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保坂和志「自分という反―根拠」追悼総特集「橋本治」(文藝別冊・KAWADEムック) 今日は一月二十九日。作家の橋本治が亡くなって一年がたちました。今、ここで「案内」している「追悼特集『橋本治』」(KAWADEムック)の中に、作家の保坂和志が橋本治の死に際して「群像」という文芸誌に書いた「自分という反 ― 根拠」という追悼の文章が載っています。 その文章の冒頭で、彼はこんなことを書いています。 橋本治さんの通夜、告別式の会場のお寺は、なんといま私が住んでいる家から歩いていけるところにあった、私はグーグルの地図をプリントして歩いていった、私は橋本さんとは最近全然連絡とってなかった、昨年末、橋本さんが「草薙剣」で野間賞になったから会場で久しぶりに会えると思っていたが当日橋本さんは体調不良で出られなかった。「もうずうっと会ってなかったですね、―― 」「うん、一家を構えるとはそういうことじゃないの?お互い向く方向が違ってるのがはっきりするから、しばらくは会わなくなるものだよ。」 私は通夜の会場まで橋本さんと話しながら行った、でもその橋本さんの通夜に向かっているのだと意識すると、そのたびに脚の力が抜けかけた。通夜以前、野間賞で会えると思った時、私が思う橋本さんは昔の橋本さんで、今の橋本さんの写真を見たりして、この橋本さんと会うのかと意識したときも少し脚かどこかの力は抜けた。 あの頃の橋本治はすごかったのだ。 ぼくは、ここまで読んで、通夜の会場まで話しながら歩いている、橋本治と保坂和志の後ろ姿を思い浮かべながら、二人ともを「本」というか、それぞれの作品でしか知らなということに気付いて愕然とするのです。 ぼくが思い浮かべている、夕暮れの道を歩いて行く二人は、いったい誰なのでしょうね。これが保坂和志の文章だということだけは確信できるのですが、読んでいるぼくの足だか、背中だかの「力が抜けて」いくのを感じます。 保坂和志は「脚の力が抜けて」しまうのをこらえるようにして、あの頃の橋本治が書いた「革命的半ズボン主義宣言」(河出文庫)を引き合いに出し、その「すごさ」を語りつづけます。 橋本治は全共闘世代だったが全共闘は嫌いでひとりの闘いをはじめた、だから橋本治に揺さぶられた若者たちは一人の闘いをすることになった、‥‥‥ いや、そういうことじゃないか?橋本治は何かを語る、訴える、そうするときに、自分以外に根拠を持たないというすごいやり方を実行した。 自分を語るのではない、そこをカン違いしたらだめだ、橋本治は客観的に妥当なものを根拠とせず、自分なんていうまったく客観的でなく妥当性もないものを根拠にして、言い分を強引に押し通して見せた。 人が何か言うということはそういうことなんだと、誰にでも拠り所になりそうなものを拠り所にしてはいけないんだと、拠り所こそ自分で考え、自分のパフォーマンスでそれを拠り所たらしめろと、私は橋本治から教わった。 これが、保坂の結論であり、別れのことばですね。生涯「革命的半ズボン主義」者だった橋本治の仕事のすごさは、一見、互いに、似ても似つかない、「向く方向が違っている」保坂和志の作品群が生まれてくる拠り所を支えていたことに気付づかされたぼくは、ここでもう一度愕然としながらも、思わず膝を打って座り込んでしまうのでした。 「客観的な妥当性」をなんとなくな根拠にしながら、さまざまな作品を読みたがる、ぼく自身の「読み」というパフォーマンスを抉られる言葉だったのです。しかし、一方で、ぼくにとって、面白くてしようがないにもかかわらず、どうしても面白さの説明ができなかった、この二人の作品の「読み」の入り口を「案内」してくれているていかもしれない言葉でもあったのです。 本当は、所謂、命日に、橋本治の最後の文章をさがしていたのです。彼の命日は「モモンガ忌」というそうです。が、まあ、そのあたりは次回ということで。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.01.31
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エランベルジェ原作・中井久夫文・絵「いろいろずきん」(みすず書房) 精神科のお医者んの中井久夫さんが、フランスのお医者さんのエランベルジェさんの童話に、自分で挿絵を描いた絵本があります。「いろいろずきん」(みすず書房)という題です。絵本の最初のページで、原作者のエランベルジェさんがこの童話を書いた動機をこんなふうに話しています。かわいいまごたちへきみたちに赤ずきんの話をしたら「赤ずきんしかいないの?青ずきんがいないのはおかしい、もっといろいろな色のずきんががあるはずだ」と言ったね。そりゃそうだ。どうして気がつかなかったのだろう。そこで、いろいろな色のずきんの話をさがした。どこかにあったかって?それよりも、まず、読んでくれたまえ。 この絵本には「黄色」・「白」・「バラ色」・「青」・「緑」のずきん、帽子ですね、を着た少年や少女が登場します。その子供たちが、いろんな夢を見たり冒険したりする五つの物語が入っています。 ちょっと「青ずきん」の冒険のシーンを紹介しますね。 青ずきんは、ボートをじぶんで動かしてみたくなりました。杭から綱をほどいて、海にうかべました。オールを動かし見ますと、ちゃんとボートは動きます。「わたしだって、できる」と青ずきんは、ボートをこいで、岸からはなれてゆきました。 はっと、気がつくと、沖に出ていました。岸は小さく小さく見えます。ボートの向きを変えようと思いましたが、どうしたらよいかわかりません。吹く風も、海の水の流れも、ボートをどんどん岸とは反対の方向に流します。そのうち波が出てきて、ボートはおもちゃのようにふりまわされました。 特別に大きな波がやってきて、もうだめだ、と目をつむったとき、海が急におだやかになりました。イルカが歓迎するようにまわりを飛びはねました。 さあ、「青ずきん」にはここから、どんな冒険が待っているのでしょう。それは、この絵本を手に取って確かめてください。 絵本の最後には、翻訳して絵を描いた中井久夫さんの丁寧な解説がついています。「五人のずきんたち」について、精神科のお医者さんらしい優しく丁寧な解説です。ぼくはその最後に中井さんがこう書いているの惹かれました。 どのずきんも、話の終わりには「いい子」になったようにみえますが、精神的には一まわり大きくなり、自立し、成長しています。 また、「いろいろずきん」は。子どもの目にうつる大人のすがたが成長につれて変わる物語でもあります。アリエスは、大人による「子どもの発見」という本を書きましたが、これは、子どもによる「大人の発見」の本です。大人が読む意味もあるでしょう。 人と人との関係には「向こう側」と「こっち側」があるということを穏やかに語っている、このニュアンスがぼくは好きなんです。ちなみに、文中のアリエスというのは、「子供の誕生」(みすず書房)を書いた歴史家フィリップ・アリエスのことですが、いづれまた「案内」したいと思っている人ですね。 最後に原作者エランベルジェについては、中井久夫さんのこの解説をお読みください。 原作者アンリ・フレデリック・エランベルジェ(1905-1993)は精神医学者で精神医学史家です。南アフリカのザンベジ川上流に、スイス系フランス人宣教師の子供として生まれ、豊かな自然の動植物と共に幼年時代を過ごしました。九歳の時、突然、ヨーロッパに送られて教育を受けますが、第一次世界大戦によって親との連絡が立ち切れたまま、中学を終え、教養課程で歴史を学んでから、パリ大学医学部を出て精神科医となります。ロシアから亡命してきた夫人と結婚したエランベルジェは生活のため西フランスの小さな町で開業し、その土地の風俗や迷信がアフリカと変わらないのに気づきます。そういう経験が、全部、この童話の栄養になっているでしょう。 なお、彼は、1979年に日本に来て、多くの人と親交を結びました。わたしもその末席に連なっていました。 挿絵は、主に主人公の目から見たように書こうとしました。精神科医が相手の身になろうとつとめるのと同じでしょうか。 余談ですが、我が家のこの本はチッチキ夫人の宝物です。あだやおろそかに扱うことは許されません。表紙の裏には著者直筆のメッセージとサインがあるのですから。追記2022・05・28 最近「カモンカモン」という映画を観ていて思い出しました。子供らしさや素直な子供、成長や発達、保護したり教育したりという子供理解も大切かもしれませんが、同じ社会の中で大人と同じ人間として生きている子供を忘れているのではないかという問いかけを感じたからです。 アリエスの「子どもの誕生」(みすず書房)の案内を、とか言っていましたが、読み直すことさえできていません。普通の人間の普通の生活の中の感情や死生観を歴史として書いたアリエスが最後に残したのは「死の歴史」(みすず書房)ですが、もう一度、その2冊を読み直したいと思っています。追記2023・01・19 中井久夫さんのお仕事の中で、ご本人の医者としての論文や、エッセイはすぐに手に取ることができるわけですが、難儀なのが翻訳です。サリバンやエランベルジェなどの海外の精神科医の仕事の翻訳、カバフィスはじめとするギリシアの詩や、ヴェレリーの詩の翻訳なんかは、著作集を確認したわけではありませんが、意識して探さないと気付けないかもしれません。中井久夫という人の大きさというか深さというかがが翻訳の仕事にはあるような気もします。ここで案内しているのは子供向けの絵本で、エランベルジェの翻訳ですが、内容は中井久夫さんのオリジナルなんじゃないかという気もします。マア、一度、探して手に取ってみてください。ボタン押してね!にほんブログ村「伝える」ことと「伝わる」こと (ちくま学芸文庫) [ 中井久夫 ]
2020.01.30
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野田サトル「ゴールデン・カムイ(3)」(集英社) 「ゴールデン・カムイ」第三巻ですね。まだ、話の全体の姿は見えてきません。しかし、役者がそろい始めました。 表紙をご覧ください。この殺気にみちた老人、手にしている銃はウィンチェスター・ライフルM1892、腰に差している刀は「和泉守兼定」ですね。そうなるとこの人物は明治2年、函館、五稜郭で狙撃された「燃えよ剣」のあの人、土方歳三です。 マンガの舞台は日露戦争直後、明治40年代の北海道ですから、史実としては享年34歳で死んだはずのこの男は70歳をこえた老人というわけです。どうして土方がこのドラマに登場するのでしょう。そのあたりは作品で確認いただくとして、土方歳三の相方として登場するのが元新撰組随一と称された剣の達人永倉新八です。 永倉新八という人は、沖田総司(紹介するまでもない人気キャラですね)や斎藤一(マンガですが「るろうに剣心」で敵役をした人)よりも強い使い手だったことは有名ですが、もともと松前藩の出身で、大正年間まで北海道で生きていたそうです。月形町の「樺戸集治監」とのかかわりが、この「ゴールデン・カムイ」に出てきますが事実のようですね。看守に剣術を教えていたそうです。ネットでお調べになると写真もあります。マンガの絵は、それによく似ていますよ。 ついでに土方が手にしているウィンチェスター銃ですが、「ライフル・マン」とか「ララミー牧場」で育った世代には懐かしいですね。その銃が何故ここに登場するのでしょう。 維新戦争を戦った双方が手にしていた銃器は基本的に輸入製品ですね。アメリカの南北戦争が終わったのが1865年ですが、その結果、余ったり、使い古したりした大量の銃や大砲が誰に売られたのか、海の向こうで国内戦争はじめた人たちですね。だから、ここでこの銃がでてくるのは、結構リアルなんです。 日本の国産の銃の始まりは「悪夢の熊撃ち」としてこのマンガに登場する二瓶鉄造の愛用する「村田銃」ですが、軍用銃としては「杉元君」が手にしている「三十式小銃」ですね。この銃が日露戦争後、改良され旧日本陸軍の「三八式歩兵銃」へと進化?)するわけです。 余談が長引きましたが、話を戻しますが、元新撰組のこの二人が、「不死身の杉元」君、「アシリパ」ちゃん、エゾオオカミ「レタラ」君と「脱獄王・白石由竹」君たちの対抗馬(その一)というわけです。対抗馬(その二)については第4巻で紹介しますね。 さて今回の「お料理講座」です。「サクラ鍋」ですね。馬肉料理。ここではアシリパちゃんが新しい味に挑みます。 そうです、ついに「オソマ(ウンコ)味」を克服する瞬間ですね(笑)。「サクラ鍋」はみそ味に限るというのが杉元君と白石君の意見ですが、異文化理解はいつの時代でも、どこかの舞台から飛び降りる勇気がいるようです。それにしても可愛らしく描いていますね。 これはエゾシカ、鹿肉の食べ方です。ステーキというか「ディア・ロースト」というか、うまいに決まっているでしょうね。 三巻は「お料理シーン」が少なかったですね。代わりに鉄砲のお話でした。では次号をお楽しみに。追記2020・01・30「ゴールデン・カムイ」(第一巻)・(第二巻)・(第四巻)の感想はそれぞれクリックしてみてください。追記2020・10・30最新刊まで、一巻ずつ感想と案内を書こう答という目論見は頓挫しています。続けることは、なかなか、むずかしいですが、本編は今、23巻進行中です。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.29
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2004年《書物》の旅 (その11) 別役実「思いちがい辞典」(ちくま文庫) 先日、(2004年の先日)別役実という劇作家の「賢治幻想 電信柱の歌」という演劇を観ました。傘付裸電球の街灯がついている電信柱の下に宮沢賢治が佇んでいるというイメージのお芝居ですが、まあ、あくまでもイメージです。 さて、その別役実は人間社会の不条理なありさまを描くことを得意とした、現在の日本を代表する劇作家の一人です。著書は戯曲をはじめとして数え切れないほどあります。 僕の手元にも、今、ちょっと見ただけでも「当世・商売往来」(岩波新書)・「日々の暮らし方」(白水Uブックス)・「思いちがい辞典」(ちくま文庫)、という感じで、まだまだあります。こんな事いくら言っても、題だけではよくわからないですね。それでは、とりあえず「思いちがい辞典」の中から、「デンワキ(電話機)」と題されている一章を引用してみましょう。いかにも、別役実という文章です。長くなりますが読んでみて下さい。 「命の電話」というのがある。死にたくなった時にそこへ電話すると、死にたくなくならせてくれるというのである。一部には、「生きる希望を与えてくれるらしいぞ」という説もあるのだが、如何に「命の電話」とは言え、そこまで無謀なことはしていないであろう。利害得失のことを考えれば、生命保険会社あたりが金を出して、これを維持しているのかもしれない。 同じことなら、葬儀社あたりに金を出させて生きたくてたまらない奴がそこへ電話すると、たちまち死んでしまいたくなるよう、「死の電話」というのもあってしかるべきようにおもわれるが、それはまだないのである。 ともかく、電話という現代の錯綜した対人関係を縫う、この奇妙な回路のことを考える時、その最深部には常に、この「命の電話」と、可能性としての「死の電話」が想定されているような気がしてならない。 いわゆる「電話機」というのは、電話という特殊な回路を通じて、いきなりその相手の「生」と「死」そのものに立ち会うことが出来るのであり、その可能性をにらみつつ相手をもてあそぶことが出来るのである。 電話は、ことばを伝達する回路というより、むしろ皮膚と皮膚との接触感覚を送りこむ回路と言えよう。電話は「話す」のではなく「触る」のである。 ひところ、子供たち同士の熱心な電話による会話が、問題になったことがあった。彼等は学校で、もしくはそれに類する公共の場所で、会話することが可能であり現にそうしている相手と、夜あらためて電話で長々と話をするのである。このことは、学校もしくはそれに類する公共の場所での会話とは、明らかに異なった種類の会話が電話では可能なのだ、という事実を示すものであり、それこそ、この種の「触りあい」もしくは「じゃれあい」にほかならないと、私は考えるのである。 そして電話はまた、正面玄関からノックをして礼儀正しく訪問するというより、むしろ裏口から、ベルの音と「もしもし」という儀礼だけを、ほとんど儀礼とも思えないようなやり方で伝え、いきなり侵入してくる。 言ってみれば電話は、「出合う」前に「忍びこむ」のである。気がついた時には、既にそいつは我々の内部にいるのだ。人が、手紙での借金依頼は容易に断れるのに、電話での借金依頼を断り難いのは、そのせいだろう。 電話でその話を聞くことによって我々は、彼が借金をしなければならない事情を、いつの間にか共有してしまっているからである。私自身、手紙での原稿依頼はたいてい断っているのだが、電話でのそれは、たいてい引き受けてしまっている。 かつて文明が手紙というものを発明した時、当時の人びとは賢明にも、手紙文体というものを作りあげた。日常用語でそれがやりとりされたら、それは単なる言葉の伝達ではなく、一方的に相手の生理に侵入し、その個体を損なうものにもなりかねないことを、よく知っていたのであろう。 従って文明が電話を発明した時、我々が電話文体を作りあげなかったのは、致命的な失敗と言えよう。電話は、手紙よりも更に、我々の内部と内部を結びつけるものだからである。 電話でもっとも無気味なのは、ベルがなって受話器を取りあげ耳に当てたとたん、「俺だよ」と言われ、それが誰なのかわからない数秒間であろう。しかもそいつは、そのとき既に我々の内部にいるのである。わけがわからないまま二、三応答があって、「間違いでした」と言って相手に電話を切られてしまうと、その無気味さは、更に確実なものとなる。 つまり、受話器を耳にあて相手に「俺だよ」と言われたとたん、たとえそれが誰なのかわからないにしても、それを聞き、その相手を既に我々の内部に侵入しているものと認めることによって、彼と我々との間に、ある「暗黙の了解」が成立したと見なさざるを得ないからである。 この種の、電話が電話であるというだけの理由で成立してしまう「暗黙の了解」ほど、電話という回路の特殊性を説明するものはないであろう。 ある家庭の、夕食後の団欒の場でその主人に電話がかかってくる。彼は、その場の話題に半分関心を残しながら、電話でのやりとりをし、やがて電話を切る。同時にその場の話もひとくぎりついて、主婦が主人に「どなたからの電話?」と聞く。そこで主人が「えっ?」となるのだ。つまり彼は、誰からの電話かわからないまま、話をしてしまったことに、その時はじめて気がつく、というわけである。 しかも、この場合重要なのは、にもかかわらず彼がその相手と確実に何ごとかを交し得たということであろう。もしかしたら、この家庭のこの場に電話を侵入させた相手こそ「電話魔」と言えるかもしれない。 このようにして現在、我々の文明のある地層に、電話回線を通じての奇妙な生理的共同体が形成されつつある。電話線を切ってしまわない限り、すべての「暗黙の了解」を拒絶し、独立してそれ自体完結した個体たらんとしているどんな人間も、溶解して半身でそれを共有せざるを得なくさせられつつあるのだ。 不安神経症としての「電話恐怖症」は、このあたりから出てくるものに違いない。 ぼくの友人には、本物の「命の電話」のボランティアをしている人もいるわけで、書き出しには「おいおい」というニュアンスがありますが、まあ、そこはそれ別役実ということでご容赦いただきたいわけですが、いかがでしょうか。というわけで、賢治の話はまた今度。(S)発行日 2004・11・4追記2020・01・28 昔、高校生相手に「読書案内」と称して書いていた記事です。時間が15年ほど古いので、取り扱いに注意してください。別役さんは、べつに古びているわけではありません。 2004年《書物》の旅(その1)・(その10)・(その12)はそれぞれをクリックしてみてください。 追記2020・03・12 今年の3月3日に亡くなったというニュースを、石牟礼道子さんの本の案内を書いていて知りました。別役さんも石牟礼さんが苦しんだパーキンソン病だったそうです。82歳だったそうですが、ぼく自身が二十代から読み続けていた人が、次々と亡くなるのはとても哀しく、寂しいものです。今でも上演される戯曲がたくさんあるそうですが、エッセイだけでなく、戯曲なんかも、少しづつ「案内」していければと思っています。追記2020・09・13別役実「台詞の風景」(白水社)の案内は書名をクリックしてみてください。追記2022・09・08 昨日、上記の「台詞の風景」を修繕しました。そのついでにこちらの修繕もしています。 8月の下旬からコロナで寝ていて思ったことなのですが、こうしてブログとかを投稿していると読者のみなさんのアクセス数とかが気になるのですが、アクセス数は、その時に流行っている本や映画について投稿すれば、格段に増えます。で、もともとが、調子乗りですから、ここのところ流行りを追いかけるということになりがちでした。 でも、それって、違うんですよね。「読書案内」を始めたのは今から20年ほど前、仕事で出会っている高校生に「本」を紹介したかったからです。大切なことは「皆さんご存知ない古い本ですが」という、まあ、コンセプトなのですね。 コロナから解放されて、元町商店街を歩いていて、偶然ですが、10年前の、最後の教え子さんに出会いました。 「センセー、ボク、最近、本読んでますよ!」 彼は、今では立派なサラリーマンなわけですが、開口一番のこの発言はうれしかったですね。いい「本」か、本当に「面白い」か、まあ、当てにはなりません。でも、そろそろ30代に差し掛かる彼らが、古本屋の棚とか、図書館の棚で探し直して読んで、できれば「おっ、これ、いいじゃないか!」と言ってくれる「本」を案内することが、ぼくなんかの役割だということを忘れたらあかんなと思いました。 ハヤリ決別宣言というわけではありませんが、古い本に、もう一度しっかり回帰したいと思いました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.28
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池澤夏樹「熊になった少年」(スイッチ・パブリッシング) 「ゴールデン・カムイ」という漫画を読んでいると、アイヌの人たちにとっての「熊」の存在が、かなり詳しく描かれていて、そのあたりがこの漫画の面白さのひとつです。エゾオオカミとかヒグマとかは、山の神、カムイなんですね。 宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」の最後のシーンは熊たちが熊撃ちを仕事にしている小十郎の死を悼み祈るという、ちょっと不思議な光景の描写で胸をうたれます。 最近では川上弘美がデビュー作「神様」という作品で「くま」の隣人を登場させ、主人公と一緒に散歩させるという不思議な味わいの短編を書いていました。 「そのうえ」というべきか、「ところが」というべきか、東北地方を襲った「あのこと」の後「神様 2011」という題で書き直した作品では、放射能に汚染された田んぼ道を防御服も着ないで、やっぱり、「くま」と二人で散歩する話をこんなふうに書いています。「防御服を着てないから、よけていくのかな」「でも、今年は前半の被曝量はがんばっておさえたから累積被曝量貯金の残高はあるし、おまけに今日のSPEEDⅠの予想ではこの辺りには風は来ないはずだし」 なんて、まあ、ヤッパリ、ちょっとポカーンとする世界なんですが、だいたい、この作品の「くま」ってなんなんだろう?って思っちゃいます。 そういえば多和田葉子の「雪の練習生」という作品では「白クマ」が主人公でした。たしか、あの「白クマ」は飛行機に乗ってカナダかどっかへ出かけていったはずでしたが。「小十郎の葬儀」の話が気にかかって、ネットをウロウロしていると、奥野克己という方の「空き地」(ここをクリック)というブログ(https://www.akishobo.com/akichi/okuno2/v9)に全部まとめた話が出ていて、そこで出会ったのが、池澤夏樹「熊になった少年」(スイッチ・パブリッシング)でした。 このブログでは、奥野さんは「アニミズム」について論じていらっしゃっていて、とても興味深いわけですが、ここでは「熊」がでてくるお話として案内しますね。 池澤夏樹さんには「静かな大地」という北海道を舞台にした長編小説があります。幕府の瓦解を機に、淡路島から北海道の静内というところに移住した、作家自身の母方のルーツを描いた作品です。その中にでてくる、山の神を祭らないトゥムンチの一族の少年の悲劇を描いたのが「熊になった少年」です。「静かな大地」は半分はアイヌの話で、本文の中にアイヌの民話や神話をいくつか象嵌した。それは古老の語るのを聞き書きしたものを和訳した、神聖な民話・神話だった。しかし最後に沿える話は捏造することにした。自分の中で木が熟していたのか、まことしやかな民話がすらすらと出てきた。 これが、この作品についての作家のことばです。表紙の北海道の森と熊の姿が印象的で、ここからおしまいのページまで、美しい本です。「今は、わたしたちの嘆きの歌がこだまするばかり。」 島フクロウのこんな嘆きのことばで物語は終わります。お話は読んでいただくとして、坂川英二さんという北海道出身のアーティストが描いた「熊」や「鮭」の挿絵が何ともいえずいいとおもいました。追記2020・01・27「ゴールデン・カムイ」(一巻)・(二巻)の感想はここをクリックしてください。追記2023・03・04 「ゴールデン・カムイ」(集英社)は2022年に全31巻で完結しましたが、物語としては、ちょっとトンボ切れだったんじゃあないかという感想でした。もっとも、感想、ご案内もトンボ切れで、いつになったら完結させられるのかわかりません(笑)。 そういえば、池澤夏樹さんの「静かな大地」(朝日文庫)も、いつの間にか文庫になっていましたが、ご案内できないままです。単行本は古本市場で200円くらいですがが、文庫本は版元品切れで1700円とかになっていて、何が何やら分かりません。作品は読みでのあるいい小説ですよ。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.27
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「2004年《書物》の旅 その12」 藤沢秀行「勝負と芸」(岩波新書) 2019年の夏、久しぶりに東京に行きました。東京は都会だと妙に実感しました。何しろ行く所、行く所、人が多い。ぼくが山手線の電車に乗ったのは、実は今回も乗っていませんが、15年ぶりぐらい前のことです。東京タワーのあたりに泊まって、市ヶ谷の日本棋院に行きました。 ちょっとでも囲碁をたしなむ人には夢の場所ですが、今となっては、何処の駅で何に乗って、何処の駅で降りたのか、全く夢の中の出来事のように忘れ去っていますね。 当時、勤めていた高校で顧問をしていた囲碁部のキャプテンが全国高校囲碁選手権大会に出場したのです。県の優勝と準優勝の選手に出場資格が与えられる大会で、彼は兵庫県の個人戦で準優勝したんです。少しでも囲碁を知っている人なら「ほー、それは凄い。」というにちがいない事なんです。でも知らない人は全く興味の湧かないことでしょう。 知らない人が大半だと思いますが、今日はその話です。 彼は高校に入学した時に初段でした。初段というのは、どこの高校にも、一人くらいはいるレベルなんですが、彼は2年間で6段に昇段しました。6段というのは県のトップクラスの実力です。 世の中にはいろんなゲームがあって、囲碁だけでなく将棋やオセロ、麻雀やトランプカード。対戦相手が一人ではない、複数の相手と戦うゲームもたくさんあります。 囲碁は一対一で戦います。ラッキーとかまぐれという事はほぼありません。体調に左右される事はあるでしょうが、実力相応の結果しか期待できません。要するに本人の脳みそが出来ること以上のコトはできないゲームという訳で、マージャンやトランプカードなんかとはかなり違う感じがします。 ともあれ、ただの初段が、たった2年間で県のトップクラスの実力をつけるということはこのゲームにおいても、ほんとうは、かなり難しいことです。彼はどうやって「脳みそ」を鍛えたのか。切磋琢磨する道場に通っていたわけでもありませんし、今のようにネット囲碁が、まだそれほど盛んだったわけではない頃です。知らない人は不思議に思われるかも知れませんが、基本的には本なのでした。 囲碁について出版されている本は大きくいって三種類あります。入門者や練習用の「入門書」「詰め碁集」。プロの碁の棋譜を載せた「打ち碁集」。それから「エッセイ」。 彼が愛用したのは「詰め碁集」と「打ち碁集」でした。要するにプロ棋士が作った練習問題とプロ棋士の打った棋譜を並べて覚えることで6段になったといっても大げさではないと思います。 たとえば趙治勳という天才プロ棋士がいますが、名人・本因坊といった囲碁のタイトルを総なめにした棋士でしたが、その趙治勳が過去に打った、有名な勝負は書籍化されています。で、その棋譜を彼はほぼ暗記していたと思います。それぞれ一局300手を越える勝負を碁盤の上にそらで再現することが出来たのでした。 彼は名人の棋譜を「趙治勳傑作集(全3巻)」(筑摩書房)で何回も並べなおしながら、どうしてそこにいくのかがわからない「一手」があることを発見します。解説を読めばわかったような気にはなりますが、わからないままその「一手」を覚えます。何度も並べなおしながら、「どうして名人はこの局面でそこに行くのだろう。」 そんなふうに考え始めるとめきめき強くなっていくのです。放課後碁盤に石を並べている姿を横で見ていると脳みそはコンピューターより優秀だ実感しました。 やがて、応用がきき始めるのですね。過去に、たとえば趙治勲が打った棋譜の場面が実際に彼が誰かと対戦して打つ場面に現れたりしません。なのに自分が打つ場面での考え方に変化が起こるのでしょうね。脳が変化して新しい変化に対応するようになったとしか言いようがないでしょう。あらゆる繰り返し練習の基本だと思いますが、囲碁というゲームの上達にとっても、とてもいい練習法だと思います。 もっとも世の中には次元が違うというしかない人たちがいるもので、それが囲碁でいえばプロ棋士です。アマチュアの思考力は一場面からの展開に対する想像力ですが、プロは次の場面、その次の場面からの変化や展開を想像する脳の鍛え方をするようです。プロの実践棋譜でアマから見てよくわからない場面の重要性が、そこに隠されているのです。そういう疑問と出会った時に脳は進化するのでしょうね。他の勉強の場合でもそんなことがあるんじゃないでしょうか。 入学したての新入生に、偉そうに教えると称して2子置かせていた顧問は、そんなモーレツな勉強はしません。だから二年生になったころから彼と打ったりしませんでした。だって「なかなかやるね」なんて言っていた相手に「間違えてますよ。」といわれてしまうのですからね。 というわけで、ヘボ二段の顧問の方はエッセイ集のお世話になる訳です。たとえば「日本の名随筆」(作品社)シリーズの「囲碁」で作家の大岡昇平と尾崎一雄の素人囲碁談義を読むとか、これまた天才棋士だった藤沢秀行の「勝負と芸」(岩波新書)なんていう回顧録を楽しむわけです。 たとえば「勝負と芸」には、破天荒な勝負師の生き方、勝負哲学が書かれています。しかし、元名人・名誉棋聖である藤沢秀行の棋譜の面白さがわかれば、本当は、そっちのほうが面白いに決まっているでしょうね。(S)初稿2004・10・改稿2019追記2020・01・26「2004年書物の旅その10」はこちらをクリックしてください。追記2023・03・10 藤沢秀行が亡くなって10年以上たちました。ヘボ2段は、ヘボ2級まで格落ちし、囲碁の世界に対する興味はほとんど失ってしまいました。件の少年も40歳近くになっているはずですが、その後の消息は知りません。囲碁界では藤沢里菜さんという女流棋士が活躍しているようですが、藤沢秀行さんのお孫さんだそうです。「脳みそ」の傾向性というのは遺伝するのでしょうかね(笑)。 ボタン押してね!ボタン押してね!ヒカルの囲碁入門 ヒカルと初段になろう! [ 石倉昇 ]
2020.01.26
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カルロス・ロペス・エストラーダ「ブラインドスポッティング」パルシネマ (写真はチラシから転載) 二本立てのパルシネマの二本目、カルロス・ロペス・エストラーダ監督の「ブラインドスポッティング」という映画でした。 予備知識ゼロ。休憩時間にパルシネマの「オニーさん」から、先週から放映中の連続テレビドラマ「心の傷を癒すということ」のロケがあったたことが報告されて、ちょっと嬉しかった。なんでやねん! さて、映画は仮釈放保護観察中の「真面目な」黒人青年コリンと、その幼なじみで、一緒に仕事をしているのだが、かなり「おバカな」親友のヒスパニック系の青年マイルズの間で起こる悶着が引き起こす、すれ違いがお話のメイン。 場所はカリフォルニア州オークランド。この町の、多分、独特なニュアンスが大事な要素なんだろうけれど、それは、よくわからない。 何事もなければ、あと数日で自由の身になれるコリンなのだけれど、問題児マイルズやその周辺には、悶着の火種が次々発生する。「あと何日」とか「あと何時間」というのはサスペンスの常道だし、「黒人」と「ヒスパニック」という肌の色の違いや、文化の違から生じる「ブラインドスポット」 まあ、「盲点」をテーマにするのもありがちですね。 それを、わざわざ「クラインの壺」まで持ち出して云々するのは、何だか素人っぽいですね。そう思って見ていましたが、なぜだか、少しだけ感じが違うと思いました。 見終わってみると、ぼくは結構満足していました。どうしてでしょう。 それは、多分、ラストシーンを見たからですね。ラストシーンでは、コリンは折角手に入れた「自由」を、もう一度自分の手で投げ出すような振る舞いに出ます。そこで彼は、「ブラインドスポット」を越えた真実をぶちまけるのです。その時の彼の「叫び」が、今まで見たどの映画とも違ったのです。 帰宅して、この映画の公式ホームページを見ました。そこにはこう書いてありました。ヒスパニック系白人のスポークン・ワード・アーティスト、教育者、舞台脚本家であるラファエル・カザル。ブロードウェイミュージカル「ハミルトン」で脚光を浴びた黒人ラッパー兼俳優のダヴィード・ディグス。この2人はベイエリアの高校で出会い友達と共にフリースタイル・ラップをしながら育った。 この映画の二人は、実際に、ともにバークレーで育った幼なじみで、この映画の脚本は二人で書いたらしいのです。その上、二人ともヒップ・ホップを得意とするアーティスト。監督のエストラーダさんも初長編。 コリンの最後のシーンで延々と続く、怒り叫びは「音楽」だったんじゃないでしょうか。徘徊老人は、ラップなんてよく解らないまま、ダヴィード・ディグスの気合の入ったラップに胸を掴まれていたようですね。監督 カルロス・ロペス・エストラーダ Carlos Lopez Estrada製作 キース・コルダー ジェス・コルダー ラファエル・カザル ダビード・ディグス 脚本 ラファエル・カザル ダビード・ディグス 撮影 ロビー・バウムガルトナー 美術 トーマス・S・ハモック 衣装 エミリー・バトソン 編集 ガブリエル・フレミング 音楽 マイケル・イェツェルスキー 音楽監修 ジョナサン・マクヒュー キャストダビード・ディグス (コリン)ラファエル・カザル(マイルズ) 2018年 95分 アメリカ原題「Blindspotting」2020・01・22パルシネマno19ボタン押してね!
