老師の言葉 0
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初めての山梨の夏。すごく暑い! と脅かされている。去年の夏を体験している次女も「大変だよ」と言う。盆地特有の暑さがあるのだ。ただ、たぶんだけど、希望的観測だけど、朝晩は気温が下がるのではないか。東京のような寝苦しさがないことを願うばかりだ。問題はヤギさんだ。寒さには強いが暑さには弱いと聞く。今いるところは、昼間の温度はかなり高くなるし、木陰がほとんどない。ヤギさんにはきつそうだ。避暑地を探さないといけない。「ヤギなんか飼うからだよ」と言われることもある。確かに、行動することで、新しい課題が出てくる。確かに余計な仕事を引き込んだようなものだ。ヤギを飼うのは、生活をする上で必須のことではないのだから。しかし、課題をクリアしようと動くことで、発見があったりする。ヤギさんがいることで、自分自身もそうだし、まわりでも、いろいろな変化が起こってきた。新しい仲間もできた。昨日と同じように生きようとするか、今日を新しい日として動くか。考え方はいろいろだが、ぼくは後者を選ぶ。惰性では面白くない。65歳からの山羊飼い生活。戸惑うことも多いけど、楽しんでいます。
2021年05月23日
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中川会長対談。山梨県甲斐市でアーモンドを栽培している笹原六氣さんと。アーモンドの栽培というのはとても珍しい。それも無農薬でやっているというのだから、たぶん、日本でたった一軒だろうと思う。彼の波乱万丈の人生は面白いかった。谷底をずっと歩いていたときに出あった有機栽培。そこから果樹をやろうと思い立って、山梨へやって来た。ところがそこでも試練が待っていた。へこたれそうになりながらも、さまざまな偶然が重なって、少しずつ少しずつ前へ進んできて、10年くらいになる。平坦な人生などない。特に、人がやらないことをやろうと思えば、険しい山道は覚悟しないといけない。すべって転んで立ち上がって、ときどき休んで、また歩き出す。その繰り返しだな。本当にいい話をお聞きした。
2021年05月21日
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桃の実が少しずつ大きくなってきた。摘果という作業が始まっている。実を落すのだ。(かわいくて小さな実が姿を見せ始めた)もったいないと思うけれども、花や実を落さずにいると、どの実も栄養不足になって、ぼくたちがいただく丸々とした桃にはならない。それでも、成木からは1000個ほどの桃が収穫できるというからすごいものだ。桃の木にとっても、農家にとっても、これからが試練だ。病気と虫との闘いになる。だから、普通の農家は殺虫剤、殺菌剤といった農薬を散布する。中には、本当にわずかだが、減農薬で対処している農園もある。それを、ぼくは無農薬でやろうというのだから、どんな困難が待ち受けているかと思うと、現時点では、元気に育っているけれども、不安に思うこともある。と言っても、ぼくの場合は、生産性を重視しているわけではない。病気が発生して全滅しても、「これは実験だから」と割り切れる。生活がかかっている農家さんはそういうわけにはいけないから、農薬からは抜け出せないのも致し方ないだろう。ぼくは、毎日、特殊な微生物の溶液を薄めて、葉面散布している。もちろん、声をかけながら。自ずと、葉や枝、実の状態を観察するようになるが、葉に穴があったり、縮れていたり、得体の知れない虫がいたりすると、どきっとする。(アブラムシ)(よくわからない虫もいる)大丈夫だろうか?全滅するのではないだろうか?ハラハラどきどきの毎日だ。「でもな」思い直すことにした。1枚の葉っぱが病気になったからと言って、全体がダメになるわけではない。人間の体内でも、毎日、数千個のがん細胞ができていると言うではないか。きちんと免疫力などが処理してくれて、大事に至らないようになっている。植物だって同じで、病気になっては治り、虫がついては消えていくを繰り返して、きちんと実をならせるはずだ。病気になるのも、木全体の免疫力が鍛えられていることで、あわてることはない。そう言い聞かせている。とにかく、クスリにすぐ頼るのではなく、木の生命力を高めていく。この間、桃を育てている人に見てもらったが、「農薬も使わずこんなに元気に育っているのは大したものだ」と褒められた。うれしいじゃないか。あとはイメージ。おいしい桃が実っている姿を頭に描きながら、16本の木を大事に育てている。
2021年04月29日
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山梨生活も6ヵ月目に入った。ヤギが3頭になった。4月7日に黒ヤギのかっくんがきて、4月20日に、ピョンピョンと息子の元氣くんがきた。そもそもの始まりは、弘美がヤギを飼うと言い出したこと。先の話だと思っていたが、紹介されたヤギ飼いさんを何軒か訪ね、「この子が気に入った」と何も準備できてないのに、飼うことを決めてしまった。もう進めていくしかない。まずは場所は確保した。雑草がいっぱいだからエサには困らないだろう。小屋や柵がいる。みんなで作るかと、ヤギ飼いさんたちがどんな小屋や柵を作っているのかを見て回った。「簡単にできるよ」と氣恵が言う。ぼくには信じれない。でも、次々と応援団が現れ、材料は、使わなくなったパレットにしよう土木のおじさんに相談したら、もらってきてあげるよと、簡単に手に入れてくれた。「みんなで作りましょう」と声をかけたら、DIYの得意な連中が集まってくれて、トントンカンカン、試行錯誤しながら大工仕事が始まった。立派なヤギさんのお家ができちゃったのだ。彼らがいる生活は、何とも言えない潤いがある。あのゆっくりしたリズムに、心が和む。イルカもそうだったけど、ヤギも、「こんなふうに生きていればいいよ」と、あくせくする人間たちを諭してくれる。6ヵ月弱でここまできたのは大したものだ。次は、これだけの貴重な体験なので、きちんと本にしないと。5月は山梨へ来る前から始めて、今までのぼくたちの姿をまとめようと思う。
