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純文学の小説を中心に読書録を書いています。基本的にネタばれしています。
小説の構成や描写技法を中心に考察しているので、小説家を目指す人にとっては参考になる部分もあるかもしれないし、小説家を目指すつもりでない人も次に読む本を選ぶ参考程度にはなるかもしれません。
古いほう読書録はほとんどこのブログへの訪問者がいなくて日記代わりに雑感をメモしていただけなので他の人が読むほどの内容じゃないです。自分で読書録を読み返してもあらすじを思い出せない本があって、もうちょいあらすじなり特徴なりを詳しく書いておけばよかったと反省したので、最近は時間をかけてちゃんとレビューするようにしています。
いち本好きとして良いと思った小説は賞賛して悪いと思った小説は罵詈雑言を浴びせているのですが、小説の感想というのは個人の知識や価値観を反映させるので、結局のところ自分で読んでみないと意味がないのです。
ネットの中をさまよって偶然この読書録にたどりついた人は、面白いと賞賛しているのを読んでみたり、逆に罵倒している小説がそんなにつまらないはずはないと読んでみたりするのもよいでしょう。
この読書録がきっかけとなって他の人にも本が読まれることで、小説の発展にほんの少しでも貢献できればよいと思っているのです。

 ∧ ∧
(=‘ω‘ =)つお勧め本
辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』
辻原登『東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』

評価基準:
★★★★★:感動したニャー
★★★★☆:技術や感性に芸術性があって面白いニャー
★★★☆☆:暇つぶし大衆小説程度ニャー
★★☆☆☆:描写技術や知識が出版に満たないレベルニャー
★☆☆☆☆:ゴミニャー

 ∧ ∧
(=‘ω‘ =)< Amazonのほしいものリスト から私にギフトを送れるよ。
2026.05.11
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最近は小泉今日子の武道館のライブで開演30分前にDJの高木完が俳優の佐藤慶が憲法9条を朗読した音源のミックスを流したり、会場で放出された銀テープに「戦争反対!!平和な世界希望!!」と書かれていたことで賛否があって、もう小泉今日子のライブに行かないとXに投稿した人もいたようである。サカナクションのボーカルの山口一郎がYouTubeでミュージシャンの政治的発言について「みんなの気持ちを代弁することがミュージシャンの仕事。今、この現状でたとえば自分が思ってることを言うよ。俺は戦争なんてなくなったらいいなと思うわけよ。でも、どうやったらなくなるかなんてわからない。だって知識もないしさ。自分が持ってる浅い知識で、“こう思うんだよね”みたいに言うのもさ、そんな責任感ないことできないじゃない。危ういじゃん。知識ないからさ。感情論で話せないよ」と見解を述べたら賛否あったようである。というわけでこれについて徒然なるままに考えにけり。

●クリエイターが思想を持つことの是非

私は政治的思想であれ宗教的思想であれ芸術表現と作者の思想は不可分だと思うし、宮崎駿や大江健三郎とかも創作の根底に思想があったからこそ良い作品ができたと思う。フォーク歌手が反戦ソングを歌うのもいいし、ヘヴィーメタルバンドが死ね死ねと歌うのもいいし、レゲエ歌手がマリファナを礼賛する歌を歌うのもいいし、キリスト教徒がキリストやマリアを称える宗教歌を歌うのもいい。基本的人権に思想の自由、表現の自由、信教の自由が保障されてるのだから、法律の範囲内で何でも自由に主張すればよい。サカナクションの山口一郎のように知識がなくて責任を持てないことは主張しないと言う慎重な態度を取るのも自由だし、グラミー賞の授賞式で政治的な事を言いたがる歌手みたいに浅い知識で無責任に感情的な主張をするのも自由だし、誰かの主張を批判するのも自由である。信仰の告白を強制すると信教の自由に違反するように、ミュージシャンなら反戦ソングを歌えと迫るのはよくない。何を言うか言わないかは個々人が決めればいいし、他人が態度の表明を強制するものではない。そもそもクリエイターに政治の専門家としての意見を求めているわけではないし、専門外のことについて何か変な意見を言ったところでそれで既存の作品の質が変わるものでもない。
アイドルも自由に主張すればよい。アイドルは思想を表に出すなという人がいるのはアイドル差別で、アイドルの恋愛に反発する人がいるのと同じでアイドルを人格を持った人間として認めていなくて理想を演じる偶像でいてほしいということなのだろう。小泉今日子は60歳のようで若いアイドルみたいにぶりっ子して恋愛ソングばかり歌うような年でもないし、人生経験を経て社会について何かしらの意見はあるだろうし、既に知名度が高くて社会的に成功していて事務所から独立したのでこれから大衆に媚びて愛想を振りまいてファンを増やすよりはファンを減らしてでも自分のやりたいことをやる段階に入っているのだろう。
ミュージシャンの政治思想に対して批判が多いのは鑑賞する側が過剰に反応しすぎだと思う。政治観や宗教観や芸術観や経済観や恋愛観や人生観とかのあらゆる点で自分と全く同じ意見の人はいないだろうし、多面的な人物像を見ずにどこか一点で意見が違うからといって認知的不協和を起こして作品の鑑賞をしないのはもったいない。自分と意見が違う人の作品を鑑賞したからといって自分の思想が汚染されて変わるわけではないのだから、キリスト教徒でない人もゴスペルやレクイエムを聴いてみるといいし、イスラム教徒でない人もスーフィズムの音楽を聴いてみるといいし、ロシアのウクライナ侵攻に反対する人もロシア民謡を聴いてみるといいし、イスラエルのガザでの虐殺を批判する人もクレズマーとかのユダヤ人の音楽を聴いてみるといいし、イラン政府によるデモ隊虐殺や女性の弾圧を批判する人もイランの伝統音楽を聴いてみるといい。自分と違うものほど新しい刺激や発見があるものである。フィクションや芸術作品は現実世界を抽象化して相対化する役割があって、世界中の自分と異なる人たちの作品を観察すると美しい部分も愚かな部分も見えてくるだろうし、その観察がより良い人間になるにはどうすればよいか、より良い社会を作るにはどうすればよいかという実社会への還元につながっていく。

