出せずに迂回した輸出ができてしまう。普通の企業は工場の従業員は現地で雇うけれど、中国企業は中国人移民を連れてくるので雇用に寄与しない問題もある。・産業の保護の仕方によっては競争力がなくなる安全保障に関わるものは保護する必要があるだろうけれど、嗜好品は市場原理に任せる方がよい商品が出てくる。例えば日本では牛肉の輸入自由化のときに平凡な零細畜産業者は潰れただろうけれど、その代わりに和牛ブランドを作って肉質等級を決めて高級化した畜産業者は世界的なブランドとして競争力を持った。・消費者の選択肢が減る国産を買えばGDPが増えるから国産を買うべきだと言う政治家の理屈はわかるけれど、消費者にとってはどこが原産国だろうが欲しい商品が手に入るほうがよい。富裕層は関税を気にせずにヨーロッパの高級ブランドとかの欲しいものを買うし、中産階級は国産の粗悪品よりも輸入の高性能な商品のほうがQOLが上がるので外国人は故障しにくくて燃費がよいトヨタ車を買うし、貧困層は発展途上国の服や食品や家電が値上がりすると家計が苦しくなるので貧困層が一番不利益を被る。アメリカに工場ができて貧困層が雇用されて所得が上がれば不利益はなくなるけれど、工場ができるまでに時間がかかるし、新しい工場ほどオートメーション化して人手がいらなくなるので工場で雇われるとも限らない。●トランプの関税政策はうまくいかないと思うトランプの言い分を端的に言うと、貿易赤字は悪だ、アメリカで商売したかったらアメリカに直接投資しろ、アメリカに工場と雇用を作れ、アメリカ人はアメリカ産の製品を買え、外国人はアメリカ産の製品を輸入しろ、外国を金づるにしてアメリカの製造業が復活するぞ、またアメリカが偉大な国になるぞ、笑いが止まらんわはははははは、ということなのだろうけれど、そううまくいかないだろう。既にトヨタやホンダがアメリカの工場で生産していて雇用を生んでいるにもかかわらずアメリカ人が日本車を買っていることに文句を言っているし、日本製鉄がUSスチールを買収(=アメリカへの直接投資)して現地の雇用を維持しようとしているのに「USスチールは日本に渡ってほしくない」と口出しして越権的に潰そうとするし、言動に一貫性がなくて外資が儲けるのが気に入らなくて難癖をつけてくる国に直接投資するのはリスクが大きい。アメリカは巨額訴訟が多いしポリコレ判事の理不尽な判決や人種的偏見に基づいた冤罪も多いので、法務部門が弱い企業がアメリカに進出すると合法的に身ぐるみはがされることになりかねない。外国に工場を作るにしてもどこにでも作れるわけではなくて、水が豊富で、電力が安くて停電が起きにくくて、災害が少なくて、道路や港や空港とかのインフラが整っていてスケジュール通りに部品調達や輸出できて、労働者が科学的教育を受けていて機械を操作できて、労働者が勤勉で時間通りに勤務して工場の稼働率を上げて、人件費が安くて、通貨が安くて、内戦やテロとかの政情不安がなくて、官僚や政治家が賄賂を要求しなくて法律が守られている国が向いている。じゃあアメリカはどうかというと、西部の地下水が50年で枯渇すると予想されていて水不足の懸念があって干ばつが起きてカリフォルニア州では節水が義務化されているし、インフレで原材料費も人件費も高いし、関税がかかるぶん部品調達のコストがかさむし、ドルも高いので輸出には不利だし、大統領が暗殺されそうになったりBLMとかの大規模な暴動が起きたりして政情不安もあるし、アメリカで売る分をアメリカで生産するならまだしも世界に輸出する生産拠点にはしにくい環境である。特にアジア向けに太平洋航路で輸出する場合は東海岸側から輸出するとパナマ運河の通行料がかかるので西海岸側から輸出する方がよいけれど、西海岸側に工場を作ろうにも水不足がネックになりそうである。アメリカのヘッジファンドマネージャーのRay Dalioは「60% of the U.S. population has below a 6th grade reading level. It's tough to be productive(アメリカ人の6割は読解力は小学6年生レベルだから生産力をつけるのはむずい)」と言っていて、現場でのカイゼンが出来なさそうである。Fortuneの「Americans want more U.S. factory jobs─as long as they don't have to work them」という記事だと、もっと多くの人が工場で働いたらアメリカは良くなると考える人が80%いる一方で、自分が工場で働く方がいいと考える人は25%しかいなくて別に工場労働者になりたがっているわけでもなさそうで、アメリカに工場を作ったところで労働者を集められるのかも疑問である。ホームレスや囚人を工場で働かせたりしないと低賃金の工場労働者は集められないんじゃなかろうか。トランプは日本人がアメリカ車を買わないことに文句を言っているけれど、じゃあアメリカの自動車メーカーが日本向けの車を作ってきたのかというと作ってない。アメリカ人はピックアップトラックでスーパーで二週間分の食品の買い出しをしたり冬にクリスマスツリーを買って荷台に積んだりするけれど日本では加工品より生鮮食品を好んでこまめに買い物に行くので中途半端に荷台が広い車の需要がないし、アメリカには西部に乾燥地帯があってオープンカーで快適に走れるのとは違って日本では雨が多くて電線に止まった鳥の糞や街路樹の毛虫も落ちてくるのでオープンカーの需要もないし、アメリカでは舗装されていない荒野が多いので悪路を走れるジープやSUVの開発が得意だけれど日本では基本的に舗装された道路以外は走らなくてアウトドア趣味の人や雪国の人にしかジープやSUVの需要がなくて雪国の人は駐車場は広くても収入が低いので外車は買えないし、通勤用のセダンなら上司の車よりも高い外車に乗ると生意気に思われるので日本車でいいじゃんとなるし、商用のバンやトラックなら故障しやすい外車を買う理由がなくて整備工場での修理や部品の取り寄せがしやすい日本車でいいじゃんとなるし、低収入の人は維持費が安い軽自動車でいいじゃんとなるし、車好きの金持ち用のクーペならGMのシボレー・カマロやシボレー・コルベットやフォードのマスタングが選択肢に入るかもしれないけれど他にもポルシェとかの人気の外車の選択肢が多いし、高齢者は免許を返納して車に乗らなくなるし、若者は車離れをしているので、アメリカ車はほとんどの日本人の選択肢にならないだろう。日本で普通に生活したら車の専門家でなくても日本ではアメリカ車が売れないのがわかる。車以外の乗り物はどうかというと、アメリカかぶれの小金持ちの中高年が趣味でハーレーダビッドソンのバイクを買う人は少なからずいるけれど、これは大型バイクといっても車よりは小さいしハンドルの左右の違いの影響がないからアメリカ車より買いやすいのだろう。アメリカの肥満の人が買い物に使っている電動カートは公道を走れるようにしたら日本の高齢者の免許返納後の移動手段として需要があるかもしれないけれど、そういうマーケティングをしているようでもない。セグウェイも画期的な乗り物として登場したけれど公道を走れないままいつの間にか話題にならなくなって、ループが日常の足として定着したのでもうセグウェイが普段使いの選択肢になる余地はないだろう。要するにアメリカ企業が日本向けのマーケティングをしていなくてアメリカ車に需要や魅力がないから売れないだけで、関税をかけてアメリカで日本車を売れにくくする嫌がらせはできても日本でアメリカ車が売れるようにはならない。車は庶民にとっては家の次に高い買い物なので車を輸出したがるのはわかるけれど、トランプが武器やiPhoneやSNSやスタバやコストコとかの既に日本で売れているアメリカの製品やサービスに目を向けずに小型で燃費がよくて故障しにくい日本車が普及している日本に対して大きくて燃費が悪くて故障しやすいアメリカ車を売ろうとするあたりはビジネスセンスがないし、関税を上げることに関してマスクが反対するのも現役経営者のマスクのほうが企業への影響を理解しているからだろう。●トランプ関税への対抗策・コンテンツや体験を売る物を売る産業は物理的に物を移動させる必要があるので関税の影響を受けるけれど、精神的充足を売るコンテンツ産業はインターネット経由で世界中で商売できる。日本のアニメやゲームを通じて日本に興味を持つ外国人が多くて、それがインバウンドにもつながってアニメの舞台になった場所に行く人が増えて、SNSで紹介された食べ物や商品とかがアニメに興味がない人にも伝わって、間接的に日本製品の輸出も増える。ドリフトする文化は日本の峠の走り屋が発祥で福島のエビスサーキットでスポーツ化したけれど、これはドリフトを観客に見せるショーの体験を売っている。それで外国でもドリフト人気が広まって、車好きの外国人は大黒埠頭に改造車を見に来たりエビスサーキットでドリフトしたりするし、アラブの金持ちは1970年代頃から暇つぶしに日本車でドリフトしまくっている。走り屋仕様の日本車の海外での人気は『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』とかの世界で人気があるコンテンツの影響もあるだろう。移動手段として車を買う人は車種にはあまりこだわりがないだろうけれど、日本車で格好良くドリフトする体験をしたい人は関税で高くなろうが日本車を買わないといけない。・代替品がないものを売る最近はフジクラが新しい技術で細径高密度型スロットレス光ファイバーケーブルを作っていて、生成AIのデータセンターで大量のケーブルが必要でGAFAMのデータセンターにフジクラの光ファイバーケーブルが採用されたことで売り上げも増えて、株価も急上昇して2020年は300円割れだったのが2025年には20倍以上の7500円になった。従来の光ファイバーケーブルは曲げると中の石英ガラスが折れてしまうし太いので取り回しが難しいけれど、フジクラの光ファイバーケーブルは細くてある程度曲げられるようで、この高性能なケーブルを作れるのはいまのところフジクラだけのようで、データセンターを有効活用しようと思ったら関税でちょっと割高になってもフジクラのケーブルを使わざるをえないだろう。一点ものの美術品や珍しい模様の錦鯉や枝ぶりがいい盆栽とかもそれが欲しいと思う人にとっては代わりのものではあまり満足できないので、関税で価格が上がっても需要はある。・アメリカや中国に頼らない全部の企業が代替品がない商品を売れるわけではないし、アメリカに新規に工場を作るほどの資金力があるわけではないので、関税が上がったらアメリカに輸出している分の売り上げは減るだろうし、中国に工場がある企業は特に影響が大きくなる。しかしアメリカや中国のようなならず者国家から距離を取って生産拠点を移転したり他の販路を開拓したりするよい機会ともいえる。世界中でサプライチェーンの再編が行われて中国から他の賃金が安い発展途上国に工場が移転するだろうし、発展途上国が発展すればそこに新しい消費が生まれる。スズキが早い段階でインドに投資してインドでトップシェアになったように、人口が多くてこれから成長する国に投資して互恵関係を作るほうが長期的に見たらメリットがあるのじゃないかと思う。
2025.04.15
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私は何かを考えてブログを書くのが習慣になっているけれど、そういえば習慣について考えていなかったような気がするので、徒然なるままに習慣について考えることにした。●習慣とは何か習慣とは、長い間繰り返し行ううちにそうするのがきまりのようになったことや、その国やその地方の人々のあいだで普通に行われる物事のやり方である。普通でない行動を繰り返して習慣になったものは癖という。脳はなるべくエネルギーを節約しようとして、いったん習慣化したことはあまり意識せずに行うようになる。例えば歯を磨くときに今日はどの歯をどの歯ブラシで磨こうかと気にする人はいないだろうし、たいていルーティーンで同じやり方で歯を磨く。ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人間は1日に最大で3万5000回の決断をしているそうな。それで決断疲れをする人が多いので、スティーブ・ジョブズが同じ服を着たりするように、重要でない行動を習慣化して些事に煩わされないようにする人もいる。●様々な習慣・幸福と習慣たいていの人は幸福になることを目的にして生きていると言っても過言ではないけれど、実際に幸福になれる人は多いとは言えない。犯罪がない国は世界のどこにもなくて犯罪者や犯罪被害者の数だけ不幸な人がいる。犯罪まで至らなくても人間関係の不和はそこかしこにある。しかしこの種の不幸は自分の行動次第で変えられるものである。アリストテレスの二コマコス倫理学では良いエトス(習慣)を形成することで良いエートス(性格、人柄)になると言っていて、それが幸福の条件だと言っている。仏教でも似たようなことを言っていて、テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は「心は癖で行動する」という記事で良い習慣をつけると幸福になると言っている。禅寺では掃除や食事とかの日々の修行を通じて仏弟子に良い習慣を身につけさせる。日ごろから善行をしている人が酔って暴れても悪人とは言えないけれど、日ごろから誰かを貶めたり金を奪ったりしてやろうと考えることが習慣になっている人は悪人と言える。少年院や刑務所は法的には矯正施設という扱いなので、犯罪をした人に良い習慣を身につけさせるために生活を管理して、規則正しく寝起きさせて、一定時間仕事や運動をさせて、ルールに従わせて矯正を目指している。それでも矯正しきれなくて出所後に再犯する人は少なからずいる。詐欺とかの経済犯罪で大金を奪ったことを成功体験ととらえてしまうと、悪事を考えることが習慣になってしまって再犯するようになってしまう。酒やドラッグで脳をいじって一時的に幸福な感じになる人もいるけれど、それは幸福の前借りみたいなもので後で反動が来て脳が委縮したりして回復に時間がかかるので、酒やドラッグを習慣にしてしまうと後々不幸になる。・子育てと習慣小児科医の成田奈緒子は子育てには順序があって、5歳くらいまでにまず視床下部や脳幹とかの食べたり寝たり自律神経をコントロールしたりして生きるための機能がある「からだの脳」を育てて、それから6-14歳頃は勉強やスポーツなどの大脳新皮質の「おりこうさんの脳」を育てて、10-18歳頃は社会で幸せになるための前頭葉の「こころの脳」を育てるのがよいと『子育てを変えれば脳が変わる』という本で言っている。日本だと早期教育がもてはやされてきたけれど、早期教育には賛否両論があって、1970年代のドイツの調査だと早期教育をする幼稚園に通っていた子供たちは小学校1年では成績が良くても小学校4年生で逆転されてしまうそうな。子供をバイリンガルにしようとして幼児期から英語を教えて、日本語でも英語でも深い思考ができなくなるセミリンガルになって教育に失敗するケースもある。というわけで幼児期の子育ては学校での教育と違ってただ知識を詰め込んで学力を伸ばせばいいというものではなくて、毎朝自分で起きたりして自律する習慣を子供のうちに身につけさせたりして生きるために必要不可欠な能力を育てる事のほうが重要といえるだろう。〇〇キャンセル界隈みたいに風呂に入らなかったり料理や掃除ができなかったりする人たちは、子供の頃に自律する習慣を身に着けてこなかったので、大人になって実家を出て自立するようになっても自律できなくて生活に支障が出ているのだと思う。・躾と習慣躾はどこにでも持ち歩ける一生ものの財産になるので、金持ちほど躾の重要性を理解していて子供をちゃんと躾けて、偉い人と会っても恥ずかしくないように挨拶や食事のマナーを教える。貧乏人ほど躾の有用性を理解していないので、躾を受けていないDQNが親になると子供がスーパーマーケットやフードコートとかで走り回っていても注意せずに放置したりして、非常識な行動が習慣化してDQNが再生産される。マナーは場数を踏まないと身に付かないので、大事な会食の前に付け焼き刃でマナーを覚えるのでなくて、普段から背筋を正して姿勢を良くしたり、服をちゃんと着こなしたり、魚の骨を綺麗に取ったりして美しい所作を習慣にする必要がある。石破の服装や外交の態度や食事のマナーとかがいろいろ批判されているように、自分が恥を書くだけならまだしも、椅子に座ったまま握手したりして無自覚に無礼な態度をとって相手を怒らせたら実害もでるので、出世するつもりの人ほどマナーを身に付ける必要がある。・健康と習慣糖尿病が生活習慣病と呼ばれるようになったように、一日だけ羽目を外して暴飲暴食したところで胃もたれしたりする程度で病気にはならないけれど、習慣として毎日大量に飲食をしたら肥満や高血圧になって内臓や血管の病気の原因になる。運動する習慣がない人は骨や筋肉や血管が老化しやすくなる。姿勢が悪い状態で座ったり歩いたりするのが習慣になっている人は骨格や関節に負荷がかかって徐々にゆがんでいって猫背やO脚や外反母趾とかになる。毎食後にちゃんと歯磨きをする習慣がない人は虫歯や歯周病になりやすくなる。若い頃からの紫外線対策やスキンケアとかの習慣がある人とない人では中高年になった時に肌の老化の具合も違ってくる。スポーツを習慣にしているとテニス肘とかのスポーツ特有の病気になるし、楽器演奏を習慣にしていると指に負荷がかかって腱鞘炎になったり鼓膜を酷使して難聴になったりする。太っている人が過度な食事制限をしてダイエットに成功しても、過度な食事制限は一時的には我慢できても不満がたまって習慣として続かないし、目標を達成したことに満足してしまって痩せたからちょっとくらい食べてもいいやと生活習慣を基に戻すとリバウンドしてまた太りだすので、一時的に体重を〇キロにすることを目標にせずに、健康的な生活習慣を身に付けることを目標にする方がリバウンドしにくくなって長期的に見たらダイエットに成功する。こうして書き出してみると、健康管理には日々の習慣が大事なのがわかる。健康状態が悪化するとQOLが下がったり寿命が短くなったりするので、病気になりにくて老化しにくい生活習慣をつけることが人生で大事といえる。・仕事と習慣たいていの人はどこかの会社に就職して何かの仕事をしないと生計を立てられないので、出社して仕事をするのが人生の大部分を占める習慣になる。しかし自分の習慣に会社の習慣に合うとは限らなくて、自分の習慣を変えざるを得なくなることがストレスになる。例えば自分は疲れやすいから一日4時間労働で週休3日でたっぷり休息をとる生活習慣が適していると思っても、その条件に合って生計を立てられるほどの給料を出してくれる会社は見つけにくくて、無理をして働かざるを得ないかもしれない。あるいは同僚が悪口ばかり言っていて同調しないと仲間外れにされるような会社だと、悪口を言わない良い人間になろうとしても難しいだろうし、他人の行動を変えるのはなおさら難しい。そういう場合は他の会社に転職したり生活費が安い田舎に引っ越したりして環境を変えて、自分が幸福になれる生活習慣を取り戻す必要がある。・勉強と習慣日本人は子供の頃は勉強するのに大人になると勉強しなくなるとよく言われる。パーソル総合研究所の「グローバル就業実態・成長意識調査」の18か国の比較だと、読書や研修や資格取得のための勉強や語学学習とかの社外学習や自己啓発を何もしないビジネスパーソンの割合が日本人は52.6%でトップで、2位のオーストラリアの28.6%や世界平均の18%と大差がついていて、今後自己投資する予定がない人も日本は42%で2位のイギリスの19.2%の倍以上で、統計ではっきり裏付けが出ているくらい日本人は勉強しない。これはそもそも学校教育に問題があって、知的好奇心とかの非認知能力を育てる教育をせずに大学入試で高い点を取ることに最適化した認知能力重視の教育をしているので、大学を卒業して学校で勉強する習慣がなくなったら利益につながらない勉強を時間の無駄ととらえてそれ以上勉強しなくなるのだと思う。そんで上の調査だと日本人は管理職になりたい人の割合や転職・独立したい人の割合も低くて、上昇志向が低い。日本はいったん正社員として雇用されると解雇されにくいし、資格を取ったところで資格手当が月に数千円増える程度で労力の割りに収入が増えるわけでもなかったり会社によっては資格取得費用が自費だったりして本業についての勉強をするより副業でアルバイトでもする方が収入が増えるので、勉強しないことのデメリットが少ない一方で勉強することのメリットも少ないので勉強しないのだろう。業種や会社によっては人手不足で超過勤務が常態化して勉強する時間も気力もないのかもしれない。知識を得るだけならインターネットで検索したら一般的な答えが出てくるしAIが要約するけれど、誰でもすぐに手に入れられる知識を増やしたところで差別化にはならない。それにある程度の知識の量がないと深い思考ができないし、新しい発見も生まれない。20代だとたいていの人は似たような勉強をしているので知識の差はあまりないけれど、高校や大学を卒業後に何かのトピックに興味を持って継続的に勉強する習慣があるかどうかが中高年になったときに大きな差になる。・スキルと習慣他人にできなくて自分だけができることを身に付けるための確実な方法は時間をかけることである。毎日コツコツ技術を向上させる練習をする習慣がある人だけが習得に時間がかかるスキルを身に付けることができる。例えば習得に時間がかかる特殊なスキルを身につけたら他人が真似しようと思ってもすぐには真似できなくて競合がいないので、しばらくは仕事を得やすくなるし、他人にスキルを教えることを仕事にすることもできる。