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松岡正剛「うたかたの国」(工作舎) 今回の読書案内は、久しぶりに読んだ、あの松岡正剛の工作舎本です。 松岡正剛「うたかたの国」(工作舎)ですね。上の表紙をご覧になればわかりますが、本書の著者、書き手は松岡正剛となっているのですが、本の作りがいかにも工作舎です。奥付に出てきますが、米山拓也と米澤敬という二人の編集者による松岡正剛の発言、あるいは記述のコラージュ本なのです。で、この案内を読んでいただいているみなさんはコラージュ本て?となるわけですが、ようするに、松岡正剛という表現者が、過去、数十年に、十数年ではなく数十年! に渡って、たとえばネット上であれば「千夜千冊」であるとか、書籍であるなら、たとえば「花鳥風月の科学」(中公文庫)、「フラジャイル 弱さからの出発」(ちくま学芸文庫)として書籍化されてきた表現全体を対象に、特定のテーマによって、再び、貼り合わせることによって、新たな発見、あるいは、ああ、そうだったのか! という面白さの再構築をもくろんだ本で、これが見事に炸裂しているのです。で、本書のテーマは「うたかた」です。うたかたというのは,一つの言葉ととして読めば「泡・あわ」ですが、「歌方」と読めば、うたの移り変わり、詩的意識の変遷ということでもあるわけで、「うたかたの国」と、後ろに「国」が付けば、特定の地域、まあ、日本ですが、その国における「うた」の来歴について、松岡正剛が何を語って来たのか、あるいは、語ろうとしてきたのかを、一冊、一冊、一場、一場では、平面的発言でしかなかった言説を、いかに立体化するか! という意図によって、まあ、松岡正剛用語的に言えば「再編集」されているわけですが、かなりいまくいっていいますね。歌が歌を求めて漂泊する。歌人がさまようのではなく、歌そのものが「さすらい人」という日本古来に芽吹いた母型を使って漂泊する。(千夜千冊)本歌取り●本歌取りとは、その歌にはモト歌があるということで、たとえば「新古今集」は冒頭からして「春立つというふばかりにやみ吉野の山も霞てけさはみゆらむ」という「拾遺集」の歌を本歌として、「み吉野の山もかすみて白雲のふりにし里に春は来にけり」を置き、続いて「万葉集」の「ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」を引いて、「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく」を続けてみせた。(千夜千冊・書籍未収録) と、冒頭37ページ、万葉から、新古今に至る「うたの苗床」と題した章が、まあ、こういう調子で編集され始めて、そこから、360ページ後、393ページには死ぬ鳥に春の色出る秋の暮れ 永田耕衣 という一句が、突如引用され、 耕衣は老いてからだんだん凄まじい。そういう老人力というものは昔から数多いけれど、ぼくが接した範囲でも老人になって何でもないようなのはもともと何でもなかったわけで、たとえば野尻抱影、湯川秀樹、白川静、白井晟一、大岡昇平、野間宏・・・・みんな凄かった。なんというのか、みんな深々とした妖気のようなものを放っていた。正統の妖気である。 それが耕衣にあっては少々異なっていた。もうちょっと静謐なバサラのようなものがあって、俳諧が前へ行っているのか、沈みこんだのか、上下しているのか、飛来なのか飛散なのか、そういうことが見当がつかない横着が平ちゃらになっていくのである。(千夜千冊・求龍堂) と、まあ、こんなふうにコラージュされているのですが、ボクは、耕衣の句を口ずさみながら、本歌取りの章で引用されていた「歌が歌を求めて漂泊する」という断片にもどったりするわけです。 なんとなく、思いついた例を引きましたが、本書全体が、松岡ファンであれば、どこかで読んだ一言、一行が、よくぞまあ! というしかないような取り合わせで編集され、松岡理解の新しい地平! が開けている印象ですね。 なにはともあれ、ファンの方にはおススメですね。一応、下に目次を貼っておきますが、要するにこの国の「詩意識」の変遷を、万葉以前から、現代詩に到るまで、松岡発言でたどってみせた本です。彼を追いかけてきた人には、格好のRemix、まあ、音楽なら再演でしょうが、ボクには松岡正剛の読み直し始まりの一冊!になりそうですね(笑)。【目次】まえがきひぃ─うたの苗床─◉音と声と霊 方法の声 目当てと景色 文字霊か言霊か ふぅ─記紀万葉のモダリティ─◉古代 袖振る万葉 代作と枕詞 漢詩を少々 みぃ─仮名とあわせと無常感─◉平安 擬装する貫之 浄土と女房 いろはと五十音よ ─百月一首─◉うたの幕間 闇夜と月の詩歌いつ─数寄の周辺─◉中世 消息の拡大 古今と今様 すさびと念仏 連歌の時分むぅ─道行三百年─◉近世 俳諧の企み 歌う国学 三味線の言葉 なな─封印された言葉─◉近現代 断絶の近世 寅と鬼と童 世紀の背中あとがき 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.19
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ジョージ・ギャロ「カムバック・トゥ・ハリウッド!!」シネ・リーブル神戸 今日は朝一番のシネ・リーブル神戸でした。10時半のスタートなので、いつもより早めのお出かけですが、永遠の「タクシードライバー」のロバート・デ・ニーロさん、77歳。「宇宙人ジョーンズ」のトミー・リー・ジョーンズさん、74歳。シマクマ君のボンヤリ記憶では、初めて見かけたときはお金持ちの女の人の、まあ、その頃から老運転手だった気がするモーガン・フリーマンさんに至っては83歳。 それにしてもお元気な三人が顔をそろえていらっしゃるというのですから、少々の早起きは仕方ありませんね。それに、今日はチラシを見て「これは見ないとしょうがないわね。」 と、のたもうたチッチキ夫人と同伴鑑賞でした。 久しぶりの、まあ出てくる人はチョーA級なのですが、正直、「チョーB級映画!」 でした。芸達者な老優が「イカレタ」三人を楽しく演じて、遊んでいらっしゃいます。いったい、どれくらいのギャラなんでしょうね。 なんというか、「映画の映画」という設定ですから、もう、インチキ満載、小ネタ満載なのがぼくでもわかるドタバタぶりで、そのうえ、妙にノスタルジックなんですよね。 チンピラギャングの親分に扮したモーガン・フリーマンの、あの「まじめな」声が聞こえてきて、ジーさんそのものの顔のド・アップで画面がいっぱいになった時には、笑っていいのか、涙ぐんでいいのかわからないし、インチキならお手のもの、目からインチキがにじみ出ている風情のデ・ニーロがC級映画のプロデューサです。あんまりぴったりで笑いを忘れそうでした。彼が「オスカー間違いなし!」と叫んで振り回している脚本が「パラダイス」。で、撮ったけど大コケした映画が「尼さんは殺し屋」ですからね。ホント、よーやるわ!って感じでした。 それにしても宇宙人ジョーンズのカウボーイには、もう呆れるしかないというか、いやはやなんとも、「頼むから落ちんといてね。」 という気分でしたね。 しかし、若い人がご覧になっても、同じように面白いのかどうか。なんとなく「笑い」が古いのかもしれないと感じたことも確かですが、でもね、だからといって、エンドロールが回り始めたからといって、さっさと席をお立ちになるのはおやめになった方がいいかもしれません。明るくなる直前に一番インチキなシーンが待っているかもしれないわけで、これが、なかなか、油断大敵でしたよ。(笑) こういう、余裕シャクシャクの映画って久しぶりでした。このところ、なかなか、見る機会がなかったのですが、これも、ぼくにとっては「映画」の原点の一つのような気がしましたね。チッチキ夫人も、なかなかゴキゲンでした。もちろん感想はアホやね!でしたがね。 監督 ジョージ・ギャロ オリジナル脚本 ハリー・ハーウィッツ 脚本 ジョージ・ギャロ ジョシュ・ポスナー 撮影 ルーカス・ビエラン 美術スティーブン・J・ラインウィーバー 衣装 メリッサ・バーガス 編集 ジョン・M・ビターレ 音楽 アルド・シュラク キャスト ロバート・デ・ニーロ(マックス) トミー・リー・ジョーンズ(デューク) モーガン・フリーマン(レジー) ザック・ブラフザック・ブラフ エミール・ハーシュエミール・ハーシュ エディ・グリフィンエディ・グリフィン 2020年・104分・G・アメリカ 原題「The Comeback Trail」 2021・06・09-no53シネ・リーブルno96
2021.06.12
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ダニエル・ゴールドハーバー「HOW TO BLOW UP」シネリーブル神戸 ここのところ、精神的に引き籠り化してしまいそうなシマクマ君ですが、何とか元気の出そうな映画という気分でやってきたのがダニエル・ゴールドハーバーという監督の「HOW TO BLOW UP」という、全部横文字の作品でした。「どうやって炎上させるか」 かな、とか、「爆破の方法」 かな、とか、ない頭で、あれこれ訳を考えながらやって来ましたが、原題を見ると「How to Blow Up a Pipeline」で、何だ、パイプライン爆破の方法じゃないか!と納得して見始めました。 で、結構、ハラハラ・ドキドキの苦心惨憺の末、テキサスの石油パイプラインを本当に爆破するのがうまくいって、ちょっとホッとしながら、「おー、やった!やった!」 と、思わず拍手!しそうでした(笑)。 まあ、あとからわかったことですが、FBIが「環境テロを助長する!」 と上映に警告したことが話題の作品らしいということを知ったのですが、ボク自身は、こういう方法を選ぶタイプの環境保護思想には、今一、共感できませんし、リアリティも感じませんから助長されるわけではありませんが、この映画のように、たとえば、パイプラインを爆破してやろうと考える人がいることには、何の違和感も感じません。そりゃあ、いるでしょう! たとえばの話、東北の震災で、どこかの電力会社が国と結託してやったことと、その後始末のやり方を、被害の当事者の目で見れば、想定外とかいう無責任用語で開き直った経緯は暴力以外のなにものでもないとしか思えませんからね。そういえば、水俣病の患者さんの公聴会で、患者さんの代表の発言中に平気でマイクのスイッチを切る国の役人がいたことも、最近ありましたね。震災や公害に対する、そういう対応というのは、時代が時代なら、暴力で対抗しようと考える人がいても不思議ではないと、ボクは感じていますからね。 で、映画で、それをやったのは環境保護の活動家とか、パイプライン建設に恨みを持っている人たち、総勢8人で、足がつかないで逃げ切るには多すぎる人数! だと思いましたが、足がつかない工夫もあって、まあ、ちょっとご都合主義でしたが、無事成功という結末でした。 正直、結末には無理がありますね。FBIに限らず、どこの国でも、国家レベルでの情報管理は、もっと、有無を言わせなもので、そんなに甘くないでしょう。 ただ、拍手しながらいうのもなんですが、この映画が「環境テロを助長する」などというのは、むしろ、国家権力による環境保護運動に対する規制強化の正当化発言ではないかという印象で、残念ながら、プロパガンダ作品としては、それほどの説得力は感じませんでしたね(笑)。 余談ですが、環境保護運動とかが、こういう展開への方向性へ向かう一面があるとか、最近、読んだ「文学は地球を想像する」(岩波新書)に出てきましたが、文学研究の分野でもエコクリティシズムなんていう分野がすでにあるとか、なんだかポカン?としてしまいますね。いや、ホント、これからどうなっていくんでしょうね(笑)。監督 ダニエル・ゴールドハーバー原作 アンドレアス・マルム脚本 アリエラ・ベアラー ダニエル・ゴールドハーバー撮影 テイラ・デ・カストロ美術 アドリ・シリワット衣装 ユーニス・ジェラ・リー編集ダニエル・ガーバー音楽 ギャビン・ブリビクキャストアリエラ・ベアラー(ソチトル)サッシャ・レイン(テオ)ルーカス・ゲイジ(ローガン)フォレスト・グッドラック(マイケル)クリスティン・フロセス(ショーン)ジェイミー・ローソン(アリーシャ)ジェイク・ウェアリー(ドウェイン)アイリーン・ベダード2022年・104分・PG12・アメリカ原題「How to Blow Up a Pipeline」2024・06・17・no077・シネリーブル神戸no250追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.18
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レイモンド・ブリッグス「風が吹くとき」あすなろ書房「エセルとアーネスト」というアニメーション映画に感動して、知ってはいたのですが読んではいなかったレイモンド・ブリッグスの絵本を順番に読んでいます。今日は「風が吹くとき」です。こういう時に図書館は便利ですね。 彼の絵本は「絵」の雰囲気とか、マンガ的なコマ割りで描かれいる小さなシーンの連続の面白さが独特だと思うのですが、ボクのような老眼鏡の人には少々つらいかもしれませんね。 仕事を定年で退職したジムと妻のヒルダという老夫婦のお話しで、彼らは数十年間真面目に過ごしてきた日々の生活を今日も暮らしています。「ただいま」「おかえりなさい」「町はいかがでした?」「まあまあだな。この年になりゃ、毎日がまあまあだよ。」「退職したあとはそんなもんですよ」 こんな調子で、物語は始まります。妻ヒルダのこの一言のあと、無言で窓から外を眺めながらたたずむ夫ジムの姿が描かれています。 小さなコマの中の小さな絵です。で、ぼくはハマりました。当然ですよね、このシーンは、ぼく自身の毎日の生活そのものだからです。このシーンには「普通」に暮らしてきた男の万感がこもっていると読むのは思い入れしすぎでしょうか。 「核戦争」が勃発した今日も、二人はいつものように暮らし続けています。そして・・・。という設定で評判にになった絵本なのですが、読みどころは「普通の人々」の描き方だとぼくは思いました。 例えば妻の名前ヒルダは、読んでいてもなかなか出てきません。彼女は夫に「ジム」と呼びかけますが、ジムは「あなた」と呼ぶんです、英語ならYOUなんでしょうね、妻のことを。そのあたりのうまさは絶品ですね。 物語の展開と結末はお読みいただくほかはないのですが、最後のページはこうなっています。これだけご覧になってもネタバレにはならないでしょう。 「その夜」、二人はなかよく寝床にもぐりこみます。そして、たどたどしくお祈りします。イギリスのワーキング・クラスの老夫婦のリアリティですね。ユーモアに哀しさが込められた台詞のやり取りです。「お祈りしましょうか」「お祈り?」「ええ」「だれに祈るんだ?」「そりゃあ・・・神様よ」「そうか・・・まあ・・・それが正しいことだと思うんならな…」「べつに害はないでしょう」「よし、じゃあ始めるぞ…」「拝啓 いやちがった」「はじめはどうだっけ?」「ああ…神様」「いにしえにわれらを助けたまいし」「そうそう!つづけて」「全能にして慈悲深い父にして…えーと」「そうよ」「万人に愛されたもう…」「われらは・・・えーっと」「主のみもとに集い」「われは災いをおそれじ、なんじの笞(しもと)、なんじの杖。われをなぐさむえーっとわれを緑の野に伏せさせ給え」「これ以上思い出せないな」「よかったわよ。緑の野にっていうとこ、すてきだったわ」 「エセルとアーネスト」でレイモンド・ブリッグスが描いていたのは、彼の両親の「何でもない人生」だったのですが、ここにも「何でもない」一組の夫婦の人生が描かれていて、今日はいつもにもまして、まじめに神への祈りを唱えています。 明日、朝が来るのかどうか、しかし、この夜も「普通」の生活は続きます。 ここがこの絵本の、「エセルとアーネスト」に共通する「凄さ」だと思います。この「凄さ」を描くのは至難の業ではないでしょうか。自分たちの生活の外から吹いてくる「風」に滅ぼされる「普通の生活」が、かなり悲惨な様子で描かれています。しかし、この絵本には「風」に立ち向かう、穏やかで、揺るがない闘志が漲っているのです。 この絵本はブラック・コメディでも絶望の書でもありません。人間が人間として生きていくための真っ当な「生活」の美しさを希望の書として描いているとぼくは思いました。 今まさに、私たちの「普通」の生活に対して「風」が吹き荒れ始めています。「風」はウィルスの姿をしているようですが、「人間の生活」に吹き付ける「風」を起しているのは「人間」自身なのではないでしょうか。ブリッグスはこの絵本で「核戦争」という「風」を吹かせているのですが、「人間」自身の仕業に対する厳しい目によって描かれています。今のような世相の中であろうがなかろうが、大人たちにこそ、読まれるべき絵本だと思いました。追記2020・04・10 「エセルとアーネスト」の感想はこちらから。追記2022・05・17 2年前にこの絵本を読んだ時には「新型インフルエンザ」の蔓延が、普通の生活をしている人々にふきるける「風」だと案内しました。世間知らずということだったのかもしれませんが、今や、絵本が描いている「核戦争」の「風」が、現実味を帯びて吹き始めているようです。 「戦争をしない」ことを憲法に謳っていることは、戦争を仕掛けられないということではないというのが「核武装」を煽り始めた人々の言い草のようですが、「核兵器」を持つ事で何をしようというのか、ぼくにはよくわかりません。「戦争をしない」ことを武器にした外交関係を探る以外に、「戦争をしない」人の普通の暮らしは成り立たないのではないでしょうか。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!ボタン押してね!【国内盤DVD】【ネコポス送料無料】エセルとアーネスト ふたりの物語【D2020/5/8発売】
2020.04.11
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「一遍上人遷化の地・真光寺」徘徊日記 2024年6月10日(月)和田岬あたり 6月10日の徘徊の続きです。 ジャカランダの花の普照院からすぐでした。もっとも、自動車で運転手付きですから、どっち向きにすぐだったのか、ちっともわかりませんが、乗せていただいたHさんがおっしゃるには「あんな、一遍上人って知ってるやろ。その人はな、ここでなくなりはってんや。そやから見といで。まだ昼には早いからな。」 で、下車するとザクロの木でした。 すぐ隣に「一遍示寂之地」の石碑です。ついて降りて来たHさんが言いました。「この示寂って、なんて読むんや。どういう意味や?」「知らん、しじゃくかな。死んだいうことちゃうかな?」 まあ、愚かしい会話をしていますが(笑)、「じじゃく」と読んで、立派なお坊さんが亡くなることですね。入滅とか入寂、入定とかと、同じような意味ですね(笑)。ちなみに、今日の徘徊の題にしている遷化も、「せんげ」と読んで、ほぼ同じ意味のようです。で、その近くに「大檀林」と彫られたでかい碑です。「檀林は?」「ああ、それは、多分、学校とか修業場やと思うで。」 そのようですね、ここは時宗の中心的なお寺の一つということですね。 チャンとお寺と一遍上人の由緒を書いた看板もありますが、素通りして境内です。 Hさんは、「ほんなら行っといで。わし、駐禁取られたらいややから、車停めるとこ探すわ。」 で、境内ですが、右手に鐘撞堂です。1995年の震災の跡での再建のようです。自由に鐘を撞いていいのかどうかわかりませんが、通り過ぎた後、後ろから来ていたはずの誰かが撞いたのでしょうかゴーン・・・ といい響きがして、あれ??? と思って振り向くとチッチキ夫人が小走りで追い抜いて行きましたが、ほかには誰もいません。素早い動きでしたね(笑)。 で、結構、広い境内で、右手は修業場とか、いや、阿弥陀堂でしょうか。右手の奥にお賽銭箱があって、なかなかの風情の面白い石仏さんが座っておられました。 で、左手にあるのが一遍上人の五輪塔ですね。旅ころも 木の根 かやの根 いづくにか 身の捨られぬ 処あるべき こんな和歌というか、御詠歌というかがある人ですね。鎌倉時代、もともとは伊予の松山の人のようですが、この地でなくなったようですね。所謂、遊行聖と呼ばれて、時宗の開祖ですね。 で、この隣にあったのが、石塔でつくりあげられているピラミッドでした。上にも貼りましたがもう一枚ね。なかなか壮観でしたよ。 戦前には、ここに阿弥陀堂があったそうですが、多分、戦災で焼けてしまったのでしょうね、戦後になって、無縁供養のために建立された無縁如来塔だそうです。戦災の中で、多くの人が無縁仏として亡くなったわけですが、町中全部が焼けたこの地に、こんなピラミッドがあったとは! と、心底驚きました。 一番下には、こんなかわいらしい石仏さんたちが並んでいはりましたよ。 隣には六人のお地蔵さんです。六地蔵というのだそうですが、お一人、お一人がちがう所作をなさっているのが面白いですね。 最後に、本殿の前のデカい石灯篭です。 なんか、これは、古そうです。戦災にも地震にもマケズニここにいたという感じがいいですよね(笑) さて、今日は、もう少し徘徊です。運転手付きの自動車徘徊は便利でいいですね(笑)。じゃあ、続きも覗いてね(笑)にほんブログ村
2024.06.17
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徘徊日記 2020年 徘徊はじめ 初詣 「多聞六神社」 ここ、数年、初詣などという殊勝な心持を忘れていましたが、今年は一月一日の午前中に出かけました。 自宅から一番近く、歩いて十分ほどのところに「多聞六神社」というお宮さんがあります。普通は六神社と呼ばれていると思いますが、西舞子にも同じ六体の神さんを祭った、舞子六神社という神社があるので、地域の名前を付けて「舞子六神社」と書きました。二つの神社に、何かつながりがあるのかどうか、ぼくは知りません。 で、日ごろあまり参詣とかの人を見かけない鄙びた神社なので、お参りと相成りましたが、いやいや、なかなか、予想に反して、結構な人出でした。 ちょっとした石段を上ると、皆さん行列を作っていらっしゃったのにちょっと驚きましたが、もちろん、生田神社や湊川神社の人出とは、全く違います。のんびりしたものです。 25年前の震災で、お社が全壊して、石の鳥居が折れたと思いますが、それまで社殿の前に座っていた狛犬が、再建の経緯を書いた看板の前に座っていました。 こうして、座っている姿は、なかなか愛嬌があっていいですね。その隣には、折れた鳥居の柱が、石碑になっていました。 あの時、神社の石の鳥居の柱が折れている様子を、西代あたりの神社でも目にしましたが、ビルも電柱も倒壊してはいましたが、石の柱が折れていたのを見たのは忘れられない記憶ですね。 しみじみ時が立つのを感じながら、石段を下りました。ああ、お賽銭は十円ですね。 このあと、ちょっと「多聞寺」(ここをクリック)に寄ってみました。ボタン押してね!
