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2019年11月22日
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創世記を読了した。後半のジョセフの説話は小説のようで、比較的面白く読み進めることができた。

 と言うのも、昔の信者にとっては非常に重要な意味にあった筈である、系統や系譜めいた箇所が多く出

てきて、私などには無味乾燥に感じられるからである。

 ところで、神はしばしば人の夢の中に現れて、謎めいた夢を見させる。その夢に込められた神の意図は

常人には決して解釈出来ない。或る特殊な人間、つまり神から特別な祝福を受けている者だけが、大事な

夢解きの仕事、正しい解釈が可能なのである。

 そう言えば、イエスの父ジョセフも夢の中で神のお告げを受ける。旧約聖書を熟知している信者など

は、この一事だけからでも神の人間への意味深い働きかけを、直ちに認識できたに相違ない。

 私は今日の早朝に夢を見た。目覚めた後まで覚えている夢の中に、懐かしい能村庸一氏が元気そうな



現実では無かった、しかしどこかで関連のある奇妙な内容であった。

 そう言えば、最近では悦子の夢を見なくなった。考えてみれば当たり前のことで、現実で私はほとんど

毎日のように悦子との交流を行っているのだし、わざわざ夢の中などという迂回道を経由しなくても、

親密で濃厚な霊的な交流がなされている以上、何も不満を言う必要もないだろう。

 しかし、古の天皇のお妃が亡き夫を忍んで歌った語句ではないが、「目には見れども、ただに逢わぬか

な」の痛切な嘆きは、やはり生身の者としては残るので、これは実際に経験した者でないと、分からない

ことなので、言葉に出してみたところで、どうにも仕方のない事ではある。

 私の人生を振り返った場合に、妻との出会いが全てであったと、素直に首肯できるので、この後何年

この世に生きながらえることを許されているか分からないけれども、その余生にどのような意味を見出し

たらよいのやら、皆目見当もつかないでいる。しかし、生きてある限りは、できる限り他人様のお役に立

ち、且つ又他人様に迷惑を可能な限りかけないように、生きることが出来るならば、これに過ぎる幸せは



 そのためにも、健康が基本であるから、そして健康には食事に可能な限り気を使って、バランスの良い

食生活を心がけたいものと思っている。

 元々、私には大志といった野望はなく、自分がこの世に送り出されて来た意味合いを、出来たら知りた

いと願っていた。それが、悦子との思いも掛けなかった遭遇によって、生まれて来た以上は幸せに生きて

良いのだと、知らず知らずの裡に知らされて、夢幻の如くに、そしてがむしゃらに生きさせられてしまっ



る。生きるとは、それぞれの立場や環境の中で幸福感を味わうことだったと、知らされた。

 劇的な人生も結構なら、庶民としてのささやかな幸せも、それに劣らないくらいに大切なことなのだ

と、今は安堵の胸をなで下ろしたりもしている。

 それにつけても、両親が私のように素直で邪心のない性格に産んでくれたお蔭で、随分と様々な人から

過分な好意を被る事ができたことを、しみじみと有難いことだと心の底から感謝している。

 捨てる神あれば拾う神ありとは、本当にうまいこと言ったものだと、今更ながらに感心している。

 世の中に真の極悪人もいない代わりに、底抜けの善人も皆無に近いのではないかと、感じているが、

本当のところは私には解っていない。ただ、あんな嫌な人間に生まれないでよかった、と感じたような

人間に数多く出会ってきたが、彼等や彼女もそれなりに良い人間性を付与されていたに相違なく、ただ

私との出会いの局面で「嫌な奴」であったにまちがいないのだ。

 仏教で言うところの 縁 というものは、実に不可思議なものだと、驚嘆さえしている。





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最終更新日  2019年11月22日 09時09分39秒
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