2020.01.25
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Q・タランティーノ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」パルシネマ 2019年の夏に封切られた時に見損ねていました。さすがパルシネマですね、期待通り、半年で二本立てで上映です。さあ、出かけるぞと勢い込んでやってきました。 タランティーノという監督が、うわさだけ聞いていて、初めての体験というのも、ワクワクに拍車をかけて、久しぶりのパルシネマでした。チケットを買っているとこんなチラシが配られました。 予習用プリントですが、ぼくは、原則、チラシも見ないので、見終わってからみて、少し笑いました。その話は後でします。とりあえず、映画の感想ですね。見たのはQ・タランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でした。 レオナルド・ディカプリオ が落ち目のテレビ・スター、ブラッド・ピットが、そのスタント・マン、二大スターそろい踏みで、脇役にアル・パチーノがいます。そして監督がタランティーノとくれば、これだけでかなりワクワクものなのでしょうね。くれば、この監督の初体験のぼくでもかなり入れ込んでいました。 1960年代のハリウッドを描いていて、「映画」の映画、「映画史」の映画になっているらしいことも悪くありません。ヒッピー・カルチャーを描いてシャロン・テート事件を思い起こさせる展開も悪くない。ディーン・マーチンの映画の、おそらく実写のシャロン・テートを、おバカ丸出しのシャロン・テート自身が見るなんてなかなか洒落てます。「プレイボーイ」誌の主催パーティーで、旦那のポランスキーをやっかむスティーブ・マックインのそっくりさんや、ブラ・ピとやりあって負けるブルース・リーのそっくりさんも出てきて笑えます。ブラ・ピの方がブルース・リーより強いんです(笑)。 でも、なんかもったいない感じでしたね。監督の才気は感じましたが、空回り! という感じです。これでアカデミー賞はないでしょう。 この写真がシャロン・テート役のマーゴット・ロビーさんですね。その辺が分からないところですが、きっと似てるんでしょうね。でも、惨殺はされませんでした。多分その辺の作り方が、ぼくには不満だったのでしょうね。 チラシで解説されていましたが「チャールズ・マンソン」という教祖の示唆によるシャロン・テート惨殺事件は、60年代のアメリカの暗部を象徴していた事件だと思うのですが。この映画の時代はJ・F・ケネディが始めたベトナム戦争の泥沼化の真っ最中ですよね。そこにも、全く触れない(気づいていないのかもしれませんが)ハリウッド映画史はちょっとのんびりしすぎてないでしょうか。 解説のチラシを見ていて笑ったのは、書かれていること(シャロン・テートとかチャールズ・マンソンとか)が、今の観客にとって全く未知なんだなあということです。若い人の無知を笑っているのではありません。知っている自分の年齢を笑っているのです。いやはや・・・なんとも。監督 クエンティン・タランティーノ製作 デビッド・ハイマン シャノン・マッキントッシュ クエンティン・タランティーノ 製作総指揮 ジョージア・カカンデス ユー・ドン ジェフリー・チャン 脚本 クエンティン・タランティーノ 撮影 ロバート・リチャードソン 美術 バーバラ・リン 衣装 アリアンヌ・フィリップス 編集 フレッド・ラスキン 視覚効果デザイン ジョン・ダイクストラ キャスト レオナルド・ディカプリオ (TV映画スター リック・ダルトン) ブラッド・ピット (リックのスタントマン クリフ・ブース) マーゴット・ロビー (シャロン・テート 実在) エミール・ハーシュ (シャロンテートの情夫 ジェイ・シブリング) マーガレット・クアリー (ヒッピ―の少女プッシーキャット) マイク・モー (ブルース・リー実在) ダミアン・ルイス (スティーブ・マックィーン実在) アル・パチーノ (「マカロニウエスタンのプロデューサ」マーヴィン・シュワーズ) 2019年161分アメリカ 原題「Once Upon a Time in Hollywood」 2020・01・22パルシネマno18追記2020・02・10ブラッド・ピットがこの映画で、あまりかのアカデミー賞助演男優そうだそうです。なるほど。結構納得ですね。 まあ、イイ感じでしたからね。ボタン押してね!
2020.01.24
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広瀬 奈々子「つつんで、ひらいて」神戸アート・ヴィレッジ・センター 我が家の同居人チッチキ夫人は本屋さんで働いているパートさんです。で、本が好きです。「つつんで、ひらいて」のチラシを持ち帰って来たのは彼女です。「これ、ええと思わん?」「うん、見に行ってくる。」「エエー、仕事やん。」「ぼくはヒマやん。今日で最終やし。」「エエー、私はどうなるの?!」 というわけで、金曜日の朝の10時過ぎ、シマクマ君は一人でアート・ヴィレッジにやって来たのでした。座って、持参のポットからコーヒーを飲んでいると始まりました。 手が映し出されて、なにかが印刷されている紙をクシャクシャにしながら筒状に丸めて、雑巾を絞るようにしてから開きます。もう一度繰り返して、机に広げてしわを伸ばして、コピーをとりました。「酒と戦後派」という太めの文字にひびが入ったようになりました。手の持ち主は、納得したようです。この方が、本を「こさえて」いる人、菊地信義ですね。本の中の文章を書いた人は埴谷雄高です。 もう、このシーンで映画を見ているぼくは「ウフフ」という気分です。しかし、映像は畳みかけてきます。今度は「雨の裾」、五年前に出た古井由吉の短編集の表紙が出てきました。「雨」という文字が写ります。 この本です。「雨」の文字が独特で、金箔です。カバーにはカーテンのような透かしがあって向う側にもう一人の女性がいます。カバーを取ると表紙、色はご覧の通りで、緑がかった灰色で、手触りが独特です。それをあけると中表紙があってレンガ色です。そして、栞の紐の色がもう少し鮮やかな赫です。 それから「帯」です、ぼくは「腰巻」と呼んでいますが、色は白です。透けて見える丈夫そうな紙質で、透かし模様が入っていて、なんと、この本の場合、その模様は一冊一冊すべて違ってくると装丁家菊地信義が語っています。えっ、一冊ずつみんな違うって?! 帰宅して書棚を探し、見てきた映像を思い出しながら「雨の裾」をコピーしてみました。ああ、何ということでしょう。腰巻がありません。ぼくは、読んでいて邪魔になる腰巻を捨てることはありませんが、栞代わりに本に挟んだり、ちょっと横に放りだしたりすることがあるのですが、その結果でしょうか。まさか、腰巻にこの本の唯一性が宿っているなんて思いもしませから、いい加減に紛失したに違いありません。ああ、今となっては後の祭りです。 ここまでが装丁家の仕事です。しかし、映像は続きます。印刷、製本、カバーを掛けて、短冊を入れて荷造り、そして出荷。機械が菊地信義の作品に対する「読み」が込められたデザインの「表現」を形に作り上げてゆきます。この一連のシーンの機械も、職人さんの動きも楽しい。本が出来上がっていきます。 出来上がったばかりの「一つつみ」の同じ本を書斎に持ち帰り、積み上げたり、広げたり、並べ直しながら装丁家がデザインの意図を語ります。 映画の立ち上がりからここまで、一冊の本が出来上がる工程と、ほっとした顔をする装丁家をカメラは捉えています。もう、うっとりするしかありません。 作家の古井由吉や、菊池のお弟子さん(?)の水戸部功をはじめ、多くの人が語ります。どのシーンのどの言葉も菊地信義という「本をこしらえる人」の内側にあるものを浮き彫りにしていく言葉です。 湘南の海と海を見ている菊地信義の姿が写りました。ぼくは手の仕事として「本」を作る時代が、今、去りつつあることを感じました。 のんびりした歌が聞こえてきて映画が終わりました。 フーと息が抜けて、しばらく座り込んでいましたが、しようがないので立ち上がって、受付でパンフレットを買いました。ぱんふれっとをかうには そこから、神戸駅に向かって、ちょっと急ぎ足で歩きました。ひょっとしたら仕事に向かうチッチキ夫人に、このパンフレットを見せる事が出来るかもしれないと思ったのです。 ザンネンながら遭遇することはできませんでしたが、夜になって帰宅した彼女は書棚からあれこれ本を取り出して奥付を調べたり、コピーしたりしているシマクマ君に聞きました。「おもしろかったん?」「ああ、そのパンフお土産。装丁は菊地信義やで。」 翌日の土曜日、チッチキ夫人は十三の第七芸術劇場に出かけてゆきました。 監督 広瀬奈々子 プロデューサー 北原栄治 撮影 広瀬奈々子 編集 広瀬奈々子 音楽 biobiopatata エンディング曲 鈴木常吉 キャスト 菊地信義 水戸部功 古井由吉 2019年 94分 日本2020・01・24・KAVC(no7) ボタン押してね!
2020.01.23
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野田サトル「ゴールデン・カムイ(2)」(集英社) まず、表紙をご覧ください。「不死身」の杉元君とアシㇼパちゃんの二人連れの守護神ホロケウカムイ「レタラ」君登場ですね。現在では絶滅したエゾオオカミが三人目、いや、二人と一匹めか?の仲間ですね。かっこいいですよ。 今回はアシリパちゃんの「コタン(村)」に二人で立ち寄るというストーリーなので、アイヌ民俗学講義のおもむきの展開なのですが、それは読んでいただくとして、とりあえずは「お料理」の紹介です。 今回のお料理講座はまず「イセポ(エゾウサギ)のチタタプ汁」です。「イセポ」というのは「イーッと鳴く小さなもの」という意味だそうで、エゾウサギのことだそうですが、鍋にするようですね。 目玉が珍味らしいのですが、杉元君は困っています。ああ、それから「おいしい」は「ヒンナ」というそうです。 つづいてカジカ汁ですね。カジカは冬の川で獲れるものがおいしいそうです。「キナオハウ」(野菜たっぷりの汁物)というのだそうです。塩焼きもおいしそうですね。 ところで、こうした鍋物には「味噌」という調味料(?)が思い浮かんできませんか?杉元君も携行している「味噌」を取り出すのですがアシリパちゃんは、杉元君が差し出す「味噌」を「オソマ」と呼んで拒否します。「オソマ」というのはアイヌ語で「うんこ」という意味だそうです。 このマンガ家さんは、基本的にこのタイプの下ネタが好きです。 余談ですが、この魚の絵を見て思い出しました。カジカのことを、兵庫県の北部の田舎の子供たちは「グズババ」と呼んでいたように思います。一応、断っておきますが、但馬方言では「ババ」には、どこかの方言のように「オソマ」の意味はありません(笑)。 さて次は「カワウソのオハウ(汁物)」です。一番うまいのが頭の丸ごと煮なんだそうですが、これは、ちょっと大変そうですね。ウサギにしても、カジカにしても、カワウソにしても、獲り方から描かれていますから、なかなか興味をそそられます。やはり、このマンガの面白さの一つはこの辺りにあると、ぼくは思います。 話の筋に戻ります。とりあえずこのページを見てください。 丸刈りの男が、上で紹介した、エゾオオカミの「レタラ」君に咬まれていますね。今回から三人目の仲間として、杉元君とアシリパちゃんの二人に同行し始めるのが、この男、「脱獄王」白石由竹君です。 こう見えて、この男、日本国中の監獄を脱獄してきた強者で、背中に妙な刺青を背負っています。 第一巻で、少し触れましたが、二人がお宝として探し始めた「金塊」の隠し場所は網走監獄を脱獄した24人の囚人の背中に分けて彫られた地図を、すべて集めると見つけられるだろうというお話なのですが、その一枚を背負っているわけです。 次回からも、一人ずつ紹介してゆきますね。では第四巻・第三巻・第一巻は、ここをクリックして見てくださいね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.23
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高橋源一郎「非常時のことば」(朝日新聞出版) 市民図書館の棚を徘徊していて、なんとなく手に取って、読み終わって気付いた。 「いつだったか、一度、読んだ本ですね、これ。」 東北の震災から9年の年月が流れました。昨年亡くなった加藤典洋さんが「震災後」という時間で論じたことがありましたが、このエッセイ集は、まさに「震災後」の渦中に書かれた文章です。 収められた三つのエッセイは、2011年夏季号から冬季号まで、「小説トリッパー」という雑誌に連載された「文章」を単行本にしたものらしいですが、今では朝日文庫という文庫版で読むことができます。 さて、本書、第一章「非常時のことば」はこんな文章で始まります。 とても大きな事件が起こった。ぼくたちの国を巨大な地震と津波が襲った。東日本のたくさんの街並みが、港が、津波にさらわれて、原子力発電所が壊れた。たくさんの人たちが亡くなり、行方不明になり、壊れた原子力発電所から、膨大な量の放射性物質が漏れだした。 高橋源一郎さんはこの文章に続けて、戦後66年間忘れていた「言語を絶する体験」ということが、実際に起こった結果、人々が感じた「ことばを失う」ということに論及してこう書いています。 少なくとも、同じテーマについて、これほどまでにたくさんのことばが産み出された経験は、ぼくたちにはない。それにもかかわらず、ぼくたちの多くは、「ことばを失った」と感じているのである。 震災をめぐって、途方もない量のことばが、人々の口から、あらゆるメディアから、吐き出され続けている世界を前にして、ある疑いを口にします。「どんどんことばが出てくるなんておかしいんじゃないだろうか。」 そして、鶴見俊輔のこんな文章を引用します。 庭に面した部屋で算術の宿題をしていると、計算の中途で、この問題は果たしてできるのだろうかと疑わしくなる。宿題をする時だけでなく、一人でただ物を考えている際にもこの感じがくる。 ひとりで物を考えるのは、へんなことなので、もうひとり別な人がそばに立って「それでいいのだ」と言ってくれなければ、確かでない。ひとりで考えて行って、それでやはり皆の落ち着くところに行けるかしら。考えている途中で「へんだ」と思うときがある。ビルディングの非常はじごを一足ずつ降りるが、あるところで一寸止まって下を見廻し、急に恐ろしくなり、めまいを感じる。そのめまいに似た感じだ。「私に地平線の上に」 人々の口から吐き出されてくることばが、鶴見俊輔の言う「一人で考える」時に感じる「めまい」を失っていないか、という疑いです。 「ことばを失う」ほどの現実に向き合った人間が、ことばを取り戻すときに、ことばのどんな姿にたどり着くのでしょうか。 批評家加藤典洋の「3・11死神に突き飛ばされる」、「恋する虜 パレスチナへの旅」を残して死んだジャン・ジュネの「シャティーラの四時間」、そして石牟礼道子の「苦界浄土」という文章を読み返しながら、高橋源一郎さんは最後にこう叫びます。「そうだったのだ、この場にかけていたのは祈祷の朗誦だったのだ」 えっ、朗誦って何?「ことばはなんのために存在しているのか。なんの役に立つの。ことばは、そこに存在しないものを、再現するために存在しているのである。」「ジャン・ジュネ」 うん、それはわかる。うーん、でも、ようわからん。 水俣病の患者は、国や会社によって、この社会によって。殺されたのである。あるいは、徹底的に破壊されたのである。 だが、人間が、徹底的に破壊されるとは、ただ殺されることではなく、忘れ去られること、そのせいに意味など無かったとされることではないだろうか。 そのことを知って「あねさん」は、これらの「文章」を書いた。そして生涯「文章」などとは無縁だった「坂上ゆき」は、「あねさん」の「文章」の中で、蘇ったのである。その生涯が、どれほど豊かであったかを、証明するために、その文章は書かれたのだ。 それは死にゆく「坂上ゆき」への「祈祷の朗唱」でもあっただろう。 なるほど、「祈り」であり「音楽」であることばの姿か。「非常時のことば」というこのエッセイで引用されている三人の文章に対する高橋さんの読みの展開が、ここに来るとはと、うなりました。 中でも、文中で「あねさん」と呼ばれている石牟礼道子が「苦界浄土」のことばを生みだしていく描写は、このエッセイの白眉ともいうべき文章で、読んだはずなのに忘れていたとは、と、情けない限りです。 本書には、「ことばを探して」・「2011年の文章」という、あと二つのエッセイが収められています。特に「ことばを探して」では、川上弘美の「神様」という小説ついての文章が、目からうろこでした。それは「神様」の案内で書きたいと思います。追記2020・02・14「神様」・「神様2011」の感想はこちらをクリックしてみてください。 ボタン押してね!ボタン押してね!【中古】 非常時のことば 震災の後で 朝日文庫/高橋源一郎(著者) 【中古】afb
2020.01.22
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青木真兵・海青子「彼岸の図書館」(夕書房) ぼくはこの本を市民図書館の棚で偶然見つけました。青木真兵・海青子「彼岸の図書館」。なんかすごい「題」だと思いませんか。「こっち」じゃなくて、「あっち」の図書館ですよ。 「なんだこれ?」 そう思って借り出しました。 感想といっては変ですが、もう少し温かくなって、ちょっと遠くまでの「徘徊」は「奈良県吉野郡東吉野村にしよう。」ですね。だって、「彼岸」があるんですよ。まあ、吉野だし、ホントにあるかもしれないですよね。 さて、大雑把で申し訳けありませんが、本の内容は青木真兵さんと海青子さんというカップルが、奈良県のかなり山奥であるらしい東吉野村というところに、阪神間から引っ越して、私設の「人文系図書館ルチャ・リブロ」を開設運営し、「オムライスラジオ」というラジオ放送で意見や情報を配信している実況中継といえばいいでしょうか? 彼が私淑するらしい内田樹さんをはじめ、内田さんの道場を設計した建築家や村への移住者、若い研究者たちとの対談と、お二人のエッセイが収められていますが、「人文系図書館ルチャ・リブロ」の正体がうまくつかめたかというと、そういうわけでもありません。なにしろ「彼岸の図書館」ですからね。だから、まあ、「ちょっと行ってみようか」という感じなんです。 しかし、青木さんが言う「彼岸」という場所というか、言葉は何となくわかります。宗教の言葉ですが、宗教ではありません。さっきからちょっとお茶らけて言っていますが、この「彼岸」にはとても心惹かれたんです。 「大人が多数を占める社会へ」という、ほぼ、巻末のエッセイの中で、彼は、まず、カール・マルクスを引用します。今時、マルクスですよ。ぼくなんか、これだけでうれしい。(真の)人間的解放がはじめて実現するのは、現実の個人一人一人が、抽象的な公民を自己のうちに取り戻すときであり、個人としての人間が、その経験的な生活、個人的な労働、個人的な人間関係のうちで、類的な存在となるときである。 今は、新訳が出ていますが「ユダヤ人問題によせて」というパンフレット用に書かれた有名な(?)言葉です。 そして青木さんはこう宣言します。 誰もが安心して暮らすためには、自己の中に、抽象的な公民を持つ人間、つまり「大人」が多数を占める必要がある。そして「抽象的」であるからこそ、具体的なアクションは人それぞれに任されている。その一ケースとして、ぼくらは「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開館し続けていきます。 この宣言の鍵になる言葉は、たぶん「公」ですね。マルクスの「抽象的な公民」という言葉の「公」の部分です。 ぼく的にくだいて言うと、人は家庭では「父親」であったり、職場では係長であったり、彼女の前では恋人であったりしますが、それだけだと、生きている「人間」であるということの大切な何かを失っていませんかと、まず問うてみる。 たとえば、彼氏の紹介が「給料明細」と「貯金通帳」と「出身大学の卒業生名簿」であるような恋愛している「わたし」って、疲れませんか?というふうに。 日々の生活や仕事に追われて、フト、「あれ、これって?」って思う、その時、自分の中に取り戻さなければならない価値観は何でしょう?それをマルクスは「公」といういい方で言ってるんじゃないでしょうか。だから、それは社会科の教科名ではないんです。 現代の社会で、何が「抽象的な公民」であることを見失わせているのか。端的に言ってしまえば、お金ですね。 消費社会と呼ばれている、今の社会では「すべてをお金の価値で測ることが大人のふるまいであり、そのような利己的な人間こそが社会人だ」というテーゼが大手を振って宣伝されていますが、それに対する青木さんの批判はこうです。 儲かればいい、売れればいい。儲けるためには差別を煽り、人の尊厳を傷つける雑誌も作る。このような言論が公の場に存在するということは、公が本来的な意味ではなく、単に「利己的な人間が多数いる場」になってしまうことを意味しています。 で、さっきの宣言になるわけです。なんか、とても爽やかな「若さ」、そして「希望」を感じましたね。 でも、なんか、その「キッパリ」とした若さが、仕事とか退職して年金とかいってるぼくには、なんか照れ臭い。ちょっと力んでるよねとか言いたい感じもする。 そう思っている「でもね、しようがない」気分の徘徊老人の目に青木海青子さんのこんな言葉が飛び込んでくるわけです。 「人文系図書館ルチャ・リブロ」は、小さな古い橋を渡って、杉林を抜けたところにあります。川の向こう側の図書館ということで「彼岸の図書館」を名乗っています。この「彼岸」にはもう一つ、「現世の社会や常識から、少し離れた場所」という意味合いも込めています。 ここでやってみてほしいのは、実はただ一つ、「現世での立場、価値観、常識という鎧をいったん脱いで、立ち止まって見る」ことです。 もしかしたら今の私の仕事は、「ルチャ・リブロ司書」より「ルチャ・リブロ奪衣婆(だつえば)」が適切かもしれません。「その鎧は彼岸への橋を渡るには重すぎじゃ、イヒヒヒヒ」みたいな。 大丈夫、此岸では戦をしていても、ここは休戦地帯です。誰も切りかかってこないから、安心して鎧に風を通してくださいね。 「ああ、そうか、立ち止まって『あれ、これって?』って、ちょっと、自分の生活の風景を向う側からのんびり眺めてみる対岸を作ろうとしてはるんや。」 ねっ、この「彼岸の図書館」、やっぱり、ちょっと覗いてみたくなりませんか。 「そうか、駅から歩いて橋を渡って行くのか。」って。追記2023・11・20 それにしても、神戸の徘徊老人には吉野は遠いですね。なかなか、出かけることができません。また、今年も寒くなってしまったし(笑)。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.21