・創作と習慣芸術だと天啓のようにビビビと創作意欲が湧くようなイメージがあるけれど、やる気は待っていても出てくるものでなくて、やり始めてから5-10分で作業興奮が起きてやる気が出てくるものである。だもんで創作も創作意欲が出てから取り組むのでなくて、少しずつ構想を練って下準備をして作業に取り掛かって長期的に取り組む必要がある。しばしば将棋の棋士が散歩中に将棋のことを考えて道を間違えたり電車を乗り過ごしたりすると言われるけれど、創作も同じで、普段から創作のことを考える習慣がない人がパソコンの前に座ったとたんに良いアイデアをひらめくことはないし、普段から少しずつ作品の完成に向けて取り組んでいないと作品は完成しない。なろう小説は未完のまま中断する作者が多いけれど、たぶん創作が習慣になっていないのである程度書いたらアイデアが枯れてしまって、苦労して作品を完成させる気がなくなってしまうのだろう。未完の作品は「永遠に鋭意制作中」を皮肉ってエターナる、エタると呼ばれる。創作を習慣化するにしても同じ行動を繰り返していたら同じアウトプットしか出てこないので、少しずつコンフォートゾーンを抜けて新しい挑戦をしていく必要がある。少しの逸脱を日々積み重ねることで、人の行く裏に道あり花の山とでもいうような他の人が到達しなかった独自の作風にたどり着く。傑作はある日突然作られるわけではなくて、そこに至るまでに日々試行錯誤を積み重ねる習慣がある。・事故と習慣事故が起きる前にはヒヤリハットと呼ばれるようなぎりぎり事故にならない危ない事が何度か起きているけれど、その原因を改善しないままでいるといずれ大きな事故が起きてしまう。例えば車を運転するときに面倒くさがってちゃんと周囲を確認しない習慣の人は発進時に車のそばにいる人を轢く可能性が高くなるし、酒を飲んで寝る習慣がある運転手は起きてもアルコールが抜けていなくて事故を起こす可能性が高くなる。歩行者もスマホを見ながらふらふら歩く習慣の人は注意が散漫になって事故にあいやすくなる。釣りや登山とかのアウトドアでは危険な場所に行く習慣がある人ほど事故にあう確率が高くなるので、出かける前の装備の点検や天気予報の確認とかの事故のリスクを減らす習慣を身に付ける必要がある。・依存と習慣自分の意思で習慣をやめられない場合は依存という。地下鉄サリン事件から30年でオウム真理教の特集していたけれど、信者たちは麻原彰晃が何でも答えてくれるので傾倒したそうな。信者たちは教祖の言う通りにやれば幸福になれるのだと思って自分で意思決定することをやめて依存したわけである。ストレス発散のために酒や薬物に依存して生活が破綻する人もいる。洗脳を解いたり薬物依存をなくしたりするには、依存できない環境にある程度の期間隔離して違う習慣を身につけさせる必要がある。・商売と習慣企業は1回限りの取引をやってもあまり儲からなくて事業の継続性がなくて設備や人材への投資が無駄になるので、顧客満足度を高めて常連客に何度も商品を買ってもらって顧客生涯価値(Life Time Value、LTV)を高める必要がある。飲食店みたいに商品に販売期限があって在庫を抱えられない商売では客が通勤時や休日に店に寄るのが習慣の一部になるかどうかが残る店と消える店の違いになって、駅や繁華街から遠かったりして立地が悪くて習慣的に立ち寄るのが面倒くさい場所に家賃が安いからといって出店してもすぐに潰れる。タピオカミルクティーは客が1回買ってインスタに写真を載せたら満足してしまって習慣的に購入するには至らなくて、ブームに便乗して出店した店はほとんど消えていって食文化として定着しなかった。ラーメン店も潰れる店が多くて、背油やにんにくとかで味を濃くすれば1回食べるぶんにはおいしく感じても、味が濃い分健康に悪いし、飽きやすいし、高齢になると胃が弱ってきて脂っこいものを食べられなくなって習慣的に食べる人が減ってしまうし、強面の黒シャツ腕組み店主が独自ルールを強制する店は居心地が悪くて何度も行きたくならないので、おいしいラーメンを作ることは比較的簡単にできても特定の店でラーメンを食べる習慣を作るのは難しいといえる。外食でのラーメンの支出額の都道府県ランキングだと山形市が一番多いけれど、山形のラーメンはオーソドックスなあっさりした醤油味の中華そばが中心なのでものすごくおいしいというわけでもないし単価が高いわけでもないけれど、頻繁に食べても飽きにくくて、黒シャツの店主が腕組みして睨んでいなくて子供から老人まで気軽に店に入れて、外食でラーメンを食べるのが習慣になっているので結果的に年間の支出額が多くなっているのだろう。観光地だとイタリアの飲食店みたいに外国人観光客はリピーターにならないしどうせ訴えないからと舐めてかかって1回の取引の利益を最大化しようとしてぼったくるところもあるけれど、ぼったくりの悪評が広まって観光地としての価値が下がってリピーターどころか新規の観光客まで来なくなって、外国人観光客が減ったらツアーや直行便とかも減ってアクセスしにくくなってさらに観光客が減る悪循環になるので、短期的に儲けたつもりになっても長期的に見たら損をしている。観光客個人の習慣としてとらえず、日本人が年末年始にハワイに行くのが定番なように〇〇人が〇〇国に旅行する習慣としてとらえて、長期休暇でリゾートに観光に行く習慣を維持しないと観光地はさびれていく。バブルが崩壊して企業が非正規雇用を増やして社員旅行の習慣がなくなったら日本各地の団体客向けの温泉旅館もさびれていって、旅館はリフォームして部屋数を減らしてそのぶん豪華にして顧客満足度を高めて客単価を増やす高級路線にシフトしたように、VUCA時代は外部の習慣の変化にも対応してビジネスモデルを変える必要がある。・地方創生と習慣しばしば地方創生が失敗するのは、田舎者の政治家がおらの村にもショッピングモールや体育館や遊園地がほしいだわさと立派な箱物を立てることだけに夢中になって、地元民がその施設を利用する習慣を作ろうとしていないからかもしれない。需要以上に立派な施設を作ったところで客数が少なくて稼働率が落ちるし、活気がなくてつまらない印象になってますます人を呼ばなくなる。スポーツや趣味とかの何かをやる習慣がある人たちがボトムアップでこういう施設を作ってくれと陳情して作る場合なら無駄にならないだろう。・娯楽と習慣かつてテレビは昼は家にいる主婦や老人向けにファミリードラマや時代劇を放送して、子供が家に帰る夕方にアニメを放送して、夕食の家族団らんの時間帯にバラエティ番組を放送して、子供が寝た頃に大人向けの恋愛や殺人のドラマや映画を放送して、深夜に夜更かしする若者向けの音楽番組を放送して、視聴者の生活習慣に合った番組作りをしてきたので視聴率が高かった。ところが核家族化して個々人がばらばらの生活習慣を持ってスマホやパソコンで好きなコンテンツを消費するようになると、テレビを持たない人が増えて居間で家族でテレビを見る習慣自体がなくなりつつある。その一方でYouTuberたちは毎日同じ時間帯に規則的に動画を投稿していて、個々の動画の質がどうであれ暇なユーザーが毎日新着動画を見る習慣をつけさせたことで登録者数を増やしていった。いったん習慣になると時間の無駄だからもう見なくていいやと踏ん切りがつくまではずっと動画を見るようになるので、くだらない動画でもそれなりに再生数がある。小説や漫画とかの雑誌は本と違って1回だけ売れたところで雑誌が存続できないので、人気作品を連載して続きが気になるようにして読者に毎号読む習慣を持ってもらおうとしている。音楽だと日本人が洋楽離れして洋楽を聞く習慣がなくなりつつあるので、ユニバーサルミュージックがUM English Lab.というプロジェクトで洋楽を使った英語教育を推進して洋楽を聞く習慣を取り戻そうとしている。ゲームではログインボーナスを配布したりデイリークエストを設定したりしてユーザーに毎日ログインさせる習慣をつけさせて離脱を防ごうとする。ただしボーナスやクエストに変化をつけないとかえって飽きるのが早くなるかもしれない。●まとめ日々の習慣が幸福や健康や仕事に大事だと言えるので、漫然と日々を過ごすのでなくて、なるべく悪い習慣をなくして、良い習慣を身に付けるとよいよ。
2025.04.01
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最近はふわっちという配信サイトで活動している女性がライブ配信中に殺害される事件が起きた。被害者は「バイト先に財布を忘れて手持ちがない」とかの理由で消費者金融での金の借り方まで指南して度々容疑者に金の無心をしながらフィアンセと旅行したりして豪奢な生活をアピールする一方で、容疑者は家賃3万円のところに住んで貯金を取り崩しただけでなくて消費者金融に借金して総額250万円を貸しても返済されなくて、貸金返還請求訴訟で勝訴しても相変わらず返済されなくて生活できないから1万円だけでも返してほしいというDMも無視されて、怒って殺害に至ったようである。この事件以外にも借金が原因の殺人事件は度々起きているので、借金について考えることにした。●借金とは何か借金とは金を借りることで、借りた金に利息をつけて返す必要がある。個人の借金は貸す側や借りる側にいろいろ制限があって、事業として継続的に貸金業をするには国か都道府県知事への登録が必要で、貸金業法では総量規制があって借り入れ残高が個人の年収の1/3を超える場合は新規の借り入れができなくて、金利は借入金額に応じて15-20%の上限がある。事業ではない個人間の借金でも利息をつけるのは違法ではないけれど、利息制限法を超える利息は禁止されている。企業の資金調達だと借入や社債発行などのデットファイナンス、自社ビルとかの不動産を担保にしたアセットファイナンス、新株発行によるエクイティファイナンスがあるけれど、零細企業だと担保になるほどの資産がないし無名の会社が社債を発行しても買う人がいないので、銀行からの融資やビジネスローンによる借入が主な資金調達方法になる。法人へのビジネスローンは総量規制の対象にならないので、上限なしに借りることができる。日本で銀行ができたのは明治時代だけれど貸金業はそれ以前に存在していたようで、WEBアステイオンの記事によると、1691年には三井グループの元祖の三井高利が開設した三井大坂両替店があって、顧客から借入の申し込みがあると信用調査をして人柄を調べて、浪費癖や遊び癖がある人には貸付しなかったそうな。●良い借金と悪い借金無料と支出について考えるという記事で考えたけれど、日本人はゼロリスク信仰が強くてリスクが少ない貯蓄をしたがって、リスクがある借金をしたがらない。しかし借金には良い借金もある。投資ではレバレッジをかけるほうが投資効率が良いので、借金の金利以上の利益が出る見込みがある投資のために借金をする場合は貸した側も借りた側も双方が得をするので良い借金と言える。例えば新しい発明をした研究者が1億円かけて設備投資したら3年後に10億円の利益が出る見込みがある場合、何十年も働いて自己資金で1億円貯めてから起業するのでは他社に先に製品化されて先行者利益が出る時期を逃しかねない。その場合は初期費用を借金で調達して事業化を急ぐほうがよいし、金利が低いならなおさら金を借りる方がよい。クレジットカードは全く使わないでいるより、一括払いで普段の買い物や水道光熱費の支払いで使ってちゃんと期日に支払いをすることでクレジットヒストリーを積み重ねいくと、将来車や家とかの高額な買い物をローンで払うときに信用情報の審査に有利になるので良い借金と言える。一括払いなら手数料や金利はかからないし、すぐに払うかあとで口座から引き落とすかの違いでしかないので、口座の残高を把握して余裕をもって使えばデメリットはない。成績がいい高校生が学費がなくて進学できない場合は、奨学金を借りて一流大学に進学して大企業に就職したり、教員とかの大卒でないと資格をとれないような仕事に就職すれば十分返済できるし社会の役にも立つので良い借金と言える。ただし高卒と大卒であまり収入が変わらない仕事に就く場合は若くて収入が少ない時期に奨学金の返済もしないといけなくて生活が大変になるので、就職先の希望がないまま就職率が悪い大学に奨学金を借りてまで進学するのは投資効率が悪い借金の仕方である。ローンで家を建てる時はライフステージに合わせてQOLが上がったり、将来離婚や転勤や介護とかで家を売って引っ越す場合のリセールバリューが維持できる場合は良い借金と言える。リセールバリューが低くなるような個人的な趣味にこだわったデザインをして、高齢になるまでローンの返済を続けないといけなくて住み替えることを想定していないような返済プランを組むのは不動産投資としては筋が悪いやり方である。金利を払えない場合や、返済の見込みがない場合や、計画性がない場合の借金は借りる額が大きいほど返せる可能性が少なくなって、返済を延滞するほど利息が増えて損をするので悪い借金と言える。例えば借金の利息分を返すために他の貸金業者から金を借りて自転車操業をする場合は、元本を返済していないので借金や利息がさらに増えてますます返済が大変になる。借金でギャンブルをしたり、SNSの配信者に投げ銭したり、ホストやホステスに頼まれて売掛で高い酒を注文したり、ソシャゲのアイテムが欲しくてガチャを回したりする場合は一時的な欲を制御できずに計画性なしに借金をしていてダメなパターンである。会社の同僚とご飯を食べに行ったときに財布を忘れたのに気付いて一時的に建て替えてもらったり、貯金がない状態で交通違反をして罰金を払わないといけなくなって借金をしたり、避妊せずにエッチして望まない妊娠をしてしまって中絶費用を借りたりするようなミスに起因する借金は本来はやる必要がない借金で、周囲に迷惑をかけて誰も得をしないので悪い借金といえる。●個人間の金の貸し借りが殺人に至る理由銀行や消費者金融とかのビジネスとして金貸しをやっている人たちは、客が借りた金を返さないからといって相手を殺したりはしないし、客が金を返さなくても損害が小さくて済むようなビジネスモデルになっている。例えば銀行の住宅ローンだと家を担保にすることを条件にして金を貸して、客が金を返せなくなったら代わりに家の権利を手に入れて家を売ることで回収する。事業者への融資では連帯保証人をつけることを条件にして金を貸して、金を貸した社長が夜逃げしても連帯保証人から回収する。消費者金融は担保や保証人がいらなくてすぐに借りれるぶん金利が高くて、少しの客が返済できなくなっても他の大勢の客から利益を得ているし、客もちゃんと返済しないと信用情報に記録されてクレジットカードを持てなくなったり他の金融機関で金を借りにくくなったりするデメリットがあるのでちゃんと返済しようとする。ところが個人間の貸し借りだと、金利で利益を得ることが目的でないので、そのぶん信頼とかの他の見返りを求めるようになって、それが満たされないと恨みに変わる。それに担保も取らないし、口約束で貸して借用書を作らなかったり返済期限を決めなかったりするし、引っ越して電話やメールをブロックして行方をくらましても金融機関の信用情報への悪影響もないので、貸した側が金を回収しにくい。それを見越したうえで消費者金融で金を借りずに知り合いに無心して返済期限を延ばしたり借金を踏み倒そうとしたりする人もいるけれど、少しでも返せば返済するつもりがあったとみなされて詐欺になりにくいので悪意があっても司法が罰しにくい。契約に基づいて利息目的で金を貸し借りするドライな関係よりも利益が目的でないほうがこじれたときが厄介で、返済の約束を無視されると自分を蔑ろにされたという怒りが湧いて殺意に変わる。兄弟姉妹でさえ遺産相続で揉めるのだから、他人と利害が絡むときには揉めて当然である。借りた金を返さずに信用を無くすと、金融機関だと新規の借り入れを断られるだけだけれど、個人間の借金の場合は返さない場合の恨みがずっと残る。発達障害や境界知能で頼まれると断れないタイプの人や、自尊心が低くて頼れれるとうれしくなって無理してでも相手に尽くそうとするタイプの人がいて、そういう人に金を貸してと頼めば貸してくれるとしても、相手の負担になっている。相手が断らないからといって社会的弱者の精神的な弱みに付け込んで生活に必要な命金まで奪おうとしたら、相手からの借金の取り立ての仕方も相応に激しくなる。孤独な弱者から金を奪うと、相手はそれ以上失うものがなくなって逮捕や死刑を恐れない無敵の人になってしまうし、司法が罰しないなら自分で罰しようとしてしまうので、金の問題が恨みの問題に変わると命の危険がある。貸す側と借りる側の収入や金銭感覚が違うと金の重みや信用の重みも違うので、借りる側が感謝するどころかその程度の金くらい貸してくれてもいいだろとか別にすぐに返さなくてもいいだろという横柄な態度でいると人間関係がこじれる。貸す側は返すと言うから信用して金を貸してやったのに返済を無視するなんてひどいやつだと怒ったり、生活を再建するために金を貸してやったのに酒やギャンブルに使われて怒ったりして相手を殺したりする。借りた側が殺人をする場合もあって、生活に苦労しているから金を借りているのに返済を要求するなんてひどい奴だと逆恨みしたり、相手を殺せばもう催促されないで済むと短絡的に考えて貸主を殺したりする。ホストやホステスが親の病気で手術費用が必要だとかで相手への好意や同情に付け込んで嘘をついて借金をした場合は、嘘がばれるとそれまでの相手への愛情が金づるにされたことへの憎しみに変わって刃傷沙汰になる。●個人間の金の貸し借りはしないほうがよい・貸す側(借金を頼まれた場合)の注意そもそも収入がなくて生活費を借りるような人は生活が破綻していたり事業が破綻していたりするので、あとで収入が増えて借りた金を返せるようになる確率が低くてトラブルになりやすい。金を借りたい人はクレジットカードのキャッシングを使ったり消費者金融で借りたりして自己責任で金銭管理をすればいいのに、知人に借金を頼む時点で踏み倒す気満々で、そういう相手に金を貸しても貸す側のメリットがないし、頼めば無利子無期限で貸してくれる相手だとロックオンされたら何度も無心されて次第に金額も大きくなるだろうし、相手が反社会的なサイコパスなら言いなりにできる格下の存在として認定されて金づるにされて保険金をかけられて殺される可能性だってある。金銭的にルーズで金遣いが荒い人は約束を守るとかの他の部分のモラルも低いと思われるので、なるべく関わらないほうがよい。金を貸したら返ってこないものだと思って友情の手切れ金代わりにあげるつもりで金を貸すという寛大な人もいるけれど、どうせ友情が終わるのなら最初から断ればいい。相手が金に困っているからといって同情で金を貸したところで相手の生活が立て直せるわけではなくて、仕事がなくて生活ができないなら素直に生活保護を受けるほうがよいし、事業が赤字で黒字になるめどが立たないならもう事業の継続は無理なのでむやみに借金を増やさずに早めに事業を畳んだり自己破産したりするほうがよい。困っている知人を助けたいなら金を貸さずに生活を再建して自立できるように知恵を貸せばよいし、口出しはいらないから金だけ寄越せというような横柄な態度の人とは縁が切れても別に問題ないだろう。ホストやホステスは客の恋愛感情や同情心を利用して不幸な身の上話で嘘をついて金を借りようとする人がいるけれど、本来サービスの質で金を稼ぐべきところなのにサービス以外で私的に客から金を引き出そうとする奴はプロじゃない。そういうプロ意識が乏しい人に金を貸しても大成しないので、俺がビッグになったら倍にして返すぜとかの言葉を信じて金を貸してはいけない。金持ちの道楽として余ってる金で愛人に店を持たせるとかなら問題ないけれど、貧乏な庶民が水商売のパトロンになろうとしたところで貸した金は恋人とのデートや浪費に使われて金がなくなったら用済みとして縁を切られて借金を踏み倒されることになるだろう。・借りる側の注意急に金が必要になる事情があって知人から借りる場合は、貧乏な人から借りずに殺人をしなさそうな金持ちから借りて、必要最低限の額にして、借用書を残していつまでにいくら返済するかプランを明確にして、暴利を取らずに金を貸してくれた相手に感謝と誠意をもって対応してなるべく早く返済するほうがよい。感謝の言葉を言うだけなら無料なのだから、頼みごとをした場合の最低限の礼儀は持つべきである。上記のふわっちの配信者も横柄な態度をとって借金を踏み倒そうとせずに感謝を伝えて少額でも毎月返済していたら殺されることはなかっただろう。金を借りる相手が金持ちだとしても反社会的勢力と関係があると借金返済のためにタコ部屋や風俗で働くことを強制されたりして望まない仕事をやらざるを得なくなるかもしれないので、相手の仕事や交友関係をちゃんと確認するほうがよい。●借金とフィクションシェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』では金貸しのユダヤ人のシャイロックは冷酷非道な悪者として描かれていて、商人のアントーニオがシャイロックに借りた金を返せなくて裁判で契約通りに肉1ポンドを取られることになったけれど血は契約書に書いていないので肉を取るときに血を流してはいけないというとんちでやりこめるようなオチになっている。これは金貸しを禁止するキリスト教が金貸しを生業にするユダヤ人を蔑視していたという当時の事情が反映されているのだろう。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は主人公は失恋をきっかけにやり手の金貸しになる展開で、イギリスのバーサ・M・クレイの『女より弱きもの』という種本を基にして書かれたせいか、金貸しは冷酷な悪人として扱われている。英語で高利貸しをローンシャークというように、サメのように無慈悲にがぶがぶとローンを取り立てるイメージがある。天王寺大と郷力也の漫画『難波金融伝・ミナミの帝王』は十一の高利で高利貸しを営む男が主人公で、高利貸しだけれど悪人として描かれているわけではなくて約束を守らせてきっちり回収するところが見せ場になっていて、1992年から連載して2025年2月時点で181巻が出版されていてVシネマ化もされて人気シリーズになっている。真鍋昌平の漫画『闇金ウシジマくん』は闇金業者と客の双方の事情を掘り下げて、人間関係のいざこざを見せ場にするフィクションになっている。これは連載当時は消費者金融のグレーゾーン金利の過払い金が問題になって、資金繰りのために闇金に頼る人が多かったという社会問題を反映した内容になっている。福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』は多額の借金を抱えたクズ達が借金返済のためにギャンブルやデスゲームをする話で、クズ同士が協力したり金に目がくらんで仲間を裏切ったりするところや主人公のカイジが追い込まれてから逆転したりするところが見せ場になっている。金貸しが主役になる場合も悪役になる場合も人気の作品が多いけれど、実在したら嫌な奴でもフィクションの登場人物としては特徴付けできて魅力になるので人物像を作りやすいし、金が必要になる動機や金策の苦労や返済しないで制裁されたりするオチをつけるまでのストーリーを作りやすいし、金貸しを主人公にした場合は客を変えることで複数のエピソードを作りやすいし、悪役がいるので物語にメリハリが出るし、喜怒哀楽や人情や勧善懲悪とかの見せ場が多いというエンタメ向きの特徴が複数あるので人気になるのだろう。借金をテーマにしたフィクションは他のジャンルへの発展性もあると思うので頭の体操として考えてみると、借金SFだと酸素本位制の宇宙コロニーで酸素を借りて利息を払えなくて酸欠で死ぬ話とか、借金ホラーだと呪いの闇金から金を借りたら利息を血で払わないといけなくて返済しないと心臓を取られて死んでしまう話とか、借金時代小説だと商人に金を借りて戦をした大名が借金を踏み倒そうとして暗殺される話とか、借金アクション映画だと破産してホームレスになった元特殊部隊員が借金踏み倒し請負人になって取り立てに来た闇金グループを壊滅させる話とか、借金ファンタジーだと商人が勇者の装備一式のローンを取り立てようとして世界の果てまで付いてきていつの間にか最強の商人になる話とか、借金学園モノだとテストの点を貸し借りできる私立学校で借点まみれになって点を返すために猛勉強する話とか、いろいろやれそうな気がする。