2020.01.03
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バフティヤル・フドイナザーロフ「海を待ちながら」元町映画館 「中央アジア今昔映画祭」のチラシを見ていて、この映画は見たいと思った映画がこの日に見たこの作品です。 とりあえず、上のポスターを見てください。文字の背景は空なのです。で、下半分にラクダの行列が写っていて、その左に青い船体の船があります。なんか変でしょう。 題名は「海を待ちながら」でした。監督はバフティヤル・フドイナザーロフという人のようです。 上の写真の青い船は漁船でした。で、この船の船長がマラットという、ちょっと渋めの男前で、いい男なのですが、その日、彼は船に恋人を乗せて漁に出ます。 「これって、どこ?」 この映画祭で上映される映画の地域に海ってありますか?海のシーンとか見せられて悩むと思いませんか?まあ、そんなふうにポカンとしていると、ちょっと特撮まるわかりの嵐がやってきて、画面が変わると刑務所から出てきて、列車に乗っているマラットが姉とそっくりに成長した、恋人の妹と再会するのシーンなのです。それが映画の始まりでした。 乗組員を、まあ、恋人も含めて、見捨てて、ただ一人生き残ったという罪で服役していた船長のマラットが、刑務所に入っていたのがどのくらいなのかは、定かではありません。ただ、最初のシーンで子供だった恋人の妹が、大人になるまでの期間であること、その間に、海だったはずの場所に町ができて、列車が走っているというふうに世界そのものが変わってしまっているということが明らかになっていくだけです。 で、彼の船は町はずれの砂漠の中に、要するに海が消えてしまった元水底だったところに鎮座しているというわけです。 そこから彼は、見ていて「あっちの方」なのか「こっちの方」なのかわからない、海があるらしいところまで、船を引っ張り始めるのです。実際に一人の力で、砂漠の上をです。 ここまでで十分ですね。いろんな解釈が成り立つのでしょうが、地面に鉄製の杭を打ち込んで、ロープをつなぎ、甲板に供えた滑車(?)を、一人の力で回して、文字どうり10センチづつ船を動かします。向うに何も生えていない丘陵が見えますが、船は石ころだらけの砂漠の上です。ジワッと動き始めますが、再び杭を打ち直し、甲板に戻ってロープを巻き取ります。 やがて、ポスターにあるラクダが引くシーンとか、トレラーがやってきて動かそうとするシーンとかが出てきますが、ともかくも男が全身で滑車を回し始めるこのシーンがすべてでした。 実際にアラル海が、この半世紀で10分の1になったという事実を踏まえているそうですが、ポスターのシーンのすばらしさは、そういうことと関係がないように思いました。 だって、アラル海ってどこに、どんなふうにあるのかも知らないし、船からのシーンのどこにも海なんて見えないんですから。 2015年に50歳で亡くなったバフティヤル・フドイナザーロフという監督の遺作だそうです。このシーンを撮ったフドイナザーロフに拍手!です。それから、一人で船を動かす、なかなか渋い男前、マラット船長(エゴール・ベロエフ)にも拍手! 男前に拍手するのは久しぶりです(笑)。老人ボケのせいでしょうか、見て10日ほどなのですが、この映画の結末が全く浮かんでこないのは困ったものです。監督 バフティヤル・フドイナザーロフ脚本 セルゲイ・アシケナージキャストエゴール・ベロエフアナスタシア ・ミクリチナデトレフ・ブック2012年・110分・カラーロシア・ベルギー・フランス・カザフスタン・ドイツ・タジキスタン合作原題「Waiting for the Sea」2021・12・06‐no124・元町映画館no101
2021.12.25
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北村薫「詩歌の待ち伏せ 上」(文藝春秋社)より 石垣りん「略歴」(詩集『略歴』所収) 作家の北村薫の「詩歌の待ち伏せ」(文藝春秋社)というエッセイ集を読んでいて、面白い記事に出会いました。 北村薫が詩人の石垣りんの講演会を聞きに行った時のエピソードです。石垣さんに「略歴」という詩があります。幸い、石垣さんの詩集は、今、手に入りやすくなっています。全文引く必要はないと思います。 「略歴」は《私は連隊のある町で生まれた。》と始まり、《私は金庫のある職場で働いた。》と続き、《私は宮城のある町で年をとった。》と閉じられます。まさに日本の現代史がそこにあります。 ところが、石垣さんは、《私はびっくりしてしまいました》とおっしゃいました。伝え聞いたところによると、なんと、《大学を出て社会人になった方》が、「この詩の最後の《宮城》ってなんだろうね」といったそうです。 私も、びっくりしました。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。 その講演からさらに十五年が経ってしまいました。 エピソードの概要だけ抜き出して引用しましたが、北村薫は「詩」の中で使われる「ことば」について、もっと丁寧に語っていますが、結論はこうです。 しかし、詩では困ります。《最終的に意味がわかればいい》というものではありません。説明が一つはいるのと、いわずもがなの言葉として、直接、通じるのとでは、胸への響き方が違うでしょう。かといって、これを《皇居》と言い換えたら、もう別のものになってしまいます。難しいものです。 おそらく、北村薫はここで二つのことを問題にしています。一つは「詩」の言葉についてです。しかし、彼が困ったものだという「実感」の喪失は、外国の詩や古典の和歌の中では、しょっちゅう起こっていることで、常識的な言い草ではありますが、いまさらという感じもします。 気にかかるのはもう一つの方でしょう。この詩で言えば「宮城」という言葉が、若い読者には、ニュアンスどころか意味すら通じないという現象についてです。 ここで、石垣りんの「略歴」を載せてみます。どうぞ、お読みください。写真も載せてみました。いい表情ですね。 NHK人物録 略歴 石垣りん 私は連隊のある町で生れた。兵営の門は固くいつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち番所には営兵がずらりと並んではいってゆく者をあらためていた。棟をつらねた兵舎広い営庭。私は金庫のある職場で働いた。受付の女性は愛想よく客を迎え案内することを仕事にしているが戦後三十年このごろは警備会社の制服を着た男たちが兵士のように入口をかためている。兵隊は戦争に行った。東京丸の内を歩いているとガードマンのいる門にぶつかる。それが気がかりである。私は宮城のある町で年をとった。 詩集『略歴』1979年 北村薫の、このエッセイは「オール読物」という雑誌に連載されていたようです。2000年に書かれています。 言葉通りにとれば、この講演会は1980年代の中ごろのものと思われますが、ぼくには、上で引用した文章で少し気にかかったところがありました。 誤解しないでください。北村を責めるためにこんなことを言い始めたのではありません。ぼくが、「えっ?」と思ったのはここでした。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。 1949年生まれの北村薫は40代半ば、1990年代の初頭まで、公立高校の教員を続けていた人らしいのですが、彼は現場で、この現象と出合っていたはずではなかったということなのです。 「戦後文学」や「現代詩」の名作が、生徒たちにとっては、まったく理解できない祖父母の世代の「ことば」として響き始めたのはいつごろからだったでしょう。 それは高度経済成長の終盤、80年代の中ごろの教室だったと思います。そして彼は、その教室を経験していたに違いないし、そんな教室で「国語」の教員だった彼は、きっと「誠実」に苦闘していたに違いないというのが、ぼくの感想です。 それは、例えば、前後を読んでいただかなければ何を言っているのかわからない言い草ですが、このエッセイの文章にも現れているように思います。 最近「太宰治の辞書」という彼のミステリーを初めて読みました。この場合は「生徒」役は読者でしょう。楽しく読んだ「読者=生徒」の当てずっぽうですが、あの作品の構成なども、どこかの教室で何の関心も知識もない生徒相手に「考えるべき問題」を「謎」として設定し解き明かしていく展開に、教員の苦労が滲んでいると感じさせらるのですね。 彼はきっと「ことば」の「あったはずの」実相について、「詩」が生まれた時代や社会の真相に迫るべく、実に丁寧に面白く語る教壇の「噺家」だったのではないでしょうか。 もちろん、この詩の「宮城」という言葉の「実相」は、その言葉が口をついて出てくる世代の人々の「人生」であることは言うまでもないでしょう。が、それを、知らないという人に、わかるように語ることは「難しいもの」なのです。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.10
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キム・ソンホ「お料理帖」パルシネマパルシネマの二本立て、手帳シリーズでした。もう一本は「最初の晩餐」で、亡くなったお父さんの手帖の料理でしたが、こっちは生きているお母さんが「認知症」で、記憶を失ってしまいつつあるという設定でした。見たのはキム・ソンホ監督の「お料理帖」です。 韓国映画を見始めて、早くも二年たちますが、所謂「ヒューマンドラマ」は初めてのような気がします。 シッカリ者の母と、人はいいのだけれどボンクラ、まあ、どっちかというと「マザコン」で、文学とかやっている息子とその「家族の物語」といっていいのでしょうね。 ところで、予告編を見た時からの興味は、韓国のお総菜屋さんの店先に並ぶ料理についてでした。こういうと、朝鮮、あるいは韓国料理に詳しいと誤解させるかもしれませんが、実は全く知りません。キムチとかナムルとかいう言葉は知っていますが、具体的に白菜やキュウリ以外にどんな種類があって、どんな味なのか、何も知らないのですが、なんか「食べてみたい」という興味はあるわけです。 特に韓国の映画は、小さな食堂や食卓で食事をするシーンがよくあると思うのですが、そういうシーンを見るたびに、料理はもちろんですが、食べるしぐさとかとても興味を惹かれます。 今回の映画はバッチリでしたね。とりあえずマザコン男が友達を夜中に連れてやって来て食べるのがこれです。酔っ払い二人がスープをうまそうに飲んですすり込んでいました。 映画.com 冷麺でしょうかね。出汁のスープでさっぱりいただく感じ。うまそうですね。 下の写真は、お母さんの「エラン」さんが、ボロクソに言う、彼女に苦労だけ残して早死にした夫の好きだったらしい料理。 映画.com キムチの鍋のようなのですが、具はサバなのですね。もちろん、お魚のサバです。かなり、食べてみたいですね。それから、下の写真、これは、日本料理ならおウドンでしょう。横に添えられているキムチがうまそうでしょ。添えられている箸としゃもじが金属製でないのには理由があるのでしょうか。 映画.com 鶏頭の花の砂糖漬けの料理の途中がこれです。 映画.com 砂糖とか、お酒に漬けた「ジュース」がお店の棚にいっぱいに並んでいます。乾燥野菜や植物の根っことかもあるようです。お店の屋上には大きな壺がたくさんあって、コチュジャンや醤油が自家製で作られています。 映画.com 何の飾り気もないお店の中は、お母さんとなかなかいい感じの店員さんが毎日仕込んでいる宝の山という風情です。 たしかに映画では母と家族をつなぐレシピ帖が、「家族の物語」を紡ぎだす大切な役割を担っていますが、本当にすごいのはこの「宝の山」のように思いました。 ボンクラ息子が母の哀しみの秘密を知らなかったところに、筋立てとしては、少し無理があると思いました。 しかし、最終的には、認知症の母の姿に、不愛想だった母の態度の奥にあった「真の愛情」を発見するという「母恋物語」という定型が評価されているようですが、お母さんの財産の処分をめぐって、現代社会全体にとっての「宝の山」であるこのお店の本質を発見しているところに、作品全体の印象に「深さ」のようなもの、飽きさせない面白さが生み出されていると思いました。 上のチラシの、お団子のようにみえるのが子供用のおにぎり、大鍋いっぱいのスープに見えるのが、ボケてしまったエランさんが作り過ぎたおかゆです。 それにしても、画面に登場する韓国の女性たちの、「嫁」とか「姑」とか、軽々と飛び越えた本音が飛び交う闊達な物言いがとても気持のいい映画でした。 監督 キム・ソンホ 製作 イ・ウンギョン 脚本 キム・ミンスク 撮影 ソン・サンジェ 美術 ウン・ヒサン 編集 オム・ユンジュ 音楽 カン・ミングク キャスト イ・ジュシル(母エラン) イ・ジョンヒョク(息子ギュヒョン) キム・ソンウン(息子の妻スジン)2018年・104分・韓国原題「Notebook from My Mother」2020・09・04パルシネマno30ボタン押してね!
2020.09.06
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大江健三郎「河馬に噛まれる」(講談社文庫) 大江健三郎なんて、若い人はお読みになるのでしょうか。まあ、年取った人もお読になるのか、ともいえるわけだですけれど、入試で使われるわけじゃないし、読んで、ああ、おもしろいとなるわけじゃないし、やたら誰も読まない西洋の古典や哲学を持ち出して、読んでいながら「さあ、もう、投げ出しなさい、投げ出しなさい。」と声をかけられているとでもいう展開だし、作品の中でのことではあるのですが、小説家(書き手)の周辺と思しき登場人物の、妙に道徳的な振る舞いが鼻につくし。 作家が映っている写真を見ると、大体、昭和の大家然とした丸メガネが胡散臭いし、本来、素朴なはずの、そのデザインが逆にわざとらしくてうっとうしい。 そんな大江健三郎の「河馬に噛まれる」(講談社文庫)を、小林敏明という人の「柄谷行人論」(筑摩選書)の中の引用だか、注釈だかに促されて久しぶりに読みました。 初めて出版されたころのことを何となく覚えています。1985年に文藝春秋社から出版された単行本の文庫版ですから、30年以上前の作品です。「ヘルメス」という岩波文化人雑誌に掲載された章もあったとボンヤリ記憶しています。 ぼくは当時、「連合赤軍事件」を思想的に総括したと評判をとり、川端康成賞を受賞したはずの、この小説を、読み始めはしたものの、結局、途中で投げ出したのでした。ところが今回、予想もしなかった場所に連れて行かれた、そんな感じを持ちました。「面白かった」というのとは、微妙ですが、少し違う場所でした。 アフリカの自然公園で飼育係をしている青年が河馬に噛まれた。そんな素っ頓狂なエピソードから小説は始まります。 革命党派の生き残りの「河馬に噛まれた青年」はいくつかのエピソードを経て「大江ワールド」の住人になっていきます。 青年をめぐる出来事と、作家である語り手の個人的な記憶や事件が、語り手の日常生活に複層的に重ねられて語り続けられていきます。どこに終着点があるのか、どこまで行っても読者であるぼくにはわからないムードが漂っていて、またもや投げ出しそうだったのですが、何とかたどり着いた最終章「生の連鎖に働く河馬」の末尾でこんなフレーズが用意されていました。 河の中に緑の植生のかたまりができると、河は氾濫する。水中で盛んに活動する河馬は、植生のかたまりに通路を開き、水の流れを恢復させる働きをする。 河馬にはまたラベオという魚がまつわりついており、河馬が陸上からおとしこむ植物や、河馬自体の糞を食べる。そのようにして河馬は、アフリカの自然の生物の食物連鎖に機能をはたしている。 小原氏の記述に僕は誘われる。 ラベオと呼ぶ魚の群れをまつわりつかせつつ、水流を閉ざす緑の植生のかたまりに通路を開けるべく、猛然と泳ぐ河馬のありようが、有用なものとして排泄されるそいつの糞便ともども、人を励ます眺めではないか? おそらくは気の荒い牡の若い河馬に噛みつかれるほどまぢかから、活動を見守っていたものにとって、河馬の働きはいかにも勇ましく奮い立たしめる体のものではなかっただろうか? 文庫に収められた六篇の、それぞれ独立しているともいえる連作の中に、このフレーズは二度出てきます。 もちろん、環境保護団体のアピールではありません。れっきとした小説のことばです。この作品全体を、あるいは、作家の「書く」というモチベーションの正体を照らし出す光源のありかを、かなり遠回しではあるもののも、たしかに暗示しているとぼくは読みました。 真っ暗な何もない舞台には、あたかも、人が生きる日常の光が満ちているように設定された照明が、作家によって備え付けられていることに、読者のぼくは「あっ、そうか」と得心しました。で、「得心」と一緒に、ここまで読んできた小説の世界が上から降りかかってくるような異様な感動がやってきたのです。 二度目に、そして、作品群の最後に出てきた、このフレーズを読みながら、連赤の生き残りの青年を小説の世界に召喚する作家の手つき、手管のようなものに強い違和感を感じた初読の、あの当時に引き戻されながらも、一方で、小説の中の大江のことばを借りて言うなら、「この項つづく」と言いきかせながら暮らしてきたぼく自身の日々と、その結果たどり着いた、ぼく自身の現在という場所を照らし出す灯のような力が、この、いかにも大江的で大仰なフレーズにはあると感じました。 60歳を越えたぼくが、一体、なぜ、「この項つづく」と自分自身が固執してきたと感じたのか、一体、何を「この項つづく」と感じてきたのか、実は両方とも、うまく言葉にすることはできません。 しかし、この年齢の、この場所に来て、大江のいうように「上向きの勢いを込めて」かは、心もとないにしても、やはり、もう一度「この項つづく」とつぶやいてみようか、そんな気持ちになって本を閉じたことが不思議でした。(S)追記2020・03・22 大江健三郎と柄谷行人の対談集「全対話」(講談社)の第一章は詩人で作家であった中野重治について語り合ったものです。大江がこの小説で使った「この項つづく」は、中野重治の著書の中の「この項つづく」の引用なのだということが語られているのですが、興味のある方は対談をご覧ください。 ちなみに、ぼく自身の感想は《大江健三郎・柄谷行人「全対話」》に書いています。ここからどうぞ。追記2022・11・26 大江健三郎のこの作品を、最初に手に取ったと記憶している1985年、ぼくは31歳でした。そもそも、大江の作品群に夢中になりはじめたのは1975年あたりです。で、今、現在が、2022年で、68歳です。 最近、「大江健三郎自選短編」(岩波文庫)という、かなり膨大な文庫本を手に取る機会があって、ポツポツ読み始めています。キーワードは「この項つづく」です。とりあえず、大江健三郎という作家の「この項」とは何だったのかという関心なのですが、「奇妙な仕事」、「死者の奢り」、「飼育」と読み継ぎながら、20代の自分が、いったい何を「この項」として読んでいたのか、さっぱりわからないというのが、今のところの感想で、かなりうろたえています。 要するに、あの頃の自分が何をそんなに面白いと思っていたのかが、今読み返してよく分からないのですね。 マア、そういうこともあって、オタついていますが、もう少し読んでみようという、意欲は残っているようなので、そのうち感想を載せたいと思っています。追記2023・03・15 60歳を過ぎて、大江健三郎の作品と再会したのはこの作品でした。つい先日この作家の訃報を見たり聞いたりしながら、ぼく自身の10代からの50年、半世紀にわたって、ぼく自身もなんとか、かんとか、生きてきた「同時代」について、作品によってに限らず、参加(?)することを臆することなく続けてきた作家は、結局、彼一人だったなあ、という、まあ、感慨に浸りました。 そういえば、サルトルのアンガージュマン(engagement)という言葉も、この作家の何かの文章で覚えたのではなかったか、そんな記憶のようなものも、一緒に湧いてきましたが、「この項つづく」と横に置いたまま、忘れていく自分をどうしていいかわからない現実社会の混沌は、いつまで経っても混沌のままなのだということを知るばかりで、アンガージュマンのすべはわからないままです。 老いた作家の肖像写真を見ながら、せめて、この作家がたどり着いたところがどこなのか、やはり作品に帰ってみようと思いました。ボタン押してネ!にほんブログ村柄谷行人論 〈他者〉のゆくえ (筑摩選書) [ 小林敏明 ]柄谷論はこの人のこれ。おすすめです。夏目漱石と西田幾多郎 共鳴する明治の精神 (岩波新書) [ 小林敏明 ]これもいいですよ。万延元年のフットボール (講談社文芸文庫) [ 大江健三郎 ]大江はここからが、ゃはりオモシロイ。
2019.06.11
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「ジャカランダってご存知ですか?」 徘徊日記 2024年6月10日(月)和田岬あたり あのー、ボクは知らなかったんですが、世界三大花木とかいう言い方があって、南アフリカ原産の「カエンボク」、マダガスカルが原産の「ホウオウボク」、またの名を火炎樹ともいうそうです。 で、もう一つがブラジルとかの熱帯アメリカが原産の「ジャカランダ」をいうのだそうです。 先週、お友達からメールがあって、「あんな、和田岬に世界三大花木のジャカランダいう木があって、今、咲いてるはずやねんけど、行くか?」「行く、行く、チッチキ夫人も一緒でもええか?」「ええで、ええで、うちのは孫見なあかんから行かれへんいうてるけどな。」 というわけで、6月10日の月曜日、家までお迎えいただいて、和田岬めざしてぴゅー と思いきや、国道43号線を南に下ったあたりで、「あんな、最近、このへんわからんようになるねん。ちょと、ナビ、ナビ。」「県工のとこらへんやろ。兵庫駅の東南ちゃうの。」「うん、そうやねん普照院いうお寺やねんけどな。」 誘っていただいて、運転手していただいているHさんは、生まれも育ちも、長田区の住人で、和田岬は、一応地元なのですが・・・・。「えっ?あれ県工やから、そこちゃうの?」「ああ、そやそや。」 で、やって来たのが普照院というお寺の駐車場でした。 これですね(笑)。ジャカランダという花です! 実際には青紫色が、写真よりあざやかにかんじます。 どうも、満開の時期は過ぎているらしく、足元には、独特の形の花がたくさん散っていますが、充分見ごたえがある花ですね。 青空に紫がかったハナブサが映えていいですねえ(笑)。 かなりな大木です。根もとに看板がありました。南アメリカ原産のノウゼンカズラ科の木だそうです。根っこからの太い幹には、何故か包帯(?)が巻いてありますね(笑)。 ちょっと離れると、こんなふうです。左の奥にネットが見えますが、県立の兵庫工業高校のグランドです。このあたりは、三菱とか川崎重工とかの工場群だった(今でもそうですが)こともあってでしょうね、1945年の空襲で、集中的に爆撃されて、焼け野原になった地域ですね。 お寺の本堂に上がる階段の横にお地蔵さんです。本堂は撮り忘れましたが、新しい建物で、一遍上人の時宗の寺院のようです。 お寺の今日の言葉です。慈悲ですね。励ましといたわりだそうです。最近、まあ、年のせいでしょうね、こういう言葉が身に沁みますね。 お寺の横に自動車を止めていたのですが、実はお隣は清盛塚で、北側は兵庫運河でした。お寺の前から北の方角はこんな風景です。 大輪田の泊まりとか、兵庫の津とか呼ばれていたところです。向うが神戸の町です。 さて、ここからどこに行くのでしょうね。まだお昼には少し早い時間ですが。徘徊はまだまだ続きますよ。 にほんブログ村
