草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

×

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2012年01月04日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
以前、自己流で毛筆の書道に熱中した頃


身に染みて感じた事ですが、例えば王義之や顔真卿


日本で言えば空海や良寛など、手師と呼ばれるこの道の


名人・上手の手跡をお手本にして、無心に、己を空しくして


お手本の文字の形、その配列など、リズムや強弱など


あらゆる点で寸分違わない様に細心の注意を払って、それこそ


何度も何度も挑戦してみるのですが、書き終えた後で見返してみると


何と、名人・上手の影など微塵も残っていない。そこにあるのは


紛れも無く「私」・古屋克征の俗臭紛々たる姿ばかり。本当に






とは蓋し名言であったと心底から納得させられた記憶が鮮明に残っている。


そしてもう一つ、昨年の暮れに押入れの奥で埃に塗れて眠っていた


若書きの原稿を偶然発見。というよりは忘れるとも無く忘れ去っていた。


それが急に妙に気にかかって、年末から三が日にかけて集中的に


読み耽ってみて、吃驚。凡そ三十年前に書きなぐった生の原稿には


もぎれも無くこの私自身がそっくり其の儘で定着されていた。草加の


爺は寸分違わずそこに居た。当たり前のこととい言えばそれまでの事ですが


自分が書いたことであっても、いまでは乱雑な悪筆は誰でもない


この私の筆跡であるが、果たしてどの様な事が書かれているのか読み進んでも


全く赤の他人が書いた内容と変らずに、200字詰めの原稿用紙で


千枚を越える何作品かの半分程度を昨夜までに読了した。読み終えた後の





当時どの様な思いであったかは、全く忘却の彼方に行ってしまっていた。


それだけに妙な表現になりますが、本当に興味深く、本音を言えば


とても感動し、また実に面白かったのです。機会があれば習作を


ブログなどでご披露する事にしたいとも考えますが、今の目的は


自分は徹頭徹尾に自分であるしかない、という厳粛な事実を





また繰り返しますが、自分自身から逃げよう、逃亡しようとしたりしても


所詮は無駄、徒労。正しく自分自身と向き合い、生き甲斐有る人生を


築き上げたいものですね、如何でしょうか?ご賛同いただけますか。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年01月04日 08時02分34秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: