2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1
この日の非常勤先での科目試験監督をもって、とりあえず試験監督続きの日々が終了した。いやいや、よく立ち仕事をしたものだと思う。しかし、実のところ試験監督は立っていることよりも、何もできないことの方が辛かったりする。物音を立てることはもちろんのこと、最近では机間巡視もあまりやらない方がいいとされる。コミュニケーションなく、することもなく、監視をしているだけというのは、仕事であってもやはり辛い。早く試験監督マシン「かんとくん(←勝手にネーミングつしてみた)」が発明されることを心から望む。さて、午前中にやった試験を、午後の試験の待ち時間である昼休み中にやってみたのだが、「...」という感じだった。それでも出席していた人がちゃんとできている試験になっていたというのはよかったのかなと思うが、「試験のための試験になっていないかどうか」ということも心に浮かんだ。教えるということをどう考えるか、ますます悩ましくなってくるのだったが、それには正面からちゃんと取り組むほかないだろうとも思った。
Jan 31, 2011
コメント(0)
だんだんみんなで異様なテンションになってくるというのを実感した日。この日も朝から夕方まで立ち仕事。一緒になった皆さんも二日連続となると疲れが見えてきた。休憩時間もどんどん静かになっていく。そして、終了した後、他学部で元同僚の先生が「みんな久しぶりやから飲みに行こうや!繁華街やから店もすぐ見つかるやろ」との発案。もちろんついて行く。まだ暗くなる前から開いている店を歩いて探し、入る。その後は、いろいろな話。学部によっていろいろと違うことが多いなと実感した。盛り上がっていって、最後の方は全員飲み過ぎでテンションがおかしくなっていた。気づけば店も閉店時間に。開店から閉店まで飲み続けていたことになる。どっと疲れて解放されたら、こんなものなのかもしれない。ただ、自分は正体を失ったり二日酔いになったりしない飲み方でゆっくりやったので、帰るときもまったく問題なしだったのだが、帰ったらやはりどっと疲れて、倒れ込むように睡眠となった。
Jan 30, 2011
コメント(0)
やっぱり楽しい。この日の市民オケのはマーラーの交響曲第6番第4楽章。ただでさえ複雑なマーラーの曲、弾くのが精一杯という感じもしないではないのだが、マーラーは細やかにいろいろなことを書き込んでいて、それを発見しながら練習していくと面白いのだ。「なんだかよくわからない」で済ませてみたり、最後は「楽譜に書いてあるとおりにすればそれらしい音にはなる」といってみたりするのが、マーラーをやるときによくあること。ただ、最終的にそう言ってしまうのは構わないと思うのだが、最初からそう言ってしまってはもったいないような気が個人的にはする。スコアを読んでいくと、やはりすごいことが書いてあるなあと感じる。ホールを立体的に響かせようとしたり、音色を面白いものにしてみたりという、いろいろな工夫、こだわりが隠されているのだ。そして、CDでもライブでも、いい演奏はそれを確実にやっていて演奏効果も高い。求められている音楽に対して心をオープンにすることも大事なことだと思う。「いつでも考えずに心地よく」なれる音楽ではないのだが、ドロドロの中に至高の美しさがある、そんなドラマを楽しんでいくというのがいいなと思う。練習中に他のパートがつかまっているときも、スコアを読んでから参加すると、とにかく納得できるのだ。本当に演奏を「作って」いる感じがする。休憩後はモーツァルトの交響曲第31番「パリ」の初合奏。こちらはマーラーと違った音楽。ライトな美しさがきっちりとできなければならない。マーラーの後だと力が抜けてとても軽く弾けるのがいいなあと思う。ただし、本番はもちろん逆順だが...。こちらはさらっと弾けてしまうように感じられがちだが、実は本当に理解して作っていくことが大事だし、それをできるチャンスでもある。簡単に見えるからこそ、そこでスコアを読んでから練習に行くこともおすすめだ。個人を単純に足していったものがオーケストラの合奏というのでは、もったいないなと思う。ちなみに、この日は朝から夕方まで立ち仕事。ヘロヘロになりながら練習に行ったのだが、熱っぽくなり「もしや、インフルか?」と思ってしまった。しかし、これは単にマーラーでテンションが高かっただけのようだ。心地よい疲れの中、翌日も同じ仕事なので、泣く泣く飲まずに帰宅、さっさと就寝したのだった。
Jan 29, 2011
コメント(0)
この日は風邪を引いてダウン。私はまだどうってことなかったが、妻はけっこう重症だった。結局、家事をやりつつ採点地獄。いくら採点しても答案の山が減らない。字が薄かったり汚かったり、極小だったり、もはや目が痛くなってきた。洗車と昼食で息抜きをして、何とか一日を乗り切る。この時期、我が家はいつも誰かが風邪を引き重症化してしまう。何とかならないものかと思ったり...。
Jan 28, 2011
コメント(0)
この日は試験監督が3コマ。しかも、朝から夜のラストまでで、滞在時間は13時間だった。しかも、朝の試験と夜の試験との間に6時間もある。新大阪~東京間を往復できてしまう間隔である。もちろん、そこでやることは、試験の採点である。しかし、風邪を引いていて身体がだるく進まない。しかも、妻も風邪引きでそちらの方が重症ゆえ、家事をしてから仕事に行っているので、午後は眠くて仕方がなかった。ところが、そんなときに限って保険のおばちゃん(なんで入ってこれるのかがわからん)から試験のことでなにやらお願いに来る学生(なんで今頃まで放って置いて言いに来るかがわからん)までいろいろやってくる。それでも時間がたくさんあったおかげで、どうにか1クラス分の採点は終了。まる二日かかってやっとである。これがあと3回続くと思うとぞっとするのだが。夜の試験監督もさすがに最後は意識が遠のきそうな場面もあったが、監督者相互に協力し合って無事終了。終わった後は、ネギとニンニクのたっぷり入ったラーメンを思いっきり食べて不健康ながらスッキリ。今週末はまたまた仕事につき、休みなし。何とか身体がもつように、だましだましやっていくしかない。まさにクタクタである。