2024.06.16
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週刊 読書案内 石原吉郎「石原吉郎詩文集」(講談社文芸文庫) 映画が早く終わって、さあ、帰ろうと思いながら、さしたる目的もなく、ただ歩いているだけの日があって、そういえば「歩きながら考える」詩人が、貧血で倒れて、そのまま入院したとかいう話を、ずーっと昔に読んだことがあったことを思い出しました。 詩人の名前は石原吉郎です。1915年、大正4年生まれで、東京外語のドイツ語学科を出て1939年に出征し、1945年の敗戦を満州のハルビンで迎えるのですが、その年の暮れにソビエト軍に逮捕され、捕虜となります。 1949年、25年の重労働の刑を言い渡されます。反ソ・スパイ行為の罪だったそうですが、1945年以前の、彼の職掌に基づいた行為が断罪されたらしいです。結果、シベリアのラーゲリに収容され、1953年、スターリンの死によってようやく解放され、翌1954年に帰国するという「体験(?)」を経て、詩を発表し、戦後詩を代表する詩人の一人と評価された人でした。 戦争体験を背景にした詩人としての作品が60年代から70年代の若いひとの心をつかみました。かく言うぼくもその一人ですが、詩人がアルコール依存症に苦しみ1977年、62歳で世を去ったとき、「自ら命を絶ったのでは」と、一人で、ぼんやり考え込んだことを覚えています。「さびしいと いま」 さびしいと いまいったろう ひげだらけのその土塀にぴったりおしつけたその背のその すぐうしろでさびしいと いまいったろうそこだけが けものの腹のようにあたたかく手ばなしの影ばかりがせつなくおりかさなっているあたりで背なかあわせの 奇妙なにくしみのあいだでたしかに さびしいといったやつがいてたしかに それを聞いたやつがいるのだいった口と聞いた耳のあいだでおもいもかけぬ蓋がもちあがり冗談のように あつい湯がふきこぼれるあわててとびのくのは土塀や おれの勝手だがたしかに さびしいといったやつがいてたしかにそれを聞いたやつがいる以上あのしいの木もとちの木も日ぐれもみずうみもそっくりおれのものだ(詩集「サンチョ・パンサの帰郷」より) こんな詩を繰り返し読んでいたぼくは1974年に二十歳になった青年でした。で、そのころのぼくは、たとえば「石原吉郎の詩」のことなんかを誰かと語り合うことが、最初から禁じられているような思いこみで、文字通り「無為」な学生生活を送っていました。詩がわかっていたわけではありません。しかし何かが刻み込まれていくような印象だけは残りました。 あれから半世紀の時が経ちました。先日、思い出したついでに手にとった「石原吉郎詩文集」(講談社文芸文庫)をパラパラしていて、ワラワラと湧いてくる得体のしれないものに往生しましたが、中にこんな詩を見つけて、少し笑いました。「世界がほろびる日に」世界がほろびる日にかぜをひくなビールスに気をつけろベランダにふとんを干しておけガスの元栓を忘れるな電気釜は八時に掛けておけ (詩集「禮節」より) 50年たったからといって、詩人の作品がよくわかるようになったわけではありません。詩人の死の年齢をとうに過ぎて、二十歳の青年が「歩く」よりほかに行動する意欲を失った老人になっただけです。この50年のあいだ、その半ばには、住んでいた神戸では大きな地震があり、その後、世紀末だというひと騒ぎもありました。それから10年たって、想像を絶する津波と原子力発電所の崩壊までも目にしました。にもかからわず、世界は陽気に存続しつづけています。 「ああ、これがほろびの始まりかも」 このところの「コロナ騒動」を、半ば当事者として、半ばは傍観者として眺めながら、そう思ったのですが、なかなかどうして、しぶとく「ほろび」をまぬがれそうです。本当は、もう「ほろんでいる」のを知らず、毎日、電気釜をセットしているのかもしれませんが、世はこともなげに選挙で騒いでいたりして、イソジンが効くとかいった人が人気者だったりします。 「あるく」しか能のない老人は、うるさく騒いで人を集めている宣伝カーをなんとか避けながら、裏通りにまわり、ブツブツつぶやきます。 「かぜをひくな ビールスに気をつけろ」 なかなかいい感じです。寒くなります。皆様も風邪などお引きになりませんように(笑)。
2021.11.09
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ハロルド作石「7人のシェイクスピア(第10巻)」ヤンマガKC ヤサイクン「マンガ便」最新版、「7人のシェイクスピア」最新号です。エリザベス朝のロンドンでは、ストレンジ卿一座対海軍大臣一座の間で、熾烈な劇場闘争が繰り広げられているのは、前号からの続きです。 マンガで繰り広げられている演目は「ヘンリー6世」。シェイクスピア初期の史劇で、大ヒットとした作品らしいのですが、前半の山場はイングランドの将軍トールボット親子の死に別れの場ですね。 All these and more we hazard by thy stay. All these are saved if thou wilt fly away. 「お前がとどまることで全てが危険にさらされ、お前が逃げることで全てが救われるのだ。」 敗色濃厚なイングランド軍にあって、父トールボット卿が、7年ぶりに再会し、共に戦う息子ジョンに向かって叫ぶ名セリフですね。 息子ジョン・トールボットはご覧の通り、父の目前で戦死。父もこの戦いで戦死します。対戦相手は、あのジャンヌ・ダルクです。シェイクスピアの名セリフ山盛りのシーンが続きますが、マンガは役者の演技の蘊蓄で引っ張ります。 このあと、攻守逆転したイングランド軍は魔女ジャン・ヌダルクを捕らえ火炙りの刑が舞台上で繰り広げられますが、本当に火を焚いたのでしょうね、当時の舞台は。 もっとも、このジャンヌの描き方あたりから、ちょっと、「大人のマンガ」化の雰囲気が広がり始めます。だって、胸の描き方、ちょっと、「おいおい」という気がしません? さて、第10巻の後半は喜劇「恋の骨折り損」なのですが、腰巻でうたっている通り「禁断で真実の恋」が始まります。「大人のマンガ」全開ですね。文豪シェイクスピアの恋というわけですが、相手は女王の侍女ジョウン・ブラント。エリザベス女王の宮廷で「恋」はご法度なのですが、「Love is a Devil」の始まりがこのシーンです。 やっぱり、巨大な胸の描き方に笑いそうですが、その後どうなるかって?はい、フル・ヌードの濡れ場に突入しますが、まあ、そのあたりの展開はお読みいただくしかありませんね。 しかし、あの手、この手、ハロルド君も頑張ってますよ。ホント、よくベンキョウしてはりますね。「7人のシェイクスピア」(第九巻)へはこちらをクリックしてください。「7人のシェイクスピア」の最初はこちら。追記2023・02・15 久しぶりに過去の掲載記事の修繕をしています。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.11.23
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ナショナル・シアター・ライヴ 2020 ノエル・カワード「プレゼント・ラフター」神戸アート・ヴィレッジ 久しぶりのナショナル・シアター・ライヴでした。ノエル・カワードという人の「プレゼント・ラフター」というお芝居でした。 「さあ、ここで笑って!」 とでもいう意味なのでしょうか。正真正銘の「喜劇」でしたね。 登場人物相互の愛憎関係といい、女優になりがっている女性の登場といい、脚本家志望の「狂気」の青年といい、まごう方なきの喜劇で、英語がわからないぼくでも笑えるつくりでした。 なのですが、最後の最後には、ちょっと物悲しいというか、ギャリー・エッセンダインという、真ん中に立ち続ける、最悪な男のありさまが他人ごとじゃないと、65歳を過ぎた老人に思わせるのですから大したものでした。 つくづく、英語ができたら、もっと面白いだろうなあ、と思うのはいつものことですが、俳優たちの「存在感」を揺らぎがない「空気」で見せつづける舞台は、やはりレベルが高いのでしょうね。 映画.com 写真はギャリーと離婚(?)しているにもかかわらず、「仕事のためよ」 とかなんとかいいながら、ちっとも出て行こうとしない別れた妻リズとの、にらみ合いですが、お芝居全部が、このにらみ合いの中で展開していたようです。これはこれで、かなり笑えるシーンなのですが、ホント、夫婦って何なんでしょうね。演出 マシュー・ウォーカス作 ノエル・カワードキャストアンドリュー・スコットインディラ・バルマエンゾ・シレンティキティ・アーチャーソフィー・トンプソン2019年・180分・イギリス原題:National Theatre Live「Present Laughter」2020・11・16神戸アート・ヴィレッジ追記2020・11・26 これで、神戸アートビレッジでのナショナルシアター2020のプログラムは終了なのですが、「真夏の夜の夢」を見損ねたが、返す返すも残念でした。プログラムの日程を度忘れしていて、一週間も気付かなかったことにショックを受けています。 物忘れがひどくなっていて、ちょっとヤバいんじゃないか、不安になっています。追記2023・04・26 神戸アートヴィレッジ・センターが 、ナショナルシアター・ライブに限らず、所謂、映画上映をやらなくなって2年たちました。月に何度か通っていたこともあって映画の上映を支えていた方と顔見知りになり、少しお話もするようになっていたのですが、最後の会話は転勤、配置換えのお話でした。お元気でいらっしゃるのでしょうか。 センターの活動方針の変更は採算が理由だったのでしょうが、採算を理由にすると文化は滅びますね。 ときどき、前を通ることがありますが、センターの中に人影を見かけることはありません。儲からないところは潰せばいいという印象を市民に与える文化行政の街に住んでいることをさみしく思う市民のいることを忘れないでいただきたいですね。にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.26
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谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(青土社) 1975年、ぼくは大学1年生だったか、2年生だったか?大学生協の書籍部の棚にこの詩集が並んでいたことを覚えています。 価格の900円が高かったですね。書籍部の書棚の前に立って、棚から抜き出して立ち読みしました。 芝生そして私はいつかどこかから来て不意にこの芝生の上に立っていたなすべきことはすべて私の細胞が記憶していただから私は人間の形をし幸せについて語りさえしたのだ 巻頭の、この詩を読んで、自分から、なんだか限りなく遠い人が立っているような気がしたのを覚えています。 それから45年たちました。先日、同居人の書棚にある詩集を見つけ出して、そのまま書棚の前に座り込んで初めて読む詩のように読み始めました。 2 武満徹に飲んでいるんだろうね今夜もどこかで氷がグラスにあたる音が聞こえるきみはよく喋り時にふっと黙り込むんだろぼくらの苦しみのわけはひとつなのにそれをまぎらわす方法は別々だなきみは女房をなぐるかい? 4 谷川知子にきみが怒るのも無理はないさぼくはいちばん醜いぼくを愛せと言ってるしかもしらふでにっちもさっちもいかないんだよぼくにもきっとエディプスみたいなカタルシスが必要なんだそのあとうまく生き残れさえすればねめくらにもならずに合唱隊は何て歌ってくれるだろうかきっとエディプスコンプレックスだなんて声をそろえてわめくんだろうなそれも一理あるさ解釈ってのはいつも一手おくれてるけどぼくがほんとに欲しいのは実は不合理きわまる神託のほうなんだ 谷川俊太郎も若かったんだなあ。というのがまず第一番目の感想ですね。「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」と題された詩篇は、全部で14あります。二つ目に「小田実に」とあるのが、なんだか不思議な感じがしましたが、どの詩も、印象は、少し陰気です。 14 金関寿夫にぼくは自分にとてもデリケートな手術しなきゃなんないって歌ったのはベリマンでしたっけ自殺したうろ覚えですが他の何もかもと同じようにさらけ出そうとするんですがさらけ出した瞬間に別物になってしまいますたいようにさらされた吸血鬼といったところ魂の中の言葉は空気にふれた言葉とは似ても似つかぬもののようですおぼえがありませんか絶句したときの身の充実できればのべつ絶句していたいでなければ単に啞然としているだけでもいい指にきれいな指環なんかはめて我を忘れて1972年五月某夜、半ば即興的に鉛筆書き、同六月二六日、パルコパロールにて音読。同八月、活字による記録お呼び大量頒布に同意。 気にとまった作品を書きあげてみましたが、あくまでも気にとまったということです。それぞれに、刺さって来る一行があるのですね。 四歳年下の同居人が、大学生になってすぐに購入していることに、今更ながらですが、驚いています。この詩人の作品を愛していた彼女に、ぼくとの生活について問い直すことは、やはり、今でも、少し怖ろしいですね。
2020.12.20
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こうの史代「この世界の片隅に(上・中・下)」(双葉社) 2020年も終わろうとしていますが、今思えば、コロナ騒ぎが最初の頂点を迎え、政治家のインチキが、あっちでもこっちでも露呈しはじめた2020年の4月、ゆかいな仲間のヤサイクンのマンガ便に入っていたマンガでした。 こうの史代「この世界の片隅に」(上・中・下)(双葉社)です。 すぐに読みましたが、なかなか、思うように感想が書けないまま放っていました。 この作品は、広島で育ち、隣町の呉の北条周作のもとに嫁いだ浦野すずという主人公の、戦時下の日々の暮らしを描いた物語でした。ぼくが知らなかっただけで、アニメ映画として評判になり、単行本のマンガもよく読まれている作品であるらしいですね。誰でも知っている物語のようなので、ここでは筋書きの紹介はしませんね。 ぼくは、アニメも見ていませんし、評判になっていたらしいこのマンガも読んでいませんでした。ヤサイ君のマンガ便がなければ読むことはなかったでしょう。 ところが、最近「ペリリュー」という武田一義のマンガを読みながら、 「そういえば、あのマンガの主人公も漫画を描きたかったんだよな」 と思い出したのが、このマンガの主人公すずのことでした。 彼女は戦地に出征した兵士ではありませんが、戦地で命懸けの男の人に代わり、一人でも多くの男の子を生むのが「義務」だと考えるような、純朴な女性です。にもかかわらず、子供が出来ずに悩むすずが、遊郭の女性白木リンと語り合うこんなシーンがあります。「ほいでも周作さんもみんなも楽しみしとってのに子供が出来んとわかったらがっかりしてじゃ」「周作さん?」「あ 夫です」「あんたも楽しみなんかね?」「はあ まあ・・・」「うちの母ちゃんはお産のたびに歯が減ったよ しまいにゃお産で死んだよ それでも楽しみなもんかね?」「そりゃあまあ・・・怖いこた怖いけど ほいでも世の男の人はみな戦地で命懸けじゃけえこっちもギムは果たさんと」「ギム?」「出来のええアトトリを残さんと それがヨメのギムじゃろう」「男が生まれるとは限らんが」「男が生まれるまで産むんじゃろう」「出来がええとも限らんが」「予備に何人か産むんじゃろう」 すずは、子どもができないことで、嫁ぎ先に居場所がないことを不安に思い、子どもを産めない女性が実家に帰されるということを、素直に信じる女性でもありました。 そんなすずを「売られてきた女性」白木リンはこんなふうに慰めます。 「ああ、でも子供が居ったら居ったで支えんなるよね」「ほっ ほう! ほう!! 可愛いし‼」「困りゃ売れるしね!女の方が高いけえ、アトトリが少のうても大丈夫じゃ 世の中、巧うできとるわ」「なんか悩むんがあほらしいうなってきた・・・・」「誰でも何か足らんぐらいで、この世界に居場所はそうそう無うなりゃあせんよ すずさん」「有難うリンさん」 ここに、このマンガの読みどころの一つがあると思いました。白木リンがどんな人間にも「この世界の片隅に」、「生きる場所」というのはなんとかあるものだと教えるなにげないシーンですが、落ち着いて読み返すと哀切極まりないシーンなのです。 二人が、仲良しになって、悲しい会話をしたこの時にすずには、戦火の下とはいえ、まだ、大好きな絵を描く右手がありました。そして、苦界で生きる白木リンにも、永らえる「いのち」があったのでした。 やがて、ペリリュー島で田丸1等兵たちが苦労して守っていたはずの「本土攻撃」の防衛線は、肩透かしのように突破され、東洋一の軍港の町「呉」もアメリカ軍の空襲にさらされていきます。そんな戦況の中で、すずは街角の不発弾に遭遇し、手を引いて歩いていた6歳の姪、晴美ちゃんの命と、つないでいた自分の右手を一緒に失います。 「この世界の片隅に」居場所を失ったように苦しむすずは「居場所はそうそう無うなりゃあせんよ」と励ましてくれた、白木リンを探しますが、彼女は居場所だった遊郭ごと、「この世界の片隅」から消えていました。 敗戦の日のシーンです。 ああ、暴力で従えとったいうことか じゃけえ暴力に屈するいう事かね それがこの国の正体かね うちも知らんまま死にたかったなあ・・・ この世界に取り残されたことを、もだえ苦しむすずの頭を、天から降りてきたのでしょうか、やさしく撫でる「右手」が描かれます。 戦死した兄、要一の石ころ入りの骨壺。爆弾に吹き飛ばされた姪の晴美。やっと、話ができたのに遊郭ごと消えた白木リン。1945年8月6日から行方不明の母。原爆病で起き上がれない妹のすみ。 すずの失われた「世界」が、次々と想起される中で、幻の「右手」が彼女の居場所がまだあることを教えるかのようです。 焼け野原の呉の街で拾った戦災孤児を背負って歩いている周作とすずの後ろ姿が描かれ、マンガは、再び「この世界の片隅」のような北条家の居間に戻っていきます。 戦後社会への着地の仕方が、とてもソフトなところに好感を持ちましたが、何よりも「マンガを描きたかった」浦野すずという設定と、あくまでも小さな日常にこだわった筋運びに、戦後70年たって書かれている戦争マンガの新しさを感じました。 蛇足のようになりますが、宗教学者の島薗進という方が「ともに悲嘆を生きる」(朝日選書)という本の前書きで、執筆の数年前に流行った3本の映画、「シン・ゴジラ」と「君の名は」、そして「この世界の片隅に」を見たことを話題にしてこんなことをおっしゃっていました。「シン・ゴジラ」と「君の名は」は見ごたえはたっぷりあるが、観客も涙を流すような感動はなかった。 ところが、「この世界の片隅に」は見応えがたっぷりあるとともに深く心を揺さぶられた。こうの史代の同名のコミック作品に基づく、片渕須直監督の作品だ。そこですぐ原作を買って読んだ。2006年から09年にかけて発表された作品だが、予想にたがわずため息をつきながら読みふけった。 そして、それは悲嘆が身近に感じられる21世紀の現代という時代と深い関わりがあるように感じた。 ぼくが、気になるのは、このマンガが、なぜ、今、みんなに受け入れられたのかということですが、島薗さんは、始まったばかりの「21世紀という社会」には、「悲嘆」の方向に動きやすいの空気が漂っていて、そのことと、このマンガの描く「世界」が繋がっていると論じておられますが、そうなんでしょうか。 そういえば、お葬式の作法とか、そっち方面の話が映画になったりしたのは今世紀に入ってからですね。島薗さんの御意見は、そのうち「案内」するかもしれませんが、とりあえず、そちらの本のほうで直接ご確認いただきたいと思います。追記2021・08・06 コロナの感染者数が日々新記録を刻んでいますが、大運動会の報道に夢中にみえるNHKという「公共放送(?)」は大運動会の報道に夢中で、この世界で本当に起こっていることからはかけ離れた「公共(?)」ぶりです。 そのうえ、例年、8月6日に放送していた「原爆」特集番組を、こっそり、取り止めにしたりしているようです。 なんだか。恐ろしい時代の始まりを演出して、いい気になっている夜郎自大なものを感じます。本当に気味の悪いことですね。
2020.12.30
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ワン・ルイ「大地と白い雲」シネ・リーブル神戸 もう二十年ほども前のことですが、内モンゴル自治区の省都フフホトに、もちろんボランティアですが、臨時の日本語教員として数日間滞在したことが、何度かあります。ぼくの唯一の外国体験ですが、その時教室で出会った19歳の少女に出身地をたずねたところ、教室の後ろの壁に貼ってあった世界地図を指さして、笑顔で答えてくれました。「家族は、夏の今頃はこのあたりにいるはずです。フルンボイル草原です。知っていますか?満州里からバスに乗って半日くらいです。」「あなたは、この学校で日本語を勉強してどうしたいと考えているの?」「日本語検定をとって、日本に留学します。」 この映画の主人公を演じているタナという女優さんを見ていて、名前も忘れてしまった、その少女のことを思い出しました。どことなく似ているのです。 映画にはフルンボイル草原の大地と空が、始めから終わりまで、ずっと映っていました。草原を出ていきたい夫とここで暮らすという妻という若い夫婦の「生きていく場所」をめぐる争いというか、葛藤というか、が、「現代の出来事」として描かれていました。 面白いのは、草原のパオの中にスマホのためのWi-Fiを取り付け、互いに、顔を映しあうトランシーバーごっこするシーンでした。地の果ての草原にも「現代」が押し寄せているのです。 それにしても、馬が走り羊が群れている草原のシーン「速さ」や「勢い」、空や草原や湖の遠景の「広さ」が、人間の営みの「小ささ」を映し続けているのが印象的でした。これが「自然」なんです。 ぼく自身、もっと南の草原で、あの「遠さ」や「広さ」、「自然」の中に立ったことがあります。この映画が映し出す風景は、その記憶を超える「遠さ」、「広さ」だと思いましたが、果たして、暮らしていく場所として「そこ」にとどまり続けることができるのかどうか、考えさせられました。 「近さ」を人工的な道具に頼ることで作り出している現代社会の果てにある「そこ」にとどまるには、生半可ではない「意志」がいることを若い妻サロールの姿に感じながら、あの少女のことを思い出しました。 「日本に留学します」と、あの時、明るく笑ったあの少女は故郷に帰ったのでしょうか。監督 ワン・ルイ脚本 チェン・ピンキャストジリムトゥ(チョクト・夫)タナ(サロール・妻)ゲリルナスンイリチチナリトゥチナリトゥハスチチゲハスチチゲ2019年・111分・G・中国原題「白雲之下」 英題「Chaogtu with Sarula(チョクトとサロール)」2021・09・27‐no87シネ・リーブル神戸no121
