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次の仕事は 顧客の信用調査をする部署である。申し込みいただいた顧客を今までのデータと照合し裏付けを取り、そして本人意思確認をしてOKを出すのである。ここが甘いと不良債権を抱え会社自体の信用をなくしてしまう。逆に硬過ぎても取引先をなくしてしまうのである。大きな金額の時には、不動産や収入のチェックまで行う。無担保融資の難しいところである。債権買取のOK、NG連絡は加盟店に取っても売れるか売れないかの瀬戸際である。 ここでも加盟店とのしのぎもあるのだ。 債権管理(取りたて)を経験していたので、理論正しく判断が出来た。ここでは営業マンとの連携と取引先加盟店との信頼関係が重要となる。チェック項目は ばらつきの無い与信(顧客に信用を与える)をすること。もうひとつ重要なことは、加盟店が顧客と結託して不正取引をしていないかのチェックである。顧客に対するオーバートーク、空売りによる金融詐欺、等々いろいろなケースがある。この部署を半年やって 晴れて営業渉外としてデビューするのであった。俺の頭の中では、もう営業のパターンを数種類考え早く実戦に向けワクワクしていた。大きな志をもち 高い目標を設定して 夢と希望に満ち溢れていた。27才 三浦つづく
2012年06月30日
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半年以上債権管理を経験した時には もうすでに人間の裏側を見ずにはいられなかった。そして連帯保証人の悲劇、会社ぐるみの詐欺事件、民事ではなく刑事事件に発展するもの。そして債務者の自殺、親族の事件、そして家庭崩壊が普通に起きていたのだ。そして私は、電話や面談の督促だけではなく、文章による法的手続きを覚え差し押さえも、強制執行の手続きも一人で出来るようになっていた。ある債務者宅に強制執行を行った際、不動産だけではなく動産執行も行った。家中の家具やテレビやなべかままで赤札を張って行くのだ。その家にはまだ小学生低学年の少女がいた。私がテレビにも赤札を張り位置を変えようとした時、その少女は私の足にしがみつき、テレビは持って行かないでと涙を流していた。きっと少女には 私が鬼に見えていたと思う。ある時は、裁判所に自ら出向き答弁を行うし場合によっては原告であるので検事役もやる。熱くなり被告と怒鳴りあいになる時もある。債権者も債務者も法的なことを知っているかどうかで物事は決まる。言葉や面談での督促を覚え、そして法的による債権回収、そして資産の差し押さえ、強制競売まで覚えた。そして、債権管理課は私に次のことを教えた。1,買い物は身分不相応のものは買わない。2,連帯保証人には絶対にならない。3,口約束程いい加減なものはない。4,経過の記録が裁判での証拠となる。等々 2年間 色々な事柄があり 私を成長させた。K支店長には、感謝している。 債権管理を教えてくれた。だんだん世の中の仕組みが分かって来ていた。そしてK支店長は私に次の職務を与える。私も納得した。つづく
2012年06月29日
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どの様にしたら効率が良くなり入金金額が上がるか ばかり考えていた。千葉支店の債権管理チームは個性的な人間が多くとても楽しかった。女性社員もこんなに言っても良いのかと思うぐらい強気で顧客と勝負をしている。同僚が担当する案件で、テレビ、オーディオセットを一括払いで購入した顧客の連絡が取れず実調することになった。顧客の住まいが銚★であったので二人で行くことになった。カーナビなど無い時代、住宅地図をコピーし あとはカンと度胸の世界である。成田を経由し現地へ何件かを掛け持ちしているので着いた時には日が落ちていた。「ここだ」と同僚が言い 「そうだな」応答する。刑事にでもなった気分だ。家の電灯はついていなかったが、テレビの画像の明かりが窓越しに見えた。「いる」 「いるな」 「俺は表から行くので 裏口を見ていてくれ」結構、訪問すると居留守でだんまりか逃げるやつもいるのだ。玄関ドアをノックして「××さん いらっしゃいますか ××さん」反応が無いので ノブに手をかけ開けてみると鍵は開いていた。覗いてみると台所の奥に居間がありテレビの前にやつ?がいた。「××さん J△C○Sです。 