Jan 27, 2011
コメント(0)
この日は会議のために大学へ。あとは採点とゼミ生の相談に乗るという仕事。そこで、問題は会議だった。もっともらしい形で話し合うように要求が来たので開かれたわけだが、その要求というのがよくわからなかった。そもそもそんなことが問題になることなのか、その問題を未然に防ぐための試みをやると決めてまだ結果すら出ていない(実施を決めたもののまだ始まっていないものすらある)段階で話しあう必要があるのかということから、ミッションはいったい何なのかがわからないという話に至った。議長はこの結果を持って報告することは避けたいという様子だったし(何か目新しいことを決めたという成果がないと上からお叱りを受けるのだろうか)、すでに決まっていることに話しあったという事実を足すことが大事なのだろうからという話も出た。確かに、ぶっちゃけて言えばそうなのかもしれない。しかし、それでは意味がないし、たとえそれが本当に問題であったとしても、現実的な解決にもつながらない。結局は時間の無駄になってしまうのだ。実際のところ、見えないミッションにどう取り組めと言うのか。本当に取り組めと言うのであれば、決定権限もなければうまくいかないだろう。帰り道、会議に参加されていた先生と途中の乗換駅でばったりお会いしたので、その話をしながら一緒に帰った。やっぱり、これではアカンという意見は一致するところだ。
Jan 26, 2011
コメント(0)
ついに期末試験がスタート、いきなり自分の科目が朝からやってきた。学生も監督者もまだ雰囲気や手順を思い出せないせいか、あちこちでドタバタしている。自分もいろいろと案内をしなければならないのだが、言い忘れたことはなかったか思い出しながら言っていた。受講人数の多いクラスなので、配布も大変。しかも、他学部の学生が多いために答案用紙の違いに戸惑ったとかで質問がしょっちゅう来る。落ち着かない...。テストは何とか無事終了したのだが、出席簿と答案の枚数が合わないと、教室の監督者全員で大慌てするも、出席簿のつけ間違いということで一件落着。午後には先ほどの試験の採点に着手し、別の先生の科目を試験監督。ところが、ここで猛烈に眠気が襲ってくる。監督者が眠ってしまうわけにはいかないので、何とか歩き回って頑張る。試験は無事終了。その後部屋に戻ろうとすると事務室から呼び止められる。先日提出した書類が間違ったフォーマットのものであったと言われ、すべて書き直すことに。この作業、本当に意味があるのかと思ってしまう。実は類似の書類を一度作成しているのだが、今回の書類は提出先が違っていて、本当に行数などが微妙に違うだけなのだ。かなわないなあと思いつつ、提出しないわけにも行かないので明日にでも書き直しをやってしまおう。気が重いなあ...。
Jan 25, 2011
コメント(0)
しゃべくり漫才で長らく親しまれてきた「夢路いとし・喜味こいし」の喜味こいしさんが亡くなった。私が漫才を好んでみていたときはちょうど漫才ブームの真っ只中、ザ・ぼんち、B&B、オール巨人・阪神、サブロー・シロー、紳助・竜介などの全盛期だった。漫才のネタをまるまる覚えてクラスの友達と遊んでいたこともあった。特に正月明けはそうやって遊んでいたことを思い出す。しかし、実はその一方で、いとこい師匠のしゃべくり漫才が大好きだった。誰をこき下ろすこともなく、相方をどつくこともなく、下ネタを言うこともなく、本当に日常会話のように入っていくのにどんどんと深い世界に入っていく漫才が大好きだった。もちろん、両方の世界があってこそ、漫才の世界が面白い。関西に住んでいると、吉本新喜劇ももちろんだが、漫才が普通にテレビでやっていた。そういう中で自然に慣れ親しんでいったのだと思う。あと、覚えているのは「ガッチリ買いまショウ」というテレビ番組の「5万円7万円10万円...」というやつだ。番組が終わったのは私が幼稚園の頃だったはずなので、かすかにしか覚えていないが、フレーズと声質は今でも覚えている。こいしさんが、いとしさんに先立たれたときの会見で「いとし・こいしの漫才はこれで終わりです」と語っていたのが印象的だったが、その後舞台には立たずに、戦争体験などについて講演をされていたそうだ。ふとニュースを見て知った訃報だったが、残念なことだ。ご冥福をお祈りします。
Jan 24, 2011
コメント(0)
子供たちが「どっか連れて行って~」と昼前に言った。それに対して妻は「明日までの宿題ちゃんと済んでからよ」と言った。「え~、後でやるから~」と子供たちがしつこく言うので、私はこう言ったのだった。「パパも明日までの宿題があんねん。それが終わらないと出かけられへん。その間に宿題をやっておきなさい。」その宿題とは、非常勤先の科目試験。2コマあるので2種類。しかも、自分で印刷しなければならない(最近、どこでもそうなりつつあるらしい)。明日が授業の最終回なので、明日行ったときに印刷しておかないと、関係のない日にわざわざ行かなければならないことになってしまう。それも無理な話なので、作ってしまわなければならないのだ。問題を考えること自体は、それほど難しいわけではない。しかし、内容的にそれほど年によって大きく変えているわけではない(もちろん、現実の動きに合わせて細かく変えてはいるが)とはいえ、そのときに話した流れや、理解度なども考えて作成する必要はある。意外と時間はかかるのだ。何とかおやつの時間ぐらいには作成を終えて、そこからちょっと遠い商業施設へ。子供たちはなぜかそこがお気に入り。買い物もぼちぼちできるので、妻と私も楽しめる。ちょっとした楽しい夕刻を過ごしたのだった。宿題が終わっているというのは気分的に楽でよい。子供たちもそれをちゃんとわかってくれているといいのだがと思ったのだった。