2021.09.30
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滝口悠生「水平線」(新潮社) 今回、案内するのは滝口悠生の新しい作品で「水平線」(新潮社)です。 昨年(2023年)一番記憶に残ったのがこの作品でした。昨年の夏ごろだったかに読み終えて、傑作だと思いましたが、うまくいえないので、放ったらかしになっていました(笑)。 滝口悠生という人は「死んでいないもの」(文春文庫)という、「死んでいなくなった」のか、「死んではいない」のか、わからないという、まあ、人をくった題で、葬式に集まった人間たちを描いて2016年だかに芥川賞をかっさらった作品で気に入ってから、何となく読み継いでできた作家です。 1982年生まれで、2003年には41歳。若い作家ですね。同世代の作家たちと、ちょっと味わいの違う中編小説の人だと思っていましたが、今回の「水平線」は26章、503ページの大作でした。 書き出しはこんな感じです。 屋上のデッキからは、洋上に快晴が広がりつつあるのが見えた。風は穏やかだったが、航行する船上では向かい風が生じ、風を受けた耳元からがぼうぼう鳴った。風は海から来て、船を抜け、また海に吹き去る。ときどき、そこに誰かの酔いが紛れているような気がしたが、それがゆうべの酒の残りなのか船酔いなのかわからない。どの方向に目をやっても、島影は全然見えない。いまデッキ上には誰もいない。(P3)船はいまも確かに一つの時間を前に進んでいる。昨日の昼前に東京の竹芝桟橋の港を出て、一晩を越えた。貨物船おがさわら丸の行き先はその名の通り小笠原諸島父島である。夜の明けた太平洋を南進している。(P4) ここでの語り手は横多平(よこたたいら)という登場人物自身のようですが、38歳、フリーの編集者だそうです。今、小笠原諸島の父島行きのおがさわら丸に乗っています。 彼が、なぜ、この船に乗っているのか。広大な「水平線」を越えて、彼はどこに向かっていて、そこで何が起きるのか。まあ、そんなムードで小説は始まりました。 しばらく読むと語り手が、三森来未(みつもりくるみ)というパン屋さんで働いている36歳の女性に替わって、今度は自衛隊入間基地の飛行場で出発を待っているこんな描写になります。 私の胸には、三森来未(みつもりくるみ)、と名前の書かれた札がついている。今日輸送されるのは私たち、つまり人間で、一瞬なにか物のように扱われているような気になるが、考えてみれば輸送機と言っても運ぶのは物資や資材に限った話ではなく、ふだんから人材つまり自衛隊員の輸送を担うものであるわけだった。自衛隊員にはそもそも旅客機なんかないだろうし。いや、もしかしたらあるのかな。いや、ないか。中略 私たちは戦場に派遣されないし、イラクにもクウェートにも派遣されない。輸送機の行き先は小笠原にある硫黄島という島である。東京都が春のお彼岸に行ってくる、硫黄島の元住民に向けた墓参事業は、かつて島に暮らしていたひとだけでなく、その親族も対象とされていて、ここに集まっているのはその参加者だ。(P15 ~P16) 小説は東京都の南の果て小笠原諸島の、そのまた南の果ての硫黄島に向かう二人の男女の姿を描くことから始まっているのですが、この三森来未さんの語りに続いて、硫黄島というのは、クリント・イーストウッドが映画で描いた、あの硫黄島のことで、1960年代の終わりにアメリカから返還されて以来、2010年現在、自衛隊の基地があるだけで、一般住民は一人も生活していない島だということ、太平洋戦争の末期、1944年に強制された全島疎開以前は1000人を超える島民が暮らしていらしいのですが、その後、硫黄島の争奪をめぐる激戦で日本陸軍の軍人20129人、100人近くの現地徴用の島民、6821人のアメリカ兵が亡くなり、今でも、10000人以上の遺骨が眠っているということを記したうえで、展開していきます。 もう少し登場人物と、この小説が描く物語の発端を説明すると、船に乗っている横多平と、自衛隊の輸送機を待っている三森来未は、来未さんが、離婚した母の旧姓を名乗っているだけで、それぞれ独身の実の兄妹です。その兄妹が、なぜ、今、硫黄島か? まあ、そういう疑問で読み進めたわけですが、その二人の携帯電話にフイにかかってくる電話がすべての始まりでした。 二人が生まれる40年以上も昔に、現地徴用されて硫黄島で亡くなったり、疎開した伊豆の町から蒸発したはずの祖父の弟や祖母の妹から電話がかかってくるという奇想的現実を発端に兄、妹を動かし始めるのです。 そこから、若い二人の現在の生活が描かれるのですが、その、「今」そのものの生活にケータイ電話から、いたずら電話を思わせる明るさで「過去」が響いてくる中で、語り手を変幻に替えていくことで、故郷を知らない二人とその家族、戦中、戦後を生きた祖父母の人生、1940年代の島の暮らしが重層的に重ねられていく書きぶりで、忘れられつつある戦後を背景に「現代」を描くという、久々の本格小説だと思いました。 まあ、ボクの感想ではさっぱり要領を得ないのですが、新潮社のホームページで作家の松家仁之さんが「死者から届く親しげな挨拶」と題して書評していらっしゃるので、関心のある方はそちらをどうぞ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.11
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黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社) 不思議な出会いということがありますね。黒川創という人の仕事について、ここのところ読み継いでいるのは、彼の「鶴見俊輔伝」にたどり着く前の下調べ気分でした。サッサと読めばいいだろうということなのですが、肝心の「鶴見俊輔伝」が手に入っていないのです。そんなこんなしていますと、2019年の年明けですね、そのころ偶然、読んでいた佐伯一麦の「麦の日記帳」のおしまいのほうで、こんな記事に出会ったのでした。 一月某日 評論家で小説家でもある黒川創さんが、奥さんで編集者の滝口夕美さん、娘さんのたみちゃん(二歳)妹さんの画家の北沢街子さんと、その旦那さんで地球物理学者の片桐修一郎さんとともに来訪する。さながら黒川組といった面々。 二年前の六月に小樽で授賞式があった最後の伊藤整文学賞を、私は「渡良瀬」で小説部門、黒川氏は「国境 完全版」で評論部門の受賞者となった縁で、付き合いが生まれた。北沢街子さんは現在仙台に住んでおり、二月にご主人の勤務先が変わり、福岡県に引っ越してしまうので、その前に一度妹がすむ街を訪れたい、ということだったらしい。 実は、ここで佐伯一麦と同時に受賞したと紹介されている評論「国境 完全版」(河出書房新社)は、ぼくが「黒川創の仕事」と勝手に題をつけてシリーズで案内しようとしている作品群の中で、今のところトリをとる予定の著書です。今回は「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という、おそらく「国境」という仕事から生まれた一冊を「案内」しようと書きあぐねていたのですが、そこに佐伯のこの記事がやってきたというわけです。 この夏から関心をもって読み継いできた小説家の佐伯一麦と評論家の黒川創の二人が、偶然、伊藤整文学賞でつながっていたということ知って、「あわわ…」という感じで意表を突かれたのですが、一方で、「えっ、やっぱり、つながってるんじゃないか」と腑に落ちた面もありました。 佐伯一麦の「渡良瀬」(クリックしてみてください)という作品を案内しましたが、する中で、なぜ「渡良瀬」という題名なのだろうという疑問が上手く解けないという感じがありました。そこで、こう書きました。「日々のうたかたのような人の暮らしを描く小説の最後に、この風景を描くことで、人の命や生活を越えた時間が小説世界に流れ込んでくると作家は考えたに違いない。」 「渡良瀬」という、この小説作品を読み終えたときの、自分自身の感動の根にある表現に対する、精いっぱいの推測でした。 ところが、ここで案内している「鴎外と漱石のあいだで」のなかに、大正時代、中原淳一の挿絵とセットで一世を風靡した「少女小説」の作家、吉屋信子が父を語ったこんなエピソードが紹介されてがいたのです。 小学生の吉屋信子は、梅雨空の夕暮れどき、自宅のからたちの垣の前に立っていた。こちらに入ってくる人がいて、蓑を着て菅笠をかぶっていた。当時、それらはすでに古風な農村の雨具だったが、強い印象を受けたのは、この客人の顔だちだった。 老顔に白いひげが下がった。ぎろっとした目のこわいおじさんだった。あわてて逃げ出そうとすると、いきなり、おかっぱの頭をなでられた。節くれだった太い指の手で、なでるというより、つかまれた感触だった。 母親は、蓑笠姿のおじさんを平伏して迎えた。役所から帰っていた父親も、奥から現れた。母はお酒の支度をした。客の好物の青トウガラシをあぶるために、女中は八百屋へ走らされた。こうやって大騒ぎでもてなした客が、田中正造という天下の義人とされている人だった。 けれど、円満解決はえられなかった。やがて年を経て、谷中村を水底に沈めるために強制的に土地を買収、村民立退きの執行官吏として、父がその村に出張したまま一か月も帰宅できずにいる留守に、幼い弟は疫痢にかかって危篤状態に陥った。 弟が亡骸となってから、父はやっと帰宅した。夏で、白ズボン、脚絆、わらじ履きの土足のまま座敷に駆け込み、死児を抱き上げて、うろうろと畳の上を歩きまわった。それも束の間、小さな蒲団にわが子のの遺体を戻すと、待たせていた人力車に乗り込み、再び谷中村へと引き返してゆく。 夫を見送ると、母はその場で気を失い、しばらく動かなかった。父が急いで村にまた戻ったのは、強制立ち退きに最後まで応じない農家十三戸を、家屋を破壊しても追い立てる、残酷な仕事が残っていたからだった。やがて、さらなる父の転任で一家がその土地を去ったのち、一九一三年(大正二)、田中正造翁の逝去が伝えられた。 仏壇に線香をあげて、母は言った。 「人のために働いた偉い人だったねえ…」 その人の好物。トウガラシが色づく初秋だった。》 足尾銅山から流れ出した鉱毒が渡良瀬川流域を汚染した対策として、鉱毒沈殿のために広大な遊水地が作られました。その過程で、全村水没の悲劇に抵抗した谷中村の戦いを支えたのが田中正造であり、政府から派遣された郡長として計画を実行したのが、吉屋の父、吉屋雄一だったというのです。 二人の出会いを、吉屋の娘、信子の著書から引いてくる、この手つきが黒川創の方法なのです。大文字で語られてきた歴史的事件のなかに、人の背丈をした人間を配置することで、歴史の姿が変化することを彼はよく知っていると思います。 佐伯の小説が時代の下流に立つ人間を描いているとするなら、ちょうど、それと反対の方角から、やはり人間の姿に迫ろうとする方法といっていいと思うのですが、同じ、渡良瀬の遊水地の話題で、今という時代を生きている二人の作家が別々の仕事の現場で、ほぼ同じ時期に遭遇していることは、ほんとうに、単なる偶然なのでしょうか。 ところで、ようやく肝心の案内ということになるのですが、これが難しい。話題が多岐にわたっていて、まとまりがつかないのです。 黒川創は「国境完全版」のあとがきでこんなふうに書いています。 夏目漱石という作家は、二〇世紀初頭のたった一〇年間を、創作に心血を注いでいき、そして死んでしまった。彼は時代への参加者でありながら、優れた傍観者でもあった。私には、その人柄が、ほほえましく感じられる。森鴎外という人が、支配体制の枠組みの中に辛抱してとどまりながら、つい、時々は、崖っぷちのぎりぎりまで覗きに行って、また戻ってくる、そうした態度を示すことについても、また。「鴎外と漱石のあいだで」は1894年、日清戦争後の台湾軍事統治の現場にいる軍医、森鴎外の姿から書きはじめられています。鴎外は大日本帝国の東アジア進出の当事者としてそこにいるわけです。 面白いのは、50年の後1945年、鴎外の長男、森於菟は台北帝大医学部の解剖学の教授であり、箱詰めにされた鴎外の遺稿や資料のほとんどがこの大学の倉庫に眠っていたそうです。 森於菟は、なさぬ仲の義母、森しげとの確執からか、父、鴎外の遺品をすべて赴任地に持って行ったのだそうです。その結果、東京にあった森家の旧居が、空襲にによって、すべて灰燼に帰したにもかかわらず、現在の「森鴎外全集」(岩波書店)の資料はすべて無事だという奇跡が起こりました。資料の帰国事業を担ったのは台湾の「日本語文学者」だったそうです。 一方、1903年、英国留学から帰国した漱石を待っていたのは、現実の日本という社会でした。 1904年 日露戦争 1905年 ポーツマス条約 1907年 足尾鉱毒事件 1909年 伊藤博文暗殺 1910年 大逆事件・韓国併合 1911年 辛亥革命 日本のみならず、東アジアの近代史を揺るがす大事件が立て続けに世間を騒がせ続ける中にあって、洋行帰りの夏目金之助は1907年朝日新聞社に入社し、小説という新しい表現の「創作に心血を注ぎ」始めるのです。 「それから」・「門」という作品の中で大逆事件が、なにげなく話題になっていることは知られていることかもしれませんね。しかし、入社第二作「坑夫」が足尾鉱毒事件のさなかに書かれ、足尾銅山の坑夫の話だということに、ぼくは初めて気づいきました。前述した吉屋信子のエピソードは、漱石のみならず、近代の日本文学の社会とのかかわりをあざやかに示唆しているのではないでしょうか。 もう一つエピソードを上げるとすれば、第一作「虞美人草」の女主人公「藤尾」のモデルが平塚雷鳥というのは有名なはなしなのですが、入社の前年に書かれた「草枕」の女性「那美」のモデルは前田卓(つな)といい、辛亥革命の立役者、黄興、章炳麟、孫文が亡命地日本で集った「民報社」で働く女性であったということも、本書によって知りました。 1911年、鴎外、森林太郎が「大日本帝国」を代表する推薦人として名を連ねた文学博士号授与を、あくまで拒否する漱石、夏目金之助の立っていた場所。漱石は社会に対してタダの傍観者ではなかったにちがいないし、鴎外は文学者としては、想像を超えた崖っぷちに立っていたのかもしれない。そういう思いが、次々と湧いてくる一冊でした。 黒川創が描こうとしている「日本語の文学」の成立という大きな構図の背景に身の丈で立っている森林太郎、夏目金之助という二人の姿から見えてきます。そういうふうに配置して見せた黒川さんの手つき、ぼくにはそこがエラク面白かった。(S)追記2019・11・24「鶴見俊輔伝」はこちらからどうぞ。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.06
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森岡正博・山折哲雄「救いとは何か」(筑摩選書) 哲学者(?)森岡正博と宗教学者(?)山折哲雄の対談「救いとは何か」(筑摩選書)を読みました。とうとう、「救い」を求め始めたわけではありません。図書館の棚を見ていて、以前、読んことのある森岡正博の名前を見つけて、どうしているのかと興味を持ったにすぎません。 「なぜ人を殺してはいけないのか」で対談が始まります。そこで、対談全体の問題が提示される、いわば、前振り的会話なのですが、そこで山折哲雄が引用している、北原白秋の「金魚」という詩にギョッとしました。 「金魚」 北原白秋 母さん、母さん、どこへ行た。 紅い金魚と遊びませう。 母さん、歸らぬ、さびしいな。 金魚を一匹突き殺す。 まだまだ、歸らぬ、くやしいな。 金魚をニ匹締め殺す。 なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。 金魚を三匹捻ぢ殺す。 涙がこぼれる、日は暮れる。 紅い金魚も死ぬ死ぬ。 母さん怖いよ、眼が光る。 ピカピカ、金魚の眼が光る。 この詩を引用した山折哲雄は「なぜ」と問う少年との対面を想定してこう発言しています。 子供は神でもなければ仏でもない、大人と同じ、普通の人間だという認識ですね。だから僕には、そう言い切ることのできた白秋という人間が忘れられない。(中略)親鸞は「殺すまいと思っても、一人でも千人でも殺してしまうことがあるのだ」と言っている。人間はそういう、論理的に説明することのできない「業」を抱えている。 ぼくがもし少年と対面したなら、「君もそいう業から逃れ得ているとはとても思えない。・・・」そういう話からまず始めると思う。 まずは、妥当という感じはしますが、さて、この言葉が「現代」の少年に届くのでしょうか。 この件についての北原白秋の発言が「北原白秋朗読」というブログに載っていました。孫引きさせていただきます。 私は児童の残虐性そのものを肯定するものではない。然し児童の残虐性そのものはあり得る事である。私の『金魚』に於ても、児童が金魚を殺したのは母に対する愛情の具現であった。この衝動は悪でも醜でもない。「白秋詩歌一家言・童謡私観」 北原白秋のこの言葉の「凄み」は、この詩が言葉にして言うのがはばかられるような「美しさ」を湛えているところにあると思います。 山折哲雄は話の展開上なのでしょう。そこには触れないで、「業(ごう)」について語っているのですが、この本の食い足りなさはそこにあるではないでしょうか。 この対談は、この後、社会事象としては「秋葉原通り魔事件」、「オームのサリン事件」、「東日本大震災」、を話題として取り上げ、「ゴジラ」、「ひまわり」、「禁じられた遊び」、「西部戦線異状なし」、などの懐かしい映画について語り合い、漱石の「門」、「明暗」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、「ヤマナシ」、「なめとこ山の熊」、といった文学作品の解釈も披露してくれます。最後は、原爆投下や原発事故をめぐって、昨今話題になったサンデル教授の「ハーバード白熱授業」の論法が批判され、宮沢賢治の「デクノボー」の思想にたどり着きます。 カギになる考え方は「誕生肯定」、生まれてきてこの世に存在することの肯定ですね。もう一つが「消滅肯定」。死ぬことの受け入れ。存在の不条理を「自然性」の上に置いて考える可能性を、宗教と哲学の両面から試行錯誤する試みでした。 事件や映画、文学作品に対する発言は、解説的でわかりやすく、ディベートによる論理展開が批判されるのも、ホッとします。 しかし、最終的に、白秋の「金魚」の恐ろしさは、どうも避けられた節があります。そこが残念でしたが、北原白秋について新たに思い出させてくれたことで納得というわけです。追記2020・05・25 北原白秋と西條八十の詩について感想を書きました。「北原白秋・五十音」をクリックしてみてください。 最近、イギリスで「保育士」をしているブレイディみかこという人の本にハマっているからでしょうか、お二人の会話がお話しの上手な住職と教養にあふれた檀家の坊ちゃんのやり取りだったように感じられます。 今や、「なぜ人を殺してはいけないか」 という問いさへ宙に浮き始めているかに見える「現代」の子供たち、いやもう、大人たちに対してどう迫っていくのか。「デクノボー」の思想の深さはどうすれば伝えられるのか。そんなことを考え始めています。にほんブログ村にほんブログ村『教行信証』を読む 親鸞の世界へ (岩波新書) [ 山折哲雄 ]こういう方です。仏教とは何か ブッダ誕生から現代宗教まで (中公新書) [ 山折哲雄 ]激しく考え、やさしく語る 私の履歴書 (日経プレミアシリーズ) [ 山折 哲雄 ]写真はこの方。まんが 哲学入門 生きるって何だろう?【電子書籍】[ 森岡正博 ]こういう方です。草食系男子の恋愛学【電子書籍】[ 森岡 正博 ]ちょっと流行ってました。【送料無料・営業日15時までのご注文で当日出荷】(新品DVD)禁じられた遊び 名作洋画 主演:ブリジット・フォッセー ジョルジュ・プージュリー 監督:ルネ・クレマン FRT-098懐かしいですね。西部戦線異状なし【Blu-ray】 [ リュー・エアーズ ]名画です。【中古】 ゴジラ(昭和29年度作品) /宝田明,河内桃子,本多猪四郎(監督、脚本),香山滋(原作),円谷英二(特技監督) 【中古】afb最古のゴジラ。
2019.06.18
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マシュー・ハイネマン「ラッカは静かに虐殺されている」元町映画館 no1 「元町映画館」に初めて行ったのが、2018年、昨年の7月のはじめでした。元町商店街の3丁目だとばかり思いこんでいて、その上、山側だと思いこんでいて、探しあぐねましたが、「お茶」屋のおニーサンが、親切に教えてくれました。 観たのは、マシュー・ハイネマンという人の、この映画でした。 「ラッカは静かに虐殺されている」 平和とか自由とか、人々は、たぶん、そういうことを大事だと思っているのに、世界が静かに崩壊していく印象を受けました。残酷だとか、非人間的だとか、そういう言葉が通じない世界が、すぐそこに、何のためらいもなくあるという実感が迫ってきました。 本当は、異様なはずの映像が、淡々と流れるように見えてしまいます。「ぼくは少しおかしいんじゃないか?」「ヤバイよこれは!」「ここは、息をのむところだろう?!」 焦りのような、不安のような、言葉にならない何かが、自分の中に音にならない音を響かせながらひろがっていくのを感じました。そして、ぼくは、じっと、文字通り、かたずをのんですわっていました。 邪魔者はどんどん殺していく、そんな考えを子どもたちに煽るという事実が、今、この世界のどこかにあるということが、うまく咀嚼できません。そんな苛立ちのようなものがジーッと頭の中にのこりました。 生きのびて、憔悴しながら、伝えることに全てをかけている人々の顔がありました。普通の暮らしをとり戻そうとする命がけの表情と姿に胸を衝かれたように感じました。そしてぼくは、やはり、すわっていました。自分の中に、いたたまれない感じが拡がるのがよくわかりました。 映画館を出ると、外は、夏本番の日差しがあふれていました。誰も歩いていない裏通りを選んで歩きました。 それが元町映画館の初体験でした。これから、きっと世話になるに違いないと思いました。 2018/07/09追記あれから、一年が経とうとしています。世の中の、いたたまれなさが、急速に広がっています。いちばん最近、元町映画館でみたのは「主戦場」です。いろいろ、見せてくれる映画館ですね。追記2020・05・31 臨時閉館していた元町映画館が、昨日(5月30日)から再開したようです。60席あまりしかない映画館に、きっと大勢のファンが駆けつけているに違いありません。 さて、再開第一発は何にしましょう。やはり「ニューシネマパラダイス」かな。追記2023・05・31 ブログのカテゴリーを改修しようとして、古い記事を触っています。この数年間お世話になっている元町映画館の初体験が2018年の7月9日で、観たのがこのドキュメンタリーだったことを、なんとなくですが、覚えていました。元町映画館では、あれから200本ほどの映画を見てきましたが、まあ、これからもお世話になることでしょう(笑)ボタン押してネ!