お支払いの件で来ました ××さん」やつはピクリともしないでテレビを暗闇の中で観ていた。同僚も心配になり玄関口に来た。数分間 らちが開かないやりとりが続き書類を書いている時やつが立ちあがり こちらに向かってきた。薄暗い中でも やつの表情が読み取れた。言葉が言葉になっていなくて 「ガルルルッ ガルルルッ」としか聞こえなかった。そして家の中なのに やたらと唾をはくのである。話がかみ合わず 「この振込用紙で明日振り込んでください」と伝えた。今も思いだすが すごく怖かった。玄関から車まで距離が10Mほど やつを見ながら 後ろずさりで車に乗り慎重にバックをしてその家を離れた。同僚と私は完全にビビっていて しばらく会話は出来なかった。 翌々日、地元紙にやつの名前が載っていた。覚せい剤常習犯逮捕! それを見たとき鳥肌が立ち 足が震え 無事でよかったと一息 新聞をコピーし担当者に渡した。貸倒償却手続き と 伝えた。つづく
2012年06月29日
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債権管理業務は遅れ度合いによって区分けがされていた。引き落とし日が27日なので基本的には前月の利用分が当月の27日に口座から引き落としされる。不渡りで翌月の10日をまたいでしまうと 「未満」というランクになる。このランクが1ヶ月上がるごとに1、2ヶ月がAランク3、4、5ヶ月がBランク 6ヶ月以上がCランクとなる。我々の会社は不良債権の金額が多いほど信用状態が悪くなり死活問題となるのである。貸倒償却は当時16/1000まで認められていたがこで収まるわけがない。債権管理担当者は毎日、債務者に電話をし、文章を書き、会いに行くのである。私は最初にオートローンの未満を担当した。月々の支払いはそれぞれであるが、9月のボーナス加算の顧客がいる。支払いは10万から50万と幅が広い。件数も600件前後だったと思う。金額の大きい順に電話をしていく。6割ほど本人と話ができる。月末までに払うと言うが、それまでに払うのは2割程度だ。ここまで人間は嘘をつくのかと 人間不信になってくる。督促をしている側も人間だ。 だんだんきつくなってくるのだ。「明日お願いします。」の連発だ。色々な人間模様が見えてくる。人生相談の様なものも少なくない。未満担当者は金額で95%以上出なければ失格である。取り逃がしたものは「台帳」と言われる交渉経過報告書が必要となる。辛い仕事であり 人間不信になる。でも、入金表に名前があった時はガッツポーズも出るものだ。締め日の後の飲み会が1ヶ月の苦労を忘れさせてくれる。取りたてには色々なエピソードがある。何件か 紹介をしていこう。つづくps 綺麗な朝日だ 雲の切れ間から光が今日1日の力を与えてくれる。 シュウ
2012年06月29日
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今、11時半だ。今日は咳が酷く眠れない。さて、面白くない私の過去の話でも書きますか■その6千葉支店勤務 年度の中間で異動したので10月上旬の出勤であった。社員60名程の店所であり我社では中堅の支店であった。千葉県には船橋、柏、そして千葉があり千葉支店は房総半島のほとんどをテリトリーとしていた。支店の構成は、花形の営業、取りたて役の債権管理、地味な経理事務の三つで構成されていた。K支店長はバリバリの営業たたき上げで将来役員と目されていた。出社初日、私は皆の前で持論であるこれからの営業について語った。勿論、内容はPCを持ち理論的にそしてプレゼンをしながらのシステムを知ったこれからの営業についてであった。挨拶が終わり、一緒に転勤してきたM君とK支店長との面談。2時間ぐらい話をしていただろうか 熱く想いを語った。K支店長はM君は営業1係 そして 三浦君は債権管理と告げた。私は、自分の耳を疑った。 2度聞きなおしたぐらいだ。債権管理課はS代理を中心とした15名の体制、そして嘱託社員の2名であり直属の上司は なんと 今年入ったばかりのN君であった。この日から「借金取りの三浦」が始まったのである。N君が決まったばかりの私に「実調に行きますか」といった。「ジッチョウ?」私は声が上ずった。 N君は 「そうです。 実地調査 連絡が取れないお宅に訪問です。」訪問セットの入ったバッグを持ち、駐車場へ外は暑い日であった。つづく PS 新人上司のN君(22才) 現在当社の執行役員である。 いい男だ 社長になるまで頑張れ!