Jan 23, 2011
コメント(0)
この日は市民オケの練習。マーラーの交響曲第6番の第1楽章と第3楽章(今回はこちらがスケルツォの版)。第3楽章は基本が3拍子だが、いきなり3拍目からしかもティンパニでスタートする。何となく聴いているとそうきこえないので、楽譜を見て演奏する側に回るととたんにわからなくなってしまうという危険さだ。しかし、何ともグロテスクな感じがする。何を考えて作曲したのか、マーラーにきいてみたい気がする。その後しばらくすると、変拍子ゾーンに突入する。ただ、変拍子とはいっても、ストラヴィンスキーの「春の祭典」ほどの反射神経が必要とされているわけではない。しかしそれでも、だまされてしまうところは多々ある。これをだまされずにちゃんと音楽の構造をわかって弾くことがこれからの目標となる。こういう変拍子を演奏する立場で楽譜を見ると「え~~」と思ってしまう人は多いようだ。確かに、心地よい流れはそこにはないなと思う。でも、これがよかったりするのだ。つっかえたり、つまずいたり、それも一つの現実の姿。マーラーは子供がよちよち歩きをする様子を見てこの部分を思いついたそうだが、そう言われればわかるなと思う。というわけで、変拍子も面白いと思って弾いているところを他の人から見ると不思議なのか、「ゲッ?!」なのかよくわからないのだが、練習中に斜め後ろに人から「よんきゅさん、変なエキス撒かないでください(笑)」というツッコミが。真後ろの人が「この楽章好きかも」と言ったことに対して、おいおい~と思ったらしい。実は最初は「変な息吐かないでください」ときこえて「???」とビックリしたのだった...。今回の合奏で、さらに変拍子の構造をわかると、今度はもっと楽しいかなと思ったのだった。
Jan 22, 2011
コメント(0)
この日夕方のローカルニュースの特集でやっていた話。3年ほど前に急激な川の増水により起こった事故の後で自治体が警報ランプを川に設置したのに、人々は雨が降っていてもそれを無視しているという現状をレポートしていた。見ていて驚いたのは、真っ暗な夜の雨の日であってもお構いなしに歩いている人がたくさんいたことだ。しかも、警報ランプが回っているのにである。地元の人のインタビューを見ると、「あんなもん、あっても守らんやろ」「もっと税金使うところが他にあるんちゃうの?」といった意見も。災害時の犠牲が大きくなってしまう理由は、ハード的な面もあるが、人間の心理面での問題も大きいという。人間には自分が不安に思うようなことが起こったとき、知らないうちにその不安の大きさを割り引いて考えてしまう性質があり、それを「正常性バイアス(正常性の偏見)」という。例えば、事故があった場所を通るときにも「めったにないことだし、今は大丈夫だろう」と思ってしまい、何度も通るうちに危険性すら認識しなくなるということがそれに当たる。これが自分だけで解決できるのであればまだいいのだが、それだけでは済まないのが厄介なところである。例えば一緒に人がいて、自分が不安だと思っていても、相手が「そんなの大丈夫、心配しすぎでしょ」などと言われて、そのまま従ってしまい、一緒に事故に巻き込まれるといったことがある。これを「多数派同調バイアス」という。どうしても人間は不安を解消したいと思うのは当たり前のことなのだと思うが、そのために困ったこともあるのだ。なかなか難しいことかもしれないが、不安に思ったときには自分でそれに向き合うことが大事なのかなと思う。不安を解消するための意思決定を他人に委ねないことが特に大事なのだろうなと思う。ちなみに、最近では災害への対処について学校でかなり訓練をするようになったともその番組では指摘していた。でも、問題は大人の方だ。「あんなもん、守らんやろ」といったような意見を述べていたのは、いずれも年配の人だった。訓練が必要なのはむしろ大人の方だと思ったが、ただ今さら訓練への参加を求めても参加しないんだろうなとも思う。せめて子供たちがそういったことを知っているということが今後の救いになるのかなと思うが、それでは遅いように思う。人間がどのようなバイアスに陥りやすいのかを知ることにはもっと積極的であっていいと思うのだが。
Jan 21, 2011
コメント(0)
早朝にうなされて起きてしまった夢の話。これまでにも何度かそんな夢があったわけだが、今回は「自分の科目の試験日は実は今日になったと試験開始30分前に知らされる夢」だった。「まだ自分の科目試験の日までは1週間あるから、問題は明日つくろう」と一息ついている場面から夢は始まった。ところが、突然非常勤先から連絡がやってきた。「すみません、とりあえず明日来ていただけませんか?」ということで、とりあえず向かうことに。そして、事務所に行くと「すみません、先生の試験は今から30分後に開始と変更されました。でも、試験問題は当然印刷して揃っていますよね。当然!」もちろん、そんなわけない。聞いてもいない。そこで、慌てて試験問題をつくることに。しかし、そういうときに限ってアイデアは出てこない。というか、30分では印刷までは無理だろう。そこで、「さすがにそれは無理なんで、教室に行って黒板に問題を書くので構いませんか?」と言うと、「仕方ありませんね」と冷たく言われた。そして、教室へと向かおうとする。ところが!事務所を出るといきなり教室に向かう階段がなくなっているではないか!そして、なぜか谷底まで下りて山を登らないと教室にいけない状態になっていたのだ。しかも、道はほとんどなく、なぜか落ち葉の山に「ここに向かって飛び降りるべし」という立て看板が。仕方なく飛び降りると落ち葉に埋もれた。そこから這い上がると、先ほど応対した人が「先生!何やってるんですか!早く来ていただかないと、困るんです!」とはるか上から叫んでいる。そこから、何とか崖を今度は這い上がっていくのだが、途中で力尽きてズルズルズル...そこで目が覚めた。これってやはり何か強迫観念でもあるのかなと思うのだった。何となく、この日は一日調子が出なかったのだった。