2019.06.25
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井上荒野「ひどい感じ」(講談社) 娘が語る父親。直木賞作家井上荒野が、父であり、戦後文学の孤高の作家井上光晴の素顔を語ったエッセイ。穏やかに言えばそういうことになります。 しかし、たとえば自らの出自や経歴について、ほぼ完全に虚構化していたことが知られている数奇な作家であり、自らの死にざまを「全身小説家」と題してドキュメンタリィー映画に撮らせた父親の娘が語るとなると穏やかにはすまないだろう。それが、この作品を読みはじめた理由でした。 予想に反して、穏やかで、温かいエッセイでした。「嘘もつき終わりましたので・・・・・、じゃあ」と去って行った作家は、少し風変わりとはいえ、どこにでもいそうな父親であり、亭主であったようです。その男の肖像が、間違いなく娘の目によって描かれていました。 ところで、井上荒野はエピローグでこんなふうに書いています。「お父さんについての本をまとめてみませんか」というお話をいただいとき、正直言って、まったく気が進まなかった。娘が父について書くという行為にまつわる甘えた感じ、感傷的な感じを、どのように書いても払拭できる気がしなかったからだ。 少し、辛めに感想を言えば、この危惧はそのまま一冊の本になったと言えるでしょう。しかし、「ひどい感じ」というタイトルに込められた「ある感じ」が、甘ったるさから、この作品を救っていることに気付くと、少し話が変わります。 「ひどい感じ」というのは井上光晴の詩の題名らしいのですが、その詩の書き出しが、エピローグに紹介されています。終電車に乗り遅れたんだとさひどい感じだからあいつは女とホームのいちばん外れに寝た・・・ 「終電者に乗り遅」れて、「女とホームのいちばん外れに寝」ていた男は、父親として、夫としてどんな顔をして暮らしていたのでしょう。 「虚構のクレーン」の作家の「虚構の家庭」の姿を、笑いとペーソスで描いた井上荒野という作家の「穏やか」な筆致のしたたかさに気付くと、甘ったるいとも言っていられなくなるというのがボクの感想です。 ちなみにドキュメンタリィー映画「全身小説家」のチラシはこんな感じです。(S)追記2020・09・26 作家井上光晴が、文学事典などに残した経歴は多くがデタラメであったというのは、今ではよく知られたゴシップかもしれませんが、作品はもちろん、実際の生活がでたらめだったわけではないでしょう。「ゆきゆきて進軍」という映画が最近リバイバルされて、結構にぎわっていたようでしたが、ぼくが見たいのは「全身小説家」の方なのです。どこかでやらないかなあ。ボタン押してね!にほんブログ村ひどい感じ──父・井上光晴【電子書籍】[ 井上荒野 ]全身小説家 [ 井上光晴 ]
2019.09.05
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「荒地詩集1951」(国文社) 鮎川信夫「橋上の人」 鮎川信夫なんて詩人の名を今では高校生も大学生も知りません。そうなんですよね、教科書にも、もう出てきません。半世紀以上前、戦争が終わったばっかりの廃墟のような大都会の片隅で、集まって詩集を作って、詩人になった人がいたのです。田村隆一、黒田三郎、鮎川信夫もそんな人たちでした。彼らが書いた詩を載せた同人雑誌が「荒地」で、その雑誌を本にしたのが「荒地詩集」です。その詩集が1970年ころに復刊されて、その頃予備校に通っていた浪人生が、その本のなかから気に入った何行か、白い紙に書きだして四畳半の天井に貼っていました。寝転んで、上を見ると。そこに詩のことばがありました。 浪人生だった19歳の少年は、今、60を超えたのですが、ふと口をついて出ることばがあります。「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」いったい、少年は、何に別れを告げたくてこんな言葉を天井に貼ったのでしょうね。あれから45年たったのですが、よく分からないのです。 「死んだ男」 鮎川信夫たとえば霧やあらゆる階段の跫音のなかから、遺言執行人がぼんやりと姿を現す。──これがすべての始まりである遠い昨日・・・・Mよ、君は暗い酒場の椅子の上で、歪んだ顔をもてあましたり、手紙の封筒を裏返すようなことがあった。「実際は、影も、形もない?」──たしかに死にそこなってみれば、そのとおりであった昨日のひややかな青空が剃刀の刃にいつまでも残っている、だが私は、時の流れのどの邊で君を見失ったのか忘れてしまった。黄金時代──活字の置き換えや神様ごっこ──「それが私たちの古い処方箋だった」と呟いて・・・・いつも季節は秋だった、昨日も今日も、「淋しさの中に落葉がふる」その声は人影へ、そして街へ黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。埋葬の日は、言葉もなく立ち会うものもなかった、憤激も悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった、君はただ重たい靴の中に足をつつ込んで静かに横たわつたのだ。「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」Mよ、地下に眠るMよ!君の胸の傷口は今でもまだ痛むか。 文学研究者の証言によれば、詩の中で「Mよ」と呼びかけられている「死んだ男」とは作者鮎川信夫の親友森川義信。森川は昭和17年ビルマの戦線で戦病死した「荒地」の詩人です。この詩はいったい何時頃書かれたのか、おそらく戦後すぐのことであったろうと思います。「荒地詩集1951」(国文社)に載せられています。 同じ詩集の中に書かれている鮎川自身の試論の一説で、「僕たちが書いてきた詩の暗さについては、十年も前からいろんな人に指摘されつづけてきた。」と「荒地」派の人々の詩風がどんな風に受け取られてきたか説明しています。 確かに暗い。でも、この国の現代詩、特に戦後のそれは、おおむね暗くて、難解だから気にしてもしょうがないですね。 フレーズが一つ気に入ったら、何度も繰り返して口ずさむ。詩や歌を理解する鉄則は、それしかない。そう、思い込んできました。一発でいいなと思う詩より、ある時、気になり始めた詩のほうが長持ちすると、そんなふうに詩を読んできました。 この詩集には「石の中に眼がある 憂愁と倦怠に閉ざされた眼がある」 で始まる田村隆一の詩「皇帝」もあります。いづれまた案内しようと思っているのですが、いつになることやらです。(S)初稿2005・1・13改稿2019・10・30追記2019・10・30「荒地」派というふうに、何だか政治党派の分派のように呼ばれていたらしいのですが、僕が学生だった頃には、すでに個人詩集や、全集のようなものまであるメジャーな詩人たちでした。その頃、お世話になった思潮社の「現代詩人文庫」というシリーズの一桁のラインナップに名を連ねている詩人たちでした。 不思議なもので、ひとりで徘徊していると、ふと「石の中に眼がある、か?」と口をついて出るのですが、それが誰のことばだったかわかりません。帰宅して、ネットで調べると、すぐヒットします。便利な時代になったとつくづく思いますが、繰り返し口ずさむ人は減ったかもしれませんね。追記2022・06・16 どなたかわかりませんが、古い投稿記事を読んでくださった方がいらっしゃることに気づいて、記事を見直すと、意味不明の文章で焦りました。 とりあえず、修繕しましたが、荒地の詩人の詩とか、どこかで案内しようと思っていたことにも気づいて、夏までに好きな詩を投稿しようかなと思いました。その時はよろしく。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.03
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早良朋「へんなものみっけ!(第4巻)」(小学館ビッグスピリッツコミック) 「生き物の不思議」に挑む博物館マンガ!、「へんなものみっけ!」最新号、第4巻です。 今回は、「お願い…」の清棲あかり先生と薄井透くんの、淡々しい恋の物語は、全く展開しません。だから、あんまり笑えません。 今回の美しきヒロインは、この方です。奏山動物園飼育係三上育さんですね。失恋の痛手に苦しむ彼女に恋する男が出てきますが、薄井君ではありません。ネタバレで申し訳ありませんが、まあ、三上さんの失恋の相手がこちらのイケメンの方だったというのがオチですね。 今回、初登場のもう一人のヒロインはこの方ですね。ホント、ヒロイン好きですね。 「釧路湿原猛禽保護センター」の夏目貴子所長です。獣医師でボーイッシュな美人です。なんか、スルドイ感漂わせまくりですが、まあ、ありきたりなキャラ立てと言われてしまいそうなところは目をつむりましょう。 舞台が、釧路湿原というのが、なんといっても魅力的ですね。話題が北海道に跳んだだけでも、うれしいのは、ぼくだけではないでしょう。そもそも、このマンガを紹介してくださったのが、北海道は十勝地方の「博物好き」の女性ということから、縁も感じる展開ですね。 オジロワシ 当然のことながら、今回の登場動物はオジロワシ。前にも言いましたが、ぼくにとっては「絵」が下手とか、「話の筋」が無理筋というか、ご都合主義というかは、小さなことですね。あるのは、次は何を出してくるのかという素朴な興味と関心ですね。 第3巻では「南極」が話題になりましたが、もう、世界のあちらこちら、何処にでも、無理やり行っていただきたい。猛禽やゴリラの絵だって、まあ、とても上手とは言えないにしても、この作者、好きが高じて漫画家になったんだな、そいう「ほのぼの感」がぼくは嫌いじゃありません。 ただ今のところ、この第4巻が最新なわけで、「ありきたり感」とか「マンネリ」とか、壁はいっぱいあると思いますが、ガンバレ早良‼っていう感じで、ヒマな徘徊老人は次号を待っております。 ああ、言い忘れるところでした。トカゲ迄はいいのですが、🐍は堪忍して戴きたい。それだけが注文ですね。まあ、無理なら仕方がありませんが。追記2019・11・22「へんなものみっけ!」 第1巻はこちらをクリックしてください。にほんブログ村にほんブログ村
2019.11.22
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野口武彦「幕末バトルロワイヤル(全4巻)」(新潮新書) 世を去って20年、日本史がお好きな人のための読書案内の定番は、やっぱり、司馬遼太郎だろうか。 司馬遼太郎が、幕末から維新への歴史を人物で描いた歴史小説のシリーズは、ご存知「竜馬が行く」(文春文庫)をはじめ、新撰組とともに滅んだ土方歳三を、人気者竜馬に負けないヒーローに仕立て上げた傑作「燃えよ剣」(新潮文庫)、北越戦争における左幕派、長岡藩の死闘を、《早く生まれすぎた男》 とでも呼ぶほかない人物、河井継之助の悲劇的生涯と重ねて描いた「峠」(新潮文庫)と、枚挙にいとまがないわけですが、たとえば、この北越戦争で壊滅的打撃を受けた長岡藩の末裔の教育思想が、いつかの総理大臣が口にした「米百俵」という言葉だったりするわけですが、これらの長編小説は、その、ほとんどが文庫化されて、ある時代の学生たちにもよく読まれました。まあ、その結果というのでしょうか、あまり賢そうでない近頃の国会議員たちが、やれ吉田松陰が、高杉晋作がと、この時代の人物を理想化して口にする様は、彼の小説群の世相に与えた影響力と考えてよさそうだ。 彼の小説には、読者のイメージの上滑りを煽るようテンポのよさで、主人公と同化することを強いるようなうまさがあって、そして、それが、人気の秘密の一つだと思うのですが、土方俊三を理想の男性だと公言してはばからない女性を知っていますが、確かに「燃えよ剣」の土方歳三は女性読者にモテルに違いないわけですが、司馬遼太郎の主人公は土方に限らず、例外なくカッコよくて「男らしい!?」 わけですが、じつは、そう描かれている、そこにこそ司馬遼太郎の文体の秘密があるという、ちょっと醒めた眼差しも忘れてはあきませんよという気がボクはするのですが。 彼はもちろん事実を曲げたりはしていません。しかし、作家が。それぞれの人物を、混沌たる歴史の海から浮上させてきて、セリフを与え、表情を描いていく筆の鮮やかな描線に読者が陶酔しているにすぎない可能性があることについて、ちょっと冷静になって見るのはいかがでしょう。 文芸作品として優れているのは、その文体の、独特な造形性にあるわけで、何も文句をいう筋合いはないのですが、読者が陶酔し、理想だと信じている主人公たちは本物なのでしょうか?歴史忘失のアホ議員が。安易に、松陰や継之助を持ち出す風潮に、フト、そんなふうに感じるわけです。 で、ここに野口武彦「幕末バトルロワイヤル」(新潮新書)シリーズ(全4巻)があります。 江戸思想史のエキスパートである著者が猥雑な現実を洒脱な筆遣いで描き、「週刊新潮」に連載した歴史エッセイの新書化です。「おじさんたち」向けの著作なのですが、四冊が照らし出すのは天保の改革から桜田門外の変を経て、明治元年にいたる歴史の現場であり、その現場でさらけ出される人々の素顔といっていいでしょう。 志ポットが当てられているのは、たとえば、江戸の将軍であり、水戸の天狗であり、京の貧乏公家であり、下田の黒船船上の尊攘志士、吉田松陰ですね。 たとえば、シリーズ第2巻「井伊直弼の首」の「至誠人を動かす」の章にこんな記述があります。 現実には一介の幽閉された行動家に過ぎない松陰が「孟子」でいちばん愛したのは「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」という一語であった。臣下が誠を尽くせば、君上はこれを信じ、上下の心は必ず通じる。誠は人を動かす。そう思い込んだ松陰の行動原理はあまりにも純粋無垢で、俗吏がはびこる世間では処置に困るほど、いや、時には門弟たちすら辟易するほど真っ正直だった。 つづけて「小塚原の首」の章では安政の大獄に連座した吉田松陰の姿が描かれています。取調べの三奉行(寺社・町・勘定)の前で松陰は ペリー来航以来の幕府を批判して熱弁を揮った。ヤブヘビだった。信じられないような真っ正直さで、老中間部詮勝の迎撃を計画したことを進んで申し立ててしまったのである。 ここには松陰の愚かしいとも、誠実ともいえる素顔がクローズアップされています。 解説的にいえば、老中襲撃計画はまったくの絵空事といってよい計画であったにもかかわらず、彼は、《弟子たちも辟易する》至誠を貫き、妄想というほかない、頭の中でねばならないと信じた計画を告白し、小塚原で首をはねられたわけです。 次章「桜田門外の変」で描かれている大老井伊直弼の首を取った水戸浪士たちもまた妄想家たちででした。彼らに確たる状況認識・政治的展望があったわけではないことは、本書をお読みになればわかります。 しかし、これらの事件の結果、時代は動いたのです。 大老の死は幕府の屋台骨を傾け、師の復讐を誓った高杉晋作をはじめとする松下村塾の門弟たちが、傾き始めた幕府に止めを刺すべく回天の活躍を始めます。妄想の人の至誠が人を動かし、歴史はアイロニカルに場面転換していったのでした。 この四冊には幕末を生きた人々の素顔が細密な風刺画、怜悧なサタイアとして、愚かしさも純粋さもくっきりと描き出されています。現実を生きた人間だからこその猥雑なリアリティがそこには浮かんできます。 出版されて十年。当時「至誠の人を尊敬する」と公言し、幼稚な愛国思想を標榜してトップに立ち、今、私利私欲の猥雑な素顔をさらし始めた政治家の末路を見通すかの好著だと思います。乞う御一読。(S)2018/06/24追記2024・06・14 著者である野口武彦さんが6月9日に亡くなりました。ボクにとっては、50年にわたる畏敬の人でした。何ともいえないさみしさの中にいます。ボタン押してね!にほんブログ村元禄五芒星 [ 野口 武彦 ]◆◆群像 / 2019年11月号野口武彦さん最新小説。
2019.11.26
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鈴ノ木ユウ「コウノドリ(1)」(講談社) 十二月に入って、留守中にやって来たヤサイクンの「マンガ宅急便」ですが、なかなか、アタリ!が多かったですね。小林まことの「女子柔道部物語」、原泰久「キングダム」最新号、そして、これ、鈴ノ木ユウ「コウノドリ」と山盛りです。 主人公は産科のお医者さんでジャズ・ピアニスト。2013年に連載開始で、ただ今、28巻、進行中だそうです。この間、テレビドラマにもなって、世間では、世の中のことを何にも知らないとシマクマ君が思っている女子大生でも知っている、当たり前の人気漫画であるらしいのですが、テレビも見ないし世間様との付き合いも、ほぼ、無い徘徊老人は知らなかったというわけです。なにげなく手に取って、ちょっと引きました。 「なんですか、これは?」 「鴻鳥サクラ」、名前がまず、「はてな?」でしょ?絵は微妙なので、イケメンなのかどうかはともかく、ジャズピアニスト「ベイビィ」がアンコールで舞台から突然消えるんですね。病院で緊急出産手術というわけなんです。フツーは、ここで終るのですが、次のページでこんな展開。 「でも未受診なのは母親のせいで、お腹の赤ちゃんは何も悪くないだろ」 これが、最初の「あれっ?」 最近、産婦人科の医師である増崎英明さんに最相葉月さんがインタビューした「胎児のはなし」(ミシマ社)という本を読んで、いたく感動して、あちこちで「付け刃」を振り回しているのですが、その「付け刃」に、このマンガが繰り出してくる「妊娠」と「出産」の話題が次々とジャストミートし始めるんですよね。 こう言っては何ですが、私こと、自称徘徊老人シマクマ君は65歳を越えています。ここからの人生で、誰が考えても、まず、関係のない出来事が、妊娠・出産なんですね。なのにどうして? 「胎児のはなし」を読んだ、一番大きな収穫というか、なるほどそうか!というのが、いま生きている人間にとって、死んだらどうなるかと、これから生まれる赤ちゃんは、どうやってこの世にやってくるのかという二つの領域は、相変わらず神秘の領域として残されているということだったんですよね。 まあ、とはいいながら、死んだらどうなるかは、個人的にはですが、ただの「死にッきり」で結論が出ているわけで、やっぱり、興味がわくのは、「赤ちゃん」の神秘ですね、というわけなのです、きっと。 ページを繰っていくと、下手をすると、きわどいというか、人間のエゴが噴出しかねないこのテーマに対する、マンガ家のスタンスというのでしょうか、構えという方がいいのかな、に、どうも、ちょっとほっておけない独特なものがあるのですね。そこのところに惹かれてしまったようです。止まらなくなりました。 というわけで、たとえば、第1巻の名場面はこれです。 妊娠23週の超早産児と父親との対面のシーンです。 この二人のの出会いまでの経緯が、母親と胎児、妻と夫、そして、担当医師と先輩医師という関係を三本の、少し太い経糸(たていと)にして描かれています。そこに、それぞれの家族、産科病棟職員、患者と医者、医療技術など、様々な横糸が張り巡らされ、破水、切迫流産、帝王切開と畳みかけるように出産へと緊張の展開です。読んでいて息つくひまもない印象です。 そして、このシーンなんですね。ここまで、けっこう緊張しながら読んできた徘徊老人は、マンガの登場人物の涙に、思わずもらい泣きというわけでした。「胎児のはなし」の中で、増崎先生は出産に立ち会った男性は泣くものだとおっしゃっていましたが、年のせいでしょうか、やたら涙もろくなっていることは認めますが、マンガの対面シーンで泣くとはねえ、困ったものです。 第二巻以降については、おいおい、名場面をご案内しよう目論んでおります。ああ、それから「胎児のはなし」(ミシマ社)・「女子柔道部物語」・「キングダム 56巻」はそれぞれ題名をクリックしてみてください。追記2022・09・24「コロナ編」を読みました。で、昔の感想を修繕しています。追記2020・01・23「コウノドリ19」の感想書きました。クリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!【あす楽/即出荷可】【新品】コウノドリ (1-28巻 最新刊) 全巻セット
2019.12.19