2021年04月25日
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無農薬ゾーンができて、桃の木を6本お世話することになって、ヤギ小屋と柵を作って、ヤギも来た。山梨へ来て5ヶ月が経過。高みから鷹の目で俯瞰してみると、ずいぶんと順調に進んでいる。とは言え、地に足をつけて歩いている身としては、順風満帆、平穏無事だったわけではない。この短い間に、頭がくらくらすることがいくつもあった。それでも、ここまでこぎつけたのは大したものだと自画自賛もしているわけだ。「田舎暮らし、あこがれています」とうらやましそうに言う方がいるが、田舎に移住したからと言って、今抱えている悩みが消えるわけではない。ただ場所が変わるだけのことでは、旅行に行って、気分転換をするようなもので、時間がたつと、都会にいたときと同じイライラ、ため息が戻ってくる。田舎暮らしをきっかけに、考え方を変える、ライフスタイルを変える。これが鍵だと思う。ただし、ぼくがこの5ヶ月で体験したような、変化にともなう混沌にも見舞われる。都会以上に人間関係は濃密になるし、思わぬ批判を受けることもあるし、考え方で対立することもある。そこをどう乗り切るかが、大きなポイントだと思う。おかげさまで、ぼくたちは、険しい峠を越えて、やっと山梨の地に足をつけることができた感がある。やっと移住生活の本を書けるのではないかという段階に来た。自分が体験した中で、いろいろな人の話を聞くと、しみ込んでくるものがある。「都会を脱出して田舎で暮らす」という新しいライフスタイル。ゆっくりとまとめてみようと思う。
2021年04月14日
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「痛い」「イタタタタ」夫婦そろって、動き始めに発する言葉。このごろ、朝早くから農園で働いているので、体のあちこちが痛む。ぼくたちがやっていることなど、農家の人から見れば、大した仕事ではないだろうけれども、なまった体は悲鳴をあげる。それでも、家にこもって原稿を書いている毎日と比べれば、体が痛いながらも、氣の流がいいのは間違いない。これからどういうリズムで過ごしていくか。上手に時間を使っていかないといけない。ぼくは、仕事をリタイアして農園で働いているわけではない。農園にいるだけでは、まったく収入にならないわけで、生活費をどうやって稼ぐかも考えないといけない。農業で生計を立てるなどというのは、ぼくの念頭にはない。あくまでも、ちょっと人とは違った生活をネタに、それを原稿にして、収入を得るというライフスタイルが好ましい。農業で生活費を得るような才能はないけれども、原稿をお金にするのは、長年やってきていることなので、何とかなりそうな気がする。問題は、原稿をどの時間帯に書くのかということだ。これまでは、一日、だらだらと机に向かっているうちに、何とか原稿ができるというスタイルだった。農園に通うようになったら、それができない。どこかで集中して原稿書きをしないといけない。朝にするのか、夜にするのか。あるいは、曜日を決めて、まるまる一日を使うのか。毎日、数時間でもパソコンに向かった方がいいと思う。理想は朝だな。これから暑くなると、農作業は早朝になるから、朝も厳しいかも。夜はお酒を飲みたいしな。昼間の農作業の合間に農園でやればいいかもしれない。迷うところだ。迷いつつ、リズムをつかんでいこう。
2021年04月11日
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東京から知り合いが訪ねて来てくれた。近所に住んでいたり、ぼくがボランティアで手伝っていた地元のラジオ局のアナウンサーだったということで、接点はたくさんあったが、だからと言って、それほど親密だったわけではない。ところが、ぼくが山梨へ越してから、フェイスブックの投稿を見てくれていたらしい。「ドライブがてら遊びに行きます」とうれしいメールをくださった。11時ごろに来園して、農園をあちこち見学し、休憩所でお茶を飲みながらお話をし、ぼくたちお気に入りの「酒蔵カフェ 櫂」でランチ。ぼくたちもうれしかったし、彼女にも楽しんでいただいたと思う。「行きたい」と言ってくれる人はたくさんいる。だけど、みなさん忙しくて、なかなか行動に移せない。コロナもあって、仕方がない。こういう情勢の中、実際に足を運んでくれる人は、よほどの縁だと思う。縁の種。大切に育てて芽が出れば、一緒になってすてきな活動ができるだろうし、ぼくたちが山梨へ来た意味ももっとはっきりとしてくるはずだ。明日は、元ご近所さん(と言っても面識はない)が親子で訪ねてくれる。町内会報に、甲州ライフの記事を書かせてもらった。甲州に移住したいきさつや、こちらの農園で障がい者も働ける場所作りをするといった話を書いた。その方のお子さんはダウン症だそうだ。今は小学生だが、これから、どういうふうに生きていけばいいのか、模索しているところでのぼくの記事だったようだ。記事を読んで、可能性を感じてくださって、ぜひ見学したいと連絡をくれたのだ。まだまだ未完成の場所だが、縁のあった人たちと一緒に作り上げていければと思っている。今はハーブを植えるのを主に、桃の栽培をやり、野菜も始める。4月にはヤギさんがくる。たくさんの人を巻き込んで、みんなの力を結集して、楽しい場作り、面白い活動をしていきたい。