Jan 20, 2011
コメント(0)
この日は会議に参加し、講演を聴き、その合間に細かい仕事をしたりして、終わった後に繁華街へ向かう。目的は出張でやってきている高校の同級生を囲んでの飲み会。しかしなぜかセッティングは出張でやってきたメンバーにお任せとなってしまった。というのも、ちょっと前までこちらに住んでいたのと、出張でよく来られるのでご存じというわけで...任せっきりでゴメンナサイという感じである。お店は野菜を中心とした近江国の料理やお酒を出すところ。集まったのは4人で、大手企業採用担当の人事マンと、メーカーの電池研究者と、不動産屋さんと、私。このバラバラさ、美しく言えば多様性がいい。出てくる話もさまざま。お互いに会ったことがなかったりするメンバーもいたのだが、それでも打ち解けられてしまうのが不思議で素晴らしい。高校生活という共通の経験があるからだろうなと思う。仕事の話から家庭の話、今後の生き方の話まであっという間の3時間。とても楽しい時間を共有することができた。最近、高校の同級生がらみで集まることが増えていて、出張があると声をかけたりかけられたり。すべてに参加することはできなくても、そういう会が続いていることが素晴らしいと思う。
Jan 19, 2011
コメント(0)
毎年、必ずこの日がやってくるのだが、なんだかさびしい気持ちになってしまう。みんな将来に向けて前向きに走り出すわけだからもちろんいいことではあるのだが。この日は3コマ、最初の授業はテスト前最終回ということで一見さんがたくさん。残りの部分を終わらせなければならないのに私語がうるさく、何度か授業停止し、つまみ出す。困ったものである。それでも何とか終了。大人数の授業は、思わぬ経緯によるもの結果だったので、来年こそは勘弁願いたいものだ。午後からは3年ゼミ。グループ研究の発表。何とか頑張ってそれぞれ終了。就職活動へと本格的に入っていくわけだが、その前に力がついたかどうか、個人で考えてみてほしいと思う。後になって「ちゃんとやっておけばよかった」とすぎてみれば誰しも思うのだろうが、始める前からそうなることがないことを望みたい。そして最後は4年ゼミ。卒論の完成版を受け取り、全員一人ずつみんなに対してのあいさつ。しんみりした話をする人もいれば、爆笑を誘う人もいて、とてもバランスのとれた、楽しい学年だった。卒論も脱落者なく全員最後に何とかちゃんと形にしたのは素晴らしいことだ。終了後は打ち上げ。ゆっくりと話ができて楽しかった。卒業式までにおそらく何度か会う機会はあるだろうが、限られた時間を大事にしたいと思う。メンバーは早速翌日も飲みに行く約束をしていた。そういう場が2年かけてしっかり醸成されたことは素晴らしいことだと思うし、そこに関われたことをうれしく思いつつ、帰ったのだった。
Jan 18, 2011
コメント(0)
1.17、今年もこの日がきた。このブログを始めてちょうど6年になる。本当なら継続を喜ぶべきところなのだろうが自分にとっては節目の日で、いつの間にかここに書いているということは自分が日々を生きている証拠だという気持ちになりつつある。今日も生きていることを許されていることに感謝。毎年気持ちを新たにする日である。そんな今日は非常勤先での授業。出かけるときや帰ってきた時の寒さに澄み切った空は震災当日を思い出させる。子供たちは学校の集会で毎年震災の話を聞くが、もちろん経験してはいないので、どんなことがあったのかを実感することはできないし、一言では言い表せない複雑な気持ちを共有することもできない。そんな中、やはりふざけたことをやったり言ったりする子もいるようだ。それも仕方ないことなのかな、確かに神戸市民で震災を経験していない人は4割を超えるのだというから。しかし、大変な思いをした人の話をちゃんと聞いてそれを少なくとも理解しようとするあるいは感じようとする心は持っていてほしいと思う。「私はそんなこと知らないし関係ない」ということではなくて。近年、震災関連で問題になっているのは、震災で住居を失った人たちに対して神戸市が家賃補助をしている賃貸住宅の入居期限が迫っていることだ。もし継続して入居するならば補助がなくなるので家賃は3倍に膨れあがるそうだ。天災で困った人のための措置を一律にバッサリと簡単に考えられないということは、神戸市も考えているようで、今後どうするのか、難しい問題であるし、このニュースを聞いて本当に悩ましいと思った。悩ましいことがあり、また震災という経験を背負っていくというのは、生きている証拠。いつも思うが、本当に何事も命あってのことだ。一度助かった命だからこそ、大事にしなければならない。だから、身体を大事にしながら、できることを少しずつ、失敗しても命までは取られないからと言い聞かせながら自分なりに生きていく。頑張って、そして楽しんで。震災の二度と思い出したくない瞬間の記憶は少しずつ薄れているというか、意識しなくなってきたようには思う。忘れることができるというのは人間にとって大事なことだ。でも、すべての経験を忘れてしまうことはできない。失ったものもたくさんある。この街で生きていくからこそ、自分はやはりそれらを背負っていくのだ。それは無意識であるかもしれないが、そうなのだと思う。
Jan 17, 2011
コメント(0)
