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2013年10月02日
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 理解は不可能なこと、一人の人間が他人を正しく

理解すること。今の社会を、客観的に、冷静に把握して

正当な評価を下すこと。自分で自分自身を100パーセント

理解しつくす事。何れも「不可能なこと」と、私は考えています。

だからこそ、世間でまま見られる、「話合えば、大概の事は

互いに分かり合えるのだから、話し合いが大切だ」― 式の、

紋きり型の非常にイージーな物言いが、とても気になって仕方がない。

話合えば「分かる」様なことは、話合わなくとも「自明なこと」、

または話し合いの前に既に了解済みの事柄に属している。それを



開陳し、充分に傾聴した場合には、簡単に、収まりがつく。その通り。

何も異存などはありません。その限りにおいては、でありますね。

 私がいま、このブログで問題にしているのは、その手の「話し合いなど必要ない」

事柄についてではないのですよ。話合えば、話合うほど両者の違いが

曖昧になり、違いが何処にあるのか皆目見当もつかない。まるで、八幡の

藪知らずにでも迷い込んだような、行く先が進めば進むほどに、分からなくなる。

そういう、本質的な「理解不能領域」の問題について皆さんのご注意を

喚起し、それに対処する際の心構えの大切さを、考えてみたいと問題提起を

しているわけであります。男と女の間には、深くて広い溝がある。といった

歌詞で始まるうたがありましたが、深く、広い溝は、人間社会のいたるところに

網の目のように存在している。そしてその網の目は存在している事は



「目くら蛇に怖じず」ではありませんが、雑駁で、能天気なお人は平気の平左で

事を済まして、何が問題なの、と言った暢気な態度でゴーイング・マイウェイ

なのですが、上辺だけでなく本物の理解を心の底から希求して止まない、

私の様な「変人」は、心が休まる時がない。自分自身さえ、70年以上

ずっと付き合ってきている「自分自身についてさえ」充分な理解が、納得がいかない



なのですから、はい。

 私が提起している人生の大事を、馬鹿馬鹿しいとか、気が知れない。或いは

暇人の戯言などと嘯く御仁がいれば、そのお方は、よほどのお人よしか

さもなければ、人生を真面目に生きることを既に諦めてしまっているに、間違いない。

人は、どんな事があっても、正しく、正当に、人を理解したいのでありますから。










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最終更新日  2013年10月02日 15時46分08秒
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