2021年03月31日
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山梨へ移り住んでから4ヵ月半が過ぎた。これまでは、東京でやってきた仕事を山梨でやっているという感じだった。しかし、これからはかなり変化が出そうだ。と言うのも、いよいよ畑作業に力を入れないといけない時期だし、ヤギがやってくること。東京ではできないことに、本格的に取り組むことになる。とにかくやったことのない作業だ。どうなるか見当もつかない。だからこそ面白い。目的地のない旅に出たようなもの。とりあえず列車に乗って、気に入った駅があれば、そこで降りて、小さな居酒屋に入って一杯やって、宿を探して、明日のことは明日になってから考える。今日は、畑をきれいにして桃のお世話をして。まあ、そんなとこかな。
2021年03月27日
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山梨は桃の花の季節。桜もあって、山や町がピンクに染まる。桃畑が慌ただしくなっている。昨日は、岩間農園に摘蕾(てきらい)のお手伝いに行った。お手伝いというよりも、ぼくたちも桃の栽培を始めるので教えてもらいに行ったというのが正解。摘蕾というのは、一部のつぼみを取り除くこと。それをしないと、実がいっぱいなってしまう。多ければいいじゃないかというのが素人の考え。ぼくもそう思っていた。ところが、たくさんの実ができると栄養が行き渡らず、いい桃ができない。だから、つぼみのうちに落として、さらに実ができたら、摘果と言って、もっと少なくする。摘蕾は楽しい作業だが、4人でやって1本2時間はかかる。岩間農園にば100本ほどの桃の木がある。岩間さんは1人で作業をしている。どれだけ大変か。実際に農作業を体験すると、農作物の値段はあれでいいのかと疑問に思う。安すぎる。仕事はきついわ、収入は少ないでは、農業をやろうという人が増えるはずがない。ただ、岩間さんのように、純粋に果樹作りが好きだという人が、一生懸命にやっている姿を見ると、収入の多寡だけで語れない、農業の新しい魅力も見ないといけないという気にもなる。ぼくたちは、まだ農業をやっているレベルに達していない。かじってもいない。偉そうなことは、桃が実ってから言うようにしよう。
2021年03月26日
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面白い人との縁がどんどん広がる。山梨へ越して間もないころに知り合ったリッキーさん。「六氣」と書いてリッキー。れっきとした日本人だ。わが家の娘たちも、「氣子」「氣恵」「氣歩」と「氣」の文字がつく。氣の文字を名前に使う人はそれほど多くないと思う。このすてきな縁。何かが起こる予感がしている。リッキーさんは10年くらい前に山梨へ来て、富士山の見える丘でアーモンド作りを始めた。もちろん、自然栽培だ。ちょうど、アーモンドの花が満開だというので、バーベキューでもやりましょうと誘われた。アーモンドの花なんて見たことないし、農園の気持ちいいことは、前回訪ねてわかっている。天気もいい。最高のお花見日和だ。気の合う仲間が集まって、のんびりと一日くつろいだ。こんな日常、本当にいいのだろうかと、不安になるほどのリラックスタイム。ここでもすてきな出会いがあった。一日前から、農園のプロモーションビデオ作りが始まっていた。どう使うかは考えてなくて、いい時期の動画を撮っておこうと、専門家が農園にテントを持ち込んで撮影をしていた。短い時間だったが、あいさつをすることができた。50代だろうか、ご夫婦で動いていると言う。アウトドアが大好きで、車にはいつもテントが積んである。住まいは東京の三鷹だが、農業が好きで、田んぼや畑を借りて、自然栽培をやっているそうだ。驚いたのは、このご夫妻、ぼくの本を何冊も読んでくれていたこと。うれしいね。初女さんのこと、木村さんのこと、話が盛り上がった。山梨へ来てから、中身の濃い出会いが続いている。何なのだろうか、この動きはとワクワクしてしまう。今日は、桃農園に花粉をいただきに行く。知り合いから紹介された農家さんだが、彼は学生時代に毎年、小笠原(母島)へ行っていたそうだ。できるだけ農薬を使わない桃作りにチャレンジしている。何かが大きく動いている。この先、どんなことが起こるのか、楽しみにしていたいと思う。
2021年03月24日
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縁はどんどん広がっていく。ヤギ小屋を作らないといけないので、スズちゃんや氣恵が親しくしている土木の専門家に相談した。わざわざわが家まで来てくれた。懇切丁寧に教えてくれた。こっちは何から手をつけていいかさっぱりわからないので、本当に助かった。実際に組み立てるときにもお手伝いしてくれると言う。来週は2~3日かけてヤギ小屋作りだ。その方が、農業をやるなら紹介したい人がいると言う。ありがたいが、ぼくとしては、無農薬に挑戦したいわけだから、そのことも伝えておかないといけない。「ぼくたちがやりたいのは・・・」とひと通りお話した。すると、彼は言った。「その人も同じ考え方です。だから、昔ながらの農業にこだわる親とはいつもバトルをしているそうです」木村秋則さんのこともよくご存知のようで、自然栽培のことをよく勉強されているようだ。いろいろ教えてもらうにはベストの方につながった。この流れは尋常ではない。もう乗ってけ、乗ってけ! だ。