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野田サトル「ゴールデン・カムイ(1)」(集英社) ついに到着しました。ヤサイクンの「マンガ宅急便」、2020年第二弾。待ち焦がれていた「ゴールデン・カムイ」(集英社・ヤン・ジャン・コミック)です。 今さら、何を騒いでいるのだとおっしゃる向きもあるかとは思いますが、何しろ噂だけはあちらこちらから聞くものの、ヤサイクンからは、どなたか別の方に貸し出し中などという無情な返事が返ってくるばかりで、昨年の秋のあいだずっと待ち続けていた作品です。同じ紙袋には「コウノドリ」の最新刊も入っていたのですが、迷うことなく、さっそく読み始めたというわけです。 表紙を飾るのは、「不死身の杉元」こと、日露戦争の激戦地、「203高地」から生きて帰還した杉元佐一元一等兵が銃剣付き「三十年式小銃」を構えているところです。モチロン彼が主人公の一人です。 なぜか舞台は酷寒の北海道の森の中、「不死身の杉元」の本領を発揮し、巨大なヒグマとの死闘を制して名乗る主人公、それを称える、おそらくは、もう一人の主人公、アイヌの少女アシリパちゃんの登場です。 図抜けた武闘派ですが、お調子者で、少々おバカな杉元君と、登場早々、アイヌ式の弓の凄腕を披露し、森の生き物について、これはもう、知恵の塊というべきなのでしょうか、鮮やかな罠や狩猟の技術を駆使し、その上、エゾオオカミまで従えている少女アリシパちゃんのコンビです。 この辺り、キャラクターとしても好みですね。その上こんなシーンもあるのです。 リスのつみれ鍋です。アイヌ語では「チタタㇷ゚ オハウ」というらしいですね。まあ、人によっては、それは…という方もいらっしゃるでしょうが、シマクマくんは興味津々ですね。 今後、巻を追うに従ってがって、いったい、どんなものを食べるのか。今回、見事にヒグマを倒しましたが、食べませんでしたからね、次は何を食べるんでしょうね。 というわけで、この二人が何故、明治の末年、冬の北海道の山中で出会い、ここから何を探して戦いの旅を始めるのか。大きな枠組みは、この第一巻で暗示されています。 お宝は金塊らしいのです。しかし、当面の探し物は網走監獄を脱獄した24人の脱獄囚です。このお宝をめぐる争奪戦は、どうも、紹介した二人、陸軍の軍人、そして監獄で生き延びている謎の男の一味による三つ巴のようですね。そのあたりは、次号以降で少しづつということで、今回はここまで。 ぼくはアイヌ料理の旅が続けばいいのにな、というのが次号への期待ですね。追記2020・01・23第二巻(ここをクリック)はアイヌ民俗学、郷土料理特集ですね。面白くて、やめられません。第三巻・第四巻ここをクリック。追記2022・09・25 全巻、感想、完走を目指しましていましたが、あえなく挫折してしまった「ゴールデン・カムイ」でしたが、最近完結したようです。「完結したらしいけど、まだ買わないの?」「どこまで、読んだか、うん、買ったかわからなくなったから。」「ええー、うちに来てるのは、ええっと、23巻かなあ?」「話がややこしなり過ぎて、読み直し読み直しせな前に進まんからなあ。」「書いてる当人も、わからんようになったんちゃうの?」 まあ、わからんようになっているのは、しゃべっているご当人のお二人なのですが、というわけで、我が家では最終巻の31巻にはまだ届きません。多分、28巻くらいまでは読んだと思うのですが。まあ、とりあえず、第1巻から復習し始めています。追記2022・11・12「ゴールデン・カムイ(全31巻)」(集英社)を読み終えましました。拍手! 途中から、北海道・自然派グルメ・マンガの面白さが消えて、歴史バイオレンス・マンガになっていましたが、最終巻では、主人公のお二人が「干し柿」を食べながら、「ヒンナ!ヒンナ!」と喜んでいました。ほぼ3年がかりの全巻読破ですが、各巻の案内はまだまだですね(笑)。筋がややこしすぎて説明しきれないのです。いずれゆっくりと・・・。今日は、とりあえず、最初の巻の修繕でした。ボタン押してね!ボタン押してね!ゴールデンカムイ 食べていいオソマ 山椒みそ 140g (株)北都集英社 野田サトル 蝦夷 おかず
2020.01.20
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中井久夫編「1995年1月・神戸」(みすず書 今日は一月十七日です。ぼくには、この日に関して忘れられない本が数冊あります。その中の一冊が、当時、神戸大学の医学部の教授であった精神科医中井久夫さんが編集なさった「1995年1月・神戸」(みすず書房)という、阪神大震災における精神科医療の現場報告の本です。 まず表紙の写真を見てください。一人の少年が、こちらを向いてピースサインをしていますが、この写真を撮ったのは、この本の編集者である中井久夫さん、ご自身です。 表紙カバーの裏にこんなキャプションがついています。 兵庫区の歩道に出ていた小さな店を通りかかった時、一人の少年が「ね、食べていってよ、お願いだから」と手を合わせた。いったん行きすぎた私たちが戻ると、黄色い帽子のオジサンが「無理をいったらだめだよ」といった。私は「きみがあんまりかわいいから」といい、ビール(300円)とオデン(250円)を注文した。オジサンは同行の二人の女性に缶コーヒーを出し、決して金を受け取らなかった。 ポラロイドを1枚ずつ渡すと少年はよろこんでとびはね、だんだん像が見えてくるのに新鮮な驚きを示した。 一家かと思った人々は、一組のきょうだいと一組のもとの職場仲間とから成り立っていた。少年は「どこかこの辺りの子」であった。つまり彼はこの店のボランティアであった。 続けてページを開くと本冊の表紙の見返しには地図が印刷されています。 これが表表紙。次が裏表紙。 書店の棚で、この本を触りながら、この表表紙の写真と、裏表紙の地図を見て、ちょっと興奮したことを覚えています。 ぼくは、当時、この地図のちょうど西の端に住んでいましたが、この年の1月から2月の初旬にかけて、西からの電車が動いていたのはJR須磨駅まででしたが、そこから神大病院を目標に避難所をめぐって、若い同僚Y君と、ほぼ毎日歩いていました。職場はこの裏表紙の地図のすこし北にありましたが、生徒は学校ではなくて避難所にいたのです。 表紙の写真のようなボランティアの少年は、通りかかる公園や避難所にたくさんいました。1日に10キロ以上歩いていましたが、この期間不思議と疲れたという記憶がありません。 この地図の行程をめぐって、中井久夫さんと彼を輸送したS病棟長(本書中、白川治の名あり)について、本書の「災害がほんとうに襲った時」の中にこんな記事があります。1995年1月17日10時前後 臨床の指揮を直接取る立場のS病棟医長は私よりもさらに遠い団地に住んでいたが、間髪を入れず、「オカユ」になった家を後にしてただちに出撃した。 しかし機敏な彼にして通常は40分以下の行程に5時間を要した。翌日に出た助手の一人は全体の三分の一に5時間を要してついに引き返した。私は運転ができず、ついでにいってしまうとバイクにも自転車にも乗れない。 到着したSは私に私の到達努力の非なることを連絡してきた。私は結局、最初の二日間を自宅で執務した。 「渋滞に巻き込まれて進退きわまり、数時間連絡不能になることは最悪」であると彼は言い、私も思った。いつも動ぜず、ユーモアと軽みとを添えてものをいう彼は「いずれお連れしますよ、それまで私がいます」と言った。 地震初日から、この地図作成に至る悪戦苦闘の始まりを語るエッジの効いた、さすが中井久夫というシャープな文章なのですが、ぼくは、このくだりを読んで思わず笑いながら涙を流してしまったのです。 というのは、全くの私事ですが、1995年1月16日の深夜のことです。数時間後に大地震が勃発するなどということは夢にも思わない二人連れの酔っぱらいが、三宮からS病棟長の自宅に帰還しS夫人を困らせて騒いでおりました。ようやく、二人のうちの一人、シマクマ君をS夫人が自宅まで車で送り届け、取って返してご機嫌の、もう一人の酔っ払いを寝かしつける頃には日付けも変わっていたという出来事があったのです。 二日酔いであったに違いない(?)S病棟長は、1月17日5時46分にたたき起こされ怒涛の日々が始まったというわけです。 初めて本書を手に取り、この記述に出会った時のことを今でも覚えています。「あの日」、あらゆる道路が大渋滞を起こしていることは言うまでもありませんが、あちらこちらで火の手が上がり、煙が立ちこめ、ガラスの破片がまき散らされている街路にS君はいたのです。5時間かけて病院への道を探し、運転を続けた姿を思い浮かべて、ニヤつきながらも、ある誇らしさを感じたのです。やるじゃないか!この本が、ぼくにとって忘れられない理由はそんなところにもあるわけです(笑)。 さて、この本の読みどころは何といっても「災害がほんとうに襲った時」という中井久夫さんによる、緊急現場報告です。この文章は2014年、最相葉月さんが中井久夫さんのポートレイトのようなインタビュー集「セラピスト」(新潮文庫)を出版なさいましたが、その出版と相前後してだったと思います、「阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか」として無料で(著者・出版社の承諾を得て)、最相葉月さんによって公開されています。本書が手に入れられない場合でも、上記のアドレスにアクセスすれば今でも読めるはずです。是非、お読みいただきたいと思います。 さて、ここから本書に収められているのは現場の実働部隊の人々の生の声、参考資料、チラシ、避難所地図など多彩です。 大学病院の医師・看護師は言うまでもなく、秘書、大学院生、連携した地元の県立病院や個人医院の医師、遠くから救援ボランティアとして来神した精神科医療従事者すべての人の声が収録されています。今でも真摯でリアルな声が聞こえてきます。 そして、最後の奥付を見てください。「1995年3月24日 第1刷発行」となっています。地震が起こったのは1995年1月17日です。災害発生から出版までの時間の短さにお気づきでしょうか。たった二ケ月です。「みすず書房」の編集者も大変だったに違いありません。 しかし、ここにこそ、この本の目的が明確に表れているとぼくは思います。この本は「思い出」をまとめた本ではありません。今まさに悪戦苦闘を続けている被災者や、その救援者に対して、共に戦っている人たちからの励まし、「エール」を伝えるフラグを立てることを目指したのではないでしょうか。 ぼくは、そこに「ほんもの」の医者、中井久夫の真意があると思うのです。かつて、いや、ほとんど同じ時代に、アフガニスタンで井戸を掘っていた中村哲さんに「生きておれ。病気は後で治してやる。」という名言がありますが、あの年の6月にこの本を手に取ったぼくには、中井さんの「一休み、さあ、ここからが本番だ!」という声が聞こえてきたのでした。 なにはともあれ、いろんな意味で思い出深い本であることは間違いありません。どうぞ、一度、手にとってみていただきたいと覆います。追記2020・01・19 いきなり追記ですが、この本を思い出した理由が、もう一つあります。今日からNHKのテレビ放送で「こころの傷を癒すということ」という、実在で、若くして亡くなった安克昌という精神科医を主人公にしたドラマが始まりました。 第一回を見ると柄本佑君が主人公を演じていて、なかなかいい感じでしたが、「安克昌」ファンのぼくは、ちょっと泣いてしまいました。 安克昌さんの「被災地のカルテ」という文章も、上記の、この本に入っています。彼の著書「心の傷を癒すということ」(角川文庫)にも収められていたと思いますが、この本で読むことができます。彼の、この著書は、出版当時、「サントリー学芸賞」を取った本ですが、書棚のどこに隠れているのか行方不明で、ここでは紹介できません。見つかれば「案内」したいと思っています。追記2022・08・13 中井久夫さんが2022年の8月の8日に亡くなってから5日たちました。中井さんはカトリックの洗礼を受けておられたようで、葬儀が垂水のカトリック教会で行われたようです。もう、中井久夫の新しい文章には出会えないのです。学問においてであれ、日常生活の些事についてであれ、人を励ます文章を書き続けてきた人だった、少なくとも、ぼくは学生時代からずっと励まされてきたと、今になって思います。子供のような言い草ですが、亡くなられて残念でなりません。追記2023・01・17 今年も、1月17日が来ました。28年たったそうです。あの時、高校1年生だった少年や少女たちはみんな元気に厄年を越えたのでしょうか。 あの日、助けに駆け付けてくれた義母もこの正月に亡くなりました。当時、小学生だったヤサイ君が「おばーちゃん、あの日のことは忘れません。」と霊前に語りかけるのに涙しながら、あの日、とんでもない渋滞の中、駆け付けてくれた義母や義父の顔が本当にうれしかったことを思い出しました。ボタン押してね!ボタン押してね!心の傷を癒すということ【電子書籍】[ 安 克昌 ]
2020.01.19
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イ・ジェギュ「完璧な他人」神戸アート・ヴィレッジ・センター 今日は一月十七日です。神戸に30年以上お住まいの方にとって、特別の日です。あれから25年たちました。今朝も、あの日のように、少し曇ってはいますが、いい天気でした。 というわけで、我が家では震災記念二人連れ映画鑑賞会を挙行いたしました。 神戸アートヴィレッジセンター、午前10時45分、現地集合、作品は李 在奎「完璧な他人」でした。 凍った湖面に穴をあけるシーンを水中から映しているシーンから映画は始まりました。氷上では少年たちが魚釣りをしています。ここが海なのか湖なのか言い争いをしている二人がいて、それを止める二人がいます。 そこから三十年だかの時間がたったシーンに画面は変わります。あの日と同じ月蝕の夜のことです。「弁護士」、「豊胸手術の美容整形外科医」、「実業家」、「マッチョな体育教師」に姿を変えた「少年」達が外科医の家の食卓に顔を揃えています。今日は外科医夫婦の新築祝いに旧友を読んだという設定です。それぞれ美しい妻を同伴していますが、マッチョのヨンベ君だけは一人です。 まずは、食卓に繰り広げられる料理の数々がなかなか楽しい。ホント、韓国映画はよく食べ、よく飲みますね。韓国料理はよく知らないのですが、いろいろ美味しそうです。 やがて興が乗ってきた一同は、よせばいいのに、それぞれのスマホにどんな電話やメールが来るのか公開するという遊びを始めます。スマホにはスピーカーというシステムがあるようで着信や電話をその場に公開することができるというのが、この映画を成り立たせています。 ピュアな「友情」を信じていた「少年」達はもちろん、愛し合い、労わりあっていた「愛情」を信じていたその妻たちも、れっきとした「大人」であることが暴露されてゆきます。他人事ながら結構ドキドキします。モチロン、他人事ですから大いに笑えます。 結果的に、皆さん、一人の例外もなく、立派な「大人」だったことが判明して「月蝕」の夜の宴は終わります。 「震災記念映画鑑賞会」を終えたシマクマ君とチッチキ夫人の二人は、なかなかご機嫌でした。 映画の結論をなぞって考えれば、「公的な生活」、「私的な生活」、「秘密の生活」という三通りの生活を実践できて初めて「大人の生活」らしいのですが、なんといっても、この二人は「スマホ」に縁がありません。というわけで、「秘密の生活」が成立しません。ついでに言えば、まあ、年齢的な制約もあって「公的生活」も怪しい。となると「私的」などということも、ひょっとしたら、もはや成り立っていないかもしれない。 じゃあ「生活」そのものが・・・・。なんていう心配はご無用、兵庫駅の近所の「円満」なんていう、円満そのものの中華屋さんで、マーボー定食にタンタンメンなんて遅めの昼食でしたが、すっかり元気いっぱい、お腹一杯になって、ノンビリ御帰宅、炬燵でゴロゴロして円満な一日が暮れていきます。「無為徒食」な「生活」は確かにあるのです。 ところで、この映画ですが、スマホとかをチャキチャキ(どんな擬態語がいいのでしょう?)お使いになって、お仕事も交友関係もビシバシという感じの40代くらいの方ですね、そういう方が読者の中にいらっしゃるとしてですが、カップルあるいは御夫婦でご覧になることをお勧めします。きっと面白いことになるんじゃないかと思いますが。 監督 イ・ジェギュ 李 在奎 音楽 モグ キャスト ユ・ヘジン (テス 弁護士) ヨム・ジョンア (スヒョン テスの妻 主婦) チョ・ジヌン (ソクホ 美容外科医) キム・ジス (イェジン ソクホの妻 精神科医) イ・ソジン(ジュンモ レストラン経営者) ソン・ハユン(セギョン ジュンモの妻 新婚 獣医) ユン・ギョンホ(ヨンベ 体育教員 独身) 2018 韓国 116分英語「Intimate Strangers」 2019・01・17・KAVC(no6)追記2020・01・18「大人の事情」という2016年に公開されたイタリア映画だあるそうです。この映画はそれの韓国版リメイクだそうです。そういう意味で、話の展開はありそうな話なのですが、まごうかたなき「韓国映画」だと思いました。 たぶん、モノの食べ方と、男女の会話の機微ですね。韓国語の響きということもあるとは思いますが、会話のテンポは韓国映画でした。それが、また、何となくおかしい。ボタン押してね!
