草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年01月05日
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阿親はその日は麻の中で日を暮らし、夜になれば湊へと志して、そことも知らずに(当てもなく)行

く程に、孝行の志しに感じてか、仏神擁護の眦(まなじり)をや廻らされけん、年老いたる一人の山

臥に行き会った。

 この稚児の有様を見て、労(いたわ)しく思いけん、これはいずくよりいずくを指して御渡り候

ぞ。と問いかけた所、阿親は事の有様をありのままに語ったのだ。

 山臥はこれを聞いて、我がこの人を助けなければただ今の程に可哀そうな目に遭うであろうと思

って、御心安く思し召し候え、湊には商人船が多く候えば、乗せ奉りて越後・越中の方へ送りつけ

参らすると言って、阿親の足が疲れればこの稚児を肩に乗せ、背中に負い、程なく湊にぞ行き着い

た。



 どうしようかと探していると、遥かの沖に乗り浮かべたる大船、順風になったと見えて、帆柱を

立てて蓬(とま、菅や茅などを編んで屋根なそを蔽う物。船に葺いて宿る)を巻く。

 山臥は手を挙げて、その船ここへ寄って下されよかし、と便船申さん、と呼ばわりけれどもかつ

て耳にも聞き入れず、舟人は声を帆に挙げて、湊の外に漕ぎ出した。

 山臥は大いに腹を立て、柿の衣の露を結んで肩に掛け、沖を行く舟に向候っていらたか(玉の

稜・かどのある平たい珠)数珠をさらさらと押し揉んで、一持秘密咒(いちじひみつじゅ)、生々而

加護(しょうしょうにかご)、奉仕修行者(ほうししゅぎょうしゃ)、猶如薄人偏に加梵(ゆうにょか

ぼん)(不動経の末の偈、意味は、一度秘密の経文を持てば、生が変わっても加護が有り、奉仕修行

する者は薄人偏に加梵・仏如来の尊号 の如くである)と言った。

 況や、多年の勤行においておや。明王の本尊本誓が誤らないならば、権現金剛童子(ごんげんこ

んごうどうじ、金剛童子は護法の神の名、童形で憤怒の相を現す。手に金剛杵をとるので金剛童子



天・竜・夜叉・乾門に達婆・阿修蘿・しんにゅうに加楼蘿・緊那蘿・摩口偏の候蘿人偏の加のうち

の三)・八大龍王(はちだいりゅうおう、八体の竜神、難陀・跋難陀・婆人偏の加羅・和修吉・徳叉

しんにゅうの加・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅)よ、その船をこちらに漕ぎ戻させ給え。と、跳び

上がり、跳び上がりして肝胆を砕いてぞ祈ったのだ。

 行者の祈りが神に通じたのか、明王が擁護をなされたのか、沖の方からにわかに悪風が吹き来っ



 舟人達が慌てて、山臥の御坊、先ず我等を助け給え、と手を合わせ膝をかがめて手に手に船を漕

ぎ戻し始めた。

 渚近くになった際に、船頭が船から飛び降りて、稚児を肩に乗せて、山臥の手を引いて屋形の内

に入れたので、風はまた元の如くに戻って、船は湊を出たのである。

 その後で、追っ手の百四五十騎が馳せ来たって、遠浅に馬を控えて、あの船よ、止まれ、招けど

も舟人はこれを見ぬ由で、順風に帆を揚げたので、船はその日の暮程に越後の府(国府お役所ある

所在地)に着いたのだ。

 阿新が山臥に助けられて、鰐の口の死を逃れられたのも、明王の加護の御誓いが掲焉(けいえ

ん、著しい」なりける験(しるし)である。

          俊基 被誅事 並びに 助光の事

         法華 読誦の 大願

 俊基朝臣は殊更に陰謀の張本であるから、遠国に流すまでもなくて近日に鎌倉中で斬り申しべし

とぞ定められける。

 この人には多年の所願があって法華経を六百部を自らが読誦し奉らんとしていたが、まだ二百部

が残っていたので、六百部に満ちるまで相待たれ候がこの後は兎に角もなってしまえと、頻りに所

望あったのだが、げにもその程の大願を相果たさせざらんも罪であると、後の二百部が終わるほど

に僅かの日数を待ち暮らした。その命の程ぞ哀れではあるよ。

        後藤助光 北の方の御文を賜いて 鎌倉に下向する

 この朝臣が多年召し抱えた青侍に、後藤左衛門の尉助光と言う者がいた。

 主(あるじ)の俊基が召し取られた後は、北の方に付き参らせて嵯峨の奥に忍んで候けるが、俊基

が関東に召し下され給いし由を聞きなされて、北の方は堪えぬ思いに伏し沈んで、歎き悲しみ給う

のを見奉るに、悲しみに耐えられずに北の方の御文を給わりて、助光こっそりと忍んで鎌倉へぞ下

ったのだ。

           助光 俊基に対面す、俊基の死

 今日明日と聞いていたので、今はもう斬られてしまわれたかと、行き会う人毎に問い問いして程

なく鎌倉に到着した。

 右小辨俊基がおわする傍(あたり)に宿を取って、どのような手づるでもよいから何か便りは無い

かと伺ったが、叶わずして日を過ごしている所に、今日こそは京都からの召人(めしうど、囚人。

捕えられて獄につながれている人)は斬られなさるそうだ、ああ、悲しい事であるよ、などと噂し

ている。

 助光はどうしようかと肝を潰して、ここかしこに立って見聞していると、俊基は既に張り輿に乗

せられて粧坂(けはいざか)に出で給う。

 ここにて工藤二郎左衛門尉が請け取って、葛原岡(粧坂の西の坂下)に大幕を引いて、敷き皮の上

に座し給えり。

 是を目撃した助光の心中は譬え様もない。目は昏(くれ)足は萎えて、絶え入るばかりになってし

まったが、泣く泣くも工藤殿の前に進み出でて、私は右小辨殿に伺候する者でございまするが、最

後の様子を見奉り候わんと遥々(はるばる)と参る候。然るべくは、御免を蒙りて御前に参り、北の

方の御文をも見参に入れ候わん。と、申しもあえずに、涙をはらはらと流したので、工藤も見て哀

れを催されて不覚の涙を堰き留めきれない。

 仔細は候まじ、早や、幕の内に御参り候え、とぞ許したのだ。

 助光は幕の内に入り、御前に跪いた。俊基は助光を見て、どうしたことであるぞ、とだけ言って

やがて涙に咽ぶのだった。

 助光も、これは北の方の御文で御座いまする、とだけ言って御前に差し置いただけで、これも涙

に昏れて顔も持ち上げられずに泣いている。

 やや暫くあってから、俊基は涙を押し拭い、文を見給えば、消えかかる露の身の置きどころ

が無いにつけても、如何なる暮れにか無き世の別れと承りそうらわんずらんと、心を砕く涙の程御

推量りもなお浅くなんと、詞に余って思いの色は深く、黒み過ぎる程に書かれている。

 俊基はいとど涙に暮れて、読みかね給える気色(けしき、景色)は見る人袖を濡らさない人はいな

いのだ。





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最終更新日  2026年01月05日 10時54分43秒
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