今度、エキストラで出演するオーケストラの練習での、本番指揮者の一言。それなりにちゃんと弾けたり吹けたりする人が集まっていると思うのだが、ちゃんとした演奏として足りないものがあるという文脈での言葉だ。譜面はちゃんと追えていて、音もそれなりに出ているのだが、タイミングも音程も微妙に違う。しかし、問題はそこではないという。例えば、和音進行、調性の変化、自分の音の和音の中での役割といったことまで気持ちが行っていないために、曲のニュアンスがちゃんと表現できていないのだ。単純に言えば、全員でドミソしか音を出していないフェルマータの音でも、ドミソにきこえないとか、その前に必ず来る「ソシレ」の和音とのつながりがわからないとかいうことだ。このことは、その作品がベートーヴェンだろうと、ブラームスだろうと、マーラーだろうと、基本は同じだ。もちろん、後の時代になるほど音の動きが複雑であり、繊細なニュアンスの表現が必要ではあり、同じようなメロディーでも音の響きの処理はまったく違うのだが。そのときの練習は、ブラームスの交響曲第1番。アマチュアオケで何年も演奏してきた人なら一度は演奏経験のある曲だろうという、人気のある曲だ。しかし、曲を何度となく聴いてきた人でも、タイミングや曲の流れ方などは身体に入っていると思われるのだが、和音進行を味わいつつ、さらにどういう味付けをした結果としてその演奏ができあがっているのかまで考えている人は少ないのではないかと思う。ただ譜面をなぞっていても、その曲の求める響きには残念ながら近づけないかなと演奏しながら感じたし、指揮者の指摘の端々にもそういったことが大事だし、できていないというメッセージを感じたのだった。そういったようなことに気を配ってみんなで演奏することができたら、これはオケも一皮むけると言うことになるのだろう。これは、演奏の場で流れる情報がもっと豊かになっていくということであり、それによってもっとたくさん工夫する余地が生まれてくることにつながる。楽しみ方が、ただ音を出すということではなく、あるいはベートーヴェンの音を出してみるのに参加したというのでもなく、自分から主体的にオケの演奏をつくることに寄与したというものに変わっていくことでもある。そういうところに持っていくという意味で、しつこく基本的だがもう少し細かいことを言っていくのだという意味で「今年はオケを鍛える」と言ったのだと思う。練習に参加して、いろいろな指示を聞いているとその意味がとてもよくわかった。指摘された後は本当にいい音になるのだが、これを最初から自分でわかってやれるということが大事なのだと思う。所属しているオケにも同じようなことが言えるなあと思ったのだった。弾く練習ももちろん必要だが、譜面をしっかり読み込むこともそれに劣らず重要なことだと最近特に思う。
Jan 16, 2011
コメント(0)
この日は市民オケの練習。次の曲はマーラーの交響曲第6番。マーラー大好きな私にとってみれば、演奏できるのが夢のような曲。というわけでテンション高く練習へ。雪が降りそうな寒さだろうが、練習場の暖房が壊れていようが関係ない!という感じだった。今回はこれまでによくあるスケルツォと緩徐楽章が逆になっているパターンで演奏、つまり第2楽章が緩徐楽章となる。練習は第2楽章から。変ホ長調の美しく穏やかな温かみのある音楽の合間に、嬰ハ短調の激しく悲しい歌や、ロ長調の揺れる心の動き(スコアにはそういうことが書いてある)などが挟まれる構成。和音の移り変わりと揺れるような流れがたまらない。後半は第4楽章。こちらは不気味な静けさと激しい悲劇的な感情の爆発が交錯する間に限りなく美しい情景が時折挟まれている壮大なドラマ。基本はイ短調で、マーラーが第5番の第2楽章や第9番の第3楽章で使っている勝負調の一つ。音をゆがめながら激しい表現をするのだが、たまに出てくるイ長調の静かな音楽がいい。しかし、その後にはハンマーの打撃が待っている。まったく、どうしたらこんな音楽が書けるのかと思うのだった。そんなことを存分に味わいつつ演奏し、練習が終わった後でメンバーに言われたのは、こんなことだった。「和音の移り変わりのところで、そうそうそれがええねん、という顔で演奏していたのが面白かった」「この曲が好きということが見ていてよくわかった」もちろん、苦言もあり。「テンション高すぎて置いて行かれそう」「走っていく感じになるから気いつけな!」曲を理解したらもっときっちり落ち着いた感じでできると思うので、近所で弾いていた皆さん、ゴメンナサイという感じである。まだまだちゃんと全体として表現できるのには手間をかけなければならないと思う。でも、まずこの曲が音になって、自分がその中にいられることだけでも幸せだった。
Jan 15, 2011
コメント(0)
この日は1年ゼミ最終回。最終審査ともいうべき(そんなに大げさでもないけど)発表を年末にさせたのだが、その日に欠席した人の発表をさせることに。さすがにやってきていない困ったメンバーはいなかったのだが、うち一人が自分の番になったときにこう言った。「なーんや、ただの棒読みやったらつまらないので追加で用意しようと思ったものがあるのに、先生が次の時に発表が当たるって連絡してくれないから持ってこなかったんです。もったいないな、もう!」ちょっと待て。年末に欠席して、年明けの初回(つまりこの日)しか授業はなく、しかも必ず発表しないとダメだと前から言ってあるわけだから、発表しなければならないのは考えればわかるはずだ。「休んどいて文句言う方がおかしいんちゃうの?今日せなアカンことはわかってたやん」と小声で隣のメンバーがすかさずツッコんでいたが、そうだよな...。実はこういうことは初めてではない。今年度の1年ゼミでは何度かこういうことがあった。「確かに前に言われたかもしれないっすけど、そんなん忘れたし。もう一回前日にでも言われないと無理っす」(原文ママ)本当に、こんな状態で大丈夫なのかと思ってしまう。その都度それではいけないと言うのだが、言われた本人は改善されても、他のメンバーがまた同じことを繰り返すのだ。つまり本当の意味で聴いてないわけで...。「言われてないからやりません」という一言をこれまでにも切り札にしてきたのかなと思う。そんなことでは、実際に社会に出てから、あるいはそれ以前に困ってしまうだろうと思われるのだが、最近では企業でもそういう社員が増えているのだという雑誌の記事やネットなども見かけたりする。個人の損得というレベルで考えるのならば、「私はそれでかまわない」と言えばそれでおしまいなのだろうが、これが社会の中で蓄積されていくとしたら、その方が怖いのではないかと思ってしまう。何も言わないのにわかっていなければダメだということを求めるのは無理だという世の中になってきているのはわかるのだが、かなり条件を狭めていてもダメ...。これは本当にオトナがみんなでちゃんと考えないとまずい問題だと思う。
