草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2020年10月19日
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今回はテーマを定めずに、私に縁のある数字の 八 に因んで書いて行きます。どれだけ筆が伸びるかは

保証の限りではありませんが、兎に角書く事にしましょう。

 私は、昭和十八年の八月二十八日に生まれています。八月二十八日は奇しくも文豪のゲーテと同じ誕生

日であります。勿論これ、何の因果関係もありませんが、少年の日にこの数字の偶然を知った時、何か単

なる偶然とは思えなかった。

 丁度、人生とは何ぞや? 自分がこの世に生まれて来たのは何の為だったのか? そもそも、この世に

生きることはどの様な意味があるのか? 云々、かんぬん…。―― 漠然とした不安感がなせるわざであ

りましょうが、兎に角、一度この種の疑問と不安に取り付かれると、「無意味な不安、無意味な疑問」な

どと取り澄ましてはいられなくなる。だが、そんな自分の疑問や不安に、誰も答えてはくれない。誰だっ



ても「食うことが先決問題」だからして。

 当時の私はまだイエスキリストの「人はパンにみにて生きるにあらず」という、有難い救いの言葉を知

らなかった。本を読むなどと言う高級な業も身につけていなかった。幼い私は一体どうしたらよいのか。

 どうも出来なかった。出来ないままに、周囲との違和感だけが意識されて始終私の意識を刺激し続けた

のでした。所で、私は物心がつくと既に薄暗い映画館の中にいて、モノクロの大画面に視線を注いでい

た。画面には時にフランケンシュタインの幽霊の醜怪な姿が蠢いていた。また、時にはターザンやチンパ

ンジーや恐ろしいワニがその躍動する動きと共に、幼い私を理屈抜きで魅了した。

 私の父親が映画、それも最新の外国映画を鑑賞するのが大好きで、週末には決まって近所の洋画館に足

を運んでいたのだ。全体の筋など分からなくとも、映画は不思議な魔術で私を虜にした。

 私に限らず、当時は大人も子供も、挙って映画に特別の興味と関心とを抱くようになっていたようだ。

 それから直ぐ、空前の大映画ブームが日本中を席巻して、日本映画も外国映画の後を追うようにして、



 不安も疑問もないのだ。大きなスクリーンに観入っている限り、胸をワクワク、ドキドキさせるだけで

兎に角時間はアッという間に過ぎていくから。

 全生涯をワクワク、ドキドキの連続で過ごせたら、そんな幸せな事はないだろうが、そうは問屋が卸し

てはくれない。

 私の十代は勉強一筋でやるしか他に選択肢はなかった。中学生の時に運動神経はまあ抜群と言えるレベ



家の経済状態が、それを許してくれないほどに窮乏していた。スポーツは勉強よりもとにかくお金がかか

るのである。とにかく勉強ならお金がなくとも、貧乏でも、自分の努力次第で将来の明るい希望に期待す

る道はあった。

 数字の八の末広がりに夢を託すしか、未来は見えなかった。当時の私には我武者羅に勉学することしか

許されていなかった。であるからには、脇目も振らずに目の前の一筋の光を追って進むしか他に手はな

く、私は運命の命ずるままに生きた。

 幸いに、成績は悪くなく、何処へ行き着くとも知らない旅は、私をテレビドラマのプロデューサーの職

業へと導いていた。真っしぐらな一本道と見えるのは、結果論にしか見えない。紆余曲折、様々な回り道

を経ているのだから。

 末広がり、つまり先に行く程に運が開け、幸運に浴する機会が増えるとは、よく言えば大器晩成型と言

う事になるが、大器と言っても最初から高の知れたそれである。

 それでも、成程、私の人生は年を追うごとに段々によくなって来ているようだ。独身の時代には暗い人

生観から、仮に結婚できたとしても、子供は儲けないつもりでいた私が、今は息子二人と平和で明るい

日々を送っている。「何事にも強引な」悦子の「無謀な説得」に乗せられたのだとは言え、結果は誠に結

構な上々首尾なんだから、末広がりの大器晩成は私なりの実現を見ている。実に悦子さまさまで、悦子を

通して差し伸べられている神の広大なる慈悲心に、感謝し、また感激する事頻りなのでありました。

 私は幼児期から数えると何度も転居を重ねている。指折り数えてみたら、今の草加で十度である。どん

どん良くなる法華の太鼓ではないが、まずはそんな風に受け止めて間違いない。

 今、最愛の悦子に先立たれたとは言え、幸運の方は良い方向へ際限もなく伸びて、留まるところを知ら

ない風である。これも末広がりの八に予告された、持って生まれた果報のお陰様であります。

 今は昔の楽隠居ならぬ、貧しいながらに年金生活を、殆ど明日の憂いもなく送ることが許されている。

台風や豪雨禍などからも被害を受けず、これと言った心配の種もない。無い無い尽くしで結構尽くめと来

ては、勿体無くて、何か世の中に御恩報じの一つもしなくては、済まないような気持ちで一杯なのだ。

 お金以外なら、大抵の相談には利益を度外視してサービスと奉仕にこれ努めるつもりで居ります。どな

たでもお気軽にご相談を持ちかけて下さい。

 以前にも、こう言う趣旨の呼び掛けをしたことがありましたが、余りに美味過ぎる話には、誰もが警戒

