草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年01月28日
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釣り塀 の奇計

 さしもの東国勢も思いの外に仕損じて、初度の合戦に負けたので、楠の武略は侮りがたいと思っ

たのであろう、吐田(はんだ、千早赤坂村に東接する)・楢原辺に各々打ち寄せたのだが、やがて

(直ぐに)又押し寄せようとはせずに、此処に暫く控えて、畿内の案内者を先に立てて、後攻め(背

後を襲う伏兵」がないようにと、山を刈り廻り、家を焼き払って心安く城を攻めるべきだと評定し

ありけるが、本間・渋谷(共に相模の国の地名)の者共の中に、親を打たれ子を討たれた者が多かっ

たので、命が生きていたとしてもどうにもならないぞ、よしや、我等が勢だけでも馳せ向って討ち

死にせん。と憤る間に、諸人が皆これに動かされて、我も我もと馳せ向かったのだ。

 かの赤坂城と申すのは、東の一方こそ山田の畔が重なって高く、少し難所のようであるが、三方



ても何ほどのことかあらん。と、寄せ手の皆がこれを侮り、又寄せると等しく、堀の中や塀の切り

岸の下まで攻め寄せて、逆茂木を引き退け、打って入らんとしたのだが、城中には音もしない。

 これはいかさま昨日の如く、手負いを多く出だして漂う所に、後攻めの勢を出して揉み合わそう

との目論見だろうと心得て、寄せ手の十万余騎を分けて、後ろの山に差し向けて、残る二十万余騎

を稲麻竹韋(とうまちくい、稲・麻・竹・韋が群生しているように大軍が隙間なく)の如く城を取

り巻いて責めたのだ。

 そうではあったが、城の中からは矢の一筋も射出さず、更に人有とも見えなかったので、寄せ手

はいよいよ気に乗って(勢いづいて、調子づいて)四方の塀に手を掛けて同時に登り越えようとした

ところを、本より塀を二重に塗って(造って)、外側の塀を切って落とすように拵えてあったので、

城の中から四方の塀の釣り縄を一度に切って落としたので、塀に取り付いた寄せ手の千人余人は

重しに打たれた様で目ばかりが働いて身體は動けずにいる所を、大木・大石を投げかけ、投げかけ



          熱湯 を注いで 寄せ手を 悩ます

 東国の勢共は両日の合戦に手懲りをして、今は城を攻めようとする者は一人もいない。ただ、そ

の近辺に陣々を取って遠攻めにこそしたのである。

 四五日ほどはこうしていたが、余りに暗然として守っているのも言う甲斐がないので、方四町

(一町は約百九メートル)に足りない平城に敵が四五百人が籠っているのに、東国八か国の勢共が責



 さき先は逸りのままに楯をもつかず、責め具足をも支度しないで責めたのでそぞろに人をも損じ

たのだ。今度は攻め手を変えて、責めるべきだと面々に持ち楯を身に着けさせ、その面にいため皮

(膠・にかわ水にしたし皮を鉄鎚で打ち堅め乾かしたもの)を当てさせ、容易く打ち破られぬよう

に拵えて、頭上にかざして続いて行き、責めたのだ。

 切り岸の高さ、堀の深さ、幾程もないので走り懸かって塀に取り付く事はいと易く覚えたが、こ

れもまた釣り塀であろうかと危ぶんで、左右(そう)なく塀には取り付かないで、皆堀の中に下り浸

かって熊手を懸けて塀を引いた間、既に引き破れるように見えた所に、城の中から柄の一二丈の長

さの柄杓で熱湯の沸き返りたるを汲んで懸けたので、兜の天返(てへん、甲の頂上の穴の在る所)

、綿嚙(わたかみ、鎧の肩の幅の細い所)の外れから熱湯が沁みとおって焼けただれたので、寄せ手

は堪えかねて楯も熊手も打ち捨て、ぱっと引いた見苦しさ。矢庭に死ぬほどではないけれども、或

いは手足を焼かれ、立ちも上がらず、或いは五体を損じて病み伏す者、二三百人に及んだ。

 寄せ手は手立てを替えて攻めれば、城の中は巧みを代えて防ぎける間、今はともかくも為すすべ

もなくてただ食責めにするべく議せられける。

かかりし後は、ひたすら軍を止めて、己の陣に櫓を築き、逆茂木を引き廻して遠攻めにこそしたの

だった。

 これによって、なかなか城中の兵は慰める術もなくて機(き、気分)も疲れてしまう心地がした。

          正成 将士を諭し 城を捨てて 走る
            観世音菩薩の霊験により 危難を免れる

 楠がこの城を構えたのは暫時のことであるから、はかばかしく兵糧なんどの用意もしなかったの

で、合戦が始まって城を囲まれた事、僅かに二十日余りに城中の兵糧が尽き、今は僅かに四五日の

食を遺すだけになった。

 そうであるから、正成は諸卒に向って言ったことには、この間数か度の合戦に打ち勝って敵を滅

ぼす事数を知らずとは言え、敵は大勢であるから、敢えて物の数ともしない。城中は既に食が尽き

て助けの兵はいない。

 もとより天下の士卒に先だって、草創の功を志とする上は、節に当たり義に臨んでは命を惜しむ

べきにあらず。

 然りと言えども、事に臨んで恐れ、謀を好んでなすのは勇士のする所である。さればしばらくこ

の城を落ちて、正成が自害したる体を敵に知らせんと思うのだ。

 その故は、正成が自害したと見及べば、東国勢定めて悦びを為して下向すべし。下るならば正成

が打って出て、又上るならば深山に引き入って四五度ほど東国勢を悩ましたならば、どうして退屈

するだろうか。

 これ身をまっとうして敵を欺く計略である。面々はどのように計らい給うか。と、言いければ諸

人が皆、しかるべしとぞ同じたのだ。

 さらばとて、城中に二畳ばかりの大きな穴を掘って、この間堀の中に多く討って臥している死人

を二三十人穴の中に取り入れて、その上に炭・薪積んで雨風の吹き灌ぐ夜をぞ待ったのだ。

 正成の運命が天の命に叶ったのであろうか、吹く風俄かに砂子(いさご)を吹き上げて、降る雨は

更に篠を突くが如し。

 夜色窈溟(暗い様)氈城(せんぜい、陣営)皆巾偏の惟幕(いばく)を低(た)る。





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最終更新日  2026年01月28日 19時43分07秒
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