Jan 14, 2011
コメント(0)
冬型の気圧配置で寒さがどんどん厳しくなる今日この頃、大学の研究室は極寒の状態である。部屋は北向きで、しかもキャンパスの一番外側、周囲に同じ高さの建物がほとんどない状態なので、北風をもろに受けてしまう。まさに防風林状態だ。キャンパスの内側の建物に吹きかかるはずの風をすべて受け止める格好になっている。風のきつい日には、雨が下から吹き上げてくるのを初めて見たときには驚いた。さて、朝、部屋に到着するとまずエアコンのスイッチを入れるのだが、実はすぐには入らないというきわめて不親切な機械だったりする。最初の15分間は上着を脱ぐことができない。小さなヒーターを入れればいいとも思うのだが、しばらくするとブレーカーが落ちてしまったりする。足下は本当に冷え切ってしまうのだ。そして、夕方になり暗くなってきて、さらに風が強くなったりすると、エアコンが稼働していても窓際に近い場所にいると暖かさを感じないぐらいになってくる。建物を冷やす風の力が勝ってしまうのだ。これはもはや、毛布などさまざまな手段を講じなければ対処できなさそうな感じである。例えば、飲み物としては、最近ジンジャー・チャイが手放せない。これだけでも、体はそれなりに暖まる。ただ、トイレが近くなるのが難点ではあるのだが。とにかく、冬型がちょっとでもゆるんでくれると助かるのだが。やはり、自然には勝てないといったところか。
Jan 13, 2011
コメント(0)
昨日は昼食がうどんで、夕食がそばしゃぶ。そばしゃぶとは、牛肉のしゃぶしゃぶに加えて、そばもしゃぶしゃぶして食べてしまおうというそば屋さんの面白いメニュー。しゃぶしゃぶと聞いていたが、ほんとうにそばをするとは驚きだった。いや、何がって、2食連続麺類だということである。どちらもおいしかったからいいのだが。さて、その話を今朝妻にすると、こんな回答が。「それなら今晩はきしめんにしたげるわ。明日はラーメン、麺図鑑コンプリート!ってどうよ?!」我が家では、息子が「メンズ館」のことを「麺図鑑」と本気で勘違いして以来、この言葉は定番となった。さて、おそるおそる帰ってみたら、何と言うことはない。娘のたっての希望により、ハヤシライスだった。帰る途中、ちょっとだけ、きしめんが脳裏をよぎったのだった...。
Jan 12, 2011
コメント(0)
今日からいよいよ授業がスタート、といっても1月も授業はあと2週間だけで、残りは試験となる。この中途半端さ加減がどうもやりにくいところではあるのだが、ぼちぼちエンジンをかけていく。午前中は授業。前回はマイクが入らずに苦しめられたが、今回はそういったトラブルもなく無事終了。午後はゼミ。3年生はグループ研究発表の最終回。ただ、いずれのグループも正月を挟んだせいか、今ひとつの印象。前回の方が出来はよかったかな。来週の残りのグループに期待。今日はまたたくさんの書類作成もあって大変だった。学内のあちこちを往復する生活がまた戻ってきたことを感じさせる。終了後は、学内研究会の新年会。他の先生方との親交を深められて、なかなかいい時間だったと思う。初日のスタートしてはいい感じかな。
Jan 11, 2011
コメント(0)
今日、娘が風呂でしてきた質問。「トイレの神様(植村花菜)は、歌が終わって静かになったのにまた弦楽器とかが弾き始めてるよ。なんでわざわざ後ろに音楽をつけるの?」この問いの本当の答えは作り手のみが知ることだと思う。しかし、この娘の質問はなかなかいいと思った。「なぜわざわざそんなことをする必要があるのか?」というのは、人間のすることだから本人のいう答え以外にも答えらしきものはあり得る。この問いには私もその場で答えないことにした。「いっぱい考えてみ。歌詞カードを見てみ。曲もピアノで弾いてみ。自分で歌ってみ。CDで後ろがあるのを聴くのと、紅白歌合戦で後ろがなかったときとどう違うようにきこえたかな?いろいろやってみたら自分なりの答えが見つかるはず。そのときに、また話してみよう。」そう言ったら、「考えてみるわ~、また話しよう」と言っていた。子供の素朴な疑問は日常においてたくさん出てくる。受験対策でいろいろと勉強することも必要だろうが、覚えるだけでおしまいという方式一辺倒ではこういった自分で考えられるような問いも隅に追いやられていきかねない。自分は「そんなこと、今はいいから勉強しなさい」とだけは言ってはいけないなと思ったのだった。
Jan 10, 2011
コメント(0)
新年会で疲れたからというわけではないのだが、何となくまったりとした休日。しかし、子供たちは元気いっぱいなので出かけたいと言い出した。あまりに寒いのでアウトドアはやめておいて、近所の商業施設へ。娘がほしいものがそこの雑貨屋にあるのだと友達からきいたようで、そこへ連れて行けということに。息子もお気に入りのアイテムを見つけたようで、よかった。しかし、私はその店の入口にあるガチャガチャに笑ってしまった。「土下座」ストラップなるものがあったのだ。土下座しているサラリーマンの人形がストラップになったもので、何ともシュールな感じがした。面白いとはいえ、いくら何でも買うところまでは行かなかったのだが。あと、自分の靴もいいのを安売りで見つけたので買って帰った。午後、妻と子供たちはのんびりして、私はちょっとだけ仕事を片づけ、夕食は近所に新規オープンした焼き鳥屋へ。妻のしつこかった風邪がようやく完治したということで、行くことに。オープン前から通勤の帰り道なので目をつけていて、開店したら行こうと思っていたのだが、そこから妻が風邪を引いて外食はできずということで、ようやく行けることになったのだ。味はよかった。子供たちも気に入ったということで、これからしばしば行くことになるだろうと思う。行ったのは近所だけだったが、いずれも子供たちを連れて行ったのは初めてなので、新鮮な感じがしたのだった。
