草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2020年04月14日
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今日は亡妻・悦子の命日である。世の中はコロナの猖獗に大混乱の体である。我が家もその影響を蒙っ

て、自粛する流れの中にある。

 私自身は相変わらずの生活が続いており、「平穏無事」の状態が継続している。何時なん時コロナウイ

ルスに罹患して、あの世に旅立つ事態に相成るやも知れず、この際悪あがきはしないでおこう。そう密か

に心を決めて、聖書・バイブルの読書と、このブログの書き込みと、源氏物語の味読とに没頭して過ごし

ている。

 それもこれも、みな神仏の御慈悲に囲まれての、極めて有難い時間の経過なので、これ以上に恵まれた

生活はちょっと望めないのではないかと、非常に感謝の気持ちを新たにしている次第でありまする。

 私は生来、借金が大の嫌いであります。だから、生涯で借金らしい借金をしたことがない。従って、ロ



 借金やローンで物を買うくらいなら、お金が貯まるまで我慢をする方が、どれだけ気楽か知れないと思

ってしまうのだ。

 これは、こうした私の性癖は、私の行動の全体に渡って見られる特徴であるようだ。つまり、自分の力

に見合った対象だけを目標にして、その範囲内で終始するように考慮する習性が、この大根の所にあるよ

うである。

 考えてみると、これは私にとって大切な行動パターンであるようで、予め何事かを予想してそうするわ

けでもないのであるが、少なくとも結果としては、私の生活の基本である幸福の防御ラインとしての役割

を、果たしている事が後に振り返ってみると、分かるのである。

 もう一つ、私は賭け事に関することを意識して、一切しないように心掛けている。これも、私のささや

かな幸せを保持する、基本的な行動様式をなすことになっている。

 私は元来賭け事やギャンブルに熱中する性格を持っている。下手の横好きと言うやつで、最初はどうし



後戻り出来ない程の、ひどい負け状態に陥っている。

 どのような勝負事をしても、必ずそうなる。二十代に入ってから直ぐに、その事に気づき、以来自戒し

てギャンブルに類する事からは、手を引いているのだ。そうすることで、危うい、本当に脆弱な私の「幸

福」を保持する事が、かろうじて可能に出来ている。

 君子は危うきに近寄らず。賢人は意味深長な言葉を、私のような愚者に残してくれているのだが、愚者



例のようなのが、私であろうか。

 十九世紀のロシアの作家、ドストエフスキーは自らをモデルとした「賭博者」という作品を残している

が、蟻地獄に落ちていく虫さながらの、ギャンブル依存者の生態を描いて鬼気迫るものを感じさせる。

 私などには一際身に迫るものを感じさせる怖い小説なのだが、大多数の正常な感覚の持ち主には、どの

ように受け止められているのだろうか。

 ドストエフスキーと言えば、死刑寸前でこの世に生還するという、嘘のような恐ろしい体験を実地に舐

めていたせいか、嘘のようでこれ以上は有り得ない、人間のリアルな有様を、これまた凄まじい筆致で描

写した傑作を数多く私達読者に残してくれているが、虫けらにも劣る存在が人間の実存であると、それこ

そ鬼気迫る迫力で、エネルギッシュに読者に肉薄する描写力は、まさに天才の名にふさわしく、読む者を

怪しく魅了しないではおかない。それはまるで、身を滅ぼす炎であると知りつつ、その炎の魅力に手もな

く屈してしまう、人間の本質的な愚かさや、醜さの不思議な魅力を骨の髄まで知悉した、大作家にして始

めて描写できる異常な世界なのであるが、私の如き平凡な人間の中にも、紛れもなく眠っている不可解な

要素を、見事に剔抉して見せて、お見事と言うしか言葉を知らない。

 所で、ドストエフスキー程の天才でなくともこの世の異常な実相を、如実に我々に示す事が容易に出来

る方法がある。少しだけ視点を変えてみればようのだ。

 例えば、生物のあり方だ。中でも人間はどのような物でも食べて生きる 獰猛 な生物なので、他の生

き物の命を何でも喰らって生きている。と、まあ、こういう言い方、表現の仕方である。

 つまり、生きているものは他の命を奪って、自分の体内に取り込む作業を続けなければ、自分の命を

繋ぐことは出来ない仕組みになっている。そのこと自体をあれこれ論ってみたところで、意味のないこと

である。ただ事の善し悪しではなく、そういう仕組みに出来上がっている厳然たる事実に、しっかりと目

を据えてみることは、どうしても必要なことであろう。

 食うか、食われるか、の熾烈な生存競争こそが、生物界に共通する大原則なのである。

 つまりは、生きとし生けるものすべてが本質的には「吸血鬼」の変種に属するのだ。その事実から目を

背けての綺麗事の人間論、生物観は、あまり注目に値しない、机上の空論に終わるしかない。

 どうしても、そうならざるを得ないわけで、そう一旦は地獄の底を覗いてみると、美しい自然やら、醜

い人間世界の景色が、何かしら違った色彩を帯びて、私たちの眼前に立ち現れては来ないだろうか。

 感傷、センチメンタリズムのその向こう側にある、悲しくも厳しい生命体の現実が、見える人の眼には

より悲しく、より切なく迫って来はしないだろうか。

 生命への限りない執着。我執と呼ぶものの正体が、もう一つクリアーに、それゆえに透明で、実態のな

い単なる物理的に近似した、無機質とでも呼ぶにふさわしい或るものに変質して、見えはしないだろう

か。そのある物が、神仏の無限の慈愛という光に照らされて、美しく輝いている様を想像するのも、無駄

とは言えない。そう知ることが、私の救いの本体なのである。

 思い出してください。美しいは醜いと同義でしたね。従って、最悪に醜悪なものは、最高に美しいので

ありました。どうです、この世の中は、なかなかに奥がふかく、尚且つ味わい深い世界だったのです。

 一見するだけではダメなのでして、二見、三見、いやいや何遍でも見るに飽きることのない、素晴らし

い、実に手の込んだ絶妙世界なのでありました。

 コロナ地獄の果てに、果たしてどのような世界が待っているのか? 怖いようでもあり、そして、何か

新しい展望が見えてくるやも知れず、不謹慎かも知れませんが、私などは、神仏のご加護を全幅の信頼を

以て信じておりますので、絶望などは致しておりません。断じて、希望を捨てたりはしないのでありま

す。





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最終更新日  2020年04月14日 16時36分30秒
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