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友部正人「誰もぼくの絵を描けないだろう」(SONYレコード) 「誰もぼくの絵を描けないだろう」 友部正人誰もぼくの絵を描けないだろうあの娘はついにやっては来ないだろうぼくの失敗は ぼくのひき出しの中にしかないこの砂のような夜を君に見せてあげたいんだだからもう5時間もこの丸テーブルの前に座り込んでる心臓をかすめて通るはビルディングの直線直線の嵐の中で人は気が狂うだろう女のスカートに男が丸呑みされるのを見たんだ女は最後まで男を愛せないだろうぼくは死ぬまで道路になれないだろうぼくは北国からやって来た南国育ちの君のからだに歯形を付けるために長い長い旅暮らし夜には寝袋に潜り込みボーッボーッて寂しい息をするうんとうんと 重たい靴をはくんだ歩いているのが ぼくにもよくわかるように一度始まれば もう終わりはない地球の胸板に 顔を埋めゆうべ ロバになった夢を見た…扉を開けばそこは北国 ぼくの吹雪の中を彷徨うのは誰だまたいつか君のところへ 帰って行く日が来たらぼくが渡った川や もぎとった取った季節の名前を地図のように広げて 君に見せてあげるよ大きな飛行機に乗っている夢でも見てるのかな記憶と酒を取り替えたまま地下街でまたひとり労務者が死んだ法律よりも死の方が慈悲深いこの国で死んで殺人者たちと愉快な船旅に出る西灘の岸地通りにあった六畳一間のアパートに住んでいたことがあります。鍵なんてかけたこともない暮らしでしたが、部屋に帰ると、灯もつけない部屋で、勝手に上がり込んで、いつもこのLPを聞いていたK君という友達がいました。今でも彼の姿が浮かぶと聞くのがこの曲です。 作家の諏訪哲史の「紋章と時間」(国書刊行会)という評論集を読んでいて、懐かしいこの歌を「詩」として評価するこんな文章を見つけました。 世に「歌詞」と呼ばれているもの、それは音楽の付属物ではなく、音楽そのものだと僕は思います。詞、そしてすべての言語芸術は、一面、文字という空間的要素を持つものの、その本質は、折口の言語情調論を引くまでもなく、節や拍子の連なりから成る「持続」、つまり時間芸術であって、言葉を用いたあらゆる芸術は、極端な話、ドローイングや書道をも含め、まずは音楽に等しいものだと僕は考えます。 すべての言葉が音楽であるからには、そうした音楽らしい音楽を破壊する音楽もまた音楽で、とすれば、言葉もを毀す言葉もまた言葉であり、僕はこうした自壊と内破の力を孕んだ「言葉の正統から避けられた鬼子としての言葉」の中に、言葉の「美」もまたあるように思います。今回取り上げた言葉、本来リリカルな旋律を伴った詞であるこの作品は、ぼくにとってその意味で、まさに美しい日本語です。 この作家の言葉は、K君のように、この曲を繰り返し聴いた人の言葉だと思いました。そして、ぼくより十幾つか若いはずの作家が、そんなふうに、この曲を聞いていたということに、何だかドキドキするものを感じました。うんとうんと重たい靴をはくんだ歩いているのが ぼくにもよくわかるように K君が神戸を去って40年たちます。ぼくは相変わらず神戸の街を歩いています。 友部正人の「詩」は単独の詩集もありますが、現代詩文庫(思潮社)に「友部正人詩集」としてまとめられています。ボタン押してね!にほんブログ村友部正人詩集 (現代詩文庫) [ 友部正人 ]
2020.01.09
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス 14」(BG COMICS) 「ゆかいな仲間」のヤサイクン、2020年の1月のマンガ便に「シオリエクスペリエンス(14巻)」(BGコミックス)が入っていました。2019年の年末に出たばかりの最新号ですね。 13巻で「Bridge To Legend」、通称BTLコンテストの一次予選を勝ち抜いた「SHIORI EXPERIENCEシ・オリエクスペリエンス」なのですが、今回は、振出しに戻った感じですね。でも、見開きのページがかっこいいんです。 言わずと知れた「アビー・ロード」のジャケットの、あのアビー・ロードですね。 さて、マンガですが、ダサい高校教員、本田紫織さん、27歳が率いる「シオリエクスペリエンス」ですが、BTL一次予選も、読者としては予定通り、勝ち抜いて、二次予選はどうなるのかしらというところなのですが、今回は一次予選突破の御褒美で、、格上バンド「タピオカズ」のツアーに前座として参戦して、大きなステージで、一からの苦労の始まりです。 本田詩織さんが27歳という設定なのは、27歳で早世した伝説のギタリストにちなんで、今年中に「伝説」にならなければ・・・というわけなのですが、ジミー・ヘンドリックスのジャック・インという「裏技」で着々と「ビッグ」に成長しています。 14巻も長田悠幸さんお得意の「絵だけ」ページで、なかなか、盛り上がっています、が、今回は海の向こうのアメリカのお話しがポイントのようですね。 で、アメリカなんです。向うでもBTL一次予選は始まっています。そこには「ニルヴァーナ」のカート・コバーン、そして、あのジャニス・リン・ジョプリンという伝説の二人がジャック・インするバンド「The27Club」が登場して余裕で勝ち抜いているらしいんですね。 二人が登場しているページがこれです。 まあ、マンガ家さんとしては、そろそろ「ゴール」の段取りを見せてくれているようなんですが、14巻の最終ページも意味深です。 これって、上で出てきた「アビー・ロード」の横断歩道ですよね。次回はイギリス予選の話なんでしょうか?そういえば「ローリング・ストーンズ」のブライアン・ジョーンズと「ドアーズ」のジム・モリソンという伝説の人が、まだ残ってますよね。 さて、どうなるのでしょうね。楽しみっちゃア、楽しみですよね。追記2020・02・09「シオリエクスペリエンス」(1巻~)・(13巻)・(15巻)の感想はここをクリックしてみてください。にほんブログ村にほんブログ村SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん 10
2020.02.10
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ロジャー・メインウッド「エセルとアーネスト ふたりの物語」元町映画館 2019年の12月に「ロング・ウェイ・ノース」というアニメーション映画を元町映画館で見ました。その時に予告編で見た映画が、この映画です。 チラシをご覧ください。主人公の二人「エセルとアーネスト」が一人の少年を中に互いに抱き合っています。アーネストは協同組合の牛乳配達員、エセルはその妻です。少年はやがて成長して、下方の写真の男性、絵本作家のレイモンド・ブリッグスになります。レイモンド・ブリッグスは、1934年の生まれで、今年86歳。我が家では「さむがりやのサンタさん」と「サンタのたのしいなつやすみ」の二冊を「愉快な仲間たち」が子供の頃、読んだと思うのですが、「風が吹くとき」という絵本でとても有名になった人です。 そのブリッグスが、自分自身が65歳を越えた頃、両親の出会いから死までの人生を「エセルとアーネスト」という絵本にしたそうです。 映画は実際に絵を書いているレイモンド・ブリッグス(多分)の仕事場のシーンを映し出します。実写です。影になっていてよく見えませんが、かなり高齢な男性が、紅茶にミルクを足して飲みながらふと、こんなことばをつぶやきます。「こんな、何の変哲もない夫婦の話が、どうして、こんなに評判がいいんだろう?」 それから、彼は仕事机に向かい、机の上の白い紙に、鉛筆で誰かの姿が書きはじめます。だんだん輪郭がアーネストになってゆきます。色がついて、動き出して、アニメーションの「エセルとアーネスト」が始まりました。とりあえず、最初の「うまいもんやな!」です。 ロンドンの街の、漫画風の地図が映し出されて、地図の中で人が動いています。ブリッグスの絵が動いています。 窓を拭くエセルはメイドさんで、自転車で通りかかる青年アーネストに恋をします。それが物語の始まりでした。 結婚、ローン、マイホーム、出産。戦時下の暮らし。戦後の社会。子どもの成長と自立・・・・。 イギリスの労働者階級のごく当たり前の生活がブリッグスの素朴な絵のタッチそのままに、1930年代から半世紀にわたって描かれていました。 庭に花が咲いたことを喜び、自転車のハイキングで二人の夢を語る。幼子を疎開させ、防空壕を掘らなければならない戦時を嘆き、一方で、戦地で息子を死なせた友人を心からいたわる。勝手に学校をやめた息子に絶望し、自家用車を手に入れらる時代に驚く。そして息子夫婦に子どもができないことを寂しく思いながら老いてゆく。 それが「エセルとアーネスト」の「幸せな」人生の姿でした。あの日、窓越しに出会ったことの「よろこび」の淡い光が、二人の生活の上に静かにさし続けているかのようでした。 しかし、光はやがて消えてしまいます。エセルは目の前にいるアーネストを見失い、一人で旅立ちます。エセルに忘れられたアーネストも、やがて、一人ぼっちでこの世を去りました。 「生きる」ということの、途方もない「哀しさ」をブリッグスは描いていると思いました。最後に、痩せさらばえた父の遺体と出会う息子の姿を映し出して映画は終わります。エンディンテーマが流れて、エンドロールが終わっても涙が止まりません。 ぼく自身の年齢が、そう感じさせている面もあるかもしれませんが、傑作でした。監督 ロジャー・メインウッド製作 カミーラ・ディーキン ルース・フィールディング製作総指揮 レイモンド・ブリッグズ ロビー・リトル ジョン・レニー原作 レイモンド・ブリッグズ編集 リチャード・オーバーオール音楽 カール・デイビスエンディング曲 ポール・マッカートニー声優ブレンダ・ブレシン(エセル:妻) ジム・ブロードベント (アーネスト:夫)ルーク・トレッダウェイ(レイモンド・ブリッグズ:二人の息子)2016年94分イギリス・ルクセンブルク合作原題「Ethel & Ernest」2020・03・02元町映画館no35追記2020・03・05 映画の中のエセルの姿を見た帰り道、耕治人という私小説作家の「そうかもしれない」という作品を思い出しました。まあ、ぼくがそう思うだけかもしれませんが傑作だと思います。とても短い作品です。 認知症の妻と癌になった夫という老夫婦の生活が描かれています。病床の夫を車椅子で見舞った妻は、夫を見ても知らん顔をしています。看護婦さんが気を使って「御主人ですよ」と声をかけると、妻は「そうかもしれない」と答えます。 このエピソードが題名になっていますが、この作家は私小説、自分の経験した出来事を作品にしている人です。だから、実話なんですね。エセルのエピソードとそっくりでした。「哀しさ」が共通していると思いました。 この作品は「一条の光・天井から降る哀しい音 」(講談社文芸文庫)という作品集で読めます。表題の二作と、三作セットで読んでみてください。ぼくは辛いので、当分読み直したりしません。 ああ、それから「ロング・ウェイ・ノース」の感想はこちらからどうぞ。追記2020・03・06「そうかもしれない」の、妻と夫との出会いは、記憶違いでした。大学病院に入院中の夫を車椅子で見舞う妻の発言でした。本文も訂正しました。追記2023・02・03「エセルとアーネスト」の感想を修繕しました。そのついでですが、耕治人の「そうかもしれない」の感想はこちらからどうぞ。ボタン押してね!ボタン押してね!一条の光・天井から降る哀しい音【電子書籍】[ 耕治人 ]
2020.03.05
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N・ライトナー「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」シネ・リーブル チラシの「フロイト教授」の名前に引き寄せらてシネリーブルにやって来ました。ウィーンのフロイトです。見たのは「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」でした。1856年生まれのジークムント・フロイトは生涯ウィーンで終えるはずの人だったのですが、1938年3月に強行されたナチス・ドイツによるオーストリア併合とユダヤ人に対する迫害を逃れて、6月にウィーンを去り、翌1939年、亡命先のロンドンで世を去ります。フロイトに関心のある人には有名な話です。 ところで、この映画ではウィーンを脱出するフロイトを見送った青年がジーモン・モルツェが演じた主人公フランツ・フーヘル君でした。 一方、フロイトを演じたのは、あまり映画を見なかったぼくでも見た「ベルリン・天使の詩」で天使を演じたブルーノ・ガンツです。 最近この人をどこかで見かけたとふと思いましたが、調べてみてようやく気付きました。「名もなき生涯」で主人フランツを裁いた判事を演じていたのがこの人だったのです。「ベルリンを見下ろす天使」、「死を目前にしたヒトラー」、「アルプスの少女ハイジのおじいさん」、名優が演じた最後の人物が「故郷ウィーンを脱出する老フロイト」でした。 このとき、実在のフロイトは副鼻腔癌の末期だったのですが、この映画を最後に世を去ったブルーノ・ガンツは結腸癌の末期の体で、この役を演じていたようです。 フロイトが生涯愛した嗜好品がタバコです。主人公の青年フランツが故郷の村から母親の伝手を頼ってたどり着いたのが、ウィーンの「キオスク」、「タバコ屋」でした。 原題では「Der Trafikant」というドイツ語ですが、字幕ではキオスクとなっていたと思います。 そのタバコ屋で、フランツが様々な人と出会い、一人の「人間」へと「成長(?)」してゆく姿を描いたのがこの映画でしたと、とりあえずは言えると思います。 第一次世界大戦の傷痍軍人で、片足を失っている主人トルニエク(ヨハネス・クリシュ)、葉巻を買いにやってくる老教授フロイト、ボヘミアからやって来た娼婦アネシュカ(エマ・ドログノバ)、ナチスを礼賛する肉屋の夫婦、抵抗を叫ぶ共産主義者、未来を無駄にするなと脅す同郷の警官。 トルニエクは肉屋の密告で獄死し、フロイトはウィーン去ります。アネシュカは親衛隊に身体を売り、共産主義者はビルの屋上から落下します。 時代に翻弄されて去っていく「人々」の中で、青年フランツはどこにたどり着くのでしょう。 様々な別れの結果、ウィーンのナチス本部前の掲揚柱に掲げられた「青年の旗」が実に感動的に「青年の反抗」と「絶望的な未来」を暗示して映画は終わります。 しかし、ぼくにはこの映画がよくわからなかったのです。彼が故郷の湖の底で手に入れ、ポケットに忍ばせ続け、最後には捨てた(?)ガラスの破片があるのですが、あれは何を意味していたのでしょう。 それが、この映画の「わからなさ」 を解くカギであることは確かなのですが、さて、どうしたのもでしょうね。とりあえずの感想はこれで終ります。中途半端なネタバラシで申し訳ありません。備忘録だとお許しください。 監督 ニコラウス・ライトナー 製作 ディエター・ポホラトコ ヤーコプ・ポホラトコ ラルフ・ツィマーマン 原作 ローベルト・ゼーターラー 脚本 クラウス・リヒター ニコラウス・ライトナー 撮影 ハーマン・ドゥンツェンドルファー 編集 ベッティーナ・マツァカリーニ 音楽 マシアス・ウェバー キャスト ジーモン・モルツェ(フランツ・フーヘル) ブルーノ・ガンツ(ジークムント・フロイト) ヨハネス・クリシュ(オットー・トルニエク)ヨハネス・クリシュ エマ・ドログノバ(アネシュカ)エマ・ドログノバ 2018年・113分・R15+・オーストリア・ドイツ合作原題「Der Trafikant(タバコ屋)」 2020・07・30シネリーブル神戸no61追記2020・08・03「名もなき生涯」の感想はここをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村
2020.08.03
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エリア・スレイマン「天国にちがいない」シネリーブル神戸 1月の終わりごろ、予告編を見て、なんか不思議な映画だなと思いました。しばらくすると友達がブログでほめていましたが、どんな映画なのかジメージが湧きません。これは見るしかないなという気分でやって来ました。 2月になって、はや、もう、10日を過ぎたのですが、久しぶりのシネリーブルです。非常事態宣言は続いていますが、商店街の人出はむしろ増えているようです。映画はエリア・スレイマンというパレスチナの監督の「天国に違いない」です。上のチラシで帽子をかぶって、肘をついている男が彼でした。 キリスト教の立派な装束をつけた神父がなにやら神をたたえる言葉を口にしながら、十字架を担いだ従僕と、おおぜいの信者(?)を引き連れて、何やら仰々しく廊下を歩いてきます。扉の前に立ちノックしながら「扉よひらけ」と唱えます。扉は開きません。ノックと呪文のような言葉を、何度か繰り返しますが、開かないうえに中から「神なんか信じない」という言葉が返ってきます。 神父は怒りに満ちた世俗の顔に戻って、装束の帽子を脱ぎ捨て、「扉」の部屋の反対側の裏口(?)に回り、ドアを蹴破り中にいた人物を殴りつける音がして、先ほどの扉がしずしずと開きます。 儀式は何事もなかったように続くのですが、ここで、画面が変わってベランダに立っている主人公が映し出されます。 まあ、こうして映画は始まりました。「さっきの神父の話は何だったんだ?」と思っていると、ここからも不思議なシーンが続きます。 主人公がベランダに立つと住居の庭に無断で入ってきてレモンの実を盗む(?)、いや、収穫か(?)、男がレモンの木によじ登っています。男はベランダから見ている主人公に向かって「ドアはノックしたよ、返事がないから仕方なく入ったんだ」 とか、なんとか、いいながら、こんどは勝手に剪定をはじめます。こういう中々過激な「隣人」をはじめ、変な「隣人たち」が、いろいろ登場します。通りには戦車が走ったり、警棒(?)を持って群がって走ってくる男たちがいたり。 場面がパリに変わって、ファッションショーに出てくる女性たちが繰り返し映し出されますが、ここで、ようやく、主人公が映画監督であり、パリには「映画」の売り込みにやってきていることがわかる交渉のシーンが映ります。(もっとも、ぼくの記憶違いで、これはニューヨークでの出来事だったかもしれません。)「あなたの映画はパレスチナらしくない」 そういって断られた主人公は、次にニューヨークに登場します。 この街の市民たちは、なぜか、銃で武装しています。車のトランクから手動のロケット弾を取り出している人もいます。 公園では天使が警官に追いかけられて、羽根を棄てて消えてしまいました。いやはや、どういう街なのでしょうね、ここは。 主人公はニューヨークでも売り込みに失敗したようで、飛行機に乗って、変な「隣人たち」が住む街に帰ってきます。 土砂降りの中、自宅の塀の前で、「止まらないんだ」とずぶぬれで立ち小便を続ける「隣人」に傘を差しかけたりしながら、ようやく、自宅にたどり着きます。 朝起きてベランダに立つと、出発する前に鉢植えから庭に植え替えておいたレモンの若木が実をつけていて、例の「隣人」が、勝手に水をやっています。 ディスコというのでしょうか、若い人たちが音楽に合わせて踊っているホールのような、酒場のようなところの片隅のカウンターでお酒(?)を飲んでいる主人公が写って、映画は終わりました。 ここで、不思議なことが起こりました。ここまで、「不思議さ」の中をさまよっていたぼくの目に涙が滲んできたのです。これは、どうしたことでしょう。 ぼくにとって、この映画の不思議さは、「天国にちがいない」という題名の謎が全く解けなかったことがすべてといってもいいのですが、主人公の映画監督がほとんど喋らないうえに、ただ直立して見ているだけの人という所にも不思議は宿っています。 この直立感にはチャップリンとかがやどっている印象もありましたが、言葉、台詞についていえば、主人公がセリフを喋るのは一度だけでした。それもたった二言です。 パリだったかニューヨークだったかで、タクシーに乗った時の会話です。「どこの国から来たんだ」「ナザレ」「ナザレは国じゃないだろ」「パレスチナ」 このシーンのこのセリフは、ぼくに対して、この映画のパレスチナらしい! 輪郭を焼き付けたのですが、さて、「天国」は天使が消えたニューヨークだったのでしょうか、立小便がとまらない「隣人」がいる「この町」だったのでしょうか。 最後の最後に、胸に迫ってきたものは、一体何だったのでしょう。最後まで、不思議が残る映画でした。 それはそうと、シネリーブルのサービスでポスターをもらいました。これですが、なかなかうれしいプレゼントでした。監督 エリア・スレイマン製作 エドアール・ウェイル ロリーヌ・ペラッシ エリア・スレイマン タナシス・カラタノス マーティン・ハンペル セルジュ・ノエル脚本 エリア・スレイマン撮影 ソフィアン・エル・ファニ編集 ベロニク・ランジュキャスト エリア・スレイマン タリク・コプティ アリ・スリマン ガエル・ガルシア・ベルナル2019年・102分・G・フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ合作原題「It Must Be Heaven」2021・02・12シネリーブル神戸no80
2021.02.16