2025.03.19
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最近はいくつか小説を読んで観察が足りていないとかなんやかやの文句を書いたのだけれど、賞を取るようなプロ小説家でさえ視覚情報を言語化する能力が乏しいのだから、一般人はなおさら言語化する能力が乏しい人が多いのじゃないかと思う。というわけで徒然なるままに言語化について考えることにした。●言語化とは何か言語化とは何かの概念を言語で説明することである。言葉の意味を共有できないと同じ言葉を使っても人によって理解が変わってしまうので、まずは言葉の意味を定義する必要がある。例えば目の前にいる猫という生物について言語化して他の人に「猫がいるよ」と伝えようと思ったら、まず猫とは何かという定義をして、虎やジャガーとかの他の動物と区別して、意味記憶として記憶する必要がある。最近は国連難民日本事務所が「ゴミ箱に捨てなければいけないもの」として「強制送還」を挙げて批判されて、誤解を招く表現があったとして「ルフールマン」に訂正したように、翻訳の間違いとかでニュアンスが変わると意図した意味が相手に伝わらなくなってしまう。定義が定まったら、次は文章の論理構成が矛盾していないことが必要になる。「よいるが猫」だと各単語の形態素が同じでも意味が伝わらないので、「猫がいるよ」という文法に沿って言葉の意味と論理を理解できる人なら誰でも理解できる形にすることで、何かの概念を言語化して、他の人と共通の認識を持つことができるようになる。共通の認識を持つことで、議論をしたり、説を反証したりできるようになる。数学もプログラミングもモールス信号も意味と論理があるので言語になる。ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」はミームになっているけれど、これは言語化するときにも重要で、何かの概念を説明するときに客観的な情報の中に他人と共有できない主観的な感情を混ぜてしまうとそれがノイズになって言葉を理解しにくくなってしまう。例えば猫について言語化しようとするときに、「猫はかわいくて人気がある動物である」と主観を混ぜた言葉にすると、猫をかわいいと思わない人とは共通認識を持てなくなる。「猫は愛玩動物として〇万匹飼われている」のような誰でも共通の認識を持てる客観的な情報と、「私は猫をかわいいと思う」という個人の主観的な感想は分ける必要がある。一つ一つの言葉を正しく定義することで、この世界についての理解が深まっていって、矛盾しない世界の認識ができあがる。・言語化の重要性いろいろな生物は他の個体と意思疎通できる個体が生存に有利になって、繁殖期であることをアピールしたり外敵の危機を仲間に知らせたり威嚇音で外敵を追い払ったりして子孫を残して生き残って、音の出し方が進化してきた。鳥類や哺乳類のように呼吸器や舌を使って声を出す動物もいるし、セミや蛙のように独特な体の仕組みを使って音を出す動物もいる。人間は声やボディーランゲージとかの身体を使った原始的な言語だけでなく、文字や記号とかの道具に依存する言語も意思疎通に使う。中世の戦争では声よりも大きな音が出る太鼓やラッパとかの楽器が進軍や撤退の記号として使われて、のろしとかの視覚的な記号も使われた。あらかじめ記号の意味を定義して共有できていればそれも言語化と言える。「敵が来た」とかの短い情報だけなら動物でも言語化できるけれど、人間は思想体系を共有できるところが他の動物とは違う。人間は目に見えるものを認識して言及するだけでなくて過去形や未来形の文法を使ってその場にないものへの抽象的思考ができるようになって、仮説Aや仮説Bを立てたうえで仮説Aが正しかった場合の仮説Aaを立てたりして、いくつかのレイヤーで推論を重ねて演繹法や帰納法で様々な物事の普遍的な法則をみつけだして、この世界はどうやって出来たのか、自分はなぜ存在するのかという疑問に対して見たこともない神の存在をでっち上げて、神の子孫や使徒や預言者を名乗って統治に利用するようになった。そのうえ文字を持ったことで言葉を蓄積できるようになって文明が発展した。人間のワーキングメモリには限界があるので一度に大量の情報を覚えていられないけれど、石や粘土板やパピルスや木簡や紙やHDDとかに記述して記憶のリソースを外部に移すことで大量の情報を蓄積できるようになって、自分が生きていない過去の時代の情報を共有できるようになって、学問の研究結果を蓄積して真理を見つけて発展させて、外国語を翻訳することで自分が直接行ったことがない外国の知識や技術も共有できるようになった。●様々なものの言語化・コミュニケーションの言語化東北大学の川島隆太教授の「脳とことばの不思議な関係」-ことばで脳はよみがえる-というYouTubeの動画だと、人間は他の動物よりも前頭前野が発達して、前頭前野がコミュニケーションや欲の抑制とかの集団生活に必要な機能を担っていて、認知症になると前頭前野が5歳以下のレベルになるので前頭前野を鍛えるのが重要で、外国語の文章を読んだり聞いたりすると前頭前野が活性化するので脳のトレーニングになって、バイリンガルだとアルツハイマーになりにくいと言っていた。人間は動物の中で一番多くの言葉を使って意思疎通して協力しているとはいえ、言葉は後天的に学習するので、ちゃんと学習しないと言葉を上手く使えなくて失敗のもとにもなる。ディスコミュニケーション(意思伝達が行われない)やミスコミュニケーション(認識の相違)はしばしば起きて、例えば2024年1月2日の羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故は海保機の機長が管制官から「ナンバーワン」と伝えられて滑走路侵入の許可が出たと誤認したミスコミュニケーションが原因で起きた。カップルや夫婦が何も言わなくても相手が察することを要求して、期待と違っていたと文句を言うのはディスコミュニケーションと言える。コミュニケーションは難しいことを要求されているわけではなくて、相手が重要な情報を理解できるように丁寧に詳細を伝えて、復唱したりして確認をすればたいていの伝達ミスは防げる。最近だと商品も言葉を発するようになって、スマホやIoT家電も音声で動作の開始や完了を伝えるようになるだけでなくて、AIを搭載してコミュニケーションが可能になりつつある。車のクラクションも一種類である必然性がなくて、音の高低で意味を使い分けることができれば交通事故を起こしにくくなるかもしれない。・記憶の言語化たいていの人が三歳未満の頃の記憶がないのは言葉を覚えていなくて体験を言語化できないからだろう。長期記憶は陳述記憶(エピソード記憶と意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶、プライミングなど)に分かれているけれど、言葉を知らないと何がどのように起きたのかを陳述しようがないので、体験したはずのことが長期記憶に残っていないのだろう。それで成長して言葉を覚えるにつれて長期記憶に記憶が残るようになって、認知症の高齢者は最近の記憶は思い出せなくても子供の頃の記憶は残っていたりする。人が体験した記憶は死とともに失われるけれど、自分が生きた時代に何の出来事が起きたのかを書き残したり口伝で伝えたりして、その記憶が継承されていくとやがて国や民族の歴史となる。ホメロスの叙事詩「イリアス」で語られたトロイア戦争を基にしてシュリーマンがトロイの遺跡を発掘したように、物体よりも言葉のほうが長く後世に残ることがある。天文学は紀元前3000年のメソポタミアで星に名前を付けることで星の場所を覚えやすくしたことから始まって、何十年も夜空を観察して位置を記録することで学問として発展して、数十年に一度しか起きない惑星食の記録も引き継いで、古代ギリシア人は望遠鏡がない時代に惑星の軌道を正確に計算した。数百年後に人類が滅亡するとしても、遺跡に人類史が残されて数億年後に現れるかもしれない知的生命体に人類の記憶が継承されたら、人類の様々な失敗も無駄ではなかったといえるかもしれない。・感性の言語化芸術を鑑賞するとたいていの人は何かしらの印象を受けるけれど、その印象を言語化する能力は自然に身に付くものではないので、「面白かった」「つまらなかった」「感動した」という印象批評になりがちで、それだと他人にはどこがどう良いのか伝わらない。感じたことや考えたことの細部を言語化することで、他人にも理解できる批評となる。インターネットが出現してからは食べログや価格コムやグーグルマップとかのサイトが作られてあらゆる商品やサービスや企業が批評の対象になって、感性を言語化するのがうまいインフルエンサーが広告塔として使われている。・学習の言語化我々は日々様々な情報を見聞きしているけれど、その情報を全部覚えているわけではなくて、脳はエネルギーを節約するために重要でないと判断した情報は長期記憶に残さないようになっているので、短期記憶はしばらくすると忘れてしまう。学んだことを意図的に言語化してアウトプットすることで、自分の言葉で理解して知識として定着するようになるし、他人にも教えられるようになって、共通の知識を持つ人が増えて教育水準が上がって社会全体が豊かになっていく。逆に教育水準が低ければ文明の水準を維持できなくなるし、教育水準が低い移民を入れたり、言語が違う移民を入れて学校で対応できなくて教育が不十分になることでも文明の水準は下がる。識字率が低いと本から高度な知識を学習できないし、物理学や化学や工学の知識がないと技術職にはつけないので、単純作業をやるか物を盗んで売っぱらったりするくらいしかやることがなくなって、貧困から抜け出すために犯罪をするようになるけれど、生産者が殺されたり生産設備が破壊されたりすると生産力が落ちていって国全体が貧しくなっていく。例えば南アフリカはアパルトヘイト時代はアフリカで唯一発展した国だったのに黒人が政治をするようになったら強盗や殺人が多発して電線や水道管が盗まれて売り払われてインフラが破壊されて汚職が蔓延して荒廃したし、ドイツは識字率が低いアフガニスタン人の移民を受け入れても労働力として役立たせることができなくて移民の犯罪が多発したし、日本でも外国人が銅線や車や果物を盗んでいる。犯罪者を減らして生産者を育てないと国が豊かにならないので、教育が国の礎になる。・意思の言語化仕事や勉強を頑張ろうと思っても、目標がないと何をどうやればいいのかわからなくて頑張りようがないし、それでは成長につながらない。成長するには現状のコンフォートゾーンを抜け出して負荷をかける必要がある。例えば筋肉を成長させたかったらこたつでごろごろするのをやめて、筋トレして筋肉に負荷をかける必要があるけれど、どんなトレーニングを何回するのかという目標を決めないと長続きしない。意思を言語化して目標が明確になると、どうすれば目標を達成できるかというプロセスを考えられるようになって、あとは実行するだけになる。会社に不満があるのに転職しない人や、配偶者に不満があるのに別れようとしない人とかは、さらに状況が悪くなって生活できなくなるかもしれないという不安が勝って、成長してもっといい環境に行こうという意思がないのだろう。目標がないまま不満だけ言っても何かが変わるわけではない。・営業の言語化顧客が抱えている欲望や不満を言語化して、顧客に自覚させて潜在的需要を掘り起こしていくのが良い営業マンである。顧客が欲望や不満に無自覚な状態でいきなり商品やサービスを提示されても欲しくならないけれど、言語化されたときにはじめて欲が顕在化して、それいいじゃんと欲しくなる。なので営業マンは自分が話したいことを一方的に話して商品やサービスを買わせようと押し付けるのでなくて、相手の話をちゃんと聞いて分析してそれを言語化する能力が必要で、外向的な陽キャだからといって営業に向いているというわけではない。IBMがNHKの営業基幹システムの開発を中止してNHKから訴えられたように、技術者と客に知識の差があるときも営業が顧客が何を求めているのかを的確に言語化しないと齟齬が生じやすくて、その後の工程や納期にも影響する。美容院で客が「短くして」と注文しても「短い」の定義が人によってばらばらで、思ったよりも短すぎたとクレームをつけられかねないので、美容師は素人の客の注文を丁寧に聞き出して客が求める仕上がり具合を言語化する必要がある。商品の展示の仕方も言語化が必要で、洋服屋でマネキンにただ冬用の新作コートを着せて展示するのと、「今年は寒さが厳しくなりそうです。冬将軍と戦う準備はできていますか?」とかのPOPをつけて言語化するのでは、たぶん後者のほうが「そういや今のコートだと去年の冬はちょっと寒かったからもっと暖かそうなのに買い替えようかな」と潜在的な欲を自覚させることができるだろう。映画に「全米が泣いた」とかのコピーをつけるのも泣いてストレスを発散したい観客の欲をわかりやすく言語化しているといえる。ファミリーマートは賞味期限間近のおにぎりに「たすけてください」と涙目のおにぎりが訴える値引きシールを貼って、たすけてほしいことを言語化して客に訴えることでフードロス削減に取り組んでいる。・治療の言語化医者の診察も営業マンと似ていて、良い医者は患者がうまく言語化できない細かい不調を詳しく聞くことによって原因となる病気を絞っていく。いろいろな機械を使って精密検査をすればデータとして情報が出てくるけれど、採血やレントゲンや胃カメラとかの検査は患者の身体的な負担になるし検査費用もかかるので、余計な検査をせずに問診で原因を絞り込めるに越したことはない。オンライン診療だと直接患部を触ったりできないだけになおさら的確に言語化する能力が必要になるし、インフォームド・コンセントの際にも医療用語を知らない患者にもわかりやすい言葉に置き換えて説明する必要がある。問診ができないと医者として役に立たないということで、2018年が東大医学部の入試で面接を復活させて、2020年には九州大学で面接を導入して、現在は日本のすべての大学の医学部の入試でも面接が必須になっていて、暗記力が高くてペーパーテストだけが得意なタイプは医者になれないようになっている。精神医療では統合失調症の治療にフィンランド発祥のオープン・ダイアローグという手法が取り入れられつつあって、従来のカウンセリングのように権威がある医師が患者と一対一でカウンセリングして治療を指示するのでなくて、患者の家族や友人のチームと医師や看護師のチームが開かれた会話をして患者だけでなく患者の周囲の人の話も聞くことで投薬治療を減らせたそうな。薬物治療が全く必要なくなるというわけではないけれど、ちゃんと話す、ちゃんと聞くということが人間の認識の改善に有効だと言える。たぶん言語化することで患者と周囲の人の認識のずれが明らかになっていって、周囲の人が間違っていたり嘘をついたり嫌がらせをしたりしているのでなくて自分の認識が間違っているのだと受け入れて被害妄想の思い込みが緩和していくのだろう。・指導の言語化サッカー選手はどの角度でどのくらいの力を入れてボールを蹴ればボールがどこに飛んで行くかを経験と感覚で理解していて狙ったところにボールを蹴ることができるけれど、その角度や力の強さを物理学の数式で示せと言われても言語化できないだろう。人間は自分が理解していることだからといって言語化できるわけではなくて、良いプレイヤーでも自分の技術を言語化する能力がないと他人に教えることができないので、良いプレイヤーが現役引退後に必ずしも良いコーチになれるわけではない。それゆえに指導者には技術や理論や戦術を言語化して間違いを指摘したり指示を出したりする能力が必要になる。職人がしばしば言う「見て覚えろ」は言語化が不十分で指導の効率が悪い。・反省の言語化学校だと何かをやらかした生徒に反省文を書かせることがあるし、会社だと何かをやらかした従業員に始末書を書かせることがある。これはなぜ失敗したのか、どこが悪かったのかを言語化することで問題を自覚させたり、監督者と注意点を共有して再発を防ぐ狙いがある。ビジネスだとKPTやPDCAとかの振り返りのフレームワークがいろいろあって、反省点を言語化して洗い出すことでやり方を改善して次の行動につなげていて、個人の経験を暗黙知のままにせずに言語化することでチームで作業できるようにしている。・規則の言語化原始的な社会は権力者の気分次第で逆らう人を処刑してきたけれど、そのやり方だと謀反の連鎖が起きて統治が安定しなかったので、秦の始皇帝は権力者でさえ違反すれば平等に罰せられる法律を作って統治しようとした。社会が発展するにつれて法律も複雑になって、何をしたらどのくらいの刑罰になるのかという規則が細かく言語化されて共有されてきた。合法なら何をしてもよいというわけではなくて、様々な物事には法律の範囲内でさらに細かく規則がある。例えばスポーツやゲームを成立させるためにはやってはいけないことのルールを明確にしておかないといけなくて、憲法で表現の自由が保障されているからといって不要に歌ったり踊ったりしてプレーを妨害してはいけない。あるいはレストランのルールは店によって違って、予約の必要性、ドレスコードの有無、会計方法が券売機で事前に会計するか食後に会計するか、クレジットカードやポイントカードが使えるかとか、細かい違いがいろいろある。認知心理学だと手続き的な記憶をスクリプトと呼ぶけれど、この手続きの知識がないとレストランで食事をするという一見して簡単に見える行動でさえスムーズに行かなくなるので、店側は規則を言語化して周知する必要がある。最近はいろいろな店のレジがセルフ化しつつあって、老人が会計の時に操作がわからなくて店員を呼んでいるのをたまに見かける。これは会計機のナビゲーションの言語化が不十分なせいで客が何をすればよいのかわからなくて、店員に聞き直さないといけない状況と言える。マイナンバーカードと健康保険証の紐づけでも高齢者は病院の窓口にある機械の使い方がわからないようで不評である。これからは人手不足やAIの発展でいろいろなものが機械化・自動化していくだろうけれど、そのときに規則がわからないと効率がよくなるどころかかえって不便で非効率になりかねない。・弁護の言語化誰でも言いがかりをつけられたり濡れ衣を着せられたりすることはありうるし、その時には自分のアリバイを説明して、論理的に矛盾せずに客観的な証拠を伴う弁護をする必要がある。あるいは自分のミスを弁解したり、他人のミスをかばったりすることもありうるけれど、その時にもこういう状況でミスは仕方なかったのだと弁解できれば罰則や損害賠償が軽くなるかもしれない。自分の責任と自分の責任でないものを言語化して分けるのもレジリエンスでは大事で、自分の責任でないものまで自分のせいだと抱え込んでしまうと無駄にストレスを抱えることになる。