草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2020年03月19日
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地上には花々が、天上には星々が、そして人の心には悪魔も住むが、美しい愛情というかけ替えのな

い宝物が有る。

 昔は、これだけの文言で済ますことが出来た。しかし現在では、地上ではコロナウイルスが人類に圧倒

的な勢いで戦争を仕掛けてきているし、人の心の中にも、悪魔だけではなく、理由の分からないややこし

い小悪魔の一族が理由のわからない蛮行を各所で揮っては、善意の人々を絶望の底なし沼に蹴落すとい

う、地獄さながらの阿鼻叫喚の図を展開して、飽きない様子である。

 旧約聖書の記述によれば、人間のくり返し行う涜神行為を懲らすべく、ヤウェーの神もまた、繰り返し

懲らしめの鉄槌を地上に振り下ろしている。天罰覿面なのでありますが、素直に人間が自分の非を認めて

改悛の情を示す際には、神もまた、素直にそれを受け入れて、人間の罪を許す。



 現代は、神を素直に信じられなくなった以上に、人間は自分自身に対して絶望的な不信感を抱いてしま

った。もう、後戻りが出来ないのである。神を非情にも抹殺し、己自身にも信を置けない。

 実に、手に負えない、始末の悪い怪物の集団に変じた人間一族に、明るい未来はあるのか。

 このブログを熱心に目を通して下さっている貴方さまは、どのようにお考えでしょうか?

 ご安心下さい。神や御仏の愛情は誠に広大無辺であります。御心配ご無用。

 芥川竜之介の短編小説「蜘蛛の糸」を思い出してください。悪党のカンダタは私達自身であり、蜘蛛

の糸は絶対者の絶対的な愛情を象徴しているのです。ですから、細く頼りなく見える糸も、他者への愛情

や思い遣りという優しさを失わない限り、絶対に切れる事はないのですから。

 生きとし生ける者にとって唯一と言って良い程に大切な物が、他者への純粋無垢な愛情の発露なのです

が、その「蜘蛛の糸」で互が結ばれている限り、人々は希望という名の明日を手にすることが可能なので

すね、実際の話が。



 自業自得的な暗黒地獄に自らを追い込んでしまった我々です。しかし、個人としては様々な言い分があ

る。自分には責任の取りようもないではないか。第一、自分が直接かかわり合いを持っていない、遠い昔

の事柄や、同じ時代、同じ国での出来事であったとしても、見もしない赤の他人が、全く理解不能な動機

や風の吹き回し具合によって、とんでもない不埒千万な行為を、臆面もなく展開して止まない。

 個人に、責任があると言ったところで、手の届かない、個人の埒外で起こっている事を、知りようもな



れてしまうとしたら、一体どうしたら良いと言うのか?

 勿論、どうしようもありはしない。この世にあることは然るべき正当な理由があってのこと。個人

どころか、神でさえ為す術がないこと。個人に責任など、端から取りようもない。しかし、責任は、重い

責任は必然的に掛かっている、逃れようもなく、である。

 多くを言わなくとも、食物連鎖という現象一つを取れあげても、地上の生命体全体が一つに固く結ばれ

ている存在だと知れる。A は B なくして生存を続けることは出来ない。誰にでも容易に分かる。

 生物の一品種であるホモサピエンスが、紛れもなく一心同体であり、運命共同体であることは、実に

見やすい道理であろう。責任とか権利を言う前に、同等の生命を共有する者としての、応分の資格を自ら

に自問自答してみるがよい。万物の霊長と鼻を高くするのも自由だし、猿より毛が三本足りないと、情け

なく感じるのも勝手だ。人間は人間の範疇から永遠に脱することなど出来はしないのだ。

 このニュートラルで客観的な自己認識には、感情や知性の介入する余地は、全く残されていない。悲し

くとも、嬉しくとも、である。

 この宇宙という世界に存在する物の一切は、何者かは知れないけれども、創造されてあるもの。誰かの

被造物なのだ。被造物に責任やら権利やらが発生する道理もないこと。

 ならば、我々には何があるか…。そう、思考を進めるべき筋合のもの。答えは簡明至極。輝かしい命の

灯火が託されてある。何故かは、不明と言うべきなかもしれないが、それも単純にして明確。

 生命はそれ自体が美しく、素晴らしいものだから、だ。理屈ではない。美しく、素晴らしいから、美し

く素晴らしいのだ。

 この無条件に貴重な生命の価値を、素直に感受出来ない者が居たとすれば、何と言う不幸であろうか。

 人は、生まれながらにして、等しく祝福されてある。ねじ曲がった根性を何処かで身に付けていなけれ

ばの話である。

 なになにでなければ人間ではない。従って生きる価値はないのだ云々、といった実に論外な屁理屈にも

ならない御託を並べる輩がいて、開いた口がふさがらない。

 命として唯一正しい在り方は、享受した大切な生命を如何に輝かすかにある。元々、物質に支えれれた

命の火は、短時日のうちに消え去る定めにある。灯火は輝きの如何によってこそ判定されるべき性質の

ものであって、その他の何物にも左右されることはない。

 輝きに強弱はあっても、その美しさに何の変わりもない。我々命の中に生かされてあるものは、そのこ

とだけを念頭においておけばよいのだ。つまり、唯一絶対として、無限の価値を有している。誰が何を

言おうともなのだ。

 絶対的価値を無条件に付与された有難くも勿体無い存在者、それが我々なのだから、それを有難く受け

止め感謝すると共に、自分のつかの間の灯火を精一杯輝かすべく、渾身の努力を傾注しようではないか。

どうでしょうか? 迷いの闇はいくらか薄明の度を増したでありましょうか。私の命であり、あなたの命

なのです。どうぞ、悔いの残らないように存分に生きてみてくださいませ。

 生きることに目的などいりません。必要なお方は満足するまであなたの目的を探し求めたらよいので

す。闇の中で、一瞬だけ命の火を輝かせて、次の瞬間に闇の中に姿を消していく。そう、丁度、夜空に

打ち上げられた花火のように。どう輝くかが、個人の特色であり、生きがいなのですから、精々、美しく

輝き、潔く消えたいものですね。

 念の為に再度申し添えますが、一瞬は永遠の同義でしたね。あなたの生きた証は、永遠に闇の中に輝く

のだと、御承知おきくださいな、どうぞ。





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最終更新日  2020年03月19日 14時41分25秒
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