PR
Keyword Search
Calendar
保険の異端児・オサメさんComments
茶の湯を始めてから、いつの日か訪れてみたいと思っていた場所、それが大阪の堺であった。中世、「東洋のベニス」とも呼ばれ、茶の湯文化が育まれた千利休ゆかりの地、自由都市堺。この週末、念願叶って、その地を訪れる。
きっかけは、お茶会である。インターネットで堺のことを調べていて、この時期、大茶会なるものが開催されることを知る。それは、今年で35回を数えるという"堺まつり"のイベントの一つとして、利休ゆかりの南宗寺(なんしゅうじ)、そして仁徳天皇陵近くの大仙公園の2会場で開催される、その名も"利休のふるさと堺 大茶会"(右チラシ)というものである。
堺に到着後、ロッカーに荷物を預けると、まっ先に向かったのが、南宗寺である。司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の中でも、南宗寺のことは「臨済禅の名刹で堺第一等の大寺」と書かれていたので、その山門の前に立ったときには、それが小さいことに拍子抜けしたものである(下写真)。
その閉ざされた門の前は、駐輪場と化していて、山内へは、横の小さな通用口から入る。石畳を暫く歩くいた先に、甘露門と呼ばれる重要文化財の建造物があり、実はそれが往時の山門であることを知る。人もまばらで、本当にお茶会が行われているのだろうか、と心配になるような静けさだったが、ひとまずそれは無用であった。6つある茶席、その会場となる塔頭の入口には、茶席を示す看板が立てられていた。

ここ南宗寺は、室町時代末期、三好長慶(ながよし)が父の菩提を弔うために建立した寺である。まさに自由都市堺が繁栄を極めている時代である。そして、三好一族の菩提寺となっているのであるが、さらに千利休一門の供養塔、そして利休の師匠である豪商、武野紹鴎(たけのじょうおう)の供養塔もある。
三浦綾子さんの小説、『千利休とその妻たち』の中でも、南宗寺の記述は幾度となく登場する。利休の妻、お稲が三好長慶の妹であり、その縁談を仲介したのが武野紹鴎でもあることも書かれているのだが、その意味でもこの南宗寺は、千利休と利休を取り巻く人々に縁の深い寺であると言えよう。
三好長慶の家臣だった松永久秀。当時、茶人たちにとって垂涎の名器であった"平蜘蛛の釜"をもっていた久秀が、利休の後妻となる'おりき'を、その釜と引き換えに譲ってほしいという場面があるが、それも思い出されてくる。その久秀も、長慶亡き後、将軍を殺害し近畿を蹂躙するが、やがて織田信長の出現によって、"平蜘蛛の釜"と共にこの世を去る。
そして堺も、信長、秀吉の支配化となると、自由都市としての自治を失い衰退し、大坂夏の陣で灰燼と化すのである。南宗寺は、その堺の繁栄と衰退と共にあった寺であったと言えようか。そのあたりを復習する意味でも、また三浦綾子さんの小説を読み返したくなってきた。
さて、南宗寺の茶会であるが、私達夫婦が参加した茶席は、塔頭の本源院、天慶院、そして南宗寺の茶室「実相庵」の3席である。千利休ゆかりの寺での茶の湯体験については、また次回、記してみたい。
謹賀新年2016@熊本・水前寺公園 2016.01.01
桐蔭席の後は、”八重の桜”幕末の舞台へ。 2013.11.03
銚子(2) 犬吠埼は見よ立てり 2013.10.14