たいていの仕事だと裁量権があるところが自分の責任の範囲で、裁量権がないところは上司や会社の責任なので、それは自分の責任ではないよと弁護できるようになると理不尽に責められたりしたときに対応しやすくなる。アメリカとかのジョブ型雇用だとジョブディスクリプションで責任が明文化されているけれど、日本企業だと契約書に権限が明記されていなくて責任が曖昧なので、自己防衛のために上司の言質を取ったりして自分の責任を確認する必要がある。・環境の言語化近代になって温度計や湿度計とかの様々な計器が作られてそれまで肉眼では観察できなかった状態がわかるようになって、気象衛星が打ち上げられて雲の動きがわかるようになって、温度や湿度や風や波や花粉の飛散状況がどう変化するのかという環境が言語化されて天気予報となった。カーナビは現在位置情報の分析からリアルタイムの交通渋滞情報が提供されて、単に地図上の最短距離をなぞるのでなくて移動時間がかからない道をナビゲーションするようになった。環境が言語化されて正確な状況がわかることで、自分にとって快適な環境になるように調整しやすくなる。踏切の警報やメロディーがなる歩行者用の信号も環境の言語化と言えるし、今は単調な音しかだしていないけれど、信号が変わるまでの待ち時間をカウントするとかしたら待ち時間のストレスを減らしたり、無理な横断を防いだりできるかもしれない。パソコンの初心者が「何もしていないのに壊れた」と言うのも環境を言語化できないので原因が特定できない状態といえる。パーツ構成、OS、インストール済みのソフトとかの使用環境を言語化することで、タブを開きすぎてメモリ不足でフリーズしたとかネット回線が貧弱でウェブサイトの読み込みが中断したとかの原因を特定できるようになる。●言葉を巡る問題インターネットが出現する以前は個人が意見を言ったり議論したりする場所があまりなくて、せいぜい飲み会で愚痴をいう程度だろう。インターネットが出現してSNSのサービスが充実すると誰でも意見を言えるようになったけれど、今度は罵詈雑言や誹謗中傷があふれたり論破されるとブロックして逃げたりしてまともな議論になりにくい。秋葉原の無差別殺傷事件は匿名の掲示板で煽られたことが原因で起きたけれど、もし匿名でのコミュニケーションでもお互いを尊重していたら事件は起きなかったかもしれない。それゆえに他人との距離感や言葉遣いや建設的な議論の仕方が重要になってくる。相手の意見を尊重しつつ相手を傷つけないように自分の意見を言うことをアサーションという。意見の表明の仕方にはアグレッシブ、ノン・アサーティブ、アサーティブの3タイプがあって、トランプがゼレンスキーとの対談で感謝してないとかの辛辣な意見を言ったように、アグレッシブタイプは相手を傷つけたり対立を招いたりしてしまうし、正論だとしても印象が悪くてロジカルハラスメントと呼ばれたりする。あるいは何も主張しないノン・アサーティブタイプもいて、日本人は沈黙は金ということで授業でも会議でも選挙でも無言で意見や態度を表明せずに他人任せにする人が多いのじゃなかろうか。アサーティブタイプはアグレッシブとノン・アサーティブの中間で、相手を害さないように自分の意見をちゃんという態度である。アグレッシブな論調に対しては発言の内容でなくて口調を非難するトーン・ポリシングによって議論がそれてしまいかねないので、相手がいる議論ではなるべくアサーティブであるほうがよい。SNSで何も意見を言わなければ変な人に絡まれることもないけれど、批評をしたりして自分で物事を考えないと思考能力や言語能力は徐々に衰えてしまうので、何か言いたいことがあるなら言うほうがよいだろう。間違った意見だとしても表現の自由や思想の自由は憲法で保障されているし、間違ったことを言って批判されるとしてもそれは生涯残るような恥ではなくて間違いを認めて意見を修正すれば済む程度の話だし、自分がもっと賢くなれる機会になるので、意見が間違っていることを恐れる必要はない。批判は相手の人格を否定することが目的でなくて学術的な真理の探究や幸福の追求を目的にしているし、議論を重ねるからこそわかるようになる物事もあるので、批判することも批判されることも恐れる必要はない。全知全能の人はいなくて高学歴な専門家だって専門外の分野の事は間違うものだし、だからこそ自分の意見を言うだけでなくて自分とは異なる他人の意見や批判も聞く必要がある。●我々は言葉と共に生きているGigazineの「知能は老化ではなく「頭を使わないこと」で衰えるとの研究結果、よく頭を使う人は年を取っても能力が成長し続けることが判明」という記事によると、仕事などでスキルをよく使う人は読み書き能力と数的思考力が60代まで成長し続けて、スキルの使用頻度が低い人は30代半ばから能力が衰え始めたそうな。定年退職した人が急に老け込むことはよく言われているけれど、なるべく頭を使うほうがよいという科学的な裏付けが出たといえる。頭を使うことを言い換えると言葉を使って考えるということである。じゃあ何を考えればよいのかというと、たいていの人は働かないと生きていけないので、未成年のうちは勉強のことを考えて、就職したら年金をもらえるようになるまで仕事のことを考える。高齢者が定年退職して時間がたくさんあるのに頭を使わないのはもったいないので、趣味や哲学や芸術とかについて考えるのが建設的だろう。インターネットで世界中がつながっている現代社会において孤独であるということは、単に物理的に一人でいるということではなくて、自分の言葉が誰にも理解されなかったり他人の言葉を理解できなかったりしてコミュニケーションができないことではないかと思う。高齢化が進んでいてもインターネットさえあれば過疎地とかの高齢者の孤立も防げるだろうし、例えばライブ配信中の高齢者が脳梗塞の兆候を見せて視聴者が救急車を呼んで助かったという事例もあるし、ネットで医師とビデオ通話して毎日体調を確認している。他の人を励ましたりしている人には人が集まってくるし、悪口や暴言を言っている人は周囲から人が離れていって孤独になる。介護施設でも穏やかな老人は周囲に感謝を伝えて丁重に扱われるのに対して、暴言ばかり言う老人は疎まれて孤独な最後を迎えることになる。フランスだとユマニチュード(人間らしさ)というやり方で認知症の介護をして、同じ目線で、話しかけて、触って、立つ時間を作るという4つを軸にして人間らしさの回復を目指すそうで、日本でこのやり方を試して認知機能が回復した動画を見たのだけれど、言葉が人間の存在に不可欠な要素の一つといえる。もともと言葉は群れの中でコミュニケーションをとるために発展してきたのだから、自分が孤立しないように言葉を上手く使うにこしたことはないし、引きこもりや認知症や精神障害とかで孤立した人を救うためにも言葉が必要といえるだろう。人間は言葉によって文化や文明を築いてきたからこそ言葉を蔑ろにしてはいけないし、文学部を実学でないからといって軽視するような資本主義の考え方はよくない。せっかく言葉を使う動物として自我を持ったのだから、罵詈雑言を言わずに美しい言葉や楽しい言葉を使うほうがよい。というわけで、人類はもっと小説を読むほうがよいという結論に至る。
2025.03.11
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最近は東洋水産のカップうどんの「赤いきつね」のアニメCMの「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編が性的だと批判されたので、これについて考えることにした。●CMとは何かCMとはコマーシャルメッセージの事で、企業が商品やサービスを宣伝する動画を作って、テレビや動画サイトなどで見てもらうことである。アプローチするターゲット層を絞って、CMを出稿する媒体を決めて、企業が自分で広告を作れない場合は広告代理店とかに動画を作ってもらう。例えば子供向けにおもちゃを宣伝したかったら、子供がよく見る夕方のアニメ番組を放送しているテレビ会社に対して広告を出稿する。●赤いきつねと緑のたぬきのCMの良し悪し赤いきつねのCMは女性が部屋でテレビを見て赤いきつねを食べて、緑のたぬきのCMは男性が残業中に緑の狸を食べるという内容をアニメで描いたものだった。このCMは単に誰かが食事をしているだけという感じでストーリー性が乏しくてあまり面白味がない。一人暮らしの人をターゲットにして、孤独な人が暖かいものを食べてほっとして癒される感じを出したかったのかもしれないけれど、アニメは現実ではできない演出をやれるのがメリットなのに、動きが乏しくてアニメでやる必然性がない内容になっている。赤いきつねのCMは登場人物の絵柄と背景の絵柄のスタイルが違っていて、窓の横にドアがある間取りが変で、座椅子の座り方やテーブルの高さとかの家具の縮尺にも違和感がある。緑のたぬきのCMはパソコンがある仕事用の机で汁物を食うなよ、食べ終わったやつを書類の上に置くなよと突っ込みたくなる。アニメで宣伝をやるならアニメならではの表現に凝ってほしいところである。私がアニメのCMで印象に残っているのは日清食品がカップヌードルの広告として企画した2006-2008年のFREEDOM-PROJECTで、この広告では大友克洋がキャラクターデザインをして宇多田ヒカルがテーマソングを書きおろしていて短いCMだけでなくてOVAもちゃんと作られていて、自由を応援する企業姿勢が見えたのがよい。CHAGE&ASKAの楽曲「On Your Mark」のプロモーションのためにスタジオジブリが作った6分48秒の短編アニメもストーリー性があってよくできていた。●性的だという批判は妥当か赤いきつねのCMは女性が頬を赤らめているのが性的だとか、髪をかき上げるのが性的だとかの批判があるようだけれど、この批判は妥当なのか。そもそもほとんどの生物は男性か女性かで性別を持っていて性的な特徴がある。どこがどう性的なのかをいちいち指摘するのは不毛で、それを言うならイスラム原理主義者から見たら女性が肌や髪を出しているだけで性的でけしからんということになるし、アニメや漫画で人物を表現すること自体が偶像崇拝でけしからんということになる。同様に、女性からみたら男性にひげや筋肉があったり食べ物を食べてのどぼとけが上下するのが性的だと思う人もいるだろう。1989年のカップヌードルCMでシュワルツェネッガーがやかんを振り回して力こぶを強調していたけれど、それも性的になりうる。中国だと女性インフルエンサーのアー・ミャオが男性の喉仏は性的だからカバーで覆うべきだと提唱して、のどぼとけブラが数千個売れたそうな。誰かにとって気分を害する性的なコンテンツだという理由で表現を規制していくと、最終的に男女ともに布をかぶって目以外を覆わないといけないようになるし、それはナンセンスである。口紅や頬紅は性的アピールのためにつけるものだし、下着や生理用品の広告は人を映さずに商品を見せるだけでも性的になりうるし、じゃあそういう商品は広告を出しちゃいかんのかという話にもなる。それに芸術作品に対するフェミニズム批評には批評のアプローチとして意義があるにしても、広告は映像作品として評価されることを目的としていなくてターゲットに対して商品の認知度を高めて売上を増やすのが目的なので、ターゲット外の人がどう思おうが売上には関係ないので広告の批評はあまりやる意味がない。嘘、おおげさ、紛らわしい内容の広告は消費者の不利益になって景品表示法に抵触するし、差別や偏見を助長する内容の広告は社会的良識に反するので批判されてしかるべきだけれど、広告に性的な要素があるからといって商品を買った消費者の不利益になるわけではないし違法でもないので、商品やスポンサーをボイコットする理由にはならない。アニメや漫画とかの非実在人物の表現にけちをつけるフェミニストは昭和の左翼の言葉狩りと同様のアニメの表現狩りをやろうとしている。赤いきつねだけでなくて、日本赤十字社が献血キャンペーンのポスターに漫画の「宇崎ちゃん」を起用したこともフェミニストは性的だと批判した。どんな表現でも嫌いだと思う自由はあるけれど、たかが30秒程度のCMなのだから嫌いなら見なければいいだけの話で、不快に思ったところで寝て起きたら忘れる程度のことだろうに、わざわざ集団で粗さがしして粘着して炎上させようとするのはチンピラが肩をぶつけてきて慰謝料を請求するみたいなもんでたちが悪い。憲法で表現の自由が保障されていて景品表示法とかの広告規制に抵触しない範囲内で合法的に作られているコンテンツを法的根拠なしに主観だけで規制しようとするキャンセルカルチャーには私は賛同しないし、広告を出す企業側もターゲットから外れていて売り上げに貢献しない少数のセンシティブな沸点が低い人たちのクレームを聞く必要はないだろう。結局のところフェミニストによる無理筋な批判はかえって批判対象の知名度を高めて、フェミニストの異常さを際立たせる結果になっている。●私ならどんなCMを作るか私が赤いきつねと緑のたぬきのCMを作るとしたらどうするのか、頭の体操として予算を度外視して考えてみる。ちなみに私はテレビを捨てたので、武田鉄矢がCMをやっていたのしか知らない。・クリスマス編サンタクロースの格好をした東洋水産の社長が子供の靴下にこっそり赤いきつねを入れていって、子供が大げさに小躍りして喜んで、一口食べてあざとく「おいちいね」という。ターゲットはテレビを見る高齢者で、孫が遊びに来た時にすぐに食べられるおやつとして赤いきつねと緑のたぬきを常備しておくとよいと刷り込む。・バレンタイン編チョコをもらえなくて落ち込んでいる男子に女子が義理きつねをあげて、ホワイトデーに男子が義理たぬきを返して一緒に食べる。ターゲットは食べ盛りの高校生で、小遣いの範囲で買えるおやつとしての選択肢を提示する。・将棋編早指しで対局中の棋士が赤いきつねと緑のたぬきを食べながら将棋を指して、夢中になって食べているうちに時間切れで負けてしまう。ターゲットは将棋好きな高齢者で、将棋を見るたびに赤いきつねと緑のたぬきを連想するように刷り込んで買ってもらう。・ビートボックス編ビートボクサーたちが赤いきつねと緑のたぬきを食べる音だけで音楽を作って、ヌードルハラスメントを芸術に昇華する。ターゲットはデジタルネイティブ世代で、SNSでの話題作りを狙う。・ふんどし編祭りでふんどし一丁の阿部寛が体から湯気を発しながら赤いきつねを食べて、腰をパァンと叩いて去っていく。ふんどしがうどんを表して、コシの強さをアピールする。ターゲットは祭り好きな男性で、祭囃子でテンションを上げて買ってもらう。・ホワイト赤マン編ホワイト赤マンが赤いきつねをずるずるずるずると食べてごくごくごくごくと汁を飲んで寄り目になる。ターゲットは小学生で、ホワイト赤マンの真似をして食べたくなるようにする。・昔話編昔々あるところにいる爺さん(武田鉄矢)が迷子の子狐を助けたら、親狐がお礼に赤いきつねを持ってきたので食べてほっこりする。ターゲットは中高年で、昔からある人気の商品だということをアピールしてノスタルジーに訴える。・名探偵編名探偵コナンとコラボして、赤井秀一が狙撃中に赤いきつねを食べて、目暮警部が緑のたぬきを食べて、コナンがつゆをペロッと舐めて「これは本格的な出汁、謎はすべて解けた」と決めセリフを言ってサッカーボールを蹴ってビルが爆発する。ターゲットはコナンファンで、目暮警部の腹巻や安室透の夫婦箸とかのコラボグッズプレゼントキャンペーンで釣って買ってもらう。・龍玉編ドラゴンボールとコラボして、孫悟空が赤いきつねを食べて、ピッコロが緑のたぬきを食べてパワーアップして、どん兵衛を食べているベジータとナッパをボッコボコにする。ターゲットはドラゴンボールのファンで、7個食べるとグッズが当たるキャンペーンで釣って買ってもらう。
2025.03.03
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コンビニで生まれたコンビニ人間が他の人を真似て人間に擬態する話。第155回芥川賞受賞作。●あらすじ子供のころから突飛な行動をしてきた古倉恵子は大学1年生のときにスマイルマートというコンビニでアルバイトを始めて規則に従うことで居場所を見つけてコンビニ人間として誕生して、19年経って36歳になっても同じコンビニで働いていて、24歳の菅原さんの服装を真似たり愚痴に同調したりして人間のふりをして安堵する。地元の友達のミホたちと話していたら恋人がいないと素直に答えてしまい、病弱だと嘘をついてごまかす。35歳の痩せた男の白羽はバイトをさぼりがちで客の女性にストーカーして異物としてコンビニから排除されて、恵子はミホの旦那と会ったときにアラフォーなのに結婚を焦っていないことをヤバイと言われて自分も異物として排除されると危機感を持って、白羽に結婚を持ちかけて家に連れ込んで餌を与えて風呂場で飼うことにする。店長にうっかり同居していることを言ってしまったら同僚たちがゴシップに夢中になって仕事をさぼるようになる。妹が家に来て白羽を叱り、白羽の兄嫁が家に来て白羽を叱ったので、白羽は恵子にコンビニを辞めさせて就職させることにするものの、恵子は面接に行く途中に立ち寄ったコンビニでコンビニ人間であることを自覚して勝手に商品を整理しだして白羽と喧嘩して面接をキャンセルする。●感想恵子の一人称。ナラトロジーを理解していなくて、いつの時点でいつの出来事を誰に対してなぜ語るのかという設定ができていなくて、現在形と過去形が混在している下手な一人称になっている。私小説作家でない人は一人称で私生活を語る理由がないし、コンビニの規則に忠実なはずの恵子が働いている最中に守秘義務に違反して同僚の年齢とかのプライバシーまで公開して語るのは設定が矛盾しているので、そのぶんリアリティがなくなる。恵子がコンビニの規則に忠実だという部分はこの小説の根幹部分なので矛盾してはいけない。55ページで赤ん坊を静かにさせる手段としてナイフを見る場面は三人称ならホラー的な演出になるけれど、一人称で書くと恵子は子供をナイフで刺して黙らせてはいけないと自覚したうえであえてナイフに言及している計算高い人物だという構図になってしまって、常識がわからないという恵子の人物像が壊れてしまう。登場人物については読書に慣れている人なら恵子と対極の存在の白羽が出てきた時点でこれとくっつくだろうなと予想がついてしまうし、白羽はいかにもプロットのために用意した人物という感じでセリフや思考が芝居がかっていて不自然だし、予定調和的に同居するので、白羽の存在がご都合主義的でかえってつまらなくなってしまった。変人でないと恵子の相手役が務まらないにしても、変人が二人いると主人公の恵子が目立たなくなってしまうし、恵子はコンビニ人間に戻るというオチがついても白羽はどう生きるべきかというオチがついていない。妹が恵子を治そうとするのも変で、病気でもないのに何をどう治そうとしているのかよくわからない。恵子が目的のために手段を選ばないで変な行動をするのも子供の頃だけで、大人になってからは変人ぶりがこぢんまりしている。コンビニを辞めた後に手段を選ばずに老人が一人で経営している駄菓子屋を乗っ取ってコンビニに改装してコンビニオーナーとして働くくらいやるのかと思ったら、普通に就活しているところはけっこう常識的で期待外れである。哲学的な構図としては、コンビニ人間として生きようとする恵子のテーゼに対して、結婚せずにアルバイトのままなのはやばいというミホの夫や白羽とかがアンチテーゼとして出てくるけれど、そこでジンテーゼに至らなくてまたコンビニ人間になろうというところに戻ってしまう。結局恵子の考え方や生き方が変わるわけではないので、白羽との同居云々が蛇足のような話になっている。白羽が納得するようなコンビニ人間像が描けていればジンテーゼになったのだろうけれど、白羽は最後まで恵子の生き方が理解できないままで、恵子や白羽の人生観に進展がない。良い点としては、冒頭で音を中心に状況を描写してものの捉え方を異化しているのはよい。白羽の飼い方にもユーモアもあって、かわいそうな人を書いて同情を誘うような安直な話にはなっていない。この小説ではコメディとして戯化されているとはいえ恵子のような人は実際にいて、その点では人間の実存を描いているといえる。「普通」がわからない女性でもパートタイムの仕事は見つけやすいけれど、男性は生活のために手段を選ばずに犯罪をする「刑務所人間」になりがちで、例えば小島一朗は自分で考えて生きるのが面倒になって無期懲役になることを狙って新幹線で殺人をしたし、境界知能で就職できなくて何度も犯罪をする人は刑務所のほうが規則があってやることが決まっていて楽だからという理由で出所してもすぐに無銭飲食や窃盗とかをして刑務所に戻ろうとする。「刑務所人間」だと被害者がいるのでコメディとして笑えないけれど、「コンビニ人間」は社会の役に立って居場所があるだけまだ救いがある話になっている。結局は恵子は妹が求める「普通」になることはできなくて子孫も残さないだろうけれど、他人が何を言おうが自分が生きたいように生きるのが本人にとっては幸せなのだという希望があるのはよい。良い点があるだけに、ナラトロジーを理解していない下手な一人称なのはもったいない。一人称で書く必然性がない内容なので、三人称で書いたほうが技術的な完成度は高くなっただろうと思う。★★★☆☆コンビニ人間 (文春文庫) [ 村田 沙耶香 ]価格:693円(税込、送料無料) (2025/2/23時点)楽天で購入
2025.02.23