2021年03月03日
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山梨へ移住して来て12年のTさんにお会いした。農園から車で5分ほど。山間の細い道を上っていく。20軒ほどの集落の端の方。72歳。大きなメーカーで工業デザイナーとして働き、40代で独立した。60歳ですぱっと仕事をやめて単身で山梨へ移る。その前の5年ほど、古い家を借りて、週末は山梨で過ごすという生活をしていた。趣味のDIYや陶芸が存分にできると、山梨での生活はとても気に入っていた。どこへ移り住むか。100ヶ所くらい見て回ったそうだ。条件は富士山が見えるところ。標高が400~500メートルある小高い場所。富士山が見えるということは南に面しているし、高さがあれば夏も過ごしやすい。しかし、南面の丘というのはほとんど畑になっていて、住宅は見つからない。やっと見つけたのが今の家。空家バンクに登録されていた。住むにはあまりにもボロボロ。まわりの人も、あんな家を買ってどうするんだとあきれるような有様だった。ここにしようと決めたのは、すぐ横を沢が流れていること。川の流れが気持ちいい、さわやかな風が吹いている。快適な暮らしがイメージできた。彼は、自分でコツコツと修繕し始めた。得意だし好きなことだ。最初はどうなることか、不安もあったが、やっているうちに夢中になった。住む場所を改修し、下を陶芸のアトリエとギャラリーにした。離れは、東京にいる奥さんや息子さん、孫たちがきたときに宿泊できるゲストハウスに。12年でほぼ最高の居場所が完成した。見学させてもらったが感動するような住まいだ。一人で住んでいると言う。自分のやりたい生活をきちんとイメージして、それを貫いた結果だったのだろう。都会の生活を田舎に持ち込もうとか、儲けてやろうとか、何となく楽しそうというあやふやな気持ちでは、移住生活はうまくいかないのではと言う。近所付き合いも、郷に入れば郷に従えで、あまり自己主張をしない。歓迎してくれる人もいれば、警戒する人もいる。静かに、淡々と暮らすこと。お金は?「年金で細々と暮らしているよ。お金がなくなると知恵が出る。家を修理するときも、ホームセンターへ材料を買いに行くけど、予算オーバーだとすると、そこで知恵が出る。そう言えば、あそこにあんな材木が捨ててあった。あれは使えるといった具合に」というのも、移住生活を楽しむコツだ。田舎ならではの楽しみを見つけることだ。「最初のうちは、昔の仲間も面白がって遊びに来てくれる。でも、次第に忘れ去られていく。こっちも、お客さんを迎えるのは疲れてしまうし。徐々に静かな生活になったよ」今度、ゆっくりと話を聞こう。
2021年02月18日
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毎月第一日曜日に、塩山駅前で朝市が立つ。いつもは2か所での開催だが、コロナの影響で、2月は1か所のみとなった。ぼくは、買いたいものはないけれども、けっこうおもしろい人が出店しているので、ふらりと出かけていく。前回は、10アンペアの生活をしているという、自給自足のご夫婦、東京から移住してきて山深いところでゆっくりと暮らしているご家族。野菜を少し買って、あれこれ立ち話をした。今回、ぼくの目に止まったのは、木工製品。明らかにプロの技だとわかる優れものがテントに並んでいた。何人かが足を止めて話を聞いている。ぼくも立ち止まって、話に耳を傾けた。製作者は元大工さん。山梨で生まれて育った人で、地元が大好きで、何か山梨らしいものを作りたいと思っていたそうだ。そんなときに、「そう言えば」と思ったことがあった。山梨と言えば、桃とブドウ。桃やブドウの古木が、切り倒されて燃やされてしまっていた。実がならなくなってしまえば、役に立たないというのが農家の考え方。しかし、彼は、この古木たちを生かせないかと考えた。自分にできるのは加工して日用品やアクセサリーを作ることだと思ったが、桃やブドウの木は、その性質上、加工が難しい。そこから試行錯誤が始まり、独自の方法でいろいろなものを作り出すことができるようになったそうだ。生まれたときから、桃やブドウの木に囲まれていた。自分の人生から切り離せない存在だ。何年も実をつけて山梨の人たちを養ってきた木たちだ。恩返しがしたい。すてきな生き方だと思う。人間がほかの動物と違うのは、知恵と器用な手先によって、さまざまな加工ができること。その特技の使い方が大切で、これまでは自分たちの都合のいいように自然を利用する形だったが、まわりの命を生かすことが、今後の人間の役割だ、とぼくは思う。製作者とはゆっくりお話ができなかったが、一度、話を聞きに行かなくちゃと思っている。桃の木には邪気を払い不老長寿を招く力がある。ブドウの木には縁結び、子宝に恵まれる力がある。そう言われているそうだ。アグリヒーリングにも使えるな。
2021年02月08日
