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生活の変化は著しいもので、その人の人生を変えてしまうほどの力があります。カルチャーショックという言葉がありますが、それは文字通り精神的にも大きなショック(壁)だと言えるでしょう。その大きな変化についていけるか、適用できるかが海外生活の中で最も重要なポイントになってくると思います。あくまで拒み続けるのなら、生活自体がつまらなく虚しいものになってしまいます。柔軟な姿勢で現実を受け入れるだけの余裕がなければならないでしょう。その中でも食べ物はかなり大きなウエイトを占めていると思います。毎日の生活は三食の食事を中心に回っているといっても過言ではありません。食が満たされなければ生活が充実したものにはならないと思いますが、いかがでしょう。。日本国内で生活の場を変えるだけでもかなりの勇気がいるでしょうが、国を変えるとなると想像を絶します。それだけに事前の心の準備が必要になってくると思います。
2008年01月31日
語学留学をして、果たしてどれだけ日本の生活でそれを活かせるか。体験する前は色んな希望や目標があるでしょう。日本で英語を活かせる場というと、まずは職場。簡単なコミュニケーションを取る英語、しっかりしたビジネス英語、メールのやり取りが主な読み書き英語。英語を使う職場といっても、多種多様です。留学を終えて自分がどんな職につきたいか、それを考えて留学計画を立てるのが筋だと思いますが、結果的にそれを達成できるかどうかは、帰国後にそんな職が提供されているかどうかタイミングによる所が大きいと思います。事実、帰国後すぐに希望の職につけるかどうか、これは保証されている訳ではありません。地方へ行くとその機会は益々減っているのが現実だと感じています。留学前もそうですが、その後の現実もしっかりと見据えておく必要があると思います。
2008年01月29日
英語環境で取り残された感覚に陥るのは、とても寂しいものです。何を言われているのか分からない、何と伝えたらいいのか分からない。そんな時、日本語環境がとても恋しくなってしまいます。諦めてしまうか、意地でも頑張り通すか。。ホームシックにかかると、その意思が揺るんできます。言葉が分からないのは本当に不便で、ストレスが溜まります。日本語ならこんなにスムーズに頭に入ってくるのに、英語は頭の中から叩き出されるように弾き返してしまう。どうしてこんなことになるのだろう。なぜ自分だけ英語が分からないのだろ。。不安と焦りが交互に襲ってきます。しかしこれは誰もが通る棘の道です。ここを通り過ぎることができなければ、絶対に先には進めません。そう思うことができれば、もう少し頑張ってみようと思えるかもしれません。
2008年01月28日
通勤時間が楽なのは本当に良いことだと思います。ある程度の混雑は仕方ないでしょうが、日本の通勤状態は少し異常のような気がしています。到底これ以上乗れないと思えるような状況でも、次から次へ人が乗り込んできます。真ん中へ押しやられる人は窒息するんじゃないかと見ている方が心配になってしまったり。。私は幸せなことに背が高いので頭一つ出ているような感じですが、そうでなければ人の背中に顔が当たり息苦しいのではないかと。朝の通勤ラッシュで急病人が出ることがありますが、これはまさにその結果ではないかと思います。通勤の皆様はどう思いますか?電車の時間が問題ではなく、とにかく通勤地や始業時間が集中しすぎていることや人口の多さが原因だろうと思います。手短な解決方法は見当たりません。通勤時間が長くなければまだ良いですが、30分も乗っていると急病になるに充分な時間だろうと思います。どうにかこれを解消できないものだろうかと考えますが、難しい相談のようです。ふとシドニー時代の通勤を思い出してしまいます。
2008年01月27日