2020.01.18
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別役実「台詞の風景」(白水Uブックス) 今でも、この本が新刊書店の棚にあるのかどうか、いささか心もとないのですが、面白いものは面白いということで案内しようと思います。 劇作家の別役実さんの演劇コラム集「台詞の風景」(白水社)です。もともとは朝日新聞に載せていたコラムだったようですが、白水社のUブックスというシリーズになっています。。 演劇が好きな方には「劇場」で観るということを唯一絶対化する人もいらっしゃるのですが、戯曲を読むのが大好きという方もいらっしゃる。友人で、一緒にナショナルシアターを見ることもあるイリグチ君という男がいますが、彼などはそのタイプで、学生のときから「好きな読書は戯曲を読むこと。」という人でした。まあ、そういう人もいらっしゃるわけです。 とはいうものの、小説ならともかく、「ト書き」と「セリフ」が延々と続く映画のシナリオや戯曲を最初から最後まで読むのはちょっと、という人もいらっしゃるでしょう。そういう、ぼくのような横着な人にこの本はピッタリです。 新書版見開き一頁の半分が有名な戯曲の「極めつけのセリフ」の紹介で、残りに別役実独特のひねりにみちた解説がついています。読了時間約10分で、「ああ、あのお芝居!」と懐かしく思いだしたり、「これって、どんなお話?」と、とりあえずググったりできるわけです。次に批評的解説があって、最後はちょっと笑える。それが約80回経験できるというわけです。お疑いの方のために、ここで、ひとつ例を挙げてみますね。 目 すなわちあの方は、妃の上衣を飾っていた、黄金づくりの留金を引き抜くなり、高くそれを振りかざして、御自分の両の目深く、真っ向から突き刺されたのです。こう叫びながら。 「もはやお前たちは、この身に降りかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も、見てくれるな。今より後、お前たちは暗闇の中にあれ。目にしてはならぬ人を見、知りたいと願っていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。」 このような慨歎(なげかい)の言葉と共に一度ならず、いくたびもいくたびもあのかたは、手をふりかざしては両の目を突き刺し続けました。(ソポクレス「オイディプス王」藤沢令夫訳 紀元前四百三十) アポロンの神託通り、その父親を殺し、その母親を妻としてしまったオイディプスが、母親である妃の縊死を見届けた後、両目を指して自分自身を罰する場面である。もちろんこれは「報せの男」が「コロスの長」に報告している台詞であり、これが終わると同時に、「盲目となり、血にまみれたオイディプスが、従者に手を引かれて館の中よりよろめきつつ現れる」のである。 だれもがこのアポロンの神託について知っており、誰もがこれを避けようと試みながら、そのそれぞれの試みが逆にこの神託をまっとうさせるという、きわめて必然的な流れがここに凝縮されており、我々はほとんどここで息を飲む。人間の悲劇のドラマツルギーとして、これほど洗練され、しかも完成されたものは、ほかにないのではないかと思えるほどである。(別役実「セリフの風景」 作品はエディプス・コンプレックスなんていう言葉でも知られているギリシア悲劇の傑作中の傑作ですが、その戯曲の簡にして要を得た解説です。これだけで、ちょっと岩波文庫を探し始めそうですが、モチロンこれで終る別役さんではありません。 馬鹿な話だが私は、こうした外国の偉大な作品に接するたびに、「そのころわが国では、いったいどんなものを書いていたのかな」と思いながら、こちらの文化史の年表をつき合わせてみることにしている。しかし、このばあいはどうしようもない。いまだにどこにあるのかわからない邪馬台国よりも、ほぼ七百年も前のことであり、我々は先祖はそのころ、泥にまみれて縄文式土器をひねっていたのだ。(別役実「セリフの風景」 ね、笑うでしょ。「ハー、やっぱりギリシアとか中国はちがうな。」なんて、極東の島国の歴史の浅さを嘆き始める方もいらっしゃるかもしれませんが、でも、そこはそんなに突っ込まないで、さらりとこうです。 そう考えてみると、以来演劇は実に多くの、作品を作り出しては来たものの、それほど進歩していないのかもしれない。(別役実「セリフの風景」 で、最後に笑わせますね。さすが別役さん。うまいもんです。 ただ、ギリシア悲劇の最高傑作とされているこの作品も、当時の悲劇コンクールでは二等賞でしかなかったというから、評論家だけは、もうそのころからひどかったのだろう。(別役実「セリフの風景」 本書では、きちんと数えてはいませんが、自作を含む約八十作ほどの戯曲が俎上に載せられて、ご覧になったのように小粋に料理されています。 ほとんどが1990年代くらいまでの戦後の現代劇(だって本になったのが1991年ですから)で、シェークスピアとか戦前のものは一つもありませんが、戦後紹介されたヨーロッパやアメリカのものはあります。紹介者が紹介者なので「不条理系」のお芝居も結構出てきます。 ここではあえて劇作家の名前は出しませんが、その当時からしばらく演劇にはまったぼくには懐かしいライン・アップでした。皆さんにはいかがでしょうね?若い人は全く知らない人ばかりかもしれませんが、そこはあしからず。追記2022・09・07 ナショナルシアターがシネ・リーブル神戸で上映されるようになりました。神戸アートビレッジの折り畳みイス劇場が気に入っていたぼくには、寂しい限りですが、大阪まで見に行くことを思えば大助かりです。 先日、久しぶりにシェイクスピアを見ましたが、なんだかのれませんでした。別に、やっている映画館のせいではありませんが、いろんなことが変わっていくのが、ふとさみしいと思いました。帰ってきて、なんとなく演劇にはまっていたころの、別役実とか思い出しました。そういえば、彼だって亡くなって2年たつのですからねえ。 まあ、そういうわけで、昔の記事を、少し修繕しました。【中古】 思いちがい辞典 / 別役 実 / 筑摩書房 [文庫]
2020.01.17
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西成彦「新編 森のゲリラ 宮沢賢治」(平凡社ライブラリー) 今から十五年も前になるでしょうか、垂水の丘の上の学校に転勤して三年生の授業を担当しました。名刺代わりの「読書案内」でしたが、何だかイキッテマスネ。そのまま掲載します。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 春休みが終わってしまった。ついでに転勤してしまった。「休み前にはまとめて紹介しないと。」 夏休み前にも、冬休み前にも思うんだけど、今回は「転勤前に」だったのに、これが,やっぱり、できなかった。「事前に準備しておく」 そういうことが子どもの頃から全くできない。とりあえず一度失敗しないと真面目になれないと自己弁護して暮らしている。実際は失敗ばかり繰り返している。いまどきの学校の教員としては失格。職員室が嫌いな理由の第一はこのことだからね。 結局、昨年は一年間、とうとう職員室のぼくの机の上は一度も片付かなかった。この読書案内で案内している本もそうで、そういう「~のために」とか、「整理整頓」的な意図は全く持続できない。何となく興味があったり、授業で扱ったりした話題に引きずられて書いている。ドンドン上に重なっていって、やがて収拾がつかなくなる。 ところで昨年の二学期から、ボクにとってだけど、宿題は「宮沢賢治」。学園西町で話題にしていた事を新しい星陵台の読者相手に書き続けるというのもなんかヘンだけれど、まあいいか的のりで書いている。尤も読者していただけるのかどうかは今後の事なので、ホントはよくわからない。 なにはともあれ、十二月に入ってから冬のあいだ、いくつかの「宮沢賢治」関連の本を読んだ。ぼくの疑問は「なめとこ山の熊」のラストシーンで熊達がお祈りするが、それは「何故だ?」ということだった。学園西町の学校で授業に付き合った人たちには問いかけだけはしたけれども、結論があったわけではなかった。 高等学校に限らないと思うが、教員というのは因果な商売で、同じテキストを繰り返し授業する。作品によって何回やってもよくわからないものがある。いい作品の場合が多い。授業をするたびに解釈が変わってしまう場合もある。結局、ボク自身に宿題ということでお茶を濁す。 さて、西成彦というポーランド文学の先生がいる。伊藤比呂美さんという詩人の夫だった人。たぶん過去形だけど、今の話題としては関係ないか?その西成彦が「新編 森のゲリラ宮沢賢治」(平凡社ライブラリー)で賢治の童話を詳しく論じているのにぶつかった。 彼によれば<賢治は何故、祈る熊を描いたのか>を考えるために思い出してほしい作品は中学校の教材で出てくる「注文の多い料理店」だそうだ。山猫亭にやって来た「人間」は自分が料理されるコトになるということを知って仰天してしまうのだが、なぜこんな話が子供向けに書かれたのだろう。西さんは植民地文学という考え方を導入する事でこの問題を解こうとしているようだ。 西さんの説を、ぼくなりの解釈でおおざっぱに言うと「文明」と「野蛮」の関係を逆転させてみるということだ。 文明人は未開社会に対する文化的優位に何の疑いも抱かず近代社会を作り上げてきたフシがあるが、<ほんまかいな?>という疑いを持ってみると、鉄砲担いで山の中に入って猟を楽しむ人たちと、たとえばキリスト教や近代文明を担いでアジアやアメリカ、アフリカに出かけていったヨーロッパの人々の姿を重ねて考える事が出来る。 これって、実に現代的な視点の逆転、発想の逆転の意味もあるのではないだろうか。たとえばイスラムとアメリカという例を思い浮かべてもいいかもしれない。しかし、熊が祈る事についてすきっとわかったわけではない。しようがないね。 西さんのこの説を読んでいて思い出したのが「ますむらひろし版宮沢賢治童話集」<朝日ソノラマ>だ。ますむらひろしは「アタゴオル物語」という傑作マンガで知られているが「賢治に一番近いシリーズ」と銘打ったこの「宮沢賢治童話集」のシリーズもなかなかいいと思う。 登場人物がすべて猫なのだ。挿絵は「風の又三郎」の主人公なのだが、学生服にガラスのマントをはおっている又三郎が猫なのだ。このシリーズでは「銀河鉄道の夜」のジョバンニもカムパネルラも猫。で、猫であるほうがずっとリアルに賢治の世界に入っていけるような感じが、ぼくにはする。 読者もまた猫の世界の住人であること。そこから賢治が物語を作っているのではないかというリアルさ。尤もますむらひろしが描くネコマンガのキャラクターが、初めから好きだというのが前提条件かもしれませんがね。まあ何処かで探して読んでみてください。ちょっと意外ですよ。 というわけで、この春転勤してきた国語の教員です。ぼくは「本」を読まない人を特に軽蔑したりすることはありませんが、「本」も読まずに、受験技術の読解力とかを口にする人は「バカ」だと思っています。ヨロシク。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ というわけで、実に幸せな丘の上の暮らしが始まったのでした。「2004年書物の旅その9」はここをクリックしてください。「その12」はこちら。追記2023・12・20 池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」(作品社)という読書日記の2004年の6月17日に紹介されていました。 どんぐりと山猫というよく知られた童話において、なぜやまねこはどんぐりたちの争いの仲裁を人間である一郎に頼まねばならなかったか?なぜ稚拙な「国語」で書いた葉書を送らねばならなかったか?政治的な役割を負わされた標準的な国語を用いるのは、先住民が弱い立場を自覚してからである。山猫は一郎に権威を求め、一郎はその権威を利用してでたらめな審判を下す。その結果、彼らの友情は一回かぎりで終わる。 このような読みは実に新鮮で知的刺激に満ちている。(P49) 「クレオール」とか植民地主義とかを話題にしながらの紹介で、実に刺激的です。ボクが高校生に案内したのが、今から20年前でしたが、池澤夏樹の日記も2004年、同じころ同じ本を読んでいたんだという殊に、チョット、しみじみしますが、西成彦の本書は、今でも読まれるべき本だと思うのですが。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.16
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鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側(3)」(角川書店) 「メタモルフォーゼの縁側 ③」(角川書店)がやってきました。ハイ、ヤサイクンの「マンガ宅急便」ですね。 今回は、これと言う名場面がないんです。なんというか、次の展開への仕込みというか。「うらら」ちゃんは、高校二年生ってこともあって、何となく進路のこととか、友達のこととか、行き詰ってる感が半端じゃなくて、・・・・ていう感じ。 市野井さんは、市野井さんで、まあ、相変わらずなんだけど、なんといっても老人なわけで、新しい事は、なかなか、始まらない。当たり前ですが。せいぜい「断捨離」頑張ったり、庭の草花の植え替えしてみたり、小豆焚いたり、そういう日常の中でマンガの新刊が楽しみ。でも、まあ、このマンガの面白さは、そういう何もない日常、老婆と高校生の、がいいんですよね。 なんか、ドラマチックでカンドー的なことなんて、ホントはないんですって、マンガで書けるのはちょっとしたことだと思うのです。 で、これがおしまいのページ。でも、まあ、次号では、きっと何か始まりますよ。「市野井さん」の前のめりの様子と、「うらら」ちゃんの思わせぶりな目。ようやく「新しいこと」に目覚めたんじゃないでしょうか。 というわけで、今回は、これでおしまい。 ところで「メタモルフォーゼの縁側」(1)~(2)の感想はこちらをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2020.01.15
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内田樹・鷲田清一「大人のいない国」(文春文庫) 鷲田清一と内田樹、少なくとも関西では「リベラル」の代名詞のお二人というべきでしょうか。そのお二人が、これは見取り図というのがいいのでしょうね、総論的な「大人学のすすめ」という対談で始めて、新聞や雑誌に掲載された、それぞれの評論を各論として配置し、お二人共通の得意分野から現代社会について論じた話が面白い本です。ハヤリというか、話題になっている事象を「身体感覚と言葉」というポイントでまとめた本ですね。 表題は「大人のいない国」というわけなのですが、とりあえず、「大人って?」という疑問に答えるべく、「成熟と未熟」というプロローグで鷲田さんがこんなことをおっしゃっています。 働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること。おしえること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆく上で一つたりとも欠かせぬことの大半を、人々はいま社会の公共的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受け取るのである。これは福祉の充実と世間では言われるが、裏を返して言えば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。 近ごろの不正の数々は、そうしたシステムを管理しているものの幼稚さを表に出した。 ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにしたはずなのである。それでもまだ外側からナイーブな糾弾しかない。そして心のどこかで思っている。いずれだれかが是正してくれるだろう、と。しかし実際にはだれも責任をとらない。 この本は2008年に出版された単行本の文庫化です。したがって、ここで「不正」と呼ばれているのは、東北の震災以前の出来事を指しています。震災以降の被災者の救済や援助、原発事故や放射線被害をめぐっての問題や、最近の小学校の新設や花見の名簿の話ではありません。 にもかかわらず、政治権力の中枢、大企業の経営責任者、高級官僚、マスメディア、果ては司法に至るまで「だれも責任をとらない」社会は、証拠隠滅、被害者のメディアからの隠蔽という「恐怖社会」の様相を呈して広がっています。 震災直後、話題になった「てんでんこ」という言葉を思い出しますが、どうも「何とかの耳に念仏」であったようで、社会全体の「幼稚」化、「大人のいない国」の症状はとどまるところを知らないかのようです。そういう意味で、この本は全く古びていませんね。 詳しい内容なお読みいただくほかありませんが「なるほど」と納得したところはたくさんあります。 が、中でも、第4章「呪いと言論」と題された章にある内田さんのこんな言葉でした。 私が言葉を差し出す相手がいる、それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信念だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信念からしか言論の自由な往還は始まらない。「まず場における正否真偽の査定の妥当性を保証しろ」という言い分を許したら言論の自由は始まらない。 ネット上に蔓延する「ヘイト」をめぐっての論考の結語ですが、ぼく自身「ブログ」などという方法で、誰が読むのかわからない「言論」をまき散らしているわけです。しかし、この案内にしてからがそうなのですが、書いている当人は「カラスの勝手」というわけではなく、「誰か」に向かって書いているわけで、その「誰か」の確定は結構難問なわけです。 とりあえず、内田さんのこの言葉は、一つの灯りのように思えたというわけです。小さな本ですが、考え始める契機になることもあると思いますよ。追記2022・02・06 内田樹と鷲田清一という二人の哲学者の著書には紹介したいものが多いのですが、落ち着いて1冊づつという構えができていません。コロナ騒ぎは収まりそうもありません。どうせ家の中に閉じこもっているのですから、古い本を読み直すいい機会かもしれません。できれば、今年はお二人の足跡をたどり直してみようかと思っています。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.14