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私は私の視点しか持たないので他人にとって世界がどう見えているのかはわからないけれど、おかしなものの見方をする人や、不合理的な行動をする人や、論理的な話が通じない人がいるのを不思議に思う。こういうのは物事のとらえ方とかの視点の違いが根底にあるような気がするので、視点について考えることにした。●女性の自撮りの視点男性は写真を撮るときに物や景色だけを撮影するのに対して、女性は自分を中心にしてその背景に物や景色が映るように撮影して、なんでもかんでも自撮りにしてしまう。なんでそんな写真の撮り方をするのか不思議である。外国だと迫りくる電車を背景にして自撮りしようとして電車に轢かれる女性や、崖を背景にして自撮りしようとして崖から落ちる女性や、美術館で作品を背景にして自撮りしようとして後ろに下がって展示物を壊した人とかがいる。ARTnewsJAPANの「アート作品の「自撮り破壊」が急増中! 保険会社が「セルフィー・パンデミック」と警告」という記事によると自撮り中の事故が多いようで、個人の不注意というよりも、自撮りして周りが見えなくなる行動パターンが女性に共通する特性なのじゃないかと思う。女性は物事を自分を飾る背景として利用しているという仮説を立ててみると、この女性特有の自撮りのやり方の説明がつくような気がする。もちろん女性が全部そういう人というわけではなくて、YouTubeの旅行や食事の動画でも顔出しや声出しをしない女性はいるけれど、そういうチャンネルはあまり伸びない。アタシを見てというアピールが強くて感情を表に出して共感を集められる人ほどSNSではフォロワーが多くなる。動物の雄は雄同士で争って力ずくで配偶者を得ることが多いけれど、雌は自分に注目を集めるのが配偶者を得るための生存戦略になる。だもんで人間の女性は服にフリルやら刺繍やらをつけてアクセサリーをじゃらじゃらさせて化粧をして目立つ格好をしていることが多い。SNSが登場した後も無自覚に本能的に自分を飾るものとして利用して、フォトジェニックな被写体を自撮りの背景や小道具にして自分を飾って注目を集めようとしているのかもしれない。●理想主義者の視点理想主義者はこうあるべきという理想を掲げて、その理想に人間を合わせようとする。その極限が全体主義や宗教原理主義で、ソ連では個性を無視して国民を理想の労働力に仕立てようとして失敗して、中国では民族を無視して国民を一つの中国人にしようとしてチベットやウイグルを弾圧して文革で知識人が粛清されて文化や経済の発展が遅れた。宗教原理主義では言わずもがなで、異教徒や異端者が処刑されて、経典とは異なる説を主張する学者も処刑されて科学の発展が遅れた。歴史上で理想を掲げて理想通りにうまくいった国はないけれど、その失敗を欧米でも繰り返している。多様性と移民について考えるという記事でも考えたけれど、グローバリストの理想である多様性と移民受け入れ推進が原因で欧米は取り返しがつかない大失敗をしている。スウェーデンは難民を助けられる寛容な国になろうという理想に向けて邁進した結果、犯罪が多発してEUで一番治安が悪い国になった。EU経済の牽引役だったドイツは2000年代はEU内の移動の自由の恩恵を受けてポーランドとかのEU内の出稼ぎの安い労働力のおかげで製造業が好調だったけれど、2010年代に中東やアフリカの難民受け入れ推進や脱原発とかの左翼政策を実行したら、中東の移民は安い労働力になるどころか福祉頼みで働かずに犯罪をするし、ウクライナ戦争でエネルギー価格が高騰して産業の中心だった工業の製造コストが高くなってEVと中国と価格競争しても利益がでなくて景気が減退した。世界一の軍事力と経済力を持つアメリカでさえバイデン政権の4年間のLGBT推進やメキシコからの不法移民の受け入れで内戦の噂が出るほど国内が揺らいで、企業は優秀な人をLGBTだからといって差別せずに能力主義で採用するならまだしも、逆にマイノリティーが活躍するのが理想の社会なのだと優秀でない人をLGBTだからといって優遇して採用するようになって経営が傾き始めて、トランプ政権がDEI推進をやめたらgoogleやディズニーやゴールドマンサックスなどは好機とばかりに便乗してさっさとDEI推進をやめた。企業はCEOや株主がどんな理想を掲げようが現実を見て利益を出さないと収入が減るし最悪の場合は倒産するので方針転換が早いけれど、国家は政策の効果が出るまで時間がかかるし失敗が明らかになっても次の選挙で政権交代するまで何年も方針転換ができないし企業と違って倒産して別の会社を作ってやり直すこともできないので、そのぶん失敗の被害も大きくなるしリカバリーも大変になる。個人で理想の生き方を目指すのは個人の自由だけれど、理想の国家を作ろうとするとその理想と辻褄が合わない現実のどこかに無理がでるし、他人の自由や権利を制限して理想を実現しようとすると最終的には独裁と腐敗に至って、独裁者が自分を脅かす優秀な人や自分の間違いを指摘する人を排除するようになって独裁者の能力不足がボトルネックになって失敗する。ザイム真理教徒も借金や赤字がない状態が健全で安心だという理想ありきで国債発行や公共事業を否定して、バランスシートの負債の反対側には資産があるという会計の基本的なことさえ理解していない。国債を発行せず通貨を増やさず国が産業育成のために投資せずに資産を増やすことは無理だし、国は利益が出ない治水や保安や防衛とかをやらないといけないので必然的に国家運営は赤字になるし赤字でもキャッシュフローがなくなるわけではないので別に問題ないのに、現実の経済の仕組みを無視して理想に合わせようとして無意味な単年度のPB黒字化を目標にして緊縮財政でインフラ投資をやめて、世界が経済成長している中で日本だけ30年経済成長せず、土木業が衰退してインフラ補修ができなくてトンネルの天井が落ちたり橋や水道管が壊れたりして能登地震からの復興も滞って資産価値もなくなりつつある。豊かな国はどういう状態かというと、税収が多いことではなくてエネルギーや食糧やインフラや医療とかの生活に必要なものやサービスの供給が多くて国民がその恩恵を受けられることだろうに、政治家は与党も野党第一党の立憲民主党も税収を増やすことを目標にして増税して零細事業者を破綻に追い込んで供給力を棄損してインフレで国民を貧しくして貧富の差が拡大して食料さえ買えない人を増やして不幸においやって、その穴埋めに外国人を優遇して株や土地を売って国富を外国に流出させるというナンセンスなことをやっている。間違っている理想を否定するには単に正しいことを教えて間違ってるよと指摘するだけでは不十分で、間違った理想を壊す必要があって、それには大きなエネルギーがいる。例えば大日本帝国は太平洋戦争で敗戦しなければ帝国主義の間違いを自覚できなかったし、徹底的に理想が壊されたので日本に帝国主義者はほとんどいなくなって、一億玉砕だの鬼畜米英だのと言っていた人たちがすんなりマッカーサーと民主主義を礼賛するようになった。これはLinuxをインストールしたパソコンでWindows用のソフトを動かそうとしても動かないようなもんで、部品は同じでもいったんOSを削除してパラダイムを変えないと新しい考え方を受け入れられない。財務省の犬の岸田が暗殺されかけたり、財務省の前で財務省解体デモが起きたりしているけれど、それでも日本に数千万人いるザイム真理教徒の考え方を変えるには不十分である。日本でさらに少子化と人手不足が深刻化して移民だらけになって治安が悪化してぼろぼろになったり、首都直下型地震や南海トラフ地震で大都市圏のインフラがぼろぼろになったら政権交代を求めるエネルギーが集まって政策が変わるようになるのかもしれないけれど、そこまで追い込まれないと間違いに気付けないようだと手遅れである。●自己中心的ヒロイズムの視点左翼に話が通じない人が多いのも視点が違うからかもしれない。例えばトルコから来たクルド人は出稼ぎ目的だと調査で明らかになったにもかかわらず、左翼はなぜか偽装難民の不法滞在を支援したがっている。産経新聞の記事だと4人世帯だと最大で27万6千円の生活費が支給されると言っているけれど、左翼はこの事実を見ようとしなくて、デモクラシータイムズの動画だと保護費を何十万円ももらえるのは右翼のデマだと言っている。別の産経新聞の記事だともはやトルコでクルド人の弾圧はなくてトルコ政府は川口市のクルド人をテロ組織支援者だと認定しているにもかかわらず、左翼は現地を取材せずにいまだにトルコのクルド人は弾圧されたかわいそうな人だとみなして支援している。難民申請が認められなくて強制送還された人がその後投獄されたり処刑されたりしたか追跡調査すればすぐわかるだろうに、左翼はそれすらやらない。難民申請をする人が実際に政治的に迫害されているかどうかにかからわず、左翼はクルド人は迫害されているかわいそうな人たちだというストーリーに当てはめて自己満足のヒロイズムのために利用して、実際には迫害されていない単なる出稼ぎ外国人の不法滞在を手助けして、その負担は国民に負わせようとしている。自分は費用を負担せずにヒーローを気取れるので、偽装難民を支援するのは偽善者にとっては都合がいい仕組みになっている。弁護士が集団で偽装難民を支援したがるのも判例に名前を残したい名誉欲にかられているのだろうし、弁護士が不法滞在を支援したりテロ組織支援者を支援したりするのは異常である。生活保護の場合は不正受給すると詐欺罪で逮捕されるし、不正受給を手伝ったら詐欺幇助になるけれど、難民申請は政府に迫害されているという主張が虚偽だろうが放免中は生活費がもらえてビザが切れても滞在期間を延ばせるし、主張が虚偽だとわかっても犯罪になるわけでもないし生活費の返済を求められないのでやり得になっている。放免中は就労を禁止されているといっても常に監視されているわけではないので、既に日本に仲間が定住しているなら仕事をあっせんしてもらって違法に収入を得ることもできる。何もしなくても生活費がもらえる上に不法就労で稼げるし、逮捕されたところで警察官に外国語での取り調べができる人がいなくて不起訴になるか強制送還されるだけで金銭的なデメリットがないので、法律を無視して解体工事をしたり道路を占拠したりしてやりたい放題やっている。そんで偽装難民が無免許無保険で仲間に借りた高級車を乗り回して事故を起こしても、偽装難民を支援している偽善者の左翼が責任を取って代わりに被害者に補償するわけでもない。熊がかわいそうだから殺処分するなと主張する人たちも構図としては同じで、自分を正義の主人公に仕立て上げるための素材として熊を利用していて、電話で役所に抗議はするけれど熊被害を出さないための対案を出すわけでもない。何の知識や技能がない人でも「かわいそう」と認定した相手の庇護者のふりをすればヒーローを気取って満足できるので、役所や猟友会の業務妨害をするクレーマー化してストレスを発散しているのだろう。ヨーロッパの環境保護活動家とかのソーシャルジャスティスウォーリアーもそうで、自分では美術品を作れない無能な人たちが美術品にペンキをかけて壊したり、道路に座り込んで救急車を止めたりして自分に注目を集めて、実際の環境保護に全くつながらなくてもすごいことをやった気分になって自己満足している。こういう人たちは問題を解決するためでなく自分がヒーロー気取りで気持ちよくなるために活動しているので、自分の行動が他人や社会に害をもたらしていても無頓着である。●高望みする婚活女性の視点アラフォーの婚活女性がメディアで取り上げられるときに年収1000万円でイケメンで高身長で高学歴で長男以外で子供は欲しくなくて義両親と同居や介護はしたくないとかの高望みの条件を掲げて炎上するけれど、こういう女性たちは自分を客観的に見る能力がないのだろうかと不思議に思うので、なんでそうなるのか考えてみる。経営者とかの大金持ちの男性がトロフィーワイフとして美人の芸能人と結婚することがあるけれど、この場合はトロフィーワイフは夫の稼ぎで悠々自適に過ごせるので別に文句は出ないだろう。あるいは女医や水商売の経営者とかの高収入の女性が若いイケメンをヒモにするのも同様である。つまりは女性が金持ちになるには、美人になって金持ちのトロフィーワイフとして選ばれるようになるか、あるいは自分で事業を起こせばよい。ところが高望みする婚活女性の場合、美人というほどでもないのにトロフィーハズバンドの稼ぎで悠々自適に生活したがっているところが図々しいし、自分にたいした収入があるわけでもないのに低収入の男性を見下しているのも感じ悪い。しかも条件だけで選別して人格を見ていないのも相手に対して失礼である。こういう女性たちは自撮りをする女性のように、夫の肩書を自分を飾り立てる背景素材として使おうとしているのだろう。なんで当事者なのにそのおかしさを客観視できないのかというと、周りで婚活している女性が高望みの条件をつけていつまでも結婚できない人だらけなので、その中で自分ひとりだけが特におかしいとは思わないのかもしれない。ガンジス川で水浴びしているインド人たちが汚いという自覚がないようなもんで、周りがみんなやっているからそれが普通だと思って心が汚れている自覚がないのだろう。もし周りの人たちが相手の年収なんて関係ないわよ自分で稼ぐわよ容姿より性格わよという人だらけなら自分ひとりがイッセンマンッ!イケメンッ!出てこいやッ!と鼻息を荒くしているのはおかしいと気づくのかもしれない。●被害者ぶりっこの視点Xでしばしば交通事故のドライブレコーダーの映像が出てくるけれど、外国で女性ドライバーが信号待ちで止まっている車に後ろから衝突して、自分に非があるにもかかわらず被害者ぶって相手を批判している様子が晒されていた。こうした女性の傲慢な態度は「退かぬ!媚びぬ!顧みぬ!」とも揶揄される。5ちゃんねるが2ちゃんねるだった頃に、自分が浮気をして有責で離婚しても女性だから慰謝料をもらえると勘違いして相談を書き込んで夫を責めていた「伝説の92」と呼ばれる女性もいて、そういうとんでもない勘違いをしている人たちはまとめサイトで「報告者がキチ」というタグがついていたりする。四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件ではATMで女性が財布を盗もうとして失敗して被害者の男性を泥棒扱いして、男性が誤認逮捕されている間に逃げた。たぶんこういう女性たちは被害者ぶって泣いたりしてかわいそうなふりをすると「どしたん話聞こうか?」と周囲に保護してもらえるということが子供のころから刷り込まれて、危機的状況になったときに生存戦略としてとっさに事実をゆがめて自分は悪くない相手が悪いと罪をなすりつけてぶりぶりと被害者ぶりっこの振る舞いをするようになるのだろう。現代はそこら中にカメラがあって監視カメラやドライブレコーダーとかの客観的な証拠で嘘がすぐにばれるので、自分に非がないと主張してもその場しのぎにしかならなくてあまり賢い生存戦略とはいえない。それでも証拠がない場合だとかわいそうな人を助けてあげなくちゃという義憤にかられてヒーローになりたがる正義マンがしゃしゃり出てくるので一時的な味方は得ることができて、例えば草津町の黒岩町長冤罪事件で虚偽告発した新井町議は被害者ぶることでフェミニストたちを味方につけた。最近は赤いきつねのCMに対してフェミニストたちが女性の頬が赤いのが性的だのと批判しているけれど、この感覚も一般人の感覚と乖離している批判である。漫画やアニメとかのフィクションで女性がどう描かれようが実在の女性が被害を受けるわけではないのに、フェミニストたちは「女性像」が被害をうけたとみなして当たり屋みたいに難癖をつけて表現を規制しようとして、被害者かつ被害者を救済するヒーローという都合のいい立場にいようとしている。●妬む人の視点SNSでは芸能人や有名人のアンチが日々誹謗中傷を繰り返しているけれど、そのエネルギーはどこから来るのかというと、嫉妬が根底にあるのだろうと思う。SNSで誹謗中傷する人を情報開示したら生活保護や精神障害とかで示談金が払えないと泣きついてきたとかのエピソードがあちこちにあるけれど、社会的弱者ほど妬みが強くなるのかもしれない。世の中は不平等で理不尽なもので、生まれた家の親の国籍や裕福さや遺伝子でその後の人生の難易度が大きく変わるけれど、それが受け入れられなくて恵まれた人を妬む人もいるのだろう。あいつだけずるい、だから自分にもよこせという理屈で窃盗を正当化しようとする人もいる。日本人には同調圧力が強くて、自分が損をしてでも相手に損をさせようとするスパイト行動をする人が顕著に多いという行動経済学の研究がある。たぶん日本人は明治時代になるまで農民が土地を離れる自由がなくて同じ集落の同じメンバーでの農耕生活が長かったので、村八分にならないために同調しないといけないというメンタリティーが継承されてきたのだろう。高度経済成長期に終身雇用で一億総中流と言われた頃までは同調圧力があることで社会が円滑になったのかもしれないけれど、もはや終身雇用でなくて個人の自由が大きい現代では同調圧力はむしろ邪魔になっている。スタート地点は違っても結局は自分が知識や技術を身に付けないと自分の生活は向上しないし、自分より恵まれた人や優れた人を妬んで引きずり下ろして平等にしようとするのは不毛なので、SNSで有名人の生活を見て妬む暇があるなら自分の生活を向上させることに集中するほうがよいだろう。論語に「子曰く、如し周公の才の美有るも、驕り且つ吝ならしめば、其の余は観るに足らざるのみ。」というのがあって、いくら周公みたいな多才な人であろうが傲慢でケチならダメよと言っている。「君子は泰かにして驕らず。小人は驕りて泰かならず。」というのもある。実業家や芸能人とかの社会的成功を収めた人の中には傲慢でケチな人も少なからずいるし、松本人志みたいに女遊びに金を払うのをケチって転落する人もいるけれど、たぶんそもそも成功する人の絶対数が少ないので、成功するまで必死で仕事だけして生きてきて成功した後に教養がないし周りに諫める人もいないのでどう振舞えばいいかわからないのだろうと思う。だからといってそういう人たちを妬んで誹謗中傷してざまあみろと憂さ晴らししてよいわけではないし、才能がない人が傲慢でケチならなおさら見苦しくなる。●小説家の一人称の視点統計があるのか知らないけれど、私の体感だと男性の小説家には三人称の小説が多くて、女性の小説家には一人称の小説が多い印象である。そんで女性の小説家が書く一人称の小説は語りの構図が矛盾していることが多い。例えば『推し、燃ゆ』や今読んでいる途中の『コンビニ人間』とかも現在進行形で一人称で語ったりしていて、現実にはありえない矛盾した語り方になっている。これは単に文学理論を勉強していない作家が多いというだけの問題でなくて、性差で物事の認識の仕方が違っていて、女性は構造的な概念の認識能力が弱いのじゃないかと思う。図形認識や空間認識や論理的思考力に男女差があるのは科学的に研究されていて、男女差はないという説もあるけれど、将棋や囲碁では男性のほうが強いのが現実で、一般人の平均的な能力でなくプロ同士の能力を比べると明らかな性差がある。情報量が多い視覚的な構造の認識でさえ差がでるのだから、情報量が少ない抽象的な構造の認識でも当然性差が出てくるものだと推測できる。その一方で、女性は母語や外国語の言語能力や共感力とかの非言語能力が男性よりも高いと言われていて、これは狩猟採集生活をしていた頃に女性が赤ん坊の表情や泣き声とかに反応して育児していく中で能力が高まって性差ができたものと思われる。そんで共感力が高い女性の小説家は共感力を活かして登場人物に感情移入してそのまま登場人物になりきって一人称で小説を書こうとして、結果として矛盾した構造の一人称の書き方になることが多いのじゃないかと思う。美術だとでこぼこした複雑な立体の透視図の書き方を間違えると矛盾したねじれた線が出てきてしまうけれど、図形認識能力が低いとその矛盾に気付かない。スペインで美術品の修復に明らかに失敗しているのに修復した人に失敗の自覚がないのも認知能力が低いからだろう。小説も同様に文字だけで空間と時間の推移の四次元の物語を書く必要があるので、映画のカメラマンのようにどの場面をどの視点から俯瞰してどこに焦点を当てるかという構造を理解する能力が必須になるし、その能力が低いと構造の矛盾に気付かなくなる。共感力が高いのは長所と言えるけれど、だからといって小説の構造が矛盾してよいことにはならない。俳優の演技なら登場人物になりきるやり方でいいし、脚本家はセリフが中心で空間を描写する必要がないし、詩は抽象度が高くて主観的な感性が魅力になるので、共感能力が高い一方で空間認識能力が低い人は小説家よりも俳優や脚本家や詩人とかのほうが向いてると思う。●まとめ私は研究者でないので根拠のないただの偏見だけれど、男性は三人称的に社会と自分の感情を切り離して見る人が多くて、女性は一人称的に社会と自分の感情を結び付けて見ている人が多いような気がする。例えば女性は自分のことを〇〇ちゃんと言ったり、公的な場で家族に言及するときに第三者から見た血縁関係の「父」「母」でなく自分から見た「お父さん」「お母さん」と言ったりする。性差だけでなくて個性の影響もあるだろう。感情に左右される一人称的な視点ではものの見え方にバイアスがかかってしまうのが問題で、面白い考え方をする人がいる一方で、偏見にとらわれて困難な生き方をしている人もいる。男性は生涯を通じて視点があまり変わらなくて、社会に出て競争して強くなって地位を得て相応の配偶者を得て家族を守るために死ぬまで敵と戦うだけである。一方で女性は若くて弱いときは同性と群れて仲間外れにならないことが生存戦略で、婚期になると仲間の同性を出し抜いて利己的に優れた配偶者を得る必要があって、妊娠中は利己的でないと胎内の子供を守れなくて、出産後は〇〇ちゃんのママという社会的立場になって利他的になって子供を生活の中心にしないと子供を育てられなくて、育児中はまた群れを作ってママ友とギブアンドテイクで協力するのが生存戦略になって、育児が終わって働きはじめたら歴戦のゴリマッチョ男性と不利な競争を強いられてセクハラやパワハラの被害にあうので、ライフステージに応じて社会性や視点が変わる。その視点の切り替えがうまくできないと、子供を自分を飾るアクセサリーのように扱って子供の学歴でマウントを取ろうとして教育虐待をする毒親になったり、ママ友にクレクレ攻撃して利己的で非常識な人として仲間外れにされたりして不幸になってしまう。というわけで、人生や社会のいろいろなところで視点が重要である。視点を理解するには芸術を鑑賞したり小説を読んだりするのがよいと思う。