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チェン・ユーシュン「1秒先の彼女」シネ・リーブル神戸 2020年に作られた台湾の映画だそうです。チェン・ユーシュンという監督さんは、結構有名な方らしいのですが、ぼくは知らない人でした。映画は「1秒先の彼女」、中国語の題が「消失的情人節」だそうで、こっちの題のほうがおもしろそうですね。 郵便局で事務員さんをしている女性ヤン・シャオチーさんが、まあ、なんというか、面白いオネーさんで、やたら下ネタをいうのが、笑っていいのか、知らん顔をしていいのかわからない人でしたが、「1秒先」の人! でした。マア、ようするに慌て者ですね。 で、彼女の幼馴染だったらしいのですが、彼女は全く覚えていないバスの運転手をしているオニーさん、ウー・グアタイさんが「1秒後」の方! で、いわゆる引っ込み思案ですね。で、この1秒!が、まあ、ネタというわけでした。 映画というのは、いろんなことができるなあ、と感心したのですが、よく考えてみれば、「映像を止める」 というのは、まあ、実に古典的な方法なわけで、そんなによろこぶほどのことでもないんじゃないかとは思いながら、しかし、素直に笑えました。うまいものです。 時間が止まっている人間をマネキンみたいにしてポーズを取らせたり、おぶったり、タンスから突如、ヤモリの神様が登場したり、窓の向こうにラジオの映像が見えたりとか、なんだか、昔のテント芝居のごった返しを観ている感じで、そこに生まれてくる、まあ、ハチャメチャな「空間」(笑) が実に刺激的で、かつ、実にノスタルジックな気分にならせていただきました。 なかでも、海辺というか、海の中を走る通勤バスのシーンとかは、ノスタルジーを越えてうなりました。リアルな風景がイマジナリー空間へと見事に変貌していきました。「おー、これは、これは!うーん、やるな!」 そんな納得でした。「1秒先」の女性と、「1秒後」の男性の凸凹コンビの、凸凹の合わせ目をとても巧妙に現前させてみせてくれた、この映画の作り手の、このセンスと構成力をもっと見てみたい。そういう良い気分で映画は終わりました。拍手! ところが、帰り道に考えこんでしまいました。「1秒早く反応するというのは、1分に対して59秒しか使わないわけで、1秒遅れるというのは1分に対して61秒かかっているわけやから、時間が余るのは慌て者の方ちゃうんか。なんで、引っ込み思案の方に余るんや?」 もちろん結論は出ていませんが、映画の面白さとは、ほぼ、関係ありませんね。(笑)監督 チェン・ユーシュン脚本 チェン・ユーシュン撮影 チョウ・イーシェン美術 ワン・ジーチョン編集 ライ・シュウション音楽 ルー・リューミンキャストリウ・グァンティン(ウー・グアタイ)リー・ペイユー(ヤン・シャオチー)ダンカン・チョウ(リウ・ウェンセン)ヘイ・ジャアジャア(ペイ・ウェン)リン・メイシュウグー・バオミンチェン・ジューションリン・メイジャオホアン・リェンユーワン・ズーチャンチャン・フォンメイ2020年・119分・G・台湾原題「消失的情人節 」・「My Missing Valentine」2021・07・05-no61シネ・リーブル神戸no99
2021.07.10
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11月はお誕生日ラッシュ! 徘徊日記 2018年11月24日 西脇・谷川・伊丹 愉快な仲間の一族には11月1日日生まれのサカナクンに始まって11月生まれが4人もいて、最後が23日とか、22日とか説が二つあるジュンコオババです。オババはチッチキ夫人の故郷、西脇市で一人暮らしです。二人で焼酎をぶら下げていくと機嫌よく酔っぱらって、人生を説いていたので、まあ、当分大丈夫のようですね。 翌日はすたれてしまった商店街を歩いて新西脇駅まで歩きました。写真は加古川と杉原川が合流する地点にかかっている鉄橋です。晩秋の青空と光る川面というなかなかいい風情ですね。 鉄橋を正面から撮るとこんな感じ。線路はJR加古川線です。 新西脇の駅は、これ以上のわびしさはなかなかない風情で、なんと、トイレなどというものももちろんないようです。徘徊老人には、これが一番ヤバイ!のですが・・・・。 駅前の空き地、広場じゃないですね、空き地です、には夏みかんがたわわです。もうすぐ冬ですね。 ここから丹波の谷川まで行って、福知山線で伊丹まで、そこから阪急経由で三宮、JR神戸線か高速バスで自宅へというのが今日の徘徊計画です。 谷川行の車内は「老人会」的混雑で、なんと、立ちっぱなしでした。もっとも車窓には「へそ公園」とか、円応教とか、運転手さんの後ろ立って、で、ちっとも飽きないまま加古川をさかのぼりって谷川駅到着です。 もちろん、乗り換えの待ち時間はたっぷりあって駅の外へでました。そこはなんと、恐竜の町なのでした。なかなか、素朴な恐竜のモニュメントがあって、「ありゃりゃこりゃなんじゃ。」 写真にとってみると、なかなかの顔つきで、これが結構面白い。 まあ、それにしても何にもない駅前で、目の前に山が見えるだけです。恐竜がでそうな雰囲気は別にないのですが、丹波は恐竜で持ち上がっているらしいですね。。 駅待ちのタクシーの運転手さんは開けたドアの窓に足をかけて昼寝していて、とても客商売とは思えない優雅さです。途中で特急が停まったのですが、もちろん誰もおりては来ませんでした。 「ああ、そうやトイレやトイレ。」 40分ほど待ってやってきたのは篠山口行各駅停車でした。各駅停車といってみたくなる風情の駅ですが、ホントはここは北播方面への乗換駅です。特急も停車します。 「オイオイ、ちゃんと連絡してんのか?まあ、ええけど、加古川と武庫川の分水嶺はどこやねん?まだ北に向かって流れとるやんなあ。」 篠山口からは丹波路快速とかで、急に街の電車の雰囲気にかわりました。結局、河の流れがどこで変わったのかわからないまま、三田をすぎて宝塚、川を下るようにJR伊丹まですいすいでした。都会の電車は速いですね。(笑) 今日の目的地の一つがこれでした。伊丹アイホール「青年団」公演ですね。 ノンビリローカルを徘徊してきましたが一番混んでたのが、加古川線とはこれいかに?でしたね。しかし、まあ、乗り物徘徊も悪くない。2018/11/24
2021.11.24
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バフティヤル・フドイナザーロフ「少年、機関車に乗る」元町映画館 映画.com 少年たちの映画が好きです。列車に乗って出かける話も好きです。原題の「Bratan」は「弟」なのか「兄弟」なのか、そのあたりはよくわかりませんが男の子二人の兄弟の話でした。 題名は「少年、機関車に乗る」、監督はバフティヤル・フドイナザーロフという人で、「海を待ちながら」を残して2015年、50歳で早世した方だそうですがが、彼が26歳のときに撮った処女作だそうです。 「中央アジア今昔映画祭」のなかの1本で、「海を待ちながら」と同じ日に2本立てで見ました。ソビエト映画とかロシア映画に詳しい知り合いの方に薦められた作品でしたが好きなタイプの映画でした。 高校生くらいの男の子たちが、なんとなくな雰囲気でウロウロしていて、中の一人が主人公のようです。何か荷物が入っている袋を塀の向こうに投げ入れようとしているようなのですが、失敗して逃げ出します。そんなふうに映画は始まりました。 少年の名はファルー(フィルス・サブザリエフ)で、お母さんさんが亡くなった後、小学生低学年の弟のアザマット(チムール・トゥルスーノフ)の面倒を見ながら、おばあちゃんの家で暮らしています。ファルー君はアザマットのことを「でぶちん」と呼んでいます。ファルー君の仕事は刑務所に違法な差し入れを投げ込んで手間賃をもらうアルバイトです。最初のシーンがそうでした。 でぶちんは、一人になると「土」を食べたがる、へんてこな少年ですが、おにーちゃんのファルー君は彼がかわいくてしようがないようです。 でも、生活は苦しいし、将来の見通しも立ちません。とうとう、ファルー君はでぶちんを離れて暮らす父に預ける決心をします。で、二人はお父さんの町に出発します。出発に当たってファルー君はなくなったお母さんのイヤリングを探し出して、ポロシャツの胸のポケットにさします。彼のなかにはお母さんがいるようです。弟のでぶちんに対する態度も「兄として」であることは間違いないのですが、でぶちんが「土」を食べるのを叱る様子には、どこか「母として」のようなところがあります。そんな兄弟ですが、でぶちんも兄を慕っています。 というわけで、旅が始まりますが、やってきた機関車は凸字型のジーゼル車で、運転手はナビ(N・ベガムロドフ)という名で、なんとなくいい加減な奴です。3両ほどの貨物車をけん引していますが、客車はありません。ふたりは運転室に座りこんで列車は出発します。 ここから、いわゆる「ロード・ムービー」です。あれこれ起こります。駅でもないのに運転手のナビの自宅の前に止まって着替えや弁当を受け取るあたりから自由奔放です。お次はかわいい二人組の女性を同じ運転席に載せるのですが、ナビの目つきが変です。狭い運転席の至近距離の空間で「おいおい」という感じの色目を使い始めます。一人の女の子を目的地で下すと、休憩とか何とか云って、残っていたもう一人と貨車にしけ込みますが、でぶちんが覗きに行きます。 そこから、てんやわんやのドタバタ旅行で書きたいことはたくさん起こりますが長くなるので端折ります。でも、そのあたりがこの映画の見どころだと思いました。実にあほらしくて楽しいのです。 やがて父親(R・クルバノフ)の住む町に到着します。なんと、医者をしているらしい父親は、医者である女性ネリー(N・アリフォワ)と暮らしていて結構裕福そうです。でも、二人の息子の突然の登場には、明らかに困惑しています。とても、でぶちんを預かる空気はありません。父親の態度に困ったファルーは、でぶちんを父の家に置き去りにして、あのいい加減な運転手の帰りの列車に飛び乗ります。 で、お終いなのですが、もちろんでぶちんはファルーより早く乗りこんでいて、にっこり笑ってファルーを待っています。 見ていればわかると思いますが、「当然」の結果でした。ファルー君は土を喰う弟アザマット君とこのへんてこな列車で旅を続けるのが「人生」というものなのです。見終えたぼくはとてもいい気分でした。 ファルーとアザマットの兄弟に拍手!、そして、なんだかわけのわからない運転手のナビに拍手!の映画でした。監督 バフティヤル・フドイナザーロフキャストチムール・トゥルスーノフ(アザマット弟)フィルズ・サブザリエフ(ファルー兄)N・ベガムロドフ(ナビ運転手)1991年・100分・タジキスタン・旧ソ連合作・モノクロ・35㎜・1:1.33・モノラル原題「Bratan」2021・12・06‐no125・元町映画館no103
2022.01.05
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ウォン・カーウァイ「花様年華」シネ・リーブル神戸 ウォン・カーウァイ監督特集の2本目です。懲りませんね。1本目の「天使の涙」で、ほとんどギブ・アップだったのですが今日もやってきました。見たのはウォン・カーウァイ「花様年華」です。上のチラシの右側の写真の映画です。 主人公チャウを演じているのはトニー・レオンです。この人は知っていました。同じアパートに同じ日に越してきた、隣の旦那さんのチャウ(トニー・レオン)と、隣の奥さんのチャン夫人(マギー・チャン)の恋物語でした。 題名が「花様年華」です。洋楽のクリスマスソングなのか、中国の曲なのかよくわかりませんでしたが、音楽の曲名のようでしたが、この題では話の筋とのかかわりはよくわかりません。英題を見ると「In the Mood for Love」で、直訳すれば「愛の気分」とでもなるのでしょうか。すると、映画のムードと直結する気がします。 上にも書きましたが、隣の奥さんと旦那さんの恋愛めいたものがあって、実は、それぞれ旦那さんと奥さんも、互いに浮気しているという、映画でしかありそうもない(そうでもないか?)話なのですが、映画に撮られているお二人は、結局、自覚を拒否しているかのように「In the Mood for Love」の中で互いのせいで揺れながら、永遠に交差しない二本の綱を渡っていく、まあ、綱はありませんが、映画でした。その、それで、どうなるのが、手前数センチのところで揺れていて、なかなか、スリリングというか、いらいらする展開をトニー・レオンもマギー・チャンも見事に演じていました。 演出というか、撮り方で面白かったのは、二人の住む二つの部屋の関係が、建物の構造として全くわからなかったことと、チャン夫人が狭い階段を降りて出かけてゆく屋台(多分、屋台の食堂街)とやらがどこにあるのか、二人が出会う、片一方が壁の街角のどこなのか、べつにどうでもいいことかもしれませんが、やっぱりわからなかったのが、作品全編を通して感じた、昔のハヤリ言葉でいえば「の、ようなもの」の印象を支えていたことは間違いないわけで、そのつかみどころのなさがとてもいいなと感じました。 トニー・レオンとチャン夫人役のマギー・チャンに拍手!なのですが、特に、まあ、今さら何を言っているのか、なのでしょうが、トニー・レオンという役者さんは良いなと思いました。 ウォン・カーウァイ監督特集、3本目にチャレンジすることは、間違いなさそうです(笑)。監督 ウォン・カーウァイ製作 ウォン・カーウァイ脚本 ウォン・カーウァイ撮影 クリストファー・ドイル リー・ピンビン美術 ウィリアム・チャン衣装 ウィリアム・チャン編集 ウィリアム・チャンキャストトニー・レオン(チャウ)マギー・チャン(チャン夫人)スー・ピンラン(ピンさん チヤウ氏の友人)レベッカ・パン(スエン夫人アパートのマダム)ライ・チン(ホウ社長 チャン夫人の上司)2000年・98分・G・香港原題「花様年華 (かようねんか)」「In the Mood for Love」日本初公開 2001年3月31日シネ・リーブル神戸no164
2022.10.01
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100days100bookcovers no87 87日目ルシア・ベルリン「掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集」(岸本佐知子訳 講談社文庫) 遅くなりました。SODEOKAさんが採り上げた川端康成『雪国』からどう接続したらいいのか、なかなか思いつかなかった。 こういう「古典」は大概読んでいないのだけれど、『雪国』は何かのきっかけで読んだ記憶は一応あった。あったけれど、駒子というヒロインと名前くらいしか覚えていなかった。 SODEOKAさんの紹介文で、物語のラストあたりは思い出したが、それももしかしたら映像で観た記憶と重なっているやもしれず、読書の記憶かどうかは判然としない。 どういう接続をしようかと考えていて、コメントに中に三島の名前が出てきたのを思い出した。検索してみたら、川端がノーベル文学賞を受賞した年に三島も候補に挙がっていたという話だった。三島は、仕事絡みで一部を読んだことを除けば、未だにまともに読んだことがない。学生のときに一学年上の先輩(DEGUTIさんですけど)に「国文科に来る男で三島を読んだことないとかいうのはおまえくらいや」と言われたのを覚えている。 いや、ほんとに文学には縁が、あまりというかほとんどなかったのだ。では何で国文科を選んだのかという話はここではしないが、ああそういえば、と思い出した。 三島の小説は読んでいないけれど、「三島」の名前が出てくる小説は近頃読んだ。『雪国』とは直接はまったく接点はないのだけれど、この際、ご容赦いただくとして。『掃除婦のための手引書 ――ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 岸本佐知子訳 講談社文庫 この文庫を読むきっかけになったのは、twitterで訳者の岸本佐知子のアカウントをフォローしている関係で、2019年7月にこの文庫の親本が出たときから情報をずっと得ていたことである。 今年3月に文庫になって、おもしろそうだなと改めて思って、久しぶりに文庫ながら新刊を買った。原題は"A Manual for Cleaning Women : Selected Stories by Lucia Berlin"。 「訳者あとがき」によれば、作家は1936年アラスカ生まれのアメリカ人で2004年没。生涯に76の短編を書いた。1977年に世に出た初めての作品集"A Manual for Cleaning Ladies"により、一部には名を知られる存在になったが、生前も死後も「知る人ぞ知る」作家だった。しかし2015年、全作品から43編を選んだ作品集"A Manual for Cleaning Women"が出版されて事態は変わる。その年の雑誌新聞の年間ベストテンリストのほぼすべてを席巻。 この邦訳版は、その2015年の作品集から24編を選んだもの。残りの19編は、今年4月『すべての月、すべての年』として出版された。 作家は、鉱山技師だった父親の関係で、幼少期はアイダホ、ケンタッキー、モンタナなどの鉱山町を転々とする。5歳のときに父親が第二次大戦に出征、母と妹とテキサスのエルパソにある母の実家に移り住む。歯科医の祖父は酒浸り、そして母も叔父もアルコール依存症。終戦後、父が戻ると、チリのサンチャゴに移住、18歳でニューメキシコ大学に進むまでチリで過ごす。エルパソの貧民街から召使い付きのお屋敷暮らしへ。 大学在学中に最初の結婚、2人の息子をもうけるがその後、離婚、58年にジャズピアニストと2度めの結婚、ニューヨークに住む。さらにジャズミュージシャンだった3番めの夫と61年からメキシコで暮らし、2人の息子を授かるが、夫の薬物中毒等により離婚。ベルリン姓は3番めの夫の姓とのこと。 71年からカリフォルニアのオークランドとバークレイで暮らし、学校教師、掃除婦、電話交換手、ER(救急救命室)看護助手等をこなしながら、4人の息子を育てる。このころから自らアルコール依存症に苦しむ。 小説は20代から書いていて、24歳でソール・ベロー主宰の雑誌ではじめて作品が活字になった。その後、文芸誌に断続的に作品を発表。85年には今回紹介する作品集所収の「わたしの騎手(ジョッキー)」がジャック・ロンドン短編賞を受賞。 90年代以降、アルコール依存症を克服後はサンフランシスコ郡務所等で創作を教えるようになり、94年にはコロラド大客員教授に。准教授にまでなるが、子供の頃から患っていた脊椎湾曲症の後遺症等が悪化、酸素ボンベが手放せなくなる。2000年大学をリタイア、2004年癌で死去。 と、バイオグラフィーを書き連ねたのは、作品がほぼすべて作家のこうした経歴や経験を基にしているからだ。 たしかに題材を採りたくなるような波乱に満ちた家庭環境や経歴、経験に思える。 素直に考えれば、そこに作家が創作上の「リアリティ」の源泉ないし支点を求めたということだ。あるいは、経験以上に「リアル」な物語を紡ぎ出すほど「器用」ではなかった。 小説は、短いものは2ページに満たないものから、長くても23ページほど。読んでみてわかる、この作家の最大の特質は、やはりその「表現」であり言葉の選び方だ。「訳者あとがき」で訳者が使う用語を使うなら「声」ということになる。多少曖昧な表現に変えるなら「文体」ということになるのかもしれない。ただ、原文は英語なので、訳者を通した上での「声」であり「文体」ということになる。 「強い」状況を「強い」言葉で表現しながら、そこにユーモアや得も言われぬ叙情性や詩情が浮かび上がる。散文が詩に変わるときがある。 自身のことを描いても、そこには自らや状況を突き放したような「透徹」で「リアル」な距離がある。これは出来事と、執筆された時間と場所に実際に「距離」があるということだけに由来するものではない、おそらく。 いくつか紹介する。(なお、まとまった引用は、>引用部分<で示す。) まずは、「三島」が登場する「わたしの騎手(ジョッキー)」。「わたし」はER(救急救命室)看護助手。>わたしがジョッキーを受け持つのはスペイン語が話せるからで、彼らはたいていがメキシコ人だ。はじめてのジョッキーはムニョスだった。まったく。人の服なんてしょっちゅう脱がしていうるからどうってことない。ものの数秒で済んでしまう。気を失って横たわるムニョスは、ミニチュアのアステカの神様みたいに見えた。乗馬服はひどく複雑で、まるで何かの込み入った儀式をしているようだった。あんまり時間がかかるので、めげそうになった。三ページもかかって女の人の着物を脱がせるミシマの小説みたいだ。(中略)長靴は馬糞と汗の匂いがしたけれど、柔らかくてきゃしゃで、シンデレラの履きもののようだった。彼は魔法をかけられた王子様みたいにすやすや眠っていた。 眠ったまま、彼はお母さんを呼びはじめた。患者に手を握られることはたまにあるけれで、そんなもんじゃない、わたしの首っ玉にしがみついて、泣きながら「ママシータ! ママシータ!」。そのままではジョンソン先生が診察できないので、わたしはずっと赤ちゃんみたいに抱っこしてた。子供みたいに小さいのに、力が強くて筋肉質だった。膝の上の大人の男。これは夢の男、それとも夢の赤ん坊?< 比喩が少なくない。この作品集全体に言えることだが、特にこの掌編はそういう傾向がある。しかし「ジョッキー」という存在が、初めて見て触れるものみたいに描かれた作品には、新鮮な驚きと慈しみが感じられる。 そして、作品集中最も短い「マカダム」。>まだ濡れているときはキャビアそっくりで、踏むとガラスのかけらみたいな、だれかが氷をかじってるみたいな音がする。 わたしもよくレモネードを飲みおわったあとの氷をガリガリかじる。ポーチのスイングチェアで、お祖母ちゃんとふたり揺られながら。わたしたちは鎖につながれた囚人たちが、アプソン通りを舗装するのをポーチから眺めていた。親方がマカダムを地面に流すと、囚人たちはどすどすと重いリズミカルな足音をたててそれを踏みかためた。鎖が鳴る。マカダムはおおぜいの人が拍手するみたいな音をたてた。(中略) わたしもよく声に出して、マカダム、とこっそり言ってみた。なんだかお友だちの名前みたいな気がしたから。< おそらくは子供の頃に転々として住む場所を変えていたことや家庭環境に関わりがあるのだろう、孤独な子供の肖像が静かに描き出される。 ちなみにこの「マカダム」、調べてみると実際に人の名前だったことがわかった。ジョン・ライドン・マカダム。作家はそれを知っていたのだろうか。 歯科医の祖父のことを書いた「ドクターH.A.モイニハン」では、歯科医の祖父が、自身の歯を総入れ歯にするために、「新しい連中」のやり方によって、前もって型を取って作った義歯を入れるために歯を抜くという「ホラー」が描かれる。 ウイスキーを飲みながら、祖父が自分の歯をペンチで抜き始める。(おそらく)小学生の「わたし」にも手伝わせる。>祖父はわたしの頭ごしにウイスキーの瓶をつかみ、らっぱ飲みし、べつの道具をトレイから取った。そして残りの下の歯を鏡なしで抜きはじめた。木の根をめりめり裂くような音だった。冬に地面から木を力ずくでひっこぬくような。