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2004年《書物の旅》(その11) 中村哲「空爆と復興」(石風社)15年ほど昔、高校生の皆さんに教室で配っていました。もう、いい年の教員でしたが、教科書の外の世界に目を向けてほしいと願っていたようです。その「読書案内」を「2004年書物の旅」と称して投稿しています。下の記事は、その案内を2020年に書き直して投稿したものです。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 2020年1月、再び戦争が始まりかかっています。そんな現場に軍艦を派遣するという事態が起こりつつあります。「あの国は敵の仲間だ。」と考える人がいることに何の配慮もない愚かしい政策が、やっていることを隠すことでようやく体面を保っているような政治権力によって実施されようとしています。 2004年に出版されたこの本は2001年に始まった米軍によるアフガニスタン空爆の最中から、2003年にかけての最前線の現場で活動するスッタフの皆さんの報告集です。中には中村哲の国会での「自衛隊の派遣は有害無益」という発言も全文掲載されていますが、その言葉を今、もう一度思い出すことから2020年の「読書案内」を始めたいと思います。 2002年の7月に書かれた「復興という名の破壊」という文章の中に、こんな言葉があります。「もう、これくらいで放置していただきたい」というのが一言で述べ得る感想である。現在のアフガニスタンの状況は、大の大人が寄ってたかって、瀕死の幼な子を殴ったり撫でたりしているのに似ている。この一年間、私たちにとって聖歌といえるものは、「情報化社会」が必ずしも正しい事実を知らせず、むしろ、世界中に錯覚を振りまいて、私たちが振り回されることになるのを身にしみて知ったことである。無理が通れば道理が引っ込む。世界を支配するのは、今やカネと暴力である。 昨年(2002年)九月、米軍の空爆を「やむを得ない」と支持したのは、他ならぬ大多数の日本国民であった。戦争行為に反対することさえ、「政治的に偏っている」ととられ、脅迫まがいの「忠告」があったのは忘れがたい。以後私は、日本人であることの誇りを失ってしまった。「何のカンのと言ったって、米国を怒らせては都合が悪い」というのが共通した国民の合意のようであった。 だが、人として、して良い事と悪い事がある。人として失ってはならぬ誇りというものがある。日本は明らかに曲がり角に差し掛かっている。日本の豊かさは国民の勤勉さだけによるのではない、日本経済が戦争特需によって復興し、富と繁栄を築いた事実を想起せざるを得ない。そして富を得れば守らねばならなくなる。華美な生活もしたいが、命も惜しいという虫のよい話はない。殺戮行為を是認して迄華美な生活を守るのか、貧しくと堂々と胸を張って生きるのかの選択が迫られていたといえる。「対テロ戦争」は何を守るのか。少なくとも命を守るものではなさそうである。 2003年12月の「平和を奪還せよ」という文章ではこう書き残されています。 このところ現地では米軍に対してだけでなく、国連組織や国際赤十字、外国NGOへの襲撃事件が盛んに伝えられています。「アフガン人は恩知らずだ」といって撤退した国際団体も少なくありません。 しかし、現地側が当惑するのは、そもそも「復興」が「破壊」とセットで行われ、それも外国人の満足が優先するからです。結局、軍事的干渉は取り返しのつかぬ結果を生みました。人々が生きるための無私な支援なら、どうして武力が必要でしょうか。そのような活動はみなこぞって守ってくれます。私たちは少なくとも地上で、一度も攻撃を受けたことがありません。以前は歓迎された日章旗ですが、「日本政府とは無関係だ」と明言せざるを得ない事情に至りましたが、それでも日本人の誇りというものがあります。 平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さはいります。「平和」は、私たちの祖先が血を流して得た結論のはずです。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下品な行為です。一つの国が軍隊(自衛隊)を動かすことがどんな重大事なのか、おそらく、この愚かさと無関心は、近い将来、より大きな付けを払うことになるでしょう。「日本は既に米国の一州となった」と言われて是非もなく、尊敬されるどころか、攻撃の対象になるのは時間の問題でしょう。ひしひしと迫る破局の予感の中で、アフガニスタンの現状を見て「この償いをどうしてくれる」と言いたいのが実感です。 それでも悲憤を押さえ、「だからこそ自分たちが此処にいるのだ」と言い聞かせ、砂漠化した大地が緑化する幻を見ては、わが身を励ますこの頃であります。 今回の事態においても、「私たちの祖先が血を流して得た結論」であるはずの「平和」が失われる危機に、今、直面しているという認識を「私たち」は共有しているのでしょうか。無知と驕り高ぶった臭いのする傲慢が蔓延してはいないでしょうか。 この本の読みどころは、中村哲のこうした発言の他に、彼とともに「平和を奪還」する仕事に携わっている、現場のスタッフの皆さんの生の声が収録されているところだと思います。460ページにわたる大部の本ですが、手に取ってご覧になってはいかがでしょうか。追記2020・01・12中村さんについて「中村哲ってだれ」・「医者井戸を掘る」・「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という投稿にはそれぞれ表題をクリックしてください。読んでいただければ嬉しいです。追記2020・02・16ロッキン・オンの渋谷陽一さんが「中村哲」のインタビューを公開しました。是非お読みください。ボタン押してね!ボタン押してね!天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い [ 中村 哲 ]
2020.01.13
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ポン・ジュノ「パラサイト 半地下の家族」シネリーブル神戸 「タクシー運転手」ですっかりファンになったソン・ガンホが主演なんですよね。チラシでは目を隠していますが、向かって左端の男です。 チラシを読むまで気付きませんでしたが、カンヌ映画祭のパルムドール作品だそうです。初日のシネリーブルはさほど混んでいたわけではありませんでした。イスズベーカリーの「フィッシュフライ・タルタルソース添え」パンを齧っていると始まりました。 Wi-Fiが繋がらないと騒いでいる、二十歳くらいの男の子と女の子、母親らしいおばさん、その傍らで宅配ピザの箱を組み立てている中年の大男、ソン・ガンホですね。この四人家族が住んでいる建物の構造が、イマイチよく解らないのですが、ここがとりあえず「半地下」の住居らしいですね。 この四人が坂の上の豪邸に、どうやってパラサイトするのかというのが前半ですね。笑えるような、笑えないような、ドキドキするような、しないような、ある種、嘘くさい展開ですが、この辺りは好き好きでしょうね。ぼくは大男のソン・ガンホが曲芸のようにピザの箱を組み立てていたり、母親のチャン・ヘジンがハンマー投げをするシーンとかがおかしかったですね。 韓国では「坂の上のベンツ」というのが金持ちの象徴なのでしょうか。「バーニング」という映画にも、似たような坂道の上の豪邸のシーンがありましたが、この映画では、そこから坂の下を遠景で撮らないで、いきなり半地下生活のシーンというのが面白いですね。 後半は、このお屋敷にも、半地下どころか、地下二階があるという展開でした。北のミサイル攻撃に備えて地下シェルターをコッソリ作った建築家と、その存在さえ気づかない若いIT企業の社長夫婦という組み合わせが仕込まれているのですが、この映画をただのブラックコメディでは終わらせない、監督のたくらみを感じさせます。 映画はこの地下シェルターに住む本物の「地底人」夫婦と「半地底人」家族の対決へと展開し、やがて、ハチャメチャな破局を迎えます。 後半の途中、坂の上のお屋敷から半地下の住居まで逃げ帰るシーンが一番印象的でしたね。長い急な階段を駆け下りていく、社会の底のような街にたどり着くと、半地下住居は、折からの豪雨による洪水で水没している。 坂の上のお屋敷では広い庭でインディアンごっこの降って湧いたリアルに興奮する子供がいて、それを眺めながら、ソファーでセックスシーン繰り広げる夫婦がいる。ごった返した避難所の人ごみの中で「無計画の計画」を説く半地下人のソン・ガンホとその家族がいる。ここまで、畳みかけてくるシーンのコントラストには、構造分析なんて手続きはいりませんね。現代という「時代」と「社会」が鮮やかに浮かび上がります。 街の底から立ち昇ってくる「貧困」の匂いを、厳重なセキュリティーで脱臭しているはずのお屋敷に、アメリカを経由した外部からパラサイトを敢行する寄生虫たち。それに対して、屋敷の地下二階に「韓国」という社会に潜在し続ける無意識のような、旧来の寄生虫を埋め込んでいる構成も俊逸だと思いました。 とうとう、本物の地底人になってしまったソン・ガンホと、彼を救い出すという「かなわぬ夢」を見る息子のラスト・シーンは「現代の奈落」そのものでした。ここまで念を押されると、もう笑えませんね。何はともあれポン・ジュノという監督の名前は覚えました。 それにしても、カンヌ映画祭のパルムドールは2018年の「万引き家族」に続いて、角度は少し違いますが、よく似たテイストの「家族」の崩壊を描いた、アジアの映画なのですね。 こうなったら、ケン・ローチの「家族を想うとき」にも何か賞をあげて、カンヌ「崩壊家族大賞」三部作と銘打って上映すればどうでしょう。「みんなでへこむ映画祭」とか。 ああ、そうでした。お金持ちのパクさんの、お馬鹿で、妙に色っぽい妻を演じていたチョ・ヨジョンという女優さんはいいですね。若き日の若尾文子を思い出しました。顔や体つきは全く似てないんですが、なんか、根っからの天然な感じが似てると思いました。 監督 ポン・ジュノ 製作 クァク・シネ ムン・ヤングォン チャン・ヨンファン 脚本 ポン・ジュノ ハン・ジヌォン 撮影 ホン・ギョンピョ 美術 イ・ハジュン 衣装 チェ・セヨン 編集 ヤン・ジンモ 音楽 チョン・ジェイル キャスト ソン・ガンホ(父キム・ギテク) イ・ソンギュン(金持ちの主人パク・ドンイク) チョ・ヨジョン(金持ちの妻パク・ヨンギョ) チェ・ウシク (ギテクの息子 キム・ギウ) パク・ソダム(ギテクの娘キム・ギジョン) イ・ジョンウン(家政婦ムングァン) チャン・ヘジン(ギテクの妻 キム・チュンスク) 2019年132分 韓国 原題「Parasite」 2020・01・10・ シネリーブル神戸no41追記2020・01・11「タクシー運転手」・「バーニング」・「家族を想うとき」・「万引き家族」の感想は題名をクリックしてみてください。 ところで「地底人」という用語は、四コマ漫画のいしいひさいち、そう「バイトくん」、「がんばれ‼タブチくん‼」の彼が使っていた言葉です。ぼくは彼のマンガの「プガ・ジャ」以来のファンです。追記2020・01・15ツイッターで教えられました。家政婦役の「イ・ジョンウン」さん、「タクシー運転手」でも、「焼肉ドラゴン」でも出会っていたんですね。名前が覚えられないボクも新しい女優さんの名前を覚えられました。この人の存在感は、とてもいいですね。それにしても韓国映画にはいい役者さんがいますねえ。追記2020・02・10 2020年のアカデミー賞なんだそうです。うーん、ほかのどれがという気はありませんが、これですか!?という感じですね。でも、受賞はめでたいですね。 ボタン押してね!ボタン押してね!nno41
2020.01.12
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「ナショナリズムの克服」(集英社新書) ほぼ十年前に高校生相手に書いた「案内」です。今年は東京でオリンピックだそうで、案外ピッタリかなと思って復刻します。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 北京でオリンピックをやっていて、テレビがやたらオリンピック化していて、ウザイ。海外旅行どころか国内旅行もほとんど出かけない僕が、唯一行ったことがある外国の首都が北京だから、ぼくは中国びいき。 天安門広場というものを実感したくて行ったのだが、ぼくの予想をはるかに超えたところだった。日本なんて要するに海の彼方の弱小国だと中国歴代の王朝の人々は考えたに違いないな、と、その時、実感した。農薬混入餃子とか、開会式の口パクとか、いろいろ批判されているが、そんなに言わなくても良いじゃないか、そんな感じで見たり聞いたりしいる。 歴史的に見れば1964年の東京オリンピックのときの日本だって、その当時の技術や常識として、かなりなことをしていたんじゃないだろうか? 『公害』とか『人権』とかが、こっち側の常識となったつもりで向こう側を指差していろいろいっているけれど、日本の農薬の使用の現状だって、果たして胸を張ってよその国のことをいえるような様子なんだろうか。TV放送の場面から垣間見えてくる人権無視や見かけだけを追い求めている実情だって、決して世界に誇れるような様子ではないだろう。番組制作の現場では口パクなんて、きっと常識化しているに違いない。テレビのニュース・キャスターと呼ばれている芸能人。彼らには、もう、ニュースを冷静に客観的に伝えるという報道のイメージはない。主観的感情の垂れ流しをやっているに過ぎないように見えるからそう呼ぶのだが、彼らの口調には、日本は大丈夫で中国はアブナイと先験的に考えているのではないかと疑いたくなるところがある。その上、それを口に出して言っても平気だとでもいう程度の感覚しかないので、とても国際的とは言えないだろう。特にアジアの国々に対して、根拠のない上から目線が氾濫しているのではないだろうか。 今回案内する「ナショナリズムの克服」(集英社新書)という本の中にこんな会話がある。森巣博 ルース・ベネディクトの『菊と刀』や、和辻哲郎の『風土-人間学的考察』を皮切りに、暇にあかせて読みまくった膨大な日本人論のどれに対しても、違和感を覚えるばかりでした。第一、どの著作も、論の骨格であるはずの肝心な『日本』および『日本人』の定義を非常にあいまいな形で処理しているんです。姜尚中 共通しているのは『日本・日本人はどこか特別なんだ』という漠然とした自意識です。 ぼくみたいに、あっちのほうがすごいなあ、と手放しで感心する必要もないけれど、よその国と比べて、自分の国は特別で、人間的で、安全で、正しく美しいなんてふうには考えないほうがいいのは当然なんじゃないだろうか。大げさな抑揚で語るテレビキャスターを見てると、世界の果ての井戸の中の蛙の主張を聞いているようで、うんざりしてしまうのだ。 ちなみに森巣博は「無境界家族」(集英社文庫)という快著がおもしろい、自称国際的博打打ちで小説家。発言中にある「菊と刀」(講談社学術文庫)や「風土」(岩波文庫)は日本論の古典的名著。 姜尚中はいわずと知れた硬派の東大教授。最近では「悩む力」(集英社新書)、「在日」(集英社文庫)とヒットを連発している政治学者。(「菊と刀」は光文社古典新訳文庫で新訳が出た。どっちでもいいと思うが、乞う!ご一読。) テレビ放送も、日本選手が勝てそうな競技を放送するのだけれど、メダル、メダルとうるさい。オリンピックは参加することに意義があると子供の頃に教えられたように思うが、どうもそういうわけではなさそうだ。フェンシングなんて予想もしなかったのだろう、騒ぎ方が不自然で気持ちがよくない。なんて、ぶつくさ小言幸兵衛になっていると、陸上競技400メートルリレーで日本チームが銅メダルを取ってしまった。はははは。 100メートルの朝原選手がついにオリンピックでメダリストになったのだ。実は彼の高校時代に教室で教えたことがある。走り幅跳びでインターハイに優勝して以来、20年近く走り続けて、おそらく最後のゴールがオリンピック銅メダル。おめでとう!(S)2008/09/09 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 別に予言するわけではありません。ラグビーのワールドカップでのはしゃぎ方を観ていても予想できると思います。金にまみれたスポーツの祭典の報道は、ドを外れるに違いありません。ぼくは東京にもテレビにも近づくつもりはありませんが、何十万もする観客席チケットにはしゃぐ世相にはついていけません。もう始まっているフシもありますが、「ニッポン」を連呼する前に、一度立ち止まってみるのも悪くないのではないでしょうか。追記2020・08・23 この記事をブログに載せた時点で「東京オリンピック」は開催される予定でしたが、新コロちゃん騒ぎで、一応、延期ということで、2020年の夏は終わろうとしています。 この間の関係者(?)の言動は、オリンピックという行事が「金」にまみれていること、安易なナショナリズムを蔓延させる装置であること、便乗政治家のイメージのためにあることを、文字通り「赤裸々」に露出させてきましたが、果たして、来年、おさまらない新コロちゃんの東京の、予想される酷暑の中で開催するのでしょうか。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.11