2025.02.16
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自転車便のメッセンジャーが刑務所に行く話。第166回芥川賞受賞作。●あらすじ佐久間(サクマ)は急ぎの自転車便を届ける途中にベンツに迫られて転倒してしまい、自転車が壊れたので近藤に配達を頼んで事務所に戻って自転車を修理する。所長の滝本に正規雇用にならないか誘われるものの、体力的にきついので断る。仕事が終わって事務所に戻り、町を見るとブラックボックスみたいだと思う。近藤が店を出すために仕事を辞めることになり、サクマは横田と晩飯を食べながら転職について会話して家に帰る。サクマは大家の離れの家に円佳と同居していた。部屋が片付いていないのに苛つきつつも円佳とエッチしたら妊娠したので、正規雇用になろうかと思ったらもう横田が正規雇用になっていた。滝本が近藤の陰口を言うのをダサいと注意したらシフトを減らされて、ウーバーイーツの仕事をしていたら税務署の職員が税金を払えと言うので職員と警察官を殴って逮捕される。刑務所に円佳から手紙が来ても子供のことは書かれていなかった。同じ部屋の伊地知が向井の食事にいたずらしていたので喧嘩して懲罰を受けて、手紙の返事を書きそびれたので忘れることにした。●感想サクマを焦点人物にした三人称。オーソドックスなリアリズムのスタイルで、ほとんどの読者が知らない自転車便の配達員を主人公にして、自転車パーツや業務内容とかの細部を詳しく書いているのはよい。作者は2016年にデビューして2021年にこの小説を書いていて小説を書き慣れているようで、描写や展開の仕方の基本ができている。いつの物語なのか明示されていなくても、「コロナ」という単語を出すことで現代の物語なのだと時代を仄めかすやり方は手際がよいし、登場人物はキャラ立ちしていて書き分けができているので名前を覚えやすい。しかし地の文で「ベンツ」「マック」「バーガー」みたいな略称を使っているのは気になる。神の視点の三人称の小説は建前としては作者がその世界にいないことになっているけれど、略称を使われると作者の存在を意識してしまって若干リアリティがなくなるので、作者の存在を感じさせないようにしてほしい。56ページの「高橋は、確か横田と同い年の二十四だ。」みたいに地の文でサクマが読者に対して直接説明するような書き方もおかしくて、三人称なのに地の文が客観的でなくて主観寄りになっている。刑務所にいる佐久間が過去の自分を客観視して回想してサクマについて語っていると解釈できなくもないだろうけれど、それだと144ページの「もういないやつなんかどうでもいいわ」という態度と矛盾するので、こういう主観交じりの三人称の書き方が意図的なのか単に下手なのかよくわからない。描写や説明の量もアンバランスで、横田との雑談や大家の家の離れがどうなっているのかとかのプロットに関係がない部分は書きすぎなくらい詳しく書くのに、円佳とのエッチの場面は6行くらいしかなくてDays Goneでだらだら遊んでいる場面より短いし、サクマが家から離れたかったという割には親との関係を掘り下げないので、焦点を当てて掘り下げる部分がちぐはぐな感じ。固有名詞の扱い方も一貫していなくて、iPhoneやYahoo!ニュースやNetflixやDays Goneとかは固有名詞を出すのに、70ページに出てくる100人が戦うゲームはPUBGなのか荒野行動なのか知らないけれど名前を出さないのは基準がよくわからない。あとタイトルだけ見て何の内容なのかわからなくて興味を惹かれないのでもったいない。他人の生活の様子はブラックボックスみたいでよくわからない、明日がどうなるかわからないというテーマをタイトルにしたのだろうけれど、異化したりして面白そうなタイトルにするほうがよかったかもしれない。文学的な仕掛けとしては、82ページでいきなり刑務所の場面に飛んで、過去の出来事か未来の出来事なのか妄想なのかよくわからなくなるような場面を展開している。これは物語に緊張感をもたらすけれど、その一方で読者を混乱させるので、あまり効果的な手法とは言えない。それに自転車便のネタだと話が膨らまないので後半の刑務所の話とつなげてニコイチにして、そのつなぎ目をごまかそうとしているように見える。刑務所の中の様子をテーマにしたフィクションはすでにあるし、せっかく自転車便を取り上げたのだから自転車便のネタだけで作品として仕上げてほしかったけれど、自転車便の話はウーバーイーツに逃げてしりすぼみになって終わってしまって、これなら別に自転車便の話でなくてもいいじゃんと思った。ニコイチみたいなやりかたで中途半端な中編にせずに、短編で自転車便の話か刑務所の話のどちらかに絞るか、あるいは長編で出所後の話も書いて円佳との人間関係を発展・変化させて、子供を見てサクマの考え方が変わるとか子供にイラついて殴り殺すとかのオチをつけるなりするほうが作品の完成度は高くなったかもしれない。例えばシリトーの『長距離走者の孤独』は長距離走という一つの場面で一つのテーマを書いて余計な場面がなくて、暴力を使わずに反抗をするやり方もひねりがあるので短編の名作として残っているように、文章を長く書くよりも必要最小限の文章に削る方がセンスがいる。心理描写としては喜怒哀楽のうちの怒の連続で、感情のメリハリがないのでストーリーが単調になって人物像が浅くなる。サクマはそういう人なのだと言われればそれまでだけれど、変化や成長が見られないので人間的魅力がない。サクマは出所後も同じような短慮で衝動的な行動を繰り返すのだろうし、サクマの今後の人生が気になるわけでもなく「もういないやつなんかどうでもいいわ」という読後感になる。1950-60年代のイギリスではangry young menの労働者を描いたキッチンシンク・リアリズムが流行したけれど、現代の日本を舞台にしてサクマみたいな些細なことで怒って周囲に反抗して殴りかかる若者を書いても20世紀の古臭い怒り方みたいな感じで今時の若い読者は共感しにくいと思う。Adoの「うっせえわ」の歌詞に「殴ったりするのはノーセンキュー」とあるように、殴らないで反抗的な言葉を言うのが21世紀のZ世代のおしゃれな反抗の仕方のように思える。angry young menを書くにしても、サクマが単に粗暴なのではなくて何かしらの魅力や哲学的な特徴がないと、昔書かれたテーマを現代を舞台にしてやり直したような既視感が出てしまって純文学としてはあまり見どころにならない。サクマの反抗のカウンターパートになる滝本や税務署の職員や伊地知もすぐに物語からいなくなってしまうし、本来カウンターパートになるはずの親が出てこないので、喧嘩が散発的で人間関係に発展性がない。明日のことはわからないという考えもサクマのような体験をしないとたどり着かない思考ではなくて当たり前のことを言っているだけだし、ちゃんと避妊していれば望まない妊娠は避けられるしちゃんと納税していれば税務署の職員が来ないことくらいはわかるのに何言ってんだこいつアホなのか自業自得じゃねーかと呆れてしまう。というわけで私が感動するような内容ではなかったけれど、平凡な書き方に収まらないように工夫する姿勢はよい。元自衛官だとかの作者の実体験以外の話題を取材して作者とは違う生い立ちの人間を書けるかどうかが今後の課題になるかもしれない。★★★☆☆ブラックボックス (講談社文庫) [ 砂川 文次 ]価格:682円(税込、送料無料) (2025/2/4時点)楽天で購入
2025.02.04
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最近はフジテレビが問題になっているので、徒然なるままにオールドメディアについて考えることにした。●オールドメディアとは何かオールドメディアとは新聞、ラジオ、テレビなどのインターネットが出現する以前のメディアで、レガシーメディアともいう。インターネットのニュースサイトやSNSとかはニューメディアと言われる。オールドメディアは単に技術的に古いというだけでなくて、インターネットを使いこなせない情報弱者の老人御用達の価値観が古いメディアのような侮蔑的な意味合いも含んでいる。●オールドメディアの劣化昭和時代は映像コンテンツはテレビ番組か映画しかなかったので、家庭用ゲーム機が開発される1980年代以前はテレビは娯楽の中心だった。そしてテレビ業界に才能がある人が集まってテレビ番組が人気になって、高い視聴率をとれる人気芸能人が所属する芸能事務所がテレビ局への影響力を持った結果、平成時代にはニュース番組やスポーツ番組にも芸能人が出張ってくるようになった。ニュース番組が情報バラエティ番組に劣化して、政治経済の硬いニュースを取り上げなくなって暇な主婦や老人向けにインターネットでバズった動画とかにひな壇芸人が感想を言ったり楽屋トークをしたりして尺を埋めるような速報性もオリジナリティもなくてただ時間の隙間を埋めているだけのようなくだらない内容が増えた。クイズ番組は『アメリカ横断ウルトラクイズ』みたいなクイズ自体の面白さを追求した視聴者参加型の番組からバカを売りにするおバカタレントの変な答えを晒して笑いものにする番組に劣化した。テレビドラマも2000年代くらいまではオリジナル脚本のヒット作があったけれど、インターネットが普及して若者のテレビ離れが進んで視聴率が落ちていくにつれて視聴率を気にして漫画原作のドラマばかり作るようになって、脚本家がオリジナルを脚本を書く能力がなくなったうえに原作改変でしばしば問題を起こしている。昭和や平成は新聞にもまだ権威があって、新聞の社説は立派な文章として入試に使われて、就職活動の際には新聞を読んで新聞の話題を振られても答えられるようにしないといけなかった。新聞は芸能人との絡みがないのでテレビに比べたらまだましだけれど、それでも記者は劣化している。大手新聞社は記者クラブで横並びで情報をもらって政府や警察の発表をそのまま発表して取材能力がなくなって、海外特派員は直接取材するわけでなくて現地のテレビや新聞がどう報じているかをまとめて紹介するだけで、スポーツ新聞のネット版は芸能人のSNSの情報を転載したりして直接取材しないコタツ記事でPVを稼いでいる。共同通信の記者が裏取りをせずに生稲晃子参院議員議員が靖国参拝したと誤報を報道して外交に影響が出たのは論外で、もはやジャーナリストでなくて日本の外交を妨害する諜報工作員じゃないかというほど偏向している。ラジオはインターネットが出現するまでは流行の音楽を無料で聴けるので人気だったけれど、Spotifyとかでスマホで音楽を無料で聴けるようになるとラジオで音楽を聴く需要が減った。それでもオールナイトニッポンとかのトーク番組は人気で、デジタル化にも対応してアプリやポッドキャストで聞けるので通勤時や運転時の暇つぶしの需要があるし、ラジオのJDやアナウンサーは実力がある人が少人数でやっていてテレビ局みたいに調子に乗って不祥事を起こさないので、新聞やテレビほどの劣化はない。●オールドメディアの凋落読売新聞の正力松太郎がCIAのエージェントでCIAの工作活動に長期間協力していたことがアメリカの公文書の公開によって明らかになったように、オールドメディアは3S政策で日本人を愚民化するプロパガンダに使われてきた。しかしインターネットの出現によってオールドメディアの世論誘導が効かなくなってきて、若者中心にオールドメディア離れが起きている。ニューメディアがオールドメディアよりも正しくて信頼できるというわけではなくて、ニューメディアのほうが素人が発言しているぶん間違いは多いだろう。しかしオールドメディアは自社やスポンサーにとって都合が悪いことは報道しない問題がある一方で、SNSでは重要な話題を無視することはなくてむしろ積極的に関わっていくし、誰でも議論に参加して、たとえ誰かの発言に間違いがあっても他の人が間違いを指摘できる。各分野の専門家がSNSで直接意見を発信するようになって、日経新聞が喧伝していた財政破綻論が間違っていたとかの問題が明らかになって、問題が周知されるにつれて「日経よく読む馬鹿になる」などと揶揄されてオールドメディアの権威や信用がなくなっていく。オールドメディアに右派と左派があるように、ニューメディアにも右派と左派がある。FacebookやYouTubeやイーロン・マスクに買収される前のTwitterとかの左派のSNSは、左翼のグローバリズム推進政策やDEI推進政策に反発する人を極右の差別主義者や馬鹿な陰謀論者とレッテル貼りして議論せずに一方的にアカウントをBANすることで言論弾圧をして議論を封殺しようとしてきたけれど、他社や他国のSNSまでは規制できないしかえって反発と分断を生んで懐柔することもできなくなったので、結局は左翼に都合がいいように世論を誘導できなくなった。それが端的に表れたのがアメリカの大統領選挙で、オールドメディアはこぞってハリスが優勢だと報道して討論でもハリスをひいきしてきたけれど、開票したらトランプが激戦区を制して圧勝して、新聞やテレビの偏向報道による世論誘導が不発に終わった。トランプはポッドキャストで長時間のスピーチをして若者の支持者を増やしていたように、もはや左翼メディアの検閲や編集を通さなくても自分の意見を直接相手に伝えられるようになった。左翼政党が国民を幸福にしていたら支持を増やしてそのまま左翼政権が続いていただろうに、働かないで福祉にフリーライドする不法移民や偽装難民に給付金を配って自国民以上に手厚く保護するようなでたらめな政策をしてインフレや治安の悪化を招いて国民を不幸にしたので、その反動で右翼が支持を集めて台頭している。政策に失敗した左翼が支持を取り戻すために新しく打ち出せる目玉政策はないので、しばらく欧米の右傾化の傾向が続くと思われる。それでも左翼メディアは選挙結果を直視せず、右翼を批判するばかりで政策の反省もしないので、左翼メディアに愛想をつかして離れた人は戻りそうにない。CNNテレビは約3500人の従業員のうち数百人を解雇する予定だそうな。左翼政党の凋落と左翼が運営するオールドメディアの凋落が重なったことで、オールドメディアの凋落がいっそう際立つようになった。オールドメディアの権威がなくなったのはダブルスタンダードも原因だろう。例えば新聞が安倍晋三と統一教会の関係を批判した一方で、テレビ局では視聴率を上げるために霊能力者や占い師を持ち上げて霊感商法を助長してきた。森喜朗が日本は神の国だと言ったり政治家が靖国神社に参拝したりすると批判するくせに、アメリカの大統領がしばしばゴッドブレスアメリカと言ったりアーリントン墓地に行ったりするのには無反応である。日本は膨大な「借金」で財政破綻するぅーハイパーインフレで円が紙くずになるぅーと大騒ぎする一方で資産は無視するし、アメリカが国債を償還せずに借り換えして27兆ドル(約4200兆円)の膨大な「借金」をしていても破綻するぅーハイパーインフレでドルが紙くずになるぅーとは言わずに無視している。新聞が非正規雇用が問題だと報じる一方で、テレビ局は下請けの映像制作会社やフリーランスを酷使している。他人の不祥事は夜討ち朝駆けでプライバシーを侵害してまで報道するのに、自社の不祥事は隠して目立たないようにこっそり謝罪して謝罪記事にno followをつけて検索結果に出てこないようにする。ロシアがウクライナを侵略したら「日本は西側諸国の一員として武力による国境変更を認めてはならない」と主張するくせに、イスラエルが武力でパレスチナ領内に入植地を拡大しているのは批判せずに黙認している。相手によって主張を変えて態度が一貫していないし、批判はしばしばブーメランになって戻ってきて「お前が言うな」と逆に批判されるので、オールドメディアの左翼ジャーナリストの主張に説得力がなくなっている。●オールドメディアの腐敗新聞は政治的に偏向していて誤報や捏造はあるけれど、性的な不祥事はあまり起こさなかった。それに比べてテレビは芸能界と近いだけあって、バラエティ番組のプロデューサーが芸能人と懇意になるにつれて倫理観も遊び人寄りになっている。最近はフジテレビが女子アナを取引先に上納した疑いが出て批判されている。中居の件は当事者に守秘義務があるので詳細は不明だし当事者が和解しているので他人が詳細をほじくりかえす筋合いはないけれど、中居の件以外にもフジテレビの女子アナがホテルの飲み会に呼びだされたら裸の男がいたと匿名で文春に告発したし、元アナウンサーの青木歌音もセクハラ被害をYouTubeで告発したので、中居の件を脇に置いたとしてもフジテレビ自体に看過できない問題があると言える。一般的な良識として、未婚の若い女性を飲み会に呼んだとしても偉い人のお手つきだとかの変な噂が立たないように男性と二人きりになる機会を作らせるべきではないし、酔っ払いに絡まれてトラブルになったり帰宅が遅くなって事件や事故に巻き込まれたりしないように早めに帰らせるのが年上の男性としての配慮だろうに、その程度の気遣いさえできなくて若い女性を呼び出しておいて一人残して先に帰る人だらけなのもおかしい。もし若い女性を一人だけ残して周囲の人が帰るのが意図的でないとしても良識がないし、もし意図的に女性の合意なしに騙して逃げられない状態にして上納して性の道具として扱うのは上場企業としてはありえないコンプライアンス違反の人権侵害だし、それで上納した側に見返りとして利益がもたらされるのなら人身売買と見なされうる組織犯罪である。女子アナは女性の職業の中では年収も高いし、能力や容姿も求められて競争率も高い。その女子アナを性接待要員として使って男性よりも劣る存在として扱うところに人権感覚が古いオールドメディア仕草が露骨に表れている。高学歴エリートの女子アナでさえその扱いなのだから、ADとかはさらに雑な扱いだろう。どのテレビ局の番組かは忘れたけれど、極楽とんぼの加藤がエロい女性にキャッキャと反応して、最後に若い女性ADが全裸で出てきても全然反応しないというオチになっている深夜番組があったけれど、立場が弱いスタッフを性的なネタに使うのは職業倫理としてダメだろう。権力は腐敗するという法則はメディアにも当てはまるし、メディアが大金を稼いで社会的影響力を持つ権力になるとモラルがなくなって腐敗した。NHKは公共放送として比較的堅い組織だけれど、それでもジャニー喜多川に放送センターのリハーサル室の通称ジャニーズ部屋をあてがって児童虐待を助長していたし、紅白歌合戦のチーフプロデューサーが番組製作費を架空名目で支出してキックバックをもらって懲戒免職になった。いわんや民放をや。日本では電波オークションがないので放送局の新規参入がなくて放送局の入れ替えも起きないし、系列の新聞やテレビがメディアグループを作って利害関係者で株を持ち合っているので、株主によるガバナンスがゆるくて身内の批判ができていない。テレビ番組の内容についてはBPOが勧告するけれど、BPOはテレビ局員のパワハラやセクハラとかを取り締まるわけではない。権力となったテレビ局を批判する新しいメディアとしてインターネットが出現して、テレビ局の中で一番批判されたのがフジテレビだけれど、インターネット上の視聴者の声を「嫌なら見るな」と一蹴したり、高岡蒼佑がフジテレビの韓流推しを批判したら所属事務所と契約を解除されたり、フジテレビの偏向報道に対するデモが起きたりしたように、批判が無視されて改善はなかった。その結果としてフジテレビの問題がついに明るみになって、スポンサーがCM出稿を控えてCMがACに差し替えられる事態になって、フジテレビの経営陣に外資系の株主から圧力がかかってようやく調査をやり始めたけれど、港社長の記者会見が動画撮影禁止で、日弁連のガイドラインに基づいた利害関係者を排除した第三者委員会でなく「第三者の弁護士が中心の調査委員会」を作ろうとしたのも独立性が担保できるか不明で批判されて、記者会見をやり直して社長も交代することになってかえって評判を落とした。港社長は「フジテレビは社員を守る温かい会社でありたい。社長として全力で皆さんを守ります」と社員に一斉メールを送ったそうだけれど、そもそも女子アナウンサーから上司に対して被害の訴えがあった時点で調査せずにこれから調査を開始するのもおかしくて、言っていることとやっていることの辻褄が合っていない。企業はただでさえテレビ広告からネット広告へ移行しつつあるのに、そのうえテレビ局自体の腐敗臭が隠し切れなくなったらいったん離れた大企業のスポンサーがレピュテーションリスクを気にして戻らないのじゃないだろうか。フジテレビはテレビドラマのロケも断られて撮影に影響が出ているようだけれど、今まで調子に乗って態度が悪くて取材協力者やドラマ原作者を蔑ろにして揉めてきたのだから、落ち目になって助けてくれる人がいなくなっても自業自得である。●これからオールドメディアはどうなるのかオールドメディアの視聴者はインターネットを使えない中高年が中心で、50年後くらいにはインターネットを使えない人がいなくなってほとんどの国民はスマホやAIアシスタントを使えるようになるだろうし、新聞とテレビは今と同じことを続けていたら見る人がいなくなると思う。