するようで、話に乗ってくるお方は数人にしか過ぎませんでした。詐欺師などの危ない罠には易々と乗っ

て泣きを見る人が、世の中には驚く程に多く居るというのに、純粋に好意を以て役に立ちたいと願う私の

ような者には、人がそっぽを向きたがる。実に「面白い」と思うのですよ。

 私も好んで、大変な人助けなど進んでしたくない。でも、無駄でも、役に立たなくとも、とにかく呼び

かけを積極的にするように、私の神が、私に何度もそう命じている。サインを送っている。直接にあなた

御自身の事でなくても、周囲に善良なお人が無慈悲にも苦悩や困難を抱えていると見て取ったなら、取り

敢えず御一報下さいませ。

 「私の神」などと言う何処か怪しげな表現をするものですから、尚更、人は不審を抱き、尻込みするも

ののようであります。損得勘定抜きの 純粋な善意 など、この世にあった試しがない。健全な常識は私

たちに正しい判断力を持たせています。正しい事、世のため、人のためになる仕事をして、正当な対価を

得る。これ、何も資本主義の世の中でなくとも、いつの時代でも通用するもの。私はそれに敢えて、異論

を唱えるつもりはありません。ただ、それ以外には正しい人間の行為は無いと、無意識に考えている大人

たちに、本当にそうでしょうかと疑問を呈し、一考を促したいと考えるものなのです。

 私の知っている昔の庶民は、大多数が無償の善意の持ち主だった。情けは他人の為ならず。世の中は持

ちつ持たれれつ。渡る世間に鬼はなし。等などと、私の認識が根拠のない空論でない証拠はいくらでもあ

ります。年寄りの言い草としての「昔は良かった」式のセンチメンタルな懐古趣味ではなく、私の接し得

た東京下町のお節介なおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんたちの行動や言動の中に、一種の伝

統文化として脈々と生きて働いていた。

 どうしてこうも急激に世の中が殺伐として、大勢が血眼になってマモン(富・財)の尻ばかり追いかける

ようになってしまったのか。本当に嘆かわしい限りであります。

 金銭欲と権力欲と色欲、一旦これらの欲に目がくらむと際限もなく欲望のどつぼに嵌りこんでしまう

のが、人間の持つ悲しい性であります。君子危うきに近寄らずと申します。私は勿論君子などではありま

せんが、若い頃から金銭欲と権力欲の虚しさを、他人の身の上としてよく知らされておりましたので、巧

まずしてこの二つの熾烈な欲望の虜になることは、免れて居ります。と言うよりは、貧乏生活に馴れ、貧

乏に安住することの気安さを知ったので、これらの欲に溺れることは、これからもないだろうと思ってい

ます。

 色欲だけは人並みと言うか、死ぬまで惑いの迷妄を脱する境地には程遠いのですが、幸いなことに、私

の知る人間界には、クレオパトラや楊貴妃、或いは小野小町や衣通り姫の様な絶世の美女は現代では見か

けなくなってしまったので、私がハメを外して恋焦がれる様な事態は、幸か不幸か金輪際ないわけで、心

安らかに現状の平穏さを保てる安心を得ております。

 晩年の平安とは、何と幸いなことでありましょう。この幸運を得ているからには、何とか幸せ薄く、不

幸に災いされている人々に、手助けの網を投げ掛けて上げたいもの。そう、ついつい考えてしまうのです

が、世の中は上手く行かないのが常で、手助けを必要としている人と、手助けを進んで与えたい人のタイ

ミングが合わず、イスカの嘴と食い違ってしまう。

 私の場合、古典名作の白眉である「源氏物語」の現代語訳を死ぬまで続けようと決意しているのも、私

流の手助けの網のかけ方なのでして、私にできる精一杯の社会奉仕の実践なのであります。

 宝の持ち腐れとはこの事で、日本の古典は宝の山なのですが、明治の開国以来、富国強兵にめいっぱい

で、自国の伝統文化など注意を向ける暇すらない、「文化貧乏」のお国柄、ノーベル賞に興味関心を抱く

事はあっても、祖先の残した足跡に新たなる視線を向けて、自分たちの将来の確かな指針とする生き方

は、全く顧みられないのでありました。

 国家百年の計と言いますが、百年どころか明日のことさえ見据えることは叶わず、腰がフラフラしてい

る。実に嘆かわしい。嘆かわしくとも、悲しくとも、これが私たちの現実であります。此処からしか、確

かな道は切り開けない。右顧左眄する必要はない、「和を以て尊しとなす」日出る国の民に相応しく

明るい未来を呼び寄せるべく、貧乏をいたずらに恐れることなく、勇猛果敢に、世界平和の為には、敢え

て一命を捧げる気概を胸に、トップランナーとして己の生まれた国を、真の一等国に押上げようではあり

ませんか。 ( 焼け石に水、糠に釘、暖簾に腕押し、馬耳東風、猫に小判、何か不安材料ばかり頭に浮

かびますが、私の神が命ずるが侭に書き記した、次第です )

 同志よ来たれ、来りてこの指に止まれ!





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最終更新日  2020年10月19日 16時56分41秒
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