2012年06月28日
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RFL横浜でのルミナリエ販売そろそろやらなくては・・・・皆さん 宜しくお願いします。 シュウ
2012年06月28日
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26才 三浦「このままシステム開発をしていたら・・・・」私の初任地、配属は本部事務管理部システム管理課であった。システムへの配属に 違和感を感じていた。確かに大学のゼミでは大型コンピューターを使い工場での流れ作業における分業化による効率解析をしていた。よってシステム関連部署に配属されたのだろう。でも現場の仕事を知らずして この会社のシステムを作ろうとしていたのだ。あろうことに 多くのシステム会社に スペック(仕様書)を書きプログラムを作製させていたのである。そして私の性格は事務職ではなく営業職向きだと気がついていたのだ。システムでの仕事はきつかったが 面白かったしやりがいもあった。全てが理論的であり プラスか マイナスか 正しいか 間違いかであった。でも 私は 本部ではなく 現場営業店に 異動願いを上司に申し出た。この会社の本当の仕事を知りたかった。机上の仕事ではなく 泥臭い現場に行きたかった。異動願いが認められ 千葉支店に転勤となる。つづく シュウ
2012年06月28日
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昨日 無事入院しました。これから24時間、7日間点滴が続きます。これも治療のため 我慢我慢です。 シュウ
2012年06月28日
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24歳 三浦 会社に入社し3年間は、本部事務管理部システム管理課・開発課であった。現行の基幹システムのメンテと そして次期システムの設計にあった。2年目からはシステム開発課となり電算センターに出向した。市ヶ谷のM銀行事務センターであった。徹夜、徹夜の連続で 残業も最高276時間/月 深夜勤務での振り替え休日は50日以上も溜まっていた。家に帰っていないため 私服でひげを生やしながら 朝の進捗会議にでる。この時の僕のチームは3名 何時も皆の顔色が悪かったがこの三人の結束は強く チームの志を持っていた。仕事をしているか 寝ているか 飲んでいるか であった。でも重要なのは、この三人の妥協のない議論だった。この三人の議論は真剣であり、そしてみんな自信と覚悟を持っていた。結論は皆で決めた。 間違ったら また議論が始まる。達成感があったし やって良かった そしてまた自信がてきた。三人で一つの事を考え作り上げ 間違ったらやり直しの連続で努力をして 努力して 完成した時 皆で泣いた。皆が 皆を認めて 皆の話をじっくり聞いた。私が24歳で 部下が23歳 22歳だった。年は関係なかった。そして部活のノリだったな。とうとう 完成させた。 絶対に諦めなかった。 シュウ
2012年06月26日
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明日、27日 横浜のS病院に入院します。チョッと調子が悪ですが、希望を持って行ってきます。 シュウ
2012年06月26日
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会社で覚えたことは・・・・会社のルール 憲法は 標準事務手続書 である。ドッチファイル(大)三冊もあり 理解するにも無理があった。先輩に聞いた。「読んでいる間に 事は終わってしまう。」 「教えてやる。」と彼は言った。その通りやったが どうしてもおかしい。違う先輩に聞いた。ぜんぜん違う答えであった。おかしいと思い 標準事務手続書を読んだ。2人とも違っていた。でもマニュアルは標準であり イレギュラーは答えが無い。もう一人の先輩に 勇気をだして聞いた。「いいか 三浦 一人だけに聞くな 多くに聞け そしてお前が判断しろ」標準を知りつつ 皆の意見を聞く今の がん医療にも 通じるものがあると 感じる。色々な先生に聞く勇気と 自分で判断すること同じ病院でもそうだ。「色々な先生に意見を聞きますが・・・・」と前置きをすること。命は 自分 他人では責任が持てない。悔いのない治療を と 付け加えること。会社で覚えたこと その1です。つつぐ シュウ
2012年06月24日
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ジメさんに また怒られるけど仕事の同期2人と飲んだ。いつもの激論だ。良いもんだ。昔を少し思い出す。もう少し長く飲みたかった。帰り何故か 握手をした。お互いに分かっているのか最後かもしれないと思うと 力がこもるものだ。仲間は良い 本当にそう思う。また 激論をしよう また。 シュウ
2012年06月24日
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会社に入って 覚えたことは ・・・・俺の家系でサラリーマンは私だけだった。先祖代々 商売人の家系だ。大学4年の時親父が俺に 自分の会社には 俺を入社させないといった。「自分一人でやれ」 と 言われた。俺は 実家でと・・・ 思っていて 甘えていたのだ。今思えば 親父は オイルショックを経験し 世襲では無理だと思っていたと思う。そして バブル崩壊で 実家の会社は ばらばらになった。その時、俺は本気で「戻ろう うちの会社を立て直すんだ」と思った。親父にそのことを伝えた。「お前が会社にいたら もっと酷いことになっていた。 これからもな」と言われた。俺は 頭が熱くなって 冷静に考えることができなかった。でも今、思う いけいけの俺だった。生き伸びた会社も きっと 残っていなかっただろう。戻っていたら 親戚のみんなに迷惑を かけていただろう。取引先にも 甚大な打撃を 与えていただろう。そして 従業員を守ることはできなかったと思う。きっと 自分の志も 折れていたのかもしれない。 22歳 三浦 会社で覚えたことは・・・ つづく シュウ