Jan 9, 2011
コメント(0)
今日は職場の新年会で大学へ。まずは教職員が集まっての賀詞交換会。ここでいつも抽選のお楽しみがあるわけだが、いつものことながらハズレ。抽選が終わって一等賞が外れた瞬間の人の動きがいつも面白い。これで抽選券を放置して帰ったら競馬場のようだ。腹いせに残り物の奪い合い(もちろん、ケンカにはならないが)もあったりする。その後はさらに部屋に集まって飲み会。昼から飲めるのはこの時だけ。もちろん、学生が休みでいないからやれることでもある。しかし、例年と比較して人が少なかったのがちょっと寂しかったかな。それからメンバーはそれぞれ自分の仕事をするために各人の部屋へ戻った。それから有志で夕方に集合し、さらにこぢんまりと繁華街に場所を変えて新年会。ここでの料理がまたなかなか美味しかった。価格もリーズナブル。新年から楽しく話すことができた。昨年は5次会ぐらいまでやったかな、カラオケと酒でのどがガラガラになって帰ったという、とにかく激しかったという記憶があるのだが、それに比べればおとなしめという感じであった。また今年も変わらずみんなで頑張っていけるのをうれしく思う。しっかりやっていかなければと思うのだった。来週からは授業、試験と忙しくなっていく。
Jan 8, 2011
コメント(0)
報道で伝えられているところによれば、日本経団連が会員企業の説明会を12月以降に行うようにと明示することになった。ただし、面接開始時期を後に延ばすということについては企業側の反対もあって明記されないこととなった。これは一つの前進ではあるのかもしれない。ただ、これを守るべきとされるのは、極端に言えば会員企業に限られることになるだろう。もちろん、会員企業は多くの学生が志望する大手企業なので、影響力はあるとは思う。しかし、実際のところ、自分が接している2年生は夏ぐらいから動いておかないといけないという意識があったりするようだ。また、各企業の説明会が12月だといっても、それ以前の合同説明会が前にあるのだろうし、大学のキャリアセンターのガイダンスがこれによって後ろに伸ばすわけでもないようにも思える。就職活動そのものをどうするかというのは、学生にとって大きな問題だと思うが、早く始めたから対応能力がつくというわけでもなければ、対応能力を企業が期待しているわけでもないだろう。早く始めて、乗り遅れないように参加することがまず重要だという意識を学生に感じる。さらには、「実務能力を学生に求め、大学にもそれを期待する」という話もあるが、仕事の経験のない学生にそれを求めるのはやはり難しいと思う。大事なことはそういうことではなく、ちゃんと考えられる能力をどうつけるかだ。どういう問題があるのかを発見するためのアンテナの性能を上げることと、感知した問題をどのように解決するように論理的に考えていくかということが、本当のところは大事なのだと思う。そもそも、実務能力というのはどういう意味で言っているのかをはっきりさせない限り、この議論は進まないように思う。言われたことをこなしているだけで済むという仕事をやってほしいという期待は大学生に対しては持っていないだろうと思うので、ちゃんと頭を使うトレーニングをしっかりやることこそ大事だろう。人が育つのには時間がかかるはずで、そう簡単にはいかないだろう。こういった問題は、どうしても企業vs大学という構図で描かれがちだが、本当は未来の社会を担いうる若者をどうやって育てていくのかを、ぞれぞれの立場を超えて議論すべき時が来ているのではないかと思う。就活の期間だけをみれば、お互いの言い分が対立することはあるだろうが、そんなことを言っている場合ではない。学生たちを近くで見てきて、自分の前を過ぎてしまえばあとは見守るしかない人たちの幸せを陰で祈っている一個人として、本当の意味で彼らのためになることを大人たちはすべき時だと思う。もちろん、私もそうだ。
Jan 7, 2011
コメント(0)
今日も自宅で仕事。午前中は本読み。その時間をきっちり取れるのはいいことだ。昼食前にまたまた娘とおつかい。ちょうどいい散歩になっている。午後は研究関係の仕事。考える時間がちゃんとあるというのはやはり助かる。「時間がない」と言っているのは言い訳っぽいなといつも思っているところがあるが、やはりまとまった時間がないとやりづらい仕事も確実に存在するのだ。年の初めにいろいろと一日の過ごし方を試行錯誤しておくのはいいことだろう。そんな中、昨日寝る前になって、非常勤先の来年度の授業のシラバス期限が迫っていることに気づき、作業をすることに。シラバスを書くこと自体はそれほどしんどい作業ではないと思うのだが、ネットを使っての入力に手間取る。便利なように今年度のデータの上に上書きできるようにしてあるのだが、一つの科目だけどうやっても上書きできない。今年度のデータが存在しないと返してくるのだ。格闘しても仕方がないので結局打ち直し。これにかなり時間がかかってしまった。このようなシステム上の問題で時間を取られるのはやはりストレスだ。この余分にかかった時間でできたこともあったはずなのにと思ったりする。とはいえ、夜中に連絡できないわけだから仕方がないな...。しかし、新年オープン初日が締切日というのは、こういう時に困ってしまうのだ。時間は1日24時間、万人に平等に与えられている。使った時間の分は確実に押し出されていくことを痛感したのだった。
Jan 6, 2011
コメント(0)
