草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年03月02日
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宮は病者が臥した所に御入りありて、御加持あり。 千手陀羅尼を二三反(べん)高らかに遊ばされ

て、御念珠を押し揉ませ給いければ、病者は自ずから口走って様々な事を言った。 誠に明王の縛

にかけられたる體(てい)で、足手を縮めて戦(おのの)き、五体に汗を流して、物の怪は忽ちにして

去って仕舞ったので、病者は直ぐに平癒した。 主の夫は斜めならずに悦び、我には貯えたる物が

ないので、別の引き出物までは叶い候まじ。まげて(無理にでも)十余日これに御逗留候いて、御足

を休めさせ給え。さっきの山伏が粗忽に耐えられずに(行き届かぬ待遇に耐えられずに)お逃げにな

ってしまわれぬよう、恐れながらこれを御質に給わらん、とて面々の笈共に取り合わせて皆内にぞ

置きたりける。 お供の人々、上にはその気色を顕さずと言えども、下には皆嬉しく思う事限りな

し。



 或る夜に家主の兵衛尉が客殿に出て、薪などを燃やして四方山の話などをしたついでに申したの

は、皆さん方は定めて御聞き及びでもございましょうが、本当でありましょうか、大塔の宮は京都

を落ちさせ給いて熊野の方に赴かせ給い候なる。 三山の別当(熊野三山、本宮・新宮・那智の長

官)定遍(じょうへん)僧都は無二の武家方で候なれば熊野辺にお忍びあるのはなり難く、覚え

候。哀れ、この里に御入り遊ばせかし。所こそ分内(そこと定めた領分、又は場所の内)は狭く候

えども、四方は皆険阻であり十里や二十里の中では鳥でさえ翔け難い所で候。 その上に人の心は

偽りがなく、弓矢を執ることは世に越えております

る。

 されば平家の嫡孫の維盛と申す人も、我等が先祖を頼んでこの所に隠れ、遂に源氏の世に恙無く

候と承り候と語った所、宮は誠に嬉し気に思召したる御気色顕れて、もしも大塔の宮などが此処に

御頼みあって入って来たとすれば、頼りにならせ給うおつもりでありましょうか、と御問いなさる



かかる事ぞと申したならば、鹿瀬(しかがせ)・蕪坂(蕪坂)・湯浅・阿瀬川(あぜがわ)小原(をば

ら)・芋瀬(いもせ)・中津川(なかつがわ)・吉野の十八郷の者までも、手出しをする者は御座いま

すまいとぞ、申しける。

 その時に宮は木寺相模にきと御目を合わされたので、木寺はこの兵衛の側に居寄り、今は何をか

隠し申さん、その先達の御坊こそは大塔の宮であらせられる。と言ったところ、この兵衛は猶も不



 片岡八郎、矢田彦七、あら、熱や、とて頭巾を脱いで傍に差し置いた。誠の山伏ではないので月

代(さかやき)の跡がくっきりとして隠れようもない。

 兵衛はこれを見て、げにも山伏にてはあらざりけり。畏くも(よくぞ)この事を申された。あな、

浅ましや。この程の振る舞いをさぞや尾籠(びろう、無礼)とぞ思し召し候わん。と、以ての外に踊

りて、首(こうべ)を地に着け、手をつかねて畳から下に下りて蹲踞した。

 俄かに黒木の御所を作り、宮を入れ参らせ、守護し奉り、四方の山々に関を据え、道を斬り塞い

で用心厳しく見えたのである。

 これも猶、大儀の計略叶い難しとて、叔父竹原八郎入道の息女を夜のおとどに召されて微覚えは

他に異なる。

 さてこそ家主(あるじ)の入道も益々志を傾け、近辺の郷民共も帰服したる様子で、却って武士を

軽蔑したのだ。

         戸津川をご出発 錦旗を芋瀬庄司に与え
          敵地を脱せらる 村上義光 錦旗を奪い返す

 さるほどに熊野の別当定遍がこの事を聞いて、十津河に寄せる事はたとえ十万騎があったとして

も適い難し。ただ、その辺の郷民共の欲心を勧めて、宮を他所に誘(おび)き出だし奉らんと、相謀

って道路の辻に札を立てて書いたのは、大塔の宮を討ち奉らん者には非職・凡下を言わず(官職に

ない人でも、平民でも。誰でも)に伊勢の車間の庄を恩賞に充て行うべき由を関東の御教書これあ

り。その上に、定遍が先ず三日の中に六万貫を与えるであろう。

 御内(みうち)伺候の人(お側つかえの人)、御手(おんて、部下)の人を討ちたらん者には、五百

貫、降任に出でたらん輩(ともがら)には三百貫、いずれもその日の内に沙汰して与えるであろう。

と定めて、奥に起請文(天地の神に誓って)の詞を載せて厳密の法を出したのだ。

 それ、移木(いぼく、木を移す事。秦の商鞅が新法を施く前に先ず民をして政府を信ぜしめる手

段として三丈の木を市の南門に立て、これを北門に移す者に五十金を与えようと布告して、約の如

く実行した故事)の信は約を堅くする為に、献芹(けんきん、詰まらぬ野菜を奉る。人に物を贈る

時の謙辞)の賂(まいない)は志を奪わん為のものであるから、欲心強盛(よくしんごうじょう)

の八庄司(熊野八個の庄の庄司。荘司と書く、荘園の領主の命を受けて荘園内の雑務を行った)共

はこの札を見るよりいつしか心が変じ、色替わって怪しき振舞どもにぞ聞こえける。

 宮は、この様であっては此処での御住まい、始終あしかりけん。吉野の方へでも出て行った方が

よいであろうか、と仰せられたのを、竹原入道は「どのような事がございましょうや)と、強いて

止め申しければ、彼の心を挫き落胆させる事もさすがにお出来なさらずに、恭久の中で月日を送ら

せなされた。

 結句、竹原入道の子供さえ、父の命に背いて宮を討ち奉らんとする企てがあると聞いたので、宮

は密かに十津河も出でさせ給いて、高野の方へと赴きける。

 その道、小原・芋瀬・中津川と言う敵陣の難所を経て通じる路であるから、中々敵を打ち頼みて

みばやと思召され、先ず芋瀬の庄司が許に入らせ給いけり。





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最終更新日  2026年03月02日 19時16分56秒
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