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ピカピカに磨いた10円玉をポケットに入れて、1つのお寺と3つの神社、3つのお地蔵様を回る1時間ほどの散歩。6000歩から7000歩になる。この間は、郵便局に用があったので、逆回りで歩くことにした。不思議なことは最後の神社(いつもなら最初にお参りする)の秋葉神社で起こった。ここにお参りしたら、隣にある向嶽寺で延命十句観音経をあげて帰るだけ。一人の女性がお参りしていた。どこの神社でもお参りしている人とは会わないのだが、秋葉神社は先客がいたのはこれで2回目だった。お参りを終えた女性がこちらに向いた。ついつい声をかけた。「この神社へお参りに来られる方、多いのでしょうか?」40代だろうか。小柄ですてきな方だ。「どうでしょうね。この神社は向嶽寺と対になっていて・・・」今は隣の山梨市に住んでいるが、塩山の実家に帰ったついでに寄ったのだそうだ。向嶽寺の由来など話してくれた。「どこから来られたのですか?」彼女からの質問に、今度はぼくが答える。興味深く聞いてくれる。立ち話が盛り上がった。アグリヒーリングの話をすると、彼女の目が輝いた。「私も同じことを考えていて」今はイチゴ園で働いているのだが、塩山に父親がやっていた大きな農園があって、最近、そこを整備して、どう使うか思案していたのだと言う。最近、ひらめいたのが「癒し」の場にすることだった。農福連携という言葉も出てきた。でもどう進めていいかわからず、そのままにしておいたところに、ぼくの登場と相成ったわけだ。ヤギも手配しているとのこと。何なんだ、この偶然は!!!話はUFOのことにまで及ぶ。何しろ、秋葉神社の裏にはピラミッド山の塩ノ山がある。(ピラミッドの形をした塩ノ山)「このあたりで2回は見たことがあります」1回目は、空にぱっと奇妙な光が現れたと思ったら、すぐに消えたそうだ。2回目は、塩ノ山の上空にあった光が、頂上に向かってスーッと下降するのを見たのだと言う。イベントをやっていると話すと、ぜひ参加しますと言ってくれた。神様はさりげなくメッセージをくれる。何らかの意味のあるものとして、ぼくの前に彼女を登場させてくれたのかもしれない。ぼくたちのこれからの活動に重要な役割を果たしてくれることになったら、物語として面白いではないか。もし郵便局に用がなくて、いつもの順番で回っていたら、彼女とはすれ違いになっていたはずだ。絶妙のタイミングで、出会いが演出されている。こんなことがどんどん起こってくるような気がする。
2021年02月06日
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山梨(塩山)へ越してから、ずいぶんと歩くようになった。スマホの万歩計で5000歩から1万歩。東京にいるときは、平均して1000歩くらいだったから、運動しているという実感がある。近くにある塩ノ山の麓をぶらぶらするのだが、このあたりは、お地蔵様、神社が多い。特に地蔵様。江戸時代に建てられた古い像があちこちにある。お地蔵様は、菩薩様のひとつで、庶民の願いを叶えてくれる。菩薩様というのは、すで高貴な悟りを開いた、われわれ人間からは遠く離れた仏の世界の住人なのだが、衆生の悩み、苦しみ、悲しみに寄り添い、少しでも心を平安にしてあげたいと、自ら位を下げて、この世に近いところで、ぼくたちを見守ってくれる存在だ。だから、どんな悩みや願い事にも耳を傾けてくれて、一番いい方法で、それを解決してくれる。観音様とともに、遠い昔から、ぼくたちの身近にいてくれる大いなる力を具象化したものだ。なぜ、お地蔵さまがこんなにも多いのか?信仰深い人が多かったということも考えられるが、何か困りごとがなければ、お地蔵様を作らないだろうと思う。とことん追い込まれて、お地蔵様にすがるしかないことが起こったのではないか。天変地異とか疫病。江戸時代と言えば、富士山の噴火があった。宝永の大噴火。あのときは江戸の上空を火山灰が覆い、昼でもろうそくが必要だったそうだ。このあたりでも、畑に火山灰が降り注ぎ、日照不足もあって、農作物がダメージを受け、食糧不足になったはずだ。火山灰を吸い込んだり、日光に当たらないことで病気も流行っただろう。富士山ばかりではなかもしれない。今回のコロナ騒ぎのように、伝染病が広がって、多くの人が亡くなったということもあったかもしれない。あるいは山を越えて旅をする人が、地形も気候も厳しい中の旅で行き倒れになってしまうことがよくあって、その魂を鎮めるためにお地蔵様を建てたということも考えられる。袖切り坂という短い坂がある。昔々、きっとこの坂はもっと長くて、旅の難所だったのではないか。たくさんの旅人が坂の途中でバタバタ倒れて亡くなったそうだ。亡霊たちが坂を上る人に助けを求める。でも、助けようがない。何もしてあげられなくて申し訳ないと、坂を通る人たちは、自分の袖を破って、ここに置いて行ったらしい。歴史というのはかなしみの積み重ね。でも、かなしみをかなしみのままにしておくのではなく、後世の人のための教訓、霊的な存在を敬う気持ち、今を生きる人たちの心の寄りどころとして、お地蔵様は作られたのかもしれない。ぼくの散歩コース。向嶽寺(ここにはお釈迦様の像がある)、すぐ隣にある秋葉神社、塩ノ山の麓の散歩道、途中にお地蔵さまがある、散歩道を過ぎて塩山温泉郷を過ぎると、2つのお地蔵様、飛大(とびのみや)神社まで行って、同じコースで帰ってくる。だいたい5000歩から6000歩。高さ500メートル強の塩ノ山に登ることもある。あと菅田(かんだ)神社という、このあたりの氏神様だと思うが、そこもコースに入れてもいいかもしれない。オリエンテーションじゃないけれども、ぶらぶらと散歩するよりも、ポイントを決めて歩く方が続きやすい。長い歴史の中で、今、ぼくがここに住んでいるというのは、何かの縁だろうから、土地に感謝をしながら歩いてみたい。