新聞は不要になってもジャーナリズム自体は社会に必要である。新聞は印刷して各戸に配達するのが非効率なのでデジタル版への移行は必須で、記者クラブで同じ情報を得て似たようなニュースを広く浅く発信する新聞社が何社もあっても意味がないので、ジャーナリストの質で差別化するか、トピックの選別で差別化する必要があるだろう。ユーザーは情報源を選べて新聞がなくてもSNSで十分なので、新聞社の伝統と規模に頼るのでなくて情報源として選ばれるために個々のジャーナリストの専門性が必要になる。フジテレビの記者会見では司会に指名されていないのに勝手に発言して進行を妨げる人がいたり、質問を簡潔にまとめられない人がいたりして、フジテレビだけでなくジャーナリストの程度の低さも目立ったので、ちゃんとジャーナリストを育てないとだめだろう。労働安全衛生法違反には官庁の指名停止とかの行政処分があるのだから、新聞が誤報を報じたときもしばらく公官庁の取材を禁止するとかの行政処分をして、日本を貶めようと躍起になっているジャーナリストもどきの反日活動家が政治的影響力を持たないように排除していく必要がある。テレビ局はいろいろな番組を作るのをやめて、テレビならではのコンテンツ作りをする必要がある。ドラマは制作会社が直接インターネットでオンデマンド配信してスタッフが専門化することで質を高めて、くだらないバラエティ番組はわざわざ公共の電波で放送する必要がないので芸人やYouTuberがSNSでやればいいだろう。天気や交通渋滞やスポーツや花火大会や祭りの中継とかのリアルタイムで情報や映像を提供することに意味があるコンテンツだけテレビに集約すれば、テレビにも存在意義が残せるかもしれない。民放がデジタルコンテンツに移行してテレビから撤退して電波の帯域が空いたら、NHKを民営化して受信料関連の法律での優遇をやめて、新しく国営テレビ局を作って国会中継や公務員の記者会見や官報や政府広報とかを専門にしてコメンテーターのバイアスが加わる余地が少なくすれば、NHKよりもまともな公共性がある放送局ができると思う。ラジオは災害に強いという強みはあるけれど安泰とは言えなくて、AIが自然な声で音声を自動で読み上げるようになるとアナウンサーが不要になってしまうし、著作権が切れた小説のAI朗読やAI声優のドラマとかの娯楽番組がわんさか出てきて、個人でもSNSでライブ配信するインフルエンサーがわんさかでてきてラジオの優位性がなくなると思うので、そのぶんAIで代替できない番組づくりが必要になって、トーク番組の司会やゲストの人間的な魅力が重要になってくる。生島ヒロシのパワハラやセクハラが発覚してラジオを降板したように、ラジオは人がコンテンツの中心なので問題がある人に番組をやらせてはいけないし、人がリスクになるなら不祥事を起こさないAIのほうがいいやということになりかねない。結局のところはどのメディアであれ真善美を追求しないコンテンツを提供すれば生活に不要なものや有害なものとして廃れていくので、ちゃんと取材して裏取りして検証して真実の情報を提供して、倫理的に善い行動を推奨して悪い行動を批判して、美しいものを紹介していくしかない。何を真善美と見なすのかは人によって違うし議論の余地があるからこそメディアが検閲して言論統制してはいけない。双方向で議論があるニューメディアと違って、一方向で発信するオールドメディアこそ真善美により高い水準が求められるようになるだろう。バカ向けの低俗なコンテンツを作るのをやめて、質が高いコンテンツを伝えて〇〇を見るとバカになるという評判を覆えさないと、オールドメディアは遠からず使われなくなると思う。
2025.01.29
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才能とは何ぞやとあれこれ考えて、クリスマス前に動画を作りたかったのだけれど、仕事が忙しくてなんやかやで動画作りに時間がかかってしまった。このブログで前にネガティブ・ケイパビリティについて考えたかどうかは忘れたけれど、創作するうえで重要な資質だと思うので、動画を作ったついでに考えることにした。●創作とネガティブ・ケイパビリティ答えが出ない状況に耐える能力の事をネガティブ・ケイパビリティという。詩人のジョン・キーツが弟宛ての書簡で「特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。」と書いたことが初出のようで、偉人達は全ての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力があるのだと信じたようである。ジョン・キーツが評価したシェイクスピアは、「険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である」と言ったそうな。この言葉に急がない姿勢が端的に見える。芸術家は他の人がたどり着かなかった場所にたどり着くために、後に控えている険しさを自覚しつつゆっくりと時間をかけて歩かないといけない。仏教のパーリ語の経典のサンユッタ・ニカーヤにはブッダと弟子のカーマダ天子との対話で、「この道は、行きがたく、険しいのです。聖者たちは、行きがたき、険しい道を進んで行きます。聖者ならざる人々は、険しい道において、頭を下に倒れます。聖者の道は平らかです。聖者は険しい道においても平らかに歩むからです。」という内容があるようだけれど、この考え方も芸術に当てはまる。人間の身体能力は20代でピークになって、情報処理速度とかの流動性知能は30代でピークになるけれど、脳は歳をとっても成長していって言語能力や批評能力や創造力とかの結晶性知能は60代でピークになる。時間をかけるほど知識が蓄積されて技術が洗練されて成功の確率が高まっていくので、ネガティブ・ケイパビリティがある人にとっては自分の成長を待つことが苦にならなくて、その道は平らかである。ところが金銭欲や名誉欲に駆られた人は自分の成長を何年も待つことができない。恵まれた環境で早く成功した他人と比較して嫉妬して、自分はこんなに努力したり苦労したりしたのに評価されない、理想の傑作が作れないと焦って、理想と現実のギャップのストレスが大きくなるにつれて待つことを苦痛に感じてしまう。『耳をすませば』の月島雫が早く小説を書こうとして焦ってもうまくいかなかったように、早く完成を目指す向上心さえ身をむしばむ呪いになりうる。それゆえに向上心が高い若い芸術家志望者には精神を病む人が多いし、芸術家になった後でもスランプになって思うように創作ができなくなったりしてアイデンティティクライシスを起こして自殺する人もいる。生活必需品でない芸術で生計を立てられるようになるにはただでさえ困難が伴うけれど、おしゃれな芸術家を気取って有名な金持ちになってモテたいという煩悩に惑わされている聖者ならざる人々にとっては煩悩が強いほど苦悩が強くなっていっそう険しい道になる。こうした人々は目的と手段を取り違えて、創作を目的にせずに立身出世の手段にしてしまうので、偉大な芸術家にはならないだろう。脳に可塑性があると提唱されたのは1973年からのようで、それ以前は才能は生まれつきのものだとみなされていたので、昔の人は余計に才能の有無を気にして苦悩したと思われる。芸術作品はコンペに出品したりして他人に評価してもらうことで作品の価値が上がって仕事が増えていく仕組みになっているので、他人の評価を気にせずに創作を続けるのは心理的には難しい。しかし評価されなくても気にせずにめげずに自分の芸術観を貫いて創作を続けられる人の中から偉大な芸術家が出てくる。例えばゴッホが絵が売れないからといって創作を辞めたり、絵を売るために自分の画風を捨てて巷で流行している売れ筋の画風に変節したりしていたら、金持ちたちが何十億円も払って所有したがる独特な「ひまわり」は存在しなかった。カフカも生前は小説があまり評価されないまま創作を続けて、死後に友人のマックス・ブロートが未発表の遺稿を公表してから評価された。メルヴィルも生前はあまり小説が売れなかったけれど、『白鯨』はアメリカ文学の古典になっている。世間の人は登山家の登頂シーンやマラソンのゴールシーンのクライマックスだけ見たがって、日ごろの地味な準備やトレーニングを応援してくれる人はなかなかいない。最初は応援してくれる人も、何年経ってもなかなか成果がでないと応援しがいがないので飽きて離れていく。芸術家は自分が行く先には結局何もないのではないか、人生を無駄に費やしたのではないか、という疑念にも耐えないといけない。その不確実さの中に飛び込んでいくには勇気がいる。誰も勇敢さを褒めてくれない類の、自分の死に場所を求める勇気がいる。来た道を戻って着実に成果が出るありふれた仕事をして平凡な市民としてそれなりに幸福な人生をやり直す選択肢があっても、その平凡な選択肢さえも捨てて道なき道を手探りで進まないといけない。たとえたどり着いた先に何もないとしても、それもまた自分がその道を歩まなければ見えなかった景色である。その秘境探検を面白いと思える人は芸術家に向いているのだろうし、苦行や無駄と感じる人は芸術家には向いていないだろう。他人の進路に対して向いてないからやめた方がいいよとは軽々しく言えるものではないけれど、創作することで苦しんで不幸になる人は創作を辞めてゲームするとか猫を飼うとかのもっと楽しい事でもしたらいいじゃんと思う。
2025.01.22
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ファンを殴って炎上したアイドルをアホな高校生が推す話。第164回芥川賞受賞作。●あらすじ高校生のあかりは何かの病気で学校を休みがちで保健室の常連になって、「まざま座」の上野真幸がピーターパンを演じるのを見て自分を重ねて推すようになって、上野を推しているときは元気になれたので、推しくんのブログを書いて他のファンたちと交流していた。上野は謝罪して活動を再開して、あかりは夏休みは定食屋でバイトしてミスをして常連客にあかちゃん呼ばわりされながらバイト代を推し活につぎ込んでチケットを買う。あかりは子供の頃から勉強ができなくて、そのせいで勉強を頑張っている姉のひかりの気分を害して喧嘩していて、母の負担になっていた。CDを50枚も買ったのに上野の順位が5位になってしまったので、推し活以外にお金を使わないことにしてさらに推し活にのめり込む。成績が悪くて高校2年の3月に原級留置を言い渡されたので退学すると、祖母が亡くなって海外転勤していた父が一時帰宅して、進学も就職もしないならお金は出せないと言われて、祖母の家で一人暮らしすることになるものの、バイト先に欠勤の連絡を忘れていてクビになる。上野が殴った相手はファンではなくて同棲している女性だと噂されて、「まざま座」が解散することになったので、あかりは最後のコンサートに行く。●感想あたし(あかり)の一人称。いつの時点でいつの出来事を誰に対してなぜ語っているのか不明で、過去形と現在形が混在して現在進行形で実況中継したり過去の回想をしたりしていてナラトロジーを理解していない書き方になっている。ページに文章がみっちり詰まっていて言葉が多くて勢いでごまかしているけれど、技術の基礎ができていなくて文章が洗練されていないので言葉の多さがかえって読みにくさにつながっている。それにあかりは漢字を書けない子供だったと国語力が低いエピソードを言っているのに、誤字脱字もなく「戦慄き(わななき)」とかの漢字を使って饒舌に自分語りの小説を書いているのは矛盾している。もしあかりが小説家志望で常にメモを書いているとかなら実況中継する語りの構図のリアリティは出せたかもしれないけれど、そういう設定でもないので、あかりが自分の生涯について語ろうとする物語というより、作者があかりを通じて推し活について説明しようとする意図が前面に出てしまってあかりの存在自体にリアリティがなくなっている。いわば操り人形の糸が見えてしまっている状態である。語り手に魅力がないと小説全体の魅力がなくなるのが一人称の自分語りの欠点で、あかり自身に魅力がないとこの登場人物の人生の続きを読みたいと思えなくなってしまう。あかりは自分語りをしているくせに自分の将来の目標とかに言及せず、病名を覚える気がなくて病気の治療にも向き合おうとしない欺瞞がある。こないだ読んだ市村沙央の『ハンチバック』が病気の症状を詳しく掘り下げて病気に向き合っているのに対して、この小説はあかりが何の病気でどういう症状があって治療可能なのか読者が知りたいことを語らないので、勉強ができなかったりバイトでミスしたりするのが病気のせいなのか不明でかわいそうな感じがしなくて、あたしなりに頑張ったのに周りに理解されなくてつらいのよとぶりっこされても同情できなくてどうでもよくなってしまう。病名を出さずに病気をダメ人間の演出としてご都合主義的に利用しているのはよくない。物語の展開はあかりと推しとの関係がどう変わるのかという点がストーリーの軸になっているけれど、バッドエンドになる予想がつくし、予想外の展開が起こるわけでもないのでストーリー自体は特に面白いものでもない。ピーターパンを演じていた上野がアイドルを辞めて人間に戻ったので、あかちゃん扱いされて食べ物を吐いて自活できないあかりも四つん這いから人間をやり直して大人になることを目指すというようなことをやりたかったのかもしれないけれど、親に見放されて救いようがない話になっている。頭が悪くてかわいそうな状況の女の子を主人公にしてみじめな様子を見どころにして読者に同情させようとするのは安直で、今村夏子の『こちらあみ子』とかもそうで女性の小説家の安パイの展開パターンになっている。一時期流行したケータイ小説がDVされて堕胎したりする話だらけだったそうだけれど、悲惨な人を書くだけなら素人でもできるけれど、そういう人をどう救えるのか何に希望を持てるのかまで書かないと純文学としての見どころにならないし、かわいそうな人を小説のネタとして面白おかしく見世物にして金を稼ぐ下衆な行為になってしまう。登場人物に関しては、女性の作者の小説によくあることだけれど大人の男性があまり物語に出てこない。父親は海外転勤することになって、家族が父親についていこうとするのを祖母が止めたので父親が家にいない状況になっているけれど、書きにくい人物をご都合主義的に物語から排除したように見える。ホストやコンカフェにはまる女性たちには父親に褒められた経験がなくて男性に褒められるのがうれしくなって父性を求めて推し活に依存する人もいるそうだけれど、そっち方面の心理を掘り下げるわけでもないので、父親の不在が単に不在なだけになっていて主人公の心理を掘り下げる文学的な仕掛けとして機能していない。単身赴任していても父親と連絡はとれるだろうに、あかりは連絡をしないどころか父親の事をほとんど考えていないし、父親の職業も海外がどこかも不明なままである。そんであかりと母と姉との不和という女性の作者にとって書きやすい同性の身内の展開に逃げているのはよくない。いもむしちゃんとかの他のファンとの交流が伏線になるわけでもないし、冒頭に出てきた成美も終盤に出てこなくなってプロット上の役割もないので、何のために登場したのかよくわからない。良い点としては、推し活という現代的なテーマを主題にしたことはよい。中年男性の作者がいまどきの若い女性の心理を書いても違和感が出るし、女子高校生に近い年齢の女性の作者でないと書きにくい女子高校生の推し活を書いたという点では語りの形式がでたらめでリアリティがなくなる分をある程度はカバーしている。タイトルの時点で予想していたけれど予想通りの『文藝』クオリティで、若者向けの純文学雑誌の『文藝』に掲載するなら読者も文学理論を理解していないのでこういう小説でもいいのだろうけれど、綿矢りさの売り出し方と似たようなものでナラトロジーを理解せずにイタコの口寄せみたいに主人公を憑依させて心理を代弁する一人称で書き続けても「若い割にはまあまあ書けてる」レベル止まりで中年になっても大成しないパターンになりそうな感じ。他の文芸誌が載せないような若い小説家の粗削りで未熟な小説を載せることに『文藝』の存在意義があるのだろうし、頑張っている若い小説家を若い読者に推してもらうのが『文藝』の狙いだろうから、そういう点でもこの小説は『文藝』には合っているけれど、これって純文学じゃなくてノンジャンルのエンタメ小説を純文学雑誌に載せてるだけじゃないのと言いたくなる。日本料理店でピザを出しても日本料理とはみなされなくて、民謡レーベルからヒップホップをリリースしても民謡の曲とはみなされないように、純文学雑誌にこの小説を載せても純文学じゃないじゃんと私は思う。私は純文学に芸術としての洗練された技術や作者の人生観の表現を期待しているので、こういうでたらめな一人称の語りの小説は欠点の多さが気になって楽しめない。例えば若い女性が車を運転してアクセル全開で信号無視して横断歩道の歩行者をなぎ倒してコンビニに突っ込んだら、運転初心者の若者らしくて型破りで元気があっていいねとは褒めないし、あたしなりに頑張ったのに周りに理解されなくてつらいのよとぶりっこされても同情されなくて運転が下手だと批判されるだろう。運転がうまいレースドライバーはコースの構成を熟知してタイヤの減り具合やブレーキの利き具合も熟知して車の動作を完璧に制御して、他の車の軌道も計算に入れて前の車のタイヤがすり減ってグリップが効かなくなってカーブで膨らんだところでインサイドに入って抜いたりして、その芸の上手さを競って見世物にしている。小説でも言葉数を増やして感情的にワアワアまくしたてて勢いよく書きなぐればよいというものではなくて、視点や章立てとかの小説の構成を理解していなくて言葉の制御ができていないのは技術的に下手だし、上手い小説家は読者に小説がどう見えるかという読者の認知まで計算に入れて制御するものである。例えば本格ミステリではどの段階で読者がどれくらいの情報量を得ているのかという読者の反応を制御しながら物語を展開して読者に犯人の推理を楽しませて、終盤のここぞというときにトリックを明かして読者の推理の予想を裏切るようなフィニッシュを決める。私はそれが上手いと思うし推理を楽しめるので本格ミステリが好きである。『文藝』の藝の字が飾りでないなら、若くて未熟な作者のパッションあふれる下手な作品を見世物にするのでなくて読者が感心するようなプロとしての洗練された藝を見せてほしい。あるいは漢字を読めない若者向けに雑誌の名前を『文げい』に変えたらいいと思う。『文げい』掲載作なら藝がなくても仕方がないと思える。★★☆☆☆推し、燃ゆ (河出文庫) [ 宇佐見 りん ]価格:638円(税込、送料無料) (2025/1/12時点)楽天で購入
2025.01.12
