草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年04月09日
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資名(すけな)・資明(すけあきら)の二人が御前に参じて、官軍は戦いが弱くして逆徒が期せざるに

洛中に襲い来り候。斯様にて御座候えば賊徒が差し違えて御所中にも乱入仕ると覚え候。急ぎ三種

の神器を先立て六波羅に行幸なされ候え。

 と、申されければ、主上はやがて瑶輿(ようよ、玉で飾った意で、御輿)に召されて、二条川原

から六波羅に臨幸なされた。

 その後、堀河大納言・三条源大納言・鷲尾中納言・坊城宰相以下(以下)月卿雲客の二十余人が路

次に参着して(臨幸の途中に追いついて)供奉(ぐぶ)し奉る。

 これを聞き召し及んで、院・法王・東宮・皇后・梶井の二品親王まで皆が、六波羅迄御奉成る

間、供奉の卿相雲客が軍勢の中に混じって警蹕(けいひつ、先払い)の声が頻りであるので、これさ



 俄かに六波羅の北方を空けて、仙院・皇居となした。事の體は騒がしかりし有様である。

         河野、陶山の軍勢が 蓮華王院の敵を破る

 やがて、両六波羅は七条河原に打ち立てて、近づく敵を相待った。

 この大勢を見ては敵もさすがにあぐんで(嫌気がさす、うんざりする)や思いけん、ただ此処彼処

に走り散って、火を懸け、鬨の声を挙げるだけで、同じ陣で控えている。

 両六波羅はこれを見て、如何様、敵は小勢であると覚えるぞ、向かって追い散らせと、隅田(す

だ)・高橋に三千余騎を相添えて八条口に差し向けられた。

 河野九郎左衛門尉・陶山(すやま)次郎に二千余騎をさし副えて蓮華王院に向けられた。

 陶山が河野に向って言ったことには、何ともない取り集め勢に交わって軍をすれば、なまじいに

足手纏になり駆け引きも自由にはなるまい。いざや、六波羅殿から指し添えられた勢を八条河原に

控えさせて、鬨の声を挙げさせ、我等は手勢を引きすぐって蓮華王院の東から敵の中に駆け入り、



ほどの馬場を囲い十二騎の武士が三手に分かれ、百五十匹の犬を追いかけて射る)射に射てくれよ

う、と言った所、河野は、もっともにて候、然るべし、と同じて、外様の勢の二千余騎を塩小路の

道場前に差し置いて、河野の勢三百余騎と陶山の勢百五十余騎を引き分けて、蓮華王院の東に廻っ

たのだ。

 相図の程になったので、八条河原の勢は鬨の声を挙げたのだが、敵はこれに立ち合わせんと馬を



の中に駆け入り、東西南北に駆け破って敵を一所に打ち寄せずに、追い立て追立責め戦った。

 河野と陶山は一所に合っては両所に別れ、両所に分かれては又一所に合う。七八度程は揉みあっ

たのだ。長途に疲れた徒歩立ちの武者は駿馬の兵に懸け悩まされて、討たれる者はその数を知ら

ず。手負いを捨てて、道を横切り、散々になって引き返す。

 陶山と河野は逃げる敵には目もくれず、西七条辺の合戦はどんな風であろうか、心もとなしとて

又七条川原を筋違いに西に打って、七条大宮に控え、朱雀の方を見遣りければ、隅田(すだ)・高橋

が三千余騎で、高倉左衛門佐・小寺・衣笠が二千余騎で懸け立てられ、馬の足を立て兼ねている

(騎馬の陣容を整え兼ねている)。

 河野がこれを見て、このままでは見方が討たれてしまうだろう。いざや、打ってかかろうぞ、と

言ったのを、陶山が「しばらく」と制したのだ。その故は、この陣の軍は未だ雌雄を決しないのに

力を合わせて味方を助けたとしても、隅田・高橋の口の悪さは、恐らくは自分達の手柄だと言うで

あろう。暫くはこのままで、事の成り行きを見てみよう。敵がたとえ勝ちに乗ったとしても何ほど

の事があろうか。そう言って見物していたのだった。

         西七条辺の寄せ手も 河野・陶山の為に破られ
         引き退く

 さるほどに、隅田・高橋の大勢は小寺・衣笠の小勢に追い立てられ、返さんとするのだが叶わ

ず、朱雀を上りに内野を指して引くのもある。七条を東に向かって逃げるのもある。馬に離れたる

者は心ならずも返し合って闘い死ぬもあり。

 陶山がこれを見て、余りに長居していては味方が弱ってしまい由無し。いざや、今は懸け合わせ

ようぞ、と言えば、河野は「仔細には及ぶ(異議は全くない)」と言うままに、両勢を一手になして

大勢の中に駆け入り、時が移るまで戦ったのだ。

 四武の衝陣(四方の武者を同時に疾く敵陣に突貫させる兵法)守りの堅いのを砕いて、百戦の勇

力は変に応じたので、寄せ手はこの陣でも軍に打ち負けて、寺戸を西に引き返したのだ。

          赤松兄弟の奮戦 と赤松勢の敗北

 筑前守貞範・律師則祐の兄弟は、最初に桂川を渡った際の合戦に、逃げる敵を追い立て、跡に続

く味方がないのも知らずに、ただ主従の六騎だけで、竹田を上りに法性寺大路に懸け通り、六条川

原に打ち出でて、六波羅の舘に駆け入らんとして待ったのだ。

 東寺から寄った味方ははや打ち負けて、引き返しけりと覚えて、東西南北にてきより外はない。

 さらば暫くは敵に紛れて味方を待たんと、六騎の人々は皆笠符をかなぐり捨て、一所に控えたる

所に隅田・高橋が打ち廻って、如何様、赤松の勢共はなお味方に紛れてこの中にあると覚えるぞ。

河を渡った敵であるから、馬・物の具が濡れていない物はない。

 それを目印にして、組討ちに撃て。と、呼ばわったので、貞範も則祐もなかなか敵に紛れようと

すれば都合が悪いだろうと、兄弟郎党の僅かに六騎で轡を並べわっと呼ばわって敵の二千騎の中に

懸け入って、ここに名乗り、かしこに紛れて相戦ったのだ。

 敵は、これ程の小勢とは思い寄るべきことではないから、東西南北に入り乱れて、同士討ちをう

ること数刻である。

 大敵を謀るには勢いは久しくないので、郎党の四人はみな所々で討たれてしまった。

 筑前守は押し隔てられて、則祐は只一騎になって、七条を西へ大宮を下りに落ち行く所に、印具

(いぐ)尾張守の郎従の八騎が追いかけて、敵ながら優しく覚え候(立派だ、けなげだ)ものかな。誰

人にておわするぞ、御名乗り候え。と、言った所、則祐は馬を閑(しずか)に打って(馬を御して)、

身は不肖にて候えば名乗り申す事はあるべからずと存じ候。ただ頸を取って人に見せられ候え、と

言うままに敵が近づけば打ち合わせて、敵が引けば馬を歩ませて二十余町の間を敵の八騎と打ち連

れて心閑に落ちて行ったのだ。





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最終更新日  2026年04月09日 16時49分02秒
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