草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2015年09月27日
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            第 十二 回 目






  仁斎は言う。道とは、天の理、人の道である。聖人の道は、君臣・父子・夫婦・昆弟(兄弟と同じ意味)・朋友の

間に在って、徳は仁・義・忠・信の外に出でず。


 道の四目(又は、四徳)は人性の善であり、万物に異なる所以(ゆえん)たるものとし、「仁」の端(根本)は惻隠の

心、「義」の端は羞悪の心、「禮」の端は恭敬(辞譲=謙遜)の心、「智」の端は是非(正を是とし、不正を非とする)

の心であると主張した。





 もう少し、儒教から引用しましょうか。学問の綱領(こうりょう、おおもと を言う)には、「性」と「道」と

「教」の三つがある。『論語』は専ら教えを言う。道その中に在り。『孟子』は専ら道を言い、教はその中に在り。つ

まり、論孟の二書は、一幅の布、表裏有って、精粗無きがごとし。平たく申せば、論語で孔子が教えている中身も、そ



も素晴らしいのである、という事でありますね。


 「性は相近し。習えば、相遠し」(論語・陽貨篇)、「天の命ずる、之を 性 と言う」(中庸・首章)、「教え有っ

て、類無し(=人は教育によって善とも、悪ともなるので、最初から人の種類に差別があるのではない)」(論語・衛

霊公篇) ―― 我が意を得たりと言いますか、全く同感せざると得ませんね、心の底から。


 更に続けます。「道とは、何ぞ?(=道とは具体的にはどの様な事を意味するのか)」、その基本的な人間関係につ

いての発現(はつげん、実際に現れ出る事)を言うならば、父子にあっては、之を 親(しん) と謂い、君臣には、之

を 義 と謂い、夫婦には、之を 別(べつ) と謂い、昆弟には、之を 序(じょ、=敍)と謂い、朋友には、之を 

信 と謂う。


 夫婦の別を言う時、夫と妻を同列に扱ってはいけない。男と女とはそもそも最初から相違しているものなのだから、

と言うのは比較的理解しやすいのですが、昆弟、つまり兄弟の間には「序、または、敍(じょ、順番の意味)」が有る

という考え方には、今の人には少しく抵抗があるかも知れませんね。これについてはもう少し先に行ってから





 さて、続けて次のような言辞がありますよ。つまり、「仁の實(じつ)は、親に事(つか)ふること是なり。義の實

は、兄に従ふこと是れなり。智の實は、斯の二者を知って去らざること是なり。禮の實は、斯の二者を節分(節・せ

つ、物事を程よくする事。分・ぶん、物事に あや があるようにする事)する是なり」という主張になると、付いて


行けなくなる人が大部分でしょう。かく申す私・草加の爺め もそうでありました。親や兄に、奉仕したり、敬意を表

したりすることがそれ程に重大事であるとは、即座には理解しがたいものがありました、確かに。







と小林秀雄は「本居宣長」の中で断定していますよ。藤樹は独立独歩の学問上の「天下人」であるとも形容して居りま

すね、実に。ですから、藤樹は彼独自の独創としてその様な考え方に到達したのであって、中国の儒者達や、日本の先

輩学者から教えられたものではなかったのです。











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最終更新日  2015年09月27日 06時49分57秒
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