血がトレイにしたたり落ちた。わたしがしゃがんでいる金属の台にも、ぽた、ぽた、ぽた。 祖父が馬鹿みたいに笑い出し、ああついに頭が変になったと思った。< それから、祖父はわたしに「抜けえ!」と言う。祖父はやがて気を失う。>わたしはその口を開けて片方の端をペーパータオルを押し込み、残りの奥歯三本を抜きにかかった。 歯はぜんぶ抜けた。ペダルを踏んで椅子を下げようとして、まちがってレバーを押してしまい、祖父はぐるぐる回転しながら血をあたりの床にふりまいた。そのままにしておくと、椅子はきしみながらゆっくり停まった。ティーバッグが必要だった。祖父はいつも患者にティーバッグを噛ませて止血していた。(中略) 口に入れたタオルは真っ赤に濡れていた。それを床に捨て、口に中にティーバッグをひとつかみ入れて顎を閉じさせた。ひっと声が出た。歯がなくなった祖父の顔はガイコツそっくりだった。毒々しい血まみれの首の上の白い骨。おそろしい化け物、黄色と黒のリプトンのタグをパレードの飾りみたいにぶらさげた生きたティーポット。< この、「臨場感」というか、感覚的に迫ってくる感じは恐ろしいほど。にもかかわらずユーモアも漂う。 そして表題作「掃除婦のための手引書」。 路線バスの番号別に、それぞれの家に赴く一人の掃除婦の独白の形式。所々で、ターと呼ばれる死んでしまった夫ないしボーイフレンドのことが語られる。>ある夜、テレグラフ通りの家で、ターが寝ていたわたしの手にクアーズのプルタブを握らせた。目を覚ますと、ターはわたしを見下ろして笑っていた。ター、テリー、ネブラスカ生まれの若いカウボーイ。彼は外国の映画を観にいくのをいやがった。字を読むのが遅いのだと、あるとき気がついた。 ごくたまに本を読むとき、ターはページを一枚ずつ破って捨てた。わたしが外から帰ってくると、いつも開けっぱなしだったり割れていたりする窓からの風で、ページがセーフウェイの駐車場の鳩みたいに部屋中を舞っていた。<>ターは絶対にバスに乗らなかった。乗ってる連中を見ると気が滅入ると言って。でもグレイハウンドの停車場は好きだった。よく二人でサンフランシスコやオークランドの停車場に出かけて行った。いちばん通ったのはオークランドのサンパブロ通りだった。サンパブロ通りに似ているからお前が好きだよと、前にターに言われたことがある。 ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。ゴミのトラックがもうもうと土埃をあげてごとごと過ぎる。灰色の恐竜だ。 ター、あんたが死んでるなんて、耐えられない。< 好きだった男を「ゴミ捨て場」に喩える例はたぶん他に知らない。しかも、その後を読むと、彼女の感じるターの魅力が伝わってくる。 さらに、いろんな意味で作家に大きな影響を与えたと思しき母親を書いた「ママ」は、メキシコシティで暮らす、末期ガンの妹サリーとの会話を中心にしている。>母は変なことを考える人だった。人間の膝が逆向きに曲がったら、椅子ってどんな形になるのかしら。もし、イエス・キリストが電気椅子にかけられたら?そしたらみんな、十字架のかわりに椅子を鎖で首から下げて歩きまわるんでしょうね。「あたしママに言われたことがある。『とにかくこれ以上人間を増やすのだけはやめてちょうだい』って。」とサリーは言った。「それに、もしあんたが、馬鹿でどうしても結婚するっていうなら、せめて金持ちであんたにぞっこんな男になさいって。『まちがっても愛情で結婚してはだめ。男を愛したりしたら、その人といつもいっしょにいたくなる。喜ばせたり、あれこれしてあげたくなる。そして「どこに行ってたの?」とか「いま何を考えてるの?」とか「あたしのこと愛してる?」とか訊くようになる。しまいに男はあんたを殴りだす。でなきゃタバコを買いに行くと言って、それきり戻ってこない』」「ママは"愛"って言葉が大嫌いだった。ふつうの人が"淫売"って言うみたいにその言葉を言ってたわ」「子供も大嫌いだった。うちの子たちがまだ小っちゃかったころ、四人とも連れてママと空港で会ったことがあるの。そしたらあの人『こっちに来させないで!』だって。ドーベルマンの群れかなんかみたいに」<>「愛は人を不幸にする」と母は言っていた。「愛のせいで人は枕を濡らして泣きながら寝たり、涙で電話ボックスのガラスを曇らせたり、泣き声につられて犬が遠吠えしたり、タバコをたてつづけに二箱吸ったりするのよ」「パパもママを不幸にしたの?」わたしは母に訊いた。「パパ?あの人は誰ひとり不幸にできなかったわ」< いや、この部分がどの程度「事実」に基づいているか、あるいは内容の「妥当性」はいかほどかを別にして、この「切れ味」は相当なものだ。 これが作家の実際の母親の発言に近いとしたら、この母にしてこの作家というところは確かにある。訳者の作家を評する言葉を借りれば「冷徹な洞察力と深い教養と、がらっぱちな、けつをまくったような太さが隣り合わせている」。 他に、アルコール依存症の自身を題材にとった「最初のデトックス」「どうにもならない」「ステップ」では、「悲惨」な状況をしかし淡々と描くことによってかえって日常の切迫感が浮き彫りになり、サンフランシスコ群刑務所で創作を教えた経験に基づいた「さあ土曜日だ」では、一人称を服役囚にして、自らが経験した「先生」も登場させるのだが、悲しいラストも含めて「小説」としてとりわけ印象に残る。 あるいは、三番めの夫との出会いと別れが回想される「ソー・ロング」も、わずか15ページほどで過去と現在が映像的なイメージで見事に交錯する。 もしかしたら、映像喚起的というのもこの作家の特質の一つかもしれない。作家には、「大丈夫」ではない自身やその周囲を観察し、想起し、認知する視線がいつもある。感情的にも不安定で愚かしい行動に走る自身をそして周囲を、肯定するのではなく「自覚」し「認知」している。 繊細で鮮やかな描写も、そこから始まる。だからどんなに苛烈な場面や物語でも、どこかに「優しさ」に似たものを感じる。 最後に翻訳について。原文の英語がわからないし、わかったとして翻訳の良し悪しを判断する力量などないので単なる印象になってしまうが、岸本佐知子の翻訳はすばらしいと思う。では、DEGUTIさん、次回、お願いいたします。T・KOBAYASI・2022・06・30追記2024・05・16 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目) (81日目~90日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.01.20
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ジョナサン・デミ「メルビンとハワード」元町映画館 ジョナサン・デミという監督の「メルビンとハワード」という作品を見ました。ジョン・カサヴェテスとセットの特集です。 スクリーンが暗くなると、いきなりオートバイで、砂漠ですかねえ、スクリーン全体も暗くてよくわからないんですが、道ではない薄暗い荒野を突っ走って、土手かなんかでジャンプして、二度目にはひっくり返るというシーンが映し出されました。なに?これ? 最後まで、このシーンの意味はわかりませんでしたが、オートバイで疾走していたのがハワード・ヒューズ(ジェイソン・ロバーツ)という、実在の大金持ちだったようです。 で、続いて画面に登場するのが牛乳配達のお兄さん、メルビン(ポール・ル・マット)くんで、彼が仕事帰りの軽トラックで、わき道に入って立ちションします。ことをすませて、車に帰ろうとして、道ばたにひっくり返っている瀕死の老人を見つけて、慌てて介抱して、車に乗せて、あれこれやり取りしながら家まで送るのですが、このシーンがいいですね。 なんだか、見るからに怪しげな老人の相手をしながら、突如、自作のフォークソングを歌いだす、まあ、こっちもかなり怪しげですが、明るい。そのお人好しでトンチキなメルビン君と、助けてくれたものの、その若者の、まあ、親切なんだか厚かましいんだかわからない、トンチキさに辟易しながらも、最後は一緒に歌ったり、運転させてくれと頼む、まあ、謎としかいいようのない、自称ハワード・ヒューズ老人との出会いと別れです。 で、この謎の老人は、映画には二度と現れません。あとは、金が入ったらはしゃぎたい、まあ、いわゆる単細胞で、おバカなメルビンくんの、妻には逃げられるわ、仕事は首になるわの波乱の日常生活映画でした。 とんちき夫のメルビンを捨てて、ストリッパーで稼ぐ妻リンダ(メアリー・スティーンバージェン)も、まあ、「チョットあんたねえ???」というタイプですが、ストリップ小屋までやって来て連れて帰ろうとするメルビンにほだされていったんは帰るのですが、やっぱりおバカな、なんというか、「愛」とか「やる気」とかはあるけれど「生活」がわかっていないメルビンに呆れて、再び出て行ってしまいます。 今はどうだか知りませんが、半世紀前の、映画とかでよく見かけた夢見る貧しいアメリカ! まあ、そういう感じです。80年代の空気です。 で、ダメ男のメルビンですが、妻のリンダに連れられて、一緒に出て行った娘が「ホントはパパと一緒がいい!」 といってくれるのが、ある意味、たった一つの救いのような人物です。「はい、いいやつなんです。ホント!」 とどのつまりは、最初に救った謎の老人が、まあ、ボクでも名前は知っている本物のハワード・ヒューズという大金持ちだったという展開で、彼の遺産相続人として、このおバカなメルビンが指名されていて、大騒ぎになるっていうオチなんです。裁判所とかに引っ張り出されて大変なんですが、実話ネタなのだそうです。 ええ、もちろん、遺産はもらえないんですよね(笑)。 考えてみれば、異様なまでに、もの哀しい話なのですが、なぜか後味はよかったですね。で、やっぱり、ボクはメルビンと娘に拍手!でした(笑)。監督 ジョナサン・デミ脚本 ボー・ゴールドマン製作 アート・リンソン ドン・フィリップスキャストジェイソン・ロバーズ(ハワード・ヒューズ:富豪)ポール・ル・マット(メルビン・デュマー:牛乳配達)メアリー・スティーンバージェン(リンダ:メルビンの妻)1980年・95分・アメリカ原題「Melvin and Howard」2023・09・12・no113・元町映画館no203
2023.09.25
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原泰久「キングダム(70)」(集英社) 久しぶりにマンガ便がやって来ました。2023年12月のマンガ便は原泰久の「キングダム」(集英社)、第70巻でした。 65巻から始まった秦対趙の宜安の決戦で趙の名将李牧の罠の前に屈し、奇将桓騎を失って敗走した秦軍でしたが、逃げ帰った信をまっていたのは、次の展開で、中国思想史上、名高い法家の天才韓非子の登場だったことは69巻の「マンガ便」で紹介しました。 上の表紙をご覧ください、中央に描かれいるのが韓非子ですが、そのまえに、腰巻のキャッチコピーの文句です。 一億部突破‼ 契約金が10000億円を超えるという途方もない話で盛り上がった2023年でしたが、この国の人口が1億2千万人くらいだそうですから、このマンガがどんな流行り方をしているのか、チョット想像がつきませんね(笑)。結構、面倒くさいマンガだと思うのですがね(笑) で、今回の70巻ですが、秦王、政、後の始皇帝にして、マンガ「キングダム」のここまでの主人公李信の莫逆の友ですが、法治国家をめざす秦王に招かれた韓非子が、秦都咸陽で悲劇の死を遂げる物語でした。 咸陽には韓非子とともに荀子の門人として雌雄を競った李斯がいます。かつての学友李斯と対面したシーンがこれです。 韓非子はドモリ、吃音だったことがいわれていますが、その彼が秦王に仕える李斯に語る最後の言葉です。「し、しっかりやって、その名を歴史に刻め。わが友李斯」「その時が来たら法家の力をみせつけてやれ「・・・・・・」 この会見の直後、韓非子は謎の死を遂げますが、世に名高い始皇帝の法治主義、焚書坑儒の始まりを告げるセリフです。 孔子の教えは孟子の性善説と荀子の性悪説の二つに分かれて受け継がれますが、荀子の思想を引き継ぐ韓非子の「法治主義」が、焚書坑儒へと展開するあたりを、このマンガが描くのはいつになるのでしょうかね。 とりあえず、次号では「番吾(はんご)の戦い」という、再び、趙対秦の決戦ですね。楽しみです。
2023.12.31
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バス・ドゥボス「ゴースト・トロピック」元町映画館 ベルギーの若い監督、1983年生まれだそうですから、我が家の愉快な仲間たちと同じ世代ですが、バス・ドゥボスという人の「ゴースト・トロピック」という作品を見ました。 チラシの写真の女性が主人公で、お名前はハディージャ。彼女はブリュッセルでビルの掃除婦をしていらっしゃるのですが、こうしてご覧になってお判りでしょうが、ヒジャブというのでしょうか、イスラム教のネッカチーフのような衣装を身に着けておられるようで、だから、多分、もっと南の国から、この街にやってこられて暮らしていらっしゃる方だと思うのですが、映画を見終えても、そういうことが具体的にわかるわけではありません。 彼女が、仕事帰りに、電車の中で眠り込んでしまって、気付いたは終着駅で、そこから、まあ、見ていて、さあ、どうするんや? という一晩の、彼女の行動が映し出されていく映画で、他には、ほぼ、何も映っていません。 バスの乗務員、ビルの警備員、路上で寝込んでいるホームレスの老人と彼の犬、空き家に忍び込んで暮らしている男、通りすがりの老人、救急車でやって来た救急隊員、救急病院の職員、コンビニの女性店員、夜遊びする高校生、警察官、まあ、こうやって数え上げていくと、結構、たくさんの人と出会っているもんだと感心するのですが、出会った人たちの誰かが、何か事件を、だから映画的なドラマをおこすのかといえば、実はそうではなくて、その人たちも普通ですが、彼女自身も普通の応対で、だから、何も起こらないまま家にたどりついて、まあ、一晩歩いていたわけですから、ほとんど寝ないまま、翌日の朝になって、彼女は仕事に出かけていくという映画でした。 で、どうだったのか。「ボクこの映画スキ!」 の一言ですね(笑)。 深夜の街を、疲れ果てて歩き始めた、仕事帰りの、中年の女性の、財布の中にタクシー代さえ持ち合わせていない「暮らし向き」は言うに及ばず、「家族との暮らし方」、「職場での働き方」、「他人との接し方」、だから、まとめてどういえばいいのかわからないのですが、彼女が、今、ここで、「生きていること」 が、見ているボクのこころに穏やかに刻まれていくのです。 若くして亡くした夫をなつかしく思い、高校生の娘の生活を気にかけ、路上で倒れている老人を放っておけない女性の後ろ姿に、「そうだよね、それでいいんだよね、そうしていくしかないよね。」 とうなづくのは、必ずしも、ボクが老人だからではないでしょうね。 この作品の監督は、「人が生きていることを肯定する」 方法として映画を撮っているにちがいないということだと思いましたね。拍手! 元町映画館では、この映画は2019年の作品ですが、この監督が2023年に撮ったらしい「Here」という作品も、日替わりで上映していますが、もちろん見ますよ! まあ、この作品の「ゴースト・トロピック」という題名がどういう意味で、ラストシーンが何をあらわしているのかということついては、実は、よくわかっていません(笑)。でも、イイんです。なんとなくで(笑)。 監督・脚本・編集 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストサーディア・ベンタイブマイケ・ネービレノーラ・ダリシュテファン・ゴタセドリック・ルブエゾ2019年・84分・PG12・ベルギー原題「Ghost Tropic」2024・03・24・no048・元町映画館no234追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.30
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井戸川射子「この世の喜びよ」(講談社) 井戸川射子という人の「この世の喜びよ」(講談社)という作品集を読みました。書名になっている「この世の喜びよ」は、ちょうど1年前、2023年1月に発表された芥川賞の受賞作ですが、ほかに「マイホーム」・「キャンプ」という短編が入っています。 西宮あたりで、公立高校の教員をなさっている方だと聞いて、2021年に野間文芸新人賞を受賞されたという「ここはとても速い川」(講談社文庫)という作品を読んで「あっ、この人は、ちょっとちがう!」 まあ、そんな、感想を持って注目していた人でしたが、最近気に入っている乗代雄介とは、まあ、好対象(笑)というか、2作目で芥川賞でした。 あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。豊作でしたのでどうぞ、という文字と、柚子に顔を描いたようなイラストが添えられた紙が貼ってある。そのまえの机に積まれた大量の柚子が、マスク越しでも目が開かれるようなにおいを放ち続ける。あなたは努めて、左右均等の力を両足にかけて立つ。片方に重心をかけると体が歪んでしまうと知ってからは、脚を組んで座ることもしない。腕時計も毎日左右交互につける。あなたは人が見ていないことを確認しつつ片手に一つずつ握っていき、大きさ重さを感じながら微調整し、ちょうどいい二つをようやく揃えた。喪服の生地は伸びにくいので、スカートの両側についたポケットにそれぞれ滑り込ませると、柚子の大きさで布は張り膨らむ。この柚子は娘たちに、風呂の時に一つずつ持たせてやろう、とあなたは手の中のを握りしめた。従業員休憩室に、おすそ分けがこうして取りやすく置いてあるのは珍しい。大きなショッピングセンターなので休憩室は広く、売り場のコーナーごとに仲良くまとまっている。仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけだ、お菓子などは、あなたにはいつも回ってこない。(P7~P8) 書き出しの、最初のパラグラフです。「あなた」という2人称の代名詞で語られる「誰か」の行為(外面)から意識(内面)までが、この作品で、その「誰か」のことを「あなた」と呼んでいる書き手によって描かれていました。 誰かは、引用部で分かるように、どこかのショッピングセンターの喪服売り場で「仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけ」 だと感じながら働いていて、もう少し読めば、ポケットに入れた柚子を「風呂の時に一つずつ持たせてやろう」 と思う二人の娘が、すでに就職したり、大学生になっていたりしている、おそらく40歳をこえる女性だということもわかってきますが、問題は、その女性を「あなた」と呼んで、この文章を書いているのは誰なのかということですね。 例えば、よく知られたこんな書き出しの小説があります。「或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」 教科書でご存知でしょう、芥川龍之介の「羅生門」の冒頭ですが、この一文の「一人の下人」を「あなた」に置き替えてみると、読者はこの小説の「書き手」と「あなた」の関係は何か? から目を離せなくなると思いませんか。小説が説話物語的な構造を捨てて、書き手と、登場人物である「あなた」との「関係」を描かずに終えることはできないだろうという、まあ、ある種の緊張感 を内包する現代小説化していくと思うのですね。この作品は、そこに着目して現代を生きる人間を描こうとしているのではないか? まあ、そういうことを期待して、2ページ、3ページと、ほとんど何も起こらないこの作品のページを繰って読み続けながら、ボクの頭から離れないもう一つの疑問は「この世の喜びよ」と、作品名によって明示されている、「この世の喜び」とは何か? ですね。 で、この本の7ページから96ページまで、全部で89ページある、この作品の87ページまでたどり着いたのですが、語り方に変化はありませんし、題名理解への暗示もありません。 ところが、最後の2ページです。突如、もう一人の「あなた」が登場し、初めて、他者に2人称で呼び掛ける、1人称の「私」も登場します。「私は炎みたいな形の木とか、太い幹の根もとから色の薄い若木が取り囲むように生えてて、これから競い合うように、枝はどう伸びていくんだろうとか、そういうのを眺めてた。」 初めて、この小説に、一人称の「私」が出てきた一文の後半です。 で、作品は指示対象が異なるらしい二つの、同じ二人称代名詞「あなた」の出てくるこの一文でとじられます。「あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸に体いっぱいの水が圧する。」 ここまで読んできて浮かんできた、あれこれの疑問が、この一文ですべて氷解したりはしませんでしたが、読み終えたとき、なんだか深くため息をつきながら、「胸に体いっぱいの水が圧」している「あなた」の姿を思い浮かべました。 わからないところは残っていますが、確かに、今という時代の、社会の片隅で、ひっそりと生きている人間の「希望」 を描こうとしている作品であることは間違いないと思います。 納得です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.15
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