2021年02月02日
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玄関にゆずが何個か、袋に入れて置いてあった。「これどうしたの?」妻が聞く。「いや、知らない」忘れっぽいぼくだが、絶対に身に覚えがない。自信がある。ひょっとして隣のおばさん?この間は白菜を置いて行ってくれた。出かけるときにばったりとおばさんに会った。「あの、ゆずを置いて行ってくれました?」「お風呂へ入れた?」そうか冬至か。冬至はゆず湯。そんなことすっかり忘れてしまっていた。一日遅れのゆず湯。いい香りだった。これまではいつの間にか夏至があって、いつの間にやら冬至になってというあわただしさだった。季節の節目は楽しまないといけないな。隣のおばさんのペースを、少し見習わせてもらおう。
2020年12月23日
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伊豆諸島で地震が相次いだ。東北地方でもあった。無気味な感じだ。「今年は富士山の雪が少ない」山梨ではひょっとして富士山に異変が起こるのではという話が広がっている。越してきたばかりで、普段の年は知らないが、確かに、毎日見る富士山は真っ白というより青味がかっている。300年以上前、今で言う南海トラフ地震が起こり、太平洋岸は津波に襲われ、1ヵ月もたたないうちに、富士山が噴火した。江戸までも火山灰に覆われ、昼間でもろうそくの火がないと暮らせなかったそうだ。山梨の人は言う。「山梨は守られていて、災害にも強いから大丈夫」確かに、コロナの感染者も少ない。しかし、雄大で美しい姿をこれほど身近に見られるということは、逆に言えば、爆発したときのリスクは大きいはずだ。激動の2020年も間もなく終わる。年が変わったからと言って、いきなり流れが変わるわけではない。激しさはまだまだ続くだろう。富士山噴火だって、決して絵空事ではない。地球が生まれ変わろうとしている。ぼくたちは、それに翻弄されるのではなく、変化についていけるようにしておかないといけない。自分本位の考え方をやめ、地球の一員である、地球に育まれているという、謙虚な気持ちをもって感謝して暮らすことを覚えないと、これからはますます苦しくなるばかりだ。試練のときをぼくたちは生きていて、ここをどう乗り切るか。魂はこれを機会に大きく成長しようとしていることを忘れてはならない。
2020年12月21日
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富士山を見て思うこと。富士山は自分で自分を変えることはしない。いつもあの姿で堂々としているだけ。変わるのは、冬になれば雪が積もる、いろいろな形の雲がかかる、靄に煙る、頂上だけ雲に隠れる。まわりが変化を演出してくれて、毎日毎日、見る人の目や心を和ませてくれたり、楽しませてくれたりする。人だって、変わろう変わろうと思わなくても、まわりが変化をもたらせてくれる。雲でも雨でも、ありがたくそれを受け入れれば、まわりの人が喜んでくれたり、癒されたりする。富士山のように生きたいものだ。
2020年12月07日
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「こんなにのどかに暮らしていいのかしら」郵便局から帰ってきた妻がつぶやいた。特急も止まる駅から歩いて15分ほどのところに一軒家を借りて、この町に暮らし始めて2週間になる。東京でもあまり外出はせず、家で原稿を書きながらのんびりと暮らしていたつもりだ。でも、東京で暮らしているときとはリズムが違う。ゆっくりと時間が流れ、そろそろ寝ようかなと時計を見ると、まだ8時とか9時だったりする。人がたくさんいて、電車がひっきりなしに走って、車も多くて、ちょっと歩けば、スーパーも専門店もあってなんでも買える。確かに便利だった。こちらでは、近くのスーパーに行くのも車か自転車を使わないといけない。人も車も少ない。東京での生活とこの2週間とを比べてみると、「せかされていたな」と感じる。だれかが「早くしろ」とせかしているわけではないのだが、「早く」「急げ」「負けるな」「もっともっと」都会にはそんなエネルギーがあふれていて、知らず知らずのうちに、せかせかした気持ちで日々を過ごしていて、「あれっ、もうこんな時間。早いなあ」とため息をつく。楽しいことに集中して時間がたっていくというのではない。主体は時間で、時間に引きずられて一日が終わっていく感じ。比較的のんびりと生きていたぼくでもそうなのだから、都会で暮らす大半の人は、知らず知らずのうちに、心が疲弊していると思う。長く都会にいて、地方での暮らしを始めると、妻が言ったように、「こんなにのどかでいいのか」といった漠然とした不安を感じたりする人も多いだろう。本来の人間の生きるリズムは、「ゆっくり」と「のどか」なものなのではないだろうか。いろいろ感じることの多い2週間だった。やること、やりたいことは多々あるけれども、やらなければならないことは、そんなにあるものではない。のどかだからこそ、本当に大切なものが見えてくるのではないだろうか。
2020年12月03日
