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2026年03月31日
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河野謀反の事
        土居、得能 宮方となり、長門探題を破り
          四国を風靡する

 六波羅探題では、一方の打手にはと頼まれた宇都宮は、千剱破(ちはや)の城に向いつ、西国の勢

は伊東に支えられて、上り得ず、今は四国勢を摩耶の城へと向かうべしと、評定せられける所に後

の二月四日、伊豫の国から早馬を立てて、土居二郎・得能弥三郎が宮方となって機を挙げ、當国の

勢を相付けて土佐の国へと打ち越した所に、去月十二日に長門の探題・上野介時直(ときなお)が兵

船(いくさぶね)三百余艘にて当国に推し渡り、星岡(ほしがおか、愛媛県にある)にて合戦を致す所

に、長門・周防の勢が一戦に打ち負けて、死人・手負いの者はその数を知らず。



 其れより後には、四国の勢は悉くに土居・得能に属する間、その勢は既に六千余騎、宇多津(う

たつ、香川県の坂出市と丸亀市との間にある)・今治(いまばり)の湊に舟を揃え、ただ今責め上ら

んとぞ企て候。御用心あるべしと、告げたのだ。

         先帝 船上臨幸の事
           佐々木清高の警護 佐々木義綱 島からの
           出御を勧Sめる 義綱 出雲に赴き、帰らず
         御所を忍び出でらる

 畿内の軍がまだ静かにならないのに、また四国・西国が日を追って乱れたので、ひとの心は皆

薄氷を踏んで、国が危うい事は深淵に臨むが如きである。

 そもそも天下がかくの如くに乱れるのは、偏に先帝(後醍醐天皇)の宸襟(しんきん、天皇の御

心、叡慮)から事が起こっている。



先帝を奪い取り奉らんとする可能性もあるので、相構えてよくよく警固仕るべしと隠岐判官の許に

下知せられたので、判官は近国の地頭・御家人を催して日番・夜回り隙もなく宮門を閉じて警固し

奉る。

 閏の二月下旬じは佐々木富士名(なの)判官の番であり、中門(宸殿・正殿と外門の間の門)の警護

であったけれど、いかが思いけん、哀れ、この君を取り奉りて謀反を起こさばやと思う心がつい



て御盃を下されたのだ。

 判官はこれを給わって、良き便りであると思いければ密かにその官女に付けて申したのは、上様

には未だ知ろし召し候わずや、楠兵衛正成は金剛山に城を構えて立てこもり候所に、東国勢が百万

余騎で上洛して、去りぬる二月の始めから、責め戦うと言えども城は剛(つよ)くして寄せ手は既に

引き色になって候。又、備前では伊東大和二郎、三石と申す所に城を構えて、山陽道を差し塞ぎ

候。

 播磨では、赤松入道圓心が宮の令旨を給わりて、摂津の国まで攻め上り、兵庫の摩耶と申す所に

陣を取って候。その勢は既に三千余騎、京を縮め地を略し、勢いを近国に振るって候。

 四国では河野の一族に、土居二郎、得能弥三郎、が味方に参って旗を揚げ候所に、長門の探題・

上野介時直、彼に打ち負けて、行方が知れずに落ち行きし後には、四国の勢は悉く土居・得能に属

し候間、既に大船を揃えて此処へ御迎えに参り候とも聞こえ候。

 先ず、京都を責めるべきとも披露しておりまする。

 御聖運は既に開けるべき時はもう参っておりまする。義綱が登板の間に、忍びやかに御出で候い

て千波(ちぶり、隠岐の最南端)の湊から御舟に召されて、出雲・伯耆の間、何れの浦にも風に任せ

て御舟を寄せられ、しかるべき適当と思われる武士を御頼み候て暫くお待ち候え。義綱は恐れなが

ら責め参らせん為に罷り向う体にて、やがて御味方に参り候。とぞ、奏し申しける。

 官女がこの由を申し入れければ、主上はなおも彼が偽って申すのではないかと思召されて、義綱

の志の程をよくよく御覧ぜられるために、かの官女を義綱に下されたのだ。

 判官は面目身に余りて覚えける上に、最愛又甚だしければ、いよいよ忠烈の心を表しける。

 さらば、汝、先ず出雲の国に越して、同心すべき一族を語らいて御迎えに参れ、と仰せ下されけ

る程に義綱は則ち出雲に渡って、塩冶(えんや)判官(近江判官真清の子、高貞)を語らったのだが塩

冶はどう思ったのか、義綱を部屋に閉じ込めて置いて、隠岐の国には帰さないのだ。

 主上はしばらくは義綱を御待ち在りけるが、余りに事が滞ったので、ただ運に任せて御出であら

んと思召して、或る夜の宵の闇の紛れに三位殿の御局の御産が近づいたとて御所を御出である由に

て、主上はその御輿に召され、六条の少将忠顯朝臣ばかりを召し具して密かに御所を御出でありけ

る。

 この體にては人が怪しみ申すべき上に、駕輿丁(御輿を舁く者)もいなかったので、御輿を止めら

れて忝くも十善の君(天子)みずからが玉蹠を草鞋の塵に汚して、みずから泥土の地を踏ませ給いけ

るこそ浅ましけれ(御気の毒で見苦しい)。

        千波湊に御到着 商人船にて 出帆せらる


 頃は三月二十三日の事であるから、月待ちの程の暗い夜に、そことも知れない遠い野の道を案内

も分からずに迷いながら歩るかせなさるので、今は遥かに来たものであるよと思召されたので、後

にある山は滝の響きがほのかに聞こえる程である。

 もしや後を追って来る者もあるだろうかと、恐ろしく思召されたので、一足でも前にと御心ばか

りは進めども、何時ならわせ賜わぬ道(過去にも、将来にも習う事がない道程)であるから、夢路

を辿る心地がして、ただ一所にばかりお休み成されているので、こは、如何にせんと思い煩い、忠

顯朝臣は御手を引き、御腰を押しして、今宵はどうにでもして湊近くまで心を遣りなさるのだが、

心身共に疲れ果てて、野径の露に徘徊する(うろつき回る)。

 夜がいたく更けにければ、里遠からぬ鐘の声が月に和して聞こえるので、それを道しるべにして

尋ね寄って、忠顯朝臣が或る家の門をたたいて申しけるは、千波(ちぶり)の湊へはどのように行け

ばよいだろうか、と聞いた所、内から怪しげなる男が一人出で向って、主上の御有様を見参らせけ

るが心なき田夫野人ではあるが、何となく痛ましく思い参らせたのか、千波湊にはここから僅かに

五十町程ではあるが道は南北に分かれて、如何様お迷いなされるであろうと存じ候えば、御道しる

べを仕り候わん、と申して、主上を軽々と背負い参らせて、程も無く千破港にぞ着きにける。





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最終更新日  2026年03月31日 19時44分37秒
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