今日も自宅で仕事。昨日はなぜか眠れずにいたが、朝はすんなり起きた。外出は、妻に頼まれた買い物と、両親に頼まれたPCの接続(弟と私からの父への誕生日プレゼント)のために実家へ行った、その程度だ。今日もじっくり本を読むことができた。12月までが恐ろしく忙しく、とにかくまとまった時間がまったく取れない状態だったので、それがあるだけでもありがたい。じっくり本に向き合ってあれこれ考える時間は必要だ。時間の使い方に対する発想をいろいろと変えてみないといけないなと感じる今日この頃だ。ちょっとした合間にはまたまた家族でUNOとドンジャラで勝負。息子が結構強いので相変わらずムキになる夫婦。まあ、それもまたよし。娘の宿題のわからないところを教えるのもこれまたよし。家庭でのコミュニケーションはできるだけたくさんある方がいいと思う。できるときにやっておかなければ。
Jan 5, 2011
コメント(0)
一日を過ごした。今日からきっちりと仕事モードへ。ただ、子供たちが冬休み中であると、完全に仕事だけで突っ張るのも難しい。日常生活のサイクルも入りつつのゆるやかなスタートだ。午前中はとりあえず本読み。授業のない時はゆっくりと本を読めるのがいい。テーマから少し広がった領域の本を読み込む。昼食後には、散歩をかねて娘と買い物へ。妻からメモをもらって夕飯の買い物と、あとエコポイント申請の封書と海外への年賀状を郵便局から出すのと、正月でスッカラカンになった財布へのお金の補充へ銀行へというので、町内をうろうろ。娘はその間に学校の友達に2回も会ったので喜んでいた。重い買い物を腕からぶら下げて帰宅。その後は本読みの続きをやって、それから夕食前に家族でUNO大会。子供たちもなかなか強いので、妻も私もムキになってやっていた。勝敗はほぼ五分といったところか。夕食は鍋でほっこり暖まる。何ともインドアで狭い行動範囲、妻は正月疲れのようだから、やはりこういうまったりとした時間も必要なのだと思う。授業が始まるまではこのパターンなのかなという気もするが、ちょっと間にお出かけを挟むぐらいかなと。ぼちぼちエンジンをかけていこうと思う。
Jan 4, 2011
コメント(0)
弟ファミリーは朝早くに帰ってしまった。新幹線が取れなかったらしい。今年は曜日の加減で正月休みが短くなってしまい、集中してしまったとのこと。1ヶ月前から切符は買えるが、1日遅れてしまったために朝しか取れなかったらしい。というわけで、今年は3日に出かける用事もなく、ダラダラと全員で寝坊。午前中に子供たちの希望で近所の公園へ。3日から遊んでいる子供はさすがにおらず、公園は完全に貸し切り状態。遠慮なく走り回ることができた。午後からは近所の商業施設へ何となく買い物に。そこで子供たちがお年玉で遊ぶものを買いたいというのでつきあい、しばらくして帰宅。娘の買ったドンジャラ(麻雀の子供バージョンみたいなやつ)で遊ぶことに。4人で遊ぶとこれが意外と面白く、何とものんびりとした時間の流れを楽しんだ。年末年始で動き回った疲れを癒すことができた一日だった。
Jan 3, 2011
コメント(0)
今日は家族と、お世話になっている父の友人とで、毎年恒例のビヤホール新年会。その前に嫁ーズの皆さんは初売りバーゲンで並ぶのだと言って、現地集合でよろ!と我々を放置して繁華街へと行ってしまった。というわけで、結局集合時間まで子供と遊ぶことに。弟と甥が実家ではやることがないというので早速遊びに来た。その後は恒例の新年会でいつものように唐揚げ&ビール祭り、たまらんですなあ。母が今年も「アンタもそろそろ唐揚げ大使はやめたらどうなの?」というので、「いやまあ、ほどほどにしますわ」と切り返しておく。終了後は子供たちが「まだ遊びたい!」というので、某大規模商業施設にある有料の子供の遊び場所へと行き、帰宅後はまた弟ファミリーと遊ぶ。最近、娘が小学校のクラスで百人一首グランプリをやっているのだそうで、義妹と勝負。100枚覚えている義妹を相手に、ハンデなしで挑むも敗退。しかし、義妹は見所があると言いGWに再挑戦するよう娘に言い渡していた。今年の目標の一つにすると娘は言い出していた。ちなみに、家族全員、娘には完全に歯が立たない。毎日やっている人は強いことを思い知らされている今日この頃である。
Jan 2, 2011
コメント(0)
昨夜は、実家で年越しそばをいただき、子供たちと何kも考えなくても笑えるバラエティー番組(実は、意外と見ている同業者がいたりというのが面白い)を見て年を越した。紅白はどうしても見ておきたいと思ったもの(私は植村花菜、妻は嵐、子供たちはいきものがかり)だけを見て、後はスルー。しかし、「トイレの神様」はやっぱり間奏も含めて作品なのだなと思った。確かに前奏、間奏、後奏を抜くだけで2分近く短縮できるのは効率的なのかもしれないが、いかにももったいないなと。私は、恒例の東急ジルベスターコンサートのカウントダウン演奏をちょっとだけ見た。今年はマーラーの「復活」。最後の音は同じ音をのばすだけなので、ある意味他の曲よりも(例えばボレロとか)音の長さの調整はやりやすいようにも思うのだが、やはり無理に入れたということだと興ざめ。そこはさすがコバケン先生、見事に最後の音の響きが終わったところで0:00。いつも思うが、指揮者の時間感覚というのはすごいものだと思う。その後、子供たちとバラエティーを最後まで見てしまう。大いに笑った。今朝は、ゆっくり起きてから実家で母のお節料理をいただく。奥方sは「こんなのできませ~ん」とお手上げ。やはり親世代は鍛えられ方が違うんだろうなと思った。子供たちも新年会気分で大いに盛り上がる。午後は休憩タイムというわけで、珍しく昼寝をしてしまった。まあ、ゆっくりすることも大事だなとでも言ってみる。これから我が家で元日夜恒例のすき焼きパーティー。子供たちはますますテンションが高くなっている。もちろん、私も楽しみだ。それでは、このページにいらっしゃる皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
Jan 1, 2011
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()