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東京から山梨へ来たのが12日。2度東京へ日帰りし、24日に鈴鹿の実家へ行き、27日まで滞在した。一昨日、山梨へ帰った。あわただしく日が過ぎていくが、徐々にペースはつかめるだろうと思う。わが家のすぐそばに塩ノ山という小さな山がある。知る人ぞ知る、パワースポットのようだ。30分ほどで登れる頂上から富士山がきれいに見える。(塩ノ山の頂上。きれいに富士山が見える。天気のいい日に弁当をもって登るといいかも)一昨日、名古屋方面から中央道を運転してきて、諏訪湖を超えてからだろうか、正面にきれいな富士山がずっと見えていた。日本人だからそう思うのか、あの美しさは、本当に世界一に違いない。富士山の荘厳さ、華麗さ、神聖さ。思わず手を合わせたくなる。そう思ったとき、ふとひらめいたことがある。ぼくは塩ノ山に登って富士山を見ると手を合わせたくなるが、ひょっとしたら、逆に、富士山から塩ノ山を見て手を合わせるのが本当なのではないだろうか、ということだ。神社で言うなら、富士山が拝殿で、塩ノ山が本殿。普通、家の中の神棚は北側にある。北に向かって手を合わせるのだ。富士山と塩ノ山の位置関係を見ると、塩ノ山は富士山の真北になる。富士山は、日光東照宮の豪華絢爛な門のような、人の目をひきつけ、「きれいだな」と感動させる役割で、神様は本殿である塩ノ山に鎮座している。そんなことを思いながら運転してきた。案外、この推理、いい線いっているかもしれない。
2020年11月30日
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山梨で暮らし始めて10日が過ぎた。朝起きると、ベランダへ出て富士山を見る。これまでほとんど毎日、白く雪をかぶった聖なる山に手を合わせることができた。ちょっと心配なことがある。今は、富士山の姿に感動しているが、もう少ししたら、見向きもしなくなるのではないかということだ。何でも、最初のうちは新鮮でワクワクするが、しばらくすると当たり前になって、ときめきが薄れていく。田舎から東京へ出て間もないころには、立ち並ぶビルを見てやる気をたぎらせ、都心部の雑踏や満員電車にすら希望を感じたものだ。やがては何も感じなくなり、いつしか平凡な光景として右から左へ流れていくようになった。この世に生を受けて、自分の目で、これから自分が過ごす世界を見たとき、どんなことを感じ、思ったのだろうか。すべてが新鮮だったはずだ。それが、いつの間にか、これもあれも当たり前になってしまった。初めてよちよちと歩けたときはどんな気持ちだったのか。すっかり忘れてしまって、まるで自分の力だけで大人になって、自分の力で生きているように錯覚してしまっている。これじゃいけないな。来年の今ごろも、富士山を見て感動していたい。当たり前などひとつもない。すべてが奇跡だという先人たちの教えを、ぼくも心に刻みたいと思う。
2020年11月24日
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山梨に移り住んだというと、みなさん「すごいね」と言ってくれる。60歳を過ぎての移動は、多くの場合、仕事を退職してからのこと。老後をのんびり過ごそうというものだ。サラリーマンなら退職金が出るからそれも可能だが、ぼくの場合は完全歩合のフリーランス。働いて稼がないと食べていけない。ライターという仕事は、売れっ子作家は別として、どうしても東京が中心になる。妻のヒーリングという仕事にしても、知り合いの少ない山梨で、果たして成り立っていくのか。貯金もないし、山梨でどうやって食べて行くのか、ぼくもわからないし、まったく不透明なままの船出だ。そんな意味での「すごいね」だとぼくは理解している。キッチンカーを始めたときの融資も返済しないといけない。まあ、こちらは家賃がぐーんと少なくなった分で払えるが、全体の収入が落ちるのだから、経済的な面で苦しいのは間違いのないことだ。ぼくも昭和の人間だから、経済優先の価値観が抜けない。長年、綱渡りの状態で暮らしてきて、「お金があれば」と思ったことは幾度もあった。頭では、「お金がすべてではない」ことはわかっている。だが、現実に金欠に直面すると、不安が頭をもたげてきて心が落ち着かなくなる。人にはそれぞれさまざまな不安や恐怖がある。不安や恐怖は、人をしばりつける。権力者は、不安や恐怖を使って民衆をコントロールする。昔からの常とう手段だ。お金や仕事、健康は、支配の道具として、とても効率的に機能する。ある程度の仕掛けを作れば、人は自分で自分を縛り付ける。自ら不自由への道を進んでいく。新しい時代を生きるには、まずはそこから脱却しないといけない。頭でわかってその気になっているようでは、すぐにメッキがはがれる。自分の不安や恐怖ときちんと向き合って、不安や恐怖があることを認めて、そこからどうすればいいかを考え、行動する。ぼくの山梨暮らしは、その流れに乗っているのだと思う。山梨がぼくの意識に上ってから、ぼくのまわりでは、奇跡的なことが次々と起こっている。そこに目を向け、一気に不安・恐怖の壁を突破しないと。本当にいいチャンスをもらった。
2020年11月23日