言葉とは使わないと忘れてしまうものだと思います。使わないと忘れるのは言葉だけでなく、勉強に関しても同じことが言えるでしょう。一時的な暗記は長続きしません。勉強だけの英語はもったいないと思います。せっかく覚えた単語を再度覚えるのではなく、それを有効に活かすには使うことです。まさに理想の方法です、実行できる人はそうそういないかもしれません。。けれど言葉を忘れることほど、もどかしいものはありません。海外へ行って日本語を話し続けることは、日本語を忘れないコツと言えるかもしれません。しかし英語を学ぶ立場で渡航したのであればそれも微妙です・何をやったらよいのか、これといった完璧な一つの方法があるわけではありません。人によってやり易かったり、そうでなかったりとそれぞれです。しかし、使わないと記憶の中から薄れていく、という現実は変わらないと思っています。
2008年01月26日
今の日本は将来が明るくないようなニュースばかりが耳に入ってきます。私達国民にとって何が一番大切か。。誰もが生活の保障を願っているのではないかと思います。医療費の高騰、食料品販売価格の高騰、原油価格の高騰、年金問題、少子化問題。。。山済みの問題を目の前にすると、本当にこれで大丈夫なんだろうかと考えさせられます。誰もが働き、将来の為に貯蓄する、家庭を持って子供達の将来に夢を見る。。そんな理想は高すぎて到底手が出ないような気持ちで一杯になります。この現象はどこから狂ってきたのでしょうか。気がついたら今の地点に立っていた、というのが実感です。そんな中にも福祉制度が整っている国はあります。少子化を改善しつつある国もあります。これもまた現実です。日本の治安は年々悪くなっている気がしてなりません。悲しい現実があります。それでもコツコツと努力し、自分の夢を実現させる為に頑張っている人たちもたくさんいます。これもまた現実です。最近改めて、人生とは、と考えさせられています。
2008年01月21日
とっさに聞かれて英語が思い浮かばない時があります。度忘れなのか、最初からその言い回しを知らないのか微妙なところですが、前は分かっていたはずなのに、ということがあります。英語環境から離れて早3年近く過ぎようとしています。日々の環境は職場を含めてほぼ日本語です。当たり前ですが、これが日本での生活。英語をスキルアップしたいと思うのなら、やはり英語環境へ身を委ねることが重要だと実感しています。その環境作りは日本に住んでいると本当に難しく、ついつい面白いテレビ番組があったりするとそれに見入ってしまったり。。自分に強くならないと、なかなか実現しそうにありません。皆さんはどのように努力していますか?
2008年01月20日
オーストラリアは寒くない。そんな印象だけで日本から持参していた服ですが、実際には四季があり冬には長袖はもちろんコートも必要なくらいかなり冷え込みます。北か南かでも気温差がありますが、印象と実際のギャップがあまりにも違いすぎてちょっとしたショックでした。話変わりまして、道路を何か爬虫類のようなものが横断してるのを何度か見ました。一見ツチノコのような外見で、胴体の下には四本の足がありました。そんな生き物が驚きもなく普通に動いているのが不思議というか、全く危機感を感じてないところにオーストラリアの人が動物を大切にしているのを感じました。一軒家を持っている人たちは大抵何かのペットを飼っているようです。犬はポピュラーですが、その他にハムスターやオウムなど、動物のいる生活が当たり前といった感じです。犬を散歩をさせている時にリード無しで歩いているのをよく見かけました。犬好きな人に会うと、撫でられて喜んでいます。子供達にも人気です。動物好きな人たちには国境は無いと感じました。オーストラリアでは人間を襲うことのあるカラス似たマグパイという鳥がいます。繁殖期になると人間に敏感になり、特に子供をよく襲います。娘達も経験があり、出かける時は辺りを見渡しながら一気にその場を走っていたものです。恐怖感がありますが、そんなマグパイでも保護動物に認定されているのです。駆除してもらうことはきませんし、自分達で処理することもできません。あの時ばかりは、早く繁殖期を過ぎないかと願っていました。今ではマグパイも懐かしいオーストラリアの動物です。
2008年01月19日
