草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2020年02月03日
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魂の癒しを通じて他者に貢献する行き方があるけれども、一種の消去法で、私には肉体の管理を主とする

ドクターの道は、幼少時に閉ざされてしまっていた。

 と言うのも、こういう事情があった。個人の触れられたくない秘密というか、敢えて公開したくない事

情が今は亡き妹の郁恵にあった。故人になった妹の事だから、妹の尊厳を傷つけることはないので、公然

と言うのだが、妹が三歳か四歳の頃に一人遊びをしていて、裁ち鋏で自分の左の目を傷付け、視力を失っ

てしまった。ある種の身体障害者になったわけだが、気丈な妹は一生を健常者と何も変わらない、ハンデ

なしで過ごしてしまった。

 事故当時、お転婆な妹が急に別人のように大人しく、元気が失くなった。その姿を見て、二歳年長の幼

児期にあった私は、大人になったら医者になって、妹の目を治して上げるのだと、真剣に考え、両親にも



歩したからと言って、視力を失った眼が再び見えるようになるのは、不可能なことなのだよ」と、やさし

く窘めて、諭してくれたのだった。「なんだ、そうなのか。お医者さんて、そんなものなのか」と小学校

に上がるか上がらないかの年齢だった私は、潔く医者になることを断念した。

 当時の私に、医者になる能力や、経済的な背景が備わっていたかは、不問に付すとして、可愛がってい

た妹を、何が何でも自分の力で、何とかしてあげたい。そう、切実に願った事だけは、一生忘れずにい

る。自分の命に換えても愛する妹を、苦境から救い出したい。しかし、それは、その願いは果たす道がな

いと知った。このどうしようもない暗い絶望が、無意識のうちに私の人生を厭世的で、救いのない、いや

が上にもペシミスティックなものへと変化させていた。そのように、人生も半ばを過ぎる人生行路の半ば

で、自省的に知った、自覚した。

 手当という言葉がある。患部に手を翳して治療を施すの意である。それならば、特別な技能や資格がな

くても、誰にでも出来る事である。



は、それほど難しい事とも思われない。

 二つの相寄った魂の間で何事かが起こり、奇跡に近い現象が惹起されたとしても、少しも不思議とは思

われない。そして、昔の人は霊魂は不滅であると固く信じていた。今人よりも古人の方が大抵の場合に正

しいと経験上で知悉している私であるから、どちらとも取れる場合には古人に軍配を上げる事にしている

私は、現世を去ったとされる悦子の霊力を、常に身近に感じ続けている。そして、彼女の慈愛に満ちた霊



して有難く感謝しつつ受け止め、拝受している。

 これを、如来が悦子と化して、私に霊魂の眼差しを向けている。そう表現しても良いのではないかと、

思ってもいる。いや、事実なのだから、この場合に客観的な事実などという表現は無意味なので、そう確

信する者の主観は絶対的な正しさを、おのずからに有している。賢者が何を知っていようと、この私の

身近な感触を云々する資格など、断じてないのだから、私は世に言う所の偉い人やら、賢い人の意見は参

考程度に留めて置くことに、勝手に決めているのだ。

 自分ひとりだけが幸せなら、それでいい、と言うのは私の流儀ではないから、当然に周囲の人たちにひ

とりでも多く、幸せのお裾分けをと考えている。

 しかし、幸せの押し売りまがいの行為は、これまた私の流儀ではないので、ごく控えめに、これも古人

に習ってごくごく控えめに、でしゃばらず、奥床しいスタイルでと考えている。

 人生はやはり、生きるに値する、素晴らしい物と心底から言える人が、一人でも増え続けるように、私

は残された日々を大切に、世の人と共に生きてゆきたい。そう願っている。

 人間万歳! 人生に乾杯! そう呟きながら、ひっそりとこの世をフェドアウトしたいと、密かに念じ

てもいる。





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最終更新日  2020年02月03日 17時14分04秒
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