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2026年01月23日
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主上 御没落 笠置の事

       天皇 藤房等さんにんを従えて、笠置を逃れさせ給う

 さる程に、類火が東南から吹いて余煙が皇居に懸かったので、主上を始め参らせて、宮々・卿

相・雲客(てんじょうびと)が皆徒歩裸足のままに、何処を目指すと言う当てもなく、足に任せて落

ちて行った。

 この人々、始めの一二町が程は主上を扶け奉りて前後にお供を申されける。南風が烈しく路険し

く暗くして敵の鬨の声がこれかれ聞こえるので、次第に別々になって後にはただ藤房・季房の二人

より他は主上の御手を助け参らせる人もいない。

 忝くも十善の天子、玉体を田夫野人の形に替えさせ給いて、行く先が何処と言う当ても無しに出



くさせ給うのだが、仮にも未だ習わせなさらぬ御歩行なので、夢路を辿る御心地がして、一足には

休み、二足には立ち止まり、昼は道の側にある青塚(青い草の繁った塚・墓)の陰に身を隠され給い

て、寒草の疎かなるを御座の茵(しとね)として、夜には人も通わぬの野原の露に分け迷わせなさ

る。羅榖(らこく、薄い絹布)の御袖を干し敢えず(草の露と涙で濡れて乾かすことが出来ない」。

 とかくして夜昼三日で山城の多賀郡(たがのこおり)にある有王山(ありおうやま)の麓まで落ちさ

せなされた。

 藤房も季房も三日まで口中(くちなか)の食(じき)を断っていたので、足が弛(たゆ)み身疲れて、

今はどのような目に遭ったとしても逃げられる気がしないので、仕方なくて幽谷の岩を枕にして君

臣兄弟諸共に現(うつつ)の夢に臥しなされた。

 梢を払う松の風を雨が降るかと聞し召して、木の陰に立ち寄りなされると下草がはらはらと御袖

にかかぅたのを、主上がご覧あそばされて、



 藤房卿は涙を抑えて、

    いかにせん 憑(たの)む陰とて 立ち寄れば 猶(なほ)袖濡らす 松の下露

      深須入道等の手に移り 南都に入らせらる

 山城の国の住人、深須(みす)入道・松井蔵人の二人はこの辺の案内者であるので、山々峰々を残

る隈なく探した所、皇居を隠れなく探しい出させなされた。



栄を期せよと仰せなされた。

 さしもの深須入道は俄かに心変じて、哀れこの君を助け参らせて義兵を挙げようと思っていた

が、後に続ける松井の所存が知り難いので、事は漏れやすくして事のなり難い事を測るって沈黙し

たのはうたて(甚だ残念)である。

 俄かの事なので網代輿でさえないので、張輿の怪しげなるに扶け乗せ奉り、先ず南都の内山に

入れさせなされた。その體ただ殷湯夏臺(殷の桀王は始め夏の桀王の臣であり、桀王のため夏台に

幽閉されたが後に桀王を撃ち亡ぼした。夏台は獄の名で、陽翟即ち今の河南封府禹州に遇ったと言

う)に囚われ越王会稽(越王句践は呉王夫差に敗れて会稽山で降人・降伏者となったが後に復讐し

た)に下した昔の夢と異ならない。

 これを聞き、是を見る人毎に袖を濡らさないと言う事は無かったのだ。

           生け捕られたる人々

 この時に此処かしこで生け捕られ給いける人々には、先ず、一宮中務(いちのみやなかつかさ)卿

親王・第二の宮妙法院尊澄法親王・峯の僧正春雅(しゅんが)・東南院僧正聖尋(しょうじん)・萬里

小路(までのこうじ)大納言宣房(のぶふさ)・花山院大納言師賢(もろかた)・按察(あぜち)大納言公

敏きんとし)・源中納言具行(ともゆき)・侍従(中務省に属し、天皇に諌を奉り、遺忘・過失を拾補

する役、従二位藤原実仲の子)中納言公明(きんあき)・別當左衛門督實世(さねよ)・中納言藤

房・宰相季房(さいしょうすえふさ)・平宰相成輔(成輔)・左衛門督為明(ためあきら)・左中将行房

(ゆきふさ)・左少将忠顯(ただあき)・源(みなもと)少将能定(よしさだ)・四條の少将隆兼(たかか

ね)・妙法院執事澄俊法印・北面・諸家の侍共には、左衛門大夫氏信・右兵衛大夫有清・對馬兵衛

重貞・大夫将監兼秋・左近将監宗秋・雅楽(うた)兵衛尉則秋(のりあき)・大学助長明(ながあき

ら)・足助次郎重範・宮内丞能行・大河原源七左衛門有重、奈良の法師(興福寺や東大寺に属した僧

兵)に、俊増・教密・行海・滋賀良木治部房圓實・近藤三郎左衛門尉宗光・國村三郎入道定法・源

左衛門入道慈願・奥入道如圓・六郎兵衛入道淨圓、山徒(比叡山延暦寺の属した僧兵、山法師)には

勝行房定快・習禅坊淨運・淨實坊實尊、都合六十一人、その所従眷属共に至るまでは数えるに暇が

ない。

 或いは籠輿に召され、或いは傳馬に乗せられ、白昼に京都に入り給いければその様方かと覚えた

る男女が巷に立ち並び、人目をも憚らずに泣き悲しんでいる。浅ましい有様なのだ。

         宇治の平等院に行幸
        六波羅の 入御 御和歌

 十月二日、六波羅の北方、常盤駿河守範貞が三千余騎で路を警固仕りて、主上を宇治の平等院に

成し奉る。

 その日、関東の両大将が京には入らないで、直ぐに宇治に参り向って龍願に閲し奉りて、先ず三

種の神器を渡し給いて、持明院新帝に参らするべき由を奏聞した。

 主上は藤房を以て仰せ出だされた事には、三種の神器は古より継體の君が位を天に受けさせ賜う

時に自ずからこれを授け賜う者也。四海に威を振い、逆臣が有って暫く天下を掌に握る者ありと言

えども、いまだこの三種の重器(宝器)をみずからほしいままにして、新帝に渡し奉る例を知らな

い。その上に内侍所をば笠置の本堂に捨て置き奉りしかば、定めて戦場の灰燼にこそ落ちさせ給い

つらめ。

 神璽は山中に迷った時に木の枝に懸けて置いたので、遂にはよもわが国の守りとならせ給わぬこ

とはあるまい。宝剣は武家のともがらもしも天罰を顧みずして、玉體に近づき奉ることがあれば、

みずからその刃の上に伏し給わんずる為に、暫くも御身を放たんことは有ってはならない、と仰せ

られければ、東使の両人も言葉なくして退出した。





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最終更新日  2026年01月23日 19時50分05秒
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