前にも書いたのですが、相手の顔を見ながら会話を交わすのとは違って、電話での声はそのトーンで相手が不機嫌かどうかを推測されます。喜びの声と腹立てている声では、明らかに大きな違いがあるはず。顔が見えないからこそ、慎重に話をしないと相手にダイレクトな印象を与えてしまうでしょう。話をする時は相手の様子を伺いながら、退屈そうであれば話題を変えるなどの工夫をしながら進めることが大切です。自分勝手なテーマで一人芝居のようにならないよう、気を配れるようになりたいものです。これは言語に関係なく国境を越えて適用されるべき態度だと思います。自己満足の会話、これでは楽しい会話が生まれません。またあの人と話をしたいな、そう思ってもらえるような会話を心がけましょう。自分が嫌だなと感じた経験は他人にも同じ感情を与えるものです。人の振り見て我が振りなおせ、ということでしょう。言語の隔たりに関係なく、会話のマナーを私達皆が心がけることができればと思います。
2008年01月16日
オーストラリアと日本の家の造りが違うのは明らかなこと。前庭と後ろ庭があり、それぞれの用途が違っています。洗濯物を表通りから人目に触れる所に干さないのは、ちょっとしたエチケット。必ず後ろ庭に干します。その習慣が身に付いてしまい、日本へ帰ってきてからは庭に干すことに抵抗を感じます。前庭しかないため、干すところは必ず人目に触れます。家が南向きかどうかで庭の場所が変わりますが、我が家は良くも悪くも南向き。よって、庭が表通りに面しているのです。選択を干すのは物干し竿と相場が決まっています。しかしオーストラリアでは、傘のような形をした物干しがありそこに円形状に干していきます。風が吹くとその干し物が回転し、乾燥する時間を短縮してくれそうです。気候的に乾燥しているため、天気のよい日はあっという間に洗濯物が乾いてしまいます。カラッとした空気。懐かしいです。
2008年01月15日
言葉が通じないのは時にはいいこともあります。それは特に双方が腹を立てている時に感じます。全ての言葉が通じてしまったら、その都度相手の言動に腹を立ててしまいます。それが良いか悪いかは分かりませんが、不都合な場合もあるでしょう。黙っていたら何を考えているのか分かりません。嬉しいのか悲しいのか、賛成か反対か。。返事を待っている方はストレスが溜まってしまいます。思っていることを言葉にしないのなら、この世に言葉は必要ではありません。何の為にあるのか、それを考えたらコミュニケーション手段として必要不可欠のものだということが分かってくるでしょう。何でも短く省略するのではなくもっと言葉を大切にし、有効活用することが大切です。
2008年01月14日
文化の違いによって、自分がどんな環境で生活をしてきたのかに気がつきます。今まで常識だと思っていたことが非常識なことのように感じたり、相手の考えが全く受け付けられる対象ではないと思ったり。。同じ人間でもそれだけ正反対のような考えになることがあるとは、国外へ行くまでは想像もしていませんでした。日本人の考え方が全てではない、むしろもっと視野を広くした方が良いと思いはじめました。凝り固まった考え方をする自分に嫌気が刺すこともありました。頭の中を白紙状態に戻してみると、多文化社会で育った人と接する時にそれほど抵抗を感じないようになりました。日本にずっと住むのであれば問題ないかもしれません。しかしこれからは、日本さえ平和であれば良いと言った考え方は改めた方が得策だと言えるような世界へと変わっていく可能性が考えられます。他国をもっと意識した生活へと変わっていくかもしれません。輸入品は決して珍しいものではなく、もはや日常生活で欠かせない存在となっています。今は各家庭には少なからず海外の生産品があることでしょう。今、私達日本人は考えを改める分岐点に来ているのかもしれません。
2008年01月13日
英語を第二ヶ国語とする人々が会話する光景は、何とも興味深いものです。私自身もその一人ですが、発音を気にすることなく互いに伝えたいことを必死に表現しています。多少文法的に間違っていても、そこはお互い様。そんな空気が漂っているのです。英語に自信のない時期、そんな環境はとても魅力的です。恥をかくということがそれほど大事ではないような気持ちになります。言語を学ぶということは、間違いを繰り返す過程が大切です。正しい言葉を使えるのであれば、それは学びとは言いません。しかし私達日本人は間違いを犯すことにとても慎重になりがちです。そんな気持ちを取っ払おうと思っても、国民性かなかなか成功しません。他国の人たちがとても勇気のある国民に思えてなりません。間違うことは恥ずかしいこと、そんな教えを受けてきた日本人は、新しいことに対する挑戦に臆病になりがちです。そんな私達は学ぶことが苦手な国民かもしれません。まっさらな気持ちで臨むことができれば、ステップアップへの道も開けてくることでしょう。