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ヌリ・ビルゲ・ジェイラン「読まれなかった小説」シネリーブル神戸 2020年、初鑑賞は「読まれなかった小説」というトルコ映画でした。ヌリ・ビルゲ・ジェイランという監督は「雪の轍」という作品をはじめ、カンヌ絵映画祭のパルムドールを複数回とっている人らしいですが、ぼくは知りませんでした。 三時間十分という長さと、チェーホフ、ドストエフスキーに捧げるというキャッチコピーに惹かれて選びました。昨年の秋から、長い映画にハマっているのかもしれませんが、長いからといって感動するとは限らないということに、そろそろ気付き始めてはいます。でも、「見たゾオー!」という満足感はやはりあるわけで、一年の最初の作品はこれかなと期待してやってきました。 青年がバスに乗って帰ってきます。高台の上から谷間の町が見渡されて、映画が始まりました。 会話、会話、会話、この映画は主人公の「青年」と誰かが語り合ったり、青年が誰かにお願いしたり、言い合いしたり、ひたすら「青年」をめぐる会話の洪水でした。 「父と子」という、かなり古典的な葛藤が「青年」の側から語り続けられている感じです。「私小説」というジャンルがありますが、似た印象を受けました。そう思って見ているからかもしれませんが、カメラはほとんど「青年」の肖像を撮り続けている印象です。 作家を夢見る、この凡庸でおしゃべりな青年の周囲の世界は、対照的ともいえる印象的なシーンの洪水です。 ガルシア・マルケスや、多分、見たことのある女流作家(バージニア・ウルフ?)の写真が貼られた書店の光景。父を語る母のチェーホフを想わせるセリフと降りしきる雪。港の上空を飛び交うカモメの群れ。 中でも強烈なのはマルケスのイメージです。無数の蟻にたかられる赤ん坊のエピソードは「百年の孤独」の世界になかったか?こんなふうに、ふと、思い浮かぶイメージの際限のない乱舞。 そんなふうに意識を揺さぶられてしまえば、生活者としてはどうしようもない博打うちであるにもかかわらず、異様に善人である、この父親は、どの作品だったか(「罪と罰」のマルメラードフか?)はわからないけれどドストエフスキーの登場人物の誰かに似ていることになっていきます。 トロイの木馬の腹中の闇。深い井戸に垂れ下がる首吊りのロープ。死んでいる父の顔と腕にたかる蟻。村に取り残された少女の風に舞い上がる長い髪。すべてがアレゴリカルで意味深なんです。 要するに監督は「文学」へのオマージュとでもいうのでしょうか、捧げものとしての映画というコンセプトとひたすら戯れる映像をつくりあげようとしていたようです。 とどのつまり、父親が放置していた涸れ井戸を、再び掘り始めた青年は、まさに、志賀直哉の「和解」の主人公そのものだったのではないでしょうか。 「そうか、その井戸を掘るのか?」 しみじみしてしまった最後のこのシーンでは、やはり哄笑すべきだったということに歩きながら気づきましたが、後の祭りでした。 イヤ、本当に摩訶不思議な、それでいて魅力的な映画でした。 「いやはや、なんとも、・・・」 蛇足ですが、山場で流れる挿入曲は、多分、バッハなんですが、トルコの映画にバッハが流れるのも、ちょっと不思議な感じがしました。しかし、まあ、世界文学が相手みたいですから、音楽はやっぱりバッハかな? 監督 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン 製作 ゼイネプ・オズバトゥール・アタカン 脚本 アキン・アクス エブル・ジェイラン ヌリ・ビルゲ・ジェイラン 撮影 ゲクハン・ティリヤキ 美術 メラル・アクタン 衣装 エムレ・オルメズ 編集 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン 音楽 ミルザ・タヒロビッチ キャスト アイドゥン・ドウ・デミルコル (シナン・カラス主人公) ムラト・ジェムジル (イドリス・カラス 父) ベンヌ・ユルドゥルムラー (アスマン・カラス 母) ハザール・エルグチュル(ハティジェ 風に髪が舞う少女)2018年189分トルコ・フランス・ドイツ・ブルガリア・マケドニア・ボスニア・スウェーデン・カタール合作原題「Ahlat Agaci」(The Wild Pear Tree・野生の梨の木)2020・01・08シネリーブル神戸・no40追記2020・01・10 チラシの解説によれば、井戸掘りの話は、トルコのノーベル賞作家オルハン・パムクの「赫い髪の女」という作品にあるそうです。これは読んだことがありませんでした。 これも、チラシに載っている野谷文昭さんの解説によれば、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」のラストシーンは無数の蟻に運ばれる赤ん坊だそうです。ああ、これは読んだのに忘れている。いやはや、忙しい事です。追記2020・01・11 挿入曲はやはりJ.S.バッハ「パッサカリア」だそうです。いい曲ですね。ズーッと、印象としてですが、音楽が耳に残ります。 ついでですが、青年が隠れた「トロイの木馬」はブラッッド・ピットの主演映画「トロイ」で使われた木馬なんだそうですが、見ていませんね。ザンネン!ボタン押してね!ボタン押してね!雪の轍 [ ハルク・ビルギネル ]
2020.01.10
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友部正人「誰もぼくの絵を描けないだろう」(SONYレコード) 「誰もぼくの絵を描けないだろう」 友部正人誰もぼくの絵を描けないだろうあの娘はついにやっては来ないだろうぼくの失敗は ぼくのひき出しの中にしかないこの砂のような夜を君に見せてあげたいんだだからもう5時間もこの丸テーブルの前に座り込んでる心臓をかすめて通るはビルディングの直線直線の嵐の中で人は気が狂うだろう女のスカートに男が丸呑みされるのを見たんだ女は最後まで男を愛せないだろうぼくは死ぬまで道路になれないだろうぼくは北国からやって来た南国育ちの君のからだに歯形を付けるために長い長い旅暮らし夜には寝袋に潜り込みボーッボーッて寂しい息をするうんとうんと 重たい靴をはくんだ歩いているのが ぼくにもよくわかるように一度始まれば もう終わりはない地球の胸板に 顔を埋めゆうべ ロバになった夢を見た…扉を開けばそこは北国 ぼくの吹雪の中を彷徨うのは誰だまたいつか君のところへ 帰って行く日が来たらぼくが渡った川や もぎとった取った季節の名前を地図のように広げて 君に見せてあげるよ大きな飛行機に乗っている夢でも見てるのかな記憶と酒を取り替えたまま地下街でまたひとり労務者が死んだ法律よりも死の方が慈悲深いこの国で死んで殺人者たちと愉快な船旅に出る西灘の岸地通りにあった六畳一間のアパートに住んでいたことがあります。鍵なんてかけたこともない暮らしでしたが、部屋に帰ると、灯もつけない部屋で、勝手に上がり込んで、いつもこのLPを聞いていたK君という友達がいました。今でも彼の姿が浮かぶと聞くのがこの曲です。 作家の諏訪哲史の「紋章と時間」(国書刊行会)という評論集を読んでいて、懐かしいこの歌を「詩」として評価するこんな文章を見つけました。 世に「歌詞」と呼ばれているもの、それは音楽の付属物ではなく、音楽そのものだと僕は思います。詞、そしてすべての言語芸術は、一面、文字という空間的要素を持つものの、その本質は、折口の言語情調論を引くまでもなく、節や拍子の連なりから成る「持続」、つまり時間芸術であって、言葉を用いたあらゆる芸術は、極端な話、ドローイングや書道をも含め、まずは音楽に等しいものだと僕は考えます。 すべての言葉が音楽であるからには、そうした音楽らしい音楽を破壊する音楽もまた音楽で、とすれば、言葉もを毀す言葉もまた言葉であり、僕はこうした自壊と内破の力を孕んだ「言葉の正統から避けられた鬼子としての言葉」の中に、言葉の「美」もまたあるように思います。今回取り上げた言葉、本来リリカルな旋律を伴った詞であるこの作品は、ぼくにとってその意味で、まさに美しい日本語です。 この作家の言葉は、K君のように、この曲を繰り返し聴いた人の言葉だと思いました。そして、ぼくより十幾つか若いはずの作家が、そんなふうに、この曲を聞いていたということに、何だかドキドキするものを感じました。うんとうんと重たい靴をはくんだ歩いているのが ぼくにもよくわかるように K君が神戸を去って40年たちます。ぼくは相変わらず神戸の街を歩いています。 友部正人の「詩」は単独の詩集もありますが、現代詩文庫(思潮社)に「友部正人詩集」としてまとめられています。ボタン押してね!にほんブログ村友部正人詩集 (現代詩文庫) [ 友部正人 ]
2020.01.09
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西脇市 山手町あたり その2 徘徊日記2020年 西脇の山手町といえば「来住家住宅」ですね。「きし家」と読みます。信州の須坂に「田中本家」というお屋敷があって、2019年の夏に訪ねましたが、こちらは毎年前を通りながら、本日も前を通るだけでした。 お正月飾りがしてあって、本日は休館日です。 お屋敷の前の小川には、鯉が泳いでいます。加古川の支流の杉原川から引かれた水路ですが、水量は一年中たっぷりあります。網がかけてありますが、上空からのサギやトンビの攻撃よけでしょうか? 西脇の山手町といえば路地ですね。自動車では入れない路地の街です。 おばーちゃんが娘さんと、娘さんのお孫さん、だから曾孫さんをお見送りでついていっらっしゃるようですね。向こう側の路地の土壁には、懐かしい落書きも残っていました。お孫さんが、お隣の壁にいろいろ描いたのは、もう20年ほども昔のことです。 もう、20年以上前の落書きですが、犯人は「立派な(?)」社会人になって、時々このブログにも登場しているような気もしますね。時が経つのまことに早いものです。 信州の須坂の記事はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.01.08
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「山手町あたり」徘徊日記 2020年 お出かけ徘徊 西脇市 兵庫県のへその町、西脇市です。播州の北のかなめというのでしょうか、杉原川と加古川が合流するところです。 その西脇市の山手町にある童子山公園の南のふもとに「観音堂」があります。ここが今年2020年の初詣、三軒目でした。この裏の石段を上がっていけば童子山公園です。 サカナクンの自動車に同乗してのおばーちゃん訪問でやって来たのですが、おばーちゃんは「お観音さん」と呼んでいます。 お隣には「お不動さん」が立っていらっしゃいます。 お不動さんの背中には火炎がブリキで配置されていたらしいのですが、ちょっと錆びてしまって、少々哀れです。お顔はなかなか可愛らしい表情でした。 その隣がお地蔵さんです。 普通、お地蔵さんは横並びでいらっしゃると思っていましたが、ここでは縦並びですね。頭巾も前垂れも新しくて、お花もお正月用でしょうか、お掃除も行き届いていました。 さて、そのお隣がどなたでしょうね。三十数年前にお出会いして以来、何度も拝見しているのですが、この方はどなたなのでしょうね。 どうも、小鬼を二人引き連れていらっしゃるようなので「地獄」界隈の方なのでしょうかね?お顔は中国の賢人風なのですが、高下駄が天狗の眷属風で、住んでいらっしゃるところが洞窟ふうなんです。中々興味をそそられる風体の方ですが正体はわかりません。 観音堂の隣は明治の初めの小学校の跡地だそうです。記念の石碑がありました。 学校跡地の草むらには、これは「千両」でしょうか。赤い実をつけた灌木がありました。 前の庭には大きな銀杏があります。 けっこうな樹齢を感じさせる大木ですが、背が伸びないように剪定されているのがザンネンです。冬の青空に大箒という感じでよろしいですね。 誰もいらっしゃらない、それでいて、お掃除とかお花とか篤信の気配のする小さな観音堂の初詣も、なかなかなものだと、ひとりで納得の、いつものシマクマ君でした。 この後、もう少し山手町を徘徊しますね。追記2020・01・07 三人目の岩窟の老人は「役小角(えんのおづぬ)」、通称「役行者(えんのぎょうじゃ)」らしいですね。飛鳥時代の人らしいですが、呪術の達人、まあスーパーマンですね。ぼくでも知っている伝説はいろいろあります。前鬼と後鬼の二人の鬼を従えていらっしゃるのが特徴らしいですね。 栗本薫の「魔界水滸伝」とかにも登場なさっているらしいです。昔読みましたが、わすれてしまいましたね。 ブログを読んでいただいたらしく、昔の同僚だった社会科の先生に教えていただきましたよ。N西さんどうもありがとう。ボタン押してね!
2020.01.07
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ジョセフ・L・マンキウィッツ「イヴの総て」ナショナル・シアター・ライヴ 2019 学生時代から、足掛け40年、「お芝居」とか、「映画」とか、自分ではもう読まないとか言ってますが「小説」とか、「あれ、面白いよ。」と声をかけ続けてくれているおにーさんがいます。通称「イリグチ」君。「ああ、シマクマ君?ナショナル・シアター見に行きましょか?」「うん、行くつもりやってんけど、じゃあ会場でね。」やって来たのが神戸アートヴィレッジ。演目は「イヴのすべて」。 原作はジョセフ・L・マンキウィッツという監督の映画ですね。マンキウィッツという監督はエリザベス・テーラーが主演した「クレオパトラ」とか、カーク・ダグラスとかが出ていた「大脱走」とか撮った人です。 この芝居は、1950年公開で、その年のアカデミー賞を受賞した映画「イヴのすべて」の劇場版です。 劇中、大女優「マーゴ」を演じているのはジリアン・アンダーソン。彼女に寄生虫のように取り付いて、やがてその地位を手に入れるであろう若き女優の卵「イヴ」を演じるのはリリー・ジェームス。演出はイヴォ・ヴァン・ホーヴェ。 映画が始まって、しばらくして、思い出しました。主演のジリアン・アンダーソンは「欲望という電車」の主人公ブランチ・デュボアを演じていた女優さんですね。あのお芝居での、この女優さんは微妙な表情の変化が印象的だったんですが、今回もその演技には堪能しました。 演出は舞台の進行と映像を組み合わせる斬新(?)ものでしたが、果たしてうまくいっていたのかどうか、判定は難しいでしょうね。 その場に、つまりは見えている舞台上に、今いない人物の行動をカメラが追うんですね。ドアの向こうに消えた人物がそこで何をしているのかを、観客に見せるわけです。 映画では当たり前ですが、お芝居でのこの演出は見ている人によって感想が変わるでしょうね。ぼくはいかにも「映画」のリメイクの舞台だなあと思いながら、何だか、舞台で見るお芝居としては「五月蠅い」ものを感じました。 映画が終わって、新開地の商店街を歩いていると「イリグチ」君が、しゃべり始めました。「ナショナルシアターゆうてもな、やっぱり玉石混交やねん。あんな、チェーホフの芝居で木い切る音は聞こえてくるけど、切ってるとこ見せたりせえへんやろ。」「あの映像のこと?」「うん、あれはあかんなあ。」「わかりやすいいう面もあるんちゃうかな?」「うーん、お芝居としてはどうかな?ぼくは納得できまへんな。」 いろんなジャンルで、「わかりやすさ」が「おもしろい」につながる傾向があります。感想も言いやすい。学校図書館の司書さんや本屋の店員さん、その結果なのか出版社のキャッチ・コピーもが「泣ける本」、「怖い本」、「すぐに・・・できる」という具合で、「わかりやすさ」が氾濫しています。 「これはちょっとおかしいぞ。」 そういう視点は、やはり大切なのではないでしょうか。60年以上も前の映画が舞台になって甦るときに、今という時代の「病理」が、その方法において浮き彫りになっているというのは、なかなか興味深いと思いました。 作 ジョセフ・L・マンキウィッツ 演出 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ キャスト ジリアン・アンダーソン リリー・ジェームズ 原題「All About Eve」 上演劇場「Noel Coward Theatre(ロンドン)」 収録日「2019・4・11」 2019・12・14アート・ヴィレッジ追記2020・01・07 同じナショナルシアターライブにシリーズ「欲望という名の電車」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!イヴの総て 【BLU-RAY DISC】世界名作映画■栄冠のアカデミー最優秀作品賞【新品DVD10枚組】日本語字幕
2020.01.06
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羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社) 14巻まで読んで、待つこと二ケ月、羽海野チカ「3月のライオン(15巻)」(白泉社)12月に発売されましたよ。 これが最新刊の最初のページです。少女マンガですねえ。ホント。それで、最後のページがこれです。 月島でもんじゃ焼きを食べて、みんなで歩いて帰る様子です。おそらく墨田川にそった遊歩道で、向こうに見えるタワーマンションなんかは、東京の人にはわかる風景なんでしょうね。 ぼくには2019年夏の、東京お出かけ徘徊で「歩いたことがある」ような気がする風景なのがうれしいシーンでした。 このマンガが出た頃、12月の末に「ハッピーアワー」という映画を観ましたが、あれは「神戸」が舞台で、六甲山、三宮、東灘の山沿い、ポート・アイランド、多分、芦屋川、ああ、それから有馬温泉、暮らして、馴染んでいる町の実景がスクリーンの上に物語の場所として映し出されるのは、馬鹿みたいに思われるかもしれませんが、ちょっと違った感じがしますね。 地下道を歩いていて、外に出ると、いつもの場所なのに、ちがったところに出てきたような感じがすることがありますが、あんな印象でした。 このマンガも、将棋の世界を描いているのですが、主人公の「零くん」や、お人形さんのような絵で描かれていますが高校生になった「ヒナちゃん」の淡々しい心のさまを読者の印象に刻み込みながら、彼らが住んでいる町が、ふと、東京のどこかにあると感じさせるところが肝なんじゃないかと思います。 それにしても、うーん、ヤッパリ少女マンガですね。 映画「ハッピーアワー」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.01.05
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徘徊日記 2020年徘徊はじめ 初詣(2) 「多聞寺」 「多聞六神社」(ここをクリックしてください)から歩いてて2分くらいです。舞子の本多聞といえば、こっちの方が有名なんでしょうかね。「多聞寺」です。菖蒲だかカキツバタだかの季節には、行けに花が咲いて、見物の人も多いのですが、ぼくはこの仁王さんだけが好きです。 もう一人立っておられます。 由緒も仏師の名前も知りませんが、ちょっとマンガ的で、なかなか、イイお顔だと思うんですが、ぼくがウロウロし始める時間には、なぜかお寺の門が閉まっていて、今日は久しぶりの御対面です。「こらーっ、くらわしたろか!」 一年に一度くらいは、そんなふうに叱られるのも悪くないんじゃないでしょうか。多聞寺の門を出て少し歩くと山田川です。川に沿って歩いていて、「うん?なんだ?」 ツガイというのでしょうか?二羽のカモが川の中をすいすい。ウロウロ。 「おやおや、仲良し二人組ですか?」 山田川というのは、何の変哲もない小さな川ですが、この辺りが明石郡山田村と呼ばれていたころからの名前でしょうね。 これは面白いと、カメラを構えるのですがピントはイマイチですね。鴨たちも下流にに向かって泳いでゆきました。 「アーア、いっちゃった。」そう思いながら上流を見ると、「ええー、よーけおるやん。」 さっきの二羽は、この仲間だったんですね。十羽をこえる鴨の群れが遊泳していました。川の護岸の壁の上から写真を取ろうとするのですがうまくいきませんね。 しかし、まあ、お正月の朝の風景としてはなかなか愉快ですね。「おっ、編隊を組んで進軍始めたやん。」 「先頭が、ヤッパ、隊長さんかな?」ボタン押してね!