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おっさんの釣り仲間が死んでしまう話。文学界新人賞を受賞したデビュー作で、第157回芥川賞受賞作。●あらすじ1わたしは会社の異動で盛岡市に移住して、友人の日浅典博と川釣りに行く。日浅は物流課の課長だったけれど退職してすぐにセレモニーホールに転職して訪問営業をしていて、わたしがお気に入りの川に誘ったのだった。日浅は大きなウグイを釣った。2日浅に釣りに誘われたので川に行くと、営業ノルマを達成できなくてクビになりそうだからと頼まれて契約する。日浅に服装やアウトドアグッズを貶されたので、わたしは日浅が勧める酒を断って家に帰って、性転換して女になった副嶋和哉に電話をかける。3アパートの大家の妹の鈴村さんは回覧板を郵便受けに入れると怒るので「次の人」と呼ぶ。東日本大震災が起きて昔の同僚から見舞いのメールが来る。出社するとパートの西山から日浅が死んだかもしれないと言われる。日浅は東日本大震災の時に釜石に営業に出かけて海に釣りに行って津波に巻き込まれたのかもしれなかった。6月に日浅の実家を訪ねると、父親は日浅とは縁を切ったから捜索願は出さないと言って、日浅のエピソードを聞かされる。●感想「わたし」(今野)の一人称。こないだ読んだ『ハンチバック』みたいな私小説で語り手が自分の障害を理解してほしくて語るのと違って、この小説の今野は一人称で語る動機がない。『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーみたいに登場人物がすごいキャラ立ちしているならその相手に惚れた語り手が熱心にその人について語るのもわかるけれど、今野が日浅についてなぜ語りたいのかよくわからない。田舎に赴任して寂しい今野が日浅と喧嘩したとか大家の妹に回覧板の回し方で文句を言われたとかの愚痴レベルの話をお金を払ってまで読みたいかというと私は興味ないし、愚痴ならキャバクラで言っとけというレベルの話題である。構成の点では冒頭の現在-過去-現在の構成がわかりにくい。今野と日浅との関係を中心に物語が展開するのかと思ったら、中盤に和哉やら大家の妹やらの話題にそれたりするのも構成がよくなくて、日浅のプロットと関係ない脱線になっている。長編なら脱線しても後のエピソードへの伏線にできるけれど、短編で脱線すると語り手に何の意図があって誰の話を展開したいのかという物語の軸になるプロットがよくわからなくなるので、物語の続きが気になって引き込まれる感じがなくなってしまう悪手になる。前半に川釣りの話を展開していたのに終盤に急に海釣りの話になるのも違和感がある。渓流釣りとバス釣りと磯釣りと釣り船での沖釣りは装備や釣り場やターゲットや醍醐味が違うので釣り師はお金持ちでない限りはあちこちに手を出さずにどれか好きな分野の装備を充実させていくものだと私は思っていたのだけれど、日浅は海釣りの装備を持って釜石に営業に出かけたのだろうか。8ページの「そもそもこの日浅という男は、それがどういう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた」という記述が最後の日浅が津波を目にして逃げようとしないところへの伏線になっているけれど、内陸育ちで川釣りが得意な日浅が急に海釣りをすることへの説得力がないとプロットありきでオチをくっつけたようなご都合主義的な感じになってしまう。登場人物にも魅力がない。今野は日浅に一目置いている感じに書いているけれど、その魅力がわかるような具体的なエピソードがない。ラストに明かされる日浅の悪事がある意味では魅力と言えるけれど、今野が日浅を好きになる理由がよくわからない。今野も凡庸なので語り手をしたいのか登場人物をしたいのかどっちつかずで、物語の主人公がいなくて脇役だけ集まって些細な事でごたごたしているようなまとまりがない感じになっている。今野が和哉と2年付き合って別れたという話も同性愛のカミングアウトなのかよくわからなくて、扱い方が中途半端である。良い点としては、釣りの動作や服装などの描写は良い。2章で今野の服装が日浅に貶されることで認知的不協和を起こして、今野が日浅に対しても感情が悪化していく様子はよく書けている。しかしそれが面白いかというと、別に面白いというほどではない。描写が丁寧でもテーマ自体がつまらなければどうしようもなくて、他人との些細な諍いは誰でも多少経験していることで目新しさはない。言葉遣いにもポエジーやユーモアがない。こういう文飾が少ない自然主義純文学みたいな作風で書くのは作者の自由だけれど、平凡な人のつまらない日常をリアルに描いても結局つまらないという自然主義純文学の欠点を克服しないと読者にとって面白い話にならない。この小説が作者の友人の死を基にして書いたのかフィクションの登場人物なのか知らないけれど、人が死ぬ話を書けば文学的というわけでもなくて、毎日地球のどこかで誰かが死んでいるし、今野にとって親しい人が死のうが生きていようが読者にとってはどうでもいい話で、ただ人が死んだ感傷を書いただけでは純文学としての見どころにならない。今野にとっては親しい人が死ぬのはめったにないことかもしれないけれど、読者は数百回や数千回の登場人物の生死を見てきているので、ありふれた感傷でなくて田舎で生きることの人生観とかを掘り下げてほしい。結局のところ日浅の死は今野にとっては他人事でしかなくて、これから今野がどう生きてどう死ぬのかというところにつながらない。釣り文学として他の小説と比較すると、ヘミングウェイは『老人と海』で老人の不屈の闘志をハードボイルドのスタイルで書いて、『二つの心臓の大きな川』は第一次世界大戦後にPTSDになったニック・アダムスが釣りで生命力を回復させようとする様子を書いているように、単に釣りを書くのでなくてその背後にある登場人物の生き方を書いている。そこまでテーマや構成を掘り下げずに単にサラリーマンが釣りをする場面を書いても純文学としての見せ場にならなくて、芸術としての勘所を外している感じ。釣りの様子を見たい人はYouTubeで釣り動画を見ればいい話で、釣りを小説として書くことへの芸術的な意味付けがないと読者が釣り文学を読む意味がない。それに川釣りを書いているのに遊漁券への言及がないのも釣りへのこだわり具合が中途半端である。電車に乗るときに乗車券を買うことは一般的なので描写を省いてもいいけれど、遊漁券は地域によって違うので、岩手ではどうなっているのかを書いてほしい。日浅がふだん遊漁券なしに密漁しているかどうかでも日浅の人間像が変わってくる。というわけで純文学っぽい形にはなっていて描写は丁寧で悪い小説というわけではないけれど、新人らしくて構成がたどたどしくてあちこちが中途半端で、新人の小説のわりにはこぢんまりしていて芸術的野心や個性や思想が見えなくてテーマもスタイルも既視感があるので、この作家の他の作品を読んでみたいという気にならない。この小説は芥川賞を受賞したけれど、作者はこのスタイルで純文学を書き続けるより、エンタメのストーリーテリングの手法を学んで三人称でエンタメを書いたりして小説の展開方法の引き出しを増やす方が描写力を活かしてもっと面白い小説を書くようになるかもしれない。★★★☆☆影裏 (文春文庫) [ 沼田 真佑 ]価格:605円(税込、送料無料) (2025/1/5時点)楽天で購入
2025.01.05
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最近は妹尾ユウカが「商談の際などにパーカー着てる会社員のジジイなんなん?」とビジネスシーンでパーカーを着ているおじさんを批判したところ、おじさんたちがビジネスの文脈を無視して怒っているようである。ファッションに疎い私もパーカーを着ているので、徒然なるままにおじさんがパーカーを着ることについて考えることにした。●パーカーとは何かパーカーとは綿やポリエステルのトレーナーにフードがついた服で、英語ではhoodie(フーディー)と呼ばれる。プルオーバーパーカーはお腹の部分にポケットがついていることが多くて、ホッカイロや自販機のホットの缶コーヒーとかをポケットに入れるとお腹が暖かくなって便利である。ジップパーカーはジップを閉じずに羽織って使えるのでプルオーバーパーカーよりも温度調節をしやすいし、薄手のジップパーカーは夏に紫外線を防ぐためのUVカット用として使われていて実用的である。アウトドア用のマウンテンパーカーはたいてい化学繊維の撥水仕様で、登山の時に傘をさすと風にあおられたり木に引っかかったりして歩きにくいので雨をしのぐためにフードがついていて、袖口やポケットにも水がはいらないような実用的なデザインになっている。夏以外のアウターはマウンテンパーカーでいいじゃんというくらい機能性が高い。●ビジネスでのおじさんのパーカーの是非基本的にパーカーはカジュアルウェアで、ビジネスシーンで着用するものではない。Tシャツやセーターなら上にジャケットを羽織ればビジカジとして格好がつくのでIT系とかのオフィスワークならそういうネクタイをしないスタイルでもよいけれど、パーカーだとフード部分がはみ出てジャケットやコートに合わないし革靴とも合わないので、どう組み合わせてもフォーマルな感じが出なくてビジネスで人と会うのには向かない。ゆったりしたパーカーは部屋着として着るならリラックス感はあるけれどビジネスではだらしない印象になるし、年齢に不相応な若作りをしているように見られると貫禄がなくなって頼りない感じになって熟練のおじさんのメリットがなくなってしまう。それに服は身分や状況を表す記号としても機能している。スーツを着ていれば仕事をしている人だとすぐにわかるけれど、職場でパーカーを着ていたら私服で休日出勤しているのか制服がないパートタイム従業員なのか役職がよくわからないし、オフィスワークで同僚としか会わないならまだしもパーカーで外部の人と会うとTPOをわきまえていない人として社会的信用もなくしかねない。自分が職場でパーカーを着たいかどうかより、取引相手がパーカーを着ていたらどう思うかを基準にするとわかりやすい。パーカーを着た弁護士には弁護を頼みたくないだろうし、パーカーを着た医者には手術を任せたくないだろうし、パーカーを着た坊主に読経してもらいたくないだろうし、パーカーを着た世襲のボンボン政治家に増税されたらフードの紐をぎゅっと絞って殴りたくなるだろう。独立したクリエイターやアーティストがフォーマルな服をあえて着ないことで無頼で先進的な感じを出してサラリーマンと差別化して認知度を高めるのは営業戦略としてありだと思うけれど、広告代理店の社員みたいに会社の看板で仕事をして組織に守られているサラリーマンが気鋭のクリエイターぶってスーツを着ずに無頼を気取ると室内飼いの小型犬がイキって吠えているみたいでかえってダサくなる。天才サックス奏者のチャーリー・パーカーがパーカーを着ないでスーツを着て観客への礼儀を保っていたように、仕事の中身で勝負できる人は外見で目立つ必要はない。『王様の仕立て屋』という漫画ではスーツのいろいろなうんちくが書いてあるけれど、紳士服の本場のロンドンのサヴィル・ロウのスーツにはブランドタグが付いていなくてどの店で作ったのかわからないけれど着道楽たちは仕立てた店を当てて遊ぶそうな。スーツは着ている人を引き立てる脇役にすぎないので、スーツはロゴでブランドを主張することがないし、サイズがぴったりのオーダーメイドスーツはしわがなくてシルエットが美しくて凛とした佇まいになる。ブランドのロゴがドンと書いてあって主張が強くて誰でも着れるサイズ感でシルエットが大雑把なパーカーは紳士服の美的感覚と対極にあるので、ビジネスシーンでロゴドンパーカーを着る人は場違いな印象になってしまう。●私服でのおじさんのパーカーの是非ビジネスとは違って私服は好きなものを着ればいいじゃんと思うけれど、おじさんが子供が履いていた瞬足をまだ履けてもったいないからと履いていたらおかしいように、年相応の服装はある。それに体型によって似合う服が変わってくるので好きな服が似合うとは限らないし、高級ブランドの高い服を着ればおしゃれになるわけではない。おじさんになると筋力が衰えて貧相になったりおなかが出てきたりして、ポロシャツとかの体にフィットする服は体型を隠せないけれど、だぼっとしたパーカーは体型を隠せて便利である。女性ならゆったりしたパーカーを着るとかわいい印象になって相対的に足を細く見せられるし、若い男性がゆったりしたパーカーを着るとシルエットが丸っこくなって胸や肩や腕のごつごつした男らしさを抑えてなで肩でかわいくて活動的な印象になるけれど、おじさんの服がかわいくなっても老けた顔とちぐはぐな感じになるのが問題で、歳をとって老けていくほどパーカーのかわいさが似合わなくなる。パーカーに合う帽子もベースボールキャップやニット帽とかなのでいっそうシルエットが丸っこくてかわいくなってしまう。角がとれた柔和な老人ならかわいい格好も似合うけれど、まだ野心や性欲があって脂ぎって角が立っている短気なおじさんが服装だけかわいくなっても似合わない。あるいはB-Boyがだぶだぶのパーカーを着ているけれど、ダンサーがだぶだぶしたパーカーを着ると体格やダンスの動きを大きく見せられるメリットがあるし、パーカーがめくれたときに引き締まったシックスパックがチラっと見えるとセクシーだったりするけれど、膝が痛くてブレイキンを踊れないお腹ぽっこりおじさんがパーカーを着て贅肉をチラ見せしても全然セクシーではない。若作りの服装をしたら否応なく若者と比較されてしまって、老化による衰えが見えてしまうと年齢に不相応でみっともなくなる。ではおじさんがおしゃれをしたくなったらどうすればよいのか。ジェントリーというスタイルでジェントルマンとしての威厳を出すおしゃれの仕方はおじさんのおしゃれに向いている。パーカーだとゆるい感じになって威厳が出ないので、襟がついたジャケットを着てかっちりした肩や胴のラインを出すと男らしくなるし、中折れ帽やハンチングとかをかぶれば髪の薄さをごまかせて熟練のおじさんの威厳が保てるし、膝が痛くて杖をついても杖がファッションになじむので老化している印象を和らげられる。あるいはもっと派手なおしゃれを追求する人はダンディなスタイルがよい。コンゴのサプールは赤や緑の派手なスーツを着て街を練り歩いていて、長い手足にフィットした派手なスーツを堂々と着こなすことで派手なスーツに負けない自信に満ちたエネルギッシュな男らしさを強調している。これが派手なパーカーだと子供っぽくなって大人の自信があふれたダンディズムにならない。シャツはネクタイやベストやジャケットと組み合わせることで色や形や素材のパターンを変えられるけれど、たいていのパーカーは単色だし1着で上半身が完成してしまって差し色になる小物もいらなくなるので組み合わせの面白さを出しにくい。というわけでおじさんがパーカーを着てもおしゃれになりにくいので、おしゃれなおじさんになりたい人はパーカーを着ないほうがよいと言えるだろう。私は冬はしまむらで500円で買った無地の黒い綿パーカーの上に中古で500円で買った黒いMA-1を羽織って買い物に出かけているけれど、これはおしゃれのためにパーカーを着ているというより、冬の風が強くて寒い日に耳がしもやけにならないようにするにはパーカーのフードが便利だし、襟付きのジャケットやコートだと買い物用のリュックが合わないので実用性重視でパーカーを着ている。耳当てだと音が聞こえにくくなるし、ニット帽を深めにかぶって耳を覆うのでは台風の後の水田のように髪がぺちゃんこになって一層みすぼらしくなってしまうけれど、パーカーだと音が聞こえるし髪への圧も少なくて耳のしもやけ防止にはちょうどよいのである。私みたいに貧乏で着る服を選べなくて安い服を擦り切れるまで着てなんとか生活をしている人の服装をどうこう言うのは感じ悪いので、貧乏なおじさんの服装は放っておいてほしい。しかし大企業に勤務している小金持ちのおじさんは自分で服を選べるだけの収入があるはずで、服がダサいと文化的な教養や感性がなくてがさつな人とみなされかねない。しばしばプロ野球選手の私服がダサいと言われるように、金があるのにうまく使えていないと一層センスのなさが際立ってしまうので、お金があってそれなりの地位にいてドレスコードがあるレストランやセレモニーに行く機会が多い人はファッションも人並み以上に気をつけるほうがよいだろう。既婚のおじさんが公園で子供と遊ぶときに動きやすいパーカーを着るのは別にいいけれど、独身のおじさんがデートで美術館やレストランにいったりするときにパーカーだとおしゃれをしてきた相手の女性に恥をかかせるかもしれないというくらいのTPOはわきまえるべきである。●おじさんの是非おじさんもかつては若者だったけれど、老いて髪が薄くなってお腹が出て筋肉がしぼんで膝や腰が痛くなって動作がもっさりして見苦しくなっていくのは仕方がない。仕方がないからといってみすぼらしさに甘んじずに、体臭や態度に気を付けたりして他人を不快にしない程度のエチケットはもちたいもので、自分が若い頃に批判していたような自己中心的でうざい老害にはならないようにするほうがよい。おじさんが格好良くなるのは難しいにしても、だらしない格好にならないように気を付けることはできるはずである。中国で夏に暑くてTシャツをめくって腹を出すおじさんの格好が北京ビキニと呼ばれて批判されているように、体型がくずれたおじさんがだらしない格好をするといっそうダメさが際立ってしまう。パーカーを着たらだめなのかと怒っているおじさんたちは、なぜパーカーが良いのか論理的に説明するべきである。自分の行動や美的感覚を否定されたからといって条件反射的に怒って論理的な説明ができないのではもはやおじさんではなくて前頭葉が収縮して感情を抑制できない老害の域に入っている。意見が違うにしてもまず相手の話をちゃんと聞いて論拠や論理構成を把握してから反論するべきで、相手の話をちゃんと聞かずに前提や論理を無視して感情的にわめきちらして威圧して相手を屈服させようとするようなおじさんは若者に馬鹿にされて当然である。格好いいおじさんには若者が憧れて指導してほしくてぞろぞろついてくるものである。若者がついてこないどころか避けられているおじさんが若者にかまってほしくて自己主張したところで見苦しいので、青春を謳歌している若者の邪魔にならないように終活の準備をして社会の端の方で目立たないようにひっそり生きて若者に頼られたら手助けするくらいでよいと思う。
2024.12.20
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せむしの怪物が閉経間際になって中絶に憧れる話。第169回芥川賞受賞作。●あらすじ40代の井沢釈迦は背中がS字に曲がる障害があるものの、親の遺産で生活には困っていなくて自分が所有するグループホーム「イングルサイド」で生活して、エロ記事を書いた収入を寄付して、中卒なので大卒になりたくて通信大学を受講している。グループホームにVRゴーグルを寄付しようとしたら弱者男性のヘルパーの田中に絡まれて、山下マネージャーが腰痛だったので代わりに田中に体を洗ってもらい、生まれ変わったら高級娼婦になりたいとか中絶したいとかSNSに投稿していたのが田中にばれていたので、田中の身長分の大金の小切手をちらつかせて田中をしゃぶると誤嚥性肺炎で入院する。田中を堕胎の共犯にしたかったものの、退院する前に田中は辞めてしまった。●感想釈迦の一人称。先日読んだ古川真人の『背高泡立草』とは対照的に、早い段階で主人公の年齢や職業とかの情報を出していて小説の展開の仕方の基礎ができていて、日々の生活の様子の細部をよく観察している。例えば11ページでは「西向きの掃き出し窓から晴れた日は富士の頂がかすかに見えるけれど、西は右にあるから首が回らない。バルーンシェードの降りる出窓を背にしたワイドデスクの奥を定位置に、午後は座ったきりの生活を送る。正面の壁に50インチのテレビが据えてあって、しかし滅多に私はそれを点けず、隣の入居者の部屋から壁越しに聞こえるテレビの音に時々耳をそばだてた。」と部屋のレイアウトが書いてあって生活の様子がわかるし、18ページでは「巨峰とピオーネが3粒ずつ載った小皿がデザートに付いている。鯖の味噌煮とマカロニサラダとわかめのお味噌汁とごはん。部屋からふりかけを持ってくるのを忘れた。」と食事をちゃんと描写している。こういう細部のアクチュアリティから登場人物のリアリティがでる。人間は毎日食事をしないと生きていけないので、フィクションの登場人物が生きている姿にリアリティを出そうとしたら食事と排泄をちゃんと書く必要がある。ほとんどのジブリ映画で食事をしているシーンがあって『もののけ姫』でサンがアシタカに肉を口移しで食べさせるシーンや『千と千尋の神隠し』で親が勝手に店で食事を始めて豚に変わるシーンや千尋がハクから塩むすびを貰ったりするシーンとかで物語内で食事が重要な意味を持つように、食事をただの栄養補給の作業にせずに面白く書けるのはよいクリエーターだと思う。排泄は下品になりかねないので端折るのは仕方がないにしても、食事は書くべきだろう。この小説ではふりかけの「救世主み」を出しているところがよいし、箸で鯖の背骨を折るのはあざとい気もするけれど小道具の文学的な魅せ方がわかっているやり方である。葡萄も床に落として障害がある生活の不便さを強調するのに使っていて、食事を漫然と書き流さずに意味のある場面として丁寧に展開しているのはよい。生きていれば性欲もあるし、性欲を満たすことが幸福にも結びついているけれど、障碍者の性欲を書くのは難しい。ドキュメンタリーだと男性の障碍者が風俗で性欲を処理する特集をするのは見たことがあるけれど、女性の性欲はテーマにしにくい。健常者の小説家が障害者を取材して濡れ場を書くのでは取材相手の負担が大きいし、他人の不幸で金儲けしているようなあざとい感じが出るし、もし田中みたいな介護施設のヘルパーの弱者男性が女性の障碍者を観察してこういう小説を書いたら批判されて職場を解雇されるかもしれない。女性の障碍者自身が書かないと小説にしにくい空白地帯の内容を私小説として書いたという点でユニークで、好奇の目に晒される作者にも覚悟がいる。釈迦の出版業界への批判はまっとうである。文学界新人賞は確か何年か前にデジタルでの応募を受け付けるように変えたけれど、もし紙に印刷して綴じて応募する従来のやり方だったら負担が大きくて障碍者は応募しにくかっただろう。出版業界は紙での出版にこだわらずに文芸誌のデジタル化もすすめてアクセシビリティを高めていくべきだと思う。90ページ程度の短編なので構成はシンプルで登場人物が少なくて、釈迦が田中と接近して別れるという一つの出来事しかないけれど、シンプルなぶんよくまとまっている。釈迦が田中と命がけでエッチしようとする姿を見せることで冒頭の釈迦が書くエロ記事の軽薄さが消えて、最後に釈迦が書く娼婦の紗花のエロ記事が救済として昇華されて、障碍者についての知識がない読者が釈迦の性への執着を理解できるところまでもっていけている点でこの小説は成功している。技術的には大きな欠点はないけれど、人並みに堕胎することに執着してエロ記事を書いている釈迦が涅槃にたどり着くのは仏教とは違うかなと思った。仏教は執着を捨てて妄想を否定して今の瞬間に集中するけれど、女性は子育てするために男と子供に執着する脳の仕組みになっているし、小説も仏教が否定する妄想である。執着することで生命を全うしようとする釈迦はたぶん仏教の悟りとは違う境地にいると思う。というわけで、単にポリコレ棒で殴りかかってくる障碍者の恨み言の羅列の力技にならず、惰性で小説を書いているような中堅作家以上に観察眼や描写技術がしっかりしていて、表現したいことを過不足なく表現できていてデビュー作とは思えないくらいに完成度が高くてよい小説である。表紙のタイトルがゆがんでいるのもよい。私がブログでいろいろぼろくそに感想を書いていたら小説に命は賭けられないみたいなコメントをもらったこともあったけれど、この小説は作者が死ぬ前に書き残しておきたくて仕方がないことを表現しようとしている気迫がある。純文学はこうあるべきである。★★★★☆ハンチバック [ 市川 沙央 ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2024/12/15時点)楽天で購入
2024.12.15
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