2008年01月12日
昨日の続きのようになってしまいますが、はっきりと言う反面諦める時はあっさりと、というケースもあります。可能性をとことん突き詰めていき、駄目だと分かったらきれいに引く。また逆に、最初にはっきりと言わないのに、思い通りにいかないとなると根に持つ。そんなところが見え隠れする場合もあります。こういったケースはその人の性格が一番大きいと思いますが、国民性や社会性もかなりその要因を占めている気がします。母国語が違う人同士が会話をする時は、上手く伝えることができない可能性が高いのであまりにダイレクトな表現だった場合、決してそれがその人の本人ではないかもしれない、というところを考慮する必要があるかと思います。上手な言い回しができない(婉曲な表現ができない)ために、相手を不愉快な気持ちにさせてしまうことがあるかもしれないからです。自分自身も含め、英語を第二ヶ国語とする立場を互いに理解することが大切です。
2008年01月10日
日本人はまだまだ自分の意思をはっきりと伝えることが下手な国民だと思います。思っていてもその本当の意思を隠しながら話をすることが多く、損をしてしまうケースが多々あります。明らかにこちらに落ち度は無いと分かっているようなことでも、相手も押し切られるとついつい聞き入れてしまう。。それに比べ、自分の意思をはっきりと伝える国民は英語圏にも見られますが、それ以外の国の人たちにも言えるでしょう。時には言ったもの勝ちの場合があり、どうしても意見の強い方へ情勢が傾いてしまうことがあります。よってはっきりとしない人はそれを受け入れざるを得ないといったことが生じるのです。国内でもそれはありますが、海外へ行くとそれが更に強調されているように思えるのは私だけでしょうか。。それは果たして言葉の問題か、文化の違いか、社会性の問題か。。はっきりとした理由は分かりませんが、個人的には社会性が大きく影響しているように感じています。”NOと言えない日本人”という本が昔出版されたことがありますが、まさにその現象は今でも存在しています。NOと言えないばっかりに貧乏くじを引いてしまう日本人。果たしてこれで良いのだろうか?言語自体にもその根源は存在していると思います。微妙なニュアンスで相手に心の裏の裏を感じてもらえるのは日本語。しかし英語でははっきりと表現しないことにはあやふやな意思表示となってしまい、よって全く意にそぐわない意味に捉えられてしまうのです。言葉の表現は言語によって異なりますが、結果的にOKかそうでないかは伝わるもの。それをはっきりと相手に伝わる様な表現を用いないことには、誤解を招いてしまいます。英語の勉強をする上で常に心がけておきたい基本中の基本だと思います。
2008年01月09日
母国語でない国での生活はどれだけ不安だろうかと思います。毎日の買い物くらいであれば目で見て分かるのでそれほど問題でもないかと思いますが、病気になった時の不安は体験した人でなければ実感が湧かないことでしょう。医療に関する英語が分かるかと聞かれれば、自信がない人が多いのではないでしょうか。風邪くらいのものであれば何となく想像できる範囲ですが、それ以上のレベルの英語となると医者が説明する事すら理解できない可能性が大きいでしょう。医者へ行くにも予約制かそうでないかを確認しておく必要があります。急患であれば大抵どの病院でも予約なしで受け付けてくれますが、これが真夜中だとまた不安が大きくなります。症状を伝えるのも英語、医者や看護婦さんの指示も英語、薬の処方も英語。。英語だらけの世界です。自分が果たして正しい解釈をしているのだろうか?薬の飲み方はこれで正しいのだろうか?通院の必要があるのだろうか?疑問は増える一方です。言葉がどれだけ生きていく中で必要不可欠なものかを実感する瞬間です。病気になると人間ただでさえ弱気になります。その上病院へ駆け込むことになるならこの上ない恐怖が襲い掛かってきます。今日本で生活していることすら夢のような感覚に包まれているようです。言葉に不自由しない生活。これほど幸福なことはないのではないでしょうか。