2012年06月24日
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お恥ずかしい話だが本でも書きたい気分だ。子供のころ中学は優等生だった。高校生は数学しかできなかった。 先生と証明問題の競争だ。大学は勝負事ばかりで、くそ度胸がここで養われた。就職はラッキーだった。就職しこの会社の社長になってやると思った。従業員、家族、子会社 約1万名を養っていくことを覚悟した。全国の状況をこの目で見てきた。戦略ができた時に 「がん」になった。自信があった。 できると確信していた。 全社員を説得できると思った。それが「がん」で生活も気持ちも周りも一変した。つづく シュウ
2012年06月24日
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横浜のS大学病院 S先生との戦略会議が6月21日に行われた。CT検査 PET検査の結果とALKの検査手順について検討。咳と痰が酷くなり検査結果は不安なものであった。■CT検査画像赤の丸で囲ったところが新しくできたがんである。転移していたのだ。右肺の下葉にあり肺門の近くである。画像からは3cm以上ありそうだ。■PET検査画像PETでも強く集積している。■結果転移をしていることにより樹状細胞療法の効果が出ていないと思われる。現在の私の肺は右肺中葉 原発があり拡大している。右肺下葉 がんが転移し3cm以上ある。左肺上葉 がん性リンパ管症により機能していない。正常に動いているのは右肺上葉と左肺下葉である。 上記の通り 悪化しており 危険な状況にある。 ■ALK検査について2003年の検体は少量のスライスであったためALK検査はできなかった。福島での治療を延期して横浜で気管支鏡をやる。現在、冠動脈の治療のためバイアスピリンを飲んでいる。これが厄介で気管支鏡での検体採取には非常に問題である。気管支鏡検査の一週間前から入院をして点滴による治療が必要となる。よって27日 入院 点滴治療 一週間後 気管支鏡 ALKの結果まで二週間 ALK陽性か陰性かどうか判るまで3週間以上かかるのである。■その後の治療ALK対象であればクリゾチニブを使用する。ALK対象外であれば 右肺下葉に対し放射線治療これは対処療法でありここにしか効かない。そして放射線性肺炎を起こす恐れがありリスクが高い。 ここは考え時である。いままで最大の危機であり 時間との勝負でもある。 シュウ
2012年06月23日
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みんな ありがとう。なんか目が覚めたようなきがする。応援メッセージを見て 久しぶりに 号泣した。そうだ 「戦略事業部の挑戦」 の志を忘れていた。「自分らしく生きる」 この言葉に目が覚めた。俺らしさは 「挑戦」だ。みんな ありがとう。 シュウ
2012年06月19日
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けっこう厳しい状況です。この壁を乗り越えるためにはどうすればいいのか。打つ手がないことが 一番辛い。原発のがんは時間とともに大きくなっている。痰と咳は治まり様がない。このままだと 三ヶ月も持たないだろう。在宅ではなく病院の緩和を考えている。ここまで知っているから選ぶのかな・・・・呼吸器の最後は「暴れる」 水死と一緒だ。俺は、静かに死にたいな。ここまで来てしまった。 シュウ
2012年06月18日
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「人間はそんなに簡単に死なないもんだ」と何時も言っていた。呼吸は生きている基本かもしれない。そして循環(心臓)もそうかもしれない。心肺停止とはそういうことだ。肺が障害がなく正常だと、大きく深呼吸ができる。今の俺は 最大でも10%位かな。戻ってくれ 俺の肺 思いっきり深呼吸をしたい。 シュウ
2012年06月15日
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リレーの寄付金で1.悩みをサポート がん相談相談ホットライン2.RFL奨学金 海外病院へ専門若手医師派遣3.がん検診受診率向上 多くの啓発資料を作成し50%達成を目指す4.プロジェクト未来 新しい治療法、新薬の研究に助成がん患者、家族のために使われている。「がんサポート」9月号の取材で皆が集まりました。8月16日に発売予定。ついにリレーはがん研究に乗り出した。がん患者はなんといっても治ることが望みです。自分達で集めた寄付金が新しい治療や新しい薬に少しでも役に立つようになった。世界で新薬を待っているがん患者に届けよう。患者、家族のために皆さん宜しくお願いします。 シュウ
2012年06月07日
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6月3日に福島から戻ってきましたが咳が止まらず 胸が痛くなってきています。福島には行きも帰りも息子に世話になりました。孫も大きいが 息子もでかい。皆が応援してくれている。でも体調はだんだん悪くなってきている。 シュウ
2012年06月07日
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