●表現手法の是非

クリエイターが思想を持つこと自体は問題ではなくて、どう作品に思想を織り込むかという点が問題である。例えば宮崎駿は国際政治の専門家ではないし、イスラエルと周辺のイスラム教の国との戦争をどう止めるのかについて聞いても答えられないだろうけれど、フィクションの中では反戦思想を展開できる。『風の谷のナウシカ』ではナウシカは城がトルメキアに襲われて父親が殺されたときはユパ様に止められるまでトルメキア兵をみんなぶっ殺すくらいの好戦性を見せた一方で、トルメキアの脆い飛行船がペジテのアスベルのガンシップに襲われたときに「やめて、もう殺さないで」と言って銃口に生身を晒して攻撃を躊躇させている。ナウシカ自身も殺人をしているし、妹を殺されたアスベルの復讐も受け入れているし、作品全体としては殺人を批判するというよりもトルメキアの他国への侵略や巨神兵という巨大な軍事力の利用方法を批判している。この辺が宮崎駿らしい展開で、武器を持つことや戦うこと自体は否定していないのでエンタメ作品として見せ場ができる。『紅の豚』では豚は殺しをやらないけれど、かといって殺しをやる他の空賊たちや戦争で死んだ仲間を批判的に描くわけでもないし、豚の戦闘機にも一応機銃はついていて戦闘機という兵器も否定しているわけではないのでエンタメ作品として見せ場ができる。宮崎駿が左翼的な思想を持っているにしても作品の面白さを損なわないから高評価されるし、もし映画のテーマソングに憲法の朗読を混ぜたり、登場人物に「戦争反対!!平和な世界希望!!」という安直なセリフを言わせたりしたら作品が台無しになって批判されただろう。
フェミニストが「男が産めるのうんこだけ」と歌う自由もあるし、オウム真理教の信者が「ショーコーショーコーショコショコショーコー」と歌う自由もあるし、幸福の科学が布教用のアニメを作る自由もあるけれど、作品として完成度が低いものは相応に批判される。何かを表現するための作品でなく、思想のプロパガンダのために作った作品は表現が目的でなくて手段になってしまっているのでたいてい完成度が低くなる。小泉今日子のコンサートでDJが憲法9条の朗読の音源をただ流したり銀テープに「戦争反対!!平和な世界希望!!」と書いたりするのでは安直で表現として面白くないし、音楽的パフォーマンスというよりは思想を押し付ける政治的パフォーマンスとして受け取られたので批判が多くなったのだろう。歌手が反戦を主張するなら自分で反戦ソングを作詞作曲するのが筋だし、せめて反戦ソングのカバーを歌うくらいすればいいし、やり方が中途半端である。戦争に対して現実的な対応を求められる政治家や軍事評論家と違ってクリエイターは好き勝手に理想を言えるのが強みなのだから、中途半端なのはよくない。やるなら反戦ライブと銘打ってペンライトの代わりにゲバ棒を振り回してアジ演説をして徹底的にやればよい。あるいはプロとしてファンを喜ばせることに徹するなら政治や宗教とかの価値観が別れやすいものは表に出さないでアイドルとしての小泉今日子像を保っておくべきで、興行として見れば中途半端なやり方でファンを幻滅させたり反感を招いたりするくらいならやらないほうがよい。
ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーのピート・ドクターが「親子で話し合う準備ができていないテーマについて、無理に扱いたくないのです。私たちは映画を作っているのであり、何億ドルもかけてセラピーを行っているわけではありません」と言って今後はLGBTQのテーマを取り扱わない方針にしたように、思想が強い作品は客はわざわざ金を払ってまで見ようとしない。興味がない人を振り向かせることができるくらいすばらしい作品を作れるなら思想を前面に出すのはよいけれど、うわべだけの浅い主張しかできないなら何も言わないほうがましである。





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最終更新日  2026.05.15 13:28:47
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