2008年01月08日
どこへ行くにも歩いていたイメージがあります。とにかく公共の乗り物より自分の足を信じていた若かりし頃。。バスや電車の時刻を気にする必要がなく、自分の時間を使いたいように使っていました。バス停の間隔がわりとあったにも関わらず、歩くことが全く気にならなかったのは我ながら凄いと思ってしまいます。今でも歩くことに抵抗はありませんが、乗り物に乗ることを考えるより、歩くにはどの道を通ったらいいだろうと真っ先に考えていました。夜道など今では絶対にやらないだろうと思うことでも、全く気にすることなく行動に移していました。日本では、道中にたくさんの店があり立ち寄ったりウィンドウショッピングをしながら歩いているうちに結構来たな、ということはあります。何だかんだ言っても、買い物は体力を使うもの。かなりのエネルギーを消費していると思います。しかもその間の疲労は全く苦にならず、むしろ楽しんでいると言えるでしょう。何か気に取られるものがあってそれを頼りに歩くのは比較的簡単ですが、何も無いところをただ歩くのは苦痛を伴うことの方が多いのでは?とにかく、シドニー時代はどこに行くにも歩き回ったものです。
2008年01月07日
実生活で毎日英語に触れているのとそうでないのとでは、かなりの差が生じます。些細なことでも日常的に英語を使わざるをえない状況であるのと、そうでないのとでは危機感の違いがあるからです。辞書で調べてでも英語で話さなければならない時と、分からなければ次の機会までに調べておける時とでは、追い込まれ方が違うのです。それは決して想像に難くないでしょう。英語を勉強しているだけでは必要なかった単語が、日常生活においては必要不可欠であることが多々あります。これは何と言うんだっけ?そう思っても、なかなか言葉が出てこないのが現実。しかし、それでも使わなければならないのであれば、是が非でも単語を調べる気になることでしょう。そしてそれをやり遂げた時こそ、自分のものとして単語が身に付くのです。単にその違いです。簡単で理解できるようなことですが、実際に自分の身に降りかかってくるとそう簡単には乗り越えられない壁があります。使わざるを得ない状況かどうか、そこがポイントだと思います。
2008年01月06日
電池で動くタイプのおもちゃを買うと、大抵箱の中には電池が入っています。これが当たり前と思っていましたが、実はそうではないことが分かりました。オーストラリアでは、おもちゃにプラス電池を買わなければなりません。その旨外箱に記載されていますが、箱一つではすぐに遊べないところに不便を感じるものです。贈り物にしろ箱だけであれば凹凸のないすっきりした形でラッピングできますが、そこに電池が入るとなるとちょっと歪な形に仕上がります。何となく納得いかないものです。他に、日本のおもちゃは人形や車と遊ぶタイプのものであれば外箱の写真に紹介されているもの全てではないにしろ、1つくらいは人形や車が含まれていることがあります。半分以上の確率でそれは含まれているように思いますが、向こうで買ったものはほとんどが別売りになっていて、印象としては最終的に割高感が残りました。たかがおもちゃですが、ちょっとした心使いでお客様満足度が高くなるか、低くなるかが決まってきます。そういった意味で、日本の顧客サービスはやはり素晴らしいと思います。最も、その種のサービスが当たり前として育ってきた人にすれば、全く問題ないことではあると思いますが。。。
2008年01月05日