2020.01.04
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徘徊日記 2020年 徘徊はじめ 初詣 「多聞六神社」 ここ、数年、初詣などという殊勝な心持を忘れていましたが、今年は一月一日の午前中に出かけました。 自宅から一番近く、歩いて十分ほどのところに「多聞六神社」というお宮さんがあります。普通は六神社と呼ばれていると思いますが、西舞子にも同じ六体の神さんを祭った、舞子六神社という神社があるので、地域の名前を付けて「舞子六神社」と書きました。二つの神社に、何かつながりがあるのかどうか、ぼくは知りません。 で、日ごろあまり参詣とかの人を見かけない鄙びた神社なので、お参りと相成りましたが、いやいや、なかなか、予想に反して、結構な人出でした。 ちょっとした石段を上ると、皆さん行列を作っていらっしゃったのにちょっと驚きましたが、もちろん、生田神社や湊川神社の人出とは、全く違います。のんびりしたものです。 25年前の震災で、お社が全壊して、石の鳥居が折れたと思いますが、それまで社殿の前に座っていた狛犬が、再建の経緯を書いた看板の前に座っていました。 こうして、座っている姿は、なかなか愛嬌があっていいですね。その隣には、折れた鳥居の柱が、石碑になっていました。 あの時、神社の石の鳥居の柱が折れている様子を、西代あたりの神社でも目にしましたが、ビルも電柱も倒壊してはいましたが、石の柱が折れていたのを見たのは忘れられない記憶ですね。 しみじみ時が立つのを感じながら、石段を下りました。ああ、お賽銭は十円ですね。 このあと、ちょっと「多聞寺」(ここをクリック)に寄ってみました。ボタン押してね!
2020.01.03
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フー・ボー 胡波「象は静かに座っている」元町映画館 上に貼ったチラシをご覧ください。 正面で遠くを見ている少年が、ウェイ・ブー。彼は今日、恐喝されている友達カイをかばって、事故とはいえ、人を一人殺しました。 横顔が写っている、少し近くを見ている少女がファン・リン。彼女は通っている高校の教員の「不倫」相手であることがネットで拡散し、怒鳴り込んできたその教員の妻と不倫相手の教員を金属バットで殴り倒しました。彼女はウェイ・ブーの同級生です。 帽子をかぶって、うつむいているように見える姿が写っている男がワン・ジン。彼は娘夫婦から老人ホームへ行くことを要請され、挙句、アパートから出ていくことを命じられている老人です。が、今日、彼は長年飼い続けてきた愛犬を、散歩の途中、金持ちの飼い犬にかみ殺されました。彼はウェイ・ブーの隣人です。 チラシの裏面に、ウェイ・ブーに話しかけてる男がいます。彼がこの町のチンピラ達を仕切っている青年ユー・チャン。 彼は昨晩、友人の妻だか、恋人だかと寝ました。妻の情事を知った友人は、今朝、ユー・チャンの目前でマンションの窓から飛び降りて死にました。 同じ、今日のことですが、ユー・チャンの弟が死にました。弟を殺した少年ウェイ・ブーを、漸くさがしだし、今、石家荘の駅裏の丘の上で「落とし前」をつけようとしているのが、この写真のシーンです。「どこに行こうとしてた?」「満州里」「何をしに行く?」「象を見る」 ウェイ・ブーが庇った「嘘つき少年カイ」がピストルを持ってあらわれ、すべてを告白し、ユー・チャンを撃ちます。撃たれたユー・チャンが言います。「おまえらはゴミだ」「この世界、ヘドがでる」 カイはそう答えると銃口を自分に向けます。 銃声が夕暮れの空に響きます。 ようやく石家荘の鉄道駅に、ウェイ・ブー、ファン・リン、ワン・ジンの三人と、ワン・ジンの連れてきた孫の少女が揃います。ゴミだめのような「この世界」から掃き捨てられた三人です。集まった三人が求めているのはいったい何でしょう。 ウェイ・ブーが満州里の動物園の象の話をします。満州里は中国の北の果ての町です。そこの動物園の檻の中に座っている象に逢いたいとウェイ・ブーはいいます。 彼らは何を求め、どこに行こうとしているのでしょう。それにしても、今、ここから「出発」することのほかに、どんな「生き方」があるというのでしょうか。 しかし、ここまで来て、乗ろうとしていた列車は運休でした。そこから先の道行きのあてはありませんが、瀋陽に向かう夜行バスに乗るしか満州里に向かう方法はありません。 諦めて、その場を去ろうとする老人ワン・ジンに向かってウェイ・ブーが声をかけます。「どこへ行く?」「人は行ける、どこへでもな。そしてわかる、どこも同じだと。その繰り返しだ。だから行く前に自分まで騙すんだ。今度こそ違うと。わかわるか?お前はまだ期待している。一番いい方法は、ここにいて向う側を見ることだ。そこがより良い場所だと思え、だが、行くな。行かないからここで生きることを学ぶ。」 そう答えると、孫の手を引いて駅から出ていこうとする老人ワン・ジンを追った少年が一言叫びます。「行こう!」「『希望』はどこにあるのか?」「『希望』はここにではない、地の果てでじっと座っている!」「だからワン・ジン、あんたもあきらめるな!ぼくと一緒に行こう!」 ウェイ・ブーのそんな叫びが聞こえてくるようでした。スクリーンを見ている老人の涙が止まりません。 三人と小さな少女を乗せたバスが高速道路を走ります。まだ明けない闇の空にアフリカ象の雄叫びが響きわたりました。 パゥオー! ぼくのなかで2019年ベスト1の映画が決定した瞬間でした。 監督 フー・ボー 胡波 脚本 フー・ボー 撮影 ファン・チャオ 范超 美術 シェ・リージャ 謝萌佳 編集 フー・ボー 音楽 ホァ・ルン キャスト チャン・ユー 章于(ユー・チェン 街のチンピラ) パン・ユーチャン彭昱暢 (ウェイ・ブー 高校生) ワン・ユーウェン 王玉雯(ファン・リン 女子高生) リー・ツォンシー李双喜(ワン・ジン 老人) 2018年製作/234分/中国原題「大象席地而坐」英題「 An Elephant Sitting Still」 2019・12・20 元町映画館no33 追記2020・01・01 全く偶然なのですが、「満州里」という場所について、ぼくには思い出があります。四十代の半ば、神戸で大きな地震があった、その数年後のことです。転勤した郊外の職場の近くには、まだ、たくさんの仮設住宅が立ち並んでいました。 どこか遠くに行ってみたいという願望があったのでしょうか。長期休業の期間、何度か、休みを取って中国の内モンゴル自治区の首都、呼和浩特(フフホト)という町の日本語学校に日本語を教えに出かけたことがあります。 その学校で学んでいたのは、十代の終わりか二十歳過ぎの若い人たちだったのですが、それぞれ専門学校や高等学校を出て「日本に行きたい」という夢を持っていました。その中に遊牧で暮らすモンゴル族の少女がいました。「故郷はどこですか?」 そう尋ねたぼくに、彼女は教室の後ろに貼ってあった世界地図を指さしながら答えてくれました。「家族は、今、このあたりにいると思います。」 彼女の指は中国とロシアの国境近く、バイカル湖の少し南のあたりを押さえていました。家族に会うには二泊三日の列車とバスの旅をするそうです。その故郷の駅が「満州里」でした。石家荘からであれば、おそらく2000キロを超える彼方の町です。 あれから、二十年の歳月がすぎました。名前も忘れてしまった彼女が、念願の日本留学を果たしたのかどうか、本当に、この国で「希望」を見つけたのかどうか、今となっては、もう、わかりません。 中国も日本も「希望」を見つけにくい国になっていることは間違いないでしょう。28歳で、この映画を作った監督フー・ボーは、29歳で自ら命を絶ったそうです。まったく、言葉がありません。哀しいだけです。追記2021・07・28 東京オリンピック2020が開催されています。この国のコロナの感染者数は最多数を更新し始めていますが、メディアは金メダルに驚喜しています。SNSの投稿に若い人たちの「金メダル・イイネ!」が氾濫しています。 1936年、ヒトラーが強行し、レ二・リーフェンシュタールが「オリンピア」という映画で宣伝した「ファシズム」の祭典を思い浮かべています。中止された1940年の東京オリンピックのために建設された国立競技場、「明治神宮外苑競技場」では、1943年、2万5千人の学徒兵士が行進し、歓喜の拍手で戦場に送られた「学徒出陣式」が行われたそうです。 「ゴミだめ」化しつつある世界から、「希望」を見つけるために「出発」することは可能なのでしょうか。少なくとも、歴史を振り返ることを忘れているこの国に明るい未来が待っているとは思えません。 古い投稿を修繕しながら、監督フー・ボーが生きていたら、今、どんな映画を撮るのだろう、そんな思いがふと湧きました。追記2022・08・20 コロナの蔓延の中で強行されたオリンピックが終わって一年経ちました。強行した権力者は狙撃され、取り巻きの権力者たちとインチキ宗教との結託が暴露され始めています。インチキな記録映画は不発に終わりましたが、一方で、庇い手がいなくなったのでしょうか、お金にまみれた関係者が逮捕され始めました。コロナの蔓延は、もはや警報状態ですが、有効な対策として打つ手もなければ、打つ気もない様相です。いよいよゴミだめがぶちまけられ始めたのでしょうか。 今や「希望」という言葉が死語になりつつある予感、いや、実感さえし始めましたが、それでも、希望にかけたい今日この頃です。どこかに、静かに座っている象がいるのではないでしょうか。ボタン押してね!
2020.01.02
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丸谷才一 「新々百人一首(上・下)」 (新潮文庫)雪のうちに 春はきにけり うぐいすの 氷れる泪 いまやとくらむ 二条后 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくご愛顧いただきたいと心から思っております。読者の皆さんにも元気な一年でありますようにお祈り申し上げて「週刊読書案内」2020年版を始めたいと思います。 さて、今年はちょっと格調高く和歌からスタートです。 神戸は、雪とは縁のない暖かい正月の朝ですが、雪の正月の歌です。高校生に案内を渡していたころから年の初めはこの歌。まあ、好きだからしようがありません。 作家の丸谷才一が数々の名著を残して、この世を去ってもう何年たったのでしょう。過去の人なんていって忘れ去られるのは何といっても惜しい人。この案内では、今後、最多登場回数を記録するに違いない人ですが、今年の始まりは「新・新百人一首(上・下)」(新潮文庫)。そのはじまりの三首目にのせられている二条の后の和歌です。 二条の后といえば、高校時代の古典の教科書に出てきたに違いない「伊勢物語・芥川」で鬼に食われてしまった、あの女性のモデルということで名前ぐらいはみなさんご存知のことでしょうが、この女性、若い頃は平安朝きっての色好み在原業平との艶聞が世間をにぎわし(?)やがて伝説化され、その後、清和天皇の女御として入内し、陽成天皇の母となった人です。ところが清和帝亡き後、こともあろうに善裕という坊さんと密通して后位を剥奪されるという波乱の生涯をおくった人で、その名を藤原高子、「たかいこ」と読むそうです。まぁこんなコトも丸谷さんのこの本にはみんな書いてあることなのですが。 ところで、お正月といえば「百人一首」。中学校や、今では小学校でも「三学期にはカルタ会」が恒例行事になってきているようですが、ご家庭で「百人一首」をなさるなんてことはあるのでしょうか。 江戸時代に始まった遊びらしいのですが、普通、「百人一首」といえば「新古今和歌集」の選者のひとりで平安朝屈指の歌人、藤原定家が選んだもので彼の住まいの呼び名を取って「小倉百人一首」というのですが、今回案内しているのは「新新百人一首」。 本書の前書きによれば、百人一首のような形式のオムニバス詩集は定家のものに限らないらしく、たとえば室町幕府九代将軍足利義尚による「新百人一首」というのもあるそうです。 しかし、知名度と大衆的人気において問題にならないらしく、なによりもその後800年にわたる文化的影響力を考えると、やっぱり「小倉百人一首」しかないようなものなのだそうです。その向こうを張って現代の小説家丸谷才一が選んだのが「新・新百人一首」。 「新・新」とついているのは、藤原定家と足利義尚とに敬意を払ってのことであるらしいのですが、万葉の歌人から平安末期・鎌倉の歌人までを対象とした王朝和歌秀歌集であるところは「小倉百人一首」と同じ体裁になっています。 当然かさなる歌人は多いのですが、同じ和歌は多分ありません。日本文学史を独特の視点から書き直した文芸批評家としての自信と遊び心のなせる技でしょうね。 この本のよさは一首ごとにつけられた詳細な解説です。「オモシロ国文学講義」とでも言うべき綿密さで、これこそ読みどころですね。エッセイの達人の洒脱な文体で読み物として書かれている文章なので、どなたがお読みになっても、大丈夫だと思います。 ぼくのように和歌なんて知らない、「源氏物語」は眠くなるという古典文学音痴にとっては、実に勉強になる本なのですが、欠点は、お調子者が読むと妙にわけしりの気分になって、やたら薀蓄を傾けたくなることですね。 うぐいすの泪ってわかる?うぐいすは鳴くでしょ、だから泪という連想になるのが和歌的想像力なの。 じゃア、泣かない魚を相手にしてる芭蕉にこういう句がありますね。 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 彼はこの句を詠んで奥の細道の旅に出発したらしいけど、この句はどこがしゃれてるかわかりますか? なんて調子で、際限がなくなる。もちろん本書に其の解説はありますから、「えっ?」と思われた方は、本書のほうでどうぞ。 ところで、本家「小倉百人一首」について書かれた解説は、江戸の歌人の解説書から謎ときまで山のようにあります。 その中でオススメは「田辺聖子の小倉百人一首」(角川文庫)。「かもかのおっちゃん」に講義している名調子の文体で、笑いながら読めます。「なにっ?かもかのおっちゃんをご存じない?そりゃ、こまった。」 しかし、まあ、内容は超一流、且つ、用意周到。お世話になりました、ほんと。田辺聖子さんは小説家ですが、古典文学の名ガイドのお一人だったんです。昨年、2019年の夏ごろだったでしょうか、哀しい知らせが聞こえてきましたね。この場を借りて、ご冥福をお祈りしたいと思います。(S)ボタン押してね!ボタン押してね!おくのほそ道を旅しよう (角川文庫 角川ソフィア文庫) [ 田辺聖子 ]
2020.01.01
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