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わが家のそばに、「向嶽寺」という立派なお寺がある。臨済宗向嶽寺派の大本山ということだ。今年、帯津良一先生の『汝のこころを虚空に繋げ』(風雲舎)という本を作るお手伝いをした。もっとも短いお経だが功徳は最高と言われている「延命十句観音経」を入り口に、江戸時代の名僧・白隠さんのこと、そして宇宙を包み込む虚空という大空間について、先生のお考えをまとめた。ぼくもほぼ毎日、「延命十句観音経」を100回唱えている。白隠さんは、臨済宗の中興の祖と言われている。そのせいか、この本が出版されてから、臨済宗のお寺との縁が膨らんできた。まずは、「いるかのはたけ」のある武蔵五日市。ここにホタルの名所がある。徳雲院というお寺の裏の川に、ホタルが乱舞する。一度だけ行ったことがある。ここが臨済宗のお寺で、帯津先生の本が出版されてすぐに出会った人が、月に一度、坐禅の会をやっているという思わぬ偶然があった。ぼくも行きたいですと、妻と2人で参加した。いいご住職だし、いるかのはたけをやるきっかけになった、ハギーさんという五日市出身の医師とも深い縁があるお寺だと知り、すっかり、このお寺のファンになった。実は、五日市という場所、お寺が何軒もあるが、すべて臨済宗だと言う。理由はわからないが、白隠さんの縁なのかもしれないと、うれしくなった。五日市は、明治の初期、国会を開き憲法を作って民衆のための政治をしろという、自由民権運動の盛んなところだった。この地域の豪農たちが、弾圧された人たちを保護したそうだ。そのことと臨済宗との関係があるのかどうかはわからないが、革新的な気風が流れる場所で、ぼくにとっては、とても心地よかった。そして、今回の向嶽寺だ。富士山の真北にあって、塩ノ山というパワースポットの麓に位置する。非公開ということで、中までは入れないが、仏殿の前で手を合わせて、延命十句観音経を一回だけ唱えていると、只者ではないエネルギーを感じる。ぼくの感覚だけど、導かれてこの地へ来た気がする。五日市もそうだったし、ここはもっと感じるのだが、ぼくの眠っているエネルギーを引き出してくれるの場所ではないか。本当にそうかどうかは、やがてわかるはずだ。今日もベランダから見える富士山はきれいだった。
2020年11月22日
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12日に塩山に来て、すでに15日、20日と東京へ日帰りで出かけている。やりかけている仕事を片付けないといけないので、まだ、塩山でゆっくりというわけにもいかないのだ。これからスローライフを目指すわけで、特急を使わずに行くことにした。3時間くらいかかる。15日の感想。高尾行きに乗る。ほとんど眠っているうちに高尾着。気持ち良く目覚めて、目的地の新橋まで。まったく苦にならない。ただ、帰りはもう眠れないし、ちょっと疲れた。20日の感想。今回は眠れなかったが、本が読めた。読みかけていた2冊の本、読み終えることができた。家よりも集中できる。ほかにすることがないから、いい読書の時間になることを発見。帰りは、やっぱり疲れる。東京の人ごみを移動したからだろうか。立川で特急に乗った。立川からだと1時間かからない。行きはよいよい帰りは怖いという感じだな。引っ越してわずか1週間しかたっていないが、うらさびしい塩山の駅に降りるとほっとするから不思議だ。(塩山駅前になる重要文化財の甘草屋敷。風格がある立派な建物。近いうちにゆっくり見学してみようと思う)今後、東京へはせいぜい月一回くらいの生活にしようと思う。
2020年11月21日
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昨日も大家のIさんが訪ねてきてくれた。ガスコンロをもってきてくれたのだ。中古だけど十分に使える。本当に面倒見がいい。「今度、ゆっくり話を聞かせてください」彼に頼んだ。彼の大家ビジネスがぼくにはとても新鮮に感じられたからだ。彼は東京に家があるが、今は7割は塩山で過ごしている。この近辺で空家を購入する。我が家も築50年の年季の入った家で、80代の夫婦が住んでいたが、2人と亡くなって空き家になり、Iさんに売ったのだ。Iさんは、もともとはサラリーマンだったが、DIYが得意なのだと思う。自分でほとんどのところをリフォームして、きれいにして賃貸に出す。新しいエアコンはつけてくれたし、台所の床は張り替えてくれたし、本棚もプレゼントしてくれたし、お風呂も追い炊きができるように取り換えてくれたし、トイレもウオシュレットにしてくれたし、レースのカーテンもつけてくれたし、とにかく、至れり尽くせり。それでいて、こんな値段でいいのというくらい、家賃も安い。徐々に段ボールも片付き、やっと生活できるスペースになったが、何度も言えず、落ち着く家に巡り合ったと、とても喜んでいる。Iさんは言っていた。「サラリーマン時代よりもずっと自由だし、収入も多くなった」自分の特技を生かした、こういう生き方があるということ。「東京でもこういう仕事をしている人もいますが、物件が高いので、資金をたくさんもっている人しかできません。地方だと、安く購入できますので、ぼくような元サラリーマンでもやれるのです」ぼくは、自分の体験も生かして、「こんな生き方もあるんだよ」という本を書こうと思っている。そのひとつとして、Iさんも取り上げたいと思っている。生き方は多様でいい。できたら、得意なことを生かした生き方ができれば楽しい。コロナ後の世界は、もっと多様化が進むだろうと思う。今は準備段階。そのヒントになる本が作れるといい。
2020年11月20日
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