昔、サザンハイランドという町へ行った時にガーデンフェスティバルが行われていて、そこで訪れたある一軒の庭がとても個人の所有とは思えないほど素晴らしく手入れされていたのを思い出しました。そこの家主は老婦人で、夏はオーストラリア冬はイギリスへ居住地点を移すといった生活スタイルをしている方でした。自前の庭を一般公開するにあたって僅かな入場料を取ってはいましたが、それが主な収入源ではありません。元々資産家で、生活には何不自由なく暮らしている人です。その広大な庭を手入れするのはご婦人自身ではなく、ちゃんと庭師を雇っているとか。婦人が不在の時でも1年中庭のお世話をしてくれているということでした。その庭を見に行ったのは2回ほど。まさに日本人が求めるようなイギリス式の設計が施されたものです。花が咲いていましたが、残念なことに名前が記憶に残っていません。しかしその庭の美しさと家主の生活背景は今でも心に残っています。
2008年01月04日
英語と日本語で二ヶ国語。それにまたもう一つの言語が加わったら3ヶ国語になります。日本語ですら完全に理解できていないかもしれないと思うことがありますが、それにプラス他言語が頭の中に入るのかどうか、かなり怪しく思ったものです。故に、三ヶ国語となると一体頭の中はどうなってるんだろう??と思わざるをえません。大人になってからそれだけの言語を習得しようと思ったら、並大抵の努力では達成困難だろうと思います。しかし子供の頃からそういった環境に身を置くことによってそれほど困難を極めなくとも習得が可能となってくることは、たくさんの例がそれを実証しています。自分自身もそんな環境に生まれ育っていればな、と思うことは多々ありました。しかし物理的に不可能なことを実現するわけにもいかず、自力でその目標を達成するしかない現状です。そうは言っても、大人になってからでもまだまだ遅くないかもしれません。環境には逆らえませんから、時間はかかってもいつかは達成できる時がくるでしょう。環境、環境、二言目には環境です。それほどに無意識のうちに自分の脳に影響を及ぼす環境とは絶大な存在であり事実なのです。
2008年01月03日
シドニーでバスに乗る時、運転手側の前のドアから乗ります。事前に購入していたパスを使う場合はそれをマシーンに通すのですが、その場で支払うのなら運転手に行き先を告げて現金で支払います。スーパーのレジにあるレジスターのようなものがあり、運転手がそれに行き先を入力するとレシートのように料金の記載された白い用紙が出てきます。そしてそれを破って渡してくれます。お釣りの心配がいらないので、両替をしておく必要もありません。ただ、50ドル以上の紙幣での支払いは遠慮したいものです。。バスに乗る際にふと思ったのですが、行き先を告げて前払い制で乗ってしまえば例え自分が降りる予定だったバス停を乗り越しても、もう誰にも分からないということです。途中で検査が入らない限り、乗り越し料金を支払うことがないのです。得のような気もしますが、結果的に乗り越しなので後は自力で戻るか、また逆のバスを乗って戻るかなので、どっちもどっちでしょう。
2008年01月02日
とうとう2008年の幕開けです。1年が経つのは本当に早いもので、その分自分自身もまた1年年を取ったのかと改めて実感している今日の元日です。。日本ではお正月は1年の中でも一大行事ですが、オーストラリアでは新たな年の最初の日ということで祝日ではありますが、明日からは通常の日に戻ります。ただ、会社によってはまだ休みが続き、個人的に休みを延長する人もいる為その長さはまちまちです。それによって返って日本のお正月休みよりずっと長くなるケースがほとんどです。しかもその休みはクリスマス前から始まる為、信じられないような長期のホリデー期間になります。日本の年末年始は故郷に帰ってゆっくりと過ごすというパターンが一般的ですが、最近ではお店も1日から営業していることが多く、ますます働き者の日本人だなという印象が強いです。1日からお店が開いていて利益になるんだろうか?と思ってしまいますが、実際に今日私自信も近所のスーパーへ買い物へ行ってしまいました。開いてて良かった、と思ったものです。もうかつてのようなお正月は戻ってこないのでしょうか。3日間休みであれば事前に買い物を済ませ、おせち料理を用意する。そういった必要性が失われつつあります。そんな現実に何だか悲しいような気持ちにもなります。本当の意味での休息は一体何なのでしょうか。。
2008年01月01日
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